はてなキーワード: 絶対正義とは
なんか二重投稿になったから消したら跡が残ってやがる。めったに書かねえから増田よく分からん。
本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。
当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断を校正者は担わない、自分はそう考えながら校正の仕事をしている。
もちろん「俺の赤は絶対正義!」なんて思っちゃいないけどよ。
俺は社員じゃなく孫請けの弱小フリーだからさ(ブコメで大手の正社員様だと勘違いされてるのは笑った)、そもそも信頼されてねえんだ。「明らかな誤脱以外は極力入れるな」ってな。
決定権を持ってるのは大前提として、著者や編集が言いたいのは「余計な仕事を作るな」って訳だよ。
別にそいつらが傲慢な訳じゃねえ。ちょいと特殊な現場で、俺も校正者の指摘を採用するかどうかの判断を任せられたことがあるけど、ありゃあ結構精神的にクるぜ。
決断には脳のリソースが必要って話だが、それをずーーっと一日中、どっちでもいい言い回しの変更やクソどうでもいい指摘を見せられては赤字で消してると、イライライライラしてくる。
そうそう。「指摘を入れない美学」と「入れる美学」はベテランの間でも結構対立しててよ。酒の席で喧嘩になってんのを見たことがあるぜ。
俺か? 俺は……怒られなきゃどっちでもいいな。ただ、「自分はこんな細かいことに気づけたぜ」ってオナニーにはならないようにはしてえな。
この仕事はいつだって、誰のためにやってるのか分かりゃしねえ。著者の側に立つのか、読者の側に立つのか、作品の側に立つのか……人が嫌いでこの仕事を始めたのに、どうしてこんな三つ巴の中間管理職みたいなことしなきゃなんねえんだ。
指摘される=自分自身を否定される、ではないはずなのに、それを担う校正者は何かと悪者にされがちだ。
そうかな。俺はアホだから、意見の否定を人間性の否定だと受け取りがちだぜ。
そうでなくたって、魂込めて書かれたものに「こうするともっと良くなりませんか?」って鉛筆入れるのは結構怖いことだし、そこは肝に銘じなきゃいけないと思う。
ただこれは、俺がその昔あるライターに「お前、その指摘本気で書いたのか?」って詰められたのをまだ引きずってるだけかもな。この文章は口が悪いが、よく吠える犬はビビってるだけなんだよ。情けない話だな。
ああそうだ、指摘はバンバンやってくれ、多けりゃ多いほど助かるって現場ももちろんあるけどな。どっちが良いって話じゃねえが、こっちの方が気はラクだ。
校正・校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。
それは本当に俺もそう思う。生涯勉強だよな。テニスプレイヤーの話も良かったぜ、聞かせてくれてありがとな。
俺がこの仕事に就こうとした理由のひとつに、「一生勉強せざるを得ないから」ってのがある。別に勉強が嫌いって訳じゃねえんだが、俺は怠惰な人間だから、学ばなきゃ飯が食えない状況したかったんだ。
でも結局、今も休みの日はずっと布団から起き上がれねえ。脳が腐っていく音がする。そのうち飯も食えなくなるんだろうさ。
わからないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。
公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田は絶対に良い校正者だ。
自分もYouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁のHPで調べたりしてる。
「冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教を信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……
まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。
GoogleMapの件はたまたまだ。近くにある別の店の情報を調べてたら、前の店は調べ済みだけどどうにも食い違ってそうだぞ、って気づけただけだ。いちいち調べるほど、俺は殊勝な人間じゃない。
「こんな単価で真面目に調べしてるんじゃねえ」「時間かけていいなら良い仕事なんて誰でもできるんだ」、よく言われたよ。
増田のとこは、校正に金と人をかけられる、いいとこなんだろうな。
この仕事の質は、自分の時間と気力や、会社の金とトレードオフだ。まあ、どんな仕事でもそうなのかもしれんが、あいにく俺は校正しか知らねえ。
雨の話で思い出したが、あったじゃねえか。「小説のウン年前のその日は月が出ていたか」って指摘がネットでバズったこと。
業界入ったばかりの俺はキャッキャ喜びながら「この指摘すごいっすね!」って先輩に言ったんだよ。そしたら難しい顔されてな。先輩に言わせりゃよ、「こんなの、たまたまOKだったから美談になってるだけだ」ってさ。
もしその日が大雨だったとしたら? 新月だったら? そんな指摘を著者に入れてどうなるんだ。
「俺の世界じゃその日は月が出ているんだ」って突き返されるか、その美しい描写がまるまる消えるか。いったいこの指摘、誰が得するんだ?
