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はてなキーワード: 比喩的とは

2020-08-18

anond:20200818101712

相手見て比喩的表現とか、大げさな表現は避けるべきだったな、アドバイスしてくれて有難う

2020-08-04

anond:20200804220044

国語警察です

「オスメスの繁殖戦略」ではなく「男女の生存戦略」といっていることから比喩的に使っていることは明らかです。

比喩表現額面通り受け取って頓珍漢な指摘をするのはやめてください。

2020-08-03

anond:20200803145037

比喩的表現としての墓場」じゃなくて、「直接的表現墓場」に近いぞ

2020-08-01

比喩的に)死ぬということ。

黙っておくという事でも言いなりになるという事でもなく、魂を捨てて下世話な商売に精を出す、ということなのだ。

2020-07-25

遅ればせながら『Dark Knight考察(Party Sceneと絡めて)

まず、『ダークナイト』は、フロイトの「自我超自我・イド」の図式に当てはめると解釈やす映画です。

そもそもジョーカーってなんなの?というと、病院のシーンでハービーに言っていたように、「混沌使者」(Agent of chaos)です。

ゴッサムに秩序をもたらそうとするハービーバットマンに対して、人々の怒りや不安防衛本能)を煽り本能衝動にしたがって行動させることで街の秩序を崩壊させようとするのがジョーカーです。

ここでの秩序とは何かというと、「父権制的な権力」を指します。

これは、明治時代など、近代以前の家父長制でも見られる、父親や「家」といった道徳社会的信用に基づいて人々を従わせる権力を指します。

近代以前の社会では、家長同士の信頼によって地域コミュニティ必要産業社会制度が賄われており、それらの秩序を犯した者がいた場合、例え家族であってもその命を差し出す必要がありました。

父親のもたらす権力・秩序が個人自由優越していた時代です。

一方、近代市民革命以降は、主権者一般市民国民)に移ったことで、上記の「父権制的な権力」に個人自由が優先されるようになります

コミュニティ構成員の間でも格差があったり、それぞれ価値観は異なります

するとどうなるかというと、それぞれの権利の拡大やコミュニティ方針を決める上で争いが起きるようになります

この原動力が、ジョーカー象徴する「人間生理的欲求本能衝動」です。

ダークナイト』の公開された2009年アメリカイラク戦争の泥沼にどっぷりハマっていた時期で、ジョーカーの爆破などテロ行為と合わせて、この映画イラク戦争批判と見る人もいました。

私はこの映画イラク戦争批判だとは思いませんが、「人々の防衛本能によって事態混沌に陥った」という点では共通していると思います

イラク戦争の発端は、アメリカ攻撃する大量破壊兵器イラクにあり、「先制攻撃」の対義名分で侵攻、泥沼に陥りました。

この映画でもそうで、人々が防衛本能によって親しい人物裏切りジョーカーに加担することで一連の計画悲劇は進みます

終盤もジョーカーが市内に仕掛けた爆弾から逃げるために船に乗り込んだ一般市民が船内の爆破を免れるために、囚人船の爆破との二択を迫られる展開となります

終盤の二択のシーンは、人々が社会的信頼や道徳(善)に基づいた振る舞いをすることで危機を免れるわけですが、ここでも生存本能を脅かす不安本能衝動)と社会的信頼(父権制権力)の葛藤が起きているわけです。

この二者の葛藤説明する概念が、フロイトの「自我超自我・イド」です。

これらの概念は、父親のしつけを通じて内面化された父権制権力動物欲望本能衝動葛藤の間で揺れ動く人間自我のありようを表すものです。

この三者関係を表すものとしてよく触れられるのが、ギリシア悲劇の「オイディプス王」やこの寓話を受けた「エディプスコンプレックス」の概念です。

エディプスコンプレックス概念によると、幼児期男児母親との結婚を望むが、父親結婚しているため、その願望が叶うことはない。この時、男児母親との結婚タブーとする父権的な「規範」(秩序)が生まれ男児精神的な去勢経験するとされます

要は、母親結婚したい男児欲望と、それを男児モラルとして彼の心の中で禁止する父権制的な権力との間で葛藤する男児自我の揺れ動きを表しているという話です。

実際、この映画では、ハービー社会的信用を守る地方検事で、ブルース幼なじみであるレイチェル恋人役です。

ブルースレイチェルへの性欲を抑圧し、彼自身が望む秩序を体現する存在で、ブルースの「超自我」の象徴と言えます

一方で、ブルース自身に目を向けると、幼い頃に両親を奪ったギャングに、自分自身幼児期トラウマであるコウモリ」のコスチューム私刑を加えることで、彼らに自分と同じ畏怖(トラウマ)を植え付けようとしています

ブルースが「コウモリシンボルに選んだ理由」と「なぜシンボル必要か」(逐次制裁では模倣犯が出るため、模倣犯が出ないよう、悪漢を怖がらせる、畏怖の対象となるシンボル必要と考えた)は、前作の「バットマンビギンズ」でブルースによる上記そのままの説明があります

まり、「ブルース自身が彼の超自我父親象徴であるコウモリになろうとしている」という話で、先述のエディプスコンプレックスにある、父親の座につこうとする男児精神合致します。

また、ブルース自身葛藤として、彼は街に秩序をもたらすという公益性とは別に、Mob(ギャング)への個人的な恨みで制裁を加えている側面があり、この個人的な恨みが暴走してしまうのではないかそもそも自身の行動はただの私刑リンチ)ではないかという懸念がついて回っています

ジョーカーが焚きつけようとしているのは、ブルースのこの個人的な怒りです。

ブルースがMobの制止と社会秩序の実現という社会道徳ではなく、個人的な怒りでバットマン活動を行なった瞬間、彼はただの犯罪者になります

ジョーカー目的は、このバットマン大義名分を取り払い、自分スケアクロウなどの怪人や、Mobのようなゴロツキと変わらない存在に陥れることです(この企てに成功したのがハービートゥーフェイス)。

取調室でのバットマンジョーカー尋問シーンで“You complete me.”(プロポーズ慣用句です)と言っていることからも分かる通り、ジョーカーバットマンが半ば自分と同じ本能衝動で動いていることに気付いています

(だから、“You and I, are destined to do this, forever.”となる。)

長くなりましたが、パーティーシーンについて。

このシーンでは、老紳士父権制道徳象徴する形でジョーカーに反抗したため、ジョーカーからYou remind me my father, I hate my father!”(お前見てると俺の父親を思い出すんだよ、大っ嫌いな父親をな!)と反感を買います

