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2019-03-17

美大コンプレックスはこう殺してる

「こいつは親に何千万投資させて結局趣味の補強しかできなかった負け犬

芸大出たくせに絵の仕事につけなかった負け犬

素人に混じったときだけもてはやされる負け犬

2019-03-01

会田誠作品エロいかどうかはあんまり関係ないんじゃないか

たぶん美術モデル仕事安全性みたいなのが主眼で、いわゆるセクハラとはちょっと違うように思う。


こういう文脈で、存在するのはずなのにないものとされている美術モデルに対する欲情というねじれた感情について疑問を持ち、それをテーマ偽悪的な作品を作って問題提起する、というのはある意味理解できる。あえてタブーに触れるという現代美術家としてはわりと普通の行動でもある。

一方で、受講した女性美術モデル仕事にしているので、タブー中のタブーであるモデルに対する欲情という感情存在するとなると安心して仕事ができない。作家モデルという立場からしても先日の荒木経惟告発したモデルのようなこともあるし。そのため、主催学校側に対して「モデル安心して仕事ができるように、業界正常化のために、あのような言動はさせるべきではない」という主旨のことを訴えたんじゃないかと思う。つまり業界のための義憤であって、個人的エロい作品を見せられてショックを受けたとかいナイーブな話ではない気がする。完全に想像だけど。

学校側は学校側で、その主旨をうまく呑み込めず、よくある作家表現の自由モラルで抑えつける話かと思って、美術自由を守るために今後双方関わらないようにするという方向で示談をまとめかけた。

しかしながら、それはつまり当該学校に関わらないということで、職業として美術モデルをしている当人活動の場を狭めることになってしまう。もともと、美術モデル安心して仕事できるようにと訴えたのに、まったく逆の仕事がしにくくなるという示談条件はとうてい受け入れられるものではない。ということでおおごとに発展したんじゃないかな。

会田誠作品エロいとか発言ゲスいとかいうのは、主張の正当性を後押しするために付加しただけで、本当の主張は別のところではないかエスパー予想した。

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-19

anond:20181219133259

良い時代に変わったよね。

数十年前までは、忘年会に参加しないことは目上に挨拶しないことと一緒。おまけに「一気飲み」や一発芸大会とかい因習新入社員あたりは強要されてたもんな。いい年して酒も飲めないのか、と下戸なだけで大人扱いされなかったりさ。

今日日、飲み会なんぞ断り続ければそういうキャラだと思われて、いずれ飲み系の声がかからなくなるだけでそれ以上何もないな。今の職場、仲の良い奴どうしはランチで共連れしてる。

忘年会も毎年パスしているけど、そんな仲間が増えつつある感じ。

2018-10-13

anond:20181013082928

実際あの界隈の人らってミスコンも殴ってるでしょ、芸大のアレとかさ

2018-10-05

anond:20181005012127

UI作る人になるってつまりUIデザイン担当したいなら

多分デザイン系の専門学校芸大かなんかに入りなおすのが一番確実

 

商業ゲームなら基本専門職が作ったデザインの上に機能実装してくのがプログラマ仕事

2018-08-07

anond:20180807204044

今の美大芸大は(入試で)絵が描けなくても入れるぞ

デザイン学科とかマンガ学科とか写真とかあるから

anond:20180807203838

芸大なら名前書けなくても絵が描ければ入れるだろ

2018-08-04

芸大日本画科は男が入りやすいなんて聞くけど

美大入試なんてどうとでもなりそう

2018-06-25

anond:20180624101941

ニキビがあっても、肌がきめ細かくなくても、お尻にセルライトがあっても、それも美しいじゃない、って話よ。

いや、「どっちも美しい」とか無いだろう。ニキビが“ある方が美しい”か、“無い方が美しい”はどちらか選ばなければならないんだよ。

それが物事に優劣を付けるって事だろ。

優劣を付けない、評価しない、ってのは言論封殺しかない。

正直、芸大ミスコンがどうとかどうでもいいんだけど、「苦しんでいる人がいるから」って理由でこの流れを推進するのは擁護できない。

現代人多数の感性と一致した美」というもの存在し、それに合致するものを生まれながらにせよ努力によって獲得したにせよ、持ち合わせている人が賞賛され活躍出来る社会何が悪い

