はてなキーワード: 所業とは
この度、節を曲げてNovelAI(以下NAIと呼称する)のサブスクを契約してしまった。
筆者はバチコリの生成AIユーザーであるが、あまり特定のサービスプラットフォームに依存することをよしとはしていない。
いつ何時ユーザーに不利な形で仕様の変更が行われるかわからないし、サービスが終了してしまえば利用の術は失われてしまう。
よって、NAIと契約するのは正直に言えば業腹である。この円安の時代、何が悲しくてわざわざドル決済の外国サービスなどサブスクして国富を流出させなければならないのか。
しかし悲しいかな、現状満足度はとんでもなく高いのである。以下、その理由について分析していきたい。
なお、本稿では生成AIに関わる法的、倫理的議論は行わないものとする。一消費者としての意見を述べるうえでは、あまりにも意見が取っ散らかりすぎるからである。
言うまでもないことだが、skebにせよ他の手段にせよ、イラストを依頼するということはその向こうには人間がいる。
生身の人間相手に自分のえげつない性癖をさらけ出すというのは、かなりハードルが高く業の深い所業ではないだろうか。
性的欲求というのは三大欲求の中でもっとも表沙汰にしにくいものである。
見も知らぬ相手であろうと望むところを赤裸々に語るのは憚られるし、知っている相手に対してはなおさらそうである。
別に健康な成年男女が互いに好き合ってイチャラブおせっせしてるだけなら大したことはないのだが、残念ながら欲望渦巻く快楽の園こと現代日本に生れ落ちてしまった我々はそうはいかない。
性癖は枝分かれし細分化してヘンテコな方向にひねくれねじ曲がってしまっている。浮気NTR快楽堕ち程度ならかわいいものだ。
平たい胸族にスイカサイズの乳をぶら下げさせ、原作のキャラを無視して脈絡なく尻軽ビッチギャル化させる。
下手をすると(生命の有無を含めて)人間でなくなる。ゾンビ化とかキョンシー化ぐらいであれば人間の形を保っているからまだいいだろう。
筆者は大体何でもいける口であるが、ただ蟲化だけはどうにもいけない。好きな人がいるというのはわかるので否定するつもりはないが、ただ個人的にはどうにもあれでは致しかねる。
なんにせよ冒涜的ではあるが、それで興奮するというのはわかってしまうのでどうしようもない。中にはそのキャラである必要は果たしてあるのか?くらいの物もあるのだが、何と仰る兎さん。そのキャラでなければ駄目なのだ。
たれさえ旨ければ別にかば焼きにするのは鰻でなくてもよさそうなものだが、鰻のかば焼きだと思うからこそ旨いという一面は間違いなくあるのである。
閑話休題。ともあれ、人間相手に依頼をする場合にはどうしても一定のブレーキが意識的にであれ無意識的にであれかかってしまう可能性がある。
というかそもそも、人間相手に一定の節度と形式を保った文章を書くのは疲れる。相手の気分を害さないようにしなければと考えただけでキーを叩く指がおぼつかなくなる。
他方で、NAIに画像を出力させようとしてプロンプトを打ち込むにあたっては、そこに遠慮を差し挟む余地はない。
ただただ己の欲望に忠実に思い付く限りのリビドーを込めて単語を羅列すればよいのである。
別にNAIは内容を考えて画像を生成する訳ではないのでヘンテコな画像になることも多々あるが、少なくともそこには遠慮も忖度もない。互いの本音と本音のぶつかり合いである(NAIに意識はないので本音も何もないが)。
あとはNAIがいい感じの画像を出してくれるようにプロンプトを調整していけばいい。
「大和国はそんな事しねぇ~~~...!!」というシチュエーションの時ほどこれは効く。
上等の料理にマヨネーズと醤油をぶっかけて旨い旨いと言っているようなものなのでそのキャラが好きな人に依頼するのは憚られるし、かといってミリしらな人に話を持っていくのも完成度という点で不安がある、というような場合にNAIはうってつけなのである。
なんといってもNAIは絵が出てくるのが早い。確かSDXLベースのモデルだったと思うが、1024×1024のサイズで生成にかかる時間というのは10秒程度だろうか。
ローカル環境ならもっと短い時間で作れるという話はあるだろうが、ベッドの上でスマホぽちぽちするだけでいいという点ではNAIにアドがあるといっていいだろう。
人間相手とはもう比較すべくもない。下手をすれば既存の絵をPixivやらで探すよりよほど手間がかからない。
息子はシコりたくなったときがシコり時である、という事実を考えた時、プロンプトさえあれば見たいものをそれなりに再現した画像がほぼ即時に作れるというのは実に実用的であると言わざるを得ない。
早さという点では特にこれ以上言うべきことはないため、早々に次の項目へ移りたい。
