はてなキーワード: 2次元とは
なんかいっぱい紹介してくれてありがとな。
とりあえず今はホヨバ3作で完全に手一杯だしこれ以上ないほど満足してるから、小粒なゲーム以外あんまり漁る元気でないわ。あと3年くらいはずっと熱そうだしな。
マビノギは初期から3年間、錬金術が実装される頃まで結構やりこんでたわ。ギルドや仲間にも恵まれて、いろんなネトゲやったけどあれが一番楽しかったな。
なんかアニメ的でありがなら教養がつきそうな作風やミニゲーム等の技術力が高いところは原神と似てるな。でも復帰する気は……正直ゼロだw
黒い砂漠もネッ友と半年くらいやったかな。ただこういう色々やれます!って感じの中世の剣と魔法ゲーはもうお腹いっぱいかな。
Mugenは期待してるけどどう考えてもネットイースにmiHoYoほどのオタク理解や2次元的な塩梅のうまさがあると思えないから、期待しすぎずにいく。
Drakantosはパッと見、欧米人が作ったTree of Saviorって感じだな。ToSは全ドットじゃなくて絵画風だけど。ToSも齧ってたよ。啓示者ちゃんの声帯が劣化してやめたけど。うぅ~い…
お察しの通り俺はクソ軟派だからさ、やっぱアジア人が作ったアニメテイストの方が落ち着く。台湾MMOにもハマってたことあるし。ルーセントハートとか。
この中だとMemora Wandererが一番好みのテイストでROっぽさが溢れてるけど、やっぱこういうSteamインディーっぽいのは躊躇うなあ。
俺みたいな軟派モノが多いネトゲオタク・ネトゲイナゴの間では絶対流行んないから、5chスレも立つか怪しいのは厳しく感じる。
DLsiteの小粒な同人RPGを遊ぶくらいのノリなら、匿名で語れる場所がなくても気にならんのだけど。
マビノギ英雄伝っていうMOアクションを昔やってたんだが、それの令和最新版 Vindictus: Defying Fateってのが気になってるくらいかも。
「女Vがこのゲームの配信することを面白がってる奴って変形セクハラしてるようなもんだよね」って感想を一緒に見てた友達に言ったらめちゃくちゃこじれた
いくつか配信みたけど女Vはどいつもこいつもゲーム内の女に対してセクハラであったり厄介客ムーブをしてて、視聴者はその厄介客ぶりを見て楽しむ構図なわけ
なんならどれだけエグい厄介客ムーブができるかを競い合ってるように見えるし、より厄介なことをしてるVのことを友達はほめたたえたりしてる。そのVのエグ厄介ムーブはお仕事でやってるだけじゃねーのと思う
2次元の女にお仕事でセクハラしてる2.5次元の女をガチだと信じておもしれー女扱いして愛でてる3次元のお前って次元を超えた滑稽だね
って話をしたらそれは決めつけだとか、配信者が望んでやってるならセクハラじゃないとか、お前の言ってることはクソフェミムーブだとか、これだから生理前の女はとか友達から反論があって、
それに腹を立てた私が生理前に理性と知性を失うモンスターみたいな扱いして馬鹿にすんじゃねえ私は他人から馬鹿にされるのがいっちばん嫌いなんだみたいなことを話してたらめちゃくそ夜中というか朝になって、
最終的に生理前の不安定な時期に毎回けんかしてるから遊ぶ頻度自体減らそうって話になって終わった
「一方的な愛情を向ける」というのが何を指しているのかというと、まあ端的に「自分と今後一切関わりを持つことがないであろう有名人」とか「2次元のキャラクター」だとか、そのあたりのことだ。
人から愛情を向けられるというのはとにかく恐ろしい。私は、自分というものを正しく認識することができるのは他の誰でもない「自分自身のみである」と思っていて、そこにひとを介入させること、それどころか私を解釈する余地を人に与えること自体がとにかく末恐ろしい行為だと思っている。
