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2017-12-14

村中さんはお気の毒で、村中さんに中傷じみた記事をかかれた家族

「村中さんはお気の毒で、村中さんに中傷じみた記事をかかれた家族はお気の毒ではないのか?」

子宮頸がん予防ワクチンHPVワクチン)について - 科学生活のイーハトーヴ」(http://blog.ihatovo.com/entry/2017/12/14/184223)に書かれていたことに関して。

おおむね穏当で妥当意見が書かれているように思えますが、気になる点もありまます

以下、批判的な内容になります

タイトルにも書いた、村中さんはお気の毒で、村中さんが嘘をついてまで無理やり取材して中傷じみた記事を書かれた家族は気にならないのかということ。

ここには、HPVワクチン接種後に生じた症状について、村中さんが、被害者団体などからさまざまな抗議や圧力を受けたことが述べられています

 その抗議や圧力がどのような理由に基づくものなのか(たとえば、村中さんの主張内容に対するものなのか、患者への取材方法の適切さに関するものなのか)は明らかにされていませんが、ご家族も含めて、日常生活を脅かされるような思いをされたようで、お気の毒に思います

(http://blog.ihatovo.com/entry/2017/12/14/184223)


村中さんは「子宮頸がんワクチンモンスターマザー  WEDGE Infinity(ウェッジ)」(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6587)という記事も書いてます

周辺取材から明らかになった事実

 母親は、少女小学生の頃から学校では知られた人物。「娘がいじめられている」と言っては、少女が副キャプテンを務めるクラブ活動の、キャプテン少女やその親などに繰り返しクレームをつけていた。

 中学に入り2年生になった時、ある事件が起きた。部活動中の体育館に突然乗り込んできた母親は薬袋を示し、他の部員が心労をかけるため娘は心の病になったと主張。部員父母会学校謝罪させた。処方されていたのは偏頭痛のための鎮痛薬だった。同学年の部員は全員部活を辞めた。

(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6587)


これが“子宮頸がん予防ワクチン(以下、HPVワクチンと呼びます)の安全性について、調査と発信”として必要なのでしょうか。単なる悪意に満ちた中傷的な記事内容でしょう。

そして“万が一、接種後に重篤な症状が出たら”救済されるかどうかも気になるでしょうが、村中さんのようなジャーナリストがやってきてこいつはモンスターマザーだみたいな記事を書かれることは気にならないのでしょうか。

“私も、これからHPVワクチンを受ける年齢を迎える娘の母親として、村中さんのお仕事拝読してきました。”とあるので、この接種後に重篤な症状が出た子の母親モンスターマザー呼ばわりする記事も読まれているのだろうと推測しますが、読んでいるのに全く気にならなかったのでしょうか。単なる受賞に対するお祝いの記事ならばあえて触れないという考えがあってもわからなくはありません。ですが、自分のこととして子供ワクチンを接種させるかや万が一に重篤な症状が出たらとエントリーを続けているので、実際に重篤な症状がでた子供家族に対して村中さんが何をしてどんな記事を書いたのかというのことについて何も触れていないのが気になりました。

お気の毒に思わなかったのでしょうか?

2017-09-26

心理カウンセリング

大学にある心理カウンセリングに通っている。通っているといっても、別に希死念慮があったり、人との喋り方がわからなかったりするわけじゃない。

しろ逆で、自分がなにをしたいのか、どうやって他人と付き合っていけばいいのかわからない。

周りの人がなにを考えているのか、それが正しいのか間違っているのかはわからないけど、わかってしまう。たぶんこれまで特にトラブルになっていないから、その大半は多かれ少なかれ当たっているのだと思う。

そんなにかわいくないのに思いっきり盛ってくる子、そんなにかっこよくないのに一生懸命おしゃれする子。すごいと思う。理解できないけど。どうしてそんなに自信を持って生きられるの。自分でも嫌な奴だなって思うけど、頭の片隅からそんな考えが離れない。

その嫌な見方を他の人も持っていると思っちゃう基準自分から、きっとみんな自分と同じくらい物事を考えているわけじゃないって言われるけど。他の人にどう思われてるんだろ、そう考えると日本は生きづらい。自分と違う国籍、年齢の人に囲まれた時はそんな感じしなかったのに、似た年齢の人が多いとこだと歩くのが怖い、すれ違うのが怖い。

飲み会の場でなにも考えずに騒げる子、いいなあ。どうしてそんなになにも考えないでいられるの。周りの反応とか、怖くないの。

すぐ異性にアタックできる子、付き合ってる子をフっちゃう子、なんでそんなことが簡単にできるの。自分が傷ついたり、他の人が傷ついたりするのが怖くないの。

どうでもいいやつはどうなったっていいと思う。大学にいる人たちの半分くらい消えて欲しいと思ってる。だってなんで大学にいるのかわかんないんだもん。それでも身近にいる人は気になってしまう。完璧に振舞おうとしちゃう

カウンセラーにそんなことを話したら、そんな人は稀だと言われた。そうなのかもね。いっつも何か考えて、失敗しないように動く人、そんなにいないらしい。でもその方が絶対いいと思う。なんでこうなったのかわからない。

最近ちょっとお面をかぶって生きている気がする。磨耗するけど。

きっと自分世間大学生から見てもマイノリティなんだってことはわかってる。なんでマジョリティになれなかったんだろ。お酒飲んで連れ込んで、そんな大学生になれる道だってあったのに。

でもやっぱりいっこだけ不思議。騒いでる大学生、偉そうに語る社会人、頭の固い老人、なんで自分を疑わないの?疑ってよ。

吐き出したいものはたくさんある。それへの反応も見たい。承認欲求もきっとある。なんでも思ったら言及してくれるとたぶん嬉しい。

<追記>

言及ありがとう、返信できなくてごめん。

結局どうしたいの?という問い、尤もである。全部世の中が自分の思い通りに動いて欲しいのかもしれない。どうなりたいの?という問いを立てると、やっぱり困ってしまう。うまく世間に適合する能力がないことからくる妬みなのかな。

共感反論もありがたい。匿名だと変に気を遣われないから嬉しい。ブックマークコメントもよければ書いてくれると喜ぶ。正直、自分が思っていた以上のコメントを頂けた、ありがたく拝読する。

ひとつ、これは反省した。他人をどこかで見下している感情は間違いなくあったと思う。自分正当性もっと疑わないといけない。山月記の李徴みたいという指摘は実に的を射ている。幼児的な全能感を捨てられない。

他人から結果だけで評価をされていたかはわからないけど、自分自分のことを結果だけで評価してきた気がするし、そうじゃない評価をしようとしてもどうしていいかからない。もう少し年齢を重ねればきっと変わるんだろうけど、それにすら抗ってしまいそうで怖い。

2017-07-29

主人公になると決めた

 僕はずっと、自分人生傍観者だった。

 この感覚自体理解出来ないという人が多そうだ。と言うか、そうであって欲しい。僕という人間世界中に一人しかいないと理屈では分かっているが、僕に対する僕自身評価が「その他大勢」だったのだ。世界主人公は僕以外の誰かで、僕はそうではない有象無象の一部だった。

 キモオタコミュ障で、学生時代教室の隅でキノコを生やしながら本を読んでいた。イジメの標的にされなかったのは、比較的育ちのいい子ばかりの私立学校ゆえイジメ自体が少なかったからで、公立に通っていれば悲惨学生時代になっていたと思う。

 本や漫画の好きな、いわゆるオタ友達ならいたのだが、彼らとも時々隔たりを感じていた。「普通高校生が異世界召喚されちゃう、みたいな話あるじゃん。もし自分がそうなったらどうする?」なんて話をしていると、僕は野垂れ死にする自分しか想像出来なかった。ファンタジー世界に行ったらこ属性魔法が使えそう、とか、さすがに王族に見初められる自信はねーわ、とか、そういうバカ話をする友達が眩しく見えた。彼らは自分主人公である世界想像出来るのだと知って、羨ましかった。

 仮に最初からファンタジーRPG世界に生まれ落ちたなら、僕には名もなきNPCがお似合いだろう。世界を救う旅をする主人公に話し掛けられて、「夕食の材料を買いに来たんだ」とかのどうでもいい話をする人。ゲーム攻略の手掛かりを提供することも、プレイヤーの心に残ることもない、そういう存在

 頭も顔もよろしくない僕が、器用に生きるのは無理だった。せめて真面目に勉強して、それなりの大学に行き、手堅い職に就こうと思った。そして当初思い描いていたレールと比べれば、多少の紆余曲折はあったものの、最終的には建築系の企業入社図面を書く仕事に辿り着く。

 この仕事は僕に合っていた。PCに張り付いてCAD操作をするのは得意だった。雑談が苦手でも、最低限の挨拶情報交換さえハキハキとしていれば「自分作業に没頭できる人」としてプラス評価を受けられるのもありがたかった。休み時間にも図面を書いて練習したり、参考書を読んで勉強していれば、そっとしておいてもらえた。人間関係の苦悩も、当面は食いっぱぐれの心配もなく、収入は安定していた。

 顧客の「こういうものを建てたい」という注文や、上司の「法に触れないように調整しておいて」といった指示を、PC画面上に反映させていく毎日。僕は自分意思を持たない、人の言葉PCに受け渡すだけの変換機みたいなものだった。仕事自体は好きでも嫌いでもなく、ただ毎日が過ぎていく。それでいいと思っていたし、僕にはそれがお似合いだと思った。

 そこそこ経験も積んで三十歳になったある日、僕は小さな建築現場事務所に配属されることになった。

 現場事務所にも色々あるが、僕が回された先は労働衛生基準法に照らせば真っ黒な、およそ人の働ける環境ではないという最悪の部類である間取り関係上、空調の効きが悪く、夏は暑く冬は寒い。窓はないため無風であり、日光は差さず、機械音だけがうるさい。

 環境改善要望無視され続け、僕のメンタル一年でイカレた。それでも一年間は問題なく務めたのだから、この人事は正解だったと言うべきだろう。最初からいた現場長以外の、僕の後任として入った人たちは、ほとんどが数日でダウンするか逃げ出してしまったらしい。退職間際、現場長一人で仕事を回しているので大変そうだ、と人づてに聞いた。

 そんなことを言われても、発熱眩暈、圧迫感、何の刺激もない時に突然涙が出る。労働どころか外出もままならなくなった僕は、仕事を辞めざるを得なかった。休職も出来ると言われたが、回復後に同じ環境に戻される可能性を考えると気分が悪くなったので、丁重お断りした。

 変換機として生きて行くことは、もう出来なくなった。

 かような経緯から、今の僕は三十路過ぎのニートである。なんと切ない響きだろうか。結婚どころか恋人もいない上、肉体と精神も損なってしまった。あとは失うものと言えば貯金残高と寿命だけ、というこの状況にあって、僕は一つの気付きを得た。

 職と健康を失ったことで、親には心配を掛け、友人からは「無茶しやがって……」とオタクらしいコメントを頂戴し、必然的に世話を焼いてもらう機会が増えた。それはとてもありがたく心強いことなのだが、申し訳ないことに、施される親切が僕の欲求とずれていることがある。たとえば今はさっぱりしたものが食べたい気分なのに、友人が手土産としてベイクドチーズケーキをくれる、というような。

 当たり前だ。僕の親しい人たちは、僕自身ではないのだから。彼らは彼らなりに、良かれと思うことをしてくれるのであって、僕の漠然とした欲求を察してくれるエスパーではない。友人は僕が「チーズケーキが好きだ」と言っていたことを覚えてくれてはいても、僕が今なんとなく食べたいものまでは分からない。

 ましてや職場において、僕が本当は日の当たる綺麗なオフィスで働きたがっているだなんて、誰が想像出来ただろう。ぼっちが平気で本さえあればゴキゲンコイツなら、環境が多少劣悪な現場でも耐えられるだろう、と判断されたのに違いなかった。

 僕の欲求を察して満たしてくれるヒーローなんて、どこにもいないのだ。

 ならば僕自身が、僕の欲求を聞いてくれるヒーローにならねばなるまい。主人公の座に戻らなければ。次はどんな働き方をしたいのか、どういう生活をしたいのか、趣味だって好きなだけ増やせばいい。一つずつ確かめて実現させて行く必要がある。