現在筆者がサブスクしているのはOpusプランである。これはNAIのプランの内では最も高額であり、月額25ドルかかる。ぶっちゃけサブスクとしては安くない。
例えば動画配信サイトのU-NEXTは月額2,189円(税込)であり、電子書籍の読み放題を提供しているAmazonのKindle Unlimitedは月額980円(税込)である。
月に4000円弱(筆者決済時点の実績値による)というのは明らかに高い。
……が、こうしたサブスクとNAIとではサービスの種類が異なる。動画配信や電子書籍の読み放題というのは、つまるところ既存のコンテンツの中から自分が観たり読んだりしたいものを探して、(運よく)それがあったら楽しむ、というタイプのサービスである。
楽しめそうなものがなければそれまでだし、探すにも時間はかかる。
キンリミの場合は複数冊あるシリーズのうち最初の1巻、もしくは数巻だけ無料で続きが気になったところであとは購入してね♡というものも多い。
最初の1巻だけが無料ならまだいい方で下手すると最後の1巻だけ有料という場合もある。起承転まで読ませて結は単品で買えということであり、そうすると最後の1巻だけ買っておいてもしょうがないので他の巻も結局揃えることになる(ずっと借りっぱなしにしておいてもいいのだがそうするとその分だけ読み放題で借りられる枠が埋まることになる)。まったくもって商売上手だ。これだからビッグテックは恐ろしい。
いや、キンリミの商業戦略の話はこの際どうでもいい。要はこうしたコンテンツ提供型のサブスクにおいては契約者は受け身の立場だということを言いたいのである。
ちなみにFANBOXなどもこうした受け身型のサブスクと言ってよいのではないかと思う。クリエイターの創作活動を応援云々とは言い条、実態としてはどう考えてもイラスト等のコンテンツを見たいがために支援ボタンを押している人が大多数ではなかろうか。
それに対し、NAIは契約者自らがコンテンツを作り出す立場である。実際に作っているのはNAIだが、どういうコンテンツを作り出すか、指示するのは契約者である。結果として、提供されるコンテンツは常に契約者が見たいもの、もしくは少なくともその方向性に沿おうとしたものということになる。
更に、Opusプランの場合一定の大きさ以下の画像については作り放題、つまり生成に必要なポイントであるAnlasを消費しない。本プランでは一か月につき10000Anlasが付与されるが、ぶっちゃけ使わなくても十分実用性のある画像は作れる。普通サイズ(1024×1024の正方形を基本として、832×1216の縦長や横長を含む)のAnlas消費量が確か20だったと思うので、500枚作れば元は取れる計算である。500枚も作らないだろ!と思うかもしれないが、このくらいはすぐに消費してしまう。ちなみに本プランで付与されるAnlasには一か月の使用期限があるので、ラストエリクサー症候群に陥らないよう余裕を持って消費するようにしておきたい。
さて、25ドル……日本円換算で4000円としよう。4000円を500枚で割ると、1枚あたりの金額はいくらになるだろうか。そう、8円である。1枚あたり8円である。安い。今調べたところ緑豆もやし200gのパックが19円(税込8%)だったが、それよりも半額以上安い。某もやしパーティーアイドルも納得の価格であろう。こんな低価格でオカズを賄えて家計も大助かりである。
まあ上記はあくまでも計算上の話であって25ドルの支出は25ドルの支出なのだが、リターンを考えればそれだけの意味のあるサブスクということにはなるだろうと思う。パッケージングされたサービスではなく利用コンテンツに対する金額ということで考えればこれほど費用対効果の高い課金はそうはない。
AIによる画像生成サービスを提供しているプラットフォームはNAIに限られない。国内でもAIのべりすと(本来は小説執筆がメインというところでNAIと似ている)が有名どころだし、筆者は使ったことはないがPixAIやそれ以外にもなんかいろいろとサービスは存在する。CivitAIでも生成は出来る。
が、こと既存キャラの二次創作という点ではNAIを超えるものは現状ないのではないだろうか。よくも悪くも他のサービスを使う場合には一定の習熟が要求されるが、NAI、特に現状の最新モデルであるv3は概ね直感的な生成が可能である。キャラ名と登場作品名、シチュエーションあたりをぽちぽち入れて生成ボタンを押せばそれでいい。不要な要素が出てきたらそこで初めてネガティブプロンプトを使用するくらいであろうか。逐一LoRAを作ったり探したり適用したりせずともいいのは実に強い。なんだったらいい感じの画像が見つからないキャラはNAIで作った画像でLoRAを作ったらいいんじゃないかと思えるくらいにはいい雰囲気の画像が出る。
