はてなキーワード: 驚愕とは
数学のうちでも国が教えることとしていない驚愕的な証明は警察官が教わっていること自体を知らなかったし仮にブサイクが仕事しか出来ない遊べないとすれば現況で流行っている
遊びと矛盾するので警官が悪であるのは理解しうるところである。また裁判官検事などもその趣旨でやめたいすなわち、仕事で結果を出すしか生き方がないなら死ぬしかないと考えるのも
相当だがこれはウィキをみてブサイクが遊べないことを知って初めて理解できたことである。
令和3年8月4日にぷちくらが出てきて、「こうして出会えたんだから×××」と言っていたが当時は?黒羽から出てきてとち狂ってる状態でぷちくらが出会い系をしているのが理解できなかった
現在でも地方でもそういうのは流行っているが結局出現してほしいときに出現していないという無能さより、デリヘルのように出現せざるをえないものしか利用できてないのが現実
しかしホテルモア、IORI、ラベンダーなどに入ると観音菩薩のように、任介のないぞないぞの念仏で気が狂うようになり、出会い系の方はサイトの料金が高額なこと、出現するとは限らない無能さにより
社会的に実現に至っていない、これでは完全にだめだ
「恥ずかしい言葉」は、その単語の発音を恥ずかしいもの、卑猥なもの、人前で言ってはいけないもの、として、社会みんなでその恥ずかしさを維持しているのた。
子供の時は、辞書の「セックス」のページを開くのも躊躇われ、中学になると「Sex」が丸で囲われた。
中1までは「勃起してんの?」と大声で言う女子がいた。保健の第二次性徴期の単語は割り切った。これを静液と言う。
大学の時はパソコン通信の東京がらくた工房で、JONなるハンドルが「スマンコ」と謝罪しながら何かを言い切る、言わばマントラを作り出し、僕は驚愕した。後に「スキャット マンコ JON」を一度だけ名乗り、その一度が僕の中では今でも続いている。
閑話休題。時は流れて、20代後半のときは2ちゃんのおかげで「マソコ」や「チソコ」と女子も言いやすくなった。ネットスラングの体で言うのだ。「私のマソコも濡れて来ましたよ」。
大阪の女の子は、「その、東京で言う『ま』からの言葉は別に言えるしそうでもないんですけど、同じものの大阪て言う言葉かあって、わかりますよね?、そっちの方は、もう、本当に恥ずかしくてひゃあってなる。その、名前の意味じゃなくて、その行為をすることの意味にもなっていて」「どんなふうにいうんですか?」「えっ、その。。お、おめこしようや。。とか」「へえー」。
その時17歳の女の子は「どこが気持ちいいのかなー?」「え、言えない://」「私のおまんこ見てくださいって言って」「言えない、恥ずかしくて」だったけど、22歳になって見た目も大人びたその子に「今はもうまんこって言えるの?」と聞いたら、「大人になったからってまんこなんて言えませんよ、今言っちゃいましたけどね」と少し早口で言い切った。
時に、さっきまではそんな感じじゃなかったのに、エッチのときに「ペニスが、あなたのペニスが!」と、声に出すことによってより性的興奮を高めたいんだけど、いつも言ってない単語だからちんちんともちんぽとも言えなくて、英語ならハイソ風だしおかしくもないだろうとペニスと言う女性。ピロートークのとき、「まんこ気持ち良かった」「(うんうん)」「私のまんこがって言って」「わた、しの、おまんこ、が。なんか恥ずかしい」。ワイが女性の股間を触りながら、「おちんちん大好き」とリピートアフターミーすると、女性はワイのちんこを触ってきながら、「僕はけいこ、私本名けいこって言うんだけど、僕はけいこの全てにメロメロですって言って」「僕はけいこの全てにメロメロです。顔も身体も気持ち良くてエロいまんこも、髪型も物静かな性格だけどエロくて女の子っぽいところとか、」「本当に?すごく褒めてくれて嬉しい。んーっちゅばっ。キスしちゃった」「僕もお返しに、ちゅっ」「なにかして欲しいことある?なんでもしてあげたい」「ではー、ではー、」。
今、朝の京浜東北線の中で書いてるけど、強姦魔も通勤途中の女性を襲ったら、成功率は下がるだろうな。女性も会社に遅れることが問題で、前向きに抵抗または回避するだろうな。徹夜明けで平日の朝の町に出たとき、いつも考えてた。
