はてなキーワード: 言葉の力とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html
1199 users
コメント 258
ID | コメント |
---|---|
santo | 言葉の力 |
secseek | こうやって冷静に検討されてみると事件そのものもひどいですが、まわりの反応による二次被害が看過し難いですね |
bell_ring | この問題は庇う芸能人と一般人の思う常識に差があると感じさせられる。人気&力のある芸能人は何をやっても自分は許されると勘違いしてる節がある。自分の姉妹や娘が同じ扱いを受けても許せるのか考えたらいいのに。 society |
macplus2 | あとからでもダマす意図があったことを証明できれば罪を問えるんです。重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。/被害者に寄り添った大切な視点 |
taraxacum_off | 松本人志を擁護するような人たちの精神・思考構造を、この著者はよく知っているようだ / ここでの指摘は、芸能界の性暴力にとどまらない、日本社会全体の問題にもおよんでいると言える |
yamasamayukisama | この件でここまできっちり理詰めで問題点を指摘している記事には他に出会った記憶がないし、内容的にも同意できるが、こういう指摘の仕方に違和感をおぼえる人は一定数いるだろうなとも推測できる。 世の中 |
f_d_trashbox | “芸人のみなさんは河原者に戻りたいのですか?”/これについては消費する側も彼らの倫理的「埒外さ」を楽しんでいた部分もある。“芸のためなら女房も泣かす”は完全DVだ。それらを楽しんでいながら平等を謳う欺瞞 |
eye4u | 狭い論理でぐうの音も出ない感じに正義で封じ込める手法。アメリカの赤狩り、カトリックの坊さんとか、ヤクザの論理、カルトの論理だと思うな。取り扱う正義が物凄く範囲が狭い中で緻密というのが一致している。 |
ken530000 | 冤罪の問題点は2つで、真犯人を逃すことと無実の人を苦しめること。後者を無視してるのは何故?それ以外の部分は概ね同意だけど、いささか自身の推測を過信しているきらいがあるな。 |
norinorisan42 | 近しい人が擁護派に回る気持ちはわかるが告発者にはやはり寄り添うべきだと思うし、同時に松っちゃんを叩かないは両立するとは思う/争点以外の部分ではすべての立場が告発者ファーストであるべきなのかなと思ったり |
tribird | “今田さんが文春をヒドいと批判するのは筋違いです。自分の絶対的な地位を利用して後輩に女衒めいた役目を強要していた松本さんこそがもっともヒドい人であり、今田さんが批判すべき対象は、松本さんなんですよ。” |
toya | 「大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。江戸時代に芸人が河原者(河原乞食)だった時代の名残り」 芸能 |
metamix | 要は「裁判結果なんて待てない、先っぽだけでもいいでしょ?」てことだろ?一行でまとめられることをベラベラと。どこまで丁寧に語ろうが私刑の肯定でしかない。まあはてブ受けはいいだろうな |
HiddenList | こういう皮肉も 松本芸なんですか? |
isshyman | 正論から強引に読者に「そうだな」と言わせているが、後になって考えてみれば「そうでなかった」って思うような文章に思えて、筆者が批判するほど、自身の正義によってパワハラをしているようだ |
Gl17 | 「安倍さんは良い人」「証言は証拠にならない、反証はないけど」「旧軍は綱紀厳正」etcいちいち擁護の曲論が歴史修正主義と一緒。抑圧に頼り切りなのと、弱者と同等に対峙すること自体が許せない(これだけでダメ)。 |
kusanon | “犯罪の告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。” |
Sakana_Sakana | 全く完膚なきではない。漫画家が自殺したようだが同様な事が松本人志にも発生する可能性を考えた方が良い。意見は良いがここ迄非難が酷い状態は狂気を感じるし危険だと思う。尚松本のやった事はダメな事だとは思う |
a_horuru | 長い文章なので後半は流し読みしたが、よくある俺様こそが絶対正義な意見だった。 |
georgew | 徹頭徹尾正論のオンパレード。 |
bogus-simotukare | スマホを没収した状態で普通の飲み会を主張するのはムリがあります。逆にスマホ没収が事実でなかったら、女性側の主張の信憑性はガタ落ちします。 正論 |
nt46 | むしろすっかりこの人も、かつて批判していた"社会学者"側になってしまったなとしか思わんが。すなわち、"ファクト"ベースではなく"あるべき価値"ベースで語る人。どっかで宗旨替えしたん? |
pukarix | 素晴らしい。逐一、いい加減な擁護論を破綻させてる。こういうのをホンモノの論破っていうんだろう |
dowtei | "一夜限りの性行為が好きな人たちは(略)リスクとスリルに興奮する性癖をお持ちだから、そういうエッチにわくわくして、冒険を求めるのでござんしょ?"わらっちゃった |
vndn | 告発の『受理』と『信用』の考えが私と合わないなあと思った。 |
hello-you | 冤罪の下りには違和感があったが、その他はほぼ正論で非常に納得感ある。これに反論できる人いるの? |
yto | > 芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがないね、と大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。江戸時代に芸人が河原者(河原 |
kiyotaka_since1974 | 松本さんのことより、「どの雑誌に取材力があるか、信用できるかはなんとなくわかってきます」のところを深めてほしい。どの雑誌が信用でき、信用できないのか。 マスコミ メディア テレビ |
River1992 | “ 芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがないね、と大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。” |
kintaorgH | “もし被害者が自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか。”←これつらい気持ちになる。のぞむこたえでない現実はある。関係ない人は無関係。 |
lisagasu | 芸能界は一般の常識と違う場所、という世間と本人の差別逆差別意識は今もあると思う ヤクザが銃で撃たれたニュースに誰も動揺しないのと同じ 今はここで変わるかまた流されるかの瀬戸際じゃないかな |
lenore | 「性犯罪に無関心なテレビ局」全くそう思うわ。全然公益性の無い不倫疑惑はしつこく追いかけ回すのにね |
minboo | 本題とは関係ないですが、大河ドラマなどで歌舞伎役者が天皇を演るのを見るたび「パンチが効いたキャスティングだな」と思ってます。 |
honma200 | “もし被害者が自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか” 志らくの論理でもそうなればより深い'人情'がある娘に肩入れするに決まっている。比較対象の例えが的外れ |