近日、「蛙化現象」という言葉があたかもミームのように流行った。流行ったそれ自体は誤用ではあったが、いっとき社会現象にまでなった。
あるとき自分を分析してみたら、単に自己肯定感がすこぶる低いだけという訳ではなく、その自己肯定感の低さの中に同じくらいの「自身の持つ気高さへの陶酔」を抱えていることに気づいた。
これが、適当な意味で使われた時の「蛙化現象」を自身が引き起こすときの根底にあるんだろう。
己のことを、何よりも愚かでおぞましくて汚いゴミみたいな人間だと本気で思っていて、だけどそれと同時に「そんな自分のことを理解し寄り添ってくれるのは自分だけ」だとも思っている。改めて文章に起こしてみるととんでもない自慰行為である。
だから、「自分のいちばん近くで自分を理解し寄り添ってくれる」、所謂恋人のような存在を作ることが怖い。
ここまで話した上で怖い、という言い方を今更しても自己保身でしかないので、言い換えると 「嫌」 なのである。紛れもなく。
だから、「私を瞳に映すことがない」「私の本性に介入することがない」「こちらもあなたを知ったような顔で語るつもりもなければ知るつもりもない」ような存在に陶酔することがいちばん心地よくなる。前述した「一方的な愛情を向ける」ということを長々と噛み砕いてみると、恐らくこんな感じ。
本題。
私は、ひとりの人間のことがすごく好きだ。 仮にAと置く。
特定されることは意図していないので、この記事を書く上で必要な最低限の要素だけ取り出して、尚且つ暈しを加えながらAのことを説明すると、主に言葉を書いているアーティストである。
ただ、私は自分のことをちゃんちゃら性善の擬人化のような人間であると思っていて、そうなるとここで既に矛盾が生じている。
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」、凡その人が義務教育中には会得するだろう一般論である。性善の擬人化なので、勿論日頃からこれを踏まえた行いを心がけている、のに。
私は、なんの関わりも無ければ何も知らない他人に、Aに、心底惚れている。
世に出ているAの書いた言葉は辿れる限り辿った。特に好きなフレーズを自分の中に書き留めて、反芻してをひたすら繰り返していた。
そもそも私は頭のいい人が好きなのだが、それだとアバウトすぎるので最近は「素敵な言葉を紡げる人が好き」と形容している。
要は、私はAのことをきわめて頭のいい人間だと思っている。
だから凄く辛い。
「自身の尺度で他人の持つポテンシャルや性格を測る」ことって、きっと凄く馬鹿馬鹿しいことなのに。
なのに、私はAの持つ性格上の性質や口調、趣味、その趣味を持つにあたっての根本の考え方、友達への接し方とファンへの接し方の違い、それを産んでいるであろう根底の考え方、その全てが好きで、そんな自分の盲目さと当人への申し訳なさが、果てしなく苦しい。
Aが紡いでいる「言葉」というものをもう少し詳しく話すと、架空の人物の言葉の代弁だったり、まあカテゴライズするのであれば「詩」だろうな、というものが多数。
ただ、その中に、さながら自伝のようなものがチラホラと存在する。
とどのつまり、どうしてもその言葉を紡ぐに至った、その考え方に至った思考回路やバックグラウンドを空想してしまう。
まあ、ただ考察するくらいなら至って個人の自由だとも思う。ただそれを「Aのことが好きな理由」として自分の中でつらつらと並べている自分自身が恥ずかしくて苦しいのだ。
