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2021-05-04

anond:20210504220729

弱者男性には弱者男性だけの特質があるので、弱者とひとまとめにしてほしくない。

2021-05-03

中野信子の言っていることはおかしい、具体的に何がおかしいか挙げる

きっかけは母親が「空気を読む脳」を買ってきたことだった。以前からこの人の主張はおかしいと思っていて耐えられなくなりこの人の他の本も読み、言動についても調べた

酷い。矛盾だらけ、エビデンスにならない動物実験ソース、人を見た目で判断することは科学的に正しいという主張、本人の言っていることとも矛盾した倫理観

彼女がいつも言う「日本人セロトニントランスポーターが少ないか不安に駆られやすい」という理論、まずこれが怪しい。SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)について知っている人なら奇妙に感じるだろう。この薬は、セロトニントランスポーター機能をあえて弱めることでシナプス中のセロトニン濃度を増やし不安を和らげる薬だとされている。つまり彼女理論SSRI作用機序についての理論正反対なのだ。モノアミン仮説にもやや怪しい部分はあるが、正反対解釈というのは流石におかしい。神経科学専門家はどう思っているのだろうか。

些細なことから飛躍して「日本人の脳」を論じる。

空気を読む脳」で日本人サイコパシーの傾向が強い人が「どちらかといえば」少ないから内側前頭前皮質が発達していて倫理や美醜の観念に厳しくそれが変わりやすいのだと書いていた。当たり前だがサイコパスの人の数を正確に見積もるのは難しいのであってそういった数字は単なる誤差か診断基準の違いによるものである可能性の方がずっと高い。仮にサイコパスの人が少なかったとしても内側前頭前皮質が発達している人が多いことを意味するわけではない。サイコパスとは行動や心理をもってそう判断されるものであって実際に内側前頭前皮質機能が弱いとは限らない。内側前頭前皮質機能が強い人も弱い人も共に少ないということもあり得る。

ついでに「不倫」では日本人保守的で変化を好まない民族だとも言っていた。それなのに倫理観が変わりやすいらしい。数年前には問題でなかったことが問題になるのは日本に限ったことではないし「日本人の脳」に原因を求めるのは無理がある。

戦国武将精神分析」では汚い手も使って勝った徳川家康が今でも日本人理想モデルとして存在しているとも宣っていた。日本人は美しい敗者を好むのではなかったのだろうか。美醜の観念が変わりやすいのではなかったか

美醜の観念が変わりやすいのに何百年にも渡って義経のような「美しい敗者」が理想化されているらしい。

不倫」でもこういった飛躍がある。たかだか寝かしつけの習慣があるからといって日本人オキシトシン受容体が多いのだということにしていた。もちろん実際に日本人の脳を調べたわけではなし。スキンシップの総量が他の国と比べて多いか少ないかからないのであるオキシトシンの多い人は不倫傾向が弱いとも書いていたが、日本人不倫が多いという同著での主張とも矛盾する。(よくよく見ると厳密には比較不能な国際調査国内調査比較していたが)

更に、セロトニン神経細胞にはオキシトシン受容体存在し、オキシトシンが増えるとセロトニンが増えるという事実は「日本人セロトニンが少なく、オキシトシンが多い」というモデルとも上手くかみ合わない。彼女もこの矛盾に気付いているのか、週刊新潮 2020年12月17日号での佐藤優との対談でまだ発見されていない要因があるのかもしれないと言っていた。

彼女日本人論は矛盾だらけだ。

更に中国韓国の「反日」まで「セロトニンが少なく、オキシトシンに頼りがちな遺伝特質」のせいにしているのには呆れを通り越して笑ってしまった。歴史上何度も革命を起こしている中国人もまた、保守的リスクを好まない形質の持ち主らしい。

サイコパス」でフロイトトンデモだという声もあるほどだなどと書いていたが、リビドー無意識という概念の代わりにセロトニンオキシトシンや脳部位が万能の説明法として君臨するようになっただけで間違い方に大して違いはない。

この記事でも指摘されているように、彼女不要場合でもひたすら専門用語を使って話す。https://anond.hatelabo.jp/20150908145246そういう言葉を用いれば多くの人間科学っぽく感じてしまうことをわかっているのだろう。

人間でもそうだという根拠にならない動物実験をたびたび引用して人間の話に繋げる。キツネマウスプレーリータネズミサバクトビバッタと…

「脳・戦争ナショナリズム 近代人間観の超克」(嫌な部分が剥き出しで、是非お勧めしたい本だ!)で人間に何世代も飼いならされたキツネ容姿が変わってくることを挙げて人を見た目で判断するのは科学的に正しいのだという主張に持っていっていた。少し脱線するが「空気を読む脳」でもたかだか0.126の相関で「容姿と知能に関係がないとは言い切れない」などと書いていた。それだけの数値なら関係いかあったとしてもごくわずかな関係しかないというべきだろう。

戦国武将精神分析」でマウスを取り上げて人間テレゴニーが起こらないと証明されきったわけではないなどと立証責任押し付けた。確かに人間にもマイクロキメリズムはあるがそれはテレゴニーとは違うものだ。それにしても不倫バッシング批判する中野がヒト・テレゴニー説に対して好意的なのは面白い

不倫」でプレーリータネズミのAVPR1a遺伝子を操作すると生殖行動が変わり、AVPR1a遺伝子が人間ボノボで「ほぼ」同じだからといって人間本来ボノボのように乱婚的だと示唆した。

そのわずかな違いが重要な違いであ可能性はあるしAVPR1a遺伝子も実際は空間記憶能力に関わる遺伝子で空気記憶能力の高いプレーリータネズミは行動範囲が狭く単婚的になるというのが実際のようであるhttps://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2015-12/aaft-_4120715.php中野はかなり単純化・歪曲して解釈している。

空気を読む脳」で書いていたサバクトビバッタに至ってはなんとセロトニンが多いバッタ集団志向になるのだそうだ。同著での主張とは真逆だ。

文藝春秋4月特別号の「脳科学者が小室圭を「分析」する 世間常識はなぜあの母子には通じないのか」でゴールドウォータールールに触れておきながら小池百合子ドナルド・トランプサイコパスだなどと言っている。精神科医ですらない人間が直接の診察もなしであの人はサイコパスだなんだと言っているのである

ペルソナ」でセクハラ告発していたが、「脳・戦争ナショナリズム」では以前なら当たり前だったことも「セクハラ」「パワハラ」にされてしまうなどと言い、今日かわいいねと言ったら今まではかわいくなかったってことだと思って泣いた子供批判的に取り上げて世の中が過敏だというニュアンスを込めて論じていた。以前とは考えが変わったという見方もできようが最近でも「昔は乱婚だった、現在倫理を相対化すべきだ」という主張を繰り返している。当たり前だがある倫理が新しいことはそれを否定する根拠にはならない。私は乱婚社会を悪だとは思わないが。

