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はてなキーワード: 用法とは

2019-03-18

コカインって良いんじゃね?

ピエール瀧20代からやってたらしいが、キメても卓球よりまともだったよな。番組とか出演してもパッと見普通だし

もちろん覚せい剤が良いとは言わないが、結局用法用量を守っていれば20年は普通生活できてるし、これがタバコ以下の依存度の大麻だったら更に問題ないんじゃね?

タールもニコチンも無いか他者への健康被害もないし。むしろ酒とタバコの方が依存ヤバい

しかしたら大麻解禁を目論んだ卓球による、ピエール瀧を使ったキャンペーンなのか?卓球自身だと「ああっ、納得」できっと駄目だったろうし

anond:20190318104703

その通り。

禁酒法時代もやっぱり酒好きは酒飲んでたし、間違った法律はその後取り消されたのだから

コカインもいずれはそうなるんじゃないかなと思ってるんです。


少なくとも、20代からコカインを用量用法を守って摂取していれば、50代になっても

皆が想像しているような中毒患者にならないことはぴーえるが証明してくれたわけですし。

2019-03-16

ピエール瀧

20代からコカイン常用してたというなら、

コカイン用法容量を守っていれば日常生活に支障をきたすことなく、

充実した人生を送れるって証明されたようなものなんじゃないですかね。

anond:20190315123231

言葉用法としては

○底がついた

○底をつきた

どちらも正解です。

誤用がすでに定着しつつあります

2019-03-12

anond:20190312182235

でも元増田用法おかしくね? 

「裏打ちする技術」ってなにを裏打ちするのか主体が指示されてない使い方はおかしいでしょ

工程派生であるとこから想像してわかるとおり空気に裏打ちはできねえよ

2019-03-10

anond:20190310143703

自由のおかげで痛い目にあうというけど

実際には自由行使用法用量を誤った結果の報いを受けてるだけだと思う

2019-03-09

anond:20190309111459

言葉用法を間違えていること(こちら側の正常)に異論はない(自分の正常=他人の正常が成立している)ので今それは問題ではない

anond:20190309095514

世間一般通用する言葉定義用法を外れるとすれ違いが生じ議論を混乱させるだけ

間違えたなら謝ればいいの

2019-02-28

anond:20190228121657

妙齢」は皮肉というかネタで使われる用法流行ってるっぽい

頭痛が痛い」的な

2019-02-27

ダブルという概念への疑問とプリキュア

ハーフという呼び名ネガティブからダブルにしよう、という働きがある

私はむしろダブルこそ言葉として、その成り立ちからネガティブさとは切り離せないものなのではないのか、という疑問を持つ

そしてそのネガティブさは多くの人間に対して向けられているものではないか、とも

少なくとも現状、違うルーツの両親を持つ呼称としてのハーフ言語的な概念は、当人を100とした、単純に両親の異なるルーツでもって50/50とする、またそれを前提としての略語、もしくは任意において一方のルーツベースとし残り半分の割合を指すものメディアで目にするものも含め一般的ものであるように思う

