はてなキーワード: 確証バイアスとは
ある増田は、
- 問1:増田の歪んだ認知の根源になっていると思われる、思想信条について予測しなさい
増田が持つ思想信条には、おそらく確証バイアス(Confirmation Bias)が深く関与していると考えられます。このバイアスは、個人が自身の既存の信念や意見を支持する情報だけを選択的に受け入れ、反対または矛盾する情報を無視する傾向を指します。増田は数十年にわたるデータに基づく予測と、全く根拠のない極端な主張を同等に扱ってしまっているため、彼の信じたい内容に対する過度の執着が認識の歪みを生んでいる可能性があります。
この種の認知の歪みは、しばしば個人の過去の経験や育った環境、教育レベルに深く根ざしています。また、情報を取るソースが限定されているか、一方的な情報ばかりに晒され続ける環境にいると、こうした認知歪みが強化されることもあります。社会的な孤立やエコーチェンバー(同意見の人々だけで囲まれる環境)にいることも、現実の多様性を認識する能力を低下させる要因となり得ます。
増田のような認知の歪みを避けるためには、多角的な視点から情報を収集し、様々な意見に耳を傾けることが重要です。批判的思考を養うために、情報の出典を常に確認し、その信憑性やバイアスを考慮することが求められます。また、自分の信じたいものだけを信じるのではなく、異なる視点からの意見やデータにも開かれた心で接することが重要です。これには、教育や自己啓発を通じて常に学び続ける姿勢も含まれます。
このような対策を心がけることで、現代社会における情報の洪水の中でも、より健全でバランスの取れた視点を維持することができるでしょう。
一つ目の論文は、統合失調症スペクトラム障害(精神病性障害 Psychotic Disorder という言葉のほうが日本では一般的)の患者 n=121(少ない)を対象とした研究で、陰性症状とフェリチンに相関関係がありましたと書いてある。
アブストラクトは「示唆された」「更なる研究を」と締められてるよね。
つまりこの研究単独で「因果関係がある」とは言えないってこと。根拠としては非常に弱い。
統合失調症の陰性症状と自律神経失調症はまったく別の概念なので、なぜこの論文を引用したのか理解に苦しむ。
すでに血液検査で鉄欠乏性貧血と診断された患者を対象とした研究。これを何故引用してきたのか理解できない。研究の限界にというものについてあなたは理解できていないのではないか。
三つ目は論文ですらない。ただのシンポジウムの講演。査読すら受けてない。もちろん論外。
これを引用してきたってことは、あなたは自分が確証バイアスに陥ってチェリーピッキングを行っていることに気付けてないってこと。
それからKクリニックの治療内容を読んだが目を覆いたくなるような内容だ。
薬物療法、精神療法、心理カウンセリング・心理検査、鍼灸、マッサージ、プラセンタ注射、にんにく注射、にんにく総合ビタミン点滴、グルタチオン点滴、デトックス水素カプセル(暫定名称)、水素吸入
あなたは騙されてる。判断能力を失っているか、元から判断能力がない。
論文を読みこなす力もない。というか、どう考えても読んでない。掲載誌すらチェックしてない。
俺の答はこれ以外にありえない。
もし本当にある日異性が消えたら、私はまず「自分が眠っている可能性を考える」だろう。
ひとまずインターネットを立ち上げてみて、文字が読めればそこは現実だ。
そしてインターネットに並ぶ無数の異性消失情報を目にし、次に考えるのは「ドッキリの標的にされた可能性」だ。
ひとまずは悩んでますよというポーズをしながら目を瞑って作戦会議だ。
あとあと馬鹿にされないような形に気をつけて道化を演じつつ、ドッキリのコストに負荷をかけようとして、いつも行かないような駅にでも行こうと家を出る、直前で足を止める。
もしも本当に全ての異性が消失していたら、世界人口の半分が消えるという大パニックだ。
というか、インフラ施設の当直員や夜行バスの運転手が消えたとしたらどうなるのかを考え、引きこもることを決めるだろう。
もしかしたら我が家の周りも既にクリスタルナハトが始まっているかも知れない。
窓やドアの施錠を確認し、板をうちつけるまではいかずとも目張りぐらいはしておく。
家中の武器になりそうなものを足元に集めた状態でインターネットに再び潜る。
24時間ちょうど異性が消滅していたことが世界中で話題になるだろう。
偶然か、神の奇跡か、裁きの時か、きっと大きな混乱が巻き起こるはずだ。
その中にいるはずなのだ。
「世界が仮想現実であり、if sex=0 deleat time=1dのようなコードが入力されたに違いない」という仮説を元に検証を始める集団が。
私はそこに合流する。
何故なら神の存在を信じるよりも、その可能性を追求したほうが現実的に感じられるからだ。
確証バイアスによって集団幻覚で終わらせる者達、パニックのままに暴れ続ける暴徒、ここぞとばかりに勧誘を始める宗教家、様々な連中が出てくるだろうが無視する。
世界が仮想空間であり、リバースエンジニアリングによって我々人類にも神に等しいチートを手にする機会があるかも知れない。そのチャンスに私は合流するからだ。
答は出るのだろうか?