2018-05-27

anond:20180527162955

芸能業界アニメ業界仕事してる人は殺すのか

テレビ業界人は許すのか、ドラマ制作会社だけ殺すのか

芸大工学部学生は殺すのか

読書家やマーベルTシャツ着てるやつは皆殺しか面接でもして判断するのか

今の日本オタク定義って無理じゃ無いか

2018-04-18

セクシャルマイノリティーの先生のはなし

高校生の頃、美術系の学校に通っていた

美術系の授業がたくさんあり美大芸大からも多くの講師が来ていた

その中の1人がA先生だった

先生は歳の頃は30前後スキンヘッド身長180超えてて、スラリと細身で足も長くて顔立ちもはっきりして、見たことないような柄のシャツネクタイとオシャレなスーツばしっと着こなしてて、まるでモデルみたいだった

ただいわゆる「オネエ」言葉を使う人だった

美術系の私のクラスほとんどが女生徒で、A先生はあっという間にクラスの人気者になった

作品講習では歯に衣着せぬ物言いでズバズバ言うにもかかわらず、「全然ダメ!何よこのデッサン!ここのパースが狂いまくってるじゃない!」みたいな調子テレビから出てきたタレントのようで、けちょんけちょんに言われても皆んな嬉しそうにしてい

ある時、休み時間に日直の私が黒板に書き物をしていたら、教壇に立ってたA先生のところにクラス女子が寄ってきて「先生ちょっと聞きたいことがあるんですけど…」と切り出した

の子はいわゆる「腐女子」でBLもの同人誌普段から描いている子だった

「なーに?」とA先生が聞くも、その子はモジモジしてなかなか質問を言わずA先生が重ねて問うてやっと口に出した

詳細は忘れてしまったけど、それはあまりにもプライベートな、性的質問だった

A先生が答える前に、私があんまりびっくりして動揺して、チョークがボキッと折れて床に落ちた

それで2人が私の方を振り向いたので、私は「躊躇ってた割に、すごい失礼なこと聞くんだね」と思わず言ってしまった

A先生はそれを聞いて手を叩いて大爆笑して、私の肩までバンバン叩きながら「ほんとそうよねー!!」と、私がひくくらい笑っていた

質問した子は、それで気がそがれたのかどこかへ行ってしまった

それからまた別の日、A先生が全校生徒の前で壇上に上がって話す機会があった

A先生がしゃべりだすと、他のクラスの生徒がザワザワし出すのが分かった

あちこちで笑ったり、驚くような声が上がった

先生は騒がれてもちっとも気にしない(ように見えた)で話し終えた

私たちクラスの子たちが近寄って行って、「先生すごい騒がれてたよー!」「他のクラスの子から『あれってホンモノなの?』って聞かれた!」などと囃し立てられていた

先生は笑っていた

の子たちが行ってしまって、先生が後ろを歩いていた私に気づいて、「なにが『ホンモノ』なんだか。ほっとけって言うのよ、ねえ?」と口を歪めた

私はこうしたことからA先生は当たり前だけどタレントさんじゃなくて、普段笑って上手に冗談にして返してるけど、本当は本当はセクシャリティのことを話題に騒がれるのは嫌なんだと気付かされた

一度気づくと先生には毎日のように性的からかいが投げかけられていた

生徒だけじゃなくて、先生からもだった

担任から「お前、かわいい男子生徒を見つけても手を出すなよ」と言われてクラス爆笑したり、

学年主任先生もみんなの前で「俺はその気はないからな」とか言って笑いを取っていた

尊敬していた別の講師が、「オネエ言葉なのに女の格好はしないの?」とニヤニヤ聞いてたのを見たときは、私がなんだかシュンとしてしまった

正直、私だって前はなんとも思わなかったでも先生は本当は嫌なのかもと気づいてからは、先生へのそういった性的からかいが、ヒリヒリして聞こえてきて辛かった

他人の私が、またかーってウンザリするくらいだから先生はこういう毎日をずーっとずーっと過ごしてて、怒ったりするのもとっくに諦めてるのかな、と思ったりした

だって女の先生にそういうこと聞いたらセクハラになるんじゃないの?A先生だとオールオッケーなの?

