はてなキーワード: 軟禁とは
生成AIの進歩でイラストレーター()たちが自分の仕事を奪われると叫んで久しい。
正直この流れはもう止められないし、ソシャゲバブルとVtuberバブルのおかげで収入を得られているだけの泡沫絵師はもう生き残れないのは確定した。
生成AIを規制する道は登場直後くらいならわずかにあったが、当の本人たちがあまりにも阿呆すぎて可能性は潰えてしまった。
そもそも、日本でイラストレーターというとアニメ絵、萌え絵ばかり想定されているが、実際にはいらすとやに仕事を奪われたような人、デザイナー一環としてイラストを描いているような人、さまざまいるわけだ。必ず人物画を描いているわけでもない。
ここでは基本的にアニメ絵、萌え絵を描いている人たちを想定して話を進める。
で、ここ数日はイラストレーター()たちがあまりも社不すぎるという話題をチラホラ見かける。
仕事としてかかわったことはないものの、趣味活動の延長で何度か依頼したことがあるが、本当に簡単に飛ぶし気軽にスランプで描けないとか言ってくる。
所詮こっちは趣味だし、向こうも趣味であることが多かったし、スランプで描けないはまだなんとか許せる。そういうものだというもの理解できる。
でも飛ぶのは本当に理解できない。なんなんだお前らは。あまりにも無責任だろ。
チームを組んでやろうと思った時に、「イラストレーターさんが最後まできちんとやってくれるなら」という条件で参加してもらったこともある。(ちなみにその時の絵師は飛んだ)
そんな条件が出てくる程度には日常的に蒸発するわけだ。彼らは。
アニメSHIROBAKOでアニメーターが自転車で逃げようとしたところを捕まえて軟禁するシーンや、監督を監禁してシナリオを描かせるシーンがあるが、ヤツらはそれくらいしないと本当に無責任に逃げ出すのだ。
彼らは仮にも企業所属なので逃げるのも限界があるが、フリーランス()ともなると自分の評価にさえ目をつぶれば自由に放棄できるわけだ。
契約書を交わさない問題はイラストレーター側にも発注側にも都合が良すぎるから習慣化しないんじゃないか?
それはともかく、料金表がないから想定金額で依頼出したら安すぎるとキレて晒したとか、本当に意味がわからない。
お前はプロでいたいのか? あまりにもプロ意識がないんじゃないか?
そして本題だ。
あまりにも法に理解がない。お前たちが仕事をする上で必要な法律の知識がなんでないんだ?
確かに最終的には商売敵だから使いたくないってのはわからんでもない。
だから使えとは言わないよ。
でも仕組みくらい勉強しろ? 何も知らずに批判できると思うなよ?
この不勉強さが本当に主張を薄っぺらなものにしてるし、仕事への向き合い方にも表出してる。
この先、道具としてのAIを使えない人間は淘汰されて肉体労働しかできなくなっていくと思う。
生き残れるイラストレーターは、岸田メルやしぐれういみたいに『需要を自分で作れる人間』か、絵の上手さに人間性を全振りした人間だけだと思う。
そうなると、バブルだからお金をもらえているだけの、不勉強な社会不適合者なんか生き残れるわけがない。
だから自分がその『一部のイラストレーター』なのかどうかを冷静に分析して、そうでないなら社会不適合者なりに社会で生きてけるように努力しろ。
『自分は絵の勉強をしてる』本当か? 生成AIに反対を叫んだ時点でできてないよ。この先、新しい道具を使いたくないやつが生き残るなんてどれだけ難しいんだ?
