はてなキーワード: 散見とは
Twitter(現X)上で「ひよこババア」なる語がトレンド入りした。この語は「DLsite」において従来の「ロリババア」という語句がクレジットカード会社の要請にこたえる形で置き換えられるために用意された造語である。なお、あくまでDLsite側は置き換えを予定するものとしている(3月27日時点)。
さて、昨今インターネット上でアダルトコンテンツを中心にこういったある種の表現規制が散見される。このような規制の多くはクレジットカード会社からの要請、依頼に起因する。そのためTwitter上ではクレジットカード会社を非難しDLsiteを肯定するツイートが支持を集め、新たに改変された語句をネタとして消化するツイートが多く投稿された。しかし、私は以下の三つの可能性からこの改変は悪手であると考える。
今回の改変は「ロリババア」だけでなく、「ロリ」、「獣姦」、「痴漢」などの語句が改変予定が告知された。これらの語句はそれぞれ、「ひよこ」、「動物なかよし」、「秘密さわさわ」という語へ置き換えられる予定だ。
改変前の語が日常会話等において不適切なものであるということを前提として、これらの語が信用に重きを置くクレジットカード会社が避けたい語であるというロジックについて賛同こそできないが理解できる。問題はDLsiteが用意した改変予定の語にある。
おおよそ不穏当な言葉である改変前の語がマイルドな表現に改変されることは一時的な規制の回避にしかならない。そもそも、「ロリ」や「痴漢」という語をクレジットカード会社が拒絶するのはその語が気に食わないからではない。その語が意味するものを忌避しているからである。つまり、架空の児童を扱った創作物や動物虐待の可能性がある創作物、性的加害を扱った創作物の購入にクレジットカードを使用されることが彼らのリスクであるということだ。そのため、「ロリ」を「ひよこ」などと置き換えることは根本的な解決にはならない。おそらく、改変された語が定着するころにはその新たな語を規制するだろう。
さらに、この効果の薄い対策によって「本来アダルトコンテンツにアクセスすることを望まない人物」がアダルトコンテンツを目に入れるリスクを高めることとなる。従来の語はそれそのものがゾーニングの効果を発揮していた。「ロリ獣姦」と表示されていれば閲覧することのなかった人物が「ひよこの動物なかよし」では閲覧する可能性が高くなる。昨今の表現規制や表現の自由に関係する問題で度々提起されるゾーニングの問題を余計に悪化させることは創作活動を委縮させる一因となりうると考えられる。
『ざぁ~こ♡ 超ひどい閉じ込め合意なし』という題の作品、あるいはDLsiteのジャンル欄で列挙されるこれらの分かりづらい語が従来の言葉より購買の機会、あるいは意欲を減衰させる可能性は高い。
今回の事例を分かりやすくするために、人間の別の欲求である食の分野でこのようなことが起きたと仮定する。
「愛の林檎液体麦ゆで麺」とか「肥満骨引き延ばし麺」を「トマトソースパスタ」、「豚骨ラーメン」と認識できないことは間違いなくストレスであるし、アレルギー表示が「豆の種」、「救荒穀物」、「昆虫ねばねば」などと表記するようになれば間違いなく購買を避けるだろう。これと同じことがアダルトコンテンツで起きるようになることへの影響は大きいといえる。
この文章の題を「ひよこババアはロリババアではない」としたのはこれが理由である。「ロリババア」という語が不適切な語であるという議論は何度か起きてきた。ロリもババアも一般的に「良い語句」ではない(この場合の「良い」とは社会性やTPOといった面での良いであり、言葉に優劣をつけるものではない)。しかし、度々議論を起こしながらも「ロリババア」という語がつかわれ続けるのは広く大衆に知られた語であるためだ。そして、「ロリババア」という語と共に尊大で神々しく母性すら感じる精神性と未熟な体形からくる親しみやすくどこか幼い印象という質感が普及した。この質感の高まりは近年間違いなく最高潮に達している。数々の創作物で題材とされ、数多くの媒体を通して私たちは「ロリババア」を享受してきた。「〇〇じゃ」、「〇〇なのじゃ」といった文字列を目にした時に老人ではなくロリババアの声が再生される人も少なくないはずだ。DLsiteにおいて「ロリババア」は公式ジャンルの一つとなったことも記憶に新しい。
現実世界において「ロリもババアもいるのにロリババアはいない」しかし、「ロリババア」は創作物の中には確かに存在する概念なのだ。この概念は私たち人類が生み出して今日まで育んできた大切な概念なのだ。そのため「ロリババア」という語句の中には私たち一人一人が出会ってきた「ロリババア」が存在している。だからこそDLsiteをはじめ創作物と出会う場所で「ロリババア」という語句を見つけるたびに過去の体験の延長線上にある「ロリババア」を想起するのだ。この大切な「ロリババア」という言葉が「ひよこババア」に変わることは「ロリババア」という概念を消してしまいかねない。「ロリババア」が「ひよこババア」に変わることで今まで愛好家が一から築き上げた「ロリババア」像は崩壊し再構築される。その中で零落する概念が出てくることもあるだろう。そんな中で新たに登場した「ひよこババア」は今まで親しんできた「ロリババア」なのだろうか?