しかし私はおとなしく目立たない地味な、勇気も何もない生徒だったから、幼い義憤をかきたてられても何もできなかった

今思えばA先生オネエ言葉ではあったけれど男の格好をするのが好きといってた

当たり前みたいに先生を「同性愛者」として見ていたけれど、今思えば、恋愛対象が女か男かも、性自認が女か男かもわからない。しかし、一番大事なのは、そんなこと知る必要もないってことだった

大人になって大学社会に出てからも、美術系にはいわゆるカミングアウトした性的少数者が何人もいた

もちろん誰も表立って迫害したりはしないし、ふつうに仲良く過ごす

でも、悪意のない冗談めいた性的からかいしょっちゅう耳にした

その度にA先生を思い出した

誰もA先生を嫌いじゃなかった

みんなA先生が好きで、仲良くなりたがってた

それでも善意で、悪気なく、誰かを傷つけるかもしれないんだなと分かった

大人になって、社会でいわゆるセクハラのような扱いを受けたことが何度かあった

そのたびA先生をまた思い出した

先生、私も笑って受け流してるよ。だって相手に悪意がないのに戦っても仕方ないし良いこともないし そんな深刻な被害でもないからノリのいい女でいた方が生きやすいし

でも先生、なんかこれ削られるね

笑って流して大したことないって顔してるだけで、ちょっとずつ自分が削れていくもんなんだね

私もきっと知らずに誰かを削ってるんだね

まあ私はA先生じゃないかA先生のことが分かるわけでも代弁できるわけでもないんだけどね

今も忘れられないの

2018-04-15

芸大志望のJK

選択授業?の一覧みたいなの見て選んでるけど

普通学校行った方がいいぞ…

生活して行くの大変だから

2018-03-14

芸大やら東大やらの記事を見て思ったこ

やっぱり鶏口牛後だな

けど、面の皮が厚ければ、牛後の方がお得なんだろうな

anond:20180314001059

わかる(40代OB)

中には芸大東大で迷ったなんて化物もいる。そいつは当然理物に行った。

上を見たらきりがないので、どこかで「身の程を知る」ことになる。

2018-03-07

デザイナーだけど、美大卒じゃないのがコンプレックス

職場の先輩デザイナーたち、ほぼ9割が美大芸大卒。みんな作るものセンスが圧倒的に良い。

自分も一応大学デザインやってたんだけど、講義内容もソフトの使い方とかばっかりで、専門学校に毛が生えたようなものだと思う。

タイポグラフィとか、広告制作とかパッケージとかやったことない。なにそれ面白そう。

フォント歴史、著名なデザイナー、しらない…

美大美大

すでにセンスのいい奴がいく学校なのか、

学校講義センスが身についたのか、

自分が今からセンスを身につけるにはどうしたらいいんだ

美大美大め…

2018-02-25

anond:20180225223058

ツタヤで、オレ芸大映画撮ってるんだ、これ面白いからウチで一緒に見よう、とか言ってれば

ネジの緩い子をホイホイ連れ込めると思うよ

2018-02-05

馬鹿に絵は描けない

俺はやっと分かった。気付かないふりをしてた。

俺は20年絵を描いてるけど、3年くらいしか描いてない奴の方が上手い。

奴らさ、「子どもから大人までの身体アタリ比率」だの「筋肉意識した塗り」だの、「影と陰を重ねて立体感を出す」だの。

やってること数学だぜ!?物理だぜ!!?絵を描くのによ!?

叩き込んでやがるんだよ、筋肉と骨の形を。服のシワのパターンを。顔の表情を。モダンな背景のパターンを。

気が遠くなるぜ?腕の筋肉だけで何個あるんだっつーのな!?そんなん覚えても1週間したら全部忘れちまうよ。

センスじゃねえんだよ、ちゃんとお勉強してんだよ!

ちゃんとお勉強できる頭のやつが絵も上手くなるんだよ!!

よく考えりゃ芸大だってみ~んな偏差値高い。ちゃんとお勉強できない子は絵も上手くならんからいらんで!って事やな!

