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2021-05-10

なんでただの運動会日本国政府翻弄されてるの?

オリンピックとか平和の祭典とか言ってるけどつまるところ世界規模の運動会なわけじゃん?

ハトだって平和象徴だけど、ハトのために多業界営業自粛をお願いしたりしないだろ。

オリンピックってただの運動会だぜ? 戦争でも世界恐慌でもパンデミックでもない。運動会がどうなろうとほとんどの人間生活には何の影響もない。「勇気をもらう」とかアホみたいな理由優遇するのか? アンパンマンでも見てろや。

選手がかわいそうって言うなら飲食店のほうが圧倒的にかわいそうだろ。はっきりしない理由商売邪魔されて、それで生活できなくなっても知ったこっちゃねえって扱いされてるんだぞ。飲食店に限らず、この1年で潰れたイベントは数え切れないほどある。なんで運動会に出る人だけがワクチン優先接種や万全の医療体制完備までしてもらえる特別待遇なんだよ。おかしいだろ。医療関係者だってまだワクチン接種の目処立ってないのに、不要不急のスポーツ大会が最優先になってるのはなんでだよ。

選手文句言うのは筋違いだしそれを庇う気もないが、その選手の盾になるべき立場IOCやら政府五輪担当やらがまともに返答しないからそうなってんだろ。

文句言ってもダメ署名してもダメならもう選手個別に言うしかないじゃん(繰り返すが俺はこれを支持しない。下っ端に言ったってしょうがない)。

運動会やるならやるで「オリンピック中止となるとこれくらいの費用が掛かり、それは大変なので開催したほうがマシです」とか説明できるだろうが。決める立場人間職務放棄して何も決めず何も言わず何も説明せずに曖昧に続行してることに対して憎悪が高まってんだよ。だいたいそんな腰抜けのアホどもが開催する運動会を見てどうやって勇気もらうんだよ。

そもそも勇気をもらうって何? 勇気って譲渡できんの? だったらまず選手政府IOC勇気やれよ。要は勇気がないんでしょ?

もうめんどくさいかハトを集めて手品してハイ平和の祭典でしたーってことにして終わろうぜ。たか運動会に国の威信をかけてどうすんだよ。もっとかけるべきとこいくらでもあるだろ。

2021-05-08

オリンピックやめろ!と声高に叫べない人たち

大学研究者をやっているが、声高に「東京オリンピックを中止にしてくれ!」と言いづらい弱みがある。

2021年夏に強行開催されそうな東京オリンピックについて、国民の大半はそっぽを向くか諦めの境地に達し、海外からはCOVID-19に関連した大きな健康リスクを指摘されている。それにもかかわらず、日本政府財政会、大企業マスメディアは、オリンピック名目にしてどれだけ甘い汁を吸うかしか頭にないようで、ろくなCOVID-19対策計画することも透明で開かれた議論をすることもなく、自分たち安全な高みに身を置いて、無謀な開催に向けて国全体を追いやっているように見える。

COVID-19ワクチンの確保や接種にも大きく遅れを取っている日本がこの夏にオリンピックを開催することなど、あまり現実離れしているように思える。私個人としては、スポーツは好きで自分でたしなんだりもするが、このような状況ではオリンピックなど中止にしてほしいと思う。しかし、大学研究者として仕事をしている身からすると、そう簡単に中止を訴えられない弱みがある。

その弱みは、スポーツ大学で行なわれる研究も、その資金の多くが税金でまかなわれており、産業に直結したわかりやす有用性を即座に示しづらいという共通点に由来する。多くの税金現在進行系で喰い潰しているスポーツの祭典オリンピックを中止せよと主張することは、この非常事態にCOVID-19に関連しない「役に立たない」研究には税金を投入するのをやめよといった主張と地続きである。人びとの声や政府スポーツにおける資金の流れを意図的コントロールしはじめたら、次に、その矛先は基礎研究芸術などにも向くことだろう。

このアナロジーでいくと、選手オリンピック開催の中止を訴えてもらうことが筋違いであることもわかる。選手たちはオリンピックを始めとする大会があるおかげで活動を続け生活費を稼ぐことができる。たとえ大会理念が歪められ利権にまみれていても、現場のいち個人の力でシステムを変えることができない以上、スポーツ界全体を危険さらし得るオリンピック批判をおいそれと口に出すことはできない。研究だって同じようなものだ。ムーンショット研究開発制度のようなばかげたプロジェクトに年間数百億円もの資金が使われているが、十分な説明一般理解なしにそうしたプロジェクト批判をすれば、運営交付金や基盤研究のような比較的広く浅く交付される研究費まで減額されたり廃止されたりしかねない。

