はてなキーワード: 町内会とは
イギリスのBBCの例の放送から半年が経ち、ジャニーズ事務所は瓦解しつつある。夏前の雰囲気では「噂では聞いた」「当人は故人」「証拠がない」「ごめんなさい」で寸志を渡して逃げ切りそうな空気だったが、再発防止特別チームの予想以上の報告書で潮目が変わった。
国体護持の立場から、新社長は東山紀之となったが、相変わらず「噂では聞いた」としか言わず、社名は変わらず、株主も変わらず、方向性も見えず、期限も示さずではまともな商取引をしづらいのは正直なところ。
そして、東山社長が今から40年近く前に、当時のジャニーズJrに『俺のソーセージを食え』と言い放ったことが話題となった。2005年の『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』という本の一節をネットニュースが取り上げ、それが拡散した形なる。
ところで、この本を書いたのは元ジャニーズJr.の木山将吾である。現役時点は山崎正人と名乗っていた。ただ、木山は、18年前にジャニーズ喜多川からの性被害について赤裸々な著作を書いていたにもかかわらず、この半年間のムーブメントでは特にコメントらしいものを発していない。彼はどこへ行ったのだろうか。
と、ずーっと謎に思っていたのだけど、実は、木山が滋賀県に住んでいることが判明した。
https://www.city.kusatsu.shiga.jp/citysales/ouen/boosters/list/ginrara.html
この写真の右側が、GIN山崎ぎんこと、山崎正人、すなわち木山将吾だ。
山崎は1970年生まれで、15歳~18歳まで山崎正人名義でジャニーズ事務所に所属。光GENJIの候補メンバーだったが、性被害を受けて退所していく。1988年に北公次(フォーリーブス)の『光GENJIへ』などのジャニー喜多川暴露本が出版された後、山崎は1989年、山崎銀名義でアイドルグループ「新・光GENJI」に参加し、それが「SHADOW」となる。SHADOWは、アンチジャニーズを標榜していた地下アイドルグループで、北公次が印税を注ぎ込み運営し、後に被害者の会代表となる平本淳也らも参加していた。ただ、きっかけが不純だったからか、すぐに解散している。
山崎は京都などで活動を単発的にしていたが、2005年に木山名義で『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)を刊行した。週刊文春の報道があり、2004年の最高裁でジャニーの犯罪が確定した翌年になる。
当時、鹿砦社は、ジャニーズ本を多数出していた。ただ、その多くがタレントの住所暴露本でさすがに褒められたものではなかった。社長は同年別件で逮捕されている。2007年には同じ内容でタイトルを変えて「KAT-TUNへ - 赤西仁がやめた本当の理由」と再編集本を出したあたり、同社に胡散臭さがあるのは否めない。週刊文春もこの時期は報道を控えていたこともあり、1988年の北公次のときほど話題にはならなかった。
その後、木山こと山崎ぎんは滋賀県草津市に移住し、2010年頃から滋賀ローカルタレントとして活躍している。GINLALAとして地元女性タレントとコンビを組み、地元コミュニティーFM「えふえむ草津」の出演、イベントやコンサートの司会などをしている。滋賀県のBBCには出演したこともある。
増田も以前に滋賀県に住んでいたことがあるんで、彼の顔は何度か見かけたことがある。平和堂の催しや、町内会の夏祭りの司会などもしていたからだ。名前はうっすらと記憶しているが、その顔や姿、声、話している内容は特に記憶がない。無名のセミプロタレントの一人だと思っていた。
本人は、別に過去を隠しているわけではないようだ。えふえむ草津のパーソナリティー紹介では
とある。ご本人としては「SHADOW」は黒歴史ではない模様だ。
ただ、イギリスのBBC以降のムーブメントがあるにもかかわらず、木山将吾こと山崎ぎんは、何も発言はしていない。2005年の本はかなり赤裸々にジャニー喜多川の加害を表現していたが、それを改めて言及するのは精神的にかなりしんどいものになるのだろう。コロナ禍で大変だったタレント業もようやく回復しつつある。それを台無しにしかねない。山崎はGINLALAのgooブログに登場するが、作成は相方のLALA氏が担当しているようなので、ジャニー喜多川問題への言及はない。
https://blog.goo.ne.jp/ginlala785kusatsu
思えば、ジャニー喜多川の暴露本の先鞭をつけた北公次にしても、再婚してワイドショーに登場した1994年以降、ジャニーズ事務所への言及を避けている。1999年10月から始まった「週刊文春」のジャニーズ事務所の連載。第1回目は、同じフォーリーブスの青山孝史だった。読者としては、続いて北公次も登場するだろうと思ったが、最後まで何も発言しなかった。後の裁判にも参加していない。
北としても、芸能界復帰への思惑がある中、言わずが花、という考え方があるのは理解できる。村西とおるらに煽られ暴露本を書いたものの莫大な印税はあっという間に消えた。反ジャニーズの連中が必ずしも自分の味方ではないというのも悟ったのだろう。