無論、画像生成AI、もしくはSD系の現時点での宿命として、あくまでも出てくるのは「それっぽい」キャラの画像に過ぎない。例えばニニンがシノブ伝のシノブの画像を生成しようとすると、シノブの鉢巻きの顔マークがなんかよく分からない点が4つくらいある黄色の丸になってたりする。人間、特に熱心なファンや「神絵師」による二次創作には及ぶべくもない。しかしそんなことはどうでもいいのである。シノブの二次創作なんぞ今日日誰がどれだけ描いてくれるというのか。最近PixivでもTwitterでも流れてくる絵と言えばVTuberかブルアカか、ぐらいの感じである。なんか一時期飽きるほど見たアズレンの絵も最近はさっぱり見ない気がする。単に筆者のTL構築のせいかもしれないが。
いや、別にそれが悪いというつもりはない。みんな好きなものを好きなように描けばよいのである。ただ、筆者のように最近の流行に今一つ乗れておらず、さりとてSkebでわざわざ依頼したり自分で描いたりするには熱量も根気も足りないというような者にとって、NAIv3は確かに一服の清涼剤であり、また福音である。ギャルのパンティーよりもドロワーズが好きな者は間違いなくいるのだ。
つらつらと駄文を書き連ねてきたが、つまるところ、NAIというのはファストフード、もしくはジャンクフードなのだ。早くて安くて、それなりのクオリティのオカズが出てくる。スマホ程度の画面で見るなら画質も十分である。多少瞳がぐちゃってようが服と髪が癒着してようがどうせシコるときに見てるのはちちしりふとももと全体の雰囲気くらいのものである。なんならよく出てくるセリフとか擬音っぽいなにかですらシコリティを高めてくれる。つくづく人間の業は深い。
息子は正直である。実用に足る、自分の性癖に正直な絵をいくらでも出せるとなれば4000円弱の月額課金などはした金に過ぎない。
先日転職説明会に行ってきた。地元企業が10社ほど出展する小さいイベント。
入口を通るときに出口付近でスーツ姿の中年〜20代の数人の男女が固まっており、転職者同士や出展企業かな?と考えながら入場した。
街まで出てきたので予定を済ませるために急ぎ足で会場を出ると、固まっていたスーツ姿の中年たちに呼び止められた。出口調査かな?でも受付でシートを記入したよな、と思い足を止めると、野良出展企業だった。就活をしていたときにも合説の会場付近で似たような企業に引っかかったことがあった。当時は若かったのでホイホイ話を聞いていたけれど。今はきちんと出展手順を踏んでいないのにおこぼれに預かろうと出口で待ち構えている根性に嫌気が差して、でも一応話を聞くふりをした。
ただ、その野良会社、弊社に保険の営業にきている会社だった。上司や同僚の奥さんがその会社に数名転職した話を聞いたことがあって、なんでそんなに営業先の人を取り込むんだろう。スカウトするにしても雑だなと感じていたが、この所業を目の当たりにして納得がいった。
転職理由を聞かれて人間関係(嘘)と答えたら、うちは女性は外回りするから社内で関わる機会は少ないから!と謎のフォローをされたり、こちらが「でも、他県に転勤どころか部署異動もないんですよね(出入りの保険屋なので地元採用のみということは知っている)」と聞くと「そうだけれど、外回りしている女性は男まさりだから女同士の嫌がらせはない!」と頓珍漢なことを言われて、温情の気持ちがなくなったので途中で切り上げた。本当に急いでいたし。
転職説明会自体は興味深い企業もあったので行って良かったけれど、最後の最後でモヤッた。野良会社がやっていることは別に違法でもなんでもないし、むしろ自分等要領が良い〜〜〜っと思っていそうだな。
先日転職説明会に行ってきた。地元企業が10社ほど出展する小さいイベント。
入口を通るときに出口付近でスーツ姿の中年〜20代の数人の男女が固まっており、転職者同士や出展企業かな?と考えながら入場した。
街まで出てきたので予定を済ませるために急ぎ足で会場を出ると、固まっていたスーツ姿の中年たちに呼び止められた。出口調査かな?でも受付でシートを記入したよな、と思い足を止めると、野良出展企業だった。就活をしていたときにも合説の会場付近で似たような企業に引っかかったことがあった。当時は若かったのでホイホイ話を聞いていたけれど。今はきちんと出展手順を踏んでいないのにおこぼれに預かろうと出口で待ち構えている根性に嫌気が差して、でも一応話を聞くふりをした。
ただ、その野良会社、弊社に保険の営業にきている会社だった。上司や同僚の奥さんがその会社に数名転職した話を聞いたことがあって、なんでそんなに営業先の人を取り込むんだろう。スカウトするにしても雑だなと感じていたが、この所業を目の当たりにして納得がいった。
