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2020-09-24

モノには適正な値段があると信じるアンチ転売

アンチ転売派は無知だと気づいた。

マスクなどの生活必需品転売は悪だが(そもそも法律規制されているが)、

娯楽品の転売世界中企業普通に行っていることである転売は悪では無い。

それでもなぜ転売がここまで毛嫌いされるのかというと、

彼らはモノには適正で不変の値段があると信じている ことに気づいた。

ほとんどの人は理解しているが、モノの値段は需給バランスによって決まる。

例えばPS5の供給が多ければ安くなるし、少なければ高くなる。これがモノの値段が決まる基本だ。

需給バランスから導かれる価格販売価格の差額から利益を出そうとするのは

人間古来より行ってきた基本的行為である

これを理解できず、モノの値段はメーカーや誰かが決めて、それを逸脱してはならないという

勝手自分ルールを決め、転売して利益を出す行為を悪とする人は無知のものではないか

もしくは共産主義思想家ではないか

転売ヤーがいたぞ!叩け!」などの発言をしている人は

自分資本主義の仕組みに対して全くの無知である」と表明しているに等しい。

転売ヤーから買うな!」と言っている人も全くの無知であり、

買い手がいるから売り手がその値段をつけるのである

自分正義を信じ込んで資本主義に逆行するような行為を行うアンチ転売派は無知である

2020-09-12

anond:20200912113850

 日本神道において大麻古来より、お祓いや清めの道具として使われてきました。

ご家庭に神棚をお持ちの方はご存知だと思いますがこの神棚に祀る「天照皇大神宮

のお札は伊勢神宮天照大神のお札ですが、このお札の正式名称は「神宮大麻

といいます。この時の読み方は「じんぐうたいま」です。この神宮大麻大麻という言

葉は伊勢神宮でお祓い用に用いる神具の事を指しています

2020-08-23

苦手

琉球古来より伝わる手(デイ)の一種ゴーヤに漬け込んだ手で掌底で打ち込むことによって相手の苦々しい記憶を思いださせる。相手戦意喪失して失禁、体中の皮膚がゴーヤのようになって三日後ウミガメの産卵場で死ぬ

2020-08-09

第二章「Vtuberに"現実"はあるのか」

それは架空からまれもの

人形芝居に過ぎない彼ら・彼女らは、仮初の姿と人生を纏って我々の眼前に現れた

彼らは真実足り得るのか、彼らが我々を惹いて止まないのは何故なのか


古来より、借り物を人は愛してきた

演劇に、神楽に、落語に、舞踊に、宗教に、神話に、童話に、小説に、風俗

盆栽や箱庭が見立て遊びの系譜であるように、人はそこにない筈のものを「あたかもそこに在るかのように」仮定し、偽物であることを仮借した

何故なのか

逆説的ではあるが、偽物であればあるほど、そこに描かれたものが、描こうとしたもの真実になるから

人が信じて作り上げたその「意思」こそが真実足り得るから

真実Vtuberの彼ら・彼女らが生きる現実が偽物であればあるほど

彼らの感情は、すなわち偽物の世界ですら成り立たせんとする輝かしい意思こそが本物なのである

彼らは我らの魂の代理人である

切り株にすら登れず、生きることの現実感すら剥奪されたカオナシのような生き様の我々にとって

仮想世界ですらドラマを作り上げられる鮮烈さを、きっと何者にもなれない「ドラマツルギー」な我々は、やはり憧れるのである


もっと逆説的なことに

我々の憧れが、その次のVtuberを生み出すのである

「本物が欲しい」と願い、現実感のない世界に喘ぎ苦しんだ者達の中から、澆季溷濁の俗界を霊台方寸のカメラに収めようと辛苦した果てに、一人のVtuberが生まれ

なぁに、すぐだ

膨大な我々の過去を糧に、膨大な我々の未来がやってくる

第三章に続く

2020-07-13

白黒黄は人種を表すので禁止

blue blood」が純血白人貴族を表しているので赤青も禁止

紫も古来より地位の高さ高貴さを表しているか差別的

金銀等の光沢も当然そう。

何色の絵の具が残るかな?