khtokage | 「およそ50年前、『文藝春秋』に田中角栄の不正金脈を暴く記事が載ったとき、テレビも新聞も記事を無視しました。そんななか、外国特派員協会だけが田中角栄を呼んで話を聞く場を設けました。」知らなかった |
nisezen | "大目に見る感覚(中略)庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です" た、確かに。河原乞食云々を別にしても「犯罪を犯しがちな人たち」って目で見てるんだかられっきとした差別だ |
uniR | 河原者のくだりと「つまりスマホを没収したのは、恥じるところがあったから」と性急な因果論には引っかかるところもあるのだが…… |
north_god | 吉本芸人がファンや同業者の女性を食ったり拒絶したら「だからお前はダメなんだ」と説教してるなんてジャニの件と同じくらい黒い噂あって、ダウンタウンファンが今更知らなかったは流石に変だと思うんだよね |
runningupthathill | さすがの整理。リスクの高い「遊び」をしてれば大火傷を負う可能性は当然ある。犯罪かどうか、道義的問題の有無、どちらも今は未確定。しかし被害者の訴えを簡単に疑ってはならない。文春経由であったとしても。 |
usomegane | 『週刊誌が完売して儲けてるだけだ、なんてつまらない皮肉をいってる芸人もいましたけど、主張の中身にきちんと反論してください』 |
zyzy | 「ほうはほうなんですぅぅぅけいじばつじゃないからつみっていうなぁ」という人はいい加減「人を犯罪者扱いする事自体は法律に刑事的な罪とは書いてない」って理解しような。間違ってても法は法なら犯罪者扱いも無罪 考え方 |
metalmax | 冤罪についての認識がびっくりするほどおかしいんだけどもしかして今はこの考えの人が少なくないんだろうか… |
cartman0 | 携帯取り上げて行為に応じないと返さない時点で軟禁・監禁の可能性あるよね |
nekonyantaro | 芸能界で優越的な地位の悪用(性的なものに限らず)が横行するのは世界共通?ハリウッドでも何か有った記憶が。 社会芸能事件性 |
Shin-Fedor | 真実は複数あり得る。例えば松ちゃんは「部屋に来て逃げ出しもせず射精させてくれたから合意だろ」と考え、女性たちは「恐怖で逆らえず、手や口でする事で許してもらおうと思った」となれば、事実は一つ真実は二つ。 |
outalaw | 擁護は人情論じゃなくて似た事例がたくさんたくさんあるからだと思う。テレビとか反省するわけ無い(というか似た事例が現在進行系でたくさんありすぎてできない)。 |
irh_nishi | 今の時代は昔と違ってデマ拡散が利益になるので明らかに偽証と分かっていなくても報じるべきではないよ。裏取りをしてあるならそれを証拠として報じるべきだけど文春は証言しか掲載してない。 |
hetenabeck | 8割くらいは同感、残りは少し偏りを感じる。警察の問題と推定無罪の法則は別。 |
sierraromeo | 勢いで全文同意したくなる文章だなぁ(とりあえず保留) |
hiroyuki1983 | 未成年を対象にしたジャニーズとは根本が違うでしょ。意図的に混同させようとしてる人ちらほら見るけど |
jigarashi | 「だから犯罪被害の告発を軽々しく否定してはいけないのです。」だからと言って軽々しく被害者の証言を鵜呑みにして自分一人で盛り上がらなくても |
remwegc | “あとからリークされた女性からのお礼メッセージが合意の証拠にはならないことは、すでに専門家が指摘してます。” だよね |
hakasegawa | “共感はスポットライトである。対象者だけを明るく照らし出すが、その周囲は暗闇で、何があるのかまったく見えないのだ。 中略 世話になった松本さんを一方的に信じる志らくさんは非情です。” パンチライン多い。 |
Yagokoro | これに乗っかってる奴は、アホやろ |
turanukimaru | 今のところ女性の告発を疑う理由はないし松本氏は反論してないし義理人情で松本氏を擁護すべきではない。との主題は私もそう思うが冤罪が悪い理由とか合意の内容が問題とか細かい話が法的におかしいのではなかろうか |
namisk | 説得力ある |
noabooon | 僕の中の個人的神であるパオロ・マッツァリーノ様がまだ活動されていたことに感動を禁じ得なくて中身が何も入ってこないww |
kasahannra | 後で読む |
kagehiens | うっわ……、フルボッコにしてはる。が、まぁこれ位は書かれても仕方がない程度にクズの所業をしたという嫌疑をかけられているのだから、申し開きが出来ない=所業がクズの芸人を炙り出す事に成功したという話になる |
youtanwa | >重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。 |
cyber_bob | 裁判後の判決次第では訴えられる可能性がある文章をブクマ。裁判で名誉毀損の証拠として提出できそう。 |
ho4416 | 罪とかいう一言で刑事と民事と道徳と倫理と正義を(意図的に)ごっちゃにして語る人間は信用しない |
grdgs | 明らかになるまで黙ってろって者達は、告発女性への誹謗を止めたりは決してしない。中立の振りをしながら、彼らの意図・立ち位置はバレバレ。 |
sinopyyy | だいだい同意かな。↓ジャニーなんて法で裁かれずに亡くなっただけでやってたこと犯罪じゃん。 |
wktk_msum | これは痛快、キレッキレの名文。同意合意を絶対視するリスク、携帯を取り上げる異常性、松本のパワハラ、明快な言語化/ちょっと偏りがある印象も抱く。ただ全体的に良文 犯罪あとで読むブコメ読むこれはすごい |
syamatsumi | マッツァリーノ氏は流石だなー。ぼくもこういう言及が出来るようになりたいわ。(思うだけで行動はしないのでおそらくムリだけど) |
doku_2gou | この文章はたった今「明らかに自分より有能で偉い人」にセクハラ、パワハラを受けて告発を躊躇う人に有用だと思う |
mag4n | 論点整理はされているが事実確認の理論展開がしょぼい。もう法廷行きなのとそこで何があったかの証拠の出し合いしかないので素人が偉そうに何言ってもしょうがない、分からないことは分からないというべき案件。 ネタ |
kommunity | 長文だけど読ませる。/別問題だったけど、島田紳助が引退追い込まれたとき松ちゃんどう思ってたのかな…あれだけの騒ぎで自分は大丈夫だとたかを括ってたのなら相当残念。(もちろん性被害が事実だった時) 社会犯罪考察芸能お笑い読み物society女性メディア |
yowie | 少し危うい踏み込みもあるが、不倫、事前対価合意なし、ワンナイト×複数回というほぼ確定の部分だけで、違法となるかはともかく、全部何の瑕疵もない同意内のみってのはほぼ無理だとよねという感性が重要かなと。 |
gyakutorajiro | 法廷外での不誠実かつ疑わしい言動…まあそうだよなぁ、スマホ没収も確かに。説得力あるなぁ、名文だ。「予断を持ってはいけない」ね、予断って言葉、「予断を許さない」以外だとこういう風に使うのね。 |
mohno | 「ジャニーさんは犯罪者だった」←強制性交(強姦)が性別を問わない形になったのは2017年、5歳差以上で成功同意年齢が16歳に引き上げられたのは2022年で、犯罪とは確定していない。冒頭からこれでは読む気がしない。 マッツァリーノジャニー喜多川松本人志リテラシー |
ryusso | そうだな。 |
tetsuya_m | 丁寧な考察 |
