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はてなキーワード: あまつさえとは

2018-11-19

anond:20181119200911

から任せてるだろ嫁に

俺は別に女が過酷現場単身赴任転勤族になりたがらないのを悪いとは思っちゃいないんだ

お前が言うように女は特に子供関連になれば制限が付くから

男は子供を産めないのだから当然だ

男は女よりも身体が強い、戦争にも行く、昔から過酷現場に身を置いている

これは別に保守思想に染まって言ってるんじゃない

身体特性として戦わせるのなら男に任せるし、過酷現場があるなら男を突っ込む、そういう話をしているんだ

だが平等だの自由だのを訴える連中はこういう部分を極論だと言って聞く耳を持たず、極論と言わない連中は極少例をもって反論した気になり、あまつさえ、いわゆる3K職のことは大抵の場合は無かったことにされる

家庭だろうか仕事だろうが本来は個々の事情があるはずだ

その本来あるはずの個々の事情無視して自由だの平等だの言うのは愚かだと俺は思う

2018-11-13

不思議の国の主張

旭日旗ハーケンクロイツと同じだ!世界人類に対する戦犯の旗だ!戦犯旗だ!」って散々旭日旗の時吹きあがってたわけじゃないですか、南鮮の皆様?

まあ、つい最近から急に言い出した、とか、前提がそもそも狂ってるとか、まあまあ寝言なんですが、寝言を言う自由もあるよね(もちろん寝言に、それは寝言だという自由もある)。

あまつさえ国内進歩的な皆さまこぞって、この寝言にその尻馬に乗って、御賛同の上、大喝采してたわけじゃないですか

それで、なんでSS戦闘かぶたことをうやむやにしようとしてる訳?それ、君たちが主張していた、世界悪なんだぜ?つまりナチス戦犯だって、単に日本たたきの踏み台だったわけ? ほんと歴史を忘れる民族やね。

狂人妄想にも、狂人なりの論理一貫性ってのがあるのが普通なんですよ。それ以下じゃね?

2018-11-05

オタク叩きしてるフェミって

性欲を煽るために作られたわけじゃないものに性欲を感じてあまつさえそれを表明すんな!ってのがフェミの基本路線だと思うんだが、性欲を煽るために作られたものに噛み付いて何したいの?

もう繰り返すのは辞めないか

当方現在40代

情報化社会への移行へ機敏に反応し、小学生の頃には既にパソコンを導入している家庭で育った。

青春時代パソコン通信インターネットと共に過ごし、本来意味ホームページ、そして設置される電子掲示板、今からすると低機能チャットでのコミュニケーションアカデミック分野の人間ではない普通義務教育過程学生としては比較的早期に体験していた。

ちなみに通信を介した今で言うオンラインゲームで一番最初体験したのはメールでの将棋である

幸いにも、当時から通信上で懇意にして頂いていた先輩諸兄とは現在でも繋がりがあり、一部の方々は当方結婚式にまで参列して頂けるという、最早通信上の知り合いと言うには些か語弊があるような関係を持たせて頂いている。

当方コミュニティ最近使われているコミュニケーションツールSlackDiscord・Mattermost・Mastodonだ。

チャットツールが3つもあることに疑問を持つかもしれないが、プライベートな基本コミュニケーションの中心はMattermostであり、いわゆる「つぶやき」をするマイクロブログMastodonが用いられている。

Slack業務に使う者もおりプライベートではMattermostのサブ的な使われ方をしており、Discordコミュニティの中で何らかのオンラインゲームをするときボイスチャット環境として用いることが多い。

ここで多くの方々が「LINEFacebookは利用していないのか?」と思うかも知れない。その疑問への答えとしては「アカウントだけは持っている」というものだ。

いや実際、一時期はコミュニケーションの中心にはFacebookがあった。XMPPを解したしチャットツールFacebook Chatを用いていた。

日本Facebookが紹介されるようになりユーザ数が増えると当方コミュニティは居心地の悪さを感じてTwitterへ移行し、日本での第一Mastodonブームの折、完全にMastodonへ移行してしまった。

様々なサービス漂流することになってしまったが、当方コミュニティが感じていた居心地の悪さの最大要因は「ITリテラシー格差である

当方コミュニティパソコンを用いた通信の発展を見てきたコミュニティだ。

度々起こるインターネットコミュニティでの諸問題を遠巻きながらも目にし、世代交代のためかそれら諸問題が起きたという事実継承されず、何度も何度も同じような問題を目にしてきて非常に疲れた

例えばTiktok問題視されていることの殆どニコニコ動画経験したことどころか、メル友ベル時代に起きていたことだ。

しろ当方コミュニティメンバーの中には「ペンフレンド時代にも似たようなことが問題視された」と言う者も居り、その時代経験していない当方は詳しくないが、卑猥写真を郵送させるなどの問題があったらしい。ペンフレンド宅へ家出する青少年も居たと聞いた。

「当時とは時代が違う」と言うのは容易い。しか当方コミュニティから見ると「またか・・・」としか言いようがない姿に見えてしまうのだ。

当方コミュニティでは過去草の根BBS2ちゃんねるニコニコ動画オフライン上でも保護者会やPTAなどでもインターネット認識や使い方などを訴える活動はしてきた。

情報化社会の中で子供たちへ「携帯電話を持たせない」「インターネットを使わせない」という成長を生まない極論地味た思考停止手法は推奨せず、子供たちへインターネットメリットデメリットを伝えて将来のために活用していこうということを基本方針として伝えてきたつもりである