ここでレイチェルが止めに入り、ジョーカーが口元の傷の由来を話しているのが、この場面の一番重要ポイント

ここで何をしているのかというと、レイチェル象徴的な意味自分の女にしようとしています

というのは、上に書いた通り、ジョーカーバットマンの片割れです。

すると、ジョーカーにもレイチェル的な存在がいてよい、いるはず、という話になります

それがジョーカーが”D’you know how I got these scars?”で始める「傷の由来の話」に出てくる「ジョーカーの悪妻」です。

レイチェルをこの悪妻に重ねているのは、逸話に入る前に“I had a wife, very beautiful, like you.”と言っていることから分かります

ではその悪妻がどのような女性かというと、レイチェルのように慈愛に満ちている反面、ギャンブル狂で、口を裂かれた彼女に寄り添おうとしたジョーカーを拒絶した女性です。

ハービーと同じ検事職にあり、貞淑さを象徴するレイチェルとは真逆存在です。

ジョーカーのしようとしたのは、レイチェル自分の別れた悪妻と重ね、彼女と同じ傷をつけることで、レイチェルをその悪妻と同じ側に落とすことです。

おそらくこの逸話自体は嘘です。この場面以前にもGambolのシーンで傷の逸話がありますが、別の話をしています病院のシーンでハービーに「俺が計画して動く男に見えるか?」(”Do I look like a guy with a plan?”)と言っていることからも、彼がポジショントークしない人間であることが分かります

レイチェルを殺したり、ただ傷物にするのではなく、その前にこの逸話を挟むことで、その傷は彼女へのマーキング意味を持つようになり、シンボル的な意味レイチェルジョーカーの女に堕落します。

彼女はやがてジョーカーさらわれて殺されてしまますが、面白いのは、その時ジョーカー指定した彼女の居場所です(実際にいたのはハービーですが、言葉の上で彼女と結びついていたのが重要)。

ジョーカー彼女の居場所を“She’s at avenue X, in Cicero.”と指定しています

Ciceroとは、共和制ローマ末期の弁論家・政治家哲学者で、彼の政治思想理想とする統治機構は「共和制」でした。

共和制」は、国家主権人民に存する統治機構で、国家元首(王)により支配する独裁制とは対立する統治機構です。つまり父権的制的権力とは対立する概念人民動物本能公共善による秩序をもたらそうとするもので、超自我とイドの調和が取れた状態と見ることもできます

まり超自我とイドの葛藤に揺れるブルースが、本来身を委ねるべき安息場所レイチェルがいた、と比喩的表現されているのです。

(その場所ハービー父親)を置いとくあたり、徹底してジョーカーは底意地が悪い)

とまぁ、パーティーシーンは、これらの葛藤舞台となる場面です。

直前でスリ判事警察長官が殺されて、ハービーが殺されればゴッサム司法崩壊でその王手がかかっていたり、それを阻止すべく大急ぎで対応するブルースと迫るジョーカーサスペンスだったり、ヒースレジャーセリフ回しだったりで見所がいっぱいある、個人的にも好きなシーンです。

2020-07-16

愚策で愚息も昇天しそうです

愚息も昇天

読み方:ぐそくもしょうてん

字義通りには、自分馬鹿息子が天に昇る、果てる、といった意味。もっぱら、自分男性器もオルガスムスに達して射精してしまった、私もイッてしまった、ということを比喩的に述べる表現

2020-06-28

anond:20200628154032

進化論に基づいて」と「進化論にヒントを得て」の違いに無神経な批判も気になるなあ。

自民のやつは前者の言い方したのでダメダメなんだけど

遺伝子を持つ生命の営み以外のやつは全部後者比喩的用法なのは自明でしょ。

そういう前提を共有しないと、より本来進化論に近づけて、

ランダムに改変した憲法を県ごとに適用して一番成功したバージョン採用する

ならいいの?ってなっちゃう。

2020-06-23

anond:20200623221655

「マサカリ」はあくま日本において比喩的に示しているだけで、この文化はある程度万国共通だと思うぞ。クソ文化という評価には完全に同意するけど。

ITエンジニア社会不適格者に見えるから本当に滅して欲しい。元々人格問題がある人も多い業界だったのは理解するが、もうそんな時代じゃないだろ。

2020-06-18

anond:20200618071619

つまるところ「私がやっていることを肯定しない人間が許せない」を正義大義で包んでいる状態であるので、症状はかなり重いと思われる

その状況に陥ったことそのもの否定する気は1ミリもないのだけど

同人の歪みってそういうものだし

比喩的に・直接的に殴られるような目にあってはじめて理解するようなことだし、人によっては一生気づかない(物事によっては、あなたも、わたしも)

2020-05-08

子供向け漫画に出てくる父親がだらしないことが多くて萎え問題

ちょっと前に、「科学者の絵を描いてください」と言うと、白衣を着て眼鏡をかけた、髪がボサボサの男性を書く人が多い、というジェンダーに関するバイアス話題を読んだ。

https://eijionline.com/n/na333fc832278

かいところはさておき、全体としては同意する内容だった。

些細に見えるステレオタイプ描写も、それが固定観念を強化して循環してしまうようなイメージを持った。

それで思い出したことがある。しばらく、モヤモヤしていたことなんだが、ここで吐き出したい。

タイトルにも書いたんだが、子供向けの漫画に出てくる父親がだらしない問題に、けっこう辟易している。

たとえば、小学生くらいをターゲットにしていて、日常をほのぼの描くギャグテイストマンガとかを想像してみてほしい。

そこに出てくる父親は、だいたいサラリーマンで、休日仕事に疲れて家でゴロゴロしていて、だらしなくて自分奥さんに怒られることが多かったりする。

ちょっとくらいならいいんだけど、そういう描写が多かったり、複数種類のマンガでそういう描写があると、だんだんと嫌になってくる。

増田父親で、複数人の男児を育てている。シンパパではない。

家事育児も、かなりの割合担当している。そこそこ手を抜きながらやってはいるが、子育てにおいてメインの責任者である

で、息子たちが読んでいる本の中に、上記のような描写がたびたび登場する。息子らはゲラゲラと楽しそうに読んでいて、深いことは感じていないように見える。そう、些細なことだな、とは思う。でもこれはきっと、冒頭で書いた科学者ステレオタイプに似ている気がする。

こういうステレオタイプステレオタイプを強化していくかもしれない。

子育てをしていれば当然、性差を感じることは多い。男女が全く同じだとは到底思えない(ただし、それすら環境なのかもしれないが)。ただ、性差があるのは全体の傾向としてだ。一人ひとりを見れば、十人十色