しかし人間関係のためなら毎日欠かさず飲む必要はなかったし、ウィスキーをストレートで飲む必要もないだろう。
さらには酒を飲みすぎて複数の友人に内視鏡検査を勧められながら、
内視鏡を飲み込むのが不快だからと、トンデモ本を根拠に定期検診は無意味と正当化した。
明らかに確証バイアスで判断を間違えている。彼がさんざん批判的に書いてきたバカの行動そのものだろう。
彼自身も、定期検診を受ければよかった、酒の飲み方も変えればよかったと後悔している。
自分も山崎元氏の考え方に感銘を受けてインデックスファンドを始めた一人だからこそ、
彼の考え方に沿って彼自身を愚かだったと断言する。
「用心していれば病気を100%防げる(山崎さんはそれに失敗した愚かな人)みたいなヒドいコメントが目立つ。そんなに単純なら誰も死なないわけだが」
んー。私(女性)も増田と同じ意見で、それって警戒を通り越して威嚇だし、相手を刺激してるぶんだけ逆効果になりうるし、頭があんまり良くない女性か精神的に何かがある女性なのかなって思ったけどな。
高齢者とかで認知症になってやたら攻撃性が増しちゃってる人の行動に近いものを感じる。
でも何となくだけど、私みたいに思ってる女性も普通にいるってことがこの増田に届くとは思えないのが悲しい。この文章を読んでもたぶんダメでしょう。
追記をチラッと読んだけど、結論ありきというか、根底に女嫌いがあってそれを補強するような話を探してるタイプに見える(つまりチェリーピッキングしてる……無自覚に典型的な確証バイアスの罠にハマってる)。
ガンダムは戦争賛美ではないと言ってる奴こそ「見てないんじゃないかな」と言うべきだろう。
「戦争を描いちゃうとどうしても格好良くなっちゃう。ロボットも本当は格好良くなんてしたくないけど格好良くなっちゃう。キャラクターに戦争反対をいくら口にさせても見た目が格好いいから結局戦争賛美みたいになっちゃう」って
格好いいメカ同士の戦闘を描こうとしたらその時点で絶対に戦争を賛美することになる。
それを「ない」と言い張るやつの言葉はもう一切合切信用しなくて良い。
持論が先に存在してそこに都合の良い確証バイアスをかき集めることに必死なだけで、結局何も考えず何も語ろうともしてないのだから。
私は哲学徒としてかなり落ちこぼれだったが、学んできた中で印象的だった哲学者が何人かいて、そのうちの一人がデカルトである。
デカルトの最大の功績は、「世界の共通理解を作った」事にあるんだよと私は習った。つまりそれは、cogit ergo sum,我思う前に我ありにあたるわけだが、この「世界の共通理解」とは何か?
それは、どのような考え方を持っていたとしても、どのようなバックグラウンドであるとしても、人類皆んなが普遍して持てる考え、である。デカルトの場合は、16世紀当時、「神は本当にいるのか? いないのか?」みたいな事を真剣に話している知識人たちの中で、こうした考えを打ち立てた(どんな考えであろうとも、共通して持てる考えとして)。
これは現代でも、特に人とコミュニケーションをとる時に私がおりに触れて思い返す概念だ。
人とコミュニケーションをとる時に、「相手との共通理解は何処まで出来ているのか」と考えてみる。そうし始めてから、格段に仕事がやりやすくなった。
こうする事で、行き違いが格段に減る。こっちはこうだと思ってたのに、とか、あっちは違うことを想定していた、とかがグッと減る。この共通理解を埋める、双方で同じ土台を作るためには、相応のコミュニケーション的手間が生じる。そういう手間を惜しまないようにする事が、自分にとっては大事な事だった。
現実世界を生きていると、この「共通理解」の概念がすっぽり抜けている人に沢山会う(というかほぼ全員)。つまり、自分にとっての常識が他の人にとってもそうだ、というのを全く疑ってかからない人たちだ。ネットにも沢山いる。
そりゃあ、そんな人たちで話し合ったりしたら、トラブルも起きますし精神も疲弊しますよね、と思う。
確証バイアスという言葉があり、それは、人は自分の見たい情報だけ見てしまって、自分にとって都合が悪かったり、或いは興味を持っていなかった情報に関しては、見たい情報のそばにあって、見ているのにも関わらず、そもそも「見ていない」と認知の歪みが発生してしまう、という概念だ。
共通理解を怠らない、という事は根本的であり、ある意味、他者を理解するとは何か、という壮大なテーマに関しても、重要な示唆を与えてくれる。
合理的であることは道徳的要請である。知能指数(IQ)と合理性指数(RQ)は別物である。IQはエンジンの馬力で、RQはエネルギー効率だと考えて良い。幸いにも、合理的になるように自分自身を訓練することができるかもしれない。ここにいくつかのアイデアがある。
1. スコアをつける
Brierスコアはもともと、気象予報士の天気予報に対するフィードバックを得るために開発されたものである。気象モデリング技術の向上と、より鋭いフィードバックにより、今日の気象学者は、1、2世代前よりもはるかに正確になっている。このスコアリングを応用できるだろう。
2. 同じ状況に陥った他人を探す
あなたが投資家で、ある会社の経営陣と面接し、その株を買おうと考えているとする。経営陣には楽観主義バイアスがかかっているはずなので、彼らの言うことは大目に見なければならない。しかし、他社に対する彼らの見方は、正確である可能性が高い。つまり、自分のことを聞くのではなく、他の人のことを聞くのである。皆、自分のことをユニークだと思いたいものだが、他の人が同じ状況に置かれたときにどうなったかを尋ねることは役に立つ。
3. クリティカルパスよりも余裕を持つ
あるタスクがどのぐらいかかるのか、と問われた時、「2時間」を「4日」と訳す。
現実の世界では、確率は常に変化している。合理的な思考をするための重要な課題の1つは、新しい情報が入ってきたときに、確率を正確に更新することである。最も優れた予測家はこれを非常にうまく行い、非常に細かい確率の刻みを使っている。(ただし、多くの人は確証バイアスに陥り、新しい情報を適切に評価に取り入れるよりも、無視したり、割り引いたりすることを好む。つまり、目的に対して間違った信念を補強し続け、コミュニケーションを無視し続けたり、間違った人とコミュニケーションをする。)