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はてなキーワード: 日本社会とは

2018-12-13

anond:20181213214334

そもそも子孫を残すことすら生物にとってそれなりの勝者じゃないと無理で

日本社会構成している人間にも容易でない実態があるのに

たかも望めば誰でも手に入るかのような言説の強欲さには辟易する

景気回復を実感できない人は今の日本社会に不適格

シンガポールにでも移住したほうがいいよ

いや金持ちが多いシンガポールじゃ余計に不要

なんか適当発展途上国あるかなカンボジアあたり?

2018-12-06

anond:20181205222003

お前ら今の日本社会が生きやすいと思うか?

それなりには生きやすいよ

ごはんおいしいですし

2018-12-05

anond:20181205125518

本当にお前らダイバーシティが分かってないんだな。これこそいい例だよ。ダイバーシティ別に育休ママLGBTの為だけのものじゃないんだぞ?

お前ら今の日本社会が生きやすいと思うか?確かに今の日本は「普通の人が当たり前にできること」の最大公約数に合わせて設計されてるから合理的にできてる。逆に言えばお前ら個々の人間システムに合わせた生活をしてるから合理的に回ってる。みんな大人しく週5日毎日8時間働くし、満員電車に乗って通勤してる。

でもお前らだって日常の中でちょっとずつ我慢してる事あるだろ?たとえば腹減ると腹痛になる体質だからいつも仕事ちょっとずつ間食しなきゃいけないとか、体質で朝どうしても起きにくいとか、家庭の事情で週5働くのがきついとか、海外由来の価値観のせいで働きにくいとか、みんなそういう個々人の事情があるはずなんだよ。それをみんなが就業規則で許される範囲内で工夫しながら生きてるわけ。で、工夫でもカバーできないカードを生まれガチャで引いちゃった人はもう社会からぶれるしかないわけよ。

そういう事情が全員に何かしらあることを最初から考慮して、マージンをもう少し増やした社会制度を運用することで、皆が力を発揮しましょうというのがダイバーシティな。同じ属性人間だけ雇用してるとどうしても右向け右になりがちだから、なるべく色んな属性人間を混ぜて雇用して、まず多様性のある環境を作り出しましょうということだよ。

そんな個々人の事情にイチイチ対応できるかよと思うかもしれないけど、そういう個々人の事情を全員が何かしら抱えてる場合、それはもう個々人の事情じゃないんだよ。お前だって本当は何か抱えてるけど工夫でカバーしてる部分があるんじゃないのか?

脚を広げて座れば元増田が楽になるというんだったら、それでいいじゃないか。なぜそれが迷惑なんだ?自分座席が狭くなるから?それは元増田のせいなのか?そもそも電車がいつも混んでるのがダメなんじゃないかマージンの少ない社会のせいじゃないのか?だったらもっとテレワークを普及させればいいのでは?通勤時間をずらせばいいのでは?そうすれば更に広範囲の人が楽になる。

多様性が元々誰にでも存在するという前提で設計された社会であれば、皆の苦しみは本質的に軽減するんじゃないか多様性が当たり前のようにそこにあって、当たり前に受け入れられる社会であれば、元増田修学旅行バスで立ったり座ったりしてても誰も奇異の目で増田を見ないだろうさ。皆何かしら抱えてるんだから

その結果、全体の生産性が今より落ちる可能性はあるかもしれないが、そもそも人は幸せになるために生産してるんだよ。分かるだろ?

もう一度言うが、ダイバーシティ特定人間のためのものだけじゃない。お前らが電車座席が狭くなって迷惑だなと思ってるのは、お前ら自身が「合理的社会はこうあるべき」という価値観でお前ら自身を苦しめてるんだよ。そりゃ今の社会状態では、現実的に隣に大股広げる奴がいたら迷惑だろうが、生活困難を訴える元増田にそれを言っちゃう価値観から俺たちはいつまで経ってもこの苦しい同調圧力から逃れられないんだわ。

日本人利己主義的体質

日本人間利己主義にしたのは昭和時代がすべてだ。

 外国では日本社会と違い、大人子供のどちらの国民もこれまで社会に参加できていたが、日本では長らく儒教主義時代があり、今も同じだ。日本儒教カーストの下位には人権もない状態である。つまり、今の欧米で起きている国民兄弟としての建前もなく「自分を支持してくれる大人世論にだけ徹底特化して、そうではない未成年層は無視して切り捨てるような社会」が、日本ではこれまでまかり通っていた。

 お金が幅を利かせる大人ばかりが社会に台頭し、そうでない未成年者は例えば人口は大きくても「階層社会」で軽視された。結果、学生は成人に使われるだけ使われ、大量のエネルギー大人エネルギーに使われた。学生が汗水たらして学ぶほど、その成果は現状のカーストの維持力に代わっていったのが昭和日本だ。つまり日本では下位の人間は上位をアテにして上位のヒモのような形で寄生して生きていた時代が長かったのである

 平成不況安倍政権左傾化などでこうした「利己主義儒教的な社会」にメスが入ったのが1990年代以降のことだ。結果、これまでのように階層社会を介して弱者依存するような他力本願で生きていた強者は立ちいかなくなり、あぶれる者が出てきて、そうした者たちの中には、虚業などに手を染める者も出てくるようになった。

2018-12-04

世の中からタバコ駆逐して生産性は上がったのか?

