はてなキーワード: 絶対正義とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/4746907083002274223/comment/segawashin
「正義棒が痛い痛い」とじゃれ合ったり「オヤオヤ絶対正義があるとお思いですか」と眼鏡クイクイしたところで問題は一つも解決しない。ウクライナやガザの後でなお冷笑ムーブがカシコを気取れると思ってるとは驚きだ
これって誰に何を言いたくて言ってるの?
ページの内容と関係あるの?
ページ自体は実は「歴史の正しい側にいる」が皮肉だったのを誤訳?されて意図が伝わってなかったのが広まったってことだよな?
フィンさんの意見としては(「歴史の正しい側にいる」とは核を落とした側で)核軍縮ではそのサイドが前提になってしまいうまくいかないってことだよな?
この解釈違ってる?
それともフィンを冷笑派って言ってるの?
まあ言いたいことはわかるが、経済については、ネットの普及する前はほんとにマスコミの言うままになっててなあ。
昔のマスコミってマジで、「円高だ!どうするんだ政府!」「円安だ!どうするんだ政府!」って同じ新聞で昨日と今日で繰り返してたんだよ。
それに比べれば、今のネット世論は「円高絶対正義マン」と「円安絶対正義マン」がそれぞれの理屈でちゃんと喧嘩してる分だけ超健全になったと思ってる。
どっちに転んでも叩く雰囲気作れば良いマスゴミに「結局どっちが良いの」と思わされるよりは、自分の頭で理解できる方を選ぶ自由がある。
昔のマスゴミの経済論に比べれば、「紙幣は無限に刷れる」でも「日経株価がすべて」でも、それぞれの責任で喋ってるだけ何万倍もマシだと思う。
https://togetter.com/li/1976833 自分を絶対正義としてこんなこと言ってるのがもうガチでヒトラーやプーチンの思考そのものなんだよな。こんな人に頼る福祉の法人は本件抜きにしてもヤバさが伝わる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728885547959315428/comment/Capricornus
自分の意見を聞かない女性は名誉男性として蹂躙する自称フェミニストが見るに堪えない。その本質はヒトラーやプーチンと変わらない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4720108063478170210/comment/Capricornus
【追記】
なんか二重投稿になったから消したら跡が残ってやがる。めったに書かねえから増田よく分からん。
本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。
当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断を校正者は担わない、自分はそう考えながら校正の仕事をしている。
もちろん「俺の赤は絶対正義!」なんて思っちゃいないけどよ。
俺は社員じゃなく孫請けの弱小フリーだからさ(ブコメで大手の正社員様だと勘違いされてるのは笑った)、そもそも信頼されてねえんだ。「明らかな誤脱以外は極力入れるな」ってな。
決定権を持ってるのは大前提として、著者や編集が言いたいのは「余計な仕事を作るな」って訳だよ。
別にそいつらが傲慢な訳じゃねえ。ちょいと特殊な現場で、俺も校正者の指摘を採用するかどうかの判断を任せられたことがあるけど、ありゃあ結構精神的にクるぜ。
決断には脳のリソースが必要って話だが、それをずーーっと一日中、どっちでもいい言い回しの変更やクソどうでもいい指摘を見せられては赤字で消してると、イライライライラしてくる。
そうそう。「指摘を入れない美学」と「入れる美学」はベテランの間でも結構対立しててよ。酒の席で喧嘩になってんのを見たことがあるぜ。
俺か? 俺は……怒られなきゃどっちでもいいな。ただ、「自分はこんな細かいことに気づけたぜ」ってオナニーにはならないようにはしてえな。
この仕事はいつだって、誰のためにやってるのか分かりゃしねえ。著者の側に立つのか、読者の側に立つのか、作品の側に立つのか……人が嫌いでこの仕事を始めたのに、どうしてこんな三つ巴の中間管理職みたいなことしなきゃなんねえんだ。
指摘される=自分自身を否定される、ではないはずなのに、それを担う校正者は何かと悪者にされがちだ。
