はてなキーワード: テリトリーとは
ゆっくり寝れたような気がするわ。
だけど
なんかパソコンの画面が夢で出てきて、
夢の中でも一仕事終えた感じがしての寝起きってある意味疲れたりしないかしら?
しばらくやっぱり
はぁ。
今週も重い槍思いやられるわ。
本当に早くこの状況改善してもらわないと、
しかも、
その隣の会社の手伝いで言ってるわけで、
早々にアルバイトの人がバックレて来ないって連絡くるし。
今日をなんとか乗り越えられるように
願うしかないわ。
もう神頼みよ。
うふふ。
こっちのお店は塩味が薄くて
素材の味がしっかりしてる系で好きっちゃー好きなんだけど、
ちょっと寄りにくいところがネックだわ。
本当はこっちの方が美味しくて好きなんだけどね。
夜は冷たいルイボスティーウォーラーを飲み干してしまいそうな勢いよ。
水分補給は
しっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
現実と嘘の区別がつかなくなってしまった人は仕事に向いてない。
はてなの人間が嘘しか信じてない事がこないだの仕事しない職場のモンスターの話で明らかになったので
はっきり言って仕事出来ない人間は日本であってもいよいよ居場所がない。そうした適当な工業産業をベースにした村社会自体が国際情勢の変化や技術革新によりもはやここ10年程で維持出来なくなる。
現代において仕事ができないという状態が意味する事の主要因は社会では無くシステムのアップデートについていけない事である。
ブコメも含めてシステムのアップデートに適応できなかった人間は自己正当化に走り、法律の条文を述べもせずに働かずに賃金をもらう事が当然の権利だと主張する傾向にある様だ。
こうした人間達はもはや無気力となりシステムアップデートを自分で行う意欲を喪失し、そうした人間の周囲に同様の人間が集まるので全体としては沈没に向かうだろう。
彼らは現代のシステム社会に置いて何ら価値を生み出していないので会社でもコミュニティでもなんらかの形で排斥されていく事になるだろう。人間はただの猿でありどんな社会でもよーく観察してみると相互に価値が提供できる関係でなければコミュニティ要因として認めず排斥どころかときおり殺害しようとする。事例は公立学校の虐めから、公務員の自殺、外資系の解雇、医師免許剥奪、弁護士資格の剥奪、裁判官の評価、ホームレスの女性の頭を殴って殺す男性など枚挙にいとまがない。
怠惰な人間が自業自得で解雇されようが自殺に追い込まれようが所詮他人の私には関係ない
だが私の仕事のテリトリーに入ってくるなら少なくとも私は全力で排斥するだろう。腐った果実は周囲の全てを腐らせていくという事例をあらゆる場所で目撃するからだ。私の体験ではそうした腐った怠惰な仕事しないおっさんは事実上のクビで追い出された。
「労働者の権利」などという虚構の権利を理解して主張するならともかく一から十まで虚構を信じ込んでいる人間は使い道がない。社会を真剣に観察しているならば労働者の権利などというものは一種の虚構であり物理法則の様に自然に維持されない事を理解するだろう。権利などと主張されるものは歴史上のみならず現代においても常に何らかの闘いや努力を経て勝ち取る物なのである。にも関わらず臆面なくそうした権利を主張する事は少なくとも私には真剣に現実の仕事や人生に向き合ってないナルシズムを匂わせる特徴となる。
私は今後少なくともそうした虚構100%の世界であやされてる人間を雇用する事は少なくとも無いだろう。
使い道がない
現実と嘘の区別がつかなくなってしまった人は仕事に向いてない。
はてなの人間が嘘しか信じてない事がこないだの仕事しない職場のモンスターの話で明らかになったので
はっきり言って仕事出来ない人間は日本であってもいよいよ居場所がない。そうした適当な工業産業をベースにした村社会自体が国際情勢の変化や技術革新によりもはやここ10年程で維持出来なくなる。
現代において仕事ができないという状態が意味する事の主要因は社会では無くシステムのアップデートについていけない事である。
ブコメも含めてシステムのアップデートに適応できなかった人間は自己正当化に走り、法律の条文を述べもせずに働かずに賃金をもらう事が当然の権利だと主張する傾向にある様だ。
こうした人間達はもはや無気力となりシステムアップデートを自分で行う意欲を喪失し、そうした人間の周囲に同様の人間が集まるので全体としては沈没に向かうだろう。
彼らは現代のシステム社会に置いて何ら価値を生み出していないので会社でもコミュニティでもなんらかの形で排斥されていく事になるだろう。人間はただの猿でありどんな社会でもよーく観察してみると相互に価値が提供できる関係でなければコミュニティ要因として認めず排斥どころかときおり殺害しようとする。事例は公立学校の虐めから、公務員の自殺、外資系の解雇、医師免許剥奪、弁護士資格の剥奪、裁判官の評価、ホームレスの女性の頭を殴って殺す男性など枚挙にいとまがない。
怠惰な人間が自業自得で解雇されようが自殺に追い込まれようが所詮他人の私には関係ない
だが私の仕事のテリトリーに入ってくるなら少なくとも私は全力で排斥するだろう。腐った果実は周囲の全てを腐らせていくという事例をあらゆる場所で目撃するからだ。私の体験ではそうした腐った怠惰な仕事しないおっさんは事実上のクビで追い出された。