魅力的なキャラクターと出会い、それが「ロリババア」という言葉で言い表せる概念であると知って他の「ロリババア」を探す。そんな経験を積み重ねてきた私はこの愛着ある「ロリババア」を失いたくない。
冒頭で私は現在「X」と呼ばれるSNSを「Twitter」と記述し、そこで行われる投稿を「ポスト」ではなく「ツイート」としました。もし、これを読まれた方が「Twitter」から「X」への変遷を経験し、「ふぁぼ」が「いいね」に変わったという体験をしたのであれば分かっていただけるかもしれませんが、それぞれ改変前後でその概念に抱いていた感情や思考は異なるものであると私は考えます。かつて、歌に詠む「花」といえば「桜」ではなく「梅」を指していた時代がこの国には存在します。どちらも春に咲く花ですが、開花の時期も見た目も香りも違う全く別のものです。同じ字、同じ読みでも意味が変わることがあるのです。私は「ロリババア」は「ひよこババア」という呼称に変わることで、今まで「ロリババア」という言葉に内包されていた言語化しきれない美しい概念が失われて、いつの日にか私の愛した「ロリババア」が全く別のものになってしまうことを恐れています。そのため、このような文章を書きしたためました。
以上でこの文章は終わりです。ここまで至らない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
このような内容を投稿すれば必ず「代案を述べよ」という意見が来ると思っていたながら、その点について触れなかったことを謝罪します。
そして、代案についてですが、そもそもこのような問題はDLsiteに限った話ではなく世界規模で起きている問題です。このような大きな問題にDLsiteやFANZAのような一企業が抵抗することが現実的でないのは火を見るよりも明らかです。Twitter上で見かけるクレジットカード決済を停止することや、そのままの名前を使うことが不可能であることは理解しています。また、規制を強めているクレジットカード会社にも罪はないと考えます。というのも企業がリスクを回避するのは当然のことであるためです。そのため、クレジットカード会社を攻撃することも間違いであると考えます。
そのうえで、代案はこの問題の背景にある「現実の性加害=創作物内での性加害」という構造を打破する以外に対策は無いと思います。
「つるぺたババア」に改定案が変更されたそうです。とはいえ、「ひよこババア」でも「つるぺたババア」でも「ロリババア」とは異なるものであるし、懸念点を解消するものではないと考えます。
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
オッサンの巣窟であるはてなで利権だのお仲間だのって意見が散見して悲しい気持ちになってきたわ。多分こういう事言う奴って非正規だったり下っ端社員だったりで人を使う立場で働いたことがないんだろうね。
職位が上がるにつれ人をいかに動かすかが重要になっていくし、板挟みになってどっちも正解じゃない中で決断しなきゃならないし、自分でコントロール出来ない事に対して責任を持たなきゃいけない。付き合う中には嫌な奴もいるけど成果のためには我慢しなきゃいけないこともある。
自民はクソだけど成果を出さなきゃいけない立場の苦労ってのは理解できるんだと思うね。維新も大阪では与党だし。
だけど野党の左翼政党にはそういった責任者の立場ってのが無いんだよ。可哀想だと思ったら助ける、リソースはどっかにあるはず、副作用は知らん。この法案は懸念があるから反対、元の問題は懸念と共に無かったことに、とかね。
別に現役世代で積極的に自民を支持してる奴なんて殆どいないと思うぜ。だからこそ野党には頑張って貰いたいんだがバカの方ばっか向いて真面目に政権奪取目指してるように見えないから余計に腹立たしいっていうね。
数日前から「BLGL愛好家は同性婚の支持を!」「版権キャラにレインボーフラッグを持たせて何が悪いの?」等の話題が各所で散見されていますが、「当事者置いてけぼりの空中線になってるな」という印象です。こういう流れを見る度に、正直かなり腹が立っています。
ちなみに発端になった同性婚自体に関しては、「私自身は婚姻関係に興味ないけど、望んでる人たちが権利を享受できるようになったらいいよね」と思っています。
で、何がそんなに腹立つのかって話なのですが。
そもそも今世間で巻き起こっているLGBTフレンドリー活動は、お金儲けや企業のイメージアップとして利用している側面が大きい=マジョリティによるマジョリティの為のもので、そのムーブに適応できる一部の当事者しかピックアップされていない状況なんですね。
その中でも同性婚の話題は異性愛者にも感覚として伝わりやすいのでエモーショナルな注目を浴びやすく、それにより極端なセクマイ観が広まっていることに大変嫌悪感があります。
そしてタイトルの件。
人の性自認を「それはおかしい」と否定することはモラルに反しているとは思うのですが、女性オタクの中には別の問題から来る生き辛さを自分のセクシャリティに由来していると勘違いしている人が大勢いると体感しているのも事実です。
いわゆる一昔前に「生物学上は女」と言っていた人たちですね。
■ 性別違和は思い込み?実はそれ性別違和ではないかも…|https://iris-lgbt.com/blogs/gender_dysphoria
性別違和と混合されやすいのは、「男らしさ」「女らしさ」が嫌ってこと?という指摘です。性別という属性で「男らしさ」「女らしさ」を強制せずに、自分らしく生きていこうというのはもちろん望ましいことです。
