はてなキーワード: 自己弁護とは
ウェルベックを「終わってる村上春樹」と例えてるのを見て村上春樹にちょっと興味持った。
中学の頃1Q84読んでみたけど、何がなんやらさっぱりだった。スノッブでやたらセックスをするくらいの前印象しかなくて、確かにくらいに思った。途中で読むのやめた。
空豆みたいな名前で美人だけど顔がアシメントリーな殺し屋がセックスしたりなんか線路だか高架だかに靴を脱いでなんかやってるシーンしか覚えてない。
あとあと現文で村上春樹が翻訳したって小説も読んだけど、そっちはマジで手榴弾(手投げ弾って表現についてなんか解説を受けたような気がする)が出てくる事しか覚えてない。
この間ドライブ・マイ・カー観て、喪失と再生がテーマだ、的な受け売りをコンパスに何となく言わんとしてる事は読み取ったような気分になった。
演劇は自分の心の声を聞くことだなんて語ってみるけど、もっと地に足のついた悩みは抑圧してしまっている事にも気がつけない。理屈を超えて悲しむべき時は悲しんで、どうにかこうにか生きていくしかない。的な。チェーホフの劇中劇がかなり内容と密接に絡んでるっぽかったから、ちゃんとそのメタファー(直喩か?)を意識しながら観てたらちょっと疲れた。
10代の頃読んだスノッブセックスデカダンス小説も今読めばまた違った感想になるかもしれない。
この間人間失格を読んでみた時も、多分中学の時に読んでたら違う感想になってただろうなって思ったし。当時なら「これは自分だ……自分だけが本当の意味で彼を理解できる……」って思ってた気がする。今読んだ限りでは総じて自意識の肥大したナルシストの自己弁護じゃん。社会性として、エクスキューズとして自罰的な風を装ってるだけで、自分大好き人間じゃん。ケッ、って感じだった。ただ所々人間の普遍的な悩みを明確な輪郭で描いたパンチラインがあって、そこは自意識を突っつかれたけど。
でもおれが興味あるのは人間存在の不条理とか実存主義みたいなテーマだし、村上春樹よりはカミュとか読んだほうがいいのかもしれない。
いわゆるVtuberとかストリーマーとかの切り抜きチャンネルを運営していて、その収益化が剥奪された。剥奪理由としてはコンテンツの再利用、というものらしい。他者コンテンツに付加価値をつけていなかったから、という理由が詳細にあった。結構頑張って演出とかやってたけどダメだったみたいだ。かれこれ4年とかやってきたと思う。それがあっさりと終わることになった。
だからといってこれは別に恨み節とかそういう話じゃなくて、今後どんどん切り抜きチャンネルは無くなっていくのか、Vやストリーマー界隈ってどうなっていくんだろうな、ってぼんやり思ったって話だ。「他人のコンテンツで飯食ってたからあたりまえだ、ざまぁwww」って思ってもらってもいい。その通りだったから。
収入なくても推し活なら黙って今後も切り抜き動画作れよ、という人もいると思う。言いたい事はわかる。けど、もうその熱量はない。Vというコンテンツに触れた時のあの驚き、新鮮さ、皆で盛り上げていこうというよくわからない一体感があったサブカルっぽさ、諸々含めてそれらは当の過去にすり減りきってしまった。あの頃の推しも今はもういない。
切り抜き一本作るために配信を丸々見て、カット編集して、テロップ入れて、音量調整して、サムネ作って、コラボの場合は全員分の配信を繋げたりして、合計で10時間とかかかることは普通にあって、そのための燃料として、いくばかの活動費は少なくとも私には確実に必要だった。毎日からそれだけの時間を消費しても良いって思うくらいには。個人的には良い感じの動画の質を出せていたんじゃないかなと自己評価はしている。10万再生とかコンスタントに出せていたし、少なくともそれくらいのレベルは出せてた(もちろん配信元が面白いって大前提はあったけどね)。少なくとも私レベルの切り抜きで収益化が通らないってことは、今多くあるカットもろくにカットせずに1エピソードだけ持ってきてテロップつけただけの切り抜きチャンネルはほとんど淘汰されていくと思う。
残るのは癖が強い編集をする人とか、絵でやる人たちかな?