「労働者の権利」などという虚構の権利を理解して主張するならともかく一から十まで虚構を信じ込んでいる人間は使い道がない。社会を真剣に観察しているならば労働者の権利などというものは一種の虚構であり物理法則の様に自然に維持されない事を理解するだろう。権利などと主張されるものは歴史上のみならず現代においても常に何らかの闘いや努力を経て勝ち取る物なのである。にも関わらず臆面なくそうした権利を主張する事は少なくとも私には真剣に現実の仕事や人生に向き合ってないナルシズムを匂わせる特徴となる。
私は今後少なくともそうした虚構100%の世界であやされてる人間を雇用する事は少なくとも無いだろう。
使い道がない
現実と嘘の区別がつかなくなってしまった人は仕事に向いてない。
はてなの人間が嘘しか信じてない事がこないだの仕事しない職場のモンスターの話で明らかになったので
はっきり言って仕事出来ない人間は日本であってもいよいよ居場所がない。そうした適当な工業産業をベースにした村社会自体が国際情勢の変化や技術革新によりもはやここ10年程で維持出来なくなる。
現代において仕事ができないという状態が意味する事の主要因は社会では無くシステムのアップデートについていけない事である。
ブコメも含めてシステムのアップデートに適応できなかった人間は自己正当化に走り、法律の条文を述べもせずに働かずに賃金をもらう事が当然の権利だと主張する傾向にある様だ。
こうした人間達はもはや無気力となりシステムアップデートを自分で行う意欲を喪失し、そうした人間の周囲に同様の人間が集まるので全体としては沈没に向かうだろう。
彼らは現代のシステム社会に置いて何ら価値を生み出していないので会社でもコミュニティでもなんらかの形で排斥されていく事になるだろう。人間はただの猿でありどんな社会でもよーく観察してみると相互に価値が提供できる関係でなければコミュニティ要因として認めず排斥どころかときおり殺害しようとする。事例は公立学校の虐めから、公務員の自殺、外資系の解雇、医師免許剥奪、弁護士資格の剥奪、裁判官の評価、ホームレスの女性の頭を殴って殺す男性など枚挙にいとまがない。
怠惰な人間が自業自得で解雇されようが自殺に追い込まれようが所詮他人の私には関係ない
だが私の仕事のテリトリーに入ってくるなら少なくとも私は全力で排斥するだろう。腐った果実は周囲の全てを腐らせていくという事例をあらゆる場所で目撃するからだ。私の体験ではそうした腐った怠惰な仕事しないおっさんは事実上のクビで追い出された。
「労働者の権利」などという虚構の権利を理解して主張するならともかく一から十まで虚構を信じ込んでいる人間は使い道がない。社会を真剣に観察しているならば労働者の権利などというものは一種の虚構であり物理法則の様に自然に維持されない事を理解するだろう。権利などと主張されるものは歴史上のみならず現代においても常に何らかの闘いや努力を経て勝ち取る物なのである。にも関わらず臆面なくそうした権利を主張する事は少なくとも私には真剣に現実の仕事や人生に向き合ってないナルシズムを匂わせる特徴となる。
私は今後少なくともそうした虚構100%の世界であやされてる人間を雇用する事は少なくとも無いだろう。
使い道がない
それなりのスペックを要求するゲームを求める客の行く先が無いんだよ。
任天堂のテリトリーじゃないし、もし任天堂がそのテリトリーに踏み出してもPS5と同じ問題を抱えるだろう。
スマホがいくら高性能になってもレイトレーシングとか最先端技術はまだしばらく搭載されないし
搭載されたとしても、そういうハイエンドスマホは総務省のせいで日本じゃ碌に売れない。
ボッタクリのグラボ買う層もそんなに多くない。
いくら「最近Steamのアカウントが凄い勢いで増えた!」っつっても今までのゲーム機市場とは比較にもならんレベルで少ないわけで。
幼稚園からの幼馴染と私は二人とも中学から大学まで女子校で2×歳になるまで彼氏はおらず「私たち処女だもんね」「彼氏いらなくない?」みたいな話をしていた。
しかも二人ともBLが好きでそれが高じてAVとか一緒に見て爆笑してた。
でも私は漠然と彼氏欲しいなって思ってたけど、その子は男嫌い?で「30になっても処女だったらレズ風俗行こうよ」とか言われてた。
そんな私はそれに曖昧な返事をしながら、別テリトリーの友達とマッチングアプリを進めなんとか彼氏が出来た。
で、今日また幼馴染と会ってナンパされた話を聞いて「あー今処女じゃないって言ったらどう言う反応返ってくんだろ」ってすごい気になって気になって、でも親ぐるみで仲良いから必死に黙ってた。
多分一生黙って、はいられないのかな。
いつか言うかもしれないけど多分言ったら絶対「ヤった?」って聞かれるから言いたくないなっていう気持ちが大きすぎる。
うわーいつかぽろっと口滑らしそうで不安だ。
コモンズーッス
今日は地雷に関する国際デーらしく、そちらの意味でもドキドキします
最近では地雷の意味合いも不用意に踏んだら大怪我をすることから、人間の触られたくない部分に触れて逆上されるところからその部分のことを地雷と読んだり、はたまた人間関係を築く上で絶対に触れづらい部分を持っている子がよくしている格好と傾向をファッションに取り入れたのを地雷系と読んだり、様々な地雷が世の中にばら撒かれています。
いや、これが最近の地雷系の解釈でいいのかどうかは置いておいて、今が繊細すぎるのか、それとも今までが大雑把すぎたのかと考えることは最近になって山程出てきたように思われます。
だからこそ、どこかで無関心でいい部分というか、寛容に見せる部分というのは必要になるのかもしれません。