たとえばある男児目線から見て、ケアバー母親女性だけで、その母親たちがこぞって「男の子ってこうよねー(乱暴、がさつ、めちゃくちゃ etc etc)」などと何度も語っていると、そうしたステレオタイプが強化されてしまうのではないかと思う。つまり、「男の子っていうのは概して雑で、家事労働はあまりせず、危険な遊びを好むものであり、本来は良いわけではないがまあそれで許容されてしまうのだ」、というメッセージが何度も刷り込まれていくのではないだろうか。母は男児をわかり合えない宇宙人として扱い、あきらめて(比喩的意味で)放り投げてしまう人が多い気がする。

対して女児は、わかりやすい同性のロールモデルである母親が目の前にいて、母親の方も娘を自分と同一視しがちで、ケア提供者だったり、大人っぽい振る舞いをするというエッセンスインストールされていくように思う。

(4歳くらいの女の子でも、母親とまったく同じ口調で怒ったり愚痴ったりするのは笑えるがちょっと怖い)

あれこれ書いたのだが、こうしたマンガ描写にせよ、ちまたに見る「男の子ってこうよね~」という物言いは、あまり全般に浴びせるのはちょっと慎重にしたい。まぁマンガ描写は生暖かく見守っていきたいが、元少年増田としては、自分の口から出る「男の子っておばかねー」みたいな発言は慎重になりたい、と思う。

2020-05-02

パンとサーカス」ならば、ゴールデンウィークには「サーカス」を

提供すべきだった。

マスク2枚を全員に配るよりも、比喩的意味での「サーカス」、すなわち、外出不可能現在であれば、動画サービス漫画読み放題、もしくは雑誌ゲームの購入費のコンテンツ消費などに補助金を出した方が、外出を抑制するという観点で、予防措置としては効果的ではなかったのだろうか。

言い換えれば、無名目な10万円/人とは別に、「サーカス」に国民を留めさせるような補助金政策を取るべきではなかったのだろうか。

それにそもそも、この状況においては、コンテンツという「サーカス」、思考停止という点では「お花畑」かもしれない場所に、みんなで飛び込むことで、積極的に現状から目をそらすべきだとさえ思うのだ。

なぜなら、現状だと一般市民批判意識は、政府自治体よりも、パチンコ屋に並ぶ人間や、マスクを着けずに遠出する人間など、一般市民に向いてしまっているからだ。

まり個人が互いに互いを傷つけ、新型コロナウイルスにかからなくても、みんな満身創痍に成りうる状態なのだ

しかし、そんな個人批判に何の意味があるのだろう。もちろん、政府に対する適正な批判意識絶対に持つべものだろうが、それでも、自分もその立場になりうる一個人を傷つけ、自らもその監視に巻き込まれることに何の利益があるのか。

それだったら、むしろ批判などせず黙っていた方が「得」でさえあるだろう。批判される行動を取る人間からは、批判などせず物理的に離れればいいだけだろう。

一方で、仕事が無いなどの個人個人不利益を受けることの批判はあるだろう。それはもちろん批判したらいい。しかし、その批判は、一般市民の彼らでなく行政に向けるべきだ。

しかし、それが無い人間は、解決までひたすら黙っているべきだ。そして、ただ黙っていても暇になって情報さらされ、また批判心に火がついてしまうからコンテンツ消費に人々を誘導すべきだと考えるわけだ。

まり一般市民みんなから、そのみんなを守るために、みんなごと「お花畑」に飛び込ませるべきだと思うのだ。

そして、ゴールデンウィークは、家族以外にその批判精神諌める人が居ない。その批判が増大し、批判政府に向くわけでもなく、他人をひたすら傷つけ監視が強化されることが怖い。

それなら「お花畑」で戯れて、その意識進化ペンディングにすべきだと思うのだ。

2020-04-22

スマートコントラクトって言葉の響きがもう賢さの塊だよね。

いまいち賢くない俺なんかはこの「塊」って表現もっと気の利いた比喩的表現にしようと思って、「賢さの満漢全席」「賢さの宝石箱」とか出てきたけどしっくり来ず、「賢さのチョモランマ」とかも垢抜けなくて結局どうしようもなく諦念のままに「塊」と書いてしまう程度の存在なのに。なのでスマートコントラクトとは無縁のまま生きていくのだろう。くやしいのう

2020-04-04

anond:20200404225131

表現上の混乱を概念の混乱と同一視してねえ?

呼び分けが紛らわしいからって雲と蜘蛛という対象物が紛らわしいわけじゃねえよ→ウイルス比喩的に生きてるという人とそのまんまの意味で生きてるという人のあいだにグレーゾーンはない、

よって先のリプは少々ピンボケやろという話をした。

子供の頃の言語環境バリエーションはなんもかんけいない。

2020-03-29

猫でもできる

→誰でもできるということを比喩的に表している

ハゲでもできる

→「このハゲー」と言われるような能力の劣る者でもできることを比喩的に表している

2020-03-22

( ・3・) クラシック好きの上司ディランを聴きたいと言いだして 1

https://anond.hatelabo.jp/20150214223556

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして、から数か月後――

ある朝の会話

その朝、彼が職場に着くと、クラシック好きの上司は目を閉じて見えないオーケストラの指揮をしていた。腕の動きが激しさを増し、握った拳が垂直に振り下ろされる。1、2、3、4、5、6、7、8、9、1011

おはようございます」と彼は上司に声をかけた。

「なんだ、来ていたのか」と上司は目を開いて言った。「春の祭典の第二部なんだが、どうにも縦の線が揃わなくてな。リハーサル不足だ」

空想オーケストラにもリハーサルがあるんですか?」

「高度に発達した空想現実と見分けがつかないくら不自由ものだ。ティンパニ奏者とシンバル奏者はもう何年も口をきいていない。――それはそれとして、ボブの件、明日の日曜はどうだ?」

ボブというのは、ボブ・ディランのことだった。上司の娘さんが英語の授業で「はげしい雨が降る」を習ってきたらしく、それ以来、上司は彼にディランについてのレクチャー要請しているのだった。彼が娘さんに教えるのではなく、彼が上司に教え、上司が娘さんに教える。ディランことならパパに任せなさい、と目論んでいるのは明らかだった。

明日。彼は断ろうとしたが、適当な口実が見つからなかった。高齢の親戚はひと通り殺してしまっていたし、このあいだ死んだ祖父にもう一度死んでもらうには、まだ少し時間必要だった。

「じゃあ、決まりだな」

事の次第

こうして、彼は休日をつぶして上司の家を訪ねることになった。どの作品を題材にするべきか迷ったが、一日でディランキャリアを追いかけるのは無理だと割り切って、彼自身ディランを聴き始めた高校生のころに感銘を受けたものを選ぶことにした。『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だ。このなかの数曲を検討するだけでも、一日まるごとかかってしまうだろう。たくさんのアルバムを持っていかずに済むのが救いといえば救いだった。