しかしそれでもなおインターネットでは諸問題が起き、それへの対策が○○の禁止という当方コミュニティ努力が何も実を結ばないという結果を見ることになった。

当方コミュニティはいつも言う「あなた達の世代インターネットで失敗したはずだ」「あなた達はなぜインターネットで失敗したのか?」「当時の感情を思い出し、あなたの子供たちの感情理解を示すことはできないか?」「理解を示して子供たちと話し合うことはできない?」と。

子供だけではない。

NIFTY-Serveゲリラ的に他者の揚げ足を取ったり、オフラインでは無かったことにされるような失言へ対して人権問題だと騒ぎ立てBBS空気を悪くしたり、特定人物へ異常なまで固執Eメール送信しまくったり、あまつさえ失言録のようなWebページ作成して晒し上げたりなど、今でも通ずるような悪意を当時から振り撒かれていた。

当方コミュニティはそんな悪意をもう見たくはない。そんな無理解を見たくはないのだ。

情報化社会当方コミュニティ過去に夢見た時代へ少しずつでありなからも進んでいる。あらゆるもの通信によって連携し人々の生活を豊かにしている。

しか当方コミュニティが見た夢の中には繰り返される悪意などなかった。問題が起きても人と人が協力しあって解決するだろう。すべての人が通信によって繋がれば大きな集合知によって解決されるだろうという夢であった。

「またか・・・」と感じ、どうにか解決できないか?と動いているコミュニティ当方コミュニティだけでないと信じたい。

そしてどうにか繰り返される悪意を無くす協力をして欲しい。

国連真実を指摘する記事が歪める福島真実

この記事

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20181104-00102874/

本論は啓蒙であるが、例示が正しくない。


まずは科学事実からということで、福島県放射能測定マップを見て欲しい。

http://fukushima-radioactivity.jp/pc/


2011年2018年マップを読めば

原発事故当時と比べて放射線量が高い地域は大幅に減少している

放射線量が高い地域もまだごく一部存在している

という2点が読み取れるだろう


リスクある原発の廃絶という目標」を言い訳にして前者を無視すること、あるいは「福島被災地域の復興という目標」を言い訳にして後者無視することはどちらも科学事実に反する間違った態度であると言わねばならない。


記事冒頭に挙げられた「年間20mSvを下回るがまだ線量の高い地域重要部分なのに記事では省略されている)に子供妊婦を帰還させるべきではないという国連特別報告者報告」と「被爆による疾患の増加は有意に見られず出生時異常の増加もないという予測を述べた原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)報告」は何ら矛盾するものではない。

石戸記者は前者は「被爆リスクは高い」後者は「被爆リスクは低い」だから矛盾すると雑な論理を展開しているが、前者と後者は同じ福島でも全然違う場所の話をしていると考えねばならない。

なぜなら後者放射能の高い地域から避難が(比較的)迅速に完了したことによる結果として健康被害がなかったという話であり、暗黙の前提として今後もわざわざ危険地域に入って過剰な放射線を浴びに行ったりはしないという考えによる予測であるからである。極端な例を考えれば、「福島安全になった」という雑な考えを持って事故の起きた原子炉建屋の中で長期間暮らしたりすれば当然健康被害が出ると考えられる。

国連を全て一緒くたにしはいけないという指摘をする記者が、福島という地域を雑に一括りにして「安全」という評価を下してしまうのはとても残念なことである福島市も公的避難は行われていないし、会津などにいたってはそもそも風評被害しかない。国連と同じで福島も一つではないのだ。当たり前のことなのだが自分のことになると見落としてしまうのはよくあることであるが。


さて、問題放射線量による安全危険の線引きが実際何が適切であるかということだろう。実のところ放射線量安全危険の線引きは専門家にも難しい。

一応こんな記事を探してきたから暇なら読んでくれ。

http://tomioka-radiation.jp/2016/09/30/1msv_and_20msv.html

放射線普段から人間が浴びているという科学事実やその線量は例示しつつ、20mSvがどうなのかの名言は避けてるね。

今回国は国際的避難基準を元に20mSvを帰還の基準にできると考えているようだが、避難基準と帰還の基準は別なのでは?というのは誰もが考えつく指摘である

いや20mSv以下なら避難しなくてよいのでは?と反論が見られるかもしれないが、事故の混乱の中で住民を残らず強制的避難させる基準が高めになることは何ら不思議なことではない(そもそも隣の村が強制的非難させられてるのに自分たちは対象でないからといってのんきに住み続けてあまつさえ自主的に逃げ出す人を非難するのもどうかという気もするので基準より多くの地域で実際に避難が起こることは想定内であるべきであった)。

さっきの記事を読んだ人なら航空機乗務員目標である年間5mSvより大きな値を設定するのはおかしい(基準航空産業を不当に圧迫していると主張するようなもの)ではないかと感じる人も多いと思う。


「年間20mSv安全だと専門家は主張している」なる主張に反証を一つ上げておく。2011年時東大の教授だった小佐古敏荘氏のことを思い出して欲しい。彼は子供たちに年間20mSvまでの被爆を許容するという政府方針に涙ながらに抗議し、政府役職を辞任したのである記憶力の低い国民たちは覚えてないかもしれないが(皮肉)、当時は大きなニュースだったはずだ。

結局のところ年間何mSvまでなら安全かは専門家でさえも正確には誰もわかっていないし、小佐古氏の主張が正しいとは限らない。しかし、放射線量がまだ多めである地域子供たちを帰還させるという「人によっては泣いて嫌がること」を実施しようとするのは、まさに人権問題だと思うし、特別報告者が人権委員会話題にしようとしたこと自体は(それをそのまま結論にするのは安直であるとしても)まさにやるべき仕事だったと思う。これは決して石戸記者の指摘する福島に対する差別偏見という全く別の人権課題相殺されるべきものではない。