さっき、隣の若い女子が明らかにワイの体に頭を寄せて寝ようとしてた。直に伝わる体温が熱くて艶かしかった。結果としてもたれかかるんじゃなくて、最初から狙いを定めることもあるんだな。
一晩せっくす3回した女子が、朝食でファミレスに行って料理を半分こしたり間接キスしたり「ノーパンノーストだからスースーする」とテーブルの下でスカートを扇いだり、結局また昼からホテルになんだけと、部屋に入ってすぐに鏡に向かって化粧直しをして、「すぐ用意するからちょっと待っててくださいね」と髪を縛って。なんの用意かな。
彼女を気取りたいからそうするのだ。多分料理とか作りたいだろうな。私だけの君になって欲しいよだろうな。大事にされたいんだろうな。真剣にずっとそう考えててほしいんだろうな。僕が今までとは違う人生に連れていってくれ、、、
「私のお尻って可愛くない?」と見ると、大きな丸いお尻があった。「可愛くて、後ろから目で追っちゃうような」と適当に言って、触ってキスをすると、「私と結婚したい?」と普通に言った。「結婚したら毎日会えるの?」「セックスは週に2回かなー。でも最初は毎日しちゃうよね。そしたら妊娠もして、もう一人産めるかなー。今日、多分大丈夫な日だから、生でしてみる?ナマって下品に言っちゃった。避妊具着けないで中で射精してみる?」「赤ちゃんできちゃう。。」「その話をしてんの」
黒羽刑務所を平成26年4月に出所したが出所後にそこでやっていたことが元に戻ることはなく、10工場でやっていた内容のまま延岡市に帰り走ったり大声をあげていた。
晴生が運営がやっていることを知っていたが隠していた状態で野田省治に話を持ち掛けたところ、なんとか運営に都合のいいような診断書がかけそうだと判断し平成27年2月28日に
作成した。門川のソフトは、平成30年10月以降の利用となるがいつ頃誰を利用したかの記録はない。店の店長は、田舎だから、え?が口癖だが、背後に、下坂行雄がおりその指示で
この5年間支持者対策でホテルに出してきた。最初は門川駅からタクシーで行っていたが次第に自転車でいくようになった。令和4年5月に田中病院で診察をしているはずだが、田中洋
にASDではないのではないかとばれるのを恐れて郁子がなんとかフォローしてASDの診断で薬を出していた。門川のソフトは、MMK→ MIK(タトゥーが入ってますよ)、→の順だったが全く
君たちも知っているかも知れませんが、フェルマーの定理っていうのはあれですよね、x^n+y^n=z^nは存在してないってやつですよね、そこの、n≧3だったら、でもいちいちn≧3とかいう
必要がなくて存在してないわけだから、でも、そもそも、x^3+y^3=z^3が証明出来たら、33%の自然数では存在していないから、そんな驚かないわけですね。3割では証明できてるから
あとの6割を証明すればいいという、そこでかなり驚きが軽減するわけですね、もちろん、nの、1個1個を証明しろとかいったらとんでもないことになるけどそんなことはしなくていいというのが
定理なんです。3,4,5,6,7,8,9,10、と一つ一つ証明して全部しろとかそういうことじゃないので。3の倍数と4の倍数は簡単に証明できるので、それから簡単な技術から
実は正体は x^p+y^p=z^pだったので、化け物が変貌したんですけど、自然数nと 素数pを考えたときに明らかにpはほとんどないらしいので、しかし、x^p+y^p=z^pらしいということに
なると素数なので滅茶苦茶難しくなる。ジェルマンは、第一、第二の場合に分けて、フェルマー予想は正しいって証明したんですが、x,y,zがpで割り切れるとか割り切れない場合とかだったので
意味の分からない定理で、最後はものを整備してそれをぶっ放して完成したわけですが、そこの、最近の社会って、神野って死んだと思ってたらまだ生きていて、神野と同居していた慶応の奴は
バクサイにいて、ドイヒーとか言って出てくるじゃないですか。ドイヒーっていう奴は実名忘れたんですよ。でもどっかにいってドイヒーって言ってくるわけですね。素数は無限にあるので、x^p+y^p=z^pは
存在しないって言われてもそれでも驚愕で、無限にある素数のうちで、3,5,7,11,くらいしか初等的にできないらしいので、そこらへんでこの定理はクソやばいらしいということになって