あとTwitchとか別媒体で活動している人の切り抜きは生き残れるかも。ただ、その場合、その配信者本人のチャンネルと食い合ってまとめて剥奪される可能性もあるから、今後は切り抜き禁止を出してくる人も出てくるかもしれない。けどヒロユキの切り抜きとかもがんがん剥奪されてるらしいし、関係ないかもしれないね。
私自身は結構疲弊してたのもあって、すんなりとこのことを受け入れることができた。増え続けるライバル、長時間化するライバーの配信、明らかに企業と思われる早すぎる投稿をし続ける切り抜きチャンネルの増加、広告収入の減少、AI技術の進歩(による新規参入の増加と雑な切り抜きの増加)、動画投稿に適したピークタイムが18時~22時くらいまでと狭すぎる日本語圏の現環境(さらにはライバー本人たちと再生数というパイを分け合うことになる)、少し休んだだけで激減する再生数・・・。
毎日の活動時間がほぼほぼ切り抜き関係で消費されていく。これ自体は楽しいし趣味もあったけど、いつのまにか義務感みたいなのがあったと思う。
切り抜きで収益を得る事自体も罪悪感がどうしてもあったし。なんかほら、「私切り抜きしてます」とかも言いづらいじゃん? 自我出しにくいというかさ。
そういう諸々が重なってて自分自身と周りの環境からじわじわと「終わり」を感じ始めていた。それが起きた時のための準備も少しずつだけどやってきてた。
今回、大本から「お前はダメ」って言われたことで、すんなりと次に移れそうだ。
今後はのんびりと好きな人だけ見て、詰んでたアニメでも消化しながら、もう忘れかけているあの頃のオタ活に戻ろうと思う。切り抜きに使えるマンパワーは、少なくとも今の私の私生活には残念ながらなさそうだ。
私は切り抜きを見てVにのめり込んでいった人だし、切り抜き動画を出してたことからも切り抜き賛成派っていうか、擁護派っていうか、そういう奴だ。
youtubeは1チャンネル1動画しか基本時におすすめに出してこない。だけど切り抜きチャンネルがあることで、擬似的にその人に関する動画を何個も出すことができる。要するに入り口を増やす事ができるっていう考え方をしてた。是も非もあると思う。ただ私は支援になると考えて活動してきた。切り抜きを見たことない人のみが石を投げよ、とは言わないけど、切り抜きが入り口で新しい人を知ったって人も多いんじゃないかな。どうしても自己弁護になっちゃうね。負け惜しみみたいでもある。事実私は負けたのかもしれない。何様だよって話だよね。
私の運が悪いだけで剥奪されたとかじゃなければ、今後その入り口が潰れるかもしれない。そうなったとき配信をメインで活動していく人達は切り抜きがない世界で活動していくことになる。そしたらどうなっていくんだろうな、ってぼんやりと思いながら久々に無音の中ですごしながらこの文章を書いている。
最後まで書いてみて、本当に自己弁護に溢れていて最低で気持ち悪い文章だと思いますが、自分の中で抱えきれなくなってしまったのでネットの海に流させてください。
加害行為を擁護するつもりも、誰かを責めたり傷つけたりする意図で書いた文章ではありませんが、もしそう取られてしまったら私の表現が悪く申し訳ありません。
まず私は「年齢性別国籍に関係なく人権は守られるもの、どんな人に対しても人権を侵害する行為は許されないもの、性加害は人権侵害」という価値観を今は持っています。
私は小学校高学年の夏休みに後ろから突然体を触られました。触ってきたのは知らないおじさんでした。その様子を親は少し離れた場所で見ていました。直ぐに親は私の元に来て、おじさんはどこかに行ってしまいました。
親は私に「なぜ抵抗しなかったのか」と怒りました。親の反応はとてもショックでしたが、当時は被害に遭うのは隙があったからとか、服装が原因とか今よりももっと被害者を責める声が強かった時代です。抵抗しなかったのではなく、起きていることが理解できず、何もできなかっただけです。
それでも給水は休憩時間のみ、授業中立たされたり、先生が生徒を罰として教室に入れなかったり、忘れ物をしたら罰走があった時代です。
そういう目上の人を絶対視する価値観の社会で育った私は被害を受けた自分が悪かったのだと思いました。
前置きが長くなりましたが、なぜ今ジャニー喜多川氏の性加害が表面化したのか、それは今だから問題にできたということなのだと思います。