 今までは周囲に流されながら、手の届くものだけを掴んでいたけれど、本当は自分で水を掻いて行きたい場所に行けばいいし、欲しいものに手を伸ばしたっていいのだ。

 そういう風に考えて顔を上げると、空が今までよりも広く見えた。ごちゃごちゃと続く街並みを眺めるだけで、心が躍った。

 世間には「誰もが主人公」というメッセージが溢れている。その言葉自分には当てはまらないと、僕はずっと思っていた。

 だが今なら、「誰もが主人公」という言葉を受け入れられる。主人公とは、舞台の上で華々しく歓声やスポットライトを浴びる人を指す言葉ではないと気が付いた。演劇よりもゲームイメージした方が分かりやすいだろう。僕は多くの人にとっての「その他大勢」だが、物語の中で果たす役割が何であれ、僕は常にその人物を通して世界を感じ取り、考え、行動する。使用するキャラクターカスタマイズは出来ても変更は出来ず、人に操作を代わってもらうことも出来ない。生まれた時から死ぬ時まで、ずっと主人公であり続ける。

 だから、僕は主人公だ。非力でいいとこなしで、ステータス異常「うつ」まで付いてる始末だけれど、装備やスキルを工夫しながら目的地に向かうことを許された主人公なのだ。設定された座標を往復するだけのNPCじゃない。

 今の僕は三十一歳。自分がやりたいことを見極め、がむしゃらに夢を追い始めるには微妙な年齢である。夢を叶えようとしても、たとえば警察官になるには既に受験資格を失っているし、俳優を目指そうにもこの年齢の未経験者を入れてくれる劇団を探すのは難しい。

 僕の場合は更に厄介なことに、そもそも自分のやりたいことが分からない。趣味と言えば読書ゲームジョギングくらいで、人に誇れるものは何もない。小学四年生くらいまでは作家になりたいと思っていたが、三十一歳になった僕が小学生自分を参考にするというのも情けない話である

 しかし、うん、作家か。今も昔も、本が好きなのは確かだ。文章が書ける限り何歳からでも目指せる、年齢制限のない夢があるというのは悪くない。故に諦めを付けるのが難しいという、泥沼のような側面には注意を払う必要がありそうだが。

 他にもきっと、意識するより先に諦めてしまった「好き」や「やりたい」が山ほどあるのだろう。中には既に、年齢制限に引っ掛かってしまって叶わないものもあるだろう。それでも今の僕は、それらを探しに行きたいと思う。仕事でも、趣味でもいいから、傍観者をやめて、僕自身物語に介入したいと思う。

 それにしても、まさか三十路を超えた後にやりたいこと探しをする羽目になるとは。作家になりたいです!と公言するのは匿名記事ですら気恥ずかしいのに、年齢がそれに拍車を掛ける。若い人は是非、若い内にこの恥をかき捨てておいて欲しい。

 僕の物語ハッピーエンドである保証はない。夢を一つも叶えられないまま死ぬのかも知れない。そうだとしても、ジタバタもがいた後の方がきっと安らかに死ねると信じ、決意を固めるべくこの記事を書いた。デスクワークしかしなかった日よりも、気力を振り絞ってジョギングに出た日の方がよく眠れるのと同じように。

 三十一歳、無職独身恋人なし、病身。見事な詰みの現状から、この先何が得られるのか、少しワクワクしている。



追記:

 コメントトラバともありがたく拝読している。僕は個別に返信出来るほどマメではないので、かいつまんで書く。

 とりあえず、今の僕は既に心療内科のお世話になっていること、療養二ヵ月目でそれなりに落ち着いていることをお伝えしておきたい。

 この記事では「主人公」という、誰にでも通じるであろう言葉を用いたけれど、意味としてはゲーム用語の「プレイヤーキャラ」の方が適切だと思う。僕の自意識主人公のそれになっても、他の人から見れば立派なモブのままだ。

 ブクマコメで指摘されている、「これといってやりたい事が無さそうに見える」は、本当にその通りだ。自分のやりたいことを考えてみた時、小学生の頃の夢しか思い出せないくらいには何もない。

 最初から主人公としての自意識がある人には分かってもらえないかも知れないのだが、「お前は主人公じゃない」「どうせ何も出来ない」と自分に言い聞かせ続けていると、やりたいという気持ち自体が起こらなくなる。出来もしないことについて考えるのは、不毛無駄なことだから。出来る人を羨むのはしんどいから。心を守るために、「別に自分はやりたいとも思わないし」と思い込むようになってしまう。

 ずっとそんな風に生きてきた僕は、まずやりたいことを探すところから始めなければならない。言われてみれば、似たような筋書きの作品はいくつも思い当たるのに、僕は今まで何を読んでいたのだろう。本で読むのと、体で理解するのは別のことだということか。

 実は僕の状況は、詰みというほど悪くはない。失ったものは大きいが、得たものもまた大きかった。この記事に書いた自意識の変化が一つと、もう一つは人に恵まれていると実感出来たことだ。

 別地方勤務の同期が突然旅行で近くまで来てくれたり(うつ患者観光案内させるとか鬼か)、元上司が飲みに連れ出してくれたり(薬の関係で僕は飲めないのに)、オタク友達はここぞとばかりにDVD押し付けてくる(全部観ているとただのヒキコモリになってしまうからやめて欲しい)。

 盛大に人生をスッ転んだ結果、それでも助け起こそうとしてくれる数少ない人、僕が大切にすべき人たちをハッキリと見分けられるようになった。今のところ僕のやりたいことリスト最上位は、「この人たちに恩返しがしたい」だ。自分欲求とのバランスを取りながら、頑張ってみたいと思う。

 今はチーズケーキの気分じゃないとか言ってごめん。今度は僕が、自分で選んだ菓子を持って遊びに行く。

2017-06-20

叱られた時のショックが消せない

30近い人間の言うことと思えないが、リアルに困ってるので教えて欲しい。

叱られた時、どうやったら叱られた時のショックは蓄積しないで立ち直れるんだ?

自分空気があまり読めず、読めないが故に無礼発言や過剰な発言が多い。KYなんて可愛いものではなく、基本的発想が自己中心的で無神経の域だと思う。

自己中の自覚はあり、人を不快にさせる発言改善したい気持ちもあり、微々たるものだが改善してはいる。指摘してくれた相手には感謝しかない。

自己啓発系の本を読んで、失敗も経験といった考え方や、落ち込まないように抑制すると逆効果からX時までとことん落ち込むと時間で区切る方法を学んだ。

実践してみてそれなりに効果はあったと思う。

「何で自分は言う前に気づけ無いんだ」と自責して終わりにせず、「これが駄目だったのならこう変えよう」と改善に繋げられるようになった。

なのに「またやってしまった!」と気づいた時のショックだけが脂肪みたいに蓄積して困っている。

もう改善策も見つけて実行できて同じケースでの失敗はしてないのに、ふとした時にショックだけがフラッシュバックしてくる。

フラッシュバック時の変化

昔は「何で自分はこんなに馬鹿なんだろう」って心中で落ち込むだけだった。

次にやけ酒・やけ食い、もしくは1日まったく食欲がわかないの、食欲の両極端化が起きた。

二年くらい前からトイレの個室の方にこもって泣くようになった。家でも職場でも外出先でも一旦泣かないと立ち直れなくなった。

で、ついに最近「もう死にたい」って思うようになった。

今日トイレの個室で「死にたい」と声に出してしまった。

蓄積と悪化を顕著に感じている。

ストレス要因の有無

仕事給与は適量で、人間関係会社全体で良好なホワイト企業だと思う。特に上司には恩義を感じている。

どんなにムカついても見捨てないでくれる古くから親友もいる。

心底楽しいと思える趣味もあり、好奇心は旺盛。

結婚を前提に交際している女性もいる。

家庭環境特筆点はなく、両親共に健在で、社会に出てから感謝することも多いのでしっかり育ててくれた良い両親だと思う。

自身の外見は上中下なら「下」だが、幸い特徴的部位はなく、いじめ対象となったことはない。

完璧主義責任感や真面目なんて言葉とは対極の性格

将来の目標もあり現時点は目標への延長線上に立てている。

彼女親友は、遊んでる最中自分唐突トイレにこもり、目を赤くして帰って来たら心配し、話を聞いてくれる。励まし、慰めてくれる。

悩みを打ち明ける相手がいないことはない。

現状にストレス要因はないと推定している。

フラッシュバックが起きやすタイミング

上位3位は就寝前、入浴時、調理時。主に脳内が「無」の状態の時に起きやすい。

なので、気の置けない相手との雑談の合間や、慣れている仕事を行っている際も上位に入る。

圧倒的なのは就寝前で、暗い部屋でいい歳した大人が泣いていると、思考マイナスに寄ってしまい、蓄積されていたショックが増幅して帰ってくる。

睡眠時間が削られるのも困るが、頻度は低めでも仕事中にも起きてしまうのが本当に悩みどころだ。

精神科はすでに行った

就寝前のフラッシュバックで不眠気味になり、仕事に影響が出たので、精神科受診した。

不眠症の傾向があるとは診断されたが、うつ病の傾向は見られないとのことだった。さもありなんと思った。

フラッシュバックが起きていない時は、70まで生きれるとしてもあと40年余りしかないことを悔やむほど楽しく生きている。

からこそフラッシュバックが起きる意味は皆目見当もつかず、また発生時の自分の落ち込み様にも理解が出来ない。

睡眠薬は処方してもらったが、嫌なことを思い出さずに入浴できる薬などあるわけもなく、現状はできるだけ脳を「無」にしないことしか対策がない。

そんなの交通事故防止に対し「注意して運転しましょう」と言うだけのようなものだ。

軽減はできても根治はできない。

カウンセリングも受けてみた

顔が見える相手だと緊張してしまい、3回受けて3回とも効果や収穫はなかった。

「小さいことは気にしないようにしましょう」と言われ、それができないから受けているのにとがっかりしただけだった。

異常に打たれ弱い人間として生きるしかないのか

学生時代には、まだ自分精神的に幼く、叱られた経験も少ないから強いショックを受けるだけで、大人になれば緩和されると思っていた。

だがむしろ悪化している。

今でも叱られるのがとにかく怖くて嫌だ。

経験として成長に繋がっている実感があっても、「怒られてしまった」というショックの蓄積はなくならない。

新たな注意点の発覚(によるショック)が怖いので、職場の昼食時の雑談などには入らなくなった。

幼少~少年期は腕白で、乱暴な子だったように思う。滅多に叱られない優等生では決してない。

しかしたらその頃から蓄積されていて段々臆病になり、今、「死にたい」まで到達してしまったのかもしれない。

だとすれば自分は生まれつき異常に打たれ弱く、それは一生改善されることがないのだろうか。

一番怖いこと

積もり積もって「死にたい」が「死のう」になり、本当に自殺したら、自分としては残念ではある。まだ「こち亀の最終巻を読む」しか夢を達成できていない。

だが自分決断して実行したのであれば自己責任だ。

でもフラッシュバックは本当にいつ来るか分からないので、例えば彼女と買い物に出てる最中に「死のう」に到達するほどのフラッシュバックが起きたらと思うと非常に怖い。

自分死にたいなら死ねばいいが、真面目な両親や、責任感の強い彼女にはどんな迷惑をかけるか分からない。

常日頃から自殺の二文字が頭に浮かんでいるならまだしも、現状では「人生楽しい」という時間の方が長いので、いつ死んでも良いようにと孤独状態を作り出すことはできない。自分勝手だが。

それでもいつかポーンと自殺してしまいかねないと怯えるほど、フラッシュバックとショックの蓄積が怖い。

今日起きたフラッシュバック

これだけ長々と書いたが、そう言えばまだ先週叱られたことを書いていなかった。

その日は趣味繋がりのLINEグループの場で失敗した。

女性メンバー自分デブからモテないと自虐ネタを入れて来たのだ。

過去に似たようなケースで「太っているより痩せている方がモテやすくはある」と返したら叱られたので、女性自虐ネタ否定するのが正解なのだと思っていた。

別に太っていると思ったことはない」といった旨を返すと「嘘だ~w」というレスが来た。

会話の雰囲気やスタンから向こうも会話に乗ってきてくれているのだと思ってしばらく会話していたら、後ほど別のメンバーから個別LINEで指摘が来た。

「軽く終わらせて欲しい自虐ネタを、稚拙な嘘でフォローされて、長々とそのネタで会話を継続されると精神的に辛いものだよ」といった内容だった。

時を置いて読み返してみると、たしか相手女性からは早く会話を切り上げたい雰囲気が漂っていたし、他のメンバーからも会話をやめるようヒントが飛ばされていた。

自分はむしろ相手女性に、女性として十分魅力的であるフォローしていたつもりで、良いことを言っているつもりだった。

冷静になってみたらただのセクハラだった。

ただこれだけだ。

自己中が、女性の前で格好つけたかったものの、ただ空回りしただけだ。

「気をつけよう」で終わらせていい話だし、すでに「自虐ネタ対応は、自分のような人間にはまだレベルが高いので、もっとコミュ力が高い人に任せ勉強させてもらおう」と改善案自分の中で明示した。

もう一週間も前の話だ。

なのに今日会社でこの一件を指摘された時のショックがフラッシュバックした。

急に心臓が圧迫されたような感覚になり、トイレの個室でひたすら「死にたい」と呟いた。

こんなに死にたいと思ったのは初めてだったので驚いたし、怖くなった。

前回のフラッシュバックの時は、死にたいとは思ったが口には出さなかった。

今回は呪詛のように呟いていたので、いよいよもって危険だと感じた。

皆はどうしてるんだ?