駅に到着

最寄駅に着くと、もう上司は車で迎えに来ていた。大きな声で名前を呼ぶので、きまりの悪い思いをしたのをわたしはよく覚えている。車に乗り、しばらく走ると、左手惣菜パンの店が見えてきた。看板にはアルファベットDELI BAKERY と書かれていた。

デレク・ベイリーCD今日こそは返していただきます」と彼は言った。

「そんなことを気にしていたのか」と上司は笑った。「大丈夫。おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう」

おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう。それはまるでデルポイの神託のように聞こえた。彼は運命うねりが身に迫ってくるのを感じた。しかし、現実物語とは違う。成就しない予言。読まれない遺書。途切れる伏線。それが現実だ。

デレク・ベイリーというのは、あのヴェーベルン風のギタリストだな?」

「そうです」

「あれをかけると、猫たちが爪とぎを始めるんだ。何か感じるものがあるのかもしれないな」

「猫たち、とはどういう意味ですか?」

「猫たち、とは」と上司は言い、長めのフェルマータを置いた。「猫の複数形だな」

「また拾ってきたんですか?」

「いや、拾っていない。拾ったのはちーちゃんだけだ」

「猫の方から入ってきた?」

「いや、入っていないし、出してもいない」

「じゃあどうして増えるんですか?」

「さて、どうしてでしょう」

家に到着

ちーちゃんベルリオーズリムスキー=コルサコフストラヴィンスキーお客様にご挨拶だ」と上司居間の扉を開けて言った。居間には母猫のちーちゃんと、三匹の子猫たちがいた。上司公園で拾ったときちーちゃんはすでに出産を間近に控えていたのだ。

「お母さんとは名前方向性が違うようですが」

里子に出すまでの幼名だよ。正式名前里親がつければいい」

猫たちは来客には関心がないようで、ストラヴィンスキーリムスキー=コルサコフに背後から跳びかかり、ベルリオーズは伏せの姿勢でおしりを振りながら取っ組み合いに加わる間合いを計っていた。

「みんな元気だな。よし、そっちに掛けてくれ。いまコーヒーを淹れてくる」

ブラッド・オン・ザ・トラックス』までのボブ・ディラン

( ・3・) まずはバイオグラフィからだな。ボブの経歴をざっとまとめてくれ。

――いえ、それをやっていると時間がなくなるので、今日は『ブラッド・オン・ザ・トラックス』というアルバムだけを聴きます

( ・3・) それにしたって、そのアルバム位置づけくらいは踏まえないと。

――では、Rate Your Music のページを見てください。

https://rateyourmusic.com/artist/bob-dylan

――アルバムが発表順に並んでいますね。デビューしてまもなく、1963年最初ピークが訪れます。このころのディランがお手本にしていたのはウディ・ガスリーで、ギターハーモニカ、歌というフォークスタイルで世に出ました。

( ・3・) 「はげしい風が吹く」か。

――「はげしい雨が降る」と「風に吹かれて」です。ディラン1941年まれなので、22歳前には代表作を発表していたことになります

( ・3・) 詩人早熟なんだよな、たいてい。

――1965年から66年にかけて、二回目の、そして最大のピークが訪れます演奏フォークからロックへ変わり、詩の内容も変わります

( ・3・) どう変わるんだ。

――初期の詩は、一言でいえば真面目で、真面目な人たちに支持されるものでした。そこに、散文的な感覚では理解できない要素が入ってきます。「イッツ・オールライト・マ」「デソレイション・ロウ」「ジョハンナヴィジョン」といった大作が次々に書かれるのがこの時期です。

( ・3・) 理解できない要素というのは?

――たとえば、「ジョハンナヴィジョン」はこんな感じです。

Inside the museums, Infinity goes up on trial

Voices echo this is what salvation must be like after a while

But Mona Lisa musta had the highway blues

You can tell by the way she smiles


( ・3・) 「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限消滅に急ぐ。故に一般東方より来りし博士達に倚りかゝりて如何に滑かなる没食子が戯れるかを見よ!」

――どうしました?

( ・3・) 西脇順三郎だよ。よく分からない詩には、よく分からない詩で対抗だ。

――なぜ対抗しなくてはいけないんですか?

( ・3・) ただなんとなく。

――はい。続けますが、1960年代後半は、ロックが急成長する時代です。しかし、ディラン自身は、その運動の先頭に立とうとはしません。1969年の『ナッシュヴィルスカイライン』は、カントリーアルバムでした。

( ・3・) 帽子に手を添えてにっこり。

――捉えどころのない人である、というディランイメージは、このころにはできあがっていたと思います。そして、三回目のピークが訪れるのは、1975年

( ・3・) 『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だな。

――録音は1974年なので、33歳のとき作品です。

( ・3・) 33歳。――それだけ?

――伝記的な情報はいろいろあるのですが――というか、常に伝記を参照しながら語られる作品なのですが――今回は知らないふりをします。「この女性は誰々がモデルから」といったアプローチとりません。捉えどころのない人、謎めいたよそ者であることを行動原理にしている人が、久しぶりに本気を出したらしい、くらいで結構です。

( ・3・) そう、じゃあ聴いてみようか。1曲目は――

――1曲目は後にして、2曲目から始めましょう。「シンプル・トゥイスト・オブ・フェイト」。「運命のひとひねり」という邦題がついています

( ・3・) なんで? 有名な曲なの?

――ほかの曲より易しめだからです。ディラン重要な曲を挙げるとしたら、おそらく50位以内には入ると思いますが。

第一タン

オーディオ

https://youtu.be/sGnhyoP_DSc

歌詞

https://www.bobdylan.com/songs/simple-twist-fate/

They sat together in the park

As the evening sky grew dark

She looked at him and he felt a spark tingle to his bones

’Twas then he felt alone and wished that he’d gone straight

And watched out for a simple twist of fate


――ディラン歌詞は本人のサイトで公開されているので、それに基づいて進めていきましょう。では最初のスタンから、どうぞ。

( ・3・) 訳すの? 俺が?

――訳ではなくてもいいので、どういうことが歌われているのかを説明してください。

( ・3・) 夕暮れの公園男と女がいた。女に見つめられると、男は体の芯に火花が走るのを感じた。彼が孤独を感じたのはそのときだった。彼は思った。まっすぐに歩いていればよかった、運命のひとひねりに気をつけていればよかったと。

――はい特に難しいところはなかったと思いますが。

( ・3・) そうだな。恋人たちがいい雰囲気になっているのかと思いきや、なんだか雲行きが怪しい。急に孤独を感じちゃったりして。

――人は恋に落ちると孤独を感じるものではありませんか?

