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はてなキーワード: 依拠とは

2018-07-13

anond:20180713124227

損得理解してるなら卑怯であっても故意ではあるからいいと思うんだ

問題無意識に醸成されてる価値感を完全にオリジナルだと思い込んでる人

恥ずかしいとかダサいとかそういう感情が他社の視線依拠してる事に気づいてない

2018-06-16

anond:20180616051216

こういう意見見て思うけど自分をどれだけ過信してるんだ?

日本はもうダメだ、世界ダメだ、の「ダメ」って一体何?

まりお前の資産価値観ほとんどすべて日本社会かあるいは友好国の社会依拠してると思うんだが?

それを切り捨てて生きていけるって自信は一体どこから湧くんだ?

2018-06-08

https://togetter.com/li/1234512

これおそらくは有用なんだと思う(ただ出典明記がないとか、いろいろまとめてる人の感覚だけに依拠しすぎの惧れはあるかも)けど

なんかイラッとした。

こういうちっちゃな「イラッ」の理由を考えるようにしたい。

たぶん自分英語コンプレックスをくすぐったんだと思うが、それだけじゃない気もするんだよな

イラッとしてるけど、なんでイラついてるのかわからない、この状況がまたイラツキを加速する

いずれこの二つが同化して、一つのおっきな怒りになるパターン

キチンと切り分けて考えられるようにしておきたい

2018-04-24

野間オタク差別全盛期の差別当事者

される側のね。


1.苛烈オタク差別に直面した野間世代

そもそも野間がイキってる写真とか見るとわかる人にはわかる。

あれは不良のセンスではない。

しろオタクセンスに近い。

野間自分より一回り以上上の世代だが、あの世代のオタク独特の臭いが強くする。

エヴァ放映時に30過ぎだった世代エヴァに最も発狂的反応を示してた世代)だ。


あの世代の人達メインストリームから外れることに多大な勇気必要だった。

メインストリームで生きづらい人の大変さが今と比べても強かった。

いま30代後半の自分達は思春期にかろうじてその空気尻尾を感じた。

あれの空気本体思春期に重なったた世代はさぞ苦しかったと思う。


差別に直面し苦闘したオタクたちは色々とヘンテコリン自意識を生み出した。

いまギャグとして消費されてる「イキリオタク」はライト病理から誰にでも笑える(理解出来る)。

20代の小汚いオカマ氏が「要するに未充足、飢餓」とまとめてたが、それは多かれ少なかれ誰にでもあるものだ。


野間世代当時のオタク自意識とそこから生み出されるファッション自己演出は広く笑えるものではなかった。

オタク同士だと辛うじて痛々しさを理解できて笑えるようなものだった。

今よりはるか過酷環境下での切実な防衛のための自意識で、

情報入手手段も乏しく、「大人」になった先輩もまだおらず、

オタクとして見習える穏当なロールモデルがまだない。

みんなオタクとして社会に抗するためのスタイルを手探りで自己開発してたから。


その中の一派として、オタクでありながら不良っぽくイキるオタクが居た。


2.自意識武装するオタク

もう名前出しちゃうと有名どころでは大張正己とかだ。

当時スターアニメーターとしてメディア露出してた大張は袖の無いジーンズなんかを着てバンダナ巻いてた気がする。

「大張アニキ」って書かれてた。

ちょっと欧米パンクイメージも混ざりこんだ、オタク想像する精一杯のタフガイ

申し訳ないけど、当然ながら似合ってなくてすごく痛々しかった。


あとメタル音楽に傾倒するオタク

有名どころでは萩原一至とかだ。

あの世代には変に洋楽好き・メタル好きをアピールするオタクがやたら居た。

黒い服を着て怖いルックス外国人音楽聴くオタク発見した精一杯のタフガイ


みんなぶっちゃけ同じオタク気質の持ち主で、

でも当時馬鹿にされていじめられる対象として知れきってた「オタクであることを肯定できずに

メインストリームじゃないけど得体の知れないもの

メインストリームじゃないけど別の権威のあるもの

で身を固めてた。


バンダナとか指貫きグローブを装備するオタクが本当に居た時代の話。

彼等は普通になれない自分世間説明する為に「タフガイ武装をしてた。

それが見当外れで更に外面を異様にするものであっても。


いま野間説明しようとしたら大張・萩原という名前自然ポンポンと出てきたけど、

調べてみたら見事に同い年や同世代だった。(野間大張が1966年まれ萩原1963年まれ。)

勘で喋ってるけど大きくは外れてないんじゃないかという自信を得た。

野間は明かに大張や萩原のようなあの世代のオタク臭いが濃厚にする。

オタク気質でありながら自分オタクと率直に認められない。

タフガイを装備して自分説明しようとした。


3・サブカルというもう一つの(逃げ)道

オタクでありながら差別のせいでオタク自分を認められない人間

当人なりのタフガイ属性を装備した変なオタクになっていたという話をした。

しかしそういうオタク気質・強い自意識の持ち主の為のもう1つのパスが当時あった。

サブカルだ。

(ここで言うのはテクニカルタームであって、一般的意味サブカルチャーではない。)


