はてなキーワード: 支援者とは
この前、成立した「AV新法」あれ実は「アニメやゲームも対象にしよう」という話があったらしい。でも、山田さんが阻止してた。これ、さんちゃんねるで話があったけど、冷や汗モノだよね。2014年の児ポの時はあれだけ騒ぎになったけど、今回はその点は騒ぎになってない。山田さんいなかったらヤバかった
https://twitter.com/kai_anime6420/status/1542641315183460352
こういったツイートが「表現の自由」界隈で広く拡散されている (3,174 リツイート、5,642 いいね)。
ちょっとでもAV新法に関心がある人だったら、AV出演契約を大きく縛る法律が、どうしてアニメやゲームに適応されるんだ?という疑問しか沸かない話だと思うのだが、そこを「表現の自由」界隈で詳しく突っ込む人は少ない。
ソースは山田太郎のYouTubeにおける発言である。以下に書き起こす。
【赤松健 参議院選挙出馬 特別編】赤松健との表現の自由の闘い方・守り方(2022/06/29) 31:43~
山田太郎
児童ポルノ禁止法を反対しようとしたんではなく、児童ポルノ禁止法にあるそこの漫画・アニメ・ゲームに関する条文をまとめた、ということをやったんです
これ実は同じようなことがいろいろと起こります
全部反対してないと、あたかもそれに賛成したようにね
やっぱAV新法のなかっていうのは実はこないだまで漫画・アニメ・ゲームに対することも、警察庁含めて「影響があるのではないか」ということで
それも改めてあの新法の中に入れろという話がありました
これは、今拡散されているストーリーと矛盾のない、唯一ありえそうな筋なのだが、いくつか疑問点がある。
実際、法規制しようという勉強会が普通にありそうな程度にはよく聞く話題だ。
こう解釈すると、なんだか、「おい山田それほど関心のない話題に無理に突っ込むな」という気分になってくるのだが
以上であげたアダルトアニメ・ゲームの声優説に対する疑問点は、児童ポルノについて話していたから疲れもありそれに引きずられてしまったためだ、という可能性もある。
共産党、毎日のようにTwitterトレンド汚染してるの見る度に嫌な気持ちになるんだけど、はてなーの限界中年独身オジサン界隈ではなぜか共産党人気だよな。
家族持ちじゃない人に響くなんかあるんだろうけどさ。
そういう限界中年が共産党は改善・見直しができるとかいうもんだから、自分とこの選挙区の選挙公報読んでみたんだよ。
公約にまともなこと書いてるのかな?と思って。
なんだよ、オスプレイがどうこうって。
自衛隊も採用して問題なく空飛んでるのに、未だにくだらない住民運動・政治闘争ネタのためだけに載せてるのかよ。
闘争したい老人向けの公約を挙げるのも問題外だし、自分で考えてないのが丸わかり。
しかも左側1/3くらいのスペース使って、共産党応援者の名前が載ってるんだけど、内田樹とか宇都宮健児はあーそーねーって感じなるけど、浜矩子とか載せちゃうのかよ。
LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚を批判する議論はあります。ぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます。
まずゲイ男性の同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的な交流・交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定の相手との排他的な関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターンを自分たちが創り上げた独自のライフスタイル(ゲイ・ライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自の文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。
もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代のヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています。
もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的な制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアン・フェミニスト的な立場の人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たちが模倣するなんて…という抵抗感もありました。
そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイやレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体が自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですから、さらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合、ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利を自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。
こういう流れを一変させたのが、80年代のAIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVとAIDSは、発症の抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地のひとつとなった米国のゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市のコミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまり「パートナーの医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱な立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。
結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもあります。AIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験と想像をゲイ/レズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピックが海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由で享楽的なゲイ・ライフ」という夢の先にある、生活者としての現実をシリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが、自分は後者だと思います。