転職理由を聞かれて人間関係(嘘)と答えたら、うちは女性は外回りするから社内で関わる機会は少ないから!と謎のフォローをされたり、こちらが「でも、他県に転勤どころか部署異動もないんですよね(出入りの保険屋なので地元採用のみということは知っている)」と聞くと「そうだけれど、外回りしている女性は男まさりだから女同士の嫌がらせはない!」と頓珍漢なことを言われて、温情の気持ちがなくなったので途中で切り上げた。本当に急いでいたし。
転職説明会自体は興味深い企業もあったので行って良かったけれど、最後の最後でモヤッた。野良会社がやっていることは別に違法でもなんでもないし、むしろ自分等要領が良い〜〜〜っと思っていそうだな。
昨今のディズニーの政治的、ジェンダー的思想が見え隠れする作品作りは本当にうんざりしてる
原因は15年もCEOをしてきてディズニーを「アニメスタジオ」から「マスコット売りの会社」へ成長させたボブ・アイガー
彼のおかげでディズニーは持ち直した部分もあるけど、彼のせいでディズニーがLGBTQ論に傾いたといっても過言ではない。
でもディズニーはダメだ なんでそれをアピールする場がディズニーじゃなきゃいけないんだ
ウォルト・ディズニーが特にアピールしてたのは、積極的に未知の世界をたずね自発的に学ぶことの楽しさを若い世代に伝えることであって
LGBTQは別に未知の世界でもなんでもない。寧ろ日常に溶け込まそうと躍起になってて気持ち悪くもある
現にD社は上記を理由に訴えられてると聞く ざまあと言いたくなる気持ちを分かって欲しい
今はワンス・アポン・ア・スタジオを今のD社が出すこと自体が滑稽でならない
あの作品自体は素敵だ。ウォルトを大切にするミッキーが愛おしくてたまらない
ウォルト・ディズニーの大切にしてきたもの全部を踏みにじってるくせに
ウォルト・ディズニーは続編は想像力を失わせるから作らない方針だったのに
今のD社にワンス・アポン・ア・スタジオを作る資格はないとおもう
売れもしない続編ばかり作ってお茶を濁し続けている
確かに企業として大きくなった手前、資金稼ぎが必要なのはわかる
でもそれにしたって新作が作れなくなりすぎてる。
そりゃ~~~そうだよ
ここ数年の戦犯はボブ・チャペック
アイツ本当に嫌い ガチで嫌い
心底嫌い 恨みが凄い
・ディズニー作品しかなかったディズニープラス(以下Dプラ)でネトフリとバトルしようとして、がむしゃらに作品数を増やすべくDプラの月額料金を値上げ
・結果としてDプラは中途半端に韓国ドラマと日本のアニメまみれになった。なんならD作品いくつか消してた(憎悪)
・ネトフリとバトルする為に大口叩いて本国の資産家に資金募りまくってたけど結局200万人登録解除をさせて大赤字叩き出してた
・LGBTQの思想をアピールする為に新作もそれに則ったもの。実写の女優も思想に賛同できる奴を率先して選びにかかる(憎悪)
・LGBTQの思想に則ってない作品は面白くても却下 LGBTQをアピールできる作品でないと面白い作品すら世に出せない
・実写をバンバン作ろうとして化け物実写を連発させた(恨んでる)
・展開も変えた 曰く現代の思考に合わせる為とは言ってるけど、結局LGBTQを押し付けたいからだとおもってる
・前作までの主要製作陣が9割居ない中でトイストーリー4をごり押しした(現在トイストーリー5も製作中らしいのでやっぱりアイガー嫌い)
・D社をここ数十年最高にLGBTQ思想に則ったスタッフまみれにした(大戦犯)
もう ひどい
ひどすぎる
ディズニーに恨みでもあるんか?
ピーターパンも大好きで なんの思想も抜きにディズニー作品が好きだ
ウォルト・ディズニーが好き
続編たち、リトルマーメイド2なんかもシンデレラ2なんかも好きだ
でもポカホンタス2、おまえはダメだ 幼い子供にトラウマを植えすぎた
なんだかんだ心のそこから愛してるからこそ、ディズニーが虹色の旗掲げてる今が本当に辛くて苦しい
このCEOたち、ボブ・アイガーもボブ・チャペックもパークの運営は非常にお上手な方らしいけど 日本はオリエンタルランド運営だからあんまりわかんないね
ボブ・チャペックを指名したボブ・アイガーはとっととディズニー立て直してくたばってくれ
それかLGBTQ思想から外れた有能な人種が回りにいれば、その人に託して隠居していてくれ
頼む ウォルト・ディズニーを愛した誰かがD社のトップに立ってほしい
じゃなきゃ私が行く 本当に辛すぎて経営も英語も勉強しはじめた私が行く
一刻も早く ウォルト・ディズニーが愛したスタジオに戻ってくれることを祈りたい
どうか
ミームだから広告でも同じ意味を採用してるに違いないってキチガイの所業だよな。
「〇〇松」を使ってるからおそ松ファンをバカにしてるに違いない。
ようやっとこういう言説が出てきたな。
ナチスドイツの所業と日本の植民地批判が同列に語られてきたせいであらゆるロジックがおかしくなってしまったが
根本的に別物よね。
このせいで反省すべき点・行った行為の検証・謝罪の仕方 etc...