( ・3・) そうなの? で、まっすぐに歩いていればよかった、というのは比喩的表現だな?

――もちろん。

( ・3・) われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き公園なかにありき――

――?

( ・3・) ともかく、この男はあるべき道を見失って、運命の力が自分に働きかけているのを感じているわけだ。でも運命って、注意していれば回避できるものなんだろうか?

――回避できたら運命ではないような気もしますね。

( ・3・) 運命からねえ。

脚韻について

――次のスタンザに進む前に、脚韻の形式を見ておきます。2小節ごとに改行を加えると、以下のようになります

They sat together in the park

As the evening sky grew dark

She looked at him and he felt a spark

Tingle to his bones

’Twas then he felt alone

And wished that he’d gone straight

And watched out for a simple twist of fate


( ・3・) 1行目・2行目・3行目の park, dark, spark で韻を踏んでいるな。4行目・5行目の bone(s), alone もそうだ。それから6行目・7行目の straight, fate も。

――はい。この形式は次のスタンザ以降も同様です。

サブドミナントのひとひねり

https://twitter.com/kedardo/status/1241415360672219137

――ついでにコード進行確認しておきます。これは実際に鳴っている音ではなく、説明のために簡略化したコードです。元のキーはEですが、ここではCに移調しています。 [1]

( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。

――まずは1小節から8小節目まで。何か気づいた点はありますか?

( ・3・) 見たままじゃないか。ド、シ、シ♭と半音ずつ下がっていって、ラに落ち着く。

――はい。ラはサブドミナントコードであるFの構成音です。しかし、まだラは終点ではありません。

( ・3・) 半音下降は続くよどこまでも。

――Fの次のコードFmです。どの音が変化しまたか

( ・3・) Fの構成音は「ファ・ラ・ド」で、Fm構成音は「ファ・ラ♭・ド」だ。長三度のラが短三度のラ♭になる。なんだか言うまでもないことを言わされているようだが、どこに誘導しようとしているんだ?

――ラからラ♭へ半音下がることによって、コードに影がさします。その箇所ではどんなことが歌われていますか?

( ・3・) 「彼が孤独を感じたのはそのときだった」

――はい。彼が孤独を感じるのは、サブドミナントコードメジャーからマイナーに変化するときなんです。

( ・3・) ああ、それが言いたかったのか。つまりコード進行歌詞の内容とが結びついている、と。

――そうです。それから、もう一点。この曲は、コードが頻繁に変わる曲でしょうか。それとも、あまり変わらない曲でしょうか。

( ・3・) また誘導が始まった。1小節から10小節目までは、2小節ごとにコードが変わる。C7からFへの進行を除けば、コード構成音のうちのひとつ半音下がるだけだし、曲のテンポゆっくりだし、あまり変わらないんじゃないか

――はい11小節から12小節目、"and wished that he'd gone straight" と歌われるところはどうでしょう

( ・3・) ここは2拍ごとにコードが変わる。あまり動かなかったコードが動きだす感じだな。

――"and wished that he'd gone straight" の "straight" は、この曲の旋律で最も高く、長く、強く歌われるところです。コードの動きと旋律との関係を見ると、11小節目に助走が始まって、12小節目の頭で大きくジャンプするようにできています

( ・3・) ……ハーモニック・リズムと言えば済む話じゃないのか?

――その用語は使わず説明していたのですが。

( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。

小休止

( ・3・) はっさく食べる?

2020-03-20

こじらせててつらいのでカウンセリング行ったら楽になった話

スペック

(いくつかフェイクあり)

この記事を書いた理由

カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。

それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。

増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。

増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。

どのようなことで困っていたか

長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的ものだけを箇条書きで挙げる。

カウンセラーはどんな人?

臨床心理士資格を持っている50代の女性中学生くらいの子供がいるらしい。

髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。

実際のカウンセリングではどんなことをするのか

初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。

二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談きっかけに、突破口を開いたこともある。

夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議経験だった。箱庭療法最初の一回も、自分心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。

これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。

治療も後半になると、こうした技法ほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。

カウンセリングの進行、そこで自分はどう変化していったか

始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分カウンセリング技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイト著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから必然的相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つの人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。

カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活自慰行為風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。

そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。

最後に、カウンセリング時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなた感覚はそれほどおかしものではない」という趣旨言葉を返してくれるだけで、自分過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。

カウンセリングの中で、カウンセラーを好きになること

ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月ことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分軽蔑しない彼女存在が尊く思われた。

珍しくないことだが、自分カウンセラー好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなた尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人尊重することを身をもって学んだ。

一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。

カウンセリングを通じての自分認識の変化

過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事感謝することを学べたように思う。

また、自分の恐れの感情トラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。

もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。

何よりも現実検討能力がついた。不安不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安エネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。

上記の悩みに自分は具体的にはどんな答えを見つけていったか

悩みの解決過程言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。

過去いじめ、対人関係トラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分女性から不快な思いをさせられた経験から絶対女性を傷つけてはいけないというルール自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。

それに、世間はいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性自分暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。

フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。

仕事に関しては、転職をした。自分能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。

男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。

その中で、家族との関係改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間からこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。

処女厨ロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックス気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。

女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子かわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。

同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。

死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。

カウンセリングを終えたきっか

カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。

とても感謝はしているけれども、自分自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日出来事淡々カウンセラーに報告するだけみたいになっていた。

というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ

ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。

最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。

そして、僕は無事にカウンセリング卒業した。

続き→ anond:20200320072823

2020-03-19

shirobakoネタばれ感想

なに書けばいいかわかんないから思いつくまま書く(まだ1回しか見てないか記憶あやふや)(アニメ見たのもかなり前なのでそっちの記憶あやふや)(5000字ちょっとある)

まだ見てない人は見に行こう!

TV版を見てない人は、見よう!

d-アニメストア、ネットフリックスバンダイチャンネルU-NEXT,hulu配信中!

アマプラも昔配信してたけどなくなっちゃった

でも1話は無料で見れるのでとりあえず1話は見よう!

https://www.nicovideo.jp/watch/so24658035

ネタバレなしのまだ見てない人向けに全体の感想を書くと、

・話はTV版が好きなら好きだと思う!でもTV版と比べるともっとおもしろくなる余地があると思った!