ただしこのことは、性別違和のある感覚とはズレています(別の事柄ですから、同時に生じる可能性はあります)。
例えば「スカートが嫌」というとき、「スカートという女らしさを押し付けられるのが嫌」なのか、「男性なのに、女性だと見られるのが嫌」は違います。もし後者のように「本当は別の性別なのに、誤った性別で見られるのが嫌」だとしたら、きっと性別違和の強い状態なのだと思います。
上記のような混同をしている人が非常に多いように感じており、そういう人たちと我々は性質が全く異なるので残念ながら会話が噛み合わないし、SNSで見当違いの議論が発生しやすい状況になっています。
私はそれが非常にナンセンスだと思っていて、やるせない憤りを感じている訳です。
なので、「本当はセクマイではない」人たちが、共感力の高い(あえて悪く言うならば無知の)異性愛者を巻き込んで大盛り上がりしてるのは、実際の当事者は大分冷めた目で見ていますよ、ということを知ってほしいです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/articles/-/217102
この件について、またブクマカが得意のいっちょ噛みして適当なことぶっこいていたので、基本的なことを書いておく。
ごはんは多くない。おかずが少ない。
兵庫県川西市では2022年の9月から給食センター方式の給食が開始された。
ところがその3か月後の調査で残食が多いこと、特にごはんが多く残されたことが判明した。
その後、2023年の1月に市長と市内の7つの中学校の3年生らとの間で意見交流会が開催され、
そのなかでふりかけの持参を求める声が上がったため、教育委員会が検討のうえで2023年9月より条件付きで認めることとなった。
これに対し、一部市議が栄養バランスを壊すものとして強く反発した。
主に記事内の写真をみて、ごはんが多すぎるとのブコメが散見された。
しかしながら、川西市の中学校給食のごはん量は精白米で100g(炊き上げ後220g)であり、
これは学校給食の標準食品構成表に沿ったもので、中学生に向けた給食ではごく一般的な量であって、別に多くはない。
ラーメンやカレーうどんなどの麺類の日にも必ず米飯がついてくることを除けば、比較的普通の和食の献立であって、食育という観点からもおかしくないメニューに見える。
ラーメンライスやカレーうどんに追いライスをすることを教育するのか?って気もするが。
鰆の西京焼きに小松菜の味噌汁の日なんて、絶対うまいに決まっているので、献立がとりたてておかしいとは言えないと思う。
なお、完全米飯食なのに必ず牛乳がついてくることについてのブコメもあったが、日本栄養士会はカルシウム確保などの観点から牛乳をカットしないよう言っている。
先ほどの献立表を見るとわかる通り、800kcalを超えることはまれで、多くは650~750kcalとなっている。
令和5年度2月の献立の平均カロリー量は733kcalで、中学生に対する給食摂取基準である830kcalよりも100kcal程度不足している。
中学生の必要エネルギーを三食で割った場合の、四分位範囲(全体の半数が収まる範囲)は749kcal~1000kcalで、この下限さえ下回っている。
2月20日の629kcal, 27日の642kcalに至っては、小学校中学年の基準にも満たない。
実は去年、徳島市の市立中学校で、国基準を下回るエネルギーの献立を提供していたとして問題となったことがあるのだが、その時は平均776kcalだった。
https://www.sankei.com/article/20230725-AEPHKYSBWFJS3FI7UKP2UIVKZE
そのことを踏まえてみてもわかる通り、川西市の中学校給食のカロリー量は明らかに少ない。
献立表に記載されているごはん量はごく標準的なものであり、たんぱく質量もまあちょっと少ないくらいの量(平均26.7g)なのにカロリー量が不足しているのは、おそらく脂質が足りていない。
ともかく、そもそも完食してもカロリー量が足りないのに、そのうえ食べ残しが多いとなると…。
上記の通り、給食のカロリーは不足している。給食外で多く食べないと必要量を満たせない。
そのことを考えると、ふりかけがどうとか給食の栄養バランスがとかいう水準にない。
朝練をする運動部の生徒が登校中にこっそりパンを買って忍ばせてきても文句を言えないだろう。
とはいえふりかけ許可後も残食量は減ってないので、積極的に擁護する気もしない。
もうちょっと上。国が関与して殺した
すでに他でも炎上してて青息吐息のボーイングだけど、今回死んだ人の告発がいちばん芯に近いところを食ってた
非常時の酸素供給マスクについては公的にも告発が真と認められている
告発者はボーイングの製造ラインそのものの欠陥も指摘してて、そこが公的に真と認められたら、ボーイングは完全に向こう数年は身動きが取れなくなる
737MAXだけでなく、全ての旅客機の生産ラインが動けなくなり、エアバスに無抵抗で市場を明け渡すことになる
アメリカとしてはそれは拒否したい、一方で世界のデファクトスタンダードを担うFAAが公正を欠く判断を下すわけにもいかない
まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。
泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。
泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。