が全てバラバラで全然比較検討ができなかったんだけどようやっとまともな議論になるかも。
皆見て見ぬふりして滅茶苦茶になってたんだよな。
もし反省すべき点が"植民地主義"に絞れるのであれば、議論の焦点は日本だけではなく
主要な西洋国家(イギリス・フランス・オランダ...)も射程に入ってくる。
彼等と話すとよくわかるが、植民地主義を批判しているので"我々は日本より道徳的高みにある"と心の底から信じてるよのよね。
でも、具体的な事例について話すと知らなかったりする。
以前にネットで議論した外国人で、日本の植民地主義批判しながら、フランスのアルジェリアの件とか、植民地を手放すのが実は日本より遅かったのを知らなかった人がいた。
・(筆者男です)(追記しました)男だけど異常に胸がデカいキャラが苦手
ttps://anond.hatelabo.jp/20240208215941
ttps://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5
先日、これらの記事を発端としてインターネットでは何度目かの「女性オタク界隈特有の文化に男オタクがたまげる」イベントが開催された。
件の記事がどれだけ性格かは定かではないが、女性と思われる一部のアカウントらの反応を見る限りはそう大きく間違ってはいないように思える。
(私見を述べさせてもらうなら女性オタクにはクレーマー気質の人間が多いというよりは男性オタク界隈でもクレーマー気質の人間は発生しているが無視されるかボコボコにされるかの二つが殆どでその一方で女性オタク界隈ではそのような人物相手でもまともに取り合ってしまう人が現れてしまうため増長されやすいという構造があるのではないかと考えている。)
本題に入ろう。実はこの手のイベントが開催される度にいつもとある考えが自分の頭の中に渦巻いていた。
「自分がいた頃のアイドルマスター界隈にもこういう所があったな」と。
自分は既にアイマス界隈から距離の遠いところに来てしまって久しいため今でもアイマス界隈が当時のままなのかは判りかねるが、当時のアイマス界隈でも所謂「学級会」や「お気持ち表明」と称されるイベントは定期的に起きていた。
ちなみに内容はというと「担当アイドル※の設定が変更されてしまった」「担当アイドルのイベントでの出番が少ないような気がする」「一向に担当アイドルのCVが決定しない」「担当アイドルのSSRが後回しにされている気がする」といった主に担当アイドルの扱いの悪さに対する不満が殆どである。
※厳密には異なるのだが概ね「推し」のようなものだと思ってもらって構わない。。
そうしてこの手の話題になる度にアイドルマスター界隈(と女性オタク界隈)の性質について少しずつ考えていたが、この度ようやく考えがまとまったためここにそれを垂れ流すことにした。
といってもそこまで難しい話をするつもりはなく、言葉にすればシンプルな事である。結論を先に書かせてもらうと要するに重要なのは「その作品に対してどれだけ『真剣(マジ)』になっているオタクがいるか」という事である。「どれだけ深く入れ込んでいるか」と言い換えてもいい。
念の為に予め言っておくがこれに揶揄の意図は一切無い。しっかり線引きはしましょうという留保くらいはつけておくが元アイドルプロデューサーの自分としてはむしろコンテンツに真剣(マジ)な姿勢で挑む事には好意的ですらある。学校の文化祭だって斜に構えた態度でいるよりも真面目に取り組んだ方がなんだかんだ満足感が高い訳だし。
正直に告白すると、男性オタクよりも女性オタクの方が真剣(マジ)なオタクの割合が高そうだという偏見が自分にはある。創作経験があるオタクの多寡。ミームや定型文に頼らない感想の出力。フィクションの展開の影響を受けて実際に体調を崩す。推しと対面して泣く。ライブで気絶する。同担拒否。いずれも(男オタクにもこういう事例が無い訳ではないだろうが)女性オタクによく見られるケースという印象が強い。
アイドルマスター界隈もまた同様に真剣(マジ)なオタクの多い界隈である。(もう一度記しておくがあくまで自分が界隈にいた当時の印象と伝聞を元にした話であり今でもそのままなのかは判らない)
何故かというと、それはアイドルマスターがリアルとフィクションの境目を壊す試みにずっと大真面目に取り組んできたコンテンツであるからだ。ぶっちゃけ異常者の域に片足を突っ込んでいる。
例えばアイマスのライブには演者が自身が演じているキャラクターを舞台上で「再現」するという文化がある(もしかしたら他の二次元アイドルコンテンツにもあるかもしれないが)。あれは自分に言わせれば二次元上のキャラクターを三次元の人間の上に降ろそうとする一種の降霊の儀式だ。声優ネタがキャラクターに逆輸入されるかつての風習もその精神性の延長線上にあったものだと自分は解釈している。