AIDSパニック以後、ゲイ/レズビアン・アクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護のニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者と法曹支援者が同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙な葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージ・チョーンシーの『同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。
というわけで、実は元増田の意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアン/ゲイコミュニティでの典型的な同性婚批判のロジックとしっかり符合してるからです。
これは上でも書いた「異性愛前提の制度を模倣・従属すべきでない」という声。
それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい
それが多様性だろ
これは「既存の結婚制度に縛られない、よりフラットな意味合いの法律関係(シビルユニオンやPACSやパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線で運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります。
「恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義やロマンティック・ラブ・イデオロギーの模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイの歴史学者で「自分は同性婚が法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動が当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認の象徴なんですよね。その関係を行政が公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います。
元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利と社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアン/ゲイコミュニティだと思います。
数百万ってなんだ数百万って
多く見積もっても十万いけばいいところだろうが
はてな民は余裕も金も無いから暇な時間を使って長文書いてんだぞ。
だったら金持ち外人が徘徊してる可能性のあるYouTubeだの VTuberだのの方がまだチャンスも上振れもあるだろうが。
でもこの知恵も普通に福祉受けた方がマシだったって話にはなるだろうけどな。
下手な投げ銭使われたらそこから収入を逆算されてそれも出来なくなるぞ。
それを上回る為に再生数バトルの土台に立たせて、自分の悲惨さやそれでも懸命に生きてる姿や性格をアピって根強い支援者を作れって話だよ。
弱者は寝たきりで甘い蜜吸わせろって書けよそれなら
死んだ飼い犬が闘病中だとうそをつき、治療費名目で支援金をだまし取ろうとしたとして2022年4月、奈良地裁葛城支部で26歳の女が有罪判決を受けた。女はインターネットで資金を募る「クラウドファンディング」を悪用。診断書などを偽造し、心配する愛犬家ら370人以上からお金を集めた。善意を踏みにじる行為の背景には、急成長するCF側のチェック体制の限界も見え隠れする。
女が死んだ飼い犬を闘病中と偽り、治療費を集めていたCFのページ
プロジェクト開始前に死んでいた
「時間がありません。たすけてください!」。21年10月、奈良県大和高田市に住んでいた女は、重篤な心臓病などを患うフラットコーテッド・レトリバーの愛犬「斗偉(トイ)」の写真とともに支援を募るプロジェクトをCFサイトでスタートした。
女が利用したのは購入型CFと呼ばれる種類でCFサイトを通じて支援者から資金を募り、お礼に商品やサービスを返す仕組みだ。
血液検査の結果や、診療費の明細書、エックス線写真……。女はCFサイトに“証拠”となる書類の画像を多数アップし、トイの闘病記録を克明につづった。
だが、プロジェクトを始める2カ月以上前にすでに死んでいた。にもかかわらず、女は診断書の日付を改ざんするなど小細工し、「病と闘う愛犬とその飼い主」を演出。手術代や検査費用に充てるとして最終的に計180万円の治療費の支援を呼びかけた。
反響は大きかった。「わが家も愛犬がいます。応援します」――。ペット愛好家らの応援コメントは400を超え、同12月には374人の支援者から計約184万円が集まった。
うそが発覚したのは、トイが死んだことを知る関係者からの通報だ。女は支援金を手にすることなく22年1月、詐欺未遂容疑で奈良県警に逮捕され、同罪で起訴。奈良地裁葛城支部は4月、「金目当てに支援者の犬を思う心情を逆手に取った悪質な犯行」として懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)を言い渡した。https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2205/19/news086.html
今日は日本の国民の皆様にとって、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、日本の将来に思いを寄せる日です。また、常に平和をお願いになられた昭和天皇をしのぶ日でもあります。🇺🇦国民は、戦争の悲惨さを知り、戦後の復興に苦労された日本の皆様とともに世界の平和を心より祈っております。 pic.twitter.com/QLk5vyGrwH— 在日ウクライナ大使館 (@UKRinJPN) April 29, 2022
東京都港区の在日ウクライナ大使館には平和を願う千羽鶴が日本の支援者らから届いています。同大使館の職員が感謝を込めエントランス付近に飾っていました=北山哲也撮影https://t.co/JgVtyyxMvH— 日経 写真映像 (@nikkeiphoto) April 27, 2022
すでに人気アイテムだぞ
周囲から優しく接してもらえていたと思い込んでいたのは単なる憐みに過ぎなかったんだね
「ちゃん」付け
発達がゆっくりのためか、成人してもなお「○○ちゃん」と呼んでいるケースは多いです。
とはいえ、親子間だとクセで染みついている部分もありますので、知的障害以外でも(外でそう呼ばない限りは)十分理解できる範囲内でしょう。
問題は支援者や介護者など、当事者が成人してから知り合う人間が「ちゃん付け」で接してきた場合です。
障害を考慮し分かりやすく伝えることと低年齢向けのコミュニケーションがごっちゃになっているとされ、見習いや初心者にはよくあるミスだそうです。
芸能人の裏の顔が見たいんだよね。しゃべりがうまいから見ちゃう。でもよく考えたら筋も通ってないし、理屈が破綻してる
(事例1)
→詐欺を反省して返済をしようとしていたがヒカルの動画で支援者の信頼を失う
→Youtubeの収入で詐欺の被害者に返金するためと、逆恨みして芸能人の秘密を暴露(は?)