そのうち哲学者からも到達不可能定理と呼ばれるようになった。しかし18世紀にクンマーが61%でやったので、なんや61%は完了かいなということになってそれぶんだけ驚きは減った
しかし残りの39%が到達できないということでその残りの39%が到達できないという程度で怖いだけなんすね。
私は平成11年から19年の間に警察官だったわけではなく問題集をたくさん買って問題を解いていただけですのでその頃は面白かったのですが延岡警察署の警官からあれは練習でこれは
本番と言われたときに確かに練習だと思いますがあれの田んぼの中で警官が出現して、2名くらいで腕を完全につかんで、もう1名がパトカーに誘導するっていうんですかねそれがLemma &
Inductionだと思いますが、あれは人権を侵害しない範囲内でやるので、東京の方ではinductionだけでやる警官もいますが、下坂行雄が、警官が出てくること自体が驚愕的であるといったときに
その話に全然興味がなくてその被疑者を警察署に任意同行する際に用いられる技術としてそれがあるだけで私はその、数学に似た技術しか興味がないんですが、だから、警察官なんか全然
見てなくてその技術だけを見ているわけですが、inductionは完全無欠な手段で、Lemmaも完全無欠な手段になるので、本官が自転車を蹴ったと言ったときの他に腕をつかんで確保する行為
ですかね、これしか面白いところがないわけでですが しかし多分そんなことを書いている一般書籍はどこにも売っていないし、警察官が任意同行の際に用いる技術についてその解答を公表している
本などないと思いますよ。なぜかというと東京大学文科一類に受かるのに、入試問題でそういう完全無欠な技術を用いないと満点にならない問題とか出ないので
長谷川が最後に言った、ブサイクだからとか終わりだ、という言葉や、森脇が最後に言った、ねえからなずらすからな最悪だからなというのも結局全然意味が分からなかったし
出所後の平成26年からかれこれ10年間全てが支離滅裂で何を言ってるのか分からなかった。下坂行雄は44歳になるが30年くらい前に開成高校でズルをして幾何学を
学び誰も幾何学を知らずそもそも文科省が幾何学の指導をやめた時代に、開成高校で、幾何学を習っていた。しかし私は黒羽刑務所で幾何学演習を全然しなかったし幾何学演習が
黒羽になかったことはそこの佐藤と森脇と長谷川が知ってることだろう。こないだ法学部に証明書を取りに行ったときに事務チームのおばさんの影がスッと出てきたのだが何を主張したいのか
分からなかった。しかも下坂行雄の後任にはおばさんが座っていた。下坂行雄は名前の事でいじめられたなどといっていたが、それは多分、郁夫の方でぷちくらが名前のことでいじめられていた
のだと思う。私が黒羽でやった幾何学の最新問題はパスカルの定理が補完する問題でそこに補完しているときに驚愕的であるわけだが、この知見が最近まで何の役にも立たなかったしそもそも
私は黒羽で超難問の補完手段を自分で編み出したことがないので分からない。inductionは問題によって完全無欠な手段で2012年のIMOの問題はinductionで完全無欠にできます。
もしくは、Lemmaという完全無欠なものを2つ作成してそれにinductionを使っている解答もある。しかしそれはIMOの公式解答には書いてない。IMOの公式解答には分かりにくい回答が書いていて
AoPSをみたらそっちに完全無欠な解答が書いていてあの2012年の問題は私は3か月くらいのたうち回って考えたけど分からなかったのでinductionが完全無欠な手段になることを発見したとき
真にうれしく思った。次に2013年の組み合わせの問題は、induction and Contradictionという特殊な技が完全無欠な技術を提供しておりあれは半分はできたが半分はできなかったので
TRPG関係の日記を読んで色々と共感したり、「ああそうだったなぁ」と思い出したりしたので整理の為に書き散らしてみる。
ここ数年そこそこに熱中していたTRPGを辞めた。
理由は色々とあるが、TRPGをすることにより得る楽しさよりもストレスの方が大きくなったからだ。
私が一緒に卓を囲んでいた友人は、元々は別の趣味で繋がったコミュニティの人達だった。私は最初TRPGにまったく興味がなく、精々がリプレイを読んだことがあるくらいだった。