まぁ僕の場合はあまり深い人付き合いをしないというテリトリーの守り方でなんとか過ごしているところはありますが。
そういうところから自分を守っていくのは大事かなぁと思います。
ということで本日は【作業しやすい領域の確保よいか】でいきたいと思います。
あとは最後にお断りした不動産会社のぐちポイント。相性って大事だよね。
あの数字って税込みだったんだね。10%上乗せしなきゃとか考えてたけど、そんな必要なかった。
諸経費って言われるお金がかかるので、10%とまでいかないけど、数百万円は余裕みといたほうが幸せになれる。
印象だけど、ハウスメーカーは額面の3割と話することが多く、中古・リフォーム業者は手取りの3割でということが多い印象。
今の日本の平均年収で手取り三割だと中古物件買うくらいのお金しか出せなくて、リフォーム代稼げるね。やったね。
ハウスメーカーは手取りでなんて言ったら買ってもらえなくなるから困るよね。
フィナンシャルプランナーに家計の収支をもとにどれくらいならいけるか見てもらうのがよさそう。
紹介してもらったフィナンシャルプランナーは保険仲介で稼ぐみたいなので、保険勧められたときに、よさそうなら入ればいい。いらなければ断ればいい。
世の中には贈与税ってのがあって、100万くらいだったら税金かからないっぽい。
あわせて600万までは非課税。
住宅価値の高い物件の場合はもう少し非課税枠が上がるけど、どこまでいけるかは建築会社に確認する必要あり。
家計簿などから「毎月の収支」を明らかにして、将来の資産を計算してもらう。
個人的には最悪のケース「ローンのボーナス払いなし、給料の上昇なし」で予測してもらって「ボーナスが出なくなるような事態になったときにやっていけるか」見てもらった。
数年前に試したときは「いや、給料上がらないわけないでしょう?」とか言われたけど、今回は特に驚かれることもなく、普通に予測してもらえた。
銀行などの利率が安いところで組めると良い。住宅専門のARUHIのflat35というのもあって、固定金利という魅力はあるが利率的になかなか厳しい。
ローン審査では他の借り入れがあるかどうか聞かれるので、自動車も買う人は「クルマは一括、家はローン」が良い。
たとえば1000万円のローンを組んで、利率が0.5%だった場合。年間5万円の利子がかかる。
対して旧制度1%の住宅ローン減税は、税務署に「おうち買った!」って申告することで、10万円をもらえる。
銀行系だと団体信用生命保険というものへの加入が必須となる。死んだら借金チャラになって、資産は家族へいくシステム。
いわゆる団信。生命保険のように過去数年間病気してませんよね?みたいな申告する。(申告の範囲、一般の生命保険は5年だが、団信は3年みたい)
最近は仕事でうつ病とかかかる人も多いので、そういった持病がある人はワイド団信ってのを選ぶことになる。こっちはちょいと利率が高いみたい。
住宅を売買するには宅建という資格が必要らしいけど、それを公表してない時点でお察し。ていうか連絡先が080とかね。
正規の広告、たとえば電車の不動産広告とかをよく見ると「xxxx不動産(宅建番号:yyyy番)」みたいに、業者名と宅建の番号が書いてある。
SUUMOとか眺めてると同じ写真がたくさん並んでたりするのはそういうこと。
誰から買っても同じかなって思うけど、「売主」から買うのが良い。仲介手数料がかからない。
っていうかネットで少し調べればわかるこのご時世で、こういう売り方が成立してるのってすごく時代遅れ感。
誤解を恐れずいうなら、売主以外は全部転売ヤー。
のぼり立てて広告出してるけど、建てた業者とは違う業者の名が入ってる。だいたい街の不動産屋の名前。
ここで話しかけて買おうとすると、仲介手数料が数百万円単位でかかる。
下に書くけど、「建てた業者」から買うか「それ以外の不動産業者」から買うかの違い。
町の不動産屋に話聞いて、よさげな物件があったから売主に直接話すればいいかなと思うけど、そういうのは忌避されるみたい。
仲介手数料で成立してる不動産屋としてはそりゃあ嫌がるよね。その不動産屋のテリトリーであるエリアに住むことを考えると、面倒ごとになりかねないし。
もちろん、そういうのを横取りして「手数料安くしますよ」みたいな業者もいたけど。
昭和かな?
埼玉方面へ向かう路線でありがちなんだけど、駅から10分くらいで県境になる。
住所にこだわりがなくて、役所まで行く交通手段を気にしない。って妥協できるならお買い得。
河川にフタしてあって見えなくなってるパターンもあるので注意。相場より大幅に安いのはだいたいコレ。
ゴミ処理場、自衛隊・米軍基地、変電所、葬儀場なんかは地価が下がる原因らしく、物件見学のときに説明される。
あとは風俗街、外国人街(チャイナタウン、コリアンタウン)なんかが近いと地価が下がる印象。
個人的に印象に残ってるのは街の食品工場の近く。酢飯の匂いがすごかった。無理だわ。
駅が丘の上にあって、その近くを川が流れてる。物件はその川を越えた先。
川を渡るために坂を下って、もう一度坂を上るっての結構辛いよ?夏場は特に。
私道に埋まってるインフラの整備は自分達でやらなきゃなので、水道管修理や道路舗装を綺麗にしたいときはご近所巡ったりしなきゃいけない。
ちなみに私道かどうかはマンホール見ればわかる。地方自治体の名前が入ったやつか、コンクリートのフタだけのやつか。
個人的には私道は2件くらい奥まったくらいがギリギリ許容限界かな?