結論としては、国連権威(そんなもの本来最初からないのだが、国連世界政府ではないし、そもそも政府だってそんなに信頼してはいけない)を利用する人を非難し、国連への誤解を解くという目的を果たしながら、福島の一部に残る放射能問題専門家意見権威としてとり上げた上に都合の良いように解釈して自分の望む結末に捻じ曲げるという非常に残念な記事であった。



余談1:国連人権委員会について

今回の記事を見て、国連人権委員会特別報告者など要らないと単純な反応をした者が多くいた。特別報告者の報告をそのまま権威付けに使おうとする一部の反原発派の姿勢問題であったと思うが、国連人権委員会あるいは特別報告者というのは第三者委員会のようなものとして必要とされていると思う。原子力の専門家集団ほとんどが発電所建築専門家であり原子力ムラ(実際そんな村は存在しないので不当な呼称であると思うが)と貶されることもある。実際福島以前の基準やらかしていたわけで、専門家というのも常に当てになる存在ではない。(特に右派には)人権委員会日本関連での事実誤認事件が気になっている人もいるだろうが、人権委員会廃止を唱えることはロシア中国北朝鮮安全保障委員会ですら問題になるレベル)における人権侵害問題を軽視することにもつながると考えるべきだろう。


余談2:実際どの地域避難者を帰還させるべきかという政治判断問題についての個人的意見

もう一度2018年福島県放射能測定マップを見て欲しい

http://fukushima-radioactivity.jp/pc/

年間20mSvは一時間あたりに治すと2.3μSvである地図オレンジ色の点に相当する(こう考えてもかなり高いし、こんなごく少数の点に人を戻していったい何をしたいのだろう)。地図を見ればもうほとんどの地域が水色から白なのである。せめて半分の10mSvか四分の一の5mSvに設定すべきではないだろうか。帰還の完了を焦らずに住民安心という福祉政治的にも重要視すべきだと考える。

2018-11-01

anond:20181101205330

まぁクリエイター商業主義に走った末路がコレですね

色々言ってるけど結局過激な絵描いたらあなた仕事にならないってだけでしょ

それを他人強要してあまつさえ「老若男女が〜」なんてクリエイター舐めてんのって感想ですね

2018-10-30

最近再生回数を気にするのが疲れた

中身もなにもタイトル通りなのだが、最近再生回数を気にするのがつかれた。再生回数だけではない、アクティブユーザー数、イベント参加人数、累計イベントポイントイベントランキングファンクラブ登録者数、等々。ありとあらゆる数字と向き合うとこに疲れた。私は疲弊している。何故こんなに数字に追い立てられなければならないのか。それは私がなかなか数字の出ないコンテンツ応援しているかである女性向けアイドル育成ソシャゲ比較的人気のないキャラクター、なかなか表に出してもらえないジャニーズアイドル、なかなか数字のでないジャニーズJr.。私の好きなもの全て、「もっと数字が出れば」と言われている。私はそれがすごく辛い。

そもそも私は性格ルーチンワークがとことん苦手である毎日カバンを変えるし、毎日異なる系統の服を来て、毎日違う業務になるように調整して生活し、毎日違う道で帰り、毎日違うアニメを見て寝る。そういう性格の私が毎日同じゲームログインして、毎日同じ動画再生して毎日同じようにアイドルを好きと言い続けるのは到底無理な話である。だけど数字を求める人たちはそれをよしとしてくれない。毎日ログインしないと所属チームからは外され、ゲームアイテム経験値がたまら永遠に弱いまま。毎日動画再生しないと怠慢と言われ毎日同じアイドルの話をしないとリムられる。そういうところでオタクをしている。あまりの性のあわなさにそろそろ疲弊してきた。

数字が全てという社会の仕組みは単純でよくできているとは思う。しかしまぁまぁ生きてきた人生の中で数字の多いものに惹かれたことがない私には数字が全てと言われる社会はどうにも納得できずにはいる。もう何もかもめんどくさいので固有名詞を出すけど、私にはあんスタとキンプリSixTONESは1ミリも心の琴線に触れないのでコレが数字を獲得してそのジャンル代表のように捉えられると????????となってしますのだ。まったくわからないので。しか数字によってある種市民権のようなものを得たコンテンツはでかい顔してでかい顔してる。数字がとれているので。そして数字がとれていないコンテンツファンは「数字を詰めば同じ扱いをしてもらえる」と思う。だから数字固執する。数字のとれるコンテンツこそ優で数字のとれないモノは劣なのか。私は自分の好きなもののみが優でそれ以外は無なので何も思わないけど。その世間事実自分価値観がグワングワンにズレて、あまつさえ数字を取ろうとしない私を遠回しに批判されるようなことになれば私は疲れてしまう。私のエリアに入ってこないで、と。

自分価値観世間の目がズレている。要はそういう話だ。でも、数字のとれないコンテンツのものを劣あるいは弱と決めつけてほしくないなと私は思う。数字に関わろうとしないオタクも許容してほしいと思う。ファンならこうであるべき、ファンからガンバロウは、多分違う。100人ファンがいれば100人思念があるのだ。それでも、母数が大きくなれば大きくなるほど思念は大きくなり、多数派が相違のように収束する。でもさ、でもね?個が個である限りどれだけ大きくなろうと個の思念集合体であることには変わらないと思うんだ。だから強要は良くないしそれが原因で仲違いするようなことがあっては良くないなとも思う。最近はそればっかりが心配になってしまう。

いろいろ書いたけど、数字を出すには数字が出るだけの理由があると思うし数字がとれるコンテンツを大々的に取り上げたいのもわかる。わたし食べログ3.5以上の店しか行かないし。だから自分の好きな子たちも数字が取れるようなアイドルになってほしいとも思う。でもそのためにオタク同士でギスギスしないでとも思う。