同じくクォーターも4分の3は言及せず、またベースとして略すもので、それはシンプル客観的で図式的な概念であり、本来単語としては感情的なあれこれの入る隙は無い

だがハーフネガティブなのだ、という

ダブルへ繋げる論拠として

単語として「半分」という意味である

そこから人として半人前だ、という含意の存在

あるいは血統主義から一方の国、この場合日本人が半分「しか」入っていないという差別意識を表す

またそこから上記の「半分」の意へ発展させたもの

というのがざっと目に入った大方の意見だった

正直に言うとかなりバイアスのかかった発想だな、と思う

先にクォーターハーフに並べたのはそれが言語として連なると解釈するからで、実際の用法としても多くでそう捉えられているからだ

ハーフは「半分」クォーターは「4分の1」

彼ら、彼女らの言うネガティブである単語からマイナスイメージで言うならクォーターハーフより印象は悪い

ハーフが半人前ならクォーター人間が四分の一しか出来ていない、となる

ハーフという言葉の指すところが日本人の血の割合である、という主張も日本において多くの場合単語が表す先が他国名となるクォーターでは通らない

繰り返すが言語的な用法としてハーフクォーター現実として連なっている

ハーフの「半分」という意味へ待ったをかけるのならクォーターもそうでなければ筋が通らない

クォーターに通じない論理ハーフ解釈する事は、ハーフでだけでなら可能だとしても論拠として不足が過ぎるように思える

クォータークアドラプルとでも言うのだろうか

だがダブル法則へ従って4倍という意味を調べたはいいが、それだと元々の4分の1のルーツを表すという意味合いとは違ってきてしまい、現在使われている割合意味での用法ではなくなってしま

アメリカクアドラプル(4倍)」では意味が通らない

それがルーツの数を表すのなら日本3アメリカ1のクォーター日本アメリカダブル、という事になってクォーターにあたる表現に穴があいしま

日本トリプルアメリカシングルとすべきなのだろうか

単純にハーフ上位互換として更にポジティブさを、というのならクォーターとの併用も違和感はない

だがなぜかそうではないのだ

単語の持つ意味や印象がマイナスイメージを想起させる、と主張するならハーフ否定してクォーターを許容するのでは整合性がとれない

そもそもこのハーフに対する話は日本和製英語として、その言外にいわゆるガラパゴス言語観への若干の批判めいた意も滲ませられ取り上げられている事も多く、それなら、と欧米一般的にはどう表現されるのかと興味がてらにさっくりと調べると何の事はなくhalfという単語も使われていた

ただ日本のように単語自体ルーツへの意味を含ませるのでなく、そのまま単語として国名民族名と並べてアメリカ半分と日本半分、のように使われるらしい

またpartも同じように使われるようで、こちらが日本で使われていたら分割という意味ネガティブさが見出されていたのかな、とも少し思った

ダブルはといえばこちらも結局は和製英語であり、更にhalfやpartより一般的でないようで、使うにしてもやはり単語単体では意味が通じにくい、という事だった

そういえば以前テレビ番組ハーフネガティブからダブルを広めたい、と言った女の子に同じくハーフアメリカ出身女の子アメリカでも普通に使う、言葉自体ネガティブな要素はない、日本でもそうだと思うという風に言っていて、その認識の違いを興味深く思っていたのを思い出した

ダブルハーフ海外で通じる通じない、という日本ガラパゴス意識という意味では変わらず、むしろダブルの方が単語の用例としては一般的ではない様だった

それでもダブルを通じさせるためには略さず言う必要がある

さないのであれば、また略さないそれがそのままダブル意味なのだとするのならガラパゴス、という部分でハーフ否定的になる理由はない

ならなぜダブルなのか

調べている中で表現としてmixというものがあり、ハーフクォーター、またそれ以外をも内包出来る親和性の面でもいいな、と思えたし、実際日本ミックス表現として使っている人も既に少なからずいるようだった

特に多民族国家ではhalfやpartやquarterでは表しきれない事もあり、mixが段々と単語として市民権を得ている、という印象を持った

そこからの輸入でのミックスという表現なのだと思う

言葉としてハーフクォーターと平行して組み合わせる事も可能汎用性も高く、会話や文脈によってはmixという単語自体ルーツの意を含ませる事自体も、ハーフダブル比較すれば難しくはないらしい