もちろん、IOCの主導するオリンピックスポーツ界のなかでも例外的な悪玉であることは多くの人が認識するようになったことだと思う。商業主義が席巻し、利権と私欲にまみれ、もともとの理念すら失ってしまった醜い怪物。そうしたオリンピックはやはり例外であって、オリンピック非難することは、スポーツ全般やひいては研究への資金の流れを制限することには必ずしもつながらないと楽観視することもできるかもしれない。しかし、欺瞞に満ちた前・現政権の態度を見ていると、政府のほうが積極的にそうした「読み違い」を演じて、オリンピックに対して叫ばれる中止の声をわざと曲解し、今後、スポーツ研究への支配を強めてくる恐れが大いにあるように思えてしまうのだった。(日本学術会議の件を思い出してほしい)

税金で大部分が運用されている点でスポーツ界と研究業界構造類似しているため、下手にオリンピック中止を叫ぶと、あらぬところに飛び火させられて、国から交付される研究費を減額されたり停止されたりするのではないか。そうした恐れから、正当な主張が声高にできなくなっている研究者は多いのではないかと思う。また、大学研究業界に限らず、そうした恐れのあてはまる業界はほかにもたくさんあるだろう。

政府が人びとの声にますます耳を傾けなくなっていく状況で、日本という国はどうなっていくのだろうか。

五輪代表選手文句を言うのはおかし

五輪代表選手文句を言うのはおかしい。筋違いである

そもそも責める対象おかしい。

責めるなら選手をまとめる連盟の方であろう。

個々人に意見を主張するよう押し付けるのもおかしい。

影響力がありそうだからと言って、何か言えというのはおしつけでしかない。

影響力をもった人が常に何か言わないといけないのか。そんなことはない。自分の望むことを言って欲しいだけではないか。例えば五輪出場経験が今後数十年飯を食うために必要である。だから開催して欲しい、と言う意見を言う人がいたら叩くのでしょう。結局反対と言わせたいだけである

スポーツだけ優遇されるのがおかしいというのはおかしい。不幸になった人がいたから皆不幸にならなければならないのか。我慢した領域の人がいる事実はあるが、だからといって意見押し付けていいことにはならない。

そもそもスポーツにせよ、芸術にせよ、その分野で生きていくと決めた人の生きる意味を奪うようなことをするな。芸能関係不要不急だと叩かれすぎたから去年度自殺してしまった著名人はいるのではないであろうか。人の尊厳を奪うな。

2021-05-06

川淵三郎氏「何故この事が批判対象になるの?」 医師へのボランティア呼びかけは「最大限の努力

https://news.yahoo.co.jp/articles/dcd4ae0e0c6ea572638e1b6ee71e39d02d008189

そのブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/dcd4ae0e0c6ea572638e1b6ee71e39d02d008189

お前らほんと狂ってるな。

だったらお前ら選手村村長やれよ。

お前らならどうするのが正解なんだ?

是非とも正解を教えてくれ。

コロナ医療が逼迫してるからといって医師を一人も常駐させない気か?

実際に選手が各国から集まってきたら、それなりの態勢を調えなきゃならない。

感情だけで「医師が足りないんだ。ふざけるな!」といったところではじまらない。

なら、選手村感染発覚したら放置する気か?