増田さんアンタは、ニュースやノンフィクションの現場なのかい? だったら細かい指摘は大事だ、厳密であれば厳密であるほど良い。
俺は一応どっちもやるけど、文芸は何が地雷になるか分からん。分からん程度の腕しかないから、俺にはあんまり依頼が来ねえ。憧れの作家うんぬんは、本当にたまたまだ。
冥福と仏教信仰の話はまるで発想になかった。毎回調べることは俺にはできないが、覚えとけばいつか役に立ちそうな視点だ。ありがとう、勉強になった。
とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正の仕事がこの世界にずっとあるといいな。
そうだな。
別に俺もこの仕事が嫌いじゃねえ、というかこの仕事以外で食える気がしねえ。賎業とは書いたし実際本気でそう思ってるが、校正がなければ俺は野垂れ死んでる。
お互い、何とかやってこうぜ。
なんか二重投稿になったから消したら跡が残ってやがる。めったに書かねえから増田よく分からん。
本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。
当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断を校正者は担わない、自分はそう考えながら校正の仕事をしている。
もちろん「俺の赤は絶対正義!」なんて思っちゃいないけどよ。
俺は社員じゃなく孫請けの弱小フリーだからさ(ブコメで大手の正社員様だと勘違いされてるのは笑った)、そもそも信頼されてねえんだ。「明らかな誤脱以外は極力入れるな」ってな。
決定権を持ってるのは大前提として、著者や編集が言いたいのは「余計な仕事を作るな」って訳だよ。
別にそいつらが傲慢な訳じゃねえ。ちょいと特殊な現場で、俺も校正者の指摘を採用するかどうかの判断を任せられたことがあるけど、ありゃあ結構精神的にクるぜ。
決断には脳のリソースが必要って話だが、それをずーーっと一日中、どっちでもいい言い回しの変更やクソどうでもいい指摘を見せられては赤字で消してると、イライライライラしてくる。
そうそう。「指摘を入れない美学」と「入れる美学」はベテランの間でも結構対立しててよ。酒の席で喧嘩になってんのを見たことがあるぜ。
俺か? 俺は……怒られなきゃどっちでもいいな。ただ、「自分はこんな細かいことに気づけたぜ」ってオナニーにはならないようにはしてえな。
この仕事はいつだって、誰のためにやってるのか分かりゃしねえ。著者の側に立つのか、読者の側に立つのか、作品の側に立つのか……人が嫌いでこの仕事を始めたのに、どうしてこんな三つ巴の中間管理職みたいなことしなきゃなんねえんだ。
そうかな。俺はアホだから、意見の否定を人間性の否定だと受け取りがちだぜ。
そうでなくたって、魂込めて書かれたものに「こうするともっと良くなりませんか?」って鉛筆入れるのは結構怖いことだし、そこは肝に銘じなきゃいけないと思う。
ただこれは、俺がその昔あるライターに「お前、その指摘本気で書いたのか?」って詰められたのをまだ引きずってるだけかもな。この文章は口が悪いが、よく吠える犬はビビってるだけなんだよ。情けない話だな。
ああそうだ、指摘はバンバンやってくれ、多けりゃ多いほど助かるって現場ももちろんあるけどな。どっちが良いって話じゃねえが、こっちの方が気はラクだ。
校正・校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。
それは本当に俺もそう思う。生涯勉強だよな。テニスプレイヤーの話も良かったぜ、聞かせてくれてありがとな。
俺がこの仕事に就こうとした理由のひとつに、「一生勉強せざるを得ないから」ってのがある。別に勉強が嫌いって訳じゃねえんだが、俺は怠惰な人間だから、学ばなきゃ飯が食えない状況したかったんだ。
でも結局、今も休みの日はずっと布団から起き上がれねえ。脳が腐っていく音がする。そのうち飯も食えなくなるんだろうさ。
わからないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。
公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田は絶対に良い校正者だ。
自分もYouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁のHPで調べたりしてる。
「冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教を信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……
まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。
GoogleMapの件はたまたまだ。近くにある別の店の情報を調べてたら、前の店は調べ済みだけどどうにも食い違ってそうだぞ、って気づけただけだ。いちいち調べるほど、俺は殊勝な人間じゃない。
「こんな単価で真面目に調べしてるんじゃねえ」「時間かけていいなら良い仕事なんて誰でもできるんだ」、よく言われたよ。
増田のとこは、校正に金と人をかけられる、いいとこなんだろうな。
この仕事の質は、自分の時間と気力や、会社の金とトレードオフだ。まあ、どんな仕事でもそうなのかもしれんが、あいにく俺は校正しか知らねえ。
雨の話で思い出したが、あったじゃねえか。「小説のウン年前のその日は月が出ていたか」って指摘がネットでバズったこと。
業界入ったばかりの俺はキャッキャ喜びながら「この指摘すごいっすね!」って先輩に言ったんだよ。そしたら難しい顔されてな。先輩に言わせりゃよ、「こんなの、たまたまOKだったから美談になってるだけだ」ってさ。
もしその日が大雨だったとしたら? 新月だったら? そんな指摘を著者に入れてどうなるんだ。
「俺の世界じゃその日は月が出ているんだ」って突き返されるか、その美しい描写がまるまる消えるか。いったいこの指摘、誰が得するんだ?
増田さんアンタは、ニュースやノンフィクションの現場なのかい? だったら細かい指摘は大事だ、厳密であれば厳密であるほど良い。
俺は一応どっちもやるけど、文芸は何が地雷になるか分からん。分からん程度の腕しかないから、俺にはあんまり依頼が来ねえ。憧れの作家うんぬんは、本当にたまたまだ。
冥福と仏教信仰の話はまるで発想になかった。毎回調べることは俺にはできないが、覚えとけばいつか役に立ちそうな視点だ。ありがとう、勉強になった。
とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正の仕事がこの世界にずっとあるといいな。
そうだな。
別に俺もこの仕事が嫌いじゃねえ、というかこの仕事以外で食える気がしねえ。賎業とは書いたし実際本気でそう思ってるが、校正がなければ俺は野垂れ死んでる。
お互い、何とかやってこうぜ。
私は荒川誠や笛木浩文の名で釣りを行い、彼らにヘイトが向かうように仕向けている。
ここ最近感じるのは、リベラル界隈が『かなり』釣りやすい事だ。
彼らは自らを「リテラシーが高く、知的」と信じてやまないが、差別や反政権を焚きつけるとコロッと騙される。
例えば、ターゲットへ成りすまし、あからさまな差別発言を行ったり、
フェイクニュースサイトと合成写真を用いた手法は特に効果が高く、
「創価学会USA会長荒川誠」と自民党、安倍晋三を絡めた話題は、あの津田大介も釣られ、数千ものリツイートを稼ぎ出した。
「自民党と創価学会USA、ワクチン接種で協力」は合成写真【ファクトチェック】
https://factcheckcenter.jp/n/nd5d73e57bfa5
彼らはQアノンを馬鹿にしているが、それは彼らが『ネトウヨ』だからであり、
結局のところ、ポジションでしか物事を考えられないので、リベラルサイドに都合のいい嘘や陰謀は疑いもなく信じるのである。
彼らがこのような話題に引っかかりやすい理由として考えられる点はもう一つある。
・彼らの中の「正しさ」のみが絶対正義であり、異なる意見を認めない
・少しでも彼らの持論から逸れれば、今まで味方であっても「敵」扱い
現に、立憲民主党の原口一博や鳩山由紀夫が『DS』を連呼し陰謀論を展開しており、確実に彼らには「素質」がある。
そのうえ、身内にも甘いので訂正されにくい。絶好の漁場なのだ。
最近「科学的に無害と明らか」みたいな言葉をよく聞くけど、そういう言葉って科学をよくわかってない人ほど言いがちで、言う人ほど科学を無邪気に妄信し過ぎている気がしている
「科学的に正しい=何があっても覆らない絶対正義であり真理」みたいに思っているのだろうけど、世の中でそのようなものはほぼないし、あってもごくわずか
例えば、1000人に飲ませれば999人に効く薬があったとしても1人には効かないこともあるわけだ
