はてなキーワード: テナントとは
その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037
東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。
天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止。
というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。
で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路が邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。
なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。
ちょっとあるよ。
本来、東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所は東北本線貨物線荒川鉄橋。
1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車は貨物線を走るようになった。原宿駅のお召列車ホーム自体が山手貨物線に接続されているから。
そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人に危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近を徘徊しているので恐れて中止した。
そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。
wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。
東口駅前のそごうはそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンとかららなんとかとかららクロフトとかになるのかと思われる。
しかしデパートというのはハイコスト、ハイリターンの業態に合わせた建物で、コストがメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーター、エスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。
だから巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。
そもそもデパートの損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナントと業態が合わないのだ。
だからどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。
SLあおば通りって道があって、ファミマのSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLのオブジェとかもある。
でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。
アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJRが保線基地に使ってる。
そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。
あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26
植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7
石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地の区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口は江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。
この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。
また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。
でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県は荒川~大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切も廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。
因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしてから神主が渡り初めをしているのが写真に残っている。
だから王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。
多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。
タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。
でも商業地や工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。
更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。
そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前の会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所に移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。
日本初のタワマンは川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社の工場だったところ。
因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ。
その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。
駅西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9
ここだが、境内に結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所、選挙の投票所に指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。
すげえ田舎や離島で神社が投票所というのはあるだろうが、東京都境から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか?
好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?
何?じゃなくて教習所や。元々地産グループの教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社が倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。
ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。
因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北縦貫自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数を都市を自負し商圏63万人を誇る。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半40,000平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも落選。対立候補の官僚出身の新市長が状況に応じ検討するとして当選したが、過剰な商業施設は不要として事実上のイオンモール立地規制条例を制定。売場面積7000平米級の中途半端なイオンリテールがオープンした。
八戸市民は隣町のイオンモール下田まで車で約15kmのみちのりを30,40分かけて行く羽目になる。
車がない高校生は1日に5便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
中心市街地は、イオン立地に反対したあとほどなくシャッター街になった。全く商店街をシャッター街にさせない!商店街を守るんだって話はなんだったのだろうか。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にイトーヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をしたという。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通り入口の街の顔となった