2020-06-01

地名の由来

ワシントン

海援隊を率いてこの地を訪れた坂本龍馬が、空高く旋回する大鷲の姿をみて「ワシん飛んどるぜよ!」といたく感動したため。共和党ロゴマークがワシなのはこの逸話から来ている。

デトロイト

「見た目はダサい耐久性もない、機能は少ない、燃費は悪い…で、トロい、と」ひどい性能の試作車に対して放たれた言葉。当時よりデトロイト自動車産業で知られた。

ロンドン

Lone Dawn(ローン・ドーン)、孤独なる夜明け。

卑劣な策により戦争に負け潰走していたアーサー王の周りにはいつのまにか誰もいなくなっていて、この地で彼はひとり暁光を目にした。

マルセイユ

肥沃なこの地では古来より畜産物に事欠かなかったが、なかでも珍重されたのが動物性の油である言うなればアニマル精油だ。

トロント

過酷冒険の末アメリカ大陸にたどり着いたアメリゴ=ヴェスプッチ。北部のこの地に来る頃には、疲れのあまり目がトロンとしていた。

2020-03-21

anond:20200321000620

落ち着けブクマにはときどき、こういうクソ性格悪いやつが大集合してしまときがある。今回の場合古来より伝わる嫌儲という思想ブクマカが集まっているのだと思う。そういうときにやるべきことは「そっ閉じ」だ! 危険から、心が汚れる前に、離脱せよ!

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-11

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2020-02-06

なぜオタクネトウヨミソジニーを併発するのか

この根底には保守主義が横たわっている。

オタクは1つの対象に何年ものめり込み続けるものだ。その間に生まれる新しいもの流行には安易に飛びつかない。

ネトウヨ大日本帝国理想とし、日本をその時代まで戻すべき、自国のみが尊く外国人共生できない敵だと考えている。

ミソジニー古来より受け継がれてきた男性至上主義を無批判に支持し、男女平等という新しい概念を拒む。

からオタクネトウヨミソジニーは相性がよく三点セットになりがちだ。

この逆にフェミリベラル出羽守も三点セットになっていることが多い。

これは男三点セットの反転で自由主義根底にある。

フェミ女性自由を目指すもので、男性支配してきた長い人類歴史では新しい思想である

リベラルはその名の通り。

出羽守グローバリズムで、内にこもって世界から置いてけぼりにされた閉鎖国日本に外から自由をもたらすものである

はてなにいる極端なフェミほとんどが一様にリベラル出羽守なのはこのためだ。

じゃあフェミでかつネトウヨって存在しないのだろうか?

女性自由を求めるフェミ自由を憎むネトウヨは競合するので、こういう人は存在し得ないだろう。

2020-01-31

大阪人別に義理人情味にも溢れていなければ開放的でもない

しろ冷たい方であり人が倒れていても放置するか、もしくは見て見ぬふりをする人(一部はそうじゃない人間もいるが)の方が圧倒的に多い。大阪人敬遠する東京人間よりよっぽど冷たいし馬鹿に出来る立場でもない。下町っぽい浪○区や西○区でもこの始末なのである古来より大都市で人が各地に移動する必要がなかったのか土着の人間が多く、そのためか余所者地域から来た人間基本的に嫌い(特に関東九州人間田舎者だと思って下に見がち)で関西弁を使わなかったり面白くない人間は仲間でも何でもない部外者という認識。だから学校会社だと大阪人同士のコミュニティ余所者同士の2コミュニティが出来上がる構図となる。もちろん外国人だってから追い出したいくらい嫌っているし一切合切関わりたくないのが大阪人本音。そんな排他的地域でも人口はそれなりに居るから世の中はよく分からない物である

2020-01-23

イースター島マダガスカルニュージーランドハワイ

これ、某言語分布東西南北端。

ちなみに話者現在のマスはインドネシア

これだけでもびっくりだが、さらに驚きなのが、ルーツ台湾の山岳先住民の現地語という点。

てか、どうやって海を渡ったんだろ。

この言語を話すニューギニアの島々で、クラという海をまたいだ交易古来より行われていたことを踏まえると、やっぱカヌー

2019-11-15

anond:20191114145226

>「秘儀」とされ、殿の中で何をしているかが明かされない事、処女女官達のみと過ごす為、中で性行為をしているのではないか?と古来より語られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%98%97%E7%A5%AD