『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えのソースも不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコかクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。
「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀を管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。
この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。正確には唐代の注釈(後漢書李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。
三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻
と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、その頃には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。なお先述の『異物志』も唐代、『能改斎漫録』は南宋代、『夜航船』は明代の書物である。
で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、古くは『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話が併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。
現代中国のネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタが散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。
ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。
ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。
さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。
中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源を説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか。
もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである。
ゲームセンターで稼働しているボンバーガールというタイトルについて文として残すべきだと思い書き込む
本題としてこんなユーザー同士でもめ事起こしまくっているゲームは今の日本の環境下において最後とも言えるので
忘れないように書き込んでおく、こんなことがあったんだ程度に思って欲しい
まずゲームの説明やゲームのジャンルの話があるので※があるところまでこのゲーム知っている人は読み飛ばしても何も問題はない
ボンバーガールとは5分の制限時間の中4対4でボンバーマンと同じくボムや各キャラの固有のスキルを使い
相手のベースを攻撃してゲージを0にして爆破するか制限時間の中でどっちのチームのゲージが多いか競うゲーム性である
ボンバーマンとLOLやOW等のMOBA要素を合わせたゲームでありゲーセンというコロナ前でも衰退しつつある場所で大うけしたゲームだ
知ってる人は知ってるがチームバトルというのは人を変化させる、スプラトゥーンやヴァロラント等で配信者が発狂してたりスプラトゥーンやってる子供の口調が悪い等の報告が出たりと
兎にも角にもストレスが溜まる
しかもボンバーガールはアーケードゲームなので一回プレイすることに100円かかるのである
想像してほしいのだが一回100円かかるゲームで自分は完璧にプレイできたのに何も知らない他人の味方のせいで負けに導いてくるのである
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まずは稼働初期での話
ロケテストで大して期待されていなかったのだが脱衣とゲーム性と詩織バグによって話題性が出てかなり人気作になった
しかしとある機能が問題視されるようになった、それはバースト機能という店内でいるプレイヤー同士でマッチングする機能だ
これによってチームを組んだ4人と場所も別々な4人が対戦するということが起きた
中には「チーム組んで優位になってる奴を倒す喜び」を持ってる人もいたがマップによっては絶対に勝てる編成があったので不満を持つプレイヤーが出てきた
それによって「チーム組んだところはチーム組んでるところとしかマッチングしない」というシステムに変わったのだが
なんと「チーム組んでる人がいなかったらチームを組んだ4人のみでマッチングする(敵はCPUなのでランクが上がることはない)」という仕様になっており実質的にバースト機能は死にゲームの寿命が短くなった原因の一つである
ちなみにバースト機能が死んで今までバーストでランクを上げてた人はゲームを辞めずに野良でやっていたのだがランクが上がったりバースト機能が死んだときのランクを維持してる人もいたが