そろそろ現代日本からタバコが消えそうである

今や会社喫煙室ガラガラ飲食店でもタバコを吸う人は見かけなくなった

喫煙者である自分としては、特段喫煙者を敵視しているわけではない

分煙できてればたまにタバコの煙がかかるぐらい問題ない

はっきり言って、今の日本タバコ嫌いは異常だと思っている

世の中のアンチ喫煙者の人々は、喫煙の習慣により生産性が下がっていると主張していた。

例えばタバコの休憩の時間無駄だとか、ニコチン依存症による集中力の欠如だとかによって、

仕事の能率が悪くなるそうだ。

で、翻って今の日本生産性って上がったのだろうか?

アンチの言う事が正しいのなら、今の非喫煙者が大多数となった日本社会では、

少しは作業効率がアップして生産性が上がっているはずなんだが、

今だにそういう実感はない

本当に喫煙習慣は生産性を下げていたのか?

平成30年の国家社会ってマジで最悪だな

 ここには、ケチ、妬み、敵意、悪意、むき出しの競争心、いじめ、等しか存在しない。

から何も産まれないし、何も生じない。カスの極みで最悪。

一見、愛があるようにみえるが、これは鎮痛剤で、一貫した愛がないか生産性に関与しない。

もはや国家社会世界は暗黒であり、入って行った時点で人生が終わる。

この世界希望はない。終わり腐れている。

日本社会で働いている奴は生きている魅力がないのだから死んだ方がいいのではないか

この時代、遊んでいる子供勝ち組感凄すぎだろ。

2018-12-03

毒親育ちと日本嫌いは似ているが扱われ方に差が大きい

毒親育ちと日本嫌いは、自分を育てた相手環境が、ある程度の庇護を与えてくれつつも抑圧・虐待放置などの加害も行ってきて、その傷が後を引いているし相手を憎んでるというところが似ている。

だが、毒親の苦しみ恨みを語る人には同情が集まりやすいのに、なぜか日本についての恨み節は同情されづらい。

日本嫌いクラスタ」みたいなものの中では強い支持を得られるが、それは毒親育ちに共感同情する層よりもとても狭い。

またクラスタから批判も、日本を恨んでる人たちへのものの方が激しい。

毒親育ちについては、親に傷つけられ憎んでいても一人暮らしを決行することはかなりの困難があるということは理解されやすくて、「さっさと家を出ればいいだけじゃん」などと言うのは大体とりわけ口の悪い人だ。

だが日本が嫌い、日本社会が生きづらいという人には簡単に「ぐちぐち言ってないで国外脱出しろよ」と言われてしまう。

実は二つの属性を兼ね備えていて、親からもキツく当たられ日本社会でもうまくやれずどっちも憎い、という人もそこそこいる。

だがその場合毒親への恨みを語る時と日本嫌いを語る時とでは扱われ方が違う。

どちらも、うまく育つことが出来ず人生が苦しいことになっているのだし、みんな冷たい言葉を投げつけずに優しくしたりサポートしてあげたらいいんじゃないだろうか。

2018-12-02

anond:20181202210957

私がどうするべきかではなく日本社会存在する差別問題についての話です

anond:20181202114305

でもそういう消費豚がオタク自称することはなかったのよ。その主な理由オタク賤民であって自称する魅力も利益もなかったからなんだけどね。

そもそも中世から昭和に続く日本社会において、未成年は家の従属物(ソフト表現)だったし、成人女性家事労働提供者(ソフト表現)だったし、成人男性会社奉公人ソフト表現)だった。この社会において自由の幅ってのは現代に比べて極めて少なく、特にそれは趣味分野において顕著だった。庶民が嗜んで白眼視されないものなんてのは、男性において飲む打つ買うとその後継だけだったし、パチンコなんてのはその最たるものだった。女性においては男性にもましてきつきつであり、かろうじて数種の習い事が芸として社会認知されてたかどうかくらい。書物を購入してそれを読み漁るなんてのは、金持ち道楽であり、庶民の間ではむしろ唾棄すべき軟弱さの現れとみなされていたふしがある。まあ、だからこそ与謝野晶子あたりの明星派などによる「既存価値観への抵抗」としてのそれがあったわけだけど。