しかし、2003年に閉店する際は商工会議所は引き止めだそうだ。実に身勝手である。2024年夏にもう一つの郊外型の地上2階建てのヨーカドーが閉店予定である。
私は学生時代、そのヨーカドーの両方でアルバイトした。八戸店では閉店まで2ヶ月間を鮮魚コーナーでアルバイトの先輩に殴られながら、ホタテやホヤの殻を剥き試食販売の売り込みをしたり、閉店後のポッポでたい焼きや今川焼きをもらったり、最終営業日の店長の涙を堪えた客への挨拶を聞きながら、八戸の中心街はこれで一時代が終ったのだとしみじみ感じだ。
話を戻そう。その後、現在まで約20年近くが経ち、八戸の中心市街地はどうなったのか。
中心市街地には地元百貨店は最近まで2店舗あったが、コロナが瀕死の経営状態にとどめを刺し2023年に1店舗閉店。
さくらの百貨店は若者向けではなく、郊外CSはラピア長崎屋と前述の小ぶりなイオンリテールと、スーパーセンターがいくつか。バブル期前につくられた街中のファッションビルはほぼ空きテナントだったと思う。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては地権者の反対で消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん作ったものの、商業施設の立地はほぼ皆無のままである。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列のホームセンターのサンデー、市内の何箇所かにスーパーセンターがある。ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、娯楽性に欠ける。買い物を楽しんだりするには物足りず、映画館もない。ヨーカドーもなくなる。イオンはリテールとスーパーのみ。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1993年 六ヶ所村で日本原燃の再処理工場の建設が着工する。原燃PRセンターに家族で行った帰りに、父からこの工場で事故が起きれば将来は八戸に住めなくなると聞かされ幼心にショックを受ける
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にイトーヨーカドーの郊外型CSが開店、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。
ロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターはあちこちにできた。
中心市街地は市営の箱物はたくさんできて大変モダンな空間になったが、観光施設や、広場施設であり、結局、車社会の一地方都市には、かつてのイトーヨーカドーのような民間の商業施設は20年経ってもできなかった。地元商工会議所は郊外巨大CS進出を阻止に成功したが、経済の低迷は続き中心街へ商業立地の開発誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業床がマンションになるのであれば、予定通り40,000平米のイオンモールを建設しても問題はなかったと思う。
郊外のイトーヨーカドー八戸沼館店は閉店後は、1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
GMS衰退の潮流は止められず、地方の車社会は市民は無料駐車場のあるイオンモールを求めていた。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画の教科書的には正しいことは理解している。
しかし、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、一番割りを喰うのはアクセスの不便さ、往復30kmから40kmのガソリン代を消費する市民自身であり、隣町のモールに買い物客が流出して意味をなさなかった。中心市街地の地権者は新たに商業施設を建てるわけもなく、文化的施設の建設に補助金が投入された。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に市商工会議所は、利己的な理由からイオンモール立地に反対せず、県道沿いの環状バイパスに40,000平米級のイオンモール田向店を作っていれば、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちはおらず、自転車でイオンモールに遊びに行けただろうとつくづく思う。こうして毎年彼らは高校卒業後、八戸を離れてしまうのだろう。
主に外食が高い。
自分が子供の頃や5年くらい前までは外食の費用にそこまで気にならなかった。
夫婦そろってフードコートに忌避感はなく、それどころか子持ちにはファミレスとフードコートは神だった。ファミレスだとガストとバーミヤンとサイゼリヤを多用してた。ファーストフードだとマクドナルドとバーガーキング
しかし上の子が育ち、下の子も大きくなった今ではとてもじゃないが外食する気にはならない。それくらい高くなった
まずフードコートはチェーン店以外は軒並み1食1000円に近くなる。はなまるうどんとかは良いがモスバーガーとか最悪だ。1人1000円はいく。知らない中華料理屋とかも1000円近くする。そのくせたいした味でもない。安くて家族の好みに合わせたものを好きに買って多少騒げる場所って勝手にフードコートを定義していたが現在は安さだけは無い。その癖持ち込みの老人がボックス席取ってたり学生がSwitchか宿題してたりして席は無い。
ファミレスもサイゼリヤは頑張っているがそれ以外はほぼ上がりクーポン使用しないと単価1000円は超える。子供がクーポン対象外のキッズメニューを希望すると頭を抱えたくなる。注文はしてあげるが。びっくりドンキー行ったけどあそこも別に安くは無かった。あれならブロンコビリーでサラダ食べる。
公園のキッチンカーやショッピングモールにテナントで入っている店もファミレスと同じかそれ以上で子持ちで入れる安い店と言うのは自分の生活範囲ではほぼ壊滅したと思っている。
増田は自宅で料理担当なのでぶっちゃけ弁当を作るのも苦じゃないし、一番安く済むサイゼリヤやクーポン利用のバーガーキングの家族4名で1800円の予算なら確実に余る量の弁当は作れる自信はある。しかし公園に行くならともなくショッピングモールや都内の買い物に弁当持参は食べる場所探しに一苦労するので余りやりたくはない。天候にも左右されるし
そうなると必然的に出かける回数を減らしたり、出かけるタイミングを朝食後か昼食後にして出先ではドリンク程度にするとかにするしかないのか。もしかすると我が家が単にお出かけが多いだけで世間の家族はたまに出かけて外食してるから問題ないのかもしれないが余り他の家族と比べてないので分からない。同じようにツライ増田が居たら是非現状を教えて欲しい。
これ
https://nou-yunyun.hatenablog.com/entry/2024/03/04/170000
また例によって差別商売のアイツが何やら言ってるのに対して電脳塵芥氏はガソリンスタンドだったのはとうの昔で違うんじゃね?と疑問を呈しているが、増田はこの建物はガソスタの躯体のままだったと考える。
なお、増田がガソスタ勤務だったのは20年前で、その後は危険物取扱者の更新研修を受けていないから20年前より後の消防法の改正については追いかけられていない。
勤務時は危険物保安監督者に任命されていた。(役職手当無し!)
で、火災の危険があるので基本的に給油所の上に建物を建ててはならないし、敷地内に事務所や整備所以外の用途の建造物は建ててはならなかった。
いつかは判らんが、自社の事務所用途のみなら給油所の上に建物を建てても良いという事になった。つまり給油所の上に本社などが建てられる。
90年代の規制緩和の波に合わせて自社以外でも事務所としてなら使用可になった。但し住居としての使用は絶対に不可。
というわけなので〇〇モータースKKが本社社屋兼ガソスタとして建築→廃業して建物を改造してディーラー化というのは平仄があう。
給油所は火災や土壌、排水汚染の危険性があるので設備や形状に特徴がある。そのいくつかが合致する。
・上階の窓は壁面から後退させるか下に庇をつける
前面から見ると2階はファサードで覆われ、3階の窓は後退しているhttps://maps.app.goo.gl/ruJd61cgMcRoPGDj7
裏から見るともっと特徴的だ。https://maps.app.goo.gl/kQsHnn3hNptBMpVX7
2階の窓の下には大きな庇がある。3階、4階とも窓が大きく後退している。こういう建て方をすると雨漏りしやすく防水工事に金が掛かる。
・扉は防火で外開き
建物裏参照。風で扉が開いた時に危険物扱所から屋内に空気が入らようにするない為
・外側に向かって比較的大きな床勾配
給油所の床には水勾配よりも大きい勾配を外に向かって付けねばならない。ガソリン蒸気は重いので隅の方に溜まって引火することがある為。
・鉄線入りガラス
前と裏面にある。まぁこれは車屋でも必要か。こぼれた油脂を下水に流さない為。
なのでガソスタを廃業して、給油スペースを巨大ガラスで仕切る改造をしたものと思われる。
例を挙げると秋葉原のリビナヤマギワの駅と反対側もガソリンスタンドとその本社だった。https://maps.app.goo.gl/j43sSStAaXZKDRVD9
リビナヤマギワは元々駅側のあきばおーとかに近い方だけだった。
上階の窓が引っ込んでいるという特徴と1階天井が高くてシャッターが付いているという特徴があるのが判るだろうか?