ある時、趣味のコミュニティに属する数人がオンラインでTRPGセッションを始め、その感想をTwitterのTLに流し始めた。最初はポツポツと。次第にツイートの量は増え、気がつけば元々の趣味のツイートよりもTRPGのツイートの方が多いくらいに。
周囲の友人が楽しそうなことを始めたら、混ざりたくなるのが人情というものだろう。
私がやってみたいと声を上げれば、コミュニティの人達は歓迎し卓を立ててくれた。
ワクワクするシナリオの導入、自分が格好良いと思うキャラクターを生み出すキャラメイク。
ダイスを振って出た目に一喜一憂し、シナリオの謎に頭を捻り、思いも寄らぬ驚きの展開に驚愕する。
操作するキャラクターと共に物語の主人公として危険に立ち向かい、息も絶え絶えになりながらエンディングへと辿り着いた時には、すっかりTRPGの面白さに嵌まっていた。
何より仲が良かった人達とリアルタイムで一緒に遊べることが嬉しく、楽しかった。
そこからは一瞬だった。沼に嵌まった、というよりは沼に飛び込んだといった方が適切だろうか。
何回かセッションにPLとして参加した後、おっかなびっくりGMに立候補してシナリオを回して。
最初はGMなんて出来るわけないと思っていたが、一度経験すればハードルは下がる。
PLとしてシナリオに参加して、GMとしてシナリオを回して、PLをして、GMをして……。
その頃にはTRPGをする仲間も増えて、暇があれば予定を埋めていた。
こんなに熱中できる趣味なんて本当に久しぶりだった。あまりに面白くて、もうずっとTRPGを続けるんじゃないかと、辞めるタイミングなんて無いんじゃないかとさえ思った。
セッションはテキセ――テキストセッション。テキストチャットでやり取りをする方式――オンリーだったので、歳を取ってからも出来るし、一生ものの趣味になりそうだと思っていた。
魅力的なシナリオも、一緒に遊んで楽しい仲間とのセッションも。
発端は何だったろうか。まず最初は、忙しさだったと思う。TRPGが面白くて、面白くて、いくつもセッションに参加して。週の3~4日、多いときは週6ぐらいセッションをしていた筈だ。
やっていたシステムが人気があったものだったため毎週毎週面白そうなシナリオが発表されていて、あれもやりたいこれもやりたいと毎日セッションをしても消化が追いつかないくらいだった。
流石にリアルな生活に破綻を来す程ではなかったが、可処分時間の大半を突っ込んでいた。そうしてセッションをして、セッションをして、セッションをして。
楽しんでやっていた筈のそれが、いつのまにか義務のように、作業のようになっていた。
その違和感にふと気付き、あれ、何やってるんだろうと思ったのが一つ。
次に、嫉妬を覚えるようになった。
例えば、仲の良い人が参加しているセッションに自分が呼ばれていないに疎外感と嫉妬を覚えた。
今思えば些細なことだ。コミュニティにはそこそこの人数がいたので、毎回同じ面子でセッションをすることは無かった。
自分が参加する時だって、「前回はこの人を誘ったから、今回は別の人を誘ってみよう」といった調整は普通にしていた。そこに悪意なんてなかった。
だが当時は自分が誘われていないセッションの感想をTLで見る度に、「楽しそう」「自分は誘われていないのに」「一緒に遊びたいと思われていないんだ」といったネガティブな感情を抱いていた。
それを自分の中だけに抱え込んでいたのも良くなかったのかもしれない。
寂しいと伝えれば良かったのかもしれない。今となってはもう遅いだろうが。
例えば、他の人達がシナリオ作成に手を出しているのに嫉妬を覚えた。
「こんなのが作りたい」「こんなものを書いてる」
それが1人だったらまた違ったのかもしれない。だけどその人に触発されてシナリオを書く人が何人も出てきた。
自分もまたその1人だった。
ネタを集めて、構想を考えて、文章を書いて整形して。1つ、シナリオを書き上げることは出来た。
習作として、人を誘って回して、楽しいとも言って貰えた。勿論それは嬉しかった。
でもそれだけだった。自分ではまったく面白さに自信が持てなかったし、シナリオを作るのが苦痛だった。
凡百のアイデアしか出てこない、構想を練るのが難しい、どれだけ雰囲気を出そうとしても稚拙な文章になる。