胸熱だな

2019-11-05

古来より倫理委員会PTA女性のものだったけど、

このままいくと、対抗の観点から男性倫理委員会PTAができて、

少女漫画女性向けコンテンツ男女平等観点から非難糾弾して差し止めに追い込む運動が発生すると思う。

2019-11-04

たまに東京略称として「京」が使われるけど本当に傲慢なんだよな

京急埼京線など「京」東京の略として使われることがあるけど不遜に過ぎる

「東の京」であることを忘れて「我こそが京そのものである」と言わんばかりのふるまいは目に余るものがある

「京」と言えば京都のことであり東京のことではないはずだ

京阪と言えば“京都大阪”であり、京滋と言えば“京都滋賀”なのが古来より常識である

京急埼京線は今すぐにでも東急、埼東線に名称を変更すべき

2019-10-27

稗田礼二郎天叢雲剣に雨を降らせる力が…?」

稗田礼二郎「ははは…そんな話は聞いたことがないよ」

森嶋帆高「でもみんなネットでそう書いてますよ。叢雲というのは雨を降らす雲のことじゃないんですか?」

稗田「叢雲というのは八岐大蛇の頭上に雲がかかっていたということから付けられたんだ。古事記にも日本書紀にもそんな記述はないよ」

稗田「あまりネットの話を鵜呑みにするのは良くないぞ帆高クン」

帆高「すいません…」

客A「見ろ!空が晴れたぞ!」

帆高「あっ…稗田先生!みてください!陽菜さんが成功したんだ!」

稗田(100%の晴れ女…まさか本当に?)

客B「虹も掛かって…新天皇を祝福しているんだ!」

帆高「わあ…縁起がいいですね!稗田先生!」

稗田「いや…何か気にかかかるな…虹というのは古代日本中国では凶兆ともされていたんだ」 

帆高「そうなんですか?」

稗田「ほら、虹という漢字には虫という字が使われているだろう…これは蛇と同じ意味だ」

稗田「虹蛇と言って、古来より虹は蛇や龍と同一視され、神格化されてきた。」

帆高「でも日本神話ではイザナギイザナミが虹をわたって地上に降りてきたって話があるみたいですけど、蛇は出てきませんよ」

稗田「またネットか?確かにそういった話はある。だがイザナギという名も、ナーガ、つまりインドの蛇神が由来だという説がある」

稗田「これはイザナミイザナギ神話によく似た構造を持つ中国の『伏羲女媧』が蛇神であることにも繋がるだろう」

帆高「虹蛇の神話にはどのようなものがあるんですか?」

稗田「代表的なのはアボリジニの始祖蛇エインガナ、ハイチに伝わるアイダ、またアフリカでは虹の蛇が世界創造を手伝ったとも言われる」

帆高「それならい存在じゃないですか。凶兆だと捉えるには…」

稗田「いや、この蛇を人間が怒らせると空や大地に体を叩きつけて災害を起こすとも言わてるんだ。荒れる川や地割れを蛇の姿と重ねたんだな」

帆高「それじゃまるで八岐大蛇じゃないですか!」

稗田「そうだな…虹の色は古来日本では8色とされていたともいう。八岐大蛇が虹蛇神話の変形である可能性もあるかもしれん」

帆高「じゃあ、あの虹はもしかして八岐大蛇が殺された復讐にやってきて…」

稗田「まさか八岐大蛇神話皇族祖先である天照大神とはなんの関係もない。あの天叢雲剣形代であって、本物は熱田神宮だ!」

陽菜「キャーーーッ!!!

帆高「陽菜さん!?

稗田「!?そうか!」

稗田「八岐大蛇が攫った宮簀媛は天火明命の子孫!天照とは別の太陽神だ!」

稗田「太陽神の力を受け継ぐ巫女天野陽菜天火明命の子孫だったんだ!」

2019-10-08

煽り運転に巻き込まれとき対処

煽り運転をする人はたいてい「無敵の人」と呼ばれる。文字通り、こちらの攻撃が一切通用しない状態だ。

古来より「鬼避け」と呼ばれるテクニックがある。車を乗り降りする際、僅かだがドライバーには無敵時間存在する。この性質を利用して、車から降りた直後にすぐ乗車するのを繰り返せば無敵→無敵がつながり敵の攻撃を交わすことが出来る。(通報は他の人にやってもらう)

またマジックユーザーなら、魔法を使い切った状態で空欄に合わせDボタンを押す事で本を読む動作をする。この動作中は無敵で、なおかつ無敵のバックステップでキャンセルできる。読書バクステ読書・・・と繰り返せば無敵を継続させつつ、安全避難することができる。