言語的にも、日本ガラパゴス言語感覚への問題提起としてもミックスを使おう、というならすんなりと腑に落ちる

違う言語から見て、初めて聞くハーフというそ言葉ネガティブさを含むように見えるかもしれない、と思う

そしてそれこそが嫌なのだ、という人もいるだろう

言葉における現状を知りようがない状態での誤解に罪はない

そして誤解とはいえネガティブな枠で自身定義される、それ自体への拒否感も理解できる

だがその場合ハーフという言葉言語として、用法としてのネガティブさは認められない

問題日本独自略語和製英語が生む対外的な混乱による認識差異、ただ1点だ

だがダブルという新たな和製英語を使おう、と言う

そしてハーフ言葉としてネガティブから、と言う

ミックスではなくダブルなのだ

単語として、ハーフ基準にそこに優るものとする発想から用意された事は明白で、それは先述した言葉としての有用性や論理を置いてけぼりにハーフという言葉への相対的な優位性のみを後ろ盾としており、当然その説得性にはハーフがどれだけダブルに劣るかの提示が不可欠であって、そのやり方としてハーフネガティブ論が持ち上がっているのではないか、と考える

実際ダブルを広めたい、とする場ではほぼ必ずセットとしてハーフマイナス面が語られ、ダブルポジティブさにしてもやはりそのネガティブさに対しての相対的ものに留まりハーフ差別的であるネガティブであるという言ってしまえば既成事実作りとそれを踏み台にしての消去法的優位性でもってでのみ語られる姿はどこか悪く言えばプロパガンダ的だ

ハーフマイナス面をいくら語ったところでそれはダブルの優位性の証明にはならないのだが、単語としての関連性を匂わせ、選択肢として提示する事でそう見せる、というやり方なのだと思う

そもそもダブルが持つとする言葉ポジティブさの論理は、一歩間違えば純血主義に対し方向は真逆でもベクトルは変わらない、同じ類の比較対象ありきの優生的優位性とも取れる危うさもあり、ともすれば強くハーフマイナス面を示す事でのあくま相対的であるとする主張はその指摘を避けるためのものでは、とも思ったが、そこまで考えていないようにも思う

賛同している多くもハーフネガティブさ、という主張をも含め「素敵な考え方!私達は理解してるし悪い慣習は変えて行こうよ!」というような諸手をあげてのもので、単純に深く考える前に助力になれば、という意が先に出ているようでもある

それにしてもダブル肯定するという事は当然過去遡って差別的ネガティブな要素を持つ言葉として使っていたという事を自分も含めて認め、もしくは受け入れる事であり、違うのだとすればそれは一方的に要はレイシズムからなる加害者だとされる事であるのにそこに違和感はないのか、と首を傾げてしま

多くの賛同者はただただダブルポジティブ!とやっているのだ

そのポジティブさはハーフという言葉相対的犠牲理不尽に強いた上でのものなのに、なぜそんな肯定的に思えるのだろう、と

かに現実としてハーフという言葉ナショナリズムから悪い意味をのせる人間はいるだろう

しかしそれは今の通例としての言葉概念上では明らかに例外であり、そのような人間が発する言葉に含まれレイシズムにその他大勢人間性を巻き込むのはナンセンスであるし、むしろ仮にダブルが使われるようになったとしてどうにかなるのか、というような現実用法とはかけ離れるレイシスト意図をその文化圏象徴のように語るのはそれ自体差別的であるように思える

その上でネガティブな印象に受け取るのは個人選択であり、本来意図される言葉の使われ方やそれを口にした人間人間性など意に介さずお構いなしにやるそれはあまりにも、という印象が拭えない

自身自尊心のために半ば言いがかりのようにして他の多くの人間性を否定する

ハーフネガティブから、というのは結局はそういう事なのだ

それら全部分かっていてもハーフという言葉ネガティブに取ってしまい、それがダブルという言葉自己肯定に繋がるのなら、とも思いはする

だが、それはあくま自己完結としてあるべきで、言葉やそれを使う人間をも巻き込むのは傲慢が過ぎるのではないか、と思う

「ただ自分に誇りを持ちたいだけ」「ポジティブにありたい、それが悪い事なの?」というような声も目にしたが、ネガティブさを押し付けなければ得られない、相対的しかない誇りやポジティブさとは一体何なのかとやはり首を捻る