いろんな国から集まってくるんだから感染リスクも高いだろうし、新たに厄介な変異株が現れるかもしれない。

そんな中で五輪開催となれば医師必要だろ。

200人という数が妥当かは俺には判断できないが、2,3人じゃやっていけないことはわかる。

開催するかどうかは川淵氏が決めたわけじゃないだろ。

川淵氏に文句言うのはどう考えても筋違い

開催を強行するIOC弱腰政府文句言えよ。

ブコメの中にはところどころにちゃん理解してる人もいるのに、感情的になって感情をぶつける先を間違えてる人があまりにも多い。

もっと冷静に判断しろよ。

ちなみに俺はどちらかというと日本で開催してもらいたいが、今の状況じゃ中止するのが最善だと思ってる。

2021-05-01

anond:20210501010618

俺は実際によく見かける”差別”の定義を分類しただけで、勝手に増やしたのではないからなぁ。

それは雑な定義グダグダやってる人たちに向けて言うべきで、俺に言うのは筋違い

馬鹿じゃないんだから適切な受け答えをしようね。

2021-04-29

anond:20210429145529

いや、弱者強者なんてのが相対的ものしかない以上、特定弱者男性が努力して女をゲットしたって、他の男が弱者男性カテゴリに転落するだけじゃん。

そういう、異性を獲得するための競争のもの不毛から弱者男性に自助を求めること自体筋違いなんだよ。

2021-04-28

anond:20210428160536

「○○でやる必要がない」みたいな批判する人ってマジでバカだと思うんだよね

別に必要ないことやってもいいしそれが好きな人だっている

全く筋違い反論だよな

anond:20210428140744

男が働いて、女が子育てをする、そういう役割分担をしてきたのを

働いてもないお前が外から文句をつけてる状態で全く筋違いだと言ってるんだよ

2021-04-27

オリンピック関連で政治とか委員会に対して文句を言うのは筋違いじゃないかと思う。

オリンピックを開催するのはアスリート達であって、委員会手続きの代行機関に過ぎないわけで、この混乱を招いたのはアスリートたちに他ならないと言える。

2021-04-23

anond:20210423144747

は?これは元増田の扱いの話でしょ。

元増田ウマ娘を愛していないのは見ただけで分かると思うんだけど。

ウマ娘を愛していない元増田に対して

ウマ娘プレイヤーゲームの中で上手く育てられなかったウマ娘暴言を吐く。

競馬ファン馬券を買ったのに勝てなかった競走馬暴言を吐く。

どこが筋違いなんや。構図は一緒やんけ。

と言ったところで響くわけないやん。

ウマ娘ウマ娘プレイヤーのことも好きでも何でもないんだから

anond:20210423144022

ウマ娘プレイヤーゲームの中で上手く育てられなかったウマ娘暴言を吐く。

競馬ファン馬券を買ったのに勝てなかった競走馬暴言を吐く。

どこが筋違いなんや。構図は一緒やんけ。

2021-04-13

混同バカ

自分要望が満たされないこと」と「相手義務果たしてないこと」を混同するバカ

直近で言うと車椅子の件がこれ。

要望するのは自由だが、それに強制力はない。

強制力をつけたかったらまず国に訴えて法整備させるのが筋。

筋違いバカ

臨機応変バカ

他人に「臨機応変」や「柔軟な対応」を求めるバカ

規則にない対応して成功したら君は喜ぶだろうが、要求された人は成功したとてリターンはないし

失敗したら重大な問題になる。

想像力ゼロバカ

2021-04-07

ahamoのサポートがクソすぎて契約出来なかった話

ahamo発表時、ウッキウキで事前エントリーを行い、契約可能となった3/26になった段階で早速契約申し込みをした。

申し込みは順調に進んでいったが、この時、間違いを犯していた。

ネットワーク暗証番号を設定する欄があるが、何気なく設定してしまい、完全に失念してしまっていた。

そして、4/4にSIMがクソでか段ボールに入って到着した。

よし、早速開通だ!流れるような作業iPhoneのケースを外し、SIMスロットを抜いて、ahamoのsimカードに差し替える。

...通信できない。なるほど、開通作業WEBから行う必要があるのか。

MacからWEBサイトを表示してログインを試みる。

入力してください。。。

ここでネットワーク暗証番号を覚えていないことに気づく。

何種類か試してもダメだった...ここまでは自分が悪い。

大人しくネットワーク暗証番号の再設定方法を探す。

ahamoのサポート電話連絡ができないようなので、チャットからか...

「ただいま大変混雑しております。しばらく経ってから、再度お試しください。」

つながらない。そしてこの状況は3日経った今も続いている。

仕方ない、次を探そう。

サポートのページにネットワーク暗証番号を忘れた場合というのがあった。これだ!

チャットにてお問い合わせください」

は?それがつながらないんだが?

別のページを見るとdアカウントの設定変更というページがあったのでクリック

dアカウントのページに飛んだ。その中にネットワーク暗証番号を忘れたという項目があるではないか

ほぅほぅ、ドコモインフォメーションセンターへ連絡するかドコモショップへ来店することで変更可能なのか。

すぐ変更したいし、ドコモインフォメーションセンターへ連絡してみよう。

自動音声での案内が始まる。指定される番号にはなかったので、「6」を押して要件音声認識を試す。

サービスデスクへおつなぎします」

ヨシッ、つながりづらいだろうが今日休日いつまでも待つ。

電話がこのままつながらない場合電話をお切りいたします」

は?つながらないのはお前らの都合だろうが、なぜ一方的にぶち切りするんだ。順番におつなぎしろ

数回試したが、埒があかない。

もう少しWEBサイトを調べてみる。

おっ、ドコモショップとインフォメーションセンターは予約ができるのか。

じゃあ、パパ、インフォメーションセンターの予約しちゃうぞ〜🌟

入力しよ...

「インフォメーションセンターの予約にはdポイントクラブ登録する必要があります

は?dアカウント確認すると登録されていると出てくるが?ポイントカードを持たずに電子手続きしている状態だと

できないのか?

ドコモショップの予約はdポイントクラブ有無は関係なさそうだ。

4/7なら近所のドコモショップが予約できた。長いが、待つか。。。

.

.

.

4/7 17:00 ドコモショップの前に男が一人...

すみません、予約してるんですけど」

ありがとうございます確認いたします」

感じの良い兄ちゃん対応してくれる。

ネットワーク暗証番号をahamo契約時に設定したけど、忘れてしまったので再設定したいんですがこちらで大丈夫ですか?」

一応、確認のため要件を手短に話した。

はい、ahamoのご契約ですが、ネットワーク暗証番号ドコモサービスなので大丈夫です」

さすが、天下のドコモ教育ができている。

待つこと数分、自分の整理番号が呼ばれ、席に通される。

18号に頭燃やされたトランクスみたいな髪型をした茶髪が出てくる。

「ahamoへのMNP時に暗証番号忘れてしまったんですけど変更可能ですか?」

改めて要件を伝える。

「えっ、可能かはわからないので一応確認します。電話番号をおかきください」

不穏な空気が漂い始める。

確認したんですが、今この端末からは一切操作不可能な状況です。ahamoのサイトで問い合わせいただく必要があります

いや、そこがつながらないのとサポートページに記載があったから予約して来たんだが?