まとまりがなく、長々とすまない。

皆はどうしてるんだ?

こんなフラッシュバックは起きないのだろうか?

それとも慢性的死にたい気持ちと戦ってるのか?

ここまで読んでくれた人がいたなら、まずは貴重な時間ありがとう

異常に打たれ弱いと言っておいて説得力もなにもないだろうが、このフラッシュバックを根治したいので、何かあれば是非教えてほしい。

追記6/21 13時

情けないと叩かれて終わるかと思っていたから、今本当に嬉しい。皆どうもありがとう

もう昼休憩終わるから、ひとまずお礼だけ言いたかった。

帰宅したら教えてくれた病気や本を調べてみる。ブコメも一つ一つ拝読する。

本当にありがとう

追記6/22 2時

お礼と、情報をまとめた。

http://flashbackshock.hatenablog.com/entry/2017/06/22/023926

2017-06-13

その昔

そこそこ読まれるようなブログをやっておりまして、あるときに諸事情により逐電したものです。とはいインターネット引退するでもなく、日々ツイッターに常駐し、ホッテントリなど拝読する日々なのですけれども、たまにはこう、すごいおもしろブログとかにぶち当たったりして、過去に遡ってずんずん読んでたりしてますと、不意に自分名前が出てきてびっくりしたりします。あれは心臓に悪いからやめていただきたい。

はいえ、不思議にも思うんですよね。現在の俺は鍵垢にほとんど常駐していてエロマンガ先生いかに紗霧の肉体鑑賞アニメであるかを力説していたり、ひなたがあおいを大好きすぎるのはどうにかしたほうがいい、具体的にはセックスとかしたほうがいいんじゃないかとか呟いてるだけで、まあいってみれば俺にとって「外部」はないのです。少なくとも「俺でございます」などと大声をあげて外に飛び出すことはまったくなくなりました。インターネットにおける余生の過ごしかたのひとつかと思います

でもかつて、まあ数年前の話で、インターネットにおける糞ドッグイヤーにおいては遠い過去の話かといってもいいと思うんですが、そのころ俺は俺としてインターネットのどこかにはのさばっていたわけです。

もう俺自身記憶としても昔です。かつて自分がそういうものだったという実感はほとんどなくなってます。でも、痕跡は残るんですよね。自分のことをリアルで知っているのとは比較にならないくらいの多くの人のなかに、いっときはいえ、また文章のみを通じたかたちとはい自分存在していたかもしれないということ、そのこと自体がたまらなく不思議です。なぜそんなことが可能だったのだろう。ひょっとしたらそれは捏造された記憶なのでは?

まあそう感じるのは、ブログをやっていたことが現実の俺にほとんどなんの影響も及ぼさなかったからなんですよね。儲かったわけでもなく、人脈が爆発的に広がったわけでもなく、つまり俺はあるとき文章を書きはじめて、それを公開して、公開するのをやめた、というただそれだけのことなんです。

あのころ、けっこう楽しかったんだよなー、などとふと思いました。

いやまー、ただそんだけの話です。ヤマノススメ3期おめでとうございます。あおいとひなたはほぼセックスです。ありがとうございました。

2017-03-31

女になりたい元増田より III

IIの続きです

コメント群 XIII:その他

共感してくださる方、自分も頑張ると言ってくださる方がいらしたこともまた救いでした。ありがとうございました。

  • ぼくも異性に認められる自分に変わりたい
  • ちゃんと男になりたかったけどなれなかった。もう疲れた

わたし自身が願望と現実の差に疲れ果てて書き込んだ身なので、大きなことは言えません。一緒に前に進もうとすることくらいしかできませんが、わたしがここで救われたように、それが少しでも励ましになれば幸いです。

自分肯定し、人としての自信を持っていきいきと振る舞える女性になれたとき、どこかでお会いできたらいいなと思いました。

あん書き込みでもお役に立てることがあってよかったです。

  • 年上好きは堂々と言えるから羨ましいよ。年下好きだと淫乱扱いされるからね。

年下を好きな方に対して、そういった扱いをされる方がいらっしゃることに驚きました。自分が年上の場合、見栄を張ってしまったり、助言を素直に受け入れづらい場面が増えるのではという印象があるため、わたし個人としては器の大きい方なのだろうと感じた次第です。年下を好きな女性、素敵だと思います

名曲しか言いようがありません。わたし主体性というオールをしっかり握りしめていきたい。

  • 異性からそういう目で見られることを嬉しいと思えるか、向き合えるかどうか。努力してないから、と素直に認めずに済む言い訳されそうでしんどい

言い訳をせずに向き合うことも、これから自分次第ですね。自分なりに努力をしたから、と、そのとき自分を認められるように頑張ります

人の手を汚すことでも自分の手を汚すことでもないと思うので、搾取された以上のものをこれから積み重ねていきたいです。

  • 20代後半なりの見場の磨き方というのはあるし、そのための情報はなんぼでもあると思うのだが、なんでそこが皆目わからないって話になるんだろうか。誰かに“お前は無理だよ”って言われたいのか。

書き込みをしたときの心境から言えば、二度と立ち上がれなくなるくらい叩かれたいという自暴自棄も多分に含まれていました。

結局そのあたりも、自分自身で動こうとしない傲慢さの表れだったのだと感じています

身近な成功例にばかりとらわれていたのだとつくづく思います

人としての在り方自体も考えていくべきだと痛感したので、人間性の充実をはかりながら向き合うくらいで丁度いいのかもしれません。

  • あなたみたいな人はきっと見えていないだけでこの世界にたくさんいる。一人じゃないよ。ショーケースに並んでいだ彼女だってあなたのように悩んでいたかもしれないのだよ?

コメント拝読して、あこがれが度を超え親友たちを神聖化していた面もあるのでは……とはっとしました。親友だと思っていたわりに、彼女たちときちんと向き合うことも放棄していたのかもしれません。

一人ではないことに気がつけたので、いずれは同じ思いを抱えた人のことも支えられるようになれたらと思います

だったらわたしも笑い飛ばしてすむ話だったんですが、いかんせん現実なのでこうなりました。

なんの救いにならないとしても、理解することで視界が開けると世界は大きく変わりました。ありがとうございます

  • 「愛されるよりも愛したい真剣で」

こちらもまた名曲ですね。人を愛することもそうですが、自分を愛することに対する能動性も身につけていきたいところです。

そんな未来自分で掴めるように、自分も人も愛せる人間になりたいと思います

人間には何かしら欠点があるという当たり前のことを知っていながら、自分問題になった途端そのことをすっかり忘れていた気がします。友人たちとは長所短所もひっくるめての付き合いですし、恋愛からといってそれが適用されない道理はないですね。

10代の頃に少しプレイしていたのですが、主人公自分を重ねてキャラクターに愛してもらう、という感覚になりきれず途方に暮れた思い出があります

心底そう思います。ありがたいことです。

  • 自覚がないようだけど「女としての自信がない」のでなくて「人として愛される自信がない」。わざわざ愛されない方を選んでしまう。回避愛着スタイルの持ち主。

自分でさえ見えていなかった本質言語化していただきコメントを前に何度も頷きました。自分人間性自分が一番信用していなかったのだと思います

コメント群 XIV:まずは行動
  • 方向性が定まったようなので、あとは足を進めるだけかと
  • ゴチャゴチャ言ってないで、自分を好きになれるよう、自信が持てるよう、自分のために動いたら?言い訳してても人生変わらんよ。まずは髪型変えてみたり、可愛い服買ってみたり、色々行動だよ。春ですし。
  • 内面なんぞとりあえず置いといて、まず服装、化粧、ヘアスタイルと、物理的に女性らしくなる努力をするべし。1ヶ月もあれば変身できる。それをしないで、性的魅力がうんぬんはただの甘え。
  • がんばれ
  • 頑張って下さいとしかいえない
  • 後悔先に立たず。結果論でクヨクヨしてもしゃーない。これからに生かそう

はい。いただいたコメントを糧に前を向きます。できることから一つずつ。

さいごに

すべてのコメントを挙げさせていただくことが叶わなかったにも関わらず、まとめただけでもこれだけのお言葉をいただいたのだと改めて実感しました。

自分自身のことさえ見えずに(あるいは見ようともせずに)自尊心や願望を書き散らし、傲慢さを振りまくばかり。あの書き込みは見るに堪えない内容だったことと思います

そんな書き込みでも、さまざまなコメントをいただいたこと。そこから多くの発見が得られたこと。これから自分を考える切欠をいただいたこと。前を向く力をいただけたこと。

マイナスの部分しかない内容でしたが、不格好でも外に向けて自分表現したことに対する成果としては身に余るほどの幸いです。

冒頭の通り、元の書き込みも、この書き込みも、今後立ち止まったときのための戒めとして残しておきたいと思います

一朝一夕に変わっていくことは不可能でも、今のわたしを大切にした時間の先に、これからわたしがあるのだと知りました。

次に増田書き込みたいという意欲が湧いたときには、人生楽しいぞ!という話ができる素敵な人でいられるよう毎日を重ねていきます

本当に、ありがとうございました。

女になりたい元増田より

http://anond.hatelabo.jp/20170327002725元増田です。

恐ろしく長い書き込みになりますすみません

コメントありがとうございました

とにかく吐き出したい一心で書き込んだものにさまざまなお言葉いただき、とても驚いています

書き込んだときは、一つ二つコメントがあれば御の字、よくて炎上事案だろうと思っておりました。自分が発信したものに、こんなにも多くの方からの方から反応をいただいた経験もなかったため、あまり現実味がなかったのも正直なところです。

しかしながら、増田の皆さんがコメントするという手間を割いてくださったこと、純粋に嬉しく思います。読み初めは恐る恐るでしたが、最後には泣きながらすべてのコメント拝読しました。

ありがとうございました。

お返事(というよりは所感)

いただいたコメントの中には、はっとしたり、感銘を受けたり、お礼申し上げたいお言葉がたくさんございました。

今後立ち止まったときに読み返したいという思いもあり、誠に勝手ながら覚え書き代わりに再び書き込んだ次第です。

こんなところまでご覧になる方はごく少数かと思いますが、以下、先の書き込みを通してわたしに投げかけられたと思しきコメントを中心に挙げさせていただきました。

わたしの頭が及ばず文脈を読み取ることのできなかったコメントコメントに対するコメントなどついては割愛させていただきます。本旨を拾うことができていない場合も見受けられるかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。

コメント群 I:そもそも内容が不快

自覚がなかっただけ余計に質の悪い「いけ好かなさ」があったのだろうと思いますし、言い訳以上でも以下でも無い書き込みでしたのでご指摘ごもっともです。貴重なお時間をいただいてしますみません

コメント群 II:書き込む場所問題

解決法、相談場所など考えるなり調べるなりすべきだったところ、自分勝手に思い詰めた挙げ句思考停止していました。

今後は適当と思しき場所相手を見定めていきたいと思います

コメント群 III:受け身すぎ・主体性がない
  • 単なるビビリやん、行動するのに御託を並べてる時点でビビ卒業できてないわ
  • 自分人生から逃げ続けていると、そのうち人生からしっぺ返しを食らう。
  • 傷つくことを恐れて逃げると、もっと傷つくことになる/同世代だって心を受け止めあえる優しい人がいることをまずは知って欲しい。とにかく探して話していけば、きっと人として愛しあえる。
  • 残念、悉く受動的。恋愛に限らず、してもらうことばかり考えている人に惹かれる人は少ないと思うよ。許されたい、愛されたい、と他人に望んでばかりじゃね。
  • コンプレックスのせいで受け入れてくれそうな人に甘えているだけでしょ。お洒落モテる努力をしてコンプレックスを解消してみては?30代は出会いが沢山あるので遅くないよ。今諦めると10年後にもっと後悔する本当に
  • 酷い言い方かもだけど、メソメソこんな私を愛して延々言ってたら、一生搾取おじさんの餌食から抜け出せないと思う 自分自己肯定感低いけど、なんとか脱しようと努力しているか増田さんとは相容れない