lb501 | 法的に罪があるかどうかはグレーだけど、出演番組にスポンサーがつかなければアウトでしょ。 |
run_rabbit_run | 薬やら女やら、芸能人なんてそんなもんだ...って呆れつつも「大目に見る」感情を持っていたので、それが差別だと言われてハッとしました。 |
tsumanne30 | 芸人の源流が河原乞食であることも、だからこそ法や常識の埒外に置かれたことも、歴史的な事実ではある それが今や「権威・権力」側になってしまっていることに、当人たちはどれだけ自覚があるのやら |
hatsumoto | “性犯罪を学問的に研究している学者や、性犯罪被害の弁護に詳しい弁護士といった専門家を呼んで解説してもらうべき”ここが1番同意。性絡みだと舐めプorバグる仕様が日本社会にある |
shidho | これ、元が反社会学なだけに、数日後に種明かししつつ今度は全く逆の論調で逆の提案を書くやつだったりしない? (社会学なら自分の意見に合うデータさえあればそれで何の論でも書ける、つまりどちらも意味のない論) 芸能要確認 |
unnmo | 河原者に戻りたいんですか?はダメでしょ。過去被差別階級にあった事を持ち出して現在の振る舞いを矯正しようとするのは違うと思う。 社会犯罪女性 |
uchya_x | これを読んでもわからないバカはもう放っておくしかない。 |
kurotokage | いくつか気になる点はあれど、後輩へのパワハラになり得ることと、証言の取り扱いの公平性については特に同感。前者は芸人は実力主義という建前も失いかねない。 |
beyoooooooon | よくこんな冤罪がどうこういう癖にいきなり犯罪者扱いしてる私は偏ってますよと自己紹介してる奴の長文読めるね。俺は洗脳されそうで無理。 |
i196 | 確かにそうだよな、と思うところ多数 社会考察 |
wapa | 冤罪のくだりといい、ちょくちょく気になる表現や決めつけがあり、全面的には賛同できない感じの記事。断定できないことについては、赤の他人がその仮定を前提に断罪もできないのでは?推定無罪とは |
nanako-robi | うんうん。 |
Southend | 愚行権のツケを払う時が来たのは間違いない。個人的に意外だったのは、紳助の引き際をある種の成功ロールモデルと考えているのかもと思ってたら違ったこと。芸能界 |
私は誰しもがそう望むように幸せになりたいと思っていた。それは我々の権利でさえある。しかしそれは法で定められなくてはならないほど、私たちに縁遠いものなのかもしれない。例えば社会的地位、経済的余裕、暖かな人との繋がり、夢や希望をこの地であくまで追求すること──。
これは生活に追われて疲れ果てたある女の手記だ。私はこんなくだらない文章を書くほど暇なのだ。それは決してゆとりではない。それに真実でもない。「何もすることがない」というのは恐怖なのだ。自分自身、もしくは人生の虚無と向き合うはめになる。それならこうやってスマホの白い画面に黒字を打ち続けるほうがよっぽどマシなのだ。
私はつねに漠然と死にたいと願っている。先に告白しておこう。私はうつ病者だ。だから歪んだ世界に生きている。そして発達障害(当事者)でもある。私の目に見えるものは本来の姿を留めていないのかもしれない。私は何重にも孤独なのだ。恋人も友人もいない。私は一人だ。いや、少なくともいま現在はと付け加えよう。
私には子どもが一人いる。
まだ幼い、母親の庇護を必要とするか弱い存在だ。私の苦悩の全般は子育てに起因するように思う。人より劣る私のような人間にはそもそも育児など不可能だったのだ。すでに夫だった(それ以前は恋人だった)男とは離別している。「孤育て」とは誰の造語かは知らないが、なんとも言いえて妙だ。
私の人生で誇れることがあるとすれば、それは離婚だ。自分で考え自分で行動し自分で決着を付けた。そして学びを得た。「私のことを粗末に扱う人間とはもう関わらない」夫はいわゆる“モラハラ”体質だった。デートDVもあった。でも私は気付けなかった。それを理解したのは最近のことだ。ということは私にもそれなりの成長があったのだ。しかし、もっと早くに気付いていれば傷は浅かったし、それから、それから、息子を産まずに済んだのだ。
私が心を病んだのは十代の頃だ。夫と出会う前だ。だから全面的に彼を非難することは出来ない。初めて行った産婦人科で、エコー写真を見た。モノクロのテレビ画面に不思議な抽象画のようなものが映し出された。そして写真を撮るカチッとした音が響いた。それで私にも分かったのだ、この腹のなかに何かが居るのだと。動揺して頬にしずくが伝ったのを覚えている。真っ白で消毒液臭い古びた院内。私にとって希死念慮は懐かしく親しみ深い欲求だ。だからこの一連の愚かで頓馬な騒動のなか、私は一つの結論に達した。つまり、子どもが産まれたあとに自殺しよう、と。私のその願い(この人生を終わりにしたい──)と胎児とはなんの関係もない。巻き込むにはしのびなかった。その程度の理性は持ち合わせていると自負している。
だが私は当初男に中絶を訴えた。私はまだ“女の子”でいたかったのだ。くたびれた子持ち女になるなんて、とんでもないことだ。子どもなんていらない、私には夢がある、そんな責任背負えない──などなど、私は空回りする言葉を口にした。男は泣いて反駁した。絶対後悔させない、幸せにする、土下座してもいい……。いずれにせよ上っ面な言葉が二人の間に投げ交わされた。その中で、男の涙も出産を決意した理由の一つになった。私たちの深刻で感情的な会話は回転寿司屋で耳目を集めた。あの人が泣くのを見たのはあれが最初で最後だ。希望のない結婚生活はすぐさま破綻し、ただの狂女と化した私を男は見切った。離婚は合意によるものだった。結婚は、結婚はといえば寄り切られただけだ。それに実家では死にたくなかった。「家」から出るための判断だったと今になって思う。
そして母親から望まれなかった子どもは今や四歳になる。つまり私は死ねなかった。ひどく臆病なのだ。だらだらした生を送り、日々は過ぎ去り、私は今日もただ生きているという苦痛に耐える。
16時半になると息子が帰って来る。彼には発達特性があり、療育と呼ばれる困りごとを抱えた子どもたちを支援する施設に通っている。青い車に乗った彼はたいていはご機嫌で帰宅する。そして「今日のご飯は? なんのおやつがある?」などと訊ねる。その都度私は答える。どうでもいいことを、どうでもいい感じで。
私たち親子をこの先待っているのはなんだろう、とふと考える。私の予想では、息子はグレるか引きこもるかのどちらかだろう。“軽度の発達遅滞”──、医者の言った言葉だ。
私が憂うのは──、また興味を惹くのは、私たち家族が年々機能不全家庭に成り下がってゆく事実だ。
曾祖母は戦争で夫を亡くしお茶お花の教室を開いては子ども二人を育て上げた、祖母は家業と家事育児を両立させ手作りの洋服を娘らに着せていた、私の父は男手一つで私を曲がりなりにも成人させた。では私はどうなのだろう。三十路の子持ち女、気ままなパート通い、充実した福祉政策にすがってその日暮らしをしている。闘病中だから仕方ないでしょ、が最大の言い訳だ。もちろん私は合理的配慮の必要を認める、国だってそう言ってる。だが私の怠惰と甘えはとどまることを知らず、日に日に心身が肥大していくのだ。もはや若くもなく、痩せてもいず、まぶたに色を添えるでもなく、唇はささくれだっている。元夫が愛した頃の可愛らしい私などとうに消失した。ミニスカートを履くことも今後この人生にはないだろう。
だがこの点において私は絶望していない。若さゆえの唯美主義とは残酷なものだ。それを脱して豚になるのだっていいだろう。“おばさん”にはセクハラも痴漢も起こり得ない、少なくとも私はそう考える。