サブカルとは何かを説明するのは難しい。

端的には「音楽映画についてマニアックなところ(最初から売れないマイナーなところ)に取り組み、

しかオタクではないことを強く自己規定する人達」とかになる。

この人達に無理があったのは、どうしようもなく存在意義他所依拠していたところだ。

メインカルチャーとは違うんだ、オタクとは違うんだ、という所だけで成り立ってた。

から非常にオタク意識オタクに執着してオタク蔑視して攻撃してたのもサブカルだった。

近縁種でありながら自分達ほど自意識が高くないオタクにつきまとって蔑視することで自己肯定感を得ていたから。


結果論から言ってサブカルは滅びオタクは栄えた。

オタクが堂々と自称できる世間になってしまった。


オタク自意識戦場から本格的に去ってしまった後はサブカルは空回りするしかなくなった。

そしてわりと自由創作や消費をし続けていたオタクの影響力経済力に勝てなくなった。

自意識問答にあまりに長い時間を割く人間は結局は敗れ去る種だったのだ。


これは後世の人間による傲慢歴史的結果論だが、

オタク丸出しでオタクをやれてたオタクや、バンダナ程度の武装自己肯定出来てたオタクは、

アニメを捨て馬鹿にされないための映画音楽に走ってカルト度外れ度を競うという

自意識の強さゆえに終始無理してるサブカルより強かった。


4.自意識から卒業できなかった方のオタク

もう結論が見えてきただろうか。

野間オタク差別全盛時代差別の脅威をヒシヒシと感じて育ったオタクで、

メインストリームでは生きられない自分の精一杯の防備を固めるためにサブカルオタク蔑視することで差別される弱者位置から逃れようとする生き方)に走り

サブカルをやってたせいでオタクにもたらされた開放に立ち会えずに

未だに自意識の檻に囚われ続けているオタクだ。


野間差別に強い関心があるのもオタクに強い執着があるのも理由が分かるだろう。

ずっと被差別感を持っていて、オタク蔑視する時にそこから逃れてきたのだ。

典型的差別被害者差別主義者だ。

今更そこは責めない。

まして彼等より安穏な時代を生きる世代断罪していいものと思えない。


ただし野間を長年苛んだ差別は明かに在日差別のようなソリッドでトラッド差別ではない。

80年代の「ネクラ」「ダサい」のようないじめ空気だ。

そのいじめ空気と格闘し続けて中年になったのはそれはそれで面白い人で、

そこを率直に出すことでメディアや論壇に居場所の確保が出来たと思う。


しか野間はまたしても自分肯定できなかった。

そんなことにクヨクヨと悩んできた自分を認められなかったのだ。

またもサブカル特有自意識の強さであり、あっさり被差別者としての言論を確保したオタクとは対照的だ。

サブカルオタクよりも弱い人達だった。

当人の心性も、結果的に追い込まれ立場も。


オタクが開放されて去ってしまサブカルとしての今後に行き詰まりを感じた野間

在日差別反対」という明かに当人が長年取り組んできたミッションとは違うものを掲げてしまった。

そして当人なりの精一杯のタフガイあの世代にとってのそれは不良)として革ジャンを着て釘バットを持ち中指を立てた。


差別反対を標榜すること、やけに暴力性をアピールすること、オタクに強い執着を持って追いすがり繰り返し侮蔑すること、

傍目にはヘンテコちぐはぐな彼の行動が、成分を分析すればいたって自然帰着なのだ


大張や萩原はとっくの昔に武装を脱ぎ捨てて普通のおじさんになった。

野間を追い込み続けるのは自分肯定出来ない弱さとその逃げ道としての自己欺瞞だ。


5.野間という人

プライドが高い野間には許せない。

世間空気いじめられて悩み続けてきた自分を。

あっさりと「いじめられた」と認めて被差別言論を獲得するオタクどもを。


野間は決して頭悪くはない。

抽象的な議論が出来ない方ではない。

なんたってオタクから。悩み続けてきた人だから

定期的にめちゃくちゃな暴論をぶつのはそれがタフガイ仕種から

「乱雑で悩みなんか持たない自分」を世間に表明する必要が定期的に生じる。

それは精神的な発作だと思う。


からおそらく、自分サブカル経歴が見る人から見たら弱点バレバレなのもたぶん自覚してる。

いま野間wikipediaを見たら、なんと前半生がまるまる削除されていた。サブカル時代の経歴の全てが。

45歳時点からまりそれ以前について触れないwikipedia人物記事って地味に異様だ。

もともと野間雑誌編集者とかギタリストとか紹介されてたはず。

学生時代から参加してるバンドサブカル界隈ではそれなりに有名で、

ミュージック・マガジン』なんていう典型的サブカル誌の編集者でもあった。


いったい誰の手の者が人の前半生をこんな風に抹殺したんだろう。

野間否定的な者ではあるまい。

野間肯定的な者でもあるまい。

このサブカル活動文脈理解できて、その裡のみじめな自意識の懊悩を理解できるオタク教養のある者、

そしてこの経歴にすら強い羞恥心を感じて肯定できなくなった者に違いない。


調べてみると近年の野間は「サブカル」を批判対象へのレッテルとして結構連呼しているらしい。

脱オタクしてサブカル立場オタク侮蔑し、

サブカルして活動家の立場サブカル侮蔑し、

まりいつまでも自分自身を肯定することが出来ない。


6.まとめ

一部にみられたこういうのがあまりにも見当はずれな分析なのでひとこと言いたくなりました。

野間氏は不良ではなくオタクです。

2018-03-17

anond:20180317085155

よく読んで。ゾーニングの話なんて一切してないよ。

「『権利Aを放棄すること』はあなただって嫌でしょう? だから他人にそれを求めてはいけない」という説得論法は、『権利Aを放棄すること』を忌避しない相手には通用しない。ということについての記事だよ。

その種の論法依拠して説得しようとするのは相手によっては効果がないことがありうるし、時に危険でもある。なぜならその論法は「『権利Aを放棄すること』に同意した存在他者の『権利A』を奪って良い」という風に展開可能からだよ。

敢えて言えば、これはエロともBLとも関係ない。説得論理問題だよ。

2018-03-08

anond:20180308002307

あれ?使い方間違ってる?

自分所属集団依拠して発言してる様を表してると思ったんだが

2018-02-17

特定研究者を叩くのはいいけど他の研究者への流れ弾はやめてほしい

当方文系若手研究者

https://anond.hatelabo.jp/20180215032409

英語論文出してない「国際政治学者」って大丈夫か?

それとも日本で言うところの国際政治学ってやつはあくま国内政治の一研究分野なのか?

国際分野なのに英語論文発表してないことが最大の違和感。必ずしも三浦瑠麗を叩きたいわけじゃなくて、日本国際政治学全体のレベルが低い?あるいは政治学者仕事世界に向けた学術研究発表よりも国内政治ご意見番をすることのほうが重要っていう認識業界一般的になってるならそれも受け入れる。

著書「シビリアンの戦争」は博論出版したものって理解でよいか文系博論は分厚くて書くのが大変とは聞く。でもグローバルな表題なのに世界では通用しない研究(少なくとも英語でないので読んでもらえない)って考えると悲しい。


こういうの勘弁してほしい。三浦瑠麗を叩くならどんどんやればいいと思うしやってほしいけど、叩く対象限定してくれ。

文系では和文でも立派な研究業績になる。最近の若手研究者積極的外国語論文書くようになってるし、私だって欧文論文の1本や2本あるけど、仮に査読論文和文しかなくても質が高いものを書いていて博士号もらってれば立派な西洋史研究者英文学者/アメリカ政治研究者etc.だよ。そういう世界なんだ……。

「ちゃんとした雑誌に載せてる論文が3つしかない」っていうのもどうかと思う。業績リスト見たら、まあ新書2冊はおいといて、それなりに専門的っぽい本を分担執筆してるよね。その本を読んでないから何ともいえないけど、雑誌じゃなくて本(アカデミック論文集)の1章として学術論文を発表することはあるし、それはふつう業績としてカウントするよな。繰り返すけど中身は見てない。中身はメチャクチャレベルが低いのかもしれないし、その場合「この程度の論文しか書いてないじゃないか!」っていう批判は正当だと思う。けど共著を業績にカウントせずに「業績が3本しかない!」っていうのはやめてあげて。

私も、さすがに学振PD持ってて日本Ph.D.獲ってるのにこの業績数はショボいだろ……と思うけど、博士号取得に際して論文数の要件がなければ(少なくとも私の出身大学院では存在しない)、とりあえず雑誌投稿とかしないでひたすら博論執筆するっていう研究スタイルもアリだと思うし、一概にそれが駄目とはいえない(単に茨の道ってだけで、制度不可能ではない)。あと一部の国では「博論に既発表論文を大幅に組み込むのは禁止(=博論は書き下ろせ。既発表論文切り貼りは不可)」っていうルールがあったりするから、そういう国に留学してた人は博士課程のあいだに出した論文数がどうしても少なくなっちゃう。

和文で書いてればレベルが低いっていうのは誤解。そりゃレベル低い和文論文もたくさんあるだろうけど、質の高い研究はたくさんある。もう15年以上前のことだけど、日本西洋史研究者研究対象の国のひとたちと論文集を出した時は、日本参加者レベルの高さが評価されたりしてたし(https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/39022/1/50-013.pdf)、それらは「外国研究者から読んでもらえない」かもしれないけど「レベルが低い」わけじゃない。

何が言いたいかっていうと、三浦瑠麗の言説の酷さは都度指摘すればいいし、彼女研究問題があるなら存分に批判すればいいと思うんだけど、業績リストだけを見て和文しかないとか批判しだすのは他の文系研究者に流れ弾あたってるからやめやがれください。ていうかやめて(自分の業績リストを泣きながら握りしめる)

『シビリアンの戦争』は、彼女博論タイトルそのまんまだから博論書籍化という理解でいいと思う(https://ci.nii.ac.jp/naid/500000550395)。私はどちらも読んでないので違ってたらごめん。博論書いてそれを本として出版するのは、文系研究者としてはよくあること。

せっかく質が高い研究してても読んでもらえないのは悲しいってのはその通りで、日本語文献が読むべき先行研究として通用してる分野は日本東アジアにかかわる研究くらいかアメリカ人でも前近代中国史やってたら日本語読むことを要求されると思う。中東研究する日本人フランス語要求されるみたいな感じで)。これの解決は難しいけど、欧文で和文文献のレビューをするとか、欧文で良い論文書いてその中で和文文献引用しまくるとかして、「日本では面白そうな研究をやってるんだなぁ」と認知してもらうことがまず必要なんじゃないかと思ってるんだけどこれは三浦瑠麗とは関係ないので措いておく。

ていうか、欧米日本学だって英語仏語独語日本についての博論書いてるんだから日本人イギリスフランスドイツに関する研究日本語で発表してもいいよね。日本だけじゃなくて、ある程度歴史と規模のあるアカデミアがある国では、文系博論論文自分らの言葉で書くことは結構あると思うんだ。

あとこれな。

https://twitter.com/chutoislam/status/963834829723729920

https://twitter.com/chutoislam/status/963834833360248832

これも、一般人デイリーメールを端から信用しないのは処世術としてはいいんだろうけど、時にはそういうソース依拠することが必要なこともある研究者もいるんだから、「デイリーメール引用してる」って理由だけで叩くのはやめて、って話だと私は理解した。余計なところに流れ弾を飛ばされると「それは違うでしょ」と三浦瑠麗弁護みたいな立ち位置にならざるを得なくなるというか。私だってこんな記事書いたけど三浦瑠麗学者としての資質は相当疑っている。ただ流れ弾を撒き散らさないでほしいだけなんだ……

追記

vkgofboston 査読の有無は和文英文に関わらず業績として見なす上で肝だと思うが、それに関しての考えを聞きたいね

三浦瑠麗が書いた雑誌のうち、『レヴァイアサン』は知らないけど『年報戦略研究』は査読あるよ→http://jsss.sakura.ne.jp/PDF/jsss-1507-tokokiteiyoko.pdf(当時もあったのかは知らん。『国家学会雑誌』はどうなんだろ。あってもなくても不思議じゃない。でもあそこ連載論文とか載せるからないのかなぁ)。ていうか和文の主要な研究雑誌にもそりゃ査読はあるし、だれも査読重要性は否定してないんですけど……(ただ、査読がなくても良い論文なら業績として扱っていいんじゃない、とは思う。査読つきの良い業績を積み上げてる人が一番評価されるべきなのは当然として、いちおう査読はされてるけどクソつまら研究と、査読されてないけど面白い研究だったら、一概に前者の方が業績として立派とはいえないんじゃない? 当たり前だけど公募では業績を提出させるわけで。まあわたし査読無しの媒体にはあまり書きたくないけどね)。

2018-01-29

 当方おっさん。つーか初老。外見がおもしろい。どれくらいおもしろいかというと、鏡を見た瞬間に「ああ、これは俺に好意を抱く女性はいないですね」と、怒るでもなく絶望するでもなく、ふつうに納得するレベル。そんな人間でもなんかのまちがいで結婚できたので、人間どうなるかはだれにもわからん。ただそれは結果としてそうなったというだけであって、女性と縁のなかった年月のほうがはるかに長い。