だから今から生きていける程度に適合する努力をしろ。就職しろ。お前は絵で食っていけるほど上手くないよ。
今何かにつけて文句言ってるお前、お前だよ。お前は絶対生き残れないんだよ。
絵の練習してますとかいって何かを研究するわけでもなく手癖で描いてラクガキですとか言ってるお前だよ。生きていくために努力しろ。
誰も教えてくれないどころかちやほやされて気づかないだろ。それは努力じゃないよ。
伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には
話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。
安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。
しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく
従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。
一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟が
ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。
後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。
しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、
貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。
また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。
だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」
という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。
父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。
また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった
愚痴をよく聞かされていたそうだ。
私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と
どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり
また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。
従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。
何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がようやく重い腰を上げ
知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。
従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。
本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し
それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。
それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された
住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。
今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば
引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。
当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。
人間の善性を素直に信じていたといえる。
一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。
最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。
何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。
落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。
翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。
久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。
結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。
伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。
従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。
それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応は悪化するばかり。
また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという)
共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。
ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい)
家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも
精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと
支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。
最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。
話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。
また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に
結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。
生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。
文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、
知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ)
生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活管理費用、
高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を
それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、
それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。
話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。
仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、
最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ
罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。
しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い
どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」
親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。
そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に
身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。
正直、驚いたし怒りも湧いた。
嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。
何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。
話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所
伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。
アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と
まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。
母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。
週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。
伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか
あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな!
といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。
家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。
もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に
というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。
やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と
一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。
伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも
ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。
従兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが
両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。
これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。
受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、
これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。
団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った)
従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。
とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、
文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの
言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。
それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。
しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり
表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。
団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、
そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。
あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。
団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた
従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや
どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」
「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の
嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。
さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。
父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。
母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。
内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」
という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。
しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。
その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。
そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。
しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり
「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」
「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。
しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。
全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。
当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か
「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。
警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、
よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、
「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。
弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。
私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。
結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。
伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ
定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、
今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。
自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。
今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり
年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。
私はさ中学生〜高校生あたりまでずっと「うちはお金ないんだ、貧乏なんだ」って思って暮らしてたんだよ。だって病院行くにも「あんたはほんま金かかるなあ」って文句言われるし塾行くにも編入するにもずっと金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金って言われて育てられたから。お金よりもまず娘の体調を心配して欲しいのに。だから私はもっとお腹を壊すのに。そんなにお金がかかるのが嫌ならなんで子供なんか産んだんだよってずっと思ってた。なのに妹がうちの家計についてなんて言ってたか知ってる?妹がが買ってもらおうとしていたものに対して「それお金かかるじゃん」って私が言ったらさ、「大丈夫、わたしお父さんとお母さんのこと信頼してるから!だって何でも買ってくれるもん🎶」だよ?
