はてなキーワード: 納税額とは
これは身内におこった出来事で、まだ揉めている途中なんだけど…
Twitterに書いても途切れ途切れになってしまったから、ここにも書かせてほしい。
本人は、ネットとかあんまりだけどとりあえず載せてほしいということで…話をまとめてみた。
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なんとか、1億円までは返済が済んでいます。
さらに手持ちの土地を5,000万円で売却するので4,000万円を返済することで合意。
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この土地は信用金庫の担保に入っているため、売却のため担保解除を依頼したんです。
しかし、支店長が変わったとたん4,200万円の返済を一方的に要求されました!
「4,200万円と経費を除いた残金すべてを信用金庫の通知預金にします」といきなり言われました。
買い手さんからも、遅くなると取引出来ないと言われていたので、これを仕方なく受けました。
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その後も、
担保解除について2週間先を指定しても「日数が足りません」と言われ、
委任状を依頼しても「支店にはありません」とのやりとりが続き、本店へ出向きました。
本店で聞いたら「支店にもひな形があります。担保解除も遅くとも1週間でできます」と言われ、支店での嘘が発覚!
これは支店が悪いのかと思っていたら、
信用金庫側から「この件は県の保証協会へ連絡する」と言われたので、支店の対応を報告してくれるのかと待っていました。
そして、
信用金庫の次長から「会社の法人税や個人の所得証明書の提出依頼が保証協会から来ている」と言われ金庫へ持っていきました。
が、後日自分から県の保証協会へ確認した所「依頼しておりません」と言われ唖然としました。
また、当社の決済時の内容も提出していたのですが、その情報を取引先の不動産屋が持っていました。
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そして、
いろいろありましたが、もう疲れてしまい4,200万の返済と通知預金は受け入れました。
しかし決済当日に支店長からいきなり、「通知預金から納税額を引いた残りの金額もすべて借入金の返済とします」と言い出したのです。
これを受けないと「担保解除証明書」は持って帰る。と、強引に押し切られました。
口約束だけでしたので後日、本店融資部課長等を交えて何度か話をして、出された条件に付いての文章を作成し書名捺印をお願いしましたが、断られました。
「では、これは条件ではないのですね?」と聞くと、
「いや条件です」とのくりかえし。
こちらには条件として出しつつも、証拠となる文書は残さない方針のようです。
「このような事は、他にも普通に行われていることですか?」と聞けば、
「この件でこんなに時間がかかったのは初めてです」
と、他にも同様のやり口があったかのような回答でした。
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このような理不尽な事が自分の身に起きるとは思わず、どうしたらいいものか。
とにかく、T信用金庫はまったく信用できません。
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聞いたまま代筆しました。
優しそうに見えるから足元を見られたのか分からないけど、信用金庫側があまりにもひどい対応でびっくりしている。
同じようなことってよくあるの?
凄いデカイ単位で「手段が目的になってる」という人が結構いるんだけど、それってちゃんと主語が揃ってるのかなと。
「納税という手段が目的になっている」みたいに言われてたりするけど、これを考えた税務署からしたら納税こそがまさに目的そのものなんじゃねえかな。
納税そのものが目的だから、その作業が結果的に日本の国力を下げることになろうが、将来的な納税額を下げようが、直近の納税額さえ伸びれば税務署は仕事の目的を達成したことになると思うんだよな。
少なくとも直近の10年ぐらいを逃げ切ってその間の評価で退職金が決まる税務署トップの人達にとっては。
集団全体で見たときの手段が、それを担当する小さな集団の中では目的そのものになりがちなときにこういうのは起こりやすいんじゃないかな。
コストカット部門にとってコストカットした実績こそが目的だけど、組織にとっての目的は利益を増やすことでコストカットは手段でしかないはずなのに、とかね。
同時に組織の利益追求は投資家にとっては利鞘を得るための手段でしかないから、無理にそれを進めた結果その組織が崩壊しようと彼らはさっさと売り逃げればいいだけと思ってたりする。
そういった生存競争を煽っているのは個々人の消費者の集合体である市場経済なわけで。
そしてまたそういった個人はそれぞれの組織の中でそれぞれの組織目標を達成するための構成員でもあって。
こうやって順繰りに見てくとグルグルとループしているのかなと。
ある集団にとっての手段はそれを達成することを目的とした小さな集団によって行われ、それがある程度小さくなってくると今度はそれらの目的意識がマクロな集合として機能していく流れ。
事業者には、消費税の納税を免除された免税事業者と課税事業者が存在します。
問題:
答え:
正解は0円です。免税事業者は消費税の納税を免除されているので当たり前ですね。
仕入税額控除とは、生産・流通の過程で消費税が累積することを防ぐ仕組みです。
課税事業者は、売上にかかる消費税額から仕入れにかかる消費税を控除することができます。
問題:
答え:
あなたが商品を仕入れる際に課された10円の消費税を控除することができるため、納税額は20-10=10円となります。