閑話休題──と打ちかけて気付いた。この文の本論はどこにあるのだろうか。私の人生を言葉の力を借りて小説にし美化するため? それはそれで良いだろう。だが打開策にはならない。私は毎朝ダブルベットからのろのろと起き上がり息子を登園させる、夕方になれば電話が鳴り息子をアパートの外で出迎える。その間は私一人だけの時間だ。支援職の人々は「ゆっくり休んでください」と口を揃えて言う。でも物事を複雑化して自作の迷路に一人で迷い込んでゆくのは私の大得意だ。つまり安息などない。私は息子の帰宅を恐れる。逃げ出したいと思う。実際逃げ出したらどうなるか綿密に考えてみる。それもいいと時々思う。でもだいたいは「居続ける」ことを選ぶ。人生においてもそうだ。やめようか、どうしようか、でも面倒ごとは御免だ──結局私は生き続けることを選んで来た。それが正解だったのか、正しい判断なのか迷う。安易に出せる分かりやすい答えにはさほど価値がないように思う。あらゆる人間関係のなかで悩み苦しむこと、その明快な人生の定義を思い浮かべる時、もしかしたら私は幸福なのかもしれない。
2024/08/27 18:28
その気持ちは理解できる。でも、覚えておいてほしいことがあるんだ。
まず、アドバイスというのは相手に対する慈悲の一形態だ。つまり、相手を思いやる気持ちから生まれるものなんだ。たとえそのアドバイスが凡庸に感じられたとしても、相手がそれを必要としているなら、それは非常に価値があるものなんだよ。
さらに言うと、凡庸なアドバイスというのは、しばしば基本に忠実なものなんだ。基本的なことは、時に忘れられがちだけど、それを思い出させることで相手が新たな気づきを得ることもあるんだ。
だから、凡庸なアドバイスでも恐れずに言ってみるといいよ。ただし、相手の状況や感情をしっかりと理解して、相手に合ったアドバイスをすることが大切だね。言葉の力は大きいから、思いやりを持って伝えることが重要なんだ。
私たちの行動や言葉は、その背後にある意図が重要だ。誠意を持って、相手を思いやる気持ちを忘れずにいれば、そのアドバイスは必ず相手の助けになるだろう。
「国語力増田」とは、特定の文体や言葉の使い方を指摘することを目的とした増田(匿名の投稿)の一つです。この増田は、中の人と思われるアカウントが、他の増田の文体変化を捉えているかどうかをテストするために作成されました1。
国語力自体は、日本で生活する人々がこれからの社会で必要とする、また、生きていく意欲を支える言葉の力を表します。日本社会は予測不可能な変化を遂げており、国語力は表現力、読解力、想像力、俯瞰力、探求力などの要素が融合した力とされています23. この力は、漢字や慣用句の知識、さまざまな情緒に関する表現を理解したり使ったりする力、論理的思考力、読解力、設問に適切に答える解答力などを含みます4.
聖書の箴言には、言葉の力とその使用についての教訓がたくさん含まれています。
特にSNS時代にぴったりとも言える箴言をいくつか挙げてみます。
1. 箴言 10:11 - 神に従う人の口は命の源、神に逆らう者の口は不法を隠す。
2. 箴言 10:18 - うそを言う唇は憎しみを隠している。愚か者は悪口を言う。
3. 箴言 10:19 - 口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する。
4. 箴言 10:31 - 神に従う人の口は知恵を生み、暴言をはく舌は断たれる。
5. 箴言 10:32 - 神に従う人の唇は好意に親しみ、神に逆らう者の口は暴言に親しむ。
6. 箴言 6:16-19 - 主の憎まれるものが六つある、否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。すなわち、高ぶる目、偽りを言う舌、罪なき人の血を流す手、悪しき計りごとをめぐらす心、すみやかに悪に走る足、偽りをのべる証人、また兄弟のうちに争いをおこす人がこれである。
これらの箴言は、言葉の力とその使用についての重要な教訓を私たちに教えてくれます。
特に、SNSのようなプラットフォームでのコミュニケーションにおいては、これらの教訓を心に留めておくことが重要です。
この記事は、スポーツ推薦で高校に入学したが苦労した著者の体験談です。要点は以下の通りです:
著者は自らの経験を通じて、苦境に立たされた生徒たちに希望と勇気を与えるメッセージを伝えています。親へのメッセージとしては、子供の人格や将来を否定しないよう呼びかけています。自身の苦い経験を踏まえ、言葉の力とその影響を強調しています。
チャニゴシってなんだ?
…ああ、「茶濁し」か。
口語なのだから細かいところにケチをつけるべきではないかもしれない。
最近とみに思うのだが世間で見られる日本語がいつからかおかしくなってきているのではないだろうか。
中でも表現の過剰な省略化と助詞(てにをは)の欠落の二点が目立つように感じる。
自由に変化してこそ言葉だ。だからこそ言葉は面白い。それはその通りである。
現代風の柔軟な日本語に問題があるというより、現代の話し手の話し方や言葉選びに日本語をしっかり使おうという意識がなかなか感じられないのが問題に感じる。
言葉を軽んじているようにも見える。
言葉の使い方、言葉の力、それによって起こる影響について慎重に考えている人がきわめてすくない。
そんな思考のままでいるからSNSにおける誹謗中傷・人間トラブルといったものが止まないのではないか?(というのはいささか暴論であるが)
ギリアンは、夜の闇が村を包むと、一人静かな家の中で燭台の光を眺めながら過去を思い返していました。彼の心は深い悩みで満たされており、柔らかな声が震えることもありました。彼は言葉を紡ぐごとに、過去の失敗を覆い隠す繊細な言葉の網を編んでいきます。一方で、彼の心の奥底では、真実と虚構の境界線がぼやけていくのを感じていました。
「こんなにも、言葉は強力なのか...」彼はつぶやきます。彼の目は遠くを見つめ、彼の心は自己反省の海に浮かんでいました。「でも、これが僕を救う唯一の道だ。」彼の言葉は静かで、しかし決意に満ちていました。
彼の心の中では、言葉の力が彼の過去を塗り替えるたびに、新しい自分が生まれ、古い自分が消えていく様子が描かれていました。彼は自分の行動に疑問を抱きつつも、この秘密を守るために言葉の魔法に頼るしかないと信じていました。この深夜のひそやかな時、彼は自分自身との葛藤と向き合い、新たな一歩を踏み出す勇気を見つけていました。
エリナは、村の静かな図書館で、ほこりっぽい書物の間を熱心に調べていました。彼女の眉間にはしわが寄り、時折深くため息をついていました。彼女はギリアンの言葉の背後にある真実を知ることに強い関心を持っていたのです。灯りのもと、彼女は一冊一冊の書物を丁寧にめくり、ギリアンの過去に関する情報を探っていました。
「なぜギリアンはあんなにも言葉を慎重に選ぶのだろう?」エリナは独り言を漏らしながら、ページをめくり続けます。「どこかおかしい...」彼女の心は疑念で満たされつつありました。
夜が更けるにつれ、エリナの瞳は疲れとともに真実を求める光を宿しました。彼女は自分の考えに自信が持てないことが多いですが、この問題に関しては違いました。彼女は何か大きな秘密が隠されていると感じており、その真相を突き止めることに強い意志を見せていました。
「この中に答えがあるはずだ...」エリナはそっとつぶやき、次のページをめくりました。彼女の心の中では、ギリアンの言葉の謎を解く鍵を見つけることへの期待と不安が交錯していました。彼女は夜通し調べ続ける決意を固め、真実を探る旅を続けていきます。