ペルソナ」の話に戻ると、親と子の関係他人が口を挟むなとも書いていた。虐待の温床となる態度である。旧式の価値観に従っていい子でいるくらいなら~などと宣っているが、旧式の価値観にしがみついているのは彼女自身である

そして最後に「不倫」で書いていた、不倫遺伝子によって決定されているのだからそれを断罪することは差別優生学に繋がるという主張について批判しておこう。

別に不倫遺伝子とはあれば絶対不倫するという因果律支配する魔法のようなものではない。ある人はない人に比べてその確率が高くなるといった程度のものなのだ。もし殺人レイプのような重犯罪についてもそのような遺伝子があれば殺人レイプ断罪してはいけないことになってしまうだろう。不倫バッシング遺伝子のせいだとすれば不倫バッシング差別優生学だと断罪することもまた差別ということになり自己論駁に陥る。「あなたの脳のしつけ方」では後天的に脳を変えることもできるのだと書いていた。この頃はまだまともな内容を書いていた。

思うに、彼女の本がベストセラーになるのはこういった免罪的側面のせいなのだろう。そういった遺伝決定論に従えば不道徳な行動も遺伝のせいになり免罪される。世の理不尽なことも「脳や遺伝子のせい」とわかった気になれる。

橘玲の本のレビューにも「遺伝によって決まっているのだから学生時代あんなに頑張ることはなかった」とか「子育てするお母さんに読ませたい」というものを見た。遺伝率とは集団規模での決定係数のことであって個人レベルでは親のIQから予想された数値より高かったり低かったりして当たり前でどのくらい予想された数値と違うかも個人によるのだが。


この記事おかしなところがあったら、具体的な反論をしてほしい。私も流石に脳や遺伝子についてそこまで詳しいわけではない。中野の本を読み、関連する内容を調べた程度なのだ。それでもこれだけ矛盾が見つかる。

追記:2021/5/8

https://next49.hatenadiary.jp/entry/20161220/1482228666

2000年論文で「この損害回避セロトニントランスポータープロモーター領域遺伝子多型との関連を支持する研究と支持しない研究存在し,今後さらなる検討必要である」とあり、2009年メタ分析論文で少なくともフィンランド人サンプルにて不安遺伝子を持っているかどうかと損害回避性(harm avoidance)と神経症的傾向を持っているかどうか調べたところ関係があるという証拠はないという結果がでているのだからセロトニントランスポーター遺伝子が少ないから損害回避的にふるまう傾向があり、そのため、「上位の人間に対して勇気を持って行動できる性質」が日本人にないというのは適切でない主張。”

https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/kenkyu59.pdf

さらに、この S/L 多型は、PET により測定される脳内 5-HTT 結合に影響しないこと、前述したように、5-HTTLPR の多型は S 型と L 型の 2 つではなく、14 種類のアリルからなり、それぞれの機能の異なる複雑な多型であることからS 型、L型の2分法での研究自体に疑問が生じているのが現状である

https://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/03/01/223747

ざっとこんな趣旨記事だが、先に書いたようにそんな気質のものがたった1つの遺伝子で決まるものでは無いんである。このセロトニントランスポーター気質を決めるというのは実は結構な前から沢山の論文が発表され、ある程度そう言える部分はありそうなのだが、それでもその決まる程度は極僅かで、決して「日本人気質」を作ってなどいない。

こういった「1つの遺伝子が性格を決めている」系の話は、すべて科学漫談として楽しんでおけばいい。特にセロトニントランスポーター気質を決めるという話は良く出てくるが、そんなにすごい力コレだけにはないですよ。”

https://www.amed.go.jp/news/release_20160128.html

SNP品質管理などから、最終的に1088名について解析を行いました。その結果、BMP2遺伝近傍SNPストレスフルライフイベント相互作用が、統計学的有意うつ状態と関連することを見出しました(図2、図3)。そして、抗うつ薬作用点であるセロトニントランスポーターなど、古くから知られる候補遺伝子には、有意な関連は認められませんでした。”

どうやらセロトニントランスポーターが「日本人らしさ」を決めているというのがトンデモだというのはまともな研究者ならすぐわかる話のようだ。中野信子はあまりにも本を流行らせ過ぎた。研究者はもっと積極的反論するべきだろう。

2021-03-31

anond:20210331202727

(読みづらくてすみません。途切れたので続きはこちらにて)

前々から気になっていたことですが、腐女子界隈は、この件に限らず、伝聞や憶測で悪意的に解釈するのではなく、事実に基づいて慎重に意見することが必要です。

事実とは異なる憶測や誤解で非難すれば、それは単なる誹謗中傷となり「ネットリンチ」につながります

ですからいくら伝聞や憶測が広がっていても、すぐさま感情的流行に乗るのではなく、いったん冷静になって、できるだけ情報源確認して意見することが望まれるのです。

そしてそのうえで、ただ界隈の規範を参照するのではなく、相手事情理解しようとする姿勢が要されます

相手言動結果的に界隈の規範に反していたとしても、被害者意識に基づいて悪意的に解釈するのではなく、知識はあったのか、悪意はあったのか、どのような文脈での出来事なのか、いったん主観を離れて、俯瞰してとらえるだけでも、感情に振り回されて疲れたりせずに済みます

これは、インターネットだけの話ではありません。現代多様化時代ですから自分とは違ったさまざまな他者と、お互いの個性を踏まえてコミュニケートしていかなければ、たやす不適応をきたしてしまます

そのような意味合いでも、ただ「炎上」の流れに身を任せるのではなく、一人ひとりが目の前の出来事に対して「なぜ」と問い、理解しようとする姿勢もつことが大切ではないでしょうか。

文芸誌ユリイカ」の女オタク特集内の論文でも示唆されていましたが、腐女子界隈の村社会的な特殊性は閉塞的で、自由議論忌避して多様性を認めず同一性要求する抑圧的な特質があります