90年代前半にガソスタとその本社として開業したが、実は神田秋葉原近辺はガソスタが多い上に設備も少なくて余り儲からなかったのか、数年で閉業してシャッターが掛かったままになった。それをヤマギワが買収して大工事を行い、オフィスを店舗と駐車場に、スタンド部は空調置き場に、本店の裏の壁をぶち抜いて両建物を連結したのだった。
2.地下タンクの油脂だけを抜いて売り、別業態で営業する。給油取扱所のままだがポンプや給油機は撤去する。タンク残量の記録などの義務は残る。
3.タンクを洗浄して水で埋めて封止する。
嘗ては認められなかった方法だがいつだかの規制緩和で可能になった。
タンクを中和剤で洗い、水で埋める。水質検査して汚れが無ければok。パイプ類は切断して厳重に封止する。点検口などの穴は水が溜まるのでモルタルで埋める。これなら他の用途に使えるようになるので給油所部分に建物を建てて会社にしたり、スーパーになっている所もある。上階部分もテナントとして貸せる。住居として貸せるかは不明。
件のHonda Carsの裏側には床に四角いモルタルがある。タンク直上の点検口を埋めたものと思われる。
ガソスタの解体でヤバいのはやはり地下タンクだ。ガスで切断したりユンボでゴツンと叩いて破壊すると中のガソリン蒸気に引火して大爆発する。それ故、一度水で満たしてからガスで切断するというような慎重な作業が必要になる。
但しそれは営業していたままのものだ。建物転用している場合は上記の3.で、タンクと配管は既に洗浄、水で埋まっているから危険はないはずだ。また土壌汚染も起こらないはず。
解体時にテキトウやれば油脂が漏洩して土壌が汚染される。だけど油脂を抜いてあるからその量は大した事ない。
問題は配管やタンクにクラックがあって長年漏洩していた場合だ。ガソリンの主成分は揮発してなくなるがベンゼンが残留する。ガソリンの匂いで気持ち悪くなるのはこのベンゼンが血中に回る為だ。
またハイオク剤も残留する。ガソリンを放置すると沈殿したり固まったりしてキャブレターが詰まったりするが、これがハイオク剤が重合したものだ。長年漏洩していた場合はかなりの量になり、それが広範囲の土壌に浸透している。
そういう場合は土壌の入れ替えをせねばならないが、これがとんでもない額になる。小さなガソスタでも5000万とか7000万とか行ってしまうのだ。だから売主は土壌汚染についてはピリピリしている。
地主は上記のように土壌汚染問題にはヒリついているものだ。そしてそれは多くは営業中の漏洩で引き起こされる。
更に土地の権利はカタギの商売人じゃなくて、訳アリ土地扱いますっていうスジもの業者に売られて転がされてる事もある。
それなのに2chまとめブログ農園のキャベツとか、アルファブロガ時代には日本のネットで隆盛だった2chの影響が無いブロゴスフィアを作ると銘打っていた主幹が作ったのに、年喰って背伸びしたい2chねら上がりみてえなのしか読者が居ない上に寄稿者もそんなのばっかなのに古代ギリシャの広場を名乗ってて当人らだけが日経新聞と比肩するとか思ってるようなサイト農園のレタスとかから生まれた、社会の仕組み判ってないような妖精のチンクルみたいなおっさんが「クルド♪土壌汚染♪」とか歌いながら地雷原の方に行ったらそれを優しく見守ってあげる方がいいのではないだろうか?
ゆえ無き批判で破廉恥な売文業を生業にしているのを見て糺したくなる気持ちは判るが、地雷原の近くで自転車の練習してる場合には応援してあげる方が良い場合もある。
今日、2023年2月29日、に埼玉県の新所沢駅前にある「パルコ」が閉店するとのことで行ってきた。2023年1月31日の渋谷の「東急本店」の閉店、2023年2月28日の千葉県の津田沼駅前にある「パルコ」の閉店以来。来月の2024年3月31日には東京都八王子駅前の「K8」の閉店、2024年9月の津田沼駅前「イトヨーカドー」の閉店にも行く予定だが、何となく有名な大規模商業施設の閉店が多い気もするので、一旦感じたことのメモ:
・ひとまず新所沢も津田沼も「道路が死ぬほど狭い」。本当に車に轢かれそうなぐらい狭い。土地価格が安いのになぜ?? 踏切も多い!
