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はてなキーワード: 日本社会とは

2018-02-18

2010年代日本ファスト風土問題

2010年代以降の日本において、IT携帯端末が整備されて社会情報化し、日常生活携帯電話パーソナルコンピューターユビキタス機器ロボットAIといったハイテク機器が立ち並んだことによって日本社会は壊滅的な打撃を受け(例えば団塊ジュニアファミコン世代プレッシャー世代ゆとり世代趣味の違いぶり)、このような変化(ファスト風土化)は以下のような悪影響を及ぼしているという。

痴漢された日本死ね

女性専用車両差別かどうかとか、瑣末だとおもう。男が悪いとか、フェミニストが悪いとか、敵を勘違いしている。基本、悪いのは社会日本社会痴漢を許容しているので、痴漢が無くなりません。

電車内の痴漢は、性犯罪の中でも、自助努力治安の悪いところに住まない、夜一人で歩かない等)で危険場所回避できないので、特殊犯罪です。でも、電車内は鉄道会社が完全に管理しているので、鉄道会社がその気になったら(例:すべての車両防犯カメラを導入)ほぼ根絶できます。どのような防犯カメラ有効かについては警察庁が7年前に報告書を出しています

http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/h22_chikankenkyukai.pdf

防犯カメラの導入がされていないのは、コストが見合わないからです。鉄道業界競争形態特殊業界です。特殊なケースを除いて、別の鉄道会社への乗り換えはとても困難なので、鉄道会社痴漢発生率を低めるような努力をしても、売り上げ増にはなかなかつながりません。そのため、利益追及が目的鉄道会社自助努力は期待できません。

これを変えられるのは、監督官庁、具体的には国土交通省鉄道局です。例えば、国土交通省が、電車内での痴漢を含めた犯罪発生率を減らすように指導すれば、防犯カメラの導入を含めた防止策が本格的に動き出します。

それを今していないのは、鉄道局が、指導副作用を考えるとそこまで痴漢の発生率を下げる必要はない、と判断している、ということです。カメラの導入にはコストがかかるので、運賃が上がるかもしれません。また、人命が関わるわけでもない犯罪のために規制を増やす、というのは規制緩和の流れに逆行しているのですべきではない、と考えているのかもしれません。鉄道局が動いていないのは、圧力をかけるような国会議員ワイドショーがないからです。

結局、現在痴漢を許容しているのは社会です。それを変えたいなら、国土交通省圧力をかけるべきです。

2018-02-15

anond:20180215195118

日本社会でいまだに残る擬似階級社会元凶は、例えば何なのかねえ?

2018-02-13

おばさん、学生アルバイトが怪しい!!!

青山繁晴北の工作員が一番浸透しているのは日本メディアです。経済界ではないです」

山口真由「どのぐらいの規模で日本社会に浸透していたりするものなのでしょうか?」

青山繁晴「僕なりに把握している数はありますけど、それは言わないです。こちらの能力が分かってしまうので…」

山口真由「分かりやす外交官の他に、航空会社が支社をつくってその人達によって金正男暗殺が行われたんじゃないかという話もありますよね。私たちには分からないけど活動している工作員ってけっこういるものなのでしょうか?」

青山繁晴普段全く普通のおばさんとして、あるいは学生アルバイトして働いている人で指示を受け取っている人もいる。日本スパイ防止法がないので見ているだけなんですよ」

2018-02-12

なんで親の言うことを聞くと偉いのか

今の日本社会価値観はクソだ!とか、ああ言われたか真逆のことをして反抗してやるぜ!がはは!

とかそういうものではなくて、むしろ自分反抗的子供みると「ぜってぇコイツロクな大人にならねぇわ」とか思っちゃうクチなんだけど

親の言うことを聞く=良い子

と無条件で考えられてるのはなんでかなぁと。

2018-02-11

絵本作家炎上商法ではなく貧困ビジネスなのではないか(6)

anond:20180211005540 の続き

3.顧客層とそれ以外との文化衝突か(続き)

3.2.文化の違いが生む違和感と怒り

学歴分断社会」という書籍がある。日本社会が「学歴」で分断されているという論の本である。ここでいう学歴は○○卒という「学校歴」のことではなく、大卒かそうでないか(非大卒)ということである。本が出た時点(2009年)で大卒と非大卒はそれぞれほぼ50%ずついたということである