研究結果でも作用機序が明らかで、統計的にも薬に効果があることが間違いないなら「その薬が効くのは科学的に明らか」なんだけど、例外的にレアな遺伝子型や体質や、諸条件が揃わない患者には効かない、ということもあり得るのが普通
とすると「科学的に明らかなことだけど、例外も頻発する」みたいなことも起きるわけで、それは別に珍しいことではない
いかに科学で正しいと解明されたことでも、その証明のために行った実験では必ず色々な条件を定めている
実際に発生した条件が、確認実験をした条件と極端に異なる場合、予想外の事態も当然起こりえるわけだ
コロナのときもあった、「次亜塩素酸空間散布は効果がない」とする話も、実際はそんなことなくて、密閉空間で高濃度に散布したら当然だけど効果があるわけ
ただそんな空間は人体に有害だし、人体に無害なレベルまで濃度を下げたり換気しつつだったりすると、その除菌効果を確認することが困難、という話が真相なわけだよね
だけど、「あんなものは効果ないことは科学的に証明されている」と言う人はとても多かったと記憶している
「効果がある」「条件によって効果がある」「効果を確認できない」「効果がないことが証明されている」のような話はすっぱり線引きができるわけではなくグラデーションで、誠実な人ほど断言に躊躇する
STAP細胞の時も、一般の人は、あるんですかないんですか、が興味の対象だったけど、「現時点で再現性よく作り出すことはできないけど、そういうものが作れる可能性がある」みたいな、一般の人からすると意味わからん答えしかできないのが真実なことも多い
でも、一般の人はより断言されたはっきりした物言いを好むので、「科学的に証明されている」みたいな言葉は独り歩きしがちだ
色々悩ましいニュースは多いけど、
・その濃度は科学的に無害だとしてもその量でも無害か?(逆も同じ、その量は科学的に無害だとしてもその濃度でも無害か?)
・その行為は科学的に無害だとしても、長期間繰り返しても無害か?
・人体への影響が科学的に無害だとしても、我々がまだよく理解していない生物種や、微生物などにも無害か?
・根拠とする無害・有害のラインは人類が世界中で追試し確認してきたものなので信じるとしても、件のサンプルへのアクセスは当事者しかできない。サンプルの状態を示す数値は、本当に発表者の言う数値を信頼していいのか?
この辺は、報じられるニュースだけでは絶対に判断できないことだろう
だから我々科学者は「一般的に無害なのはわかるけど、懸念点も残るよね」と思うし、感情的に反対する人の考えていることもむしろ素直な疑問と思っている
そういう方を馬鹿にするように「科学的に大丈夫なのにw」みたいに言う人ほど、科学は科学ではなく魔法のカードのように思っているんだろうなと思ってしまう
本当に信じてほしいならWordreferenceかStackexchange辺りで以下の点について複数のネイティブに尋ねてこいよ
some people take being proficient in one language not being in anotherは文法的に正しくわかりやすく正式な英語かどうか
It's 1,000 years early for a young man like you to f*ck against me.のようにfuck againstをmess withの意味で使うのは一般的かどうか(普通はfuck withを使う)
あと仮にネイティブだったとしてもそれだけで信用に足るわけじゃない
菅総理の件でネイティブを信用できたのは、1人や2人のネイティブではなく全員が同じことを言っていたから
君の意見は大多数のネイティブや辞書の記述に真っ向から反対するものだから、ネイティブだったとしても参考にならない
数学や科学では大多数が間違っていて1人だけが正しいという状況がありうるが、言語は良くも悪くも多数派が絶対正義なわけ
でなければlong time no seeなんていう文法的に間違った表現は使われるはずがない
Wikipediaにもgoing toは比較的インフォーマルだと書いてある
The going-to future is relatively informal; in more formal contexts it may be replaced by the will/shall future, or by expressions such as plan(s) to, expect(s) to, is/are expected to, etc.