数十棟みたいな宅地が突然現れるやつ、Googleストリートビューのタイムマシンで過去を振り返って何があったか調べておくと安心できる。
実際に自分が見たものでは「ゴルフ場(打ちっぱなし?)」「基地などの跡地」「農地」など。
シムシティじゃないけど、その土地は何に使える土地なのかってのを行政が決めてる。
戸建て買うなら「低層住居専用地域」とかになるのが普通だけど、行政と不動産屋に確認するべき。
街をよく観察すると幹線道路沿いはビルが多くて、少し奥まった地域は住宅ってなってるはず。
中古戸建に多い。狭い通路を通って、家の玄関にたどり着くタイプ。安いけど、将来売るときどうするのかが問題になる。
「再建築できるかどうか」っていう法律があって、「4m道路に2mの幅の通路が接していて云々」みたいなやつ。
再建築不可の場合、建て直すことは法律上できない。なので、周辺の古民家まとめて開発でもしてもらわない限り、扱いに困ることになる。
「竿部分は駐車場で有効活用」って書いてあるけど「再建築不可」の注意書きが。図面をよく見ると「軽自動車」って書いてある。
軽自動車の幅は1.48m以下なので、ギリギリ軽自動車を停められるだけの幅しか確保してない場合、再建築不可になる。
竿部分は駐車場で再建築可な物件。いいんじゃない?とか思って見学行ってみたけどダメだった。
生活することをイメージすると、通勤は駅まで自転車+電車で。日々の買い物はクルマで。という使い分けになる。
クルマか自転車どちらかを奥まで押し込まないといけなくて、その出し入れに毎日苦労したくない。
2件の家が並んでいて、それぞれ道路に平行にクルマを止めるように駐車場が設置されているパターン。
家の前のスペースが狭いので、2つの家が道路と接する部分に三角形の切り欠きを作って、2つの家で共有としましょう。これでお互いクルマ出し入れしやすいね。と合理的な設計の物件。
パワービルダーの物件で見かける。何かあったとしてもお隣さんと仲良くできる自信があるならいいんじゃないかな?
私はこんなとこで長文書いてるようなコミュ障なので無理ですね。
ここから先はほぼグチ。
半分くらいの不動産屋はこれ言ってきたけど、個人的にはこういうの無理。
相性ってやっぱり大事だと思った次第。
物件に対する疑問点を解消するためにQ&Aしているのであって、「皆がそうしているから大丈夫」という日本人を煽るためのテンプレは求めていないのだが?
手数料って法律で3%を上限とするって定められているわけで、その上限MAX3%で出してきたその紙どういうことなの?
分譲はじめてから結構経つみたいだけど、未だに売れてないそれらは何なんでしょうね?
オッ。そうだな。あえて言うならば40点にも満たない物件は論外なんだ。
え?明日。。。?用意できるが、お前のために用意したくない。ていうか前もって言え。
テレフォンショッピングかな?ていうかそれオプションだったんかい。説明不足すぎるだろ。
前回合った時は来月末って言ってなかったっけ?そんなに焦ってるのを見る限り、期末の決算に乗せたいのか、営業成績を伸ばしたいかですかね?
まずな
A(待機中)
↑
Y(なんやこいつどけや)
これの何がホークスかって言うと歩道の邪魔になるのに飛び越えてくるからや
ホークスのようにや
これをやるやつが後をたたん
ほんでな
↑
A→Y
ほんでこの時にAは急ブレーキするんやが間に合わずにワイに激突や
あのな
Y
A
こんな感じでワイがAの前を通れるスペースを用意しておきなおかつワイが通り過ぎるまで前に出てこないのが鉄則やろ
あとな
A(歩道で待機中)
これもやめろや
つまり
ガソリンスタンドで待機して
歩道で待機するんやない
そんでここがミソや
ほんでタカってのはホークのことや
ワイの歩行を妨げるもんは許さんのや
つっぱしるんや
そしたらぶつかるんや
慰謝料やな
さらにや!
こう言うんや
しかし車乗りはここまで言ってもバックしないことが多いんや
それどころか揉めることも多いんや
先にすぐに警察を呼べるようにもしておくんやで
というかなんで車ってバックしろって言うても聞かないやつ多いんや?
邪魔や!