「ahamoのサポートチャットがつながらないのと、サポートページにドコモショップで変更できると書いてあるので予約したんですが?」

実際にahamoとdアカウントの当該ページを見せながら説明する。

「一度、デスク確認してきます

待つこと数分。

「やはり、ドコモショップでは対応できないのでahamoに直接問い合わせてもらう必要があります

サポートページに記載の内容はドコモ契約中の方向けの情報で、MNP新規ユーザー向けではありません」

どこにもそんなこと書いてないやろが!

もう一度、確認してもらったが結果は変わらず。

筋違いかと思ったが、この場合MNP期限が来ればahamoの契約は破棄されるのかを確認したが、明確な回答は得られなかった。

最初契約申請時点で暗証番号を忘れたことは自分瑕疵であるがそこからリカバリする方法が全く用意されておらず、

そもそも契約入り口入力すべき内容を保持しているかに関して普通、一番最初にチェックするであろう内容が

どこにも情報が無いことに非常に落胆した。

そして、ドコモショップ内でも店員が言っていることが違うという教育レベルの未熟さ、

どこからがahamoでどこからショップサポート対応なのかの責任分界点設計されていない点を見ても、

まりにも稚拙すぎて震えている。

一旦、今回のタイミングでの契約は諦めて改めて検討することになるが、ahamoを契約するモチベーションが非常に下がってしまった。

IT業界に身を置く一員として、サービス動線を適切に用意、検証できていないことがいかに人に害悪を与えるかの良い反面教師となった。

2021-04-01

anond:20210401104911

理不尽校則モンペ対策の結果

から教師のせいにするのはモンペ筋違いってだけ

今は親が躾を放置するから学校代理をせざるを得ないやん???

2021-03-31

朝井リョウの「何者」読んでから、その本のレビューを見たけど

やはり拓人のようになりたくない、拓人みたいにならないように反省しよう、という感想が多かった。

でも私はそれらの感想共感できなかった。なぜなら拓人反省した上で、ああなっているからだ。少なくとも言葉の上で反省していた。

もちろん私は拓人は理香に責められるまでは「反省した振り」をしているにすぎないと思う。ただ、真の反省とやらにたどり着く道は遠いし、そこまでにたくさんの過ちを犯すものだ。その前の段階はみんな拓人みたいな人間なのだ。理香に拓人が責められるシーンも格好悪いがそれも真の反省に向けての一段階なのではと思う。

から「そうならないように」反省しようというのは筋違いだし、そう思ううちは真の反省は出来ないし、いずれは拓人のようになると思った。したがって拓人のようにならないためいや拓人をやめるには、自分拓人であることを自覚拓人であることを隠さないことが大切だと思った。

発達障害を隠して就労たか残業代請求するのが怖い

私はADHDだ。なので、人の倍時間がかかるしミスも多い。先のばしぐせがあり取りかかるのが遅い。

だが、仮にもまあまあ家にお金があり勉強が出来たので、そこそこの有名中学高校大学を出ており、この会社で2社めではあるが就活スムーズに進む方だった。

普通ではあり得ないミスも初対面では分からないし、一見社交性があるように見えるので面接だけでは発達障害だと気づかれにくい。

だが、仕事が始まると色々なところでぼろが出る。忘れたり指示が理解できなかったりする。前職はそれなりに高い給料を貰っていたので、給料に見合う働き方が出来ず上司毎日こっぴどくおこられ、それでも改善できなかったので最終的に精神をやみ退職した。

今回の会社は、前職より五万円以上も月の手取りが少ない。実際はどうなのかわからないが、給料が低いと言うことはかなりわたしにとって救いだった。自分のようなクソみたいなガイジが貰う給料はこんなもんが妥当だろう。(幸い実家にすんでおり、両親も私の障害を鑑み、家にあまりお金を入れなくてよいので月に二桁万円は貯金できている。)

困るのは残業代だ。私は障害のせいで指示がよく理解できないので、たとえば商談や会議なんかはボイスレコーダー活用し、勤務時間後にそれを聞きながらメモかいたり分からないところをまとめたり先方へのメールを作ったりしている。

それは健常者には恐らくない作業だと思うので、残業代請求するのは筋違いだと思うのだ。只でさえ障害をかくして働かせてもらっているし毎月二桁は貯金できているので、このくらいのタダ働きは当然だと思う。