【参考】

この本にもあるように、近年の大卒まり高学歴コミュニティからこの層は見えていない。ここ数十年の間、学歴による分断は幼少時から始まるようになった。特に都会においては、40年ほど前からお受験」が幼稚園から始まるようになり、その傾向はそれ以降地方にも広がっていった。いみじくも以下の日経記事内で言及されているように、「マイルドヤンキー」という言葉誕生のもの格差を示している、と言える。社会の半数を占める非大卒、そのうちそれを再生産している家庭が最近になって「マイルドヤンキー」として「発見」されたのだろう。

【参考】

まり、今子育てをしている20~30代の高学歴大卒コミュニティはこれらの人々をその人生で実際に目にする機会はなかっただろう。本当は昔から存在たこの層に、もしかするとこの騒動で初めて触れたのかもしれない。「あたし」という主語絵文字高学歴コミュニティでは非常に未成熟礼儀正しくないと見られる。また、マイルドヤンキーが共有しているような遵法的ではない価値観には嫌悪感を抱く。

逆にマイルドヤンキーコミュニティでは高学歴が好む礼儀正しい態度は「スカしている」など不評であろう。男性と同等の権利を主張する女性に対しては「糞フェミ」のような評価を与えるかもしれない。

今回の歌詞騒動で浮き彫りになったのはこれら層の間での文化の違いだったのではないだろうか。

2018-02-10

「畳の上に土足で上がれ」は「保育園落ちた日本死ね」と一緒

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/net/1504919578/481

緯度おじさんは日本人に畳の上に土足で上がるということをしてほしいのではなく、日本社会のだらしなさを文系レベルの語彙力で表現しただけなんだよ。

文字通りに解釈すんじゃねーよ。

現代社会の発展ぶりを見れば確かに能力のある者は報われてきたのかもしれないけれども、もう発展する余地が少ないこれから日本社会で、能力のある者が報われるという説は正論といえるのだろうか。能力があっても日本にいる限り滅多に報われないのだから省エネで生きるのが正しいような風潮が生じるべきだろう。だから能力あるアピールしている方々を見ると尊敬するのと同時に悲しくなる。

2018-02-09

anond:20180209140741

ヤンキーというのは、日本社会の闇みたいなものでさ。

知らずに一生を終えられるならそれに越したことは無いんだが、

不幸にも接触してしまったときの為に、ある程度の知識は持っていた方が良いんだよ。

新たな関係を作ったり、独自に作り出したりしよう

これから日本社会とか、日本経済でどう振る舞うかといったことね。

昭和に築いた重厚技術しかり、国際的名誉しかり、そんなのを後生大事に持って守りに入っているかますます衰退するんだよ。

防衛だけで衰退を防げるわけないだろ、取りに行かなくちゃ。だいたい守ってたってつまらないだろう!守衛さん役って楽しそうか?

競ったりして一部取られたって、別からでも取られた以上を取ったら増えるのよ。

一応、取るといっても領土とかじゃなくてよ。

発達障害者と健常者の境目はどこ?

テラスハウスのある出演者がどう見ても発達障害!かわいそう!ハブられてて日本社会の闇!ってツイートがあって、4000RTされて大いに同情を集めていた

すると元ツイート出演者本人から「そういった類のものではないのでご安心ください。」とのリプライ

4000RTされたツイートは削除された

自分発達障害という概念に感じる違和感モヤモヤがまさに顕現されたエピソードと思う

発達障害者と健常者の境目はどこなの?

2018-02-08

正直どっちでもいい

https://anond.hatelabo.jp/20161002141959

似たような経験で院をやめて就職を選んだ俺から言わせれば、その研究分野が実社会に応用出来て何とか役に立つものであればどっちでも構わない

意識の高い増田のいう情報技術情報工学だとか言う、IT業界で食っていく上でとか日本社会ではハナクソほども役に立たない筆頭ではない、もっといろいろな意味でヤバめの分野だけど

運が良けりゃどんな生き方しようがなんとかなるし、運が悪けりゃ何をどうやっても無理で詰むとしか言えないな

ただ先の見通しを考えるのは辞めた方がいい、そんなん役に立たん

2018-02-07

選択と集中」は経営者言い訳だった

90年代前半に、日本会社の主力事業が軒並み苦戦に陥った。そこで、会社の主力事業を畳んで新しい主力商品を作る必要があった。

90年代後半になると、「選択と集中」という言葉流行しだす。どこの会社も、役人も、主力も含めた全ての部署から少しずつお金と人を削り、新しい事業にドカン投資した。これが選択と集中だった。