・戸建て住宅地は基本的に雑な区画で、何と言うか新しく住みたい感じは生まれない。ババ抜きのババ感が少しある。
・新所沢に行くまでのガラ空きの西武線で優先席に座っていたら、眼の前の優先席に座っていた高齢男性が結構睨んできた。気のせいかもしれないが、市立小中学校エアコン問題みたいのが未だにある気はした。所沢から新宿方面に向かう電車と何か雰囲気が違った。
・郊外系の「パルコ」が都心の消費文化を輸入する設定は当時は面白かったのかもしれない。「映画館」「文化施設」等も組み合わせるのも良いが、今となってはその辺のイオンの水準にも達していない。テナントも東京のその辺の駅前にある第三セクターのビルの方が良い。
・新所沢駅に関しては目の前にある謎の噴水広場は再開発反対の(当時の)老人たちによって残されたらしいが、案外今後重要になるかも。
・新所沢駅から2駅の所沢駅に関しては、駅前が思っていたよりも高層マンションが多く商業施設も多く人も多かった。
・新所沢から所沢駅を散策すると郊外系の面白そうな文化が微妙にあった。所沢市は自然も豊富で、トトロのふるさと基金など自然を活かす運動も盛んであり、そうした意味では面白いエリアになるかも。ただ、道路をどうにかしたほうが良い。。。
・津田沼は、歴史も面白いし、自然もあるが、今後の「再開発」でそれが活かされることは無いように感じる。新幕張にあるイオンの劣化版みたいな商業施設にマンションがくっついたら成功なのだろう。
・どの閉店祭りでも「私の青春はここで消費しました」みたいな寄せ書きがあるが、何となく虚しい。消費でしか自己表現手段を持たない人たち、という感じ。新所沢の建物に関しては残しても良い気もする。ここを拠点にするオフィスがあっても面白い。ただ、全体的に周辺が停滞している印象なので、世代交代が無いと思い切った新しいことは出来ないかも。
・消費で街を作っていく手段も良いが、次の世代に受け入れられないと一気に街が暗くなる。新所沢も津田沼も次の世代を意識した公共財の創出があまりされてこなかったように思える(新所沢の体育館はカッコよかった)。
様々な要因で外食の価格が上がってきている。増田は既婚者で子供二人も居るので買い物とかで出かけて昼食や夕食を外で食べようとするとなかなか辛くなる。
一昔前はフードコートでそれなりに安く済ませるorちょっと豪勢に入っているテナントやロードサイドのファミレス等って感じだったが、今じゃサイゼリヤやガストもしくはクーポン前提でファーストフード店って感じだ
ただ海外だと出先での外食はどんな感じなのか。やっぱ日本同様にたまの贅沢みたいな感じなのか実は安いのか。そして何を食べているのか。正直今の日本だと選択肢も少なく家で作っていった方が安いが公園やピクニックならいざ知らずイオンやショッピングモールに買い物では弁当と言う訳にもいかない
いまいち調べ方も分からずAIに聞いてもイマイチだったので有識者居たら教えてください。もしくは本や資料あれば紹介してください。読んでみます
最低賃金だの生産性だの、はっきり言えばそんなものは「本当の底辺」には関係ない話だ。
お前らがパソコンの前でカチャカチャやって年収600万稼いでいる最中に、俺たち本物の底辺であるB型作業所という名のゴミ溜めでは、社会にとってなんの役にも立たないカスみたいな作業を一日中して、時給62円を稼ぐ。
1日4時間、1ヶ月20日しか働けないのでフルで出ても月収1000円に満たない。
62円×20日で月収4960円じゃないか、と思うかもしれないが、殆どの人はよくわからん利用料的な名目で8割程度差し引かれ、1ヶ月働いて財布には1000円札が入るだけになる。
さて、このカスみたいな給料で俺がやっている仕事はなんだと思う?