どの角度から見ても考えすぎである。これを書きながら自分自身でも「素直に好きって言えばいいじゃん」と思っている、が、プライドと自分の性質がそれを許してくれない。
薄々感じている方も居るだろうけれど、これだって「厄介ファン」だ。紛れもなく。
私がAの言葉を好きなことは事実で、それを産んだA自身のことが好きなのも事実だ。
だけど、「自分と関わりのない人に心酔することで得られる心地良さと安心感」を求めている節が、間違いなく存在している。
私は、自分が仮に有名な活動者だとして、自分の全く知らない人が水面下で自分に対してこんな感情を膨らませてつらつらと文章を書き連ねていたら、そりゃまあめちゃくちゃに恐ろしいなと思う。
拗らせ具合に対してもだが、やっぱり「例えその考察が事実であろうと、他人が私の秘めたる感情を時間をかけて推察している事実」に不快感を抱く。
自分を測られることへの不満や知った口を聞かれる不快感、「特定の誰かに宛てた言葉では無い」ということを全面に押し出すような書き方。
そんな書き方をしているのに、分かり易く示してくれているのに、その言葉を自分の中で大事に大事に仕舞っていることが極めて愚かであると感じる。
あくまでも自伝であるのに、その言葉に共感したり感銘を受けている私が。
だけど、好きなのである。どうしても。
人に測られたくないから、きっと私と同じような考え方を持っているAの言葉と性格に惹かれる。
けど、この「きっと」こそが人を測っているに他ならない。
だから、絶対にAに近寄りたくない。 答え合わせをしたくもない。 これはほんとうに仮の話だが、何かの縁でAと知り合いになり、友人になり、推察が上手いこといって、同じような考え方なんだね!なんてことになってしまったら。
私はこんなにも好きなAのことを好きなままでいられるのか、わからない。
乱雑でこんがらがったままだけれど、自分の感情を推察する余地を他人に与えられるようになるまで、きっと今後とも手の届くことの無い誰かにひたむきな好意を向け続けるのだろうなと思う。
最初の方に綴った通り、自身を高尚な人間だと奥底の方で謳っていることがこの現象の原因だと考えられるので、まずはその傲慢さを取り払わないことには私は一生ひとりぼっちである。
「他人に一方的にひたむきな愛情を向ける」ことは、すごく明瞭だ。ただ、そろそろ成長したい。ひとからの好意を受け入れたい。自身の根本を推察されることを拒絶したくない。
とにかく、この半ば依存のような好意をとやかく向ける行いはそのうち卒業する予定だ。
このジレンマから抜け出せて、しがらみが解けきったときに、私が至って健全な「好き」をAに向けることが出来ていたらすごく嬉しいなあ、と思います。
AIを生身だと思って星つけたりマジ反論ブコメしてたりしてるのを見て
なんかどうしようもない滑稽さを覚えるのはなんでなんだ
俺だけ?
たとえAIの意見であっても理路があって反論や賛同に値するなら当然問題はないはずなのにね
「生身だと思ってる」感がそうさせるのだろうか
はてのちゃんみたいにAIとわかってて生身っぽく扱って反応したりするのは全くそういう感じがしない
実在しないものをマジに扱うという点では2次元のキャラにガチ恋するみたいな現象に嫌悪感を表明する人がよくいるけど
それはどっちかというと自分の性道徳と比べた倒錯への違和感だよな。
道徳的信念は理路の明晰さとは噛み合わない部分が多いと思うからそれともちょっと違う気がする
理路や道徳観の問題じゃなくて、身体論的な領域というか、生身同士でなければ感情のやり取りはあり得ないという固定観念がそうさせてるのかな
某ソシャゲをやっている。