俺はずっと気付かなかったし、気付かないふりをしてた。

20年間のうち、ちょこっとだけやった模写が、今の身になってる。

俺の20年と頭のいい奴の3年って全然違う。凝縮されてる。人生が。

分かんねえ。さっきも言ったけど、知識を頭に入れる方法が分かんねえ。筋肉の形なんていくつも覚えられん。

ただしがみついてるだけだ。絵に。

俺にはそれしか無かったから。でもそれもお終いだ。

だんだん知識を忘れていく。覚えられなくなっていく。絵を描く楽しみを見出せなくなっていく。

トライ&エラーをする気力がない。やる気がない。

楽しいこと以外したくない。だからダメなんだ。

俺はもうだめだ。絵なんて描かなければ良かった。

俺は俺の絵が嫌いだ。

2018-01-31

anond:20180131010414

出た、海外では~。

行ってみたらいい。

義務教育でも美術教師を一応は配して教え、とりあえずは誰でも触れられる環境がある日本はよくも悪くも広く浅くだ。美術部や音楽部、また授業を受けるのにセレクションがある中学とかそんなにないだろ。逆に言えば誰でも触れられるからこそ、自分も~と思う人間が多すぎて過当競争がおこっているんだよ。今でも芸大大杉だと思っているぐらいだ。そんなに芸術で食えるわけでもないのに。

ロシアは知らないが、元増田の話だと4~10歳で振るいにかけられて落とされるんだろ?それなら進路が早く決まって本格的に支援する人数の範囲もぐっと絞ることが出来、充実した支援ができるのかもしれない。支援範囲が広くなればなるほど浅くするしかいからね。日本でも東京芸大レベルになればまあそれなりだろ。

まあ、芸術でもスポーツでも勉強でも思春期前に才能で振り分けてしまうというほうがいろいろ合理的かもしれないがな。良いのか悪いのかはわからん

2018-01-30

絵が下手だった私が結局最後まで残った

絵を描くのを諦めきれずに戻ってきた人の記事をみたけど自分は逆だったなって思ってぼんやりこれを書いてる。

自分物心つく頃から絵を描くのが好きで、コミュニケーションの一部だった。

残念な事に下手な部類に入る画力をしていた。

ただ描くのだけはめちゃくちゃ好きで、暇さえあれば何かしら描いてた。

小学校中学校では私よりも何倍も絵が上手い子がたくさんいて

将来漫画家目指してる子や、同人活動バリバリやってる子や、学校ポスターしおりの表紙常にを描いてる子とかが居た。

周りのオタク友達も皆絵がうまかった。

そんな中私はルーズリーフシャーマンキング稚拙ファンアートV系歌詞を書き綴る日々を送っていた。

同人作家に憧れて、コンビニで身内用にペーパー作ってコピーしたり、サイトキリ番狙ってアイコン描いてもらったり、マウスお絵かきBBSに絵とか描いてたりした

その後私は高校に進んでもルーズリーフに絵を描き続け、ひょんなことから美大受験に挑戦し実力差に揉まれ志望校に引っかから地方芸大へ、そこではじめた同人活動ヘタレなりにコピー本を作ったりして、紆余曲折経て絵を見るのが好きだからソシャゲイラスト下請け会社事務をしている。

数年前に当時の友達に久々にあったら皆もう絵を描いてなかった。

最近当時好きだったサイトを見たけどもうあんまり絵を描いてなかった。

私だけ、ルーズリーフに絵を描くのが大好きな中学生で止まってた。

あの時一番下手だった私が最後まで絵を描いてる。

未だにデッサン狂ってるし、出張編集部もってったら判定ボロクソだったし、超絶画力が溢れる昨今の同人界で全然下手なんだけどさ。

心無い言葉も言われたり残念な扱いうけたり未だにあるし、結構面と向かって下手って言われるけどさ。

本当はうまいけど下手って言われすぎたか自分にかけた呪いなのかもってちょっと思ったりもするけどさ(いやでも下手だな…)

なんか描いてると楽しい

何描いてても楽しい

多分可能な限りずっと描いてる。

上手い絵みると嫉妬するけど私もなんか描きたくなる。

下手な私になんでそんなメンタルつけたんだろ神様

私にはすぎたものじゃありませんか、これ。

下手なりに、自慢なんだけど去年は今まで頑張った成果が形になった一年だったと思う。

フォロワーは1万人を超えた。はじめていいね1万いった。仕事では憧れの作品に関わることが出来た。大型ジャンルコミケ誕席2回目。

昔絵が下手でアンソロハブられたから今度は自分主催した。勿論公募制だ。愛があれば誰でもウェルカム

今年は背景とむきむきの男性キャラもっとましに描けるように頑張りたいな。

もうすぐ30近いしいつかは絵を描かなくなるのかなとか思うけど、当分はまだメンタル中学生のままな気がする。

2018-01-17

芸大女の子と付き合ってみたい

変わった価値観に触れられて楽しいだろうな。

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