しか選択と集中はうまく行っていないようにみえる。その理由を私なりに考えてみた。

選択と集中イメージは、痛みを伴って不採算部門を大胆に潰し、今後成長の可能性が高い、新たな事業に集中的に投資する、というものだ。

そのため、上司も部下も苦しいけれど、ここで頑張ればきっと将来はもっと儲かるはずだ、というイメージを持たれている。

しかし実際は全く違う。

実際に行われた「選択と集中」では、「選択されていない」部署からリソースを集め、「選択された」部署につぎ込む。

選択されていない部署」の余裕を剥ぎ、みんなが少しずつ今より無理をすること、

そして新しい部署を作ってリーダーを増やすことが特徴のシステムだった。

これはみんなが上司になることを目指す日本型経営にとても合っていた。

選択と集中」のポイントは、儲からない仕事をたたむ必要が無いことだ。

会社調子が悪いからみんなが苦労する。そして新しい部署を立ち上げた人は功績を得る。

誰も責任を取る必要がない。しかも誰かが新しい功労者になることができる。

それが「選択と集中」だった。

問題は「畳むべき不採算事業」に責めを負わせない以上、「畳むべき事業」「芽が出始めた事業」「好調事業」の全てからリソースを少しずつ取り上げることだ。

すると「畳むべき事業」だけでなく、「芽が出始めた事業」「好調事業」にも余裕がなくなる。好調事業が伸びなくなる。

これが今の日本社会だ。

みんなが遅くまで働いてる。上司も部下の面倒を見ながら細かい書類作成し、会議も出るわ営業もするわ、もうなんでもやる。でもそんなんで本当に大切な仕事に集中できるのだろうか。

エースと呼ばれる人たちが、会社で言えばウェークマンやiPhone級、研究者で言えばノーベル賞級の仕事に集中できないのは「選択と集中」という危険イデオロギーが原因なのだ

またスケールメリットだけで勝負するために集中投資してもダメだ。

選択と集中は、みんなからちょっとずつ集めてドカン、というやり方だ。これはダメなんだ。

それではどうすればよかったのだろう。

事業を畳む必要はなかったのだろうか。もちろんそうではない。逆だ。儲からない事業を潰すんだ。万難を排して潰すんだ。それができないなら改革なんて何の意味もない。

そして、その空いたリソース分散するんだ。儲けゼロの新事業に集中投資したらダメだ。

から選択と集中に代わる正しいやり方は、バサッと切ってパッパッ、だ。

選択と集中成功したすべての企業は、何らかの事業バサッと切っている。そして失敗した会社は、集中した事業はわかりやすものの、切り捨てた事業がわからない。

日本企業の幾つかは、「これから投資する部門」を「選択」した。そしてそれは何の意味もなかった。

別の企業の幾つかは(日本企業も含まれる)、「切り捨てる部門」を「選択」した。それはとても意味があった。

そして「集中」は、企業の成長に何の意味もなかった。

こうして考えると、「選択と集中」が経営者の甘えであったことがよく分かる。

まり不採算部門バサッと切り捨てることこそが重要で、何らかの事業に集中することは、じつはどうでも良かった。

なのに、不採算部門を切り捨てることが出来ない経営者が、リソースを削ぐため「こっちに集中するから、少しだけ我慢して」と言った。

この言い訳こそが「選択と集中」だった。

言い訳だけしている分には良いけど、それじゃ「痛み」に耐えられなくて、実際に集中した事業を始めた会社が倒れた。

元々の強みに投資した会社は悪くなっていない。

日本社会における血液型性格診断は無くならない

日本社会には血液型性格診断蔓延っている。

A型几帳面B型マイペース

O型は大らか、AB型変人

A型女子O型男子は相性抜群、B型女子A型男子は相性最悪…など

ABO式血液型赤血球の表面にある糖鎖の違いで決まることを知っている者は、「そんなことで性格や相性が決まるわけないだろう馬鹿馬鹿しい」と思うだろう。

実際に現在科学では赤血球の表面の糖鎖が性格を決定づけることは示されていないし、近年ではブラッドタイプハラスメントなるものも登場したり、血液型性格診断を「信じない」人も増加しているように感じる。

しかしながら、今だに血液型性格診断蔓延っているのはなぜだろうか?