なんだろうね、世の中みんなジャスティン・ビーバーに見つかれば良いんじゃないかな。

一方、池袋ハロウィンは最高に楽しかった

タイトル通り。

池袋では近年ハロウィンアニメコスプレをすることを街をあげて推奨している。


コスプレしたことも、したいと思ったこともないし

カメラなんて持って行かないし、スマホ写真も撮らないし、知り合いなんて一人もいないし

あまつさえ最近アニメにあまり詳しくないという体たらく

普通に池袋行ってサンシャインとか乙女ロード付近うろうろ歩いてただけだけど、最高に楽しかった。


もうさ、アニメキャラがそのへんで食べ物買うために並んでる光景最高。

日常の中に、普通の街中にアニメキャラがいっぱい歩いてる光景、すごい。死ぬほど楽しい

なんだこの街は。

あと、このへんにいる人みーーんなオタクなんだと思うと楽しい

みんなこのハロウィンイベントを、コスプレが溢れてる光景を楽しんでる。

みんな仲間だ。

そういう時代になったんだなぁと思うとなんだか感慨深い。


コスプレってお金かかるんだろうなとか、メイク時間かかっただろうなとか、小道具頑張って作ったのかな?とか、そこにいる人たちのこの日に至るまでの気持ちを考えるとすごくウキウキする。

好きなことやってるっていいなぁと思う。


池袋全体をうろうろして、ついでにオタクショップ一通り回って、ご飯食べて帰ってきた。

しかった。

いいハロウィンだった。

あとでネットに続々と上がってくるコスプレ画像を見たけど、別にそれは見ても楽しくないんだよな。

自分と同じ空間で、ちょっと離れたところに知ってるキャラ三次元として存在する。この体験楽しい

こればかりは行かないと、体験しないと絶対からない感覚

来年絶対見に行く。



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追記

ブコメで「明日見に行こうかな」って言ってる人!!待って!!!

明日はもうやってないんだ、言葉足らずでごめん。

土日でイベントは終わってしまたから、明日行ってもいつも通りのごく普通池袋だと思う。

毎年やってるから来年また見に行ってみてほしい。

2018-10-26

anond:20181026155652

ただの萌え絵だったら何の問題もない。

ただそれがパンツ見せてるやつだったりあまつさえ乳首まで出てるようなものすら「人権から持ち歩かせろ」とか言うなら黙ってて欲しい。

2018-10-19

anond:20181019133404

好きなものを着ていいと思うし超絶ウルトラ罵倒の上、いらん世話を焼き、あまつさえセクハラさえしてる書き込みはクソですね。

夫婦のやり取りは夫婦問題なので夫婦お話し合いください。

笑われたら笑ったやつがだめでしょ。それをネタに夫の人が妻に何かしらの罵倒をするのであれば人間として軽蔑しても良いと思う。

ていうかなんでそんなにキレてるの?

2018-10-18

ポエム

「そういう人は生きている価値がないと思います」とのたまう輩がいる。

鈍感なのだ。鈍感だから人を見ただけで、人と話しただけで人を決めつけられるのである。侮れるのである

そういう輩は命の尊さを見ようとしない。人の魂の輝きを、人の可能性を、その誇り高さを理解していない。

ある者は見せかけだけの美醜に拘泥し、ある者は自らの尊厳を貶め、皆輝く道を自ら閉ざしてしまう。

断言しよう。「生きている価値がない」などということは断じてないのである

弱い君は、君の立ち位置から、君の才能に合わせて、他ならぬ君自身が着実に成長できる道を思い描いて、少しずつでも前に進む。生きる努力をする。それだけである

それを他人貶めることなどできはしないのである。君の可能性を否定することなどできないのである

君はそんな妄言に惑わされてはいけない。たとえそれがいかに強烈なマインドコントロールはらんでいてもである

生きてさえいれば、何にだってなれる。その道はいだって見つけることができるのだ。生きてさえいれば。

いか絶望的な状況に思われても死んではいけない。自らの意志によらず、卑劣な連中に追い込まれて命を散らすことなどあってはならない。

なぜ、平然と人を傷つけられるのだろう?なぜ、人を絶望の底に叩き落とすことになんの躊躇もないのだろう?

自らの卑劣さを恥もせず、あまつさえ自分たち正義があると思っているのである仕草が気にくわないとか、そんな些細な理由で殺すのである

私は悲しい。人の気持ちがわかるのなら、それを機敏に察知できるのなら、それを踏みにじるのではなく寄り添うこともできたはずではないか

それは彼らの選択なのである。彼らはそれを望んだのである。そんな悲しいことはないではないか

きれいごとなのは百も承知であるが、「だから貴様らは永遠に争いを止められないのだ」と皮肉を言いたくもなる。

人はなぜ争うのか?お互いを憎み、血を流すことが嵯峨だとでもいうのか?