【婚約破棄されて修道院へ送られたので、今後は自分のために頑張ります!】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/801370361/455764235
作者はリアルでお隣の国がやってる国ぐるみの拉致をどう思ってるんだろうか?いろいろな国で被害者が出てたんだけど?リアルで被害者がいる犯罪を扱うならもうちょっと慎重に扱ってほしい。主人公の国側の人間の言動が自分勝手すぎ。国ぐるみの誘拐で誘拐犯側なのにこの国の人達は自覚なさ過ぎて酷い言動を繰り返してる。
この作者、こだわりが強くて気に入らないことを言われたらしくて一回この小説を消してるんだよね。
あまり共感されないだろう事で私にとって気持ち悪い事を書いてあったからどこかに吐き出したい。Twitterとかで書くと見られてからまれるからマイナーなここで書いてみた。
小説なんだからそこに出てくるキャラクターがそれは駄目なことだとの指摘があるだけでちがってくるけどね。
前回消す前の作者の態度が主人公が絶対正義じゃないと気がすまないって感じだったからありえなさそう。
お前ら誰に吹き込まれたか知らんけど、最低賃金を上げるのが絶対正義みたいな扱いしてるよな
悪く転べば、失業者は出すし、人員削減による現場の仕事量増加で過労死まっしぐらまであるんだぞ
デメリットを相殺するだけの準備をしなきゃいけないのに、お前らの結論はそんな会社潰れてしまえじゃん
最低賃金で働いてる奴らをなんだと思ってるんだよ?最低賃金労働者が、失業してそんな簡単に次の仕事見つかると思うなよ
失業後に待ってるのは、路上生活かもしれないし、家族の崩壊かもしれないし、生き甲斐喪失からの自死かもしれない
むかし、天下一品のこってりラーメンを食ってこれを吐いた女リポーターがおった。
殺意おぼえたね。類似句として「しつこくない」「食べやすい」てのがあるが黙っとけ。
いいか。こってりラーメンてのはな、こってりだから旨いんだよ。しつこさがいいんだよ。
何がうわぁ。意外とあっさりしてる~。だ。●ち●すぞ。
ラーメン=あっさりって言っておかないとみたいな謎の圧力に屈してんじゃねえよ。
そんな圧力ねえし。
えび=ぷりぷりしか形容詞を知らない低能リポーターいい加減にしろ。
馬鹿の一つ覚えみたいに「ぷりぷりぷりぷり」うるせえよ。プリクラかよ。
マジ腹が立ってきた。この「外サク中とろ」が絶対正義みたいな風潮にマジ腹が立ってきた。
言っとくけどな。俺は極度の猫舌なんだよ。
だからクリームコロッケとか内側の熱さで●しにくる食材が大っ嫌いなんだよ。
何が「外はサクサク。中はとろ~り」だ。逆に食欲が失せるっちゅうねん。
なにも俺は全否定をしてるわけじゃないんだ。
人間に学習されるのが絶対正義とされてる時点で違和感なんですよ。苦労してゼロから構築した絵柄のオリジナリティを脳内にコピーされて流用されるのが気分がいいわけがない。
よくぞ言ってくれた!
オレも絵に多少なり関わるものとして、同じことを思ってた。
確かに他人の絵を模写したりして学習したことは、あるけど、別に胸を張れることじゃない。
反省してるっていうか、自力で自分の絵を確立できるならそれに越したことはない。
逆の立場になれば正直、気分は悪いと思う。
でも、はてブの論調を見ると何を言っても無駄なんだろうなという諦念がある。貴方のような方がごく稀に現れるのが唯一の救いだ。はぁ…
ってよく言われるけど、そもそも人間に学習されるのが絶対正義とされてる時点で違和感なんですよ。苦労してゼロから構築した絵柄のオリジナリティを脳内にコピーされて流用されるのが気分がいいわけがない。まあ、外野に言っても聞かないし意味ないだろーけどさー。
二次創作では一次創作の作者様たちがガイドラインで明確に許可してるから乗らせていただいてるのであって、許可してない相手にフリーライドされる免罪符を配ったりは誰もしてない。女性が夏場水着になるのが好きなのと同じ。別に男にエロい目で見られたいわけじゃない、解放的な気持ちになりたいときに脱ぐというだけ。主体的に自分の意思でコントロールする権利がある。
最後に、努力した分が報われなかったら傷つくのは誰だって同じだと思う、とは言っておくね。プログラマーの仕事は知らないけど努力が評価される仕組みがなくて社会人が費やした時間がコストとして切り捨てられるのが平気なんて奴隷的だなとしか思わない。職業として未熟なんだな、としか。