だが最近、私がサビ残をしているのをよく思わない上司圧力をかけてくる。

勤務時間内にやったことと残業でやることをきちんと報告しろと言ってきたのだ。

かなりピンチだが、どうすればよいだろうか。やはりクローズ就労は色々と難しいので、次に転職するときオープンにしたい。

2021-03-28

anond:20210328191623

先に行かせた事と、踏切出口以降の事は全く無関係じゃないか?それでトラブル回避筋違いにも程がある。

anond:20210328094627

いや、美白と聞いて肌が黒い人に対する差別と受け取るのは飛躍してるよ。「白く美しい肌になりたい」は必ずしも「白こそが絶対唯一の美しい肌」だと言ってるわけじゃないし、「黒く美しい肌」を全否定もしてない。

そりゃ美白効果のある商品を手に取る人は、「自分が黒い肌になりたい」とは思ってないだろうけど、自分がどうなりたいかと、それ以外の人間存在価値否定するかは全く別の話だよ。

サッカー選手になりたい奴を見て、「野球否定してる」って言うぐらい筋違い

2021-03-21

雑誌映画秘宝』の記憶(20)※臨時

2021/03/20町山智浩ツイート等について】

 引用から始めます

 まずは、恫喝DM事件が発覚した直後の1/26に町山智浩は、自身Twitterアカウントで、次のような発言をしていました。

引用(1 - a)ここから

 発行元の双葉社は、編集や人事に一切関与していません。すべての責任映画秘宝編集部にあります

引用(1 - a)ここまで=

引用(1 - b)ここから

 トラブルなどの責任は、一切秘宝が負うという約束双葉社は発行を引き受けてくれたので、苦情の電話を秘宝に回したわけです。被害者に直接電話したのは岩田の失敗です。このような苦情をどう処理すべきか、難しい問題ですが、双葉社責任を取るために、秘宝の発行を停止する可能性もあり、心配です。

引用(1 - b)ここまで=

引用(1 - c)ここから

 トラブルなど苦情の責任は秘宝が負う、という約束で、双葉社に発行してもらっているので、今回の苦情もそのまま秘宝に送ったわけです。ただ、こうした苦情についての対応としては間違っていました。どうしたらよかったのかは考えないとならないと思います

引用(1 - c)ここまで=

 (※注)町山智浩はいったん投稿したツイートを削除したり書き換えたりと云う行為を頻繁に繰り返すため、ここでのツイート引用複数しました。

 そして次に、昨日2021-03-20になって、町山智浩自身Twitterアカウントにおいて「町山が2021-2-03に編集部に送信したと称するメール」の文面を公開しました

 それには、次のように書いてあります

引用(2)ここから

 俺や柳下やヨシキやホークが何度も言っているのは、何を大切にするのか、ということです。

 双葉社自分の保身以外に考えていないのに、なぜそれに従うのか。

 守るべきは何なのか、もっと考えてください。

 また、柳下やヨシキが25日の夜に俺を呼び出し、奈良さんを呼び出し、ステートメントを作らせたのは、編集部も双葉社も何もしなかったからです。

 一刻も早くステートメントを出す必要があったからです。

 それでヨシキや柳下やホークが夜中に寝ないで頑張ってくれたのに、それを責めるのは本当に筋違いです。

 双葉社はそりゃ聞いてないと言うでしょうが、秘宝は双葉社よりも自らを守る権利があります

 双葉社を取るのか、秘宝の仲間を取るのか、いったい何が大切なのか、本当によく考えてみてください。

引用(2)ここまで=

増田が思ったこと》その1

 上の引用(1 - a 〜 c)を読むと「トラブルに当たっては双葉社ではなく『映画秘宝』が動く、責任を負うと云う取り決めがあった」と読めます。つまり、この立場に立つならば「町山智浩らが双葉社を責める謂れは無い」はずです。

 ところが引用(2)を読むと「アイツラ(=双葉社)は何もしない!」と、双葉社を責めていたわけですね。

 要するに、二枚舌ではないでしょうか。

 双葉社立場から見れば、雑誌を発行停止されることを怖れて外ヅラ一見しおらしくしていたが、裏では陰口を叩いていた人間町山智浩と云うことですね。

 リスクを取って拾ってくれた双葉社が何と思っているのかは知りませんが、町山智浩他人を敵に回すのが好きですね。

増田が思ったこと》その2

 引用(2)のメールでも「柳下がヨシキがホークが」「秘宝を」ばかり連発して、内心では被害者のことを全く思い遣っていないことを露呈していますね。

 その「自己中心主義」は、もう少し何とかなりませんか。

増田が思ったこと》その3

 もしかしたら「元・編集部員の秋山直斗(ナオト)がnoteに『告白文』をアップしたことで、新体制の『映画秘宝』に向けられる世間の目も少しは厳しくなっただろうから、今なら自分たち(=町山・柳下高橋・てらさわ)に有利になるように世論操作できるかもしれない」と考えたから、町山智浩は昨日になってメールの公開に動いたのでしょうか?