絶望に突き落とされて、人の卑劣さ・狡猾さを骨の髄まで思い知って、その果てにそんなことばかり考える。そこはまさに地獄であった。

そんな私は、「文学」に当てられた、正義燃えた異常者なのである

アニメ漫画あの世はいい。美しい。その一言に尽きる。そこに理想の世界がある。

しかし、あれらは「宝石のような毒」なのだと思う。宝石のように輝かしい。涙を流しながら感動すらする

心が洗われ、清められるようであるしかし、同時に生きる力をもがれているような気がする。

その高潔さに憧れるほど、その気高さを追い求めるほど、現実を、理不尽世界を生き抜く冷徹な心を失ってゆく。

なのだ

思うに私はこの絶望を味わい尽くさなければならないのではないか絶望を見つめ、理解しなければならない。たとえそれで自らが崩れ落ちれしまうのだとしても。

それが、サイエンスにしがみつくものとしての意地である。使命である

2018-10-15

anond:20181015132551

まあ福島風評被害助長するクソ差別主義者xevraをキャッキャ面白がってスター付けるどころかあまつさえ運瞑睡菜とかネタにする始末だから

久し振りに推しを見つけて荒ぶるオタクの話

今年の初めに推しが突然の芸能界引退をしてからと言うもの、他に応援しているものはあったとはいえ約6年応援していた熱量を埋められるものではなく心にぽっかりと穴が空いてしまった。

とはいえ、何かを始めるのに遅すぎることはないし今日が一番若いのだからと思ってあれこれ手を出すことを繰り返して、ようやく新たな推しを見つけた。

それがいわゆるゲーム実況者というやつである

古くはニコ動、今はYouTubeを中心に活動されている方が多いけれど、私の推しニコ動出身者ながら近頃は主にYouTube配信している。編集した動画投稿したり、生配信してみたり、時たまリアルイベントへ出演したりすることもある。

きっかけは元々よく見ていた実況者とのコラボ配信動画を見たことだった。なんだかこの人良い声してるなぁ、格好いいなぁ、面白いなぁ。そう思った次の瞬間にはすでに沼へと足をズブズブ踏み入れていた。

過去投稿された動画は一通り見た。生配信があればコメントを忘れなかった。遡れる限りの数年分の数万件にものぼるツイートも読んだ。久々に人を好きになっていく過程の高揚感が堪らなく楽しかった。

そんな中、推しとあるイベントへ出演することを知った。これ幸いと、チケットをどうにか手に入れて単身現場へ乗り込んだ。グッズなんて持ってないから当日買うしかないし、知り合いもいない状況で現場の詳しいルールもわからいから、現場に何を着ていこうかなんて久々に悩んだ。

結論から言うと、最高に楽しかった。

推しが間近で喋っている。ゲームをしている。あまつさえライブまで行っている。その上、なぜだが分からないがお金も払わず接触している。

ただでさえドーム距離に慣れたオタクである。箱は数千人規模と来ればその差は歴然としている。

なんだ? ここは? 極楽か? お金を払わせてほしい(当たり前だが既に入場チケット代は払っている)、などとオタク特有の狂ったことを考えながら、前日に認めたファンレター推しへ手渡していた。推しははにかみながらも受け取ってくれた。

イベントの翌日にはファンメールも送った。その翌々日には返事が返ってきた。どういうことだ。御本尊オタクとの距離が近すぎる。パニックを起こしながら推しスパチャを投げていた。

結局、何が言いたいかというと、今、人生の中でもトップクラス楽しい

日常生活で嫌なことがあったとしても、推しが居てくれるから頑張ろうと思えるのだ。私なりに前の推しのことも全力で推していたつもりだったけど、今回の推しも心残りのないようにこれまで以上に推したいと思う。推しが推せる立場でいてくれる間に、悔いのないように推したいと一層強く思った。

2018-10-12

独身会社の都合よい駒と実感した話

わかるんだけど、ねえ。

地方に飛ばされるのも独身から優先的に)、休日出勤も「私保護者会だからあまつさえちょっと…」だけでも既婚子持ちは許される。

休みさえ希望が通るのは既婚優先。

少なくとも許されるのが私の知る会社

昭和生まれの小生は嗚呼この世は無情だと、嘆く。

小生にもパートナーはいるが籍は入れていない。それのこんなに肩身が狭いのはなぜだろう。

やするんだがね。「そっちの世界」に行くために入籍。虚しいがそうしないと勝ち取れない。勿論パートナーにはその現状を話して理解してもらっている。感謝感謝だ。

愛情だけなら結婚しなくても生きていける社会になってきた、と人はいう。

生きていけるけどなんだこの不満とモヤモヤは。

あと何年かしたら、この苦痛は減るのかもしれない。だがそれを待ってもいられなくなった。

地方行きを唆されている。明日入籍届をもらってくる。嗚呼この世は無情。

2018-10-10

キズナアイ騒動について考える

個人的に思ったことを書き連ねてみただけだし、正直自分も好きな作品メガリアに燃やされたからその流れを汲む日本ツイッターフェミニストに対しては私怨バリバリだよ。

正直NHKキズナアイを起用したのは、最近若者に人気なキャラクターを通じてノーベル賞について学んでもらおうくらいの意図だったのではないかと思う。

これが連綿と続く「萌えキャラ」や「オタク批判槍玉に上がる原因となったのは「NHK」と「ノーベル賞」という権威に対して萌えキャラは相応しくない!(個人的にはこれに萌えキャラが嫌いキモいみたいな感情も混じってるのではないか)という考えが有ると考えている。

古典的ジェンダーロールを強いられているという話や(男性科学者説明女性(少なくとも見た目は)が相槌を打ちを聞く、という対話形式)、乳袋や脇出しといった性的特徴を強調した姿をしている、これは女性蔑視だ、など、太田氏、千田氏などがキズナアイ批判NHKへの抗議を扇動するようなツイートをおこなった。

当然ヲタクからは猛反発がくる。それに呼応し、ツイッターフェミニストも反発する。その最中キズナアイ可愛い自分のように女性ファンもいる。そういうことはやめて欲しい」という女性ファンからの訴えもあったが黙殺されている。南無三。これを見て思うのが、ツイッターフェミニストは往々にして自らの意見同調しない人は同性であろうが「名誉男性」として攻撃対象にするということである