って言うてるのに後ろにさがらないんや
目が悪いのかとおもて
「後ろに下がれ!」
なお下がらんのや
歩行者妨害やからワイはその時点で動画撮影開始してナンバー控えて更に車の前にたって
って言うんや
逃げても無駄やで
ワイの邪魔をしたらきちんと謝るのが当然や
あなたがした行動の原理を説明してくださいと言われて、明快に説明できる人であればあるほど、人とのコミュニケーションで理不尽を被ることが多くなると思います。というのも、世の中には自分の行動原理に対して無自覚的、あるいは全くもって自信が無い、という人が多すぎるように思うからです。
AさんがBさんに告白して、結果は残念だったとしてもそれは理不尽だとは言わないでしょう。それは、恋愛に対する個人の自由という前提の元、Bさんの行動原理は、Aさんのことを(他の人間と比較して)よく思わなかったから、という明快なものだからだと思います。ここでAさんがBさんに「なんで振ったのか」と言うのは間違っているように感じます。つまりBさんはAさんに対して、「あなたの事が気に入らなかったからだ」と言えばいいからです。それに対して「でも優しくしてくれたし、デートもしたじゃないか」と醜く食い下がるとすれば、「それは対人間の一般的な気遣いである範疇だと私は思っています」とこう言えばよろしいと思うのです。
こう質問されてこう答えられることが自分の行動原理について明確に認識してるということだと思います。さらに、最後の言葉を言う自信が無い人が多く日本にいるように感じられますが、それは自分の感性に自信が無いからなのでしょうか。そもそもこの状況で自分の感性に自信が無いというのはおかしな話です、というのもここは完全に主観のテリトリーだからです。恐らく最後のセリフを言い切らない人は、なにか日本共通の「認識」があってそれとズレているかどうかを気にしているのでしょう。この2人のコミュニケーションは2人の世界で完結していないとおかしいので、日本共通の認識を取り出してくるなんて馬鹿げたことです。
ともかく、僕は相手がある程度どんなことをしてもその人が行動原理に対して、それを明確にしてなおかつ自信をもっていれば、道徳的にどんな良くない理由だろうが、尊重したいと思う人間です。それを理由に人間関係を切る事だって当然あるでしょうが、その行動に怒りを覚えたりはしません。「行動原理」が違うだけで、そんなことはよくある事だからです。
ただ、自分の行動原理が明らかでない、あるいはそれに自信を持ってない人間と対峙した時、この世界の理不尽さに直面することになります。それは言わばボクシングの会場にピストルを持って入ってきてるようなものです。いくらルール通りに戦っても殺されてしまっては意味がありませんね。ソクラテスの弁明に描かれるソクラテスのように、それを受け入れる心の強さを人生を通して持てるのは理想でしょうが、多くの人間にとってそうはいかないでしょう。それに対して自分の弱さを嘆かざるを得ないことが理不尽そのものです。なぜなら相手はそんな事考えもしないから。
これに対する対処法など多分ないのでしょうが、少なくともそういうことを考える人間がここにいることを明示しておくのはなにかの役にはたつと思っています。
結構前の話だし、今はもうその会社に居場所がなくなった気がして転職してる。
その時、俺はまあ技術系だけどあまり現場行かない系のマニュアル読みながらキーボードカチャカチャおじさんだったんだが、たまには現場見ろよと出張することになった。
出張先の現場は精密系機械関連で、ホコリが厳禁なため全身を枝野スーツみたいので覆ってから入るように指示を受けた。
更衣室で「これからこれを着てもらいます」と渡された服に同僚たちと袖を通していると、後輩が「これって縫い目とかどうなってんすか」と口にした。
同期が「ボタンとか飛んじゃ駄目だから縫い目ゼロだよこの服は」と口にしたのを聞いて俺は「天衣無縫じゃん!」とツッコミを入れようとして、頭の中で「天衣」まで思い浮かべてから「天江衣(あまえころも)じゃん!」と口にしてしまった。
その日はそのあとの記憶がない。
出張先から直帰し、次の日出勤すると、机の上には天江衣のプライズが置かれていた。
そう、俺の職場にはアニメのプライズを集めているオタクがいて、俺の斜向かいに座るソイツのテリトリーからは枝のようにお立ち台スペースが伸び、こちらとの国境線ギリギリには天江衣がいつも陣取っていた。
それが今、俺の机の上にあるのだ。
コイツのせいだぞ。
俺はそう思いながらどうリアクションすればいいのか分からなかった。
とりあえず、望まれているリアクションを想像して「天江衣(あまえころも)じゃん!」と少しだけ小さくそれでいて弾むように頑張って調整して口にした。
ドッと笑いが起きた。
段々と俺が関わっていたシステムの売れ行きが落ち、リストラの進む中で半端に部署のコンバートをするよりも今の経歴で他社に行ったほうが賢いという判断から今は転職している。
今いる職場にも目の前にはフィギアを机に並べているオタクがいる。
確か最近のラブライブ?アイマス?だかのキャラだと思うが、増えすぎたアイドルアニメキャラについていけないのでもう名前が分からない。
これでもうあんな悲劇は起きないわけだが、同時にあの時のように打ち解けた関係を築く機会はもうないという事なのかも知れない。
時折、目の前のオタクが集めているフィギアの名前を調べてみようという考えがよぎるが、会話のきっかけづくりで半端に知識を仕入れたやつの相手なんてオタクが一番嫌うことかもなと割り切っている。