 流石に無いとは思いますが、実は秋山直斗(ナオト)と連携して動いている…なんて事はないでしょうね?邪推だったらすみません

増田が思ったこと》その4

 そもそも、本気で「双葉社編集部も何もしない」と思っていたならば、自民党政治家みたいに「係争中だから詳しくは話せない」なんて態度を取り続けずとも、町山智浩が自ら率先して情報公開に動けば良かったのではないでしょうか。

 被害者の方は経緯説明と再発防止を求めているのに、恫喝DM事件が発覚してから約2か月になろうとしていますが、今まで町山智浩はいったい何をしていたのでしょうか。

 双葉社が何もしないと言うならば、町山智浩自身の知っていることを洗い浚い吐けば良かったんじゃないですか?結局は、町山智浩自身も保身のために口を噤んていたのでしょう?新体制の『映画秘宝』を責める資格町山智浩に有るのですか?

 責任を取って引退する(=『映画秘宝から離れる)ことも考えたと言ったかと思えば、映画秘宝から遠ざけられたから何もできないと言い訳したり、何なんですか?

 こんな町山智浩の弁明ツイートでも、コロッと騙されかけている人がいるのは、私は少し心配になります

 この投稿は以上です。アーメン

2021-03-10

anond:20210309155445

他人の打ち筋に文句をつける行為

麻雀2006/09/30 05:37

よく他人の打ち筋にイチャモンをつける人間がいるが(初心者指導するなどの行為は別)、この種の人間麻雀を打つべきではないと思う。

しかリーチ後に大明カンされたり親にツモ順を回すようなクソポンの連発をされたら萎える事には違いないが、それでも口に出して文句を言うことは筋違いなのである。(心の中でこのヤローと思うのは全然構わない)

麻雀所詮自分勝手もので最終的に勝てばいいだけでその過程なんてゴミほどの価値もない。鳴こうがクソリーかけようが差し込もうが勝手なのだ

こういう人間は中級者あたりに多く、自分の腕に何故か根拠もなく自信満々である

「クソ鳴きして面白いのか?」「そんな安い手であがるなよ」「そんくらい絞れよ」「片アガリとかアホじゃねえの」「そんなもん即リーすんなよ」「そんなのも止まらないのか」etc....etc...

自分の手が潰されると怒り、負けると運、勝つと実力というのもこの人種の特徴である

相手が下手糞だと思うならば放っておけばよい。

本当に相手が下手ならトータルで言えば負けていくのだから

自分負け越しているなら単に自分の方が麻雀が下手ということなんだから上手くなるように努力するか、諦めて遊びとして楽しく麻雀をうてばいいだけだ。

俺はこう打つからお前もこう打てよっていうのは物凄くガキの理論で、人によって打ち方は千差万別から麻雀面白い

それを否定してみんなに同じ打ち方をしてもらいたいなら、人とは打つべきでなく、一人で麻雀すればいい。

最近まりにも打ち筋否定ブログチャットが目に余るのでちょっと書いてみました。

https://blog.hange.jp/B0001403853/article/7849811/ より

2021-02-24

福岡教育大学の初等の副免について

ここでは、福岡教育大学初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます

==== =====

福岡教育大学の初等は、小学校教員養成に重点を置いています

初等では、原則として、中学高校教員養成はしていませんので、注意をしてください。

普通の国立大学の教員養成大学では、初等でも中・高の免許を取れるはずですし、初等から中・高の先生になることは、よくある光景です。

しかし、福岡教育大学の初等は小学校教員のみの養成に特化している、ちょっと特殊大学です。

数年前の初等専修制では、普通の国立大学の教員養成大学と同じでしたが、改組により、初等は小学校教員養成のみとなりました。これは、寺尾学長独断による改革の結果です。現在飯田学長も、その方針を堅持しています


中学高校先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。

なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、制度上はそういうことは可能とされていますが、基本的にはおこなえません。

どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。


初等の学生は、小学校教員教育職員免許の取得を前提にしています

初等で得られる免許小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます

主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。

したがって、初等の学生小学校一種が主免になります

中等の場合、主免は、中学校・高等学校一種免となります


この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます

まりオプションとして取得できるものが、副免です。

初等の学生は、幼稚園一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校一種)が副免になります


話はそれますが、教員免許の種類について、わかっていない人が多いので、簡単説明します。

教員免許の「一種」「二種」は、取得単位数の違いによって区別されています

二種は短期大学卒業程度の取得単位一種四年制大学卒業の取得単位になります。大多数の先生が持っているのが、一種になります

ちなみに、高校免許には二種は存在しません。したがって、二種の場合は、高校先生にはなれません。

高校先生になりたい人は、一種を取る必要があります

また、県や市の教員採用試験では、取得した免許の種類によって採用差別されません。中学二種の免許で、県や市の中学校に採用されている人もいます

ただし、二種の場合は、一種を取得するための努力義務付けられています。そのため、教育委員会の研修や講習に参加しなければいけなかったり、給料に差がついたりします。


話をもとに戻します。

福岡教育大学の初等では、中学高校免許、つまり副免は、取ることが難しいです。

なぜなら、小学校先生養成に重点を置いている課程が、初等だからです。


「初等に入ったけれど、中学高校免許も取って、中学高校)の先生になりたい」

という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校先生になられることに専念してください。


福岡教育大学の初等は、小学校教員になる教育に重点を置いています

初等では、中学高校)の教員になる教育は、標準的提供していません。

中学高校先生になりたいのなら、中等に入るべきでした。

「それでも!どうしても!」というなら、中退して中等の試験を受けるか、他大学に入り直す(転学・編入する)か、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学放送大学など)で不足分の免許必要単位を修得する、ということしかありません。