従来の規範と異なる意見が上がれば、つまり少しでも周りと違う声が聞こえれば、迷わず躊躇わずほとんど一斉に叩く。そのような出来事が断続的に起こっています

少数派の意見が抑圧されて「なかったこと」にされるのではなく、もっと、風通しのよい界隈であってほしいと、一人の腐女子としても思います

おわりに2

炎上」の件で個人的に思い出されるのは、昨年海外で数百万回再生された、さくらみこさんの切り抜き動画です。

その内容は、みこさんが『GTA5』というゲームの実況配信をするものでした。

注目を集めたのは、そのなかで『GTA5』の作中人物が「Fワード」や「Nワード」を口にした際、みこさんが反復するように発音してしまった場面です。

彼女の「ファッ●ュー」や「ニ●ー」という発言は、その動画コメント欄を良くも悪くも賑わせます

しかし、決して炎上したわけではありませんでした。

しか英語圏では、「Fワード」や「Nワード」は人前では憚られる禁忌で、動画であっても問題視されても不思議はありません。

ですが、コメント欄海外の方々は、彼女英語力がないことや、悪意がないこと、台詞の語感のよさから発音してしまたことなどを踏まえ、冷静に意見を書き込んでいました。

なかには、「Nワード」について、台詞の語感がよかったし発音は仕方がない、と黒人と称する方によるコメントもありました。

もちろん、BL同人誌の一件が、この出来事と同列に語りうるとは言いません。しかし、伝聞や憶測や表面的な印象からただちに被害と加害の構図に重ねたり、原理主義的に規範を参照したりするのではなく、相手立場に思いをめぐらせて、尊重しあえるようになればと願わずはいられないのです。

2021-03-08

anond:20210308135643

えっ?それってネトリベやネトウヨ、なんならはてなーの多くに当てはまる気がするけど…

というかかなりの一般人にも当てはまるような?

人間本来持ちうる(負の)特質を一部の属性特有のものということにしたがるのは理解出来ない

それって「日本人虐殺しない」とかの選民思想差別思想と地続きな気がするなあ

2020-12-13

1212

自分自身否定的になっているのは自覚しているし、どうしようもないほど自信が持てなくなっているので、

今度は自分の良い所を占ってみた。

ここで大事なのはランダム性を利用することで理性を挟まずに自分を納得させるという点。

一枚。ワンドのナイト

勇者/出発/出国/

昇進/せっかち/活力/

気高さ/迅速/情熱

勇気、勇敢、前進、行動力

そうだよね。知ってた。猪突猛進

せっかち。

一番乗りはお得意のもの

後先考えずにバッとダッシュするのは得意。

ダッシュしすぎて周りと差が付きすぎ、誰もついてこないのがいつも気に入らないよね。

考えたり、じっくり続けたりするのはそれに比較して得意ではないから、この行動力は一体どこで使えばよいのかしら?

でも、たしか自分特質からそれを認められて良かった。

2020-11-13

anond:20201113135554

世界一困っている人に手を差し伸べない超不寛容民族なのに「おもてなし」ってのが日本独自言葉ってのはウケる皮肉だけど。

まり日本人はとっくに言語固有の特質から乖離してしまっているわけで、日本人が日本語を持つメリットゼロである

anond:20201113135554

世界一困っている人に手を差し伸べない超不寛容民族なのに「おもてなし」ってのが日本独自言葉ってのはウケる皮肉だけど。

まり日本人はとっくに言語固有の特質から乖離してしまっているわけで、日本人が日本語を持つメリットゼロである

anond:20201113135554

世界一困っている人に手を差し伸べない超不寛容民族なのに「おもてなし」ってのが日本独自言葉ってのはウケる皮肉だけど。

まり日本人はとっくに言語固有の特質から乖離してしまっているわけで、日本人が日本語を持つメリットゼロである

2020-10-31

anond:20201031144039

そうなんだね

私の周りには、そういう人はいないんだ。過激言動をする人は声が大きく、どうしても目立ってしまうので、多いように見えてしまうのかな。

元増田が言っているように、人によるものから腐女子とはこういう人なんだ、って思うのはやめてほしい

元増田が、迷惑をかけられたのなら、その人が悪いのであって、その人が所属する集団すべての特質ではないと思ってほしい

2020-07-20

anond:20200720170955

特徴とかは知らんが、女との会話しか楽しめない男ってのが確かに存在していて、そういうやつは男の友人が少なかったりいなかったりすると思う

男との会話しか楽しめない男っていうのの方がもしかしたら男のイメージとして一般的かもしれんが、対象の性集団が異なるだけでおんなじ特質の現れという気がする

2020-06-29

であるが故の連帯みたいなものに対する羨望と冷笑

世の中既にこんな文章は大量に出回っているんだろうが、自分思考言語化する目的表題について考えてみることにする。

冗長で長くなってしまったが、もし読んでくれる人がいればありがたい。

かなり幼い頃から自分不細工だと認識していたし、運動からきしだったためか、早々に自分は「男らしく」はなれないと気づいていた。

ほとんどの男子児童小学校卒業までには一人称が「俺」になるが、自分は「俺」という一人称が野蛮に思えて「僕」という一人称を使い続けた(今もそうだ)。

ここまで明確に言語化はしていなかったが、人生の早い段階で「男らしさ」みたいなものに対する嫌悪感を明確に感じていた。

とはいえ別に女子になりたいわけでもなかった。

口は達者な方だったので一対一なら女子にも口喧嘩で勝てたが、相手複数になると大体泣かされて帰宅していた。

男子にも女子にもそれぞれ固有の嫌なところがあると思っていた。

私は中高一貫校入学した。

やや特殊環境で、中学は完全に男子校、高校女子もいたが全体の10前後だった。(見る人が見れば大体ある程度見当がつくかもしれない)