どちらも不可能場合は、動物を食べる事で生じる無敵時間を利用してつかみに行こう。

2019-10-03

人間差異をなくした完全に幸福世界

その異変を初めて体感したのは、日常のほんの些細な出来事からだった。僕はその日、幼馴染で親友の桐王寺勝也と一緒にいつもの通り学校から帰宅していた。通っている高校から僕たちの住む団地までの道のりには、三つほど信号横断歩道があった。僕たちはちょうど真ん中の横断歩道で、大きな荷物を抱えた一人のおばあさんを見つけた。まるでマンガアニメに出てくるような紫の大きな風呂敷を胸の前で結びこみ、マンガアニメのように身体をふらふらとさせながら信号を待っているマンガアニメのようなおばあさん。僕たちは顔を見合わせると、背後からそのおばあさんに話しかけた。

「おばあさん、荷物、重かったら僕たちが運んであげようか?」

勝也がそう言うと、おばあさんはピタッと動きを止めて、静かに僕たちの方を振り向いた。その顔には信じられないと言ったような表情。そして、口をわなわなとふるわせながら、しゃべる。

「今、なんて言った?」

その言葉には、人間の心に鈍感な男子高校生でもわかるくらいに怒気を孕んでいた。まさか言葉と表情に僕たちは面食らってしまった。僕たちは再び顔を見合わせた後、勝也がもう一度口を開いた。

「だから荷物重かったら運んであげようかって……」

「その前だよ!」

いきなりの大声に思わずビクンッと身体を張り詰めさせる僕たち。

「そ、その前って……?」

僕たちは後ずさりをしながらも、そのおばさんに尋ねる。

「アタシのこと、なんて言った!?

さらに大きな声で言うおばあさん。その衝撃波が僕たちの身体に当たる。

「お……おばあさん……って言いました……」

「そうだろうがぁ!」

おばあさんはそう叫ぶと、背負っていた重そうな荷物を振り回し、僕たちの顔めがけて投げてきた。

「うわっ!」

僕はとっさにかわすことが出来たが、勝也はもろにそれを喰らっていしまう。

「ぐへぇ

という声とともに、頭から倒れる勝也。そして、倒れた勝也の胸元に、すぐさま馬乗りになるおばさん。

「ちょ、おばあさん、何してんの!?

僕は慌てて止めに入るが、おばあさんの鋭いパンチが勝也の頬にはいる方が早かった。

「アタシの、ことを、おばあさんとか、いうんじゃ、ないよ」

「何してんだって!」

僕はおばあさんを羽交い絞めにした。なおもバタバタと暴れるおばあさん。足を限界まで伸ばして勝也を蹴っている。

「ッ本当の、ことを、いうんじゃ、ないよ!」

おばあさんはそう言うと、するりと僕の腕から抜け出し、大きな荷物を抱えてものすごいスピードでどこかに行ってしまった。

「なんだったんだ……?」

僕はその後姿を呆然と眺めるしかできなかった。そして、呻き声が耳に入り、我に返る。

「だ、大丈夫か?勝也!」

僕は勝也を支えながら、家に帰った。



翌日。勝也は顔を晴らしながらもいつもの集合場所に来ていた。

「勝也、大丈夫か?」

僕は開口一番勝也に具合を尋ねる。

「なんとか」

「……そっか」

僕たちはそのまま学校に向かった。学校に到着すると、昨日のおばあさんのことなんか忘れてしまうくらいの出来事が起こっていた。なんと、学校にあるありとあらゆる書籍教科書書類が校庭に集められていたのである

「あら、おはよう。二人とも。もう教科書は校庭に捨ててきた?」

クラス委員長生徒会役員も務めている八島真理がメガネを拭きながら教室に入った僕たちに尋ねてくる。

「え?いや、まだだけど……っていうか、どういうこと?教科書を捨てる?」

「ええ、そうよ。あんもの、早く捨てないと、先生に怒られちゃうわよ」

彼女はそう言うと、どこかへ行ってしまった。

「やめろ~!僕は、死んでもこの教科書は捨てないぞ~!」

大声でそんな言葉が叫ばれているのを耳にして、思わずそちらの方に目をやると、そこにはがり勉三俣啓介が先生たちに取り押さえられているところだった。

「ばかなことをいうな!」「早くこの子から教科書を!」

三俣を三人がかりで抑え込んで、教科書を奪う先生たち。

「やめろ、やめろ~!」

教科書を奪われた三俣はそれでも先生抵抗しようとあがいている。しかし、

「いい加減にしろ!」

という、先生の声とともに、三俣の顔に先生の蹴りが入る。ミキャという嫌な音があたりに響く。

「ッッ!?