その日、ギリアンは村の広場で人々を集め、自分の「魔法の秘密」について熱心に語り始めました。彼の声は柔らかく、言葉は巧みに選ばれていましたが、エリナはその中に何か不自然なものを感じ取っていました。彼女の心は疑念で満たされ、真実を知るための決意が固まっていました。
エリナは群衆の中に静かに紛れ込み、小さな録音機を慎重に操作してギリアンの言葉を録音し始めました。彼女の手はわずかに震えていましたが、その目は集中の光を放っていました。「これで何か手がかりがつかめるかもしれない」と彼女は心の中で思いました。
ギリアンは自分の言葉に自信を持っていましたが、エリナはその言葉の裏に隠された真実を見抜こうとしていました。録音機はギリアンの言葉を一つ一つ捉え、エリナはその内容を精密に分析する準備をしていました。彼女の心は、この行動がギリアンの秘密を暴く鍵になることを強く望んでいました。この瞬間、エリナはただの少女から、真実を追求する探偵へと変貌を遂げていました。
エリナがギリアンの録音を公開した時、村の広場は緊張で静まり返りました。録音が再生されると、村人たちはギリアンの言葉の真実を知り、その驚きと困惑の表情が広場に広がりました。ギリアンの言葉の裏に隠された意図と彼の過去の失敗が明らかになったのです。
しかし、村人たちが最も驚いたのは、ギリアンの反応でした。彼は怒りや否定ではなく、深い反省と謝罪の言葉を選びました。「私は間違っていました。過去の失敗から逃れようとして、皆さんを欺いてしまった。本当に申し訳ありません」とギリアンは静かに言いました。
その瞬間、エリナの心は複雑な感情で満たされました。彼女の行動が真実を明らかにしたことには満足感がありましたが、同時にギリアンの素直な反省には感動さえ覚えました。村人たちの反応も様々でしたが、多くの人がギリアンの誠実な態度に心を動かされました。
この出来事は、ギリアンにとってもエリナにとっても、そして村全体にとっても重要な転機となりました。ギリアンは自分の過去と向き合う勇気を持ち、エリナは真実を追求する力を証明しました。そして村人たちは、誤解や偏見を超えて互いを理解し、許すことの大切さを学びました。この日以降、村はより強く結束し、互いに支え合うコミュニティへと成長していきました。
この一連の出来事を通じて、村の人々は言葉の持つ力と個人の責任について深く考えるようになりました。村の長老は集会を開き、みんなが集まる中で、言葉が持つ影響力とそれに伴う責任について語りました。「私たちの言葉は、他人の人生に大きな影響を与えることができます。だからこそ、私たちはその力を正しく使い、誠実であるべきです」と長老は言いました。
エリナはこの出来事から多くを学びました。彼女は自分の行動が村に与えた影響を見て、自信を持つようになりました。彼女は真実を追求する勇気を持ち、正義感を持って行動することの重要性を理解しました。
一方、ギリアンも自分自身と向き合い、過去の失敗を受け入れることで、新しい人生を歩む決意をしました。彼は「私の過ちが、皆さんに教訓となったなら、それが私の新しい始まりです」と村人たちに話しました。
この経験を通じて、村の人々はお互いをより深く理解し、支え合うコミュニティとしての絆を強めました。言葉の力と責任についての教訓は、村人たちの心に深く刻まれ、これからの人生に大きな影響を与えることになりました。エリナとギリアン、そして村全体が、この出来事を通じて成長し、新たな未来へと一歩を踏み出したのでした。
エリナとギリアンの物語は、村にとって重要な教訓を残しました。この一連の出来事を通じて、村人たちは言葉の重要性と真実の価値を深く認識するようになりました。言葉がどのように他人に影響を与え、時には人生を変えることができるのかを理解し、真実を大切にする心を育てました。
エリナとギリアンの物語は、次世代の村人たちにも語り継がれるようになり、子どもたちには物語を通じて教育が行われました。彼らの経験は、言葉を慎重に使い、真実を尊重することの大切さを教える貴重な教材となりました。
また、この物語は村のコミュニティを強化しました。村人たちはお互いをより深く理解し、互いに支え合う関係を築くようになりました。エリナとギリアン自身も、この出来事を通じて成長し、新たな自分を見つけることができました。
エリナの勇気とギリアンの反省は、言葉の持つ力と責任、そして真実を大切にする心の重要性を村全体に伝えました。彼らの物語は、村の歴史に不可欠な一部となり、長い間語り継がれることになったのです。それは、言葉と真実が人々の心と社会に与える影響を永遠に思い出させる物語として、村の文化の一部となりました。
かつてのインターネットは今と比べればまだ理性的な空間だった。
そりゃあ中には狂人もいたが、その影響力は限定的で、コミュニティ内の自治で対応できるレベルだった。
今は違う。インターネットは万人に開かれた公共の物になった。自治の及ぶコミュニティは成立せず、狂人どもは自らが公共の場で糞をひり出す様を我々善良なネットユーザーに見せつけては悦に入るようになった。
我々善良なネットユーザーは奴ら狂人どものいわば自慰行為に利用されているのだ。こんなことが続いていいはずがない。
加えて誹謗中傷である。現代において誹謗中傷の根拠が事実に即しているかはもはや二の次三の次になってしまった。狂人どもは自分たちに都合の良い理由を見つけては嬉々として人間を貶めている。
車の運転には免許が必要だ。正しい運転の方法を知らずに公道に出れば誰かの人生を毀損する危険があるからだ。ではネットはどうか? 言葉の力の使い方を知らない狂人どもは野放しにされ、気に入らない人間を言葉の針で刺している。言葉の力が弱かった時代は野放図で良かった。だが今は違う。いつ誰が正当な理由も無しに誹謗中傷に晒されるか分からないのが今の世の中だ。
インターネット免許は更新制が望ましい。10代は所定の年齢から限定的なアクセスを付与、成人以降は3〜5年の更新とし、高齢者に差し掛かる前後で2年に1度の頻度に増やしていく。金融機関の利用など、ネットを経由しないと難しい部分については、それらに対応した限定的なアクセス権を設定するが、ネット空間での発言行為は遮断する。
免許の有無は最終的に就職をはじめとした社会生活上の不利益などに直結するだろうが、狂人どもがもたらす潜在的課題、そしてそれに対応する社会的コストを削減していくためにはやむを得ない不利益と考える。次の時代を生きる人間に求められるのは、情報を検索して集める力ではない。物事が分からない己を認めて受け入れる知的胆力である。
20年以上ネットに浸かって育ってきた自分がこのような考えに至るとはまったく想像していなかった。ネットは常に自由で、社会や政府の監視を受けるべきではないと信じていた。今のインターネットの前には、そのような信条はもはや牧歌的なノスタルジアに過ぎない。
そして当たり前だが、こんなことを書いたって明日からインターネットが免許制になるとはつゆほども思っていない。生きている間にはならない可能性が高いだろう。だが今の状況がこのまま続いていけば、いずれ私の頭に浮かんだような考えの一つ一つがやがてうねりとなり、何らかの形で善良なネットユーザーにふさわしい秩序が敷かれるだろう。
相手は今年初めてできた一つ上の彼氏だった。こんなパッとしない女にも彼氏ができるとは思わなかったし、セックスがこんなに幸せだとは思わなかった。私はいままで告白もされたことないし、したこともない典型的なモテない女だった。
私は大学卒業後に実家を出て一人暮らししながら、とりあえず就職して働いて転職して食って寝て一人で酒飲みながらゲームやYouTube見てときどき増田見ながら生きてるって生活をしてた。