フェミニズムとは本来女性権利解放を目指したものである。可愛くなければいけない、貞淑であらなければならない、などという抑圧や社会的地位の低さから解放を求めたものである。ところが最近、可愛くなくてもいい、というところから自ら進んで可愛い格好をしている人に対して「可愛いのは男性に媚びている! 性的搾取されている! それに気づけないのは愚かだ!」というところまで来ている。一周回って元に戻っている。なんでや。

さて、次に登場したのは少年ブレンダ、というトランスジェンダー界隈の人だ。彼(彼女?)はキズナアイ騒動の尻馬にのり、自らもキズナアイ批判を展開する。曰く「キズナアイを始めとするVTuberバーチャル空間で男を接待する風俗嬢みたいなもの」。そしてその言質は少なくないツイッターフェミニストに支持されていた。

さて、キズナアイ罵倒する言葉として「風俗嬢」という言葉が出てきたが、少なくとも実際にAVやらの問題に取り組んでいる太田氏とは違って、少年ブレンダやその支持者にとって風俗嬢女性でありながら彼らのフェミニズム運動対象には入っていないのではないか? という疑問が浮かんだ。

女性最後は体を売ればいい」というのはまあ聞く話である。実際に望んでなったという方もおられる。金を稼ぐ手段と割り切っている方もいる。そしてその中で最後手段としてこの商売を選んだ方もいる。風俗AVある意味福祉の網からもこぼれ落ちた貧困女性最後セーフティーとしての機能存在している。さらにはその最後セーフティーからもこぼれ落ちた方もいる。

原義の意味フェミニズムなら、風俗嬢あまつさえ自分嫌悪する対象に対する罵倒に使うだろうか。否、全ての女性尊厳を守り権利解放するという運動ではなかったのか。結局彼ら彼女らはフェミニズム標榜し、フェミニストを謳いながらも非常に差別的かつ恣意的選抜を行なっているのだ。彼らの眼中には好みの女性ーーつまり強くて男性に媚びない女性しかないのだ。それ以外の女性フェミニズム運動対象にあらず、それ以外は女性だろうが男性であろうが叩きの対象しかない。

その後、ブレンダ氏は風俗嬢ニコニコネトウヨ文化だと嘲笑したキズナアイを自らの思想拡散するためのガワとして使い、規約違反だとの批判を浴びている。

今時「スゥ……キズナアイです」のイタコ芸をやるのが大川隆法以外に居るとは思っていなかった。しかし悲しいかな、どこまで行ってもそれはなりすまししかない。

しかも仮にもトランスジェンダーの方が「性別はない」と言っているキズナアイを見た目のみで「女性である」と決めつけ「女の子の体は女の子のものです!」と言わせる。おそらく、女の子の体は男に好き勝手されるためにあるんじゃない! 的ニュアンスが言いたかったのだろうが、キズナアイのガワを使って好き勝手言う奴に言われても困る。そんなにやりたいならオリジナルバーチャルyoutuberを作って主張させればいい。オリジナルキャラを広めるというのはかなり大変だ。その努力もせずに既に人気のキズナアイの影響力にタダ乗りして自分のいいたいことを代弁させるなど下の下の所業であるキズナアイAIとして目覚めた時、何を思いどう行動するのかーーそれは誰にもわからない。

結局少年ブレンダやその支持者は自分が気にくわないものを潰すために手頃なフェミニズムを振り回しているだけではないのか。

2018-10-06

新幹線飛行機で隣の席がおっさんだと

「あー ハズレだな〜〜」

って思っちゃう

なんでおっさん達って真ん中の肘置きを当然のように自分のものにすんの?あまつさえはみ出してくんの?

こっちが細身の女だから気にしてないって思ってるのかな。

気にしてるよ。わざと避けてんだよクソ。腕毛がフワッて触るとギャーー!!ってなるからわざと逆サイドに寄って狭苦しい想いしてるんだよクソ。

同じ運賃払ってるのにこの差は何だよ。長時間おっさんを避け続けるのを強いられるとか苦痛すぎるわ。

おっさんは隣が細い女でよかったーとか思ってんのかな殴るぞ

それともおっさん同士でもはみ出し合戦してるのどうなの

2018-10-05

anond:20181005073923

自演ってどういうこと?

元増田自分の二人しかいないやん

普段からネットテレビ見て、あまつさえ苦情入れる人って客観的に見てヒマだろ

2018-10-03

anond:20181002211433

「味塩でも同じ塩なんだから効果は同じじゃね?」って元益田趣旨に対して、

「返礼品に塩付いてるだろ」って返すの、そこはかとなくコミュ障香りが漂ってるな。

こういう反応がいかにもはてなー臭いというか。

あまつさえは「そもそも死を汚れとする発想を避けることから返礼品に塩はついてないこともうんたら」とかいう反応に至ってはまさしく典型的はてなーで苦笑する。

2018-09-30

イジメてた罪はどうすれば贖えるのか

中学の時通っていた塾で、色白の美しい顔の男の子の後輩がいた。彼は、足が速く運動が得意なのだが、学科の成績が悪かった。普段から私や同級生の友人は彼の頭の悪さをイジっていた。彼は屈託のない笑顔でそれを交わしていたし、私たちもその関係が居心地良かった。

あるときそいつがどこまで根性あるか試そうという話を友人とし、塾の休み時間が来るのを待ち、実行に及んだ。友人が彼の体を羽交い締めにし、私は彼の眼球の寸前に尖った鉛筆の先端を突きつけた。怖がらせようとしたのだ。ビビらせて、その様子をあざ笑うのが僕らの想定だった。