 子供のころから自分男性であるということに強い違和感があった。といっても女子小学生になりたいとかそういうことではなくて、というか本当は女子になりたかったのだが、なりたすぎて「現実的女性になるにはどうしたらいいのか」というようなことを考えていた。その結果、顔面おもしろいので女性になるのは諦めた。というのが小学生のころの話である

 そこで、女性になれないのであれば、男性として生きるしかなくなったわけだが、なら、なぜ男性であることがここまでいやなのかと考えた。そもそも性別ってなんだ。ちんこついてるから男なのか。ちんこときで俺を男扱いするのはやめてもらおうか。などと考えていて気づいた。なるほど、俺は「男性として扱われる」ことそのものがいやであったらしい。

 俺が子供のころはまだまだ「男は男らしく」という価値観が相当に支配的な時代だった。「男のくせに」「女のくせに」とかがわりと平然とまかりとおった時代である。つまりはいろんな人たちが押し付けてくる「男性」が気に入らなかったのだ。そう気づいたのは、高校くらいになってフェミニズム関連の書籍を読んでからである。どうやら俺が気に入らなかった「これ」はジェンダーと呼ばれるものであるらしい。いやだったのは自分ちんこがついていることではなかった。フェミニズム思想は、俺を救った。

 しかちんこついていても排尿くらいにしか使いみちがない。なぜなら俺はもてないかである。この「もてない」というのは子供のころからわりと決定的な条件だった。しかしここで「俺を愛さない女が悪い」とかはまちがっても思えないのである。なぜなら、鏡を見るとそこにおもしろい顔があるから。だれよりも最初自分が納得しているのである。なるほど、この顔面はいかん。これはどうにもならねえ。

 でまあ、最初から女性となんらかの関係を持つのは諦めていた。諦めたというか、恋愛とかそういうのは魔法やら超能力と同じようなものだと思うようになった。不思議もので、こうなると恋愛異世界ファンタジーである。「俺はそこには行けないが、ここではないどこかには、美しい世界があるに違いない」などと思いはじめる。実際、クリスマスの町中を歩くのが好きだった。俺には関係ない世界だが、だれかは幸せであるに違いない。そうしたものが町にあふれているのは決して悪いことではないじゃないか

 とはいえ、性欲はあるのである。幸いなことにこの世にはポルノというものがあった。まじちんこ助かる。しか現実女性というものをあまりに俺とは無関係ものである判断した結果、二次以外では反応しない体質とちんこになった。そもそも女性性的関係もつ可能性を想定していないのである。ならば、その肉体は男性と同じである。俺にとって男性女性もひとしく「人間」でしかない。青年誌とかのグラビアを見てもなにも感じない。そのころのグラビア記憶として残っているのは、小倉優子が表紙のヤングアニマルかなにかを見たときに「これはすごい。胴が長い」と驚いたことくらいである。

 こうした価値観は、俺の内部に相当の歪みとか恨みみたいのを蓄積させているらしい。個人としてはわりとさまざまな不都合があった。ただまあ、これは結婚できたからこそ言えるのかもしれないが、にもかかわらず、よかったと思っていることもある。

 それは、仕事やらなんやらで出会人間について男と女区別することが絶無であることだ。本当に男女の違いは心の底からどうでもいいのである。具体的には、ある特徴があったとして、それを「性別」という場所に落ち着かせることがない。というかその発想が出てこない。すべて単なる個性である。仮に巨乳だとして「なんか胸のあたりが大きい人間」でしかない。それは俺にとって二の腕ものすごい太い男性と似たような意味しか持たない。結婚してからは、女体を性的目線でみることの意味合いが多少は理解できてきたのだが、しょせん後天的学習の成果である。油断しているとすぐに忘れる。

 もちろんこうした価値観は、どう隠したってかならず漏れる(隠そうとする知恵くらいはついた)。おもしろいのは、このスタンスで生きていると、一定数の女性から蛇蝎のごとく嫌われることだ。理由は単純で、その人が依拠しているものを完全に否定してしまっているからだと思う。俺にとって救いのは、世代が下になるにつれ、このようなやりかたで俺を嫌う人間が減ってきていることである。まあこっちがおっさんになったという観察者問題もあるかもしれない。

 フェミ関連で荒れるようなもんがホッテントリに上がってくるたびに、俺は自分がそれに救われた経験から「違う。フェミニズムってのはそういうものじゃないんだ」と叫びたいような気分になる。男とか女とかそういうの別にいい。ちんこまんこ代表されるものはそれが必要とされる場面以外では出さなくていい。まず人間だ。みんな人間だ。みんなメシ食ってうんこする。その程度のものだ。俺はアゼルバイジャン人間よりもカレーを嫌いな人間のほうが理解できない。しかしだからといってカレーを嫌いな人間をそれだけで嫌ったりはしない。なぜうんこの話のあとにカレー話題を持ち出した。さっきカレー食ったからだ。よけいタチが悪い。

 おもしろ顔面は、俺にもてないという運命を与えた。もちろん外見だけが人間を決定するわけではない。そんなことはいやってほど理解してる。それでも「顔がダメ=もてない」という図式をかつて俺は完全に受け入れた。いまにして思えば、俺があれほど自分性別違和感を持ったのは「自分ではどうしようもない身体的な条件に対して、なにか義務を与える」というこの性別というもの構造のものに対する抗議だったのかもしれない。

 具体的な抗議行動として、今期は斉藤さんになって志摩リンのことを「かわいいなあ」「ほんとにかわいいなあ」「ずっとこのままでいてほしいなあ」などと思いつつ、たまにその感情閾値を越えて友情のふりして抱きしめるという暴挙に出たい。あとあんまり関係ないけど、俺のことをキモいとか言った女子よりも、もてないことを理由嘲笑した男たちのほうが許せない。いまでも許す気ない。

2018-01-13

EUモロッコ間で締結の漁業協定は……

EUモロッコは、1996年に提携合意を、2006年に漁業クタにおける協力合意(以下「漁業協定」という)を、そして2012年に農産物・加工農産物及び水産物・加工水産物に関する自由化協定を締結した。2016年12月21日に当司法裁判所は、欧州委員会に対しポリサリオ戦線が提起した訴訟における判決への控訴において、EUモロッコ間で締結された提携合意協定西サハラには適用されていないと判断した。しかし、この事件は同漁業協定に関するものではなく、それゆえ当裁判所判決において、その協定については何ら有効性の判断を行わなかった。

UKにおいて、西サハラキャンペーン(WSC)は、西サハラの人々の権利認定サポート目的とする独立ボランティア組織である。WSCは、高等法院(英国及びウェールズ)の女王座部(行政裁判所)にて、EUモロッコ間で締結した漁業協定と、同協定を首肯し施行する規則類は、同協定規則類が西サハラ地域水域適用される限りにおいて無効であると訴えている。WSCはそれゆえ、UK当局が同協定を履行すること、とりわけ西サハラ産品をモロッコ王国の産品と認めて特恵関税待遇を与えることを違法行為だとみなしている。さらに、WSCはUK当局西サハラ近海漁業ライセンスを発行する権限を有していることについても争っている(同協定で、EU漁船特定の条件の下でモロッコの漁場内で漁獲してよいと定めているため)。

高等法院は当裁判所に対し、まず、西サハラキャンペーンEU規則類の有効性について国際法を遵守していないとして争うことができるか、次に、EU法のもとで同漁業協定有効なのか、について確認を求めている。EUが締結した国際協定とその施行規則類の有効性の審査のための仮決定的手続のもとで請求が行われているのは、これが初めてである

 今日、メルキオール・ウォスレ法務官は、彼の見解のなかで、当裁判所は「EUが締結した国際合意適法性査定する裁判管轄を有しており、WSCのような団体は同漁業協定適法性を争うことができ、そして、同漁業協定西サハラ地域水域適用対象とするために無効である」と回答すべきである旨を主張している。EUが締結した国際合意適法審査する枠組みのなかで、国際法上のルール準拠することが自然人法人に開かれているかについて当法務官は、そのルールが無前提かつ充分明確であり、その性格と主要なロジック申し立てられた法の適法審査を妨げていないのであれば、EUが拘束されている国際法上のルール依拠して法的な手続きを行うことが可能でなければならない……と、みなしている。

 当法務官は、WSCの依拠する以下の国際法上の3規範に関して、こうした条件を満たしていると考えている。それは:(1)自己決定権、(2)天然資源にかかる永久主権原則~それが西サハラ人民利益のために当該資源の利用を要すかぎりにおいて~、そして(3)占領地域天然資源の利用にかかる国際合意の締結に適用される国際人道法のルールである。当法務官は、これらの規範EU締結国際合意適法審査の枠組みのなかにあり、これらに依拠することは可能である……と結論している。

 そして当法務官は、同漁業協定とこれを首肯し施行する規則類が、これらの3規範に適合しているか審査している。

 まず当法務官は、西サハラの人々が国連総会の設けた条件で自己決定権行使することすら、かくも永くの間、機会を奪われている……と、述べている。西サハラ併合によってモロッコ王国統合されたが、この地域の人々が自由意思表示をしたことによるものではなかった。モロッコ領土への西サハラ一方的統合と、当該地域にかかるモロッコ統治権主張を根拠として、モロッコが同漁業協定を締結して以来、西サハラの人々はその天然資源自由処分していない。それが、自己決定権によって求められているにもかかわらずである。したがって、申立ての規則類によって定められ行われる西サハラ近海でのEUによる漁獲は、西サハラ人民自己決定権尊重するものではない。