2002年、北は青山、おりも政夫、江木俊夫らとフォーリーブスを再結成している。当時、メリー喜多川は「北と青山はジャニーズ事務所の敷居を跨がせない」と激怒していたという。暴露本に参加したからだ。でも、フォーリーブスの名前を使うことができたのは、事務所とフォーリーブス4名で何かの手打ちをしたのではと指摘されている。タレント活動するなら、もう反ジャニーズに言及しないと腹を決めたのだろう。北は2012年に若くして亡くなっている。
おりもは今年5月のインタビューで「コーちゃんは、亡くなる直前まで『ジャニーさんに謝りに行きたい』と言っていました」と指摘したうえで、「僕も含めて被害に遭ってない人たちも多くいるわけで、ジャニーズのOBや現役を変な目で見ないでほしいです」とジャニーズ事務所擁護の発言をし、一部のファンの喝采を浴びた。おりもは解散後も長くジャニーズの世話になってきたし、北公次の発言を打ち消したい気持ちはあったのだろう。死人に口なしだ。
今年の母の日である5月14日、山崎は地元草津市のホールで「ファミリーコンサート」の司会をする一方、ジュリー藤島は東京で「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした。」と述べ、批判を浴びた。
木山将吾こと山崎ぎんは、遠く琵琶湖のほとりで、この半年のムーブメントをどう見ているのだろうか。本日水曜日は13時から「えふえむ草津」のレギュラー番組「GINLALA 午後は大銀醸」が生放送である。クルマで移動するタイミングなので一度聞いてみよう。
説明出来ない理由で最後の職を辞めてから、就職活動ができず、貯金を食いつぶして生活している。
ふと気づいたら、この生活なら年金が出るまで貯金で生活出来る計算になった。
東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館やギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。
でも、東京には歴史があんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識もあんまりない。
増田は東京生まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーやサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差した文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井のねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。
東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差した市井の文化は割と薄まってしまいやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井のねぷた絵師のような存在は文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。
ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井の文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。
下町生まれ育ちの増田が感じる、東京の下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京の市井の文化を紹介させてください。
そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭りが結構かなり多い。
下町は特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段は町内会で掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭りの氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である。
下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。
下町の祭りは基本的には神輿がメイン、山王祭(日枝神社の祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町は神輿。わっしょい、わっしょい。
隅田川より西側の下町の祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側の祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。
神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい。普段ダラシナイ自分の親父殿が祭りの衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店のマスターをやってるおじさんが、祭り半纏をめっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子どもは山車が出る。