免税事業者との取引で課された消費税が0円であることから、納税額は20円になると考えたかもしれません。
しかしながら、正解となる納税額は10円です。おかしなことが起こりましたね。
現行の制度では免税事業者と課税事業者を区別することができないので、免税事業者との取引でも税率を10%とみなして10円の仕入税額控除を受けることができます。
インボイス制度の目的は、登録を行った課税事業者のみを仕入税額控除の対象とすることで、免税事業者との取引で「納税なき控除」が発生しないようにすることです。
インボイス制度が実施されると、免税事業者からの仕入れにおいて、仕入税額控除を受けられなくなった分の経費が増加することになります。
これに対する課税事業者の対応としては以下のものが考えられます。
① 甘んじて受け入れる。
①を選んだ場合には、経費が増大することから販売する商品に価格転嫁され値上げに繋がるおそれがあります。
②のような免税事業者であることを理由に取引を停止することは免税事業者へ不当な不利益を与える行為ですが、インボイス制度の実施後に免税事業者との取引を中止すると答えた事業者が一定数存在することも事実です。
また③も免税事業者への不当な要求ですが、これまで税率10%として取引を行っていたという"益税"の論理によって正当化されています。
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
これ、高齢者の代理の家族が嘘ついて登録した場合、大丈夫なの?「思想」「犯罪歴」とかさ…
1氏名、2生年月日、3年齢、4性別、5住所、6出生地、7本籍、8国籍、9続柄、10親族関係、11婚姻歴・離婚歴、12後見・保佐・補助、13養子縁組、14電話番号、15メールアドレス、16思想、17信条、18主義・主張、19世界観、20人生観、21支持政党、22政治活動経歴、23宗教、24宗派、25信仰、26学歴、27職業・職歴、28犯罪歴、29資格・免許、30指導記録、31健康状態、32容姿・体型、33心身障がいの程度、34傷病歴、35傷病の所見、36治療内容、37検査内容、38家族構成、39扶養関係、40居住状況、41暮らし向き、42公的扶助、43保険・年金・手当、44趣味、45嗜好、46不動産・動産の種類、47債権・債務、48貯金額、49口座番号、50収入・所得、51課税額、52納税額、53滞納額、54相談・苦情・要望
住宅ローンの額に対して所得税を控除する仕組みはすでに存在するんだから、子育て世帯から控除する仕組みは作れるよね。そうなると、相対的に独身だと高額を納税することになる。
独身者に対する税金を増やすのではなくて、全体の税金を増やした後に子育て世帯から控除することで、独身税を実現できるってこと。
過去の実績からみても、税金はなし崩しに増やせるし、税金から控除する施策はだいたい歓迎される。少子化対策は国にとっても大きい問題だからこれは実現性高いよ。
ふるさと納税の歓迎されっぷりからして、所得税とか住民税とか天引きされてる税金が減らしてもらえるってのはむちゃくちゃ喜ばれるし、貧民層はどのみち納税額が少ないからだんまりだわね。
「自分たちだけ税金が上がる」なら反対する独身高収入者も、「自分たちだけ控除が不利だ」って理由では騒がないでしょ。自分と関係ない控除制度なんて調べないし。
青果を販売する普通の農業で2500万円の年収を得るなんて絶対無理。
結論を先に書いておくと、正しくは一人当たりの年収は260万円弱となりました。
紹介文によると
「農家607軒の高原野菜の販売額は2007年に約155億円と、平均収入は2500万円を超えました。」
2500万円は農家1戸あたりの売上です。
確かに平均がこの値というのはすごいことですが、決して達成不可能な数字ではないです。
3-4人程度の人手が必要な金額なので、じいちゃんばあちゃんと息子夫婦であったり、兄弟であったりと
農業の場合、品目と面積がわかれば、その人の年収を概ね推定することができます。
農協出荷だと運賃・市場手数料・農協手数料・全農手数料・施設使用料・予冷費・部会費・ダンボールなど様々な金額が控除されます。
品目により大きく変わるが、トマトのような冷蔵不要で軽量・高単価のもので売上の20%ほど、
ハクサイのようなかさばる重量野菜で売上の40%ほどだと思います。
それとは別に、種苗費、肥料費、農薬、マルチ(畑に張るビニール)など諸材料費がかかります。概ね売上の20%ほどです。
農機への投資があるので、減価償却があります。こちらは通常は長期借入の返済に当てられます。
健全経営だと減価償却が売上の5-10%程度とされます。レタスは労働集約的なので、5%と考えます。
ここまでで、売上の65%が製造原価となったので、2500万円の売上のうち、1625万円が消えました。
残りは825万円です。
サラリーマンの収入と違うのは、ここから消費税納税があることです。
サラリーマンの税引前所得と同等の条件で比較するため、消費税分だけ引きましょう。
現在、野菜は8%の軽減税率ですが、肥料などの購入は10%です。
売上の消費税が200万円、仕入れの消費税が150万円なので、50万円が消費税納税額となります。
今はレタスは作っていませんが、作って農協出荷したことはあります。
経験から想像するに2500万円の売上を上げるには3人必要ではないかと思います。
機械類は補助金あったりしますが一時的なものだし、審査も厳しく全てが通るということはまずありません。
川上は水田転作でもないので水田フル活用の補助金もないと思うし、中山間地域直接支払いの対象になるような圃場ではないです。
なので年収を大幅に上げることはできません。
ブラック川上と呼ばれるのは、実際にそういう事例もあったのである程度は仕方ないし風評とは言えません。
でも、外国人奴隷使って2500万の「年収」を得ているというのは完全に誤りです。
ここまで数字だせるのは自分が農家だからだけど、普通に考えて無理っぽい数字なことぐらいわかるでしょう?