TV版の終わり方が台無しになるっていう感じの話ではなかったか安心してほしい!最終回みたときと同じように、映画見たあとも宮森たちはこれから毎日一生懸命生きていくんだろうなと感じれる感じでした!(頭の悪い文章だ…)

・一人でも思い入れのあるキャラクターがいるなら見たらぐっとくると思う。映画というより、あ~~こんなに立派になっちゃって~~っていう感じで見れる。

4年前のことを思うと遠くまで来たなあ、私もこいつもさ…って気持ちになれる。

ここからネタバレ

=====

まり

1話オマージュ。4年前と同じ時間、同じ車、同じラジオ…だからこそ違いが目立つ。車が傷だらけになっていたり、カーチェイスができなかったり、かかる曲がスローテンポものだったり(限界過疎土地娘回収されましたね…サクラクエストのことじゃなかったかあ)。全体的に黄昏時という感じ。

ムサニもね…。この始まり方だからぞくぞくと悪い予感はしてるわけで(ポスターも含め)、ムサニは!?ムサニは今どうなってるの!?と思ったらいつもの部屋でいつも通りにやってんじゃ~~んと思いきや…っていう…。あそこほんと最高でしたね。あそこで宮森があの幻覚を見たのはもう二度と戻れない過去への憧憬なんじゃないかと思うと切ない。

活気もなくうらぶれて、でも昔のように返り咲く気力もない(そして昔みたいにイケイケなムサニになっても元のメンバーが戻ってくることはないだろう)。少しずつ衰退していくのを見ていることしかできない。悲しい…つらい…でもそれがいい!!!最高!!

ここのシーンの3Dの人(下柳さん?)の「こんな感じのアニメなんだったらもっと違う感じでやるべきだったな~」っていうまじめな台詞がすごい好きで、何故かというとなんかこの状況を受け入れ切ってるな~って感じがするんです。こんな状況いやだからあがこう!じゃなくて目の前の仕事一生懸命やってる感じ。全然悪いことじゃないし、たぶん下柳さん(仮)にはそもそも会社方向性を決める権限とかもないのかもしれないけど、でも今の状況を諦めを通り越して受け入れている、衰退していくのを見守る覚悟みたいなのも感じて好きです。自分にやれることは全力でやるけどそれで会社が衰えていくのを止められないのも知っているみたいな。このへん全部妄想なんですが。

太郎平岡

推しなんですけど(1週目特典この二人が出て最高でした神様サンキュ!)、今回本筋には関わらないもののめちゃくちゃ良かったです。ていうかそういうキャラ沢山いますshirobakoキャラ数めちゃくちゃいるのに映画では全員「あー今こう生きてるんだ」って知れてほんとよかったです。

この二人は特に!!その最終回のその後が気になってました。ほかの人たちは道のりの途中だったけれど、この二人は最終回でやっと一歩を踏み出し始めたところだったので。太郎の語るアニメ制作の夢も最終回までは知らされず、なんか萌えキャラとか声優とかが好きだからアニメ業界来てるんだなーぐらいの認識だったのにあんパッションを秘めているとは。

今の状況をどう打開したらいいのかわからない宮森と違い、太郎平岡はがむしゃらに前に進む努力をしています努力って言い方も違和感あるな。太郎平岡も、それを楽しんでる。どんなに没られても沢山企画案を出して持ち込みに行く太郎も、そのアドバイス役?スケジューリング役?をしてる平岡やれやれって感じを出しつつもすごく楽しそう。そんな二人を見れてよかった。今後どうなるかわからないけど(実は太郎には全然才能がなくてまじで全く作家としての芽が出ない未来があるかもしれないけど)、でも今楽しそうに前に進んでいる二人が見れてほんとうにうれしかった!!

できればまた4年後どうなってるのかが見たい。この二人がどんな現実にもへこたれずに夢を追ってる姿が見たい。最終回で語った夢を実現させているところが見たい。

監督遠藤さん

4年間ニートしてたってまじですか!?読み取り方間違ってるかな?でも少なくとも監督は4年ずっと仕事してなさそう…どうやって生きていってるんだろう…

そうなったきっかけの事件ときの二人の反応最高でしたよね!!気丈に振る舞う監督と悔しそうにキレる遠藤さん。多分この二人が一番おじゃんになったアニメ情熱傾けていたから、だから説得のシーンもこの二人が長めだったんだろうなあ。説得のシーンといえば遠藤さんが下柳さんと水族館行くくらい仲良くなってるの最高でしたね…。4年という年月を感じる!!

ミュージカル忍者屋敷お絵かき教室のシーン

長かった…もっと短くてよかった…でもミュージカルはこのアニメ狂気的な部分を感じてよかった。洗脳っぽかったけど。

お絵かき教室のシーンはあれ見て宮森達がやる気出してたけどそもそもやる気なくすような出来事あったっけ?となってしまった。TVシリーズとしてやってたなら多分普通に受け止めれてたシーンだと思う。

忍者屋敷はよかったけど長かった!でも和服見れたのでよかった!妄想(?)シーンのあと一瞬で現実に戻るの「あ~なるほどこういうことを比喩的表現してたのね」と理解できてよい。

渡辺社長

ナベP社長かよ~~~~~似合わね~~~~~~~!!!と思ったけど社長っぽいこと(カレー作り)もせず前と同じ仕事内容っぽい。

ケーキ屋さんのシーンぐっときましたね。普段結構ひょうひょうとしてて表情読めない人なのにあんな深刻に…言いづらそうに…。あのシーン一番わくわくしました。嵐の前の静けさ的な。これから何かでっけーことが起こるぞ!!!という感じがして。

いやーでも今や宮森がプロデューサーからね。ミヤPって呼ばなきゃ!

ずかちゃん

売れてんじゃん!!おいおい!!!順調じゃん!!と思ったもの居酒屋での反応であーとなる。ああいうの友達に見られるの恥ずかしいよね…。あんまやりたくないことなのに…。でも事務所じゃもう先輩で感慨深かったなあ。ずかちゃんにあこがれてる後輩なんかもいたりして。先輩っぽいお話してたりしてて。すごいなー。声優業界厳しそうだけどさらに4年後はどう生きてるんだろう。

先生との会話でいきなりエチュード始まるの観客信頼されてるなーと思った。TV版でもあったか即興劇ね!ってわかったけど初見だと厳しそう。

えまちゃん

広くてきれいな部屋に住めててほんとうによかった!!久乃木さん結構ちゃんとしてるな~ごはんもおいしそ~うらやまし~…とほのぼのしてたら作監ですかあ…!!めちゃくちゃ出世してるじゃん…。作監頼んだあとの「こういうのやめてね」っていうのも迫力出てて経験値積んでるぅ~たくましくなってるぅ!TV版のときから思ってたけどえまちゃんって案外気が強いというか主張はしっかりしてるよね。外見と声から受ける印象とギャップがあるからそう思うのかもしれないけど。今回作監やったときに「(えまちゃんが絵を直すと)線(絵?)が固くなる」って言われたとき反論してんのすげーなーと思った。私なら自分の絵に文句つけられたら「がんばります、直します」としか言えない…。

えまちゃんに限らないけどムサニ出て上手くやっていってるんだなあと思うと宮森の取り残されてる感あって悲しいなあ。

CGの後輩の女の子

よかった!!!