下町の祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子は祭りにお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。
増田が子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。
結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。
まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。
今は、正月とか区の祭りとかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会が伝承しなくては、とかそういう感じみたい。
ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。
東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場。あといくつかの落語や演芸の団体がある。落語家が多い街、東京。
下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。
落語は、上記の定席小屋で毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。
覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHKの朝ドラ「ちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里のひぐらし亭とか、ミニ寄席が最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元の落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。
これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築。
なので、下町の園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレートし過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町生まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである。
そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社の境内で植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。
これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要なものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。
増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖は京都出身、新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である。
例えば真逆の存在として地方の農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的な理由があるが、東京にはその理由が希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係を継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外や地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係が必要になるんだろうなと思ったりしている。
手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。
これは下町に限らないのだが、東京の文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。
前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ。先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。
特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地、現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。
やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから墓趣味の人用の案内があったりするね。
このぐらい。
関東の田舎で働いてる。しがない機械工場勤めだ。話したいことがあって増田に投稿する。
いま居るとこは、すげーのどかだ。ほぼ東京の隣であるにもかかわらず田んぼが結構並んでる。あと数か月で稲刈りだな。今週ぐらい、近くの神社で夏祭りがある。嫁も子供もない自分は参加しずらいが、それでも毎年行ってフランクフルトと焼きそばを買って帰る。のどかな地域だと思う。地元なので思い入れはある。
それで、何か事情のある家族もいないし、二週間に一度は飲みに出る。安い焼き鳥の店で千円ちょっとだけ飲み食い(ボーナスが出たばかりだとやや高い店)して、それでスナックやラウンジに行く。田舎だから、そりゃあ安いもんだ。飲み放題で三千円の店とかもある。
自分が好きな店は、スナックとラウンジを足して2で割ったようなお店(以降は「お店」とする)だった。婚姻的な意味を表す英語が店名になっていた。最初はなんとなく寄ってみて、「料金高いな」と思ったけど、スタッフがみんないい子ばかりで気に入った。自分はあまりお金持ってないから、いちばん安いウイスキーボトル(ニッカor角)を入れて、一時間四千円ちょっとでしみじみと粘る。でも、ごく稀には同伴だってしてやるんだぜ。いつもカウンターに座ってる。テーブルには座らない。
さて、そんな具合でお店を楽しんでいたんだが、ある時だった。『町内会長』が店に来たのだ。60過ぎたくらいの。初来店だった。今から1年ほど前。
最近の爺さんって若作りな人が多い印象だけど、この人は年相応かなって感じだった。清潔感というのか、そういうのはあった。スーツと私服を足して2で割った感じの服装だったと思う(追記 調べたらセミフォーマルというらしい)。薄緑?~ダークグレーの装いがお店のうす暗い照明に照らされてた。
この人がタイトルの人だ。店の雰囲気にあまり合ってなかった。自分はこれまで、町内会長という役職の人と会話をしたことはなかった。なんか地域の代表者みたいなイメージしかなかった。一般雑誌とかアニメとか寝取られもののエロ漫画(あらくれ氏が描くような...)に出てくる町内会長しか知らなかった。のほほんとした感じの爺さんで、裏腹に一物もっている感じの。。。
続きだ。見慣れない人が来たなあ、と思っていたら、出入口からそう離れていないところで立ち止まっている。スタッフの女の子数人(平均年齢は30~40)も神妙な雰囲気だった。
「どこに座ったらいいですか」と、その人が言うと、チーママが「どこでもいいですよー」と言いつつ、俺とふたつ離れたカウンター席を案内した。それで、自分に付いていた子が2人いて、うち1人がその人のところに行って、あとはチーママが付いた。
そこで、その人が「すいません。料金の説明をしてもらっていいですか」とチーママに言った。で、説明を受けると、「ボトルは入れません。飲み放題にします」だって。※飲み放題の方がセット料金が高いが、ボトル代払ってキープすると安くなる。どっち派かは人による。
なんか、明らかにほかの客と雰囲気が違う。気になって、会話を聞いてみようという気になった......それで、おおよそ以下のようなキャラクターが判明した。
・お店の隣町の町内会長
・町内の飲み会の帰りに寄ってみようと思った(※徒歩)
・都内の商社で働いていて、定年退職した2年前に地元に帰ってきた
・珍しい店名だと思って寄ってみた
こんなところか。商社の名前もどこかで聞いたことがあった。こんな田舎者でも知ってる会社だ。きっと金を持ってるんだろう。年寄りだからな。
問題なのはこの後だ。会長は飲み放題のコース(1.5hで5,500円)にしていた。女の子のドリンクが1杯につき500円のはず。で、来店から10分くらい経った頃だった。会長に付いていた若手チーママ(34)の1人が、「私、一杯いただいてもいいですか」と言った。
すると、会長は左手を前に突き出して、「どうぞ」と言った。問題はその数分後だ。もう1人付いていた別の女の子(31)が、「1杯いただきますね」と言って、焼酎の水割りを作り始めた。
※上の括弧内の数字は年齢だ。オンラインゲームのレベル表示とかではない。わかってるとは思うが……。
すると、会長が「ちょっと待って」と言った。俺がそっちの方を向くと、会長が女の子(31)をちょっと睨んでいた。チーママが心配そうにしてる。
「その飲み物は、一杯につき料金がかかるんでしょう?」
「はい。500円です」
「だったら、その前に私の了解を得ないといけないんじゃないの」
「あ。はい。ごめんなさい」
「お客さんの了解も得ないで飲み物を作るのは、それは泥棒と一緒じゃないか!?」
女の子(31)は涙目になっていた。で、キッチンの方にすごすごと歩いて入っていった……。
こういうおっさんを見ると、本当にムカつく。わかってないのはあんたの方だろう。たかだか500円で、グチグチグチグチと。本当にケチ臭い人間だ。飲んでて気分が悪くなる。
あんた、金持ってるんだろ。俺と違って。別にいいじゃん。女の子に500円払うくらい。くれてやれよ。場の雰囲気壊してまでやることじゃないだろ。ああ、思い出し怒りがさく裂しそうだ。マジでイラついてきた。
その後は、チーママが謝ってたはずだ。会長が「ダメだよ。あんなことしていたら。ちゃんと教えてあげないと」みたいなことを言っていた。
何がちゃんと、だよ。気持ちが悪い。何様だ。金持ってんだろ。ケチ臭いこといってんじゃねーよ。みたいな思いがして、それから3、4杯だけ飲んで家に帰った(自転車を押して)。
何が問題かというと、この会長がそれからお店を利用するようになったことだ。けっこうな頻度でくるようになった。自分がお店に行く日と曜日が被っていた。