隣の部署で働いている奴の机に置かれているガンダムの名前は分かったので、なんとなくソイツに親近感が湧いているが、話しかける機会はない。
現在20代女の私、生まれたときから父親はサバサバ、母親は娘かわいい。
当初は比較的家族仲もよく、ドライブにでかけることもしばしば。
小学生の時に時折「(人として)好きな人ランキング」をつけることがあったが、
母親は3位くらい。なぜなら基本かわいがってくれるけど時折怒るから。
他所の子である私のことは必ずかわいいかわいいしてくれたからねえ。
しかし、遅めの思春期が近づくにしたがって考えが変わってくる。
というより、もうこれからは自分でできることは自分でやれ、という感じだった。
母親は相変わらずかわいがってくれたし、色々世話もしてくれた。
私としては父親の干渉が少なくなったのはせいせいしたなあというくらいだった。
高校入学前の春休み、遊ぶ気満々だった自分が入学説明会でもらったのは、
「受験も終わったし、春休み一杯遊んで、入学したらバリバリ高校デビューだ!」という、
自分の甘い計画は崩れ去り、現実を受け入れられないまま課題はやり切れず放置。
もちろん成績はどん底に陥り、課題と成績のダブルで担任にどやされる日々。
担任は普段の圧力がウソのように、丁寧に優しく話をしてくださった。ケッ。
あと父親には後で成績表を見られてバレた。クソ叱られた。
後期で受かった隣県の駅弁に進学。これは高校の厳しい英語教育のおかげだった。
エリートコースを望んでいた父親には不満かと思ったが、特別何も言われなかった。
しかしここで何かが狂い始めた。
それ前提で受験したはずの自分は、片道2時間かけて通学する羽目に。
春期課題こそあるわけなかったものの、やはり大学デビューを計画していた私は、
友人のつてで現地のクソ楽なバイトも始めていた。
県外から通学している人も珍しくないので、そんなものかと思っていたけど、
一方で近くに一人暮らししている人が羨ましくて仕方なかった。
通学時間さえなければむしろ、定期券と家賃の差分くらい追加で稼げるのになあと思った。
リアルがそこそこ忙しくなりつつ、当時はやり始めたTwitterを通しての交友も広がった自分。
授業に出るのがダルすぎて自主休講し始める。いやそれだけなら計算づくでやってたからいい。
高校までは叩き起こされていたし、欠席しようものなら学校から連絡が来るだろう。
しかし大学では時間割がまばらな上に、先生も何も言わない。それがよくなかった。
寝過ごしによって必修の単位を落とし、とうとう留年が決まってしまった。
それはもう怒られた。それも母親に。留年分の学費は出せ、稼げるバイトをやれとどやされた。
震えながら片っ端から電話を掛けて、友人からブラックと聞いていた業種に飛び込んだ。
正直死ぬ気だった。当初のバイトからも手を引き、サークルからも自然消滅した。
半年間あまり授業を入れていない間に、大学の友人知人関係も消えてしまった。
こんな事情でブラックに飛び込むのも恥ずかしいと、ネット上の誰にも言えずアカウントも消した。
それなのに今更になってよく増田なんて書いてるねえ私。
もちろん留年なんてしたやつが悪い。両親に負担かけて申し訳ない限りだ。
母親に怒られたとさっき書いたけど、父親はショックを受けたのみだった。
春休みにひきこもる私に対しては、サバサバと、しかし優しい言葉をかけてくれた。
あれ?怒らないの?と思った。やらかしたら必ず怒られるものだと私は思っていた。
高校時代に放任主義になったせいもあるのだろうけど、父親の態度は軟化していた。
悪く言えばあきらめをつけられたのかもしれない。しかしそれでもありがたかった。
それでいて必要なことは色々と声をかけてくれる。連絡も事務的だった。
これからについて助言もしてくれる。相変わらずダメなことはダメと言ってくれる。
一つの原因は、高校入学時から私の体重が増えてきたことだった。
正直母親はスリムで美人だ。だからこそ私のことが許せなかったのだろう。
そのうち「お前みたいなデブは気持ち悪い。無理。」と言われ始めた。
当時理解できなかったのは、その「気持ち悪い」娘を普段はかわいがることだった。
私が朝起きたときの母親は、笑顔で娘をかわいがるか、しかめっ面で悪態をつくかの二択だった。
それが無意味な憶測であることに気付いたのは、私がハタチを過ぎてからだった。
以前のようなネット上の交友関係を捨てた自分は、かわりにまとめサイト等に目を通すようになる。
2chやらなにやらで男女間・夫婦間トラブルを扱うコンテンツを見始めた。
女性がまあまあバカにされるのは多少あれだったが、どちらかといえば確かに醜いなと思えた。
その中でもステレオイメージとして強かったのが、女はヒステリックな生き物という概念。
気に入らないことですぐギャーギャー言う、その機嫌に他人は振り回されるものだという認識。
思えば自分も昔はひどかったし、両親や周りの人には相当な迷惑をかけたことだろう。
しかしそれも子供時代の話。様々な人に触れていくにしたがって、私は自分の醜さを自覚しつつあった。
一方で母親のそれは悪化してきている。自覚があるのかどうかもわからない。
年を取るごとにしたがって、大人になるどころか子供に近づいているようなものだと思うと、
自分の中で一気に、母親という大人に対する失望が生まれ始めた。
顔を合わせるたびに態度が違うのも「機嫌ガチャ」だと認識できるようになった。
いやむしろただのガチャはない。だんだんと機嫌が悪い時のパターンが見えてきた。