高度成長期を経て70年代から急速に文物が発展して、今現在趣味と呼ばれる文化が爆発的に多様化した。多様化した以上に「余暇に個々人が己の興味のあることをして過ごすのは当然の自由であり権利である」という認識一般化した。テレビ文化がひろまって、ヒッピームーブメントの余波から洋楽ブームが来て、ニューエイジ思想からオカルトブームUFO心霊写真! そしてフジテレビホイチョイ結婚してユーミンウィンタースポーツブームを生んで、広瀬香美とチューチュートレイン若者苗場に連れ出した。

の、だけど、そんなに主体的に生きてる人間ばっかじゃないのよな。増田の言うとおり。結局現在、「ソシャゲと深夜のアニメネット炎上案件に対するコメント時間を潰している、オタク自称している(下手したら自分自身ですらそう信じ込んでいる)人々」ってのは、昭和中後期で言えば「パチンコやって飲み屋愚痴言ってる箸にも棒にも引っかからないおっさんたち」だったわけよ。別段彼らはそれが好きでやってるわけではなく、「受け身で流されて適度に脳内麻薬がチョロチョロ出る余暇の消費」としてそこに流れ着いただけで、最初から徹頭徹尾ただの消費者であって、オタクでも何でもなかった。多分当時であったとしたって、パチンコ博打や酒が本当にそこまで好きだったかどうか疑わしい。そういうふわっとした人々が社会の大多数だったってのは、当時も今も変わらない。

どちらかというと「社会人は全員そういうもん(休日パチンコするくらいしかない消費者)だろ」っていう同調圧力がなくなり「余暇自由選択」になっちゃった結果、それが可視化されただけにすぎない。そのうえ「社会人は全員そういうもんだろ」っていうのは同調圧力である以上に、大多数にとっては劣等感を刺激しないカバーストーリーでもあったっていうのが問題で、いまのこの日本現代社会は「余暇の過ごし方」でさえも階級があるってのが、多分きつい。

まりはっきりとは指摘されないけれど、「何ら主体的趣味を持たない人間」ってのはやはりいまの社会では軽んじられる。一回級下の存在だと現在みなされるんだよ。それこそ「オタクであるほうがまだマシ」と考えるほどに。

から「(絵が好きなわけでも今まで描いてきたわけでも強い動機がなんにもないにも関わらず)絵が掛けるようにな(って賞賛を受けるようにな)りたいな」なんてボヤキがWebにあふれる。

べつに「何ら主体的趣味を持たない」って罪でもなんでもないのにね。前述の戦後から高度成長期にかけて、そんな人々は、社会に出て飲む打つ買うを一巡経験したら、すぐさま「どうやったら異性に興味を持ってもらえるかレース」に回収されて、あまり悩む間もなく半強制的結婚させられ、身体に異常でもない限り速やかに子供ができて、子育て忙殺されるというスケジュールに打ち込まれていた。そうすれば「主体的趣味を持ってない」なんてことは遥か彼方にぶっ飛ばされて、問題意識すら持たないで済んだのにね(その後は、後輩や年少者に対して「結婚社会人の義務だ」とか「子育てはいいぞ」ってマウンティングして余生をすごせた)。

社会の多くの人にとって、「個人アイデンティティと紐付けられた強固な趣味邁進する人生強要苦痛だし、でもそれを拒否するにせよ趣味する余暇なく仕事を詰め込まれるのはもっと苦痛だ。多くの人にとっては自由が毒にしかなってない。そういう価値観の変遷に、オタクは巻き込まれちゃっただけなんだよね。