私がアルバイトしている中でよくある会話から考えたことを記そうと思う。

私は大学生であり、アルバイトをしている。いわゆる水商売で、小さなスナックでおじさん達と会話を楽しんだりお酒を飲ませてもらったりしている。

話題が雑多なことは学部友達と話している時と変わらないのだが、ひとつ感じるのが、スナックでは血液型に関する話が多いということである

「信じていない」私にとって、最初は非常に受け容れ難く、学の無い人がする話題だと蔑むほどであった。もちろんお客様にもママにもそんなこと言えないが。苦笑いをしてやり過ごしたことが何度もあった。

ところがある日、新規お客様血液型の話をされた。普段だったら笑って適当にやり過ごすところであったが、話題に困っていたので血液型の話に乗った。30分近くはかせげたように思う。そうしてなんとかやり過ごしてお客様はお帰りになられた。

そこで私はこう思ったのだ。

「ああ、日本社会から血液型性格診断は無くならない」と。

「むしろ自分蔓延らせる一因になってしまった」と。

血液型性格診断話題の無いときに非常に便利である。信じていようが信じていなかろうが場は保たれるのである

私が他の話題を生み出せる会話力の高いホステスであったならば、血液型の話をせずに済んだであろう。

血液型の話で傷付く人は少ない。血液型の話で相性の良し悪しで簡単に盛り上がれる。

血液型が最も安牌な話題ひとつである限り、日本社会から血液型性格診断が無くなることはない。

2018-02-03

anond:20180203175232

地方の「青年団」が50代ばかりとか、そうした事情都市の多くの人間常識として知らない(教育機関でも報道でも知る機会がない)時点で、日本社会やばいな。

日本凄いはどこに行った

なんか未だにミンスーがマスゴミがーとか言いながら草を生やしてるような語彙が2chに入り浸ってた頃のままな人や、はてサがーポリコレ棒がーとか語彙はアップデートしてるんだけどまあいわゆる左派的な物が嫌いなんだなって人をたまにブコメで見かけるので、大抵不愉快から非表示にして露骨に口汚ないのは一応差別的発言とかで報告してるんだけど、彼らを見てると同時に日本社会に対しても辛辣コメントを付けてたりして、嫌韓嫌中で外を下げて日本凄いって持ち上げるタイプの人をほとんど見なくなったなって思う。

まあアベがーとか言ってる思考固定化されてる左派タイプ非表示にしていてそういう人達が今の日本社会失望してるのはわかるんだけど、結果として全方位を下げてる彼らの心境がよく良くわからないんだよな。いったいなんでこんなことになってしまったんだろう。

2018-02-01

90年代10年代邦楽における歌詞の推移

別に邦楽に詳しい訳でも何でもないしあくま個人的な印象だけど、90年代00年代10年代邦楽歌詞って、日本社会ジェンダー観の推移を表してるように思う。

90年代男性歌手は「殴りに行こうぜ!」「やるときゃやれよ男だろ!」「結婚式花嫁強奪して盗んだ車で逃げる織田裕二!」みたいな、男は強くてなんぼ、という感じ。

女性歌手は「私ってかわいい!」「彼とデート最高!」「失恋して悲しい!」みたいな、とにかくキャピキャピしてる感じ。

00年代男性歌手は「仲間と一緒に盛り上がろう!」「手を取り合ってラブ&ピース!」「君のことが大好きだよ!」みたいな、ちょっと丸くなって優男系

女性歌手は「前向いて突っ走れ!」「くよくよしないで頑張ろう!」みたいな、受け身ではなく能動的に行動する女性がかっこいいって風潮。あと「私は神だ」みたいな裸足歌姫系の人も多かった。

10年代男性歌手は「お父さんお母さんいつもありがとう」「君のことが好きだけどどうしたらいいかからないよモジモジ」みたいな、優男通り越して草食系な感じ。

女性歌手は「毎日仕事だけど頑張るしオシャレも欠かさない私!」「私は私の生き方で生きていくんだ誰も指図すんじゃねえ!」みたいな、モーレツ社員女性版みたいな感じ。

こういうのが多数派になったとは言わないが、90年以前に男性歌手が「お父さんお母さんありがとう」みたいな歌を歌ったり、女性歌手が「私らしく生きるぞ!」みたいな歌を歌っても、受け入れられなかったんじゃないかなと思う。

それってやっぱり、社会ジェンダー観が変化していって、そういう主張が受け入れられるようになっていったということなんじゃなかろうか。

もちろん、だからと言って昔の邦楽の方がよかったとか、今の邦楽の方が進んでいるとか言うつもりはないけれど。

2018-01-31

anond:20180131104137

https://anond.hatelabo.jp/20180131104137の続きだ!