朝から家事(という名の自己満足な模様替え)に追われているとき。
午後からパートが控えているとき。(とくに出かける前のアワアワは毎度のことだった)
その他大事な予定が控えているとき。(ひどいときは遊びの予定ですら予定時刻に焦っていた)
あともう一つあった。娘のことが心配なあまり悪夢を見たというとき。
自分は能天気なので悪夢はまず見ないが、悪夢を見たときのショックがあることは古い友人から聞いていた。
不安なあまりすがられるようなことがあったら自分も何とかしようと思えたかもしれない。
しかしそこで取る態度が「お前のせいで私が眠れない(怒」である。
愛想をつかしていた自分は内心(不眠症は病院行け)としか思えなかった。
というか後に実際に病院行ったらしい。うつ状態との診断をもらってきたとか。
でも「忙しくて薬もらいに行くのめんどくさいw」とか言ってきちんと通ってない。
そのくせ家の中は1か月ごとに模様替えされるのである。暇だなあ。
一方で、私は自分の中にトラウマがあるのではないかと疑い始めた。
遡ると小学生のときから、色々な大人から頭ごなしに怒られた経験がうっすら残っている。
このころにまず「誤解というのはとてもしんどいものだ」という経験則を得る。
それから母親にも一度だけ、わけもわからず怒られた経験があった。
普段の娘かわいいの態度からの豹変ぶりに、当時の私は戸惑うしかなかった。
「好きな人ランキング」で3位だったのは、この記憶があったからである。
おそらくこのころにはすでに「怒られると本能的に萎縮する」ようになってしまった。
そして怒られるのが怖い→隠蔽や逃亡の癖がつく→それがバレて怒られる→怒られるの怖い、
という負のスパイラルを、子供のうちに無自覚に起こしてしまっていた。
だから高校の時の担任が態度きつかったのは地獄に思えたが、しかしそのおかげで無事に卒業できた。
私は教師の怒りによって適切な方向にコントロールされていたのである。
それに気づいたのが、大学でさんざん落単してからのことであった。
当時の同級生から聞いた話によると、氏が担任を退いたあとに出会ったそうだが、
今のイチローのようにすっかり白髪交じりになった頭で、当時を穏やかに振り返っていたらしい。
彼は生徒のために厳しい態度を貫いたのであった。それを誰にも言い訳しなかった。
心を鬼にするというのはそういうことなのだろうと思った。
子供時代からわけのわからない怒りにおびえる私がそれを受けていたら?
トラウマを増幅されただけでなく、そもそも植え付けられた原因でもあるとしたら?
それを本人に言い出すこともできなかった。
落単を勘弁してもらえなかったのも私が先生に顔合わせる気にならなかったからだし、
自分のミスを申し出ることができずに被った不利益もたくさんあった。
もう面接に出る気力もなくなっていた。ただただ叱責が怖いばかりに。
このままではいけないと思った私は、少しでも自分で自分をコントロールしようと試みた。
怒られるのが怖いのは仕方ない。でもやらなきゃいけないことは覚悟を決めよう。
それよりも黙っていて、野放しにしていて被る不利益をきちんと計算しよう。
そうして徐々にではあるが、方向性を変えていけたような気がする。
ブラックと思って飛び込んだバイト先は、労基の指導でガラッと変わっていた。上司も同僚も優しかった。
大学もうまいこと授業を選んでなんとか通い終えた。学生の味方をしてくれる先生がありがたかった。
一回り上の友人の紹介という安心感を経て、新たな就職先も決まった。一人暮らしになるよう協力してくれた。
なにより古い友人は自分の不甲斐なさをそれとなく咎めつつ、それでいて優しく相談に乗ってくれた。
自称進学校を出たからこそ、合理的で頭のいい友人たちを持てたことは本当に感謝している。
いや、正確には切るつもりだった、が。
流石に恩が大きいのと、まあ娘が心配だから定期的に訪ねてくる。
当初は自分のテリトリーを侵害されて…と思った。実家時代からずっと思ってた。
しかしこの肉親とたまに会うだけの、コントロールから解き放たれた関係が、案外心地いい。
「あれだけウザかった両親と、離れて暮らしてみると意外と仲良くなれる」
「学生時代は反目しあっていた両親にも、今は会ってやりたいと思えている」
本当にその通りなのかもしれない。そして彼らはそれだけ大人であった。
ともかく今はあの頃のように一人胃を痛めることもなくなってきた。
仕事の理不尽は遠慮なく友人に愚痴れるしね。いやそうそうないけど。
むしろ一見アレな人にもこんな悩みがあるんだなって、社会人になってわかり始めている。
自分もようやく大人になりつつあるのかなと、恥ずかしながら思う。
あとあまり音沙汰ない父親にもどこかで何か言ってあげないと。彼らしいなあ。
ここまで書いてみると、やっぱり当時の自分はどれほど身勝手だったかとは思う。
これを読んだ人からもまたお叱りを頂戴するんだと思う。怖いなあ。
しかし一方で、当時の苦しみが偽物だったとも思わない
そしてその解決策が究極的には「離れること」だったことは間違いないと思ってる。
ニートだのひきこもりだの、毒親だの親ガチャだの、家庭内不和の話はいくらでも聞かれる。
もう既に、家族は無条件に仲良くするもの、できるものという認識でもなくなってきている気がする。
父親が失業からヒモ化したことがあって、一時期は離婚も考えたらしい。この子にしてこの親あり。
しばらくは両親が顔を合わせるたびに母親がきつく当たっていたが、
父親が祖母の介護で実家に移ってからは、たまに会うだけの関係になって比較的マシになった。