 モロッコによる西サハラ統治権の主張は西サハラ人民自己決定権を損なったことによるものであるから西サハラ人民自己決定権モロッコによる侵害の結果である違法な状況を是認せずその維持に援助を与えないようにする義務を、EUは怠っていた……と結論する。この理由のため、西サハラ地域とその近海への適用に限って、同漁業協定とそれを首肯し施行する規則類は、欧州連合に対し外事につき人権保護国際法を厳格に遵守しなければならないと要求する欧州連合条約の定めに適合していない。

 当法務官は、西サハラにおけるモロッコデファクト施政勢力もしくは占領勢力としての地位は、同漁業協定の締結を正当化できないと考えている。第一に、「デファクト施政勢力」の考え方は国際法存在していない。第二に、モロッコ西サハラ占領勢力であるが、同漁業協定の締結のされ方が、占領地域適用される国際合意占領勢力による締結に適用される国際人道法のルールに適合していない。

 次に同法務官は、同漁業協定により提供された漁獲のほとんどが西サハラ近海限定的関係している(これらの海域で得られた漁獲は、同漁業協定で定められた漁業文脈で行われた総漁獲量の91.5%付近にのぼる)と認定する。同漁業協定に従ってモロッコ王国へ支払われた財政的貢献は、ほとんど西サハラ人民利益のためだけに使うべき…ということになる。当法務官の見解では、同漁業協定西サハラ人民利益のための漁獲となるために必要な法的セーフガードを含んでいない。この意味において、天然資源に係る永久主権原則占領地域天然資源の利用にかかる国際合意の締結に適用される国際人道法のルール、そして最後に、これらの原則ルール違反した結果である違法状態是認せずその維持のために援助を与えないEU義務を、同漁業協定及び他の申立ての規則類は遵守していない。

 これらの理由全てにより当法務官は、同漁業協定無効である結論する。

2018-01-12

チョコワッフルを頬張る妻を見て、涙が止まらなくなった。

ある日、ボロボロだった転職面接の帰り道に、妻への手土産を買った。

マネケンチョコレートワッフル、妻の好物だ。

家に帰り、「面接大変だったね」と声をかけてくれる妻に

チョコレートワッフルを渡し、

妻は受け取ってすぐ嬉しそうに食べてくれた。

その姿を見て涙が止まらなくなった。

喜んでくれて嬉しかったのもあるが、

「150円くらいのチョコワッフルで喜んでもらっている」

という事実にいたたまれなくなったのだ。

私たち共働きで、妻は私よりは遥かに高給取りだ。

旅行好きでロマンチストなので、

常々ヨーロッパ旅行に行きたいと言っている。

チョコワッフルは確かに美味しいけれども、

私は本当は妻をベルギーに連れて行ってあげたい。

ベルギーで本場のワッフル経験してもらったうえで、

マネケンワッフルも美味しい」と喜んでほしい。

私の低給が足を引っ張っていなければ、

妻はベルギーに行く余裕があるんじゃないだろうか。

妻にいろんな夢を我慢させているのではないだろうか。

きっと私は今幸せだ。

クソみたいではあるが定職があり、

会えば飲みにいける友人もおり、

妻もいて、もうすぐ子供生まれる。

私の会社は小さく、社長毎日威張り怒鳴り散らしてるし、

死ぬほどつまらない飲み会を頻繁に開催しては、

終電まで、ときには終電後も付き合わされる。

仕事では入社前に約束していたと任されているポジションも違うし、

給料は異常に安いし、残業代ボーナス代どころか交通費も出ないし退職金もない。

待遇についての面談を打診しても「忙しいから」といい理由で受け入れてもらえないどころか

年末契約更改すら「時間いから」と行われなかった。

会社他の人はいい人だ。いい人過ぎてその会社に残っているんだろう。

離職率90%超えの職場に残ってるのはそんな人たちばっかりだ。

幸い、妻は私よりは遥かに高給取りだが、

子供も生まれるし、このままの私の給与環境では生きていけない。

転職を始めてみれば「あなた市場価値はない」と言われ、

専門知識が優れてるわけでもないし、経験が多いわけでもないし、特別資格もない私だから当然だ。

年齢も30を超え、かと言って責任ある仕事をしてきたわけでもなく、何も売りはない。

妻には「優しくて面白い」と言ってもらえるが、それに転職市場での価値はない。

このまま私は妻をベルギーに連れて行ってあげられないんじゃないだろうか。

マネケンワッフルで満足させてしまっているんじゃないか

妻は満足していないのかもしれないが、それを微塵も表には出さず、

相変わらず「おいしい」といってワッフルを頬張る。

そんな妻を見て、

死にたい

とは思わないが

「人ではない何か概念として生きていきたい」

と考えながら、涙が止まらなくなったのだった。

追記

たくさんの反応ありがとうございます

泣きながら書きなぐったので誤字脱字がたくさんあると思いますが、

とりあえず高級→高給に直しました。

> なんか、奥さんと自分を比べてちょっと卑屈になってない?

> ベルギーで食べる非日常幸せと、旦那が買ってきてくれる日常幸せは全く別のものだよ

> 奥さんが作ってくれたカレーを食べて、ああ…本場のインドカレーの美味しさを知りたい…なんて思ったことないでしょ??

> 男って自分価値仕事依拠してしまうから弱いのだよな。逆に言えば仕事さえしてれば何も考えなくて済む性格とも言える。

> 足を引っ張っているのは低給ではなくて、増田プライド

この辺のコメントがとても刺さっております

ホントそう。私のプライドだけの問題なんじゃないかって、今日は思える。

前にも同じように精神をすり減らして無職になった時期もあり、

それを支えてくれたのも妻でした。

そんな素晴らしい妻に感謝を形に表したいのです。

精神がすり減ってはいるけど、それを支えてもらい続けるのは本末転倒

伸び伸びできる仕事を探すか、思い切って専業主婦という形で夫婦人生に貢献したいです。

もちろん妻と話し合って決めることだけどね。

これからも妻が喜んでくれるならチョコワッフルを買い続けます

マネケン美味しいよね。

2018-01-08

部活動消滅部活漫画ピンチ

今のスポーツ漫画青春漫画はたいてい部活依拠してるストーリーが多いのだけど、はてなで叩かれてるみたいに部活がなくなったらどうなるのだろうね。

 

まず強制入部がなくなったら物語のとっかかりとなる入学シーンで主人公の「どの部活に入ろう」からのそのジャンルとの出会いというパターンが使いにくくなる。読者の共通体験じゃなくなるから

運動部スポ根練習はすでになくなって久しいか部活クラブチーム化しても練習試合描写はあまり変化はしないだろうが、チームが学校単位でなくなることで目的目標はだいぶ変わらざるを得ないだろう。「この学校には○○部が強いから入ったんだ」という部活目的とした進学描写がなくなる。

また、今まで学校ごとに不良とかガリ勉とか色をつけて作られてたチームが、地域ごとのクラブチームになることでそういった特徴をつけられなくなる。

 

何より今まで数多く作られてきた名作漫画が一気に時代遅れのものになり、若者に読み継がれることがなくなる。

2017-12-19

「女」を使って仕事をしたことがあるか。

ちょっとしつこいこのオッサン…という思いはしたことはあるが、しつこさに負けたこともなければ、手を出された触られたことなどもない。

もちろん枕もやったことがないが、打合せ終わりに誘われて飲みに行ったことぐらいならあるし、

女のあっせんではないにせよ、しつこく合コンに誘われたり、自分の部下(終始ニヤニヤしていた)を彼氏にしたらどうだと慰労会の席でずーっと言われ続けたことはある。

どちらも面倒くさいかお断りしたけれども。

そういえば、合コンお断りした人と部下を押しつけようとしてきた人からは、その後仕事が来ることはなかった。偶然だろうけど。

私の仕事が気に入らなかったんだろう、力不足だったんだろう。

セクハラ的に不快気持ちにはなったことは、そりゃあ数え切れずあるが、一方で性的な魅力(ある気はしないのだが)を使って仕事を取ってきたという自覚はない。

ただ、同僚や先輩から「そのように」言われたことならあるから、そうである可能性はあるのかもしれない、見る人が見れば。

「俺たちも(取引先のパワハラに)我慢してんだし、襲われたわけじゃないならむしろ楽じゃん」的なこととか、

あいつは女だからあの仕事を取れたんだ、みたいな残念すぎる陰口を言ってたらしい同僚男もいたらしい。

(陰口なので当然伝聞。そんな下らないことわざわざ伝聞すんなと思った。伝聞してきたのも男の後輩。ほんとくだらない)