→島田紳助だけは怖いのか、ほめちぎる(「一切忖度しない」は嘘)
TKO木下の寄付の悪い噂を「聞いた話だけど」と動画でアップするガーシー
→TKO木下は、事実ではないとやんわりと否定。しょうーもない話と返す
ハゲにせよ、チビにせよ、男らしくない行動に出るのを日本は悪く見過ぎだからじゃね。
ハゲでチビだけでもきついだろうに、そこに男らしくないがプラスされたら地獄よな。そりゃ当事者で活動家なんて無理だわ。
そしてハゲとチビは、お前フサじゃん、フサは敵! とか、低身長の辛さがお前なんかにわかられてたまるかよ! とか、そんな感じで自分らの同族ではない支援者にやたら手厳しい印象。特にハゲのアンチフサはネットだと顕著だよな。
まぁ苦しみのわからない人間からの手を取るなんてのは、それこそ惨めで男らしくないもんな。
実際のところ、男らしさにそこまで頓着しない人も大勢いるだろうが、気にする人にとっては大きなコンプレックスだから声も大きくなって目立つ。結果、チビハゲの活動家は日本じゃ無理ゲーなんじゃねえか。
子供がいなくなって喜ぶ親なんていない。
いや、いちゃいけないんだ。
gohki へークソだね。てめえが死ねばよかったのに。と思うけど俺は子が当たりだっただけなのかも知れない。何も手がかからなかったし、ちょっと詰めた話しても俺より倫理観あるし勝手に勉強していい大学行ったし。
chambersan この告白を読んで障害を持つ子が傷つく可能性に無関心な人の多さに悲しくなった。親子関係は当たり前だけど相互の性格によって成り立つ物なので、単純には他人に当てはまらない事を忘れないで欲しい
rocoroco3310 創作だと思うがもし事実だったとして書く必要があったのだろうか。障害児が死んで楽になり夫婦で笑い合った話を、今障害児育ててる親や障害者はどんな気持ちで読めば?匿名でも世間に表明したらそれはヘイトだよ
mint6626 あえて言う、これは酷い。これを受け入れることがどれだけまずいことなのか、理解できない人が多いことが絶望だ
amakanata これに共感してる人々は、在日韓国人に平気で差別的な言葉を発する人間と何ら変わらないよ。匿名でも口に出してはいけないこと、共感してはならないことが世の中にはあるだろう。
sodapop444 増田擁護ばかりスター集めててすごくショック。いい増田の使い方?交通事故で子供が亡くなって楽になったと笑い合ったって書くことが?爆サイにでも書いとけよと思う。オレは悲しい。
bleut 全く共感できない。楽になったこと自体は分かるが、自分達が勝手に作った子供が自分達の不注意が原因で壮絶な苦しみの中で死んでいったことに対する謝罪の気持ちが第一に無い時点で、最低限の倫理観すら無いと思う。
kim_tama こんな人間のクズに共感してる奴がたくさんいて、ネット上で反出生主義だの個人の自由の最大化だのを唱えて暴れまわっているのだと思うとさもありなん
noraku いやドン引きなんですけど
tuuz なんで他人が見る所に言葉にして書くの。これを見てやっぱり自分は生まれてこないほうがよかったんだって自死する人が出るかもしれないのに。育てにくく生まれたのはその子のせいではなかったのに。
ooooooga 「増田の良い使い方」とか共感言ってるヒト全員、そのコメントの一つ一つが植松聖を産む小さな芽だから反省せよ。知り合いに発達障害の子供も大人もたくさんいるからこんな世界は嫌だ。夫婦内で留めとけ。創作認定。
tyosuke2011 最低な親
rt3281 多分この夫婦もギリ健常者だったんだろうな、と察した。人の命が、それも自分の子供が亡くなって嬉しいと思える外道がこの世にいるんだ、と衝撃を受けた。肯定するブコメが多く、日本終わってるな、という感想。