シナリオを書くことを楽しめなくて、遊びきれない程のシナリオがあるのだから自分が書くことの意味を見出せなくて、でも周りの人達は楽しそうに幾つもシナリオを書き上げて行ってそれが楽しそうなのが心の底から妬ましかった。
自分は創作者気質ではなかったというそれだけの話だ。面白いモノを作らなくちゃいけないという妄執に囚われていただけというのもあるだろう。
ただ人が楽しそうにしていて、それに参加出来ないことが寂しかった。
そんな感じでストレスが溜まっていった結果、TRPGが楽しくなくなるだけではなく、他人にも当たるような行動・言動が出てきた。
それを自覚した時、このコミュニティにいることは自分にとっても良くないし、何より周囲に迷惑だろうと思い、コミュニティからもTRPGからも距離を取ることにした。
TRPGは楽しかったし、コミュニティもまた楽しかった。時間を多く費やしたこと自体にも何ら後悔はない。
ただもう当面はTRPGをしたいとは思えない。コミュニティを探して飛び込むのも、どうだろう。
自分の嫉妬深く自己中心的な性根を変えなければ、また同じことになりそうな気がする。自分が傷つくのは良いが、周囲に迷惑をかけるのが申し訳ない。
1つ悪いことをしたなと思うのは、何も言わずコミュニティを抜けたことだ。その当時は、今の心境では何か言葉にすれば相手を非難する形になっただろうとひっそりと消えようと思った訳だが、今にして思えばそれもまた自分本位の行動だった。
いつかまた、TRPGを遊びたいと思う日が来たりするのだろうか。すると良いなぁ。当面は1人遊び出来る趣味を満喫することにする。直近はAC6が楽しい。
カレーも肉じゃがもすき焼きもコロッケもメンチカツもハヤシライスでさえも豚。
親戚や友達を呼んでのバーベキューでは少しではあるが牛肉も入るので、妻の家独自の家風なんだと思ってた。
ところが、ひょんなことで妻の実家の近くの肉屋に惣菜を買いに行ったら、肉屋なのに豚肉と鶏肉しか置いてない。
山田うどんっていう埼玉のローカルチェーン店に行ったら、モツ煮が豚モツ。
妻の実家は埼玉県南部なんだが、北に行くと焼き鳥さえ豚肉らしい。
埼玉のディズニーランドと呼ばれるサイボクというアミューズメントパークがあるそうで、豚が主役らしい。
埼玉種畜牧場(さいたましゅちくぼくじょう)だからサイボクなんだってさ。年間入場者数が鴨川シーワールドを抜いてるそうで、そう聞くとすごい。
埼玉のアミューズメントといえば、西武ゆうえんちとか東武動物公園なのかと思ったら、まさかのサイボク。
行ってみたら、ディズニーと比べるのはあまりにも失礼なほどしょぼかった。
豚をみることが出来るショッピングパークというか、レストラン街というか、ちょっとした幼児向けのアスレチックくらい。
でもすごい人気。
ネット予備校講師のよびのりがしている無限降下法の解説は閲覧しても理解できないと思う。というのも、よびのりの無限降下法は、かなり難しい状況下において出てきているので
誰も経験したことがない手段なので何をいっつるか分からないのである。だからフェルマーのn=4のときの無限降下法の使用方法についても無限降下法が出てきているというだけで
なんで出てくるかが分からないので、その部分だけが出現するわけなので、しかしよびのりは、右から左にこうなりますと言ってるだけで、このように出てくるはずがないものが出現します
ていうふうには教えていないので聴講者は何を言ってるのかが分からないと思う。また自分でノートに書いて考えようとしてもそもそもその分野を体系的にやってるわけではないから分からない
と思うし、その無限降下法を発動する場所というかとにかくそういう基礎問題では理解が簡単でも撃つのが難しい問題に対して出して撃つのは容易なことではないので、x^4+y^4=z^4
の場合は、まあまず無理だろうと、井上修二はままんがなくなって、最近はマグロ漁船に乗り込んでいるのですが国の人間は詐欺師かできないので、そのノートを買ってきて自分で取り組む
とかですねそういうことは出来ないと思いますよ、出来るとか出来ないとかでなくてやる気がねえし何のメリットもないからだと思いますが、なんせ詐欺だからね。無限降下法のちゃんとした例題は