ただ、今よりずっと若い頃に思っていたのは、「若い女」がそこにいるだけで、おっさんたちは若干たがが緩むということだ。

会議の席上、当たり前のことを言っただけで、「あ!猿が喋った!カシコイ猿だなぁ!」みたいな顔をされることが常だったからだ。

当たり前のことなのだから、同じことを別の人間が言っても何のインパクトもないだろうが、「若い女」であった私が言うと驚かれるような気がした。

若い女」だというだけで、初見マイナス100点からスタートで、「当たり前」をやるだけで一気にプラス10ぐらいまで上がる。

当たり前をしているだけだから絶対評価プラス10でしかないのだが、おっさんどもが私を見つめる目は「110ポイントアップの若い女」である

少し昔の話なので、当時はビジネス現場における「若い女」に希少価値があったせいもあるかもしれない。

当時、一人だけ信頼できるおっさん上司がいたので、思い切って「猿が喋った!みたいに思われている気がする。下駄をはかせてもらっている悔しさもある」と打ち明けた。

履かされてる下駄の高さが「若い女」に依拠しているなら早晩無くなるだろう、「若い女」もどんどん増えインフレ化もするだろう、という不安もあった。

なにより、オッサンの私への評価が甘くなることで、私が自分に対して甘くなっていく恐怖が大きかった。世間チョロいって思ったら最後ヤバい奴にしかならない。

上司からは、お前が感じてる不快感バーターだと割り切って、点数が甘いうちにやりたい放題やってみたらどうか、という実戦的なアドバイスをいただいた。

社会をすぐに変えるのは難しい、それに「若い女」の問題は、一方で恐らく「若い男」も同様に感じている部分もあるだろう、

「猿が喋った!」は、女に向けられるものでもあるが「若さ」にも向けられる、俺たちオッサンどもを驚かせるのも「若い」や「女」を担当する者の役割だったりもするんだ

猿→人間扱いのギャップが大きいと感じているのなら、お前の実力だってあるはずだ、と。

自分がオバハンになって確かに若い自体への下駄期待感)もあると実感するので、今思うと本当にありがたく実戦的なアドバイスだったと思う。

まぁ自分若い頃よりセクハラは減っていると思うし、今の方がビジネス現場に「若い女」が増えて相対価値が低下していることもあるかもしれない。

世界はほんの少しずつだけど変わってたりもするんだろうね。

2017-10-16

外山恒一が好き

政治的とかじゃなくて、エンターテイメントとして見てしまう。お笑い芸人的な。……失礼だけど。


2017-09-16

何かがそれ自身に由来するような構造のことをなんて言うんでしたっけ

誰か教えてください

権力がその力の由来を権力それ自身依拠するみたいなそう言う感じのやつです

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822094417

んで、大人になったらネットで女叩きをするような人間になった訳だ

問題大ありだろ

はあ?してませんが?

俺がいつ女を叩いた?具体的に提示して?


俺は今お前の事は馬鹿にしてるけど、もしかしてお前は女なの?