高校に入って共学クラスになった生徒もいるが、中高6年男子オンリークラスだったという生徒も多い(私もそうだ)。

そんな理由で、高校男子校的な雰囲気と共学的な雰囲気が同居していた(前者のほうが強かった気もする)。

ちなみに女子生徒からは、当初はかなり困惑したがそのうち気にならなくなったという声を多く聞く(サンプルサイズは極小)。

私はやはり「男らしさ」みたいなものには馴染めなかったが、だからといって別に居心地が悪かったということはない。

恋人なんか端から諦めていて、「男らしさ」的なノリはあくまネタとして捉えているオタク自分の周囲に多く居心地が良かったからだろうと思う。

ただ、(おそらく悪気は全くないのだが)女子がいるという事実を忘れたかのように自分男子出身だとアイデンティファイしてしまう友人たちに微かに苛立ちを覚えてはいた。

クラス対抗競技女子がいるクラスには絶対に負けたくない」「◯◯さん女子なのに理数系強くて凄い」と無邪気に思ってしま自分にも気づいていた。

総括すると、ややマイルドホモソーシャル環境で中高時代を過ごしたおかげで、同性だけから構成される空間の良さと悪さを両方知ることが出来た。

男子校では「男らしさ」をやりたい人はやればいいし、「男らしさ」に馴染めなくても馴染めない人間同士で連帯することが出来る。

そして、「男らしさ」をやりたい人々もそうでない人々もお互いに仲が良かった。

そういう懐の広さが男子校の良さだった。

男子校が「男らしさ」を助長するというのは必ずしも正しくないし、むしろそれをやらなくても楽しく生きていけることを教えてくれる。

ただ、同時に異性に対してかなり排他的である、あるいは個人の中で排他性が強化されるというデメリットもある。

一定の人々は、そういう排他的感覚を異性の前で隠すということを覚えないまま大学生になり、社会人になってしまうのかもしれない。

もちろんこれは明確に欠点なのだが、男性のみの集団だけでなく女性のみの集団でも同様のことは言えるように思う。

さて、ツイッターという悪い遊びを覚えた私は大学入学する頃にはジェンダー意識をすっかりこじらせていた。

社会メジャー領域において女性男性よりも不利な立場にあることは理解している。

しかし実感として別に自分が楽に生きているとは思えないし、男がこんな社会を作ってきたのだと言われても自分のことではないのでどうしようもない。

日常において性差別を行っていると言われても、そもそも異性と雑談のような会話をする機会がほとんどないので身を振り返りようがない。

男性全体のあり方と自分のあり方を勝手に分離してしまうのが厚かましく思えて、謂れのない批判を日々受け続けているような気がしている。

からメジャー領域における女性の不利さへの鈍感さに比してフェミニストわずかな瑕疵オタクへの攻撃に対して非常に敏感になってしまう。

女を生きることの苦しみに思いを馳せつつも、特に炎上しているような話題ではフェミニスト批判するツイートのほうが論理的だと感じることが多かった。

多分これはフェアな態度ではないなと思い、ある時期から意識してツイッター上でフェミニストフォローするようになった(体系的に学習しないのは単に私が怠惰からである)。

そうすると、「女であるが故の連帯」ということを明に暗に唱える人々がいることに気がついた。そういう人ほど男性ホモソーシャル攻撃していることにも。

怒り、嫉妬冷笑、およそ穏やかとは言えない感情が渦巻いた。

第一に、一部のフェミニストにとってフェミニズムとは男女同権主義ではなく、女権拡大主義しかないのだと考えた。

私のフェミニズム思考の源流は、身体的に男性であるというだけで「男性」と括られることへの違和感であった。

(ちなみに私はシスストレートであるし、それに関して疑問を持ったことはない。セックスするだけなら男性とも出来る気はしているが恋愛感情女性しか持ったことがない)

まり身体から離脱すること、「男に生まれても女に生まれても生き方が変わらないこと」が目標だった。

みんな男でも女でもない存在になりたいものだと思っていた。

から、「この世の中は女にとって辛いものなのだから、女しか持っていないものガンガン活用していくべきだ」という態度は理解は出来ても共感できない。

私が勝手な期待だったのだけれど、スタンスがはっきり違うことを改めて意識して裏切られたような気持ちになった。

第二に、女性けが持っているらしいポジティブな「シスターフッド」みたいなものが心底羨ましくなった。

私は先程男子校の懐の広さについて書いたけれど、これは恐らく「同性のみからなる集団」のメリットである

そうした「同性のみからなる集団」の特質に加え、どうやら女性には女性けが持つ「シスターフッド」なるものがあるらしい。

何度も言われていることだが、男性の多くは馬鹿話と趣味の話と仕事の話は出来ても辛さを共有することは出来ない。

弱みを見せたくないというのも無くはないが、どうせ真面目に共感されることはないとわかっているからというのが大きい気がする。

実際、自分だって男性から何か弱さを打ち明けられても「うーん大変だねえ」くらいのことしか言えない気がする。

相手女性となれば話が変わってくる。多分、親しい同性よりもそれほどではない異性のほうが親身になって話を聞くだろうし、共感を示すだろう。

性欲由来の優しさだなんて言いたくはないけれど、恋愛対象でも性的対象でもない人間の辛さを親身になって聞くことは自分にはかなり難儀なことだ。

男性の多くはセルフケア能力性的に興味がない他人ケアする能力も欠けているし、それを改善する方法も全く思いつかない。

基本的男性は他の男性に興味がなく、馬鹿話と趣味の話と仕事の話が出来る相手を望んでいるだけなのだと思う。

から、お互いをケアできる人間同士の「シスターフッド」という関係がとても羨ましい。

もちろん、ケアをする能力というもの女性一般が持っているとは思わないし、前述のような理由で辛いことは男性相談するという女性も多いのだろう。

それでも、多分ブラザーフッドに比べればシスターフッドはかなり現実的だ。

しかし、結局はシスターフッドだって別に女性万人が適用できるものではないし、そんな良いものではないんじゃないかという冷笑的な気持ちになることもある。

男子校は心地よかったけれど、誰かが私と肩を組もうとするたびに私は反射的にその手を跳ね除けていた。

自分が女に生まれていて女子校に入ったとしても、多分ベタベタしたことは出来なかっただろう。

結局ブラザーフッドにせよシスターフッドにせよ、自分が男/女であることにためらいも屈託もない人間だけのものしかないのだ。

自分は明確に男/女であるが、男にも女にもなりたくない卑屈な人間として、ブラザーフッド/シスターフッドを嘲笑してやろうと思っている。

お前達のようなポジティブ人間に救われてなるものか。

少し話が変わるが、感覚としてBLを愛好する男性GLを愛好する女性に比べて遥かに少ない。

ストレート人間に限って言えば、女性が好きな女性に比べて男性が好きな男性というのは少ないのだろう。

男性から見れば、ブロマンスなど女性にとって都合が良いファンタジーしかない。

男は無徴だなんて言うと怒られそうだが、実際身体感覚として男性同士で共有できる「徴」みたいなものは思いつかない。

あるとして、「男はつらいよ」は「女のほうがつらいよ」によってポリティカルインコレクトで不健全ものにされてしまった。(ここにもやるせない怒りはある。もうどうしろと...。)

なんというか、男性であるということに手詰まり感がある。

愚痴ばかりでは締まらないので、身勝手でも現状の希望を書いて終わりたい。

私はやっぱり異性の恋人が欲しい。

生きているだけでしんどいこの世の中で、なんとかお互い傷を舐めあえる恋人が欲しい。

男の連帯にも女の連帯にも馴染めなかった恋人が欲しい。

何とか自分に与えられた分以上は与えるように努めたい。

大学では何とか異性と話せる程度にはなったし、卒業たころには(私の思い込みでなければ)ごくわずかながら友人も出来た。

年代の男女に比べれば遥かに遅れてはいるが、成長していないわけではないはずだ。

この話はこれきりにして、まずは毎日きちんと肌の手入れをするところから努力したい。

2020-06-19

anond:20200619180836

聞いてるだけなのに、被害妄想だと思うなんて政権批判アレルギーなのはお前個人特質だぞ。

文脈からして、自民党より民主党のほうがガタガタだったから、今の自民党は大してやばくないって主張だろ、会話もまともにできんのか?