私だってわかってるよこの家が貧乏なんかじゃないことを。だってお父さんはいつも良い服着てるし子供のセーターを買う時には一直線にイーストボーイに行くし、お母さんは物価高に気づくのが私や世間よりずっと遅かったし、何より一馬力なのに物価高の今でも変わらぬ生活水準を維持できているし。平均以上、いやさらにそれ以上のお金がないことはないって気付いてた。ただ長女の私に余計なお金を遣うのが本当に嫌なだけなんだと。私は通信大学に入学が決まった時、「ああこれでまた『アンタは金がかかる』って言われなくて済む」って心底安堵した。それでもスクーリングの学費や交通費を申請するのは気が重くて、なんて言われるか怯えながら毎回お願いしてた。「アンタは金がかかる」って言われるたび、私は「アンタなんか要らないのに」って言われてる気持ちになるから。今年の冬、いつも自分で払ってる教科書代が、授業が重なって高額になってしまって、いつもお父さんが「教科書代は出してあげる」って言ってるのを信用して今回は出してもらえないか聞いたらさ、大きなため息ついて乞食扱いだよ?お金はあげる、それくらい自分で払え、父親と母親の板挟みで、信用したら裏切られて甘えようとしたら突き放されて。お金を貰える貰えないよりも、このやりとりが何よりもつらかった。
これが一貫して「子供にお金を遣うのが嫌な親」だったらまだ納得できたのに、妹にはポンポンお金遣ってるんだもん。そのうえ「アンタは金がかかる」と責めることもないし、「誰の金で生活してるんだ」と必要以上の罪悪感を抱かせることもしない、もちろん乞食扱いだって一切しない。ずるいと思わない?私なんか最初から要らなかったんだと思わない?私がいなくて妹だけだったら良かったのにっていつも思うの。
「遊びに行く時は毎度毎度お小遣い付き」「私がお金無くて友達と遊べないって相談した時は、『そういうこと言うと次から誘ってもらえなくなるよ?』って嬉しそうに言いのけたのに?それで私だけサイゼでお水飲んでたのに?」
「ルミネで可愛いブラジャー買ってもらえるんだ」「初めて下着を買った時、友達は生活必需品だからと親にお金を貰っていたから、私もと思って貰えるか聞いてみたら、大きなため息をついて『そんなお金ない』と言い放ったのに?」
「入学祝いのiPad」「私の入学祝いは自転車だったのに?しかも私の学割使えとか意味わかんない自分で買えよ」
「ジルスチュアートの財布」「電子辞書」「全身イーストボーイ」「switchもスマホもiPadも全部全部やり放題」私と妹との扱いの差は枚挙にいとまがない。
私のコンプレックスの根源は「両親に愛されたい」という強い気持ちが満たされないことにある。小学生の頃の私にとって、お母さんはいつも機嫌が悪い人で、父親は機嫌を損ねると大きな体と声と方言で怒鳴り出す人だった。しかもキレるポイントが理解不能。
中学生の私にとって、両親は私を支配しようとする人たちだった。思い通りにならないから縛りを強くして、私はそれが耐えられなくて反発しての繰り返し。スマホを没収するための金庫を買ったのを見た時は、心の底からゾッとした。私を支配することに夢中で、私との戦いに勝たなきゃとムキになってるんだ、もうこの人たちには話なんか通じないんだと恐怖した。当然私の意見なんか聞いてくれなかった。中1の中間テスト期間に、数学のワークが終わっていないからと部屋に軟禁されて、足を組んで座ったお父さんがゲームしながら真後ろで私を監視していたあの日から、私の心はおかしくなった。
高校の時のことはもうあんまり思い出したくないし、脳が思い出さないようにしてるのかもうあんまり覚えてない。ただ、高3の時はお父さんの姿を見るだけで、頭が真っ白になって、全身の震えと涙が止まらなかった。本当。自分の体がいつも通り制御できなかったのは初めてだった。私は過食嘔吐になって1年間食べたものをずっと吐いてたけど、お父さんとお母さんには見て見ぬ振りをされた。
中学の友人にも、高校の友人にも、成人してから「あなたの親はちょっとおかしかったよ」って言われた。おかしいと思ってたのは私だけじゃなかったんだと思ってホッとした(もちろん、普通以上の暮らしをさせて、たくさんお金を出してやってるのに、とかそういう話ではないことをわかって欲しい。ここに書いてあるのは全て、『普通以上の環境と金銭を与えられたのに、どうして娘が心を病んだ出来損ないになってしまったのか』その理由だから)。
もう一つ付け加えると、「誰の金で暮らしてると思ってるんだ」って言われたことがあるって言ったら、それも友達にドン引きされた。昔の話だって言うのもわかるけど、もうとっくに大人だった2人にとっての10年前の発言なんて、覚えてないしそんなつもりもなかったんだろう。だけど、まだ心の柔らかい子供だった私にとっては、一度言われたことでもこうやって心の中心に根を張って残ってる。そんなこと今更言われたってじゃあどうして欲しいんだって言うんだろうな。ここまで読んできてまだそんなことを思うのであれば、この長い訴えはひとつも届いていないんだろうなって私が悲しくなるだけだよ。私はただお父さんとお母さんに私の話を聞いて欲しかっただけだった。
私は両親の機嫌をうかがって怯えながら暮らす方法なんて覚えたくなかった。なのに妹にはそれが許されてる。人生で一番辛かったのは不登校の時、二番目は過食嘔吐に苦しんでた時、三番目が、妹と自分の存在価値の差を見せつけられてる今。過食嘔吐はストレスの発散も兼ねていたけど、今は道具がないからもう吐けなくて、それに過食嘔吐は本当に辛かったからもう二度と吐きたくない。カショオができない今この家のリビングにいると排気ガスみたいな異臭がするようになった。耳鼻科では何の異常もなくて、ああ私はこの家にいちゃいけない存在だからこんな酷い異臭がするんだなと思った。過食嘔吐に戻りたいと思ったのは完治して以来初めてだった。
結局は家族なんて血が繋がってるだけで、個々の自我を持つ他人の集合でしかないのは事実だ。それに加えて昔からお父さんとお母さんは、保護者と子供の関係を一方的な支配による繋がりとみなしている面がかなり強かった。だから思い通りにならない子供を縛るし、対等な話し合いの場に降りるなんてあり得ない。話を聞いて欲しいなら同じ土俵にまで上がってこい、あ、ただしお前は誰の金で生きてるのか考えろよ?って。「親に逆らうな」「馬鹿にしやがって」「口答えするな」、今思うと私はあなたたちの幼少期の復讐の道具にされていただけだった。父親は祖父にファミコンを壊された恨みを私にぶつけて電子機器を隠して回った。母親は私のことを”理不尽な目に遭っても私たち長女だから仕方ないよね“仲間だと思っているけれど、私はあなたの娘であなたから愛情を貰うべき存在だ。私はあなたたちの人間的成長の犠牲になったというのか。
家族の関係が改善したのはお父さんとお母さんが支配を諦めたのと、私がお父さんとお母さんに愛されることを諦めたから。2人はそれぞれの人生をもつ人間だけど、私にとっては替えようのないたった2人の保護者だったのに。私の7年続いた反抗期は全部「私自身を見て」「私の話を聞いて」「私に興味を示して」「私を心配して」「私の存在を許して」「私のそのままを愛してくれ」ってSOSだったのに、私が大人になって全部諦めることで終わりを迎えた。とても虚しい。期待したって意味ないことに気づいたのだってお父さんもお母さんもただの血が繋がってるだけの他人であって、いくら私が望んだって他人を変えることはできないと知っているから。
私はお父さんのことがお母さんのことが大好き。大好きだから私ばっかり期待して、期待以上のものが何も返ってこなくて落ち込んでる。私はお父さんとお母さんのことが大好きなのに、お父さんとお母さんは私が心療内科で何の治療をしているか知ろうとしないし、過食嘔吐を知らぬ存ぜぬする割に嫌味だけは言いにくるし、そもそも私がPMDDで数年間悩み続けてコツコツ治療をしていることさえ1ミリも興味がない。どうにか興味を持ってもらいたい私が1人でペラペラ喋ってるだけ。妹と扱いが違う!と訴えても仕方ないってヘラヘラするだけ。ひとこと、やりすぎだったね、ごめんねって言ってくれるだけで多少は救われるのに。私の気持ちなんて考えたこともないんだろう。
私は妹のことが大好き。一人っ子だったらもっとお金出すことに文句言われなかっただろうなって思うことは何百回もあったけど、それでも妹がいない生活なんて考えられない。たった1人の妹。妹が自分と同じ思いをしないように私なりに頑張ってきた。不登校の妹が「もう死にたい」と泣いた時は抱きしめて2人でわんわん泣いた。そんな悲しいこと言わないでって泣きながら、頭の片隅で私が死にたいって言った時親はなんて言ってたっけって思い出してた。ただただ困惑されて、腫れ物扱いに拍車がかかったのを覚えてる。
私はブラジャー代貰えなかったから妹には入学前に持たせてあげなきゃって思って「買ってあげたら?」って言ったら本当に買うからびっくりした。じゃあ私は?なんで?そんなお金ないって言ってたのに?