それになんでも最初のアイマスであるゲームセンターのアーケード版の時点からフィクションがリアルに侵食してくるような試みは存在していたそうだ。なんと、しばらく店舗に通っていないとプロデューサー(プレイヤーの事)に見捨てられたのではないかと不安になったアイドル達が実際にEメールを送信して切実に訴えかけてくるというのだ。今やバンダイナムコの常套手段である「女の子」を見捨てられないという男の本能、その脆弱性を突いた卑劣な人質商売がこんな早くから行われていたとは、驚きの極みと言う他ない。
当時が全盛期だったニコニコ動画という動画サイトに、原作ゲームの動画を編集して制作した担当アイドルの自作MVを投稿したり、担当アイドルの二次創作小説・紙芝居(ノベマス)を投稿したりして、それで同志である視聴者とコメントで交流していていたニコマスという文化も、リアルとフィクションの境目を曖昧にし自分はこの子の担当プロデューサーであるという自覚、いや錯覚を強める事にきっと大いに貢献した事だろう。残念ながら自分は世代ではないため当時の空気感を伝聞や当時の動画を視聴する事で推し量る事しかできないが、自分にはこの時代が「プロデューサー」というロールプレイをするにあたって最も恵まれていた時代だったように思えてならない。
そしてそのリアルとフィクションの境目を壊そうとする姿勢は「シンデレラガールズ」(デレマス)にも受け継がれる(デレマスの場合は商売っ気がやや強すぎる気もするが)。
代表的なものはやはり悪名高い「総選挙」システム、そしてそれに端を発する声有り・声無しという概念だろう。初期のデレマス(当時はモバマスと呼ばれていたそうだ)はどのアイドルにもCVが付いておらず、ゲーム内のイベントであるシンデレラガールズ総選挙で上位に入賞するとそのアイドルのCDデビューが決定し、それに伴ってCVも決定するという流れがあったらしい。勿論、ここでいうCDデビューとは現実世界でそのアイドルの歌とトークが収録されたCDが売り出されるという意味であり、故にデレマスPにとって総選挙とは「実益」が絡む完全に「現実」の話となる。
そしてデレマスの総選挙における「有権者」とは、(奇妙な日本語ではあるが)プロデューサー(ユーザー)の事である。そのため同じ現実の人間である同僚プロデューサー達に対して担当アイドルのプレゼンもとい演説を行い、投票を呼び掛けるというまるで現実の選挙のような活動を行うインセンティブが発生する。その「選挙活動」に端を発する文化として、互いに手持ちの票の一部を相手の担当アイドルに投票し票交換を行うグループが現れたり広くプレゼンを募って気に入った担当アイドルに手持ちの票を分けるユーザーが現れたりなどがあるが、最も自分の印象に残っているのはやはりプロデューサー自身のインフルエンサー化であろう。それもプロデューサー活動の末に自然と自分も有名になっていたという結果論ではなく、みんなに担当アイドルの魅力を知ってもらうためにはまずは自分自身が有名になり影響力を持つ存在にならねばという戦略ありきである。自分もプロデューサーの端くれとして彼らがそうした理由は理解できるし感情についても共感はできるつもりなのだが、やはりこの現象を俯瞰で眺めた時にどこか滑稽である事は否めない。(こうした現象は現実にも存在し、例えば作品を宣伝するために自分自身が有名になる事を出版社から求められる作家アカウントなどがある。)
シンデレラガールズとは姉妹のような立ち位置にある「ミリオンライブ」(ミリマス)にもこの選挙というシステムを採用したイベントが存在する。とはいえミリマスの場合は提示された幾つかのテーマにそれぞれ登場する幾つかの役の枠を奪い合うというルールであり、フレーバーとしては選挙というよりはむしろ公開オーディションと表現した方が近い。そして当然これも現実でCDとして発売されるため、やはりミリマスP達もデレマスP達と同様に戦場に赴く事を半ば強いられている状況下にあると言っていいだろう。
そうはいってもデレマスと違って最初から全員にCVが付いているミリマスでは声有り声無しの格差が存在しないぶん比較的平和なのではないかと思う人もいるかもしれない。その見方に一理ある事は認めよう。だが、ここにもまたここだけの地獄があるのだ。
ミリマスの選挙イベント最大の特徴はゲーム内の特設ページにてそれぞれの役の得票状況がリアルタイムで確認できるという点だ。端的に言って心臓に悪い。例えば自分の担当アイドルが他のアイドルと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたりなどしたらもう大変だ。そのうえ対抗馬が主人公で自分の担当アイドルがラスボスであるかのような風潮が界隈に浸透し、ジワジワと追い上げられ始めたりなどすればもう終わりだ。いや、終わった。
ちなみにリアルタイム故に成立するミリマス特有の戦略として、特定の時間帯に集中的に投票を呼び掛ける一斉投票という戦略がある。逆転の雰囲気を意図的に生み出す事で同陣営にはこれだけの数の味方がいるのだという安心感を与えて戦意を維持してもらい、逆に対抗馬にはプレッシャーを与えて戦意の低下を狙い、更には浮動票層の関心を惹いて余った票の使い所をアピールする事もできる、気取った表現をさせてもらえば一石三鳥の戦果を狙う事ができる戦略である。まあ、最も効果があるのは手持ちの票が潤沢な最初の一、二回程度でそれ以降は尻すぼみのように効果が小さくなっていくのだが。ただしこれはあくまで当時の話であり、メタゲームが回りきっているであろう今でもこの戦略が有効なのかは既にアイマス全体から離れて久しい自分には最早判りかねる事である。