人によっては負けが続き最終的にランクが2つぐらい下がった人がいる、もちろん陰でバカにされた
次は煽り問題があった、今でこそ下位帯と中尉帯上位帯など分けられているが昔はスターA~マスターAとかなり幅広くマッチングして
バースト時代が終わり野良とマッチングするようになると知識の差が物をいうゲームシステムなのにゲームの情報や知識が乏しく
知識を入れて上手くなるのはWIKIでは足らずツイッターで人と交流しないと上手くなるための知識が得られない状態であった
なので煽られるというのは起きて当たり前であり不快感を示すプレイヤーも多くいた
ちなみに今も煽りをする人は数多くおりなぜか上位層より中位層に多い
問題点としてゲームのキャラの着せ替えが充実しておりそれらを手に入れる為にはオンラインバトルをしないといけない為
いわゆるガチ勢とエンジョイ勢(笑)が住み分けが出来なかったのが一つの原因である
例としてこんなことがあった
・そもそも煽りが横行しすぎていてゲーム内で煽るだけならそこまで注目されない
・煽りや捨てゲーを繰り返しすぎてBANされるが新しいカードを作りそこでも煽りや捨てゲーする人が結構いた
・東京や大阪など都市部のゲーセンには大声でキレてる人も散見された
・ツイッターで○○の店舗がラグいとか○○っていう人ラグい等を一生言ってた人がいた
・とあるキャラの全一が女性プレイヤーに対して煽ってそれに対して泣いたのでプレイヤーでもある彼氏ががツイッターで本人にマジ切れ
・煽りプレイヤーとして有名な人がゲーセンで盗撮されてツイッターにアップロードされる
・互いに煽り行動してたり捨てゲーしてる人がリア凸して警察沙汰になりかけた
・あまりにも煽りを繰り返ししすぎて店のPOPに注意として書かれる
・煽りや捨てゲーしているという理由で店舗に電話しまくった結果出禁になったプレイヤーがいる
・晒しスレに乗り込んだ人もいた、今は地元の人全員に嫌われてどっかに引っ越した
・PC版において最初は月額課金でプレイ可だったが無料になってから民度が悪化し、なぜか切断が許される風潮が出来た
もちろん切断されるようなプレイヤーも切断するプレイヤーも無料になってからプレイする人たちばかりだった
特にトップ層のプレイヤーが狂ってるのが目立っておりツイッターをやって上手くて人に文句言わない人は1%ぐらいしかいなかった
トップ層がどんな感じだったのかを書いておく
・全然関係ないのに首を突っ込んで仲裁をしようとする煽りプレイヤー
・捨てゲーに対してすごく厳しく人権ないとか、すごく許せないと書いていたがいざ自分が捨てゲーすると言い訳しまくってその後いろんな人をブロックして逃げた
・店で配信していたがあまりにもプレイヤーに対して大声で暴言を吐きまくっており地元の人間に言われても改善をしない上店に電話されまくって店員にも注意される始末
・グリッチ技を使用しているが「対策方法がある」「そもそもその状況をするのが弱い」などと言い訳しているが自分がグリッチされたらキレる
・最強と言われていた人が味方が弱すぎて捨てゲーしてそれを咎められたら「動いていても関係ないぐらい圧倒的に負けた」と言い訳するちなみに過去の発言を蒸し返され引退した
・弱いプレイヤーを晒すアカウントを鍵垢で作り弱いプレイヤーをガイジと呼び仲間内で共有してた
・ディスコードでマスA最弱プレイヤーを提案するという名目で弱いプレイヤーの議論していた
・とあるプレイヤーがグリッチ技を技術といい始めそのグリッチ技が将棋と呼ばれ始めた
一貫して言えることは喧嘩する場所がSNSでありリアルで揉めるということはほぼないことである
もちろんゲーム内でおかしな人でもリアルだと普通を装える人が大半である
リアルや会話しておかしい人はランクが低いことが傾向としてある
・サブカと煽りが有名な人が有名プレイヤーにリアルでオフ会等で近寄ろうとしたが無視されまくった
・ユーザーが作ったコミュニティでアスペとADHDが同時に患っていると自称してる人が病気を連発しまくってコミュニティ崩壊
もしかしたら追記で書くかもしれないがここの項目は少なくて済まない、書ける事自体はあるのだが内容が内容なだけに匿名でも流失経路が限られるなどがある
こんなヤバいやつらが集まるゲームはこれが最後だと思っているしそう願っている、後は追記として思い出したら追加でもしようかな
ちゃんと理解できてるの数人しかいない。100分の1とかそういうレベルじゃん。アホしかおらん…
shinonomen タイトルしか読んでなさそうなブコメが散見される。米ISM製造業指数(景気指数)とS&P500(株価)の大きな乖離が続いているのは2000年以降3回しかなく、過去2回はいずれ両者が収束したことをデータで示されている。
yamamototarou46542 この記事でアメリカ株やアメリカの景気の話をせずに日本の話ばかりしてるのは、記事を読んでないか、アメリカのことがまるでわかってないとか、記事なんてどうでも良くて自分の話したいことを話すとかそんな感じ?
augsUK 日本の株価は話の枕に過ぎず、中身はほぼすべて米国の話をしている記事なのだが。ブコメの大半はタイトルしか読んでないのでは?
断言してもいいが、ほとんどの人間はこの記事が何を言ってるのか全く理解できずにコメントしてる。
なんで素直に「何を言ってるのか分からなかった」と言えないのだ。頭が悪いだけじゃなくて自分がわからないことを認められないって老害じゃねえか。
はてなの連中の知識が貧弱すぎるのは社会に出てからろくに勉強してこなかったんだろうとわかるが
さすがに文章をまともに読む気すらないなら黙って立ち去ることくらいできないのか?