三俣の声にならない叫びが聞こえた気がした。

「お、おい。早く俺たちも行こうぜ……」

昨日のことを思い出したのか、顔を蒼くしながら勝也が僕を引っ張る。

「あ、おい……」

僕は結局校庭まで引っ張られて、教科書や持っていた文庫本を捨てることになった。そして、授業が始まった。



今日は、私たち人間についてを授業で扱うことにする」

世界史七井がいきなりそんなことを言い始めた。僕と勝也は互いに顔を見合わせる。そうした瞬間、ちらっと空席が見えた。あそこは確か三俣の席だった気がする。あの後結局どうなったんだろうか。

「では、いきなりだが質問だ。われわれ人間は、みんな同じだね?」

七井がそんなことを聞いてくる。人間はみんな同じ、だって?確かに同じ部分もあるが、同時に違いもある。一概に同じだとは言えないはずだ。

はい先生

僕がそう思っていると、八島が手を挙げる。

八島君、どうぞ」

七井八島指定した。八島は席から立ち上がると、口を開く。

古来より人間には差異などなく、みな同質でありました。それは今も変わりません。なので、人間はみんな同じであると言えます

「その通りだよ、八島君」

七井は嬉しそうにいう。しかし、それに異を唱える者がいた。こちらもがり勉で、一番後ろに座っている一色だ。

「みんながみんな同じなんて、そんなバカたことありません。現に僕は目が悪くてメガネをかけているのに、彼女はかけていないじゃないですか!」

一色はそう言って八島を指さす。七井は一色に近寄ると、一式が欠けていたメガネをはずした。

「あ、な、なにすんですか!?

メガネを取り上げられて慌てふためく一色。七井はそんな一色のことを気にも留めず、手の中にあったメガネを握りつぶした。

「ああ~!」

一色の悲痛な叫び

「これで、同じだね?一色君?」

七井は先ほどの八島の答えを聞いた時と同じように、笑顔で聞いている。

「で、でも、性別だって違うし、体格だって違……」

一色はなおも食い下がろうとしたが、次の瞬間身体椅子ごと後ろに吹っ飛んでいた。七井が思いっきり一色のことを蹴ったのだ。そして、蹴られてうずくまる一色の近くにしゃがみ込み、再び七井は尋ねる。

「同じだね?」



その日を境に、世界は大きく変わってしまった。僕以外のすべての人が、人間はみな同じであるという考えを、まるで植え付けられたかのようにするようになった。やつらの言い分では、差異がないから、差別もなく、貧困もなく、幸福幸せ世界を築けるのだという。

僕は相変わらず学校に通っている。それは、僕が人間はみな同じであるという考えを持っていないということを知られないようにするためである今日も一日、学校が終わるまで何事もなく過ごすんだ……そうすれば、なにもされなくて済む。

ホームルームを始めるぞ」

担任の声で、我に返る。

今日は、皆に非常に残念なことを伝えなければならない」

淡々担任は喋り続ける。それが怖かった。

「どうやら、ウチのクラスで、同じ人間じゃあないものが逢いるらしいんだ」

ドキッとした。心拍数が上がるのがわかる。口から心臓が飛び出してしまうのではないかというほど急に心臓が動く。先生のその言葉で、クラスのみんなが一斉に僕の方を向く。

「えっ……」

僕は思わず声を漏らしてしまった。担任が僕に近寄ってくる。そして、笑顔で言った。

「同じだね?」

Happy End

2019-09-29

anond:20190929100221

結婚してくれるなら。

そういう性質があるから古来より簡単やらせるな」とか「同棲はするな」とか

捨てられる前に結婚までこぎつけさせるノウハウが編み出されてるんだろうな

2019-08-30

【必見】デカ主語を小さく見せちゃう裏技♪【痩せ見え】

ダメな例

日本人積極性に欠け、うじうじとしている。

男性は粗野で暴力的だ。

女性感情的で怒りっぽい。

いい例

日本人積極性に欠け、うじうじとした人ばかりに思えます

男性は粗野で暴力的である傾向がある。

女性感情的で怒りっぽい事が多い。

解説

ダメな例」の断定的な表現と比べて「いい例」は「そうで無い人もいる」という逃げ道を残しています。もちろん、この前では「主語を小さく見せちゃう」ではなく単に本当に主語を小さくしているだけになってしまます

そこで!