あんた、たった1000人のブコメの中でもここまで叱られが発生してる。
逆に言えば、ネット上にはそれだけ多くの味方がいたということ。
せめて...お子さんがご存命の間にSOSを出してほしかった。
今あんたを叱ってくれてるgohkiさんからrt3281さんまでの少なくとも誰かは、きっとあんたの味方になってくれたはずだ。
わが子が死んで喜ぶ親になんかなる前に、gohkiさんからrt3281さんまでの少なくとも誰かが手を差し伸べてくれてた。
だがもう、手遅れだ。
あんたが今できることは、自分のようなサイコパスがこれ以上増えないように支援者側に回ること。
gohkiさんからrt3281さんまでの方々があんたを叱ってくれたように、あんたは以下のサイトのコメント欄をしっかり読んで、そこに集う親御さんに救いの手を差し伸べてあげてよ。
以下の言及を見た。
https://anond.hatelabo.jp/20220313143711
加藤純一の配信やVtuberの躍進で注目を浴びることなった「スーパーチャット」いわゆる投げ銭だが、議論噴出の様相だ。
さて、先ほどの日記を要約すると、面白いコンテンツを無料で提供してきたインターネットが異常なだけで、今ある面白いコンテンツの対価としての投げ銭はよいものであり、見習うべきものである。また、eスポーツのFPSでは投げ銭という文化は根付いており、それが他の格ゲーなどのeスポーツにまで反映されればいいなというもの。
私もこの大元の日記にはさしたる異論もなく、首肯するのみである。
私が注目したのはそれに対する言及だ。大元の日記では投げ銭文化が根付けばいいよね、という大意に対して言及では投げ銭文化に対しての否定的な意見が散見される。
否定的な意見を読むと、多くの人が「投げ銭」は対価であると考えていた。
そもそも私が認識する限り「投げ銭」とは「人」や「運営元」に対して行われるものであっように感じる。そこには「楽しませてくれたから」があり、「楽しめたから」という消費者視点がなかったように感じる。どこまでも応援者や支援者としての立場があった。
この点の考え方の違いが今回の否定的な意見の源流なのではないかなと考えた。
そして、その否定的な意見をより一層強固にするのはVtuberのスパチャという概念だろう。
私自身もあの文化には入れないなと思っていたが、あるVtuber配信者にのみ500円以下の少額を2回行ったことがある。その時の私の考えの根底にあったのは純粋な応援だった。そこで気づいたのだが、私が見ていたVtuberのスパチャはアイドルの「握手券」のために躍起になってCDを買うようなスパチャだった。だからこそスパチャ文化には入れないなと思ったが、結局は目立つところだけを見てしまって食わず嫌いをしていた。
目立つ部分だけを見せ続けられ、それが一般的には「気持ち悪い」と一歩置かれるようなものであれば、スパチャという概念が嫌われるのはよくわかる。
スパチャに対する否定的な意見の配信者ではなく運営だけが儲かっている、射幸心をあおっている、稼ぎ方が汚いはいずれも上記の後に付けられた理屈のように感じた。
現在のVtuberのスパチャ文化が健全とは言わないが(一部大金を積んだ人には個別メッセを送るなどの特別扱いや個別通話など)、投げ銭文化の醸成に一役かっていることは確かだ。今後も投げ銭文化は成長するだろうし、コンテンツの楽しみ方も変わってくるだろう。
私としては「面白い人」や「面白いモノを提供する人や団体」に対してお金を応援の意で送るという文化が根付けば、世の中もっと面白くなるのではないかなと期待する次第である。