福岡教育大学公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/files/bgeditor/other/H28menkyo.pdf)との文章が公開されています

これによると、初等では、小学校一種は主免です。

幼稚園中学高校免許は、

卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています

この文言をよく理解してください。

「取得も可能」=努力すれば取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。

初等で副免を取ろう、という人は、かなりの努力を要すること、楽には取得できないことを、よく理解してください。安易に手を出すとヤケドをします。

よく聞くのが、副免の取得に熱心なあまり、主免の単位を落としまくって、副免は取れるけど、主免が取れず、留年する、という話です。


初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。

もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます

中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。


初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任先生相談してください。

といっても、担任先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます

学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/data_ex/pdf1421305397_0.pdf)に相談することが、てっとりばやいです。

副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります

C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。

なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます

もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります


例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。

日時や、テスト範囲などは、大学内の掲示板掲示されます

教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます

B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります

そのため、前期の期間か、夏休み期間にテスト実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。


教科基礎学力テスト過去問は公開されていません。

テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。

問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。


出題範囲難易度は、教科によって変わります

高校入試の問題がそのまま出た、センター試験共通テスト)のレベルだった、国立大学二次試験レベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります

とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから大学受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。


この教科基礎学力テストを課す目的は、中学高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。

この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。

教員から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業に支障をきたします。

いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。

やる気のある無能な人は、周りに迷惑をかけるだけです。そういう人が、中学高校の教壇に立つことが許されるはずがありません。

中学高校教員にとって、何よりも求められるものは、学力です。


「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をしてくれ」「大学は、意欲のある学生に学び直しの機会を提供すべきだ」と主張する人がいます

しかし、高等教育機関である大学では、「中学高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。

高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。

福岡教育大学Fランク大学ではありません。

そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いはずはありません。

そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。

それでも学力が低いままならば、予備校などに通うしかありません。

高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。


福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系偏重しており、理系の分野は不得意のようです。

教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語国語社会受験者数は例年、とても多いです。

受験者数が多いことは、ライバルが多いということになります。したがって、C判定をもらう学生は多くなります

各教科ともに、合格者を百人単位で出すことはありません。

というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由もあります

たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。

中等の授業では、学力の低い人に、中高に遡って教え直してくれることもありません。初等の学生からといって、評価の水準を下げることはできません。

先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。

中等の授業で、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生学習の機会を奪ってしまうことになります

このようなことから合格者は、受験者の10%ほどの合格率が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。

おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。場合によっては8割以上の得点であっても、不合格ということはありうるでしょう。


狙い目の教科があります

理系の科目です。数学理科そもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。

かにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。

中学高校教員になって、運動部顧問をしたい」という人は、保健体育を選ぶべきでしょう。


小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます。既に北九州市では教科担任制が導入されています

小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。

中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。

中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。

導入される科目は、算数理科英語、です。

これらの科目の中学高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。

経費節減のため、公立でも小学校中学校を一貫にしているところが多くなっています(小中一貫)。そういうところは、小学校先生でありながら、中学免許を持っている先生採用したいはずです。

採用する側も、算数理科英語の教科に強い先生は欲しいところです。

したがって、狙い目の科目は、算数理科英語になります

しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いので、英語の力がよほどないといけません。

ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。

そう考えると、数学理科は、狙い目の科目になります


福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。


初等で副免をとる学生は、小学校先生だけではなく、中学高校先生としても通用する、確かな学力を身につける必要があります

そのために、よく勉強をしてください。

しっかり勉強をし、学力を高めることが、あなたから教わる児童生徒のためになります

新人がすぐに謝る

「えっ、なんで今謝ったの?」っていうタイミングで謝る若手がよくいる。

男女を問わず新卒1年目とか2年目とかのクチバシの黄色いやつに多い。

 

誰でもやりがちなありふれたミス修正をお願いしたり、

お客様から資料に不備があったから再請求してくれる?」

みたいな当人には落ち度のない指摘に対しても、いちいち謝ってくる。

 

叱責するつもりではないのでこちらのトーンはあくまでもニュートラル

日常事務的手続きとして「これお願いしますー」「あっはいー」くらいでいいのに、「申し訳ありませんでした」とか言われるとモヤモヤする。

そこ引っかからなくていいよ。結果として俺が理不尽なこと言ってるみたいになるからやめてほしい。

 

なぜ彼らはすぐにペコペコ謝るのか。

萎縮しているのだろうか。

それはまあ、ありそうな気がする。慣れない環境で、なんだか怖い見た目のおっさんから何か言われたら、それが何であれ反射的に謝ってしまうかもしれない。シンジくんがアスカから怒られてたようなやつ。