次の文では一気に畳み掛けて主語の大きさを有耶無耶にしてしまうのがコツ★

こうして考えてみると、日本人積極性に欠け、うじうじと人ばかりに思えます。この日本人性質文明開化以降、白黒はっきりした欧米文化の登場によって注目されるようになりました。しかし、日本人古来より積極性に欠けた人間であったことは、次の文献の一節からも見て取る事ができます

はじめの「日本人は〜」では積極性に欠けた人間が「多い」「ように思う」とかなり譲歩した表現にとどまっていますが、次の文の「この日本人性質は」では、「積極性に欠けうじうじとしている」が日本人性質として断定されています最後の「日本人古来より積極性に欠けた人間であったことは」などと、大昔からそうであったと言い切ってしまっています

もちろん、このようなテクニックを用いて主語の大きさを有耶無耶にし、畳み掛けるてしまえば文章は雑に見えてしまますしかし、大半の馬鹿主語がどんどん拡大されていることに気がつきません。

から、多くの著名人インフルエンサーと呼ばれる馬鹿を騙して有料メルマガ搾取する連中がこれと似た手法を使っています。はじめに提示した前提条件を巧妙に隠し、すり替えることで、自分の言いたいことを言いたいように言っているのです。

もちろん、論理の展開の粗雑さは丁寧に読めばわかるものです。だから有料メルマガなのです。馬鹿しか見せないことで、馬鹿だけを楽に騙すのです。主語の大きさに限った話ではありません。

投資アフィブログではよくこのような畳み掛けが読めます。「投資小学生でもできる(衝撃的な嘘)」→「投資に使われる云々は〜(関係ない話、小難しい話で曖昧にする)」→「つまり投資は凡人こそが勝てるのです(結論すり替え)」

これが顕著なのが、三田紀房の「インベスターZ」だ。はじめにドーンと反感を抱くようなことを言うが、きちんと読んでみればそのはじめの一言命題は真である、と結論が付けられることはない。

ってのでライン漫画で読んでびっくりしちゃったから読んでみてね!馬鹿な騙し方って本にした方が役に立ちそう!

って言う有耶無耶お話でした(ぶん投げ

2019-08-04

白米は2度死ぬ

日本(にほん/にっぽん)には古来より白米信仰存在した。

保存性の高さから年貢としても用いられてきた白米はいしかただの食品とは一線を画する物と信じられてきた。

白米は栄養価が高い。

白米は偉い人が食べるもの

白米さえ食べていれば幸せ

この神話とある病の発見により打ち砕かれる。

その名は「脚気」。

かい話は本題から外れるので結論から言えば、白米は万能の食品でなどでは全くなく、白米に偏った食生活栄養バランス崩壊を招くのである

こうして白米神話は1度は崩壊した。

白米神話戦争敗戦とともに蘇る。

物資不足の中、多くの食品庶民にとって貴重品となっていった。

あらゆる食べ物が貴重品となる中で、庶民が口にする機会の減少を最も嘆いた食品最大公約数こそが白米である

白米が万能の栄養を持ち合わせないという事実は、戦後の飢えた民衆とは無関係事実である

純粋カロリー不足による死すらも目前に迫る世界では、栄養という言葉カロリーという意味に置き換わる。

白米の持つカロリー純粋栄養として扱われ、カロリー不足という万能の死を回避する無敵の栄養商品として白米は再び蘇る。

飽食時代が再び白米を殺す

21世紀、日本食糧事情は大幅に改善されていた。

多量のカロリー摂取による成人病問題となるほどにまで。

栄養という言葉意味は、タンパク質や様々なミネラレル、ビタミンバランスよく取るという意味に置き換えられていく。

カロリー摂取目安は到達目標ではなく制限目標として設定されていく時代

嗜好性の高い書品の増加により街にはカロリーが溢れていく。

何気なく飲んだタピオカミルクティーの500㌔㌍と同じだけ何かの摂取を諦める必要があると人々が悩む時代

白羽の矢が立ったのは白米である

聖域となっていた白米はゆっくりとその神秘ヴェールを解かれていく。

白米が食べられることを有難がっていた時代、当たり前になっていく時代、そして食べないという選択肢に人々が辿り着いた時代

戦争という暗黒時代が1度は戻した時計の針、それは再び運命場所へとたどり着く。

白米2度目の死。

日本という国で最も名の知れたその食品が、食卓上の存在意義を問われる日がやってきたのだ。


出典:民明書房「白米信仰の死」

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