そんなものでも彼ら、彼女らは良いのかもしれないが、そのためにレイシズムを含む言葉を使って来たと匂わされるこちらはたまったものではないし看過できるものでもない

その人間意図や場面を限らず、元の言葉から定義をし直そうとするその行為は紛れも無くこの私も含め、多くの人間への自己肯定理由にした小さな悪意であり、自尊心アイデンティティと向き合うためにそうする姿は健全とは言い難く、やはり違和感は拭えない

そして何よりやはり言葉としてあまり出来がよくないと思う

その人が言葉に持たせた意図やその言葉意味でなく、ネガティブだと捉えた自身根拠ポジティブになるためにその相手非難めく

近くにいたら少し距離をとるな、と思うし、それを「応援」する人間も怖いな、と感じるんだろうとも思う

少し前、流れていたツイートで、ハーフなんだね、と言う女の子に、それも少し前話題になっていたプリキュア男の子が半分じゃないよダブル、のように言っている画像を見た

そこには(曖昧だが)ポジティブな考え方はマネしていきたい、というような文章が添えられていた

画像男の子大和撫子パリジャンのダブルから、という言い方をしていた

しかしたら設定として、その男の子日本に来て間もなく、誤解の下にハーフという響きにネガティブさを感じたのかもしれない

そんな可能性を示す、そこには何の異議もない

実際そのダブル和製英語としてのルーツを示す略語でなく、単純に本来そのままの意味として使われているように見えた

現実的に考えてみてもそんな状況ならハーフという言葉に疑問を持ったとして、和製英語であるダブルを使う事は無いだろう

だが、これはアニメ

この場面の意図に、ハーフに代わる略語としてのダブル、という言葉存在が前提にあるのは明らかで、また画像に添えられたツイートもそのように捉えていたように思う

女の子が口にしたハーフルーツ意味を含む略語という側面でなく、単語それ自体で受け取らせ、ネガティブだと否定させ、その上で同じく単語用法そのままの意味ダブルという言葉を並べ、語らせ、そしてその比較ハーフダブルの印象へと繋げる

これはそのままダブル賛同者の論理のように見える

先述した通り、略さないのであればハーフという単語を用いるネガティブさ、という方向性での疑問は海外の用例からしても杞憂しかない

そしてまた、略さないのならダブルを用いて自身ルーツを表す事自体には大して問題もなく、それは確かにハーフ使用する場合より単純な印象としてどこかしら肯定的な雰囲気も持ってはいるようにも思える

だが、そこで略語としてのハーフ否定し、成り代わるよう安易にそこに収めようとやるから辻褄が合わなくなるのだ

もしこの男の子ハーフルーツを表す略語であり、一般的に使われる表現である理解しているならどうだろう

その場合、その子ハーフと口にした女の子差別的な要素をも含むネガティブ言葉無自覚にでも使った人間である意識の低さを指摘し、また同時に相手意図より自分が思う言葉意味を優先して否定から入るような、そんな子だ、という事になる

そしてそれは当然、その女の子だけでなく見ている子供たちへ向けられるものでもあるはずだ

言葉としての意義に悪者であるハーフ否定する事が含まれているのだからそうなるのは当然だ

これはあくまで仮の話ではある

だが同時に現実としてポジティブさ、という言葉の下で同じ事が無自覚に行われているのも事実

そしてそれは何の悪意も意図もなく、むしろ場合によっては羨望の意味さえ含ませハーフという言葉を使う、その女の子と同じ年齢の子たちに本来そんな必要のない罪悪感を負わせる事でもあるのだ

それは啓発なんてものじゃなく単なる大人の我だ

本当にとても理不尽言葉だと思う

今後、私はハーフという言葉を使い、クォーターも使い、ミックスという言葉も使い、また、もしかしたらプリキュア男の子が言っていたような国と国でダブル、というような、より肯定的な意を込めたとする表現本来ダブルという単語用法ひとつとして使う時が来るかもしれない