まあ新人さんが最初からまり堂々としててもそれはそれで「この子大丈夫かな?」ってなるし。

単に萎縮しているだけなら心配いかなと思う。

 

俺が心配なのは、訂正や修正を頼まれることがすべて悪だと思っていないか、ということ。

 

少し話はずれるが、近年、批判的な意見はすべて自分に向けられた攻撃と受け取る若者が増えているという。

討論の中でかわされる論点吟味のための正当な批判ですら過剰にネガティヴに受け取る層がいるらしい。単純な誤りの指摘ですら「ディスった」ことになってしまう。SPEED今井絵理子が「批判なき政治を!」とか口走ってぶっ叩かれてたのもおそらくこの文脈批判(=攻撃)だと思う。

手続きとして踏まれるべき批判プロセスは、するほうも別に相手が憎くて批判しているわけではない(必要からそうしている)し、受け取る方も「そう言われりゃそうだ」とか「いやそのご指摘はあたらない」とニュートラルに反応すればいいものであって、けなされたと受け取るのは筋違いである

 

しかしたら、すぐに謝る新人心理はこれに近いのではないか

 

手続きとして必要から事務的に頼んでいるだけの訂正や修正の依頼ですら彼らは理不尽クレームのように受け取って、「自分の落ち度を責められている。とにかく謝らなければ」と思っているのではないか、という疑念がぬぐえない。

裏返せば、「間違ってたくらいで訂正を頼んでくるなんてひどい」と思ってはいいか

いや、理屈むちゃくちゃだけどありうるでしょ。

批判的な指摘はすべて攻撃とみなす人たちだよ?

修正や訂正の指摘を攻撃とみなしててもおかしくなくない? 百歩譲って「攻撃」とはみなしていなくても「叱責された」と受け取る人はいてもおかしくない気がする。

怒ってもいないのに怒ってることにされちゃかなわんのよね。

訂正や修正は、それをすることで成果物品質が間違いなく一歩向上するのだからポジティブなこととして歓迎してほしいのよね。

プログラムバグも、出せば出すほどプログラム品質が上がる。なので組んだ人間としてはチェックをする人になるべくたくさんのバグを見つけてほしいと思ってる。バグ入りプログラムを組んでしまうのは落ち度だけど、そのバグを見つけて潰すのは喜ばしいことなのだ。

 

もっとも、「訂正=悪」みたいな馬鹿げたスタンスだったとしても、1年もすればなんとなく仕事の進め方を学び取って、必要もないところで謝るようなことはだんだんしなくなっていくんだけどね。

 

anond:20210223214109

2021-01-28

コロナ仕事なくなったやつって努力してきたのか?

普通は今いる会社はいずれ潰れるって思って行動するよね。

今は大丈夫からって安心して何も行動してこなかったから、今大変になってるわけじゃん。

自分努力不足を棚にあげて、誰かを批判するのは筋違いじゃない?

まぁ自己防衛一種かもしれんけどね。

国も政府都道府県市区町村もお前もママパパじゃないんだよ。

自分でどうにかするの正しい人間だよ。

2021-01-23

X日後に死ぬ

◎前置き

X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。

いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。

・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている

 この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。

死ぬのは僕だけである仮定しよう。

 何か災害天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。

 この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間純粋自分が満足するためだけに使うと想定する。

◎1日後に死ぬ

 平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的部長有休申請を行うまでだ。

 明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。

 僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。

 最後の1日を刹那的快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事時間と労力を割くのはもったいない食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?

 そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?

 一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。

 一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしま事態は避けたい。

◎1か月後に死ぬ

 1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。

 別にかに命令されるわけでもなく、僕は自分意志一挙一動選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。

 1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。

 口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。

 僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。

 そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。

◎1年後に死ぬ

 1年残っているなら、少しはきれい仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。

 きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。

 貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。

 1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達遊んだり、ランニングしたり、漫画アニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画アニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。

 もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。

 愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。

10年後に死ぬ

 10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義時間を過ごせるようにしたい。

 例えばかなり無理をして、3-5年間ハード場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか

 10年あれば、適当理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?

◎30年後に死ぬ

 10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやす人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ

 残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣検討する必要がある。

 僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。

 30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギー必要なのかもしれない。そこそこのストレス孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。

◎53年後に死ぬ

 今29歳の僕は、52年後に日本人平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老い自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。

 とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって社会保険料と所得税消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在高齢者が受け取っているのと同等の価値年金をもらうことは全く期待できない。

 僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメ漫画を生み出す日本が大好きなので、できることな日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。

あとがき

 現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまり空虚自分生活一種絶望を感じている。

 そんな中いつものようにTwitter目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分生活を振り返ってみると、3か月後に自分死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズム断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。

 とはいえ、それと同時に、自分空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事資格勉強時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。

 平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプ人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。

 僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。

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