日本では20年ほど昔にネットで真実と言う言葉が生まれ、それに染まった人物はネトウヨとされ、以来ネットで真実=ネトウヨ=デマは右派の専売特許とされてきたが、全く正確性を欠いている。
確かにその原型としてネットで晒されていたきっかけの情報は、韓国が反日教育を行っているとした画像や、そこから在日への憎悪を煽るように結び付けられたものであり、それに染まった人々の一部が、苗字にこの漢字が入ってたら在日、左右対称は在日、在日は出て行けなどただの差別的言動で煽動をし、それがネトウヨと呼ばれ、終いには在特会と言う形にまでなっていったのは事実だ。
何が正確性を欠いているかと言うと、同じ様な事象は右派に限らず往々にして様々な人々、集団に起き得る事象である事。
そしてそれに足る情報は別に真実でなくともなんでも良い。その人々にとって耳障りの良い、あるいは悪い情報であり、それに対する意志として自身を正義と定義出来るような事である事。
この事から『ネットで真実』と言う言葉やそれを右派と結びつけるのも正確性を欠くものであり、それがあって今日の日本の左派は自分毎として捉えられない、向き合えない問題があるのではないかと思う。
最近でもこの事には充分な事例がある。
一つは田村淳氏への高橋まこと氏による差別レベルの過剰な批判とそれに乗っかる人々。
きっかけは立憲民主党で有田芳生氏が山口県下関市での選挙において統一教会の人が下関は聖地と言っていた言動を選挙で持ち出して、下関は統一教会の聖地とし、更にはそれを立憲民主党公式アカウントがツイートした事。
これについて下関出身の田村淳氏は下関で育った人間としてそんな事実はないと否定し、風評被害を訴えていた。
そもそもただただ下関の出身ってだけで故郷の事なんざどうとも思ってない、腐れ芸人が、誰に言われたかは知らないが統一教会の聖地って言われていきなりの言だからさ^_^。とって付けた言葉だけどやっぱり選挙妨害なんだよなぁ〜。
有田さん頑張ってね〜。ま
残念です…高校生の頃からの憧れのアーティストにこんな汚い言葉を投げかけられるなんて💦萎縮してしまいます…お言葉ですが旧統一教会サイドが下関は聖地ではないと発信したことについてはどのようにお考えでしょうか?
ちなみに何度もつぶやいてますが…旧統一教会の問題や教団と繋がりがある議員については徹底追求してくださいというスタンスです。
萎縮してうまく伝えられないのですが💦僕は随分前に芸人を辞めてるので、表現するなら腐れタレントが妥当だと思います。
あと…もう一つ腐れタレントのTwitterをフォローして頂きありがとうございます。憧れのアーティストにTwitterをフォローしてもらえるなんて感激です。
これからもカッコいいドラム叩き続けて下さいね🥁応援しています!
最後に…下関、故郷のことなんてなんとも思ってないという言葉だけは撤回して頂きたいです。親も友達も下関にいるし、18歳まで過ごした大切な場所なので…
統一教会に関しては徹底追求してくださいとスタンスを述べている。
その上で、最後に、どうしても撤回して欲しいことを述べている。
そしてこれについたブコメが次だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/atsushiTSK/status/1651562080678596608
田村氏への過剰な侮辱はスルーされ、信者扱いでの批判が止まない。
この問題、そもそものきっかけである“下関は統一教会の聖地”と言う情報が、大多数の人はネットで拾った程度のものだろう。
先に挙げたネトウヨの始まりのエピソードでも、韓国は反日教育や政策をしていると言う情報がひたすらネットで上げられていた事がきっかけだ。
どちらも事実ではある、が、それを元に韓国人や韓国籍の人々を不当に悪く言う事が差別ではなかったか?
勝手な信者認定は、在日認定と何が違う?根拠や証拠があれば何を言っても良いのか?
手前勝手に山口出身者の心情をネットで拾った程度の情報を元にして決めつける事は、そんな簡単にスルーして良い事なのか?
対統一教会と言う正義、田村淳氏の交友関係から対自民党と言う正義に酔いしれてないか?
そもそも、自分の生まれ育った地域のことを、最近他所からやってきた人がネットで拾ったような浅い知識で適当な事言って居たら、そこに違和感を抱いたりするのは誰しもにあるような事ではないか?