その通りですと頷くことしかできないコメント第一群でした。

コンプレックスの強い部分が性にまつわる事柄に集中していたのでああいった書き込みになりましたが、そもそも人として受動である、ということをコメントを通して実感しています

こちらも仰る通りだと思います

自分と向き合うこと。価値を見出すこと。認め、受け入れること。すべて放棄してしまったがゆえの今のわたしですね。

コメントIV自尊心・願望が高すぎ
  • この人はもうショーケースに並んでいるのだと思う。ただ、それを自分で認めたくないだけで。
  • 自信が無いのではなく、プライドが高すぎるだけでは。「ショーケースに並んでる」女性を見下してきたんじゃない? 私は違うって。
  • なんかモテない自分に酔ってるような印象を受けた。モテないと言いつつナルシストなんだろうな。理想を下げられないんだ。
  • さないと愛してもらえないぞ。先に愛したら負けだと思っているんだろ。

このあたりも刺さったコメント群の一つでした。

自主性を放棄したのも自分選択ですが、そのあたりを「放棄せざるを得なかった」と外に責任転嫁。「誰かと恋愛を共有できずとも生きていく」ということに固執し、「私は違う」と言い聞かせながら、どこかでは自分から愛するのでなく選んでもらいたいという望みを抱えていた気がします。

いや、抱えて”いた”というか。現在進行形の方が近いでしょうか。

  • プライド自尊心)の処理さえどうにかできれば、あとは“彼女たち”の真似をすれば十分追い付けるのでは?/不倫超うらやましい……。好奇心がある今のうちに、男から色々教えてもらいなさいな
  • なんか無理に小難しい言い方をして賢く見せようとしてる感じがするなあ。プライドが高いのかもしれないけど、恥かいてもいいと思ってないと他人と深い関係にはなれないよ

なので、こちらのご指摘の通り、自尊心の壁を崩して自己開示することは大きな課題だと思います

不倫は二度とごめんですが、(誰かに迷惑をかけない形で)失敗を恐れず経験を積み重ねることができたら素敵ですね。

こちらのコメントには心底はっとしました。

自分が傷つきたくない一心積極的な行動を避けるようになりましたが、はたしてそれで何を守ることができたかと問われると、得心のいく答えが見つかりません。

  • 真面目な非モテ結婚すればいい。恋愛じゃなくて結婚するんだ。そもそも日本人の大半には恋愛なんてできないんだよ。
  • そんなに恋愛幻想持たないでもいいと思うぞ。(妻帯者は避けたほうがいいとは思うが)愛し愛されたいとか、それだけならそこらの男性半年も付き合えばできるし、それをうなずけないのは、望み高いからだし。
  • じゃあ俺が恋人にしてやるよ、って言っても拒否するだろ?結局わがままなんだよ、選り好みしてるだけのただの甘え

文化的な背景であったり、そもそも現実的な部分であったり、分かっていなかった部分がたくさんありますね。

少女漫画ドラマリアリティを疑う頭はあるくせ、夢見がちな自分の頭を自覚する能は皆無だったのだとつくづく思いました。

わたしが選り好みしない人間であれば、何食わぬ顔で件の人との関係を続けていたでしょうし、きっとああいった書き込みもしていません。

コメント群 V:不倫女のテンプレ

いくら年上が好きでも不倫だなんてありえないし、人の旦那に引っかかるような女にはなりたくない。そう思っていた十年前の自分に今回の書き込みとこちらのコメント突き出してやりたいです。

正直ぐうの音も出ません。

年齢ばかりが大人の濃度を増すのに比例して、欲求も複雑かつ深くなっていくので、大人として制御の仕方も覚えねばと強く思います

同じ轍を踏まないための必須スキル自己肯定であることも忘れずにいたいです。

コメントVI:見た目ばかりが大切なのか

コメントを受けて自分文章を読み返したのですが、見てくれからして自分を好きになることができないあまり、中身はおろか包装さえ魅力がない!だから手にとってもらえない!という書き込みになっていましたね。

もちろんそう感じていたのは事実なので、コメント一つ一つから見目に執着していたことを自覚することができました。

書き方が悪かったため「可愛らしい女の子」に内面も含まれることが全く伝わらなかったことと思いますすみません

わたしが羨んだ親友たちが(自覚的にせよ無自覚にせよ)努力で構築してきた「かわいさ」には、親しみやすさであったり、思いやりであったり、内面の豊かさに表れるものもたくさんありました。わたし可愛いと感じた外見も、そうした内面から滲み出る表情・仕草が大半を占めていた気がします。

明るく振る舞っていた彼女たちと、マイナスばかり抱えて鬱屈していたわたしとでは、比べるべくもありませんね。

自分書き込みが外見ばかりに言及した内容であることに気が付かなかったあたり、内面から目を逸らしているというご指摘は的を射ていると思います

コメントVIIワード定義・考え方について
  • 女になる、というのは果たして、綺麗に着飾って声を掛けてもらえるのを待つ状態を指すのだろうか。逆説的に、声を掛ける人だけがあなたの中では男なの?
  • 「女としてショーケースに並ぶ」ことが女になるってことだと思ってるなら、それがそもそもの不幸のような気がする。
  • 増田が何を目指してもいいけど、そういうのは女じゃなく恋愛体質とか恋愛至上主義者って言ってくれ。
  • 「異性のパートナーがいない女は『ちゃんとした女』ではない」って思い込みを捨てれば楽になるのでは。

このあたりもすごくはっとしたコメントばかりです。

女として、女になりたい、女、女……と再三嘆いているわりに、わたし自身劣等感を通じて「女性」という性を蔑み、貶していたのではないか?と感じました。

自尊心にしがみつきわたしの憧れる「女性」に対して「わたしは違う」とどこかで思っていたのと同時に、女性としての価値勝手に決めつけていた気がします。これもまた思い上がりですね。

  • すごい違和感増田の中で「女性=選ばれる立場」という認識?選ばれたいという願望で自覚的にそう思ってるならまだしも、増田だって愛する権利は勿論あるし「人として」愛されるという選択も確実にあると思うけど
  • ショーケースなんかに並んでないで、自ら狩りに出れば選びたい放題だよとマジレス
  • この人は「選ばれること」「評価されること」を強調するけれど、自分自身もまた「選ぶ立場」「評価する立場であることを忘れている。その非対称性が少し気にかかる。
  • 受け身は止めてみたらどうか。あなたが主導でも恋愛は成り立つ。
  • 既婚者なのに言葉巧みにおいしいとこだけ持ってこうとするやつなんかに選ばれようとしなくていいよ。そんなショーケースに自ら入る必要ないよ。あなたを「選んで」くれる人を、自ら選べるはず。

こうしたご指摘を受けた根底には、上記のような「女性」に対する偏った価値観があったのだと思います

日常生活の中で無意識に「選択する」ことを繰り返しているはずですが、そのあたりを自覚できていなかったのも問題なような……自己肯定すること、主体性を持つことにも繋がると思いますが、前向きに選ぶことができるようになるのも課題の一つと感じました。

前述したコメントから繋がるものですが、こうしたご指摘は、偏った価値観に縛られて手段目的になっていたのだと気づかせてくださいました。

ショーケースに並ぶことは女として取り得る手段ひとつにすぎず、それ以外の選択肢があることを理解しようとはしていなかったのかもしれません。

労っていただいてありがとうございました。

上記の通り偏った価値観から好き勝手に嘆いていましたが、「女」になることで何が欲しいのか?という問いに対する明確な答えを持ち合わせていなかったことに気がつき呆然とした次第です。

好みの恋人を得るために可愛い女性になりたかった、というのが当てはまるような気はしつつも、女として生まれ自分が持ちうる一番身近な「愛される形」が「女性」だったのでは、とも思いました。

長くなりすぎたのでIIに続きます

2017-03-21

ファン」とはどういうものか。あるいは、そうなれない人の思考

とあるファンブログを見ててまさにこれだな、と思ったので。

思うに、ファンと「ファン」は重なり合いながら共存している。

 

例えば、デレステルームアイテムとして太鼓の達人の筐体が実装される。

 

ここで、「ファン」なる性質もつ人は、これをおっとりした智絵里に叩かせて、

大空直美(智絵里中の人で、太鼓の達人が上手い)が降臨してるwwwフフフ…」とニヤける。

ただ、そうやってニヤける人も、実は分かっている。

ルームアイテムアクションが1パターンで、どのぷちデレラがプレイしても機敏に弾きこなすということを。

そう分かってもなお、やはり「趣深いな…」と感じられている。

 

その一方で、「ファン」の性質に欠ける人は、何パターンかあると思うが、

  • そもそも、興味を深く広く拡大していくような習慣がない等で、中の人ネタを知らなかった。
  • 知っていたとしても、脳内中の人など、別の事象(時に時事なども)と連結して楽しさを見いだす回路が鈍い。

複合的な楽しみ方を、「こじつけだ」のように冷笑的に捉えがち。

脳がシリアル処理なのか、それ単体としての評価をするのが美徳のように捉えている所がある。

上の例でいうと、「なんで1パターンなんだ、クソだな」「もっと作り込めよ」「好きだからこそ批判してるんだ」などと思いがち。

期待度はやけに高いし貪欲なのだが、楽しんでいる人たちの受け止め方を見せられても、

信者乙」という感情が先にきてしまい、「それはそれ、これはこれ」と忠告目線を変えない。

彼らも、別に批評家ごっこがしたい訳ではなく、楽しもうという気はあるのだと思う。

ただ自分の思ったとおりに楽しませてもらえないことに対して許容範囲シビアだ。

 

それで、2ちゃんだとかtwitterだとかのネット上のファンコミュニケーションの場において支配的になるのは、

どうしても後者のような捉え方になる。コミュニケーションが広く活発になるほどそうなる。

それはもうどうしようもないことなのかもしれないが、

前者のような「fun」の姿勢

日本語でいうならば「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」

という発想の人の肩身が狭くなって、ブログで一人つぶやくだけの世界になるのはつらいなあと思う。

 

ファンの中にも「ファン」と、そうでない人がいる。

それを肝に銘じながら、これからどんな娯楽に触れるときにも、「ファン」側の壊れやす感覚に寄り添っていきたいと個人的に思う。

まあでも、そんなに難しく考えることもないんだろう。

娯楽は楽しむためのもので、楽しさは相対的感覚

絶対的な正解の表現はないし、どんな受け止め方をする人がいてもいい。

それだけ忘れなければ傲慢にはならないで済むし、楽しめない自分に幻滅してしまうこともないだろう。

fun」に至るほどにチューニングが一致する、というのは幸運なことだ。

 

 

余談だけども、某橙色はてな村民の、李徴と袁傪の新作漫画もさっき拝読した。

李徴は、映画前のCMを「これはこれ」として評価したのではなくて、

映画体験」の一部として複合的に、次回への期待も込めて(時系列も含めた複合性)受け取ったかポジティブに楽しめたのだろう。

袁傪は映画通のように思える。通になると一つひとつのパーツにこだわって見るようになりやすい。

それゆえに楽しめなくなってしまう。ありがちだけれど、

それを克服できるほどメタ感覚をもって邁進していける人というのはあまり見ない。

というか、それが出来た時点で人から見えなくなるのかもしれない。

袁傪のような通の認識を持ちつつも、総合的な心情としては李徴のように振る舞えるというのが、私の理想だ。

2017-02-15

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」(ネタバレ注意)

とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。


まず先に言うと、本作品は『ミステリー演劇』だった。

それは原作推理小説カテゴリーされているからとか、原作者江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。

私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。

もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ

なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。

本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。

また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。

(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)

まり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。

本作はDVDの発売が決定しています。

公式DVD予約サイトhttp://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/

(発送日未定。予約は3月末まで)

めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。

「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。

こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。

たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660

高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)

原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作本質を描いている』けど、ある意味原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。

そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。

一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)

ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。

あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。

そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。

また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しまたか

公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。

本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。

できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)

この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。

私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。

一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。

最後に公式各位。

ネタバレにあたる部分は私の個人的ミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。

と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉スムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理

ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。

ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。

p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。


それでははじめます。

導入


無人の屋敷に風が吹き込む

暗転

まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる

「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本かいものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」

暗転明け

無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。

彼は自身について取り止めなく独り言つ。

彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。


まず本作の初見の私の感想と回答は、下記増田で参照できる。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。

当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。

作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。

認知を歪められている感覚』なんて中途半端ものは見過ごせない。

ちゃんとトリックを暴きたかった。

そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。

そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。

それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある真意』を隠しているということにある。

しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。

そのために以下のことを行った。

そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業


解説『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』①

箕浦の白髪

二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。

これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。

しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。

そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。

冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。

後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。

これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。

では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)

箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである脱出できた時なんて笑いあっていたりする。

これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。

同性愛への拒絶:あの夜まで

生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。

実は学生時代の箕浦は、同性愛を拒絶していない。

諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。

…脱線した。ともかく同性愛を否定する、拒絶する描写が無い。

ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。

これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある

あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。

同性愛への拒絶:あの夜から

しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。

そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。

実はこのセリフ原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ

「君は浅間しいと思うだろうね」と。

箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。

そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。

もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?