それでも夫婦としては冷めっぷりがひどく、まとめサイトと合わせて結婚というものに悪いイメージがついた。
今の私にも、結婚はおろか付き合ってもいいと思うほどの距離感の人はいない。
むしろ親友がイケメンすぎるので結婚したい。彼女も異性とは色々あって独身だ。
一回り上の友人に至ってはさんざん手のかかった奴にふと愛想つかしてバツ1である。
そんな自分もいずれはそれを考えるときがくるのかなあ。くるといいなあ。
自ら望んで距離を詰めた相手と不仲に陥るなんで皮肉だなあと思う。
ましてや、たまたま同じ一つ屋根の下に産んだ産まれただけの人間たちが仲良くできる保証なんてない。
誰が相手だろうと、人間関係において大事なのは適切な距離なんだと、ただただ痛感する日々である。
だから、一緒にいて心がしんどくなる人には、ソーシャルディスタンスをとるべき。
大卒、中卒は大体つるむことがない
特に都市部では小学生の多くが中学受験を経験し私立に通い同レベル同士の付き合いがその後続いていく
ブルーワーカーを低く見て給与が安いままに設定され派遣に置き換わるか外国人実習生頼みになるしかなくなる
逆に今の大学は(多くの人にとって)無駄という意見も多い(奨学金の重い負担問題で「そこまでして大学行く必要ない」など)
大学改革で、専門学校的なコースを作るように、職業訓練教育を、と経済界から提案が出る
日本でも「大学卒業したのに今その仕事してるの」という言葉は普通に(職場の中からも)言われる(本当に不思議がっている人も、落ちぶれたね~と同情心、哀れみで言う人も、テリトリーが侵されるかもと警戒する人も)
近年においてはアニメ視聴者が増えて、一部ではアニメが大衆に受け止められたと考えている人間もいるようだが、それは即ちアニメ的表現を大衆が受け入れることにはならないことに注意すべきだ。
アニメが受け入れられたのはあくまでそのストーリーテリングの優秀さや、ドラマなどでは味わえない非日常感が理由である。
つまるところ、アニメによく登場する性的な表現、キャラクターが受け入れられたことなどない。性的搾取という言葉の定義が曖昧であることは否定しないが、
巨乳やミニスカートのキャラクターが男オタクの性的欲求を満足させるために存在するのは自明であるし、それを公の場にすることは当然TPOに反することだ。
制服風の衣装のアイドル、たとえばAKBや乃木坂が『男オタクの性的欲求を満足させるために存在する』のも確かだが(それとは別に女性ファンがいることも事実)、それを公の場でポスターに利用するのはTPOに反することであるか?
このような経緯を踏まえて、フェミニストがこうしたアニメ表現の広告や動画を批判するのは当たり前ではないだろうか。男オタクのために作られた性的な表現を子供が見て、女性の身体というものを勘違いしたり、或いはセクハラなどに対する精神的ハードルを下げることになるというのは個人的に納得できる理路だ。(もしそうした影響がないと主張するのであれば、根拠をアンチフェミ側が示すべきである。)
論外。『個人的に納得できる理路』ではなく、『実際にそれが起きていること』をフェミニスト側が証明するべき。無いことを証明せよというのは言うまでもなく悪魔の証明。
それを、アンチフェミが応戦する形で炎上させ、議論を大きくしていくと、当然この問題を知らない人間までが性的表現を目にすることになるし、その結果、アニメはやはり「気持ち悪い」ものとして、宮崎勤や宅間守の時代に戻りかねない。
宮崎勤は(実際にそうだったかはともかく)『そういうもの』として認知されているが、宅間守ってオタクコンテンツが生み出した犯罪者扱いされているか?
アンチフェミの活動は、アニメを守るどころか、アニメの持つ負の面を公開し、拡散し、再び暗黒の時代を呼び寄せようとしているに過ぎない。
このことを言うと、いわゆるゾーニングが加速し、アニメが社会の影に隠されて、差別され続けるという妄想を言う者がいるが、この主張は間違いである。
昔より、公の場から隠されゾーニングされてきたアダルトビデオは、なくなるどころかその市場規模を拡大させ続けている。表現には適切な場があり、そのテリトリー内で楽しむ以上は、差別も批判もされないというのは歴史が証明してきた事実である。
北原みのり「タイトルだけで泣いた」に代表されるように、差別も批判もされないというのは全くの虚偽。『マンガやアニメのいわゆる二次元のキャラに欲情する』ことに比べて『実写の人物に欲情する』は一般的だからマジョリティの男性に支持されてきて弾圧されていないだけ。
そして何より、最初に戻るが
近年においてはアニメ視聴者が増えて、一部ではアニメが大衆に受け止められたと考えている人間もいるようだが、それは即ちアニメ的表現を大衆が受け入れることにはならないことに注意すべきだ。
『大衆が受け入れないというだけの表現が公共の場所にある』ことが受け入れられないということそのものがファシストの主張だ。
それを言うならば、1930年のドイツにおけるユダヤ人が写ったポスターや、1950年のミシシッピ州で黒人が写ったポスターもTPOに反するのか? そうではないだろう。
『公共の場所』は誰かの部屋ではない。オタクのものでも、フェミニストのものでも、ネオナチのものでも、KKKのものでもない。あるいはそれら全ての人のためにある。
だから我々表現の自由戦士は「公共の場所のポスターを止めさせたいのであれば、それによって害されている権利、利益を主張するべきだ。そうでない限り、他者危害でないポスターは排除されるべきではない」と主張している。