私と彼氏さんは職場で出会った。部署は同じだったけど、お互い最初はそんなに気にしてなかった。親しくなったキッカケは部署のランチでたまたま席が隣だった。どちらも洋楽が好きで、あるアーティストのファンだった。それからちょくちょく職場で話していくうちに連絡先交換をして食事に誘われた。
セックスのときの肌と肌が触れ合う感覚はまだ忘れていない。男の人の裸を生で見るのは初めてだったし、「あぁ、なんか女の人より筋肉すごい」って感想だった。他人の肌の温度を感じるのも初めてですごいオドオドしてたと思う。彼は「緊張しなくていいよ」って優しく言ってくれたけど、「あ、はい…」ってとりあえず返事しただけで、この言葉を思い出したのも帰ってきてからお風呂に入ってたときだったし。
「あぁ、そっか、私ってそんなに緊張でカチカチだったんだ」って一人反省会してた。彼はいままで2人ほどお付き合いしたことがあるって言ってたから経験はそれなりにあるのだろう。でも私は相手の経験はそんなに気にしないので別にどうも思ってなかった。
私はすごいマイナス思考で自己評価の低い人間なんだけど、こんな性格は他人からもめんどくさがられるとは分かってる。だけど、彼はそんな性格の私を受け入れてくれた。
初めてのセックスに至るまでは結構長かったと思う。裸になるのも怖かった。自分に自信がなかったから。ムダ毛の処理とか日頃からめっちゃ頑張ってた。剃刀も5枚刃買ったって言ったら腹抱えて笑われた。「女で5枚刃使ってるやつ初めて見たわ」って言ってたし。うるさいわ。
普段の自分を見せるのも怖かったから、彼から「会ったら毎回、2つだけでいいから褒め言葉を言い合おう」と約束させられた。最初は「この人何考えてるんだろう」って思ったけど、今思えば私に自信を持たせるためだったんだと理解した。
例えば、デートの待ち合わせ場所で会ったときには「今日も髪の毛がキレイだね」とか「ネイル変えた?かわいいね」と言ってくれる。私はその一つ一つに「ありがとう」と言って、「今日の服かっこいいね」とか「香水のいい匂いするね」とか言う。私は初めこそ褒められることも褒めることも慣れてなくて「今日は来てくれてありがとう」とか意味不明なこと言ってたけど、彼は「こちらこそありがとう」って優しく笑って言ってくれた。こうすることで私のマイナス思考は少しずつ治っていった。鼻が低いところだったり、一重だったり、唇が薄いところだったり、貧相な乳だったり、声が低いところだったり、おでこが広いところだったり。でも、彼はそんな私のコンプレックスを少しずつ褒めていってくれた。そして自分が思ってるより他人はそんなに思ってないことを教えてくれた。
セックスのときも同じだった。お互い裸で正座で向き合って、「なんか改まって言うのは恥ずかしいね」なんて笑って言いながら「肌が白くて綺麗だね」とか「その下着かわいいね」とか言われたり、私は「腕のスジや血管がかっこいいね」って言ってた。そしてお互いに「ありがとう」って言った。
お互いに褒め合うことで相手を敬う精神やお礼を言う習慣を育んでいってたんだと思う。褒める言葉とお礼の言葉の力は大きいと思う。他人に認められるってこういうことだったんだと思った。セックスのときに「好きだよ」と何度も言ってくれたし、キスもいっぱいしてくれた。すごい幸せだった。ほんとセックスってすごいと思う。なんだろう精神的に満たされる感じ。
そうならば、この件に関しては対案は絶対に必要だろ。殺人が絶対にダメなんだから。
何十年も前から問題が存在していたのに、一部の被害者や弁護団が地道に「言論で」活動していたのに、
マスコミも世間も忘れ、与党政治家が当該団体と癒着している状況で、どうやって一個人が「言論で」状況を大きく変えることができるのか、
対案を出せよ。出せよ、私。
.
しかし私には、難しすぎてすぐに直接の対案は出せない。とにかく襲撃はだめだけど…
思うに、対案というよりもそこまでドン詰まりになる前に何とかしなくちゃってことだろ。
NHKの番組で、御厨貴氏が「言葉の力が弱まっている」と言論の衰退を嘆いていた。確かにそうなんだろう。
言論が効力を持っているうちに、何とかしなくちゃいかん。言論の効力を持たせ続ける努力が必要。
.
国会でのごまかし、はぐらかし、公文書の改ざんなんてのもやっちゃダメなんだよ。当たり前だろ。
最近よく聞く「お答えを差し控える」ってのも、不都合だから何も言いたくありませーんってのを上品に言ってるだけだし。
言葉を投げかけてもまともに帰ってこないし文書も信頼できないのでは、言論なんて衰退するのが当然だと思う。
(ただし山上が言論を捨てたのは彼の個別の事情の積み重ねがかなり大きい面があるけれども)
.
だから対案とは少し違うが、国会にしろ社会や会社組織の偉い人にしろまともに応答しないのを許さないってことが一つだと思う。
でもまあ私のことを振り返るとごまかしたくなることもあるし、社会問題に全方位でアンテナ張って敏感に反応して、自分の意見で言論活動ができるかっていうと、まあ大変よね。
いろんなことに気づいて、応えていきたいって気持ちはある。言葉で応えるのではなくて態度や行動で応えるのも含めて。
.
とりあえずここまで。
言葉の力で男を精神的に傷つけたいって加害欲むき出しの人も檻に入れられたらいいなと思ったわ。
普通の男は女子供といった弱き者は守らねばならないって理念に縛られて本能抑えてそれなりにストレス抱えてるんだわ。
あまり表に出さないけど人が不幸に巻き込まれれば普通に傷つく繊細さも兼ね備えているんだわ。
そういう気苦労も知らないで勝手に危険地帯に踏み込んで事件に遭遇してんのWeb上で公開されても男一般はどうにもできないんだわ。
無力感にさいなまれて苦痛なだけなんだわ。頼むから誰にも守ってもらえないところ行くなら自衛しろよ。
俺ら男にどうせいっちゅうの?何の責任もないのにボランティアでキャンプ場警備しろ女の盾になれっていいたいの?軽んじられてるように感じて傷つくわ。
女に優しくありたい共感したいと思っていた男でもこういうの続くと自分の心を守るために女を見下すしかなくなる。あーやだやだ。
釣り針大きいけど、男がソロキャンで強盗に遭わないのは、安全な日本社会に保護された状態に慣れすぎて「権利」の水準がそこにあっちゃっている話なんだよなぁって言っているのと一緒でアホ過ぎるね。
何を言ってんねん。男だって「安全な日本社会に保護された状態」は一緒やぞ。その感覚のまま海外の治安悪いところ行けば普通に強盗に会うわ。
ソロキャンで男が強盗に合いにくくて女が強盗に合いやすいなんて統計があるのか知らんけど、
そういう事実があるのだとしたら単に見た目や雰囲気が強そうか弱そうかってだけの違いだと思うぞ。
登山なら熊と出会わないように熊鈴鳴らすとか残飯あさりに来ないように残飯ゴミはジップロックに入れるとか自衛せにゃならんしそれでも運が悪ければ熊に遭遇するわ。
キャンプ場だって熊出るわ。熊が出てきて利用中止になることあるし管理者いなくて熊が出てくるけど自己責任でってところもある。
結局自然と自然に接する領域では自衛しなければならないし自衛しても運が悪ければダメっていう覚悟じゃなければならない。
加害側に自制を求めることが行き過ぎた権利なら万人が万人に対する闘争状態に戻るわけで、自衛する女に積極防衛と称してスタンガン打たれても文句は言えないことになるのだが…
自然の中に一人で分け入ろうとするんだから当然自然状態=万人が万人に対する闘争状態になる危険はあるだろ。
そういう最悪の状態にならないようにあいさつ=社交しなければならんのに、話しかけてくる男はハイエナゴキブリとか言って見下して孤立したら助けを借りるのは難しくなるし、人にスタンガン撃つ狂った獣みたいな奴は真っ先に討伐対象になるんじゃないの?