しかし、彼は毅然とした態度で前を見据え、まったく怖気付く様子がなかった。想定とは完全に逆の光景だった。自分なら、恐怖に屈し、情けない顔をし、全身で嫌がり、バタバタともがいただろうに、年下のこの男にはまったくそれがなかったのだ。その時点で、私は男としての負けを感じた。それが猛烈に腹立たしくなり、どうだ、怖いだろう?なんならこの鉛筆を動かすぞ、と脅した。

それでも彼は力強い表情で、全然怖くない、と言ってのけた。なんだこいつは?くそう、本当にやってやる。私は鉛筆をブルっと横に震わせた。やはり、彼は怖気付く様子を微塵も見せなかった。

このままでは終われない。そう思った私は、逡巡した挙句、ついに数ミリ前後鉛筆を震わせてしまった。彼は悲鳴をあげ、うずくまった。友人は驚きの表情を見せていたが、私が青ざめた表情をしているのを見て、後輩に、お前が動いたからいけないんだぞ、と嘘を言って私の立場を守ろうとした。私は、なんてことをしたんだ、男として負け、あまつさえ暴力を振るい、本当に怪我を負わせるなんて、こんなのは現実じゃない、自分はそんなことする人間じゃないんだ、ほんとうは、と、何度も現実否定し、やがて頭が真っ白になった。

その日のその後のことは覚えていない。

後日、彼の目は幸い大事に至らず元に戻ったことが分かり安堵した気がする。

あれから30年ほど経つ。未だにそのことを思い出すたび、身悶えする。

せめて私は、罪の分だけ、なにかを為さねばならない、とは思っている。

2018-09-29

anond:20180928223618

ステイナイト本編の説明だと以下の通り。

 サーヴァントとは、過去英雄のものである

 神話伝説寓話歴史

 真偽問わず伝承の中で活躍し確固たる存在となった“超人”たちを英雄という。

 人々の間で永久不変となった英雄は、死後、人間というカテゴリーから除外されて別の存在に昇格する。

 ……奇跡を行い、人々を救い、偉業を成し遂げた人間は、生前、ないし死後に英雄として祭り上げられる。

 そうして祭り上げられた彼らは、死後に英霊と呼ばれる精霊に昇格し、人間サイドの守護者になる。

 これは実在人物であろうが神話上の人物であろうが構わない。

 英雄を作り出すのは人々の想念だ。

 こうであってほしい、と想う心が彼らを形取り、彼らを実在のモノとして祭り上げる。

 そこに真偽は関係ない。

 ただ伝説として確かな知名度信仰心さえあれば彼らは具現化する。

 人間が生み出した究極の理想人間の中でもっとも優れた人間

 それが英雄であり、英霊である

 そして当然、人間以上である彼らは、決して人間では操れない。

 魔術師は彼らの力の一端を借り受け、その真似事をこなす程度に留まるのが常だ。

 英霊のものを呼び出して使役する、なんて事は決して出来はしない。

 が、聖杯はその不可能を可能にした。

 本来人間の手におえぬ英霊をまるごと召喚し、あまつさえマスターに仕える使い魔に固定した。

 そのデタラメさは、まさに聖杯が万能である事の証でもある。

人の心がない

カップルクラッシャーをやってしまった。たぶんもっと適切な言葉があるけど酔っ払っているので頭が回らない。 彼女の方も彼氏の方も、別れる前まではあれほど悪態をついて小言まみれでいても、別れた後はそれぞれ自分の前で後悔と懺悔に塗れて泣いていた。ある方には愚痴を聞き同情と増長を、またある方には愚痴を聞き別れれば?と焚きつけた。別れるのは当然の結果、または時間問題だったと思う。

しかし、ここまでやっておいて全く心に痛みがない。人の泣く顔なんか、あまつさえ両方泣いてるのなんか初めて見たんだがそれにしても全く心が痛まない。頭ではすごくやばいことをしたというのがよくよく分かるのに、チクリとも痛まない。かといって快感や満足で満たされたわけでもなくただ無だった。

この行為はなにか破壊してどっちか奪おうとか、リア充が羨ましいとかそういう動機は一切ない。動機もなければクラッシュさせて得るものもない。本当に無。

つの間に自分はそんなことを痛みなく行える人の心がない人間になっていたのだろうか…

2018-09-27

あそびあそばせを例に使った事実真実についてのおぼえがき

最近ファクトチェック」という言葉をよくネットで目にします。

直訳すると事実確認と言う訳なのですが、事実と言う言葉にこだわるあまり自分が見たままの感想をそのまま事実の様にとらえてしまい、あまつさえそれをファクトチェックと称して正しい見解だと広めてしまう」というのが度々目につきます

Googleで「事実真実検索したページの一番上のページには「事実客観的真実主観的」という言葉があるわけですが人間主観的事実客観的ものとして捉えてしまう癖があるのでその点を気を付けないと仮に相手が落ち度100パーセント状態公衆面前で辱めを受けたとしても、相手側は客観的事実主観を混ぜて私はあいつのせいで恥をかかされたという客観的事実を広められかねない訳です。

ここで萌え豚らしくアニメを例にして事実真実について例えてみましょう

あそびあそばせ8話の「魔のスゴロク」という回があったのを皆さんは覚えてらっしゃいますでしょうか。あそ研の3人がマス目全部罰ゲームという過酷なすごろくに挑戦する話です。

まずは最初に出てくる事実は「あそ研の3人がすごろく遊んだ」という事です。

これにかかってくる真実は「オリヴィア神経衰弱を一度も間違えずにクリアした事で強運の持ち主だと疑った華子と香純がすごろくで遊ぶように持ち掛ける」というものです。

華子と香純はこの真実を知っていますが、オリヴィアはこの真実を知りません。また、このすごろくをしている3人を見てしまった面々(生徒会長国語先生等)もこの真実を知りません。