中途半端に知識があるこういう人もいるが、金融相場サイクル(逆金融相場→逆業績相場→金融相場→業績相場)なんてのは初歩中の初歩の知識であって
そのくらいは前提知識としてみんなわかってることが前提で、それでも今の株価の動きはどう捉えるべきか、という話をしてる。
muchonov 問いの立て方自体が倒錯してる気もする。現代では景気(≒実体経済)と株価(≒金融経済)は金利政策への応答を介して事実上の逆相関関係になってきてて、「景気が悪い〈から〉株が高い」のでは?
高校生の講義にもぐりこんだ小学生が、自分の知識を披露しているみたいで見ていてとても恥ずかしい。
記事の書き手と自分とどっちのほうが賢いか全く見極める力がないのって北斗の拳のやられ役のモヒカンじゃねえか。
ai_math_running 何を見たいかによる。それぞれ異なるものの指標だから。株価は上場企業の業績と成長期待の指標で、景気の指数とは異なるだけ。/ まぁだから上場企業が取引先や従業員、公共機関などに利益を還元していないと言う事ね
こういうのも「わかってないのにわかったふりをしたいだけの逃げ」だ。少なくともこの記事をよんでそういうコメントをするやつは小論文では0点だ。
普段はこいつらバカだなあwww ろくな教育受けてこなかったんだろうなwww って微笑ましい気持ちで見れるが、
お前ら下々の民は芸能や政治ネタで浅い知識と妄想を語って満足しておけばいいんだよ。
四足歩行のサルが二足歩行をすることによって、サルはヒトへと進化した。
歩行に使っていた前足は腕となり、物を作ったり運んだりするのに使われるようになったことが進化の要因なのは言うまでもないだろう。
しかしながら、代償としてヒトは歩行(走行)速度を失うことになってしまった。
最速の霊長類はパタスモンキーで、時速55kmで走ることができるのだ。
巨体で鈍重なイメージのあるマウンテンゴリラでも時速50kmあるのだ。
一方でヒトはそれに比べると遅く、ウサイン・ボルトでも瞬間最高時速は44.17kmでしかないのだ。
ヒトが走行する際に両腕は単にバランスを取るだけに動かしているのと比べて、他の霊長類は前足で地面を蹴って移動しているから当然と言えよう。
ヒトがすでに四足走行を試みていることは知っている。
以下の動画は四足走行の世界大会の様子であり、ギネス記録にも認定されたとのことである。
https://www.youtube.com/watch?v=epxVWHgtwlo
ヒトの新たな可能性への挑戦に敬意を表するが、私が望む四足走行とは少し違う。
動画の方法では、骨・関節・筋肉の負担が大きく、速度も二足走行に比べたら遅く、頭を下げているので視認性も悪いと、デメリットが多いからだ。
私が望むのは、二足歩行と同様に背筋を伸ばし、両腕を何らかの手段で延長して地面を蹴って(押して?)移動することである。
杖(トレッキングポール)を両手に持って登山を経験した人ならわかるが、杖を地面に押し付けると両足の負担を軽減できる。
これは上りや下りの坂道に限ったことではなく、平坦な道でも杖の恩恵はあるのだ。
杖で両足の負担を軽減させながら歩けることはもちろんだが、両足の負担をそのままにして杖で速く歩くことも可能だ。
一歩地面を蹴り出した直後に杖で地面を押し突けることで、歩幅が大きくなって速く歩けるのだ。
杖を使ったとて、両腕の役割はあくまでも両足の補助でしかないからだ。
アシストスーツや強化外骨格とも呼ばれていて、人間が着用することで筋力を増強するようにアクチュエーターが作動して、重量物運搬など人間の動作を強化することができるのだ。
このパワードスーツと杖を組み合わせることで、四足歩行が実現できるのではないか?