だが、ハーフという言葉自体とそれを口にする人間性の否定、というネガティブさを纏ったダブルという言葉を使う事はないだろう、と思う

そこにあるネガティブさを肯定する事は私にはできない

2019-02-23

なぜ十二星座のなかで牛と羊にだけ「牡」が付いているのか

まず、江戸時代までは中国の「星宿」が使われており、西洋星座が広く知られるようになったのは明治になってからであった。

現在星座名に統一されるようになったのは、以下のPDFによると1910年ごろであるらしい。

https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2013_05/03rensai-03kabumoto.pdf

また、『日月地球渾轉儀用法』で興味深い内容として、十二宮解説において、

然ルニ今日実際ノ天文ヲ按スレ三月ヲ以テ大陽白羊宮ニ立タスシテ却テ隣宮ノ雙魚ニ立ツヲ見ル因テ其然ル所以ノ原因ヲ考察スレハ蓋シ是レ三千年ヲ流過スルノ間毎三月廿一日ヲ以テ大陽位置スル赤道上ノ春分点下ニ出スハ甞テ白羊宮ニ在リシト雖モ年々徐々ニ遷移シテ終ニ雙魚宮マテ来リ

というように星座と宮を同義的に用いていることがあげられる。また、Geminiの訳語として「雙児宮」ではなく、「雙女宮」という名称が用いられているが、この名称は『星学図説』や『星学捷径』、『百科全書天文学』など、今回紹介した天文書においても同様に用いられている。

1910年発行の『天文月報』第2巻第11号所収の「星座名」において、91星座(88星座ではなく)の日本語訳名が与えられているが、そこでは「雙子」と記されており、当時の『天文月報』編集主任であった一戸直蔵は自らの著『星』において、

獣帯の十二星座とは次ぎの通りである。括弧内の名称は従来多くの書籍散見したものであるが、近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語一定した

と述べて「雙子(雙女)」と記していることから日本においてGeminiは1910年女性から男性になった、と結論していいだろう。

ここで「黄道十二宮黄道十二星座が同一視されている」とあるが、「白羊宮」「金牛宮」といった黄道十二宮名称は、西洋占星術インドを経て中国に伝えられたとき漢訳されたもので、日本には平安時代に入ってきて宿曜道として広まっている(異同はあったようだが)。

西洋天文学体系が入ってきたのは明治であるが、占星術においてはそれ以前から名称存在していたということである

実際、中国では十二星座も「白羊座」「金牛座」で定着しているので、日本でもそうなっておかしくはなかったと思われる。

ちなみに、中国では「双女座」というと「乙女座」の異称らしいのだが、上記によると日本では「双子座」の異称認識されていたようである。このあたりは謎。

さて、「一戸直蔵の『星』」は以下で読める。

https://books.google.co.jp/books?id=2soa36rEEWMC&dq=%E7%89%A1%E7%89%9B%20%E9%87%91%E7%89%9B&hl=ja&pg=PP48

かに「近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語一定たから、其方を主として、従来のは併せて記すこととした。」とあり、その後に「牡羊(白羊)」「牡牛(金牛)」と記されている。

これまでは白羊・金牛と書かれることが多かったもの牡羊牡牛統一した、というわけである

天文月報』第2巻第11号は日本天文学会のサイトで読める。

http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1909/pdf/191002.pdf

天文学術語を和訳せしもの区々にして一定せず。これ天文学普及上著しき故障なるを以て、本学を専修する人々相謀り、数年前より最も適当なるものを得んと考究中なり。

「数年前より」とあるように、確かにそれ以前から天文月報上では「牡羊座」「牡牛座」で表記統一されている。

実は1908年10月天文月報第1巻第7号にもこのような質問がある。

http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1908/pdf/190810.pdf

数年前迄は小生等星座を呼ぶに、何某の星宿とも呼び申候。又黄道上の星座は何々宮と申来り候処、茲に記載されたるものは皆何々座と申候は天文学会にて新に術語として択ばれたるものと被存候。