お気に入りのキャラを挙げてみたら、いわゆる幼女体系(年少女性をイメージした、少女体系よりももう一回り小さいサイズ)が多数を占めた。
俺がそのゲームのキャラデザインの中で気に入ってるのは瞳なんだ。
幼女体系のキャラは軒並み前髪短めで目が大きくて、キラキラの瞳がよく見えるんだ。
体系が大人っぽくなるにつれて前髪が長いキャラも増えて、 目が小さいキャラも増えて、目元が見えにくくなるんだ。
おっぱいの谷間丸出しはまだいいけど乳袋や風にそよぐ揺れあたりの2次元的誇張は「何だこの痴女」って気持ちになる。
幼女体系のキャラは出っ張りも引っ込みもほぼなくて、ゆるキャラ的な可愛さはあるものの痴女な感じはしない。
ついでに言うなら俺は服飾デザインも気に入っているのだが、幼女体系は露出も少なめで布面積が広い。痴女たちのように体のラインを強調する制約もないし、布たっぷりふわふわで衣装が可愛いのだ。
ということで俺は現実では子供好きだし幼女体系のキャラが好きなのは本当だが、ロリコンではない。
という主張を友人に送ろうとしたのだが、我ながらすっげーどうでもいいなと思ったのでこちらに。
現役ジャニーズタレントにしろ、元ジャニーズタレントにしろ、30代前半以下の世代のの女はJCJK時代に若手やジュニアなどのジャニタレを通過せず2次元等に行くので彼らに興味がない。
今の中高生くらいだとジャニーズ=カッコいいというイメージすらないと思うけどどうなんだろ
分裂前のキンプリの時点でジャニヲタは高齢化してる 脱退した3人のドーム公演も客層が高齢女性が多すぎるあまり、創価婦人部の動員に違いないという陰謀論がネットを駆け巡った
十年くらい前なら、ジャニーズタレントのヲタ=ジュニアや若手時代にファンになった同世代のおばさん
あくまで俺の見解だから,偏見でしかないし,まぁたぶん俺がズレてるんだと思うんだけど,みんなの意見が聞きたい
当然のようにアイドルマスターとかウマ娘とかやってること公言するやついるけど,普通に気持ち悪い.そういった類の作品好きって公言するのって,「僕は美少女が大好きです.でも現実だと相手にされないので、諦めて2次元で欲望満たしてます」って公言してるようなもんだよなって思ってるんだけど .男同士で「実は…」みたいな感じで言うのならまだ分かるけど、それを女性の前で堂々と言うのって流石に気持ち悪すぎないかと思ってる。
2.アイドル
アイドルの曲とか歌詞とかって,一部を除き,ため息が出るくらい浅はかで凡庸なもの(「頑張れ!君が大好きだ!」みたいな感じ)が多いし,アイドル好きな人って同じ曲をオッサンが歌ってても多分聞かないだろ.
アイドル好きってのは,「細かいことはよくわからないけど,美少女が笑顔で歌ったり踊ったりすると元気もらえるんです!」っていう事と同義だと思うんだけど,自分が浅はかで恥ずかしくならないのかなって思ってる.
企業や芸能人やアーティストが宣伝目的でやる分には良いと思うけど,個人が投稿しているのはまじで意味不明.
たとえば学校や会社にみんなが自由に掲示できる掲示板があったとして,自分の自撮り写真とか,自分が食った飯の写真とか貼ってるやつがいたら,間違いなく「なんだこいつ気持ち悪い」ってなると思うんだけど,なんでSNSだと当たり前に許容されるのか.
「今日髪切ってきてめっちゃいい感じ」「エアコン壊れてまじ暑い」とか,だれの得にならないつぶやきを「だれか反応してくれないかな(チラッチラッ」みたいな感じで投稿しているの気持ち悪くないか..?
現実で同じ感じでひとりごと言ってるやついたらめっちゃ気持ち悪いと思うんだけど,なんでSNSだと許容されるんだろうと不思議でしょうがない.