既存の杖やトレッキングポールを杖1.0として、四足歩行が可能となるような腕が延長されたパワードスーツを杖2.0と呼ぶことにする。
この杖2.0を利用しながら両足でも通常通り歩けば、歩行速度は2倍の時速8kmとなるのだ。
走行速度ももちろん2倍になり、50mを8秒台で走れる人ならばウサイン・ボルト超えの速度になるのだ。
ウサイン・ボルトが杖2.0を使えば瞬間最高時速は88kmになるだろう。
いや、さらに上も目指せるだろう。
人間は走行時に背筋(せすじ)をまっすぐに伸ばすだけで、腹筋も背筋(はいきん)も推進に全く使っていないのだ。
陸上動物で最速なのはチーター(時速120km)であり他にも猫科の動物は速く走れるが、猫科の動物がなぜ速く走れるのかと言うと腹筋や背筋を大きく伸び縮みさせることで推進力としているからだ。
杖2.0でも腹筋や背筋を走行時の推進力とするようにして、さらにその筋力をアクチュエーターで強化すれば時速100km越えも可能になるだろう。
高速道路を車やバイクと一緒に、杖2.0を装着した人間が走っているのだ。
烈海王(バキシリーズ)のように水上を走ることだって可能になるはずだ。
それにしても、アクチュエーターによる筋力増強もなくさらに人を一人背負って水上を走る烈海王は、漫画とはいえすごいものだ。
閑話休題。
走行速度の速さを追求することはさておいて、この杖2.0が登場したら自転車以上に便利な移動手段になることは想像に難くないだろう。
あくまでも杖だから電車やバスの中にも持ち込むことができるし、店の中でもオフィスの中でも利用できるのだ。
現在歩行機能が衰えた人は杖1.0か電動カートを使うかの二択だが、そこに新たに杖2.0という選択肢も出てくるのだ。
技術力が向上し大量生産をするようになったら、杖2.0は電動カートより廉価に提供されることだろう。
現在、杖1.0は老人や身体障害者やケガ人が使用する物というイメージが強い。
登山をする人で杖やトレッキングポールを持っている人でも、日常の歩行では使うことはないからだ。
しかし杖2.0が登場することで、杖はカッコいいアイテムへと変化するのだ。
杖2.0が登場するにあたって社会に軋轢が生じることも想像に難くない。
「杖2.0を装着している人は歩くのが速くてぶつかると危ない。よって規制すべきだ」
といった具合にだ。
しかしながら杖2.0は若い人だけでなく、老人たちにとっても役に立つ道具なのだ。
杖2.0の使用に免許を課そうとしても、老人たちが政治団体を通じて反発するだろう。
未来の世界でも老人は多数派を占めているので老人票は強いのだ。
杖2.0に対する世論を受けた国会審議の結果どうなるのだろうか。
おそらくだが、杖2.0に関しては何の規制もなく、代わりに自転車運転が免許制になることだろう。
「杖2.0はあくまでも歩行や走行を補助する物であり、歩行や走行の結果他者に危害を加えたとしてもそれはその人の責任であり、免許で規制をするのに適していない」
「アクチュエーターによる増力は制限があり、速さにもある程度の上限があるので、速度上限の無い自転車よりは安全だ」
「それよりも自転車を免許制にすべきではないか。ヘルメットの装着が義務化されてから何十年も経つのにいまだに着用しない人は大勢いるし、危険な運転も散見されるからだ」
といった具合にだ。
電動キックボードの国会審議の結果、電動キックボードにヘルメット着用は義務とならずに代わりになぜか自転車がやり玉に上げられて、自転車運転時のヘルメット着用が義務化されたことを思い出してほしい。
杖2.0の登場にあたっても、同様に自転車がやり玉に上げられることは想像に難くないはずだ。
こうした杖2.0が登場する未来を近づけるためにはどうすればいいのだろうか。
杖2.0が現在のところ存在しない以上、杖1.0を使って街を歩き杖の優位性を世に知らしめることだろう。
しかし、約30歳かつ健常者の私が両手にトレッキングポールを持って大股で歩くというのも変質者じみている。
歩行速度のわずかな向上と引き換えに、行き交う人の信頼を大きく損なうことになってしまう。
変質者となるだけならいいが、人込みの多い駅やショッピングモールだと杖1.0は邪魔になりそうで、周囲の人にも迷惑をかけることになるからダメだ。。
それに両手で杖を持つと荷物が持てなくなるのもよくない。
杖2.0なら必要に応じて腕を縮めたり折りたたんだりするから邪魔にならないし、荷物を引っかけるフックがあって便利となるはずなのだが。(願望)
杖1.0が使えるのは公園くらいだろうか。
しかしながら、公園で杖1.0を使っても歩行のリハビリにしか見えない。
杖1.0を利用することはさておいて、ひとまずはこの文章を公開して杖2.0の理念を広げることとしよう。
ああ、杖2.0よ。
四足歩行の夢はまだ遠いなあ。
いっそのこと杖を持たずに、上記の動画の様に手袋を付けて街を四足歩行してみようか。
いや、それこそ変質者だ。
タイトルの通り、ヤリモクやクズ面白い男たちを観察した備忘録。
当方女。29歳でバツイチになり30歳まで3か月ほどあったため、その間だけ遊ぼうと思ってチャットアプリに登録した。