ガムテは自費で買わなければいけないので使えない。良い感じに組み立てる。
「はあ、頑張ってダンボールを箱にしたぞ!」と思いつつ、次にやることは隣にいる26歳の女にダンボールを差し出すことだ。
この女は俺と同じB型作業所の人間だが、ダンボールを組み立てることすらできない。
そこで彼女がやる作業は、俺が組み立てたダンボールを解体することだ。
夕方になると解体したダンボールを近所の生協のダンボールコーナーに置きに行く。
そして朝になると別のスーパーのダンボールコーナーからダンボールを持ってくる。
俺が居るところが特別カスみたいなだけだろ、と思うかも知れないが、そんなことはない。
俺は5ヶ所のB型作業所を転々としたが、これでもマシなほうだ。あるところではビーズの数を数えて紙に書く作業、そしてあるところでは水槽の魚が死なないかずっと監視する作業。
そして俺たち底辺を見張るのがまた底辺である「生活支援員」だ。彼ら彼女らはこのゴミみたいな作業を一日中見守る仕事をして、手取り月収13万円を受け取る。
彼ら彼女らは俺たちと違って4年制大学を出て社会福祉士の資格をとった人間が多いが、こんなゴミ作業を見守る仕事に人生の貴重な時間を捧げる。
B型作業所で「作業」する人間は約30万人が居る。そしてB型作業所は全国に1万5000ヶ所存在する。
B型作業所は驚異的なペースで増加している。現在は1年間で1000ヶ所ずつ増加しており、この増加ペースは加速している。
これを体感したいのならば、田舎の駅前のテナントに行ってみてほしい。
こう言った事実はあまりにも醜いので、誰も口にしたがらない。そして法的に労働扱いではないので、統計にも反映されない。
しかし確かに「本当の底辺」は存在するのだ。そしてこれは国によって正式に認可され放任されている。
お前がスーパーのダンボールコーナーを見るとき、そこには見えない底辺が多数関わっているのだ。
せいせきSC、以前はエレベーター横にフロアガイド(何階に何のお店があるかの一覧図)が掲示されてたんだけど、最近これがデジタルサイネージ方式に変わった。いつ変わったかは知らない。だいぶ前かもしれない。
デジタル式じたいは別にいい。印刷のフロアガイドと見やすさはそう変わらないし、テナントの入れ替えなども即反映できて、きっと便利なのだろう。
問題は、こいつがスライドショーになっていて、10秒間隔くらいで広告が表示されるのだ。
フロアガイド→広告1→広告2→フロアガイドみたいなローテーションになっていて、「あのお店はどこかな...」とフロアガイドを調べているうちに広告が表示されてしまう。引き続きフロアガイドを調べるにはローテーションが一巡してフロアガイドが再表示されるのを待たなければいけない。目的の情報が見つかるまで何周も同じ広告につきあわなければいけない。
糞が。と思ってしまった。
イトーヨーカドーもイオンも閑散度は似たようなもんだ、というブッコメに★が多く集まっていて(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/735015)、それを書いた人がどの立場でそう感じているのかは分からないのだが、それはとても正しい。ロードサイドだって平日はガラガラだというブッコメもあり、それもとても正しい。ただまぁ一方で平日は都心のファッションビルやデパートだって閑散としてるし休日は駐車場の入庫行列するようなショッピングセンターだって閑古鳥なので、そこの時間帯を比較することには、本件を読み解くためにはあんまり意味はない(このご時世に小売って厳しいよなーという文脈なら検討に値する視座ではある)。
まぁ、今のところはイトーヨーカドーが劣勢でイオンが好調である。GMSの世界というか小売業は本当に栄枯盛衰の移り変わりが速い業界で、イオンがいつまで好調を維持しているかも分からない。分からないが、これまでのところはイトーヨーカドーが降り、イオンが勝ち残っている。ヨーカドーが降りざるを得なくなった理由にはいくつかあるが、それは客足以外のところにある。
イトーヨーカドーの駅前店舗は、多くが賃借ビルの一棟貸テナントである。これはイトーヨーカドーが飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃には効率経営が高い(BSを圧縮したまま事業拡大できる)として称賛されていた。少し話はずれるが、イトーヨーカドーと地元商店街の対立図式は、単なる客のパイ争い以上に「駅前の再開発」に絡むものだから、要するに再開発の線引きエリア外の商店主が怒っていたという側面もないこともない。