4位

日中合製家族中国人嫁が描く日本人夫+3人の娘+日中ハーフの息子2人の日常四コマ漫画です

http://zhuxiaomei213.com/

日本にきた中国人嫁が描く日本人中国人の違いや、作者の幼少期でわかる文革経験者の価値観など非常に興味深い!

反社会学講座ブログ

http://pmazzarino.blog.fc2.com/

イタリア人からみる摩訶不思議日本社会日本人価値観が遠慮なしに書かれてる!

ホッテントリに入ったこともあるし知ってる人いるかもな!

以上、このブログがすごい!2017大発表!でした!

ちなみにブログの探し方は特別なことはしてないぞ!主にはてなブックマークカーから

例えばここで紹介されている人たちとかおすすめだ!

htps://anond.hatelabo.jp/20170203205325

2018-01-24

[]『King of Kings 2017』決勝に見る日本社会弱者像の変化

 初投稿HIPHOP史にも社会学にも詳しくないんで諸々トンチンカンかもしれんけど、とりあえず殴り書き。

 一応ネタバレ注意。

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 2週間くらい前のKOKを見に行きました。GADOROがだいぶ仕上げてきていたので、個人的には納得の優勝。ちなみに僕はダンジョンGADORO回とKOKを両方見られたので、もうGADOROの苦悩がスーパーハイビジョンで伝わってきたよね。いや~、持ってるよね。

 んで、決勝の53 vs. GADOROだよ。僕は53→53→53→GADOROと挙げたけど、もはやどっちの勝ちかは一人ひとりの好みで決まってくるレベルにかなり迫っていた気がしたので、割れるのはしょうがいかなと僕は思っていたし、特に判定への文句もない。一応僕は一バトルとして見続けるよう努めたつもりではある。

 問題は、このバトルに隠れている構図だ。

 しばしば「日本HIPHOPメジャー化でダメになった」という話をCOREな方から耳にするような気がするが、僕はこう考える。「HIPHOP」がメジャーに媚び始めたというよりも、「日本人が想定する弱者」の像が変容したのだ、と言うべきではないか、と。

 90年代当時(まで)は、テレビの影響力、集団動力を重視する教育いい大学・いい会社に入れば幸せになれるという信仰なんかがまだまだ根強かったはずで、それらが複合的に重なり、「安全第一人生」を至高とする日本社会形成されていたはずなのだ。そして安全を脅かす「ハミ出し者」を仲間はずれにし、自我を捨てて世間に身を委ねる則世去私イズムで多数派安心感を得ていた。

 まあ、阪神淡路大震災だのオウムだの酒鬼薔薇聖斗だのでそういった仮初の平穏にどんどん綻びが生じてくるわけだが、頑張って頑張ってみんな汚染水を除きまくっていたのだ。村上春樹の『アンダーグラウンドあとがきでも、「地下鉄サリン事件実行犯たちを狂信者だとして遠ざける我々一般市民たちも、『何らかのシステム自我を譲り渡している』という点で犯人たちと同じ翳を背負っているのではないか」という指摘がなされていた。

 そんなstandardの波に排撃されたのがB-BOYたちというわけだ。僕みたいな聞こえても即答できないWanna b-boyが語るのもおこがましいのだが、黒人文化濫觴とするHIPHOPは、90年代日本において「(虐げられてきた)俺たちだけの文化」という局地的受容がなされていたはずだ。「俺たちだけが真の音楽を知っているのだ」と互いを励まし合い、常人では知り得ない独自文化を発展させているのだとの自覚を懐きながら、Bのつくoutsiderたちは明日を生きる希望を得ていた。

 この風潮なら、GADOROより53のほうが内部からの支持は強いということになり、MCバトルでも53の圧勝ということになるだろう。GADOROは大衆の中に帰れるが、53はそうではない。身の回りの仲間を守り、決して流行に媚びない53だけが、本物のB-BOYにふさわしいということになる。

 しかし、だ。

 僕が生きている21世紀日本社会は、もはやハミ出し者が後ろ指をさされる時代なんかじゃない。一人ひとりが個性を求められるようになった、オンリーワン時代になったわけだ。

 原因は色々考えられる。個性を重んじる風潮が教育界で強まったこと、グローバル化の波が激しくなって社会人コア・コンピタンスを求められるようになったことなんかがそうだろう。