「無限に多くのp/2^nを作らないといけないがそれは自然数の最小値が1であることと矛盾する」という例題だがこれはこれで出てきたときは驚愕されたがそのままどこかに隠れ別の問題で何らかの
方法で出てくるのですがそういう練習問題がないので、自分で無限降下法を使った先生に聞けば理解できるがその先生がなんでそこに出てくることになるのか教えなかったら理解できないと思いますよ
パスカルの定理というのは発表されたときに美しいと驚愕されるわけで時間が経つとみんなクソどうでもよくなっていくわけですが、そうではなくて、別の幾何の問題の中にそれが出てくるときは
既に飽きられたが発表当時には驚愕されたものが出てくるから驚愕的証明というわけです。これと同じことで考えてくると、inductionは数論と組み合わせなど色んな世界に使われるわけですが
inductionでかたづけられる問題がたまにあってそのときにそこにinductionが出てくること自体も驚愕的証明と言われる。2012年IMOでは意図的に難しい証明が書いているが、AoPSをみると
色々出ている。前田が生保支給後に黙っていないのには色々な理由がある。黒羽刑務所で氏名不詳の刑務官から、何でも言いたい放題だからいいじゃない、というアドバイスがあった。しかし
黒羽刑務所で氏名不詳の刑務官からそういわれたことは新宅の仲間は知らない。一般に前田の事は警察官が知っているというのだが実際には知らないのである。どのような道具が出現すると
現在の根本的な問題を片付けられるかはまだ発見されていない。新宅の仲間に対しては、NHK立花高志爆撃法すら効果がなくなった。前田の精神状態には色々な問題がある。第一に警察官は
知らない。10工場の中で長谷川と森脇がやっていた昭和の真夏の状態のままシャバに出した上にシャバの人がそれが理解できなかったこつにある。10工場で長谷川がやったいたことなどを
出現法というのは数学哲学でも最後の奥義で、何らかの価値のある偉大な定理、当初に発表されたときに驚愕されたものを知能によって出現させることで結論を出す手段で哲学でもっとも
魅力的なものである。しかしここでいう、警察官が出現すること自体が驚愕であるというのは全然足らない。あのような今更醜悪なものが無意味な事案において出現しても、パズルのピース
にはならないからである。初等幾何ではパズルのピースはパスカルの定理などになることが多いが、フェルマー予想の最後のピースは、フラッハ法という専門的なものであり、これが出現したことにより解決した。
よって、フェルマーの定理自体よりも、その結論を導き出した、出現法である、フラッハ法の方が驚愕的なのであり、非常に難しい。ここで最終奥義を出現させることは知能的に非常に難しい
問題とされており、コーシー=シュワルツの不等式を出してくる (a-b)^2+(b-c)^2+(c-a)^2≧0も、なぜ出現するのかと言われると返答に難しい。
哲学上の超難問というか、この、竹内友子という国語の先生は生きていたんですが、この、本人たちが何の価値もないということがですね、頭の中には既に発表されていると思うのですが
あるいは仕事をしている時点で多分目の前に発表されていてそれを認められない。そこでこの先生として働いている人に、価値がないことを認めさせる技術的出現として何を出せばいいのか。
これが無理であると。世間的には、ブサイクの4文字が出てくれば崩壊するという解釈論も有力で、通説判例のような観を呈しているのですが、ブサイクという4文字の武器は効かないというか
警視庁の上の方の人には効くんですが、延岡署の当直長とかには全然効かないのが現実で、最近は、ブサイクも、変な顔とかも、何も効かないんですよね、それは、下坂行雄という悪人が出現
して、スーパーコンピュータで国民の頭を操るようになったのでソフト日向にいてタトゥーが入った人が自殺して5年前くらいにいたかな、吉崎佳弥の再審請求とかでも執拗にそこの日本語に、形式的
という3文字が浮かび上がってくるというか出てくるので、しかし、延岡のデリバリーヘルスを形式的に動かすのはむりではないか。デリバリーヘルス自体に価値がないからだと思うのですがとにかく
価値がないんですよね、しかも形式的といったときにもよく分からない。世間の家々から何も驚愕的な技も出ないし、家が建っていても何の価値もないから、