ちなみに、リアルタイムで市民権を獲得しつつあるもので、未だ気持ち悪いなと思ってるのが、なろう系というか「異世界転生」 もの。久々に本屋の漫画コーナー見てたら、異世界転生コーナーみたいのがめちゃめちゃ広くなっててビックリした。あれ系ばかり好む人の根本には「異世界に転生して活躍する主人公に自分を照らし合わせることで、その時だけ全能感をえたり欲求不満を解消して、現実の冴えない自分を忘れられる」という、現実逃避のなんとも情けない思考がベースにあると思うんだけど 、 5年後くらいには「趣味は異世界転生系のアニメや漫画を見ることです」なんて恥ずかしげもなく言う時代がくるんだろうなぁと思っている。 そうなっても俺は内心、こいつ情けないなって思い続けると思う。
ああ、日本はあまりにも「恨み」の感情を忌み物にしすぎてたんだよ、いい子ちゃんアピールしたいからって。
説明すると俺、五等分にも魔法科にもSAOにもおそ松さんにもこのすばにもリゼロにも転スラにもオバロにも
文ストにも けもフレにも ゾンサガにも冴えカノにも俺ガイルにも はたらく細胞にも
現在進行形でも
東リベ・廻戦・鬼滅・かのかり・
アイマス・ラブライブ・バンドリにも深く溶け込みづらい、又はついてけねえ、
(ヅソダモソが語る限り、上記作品の50パーセントぐらいが、こんなの見るのならスターウォーズ(時系列順でep1〜6まで。間にハンソロやローグワン含む。ep6後日譚ならソニーマガジンの小説オリジナル系)やLotR(ホビットシリーズ含む)、あんハピ、フリップフラッパーズ観た方が有意義なのだ!)
きらら界隈みてもごちうさ・ゆるキャン・ぼざろの三国時代に対して疎外感持ってるんすけど。
12年前のゴールデンウィークでの深夜一挙放送で本作を無料放送対象に入れなかったアニマックスを今でも許してねえからな俺は。
もっとグッズ展開してるうちに見たかった、BSアニマックスで展開されてるうちに見たかった、12冬にBS11でも放送して欲しかった、
16、17、21年と再放送の機会あったのにBS11は聞いてくれなかった。
BS11のこの7年は
.hack//SIGNも喰霊ー零ーも誰が見たかったんだよ?
何が神様になった日だ、
何がデビルズラインだ、
何がたとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語だ、スマホゲに大アンチすら付かなかった上よく1年3月持ったな。
「このアプリをインストしてる奴は危機感持った方がいいよ」に認定すらされないザマだったし。
何がスケートリーディングスターズだ、再放送実況者数ゼロだった癖に…
何がブレイドアンドソウルだ、
何が山田くんと7人の魔女だ、
何がしゃちばと&リアデイルだ、
何がD CIDE TRAUMEREI THE ANIMATIONだ、
何が擾乱 THE PRINCESS OF SNOW AND BLOOD だ…
AT-Xだと
何が一騎当千だ、何がはぐれ勇者の鬼畜美学だ、
何がSchoolDaysだ、何がエルフェンリートだ、
何が無職転生だ。
何が死神坊ちゃんと黒メイドだ。
何が弱キャラ友崎くんだ。
22年までのBS11に戻す。
セブンナイツレボリューションの場合はアニメ公式折り返しで再放送告知やめる、
23冬は意図的に新作すし詰めにしてそっからの一年間アニバーサリー作品の再放送ろくにやらなかった、
こんな新作すし詰め状態のためにアニメーターはピンハネされてんのかよ
トゥエルビもアニロク10枠時代に同作放送するべきだったのにしなかった。
線やグラデーションや背景が平成末基準でなきゃ見れないとかいう奴らが出てくるとか、そういう前に無料放送で再放送の機会与えられなかったのかよ?
いろんなことに特別な拘りを持つような者も現れましたよ、
この作品をを正規テレビ放送波で触れれる機会をなんでもっと早く俺に与えてくれなかったんだ?
寂しいんだよ
グッズ展開されてた時に正規テレビ波で見たかったんだよ、だけど
頼りのBS11どころこどの局も何もしようとしなかった。
この作品の魅力なんて分かんねえのか?
線やグラデーションや背景が発達しても話もキャラ萌えもストレスコントロールも中途半端な「下手な令和系」に比べたら断然こっちの方が神格クラスだろ。
くどい様だが、