自分がして欲しかったことを妹に施すことで救われる自分と、より深く傷つく自分がいて、私は1人でどんどん気持ちを病んでいった。私は失敗作で実験体だと思った。3月からリビングはずっと異臭がしてた。これを書いている今もする。
妹の図々しさとか末っ子振る舞いにはイライラすることがある。それでも私も姉のはしくれだからか、顔を見ると全部許してしまう。私は妹がいなければ良かったなんて思ったことは一度もない。妹がいなかったとしてもその分の愛情が私に注がれることはない。私は可愛い娘じゃないから。いつもいつもいつもいつも「私が要らなかったんだ」と思う。「妹だけでよかったじゃん」って思ってる。
私はもう次に進みたい。もともと持っていたPMDDの治療もかなり良いところまで来ていて、ホルモン由来の不安定からはだいぶ抜け出せた。それでもいつも自分なんか要らないんだと泣いていて、そのきっかけは全部全部家のこと。親のこと妹のこと家族のことでしょっちゅう傷ついて、過食と無茶な生活で自分を痛めつける生活から抜け出したい。お父さんとお母さんと離れてもう何も期待しないで済む距離を保ちたい。許されている妹と許されない自分を比べたくない。家から出て一人暮らしがしたい。ここから一人暮らしについて相談する予定だったけど、親の顔を見るととてもじゃないけど自分の気持ちを話す勇気なんてもうとっくに枯れてしまっていて声が出せなかった。きっと両親は本当に何も考えていないだけなんだと思う。私の腐った心はもう元には戻らないのに。どうせ話したって何も聞いてもらえないのが身に染みてる。どこにも出すあてがなくなった日記の供養でした。私の両親、やっぱりちょっとおかしいよ。
わたしを産んだのは幸せを望んで産んだのではなく、自分たちの老後のためだったし、その後に生まれた知的障がい者の弟の介護要員だったのだ
まだその時は来ていない。いつくるかと大学生の頃から絶望していて鬱でまともな生活習慣が身につかず講義にも最低限しか出られなかった。社会人を数年やった今でも「大学卒業したのに、大学が卒業できないってまた講義を受けている」なんて意味不明な夢をよく見る
自分の人生、自分の幸せなんてものは存在しないと思って生きてきた。でもその事実から逃げたくて実家から遠いところで住むようにした。
最近、父の日、母の日に贈り物をする余裕がなくて、そしたら「わたしたちが動けなくなったら、わたしたちを支えたり弟を施設に送ったりするのは、だれがやるの?お金もどうするの?実家に戻ってくるでしょ?あなた結婚してないんだから」って。わたしはそのうち家に軟禁されて家族の送迎だけする1日を過ごすようになるでしょう。
わたしにはわたしの人生というものはないし幸せも私の元には訪れないし掴む機会も与えられない
人を巻き込まずに、静かにこの世からさよならする方法を知りたい。もしそこの君が世界に絶望していて手持ち無沙汰なら、そのカッターでわたしの首を手が滑った体で切りつけてくれないか。死に方がわからないんだ。
夫が三歳児神話を理由に保育園にも通わせず妻が軟禁状態にさせられてる相談
第1282回4/21(水)の放送(12:00~12:15頃)より。今回は、0歳児と2歳児の二人のお子さんを子育て中という31歳・女性からの「仕事が大好きで、早く復職したいのですが、夫はいわゆる“三歳児神話”を信じている 人で、半ば強制される形で育休を取っています。でも、いくら子どもが可愛くても、夜まで相手をしていると、イライラし、毎日、奇声を発してしまいます」という相談。
相談者が以前送ったが採用されなかった過去の投稿で「結婚したら夫がモラハラ化してきた」と相談していたのか照会されていて、(採用の商品を送るために)住所や本名必須のラジオは過去の投稿同定されるのか、恥ずかしいな〜た思った記憶
なぜかというと取引先の相手が経営者であれば交渉する余地はあるが、普段相手をするのは調達担当者。