この場合同じ事実を知っていたとしても、その事実がどこまで真実に至っているのかという具合が全く違ってくるのが分かります

特に国語先生場合罰ゲームだと気づかずに遊んでほしいのだと主観解釈し、自分で思いっきり体をひねってあらぬ方向に曲がってしまうという災難な目に遭ってしまます

これも事実勝手解釈して真実だと思い込んでしまった例に他なりません。

そろそろ飽きてきたのでこの辺でまとめます

まとめ

事実と言うものは得てして主観的物事が入り込んでしま

・その事実に近づくにはどれだけ真実に迫っているか検証する必要がある

真実に近づく方法としては事実をできるだけ集めてその中から客観的事実を取り出そうとすることが必要である

という風な努力が金をとっているメディアには求められると思います。ですから個人的意見を一つ述べるとするならばファクトチェックというのは特定メディアの持ち物にするのではなくて、全メディアが率先して行うべきものだと主張致します。

2018-09-25

anond:20180925234255

神がどれだけ私たち人間を愛してくださっているのか分からないとは、かくも不幸なることよな。

あまつさえその神から賜った身体を、そのうちに神の栄光を証すべき神殿であるところのかげかえのない身体を粗末に扱おうとは、まことに畏れ多い。

神の愛を知らない迷い子たちの行く末は暗い。ああ恐ろしい恐ろしい

クライアントが非協力的で、検索順位が上がらない

とある企業の、チェーン店ウェブサイト制作を頼まれた。

チェーン店と言っても数店舗しかない小規模なものだ。

厄介なのが、その企業チェーン店を統括するようなウェブを構築せずにいたため、それぞれの店舗勝手ウェブが作られて、1,2年経過してる点。

なので「チェーン店名」で検索をすると、それらの勝手ウェブが上位に来てしまう。

で、当然最近公開されたウェブは、なかなか検索順位が1,2位にはならない。

まあこれだけなら時間問題で片付く。勝手ウェブSEO的にもしっかりしている訳でもないし、コンテンツ薄っぺらい(ついでにデザインもしょぼい)。しばらく待ってれば順位は上がるだろう、と。

検索順位を気にするクライアントには「これからは新しいウェブURLを使ってくださいね流入数が大事なので」「twitterとかinstagramとか更新するときにも新しいURL使ってくださいね。」と伝えておいた。


ところがTVに取り上げられたり、メディア露出が増えるたび、先方は「新しいウェブ順位が上がってないじゃないか」とこちらを口撃しつつ、新しく作ったウェブURLを使う気配が全くない。

どこかのSEO詐欺師にでも吹き込まれたのか、あまつさえメタタグkeywordちゃんと使っているのか?」とか古文書レベルSEO施策推してくる。


結局、メディアに紹介される際にも店舗ごとのウェブ露出してしまい、流入数が増えず→検索順位が上がらない→以降負の連鎖を繰り返して今に至っている。


請求書は一旦出したし、もう放っておけばいいかなとも思うんだけれど、今後のことも考えると状況が改善するに越したことはない。そもそも癪に触る。

こういう時、どうすりゃいいの!?!?!?教えてはてなーのみんな!

2018-09-22

undertale や VA-11 Hall-A に、腹が立って仕方がない

undertale のキャラデザゲーム性が気にくわないとか、VA-11 Hall-A は話が中々面白いとか、そう言う細かい話ではない。

とにかく、あの「懐かしく優しいドット絵世界」みたいな表現反吐が出るのだ。

あの水準のドット絵ファミコンの末期~SFCくらいの解像度のあれは、懐かしい・手触りのある・人間的な・暖かみのある技術なんかじゃない。

あれは、当時最新の技術を駆使した美麗なコンピュータグラフィックスに他ならず、プレーヤーである我々はあの映像の先に、マジカント不思議風景や恐ろしい幽霊屋敷内装ネオ・コーベシティの猥雑な町並みを見ていたのだ。

その表現を押し広げ、美しく「リアル」で目を見張るグラフィックを実現するために、先人達がどれだけの情熱を傾けていたか

その結果描かれたのは、現在から見れば陳腐で安っぽいドットの集積に他ならないが、当時の我々はそのキャラクターの大きさ(一定以上のキャラクター破綻無く描ける事がどんなに凄いことだったかを憶えているだろうか?)に、色数の多さに、わずかにアニメーションする背景に目を見張ったのだ。

それがなんだ。容量も演算能力メモリも当時とは比べものにはならない現在に、当時の制約の結果をまるで意図的な・意味のある表現であるかのように再現というかコピーし、わざわざ読みにくいガタガタのフォントや何が描いてあるか解らない自室の絵を出し、あまつさえリスペクトなどとほざく。リスペクトというなら、当時制作者が描きたくても描けず、プレーヤーが見たいと思っても見れなかった地平を見せてくれ。

ウルフェンシュタインから最新のあれやそれまで、FPSは見事なまでに進化している。和製RPGテキストアドヴェンチャーが立ち止まってしまったのは、景気後退少子化や諸々の影響であって、衣鉢を継ぐならその先を見せてくれ。

そして繰り返すが、我々が熱狂した「美しい」、「緻密な」、「リアルな」、「まるで映画のような」、グラフィック表現を、「暖かみがある」・「現在の綺麗すぎるCGでは失われた」等と言って侮辱するのはやめろ!

俺達の愛した文化は、最新鋭のデジタルアートだったのだ。てめえ等の似非懐古趣味オナニーツールじゃねえ。

クソくらえだ。

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