そうかな。俺はアホだから、意見の否定を人間性の否定だと受け取りがちだぜ。
そうでなくたって、魂込めて書かれたものに「こうするともっと良くなりませんか?」って鉛筆入れるのは結構怖いことだし、そこは肝に銘じなきゃいけないと思う。
ただこれは、俺がその昔あるライターに「お前、その指摘本気で書いたのか?」って詰められたのをまだ引きずってるだけかもな。この文章は口が悪いが、よく吠える犬はビビってるだけなんだよ。情けない話だな。
ああそうだ、指摘はバンバンやってくれ、多けりゃ多いほど助かるって現場ももちろんあるけどな。どっちが良いって話じゃねえが、こっちの方が気はラクだ。
校正・校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。
それは本当に俺もそう思う。生涯勉強だよな。テニスプレイヤーの話も良かったぜ、聞かせてくれてありがとな。
俺がこの仕事に就こうとした理由のひとつに、「一生勉強せざるを得ないから」ってのがある。別に勉強が嫌いって訳じゃねえんだが、俺は怠惰な人間だから、学ばなきゃ飯が食えない状況したかったんだ。
でも結局、今も休みの日はずっと布団から起き上がれねえ。脳が腐っていく音がする。そのうち飯も食えなくなるんだろうさ。
わからないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。
公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田は絶対に良い校正者だ。
自分もYouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁のHPで調べたりしてる。
「冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教を信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……
まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。
GoogleMapの件はたまたまだ。近くにある別の店の情報を調べてたら、前の店は調べ済みだけどどうにも食い違ってそうだぞ、って気づけただけだ。いちいち調べるほど、俺は殊勝な人間じゃない。
「こんな単価で真面目に調べしてるんじゃねえ」「時間かけていいなら良い仕事なんて誰でもできるんだ」、よく言われたよ。
増田のとこは、校正に金と人をかけられる、いいとこなんだろうな。
この仕事の質は、自分の時間と気力や、会社の金とトレードオフだ。まあ、どんな仕事でもそうなのかもしれんが、あいにく俺は校正しか知らねえ。
雨の話で思い出したが、あったじゃねえか。「小説のウン年前のその日は月が出ていたか」って指摘がネットでバズったこと。
業界入ったばかりの俺はキャッキャ喜びながら「この指摘すごいっすね!」って先輩に言ったんだよ。そしたら難しい顔されてな。先輩に言わせりゃよ、「こんなの、たまたまOKだったから美談になってるだけだ」ってさ。
もしその日が大雨だったとしたら? 新月だったら? そんな指摘を著者に入れてどうなるんだ。
「俺の世界じゃその日は月が出ているんだ」って突き返されるか、その美しい描写がまるまる消えるか。いったいこの指摘、誰が得するんだ?
増田さんアンタは、ニュースやノンフィクションの現場なのかい? だったら細かい指摘は大事だ、厳密であれば厳密であるほど良い。
俺は一応どっちもやるけど、文芸は何が地雷になるか分からん。分からん程度の腕しかないから、俺にはあんまり依頼が来ねえ。憧れの作家うんぬんは、本当にたまたまだ。
冥福と仏教信仰の話はまるで発想になかった。毎回調べることは俺にはできないが、覚えとけばいつか役に立ちそうな視点だ。ありがとう、勉強になった。
とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正の仕事がこの世界にずっとあるといいな。
そうだな。
別に俺もこの仕事が嫌いじゃねえ、というかこの仕事以外で食える気がしねえ。賎業とは書いたし実際本気でそう思ってるが、校正がなければ俺は野垂れ死んでる。
お互い、何とかやってこうぜ。
私は荒川誠や笛木浩文の名で釣りを行い、彼らにヘイトが向かうように仕向けている。
ここ最近感じるのは、リベラル界隈が『かなり』釣りやすい事だ。