おそらく会長と3回目に鉢合わせた時だったか。自分がお店に入った時は、さっきの女の子(32)とチーママがいて、カウンター席で話していると会長がやってきた。自分のふたつ隣りのカウンターに座って、「飲み放題で焼酎(ウイスキーだったかも...)にします」と言ってたか。いや、確か焼酎だ。でかい梅干しをグラスに入れていた。その際、チーママに「(会長の場合は)ボトル入れた方が明らかに安い~」と言われてたけど断っていた。
その時、会長が女の子(32)に「この間は悪かった」と謝っていた。彼女は「いいです、いいです」みたいなことを言っていた。謝るくらいなら初めから怒ったりするなよと感じたけど、まあ世代が違うだけで、悪い人じゃない、いい人なのかもしれないと思っていた。
でも、やっぱり感覚が合わないんだよな。ほかの常連(一月に1回くらい会う)の人でさ、高齢のじいさんがいるんだよ。多分70くらいかな。細身だったと思う。で、その人がよくキレたりする。酒がまずいとか、今日はいい女がいないとか、カラオケがうるさいから黙らせろとか(※この爺さんも歌う人だから相手が邪魔だったのかもしれない)、とにかくうるさい爺さんだ。ほかの客にもウザがられてる。
できれば、チーママにはこの人を出入り禁止にしてほしいと思っていたし、実際に「出入り禁止にした方がいいよ。お店のためになんないよ」と進言もしていた。しかし、返事ははぐらかされるばかりで、なしのつぶての状態だった。
それでまた、ある時だった。爺さんが、その会長に絡むんだよ。で、会長も相手をする。「出身は?」とか「カラオケは何が好き」とか、あとは家族の話とか。ホステスよりも話してるんじゃないかという時もあった。
そういう時に限って爺さんがうるさい。でかい声で何かを叫んだりする。気が高ぶってるのかもしれんが、こっちはいい迷惑だ。頼むから静かにしてくれ。こっちはこっちで目の前の嬢と話したいんだよ。うるさくて聞こえん。
それからちょっとして、高齢の爺さんは店に来なくなったけど、それまでは本当にあの二人がうるさかったよ。不愉快な時間だった。
で、ようやく静かにお店を楽しめる~と思ったら、今度は若者連中(といっても30代だが…)と会長が話をするようになった。これがまた輩っぽくてうるさい。こんなにうるさいのかと思った。会長は、調子に乗って若者連中におごっていた。ホステスにもな。こっちは端っこの方でちびちびとやるしかない。
やっぱり、調子こいてるんだよな。いい会社に勤めてたからって、インドネシアに行ってたとか、赴任先の国でクーデターが起きたとか、間違えて強盗が徘徊してる列車で一夜を過ごすことになったとか、マジで自慢ばっかり。若者連中は一応は聞いていた様子だったけど、たぶん内心はつまらないに違いない。
なんで自分がこんなに会長のことを覚えてるかというと、それくらい嫌な奴だったからだ。一緒になったのは軽く10回は超えているだろうか。自分にも話しかけてきたことがあった。「男前だな」とか「無理にでも結婚した方がいい」とか「結婚したら人生変わる。大人になれる」とか「気分が暗そうだね。あなたもカラオケ歌わないか」とか、こいつマジで○そうかと思ったくらい、それくらい失礼な奴だった。
こっちだってやりたくて未婚なんじゃない。したくても結婚できねーんだよ。いい人がどうしてもいない。こっちは工場勤めだぞ。出会いなんてねえよ。ゼロだ。あんたの会社だと、男社員に女をあてがってくれる部署があるんだろ。大卒でも専門卒でも、かわいい女の子いっぱい雇って、総合職の男社員とくっつけるんだろ。羨ましい。
ムカつくことが多くて、あの会長のことをよく覚えている。マイナス方向のインパクトが強すぎた。ポジティブな言い方をすると、俺には眩しかったのかもしれない。俺はずっと底辺近くをはいずり回ってきた。まともな親とか、家族とか、教師とか、上司とか、そういうのは知らん。友達には恵まれたかもしれない。今ではもうぜんぶ遅い。もうすぐ40になる。人生は取り返せないのだ...。
そろそろ終わりにする。
会長の初来店から半年が経った頃か。つい先日のように思える。ようやく最後にオサラバができた。
その日、ちょっと嫌なことがあって、イライラしていて、お店に入ってもあまり喋ることがなかった。※工場内の数少ない台車をどの部門が使うかでケンカをしたのだ。マジで低レベルな争いだった。中学生かよってくらいに。
態度でわかるくらい気分が悪かった。チーママもほかのキャストも、ほかに3人いた常連さんも、遠慮のためか話を振ってくることはなかった。
そんな時に、会長が話しかけてきた。「増田さん、いつもより気分悪そうですね。大丈夫ですか」だったかな。
「まあまあですね」と答えたら、「いつもと顔が違いますよ。嫌なことあったんです?」って感じだった。
その時、キレそうになっていた。で、ただ一言、こんなことを俺は言った。「会長さんは、どうしてこのお店にくるんですか。ちょっと遠出すれば金持ってる人が入るような店ありますよ?」と聞いたら、「ここが好きなんだ」って返ってきた。
「この場末のお店のどういうところが好きなんですか?」と聞いたら、「若い人が多くて、スタッフみんなが仲いいところかな」と返答があった。
「でもここ、あんたが来る店じゃないよ!?」
頭に血が上っていた。いつもは言わないであろう言葉が出てきた。ぜんぶこのおっさんのせいだ。