(誤解の無いように書いておくと自分がアイマス全体から距離を置くようになったのはこのようなプロデューサー活動に嫌気が差したからではない。むしろこういった選挙系イベントはアイドルマスターというコンテンツにおける醍醐味の一つですらあると思っている。確かに当事者にとっては入れ込めば入れ込む程苦しくなっていく地獄の催しかもしれないが適切な距離さえ取れればこれほどエキサイティングなイベントもそう無い。自分がアイドルマスター界隈から離れたのはこの終わりも無ければ変化も無いサザエさんのようなコンテンツに追い続ける意味を見出せなくなったからだ。端的に言うと、ただのマンネリである。商業的には到底採算が採れない企画だろうが個人的な願望を言わせてもらえば、リアルタイムで一年の時が経つ毎に作中でも一年の時が経ち、アイドルも一つ歳を取り、そしていつか終わりを迎える。そういうアイドルマスターを今は体験したいと思っている。Vtuberではダメだ。リスナーではVtuberと一対一の関係を築く事はできず、所詮はただの one of them にしかならないからだ。だからアイドルマスターでなければダメなのだ。)
今もう無くなったがある時期までのアイドルマスター界隈の一部(?)には「『担当アイドル』と『推し』は別物だから一緒にするな」という風潮が確実に存在していた。ここまで読み続けてくれた人であればもう理解してもらえるだろうが、当時のアイドルマスター界隈において「担当する」という言葉は「推す」とは異なり相応の責任を負う覚悟があるという意味を含んだ重みのある言葉だったのだ(とはいえそれは無論ロールプレイの範疇に収まる程度のものでしかないが)。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰でも担当プロデューサーを名乗ってもよいとされている時代の今時のプロデューサーからしたら到底理解できない馬鹿げた異常な感覚かもしれないが、これもアイドルマスターがかつて有していた一つの側面だったのだ。運営側の人間でもないのに架空の版権キャラクターの世間への売り出し方を真剣に悩む、そんなプロデューサーがかつてはいたのだ。そしてこんなに真剣(マジ)だからこそきっと学級会やお気持ち表明も起こりやすいのだろう。
これを読んで「アイマス怖……近寄らんとこ……」と思った方は安心してほしい。運営ももう時代にそぐわないと判断したのか今のアイマスは比較的カジュアルなスタイルになっており、そこまで気負わなくても気軽に遊べるようになっている(はずだ)。だから興味があるなら軽い気持ちで手を出してくれて構わない。あとはバンナムが二度とは戻れない深い沼の中へと勝手に引き摺り込んでくれるから。
この記事で自分が言いたかった事はひとまずこれで全部だ。ここからはほぼ余談になってしまうがせっかくだからシャニマスについても触れておこう。流石にこの時代になると他のアイマスで見られたようなプレイヤーに責任感を感じさせるような取り組みは無いのだが、リアルとフィクションの境目を壊そうとする点ではシャニマスもしっかりアイドルマスターの一員である。ただシャニマスの場合はシナリオ中の表現・描写・演出等によってアイドル達は現実に生きている人間であるとしてその日常の一コマを写真のように切り出そうとするというストロングスタイルであり、自分の語彙ではこれ以上の説明はなかなか難しい。他の取り組みとしては普段アイドル達が使用している靴箱(靴入り)の再現セットの展示、畳まれていたり畳まれていなかったりするジャージが床に置かれているレッスン室の再現セットの展示、ほとんど環境音しか収録されていない事務所内の定点カメラの映像を六時間ぶっ続けでYoutubeで配信するなどがある。どれも意図は理解できるがどこか変態の所業じみた取り組みばかりになってしまうのは少々困り所だ。
ここまできてアイドルマスター界隈でもあり女性オタク界隈でもあるSideMに触れないのも不義理な気もするが、他のアイマスと比べると中途半端にしか触れられておらず界隈の雰囲気についてもあまり詳しくないので正直語れる事があまりない。何か言える事があるとすればせいぜい「いい加減Mアニ二期を制作しろ」という事くらいだ。偉そうなタイトルにしておいて肝心な部分がこの体たらくなのは申し訳なく思っている。本当にすまない。
火元
https://twitter.com/nira3064/status/1759086160650121623
>地下鉄サリン事件では13人亡くなり、サリン後遺症で25年の闘病の後に令和2年3月に逝去した方もいる。
>他にも沢山の事件がある、その中心人物をこんな風にしてイイネでバズってるのおかしい.