仮にそうだとしても俺はお前個人言動拙劣馬鹿にしてるのであってお前の性別はどうでもいい

そこで性別の影に隠れるつもりならお前と言う個人卑怯ものなだけだな


子供エロ本を見せてはいけないのは、性犯罪者になるからではなく

女性蔑視する人間にさせたくないからだよ

女性蔑視的な表現満載だから

お前はあれが女性蔑視している事にすら気付かないくらい毒されてしまってるようだけど

いいですかー

コンテンツのうえにあるものは全てフィクションです

そこが理解出来ない人間になるほうがやべーだろw

その分別が出来ない限りジャンプ少女漫画ですら超有害だよw


殆ど人間はそれぐらいの分別はついていて、

それがつけられないお前みたいな妄想人間の脳だけが壊れてるわけだけどね

だってそうだ

相手を「女叩きする人間である」と無根拠に決め付けなければ討論も出来ない


現実より自分脳内に作り上げた世界依拠する人になってる

それがお前

2017-08-20

https://anond.hatelabo.jp/20170820214833

自分で読んだわけでも調べたわけでもなく、相手側が出してきた曖昧情報に完全に依拠して

あいまい情報依拠して」っていわれても

その小説もその小説の作者も自分で追い掛けるほどの興味はないんだもん悪いけど

からせめて、その小説の熱心な信奉者らしい・くわしいらしい人の話を元にコメントしてるわけでな

作品の多いプロポルノ書きだ」って情報から、「であるならば~」って分析をしただけ

もしその情報が嘘だったらどうするのかというと、別にどうもしない

https://anond.hatelabo.jp/20170820214441

自分で読んだわけでも調べたわけでもなく、相手側が出してきた曖昧情報に完全に依拠して、そこまで意味不明な決め付けをできるのも凄い才能だな。

2017-08-16

アイマスについて考えた

はじめに

自分にとっては、これから生きていく上で大事存在だとも言えるのが765プロアイドルである

先日にライブを終えた346プロの面々も、さわりくらいなら知ってはいるが、どうにも馴染めないクチである

キャラの魅力としては、より最近風でバリエーションにも富んでいて、知らない人が見比べれば「765プロアイドルは地味」という人もいるかもしれない。

しかしながら、自分にとっては何よりも765プロアイドルが一番であり、たぶんそういう人が他にもいると思う。

お盆に休暇を取ったもののヒマなので、いろいろ観たり聞いたりしながら、こうなったらと幅を広げて「アイマス」について考えた。


スター」について

今年の高校野球は、清宮というスーパースター選手がいた。彼はのちのちプロになり、輝かしい成績を残すのだと思う。

野球に限らず、あらゆる人気スポーツには「スター」と呼べる一握りのプレーヤーが必ず存在する。

競技のことをよく知らない人間を、まるでまんがかドラマかのような力で惹きつけ、人間を呼び集めることができる人間である

彼らは自然とそのような状態を作り、本人はただ勝っているだけなのだが、それはひとつ経済圏を生み出す。

渦巻くファン層に商売人が目をつけて、そこに広告をブチ込んでさらに大きな渦を作る。そしてカネを飛び交わせる。

いわゆるひとつバブル現象であり、今年の清宮などはこれの好例であったと言えよう(主に商売人側で盛り上がっていた気がするが)。


彼らのようなスター選手の中にも、2種類のタイプがいると思う。純粋暴力的な力でドラマを作る者と、あともうひとつである

前者は若い選手に多い。藤井四段も現在のところはこれである。彼らはただそこに在り、勝負に勝つだけで人を惹きつける。

ただ、それは得てして一過性のものである。何かのきっかけで敗北を喫すれば、ドラマはそこで終わってしまうからだ。

競技自体に興味のない、バブル層のなかで最も分厚い層を作る「競技を知らない」人々は、確実にここで去っていく。

藤井四段も、清宮も、あるいは自分が知らない間に大活躍したスター選手も、きっとみんな「あ~あの子ね」と言うと思う。

夏でもあるし、ここでは「花火型」とでも呼ぼうと思う。


後者で伏せていたもうひとつタイプは、自分自身生き様ドラマを作る者だ。

必然的に、これは歳を重ねた選手の方が多くなる。羽生善治王位も、たとえばイチロー、EVOで優勝したときどはこれにあてはまる。

彼らは自らの人生ドラマチックに生きてきた。ウメハラはたくさんの自著を持っていて、その大半が「人生観」についてである

瞬間最大風速は前者に劣るかもしれないが、継続性は後者が圧倒的に上だろう。

彼らが自分の信念に基づいて生き、たとえ負けが込んだとしても、いつか諦めずに優勝すれば前者よりも強く輝くはずだ。

イチローときどに魅入られたファンたちは、自分人生のお手本として信じ続け、彼らのことをずっと忘れない。

一見地味であっても、より強く歴史にその名前を刻むことになるのは後者人間である

こちらは「劇場型」とでも呼ぼうと思う。


765プロアイドルは「劇場スター

そろそろ765プロに話を戻そうと思う。

つまるところ、自分にとって天海春香如月千早は「後者」、「生き様で語る」アイドルなのだ

彼女らは空想上に作られた存在かもしれないが、物語というのは、事実でなくとも真実であるということに変わりはない。

物語が持つ真実の力を、現実のものと遜色ない力強さで手にしている、自分にとっては稀有存在だ。


天海春香のように、まっすぐキラキラ自分目標に向かって生きることは、どこか気恥ずかしいことだと思っていた。

如月千早のように、周囲に与することなく孤高の存在であり、自らが持つ力だけを持って世の中と戦うのはカッコいいことだと思っていた。

星井美希のように、自分にできることを程々にやり、何かひとつのことに一生懸命になることなどせずに生きるのは賢いことと思っていた。

けど現実はだいたい違っていて、自分の夢にアツい人は全員すげーと思うし、一人では限界がすぐに来てしまうし、飽きっぽい性格では何も面白くない。

765プロアイドル出会っていなければ、こういった当たり前のことに気づくのが遅かったかもしれないし、下手したら死んでいたかもしれない。


アイドルというのは「偶像」であって、それは「非現実的可愛い」だとか「彼女らが頑張るのを自分が支える(崇拝)」対象では決してない。

偶像=神の教えと言葉に従い、崇め奉るだけでは単なる「信仰」だけで完結してしまい、それはいつか「狂信」となるか「飽き」を迎えてしまう。

彼女らがファンに向けて送っているメッセージは、「私も頑張っているから、あなたも頑張って!」である自分は思っている。

ライブ課金ゲーム時間を使うという行為は、そのエネルギーや「言葉にしにくい真実」を交換しあう行為だと考える。

神というのはそもそも人間が生み出した概念であり、アイドルも同じで、決して向こう側から「与えてくれる」だけの存在ではない。

理想ドラマチックな生き方」をアイドルという「偶像」に依拠して、それを体現する者に自分から価値あるもの」を供出する。

そうしたプロセスを踏んでこそ、アイドルという存在がこの世に、人々にとって魅力的な存在であり続けることができる。


日本神様はどこにでもいて、誰からも忘れられたときにひっそりと消えるという。そのためにお祈りやお供え必要なのだ

昔の人にとっては、自分たちの食料となるもの、貴重なものを神に奉納するという行為があった。それくらい大事なことだからだ。

純粋に「異界の神」の存在を信じた人々もいたかもしれないが、それは「狂信」だと言ってよく、たびたび「非人道的な間違い」を起こす。

本質は、「自分たちを見守る存在」=「理想的生き方を守る存在」に「価値あるもの」を奉納し、その価値を高めるということにある。

自分たちの願い(神様偶像)がそこに結実していると確かめるための行為なのだ


10年代の「ソーシャル型」アイドル

要は、自分にとって理想アイドルは「劇場型」であり、「花火型」ではアイドルたりえないという話をしたかったのである

765プロアイドル以外は認めないのか」と問われれば、イエスと答える気がする。346プロも、ミリオンアイドルも今のところではそうだ。

自分としては、彼女らのように息が長く、大勢プロデューサー必要とされ、様々な歴史を与えられた彼女らに勝るアイドルはいないと言い切れる。

他のプロデューサー自分とでは、彼女らに求めているものが違うという実感はある。こういう話をして納得してもらえた経験がまったくないゆえだ。

自分自身羽海野チカ先生が言うように、「大事なことは全部、漫画アニメ(=フィクション)に教わったんだ!」という感じが近いからというのもある。


老害いたことを言うが、最近の新しいコンテンツキャラクターの薄利多売ぶりがすさまじいと思う。

これはデレマスミリマス、空前の大ブームであるソシャゲ全般を主として言えることで、あまりにもキャラが多い。

そして、全員が全員似たようなことを言う。誰も彼も個性などあまりあったものでなく、先に挙げた765プロアイドルのように、強い物語性と動機などはない。

つまるところ、彼らのようなキャラクターに「劇場型」のようなドラマは生まれないのであるキャラクター自体存在は極めて薄いものなのだ

自分にとっては大変味気ないものであるキャラクターが大量にいるという前提もあり、どうにも(言葉は酷いが)「粗製乱造」といった印象が拭えない。


しかし、そこを補完しているのが「ソーシャル性・社会性」である。「大量のユーザー集合的無意識を共有している」という前提があるからこそ成立するキャラなのだ

ツイッターでの同好の士との、友人間でのグッズのための遠征ライブツアー同人作家の持ち上げなど、これらはすべて「社会性のもたらす快楽」が下支えしている活動だ。

如月千早のところで言ったように、人というのは一人では何もかもにすぐ限度が来てしまう。何かを面白がるにも、一人では見える範囲のことしかからず、すぐ飽きてしまう。

だが、誰かと共有することで可能領域は倍増し、それはたまらなく面白いことだと気づく。リア充だろうがオタクだろうが、誰かと会って話すのが人間は一番楽しいことなのだ。

ゆえに、キャラクターは「浅く広く」の方が都合はいいのだ。オタク的に深い造詣と知識がなければ弾かれるのなら、新規はやってこないしヘタなことは言い出せない。

大きなコミュニティを作り出し、まるで文化祭前夜がずっと続いているかのような熱狂の渦を保つには、共有対象簡素かつ魅力的であればあるほど好都合なのだ


自分は、彼女らのようなアイドルを「ソーシャルアイドル」とこっそり呼んでいた。

765プロアイドルのような「劇場アイドル」も初期は「ソーシャル型」だったのかもしれない。

ただ、いくらなんでも数が多すぎやしないだろうかという風に自分は捉えがちである

結果的にどれにも入れ込むことができない、自分のようなぼっちが前提のオタクにはつらいなぁという印象だ。


劇場型」と「ソーシャル型」

時代の移り変わりとともに、アイマスも形を変えたのだなというところに思考が落ち着いた。

掲示板にでも出入りしなければ「お一人様」性が強かったネットからスマホによるネット人口爆発や、ツイッターが台頭した環境変化に対応したと。

アイドルとの距離もより身近になり、春香の「後ろの席までみんな見えてるからね!」にありがたみを感じにくいご時世になったこともある。

自分にとってソシャゲアイドルはとっつきにくいものだが、彼女らについて(上辺だけでも)深く考えることができ、より765アイドルが好きになれた。


AV女優云々で騒いでいたのは、決して職業差別宣伝への嫌悪とかでなく、純粋に「社会」が乱されることへの強い拒絶反応であることもなんとなくわかる。

ソーシャル型」アイドル世代は、決してアイドルの一存ですべてが成立しないのだろう。自分たちで「デレマス社会」を守っていこうという意識が強いのだなと思える。

デレステ運営公式アカウントへの過度な許容もその現れだし、ライブが頻繁に行われていたり、声優さんが大量に現実いるからこそというのもあるはずだ。

旧型ぼっち重視オタクである自分には、深く考えるまでは「奇妙」の二文字で片付けていたが、しっかり考えるとなんとなく頷くことができる(自分とは違うのだなーと)。


自分はここまでで、「劇場型」と「ソーシャル型」を分けて考え、前者が自分には合っていてそれは765アイドルであるとしていた。

ただ、「花火型」とほぼイコールであるソーシャル型」アイドルも、中心にいる人々からすれば「劇場型」と捉えているのかもしれないとも思う。

自分が望むような「二次元でほぼすべてが完結できる」劇場型ではなく、「リアルツイッターゲームライブ声優」、それぞれをすべて同列に考えられる基準を持っているのだろう。

自分にとってそのような考え方は無理があることだし、それができるのは正直うらやましいことだ。きっと違う楽しみがあるに違いない。


おわりに

文字数文章としてのまとまり、書く時間制限をつけなかったので、たいそうバラバラ文章になったと思う。

自分としては、モヤモヤと考えていて喉元でつっかかっていたことがスッキリしたのでよかった。これぞ匿名ダイアリーパワー。


何かとレジェンド扱いされる天海春香さんだが、単に新しい展開が少なくなってしまったというだけである

基本的運営を信頼しているので、天海春香らしい新しいエピソード新曲、展開があるといいなといつも期待してはいる。

ミリシタは…………………………ログインボーナス継続中ですが………………音ゲー無理で……。据え置きで新作出いかなーと希望を。


上にも書いたように、自分には正直なところソシャゲアイマス系列にはどうしても馴染めないところがある。

大量のキャラを常に見回したり(自分にとっては全員が全員魅力的なのですよ)、リアル体験との併用が前提とされているような構造はすこしキツい。

しかしながら、アイマス全体を支えているのは間違いなく彼女らであり、そういった意味では応援している。アニメは観たし、CDもとりあえず買っている。

いまやソシャゲアイマスあってこその765プロアイドルである。いつか揺り戻しがあり、強いアイドル必要になったとき、また765のようなアイドルが観られればそれでいい。


いわゆるデレマス界隈は、人を多く集めまくったリスクとしていろんなトラブルがあったりするんだろうなと思う。

けど、大した問題にもなっていないようなので、すごいと思う(ぼっちゆえコミュニティの仕組みはわからない)。

自分にとってパリピめいて盛り上がるリア充なんだかオタクなんだかわからないPたちは正直無理である

が、デレマスアイマスを好きだという気持ちはたぶん同じなので、遠いところから同士よ! と応援している。


なんかすげー長く書けた。自分用のメモにしてもよかったんだけど、経験則的に、誰かに見てもらうって前提で文章を書いた方がわかりやすくなるのだ。

ということで投稿しつつ、ローカルに保存しつつ。よかったらなんかコメントとかくれると楽しいです。てーかここまで読む人おらなんだ。

読んでくださった方、ありがとうございます


2017-08-15

ネット右翼をはじめとするネオナショナリストはとても進歩的な人たち

日本国民の「右傾化」が叫ばれて久しい。現政権は「保守政権」と自称している。

なるほど、保守。たしかにそのネオナショナリズム過去に立ち戻るような考え方のように映る。

しかしながら私はこの保守、あるいはネオナショナリストこそ日本国において最も急進的で未来希望を託している人種なのでは無いかと思えてならない。

現代日本さながらラピュタのようだ。我々の足元には確たる基盤がなく、ゆらゆらと宙に浮いている。それには様々な原因があるだろうが、今回は三つの思想的敗北によるということで話を進めていく。

まず、第二次世界大戦敗戦がある。明治以来国民支配してきた全体主義国粋主義が間違いであったことを身を以て知った我々は頼るべきイデオロギーを失った。1回目の敗北である

次に我々が依拠せんとしたのは共産主義であるソ連や他の共産国秘密主義のためにその惨状を知らない日本人共産主義桃源郷に夢を馳せた。東大闘争に始まったこの熱は日本中をのぼせ上らせたが、セクト間争い、連合赤軍、そしてソ連崩壊と暗黒面が目につき、我々は夢から醒めた。

バブル崩壊アメリカ式資本主義敗戦からずっと生き残り続けた。奇跡復興宗主国アメリカのど真ん中の大きなビルを買えるくらい、日本資本主義化において成功を収める。しかしそれは文字通り膨らんで行く泡であり、遂には弾け、資本主義さえも信じられなくなった。

主義無思想無宗教日本に残されたものは、敗戦国という烙印と無機質なハコモノだけであった。今までならば誇るべき別の点のお陰でさほど気にしないで入られた「戦後レジーム」が今更になって癪に触る。

こうしたアイデンティティ喪失によって創り上げられたのがネオナショナリズムである

先に「ネオナショナリズム過去に立ち戻るような考え方のように映る」と書いた。しか歴史上どこに立ち戻るべき過去があるというのか?日本帝国政治体制が戦禍を巻き起こし(彼らが全てアメリカの陰謀であると主張したところで同じことである米国にまんまとしてやられ冷静さを失う体制のどこが間違っていないというのか)、華々しい経済も泡沫と消えた。立ち戻るべき場所本来どこにも無い。では彼らはどうするか?