「客層見てみろや。あんたは恥ずかしい!!」
会長は急に黙って、でかい梅干しが入った焼酎のグラスに手をやってた。
「すまない会長。でも、みんなそう思ってるよ……」
と最後に言ったら、「すまんね」とだけ言って、会長はトイレに行って、お会計を済ませてお店を出て行った。
周りを見ると、スタッフも常連さんも自分の方を見ていた。そうか、そうだったんだよ、みんなあのおっさんのことがウザかったんだな。でもお客さんだし、金払いもいいみたいだから何も言わなかったんだな、と合点がいった。
そう思うと気分が晴れて、イライラしてたのがすっとんでいった。目の前にあった安いニッカの水割りを一気に飲み干してグラスを置くと、チーママが俺の方をじっと見ていた。確か、こんなやり取りがあったかな。
・気分が悪そうなのに飲んだらだめ
・もうその一杯で帰った方がいい
・健康のことを考えて、安い酒はやめた方がいい
で、俺もだんだんその店に行くことがなくなった。というのも、自分がお店に行くと、ボトルが切れる度に、スタッフがひとつ壱万円以上のやつばかり勧めてくるようになったからだ。健康のためだという。
断ると、これがまた営業トークがしつこいんだ。高い酒飲めって。いや、もう嫌になってきたよ。あの安いウイスキーボトルが好きだったのに。
今ではふたつ隣の別のお店に行っている。やはり、安いニッカや角が置いてある店がいい。こういう店では、安い値段でゆっくりするのが好きだ。
老若男女問わず大はしゃぎの夏だというのに、嫌な話をしたな。申し訳ない。
でも、どうしても気になってるんだ。これは、関東にある一地方都市の話だ。東京都内など、真の都会暮らしの人には縁が薄い話だったろう。お目汚しを。
やっぱり、あの時、あんなことを言わない方がよかったんだろうな。町内会長さんには悪いことをしたな。後悔してる。もう謝る機会はないけど、胸の中にしまって生きていくわ。
ごめん。
「人殺しの顔をしろ」ってそういう意味じゃないだろ……って見かけるたびに思っている
このフレーズってこのブログの記事がきっかけで広まった認識なんだけど
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101212/p1
言っておきますが、この記事にはお化粧も、予定調和もありません。いつものように、人間のふりをしていません。私は人殺しの顔をして書いている。だから、さらに話を広げてしまうとすれば、私にはこの記事の町内会長の男性(62)のように持ち家も土地もありませんし、おおよそ年収200万円程度の人間に過ぎませんが、私も失いたくないし、私のこの生活が成り立つためであれば、どこかの誰かが職を失ったり、人格が破壊されるほど惨めな目にあったりしようが、知った話ではありません。ましてや、日本であるという程度の理由でこの王侯貴族のような暮らしが成り立つなら、どこかの国で悲惨な児童労働が何百万件行われていようと、知った話ではありません。知った話だとしても、知った話ではありません。せめて、人殺しの顔をしたい。
「今の私の暮らしは他の誰かが犠牲になることで成立している。だが私自身が代わりに犠牲になりたくない。しかしせめて誰かを犠牲にしたという自覚を持つ。」って意味だと思うんだよね
それが芸能人が自殺して、批判だか誹謗中傷だかしてた人に「人殺しの顔をしろ」って言うのは……
「自身の行為が悪だと自覚せよ」って意味で言ってるんだと思うんだけどね
そりゃ「自身の行為が悪だと自覚せよ」って意味の大意は同じだけどさ
生活を成り立たせるためにやむをえず行う「人殺し」と、積極的に批判だか誹謗中傷だかをする「人殺し」は違うだろ
まあミームってのは意味がどんどん変質していくものだから、これは当たり前の事ではある
だが元々のブログ記事が言いたかったことが忘れられているような気がしてちょっと悲しくなってしまう
(それとも私が知らないだけで「人殺しの顔をしろ」ってセリフは他に元ネタがあったりするのかね、だとしたら納得ではあるんだけど)
https://anond.hatelabo.jp/20230713110743
id:goldheadはその前から「人殺しの顔」論法を使っているが、
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101003/p2
たとえばこちらの記事では、横浜市が「市民の半数がアダルトビデオを問題視するように教育する」ことを目標にしていることについて、
とし、
と結論している。
教えてくれてありがとう
ご近所リスク:信頼できる不動産屋にまともな地域を相談する。下見に行く。町内会まわりでどういった関わりが必要か分かった上で夫婦で納得する。あとは慣れ。お互い様、長いものに巻かれろ、住めば都
手抜き工事リスク:知り合いで新築で家買った人やなんかに紹介してもらう、継続取引のある取引先とかから紹介してもらう。あと手抜き工事パターンをネットで予習しておいて、工務店がそういうこと言い出した時に黙って切るか、どういうことか聞いて釘を刺す。変なプラン付けようとしてくる携帯ショップ店員とのやり取りに繋がるような気がしてきた
ローンリスク:自分だったらここが不安MAX。家賃払わなくなってもローン返す訳で、嫁の認識がどうなのか気になる。あと離婚したら誰が払うんだろう? 嫁がここのリスク負わない気なら断固譲るべきでないと思う