anond:20200619180709

また被害妄想してる

おまえが自民党アレルギーなのはおまえ個人特質

まわりもそうだとおもって政治荒らしして回るな

2020-05-03

anond:20200503141956

良いテーマ

自分もこの数年そう思うことが多かったな。

出る杭が打たれる系の、イノベーション起きない系の文脈で。

責任というものを恐ろしく大きく捉えていて、

それゆえに自分では手が出なくて抱えられないし、

抱えるべき人に対して期待や煽りや揚げ足が過剰になる。

それが、国政や経営はもちろん、下手したら「自分今日着るもの」の水準でいちいち責任を重く捉え決断を躊躇する。

これを責任畏怖症と呼ぶとすると。

同調圧力日本人重要特質だけど、

同調圧力はこの責任畏怖症と裏表・鶏と卵の関係にあると思うな。

2020-04-24

コロナ後の日本社会の一番の変化

リア充を頂点としたスクールカーストおよび社会階層が変わる。

土居健郎が指摘したように、日本社会は「甘えの構造」を特質としている。

いかに甘え上手か、いかに甘えていいタイミングとそうでないタイミングを見計らうかの技術を持ったものが、リア充として社会カーストの上位につけ、甘え方の技術を持たないものたちは下層に追いやられた。

しかし、その「甘えの構造」を持った社会は、おそらくこのコロナ後の社会で一変する。

「甘え」とは、つまるところ他人との「距離の詰め方」のことである

この「距離の詰め方」は、当然に物理的な距離の詰め方につながる。

顔を突き合わせ、腹を割って話す。これらは近い距離で話すことで上手くいく。物理的に上手に距離を詰めることによって、精神的にも他人距離を詰められる。

だが、コロナ後の社会においては、この物理的に距離を詰めるという方法が使えない。

リア充の得意な戦法がまったく機能しなくなる。


では、物理的に距離を詰める「甘え」の戦法が使えなくなった後の社会はどうなるのだろうか。

これは正直わからない。

日本社会特質である「甘えの構造自体が変化したりなくなったりしてしまうのか。

物理的な距離が遠くても他人を取り込むことができる、信者ビジネス的なコミュニケーション方法流行るのか。

とにかく変化を見守るしかない。

2020-04-17

anond:20200416194506

不良ぶりたがる、協調性がない、からかい半分に他人挑発する、という過去自分への評価は、ネトウヨ嫌われ者と言うより、自分他人とは違う特別人間に見せたがるごく普通若者のごく普通特質な気がする。

ほんの数年前の自分をそこまで冷静に客観視出来るようになったのは文中にあるようにお兄さんの説教が効いたからなんだろうけど、正論を言い吉本西部を読んでるお兄さんやお父さんってネトウヨがとても嫌いそうな相手なのに、素直にいうこと聞くあたり、増田はお兄さん実は大好きなのでは。

いまの関係は書いてないが、仲良く楽しくお父さんとお兄さんとおしゃべり出来るようになっていることを祈る。

2020-04-05

やっぱり婚活ってevilだわ

婚活構造って、人間性とか人柄、個々人が持ってる独特の特質みたいなのが完全に無視されて、画一化された評価になるんだな。特に男性へは定量的な要素が重視されやすいのは至るところで言われてるし。

そういう場に長く身を置いてると一次元的に人を評価するようになって、俺、私様が下のやつを啓蒙してやるよ的な思考になってるのがよく分かる。利用者運営アドバイザー)、どちらもな。

こういう奴らが信頼スコアみたいな物を推進しようとしてるんだろうな。

2020-03-26

anond:20200326111356

普通ラーメン替え玉で1000円超える店とか害悪でしょ

外国ならともかく日本で。特質する部分も無く

2020-03-25

今、北朝鮮生意気言ってきたら

各国面倒だから核即発射しそう。無論、先に北朝鮮ミサイル基地は壊滅させて

実際は静かだから空気は読める模様。飛翔体発射は特質すべき内容でもないし

2020-03-13

新型コロナ「ばらまいてやる」の男性傷害罪を問えるものだろうか

コロナ「ばらまく」男性捜査へ 飲食店の従業員感染 愛知県警(時事通信) - Yahoo!ニュース

 ついに威力業務妨害等の容疑で捜査が始まるらしい。ところでブコメでは傷害罪に問うべきという意見も多かったと思う。

 ブコメでも出た性感染症の事例(昭和25(あ)1441)を見れば確かに傷害罪は成立しうるとも見える。

 ただ個人的には今回の件と同一視できるのかという疑問もある。刑法に関してド素人中のド素人である自分が語っても仕方ないのだが、詳しい人がいたら意見をください。

(1) 因果関係

 基本的刑法では「その行為がなければその結果が生じないであろう」(コンディチオ公式)という条件関係が成り立たねばならないとされている。もちろん単純にこの公式が成り立てば因果関係が成立するというわけではない。例えばAが交通事故を起こして傷つけた相手Bが救急車に運ばれている最中地震が起きてBが倒壊したビルに下敷きになり死亡した場合にAがBの死まで刑事責任を負うというのは考えにくい。まあ、このあたりは相当因果関係説やら客観的帰属論やらの領分だろうと思うので重要だろうが今回は無視する。

 ところで、性感染症の事例ではこの公式比較的容易に確かめやすい。飛沫感染接触感染するわけでもなくほぼ性的行為やその類似行為をした場合感染すると分かる。対象も絞れるしそこから性感染症の持ち主を同定するのも必ずしも難しいわけではない。要するに「その性的行為がなければ感染は起こらなかっただろう」というのがほぼほぼかると言ってよい。

 一方で、新型コロナ場合はそうとも限らない。飛沫感染では可能性を絞り切れない。もちろん現状濃厚接触者の絞り込みはできていると言えなくもないが、もしかしたら自覚症状のない感染者と接触していた恐れがないとも言えない。実際今回は直接接客していない店員感染が認められたという。すると結局「被告人利益」ということで無罪推定原則対象になるかもしれない。

 一応関連して疫学因果関係疫学的条件関係)という考えもある。疫学証明病理学的証明により合理的疑いを超える確実な事実認定するという考えで今回の件でも使えなくもないかもしれない。ただ、これが採用された判決の多くはさつま揚げ中毒事件のような広義の公害事件である。また千葉大チフス事件のようなものもあるが、こちらは医師赤痢菌やチフス菌を食品に添付したり注射で投与したりしたというとんでもない事件なので、今回のように感染個人が濃厚接触を試みるといった程度の話に援用できるかは微妙な気もする。

(2) 故意に対する認定

では、今回の女性のように、「故意感染させるつもりがなかった」場合はどうなるのか。鈴木弁護士は、「過失と認定するのは難しく、感染させる可能性を認識しつつ認容していたら『未必の故意』があったと判断されるケースが多いのでは」と述べ、傷害罪適用される可能性が高いと指摘した。