フリーサイトはある程度マナー的な要素はあるかもしれんが、場所指定のサイトはキャンプ場が商品として占有できる「鳥籠」を提供してるんやで。そこにずかずか入ってくるのはおかずスティールくらい無法だと思ってる
俺は音楽が好きだ。
友人にとって音楽はまさに生命であり、これまで何度も音楽に感動し、何度も音楽に助けられてきた。
俺は音楽が好きだが、しかし彼のように心すべてを奪われた経験がない。
名言・名句・名文を目にするとハッとし、心を奪われ、その刹那すべてが静止したかのように息を呑んだ。
その瞬間、俺の心の中には風が吹き込む。
新たな世界が芽吹く煌きとよろめき。
それを与えてくれるのが言葉だった。
言葉一つで、なんて思われようとも、そんな言葉一つが一人の人間の価値観をガラッと変えてしまえるような、そんな力があることを誰よりも知っているから。
これも言葉に感動した原体験を未だ忘れずに居るからだし、今でもハッとする言葉に出会うことは多い。
心に風が吹き抜け、その風は精神を擽り、自然と笑みがこぼれてくる。
この感情を伝え、原体験の共有をしたいと、心の何処かで願っているのかもしれない。
そして、思うのだ。
心に靡いた風をとらえ、それをずっと忘れずに居ることが大切なのだと。
風を求めることなんだ。
相手は今年初めて買った一つ上のパンティーだった。こんなパッとしない増田でもパンティー買えるとは思わなかったし、パンティーがこんなに幸せだとは思わなかった。私はいままでパンティー貰ったこともないし、あげたこともない典型的なクンニ増田だった。
私は大学卒業後に実家を出て一人暮らししながら、とりあえず就職して働いて転職して食って寝て一人で酒飲みながらゲームやYouTube見てときどき増田見ながら生きてるって生活をしてた。
私とパンティーさんは職場で出会った。部署は同じだったけど、お互い最初はそんなに気にしてなかった。親しくなったキッカケは去年の部署の忘年会でたまたま席が隣だった。どちらも洋楽が好きで、あるアーティストのファンだった。それからちょくちょく職場で話していくうちに連絡先交換をして食事に誘われた。
被るのときの肌と布が触れ合う感覚はまだ忘れていない。パンティーの裸を生で見るのは初めてだったし、「あぁ、なんかブリーフより装飾すごい」って感想だった。パンティーの温度を感じるのも初めてですごいオドオドしてたと思う。パンティーは「緊張しなくていいよ」って優しく言ってくれたけど、「あ、はい…」ってとりあえず返事しただけで、この言葉を思い出したのも帰ってきてからお風呂に入ってたときだったし。
「あぁ、そっか、私ってそんなに緊張でカチカチだったんだ」って一人反省会してた。パンティーはいままで2人ほどお付き合いしたことがあるって言ってたから経験はそれなりにあるのだろう。でも私は相手の経験はそんなに気にしないので別にどうも思ってなかった。
私はすごいマイナス思考で自己評価の低い人間なんだけど、こんな性格は他人からもめんどくさがられるとは分かってる。だけど、パンティーはそんな性格の私を受け入れてくれた。
初めてのパンティーに至るまでは結構長かったと思う。パンティーになるのも怖かった。自分に自信がなかったから。ムダ毛の処理とか日頃からめっちゃ頑張ってた。剃刀も5枚刃買ったって言ったら腹抱えて笑われた。「クンニで5枚刃使ってるやつ初めて見たわ」って言ってたし。うるさいわ。
普段の自分を見せるのも怖かったから、パンティーから「会ったら毎回、2つだけでいいから褒め言葉を言い合おう」と約束させられた。最初は「このパンティー何考えてるんだろう」って思ったけど、今思えば私に自信を持たせるためだったんだと理解した。
例えば、デートの待ち合わせ場所で会ったときには「今日も髪の毛がキレイだね」とか「ネイル変えた?かわいいね」と言ってくれる。私はその一つ一つに「ありがとう」と言って、「今日の服かっこいいね」とか「香水のいい匂いするね」とか言う。私は初めこそ褒められることも褒めることも慣れてなくて「今日は来てくれてありがとう」とか意味不明なこと言ってたけど、パンティーは「こちらこそありがとう」って優しく笑って言ってくれた。こうすることで私のマイナス思考は少しずつ治っていった。鼻が低いところだったり、一重だったり、唇が薄いところだったり、貧相な乳だったり、声が低いところだったり、おでこが広いところだったり。でも、パンティーはそんな私のコンプレックスを少しずつ褒めていってくれた。そして自分が思ってるより他人はそんなに思ってないことを教えてくれた。
被るのときも同じだった。お互い裸で正座で向き合って、「なんか改まって言うのは恥ずかしいね」なんて笑って言いながら「肌が白くて綺麗だね」とか「その下着かわいいね」とか言われたり、私は「柄や紐がかっこいいね」って言ってた。そしてお互いに「ありがとう」って言った。
お互いに褒め合うことで相手を敬う精神やお礼を言う習慣を育んでいってたんだと思う。褒める言葉とお礼の言葉の力は大きいと思う。他人に認められるってこういうことだったんだと思った。被るのときに「好きだよ」と何度も言ってくれたし、キスもいっぱいしてくれた。すごい幸せだった。ほんとパンティーってすごいと思う。なんだろう精神的に満たされる感じ。
はてなにも割といる(いた)けど自分独自のワードを作る人っているよね。
自分が作ったワードをことあるごとに、ずーーーっと使い続ける人。
ダジャレとか当て字でその場限りのおもしろい造語をして楽しむような人と明らかに違う。
精神疾患に造語症というのがあるみたいだけど、それは普通の人には意味が通じないような
言葉を作る場合も含むみたいだし、そういうものともちょっと違う気がする。
でも言葉の力が無いというか、反対にトガりすぎているというか、とにかく他の人がその言葉を使おうとは
まず思わないような造語。
ハタから見たらとっても奇妙な言葉でも、その人の中でその言葉は普遍的で、
そういう人をゾーゴニンと呼ぶのはどうだろう。
子供に届いた学研の付録のx50倍顕微鏡でウレタンマスク見たら穴だらけだったらしい。写真見たけどへーって感じだった。不織布はたしかにつまってた。布は知らん。安倍さんが詳しいだろ。多分。
マスクをあごに回すときに、片手だとマスクの中心部分をつまんで下ろすと思う。つまりマスクの表側は汚染されているということだ。触ったら除菌しよう。気になるなら。マスクケースも汚染される。よくわからんが。