「数年前までは星座を呼ぶのに『何某の星宿』とか黄道上の星座は『何々宮』とか呼んでいたが、天文月報ではすべて「何々座」と記載されている。これは天文学会にて新たに術語として選ばれたものだと思うが、何と読めばいいのか」という質問で、さらに、

茲に記されたる星座黄道のものは白羊、金牛、双女、巨蟹等の名を捨てられたるは一に羅甸語を翻訳せられ候と被察候。

黄道上の星座について『白羊』『金牛』『双女』『巨蟹』などの名前が捨てられたのは改めてラテン語から翻訳したためだろう」とも書かれている。

それに対する回答では、黄道十二星座については触れられていないが、あえて否定されているわけでもない。

残念ながら、これ以上に命名の詳細な経緯は分からないが、ひとつには「黄道十二宮」と「黄道十二星座」の違いがあるかもしれない。

最初引用した文書にも書かれていたが、当初はこの二つは概ね一致していたものの、年を経るにつれてズレていったので、現在ではたとえば「白羊宮」は「牡羊座」と一致しない。

実際の黄道十二星座は大小さまざまであるが、サインは実際の星座とは別に黄道12等分したものである。初期には実際の星座サインは、大雑把に一致していたが、歳差によってずれていった。

天文学者たちがこれを考慮し、占星術との使い分けを企図して名前を変えたのであれば説明はつく。

以上より、「牡羊」「牡牛」という命名のものは既に指摘されているとおり「ラテン語のAries・Taurusを直訳したから」ということになるだろうが、それは明治期の天文学者たちが名前を付け直したからであって、決して必然的ものではなかった。

何かが違えば「牛座」や「金牛座」が使われていたかもしれず、「原語や神話から考えれば牡羊牡牛に決まっている」などと居丈高に言うのは後知恵もいいところだと思う。

余談。

星座名はこの天文月報のもので決定というわけではなく、その後も議論が交わされ、最終的に1944年学術研究会議が発表したものが決定版とされているようだ。

以下のPDFからはそうした議論雰囲気がうかがえるかもしれない。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167055/1/tnk000171_322.pdf

2019-02-18

anond:20190216081339

兎に角」「兎も角」は当て字

「と」は、「ともすれば」や「とんでもない(とでもない)」と同じ副詞の「と」、

「かく」は、「斯くなる上は…」や「斯く言う私も…」と同じ「斯く」で、

どちらも何かを指し示す言葉である

もともとは「とやれ、かくやれ」「とする、かくする」といった言い回しで使われており、

「とやれ、かくやれ」は「ああしろ、こうしろ」、

「とする、かくする」は「ああする、こうする」と訳されることが多い。

「とにかく」は「とに、かくに」の略、「ともかく」は「とも、かくも」の略である

基本的には同義であるのだが、あえて差異を強調するなら、

「〜〜に」は事柄が成り立つ状況を示し、「〜〜も」は同様の事柄があることを示すということだ。

まり、「とにかくAだ」における「と」と「かく」はAを行う状況を示し、

「ともかくAだ」における「と」と「かく」はAと並列の事柄を示している、と考えられる。

たとえば「とにかくラーメンだ」なら「雨の日でも、風の日でも、どんな日でも、とにかくラーメンを食べる」であり、

「ともかくラーメンだ」なら「うどんも、そばも食べたいが、ともかく今日ラーメンにしよう」である

「それはともかく」の用法後者であろうから

「ともかく」が選ばれて「とにかく」はあまり使われないのだろう。

(実は「それはとにかく」という用法も無いではないが)