「HIV」隠して関係もつと犯罪になる? 男性怒りのブログ投稿で話題に : J-CASTニュース

 次の論点に行く前にここを押さえておきたい。要するに性感染症場合感染認識があるのに感染リスクのある行為を行った時点で未必の故意が認められ傷害罪適用されるだろうということが書かれている。では、少し話は変わるがインフルエンザ場合はどうだろうか?感染リスクがある行為を行っただけで傷害罪となるだろうか?とすれば、インフルエンザに罹っているにも関わらず出勤するような行為傷害罪に当たるのではないかという話が浮上する。だが、これは一般には認められないだろう。性感染症感染リスクのある行為性的行為でありしか一般にそうした行為を行えばほぼ確実に感染するであろうという認識(実際にそうかはさておき)が存在する。例えば性感染症者と性行為をしたと判明した時と同僚がインフルエンザと判明した時を比べてみればいい。前者の方が感染しているかもと思うだろう。それなりにお気楽気持ち通勤してくるインフルエンザ患者がいる(しそれを許容ないし強要する会社がある)のはそういう理由である。つまり感染リスクといっても程度に差があり、性感染症場合は結果の発生を認容しているだろうから未必の故意が認められインフルエンザのような場合は結果の発生を認容しているとまでは見ていないだろうから未必の故意が認められないということになるのではないかしかし、だとしてもまだ問題がある。

(3) 過失傷害との関係

 素人考えだが実はこちらの方が問題なのではないかと思っている。刑法には過失傷罪の規定がある。これは逆に傷害に該当する行為特定する際に過失傷害のことを念頭に置いておかなければならないという意味ではないか。言い換えれば、故意を伴う特定行為傷害罪認定した場合故意はなくとも過失を伴う同様の行為をしても過失傷害として刑罰を与えなければならないということになるのではないか。例えば今回の新型コロナの事例では移す故意を持って濃厚接触した男性傷害罪とした場合インフルエンザを移す過失を犯した人も過失傷害で罰さなければならないという帰結になりはしないかということである

自分性病感染していることに気付いていない場合には、理論的には過失傷害罪の成否も検討されますが、感染に気付くべきだったという注意義務違反(過失)というものはなかなか観念しにくく、また立証の困難さを考えても現実にこれを処罰することは難しいと思われます

知っているにも関わらず!性病隠しての性交渉は罪?(JIJICO) - goo ニュース

 まず性感染症場合に過失傷害を想定するのは難しい。これは以上と(2)で引用した文に沿えば、(a)感染に気付くべきという注意義務が考えづらく(b)感染認識した上で感染リスクのある行為性的行為)をした場合には過失ではなく未必の故意があると認められる、という2点にまとめられる。しかしこれは性感染症特質ゆえではないか

 例えばインフルエンザ場合を考えてみよう。インフルエンザ場合は大抵熱が出る。特に冬であれば少なくともこの時点で風邪インフルエンザかという発想になるし、熱が高ければインフルエンザかもしれないと感付くだろう。つまり(a)感染に気付くべきという注意義務が想起されにくくとも感染認識自体は朧気なりとも持っていることが多い。感染認識をしやすいとも言えるかもしれない。新型コロナ場合は逆に風邪に似ていて逆に感染認識しづいかもしれないが…。一方で、(b)先ほど(2)で述べたように未必の故意までそうそう認められないだろう。しかし、これは性感染症では未必の故意が認められる範囲が過失として認定されるという可能性を排除しない。

 そこで新型コロナインフルエンザに過失傷害問題が生じる。性感染症と違い未必の故意をそうそう認めず「移してやる」という意思があると立証できた場合のみを故意とするよう厳格に解釈しても結局過失傷害範疇から逃れられない。インフルエンザや高熱の認識があるのに通勤してきた人間は恐らく過失を認められるのではないだろうか。特に咳エチケットを守らないようなのは他者への感染という結果を全く回避するつもりがないと言わざるをえない。こういった事情法令解釈に読み込んでよいのかという意見はあるだろう。しか裁判官人間であるから同程度に説得力のある解釈が2つあればいたずらに社会不安を招くような解釈でない方を(因果関係論など他の理由をつけて)選択やすいというのもまた事実である

(4) 以上のような指摘を回避できるか

 と言っても上手く構成すればここまで書いてきた問題回避できるかもしれない。

 第一に新型コロナのような新しい感染症とインフルエンザのような日常的に存在する感染症を分けることができればよい。例えば次のような文章風邪インフルエンザであっても傷害罪可能性はあるという前提の元で書かれているが、因果関係問題現実処罰は困難だろうとしている。

また、誰からうつされたかという点についても、よほどの閉鎖空間で、特殊病気を持っているのが加害者しかありえないということであれば、特定の人からうつされたと証明することも可能かもしれません。

しかし、多くの人は日常生活を送る中で膨大な数の人と接触していますから病気うつされたとしても、誰からどのように感染たかは分かりません。

そのため、現実的にはただの風邪インフルエンザといった感染症をうつしてしまったとしても、傷害罪として処罰されることはないと考えてよいでしょう。

病気を人にうつしてしまったら犯罪か? | 福岡の刑事事件に強い弁護士による無料相談

 私は(1)で、因果関係について性感染症インフルエンザ・新型コロナの間に線を引いたわけだが、インフルエンザと新型コロナの間に線を引ければ今回の新型コロナ患者傷害にしようと多くの人に問題は生じない。つまり新型コロナは濃厚接触者が現段階でもある程度把握できることが多くこの程度の蓋然性の高さであれば因果関係を認めてもよいだろう。一方もはやよくあるインフルエンザでは飛沫感染とはいえ絞り切れないか蓋然性が高いと立証するのは現実に困難だとさえ言えればよいわけであるとはいえ新型インフルエンザが突然生じて感染した場合にはおおよそ感染ルートが特定されてしまうので過失傷害罪で罰せられる可能性は否定できなくなってしまうようにも思える。

 第二に過失犯の成立が困難であれば問題がない。要するに故意による傷害罪が新型コロナインフルエンザで認められても過失が認められる要件が厳しければ多くの人には特に問題が起こらない。1つには過失傷害親告罪であることを利用し一般市民の善性を信じるというわけである。もう1つには実際に理論上過失犯が成立する条件が厳しければよい。過失論はよく分からないが大抵義務違反などを想定するはずなのでそのあたりで何かできたらいいんじゃないか的な話で、まあそこは詳しい人に任せる。

 まあ、何か書いてて刑法のこと全然分かってないな感が伝わってしまったと思うのだが問題提起ということで許してほしい。

2020-03-01

anond:20200301112556

親切/利他精神というのは生まれつきのギフトということ

親切/利他精神が生まれつき足りない子は逆張りしていないで学習/訓練した方が良い

あるいはCU特性がないか確認したほうがよい

▼「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):シカゴ大学 研究結果


ラットは閉じ込められた仲間を見ると、その仲間に共感し、助け出そうとする。しかし、抗不安薬が投与されストレスを感じにくくなるとこの行動が見られなくなる、という研究結果が発表された。