彼らは自らを「リテラシーが高く、知的」と信じてやまないが、差別や反政権を焚きつけるとコロッと騙される。
例えば、ターゲットへ成りすまし、あからさまな差別発言を行ったり、
フェイクニュースサイトと合成写真を用いた手法は特に効果が高く、
「創価学会USA会長荒川誠」と自民党、安倍晋三を絡めた話題は、あの津田大介も釣られ、数千ものリツイートを稼ぎ出した。
「自民党と創価学会USA、ワクチン接種で協力」は合成写真【ファクトチェック】
https://factcheckcenter.jp/n/nd5d73e57bfa5
彼らはQアノンを馬鹿にしているが、それは彼らが『ネトウヨ』だからであり、
結局のところ、ポジションでしか物事を考えられないので、リベラルサイドに都合のいい嘘や陰謀は疑いもなく信じるのである。
彼らがこのような話題に引っかかりやすい理由として考えられる点はもう一つある。
・彼らの中の「正しさ」のみが絶対正義であり、異なる意見を認めない
・少しでも彼らの持論から逸れれば、今まで味方であっても「敵」扱い
現に、立憲民主党の原口一博や鳩山由紀夫が『DS』を連呼し陰謀論を展開しており、確実に彼らには「素質」がある。
そのうえ、身内にも甘いので訂正されにくい。絶好の漁場なのだ。
最近「科学的に無害と明らか」みたいな言葉をよく聞くけど、そういう言葉って科学をよくわかってない人ほど言いがちで、言う人ほど科学を無邪気に妄信し過ぎている気がしている
「科学的に正しい=何があっても覆らない絶対正義であり真理」みたいに思っているのだろうけど、世の中でそのようなものはほぼないし、あってもごくわずか
例えば、1000人に飲ませれば999人に効く薬があったとしても1人には効かないこともあるわけだ
研究結果でも作用機序が明らかで、統計的にも薬に効果があることが間違いないなら「その薬が効くのは科学的に明らか」なんだけど、例外的にレアな遺伝子型や体質や、諸条件が揃わない患者には効かない、ということもあり得るのが普通
とすると「科学的に明らかなことだけど、例外も頻発する」みたいなことも起きるわけで、それは別に珍しいことではない
いかに科学で正しいと解明されたことでも、その証明のために行った実験では必ず色々な条件を定めている
実際に発生した条件が、確認実験をした条件と極端に異なる場合、予想外の事態も当然起こりえるわけだ
コロナのときもあった、「次亜塩素酸空間散布は効果がない」とする話も、実際はそんなことなくて、密閉空間で高濃度に散布したら当然だけど効果があるわけ
ただそんな空間は人体に有害だし、人体に無害なレベルまで濃度を下げたり換気しつつだったりすると、その除菌効果を確認することが困難、という話が真相なわけだよね
だけど、「あんなものは効果ないことは科学的に証明されている」と言う人はとても多かったと記憶している
「効果がある」「条件によって効果がある」「効果を確認できない」「効果がないことが証明されている」のような話はすっぱり線引きができるわけではなくグラデーションで、誠実な人ほど断言に躊躇する
STAP細胞の時も、一般の人は、あるんですかないんですか、が興味の対象だったけど、「現時点で再現性よく作り出すことはできないけど、そういうものが作れる可能性がある」みたいな、一般の人からすると意味わからん答えしかできないのが真実なことも多い
でも、一般の人はより断言されたはっきりした物言いを好むので、「科学的に証明されている」みたいな言葉は独り歩きしがちだ
色々悩ましいニュースは多いけど、
・その濃度は科学的に無害だとしてもその量でも無害か?(逆も同じ、その量は科学的に無害だとしてもその濃度でも無害か?)
・その行為は科学的に無害だとしても、長期間繰り返しても無害か?
・人体への影響が科学的に無害だとしても、我々がまだよく理解していない生物種や、微生物などにも無害か?
・根拠とする無害・有害のラインは人類が世界中で追試し確認してきたものなので信じるとしても、件のサンプルへのアクセスは当事者しかできない。サンプルの状態を示す数値は、本当に発表者の言う数値を信頼していいのか?
この辺は、報じられるニュースだけでは絶対に判断できないことだろう
だから我々科学者は「一般的に無害なのはわかるけど、懸念点も残るよね」と思うし、感情的に反対する人の考えていることもむしろ素直な疑問と思っている
そういう方を馬鹿にするように「科学的に大丈夫なのにw」みたいに言う人ほど、科学は科学ではなく魔法のカードのように思っているんだろうなと思ってしまう