先輩に見せてって言われてるけど自分の実力不足でなんもできてない~~いつ終わるのかも能力不足過ぎてなにもわからない!!っていうのめっちゃ共感できるから後半の秘めたる力を開放するシーン自分の中で盛り上がりがあった…。あとかわいかった。

台詞ちょっとしかないキャラにも愛着が持ててこのアニメはほんとすげえなあ。

佐藤さん

クールビューティーお仕事できます系と見せかけてTV版でも方向音痴というギャップを見せてくれてたけど映画でも安藤さんがお手伝いに来てくれたときにきゃっきゃしててかわいかった。なんか後輩の女の子感あるな〜。

SIVA

いや~~~~みんな言いたいことは一緒だと思うんですけど…………。唯一ここだけはまじでなんとかしたほうがよかったんじゃないの?っていうのがこれなんですけど…。

やばくないですか?

まじでつまんなさそうでやばいですよね。この映画がヒットしてる未来が見えない…。SIVAは負けて終わりのバッドエンド(でも終わり方は明るい)なんだけどこれムサニにも当てはまるよなあ。昔のメンバーが集まって総力戦でいいもん作った!でハッピーエンドっぽいけど映画の売り上げは…ムサニの経営は…みたいな。売上はムサニには関係ないのかなあ…?いやでもこの映画の出来がよければもっと感動してたのは間違いないんですよ。作画的な意味だけじゃなくて、ストーリーとか、題材とか…。えくそだすの泣き顔修正のところ泣けたもん。よかったねえ、確かによくなったねえ…!って!あのシーンは監督キャラ愛語って熱量で押してたし。それに比べると今回はなんか制作シーンが全体的にドライというか、特に監督パッションあんまないし、制作現場のシーンもほぼ無かったのでなんかそういう熱さみたいなのはあんまり感じませんでした。時代かなあ?いい作品作るために深夜までがんばってます!!って今どきの受け悪そうだもんね…ブラック現場だ!!って言われそう。

あーでも今回「作り直しましょう」って言ったのは宮森なんだよね。それは成長…かなあ?昔の宮森なら言わなかった…かなあ?えくそだすのときは「ええ!?スケジュールうなっちゃうんですか!?」みたいなパニックみたいな感じだったよね?

キャラ女の子

ポスターにででん!と書いてあるほどには出番はなかった。私はこの子存在を一番不安に思ってたんだけど杞憂だった!!特別な扱いをされることもなく、でも新女の子キャラとして大事ポジションに収まってました。初登場時化粧濃いな~心読めないな~と思った次のシーンで全開で心開いてて好感度上がった。

新しい制作進行の男の子

かわいかった~~口調が固すぎるのはオタクからかまだ緊張してるからなのか…

名前も出ない(出てないよね?)ほどのキャラなのに噂好き特性つけてそれをストーリーに組み込んでるのすげえなあ

本田さん

太ったじゃん!!!え?TV版やせたままだったよね?あれ???わたしたち本田さんが返ってきてくれた!!!ありがとう!!!

ムサニ努めてた時と違ってすっげ~幸せそうで(若干うざがらみで)よかったね~~~となった。ケーキおいしそうだった…。どこでそのスキル手に入れたんだ?すげえよ。コラボカフェ本田さんのケーキ屋さんのモンブラン出して。

社長

社長…。それでよかったんすか?私経営のことはなんにもわかんないけど…社長が退いてムサニはよくなるんすか…?社長はいいんですか?ムサニやめちゃっても…!

描かれてない4年間が重たすぎて、2019年現在の状況から察するには「どうしてその状況になっちゃったんだ!」とか「それを判断したときどういう気持ちだったのかを見せてよ!」みたいなのがほんとに多いんですが(たとえばえまちゃんがムサニ辞めるときとかさ…アニメーターの方々はどういう順番で辞めて誰が見送ってそのたびどんな雰囲気になったのかとかさ…)他のメンバーはムサニやめても同業行ってるなかで社長だけは異業種だから特にさあ…。なんかTV版であったっけ?「社長カレーマジうまくて店出せますよ!」みたいなの…。でもにしてもさあ…。こじゃれた店出しちゃって…。社長も昔は熱意を持ってアニメ制作最前線にいたわけじゃん。どういう気持ちで辞めたんだろうなあ…。今TV版見返したら死んじゃいそうだよ私。社長アニメ人生がこんな形で終わっちゃうなんて…でも人生って案外こんなものなのかもなあ。

矢野さん

またお父さんが何かあったの!?それともアニメ業界やめちゃったの…?TV版に比べるとかなり出番少なかったなあ…。

舞茸さん

今回舞茸さんがストーリーかなり苦しんでましたね。アニメでは監督に助言したり先生的な役割しか見えてこなかったからすっごい人間らしくてよかったです。「師匠じゃなくて、商売敵だ」っていうセリフ今回苦しんでたのを助けてもらったからこその台詞でよかった。

宮森

宮森は今後どうなってくんだろうなあ…。なんかTVときから感じていたんだけど5人の中で唯一創作アニメに関わってないキャラなので、当然「人集めが好きだから制作やってます!」ってわけじゃないじゃないですか映画でもアニメが好き、アニメを作る人が好き!って言っていて、その理由でその仕事するのよくわかんないなあとずっと思ってたんですが、映画ラストを3週間で変更するってなったときに宮森が一番熱意あったのを見てアニメーターの人たちの頭の中にある一番いい状態アニメをこの世に生み出したい、そのための環境作り(人集めとか)を一生懸命やりたい!って感じなのかなと思った。

ラストホワイトボードにいろいろ書いてあったの見ると(一瞬すぎて全然わからんかったけど多分作品名が4個くらい)、今までは使いっぱしりみたいな感じだったけどこれからは宮森手動で企画を動かしたりしていくのかなあ。

 ・

アニメから4年経っての劇場版だったわけですが、また4年後にみんながどうなってるのか会ってみたいなと思いました。無理かな~無理だよな~でもこれでお別れだなんてさみしいよ!!!