「閉じ込められた仲間を助けるには、仲間と同じ気持ちになる必要があります。これはわたしたち人間の行動を思い起こさせる結果でした。わたしたちも、ラットと同じ哺乳類なのです」とメイソン教授は語っている。

「誰かを助けると、通常はいい気分になります他者を助けることは、いわば一種麻薬のようなものなのです」とメイソン教授は言う。「これは、おそらく進化過程で獲得した哺乳類特質なのでしょう。互いを助けることは、種の繁栄もつながるのです」

マウスに『共感能力 (川崎福祉大学)


https://k.kawasaki-m.ac.jp/data/2473/media_dtl/


2020-02-16

古今伝授ウイルス

思うところあって中屋敷均『ウイルスは生きている』を再読。走り読みなので細部までは目が行き届いていないが、これを読んだ時に受け取った熱を思い出した。2016年3月初版発行からそう経たぬうちに読んだと思うが、今は随分ここから遠くに来た気がする。本書が今の自分とは縁遠いものという意味ではなく、寧ろ逆にずっと俺の心を捉えて離さなかった。自分世界認識に深く影響を与えた(与えている)ので、もっとずっと昔から自分の中にあったように感じていたが、たった4年前のことなのか。

思うところが何かを明確に言語化するのは難しいが、

古今伝授を真に理解するためには、それが中世社会特質と深く関わっていることを考えなければならない(古今伝授和歌という縦糸だけで説明しようとするからダメなんだ。中世という横糸を忘れている)。中世は壮大なコジツケの体系が構築された時代神仏習合本地垂迹説・卜部神道中世日本紀等々…の奇妙奇天烈世界観!古今伝授もその一環として見るべきではないか。コジツケと言われればそうだけど、それはその時代の人々にとってとても必要なコジツケだったのだ、という。もし積極的な意義を見出すのならその方向から説明しなければならないのだ。(古今伝授を受けた天皇を中心に優れた歌人が輩出された、だから歌学教育として意味があったとかバカか。優れた和歌とは何かという定義評価軸じたいが古今伝授支配圏内形成されるのだから、優れてるかどうかを論じること自体ナンセンス。)

古今伝授古今伝授になっていく過程、つまり古今集という単なる書物が、あるいは勅撰集編纂という律令制国家の一事業が、その枠を超えた何か大きな・尊い民族文化の精髄のように認識されていくそ過程において、付与された様々な言説――三木三鳥だの八雲神詠だの人麻呂がなんちゃらかんちゃら、後世から荒唐無稽とさんざ罵倒されることになるこれらの言説は、あたか胎盤形成におけるシンシチン(syncytin)のような役割果たしていた、と考えることはできないのか。異物を異物と感じさせない、捏造捏造と感じさせない仕掛け。それは、倫理的断罪とか文化価値の優劣の俎上に乗せるのはふさわしくなく、その仕掛けを通じて何が実現されたか、その何かはその仕掛けを用いずには実現され得なかったのか、をこそ見るべきではないのか。

本来ウイルスもつ能力自己の一部として、機能として取り込む。生物自己の維持に必要機能の一部を外部環境依存する。ポータブル外部環境としての細胞生命と非生命境界は我々が思っているほど明確に線引きできるようなものではない。我々の生命定義は、あまりにも我々が日常的に馴れ親しんだもの見方に、「個人」という概念にひきずられてやしないか・・・というのが本書の示唆するものの最も深い所だ。

契沖や子規の批判は分かる。俺も一個人としては古今伝授(に代表されるもったいぶったコジツケ家)はバカジャネーノと思う。が同時に、それは文化・知・個人といったものについてこっちの定義/概念押し付けてるだけじゃないの?とも思う。

根拠がない、合理的でない、和歌質的向上につながっていない、という。では何故根拠がなければならないのか?合理的でなければならないのか?なぜ質を向上させなければならないのか?

これらの批判は、文化とは何か、個人とは何かについての定義をすでに前提にしていて、その立場から加えられている(反論する側(古今伝授擁護する側)にもその立場から反論するやつがいからどうしようもない)。まず始めに個人がある、歌は個人気持ちを詠むものだ、しかるにコレコレの御方に入門しなければ和歌は詠めないのだとはけしからんしかもその御方の教えたるやひたすらややこしい制約ばかり、かつ透明性のかけらもない、おまけにそう教える根拠はどこにあるかと探してみれば無い、要はこいつがでっち上げた妄説じゃねえか、それで偉ぶったり金巻き上げたりするなんて悪どい奴らだ・・・、こういう自他の区別、新旧の区別、真偽の判別をつけずにはいられない、ある意味病的な正義感いかにも科学合理性に偏っている。

しかし、それとは全く異なる評価軸があって、古今伝授は(中世の壮大なコジツケ志向は)その軸からみればもっとずっと整合的に理解できるはずだ。

本書の示唆する構造は、外来文化自家薬籠中の物にする日本文化性質(漢字仏教等々)、中世の遺制としての近世身分制(身分的周縁論)、象徴天皇制(近代国民国家の中の「伝統」)などに比較してみると実に都合がいい。

本来異質な要素を自己の維持に不可欠な一部として取り込み、その「元異質たち」も含めた全体として再生産されていく。あるいは新しい政権が成立する際に、それ以前からあったが途絶えかかっていた慣習を改めて制度化し流用する。取り込まれた方は同一性が失われ単なる機能に解消されてしまことなく、細胞異変があれば細胞生物独立した生物としての振る舞いを取り戻すこともあり得る(少なくともあり得ると見なされる。226事件を想起せよ)。天皇機関説ならぬ天皇ミトコンドリア説。

文化じたいが多かれ少なかれこういう性質を持っているのだが、特に日本はその傾向が顕著というか、世界中に普遍的にみられる文化現象の一例というだけでは説明のつかない点が多い。(なぜ先端技術の粋を凝らした構造物を建てる前に、土地の霊を鎮めるための宗教儀礼をやるのか?なぜ参加者は誰もその宗教信者でないのか?わけがからない。)こういう部分を説明するうえで本書の示唆する構造は役に立つ。その応用系として、古今伝授についても似たようなことが云えるのではないか

2020-01-10

anond:20200110094201

一般教育界隈で「いじめられたほうが悪い」とされるのはさ。

例えばコミュ障のやつがいじめ被害にあったとして、実際に周囲の誰もが「だってあいコミュ障からいじめた」と言っているとするじゃん。

でも同じようなコミュ障の特徴を持った子供が、ほかの学校いじめられているかというと、そうではないんだよね。むしろいじめられてない事が多いくらい。

 

いじめられている側の特質が、いじめを誘発するのではない、と考えられる訳だ。

 