『箕浦』の存在

あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。

大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪感情を見せるが、石田箕浦は同性愛嫌悪していない。

諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。

スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)

絶望的に脈ナシな究極のノンケ

原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。

簑浦と箕浦、原作とは名前漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。

石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。

「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」

諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……

石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。

しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。

諸戸の望みと願い

諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。

強い劣等感を抱えた自意識と、強い罪悪感をもたらす超自我

我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。

諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。

箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。

『私』と『箕浦』

石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在

これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。

彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。

井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。

『私』の恋心

そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。

よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドル恋愛しちゃいけない』理論だ。)

ではなぜ超自我ポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。

箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。

佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。

海岸で諸戸を見付けるのも石田箕浦ではなく佐藤箕浦だ。

そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。

握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。

諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。

すれ違う二人

一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。

しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。

逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。

諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。

井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。

そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。


解説叙述トリックを駆使し隠された真意

先述の通り、私の推理動機叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。

からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのまま最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。

で、共に推理していた友人が先に原作叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。

しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだ確信してしまう。

これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリック説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。

本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。

さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?

この件について私は非常に貴重な体験をする。

本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。

友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)

当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。

不快感を分解していく。

友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。

友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。

増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」

結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。

さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」

感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。

私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブ体験談バンバン出てくる。

共に推理原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-02-11

江戸川乱歩 原作 舞台「孤島の鬼」をめぐる120時間

先週日曜、舞台を観てきた。江戸川乱歩原作の「孤島の鬼」。

感想増田投稿済みだし、最終考察投稿バリバリ編集なのだけど、

先ほど、ずっと一緒に推理に付き合ってくれていた友人が、《原作真相》に1つの答えを出してくれた。

「孤島の鬼」原作に対する現在の私の解釈について

※閲覧にはTwitter連携必要ですが、誰でも読めます

私はこの解釈を読んで、江戸川乱歩まじすげぇ人なんだな、と思ったし、

舞台感想を聞いて原作を読み返した」という超間接的な位置に居る友人にまで影響を与えたこの舞台まじやべぇな、と思った。

この話は、やれBLホモだと騒がれているが、こんなにも『人と人との愛の深い部分について書かれている』ことに萌えている感想は、まだ一度も見たことがない。

腐女子の皆さま、乱歩パイセンの名作は、想像を絶する至高のBL小説だったよ……(震え声)

次の新刊ネタにできるよ……

観劇してから120時間神経衰弱するほど友人と推理を重ねてきて、友人が辿り着いたこの結末に私は本当に感動したので、記念に最後にもう一度観劇しようと決めたのだけど、観劇前に今までのことを日記として残したいと思う。

(友人との推理使用した部分以外は原作未読をまだ貫いているし、私の主観での希望的観測は友人とは少し違うのだけど、それは最終考察とあわせて観劇後にまとめたい。)

どうせ同じ高いお金を支払って観劇するのなら、楽しめた方が絶対にいい。

私はもう「視点を変えれば、世界が変わる」=「つまんなかったものが最高に面白くなる」という瞬間を短くない観劇人生で知っていたので、本作初見では何か視点を歪められてるような印象にすごくもやもやした。

今思い返すと、色々なテクニック…いや、ヒントが散りばめられていた。

作中の探偵二人が言う「常識ではトリックを見落としてしまう、視点を変えるんだ」というようなセリフが印象に残っていたり(大事なことだから2回言いましたの法則。一度だけならスルーしていた)。

ストーリーテラーがやけに観客の目をガン見してくる→目を見るというのは語りかけてくるということで。しかしその眼差しに乗るメッセージは無く、視点誘導にも思えるのに最終的にストーリーテラー非難するような印象で終わる。この矛盾

原作では『簑浦』という名前主人公が『箕浦』であったり。同一人物に別の名前が与えられ『一人二役』であったり。

いかにも裏がある風で、どうしてもひっかけられてるような感覚があった。

「結局胸糞悪いだけだった」作品結構観てきたけど、それらは完全に私との解釈違い…美意識というよりもっと恣意的な『美学』の違いで、どうにも受け入れがたいという点からくる胸糞悪さだった。

でも本作では諸戸に感情移入できてしまったし、そもそも異形とは何かみたいな問題提起の要素もあり、そんな乱歩原作が『美学押し付け』には絶対にならないという妙な確信があって。私は謎解きに踏み出していた。

推理小説は読まないけど、リアル脱出ゲームとかは好きなんです。

(一晩明けて昨日、一緒に脱出できた経験のある頼れる別の友人が、私の沼りっぷりを気にかけて舞台を観に行ってくれた。そして私が完全に見落としていた最重要ヒントを見つけてきてくれた。優しすぎるし天才すぎる。)

(そう言えば原作解釈の友人も、私にとっては自明の理すぎて結構雑に扱っていたヒントが友人にとっては盲点で、そのヒントがあったからこの解釈に至ったと言ってくれた。嬉しかった。)

(そして、盲点とは必ず存在するし、それは本当に自分には見えないだけで、他人からたらこうも軽々と見えるものなのだなと、また一つ得難い経験をすることができた。人生って楽しい。)

終演後からすぐ調べ出して、最初のヒントには帰りの電車内でもう出会えていた。検索上位だった。有り難い。

からそのまま寝ずに感想を書き上げて翌昼増田投稿したのが初見感想

なんで増田に上げたかと言うと、これが《私》の感想であると、他の友人知人に知られるのが恥ずかしかたから。お陰で普段以上に壁打ち感ぱなくて孤独だった。それを全部友人との推理にぶつけていた。この五日間付き合ってくれて原作真相にまで辿り着いてくれた友人マジで有り難う。

自分感想の反応はサッパリだけど、各所に皆さまがどんどん感想を投下されるのでひたすら読み漁っていたのですが、どうにも自分の知りたい解がそこにはないように思えてきて。(感想拝読させていただいた皆さま、失礼な物言いになってしますみません。今回が異例だったのです。通常の演劇作品感想としてはとても楽しく面白拝読させていただきました。公開してくださったことを心から感謝しています。これからも是非よろしくお願いいたします。鍵、イクナイ。)

先述の私の盲点にあったヒントを見つけてきてくれた友人との会話でも判明したのですが、私が求めていたのはどうやら『感想』ではなく『印象』だったのです。

感想とは『事象対峙した発言者の想い』である。対して印象とは『事象対峙して発言者が捕捉できた部分』である

私は自分では見えなかった作品ありのままの姿を知りたかったみたいです。

その点では、原作を読んだけど舞台は見ていない友人と、舞台は観たけど原作を読んでいない私の探偵コンビはなかなか良いバランスだったのかも。

お互い違う表現を見ているか感想だけでは語れないけど、小説舞台作品本質が同じなら、印象と事実も一緒に突き合わせることで対話が成立する。

書いていた続きが寝落ちたら消えていたので、ちょいちょい追記していく。

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-02-02

電子書籍ユーザーはどうするべきなのか

「電子書籍の購入は作家の応援にならない」は本当? 現役編集者に聞いたという記事を見た。まあ、ここのところ何度も繰り返されている話題ではあるが、私も一つ書いてみようかと思う。

以前には、いつまで紙の本に付き合わなくちゃいけないんですか? -電子書籍に完全に切り替えたユーザーの怒りと愚痴をひとまずぶちまけます-という記事があったことを覚えている方もいるだろう。この記事はこの記事でやや偏っているというか、紙書籍ユーザー喧嘩を売っている部分があって(紙書籍をまずい料理に例えていると読み取れる部分とか)、いらぬ反発を産んでいたように思うけれど。

電子書籍ステマ」とか「ステルスポジショントーク」とか言われるのは癪なので予め断っておくが、私は電子書籍業界の一員である。といっても、末端のエンジニアに過ぎないので、業界の詳しい動きや、編集者の考え方が分かるわけではない。
電子書籍業界がこの先発展していって欲しいとは思っているので、これは紛うことなポジショントークである、ということは言っておいた方がいいだろう。

ちなみに、冒頭に挙げた記事に関しては、私はそれほど反感を抱いてはいない。
というより、反感を抱くほど踏み込んだことは書いていないように思う。
冒頭の記事を読んで、「また出版業界言い訳か」と思った方もいるかもしれないが、「電子書籍の売り上げが続刊に寄与しない」というのは、業界の現状としては正しい。
もちろん、書籍の売り方は一律ではないので、作品ごと、作家ごとに個別事情がある。冒頭の記事では、業界全体が一律にこうである、という印象を与えかねない。
ただ、傾向として、電子書籍の部数を評価に入れていないシステムや、評価することのできない編集者が多いのは確かだろう。

しかし、出版業界の現状がそうである、としたところで、ユーザーには何の関係もない。 「まずい料理を食え」と言うのはいささか例えとして乱暴であると思うが、人それぞれ好みがあるのに、自分が嫌いな料理を、嫌いとまで行かずとももっと美味しいと思う料理があると思っているのに、買って食えと言われるのはたまったものではない。当然のことだ。

ところで、冒頭の記事には、

電子書籍ヘビーユーザーと思われる方の、「なぜ電子書籍はいけないのか(なぜ出版社側の都合で紙媒体を買わなくてはいけないのか)?」という意見は、いささか極論と感じましたが、貴重な受け手からの肌感覚での意見として拝読しました。

という記述があった。この点が気にかかった人は多いのではないだろうか。 私もこの点は同意しかねる。「電子書籍ユーザー出版業界の都合を押し付ける」ような発言に対して電子書籍ユーザーが反発するのは当然のことで、極論でもなんでもない。
ただ、明言はしていないが、この発言は「いつまで紙の本に~」の記事に対する反応であると思われる。こちらの記事は内容が過激であったため、この編集者A氏とやらも、やや感情的な答えを出してしまったのではないか
あるいは、「極論」と言うのが当該記事の全体的な語調に対する感想であるなら、頷けないこともない。
つまるところ、この発言に関しては多分に感情的ものであって、参考になるものではないが、殊更にこの点を取り上げて叩くほどのものでもないのではないか、と私は考えている。

電子書籍の話になると、「紙には手に触れることの良さが」「電子書籍プラットフォーム依存が」「電子書籍なら持ち歩きやすい」「紙はかさばる」などといった、紙媒体優位論、電子書籍優位論が現れる。
はっきり言わせてくれ、今問題にしているのはそこじゃないんだ。少なくとも私は、紙媒体電子媒体の利点や欠点理解しているつもりだ。どちらにも利点があって、どちらにも欠点があるので、一概にどちらが優位であると言えるものでもないだろう。
から私は、紙媒体ユーザーに向かって電子書籍を買えとは言わない。そしてまた、電子書籍ユーザーに向かって紙媒体を買えとも言うべきでない。これが私の問題としたい部分であり、恐らく多くの人が感じていることであろうと思っている。

# なお、プラットフォーム依存性の問題に関しては、電子書籍業界人としては真面目に課題として受け取る必要があると思うが、そこはそれである

そもそも、ちゃぶ台を返すようだが、こんな議論意味はないのだ。ぶっちゃけしまえば、たかだか編集者Twitter上で「紙媒体を買え」と言って、たとえそれが多少バズったところで、そうそう影響はない。
電子書籍ユーザー電子書籍メリット見出しいるか電子書籍を買うのであって、出版社制御できるものではない。
作品の売上は出版社広告の打ち方や作者の宣伝などで変わることもあるだろう。しかし、紙媒体でも電子でも、文章の質に差はないのだ。であれば、ユーザー自分が便利だと思うものを使う。