話を戻して。ただし賃借方式だと賃料を支払い続ける必要があるため、薄利な小売店にとっては経営のかじ取りが難しい。イトーヨーカドーはドミナント出店(回りをイトーヨーカドーだらけにして、低価格の目玉商品を大量投入して周囲の競合を脱落させる手法)が上手だったと言われているが、それは当該の前項記事にもある通りhttps://toyokeizai.net/articles/-/734323?page=2昭和時代のダイエーとの比較においてであり、駅前に地域旗艦店GMSを置き周囲にSMを置くという手法は、次項に説明するが、消費者の買い物行動の変化に伴う商圏の変化に付いていけなくなっていたのだろう。ドミナントの難しいところは、囲い込んで他に選択肢を無くさせる過程の「手段」において安売りキャンペーンを続ける必要があるところで、そこも賃借だと館全体の利益を圧迫することになるというリスクもある。
また、イトーヨーカドーはGMSであることをアイデンティティにしてきたためか自社のPB衣料品ラインの損切りがかなり遅れたのだが、アイデンティティへの固執に加えて、もともと店舗が賃借であるためテナントを入れると自前で仕入れた商品の販売や自社PB商品を売るよりも利ザヤが小さくなってしまうのがその理由だと推測できる。PBの衣料品も昭和の頃は「衣料品は腐らないから賢い」と称賛する人もいたんだけどね…。
一方でイオンは(買収や方針転換もあるので全てではないが)多くの施設が賃借ではなく自社開発だ。拡大戦略の初手から自分で土地を調達し自分で建物も建てる戦略。発祥が地方都市だからということもあり「田舎の安い土地を二束三文で借り(または買い)自前で建物を建て、広大な駐車場を持つ巨大スーパー(GMSというよりも巨大スーパー)をあちこちに作っていった。
自前開発なので建物を建てたコストが償還できればその館の運営はかなり安定的に行えるようになる。またちょっと話はずれるが、イオンはGMS店舗もイオンモールも建物の作りはかなり安普請というかお金をかけない割り切った作り方をしていて、SCの競合であるららぽーとはもちろんゆめタウンよりも安普請。清掃などの館のマネジメントもお金をかけていない(全てのイオンモールがこの限りではなく都市部店舗などはもう少しハイグレードになっているが)。この割り切りが、ある意味イオンの現在までの堅調さを支えていると思う。
このイトーヨーカドーは賃借店舗が多かった、というのが、まぁ10年以上苦境が続いている最大かつほぼ唯一の理由じゃないかと思う。そして一つ歯車が狂うと、どんどんうまく行かなくなっていく、経営って本当に難しいな。
住宅の郊外化が進んだことで商圏(客がどのぐらいの範囲から来るかの推測で店の形態ごとに違う)が変化した。スーパーマーケットの商圏が拡大する。毎日の買い物に車を使う人が増えて、駅前出店を中心にドミナント出店をキメてきたイトーヨーカドーは駐車場の確保に苦慮することになる。イオンはハナから広大な駐車場が付いている。スーパーマーケットの商圏が拡大すると、駅を中心にした半径に「ドミナント城」を構えていようがあまり意味がなくなってくる。
そのタイミングにイオングループは巨大スーパーの次の拡大策としてショッピングセンター開発を本格化する。イオンは建物を自前で建てているのでテナントを入れたらまるっと賃料が入ってくる。ヨーカドーが賃借部分をまた貸しするのと比べると旨味が大きい賃料収入になる。要するにイオンモールは実は半分不動産事業(デベロッパー)である。一般的にデベロッパーが作るSCにはコアテナント・キラーコンテンツとしてスーパーマーケットを誘致するのが常なのだが、イオンは自分がコアテナントであるのが最大の強み。
このビジネスモデルでイオンは全国の「ここに商業施設は建つのか」という郊外やロードサイドにバンバン巨大なイオンモールを作っていく。同時期にSC競合である三井やゆめタウンもバンバンSCの出店拡大を行っていった。これで「家族の日常の買い物」という消費行動における商圏が変化する。まずは商圏がいったん拡大(毎日の買い物でも車で30分のSCに)、そしてSCの出店が増えることで「道路網に沿うように」商圏が縮小(もう少し近いSCができたね)という順番で商圏が車前提に変化していった。ここでチェックメイト感は正直あったと思う。他デベロッパーのコアテナントでイトーヨーカドーが入ることはもちろんあっただろうがやはり賃借モデルなので利益は(イオンと比べて相対的に)小さくなってしまう。
イオンはさらにドミナント戦略も巧みで、多様な店舗のラインナップを作ることで出店用地を比較的選ばずに囲い込みができるようになっていたのもデカい。巨大SC、巨大SM、安売スーパー、小型店、コンビニなど、他の小売店の買収も効率的に使った出店戦略が巧みだった。イトーヨーカドーが、買収したSMチェーンを集約化する(「鳩のマーク」に変えさせるのが象徴的)のと逆に、ラインナップ自体を増やす方向に舵を切ったのが成功の要因だろう。敵がどこに出店しても、何らかのカードを切ることができる体制を作った強さ。イオンは買収したチェーンのブランドをしばらくそのまま使っていたりが全然平気なのだが、買収された店舗はじわじわと数年かけてイオンに変貌する。怖いね笑。