それはここ数年で加害行為は許されないもの、被害者に落ち度はない。というより人権を尊重する価値観が急速に広まったように感じるからです。
性加害の噂はジャニーズ所属タレントのファンになる前から知っていました。過去の裁判でセクハラ(加害)が認められたことも知っています。
その時は「性加害の噂は本当で裁判で判決が出たからこの問題は解決した。今後同じようなことは起きないだろう」と、解決済みの過去のものと捉えていました。
また言い訳になってしまいますし、被害者の方々を傷つける表現になってしまいますが、この頃は被害者を完全な被害者として認識できない、被害を受けた方を責めるという価値観を変えることができずにいました。
性被害が特別なことではないと感覚が麻痺していました。セクハラは笑って受け流せという世間の風潮、セクハラを訴えたら解雇されたという記事の影響もあったかもしれません。
今は被害者を責める価値観が被害者の方々を傷つけることになり、大変申し訳ないことと思っています。
体を触られただけで辛かったのに、信頼していた人からそれ以上の事をされたならどれほど苦しいのか。本当に被害を受けた方々の痛みや苦しみが少しでも和らぐことを願って止みません。
過去の解決済みのこととして長年ジャニーズ所属タレントを応援してきました。所属タレントを応援する行為は加害者ではないが、加害への加担という意見は率直に辛いです。
一番辛いのは被害者の方々なので、ジャニーズ所属タレントを応援している私がこんな事を言う権利はないのだと思います。それでも自分が日々の喜びとして接していた存在が、急激に社会から排除されていくことにショックを受けています。理解はできるけれど気持ちが追いつかない状況です。
社会の反応を見ると加害される痛みを知りながら、もう加害されている存在はいないだろうと被害者の方々の存在を見なかった私もそうされるべきという気持ちと、加害者はジャニー喜多川氏なのにという気持ちもあります。
ですが加害への加担とされる行為をしてきたこと、今後の自分の行動を考える上できちんと向き合っていきたいと思います。
ジャニーズ事務所から被害者の方々の希望となるような具体案が示されることを切に願っています。また所属タレントの方でもし知っていることがあるなら話して欲しいです。
顔を出して発言するというのはとても負担のあることだと思います。匿名で投稿できるこの記事でさえ投稿が怖いです。匿名で証言できる方法があれば活用して欲しいです。
ただ所属先へのことなので、負担の大きさを考えると言っても言わなくてもどちらでも良いのではないかと思います。現時点では証言者が保護される環境が不十分だと思うからです。
だけど性欲から発生する思考や反応を、本能とみなして無罪セーフにする傾向は悪だと思う。
日本人の男性は、男だけのホモソーシャルで固まって遊んできたツケが回ってるのか、
俺みたい本当に無責任なのは、バレてると言われたら「そうなんだ(だから何)」と返し、まなざしを向けるのは性的消費だと言われても「そうなんだ(だから何)」と返すぞ
なんか男子のほうが楽しそうだぞ
完全に同意だ。ほとんどの男性は、迷惑かけ放題で本当に楽しそう。
本能だと思われがちだが、実はそれ、文化的に形成された価値観の歪みではないか。
これは本当に本能的なもので、「エロい」と思うより先に目が追っているし、みてしまったからといって性的魅力を感じているわけではない。見たくて見ているというよりは、胸や尻といった部位に脳より先に目が反応していると言ってよい。
脳より先に目が反応するのは科学的にはあり得ない。
「男の自然」を男が 1mm も疑えないのは、その価値観に歴史があり過ぎて、劣情正当化のエコーチェンバーに長く浸り過ぎて、男にとって、ごくごく当然の日常としてデフォルト化してるからだと思う。
価値観のアップデートで改善できない、という科学的エビデンスは?
なんか男子のほうが楽しそうだぞ
完全に同意だ。ほとんどの男性は、迷惑かけ放題で本当に楽しそう。
それでいて女性に「ぜんぶバレてる」と注意されても、なぜか「バレてない」と自己弁護で済ます。
本当に性欲に責任感があるなら、「えっ バレてた!? ごめん」となるはずだろ。