>リプに「不快になる人がいるから」ともあるけどそんな問題ではない。作者だけではなくイイネした人良く考えて
>可愛く消費していいものじゃない
>母親が最後まで庇った一歳の子どもがきっと死んだ後さえも母親を恋しがるのが分かっていたからわざと離れた所に埋めた。
>彼らが死体を埋めた穴からは犯人達が食べた蟹の殻が一緒に見つかっている。動物以下の所業。
>かわいい?吐きそう。
日本を破壊するレベルの犯罪をやり、被害者の方が今も大変な苦しみを抱えている事件の首謀者をキャラにしてはいけません
事件の前、日本の多くの人は、テレビや雑誌でおもしろキャラとして扱われたことで油断してしまった。人命が失われた
https://twitter.com/May_Roma/status/1759616973669888073
助けて表現の自由戦士!
振袖は着たくない。
大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。
2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。
だけど、成人式=振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分のファッション美学に反するだとか、適当な理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元に友達がいないので式自体は出ていない)
わたしの振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。
そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。
最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹の貸衣装を覗いてみたりした。
けど、親が寝た後の暗いリビングのテーブルに、ぽつんとパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレットの幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。
お母さんに感謝。
一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう。
けど、わたしは忘れない。忘れていない。
幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。
両親が離婚して、変わった苗字を学童でからかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親の背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。
テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫。
正直、これを書きながら涙が止まらない。
ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。
「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。
母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから、母親に、「普通の母親が享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから、振袖を着たくないと思ってしまうのだ。
メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖を回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだから、わたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?
言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたしは結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたしは卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態の人間が振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。
ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう。
丸めてゴミ箱に突っ込まれたパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。
いや、決してそうとは思わない。
Abemaプライムはしょせん上級弱者にスポットライトを当ててジャーナリズムごっこをやっているだけの「丁度いい」番組に過ぎないからだ。
10点満点でのジャーナリズム戦闘力が、東京12チャンネル時代の田原総一朗の突撃取材が9点、噂の眞相(というか岡留安則)が8点だとすると、Abemaプライムは2点あるかないか程度だ。
ちなみに、そんな風に世間に対してマイルドな「今どき珍しく硬派なジャーナリズム精神見せてまっせ」詐欺を働いてるAbemaプライムを非難する気はさらさらない。不幸になる奴がいないような詐欺だし。
むしろ、仕事というもので損得度外視のロマン出すことがキチガイの所業としか見なされない昨今の労働最適化のパラダイムでは、Abemaプライム的なやり口はテレビ屋サラリーマンとしてクレバーと評さざるを得ない。
貧困女子大生や性犯罪被害者や自殺未遂経験者やシングルマザーの特集を見て15分くらい心を痛め、飯食って風呂入って寝て起きて仕事して帰宅してAmazonで「社会問題」とか「プログラミング」にまつわる書籍をポチって全く読まずに積んで……Abemaの特集を単なる日常の娯楽にし、安全地帯から平時の栄養として摂取する層がメイン視聴者なのだから、本当の弱者にはスポットライトを当てるべきではないのだ。
そこまでいくと娯楽にならなくなり、ただ引かれてしまう。見て貰えなくなってしまう。
だから上級弱者を取り上げるにとどめるくらいが、硬派なジャーナリズムを偽りながら人口に膾炙するにはドンピシャに丁度いいし、商売として正しい。
そんなわけで、こんな問題がAbemaプライムでガッツリ取り上げる日は未来永劫こないだろうと思う。
・コロナ起因の業績不振にあえぐタクシー業界やタクシー会社……ではなく、コロナ起因の生活苦にあえぐシワッシワで歯抜けのザ・中卒ブルーカラー丸出しのお爺さんタクシー運転手の窮状(「若い女性タクシー運転手の窮状」ならぜんぜん有り得る。むしろそういう人はドンピシャにAbemaプライム的存在とすら言える)
・容姿が醜い、ただそれだけの理由で顔写真がネットのフリー素材化した健常者の一般人の苦悩(コラッタとか)
・別の複数の中学校にまで自分のプロフィールや顔写真が出回るレベルに悪い意味で人を惹き付け、町の同年代ぐるみでイジメられ倒されてきたとんでもないブサイク、現ニートの「職歴なし中卒おじさん」
Abemaプライムは丁度いいのだ