アニメ最終回ときもさみしかったけどあのときはまあまだ劇場版とかもできるかもだしな~って思えてたけど劇場版2回目とか2クール目とかはなんかもうなさそうなかんじがするじゃん…かなしい…さみしい…

日曜日また見に行きます原画なに当たるかな〜女の子率高そうだから太郎引けるように(そもそも居るように)祈っとこ…

2020-01-22

anond:20200122114120

比喩的表現定量評価だと思ってしまガイジか?

100倍楽しいとかって定量的に100倍って言ってるわけじゃないんだぞ、1つ賢くなったな!

2019-12-20

anond:20191220084044

こんにちは通りすがり日本語警察です。増田さんじゃなくて済みません。

まず【――めく】は「接尾語」と言って、他の言葉(主に名詞)のあとについて動詞を作る言葉です。意味は「~のような状態になる」。よって

 「春めく/夏めく」=春らしい/夏らしい状態になる

という意味です。「きらめく」も、本来「綺羅(きら)」というのは外国から渡ってきたキラキラする布のことですから

 「きらめく」=きらびやかな服を着るようなきらきらしい状態になる

という意味になります

ときめく」は少し難しく、昔は、対象が「時機を得ている様子(絶頂期にある)」ことを意味する「時めく」だったのですが、時代が下がると「(そういう対象を見る側の気持ちが)どきどきする」ことを意味する言葉になりました。「○○さんはとてもときめいています(いまが絶頂期でとてもきらびやかな様子です)」が、「○○さんはときめきます」になり「○○さんってときめく!(見てるとどきどきする)」になるわけですね。こういう例は古文などを読んでいると時々あります。有名な例で言えば「情けない」など(本来対象に「人情がない様子」を表す形容詞だったのですが、時代が下がると「(人情のない対象を見る側の気持ちが)つらい」ことを意味する語になりました。)。

ですから、これもまた上と同じく、元々は接尾語「――めく」からまれ言葉なので、質問のお答えとしては「同じ」でOKです。

ちなみに、これを書くために調べていて、江戸時代には「めく」だけで「いかにもそれっぽく見える」という動詞用法もあったことを知りました。「あいつは『めかない』なァ(頑張ってもそれっぽくならないなあ)」みたいな使い方だそうです。面白いですね。

[追記]"めくるめく"の意味について

めくるめくのってのもめくったような状態になるってことなんだろうか。とおもってぐぐってみたけど目がくらむとか書いてあってなんか俺の知ってるめくるめくとちがってた。めくるめくってなんだよ警察教えてくれ (https://b.hatena.ne.jp/entry/4678900173722597602/comment/watarux

質問がありましたので追記します。「めくるめく」は「目がくらむ+めく」で生まれた語というのは、歴史的にはほぼ確実です。このため、現在も「目がくらむような」以上の説明をしている辞書ほとんどありません。では、ブクマさんの「俺の知ってるのと違う」という感覚おかしいのでしょうか? …いえ、そう簡単には解決したくありません。なぜなら、私にもブクマさんと同じ違和感があるからです。現在の「めくるめく」は、本義の「めまいがする」意味で用いられることはほとんどなく、主として転義である肯定的意味で用いられているように思います

では、いつごろからこうなったのでしょうか。

参考になるのは、大辞林(1988)の「(転じて)強い刺激を言うこともある」という説明です。その用例をみると、「めくるめくような日々」とあり、どうやら比喩的に用いられることで「強い刺激」の意味が生まれてきたことが推察されます

では、そのルーツは? 調べてみると、「めくるめく」が比喩的に用いられて今日見られるような意味を持ち始めたのは、現代日本語がその形を成し始めた大正期の詩の世界からのようです。たとえば次の用例に見える「めくるめく」の語の印象は、現代のそれにかなり近いように感じます

その豊饒な、杯から溢れ出すほどの過剰な美は、ことにその紅色の花にあって彼の心をひきつけた。そのめくるめくばかりの重い香は彼には最初接吻の甘美を思い起こさせるものであった。(「田園の憂鬱佐藤春夫大正7(新字新仮名に改めた))

このように詩の世界で用いられた比喩的用法が、その後徐々に一般化して、今日見られる形に近づいてきたた、ということではないでしょうか。

…と、ここまで書いてまた興味深いのは、「――めく」自体本来は「~のような」という意味であったという事実です。つまり今日の「めくるめく」の意味を生んだ「めくるめくばかりの」という用例は「~のようであるような状態」という意味になり、「重複」ですね。語の破格な用法がその意味拡張することの一例と言えるかもしれません。

2019-11-12

anond:20191112100512

それは防御陣地としての側面が「城」に近いからそう比喩的表現してるだけで、城じゃないだろ。

2019-11-06

萌え表現に「死ぬ」を使うこと

Twitterで女オタクさんが「推しの顔が良すぎて死んじゃう」って呟いたら凍結された、みたいなまとめを読んで。

萌え表現の為に軽率に「死ぬ」とか「殺してくれ」とか生死に関わる言葉選択することに違和感があるのは少数なのだろうか。

もちろん比喩的表現なのは理解してる、死ぬ気も殺される気もないのも。それほどに対象ときめき萌えて、いてもたってもいられない気持ちになって、それを表現したくなることもあるよね、わかるよわかる。そして最近オタク結構使われてるのも知ってる。

けど、そんなネガティブ表現じゃなくてよくないかもっと適切な言葉はないのか?と思ってしまう。もっとポジティブで大きくなった気持ち表現出来る言葉は沢山あると思うし、その方が萌元の物も嬉しいのではと思ってしまう。

あと、それで本当に万が一死んでしまったらどうするの…?とも思う。

自分自身日常会話の中でそういう言葉を使わないようにしてるというのもあると思うけど、やっぱり違和感

使っている人を叩くわけでも言葉を取り締まりたい訳でもないんだけど、同じように違和感ある人いるのだろうか?繊細オタクお気持ち表明になってたらごめん。

「かっこよすぎて死ぬ」「推しに殺された」

→拭いきれぬ違和感

推しレス貰って昇天した」「召された」

死ぬよりは違和感ない、ポジティブ表現から

死ぬほどかっこよかった」

めっちゃ、とか最高に、とかに変換できないかなーと思う。自分は使わない。

あー書いてて思ったんだけど、「悩殺」って言葉はもともと「殺す」って入ってるな…これは違和感ない…完全に個人感覚だわ

2019-10-27

[]ビーフケーキ

男性肉体美、あるいはそれをアピールしたピンナップ写真のこと。

もとは女性ピンナップ写真チーズケーキと呼んでおり(それ以前からチーズケーキは「柔らかな女性らしさ」を表すのに比喩的に使われていた)、それの男性バージョンということでビーフケーキになったらしい。

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