商売がうまいといえばイオンの食品PBトップバリュも複数のラインアップを出しているがこれも恐らく同様の「多様志向」を捉えた戦略で、セブンアイおよびセブンアイプレミアムでやってきたイトーヨーカドーとの経営の方針の違いが出ていると思う。ネット民に不評な「黄色トップバリュ」だが(美味しくないよね笑)価格訴求に全振りする商売上手ぶりは、要するに下請企業との関係を保ちながら「安いものが買いたい」客を掴めるし、グリーンアイという単なるグレード分けではないような見せ方がうまいし消費者をよく見てるよなぁと感心する。会社として戦略的柔軟さがある(というかイトーヨーカドーが柔軟さがなさすぎるというか)
これは私見だが、「車で肉や野菜を買いに行く」ライフスタイルが定着した理由には、日本人の共働き化も大きいと思っている。あなたも私もそうだが、働いている人たちは平日に買い物ができないからだ。休日にデカいスーパーに色々なものをまとめ買いする、という行動様式自体は米国(SCを生み出した国でもある)などを中心にすでに存在していたライフスタイルだが、これが日本に定着したことで、自転車で買い物に行ってる場合じゃねえ!という感じになる。一週間分の買い物は重い。保育園や学童から子供を連れて帰る足で出来る買物はたかが知れている。
当該のブコメにもあったが、イトーヨーカドーがかつて誇っていた衣料品のニーズは、ユニクロなどのカテゴリーキラーが現れたことで魅力がなくなってしまってたがそれに気づけないままたぶん10年以上ぼんやりしてたと思う。IYGはぼんやりついでにそごう西武を買収して案の定うまく行ってなかった。よりによってそれを買うのか笑、という感じは正直あったけど、駅前旗艦店が華やかだったころの夢を組織が忘れられなかったのか。一方でカテゴリーキラー業界は活況を呈して、駅前にはヨドバシカメラが続々と出店していっている。栄枯盛衰…。
実はネットスーパーはイトーヨーカドーの方が先んじて頑張っていた。頑張っていたが、どうも、生鮮品の配送は本当に儲けが出なかったらしい。また足元ではそもそも「店員がいない」問題が起きていて配送している余裕がなくなっているという話もちらほら。
生鮮品の配送については巨大な「生協」という存在がいる。実は生協も、いくつかの狂信的ナチュラル系生協以外は生鮮品の扱い量はそれほどは多くはないらしいのだが、卵や牛乳などを定期配送してくれて安全基準も高い生協の生鮮宅配が一強で、他の小売はどこも大苦戦しているよう。イオンもグリーンビーンズという宅配サービスを始めたが、さてどうなるかとワクワクドキドキである。
個人事業主でソフトウェア開発の仕事をしている。受託中心、請負契約が多めなので、いわゆる「フリーランス」とはちょっと違うと思う(フリーランスと言うと、準委任契約でどこかの企業のソフトウェア開発をお手伝いしてるイメージ。厳密な定義は知らんけど)。
自宅で仕事をするとサボってしまう程度には精神が軟弱なので、オフィスで仕事をした方が効率が良い。今もお世話になっている場所はあるのだが、値段の割には要求仕様を満たしていない面もあって、より良いものを探したいところだ。
長文になってしまい申し訳ないが、この記事は増田の要望を書き連ねておく内容になっている。もしもコワーキングスペースの企画運営側の人の目に止まれば幸いではあるが、同じ考えの人が多く居るのか?という点での保証は致しかねる。
これを見てる皆さんは、どういう条件を重視するのだろう?
何でやろうと思ってTwitterでホームステイ日本人男子で検索してみたら、主に家事やらんのが原因みたい。
最近の男子は変わってきてるだろうけど、バブル期から何十年もかけて信頼損ねちゃったんだろうな。
カナダの家探し女性限定多すぎ!ってついーとが流れ去って行ったんだけど、私が出会った大家さん達、軒並み「日本人の男性は女性と比べて格段に当番の家事をやらない、壊したり汚してもそのままにするから募集しづらい」等々と言っていてフォローできなかったんですよ🥺イギリスでもNZでも言われた🥺
結局シェアの女の子達が当番する羽目になってて申し訳ないから✋とか言ってた人もいたんじゃよ、がんばれ日本男性。
そろそろクソリプ来そうな気がするんでカナダの若者事情書いときます。家庭によると思うんだけど、私の知ってるティーンの子達は大抵実家にいても洗濯も部屋の掃除も自分でやってて、"社会人、実家を出て慣れない家事をやり始めた…"みたいな日本でまあまあ聞く悩みはあんまし聞いたことないです。
そういう風に実子を育てた大家さん達が、自分のことや割り振られた当番あんまやらない(ふうに見える)人に対して「大人なのになぜ??」って思うのはまあしょうがないよなって思う。
アジ専とかジャパ専とかいう変態大家も界隈には出没するので、日本人女性は部屋探しの勝ち組楽勝イエーイ✨✌️という話ではないです。内見には必ず友達を連れていきましょう😔
このついは国籍差別とか性別差別を認めるものでは無いです。外国に住むにあたってマイノリティとなる日本人が陥りやすい落とし穴と、それに気づかず女性ばっかりズルい!という発言に対するものですあしからずゥ