過去を作り出せ」ばいいのである

美しい日本日本帝国真実書店に立ち寄れば過去を美化している本が並んでいる。しかし彼らの言葉の指す「かつての日本」は過去ベースとしたファンタジーなのである

かの有名な江戸しぐさを思い出して欲しい。教科書にも掲載されたデマであるが、あれは全く過去ベースとしたファンタジーである。いわばベイマックスフランシストーキョーや銀魂大江戸のような「そうであったかもしれない日本」の姿であり、それは過去存在していない以上幻想以外の何者でも無い。

当たり前の話だが、戦前日本を知るものはもはや生きていない。戦争の怖さは子供にもわかるだろうが、怖い社会を感ずるためにはある程度の年齢が必要から誰も知らない、ということは現在の我々が過去を思う時、そのほとんどは幻想に頼るしかないということであるモニターの奥の二次元世界となんら変わらない。現在過去との間には次元を隔てる障害があり、こちからあちらへは干渉できない。

しかアニメネオ日本は格好がいい。しかしそれを現実で語ればアニメ脳、ゲーム脳と言われるのがオチだろう。同じようなことをやっているのがまさにネオナショナリスト達なのである

ネオナショナリストは現時点での閉塞感を解消するためにカッコいい幻想過去投影した。そして「これに戻るのだ」と主張しながら未来を作ろうとする。

結果、彼らは前しか向いていない。過去を省みてはいないではないか。これがいわゆる保守こそが進歩的な人たちだという理由である

私は右傾化否定肯定もしない。戦後から不安定さの解決のために右往左往してきた日本人を思えば、当然の帰結だろうと思う。お粗末な思想、主張だが、日本国民がそれを望むのであれば、それも良かろうと思っている。なに、高い授業料になったって構いやしない。

ただ、一つだけ加えておきたいことがある。私は先程からネオナショナリスト思想根本幻想ファンタジーアニメ的だと主張してきた。幻想現実ではない、ありえないものなのである。つまりは霊的なもの、神的なもの呪い的なもの、それらと変わりないオカルティズムだ。オカルトによって国が動くのだとしたら、あなたは怖いと思うだろうか、素晴らしいと思うのだろうか、それを尋ねてこの紙片にピリオドを打ちたい。

2017-08-13

えっ ネタなの?マジなの?

https://anond.hatelabo.jp/20170812153928

増田ブコメネタなのかマジなのかわからない。

いや、ネタだと思って読んでたけどひょっとしてマジなのか?って。

どうしても確認したくなったのでこれを書く。

ネタマジレス野郎になってたら土下座するので罵ってくれ。


https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiFgYOgiNHVAhUCVbwKHRsXCM0Q_AUICigB&biw=1600&bih=894

え…?

普通に幼稚園児のお遊戯みたいなのしか出てこないんだが

これが児童ポルノ…?


元増田の話は要するに

犯人」の内心に依拠した・一貫性も明示的なルールもない当局取締り皮肉っているんだと読んだけど

平均的な日本人はこれを「杓子定規すぎる」「堅苦しい」と感じるはずだ。そして児童ポルノマニア内心の自由が侵されている点を問題視する者はあまり多くないのではないか(すくなくとも国会議員裁判官はそう考えている)。

マッカーサーはこの問題理解していた、しかマッカーサーあくまでも「行為」を問題視する世界観のみを持っていたから「憲法に"思想良心自由不可侵タルヘシ"と書けば十分」と思ってしまった。もちろんそれは間違っていた。

Google児童ポルノフィルタを開発してる奴らはもうちょっと真面目にやれ

そうじゃなくて、

これらの写真を公開した保育園や親を取り締まれ!ってことをガチで言ってるわけ?


garage-kid 58: “Google児童ポルノフィルタを開発してる奴らはもうちょっと真面目にやれ” ご尤もですな。 児童ポルノ Google 6 clicks

リンク2017/08/12

sangping 日本も「自分の子供の裸を公開した親族検挙される」社会目標にしていいと思うけれどなー(過失性の話は置くとして)。キノコ狩りでも動機次第で共謀罪になるくらいだし、増田の現状理解については同意する。

リンク2017/08/12

kapiyvachang マジモンのアウトやないけ……。うp側のリテラシのなさもヤバイし、検索結果として出しちゃうGoogleヤバイ2次元攻撃してるフェミのたぐいはこの辺りで力を発揮してほしーわマジで

リンク2017/08/12

bfms350 増田がふとボディ・ペインティング検索→ふぅ・・・賢者モード→本稿執筆の流れと見た。 増田 主義主張

リンク2017/08/12

この人達もそういう方向で元増田同調してるわけ?え、マジで


この人達全員に対するもっとも大きな違和感

「このハナタレ未就学児童の無邪気な画像を劣情を催すポテンシャルのあるもの」として受け止めてることなんだけど

えーーーー、マジですかーーーーー?

かなり色んなポルノを持ってる俺でもこれにはさすがにピクリともしないわ

二次性徴の兆しすらないじゃん


いつも思うんだけど、こんな連中に配慮(または警戒)して規制を強めてどうするんだろ

そんなこと言い出したら世の中には膨らませた風船の画像で興奮する奴もマジでいるんだけど

じゃあ風船を規制しますか?


確かにロリコンはたくさんいるし怖いけど、

あいつらはあくまで第二次性徴の兆しぐらいはある年代が好きなわけですよ

こんな幼児に本気で催すのなんて、いないことはないけど超超少数派だぞ?

死体画像で抜いてる奴よりすくないと思う

俺は女性死体画像でよく抜いてたし、どんな趣味も抜いてみれば結構後天的同調できることを知ってるけど、

そんな死体とかほとんどのニッチよりこの幼児で抜くのは難易度高い


まあ俺はネットで大量のポルノ変態と巡り合ってきた体感ものをいってるから

ちゃんと科学的なデータを待たないといけないけどさー

この幼児にそこまで変態ニーズがあるとは思えない

死体で抜いてる奴より少数の一部の変態がウハウハで「ボディペインティング画像を収拾して抜きまくってるとしても

それ社会で対抗する必要の有る存在か?

風船で抜いてる奴と同じく、無視するしかない存在じゃねーか?


いろんな変態科学的に人数とか凶悪さを測った上で対応するならいいんだけど、

どうも「社会認知できる範囲内で最も気持ちわるい変態」の危険性を過大視して騒いでるように見えるなあ

2017-08-09

geom_bar in ggplot2

geom_bar っていうのは新機能のようだが

いろいろ制約があって使いづらい

というか手元にある教科書は古いバージョン依拠しているらしく

文句を言われることがある

適当差し替えてもうまくいかなくて キーってなったのは先月で

今月は余裕が出てきてるから、そういう意味では解決できそう

2017-07-05

ひきこもって2chばっかりやってると頭がおかしくなってくるよ、という話

●ひきこもって2chはやめておこう

ひきこもって2chばっかりやってると頭がおかしくなってくるよ、という話を書いておこう。

今回の話は端的に書くと次の通り。

・ひきこもって2chをやるのは、人の話を聞けなくなるからやめておこう

・「スルー」の文化日常生活にも適応ちゃうと、『変な人』になっちゃうよ

匿名性が高いサイトに入り浸っているとろくなことがないよ

大学卒業年度にも関わらず、内定が得られず、それどころかろくに就職活動もせず、自宅にひきこもって2chばかりやっていた。

話すのはせいぜい家族くらいで、話す時間もせいぜい一日十分程度。

そんな生活を一か月近く続けているとどうなるか?

答えは簡単コミュニケーション能力が大幅に低下するのだ。

コミュニケーション能力とは?

では、コミュニケーション能力とは一体何を指すのだろうか?

コミュニケーション能力がどういう能力を指すかについては属するクラスタ依拠する文脈によって

齟齬が生じることがままあるので、ここではまずコミュニケーション能力について簡単ではあるが

大仰に定義というものをしてみたいと思う。

コミュニケーション能力とは、人と意思疎通をはかる際に必要能力のことを指す。

また、コミュニケーション能力教科書的に言えば「書く力」「話す力」「聞く力」に分類される。

「書く力」とは見ず知らずの他人が見ても理解やす文章を書く能力をいう。

「話す力」とは他人と口頭で上手く意思疎通を交わす能力を指す。

聞く力」とは話し相手の話を上手く聞いてあげる力を指し、端的には「傾聴力」という言葉で言い表される。

一か月近く自宅にひきこもって2chばかりやっていると、コミュニケーション能力の中でも

特に「話す力」と「聞く力」が大幅に低下する。

「話す力」が低下することに関しては、ひきこもりによって家族以外の人間と話す機会が皆無となるため

想像に難くない。

2chでは『人の話を聞く必要』がない?