 インターネット、ことにSNSの爆発的普及はやはり大きい。一人ひとりの「リアル」に触れられるようになったことで、世界中意見を発信できることはそう難しくなくなったし、それまで皆で一括りにしていた「大衆」も実は十人十色の人の集まりであって、決して「大衆」は無機質な集合体なんかじゃないのだと、みんなわかってきた。

 まだまだ社会は発展途上だが、それでも少数派にとってずいぶん生きやすい世の中になったように思う。もちろんB-BOYだって恩恵を受けているはずなのだ

 じゃあ、社会から必要とされない恐怖と戦っている「弱者」とは、いま誰なのか。

 それはずばり「個性を主張できずにいる人」ではないだろうか。

 自分しかできないことを自分は見つけられない中で、自分の代えを周りの人が見つけてしまうことに怯えている。

 いま、日本人は「個性」に脅迫されているというのは、主語が大きすぎるだろうか。そう感じさせる創作物やら社会現象の例やらは腐るほどあるから、ここではいちいち出さない。

 確かにGADORO自身は、「社会不適合者」からスター」へとのし上がった存在なのだけど、「社会から必要とされる自分」を否定しない。

 埋没の波から、前に、前に逃げ続けて、等身大感情表現して、世界で一人だけの存在として認知されたい、という、21世紀の「弱者」たちにとって、GADOROは希望とするに足る存在なんだと思う。

 一方53は、「MASS 対 CORE」と最初バースで吐いた(合ってる?)ことに象徴されるように、電波を受信できる人たちだけを助けようとしていたと僕の目には映った。

 透明な存在として苦しむ現代人たちから共感を集めるのは、GADOROだ(僕は53も好きだけどね)。

 そんな構図がKOKでは見え隠れした。

 フリースタイルダンジョン最近何かあったようだけれど、これからHIPHOPは、社会不適合者が生き残る術としてだけじゃなくて、怯えている人たちに「個性の手」を差し伸べる術としても発展していくのではないかな、と思った。

2018-01-21

日本社会不都合な真実 @japanesetruth 国民の2000万人が派遣社員で平均年収168万円➡国会議員は最低で5000万円

国民の2000万人が派遣社員で平均年収168万円➡民間378万円➡公務員878万円➡NHK1780万円➡国会議員は最低で5000万円

議員国民税金で食べているシモ。有り得ない日本の腐ったシステム官僚特別会計天下り先確保

日本社会不都合な真実

@japanesetruth

anond:20180121110833

ニューリベラリズム日本語に訳しちゃったら新自由主義なっちゃうのが混乱の原因だよね。

で、経済論戦で、ネオリベラリズム(右)、ニューリベラリズム(左)であれば議論をし易い。

日本場合はその右左が、中韓の取扱、道徳思想の取り扱い、少数弱者の取扱に混ざってしまっている。

かつ、その中で中心となるのは、中韓についての問題

もうこれでおわり。なおかつ嘘まざってるじゃん?(右)と「これ以上の」謝罪をする(左)

所詮日本社会をめぐる一つの問題なんだけど、中韓の右左の有利不利を他の問題にまで演繹しちゃってるのが日本の右左の議論がだめな理由だと思う。

2018-01-18

この社会破壊したい。

社会の愛に接し、自分を愛し、家族を愛し、社会を愛することが、幸せである。」

それは嘘だ。

「愛とは。赦すことである。」

それは嘘だ。

不快ものにこだわるのは、無意味である。」

それは嘘だ。

あなた否定排除する機構破壊することで、あなたと同じ苦しみを味わうものが救われる。

社会は、暴力による破壊を、法律などの論理道徳観、倫理観否定するだろう。

しかしながら、論理賢者の道具である

論理力を持たない人が不快感を表明し、社会からそれらを除去するためには、

暴力によって破壊することも、一つの手段ある。

暴力は、悪ではない。暴力は、愚者権利である

社会完璧ではない。誰かにとって善であり、誰かにとって悪である

知識権力のある人にとっての善の機構が、愚者にとって悪であるなら、

それを暴力によって破壊することは、愚者の当然の権利である

 

以上 anond:20180114194957 を多少読みやすく書き換えた。

 

これはある意味で正しいのではないかと思う。

例えば、江戸城無血開城の裏には、圧倒的な武力があった。

武力がなければ、明治維新のような変革は起こらなかっただろう。

 

現代日本社会では、いろいろな意味での分断化が進んでいる。

経済的にも文化的にも。

これはとても恐ろしいことで、暴力革命のようなものがいずれ起きるかもしれない。

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