そうは言っても、電書の売上が続刊の目安にならないのなら、作者のために紙媒体を買うべきではないのか、という意見もあるだろう。
まあ、あなたが誰かのファンで、どうしても打ち切られたくない作品があるのなら、その意見を真に受けてもいいとは思う。本当に極僅かな可能性で、あなたの一冊が続刊のボーダーラインを越える一冊にならないとは言い切れない。
だが、たった一人が購買運動したところで、全体に与える影響は微々たるものだ。もちろん、大勢で同じことをすれば影響は出るのだけれど、そんな社会運動じみたことをしなければ支えられないのだとしたら、それは既に構造おかしくなっている。
もちろん、紙を愛する人は従来通り紙媒体を買えば良い。紙書籍電子書籍市場がこれからどう変化するかは私には予測できないが、なくなることはないだろう。

私が一番思うことは、電子書籍を買う人に、それを引け目に感じて欲しくはないということだ。
電子書籍を買う人も、紙媒体を買う人も、それぞれ一人の客で、そこに優劣は存在しない。
しろ電子書籍ユーザーにとっては、市場が大きくなった方がより便利になるだろう。これは希望的観測だが、頭の固い編集者でも無視できない規模に市場が成長すれば、当然電子書籍の売上が続刊基準にもなってくると思う。
から、今現在電子書籍を利用しているユーザーは、この先も気兼ねなく電子書籍を利用してもらいたい。これは私のポジショントークでもあるが、電子書籍市場の拡大がユーザー利便性につながるという理論は間違っていないと思うので、ユーザーにとってもメリットのある提言のはずだ。
もちろん、一人のユーザーの動向が市場に大きな影響を与える訳ではないのは既に述べた通りで、だからこそ、電子書籍積極的に利用すればより便利になりますよ、と言い切ってしまうことはできないけれど。

という訳で、結論を言えば、電子書籍ユーザーは今まで通り電子書籍を買えば良いし、紙媒体ユーザーは今まで通り紙媒体を買えば良い。
こんなことは、別に私が言う必要はないのだ。言わなくてもみんなそうするだろう。
ただ、これだけは言っておきたい。

電子書籍ユーザーに向かって「紙媒体を買え」と言う業界人は、恥を知って欲しい。

後はまあ、私自身も業界の一員として、少しでもより良い方向に向かえるように努力していきたいと思う。
こちらからは以上です

2016-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20161015225937

拝読して不思議に思うのは、「一体なんだってそんなにもあなたが不幸にならねばならぬのか?」という事です。

んなことこっちが聞きたいわ、と仰りたいところでしょうが、はたから見ると貴女の振る舞いは色々不思議です。

なんらかの理由により借金をしてしまい、その返済の為に風俗で嫌々働いていた。これはわかります。不幸でもあるでしょう。

次の、突然精神おかしくなった、についてはよくわかりませんが、不幸かもしれません。

で、その次なのですが、大麻強要された?そしてよくわからない説得を毎晩受けた?なんだか不幸そうな気がしないでもないのですが、よくわかりません。

そのような不思議経験を経て、今の貴女貴女人生を襲った様々な不条理への復讐に残りの人生を費やすようですが、

果たして貴女にはそれらの危難を回避するすべがなかったのでしょうか?と言っても自己責任の話がしたいわけではありません。

率直に言って貴女は、己の境遇への不満や不遇感に説明をつける為に、敢えて不幸な事柄を選好しているように見えます

その理由が何かまではわかりませんが、恐らくは始めの借金かそれに関係する家庭の問題あたりでしょうね、

なぜ自分他者よりも理不尽な目にあうのかがわからない、と思って、その理由を突き止めようと考えるのはおかしなことではありませんが、

考えるに足らない謎というのもあるもので、その答えというのは「別に理由はない」ですし、強いて言えば貴女身の回りの不幸探しばかりしているから不幸の方が寄り付きやすい、という事なのですがね。

で、ややもすると「こんなに不幸な事ばかりして来た自分が今更幸福になろうなんて思えない」などとお考えにもなる事だろうと思いますが。

過去過去です、過ぎた事です。愚痴りたきゃ増田愚痴れば良いですしまた気が向いたら読んであげます

貴女が不幸探しをやめて「へー、そんなに辛い事があった風には全然見えないね」と言われるようになれれば良いのです。

こう言うと簡単なようですが、難しくもあります貴女が長いことかけて不幸探しをした時間と同程度の時間はかかるかもしれません。

ですが、それをやらない限り貴女はきっと一生不幸のままでしょう。

過去マイナスのことは全力で忘れて、今から始められることを馬鹿になって初めてください。

なんでもいいです、くだらない事でも。

2016-10-12

はてなブログってアダルト記事ダメなの?

例えば植木射精し続けてザーメンだけで育てたアロエの話とかしたらダメなの?
















20161012追記

アダルトに該当するとの判断多いため、健全ブログを開始したのでご拝読願います

主に屈折した感情吐露する痰壺みたいなブログですが、いつか幸せ記事書けるまで見守って下さい。

宣伝です。

http://shachiku.hatenadiary.com

20:16追記

互助会よくわからないので、

注目エントリにこの増田が入ったので、

増田記事有効活用して宣伝をさせて頂きました。

そうでもしないと本当に誰もアクセスしてくれない(><)

2016-07-05

同人のしいです

少し前からオタクアカウントのほうに、同人やめました系の記事がいくつかRTされてくる。

当方オタク歴はそれなりに長く、どちらかといえば一人で考察妄想を繰り返しのめり込む内向き型。キャラに対してキャーキャー言ったり、流行ネットスラングを羅列するような交流は苦手なので、RTされてきた記事を読んで、うんうんそこは昔のほうがよかったよね、と思うこともある。

しか記事を書かれた方々との状況はまったく逆だ。

近頃はまったジャンルにて、私はようやく同人活動イベント醍醐味みたいなものが分かってきて、今とても楽しい

過去色々なジャンルにはまったものの、今まではネット上で見たり書いたり、昔からオタク友達に話を聞いてもらうくらいで満足していた。

twitter交流しよう、オンリーに行ってみよう、自分でも本作ってみようか、というところまで手を出すほどになった作品はこれが初めてだ。

なんでなのか?ちょっと振り返り5点。


1.時間に余裕のある生活

ハマるのと同時期くらいに生活環境が変わり、時間に余裕ができた。これが一番大きいかも。元々面倒くさがりなので、寸暇を惜しんでまではきっとここまでやってない。忙殺されて余暇ほとんどなかった時期にハマっていた別ジャンルは、それはそれで生きる支えになったものだが、交流創作にかけられる時間は少なく、落書きで欲求を消化するのみだった。

学生時代サイトにこもってたので、オフ活動もっと早く興味持ってたら違ってたかも。


2.ジャンルの懐の広さ

ハマったのは息が長くファンの多い作品で、ファンの年齢も傾向も幅広い。キャラ萌えしてる人からひたすら原作考察する人まで色々。流行のピークは過ぎて久しく、今や大手さんの解釈公式扱いされているような風潮は薄いし、個々の解釈否定されにくい気がする。が、これは体感なので単に私が鈍感なだけかも。

もちろん作品自体の素晴らしさが第一にある。それに加えてこの界隈の自由雰囲気がいいなと思う。


3.厳選した交流がうまくいってる

そういう雰囲気に浸かってると、同士さんたちの詳しい活動や語りを追いたいという欲求がわいてくる。

そこで主にtwitterを利用するわけだけど、様々なファンがいるのと自身が万人ウケするタイプではないので、交流する際には特別注意をはらう。元々アカウントを取ったのは同士さんアカの鑑賞兼独り言用だぞ、それが第一だぞと常に言い聞かせる。それを曲げて交流しまくれば承認欲求が加速して本来やりたい創作考察ができなくなる。だからいくらいいねRTがほしいと思っても決めた期間以外鍵は開けないし、フォローフォロワー関係には気持ち悪いぐらい用心する。最近のやめました系記事にもSNS疲れがよく言及されてるし、対人関係が原因で作品を好きでいられなくなるみたいな本末転倒事態絶対に避けたいので、慎重すぎるくらい慎重に。

結構経ったがまだそれなりに守れている…と思うし、この前提があるからこそ色々割り切ることができているんだと思う。

具体的な自分ルールもまとめてたんだけど、すごい長くなってしまったのでカット

で、いろんな自分ルールを遵守しつつ厳選したTLは、自分と波長の合う人たちと情報アカ程度で構成され、とても穏やか。交流相手を絞ることで私のような面倒くさがりでも続けることができ、時々リプをし合ったり、タグ系の遊びを一緒にやったりしてくれる存在ができた。そしてその信頼できる方々のご好意により、イベントオフ会に足を運ぶきっかけをいただいた。


4.即売会初心者の私でも行ける落ち着いた雰囲気イベント

年齢層が幅広いためか、息が長いからか、他と比べ空気がゆったりしているように感じた。(といってもこれまで全ジャンル合わせて片手で数えるほどしか参加したことがないんだけど)

一番安心したのが、エロの公開度が低いこと。前にハマっていたジャンルもそれなりの規模・年数で、以前オールジャンルの際にそのエリアに立ち寄ってみたのだが、カッコイ男性キャラがたいへん色っぽい感じになってる大きいポスターがたくさん並んでいていたたまれず、なんかもう本を買うどころではなかった。エロは全く、BLほとんど嗜まない者なので、あの空間は耐えられなかった…

今回もそんなだったらどうしよう、とドキドキしながら参加してみたところ、主流はBLR指定ものも多数あるが、過激な掲示はさほど目に付かなかったので安心した。男女CPコメディ傾向の作品もそれなりにあり、買い物も楽しめた。サークルの皆さんは、うろうろと挙動不審な私にもよかったら見ていってください、とやさしく声をかけてくれた。またネットで見知っていた方や、既刊を拝読させていただいた方に感想を伝えたり、少しお話をしたりもできた。作家さんとのお話ってこんな普通にできるんだ、これが話に聞くイベント醍醐味か…!!と感動してしまった。(今まで買い物の会話以外交わしたことがなかった)見れば他にも立ち話をしている人たちは結構いる。このジャンルはいわゆる古き良き(?)即売会の姿が面影を残しているのかもしれない。いやしらんけど。

そしてイベントでこんなに居心地がよかったのは初めてで自分でも驚いている。今まで一般だと落ち着け場所がなくて何となく居づらかったのだが、今回はそういうこともなく。また行きたいと思った。


5.創作意欲を支えてくれる人々の存在

自身二次創作は、基本的自己満足だ。いいねブクマなどはもちろんうれしいが、それを得るためだけの創作はしないのだと心に決めている。なので本をつくりたい!となったのも最初は「皆さんの本素敵だな。私もここまでのめり込んだ作品は初めてだから、記念に自分なりの解釈をこういう形にしてみたいな」というのがきっかけだった。

どこへ出す予定もなく書き始めたのだが、少しその話をした際に思いがけず、ほしい、見てみたいというお声をいただいた。

ものすごいエネルギーを与えられた気分だった。この自己満足の塊を、まさか楽しみにしてくれている人がいるなんて!

さらに、4のイベントお話させていただいた方にも「本は出されないんですか」とお言葉をいただいた。嬉しすぎた。本を作るというのは大変な作業で、もし本当に一人きりで進めていたら、延び延びになって結局頓挫、みたいなことになりかねないなと思った。ここまでに散々他人主体をおかない的なことを書いておきながらなんだけど、それでもやっぱり、こういう身に余る挑戦をするときには、3で得た信じられる人の言葉の力を少しお借りしてもいいかな、と思った。


以上が、今私が同人活動のしい!となっている要因と考える。

自己分析のつもりが途中から感想文みたいになってしまった。分けて書こうかとも思ったけど、その良い思い出とかもひっくるめて要因だし、まあいいや。

今のジャンルじゃなくても、これまでもこういう体験ができる機会はあったのかもしれない。

でもこの引きこもりで、心配性で、人見知りな私をここまで連れ出してくれたのは、いろんなタイミングの重なり、そして魅力的な作品と素敵なファンの皆様だろうと思う。

この出会い感謝したい。そして原稿がんばります

2016-06-09

BBC日本に対する難民関連ニュースは「韓国非難する産経新聞」ではないか

http://www.bbc.com/japanese/video-36476470


BBCが「なぜ日本では難民を受け入れないのか」というニュース報道していた。

この記事の提起する問題点自体個別に考えるべき部分はあると思う。

が、今回は別の話をする。


最近BBCCNNなどが徐々に日本に向けてニュース報道するようになった。

以前までは英語報道していた記事日本人向け日本語で発表するようになったというわけだ。

はてブでも上位に上がってくるようになったこともあり、はてな民の間でも話題に上がるようになってきた。


私も幾つかの記事コメントをしたり記事拝読させていただくようになったのだが、そういった欧米系の記事を見るようになって気づいたことがある。


どうも、異様に欧米から目線に偏っているのではないのかということだ。

なにを当たり前のことを・・・

と、思った人もいるかもしれない。

そもそも欧米メディアなんだから当たり前だろと思った人もいるだろう。


冒頭で挙げたBBC難民問題の話だが、非常に巧妙だと思うのはあくまで「難民」に関してスポットを当てているということだ。

中東難民」という意味ではない。

世界的な難民ということだ。

まりこれは日本難民制度に関する不備や人権意識に関しての指摘だといえる。

ところが、なぜ今このタイミングでこんな取り上げ方なのか?