2019-02-16

「すん…」

って擬態語?(擬音語ではないよね) 最近漫画でよく見かけるようになった

急に冷めるシーンとか相手に呆れるシーンとかしらけるシーンとか

あと相手の言う事にはっとして納得するシーンとか主にネットで連載してるようなコメディ漫画結構見るんだけど

わーこれ若い人の新しい文化だな~~!!!ってめちゃくちゃ思ってる 新しい漫画用の表現が生まれ黎明期を目撃してる気する

好きか嫌いかは今のところは別としてこれからだんだん馴染んでいくようになるんだろうか

私はもうそんな若くないのでこの「すん…」の正しい用法複数漫画読んでても未だにわかってないんだけど

誰か若い人か詳しい人で知ってる人がいたら教えてほしい 

追記

ごいたくさん教えてくれてる人がいる!ありがとうございます

から「しーん」「シーン」は沈黙を表す表現として数多くの漫画で見かけるけれど

それとはちょっとニュアンスが違う感じなんだよね

突拍子もないことを言った人や世間知らずだったり常識外れな行動をした人にあえて沈黙遠い目で反応するコマとか

まりのことに相手に呆れたり急に真顔になってしらけたりして「あっそう…」みたいな感じで黙っちゃう

みたいなシーンのときギャグっぽい表現として使われてる感じ(pixivコミックとかでよく見かけます)

ポイントは「急に黙る」だと感じてるんだけど、ブコメにもあるけれどトラバ


>むかしから、「うんともすんとも言わない」って表現あったじゃん? あの「すん」が単独で使われるようになったんさ。


>「すん」の意味とは?

冷たい態度をとるさま。

内心では関心がありながら表面的に関心のないふりをするさま。

しなやかで、張りのあるさま。

用例

「すんとした表情で見られる」

「いつも彼女はすんとしている」

というのを読んで

あーなるほど言われてみればだよねと思った わかってみれば納得って感じの表現なんだなあ

「うんともすんとも」を思い浮かべない状態では画面に描かれている言葉人物能動的な行動を表していると思えるので

「何も言わないで静まり返っている」みたいないわゆる「シーン」と同じような表現とは思わなかった

現状ではそこから一歩進んでその描かれてる「特定人物」が「急に黙る」

というアクション擬態語として成立してる気がしてる

元は古くからある表現でも創作物とかツイートで見かけるようになったのはごく最近から

それまでは一般的ではなかった表現だってことだよね(昔からあるのを私が観測してないだけかもしれないけれど)

たくさんの人が使うようになる最初きっかけはなんだったんだろう

広がるということは多くの人の腑に落ちる表現だってことだよね すごくおもしろいです


あと「しゅん…」「シュン…」は「しょげかえって黙ってしまう」というニュアンスがあるので「すん…」とはちょっと違うかなあ

それからからある方のカタカナの「スン…」は登場人物が静かに鼻をすすりながら涙ぐむ、というとき擬音語だと思うので

最近広まってきた方のひらがなの「すん…」とは基本的には多分使われ方の違うものだと思うのでした(作者の意図にもよるでしょうが)

追記2↓

言葉として前からあったかというより、それが擬音として膾炙したこと時代性なんではないか


ほんとそうだなーと思います おもしろいです

描き手の方っぽいブコメも読んでなるほどなー!ってなってます 教えて下さってありがとうございます

私の言語化があまりうまくなくて的確な説明ができてなかったんだけどまさにこういうシーンで使われてるな!

っていう読み手感覚としてもぴったりな説明ブコメトラバにいくつかあったので引用してエントリを終わります

テンション下がる系描写

>すん は興味がなくなり落ち着いた様子を表してると思うけどな 賢者状態からエロ要素を抜いた表現だと思う

>顔から表情が抜け落ちるさまを表現してるのだと思ってた。

キャラクターが「しゅん…」とした時にできるようなすっと下がるような間を描きたいけれど別にしょげているわけではない、

 というときに使うよ/正規意味はしらないよ雰囲気だよ/平仮名でもカタカナでもいいよ

>「シーン…」は状態。「すん…」は変化。つまり沈黙状態が「シーン…」で、沈黙への以降が「すん…」。/個人的にはこんな認識

>すん【スン、すん…、スンッ】 類義語または語源:しゅん、シーン ①言動感情などの激しさ、勢いが急速におさまるさま。

感情場の空気などが冷めるさま。一気に消えるさま。 という認識


このあたりの感覚が「すん…」が使われる状況の「感じ」として

供給側受け取り手側でだんだん共有されて漫画表現として馴染んでいくのだろうなと思いました

2019-02-15

anond:20190215125057

音楽映像はひとまとまりパッケージとして売り出されてて、経済的被害がある程度想定できたか特別違法化されたのよ。

仮に違法性認識があったとしても文章などの一部をスクショ取っただけで被害が生じる?