男を釣るため、自分の顔をAIに読ませてほんのり面影の残っている美女を作成。男性陣が好みそうな焼肉、お寿司、ラーメンの写真をプロフに載せた。
私は地方在住だが、母数を多くするため居住地を東京都在住に変更した。基本ヤリモクとは会う気はなかった。
その中でアプローチをかけてきたヤリモクたちやクズを紹介する。
①ストレートきんたま男
このタイプは性欲を何も隠さない。きんたまが喋っている。ある意味話は通じないので楽。
「やろう!」「今夜空いてる?ドライブ行こうよ」のほか、チャットしてすぐの下ネタや謎のSEX自慢が始まることが多い。
・手当たり次第にチャットを送ってる(と思われる)消防士がいて、自分の体力とペニスの大きさ硬さの自慢しかしてなかった。20代後半なんだからもう少し自慢できる事柄を増やしてほしいなと思った。
・「くんにちは!」などのキショい挨拶や、名前とアイコンを女性ににしてセクハラ質問を投げるおじさんがいる。
・「セックスで女をメスにするのが好きなドSなんだけど興味ある?」という男がいたので、「それじゃ合わないね、私も男を雌犬にするの好きなんだ」と返すと
「そっちにも興味ある」とすぐに鞍替えしていた。ドSどこいった。
・年上のお姉さんに責められたい願望があるやつ多い。
②ホスト/女風
ホストは年齢に合っていないブランド品をつけているので概ねわかる。ノリが軽く話しやすいが、営業掛けられるのは怠かったのでスルー。
女風のキャストは比較的礼儀正しいしさわやかな印象の人が多い。初動では女風とは言わず「アロママッサージやリンパマッサージが体験無料です!」と売り込みをかけてくる。
正直マッサージはしてほしいが、お金払って同性のプロにお願いして適切なマッサージを受けたい人間なので身元の分からないのはスルー。
たまに元AV男優っていうのも混じっている。
③35歳以上/既婚者
何故か男性の年齢が35を超えてくると名前でわかるようになってくる。
35歳過ぎてチャットアプリやってる人は大体既婚者か変質者である。
絵文字ではなく顔文字を入れてくるがそれはせいぜい15年くらい前の文化で、文面が古いことに気づいていない。
本当かどうかはさておき、彼女募集中という設定の男。大半はこの層。(というか③→①とか流れの人が大半。)
一方的に趣味の写真を送ってきたり、女の理想を語ってくるなどモテないだろうな…と感じる人や
会話をしているうちに、だんだん化けの皮が剥がれてしまってヤリモクっぽさが滲んでしまう人が多い。
クズ度の高い人は「付き合いたい」「可愛い」「好き」「結婚しよう」とか会ってもないのに言いがち。
クズ度が比較的低くても、話を広げようとしなかったり最終的につまらないと感じてしまう人が多い。
きんたまストレート男たちよりは多少マシな気がするけど…似たり寄ったりか。
たまに真剣度の高いマッチングアプリだと本当にいい人がいたりするけどかなり少数だと思った方が良い。
⑤誠実系クズ
厄介度No.1。ぱっと見まともに見えて楽しい時間を過ごせるが、人間として一番信用できないタイプ。
言動に余裕があり普通にコミュ力があるので、魅力的に見えやすい。連絡がこまめ。
通話をしてみると、共感が多く聞き手に回ってくれるので心を開きやすいが、そう見えるだけで大して何も聞いていない。
ちょいちょいヤレそうな女かのジャブを打ってくる。
通話終わりに「楽しすぎて、会いたくなっちゃうね」等の言葉で女性側の感情を高め、会おうと誘導するパターンが散見される。
だいたい2年くらい付き合っている彼女に飽きてセフレ探しをしている男が多い。
女性慣れしていて、会話で女性側を気持ちよくさせる技術は持っているので、見極めに少し時間がかかる。
ホスト等は商売で甘い言葉をささやくが、この手のタイプはナチュラルに人を騙すことに抵抗がないなのである意味人として一番危険かもしれない。
彼らと話していると、個人的に「クズに遊ばれるよりクズの本命になってしまう方が悲惨だな」と感じる。
女性の扱いが上手い分本命とも上手くいくのだけど、結局自分のことしか考えておらず彼女すら平気で裏切ってくるからだ。
クズは一時的に寛解するかもしれないが完治はしない精神疾患だと個人的に思っている。
まだほかにいろいろな人がいるとは思うが、私がチャットや通話した人たちはこんな感じだった。
読んでくれてありがとう。
その人には私からアプローチをし、私から食事に誘った。女慣れしていなくて受け身の人だったが、今はとても大切にしてもらって再婚も決まった。
最近の記事を散見するに、ニフティや東急が自由にやらせてたつもりだったのに、独立するまで実際にはできなかったことは、
「お金出してくれてる親会社の関連企業じゃない企業を応援してしまうかもしれない記事を書くこと」
いやもっというと
「お金をもらって記事を書いてるのにお金出す人の競合とかを応援宣伝してしまう記事を気づかないうちに書いちゃうこと」
なのかなあって思った。
典型的にはサラダ館の記事だ。取材前には規模は見えないが明らかに特定地方ローカルとかではなさそうで、調べてるうちに「それ東急じゃなくて小田急の関連会社です」ってなったら記事公開前に東急にお伺い立てて「書いていいっすか」みたいなご迷惑がかかっちゃう。
そういうことをしないっていうのが編集長が通したい筋だったのかなあって思う。