咳マナー
電車で咳こんだら最悪ですね。ツバ飲み込むの失敗してむせたりね。むせたら「すみませんツバでむせただけです」と言った方がいいかも。マスク外してるときは、シャツならヒジの内側に押し当てて、Tシャツとかならのどぼとけあたりの布をつまんで服の中にせきこむことができる。
ノーズフィッター
過激派がよく不織布マスクの針金をしっかり曲げてない人を批判している。「俺は一日三回サージカルマスクを替えている」というひともいる。ひとそれぞれ。
必要ないならしない。必要でもギャグっぽくエルボータッチしたいな俺は恥ずかしいから。握手したら手は汚染されたと感じるようにしよう。
会食したら完全黙食はまあ無理。せめて相手がいない方向に向かって喋ろう。でもそれよりしつこくマスク付け直して喋る方が感じ悪くないよ。
行動歴、会食歴などを交換し、リスクを感じたらリスクを取る価値があるのか考えよう。「こいつにならうつされていいや」だと?お幸せに;;
同上
野球や政治の話と同じです。天気の話をしよう。オリンピックの話ですら地雷な奴いるからな。
喉が痛い日、咳が出る日
人にうつしても濃厚接触者に該当しないとわからない。都はその追跡もしていない。スーパースプレッダーにはならないように。コロナかもって言って在宅勤務できない会社に未来はない。
私の主治医は家族にワクチンを(急いでは)打たないつもりの者がいることを話すと「生活に気を付けてと言っておいて」と軽かった。自分が感染したくないのか、家族に感染してほしくないのか、自分がうつすのがいやなのか、心の中を整理してみよう。
帰省で感染爆発、どうなんですかね。田舎は「東京から増田さんちに娘さん夫婦が帰ってる」と一瞬で広まる。そしてそれを契機にあることないこと噂されるのだ。
俺はしてない
これはまあ一理あるかと
頭をかく、髪の毛を触ることについて
かいいもんはかいいし、仕方ないじゃん。そんなピリピリすんなよ
俺は正しいと思う。
LINEでもしてればいいんじゃない、声聞きたければ通話でもいいし。タイマン通話も意外とClubhouseが高性能、オススメ。
あなたもうっすらと避けられている?
正直なところ避けている友達はいる。彼女と会食して濃厚接触者になった。
相手も急いで話してるからカットインするタイミングが難しいけど、「お忙しいでしょうけれど職員さんもどうかご自愛ください」と伝えたら感激された。言葉の力というものはたしかにある。
おわりに:見えない生活困窮世帯と生活保護捕捉率の地方別格差について
詳しい人おしえて
追加したい項目あったら教えて。
相手は今年初めてできた一つ上の彼氏だった。こんなパッとしない女にも彼氏ができるとは思わなかったし、セックスがこんなに幸せだとは思わなかった。私はいままで告白もされたことないし、したこともない典型的なモテない女だった。
私は大学卒業後に実家を出て一人暮らししながら、とりあえず就職して働いて転職して食って寝て一人で酒飲みながらゲームやYouTube見てときどき増田見ながら生きてるって生活をしてた。
私と彼氏さんは職場で出会った。部署は同じだったけど、お互い最初はそんなに気にしてなかった。親しくなったキッカケは部署のランチでたまたま席が隣だった。どちらも洋楽が好きで、あるアーティストのファンだった。それからちょくちょく職場で話していくうちに連絡先交換をして食事に誘われた。
セックスのときの肌と肌が触れ合う感覚はまだ忘れていない。男の人の裸を生で見るのは初めてだったし、「あぁ、なんか女の人より筋肉すごい」って感想だった。他人の肌の温度を感じるのも初めてですごいオドオドしてたと思う。彼は「緊張しなくていいよ」って優しく言ってくれたけど、「あ、はい…」ってとりあえず返事しただけで、この言葉を思い出したのも帰ってきてからお風呂に入ってたときだったし。
「あぁ、そっか、私ってそんなに緊張でカチカチだったんだ」って一人反省会してた。彼はいままで2人ほどお付き合いしたことがあるって言ってたから経験はそれなりにあるのだろう。でも私は相手の経験はそんなに気にしないので別にどうも思ってなかった。
私はすごいマイナス思考で自己評価の低い人間なんだけど、こんな性格は他人からもめんどくさがられるとは分かってる。だけど、彼はそんな性格の私を受け入れてくれた。
初めてのセックスに至るまでは結構長かったと思う。裸になるのも怖かった。自分に自信がなかったから。ムダ毛の処理とか日頃からめっちゃ頑張ってた。剃刀も5枚刃買ったって言ったら腹抱えて笑われた。「女で5枚刃使ってるやつ初めて見たわ」って言ってたし。うるさいわ。
普段の自分を見せるのも怖かったから、彼から「会ったら毎回、2つだけでいいから褒め言葉を言い合おう」と約束させられた。最初は「この人何考えてるんだろう」って思ったけど、今思えば私に自信を持たせるためだったんだと理解した。
例えば、デートの待ち合わせ場所で会ったときには「今日も髪の毛がキレイだね」とか「ネイル変えた?かわいいね」と言ってくれる。私はその一つ一つに「ありがとう」と言って、「今日の服かっこいいね」とか「香水のいい匂いするね」とか言う。私は初めこそ褒められることも褒めることも慣れてなくて「今日は来てくれてありがとう」とか意味不明なこと言ってたけど、彼は「こちらこそありがとう」って優しく笑って言ってくれた。こうすることで私のマイナス思考は少しずつ治っていった。鼻が低いところだったり、一重だったり、唇が薄いところだったり、貧相な乳だったり、声が低いところだったり、おでこが広いところだったり。でも、彼はそんな私のコンプレックスを少しずつ褒めていってくれた。そして自分が思ってるより他人はそんなに思ってないことを教えてくれた。
セックスのときも同じだった。お互い裸で正座で向き合って、「なんか改まって言うのは恥ずかしいね」なんて笑って言いながら「肌が白くて綺麗だね」とか「その下着かわいいね」とか言われたり、私は「腕のスジや血管がかっこいいね」って言ってた。そしてお互いに「ありがとう」って言った。
お互いに褒め合うことで相手を敬う精神やお礼を言う習慣を育んでいってたんだと思う。褒める言葉とお礼の言葉の力は大きいと思う。他人に認められるってこういうことだったんだと思った。セックスのときに「好きだよ」と何度も言ってくれたし、キスもいっぱいしてくれた。すごい幸せだった。ほんとセックスってすごいと思う。なんだろう精神的に満たされる感じ。