調達担当者の視点に立つと上司からは仕入価格の値下げ要求をするように言われ、値上げを提示をすれば営業を交渉と称して尋問しながら提示価格が下がるまで軟禁する。
調達担当者は値上げを許容できる権限が与えられていないのである。上司を呼んでも予定原価が決まっているので状況は変わらない。
仮に価格を飲んでも送料無料や、購入ロットを無理やり変更させ1個から注文、納期短縮など無茶な要求もしばしば。
送料無料は下請法で守られている部分があったりもするが、無茶な要求は続く
また中小企業の経営者も売上が止まるのが怖いからある程度は許容してしまう。
そうなると仕事は忙しくなる割に売上はそうでもない結果になり、原資が確保できず満足な昇給ができない。
そんな状態が今の日本の中小企業を取り巻く環境のような気がする。
完成品を売っているメーカーは安く買い叩いた部材から価格を転嫁できる分だけ、かなりまし。
・客が普通に食ってんのに夫婦同士(店長と店員)がくだらない喧嘩始める(しかも個人店ではなくフランチャイズのチェーン)
・小学校で女子生徒に冗談めかして抱きつく男性教師、男子生徒の局部を(なぜか手の甲で)触る女子教師
・淫行で逮捕されて懲戒免職食らった教師がほとぼり冷めたあとによその学校へ再就職してその後教頭に昇進(しかも公立学校での話)
・高校の運動部で血出るまで、怪我するまで部員を殴る蹴るする指導者が当たり前にいた
・(やった側、やられた側を合わせると)カツアゲ経験率の驚異的な高さ
・課のみんなで風俗旅行(気合入ってるとタイに遠征して幼女買いに行く)
・薄給でいいからとにかく休みが多くて残業少ない仕事に就きたいという価値観がキチガイ扱い
・飲食店のレベルが今じゃ考えられないほど軒並み低く、完食不能なレベルにマズイ飲食店すらそこかしこにあったので外食がギャンブル
・深夜番組でオッパイ平気で出るし発売予定のAVの紹介なんかもしてた(ドラマGTOなんかでは作中でAV流れるシーンもあった)
・精神病院や障害者施設で生きるか死ぬかの虐待が平気で繰り返されてた(そういう闇を題材にした『聖者の行進』というドラマがあり、虐待描写が酷すぎて抗議が殺到したらしいが、現実の事件はこれより全然酷かったという)。
また、精神疾患起因の妄想ではなく、健康にも関わらず陰謀によって精神病院に強制連行され薬漬け&軟禁で人生終了させられた人がマジでたくさんいた。
・反社と強い関わりがある、のではなく反社そのもののベンチャー企業でも上場できた
・過激派の内ゲバでまだ死人が出てたし、革マル系サークルに住み着いた部外者の排除に踏み切った大学学部長が自宅から出た瞬間に角材で滅多打ちにされる事件なんかも
・一般人が被害者の凶悪殺人事件が起きたら芸能レポーターや取材陣が平気で葬式に押しかけてその時撮った映像を夕方のニュースで10分くらい流す
・都心まで20分かつ駅近の下町や湾岸エリアの宅地と、都心まで80分かつ駅徒歩20分の新興住宅地の坪単価が同じだったりした
打ち合わせしてたらトラウマが蘇ってきたので書いて供養し増田。
仕事で大チョンボをやらかしたら、いいからさっさと来いと言う電話が来て言ったところ、会議室に軟禁されて解決するまで帰れません☆やったんよ。
で、どうしょうもなくなって、相手のエンジニアに書籍なんかも書いてる憧れのスーパーエンジニアが出てきたわけ。そんで俺
で、そんんときは「ああそう」みちあな感じでスルーされて、ああしまったなーぐらいで済んだんだけど。
終わった後の合同打ち上げで「最初このガキぶっとばすと思ったよ」とかむっちゃ笑顔で言われて震えたの思い出した。(と言うか今ぶっころって言いませんでしたとは言えない)
その後お仕事でも、SNS交換しててSNS上ではお付き合いがあるんだよな。で、そこでは面白おかしくやってるから楽しい人なんだけど、こうしてたまに🐯🎠になって蘇るんだわ。いやあ、当時の俺を殴ぐってこのトラウマなんとかしたい。