2018-11-27

anond:20181127221146

でも現在日本社会キモくて金のないおっさん正規雇用しない差別を前提に組まれていることは問題視しないんですよねわかります

結婚した女性不都合社会問題

男性不都合個人問題なのは不公平だな。

結婚女性にひどい目に遭わされた男性はたくさんいるけど、「日本社会問題だ」なんて誰も言ってくれないし。

2018-11-26

ぼんやりとした不安

インターネットを見てるからか常にぼんやりとした不安を感じる。おそらくインターネットを見ているからだろう。

インターネットは常に俺に答えを提示してきた。大学受験とき就職とき一定作法を俺に示してくるインターネット

俺はその作法を愚直にこなすことでそこそこの学歴職歴を体に入れたけれど、そのかわり常にぼんやりとした不安を抱えることになった。

インターネット定量的で答えの決まった問題についてはある程度固まった指針を示してくれるが、

定性的で、答えは時と場合スタンスによって如何様でも変わる場合には、如何様でも変わるような情報しか示してくれない。

あらゆる人があらゆることをいうので俺はスタンスを決めることができない。

インターネットの後ろには日本人だけでも数千万はいると考えられるし、数千万人の日本人は俺にとってあらゆる人だ。

偉そうな人がいろんなことを言うし、ポジティブな側面を語られた場合にはポジティブ意見が、

ネガティブな側面を語られた場合にはネガティブ意見が同様の事象に対し書かれたりしてわけわからん

もちろんそれもあらゆる人がいてあらゆることを書いているからだろう。

だけれど同じ人が手のひらをくるくる返すときもあるからタチが悪い。

こういうとき思うのは、やっぱりいろいろ知ってて偉そうなことを言う人よりも、

自分責任をもって自分の考えで定性的ものごとを決定できる人が一番強いなあと思う。

ぺらぺらと管理職日本社会産業構造が配布されたPCスペックが悪いだの言っている人よりも

黙って手を動かしてきっちり自分で決めて責任までとれる人がすげえなあと思う。

そしてそういう人はインターネットにはそんなにいないのだろう。

女「幸せに生きようとすれば(結婚の)チャンスがくるよ」

こういう玉なしのアドバイスを真に受けると婚期が遅れる。

日本社会が良い例。

anond:20181126082650

元増田の話なんて誰もしてないよ

経済力は魅力のカテゴリーではないよ 結婚する上での最低限の装備、あって当たり前の装備

日本社会は、男の年収が800万以上なら9割方結婚して子どもを作る一方で、男の年収が200万代前半だとほぼ確実に子どもを作れてませんよね。

を繋げる接続詞は「でも」ではなく「だからである、と言う小学校レベル国語の話

anond:20181126075759

でも日本社会は、男の年収が800万以上なら9割方結婚して子どもを作る一方で、男の年収が200万代前半だとほぼ確実に子どもを作れてませんよね。

2018-11-25

anond:20181125232048

何が失敗かという定義次第だが、費用に見合った便益を日本社会が得られるのかという観点で考えてみたい。

万博開催に膨大な費用をつぎ込んで得られる主な便益は一部の土建屋と一部の広告会社が儲かること、開催を決めた政治家自己満足することだろう。社会全体で見た時、費やす金に対して大した利潤は得られないだろう。また、庶民個人目線で開催の便益を見ても、万博に行って楽しいというのはディズニーランドに行って楽しいという程度の話である。こういった事柄万博開催で得られる便益。

便益の反対の不利益も生じる。このままの推移ならば大阪万博の頃は今より一層日本財政状況は悪化している。そこへきて万博なんぞやれば、老人が老体に鞭打って祭りで踊り狂うようなもの財政的な死をいくらか早める。もっと別の建設的な事柄に莫大な予算を注ぎ込むことも可能であったという意味で莫大な機会費用も発生する。

こういったことを考えた時、大阪万博を開催することは成功には成りえず、開催する前から失敗であると言えるのではないか?と自分などは思う。

ありていに言って、万博なんぞやる金があるなら、その金をこれからまれ子供やそれを育てる親のために注ぐべきだし、外国人労働者日本に順応し融和するための施策に注ぐべきだし、高度人材日本に居付きたくなるようなSTEM分野の振興策に注ぐべきだ。

20年の東京五輪も、25年の大阪万博も、30年の冬季五輪も同じ理由で愚の骨頂。

2018-11-22

anond:20181121162404

そうだった!自転車でもなんか言っていた。理想が先行して「自動車中心の日本社会がいけない!」みたいな事を書いていて、「そりゃそうかも知れないけど、社会システムも担っちゃっているから、それをすぐに車排除して自転車に変える訳には…」と思った記憶が。

2018-11-21

公務員なのに、最高裁判所で働いてるような人や、行政権の全てを握ってる東大法卒の事務次官国家公安委員会に逆らってる時点で

 その公務員は叩かれても仕方がないわけだが。だって日本社会政治の最終決定権者は

最高裁判所裁判官か、行政事務方トップであり、それ以外の一切の公務員は、彼らに

従わねばならないし、それだけのことだから、彼らの意向に逆らう時点で、公務員として

悪であり、何を言われても仕方がないわな。

anond:20181121114329

本が売れているか啓蒙の有無を、日本社会が悪くなった(なっていると仮定して)原因と考えているのに、なぜ知識が広まるかどうかを「売れている本」によって判断しようとするのか。

教育マスコミ報道、世相、思想的傾向、貧富の格差

それらのほうがずっと啓蒙の有無に関わるだろう。

2018-11-18

anond:20181118011313

何やってもあんま変わらんだろうっていうのは自己肯定感の有無とは関係ないと思うわ

自分精神とか関係なく日本社会とか非合理的で非効率会社組織とか変えられる気しねえもん

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