ハイ( ˙0˙)۶ ハイ( ˙0˙)۶ ハイ( ˙0˙)۶ ハイ( ˙0˙)۶
私の知ってる大家さんたちは、実子が巣立ったあとの空き部屋を留学生等に貸してる人らが大半で、年金生活者もいます。そんな人に差別はイカンっつって→
ベースメント水浸しバックレ事件とかトイレ便器ヒビ入れ事件とか女性テナント怒って退去とかのリスクを負えとか言えないんですよね。我こそは掃除達人である!という男性諸氏がいらしたら、ぜひ問い合わせの時にアピールして下さい。きっと聞いてくれると思いますよ‼️
私イギリスもNZもカナダも合わせると合計14年くらい住んでて、結構大家さんと仲良くなるタチで、その大家仲間のお茶会とかにもよくお邪魔してお喋りするの好きなんだよね。仲良くなると色々質問もされるわけ。日本人はみんな自分のお箸持ってくるの?とか🤣
その中で、なんで日本人の男の子はこういうビヘイビアをするのか?どんな文化的背景があるのか?て聞かれるチャンスが結構あるんだよ。私も日本人だから、理解しようとしてくれるわけ。オマエら日本人コノヤローとかいうdisrespectな聞き方された事は一度たりともありません。
日本人男性募集しづらいって大家さんがいるって言っただけで差別じゃあああってなってるのなんなん?アピールしたら大丈夫だよゆうとるやん。
私もホームステイマムをしてる人から、日本人男子はバスルームも酷く汚して掃除しないし、日曜朝早くから牛乳ないから買ってきてと起こすし(日曜はスーパー開くの遅いのに)コミュニケーション全然取らないし、もう2度と入れたくないと聞いた事ある。日本人や男子に限らず勿論人によるんだけどね。
いやまあ、さもありなん。カナダ(か、アメリカか)に留学してた知り合いも、シェルームで日本の男子がやたら女の子にセクハラやシモネタ言うし洗濯物(下着)ニヤニヤ眺めてるしで不評だったフォローするこっちの身にもなれ!って憤慨してたもんなぁ。
これ何回も言ってるけど、アメリカに留学した日本人男性が、いい感じになった女の子の部屋で2人きりになったのでセックスOKだと思ってヤろうとしたら、通報されて帰国の危機になった事がある。領事館の人に、日本人男性はセックスの同意を取る習慣がないので度々起こる事例だと聞いた。
あとは授業中にふざけて女の子に差別的な言葉を使った事が大学で大問題になって退学・帰国騒ぎになったとか。これも日本人男性。
ま〜んとかまんさんとかふざけて面と向かって使われた事あるけど、アメリカだったら退学にできたな。規制がないってそういう事だよね。
なるほど、ここまでツイートが伸びると創作とか言われるのか。このツイートがここまで伸びる前から何度も言ってる話なんだけど。
領事館に派遣されてる日本の警察官からアメリカの治安に関する説明の一環で聞いた話なんだけどなあ。
まあ信じない人は信じないんだろう。
ホームステイで食事の準備も手伝わない、食洗機に皿も入れず掃除洗濯しない→ステイ先母の役と思ってた、BBQで父親達手伝わずビール飲んで態度も✖️だった→市が協力していたプログラムだった故その日本人男子留学生の大学がその市でステイ出来ない🟰出禁にされたのを目の前で見た、一流大学だったが😛
この種の話は本当によく聞きますね。来てすぐの時は言葉も満足ではないので、食事が終わると何もかもそのままで、さっさと自室に引き上げてしまう、と。ホームステイの意味がわかっていないのでは?と、ホストファミリーは思うそうです。
ホームステイしてた時に居たのが日本人男子だったんだけど、マムの料理にめちゃくちゃケチつけてた。。。だからデブなんだって。。作って貰ってて文句言うとかやっぱりアイツはダメだった。料理できないくせに。。
東大に行こうが、日大に行こうが、帝京平成大学に行こうがお前の人生は変わらない。
お前はお前のまま。
今まで通り話が通じない奴も、嫌いな奴も、ウザい親も、全部そのまま今までと変わらないような人生イベントが続く。
東大出て三井物産に入っても、帝京平成大学からららぽーとのテナントに入居するアパレルの店員になっても生涯賃金は2億位の差しかない。
というかそもそも金に関しては2億円多く貰った所で、たまたま生まれた場所が渋谷区や中央区に持ちビルがある家庭でしたって奴には人生3周したって勝てない。
そして何度も言うが、三井物産総合職正社員でも地方のアパレル店員でも不定期に発生する人間関係ガチャを外せば鬱になったり逃げたくなるのも一緒。
自分には受験勉強向いてなかったかもと思ったら素直に諦めて行ける大学に行った方がいい。
何があって突然死んだり動けなくなるかもしれない。
どうせ変わらない人生でありどうせ変わらないいつも通りのお前なんだから、くれぐれも「クヨクヨしてるうちに船が行っちゃった」とか「たくさん貯金したけど結局一番欲しいのが買えなかった」とか見逃し三振な人生だけは避けるように。
どうせなら強振大振りの三振で。
それなりの結果になったらそれなりで。
元気でな。
逆にテナント料安かったりすんのかな