という疑問が沸き上がる。


どうも、この記事報道の仕方そのもの欧米内の難民問題目線そらしなのではないのかという気がしている。

誤解を避けるためにもう少し厳密に書くが、「日本存在する難民に対する人権問題」と「欧州存在する中東難民問題から発生する中東難民への扱い」を意図的にごちゃ混ぜにしているのではないのかということである

確かに「日本難民に対する受け入れ姿勢問題存在しない」などということはないのだが誰が難民申請をしていてどうやって申請を受け入れているのか等の情報存在しておらず詳細に関する報道も正直かなり甘い。


中東移民問題に関して日本責任がないのかと問われればゼロではないと私も思うのだが、英語の反応を見ていると「日本は遠すぎるし、そもそも難民が向かっていない」とか「今回の難民問題に関しては日本責任より欧米の方がはるか責任が重い」といった発言結構多く見受けられるのだ。


であるにもかかわらずBBCが出した今回の記事だが「難民」に対する人権意識の欠如を指摘はしているものの「中東難民」に対しての発言が一切見受けられない。欧州で現状、難民問題がめちゃくちゃ取り上げられているにも関わらずだ。

これは、中東難民に対する責任欧州の我々の責任が重いので中東難民を受け入れろとは決していえない・・・

じゃあ、とりあえず難民で全て一緒くたにして日本批判すれば欧州責任から目を背けて現状のガス抜きになるんじゃね?

見たいな作り上げられたストーリーが見え隠れする。


ちなみにこれに対して日本から安易言及してしまうとまずいことになる。

難民全体に対する対応として問題を抱えているのは事実なので「このニュースなんか変じゃね?」という疑義を発すると容易にレイシストレッテルを貼れるような構造になっているのだ。


難民に対する対応問題はあるもの中東難民問題はまた別の事情も加わるという意識を全体で共有しなければおかしなことになる。

この辺のなにか巧妙に「日本」に対する世論誘導しようとする意識がいくつかの欧米メディアからは感じられる。

以前、部落差別言及したBBC記事からもこの辺の奇妙な感覚を感じた(今回は記述しないが・・・

西洋視点として参考にするべき部分は多々あるのだが、かなり注意しなければ問題解決する上でどうにも逆に不利益になるのでないかという部分がかなりある

今回の記事日本の知識をもった欧州人という目線で見るとなんとなくわかるが、ぶっちゃけ日本だと右派新聞が扱うようなネタである表題に書いたが日本のことを棚にあげて韓国非難する産経新聞みたいだ。

2016-05-26

話題の人へ

同じように、専業主婦じゃもったいないと言われる大学を出ている。

でも、同級生研究室の後輩をみると、3年ぐらい働いた後に専業主婦、なんて女性はかなりいる。

自分の手で立派に子育てすることを希望する人もいるし、子供は望んでなくて、ただ会社勤めが疲れたっていう人もいる。

反面、妊娠して仕事をつづけているけど、義両親に仕事をやめるよう勧告された友人もいる。

仕事がしたくて結婚後も続けて、子供の産み時がわからなくなった自分もいる。

話題の人も、そういう女性の多い環境が周りにあればよかったね。

女性修士を出ても、その後の人生、いろいろなんだよ。

あの記事のほかにも、過去記事をちょこっと拝読させていただきました。

病みやすいみたいで、自分の昔を思い出して書きました。

増田を読む人なのかどうかもわからないけど、読ませていただいたお礼として。

若いんだし、新しいこと、いくらでもできるしね。どうか自分の選んだ道を迷わないで。

2016-05-07

ちきりんオワコン。それは彼女が(きっと)一番よくわかってる

http://anond.hatelabo.jp/20160504151503

だって彼女の言うことはサイエンスであって、理屈が通ってる。理屈が通ることは、ドキュメントにできる。だからこそ彼女の著書は(わりと)多くのひとに受け入れられて、僕もとても面白拝読したけど。

でもサイエンスって、斬新な知識であって、常に斬新な切り口とはならない。一度インストールしてしまえば再利用可能だ。だからこそ、彼女の言説は面白かったのだ。

研究や探求を辞めたサイエンティストの言うことがつまらなくなるのは、必然だ。

2016-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20160220224657

追記も拝読しました。

子供を持たないバリキャリワーキングマザーも、もちろん専業ママだって、みんな等しく活躍してる。「一億総活躍」ってそういうことじゃないのかなぁ。

同意します。

でも、保育園問題というのは「(外で)仕事ができないと活躍できない」という問題ではなく、「私が活躍したいと思う場で活躍できない。困る」という問題なのだと思います

専業主婦母親として子育て活躍したい人はそうすればいいし、ワーキングマザーとして仕事でも活躍したい人もそうすればいい。保育園子供を預けることができないことによってその機会が、「外で仕事がしたい」という自由な選択が奪われてしまうことが問題なのだと思います

>「保活保活がって、何で子供を預けてまで働かなくちゃいけないの?」

答えは、「子供を預けてでも働きたいと思っているから」です。個々人の選択が尊重されるべく、これをきっかけに制度がより良くなればいいなと思います

2016-03-01

セブ山氏が乳を揉む記事がとても下品

不快だし勢いだけで仕上げたような面白味を感じられない見るに堪えないものだったので、これはさぞかし酷評だろうと思って皆様のブコメ拝読するに概ね好評か苦笑い程度だった。

ひょっとして自分感覚がズレているんだろうか。

2016-02-21

劇場版ラブライブ!批判考察

 一時期、ラブライバー界隈で話題になった劇場版ラブライブ!批判記事があった。

 それは、おりあそ氏による

アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」http://oriaso.seesaa.net/article/421134088.html

である


 自分TVアニメ第2期以来ラブライブ!という作品うんざりしており、ほぼ既に内容に希望を抱くことを諦めた立場だった。

 そのため、劇場版の内容を目の当たりにしても、2期の調子から続きを作ったらこんなものかという程度に軽くとらえていた。

 批判記事についても早い段階で拝読の機会を得ており、概ね同意はしたのだが、批判へ寄せられた賛否両論意見の軽さと2期以来の作品の現状の救いようのなさに呆れていたこともあり、あまり触れないようにしていた。しかし、ラブライブ!(以下ラブライブ表記)という作品が何と言おうとフィナーレを迎えようとしている今になって、少しは気分が落ち着いたこともあって改めて自分なりに読み解いたものを記しておこうかと思う。


彼の批判文の序盤はTV第1期から劇場版の終わりに至るまでの説明なので割愛。その直後の文章から批判問題提起が始まる。

しかし、アニメラブライブ!』のラストを飾るイベントが、このようなものであっていいはずがないのである


問題点明確化するために、3年前に現実世界で開催されたあるライブイベントと対比してみたい。それは「ゆび祭りアイドル臨時総会~」といって、普段ライバル同士である人気のアイドル10組が一堂に会し、次々にライブを行うというイベントであった。このイベント話題となった最大の理由は、指原莉乃という当時AKB48で人気を急上昇させていたメンバーが自らプロデュースをしたことにある。つまり「ゆび祭り」は、μ'sが企画してライバルであるスクールアイドルを集めた、劇場版クライマックスを飾ったあのお祭りと非常によく似たイベントだったと言えるだろう。


実は「ゆび祭り」は感動的なイベントであった。それは何故かというと、指原莉乃というアイドル人生物語象徴するイベントだったかである。もともと指原は故郷大分県において、熱狂的なアイドルファンとして育った。モー娘の全盛期に小学生時代を過ごし、様々なグループライブに通い詰める重度のアイドルオタクになったのだ。そしてアイドルへの憧れが高じて上京自分自身AKBメンバーとなり、ブレイク果たしてこのようなイベント企画できるほどの地位に登りつめた。つまり「ゆび祭り」は、指原のアイドル愛が余すところなく表現されたイベントであり、アイドルオタク成り上がりストーリー体現たからこそ、感動的なイベントだったのである

 この部分、ある意味では三次元アイドルへのアンチテーゼ的な役割が求められる二次元アイドルアニメというジャンル批評実在アイドルAKBを持ち出したきたことで一瞬、辟易した読者も多いことだろう。自分もその一人であったが、よく読んで考えれば、その意図も分かるものになっている。


 実際、AKB指原がAKBとしてデビューする以前からアイドルオタクだったことは有名な話らしくいろいろとエピソード写真が残っているようである

 そんなアイドルオタクが、一応トップアイドルとなり、事務所などの枠を超えて自分リスペクトしてきたアイドルを集めて「ゆび祭り」という大きなお祭り主催したことは確かに快挙である

 そして、この「ゆび祭り」というイベントチケット代は指原の愛称「さしこ」にちなんで345円という特価であったらしい。自分の好きを極めて走ってきた上で積み重ねてきた成果を現在アイドル達やアイドルオタク還元するという意味で確かに素晴らしいイベントだったといえよう。


 それに対して、劇場版ラブライブにおけるお祭り比較されながら述べられているのが以下である

では、アニメラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドル未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルことなんかちっとも考えてこなかったのである最後最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。

 指原には長年アイドルオタクとしてアイドルに憧れ続けてきた上でトップアイドルになり、先述のお祭り主催したというプロセスがあるのだが、ここで述べられている通り、μ'sもとい穂乃果にはそんなプロセスはない。

 廃校を阻止しようという目標最初に生まれたが、スクールアイドルという手段は後付けであり、(スクール)アイドル活動は積み重ねてきて目的となるような価値としては弱いものだったといわざるをえない。TVアニメ第1期途中で廃校問題有耶無耶になり、自分達はアイドル活動をこの9人でしたいんだという方向に物語は動いたのだが、それも行き当たりばったりで賛否両論であった。作中でもまだ比較的まともだった頃の矢澤にこに「穂乃果の(アイドルへの)好きはいい加減」と批判されている。

 また、自分達のスクールアイドル活動には目を向けても、他のスクールアイドルに対して何らかの注目を向けたのは穂乃果にアイドル活動をさせるきっかけを作ったA-RISEくらいであり、それも主に廃校阻止や後のラブライブ出場&優勝という目標を達成するための当面の壁やライバルとして注目された程度に留まっているため、おりあそ氏の批判にある通り、指原のような他のアイドルへの想いが高じて開催につながったイベント比較すると、劇場版で急に穂乃果やμ'sの「スクールアイドル」に対する想いが打ち出され、スクールアイドルを集めてイベントをやろうと言い出すのは唐突であり、付け焼き刃だとか行き当たりばったりといった表現揶揄されても仕方がないものといえる。

 一方で、そのイベントや発想自体は悪いものではない。スクールアイドル全員で楽しい大きなお祭りしましょうというのはとても魅力的で素晴らしいものであるしかし、作品上仕方ない部分もあるとはいえ、「スクールアイドル」全体のお祭りへの想いを一旦は語り、イベントを開催してみたらμ'sしか目立っておらず、他はバックダンサーに近い扱いというのは、劇場版という大きなお祭りという面を考えてもどうにかならなかったのかとか、他のアイドルファンへの還元の面でも現実アイドルに大きく負けているのはどうなのだろうとか考えてしまう。

 したがって、あのスクールアイドルお祭りは作中における開催への過程や内容の意味だけでなく、ラブライブ劇場版というお祭り観点でも説得力と盛り上がりに欠ける粗末なものだったといえるのではないだろうか。