ケースバイケースだからどっちが悪いか場合による、のではないんだよね。

ケースバイケースだってことは、被害側の責任存在しなくなるんだよ。

2020-01-06

anond:20200105100330

はてな民の絶賛ぶりが怖い

聡明で明晰

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こじらせをまったく問題と思わずしろそのわがままは受け入れられ愛されるべきと考えているのはふつうに狂ってる

母親が愛されたくて行動しているはずの問題行動をそれは愛ゆえだといわない時点で他人を愛する気持ちが一番身近な人からして存在してない

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少なくとも家庭と子供資産を作り上げることができたであろうしまたそれを築くためになにかが壊れたのかもしれないが結果ができている

なんの結果もない人間の不満と考察でそれが叶えば成しえるという可能性もないことを成し遂げた人間要求する意味は何なのか

薬に多少でも毒要素があればそれは毒だ人を病ませる殺すと騒いでそれが不満であるという自分意思尊重されるべきなのか

多少の毒でもそれを引き換えに受けられる恩恵がおおきいのか、そういう特性の一部が役に立つのかなど考察がまったくない

他人を慮る気遣いがまったくない

親だからというそ特質においてそうなのであれば恋人や家庭にはいった人になるとその条件要求が発動するのか

かにも恐ろしくてキモイだけな様相は多々みうけられるが他増田ブクマカが正常な脳の活動にもどって冷静にこのサイコパスに気が付いてほしい

2019-12-09

現代ビジネス「負の性欲」記事への疑問

現代ビジネス記事 「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」(御田寺 圭)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69024

について、読んでいて多少飛躍があるなと思ったところ、疑問が残るところ、検討したいところを引用コメントをつけていますTwitterでやろうと思ったけど長くてむりだった。

 

【オスの性欲は「交渉権の行使であるのに対して、メスの性欲は「拒否権行使であるともいえる。

積極的能動的にパートナーを探し、あわよくば複数のメスとたくさんの子孫を残そうとするオスと、受動的・消極的パートナーを選ぶことで子孫の生存確率を高めようとするメス──前者の行動を「正」の性欲に基づく行動とするならば、後者の行動はまさしく「負」の性欲に基づく行動といえる。 】

→筆者はこれが負の性欲の定義としている。受動的・消極的が「負」というのはなぜ?

そもそもパートナー選びは非常に能動的な行動では? メスはオスを選んでいる。「選択権の行使」ではないか

→これは人から聞いたのだが生態学進化心理学には「正」「負」という概念はないのだそう。あるのは適応度。優劣を持ち出しているのはスペンサー社会進化論適者生存)で批判されている――とのこと(この辺は自分不勉強)。

 

【異性に「生理的嫌悪感」を内心で抱くぶんには自由であるしかしそこを踏み越えて「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」などと対象に言明することは侮辱侮蔑であり、まぎれもなく加害性のともなう行為である。】

→「拒否権行使」は「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」と言うことを示しているのか?

→「拒否権行使」することと、「キモい」という言葉をもって相手を拒絶することは、イコールではないのでは? 相手を選ぶ権利は誰にでもあるが、選ぶ際に相手を加害する権利はない、という主張には納得する。

→どれくらい「キモい」って拒絶されているの? その拒絶の仕方は女性特有なの?(これは後段にもあるが、男性女性を「キモい」「ブス」といって振るケースもたくさんある。ならばこれはオス・メスに分けて考えるべき問題なのか?)

 

【「異性に対する加害性をもつのは男性だけではない」──とする、いわゆる「反転可能テスト」のひとつである。】

→ここは同意です。

 

【性淘汰はホモサピエンスにも働いていることについて】

→そう。ただ、動物よりも淘汰が働くスピードは遅いのでは。また文化が変化しているため、なんの特質評価されているのかはわからない

→性淘汰=「負の性欲」なのか?(ではなくない?) むしろこの原稿主題は「負の性欲」から発生する「キモ」言説の加害性ではないか

 

【人びとは「新自由主義的」なパートナーシップ市場で「よりよい相手」を巡って際限のないえり好みを続けている。厳選すれば厳選するほどに、よりよい相手と巡り合える可能性が高まるのだ。つまり「負の性欲」の効用が最大化される時代である。】

→これは効用は最大化されない。なぜなら男性女性を年齢で選ぶ傾向があるため、厳選すれば厳選するほどに(=時間がかかればかかるほど)よりよい男性が遠ざかっていく。そのため女性はどこかで妥協せざるをえない。妥協しない場合、「よりよい相手」すら出会うことはできない。ちなみにこの「新自由主義的な市場における際限ないえり好み」は女性だけの問題ではない。この文章男性側の方がむしろ当てはまる(なぜなら男性のほうが年齢による減点がゆるやかで年収の上昇のほうが効果的な段階があるため。一定までいくと年齢による大きな減点が発生することがほとんどだが、女性の方がその影響の発生がはやい)。

 

【「自分に接近し、性的アプローチしてきた男性拒否(厳選)する」という枠を超えて、特にSNS上では「自分に向けられているわけでもない、無関係他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」が頻繁に起きている。それこそが、「負の性欲」が問題化される局面である。】

→「頻繁に起きている」データがない文章。「それこそが」~とあるが、「自分に向けられているわけでもない、無関係他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」というより、筆者は「キモいと言うことの加害性」一本でいったほうが筋は通っているのでは。

 

【先日SNSユーザーたちが、ネットの片隅で「1020代結婚したい」と望み活動する40代男性に対して、「キモい」「加害者」という非難ニュアンスを多分に含んだコメントスクラムを炸裂させたことは、自他の境界を見失わせる「負の性欲」の暴走如実に示す実例だったといえるだろう。】

→例えばこれが、18歳の子供をもつ40歳の母の発言だったとしたら筆者は「負の性欲」という表現を使うだろうか?(※でもこれはちょっと家父長制的な考え方だからこの問いかけは危険な部分をはらんでいる)

 

現代社会はふたたび「一夫多妻制」への道を歩もうとしているのかもしれない。「キモい存在排除してもよいという「先進的な倫理観」に基礎付けられた、新たな一夫多妻制──すなわち、一生のあいだに多数の女性性的関係もつ男性たちと、一生生殖の機会が得られない男性たちに分かれる「非同期型一夫多妻制」の実現へと。】

→すごい飛躍であるのでこれ以降は特に読まなくていいかなという感じ。ただ一人の男性複数結婚している(再婚)疑似一夫多妻現在日本でも存在している(でもこれって近年増えているものなんだっけ? その辺のデータはどっかで見たことがある気もする)。SF的なIFを許容して話を進めると、現代避妊技術が向上しており、アルファ男性といえども複数女性とその子供を養うお金は十分ではないので、子どもは「正妻しか持てないくらいの数に減り、社会崩壊する。ヤッター!

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