では「聞く力」はどうであろうか?

自宅にひきこもって2chばかりやっていると、「聞く力」が低下すると書いたが、それは一体何故だろう?

理由簡単で、2chのような匿名インターネット掲示板形式をとっているサイトにおいては、

そもそも"人の話を聞く必要がない"からである

では、なぜ2chにおいては"人の話を聞く必要がない"のだろうか?

それは2chにおいては「スルー」であったり「嫌なら見るな」という行動が推奨されているかである

その結果、人の話を聞く必要がない土壌が2chには常に必然的に生成されている。

匿名性を高める「名無し」による書き込み

具体的にいうとどういうことか?

2chのような匿名インターネット掲示板形式をとっているサイトにおいては、書き込む際にハンドルネーム(俗にいう固定ハンドルコテハン)を

使ってはならないという暗黙のルール存在する。コテハンをつけずに2chに書き込むと、名前の欄には「名無し」を冠する名前

自動入力される仕組みになっている。またコテハンをつけて書き込んではならないというルールによって、2chでは

名無し」という匿名投稿者による書き込みスレッドは埋め尽くされている。

匿名性の高い書き込みによって埋め尽くされている掲示板において、書き込みレスを返すというコミュニケーションを行うためには

当然、「名無し」の書き込みを読む必要が生じる。だけど、「名無し」の書き込みを全て読む必要はない。

スルー」の文化象徴されるように、2chにおいては都合の悪い話、耳の痛い話は読む必要がなく、「スルー」しておけばいい。

この「スルー」というネット文化が、「聞く力」の低下に寄与していると考えられる。

●実社会で「スルー」するとどうなるか?

この「スルー」を実生活におけるコミュニケーション適応してみるとする。

例えば、大学食堂友達他愛のない会話をしている場面を想像してみるとする。すると、当然俺は友達の話を

聞かなくてはならないし、一方で友達は私の話を聞かなければならない。

でも、もしも私が友達との会話において「スルー」をすればどうなるか?

もっとわかりやすく言えば、私が友達の話を一切聞かず、自分のことばかり話していれば友達は一体どう思うだろうか?

また、友達の話の中で、私にとって興味のあるワードにだけ反応して、友達の反応を一切顧みずにひたすら

私が好き勝手に話していたら、その友達は一体どう思うだろうか?

……当然、いらつくに決まってるよね。そりゃそうだ。こちらの話を全く聞かずに、ひたすら自分のことを

話す人がいたら不快に思うし、会話の中で自分にとって興味のあるワードだけに反応して、こちらの顔色を一切伺わず

狂った機械のように話し続ける人間がいたとしたら、不気味を通り越して恐怖さえ感じるだろう。

まり、この例からもわかるように、話を聞かないということはコミュニケーションを成立させない一因と

なっていることは明白なのだ

まり2chでするように、話し相手匿名掲示板名無しのように「スルー」することは、「聞く力」を低下させているのだ。

からひきこもって2chをやりすぎると、「聞く力」が低下して、その結果他人と上手くコミュニケーションを交わすことが

困難になるのだ。

id匿名

また、2chにおいては書き込む際に個別idというもの付与されるが、idは一日おきにランダムに変更される。

2chにおいては書き込み投稿者判別するためには個別付与されているidによって目視する以外の方法

確立されておらず、しかしその付与されたidも一日おきに変更されることから、「一夜明ければ別人の顔をして書き込むことができる」

という他のインターネットサイトには見られない特徴がある。

2chというインターネット空間について

「どうせ煽られても、何を言われても今日一日のことだし……」「明日になれば別人の顔をして書き込めるのだから

明日のことは気にせず書き込んでおこう……」

多数の人間がこのように思ってしまえば、2chは一体どうなってしまうのだろう?

その結果は、2ch罵詈雑言あふれる書き込み物語っている。

2ch書き込みを見てもわかるように、「名無し」による書き込みを推奨する文化と、一日おきのid変更という匿名性を

二重に担保されたインターネット空間においては、人はしばしば口汚く罵る言葉を用いてしまったり、人の話を聞かない

スルー」といった現実世界コミュニケーションとはかけ離れたルールを設定してしまうのである

ひきこもり2ch

外部の人間とのコミュニケーション物理的に遮断された"ひきこもり"の状況にある人間

2chというインターネット空間に入り浸ってしまえば、2chの影響を強く受けてしまい、その結果

コミュニケーション能力の内の一つである人の話を「聞く力」が大幅に低下する。

からもしひきこもりの状況にある人が、インターネットを利用するのであれば、

聞く力」を低下させないためにも、ぜひとも「聞く力」が必要とされるようなインターネットサイト

利用して欲しいと思う。「聞く力」が必要とされるインターネットサイト一般的な例は

得意なコミュニケーションの取り方によって違うと思うので、一般的な例を出すことはできない。

だけど、例えば私にとってはtwitterは「聞く力」が十分に必要とされるインターネットサイトだ。

●まとめ

以上をまとめると、次のようになります

・ひきこもって2chをやるのは、人の話を聞けなくなるからやめておこう

・「スルー」の文化日常生活にも適応ちゃうと、『変な人』になっちゃうよ

匿名性が高いサイトに入り浸っているとろくなことがないよ

以上です。それでは皆様、節度を守って快適なインターネットライフを送っていきましょう。

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170623233115

あれ、「こんな特定の国に依拠したアイデンティティはみっともないし後世の災いになるからやめよう」って止める程度の理性持った人がいかったのが色々と限界だよな

2017-05-05

電子コミケ

最近違法エロシンジケートとか、コミケ開催できない問題解決策として「電子コミケ」というもの提唱してみたい。

電子コミケと言うのはその名の通り、インターネット上で日時限定同人誌の売買をカード決済できるようなサイトだ。

これをどこかの金持ちが作ることによって場所がない問題解決することができる。

印刷屋やコスプレ問題解決しないし、解決する気もない。

そんなことよりも今まで東京しか開催できなかったという物理的な問題解決することができる。

僻地に住んでいる、仕事があるといった物理的な理由コミケに参加できなかった層を取り込むことができる。

また、規制をなんとかすれば全世界的な展開を視野に入れることができる。

しかしながら、日本国中のオタクエロ同人を買いにあつまっている、という物理的な制約に依拠するコミケの感動はなくなることになる。

自分で思いついておいてなんだけど、なんでこういう意見インターネット全盛の今日(こんにち)に起きてこなかったのかというくらいチンポなアイディアだけど、

本気で開催場所がないならば、議論されてしかるべきではないだろうか?

じゃぁ、DMMDLsiteかにじよめが立候補したらおこしてね。僕もう寝るから・・・

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170426003910

元増田です。

私は妻帯世襲反対派です。

この手の質問に対する妻帯者の言い分は以下のようになります

歴史的経緯のある宗派を除きます

1:日本の現状として仕方がない

2:日本戒律大乗菩薩戒(梵網戒)だから不邪淫戒は不倫をしないということで結婚大丈夫

3:明治5年の太政官布告僧侶の妻帯勝手たるべし」に由来する

まず(1)は寺門興隆の為とか何とかいます(建前)が、それで興隆するのは家門(本音)です。これは「寺=私有財産」と考えられていることに関連している言い訳だと思います

(2)少し専門的ですが確かに梵網戒(ぼんもうかい)は、不邪淫を説くだけで具体的なことは述べていません(梵網戒は日本仏教の中では最も依拠されているもの)。解釈時代によって大きく異なっていますが、現代のように「不倫しない」というのは、「なんで僧侶なのに妻帯しているの?」と聞かれる頻度が増した現代的な解釈だと思いますしかし宗団が依拠する経典を読むと「性交渉」そのもの禁止しているので「不倫しない」は現代的に都合のいい解釈かと思います。「経典解釈」という現状がここで浮かび上がります

(3)仏法よりも世俗法に依拠する時点で話になっていません。

以上のことから、私の意見としては「僧侶として結婚をして子どもを産んで育てて世襲させる根拠はない」です。

余談ですが、必ず引き合いに出されるチベットタイお話です。

彼らと接して話をした上で分かった程度の知識です。

まずタイでは多くの僧は還俗します。

それは短い期間でも出家することが親孝行という一面があるからです。

僧侶になったのに還俗するということは、ある意味棄教とも取れる側面があるので、それはそれで問題かと思います

厳密に戒律を一生守る僧侶日本と同様に極めて少ないと言っていいと思います

また全ての戒を守るわけではなく、多くの戒律の中から自分の守れそうなもの選択して僧侶になります

次にチベットですが、戒律復興運動が起きて「根本摂一切有部」という戒律に則っています

しかし、この戒律復興問題引き起こしまして、チベット仏教が誇る「性ヨーガ」が戒律矛盾する状態に陥りました。

そこで実際の性交渉を避けて「頭の中で性交渉を思い巡らすんだ」という修行法が制定されて、それが現代の主流になっています

問題は「チェリーボーイなのに性交渉なんて思い巡らすことできない」という修行法そのもの不安定になっていることです。

あとチベットは妻帯しないとはいますが、性交渉は行っていましたし、妻帯した仏もいると伝えています

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