 その次に述べられているのが劇場版単体の内容の問題点である

今回の劇場版ラブライブ!でとにかく目につくのが、このように行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーである映画の前半では、脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行くことになるが、そこで何かを得ることはなく、後半ではまったく無関係ストーリーが始まってしまう。後半のストーリーから逆算すれば、前半では「スクールアイドル」の問題提示されていたり、μ's活動終了への伏線が描かれていたりしなければならないはずだが、そういったことは全然なく、ライブ場所を求めて街を探検したりアメリカ人交流したりするだけである。また、ニューヨーク迷子になった穂乃果は、彷徨っているうちに一人の女性シンガー出会いホテルまで連れ帰ってもらう。この女性シンガーはいろいろと不思議な点があり、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えないなどの設定があるため、「未来の穂乃果」だというのがネット上では最も有力な説である。この女性シンガー帰国後にも一度穂乃果の前に現れるのだが、それっきりストーリーからは退場し、穂乃果に思い出されることもなく、謎も一切明らかにならない。映画キーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎なのである。他にも、映画冒頭で描かれる、穂乃果が水たまりを飛び越えるという過去エピソードがこの映画ストーリー全然そぐわないなど、とにかくこの映画脚本はいたるところが継ぎ接ぎだらけの雑なものであり、一貫したテーマがないので物語性を感じられない。「物語性がない」と言うと、『けいおん!』なんかの例を持ち出してくる人がいるかもしれないので予め書いておくと、『けいおん!』にはストーリーはない(大したことは起きない)が、物語性はある(一貫した主題がある)。それに対して劇場版ラブライブ!』には、ストーリーはあるが物語性がないのである

 と、ここも個人的意見の相違はないのではあるが、突っ込みたい点が何点かある。

 そもそも行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーというのは劇場版に限らず、第1期から指摘できる問題点であり、ラブライブというよりも花田十輝氏の脚本によく見られる傾向ともいえる部分である。その点を、恐らくブログ著者は第1期を評価したい立場であるために触れないでいるのだろうが、後々2期や劇場版でそれが起因して物語性やキャラクター性の破滅につながっていることは無視できない。

 たとえば2期においても用いてプロジェクト開始初期から掲げていた「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。それが本来コンテンツ全てを統括する一つの物語性やコンセプトになるべきだったし、アニメ化以前は細かなキャラクター設定のブレはあっても、その点においてのブレはなかった。個性事情を違えるキャラクターが集まった上で廃校阻止やアイドルになるといった目標を叶えること、また結果的に初期からそのコンセプトやキャラクターを支持してきたファンの思いを叶えるという意味もつながってくることになる。

 しかし、アニメにおいてその作中の物語性は破棄された。廃校阻止という目標プロジェクトを束ねる大きなコンセプトの一つだったが、それは第1期で大会に出たわけでもなく他のアイドルと大々的に競ったわけでもなく達成される。その後μ'sは文化祭における穂乃果の件もあり活動休止となることもあり、せっかく大きな目標を達成できたのにカタルシスが弱い。

 アニメラブライブ肯定的ファンの間では「アイドル活動廃校阻止というコンセプト自体に無理があるから、1期でそれを消化したのは悪くない」という見方があるが、無理があることを簡単にあっさり達成・消化させてしまったたものをよしとする神経や論理にこそ無理があるように思える。

 また、裏を返すと、大会に出ずとも廃校阻止につながるくらいにスクールアイドル活動の影響力や効果が大きいことを描写してしまったともいえる。さらに2期では、次に開催された大会に出場し、プロアイドルを上回るとも言われていたA-RISEをも倒し優勝を達成してしまったのだから、その後のμ'sの人気や知名度は絶大なものとなっていただろう。少なくとも地元東京関東地区では。

 ところが、劇場版はその描写から矛盾点を生じさせている。

 脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行きライブを行い、間違いなく関東空港である日本空港に帰ってきたところでファン出待ちされて知名度を得た自分達に驚くというシーンについてであるが、既に廃校阻止や大会優勝の時点で雑に考えてもかなりの人気と知名度を得ていたはずである。ましてや地元であり、さらに出迎えたファンは同年代であったから今さら驚くことではないはずだが、それに初めての体験であるように驚く描写を入れてしまったことで、劇場版アニメラブライブという作品自体がどの場面においても何かを得ることはなく、いつもまったく無関係ストーリーが乱雑に入れられるだけの作品だと物語っているかのようである


 続いて、ブログではそのような内容や批判を受け入れるファンの態度についての批判が述べられている。

さて、劇場版ラブライブ!』は以上のように脚本に重大な瑕疵を抱えているにも関わらず、この劇場版が良かったという人々の多くがこのことを大した問題ではなかったと考えているようだ。ここがポイントである。もし以上で挙げたようなことがそもそも物語上の瑕疵ではないと言うのなら、それは根本的なセンスの違いだからどうしようもない。しかしそうではなく、瑕疵だとは認めつつもそのことによってこの映画価値が損なわれないと考える人々が多くいるという、その点にこそ本質的問題がある。なぜなら、これほど重大な物語的欠陥を目にしておきながらそれを大した問題ではないと言うのは、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という物語性軽視の態度に他ならないと考えられるからである


ラブライブ!』はTVアニメ第1期以来2年半のあいだ爆発的に人気を拡大し、日本二次元コンテンツ代表する作品の一つにまでなったが、残念ながらそれと同時に、物語性をひどく軽視するファンを増やしてしまったように思う。そういった人々は、μ'sを一方的かつ即物的に消費するだけであり、μ'sのメンバー共感したり、あるいは彼女から何かを学んだりしようとするチャネルを持たない。そしてそういった人々の消費態度は、実際に『ラブライブ!』の作品のものに反映されるようになってしまった。その結果がこの劇場版における脚本崩壊だと考えられるのである

 そもそも、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という擁護を持ち出すのも苦しい点がある。

 何故かというと、このアニメラブライブ脚本家である花田十輝氏や監督京極尚彦氏は自分たち志向する物語性を作るために、キャラクター性やプロジェクトの大きなコンセプト(一貫した主題)を変更して犠牲にした経緯があるためである。(電撃ラブライブ!3学期http://www.amazon.co.jp/dp/B00BW8MRVY等参照)

 いくら結果売上が出たとか人気が出たとはいっても、道理に背く大きな決断を下したからには内容に責任を負うべきである。自らが企画原案から打ち立てた作品なら構わないだろうが、ラブライブは三社合同のプロジェクトであり、原案公野櫻子であるため、彼らは作品物語性の中枢部分に適当にメスを入れられる資格はない。つまり覚悟を持ってメスを入れてしまったのだから、それ相応の義務責任を負わなければ話にならない。

 本来あったキャラクター性や物語性を軽視した上で、打ち立てたストーリーに不備が生じ、それを擁護するために切り捨てたものを持ち出すというのは都合が良すぎるし、つまりストーリーコンセプトの変更やキャラクター性の変更の失敗を証明しているようなものである

2015-11-15

はてなブログにはあんまりおもしろい人がいない - あだばな観察記

拝読いたしました。

かつて編集やっていた身としてまぁそんなに異論はないけど、なんかこう全能感持ち過ぎじゃね?というか、社二病臭きっついなーと思ったら、

2015-06-04

(中略)

私は書籍編集者なので、本の企画を立てて作ることが仕事である。が、まだまだ転職したばかりで日が浅く、いろいろ失敗ばかりで、うまくいかないことも多い。

http://ada-bana.hatenablog.com/entry/2015/06/04/203548

なァーーーーる!!!

編集者になってからまだそんなに経ってない!!!のかな!!!ならば納得!!!

小生は激務と精神の消耗に堪え兼ねて業界を去りましたが、アダバナさんには是非これから頑張っていっていただきたいものですね。五年後にまた会おう!

2015-07-28

http://tm2501.hatenablog.com/entry/20121123/1353602504

青二才記事コメント欄にあるドリーさんって村上春樹Amazon書評単著出した人?

ドリー

 こんばんわ。いつも楽しく拝読させてもらっております

 ドリーと申すものです。

 TM2501さんは若いのにとてもクオリティの高い記事を書いていられるのでいつも感心しております

 ちょっと気になったことがあるので、2点質問してもいいでしょうか?

 記事の内容に関することで興味を持ったのですが、「同人誌」というのはTM2501さんいとってどういうものなのでしょうか。

 感想なんかいらないと書いていますが、いらないのならどうして売っているのか少し気になりました。自己満足なら他人に売る必要はないのでは・・・

 それともう一点。

 水準の高いブログにもかかわらず、コメントが少ないのは意外でした。僕は趣味ブロガーをたくさん観察していて、

記事クオリティコメントが比例するのか、ということを今、検証しているのですが、TM2501さんのブログアクセス数が多い割にコメント比較的少ないように思われます記事の反応をどこらへんで掴むのか。そこらへんのことも教えていただけたら幸いです。

 それでは。

2015-07-05

スプラトゥーンでは「相手と刺し違えろ」と言っている

http://anond.hatelabo.jp/20150623125629

これ書いたんだけど、いつの間にか変なリプライたくさん来てるね!変な人多いね

A+99カンストってめずらしくもないのに、自己主張が強く見えるのかなwww

http://anond.hatelabo.jp/20150630172343

このぶら下がり記事なんか特にひどい。

判りやすく言うとね「下手くそは相手と刺し違えろ」って言ってんのと同じなの。聞く必要無い。

逆だろ?!「相手と刺し違えないからだめ」って言ってんだよ。

私の記事読んでこんなこと言うのは相当だわ。『もっと大事なことは「死ぬのを許容すること」』ってわかりやすく書いたのにね!

もう少し具体的に書いてやるよ、拝読しな。

相手と刺し違えるならOK

数の有利の話はみんなしてるね。「4対4が3対4になると不利だから死ぬな」そりゃそうだ。だから刺し違えるぶんにはいいんだよ。4対4が3対3になったって変わらないし、復活は無限からね。すぐ復活するでしょ?いたくないよ?

刺し違えるつもりで先に攻めろ!

ある程度ゲームに慣れた人なら、自分から攻めれば刺し違えることはできるはず(できるよね?)。基本先手とったほうが有利だからね。そして運が良ければ生き残る。

けれど守るのはむずかしい、なぜならシールドがないから。逃げるしかない。

先手が取れないで守ってる人は、逃げるしかないわけだ。そうすると戦線が後退する。ジリ貧。そうなる前に攻めるべき。攻めるためには、刺し違える覚悟必要。だから「相手と刺し違えろ」と言っている。

必要な場面で刺し違えろ

そりゃ死なないで済むなら死ぬ必要はない。けれど、どうしようもない場面はある。例えば、相手にエリアの大半を確保されたとき

エリアほとんどが相手のインク、味方は押し込まれて何もできない、なんてのはよくある。

それをどうやって打開するか?スペシャル攻撃があるならそれでいいよ。けれどスペシャルが溜まるの待っていられないときもある。

さらに具体的に書いてやるよ!以下具体例な!

例1:味方のチャージャーを活かす

[質問]

相手にチャージャーとシューターがいます現在負けていて、自陣に押し込められています

味方にはチャージャーがいますが、シューターにやられてしまますローラーのあなたチャージャーにやられて何もできません。

[答え]

あなたシューターと刺し違えましょう。チャージャー対チャージャーなら、味方が勝つかもしれません。

例2:カウントストップを狙いたい

[質問]

ガチエリアプレイ中、相手チームがカウントを進めています

あと少し塗ればカウントストップなのに、エリア内の相手に塗り返されてしまます

[答え]

相手と刺し違えましょう。守る相手の体から飛び散るインクがエリアを塗って、結果カウントストップできます

例3:弾幕を薄くしたい

[質問]

ガチエリアで負けています中央に入るルートが少なくて、完全封鎖されています

[答え]

4対4でルートが少ないとつらいですが、刺し違えて一時的に2対2になったら、そうでもありません。刺し違えるのもひとつの手です。

失敗しても「3対4」だ、味方を信用しろ

死にました。3対4になりました。数的不利になりました……というのは確かに味方に負担かかる。

……かかるけど、3対4になった瞬間味方が全員死ぬわけじゃない。強いランクなら味方だって簡単には死なないし、弱いランクなら3対4になった瞬間相手が押し寄せてくるわけじゃない。

攻めに消極的で4対4のはずが3.1対4ってなるよりは、アグレッシブにいった結果3対3、うまくいったら4対3、失敗したら3対4……ってほうが効果的な場面は多くある。先に具体例挙げた不利な場面だけじゃなく、試合開始直後なんかもアグレッシブにいくとよい。


……これでいい?言ってることわかった?具体例足りた?

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