一度発表した物の利用法は、制作だって自由にしていいわけじゃないよ。

今朝の「いらっしゃいますおかしい」もそうだけど

日本語おかしい奴等が正しい用法に対してクレーム付けてるのを見ることが増えた

親があんまりしっかりした日本語使えなくて、当人あんまり本を読まないなら、

正しい日本語なんか知らないまま育つんだよな

anond:20190213110914

50代も何も、以前からがっかり他者に対して使っている

自らに使う場合は「自分に」「自分自身に」を付ける。なぜ付けるかは、がっかり単体では対象自分だと分からいか

本当にアラフィフで今までがっかりを、言うような用法で使っていたのなら同年代や下の世代が相当傷ついていたんだな

何度も言うけど、意味時代と共に変わってはいないぞ

2019-02-14

anond:20190214102659

ついでに、立体や空間破綻なく描く力を鍛えるにはデッサンが役に立つと思っていて、それが俺がデッサンデッサン言う理由

ほらまた曖昧用法が出たぞ

そこで言う「デッサン」って具体的になんのこと?

アカデミズム世界での「デッサン」ははっきりと決まってるけど

君の「デッサンが役に立つ」の時の「デッサン」ってどういうこと?はっきり言えるの?

anond:20190214085824

お前らオタクアート人間がいう「デッサン」ってそもそもなんのことなの?

答えられないっしょ?

自分勝手定義ででもカッチリ答えられた奴見たことないんだわ。

デッサンデッサンうるせえわりに、デッサン必要性議論とかはかまびすしいわりに、

デッサンってなんのこと言ってるのか」をきちんと定義出来たやつがいない。

からその議論意味ないものになる。


問題点を整理するね。

1.まずアカデミック意味での「デッサン」(これは意味明確)をよく知らず、なんとなく憧れている。

2.オタクアート世界での自分達の用法での「デッサン」もきちんと定義せず、雰囲気連呼している。

これな。


からするとそもそも君達は「デッサン」という言葉を使わなくてもいいんじゃないかって気がする。

2019-02-06

anond:20190206114949

絶対レストラン本来定義」とか言い出すと思った

君以外の全員は一般的日本語用法に基づいて話を進めてるんだけど

君みたいなのってアスペっていうのかな?

2019-02-04

anond:20190204164744

飼料は一例で、バイオエタノールもあるし、物によっては我々の知らない利用法もあるでしょう

また、新たな利用法を作るのもビジネスだと思う

もちろん恵方巻きも一例ね

コンビニオーナーの廃棄料はまた別の話

フランチャイズブランド価値のためにある制度で、その制度の是非は置いておくとしても、正式な廃棄手続きが行われたもの本部が引き取って業者に売って利用してもらえばそれでいい

オーナーにその権限を持たすかどうかとか、それはコンビニシステムの話

「廃棄食品ビジネスチャンス」だけ伝わればそれでいいんですけど

2019-02-01

anond:20190201142632

いね日本語文語漢文もどきのまま来たかひらがなで補う用法を使わざるを得なかっただけだね。

2019-01-31

anond:20190131155406

カギ括弧用法には大雑把に言うと「会話」「引用」「強調」の三つがあって、特に会話文でも強調でもなくカギ括弧が使われている場合は、「相手がそう言っているのを引用しただけで自分発言ではない」というエクスキューズになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%AC%E5%BC%A7#%E4%BD%BF%E3%81%84%E6%96%B9

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