立憲民主党だから、有田芳生だから、対統一教会だから絶対正義なんてのはありえない。
ついでに言うと、有田芳生氏は『統一教会が聖地と言っているのをやめさせましょう』と言うニュアンスで使ったのだろうと思うけど、最初に田村淳氏が引用し、後に削除された立憲民主党公式ツイートは聖地を強調してるだけに終わっている。
https://twitter.com/atsushiTSK/status/1650299505034825729
有田芳生候補「この下関って統一教会の聖地なんです。聖なる土地なんです。今度の選挙戦においても、統一教会と深い関わりを持った国会議員、地方議員がこの山口も含めて何もなかったかのように活動している。こんな現実を皆さん変えていかなければなりません」
https://web.archive.org/web/20230417045215/https://twitter.com/CDP2017/status/1647754214255509504
つまりこのこじれの一端としては田村淳氏がこの情報を見たのはこの立憲民主党公式ツイートで、この問題の納めどころとしては立憲民主党が公式声明で、下関市の人々へ風評被害を謝罪し、また有田芳生氏の選挙演説を正確性を欠く引用で炎上させて敗北させた事を自省するのが最適に思う。
今日も統一教会を責めたい筈の人々が統一教会を装備して統一教会関係者かどうかもわからない人を殴っている様は訳がわからなさすぎる。
草津の騒動について性被害調査は終えてその告発内容は否定されたが、当初この問題で加害容疑のあった町長や町長を擁護した人々への過剰な誹謗中傷は何も清算されていないと言う話。
群馬・草津町議の「性被害」告発をうのみにした人々が今すべきこと
https://www.newsweekjapan.jp/ishido_s/2023/04/post-5.php
これについてのブコメで、変わらず何の自省もなく、でもでもと言いたげな言い訳コメが散見されて仰け反った。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.newsweekjapan.jp/ishido_s/2023/04/post-5.php
「なぜ町長の証言を信じられないと彼らは思ってしまったのか」まさにこの人の言うように「女性が性被害を訴えても黙殺してきた歴史が日本にある」からでしょ。魔女が一人出たために魔女裁判が復活しないことを願う。
こんな我こそは女性の味方とでも言いたげな言い訳もあるが、この問題は単に歴史における男性の性加害文脈で済ませて良い話ではないだろう。
この件に限らず近年フェミニズム界隈での炎上では幾度も繰り返されてる事からも分かる通り、女性が意に反する女性までも名誉男性と扱い火炙りにする事は全く反省されていない。
また、今も追及が続くColaboに始まるWBPCによる不正会計疑惑では、Colabo側の言い分では疑惑の追及は全女性への攻撃であり、攻撃者はミソジニーとされ、徹底してその言に不都合な“会計疑惑を指摘する女性の存在”や“会計上主張してきた内容との矛盾”は無視されている。
これもネトウヨと同じく、偏った情報から我こそは正義と目覚め、意に沿わない意見は無視して我を通す暴走型正義の典型だ。決して全女性の地位向上を標榜としたフェミニズムと言う善性なものでは全くなく、逆に悪性なものだ。
ラディカルフェミニズムと言うカテゴリーがあり、一応はそれに当たると言うのが適当だろう。
逆に追求の中心となっている暇空氏の会計疑惑追及以外の過剰な独善性による他者への名誉毀損や、本当にただ女性への攻撃として乗っかっている人々は歪んだ正義として同様に批判されるべき問題であり、それはそれで当事者間で訴訟などあって敗訴となっても然るべき判断と思う。
一応、あくまでこれは右派の専売特許だと言う事への反証として、左派的な人物でも見られることとして定義する事からその事例を挙げたまでであって、右派は正義と言う話ではない。
左派の人々はこうした話を見るとどっちもどっちだと批判するが、この話、右派か左派かなどと言う定義すら狭い。
要は誰でもどんな要素でも正義を抱く事はある。
大事なのは、先ずその正義を疑う事。その情報源の正確性はどうかとか、誤解はないかとか、行きすぎた批判とならないか踏み止まったり、事が終わった後に非であれば認め改めて行く事だ。
ネットが生まれ、その集合知から恩恵を得る事もあれば、どんな主張でも同調者が現れ正義が暴走し易いという側面もあり、この先の世のリテラシーとして『ネットで正義』からの脱却があって欲しいのでこれを書く。