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はてなキーワード: 自律神経失調症とは

2019-06-01

内向型人間が外向型になろうとしてぽしゃった話

タイトル通りの話

至って平凡で弱い人間がいろいろがんばったけどがんばった方向性が違った話。

前提 : ステータス

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内向型について少し補足したい(最後らへんは定義から離れているかもしれない)

内向型とは下記性質を持っている

  • 1人でいることが休息
  • 人と一緒にいるとどっと疲れる(嫌いなわけじゃない)→フットワーク重い
  • 考えてから話す
  • ぼーっとしてるように見えて頭の中ではよく考えごとをしてる
  • つの物事に対して深く考える、追求しようとする

ぽしゃった話

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凄く無理があった。チャレンジはしたけど結果、無駄時間を費やしてしまった。ただ辛かった。もう体験したくない。

小さい頃から内向型の性質は顕著に出ていて、遊びも外で友人と遊ぶよりも1人でおりがみで遊ぶような子供だった。

大学に入る頃あたりに、ふと自分のこの性質やいままでの行動を省みた。

「このまま内向型で1人でいることを好んで、人とのコミュニケーションが少ないままだと社会人になれない」という考えに至った。

その考えの元は色々あったと思うが大きくは家族の影響が大きかった。

社会人として生きていくには"みんな"と同じような大学生活をしたらこの内向性はましになって

社会適応する力が養えるのではないかと思った。内向型という特質社会では受け入れられないとその当時も思っていた。

内向型は俊敏な判断に欠ける。その場で考え発言することが苦手。チームでの共同作業が苦手。

社会のなかで価値あるものとされていることに関してコミットすることが内向型は難しい。

社会では劣等生だと思った。変わらなければならないと思った。

みんなと同じ大学生活(=社会適応できるようになる行動や在り方)は下に思う

- バイトサークルボランティア積極的に参加する → 共同作業の苦手意識払拭

- リーダー職経験する → 発言する苦手意識払拭、俊敏な判断力向上

- 空気を読む、協調性大事する → 共同作業の苦手意識払拭

自分には上記のうち上二つはやる前から苦手意識があった。自分には向いてないという自覚があった。なんとか変えたいと思った。

大学はいり、上記を全て経験した。

大学に入る前と一転して生活は変わった。

何も予定のないOFFの日は大変な時で2ヶ月に1日位しかいくらい忙しい生活をしていた。充実感を感じてはいた。けど大変な時期を通り過ぎて少し時間が空く期間になったときに徐々に色々なコミュニティに行こうとする度に心の中に黒いもやもやがで始めた。漠然としているけど言語化するなら「嫌」という一言になると思うが、当時は「困難に目をそらしてはいけない、現実をみて立ち向かう、いつかきっと良い結果になる」と思って頑張っていた。

ベッドから起き上がれなくなった。

心療内科にかかり、自律神経失調症と診断された。サークルバイトは行くことが困難になり休みを経て辞めた。まともに学校に行くことができなかった。1週間の授業の半分以上は欠席した。

このときはかなり辛かった。

朝起きようとして、指を動かそうとしてもピクリとも動かなくて、普通のことができなくて、弱い自分が情けなくて、惨めで、泣いた。泣くのはできるのかよ、と思って余計に泣いた。

実家ぐらしのため、家族にも申し訳ない気持ちと、 おそらく家族からみて「つらいことに直面して何もできない、弱い人間」と思われているのだろうと勝手に思い、これまた辛かった。自分自分を追い込んでいた。

ベッドから起きれて学校に行こうと、外にもでて、電車に乗ったところで過呼吸と動悸と漠然とした不安と焦りで半泣きになって引き返したときもあった。

机の前に向かってなにかしようと思ってもなにも考えることができなくて焦って不安時間けが過ぎた。

バイトサークルを辞めてから少しずつ回復はしていって、幸いにも半年くらいで服薬はなくなり、徐々に起き上がることは普通に出来るようになった。ほとんど寝たきりではあったのでリハビリがてら先ずは散歩から始め、徐々になにかに集中しようとして、ちゃんと集中できるようになった。

というのを経てぽしゃってから2年位で立ち直った。

以上が私のぽしゃった話である

振り返る

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私がみて普通の人たちの大学生活は私にとっては苦痛記憶が色濃く残った。

大学生に戻りたい、と社会人になって思ったことは一度もない。

ただこうなったきっかけはもちろん私の「社会で生きるために内向型を外向型にシフトしたい」という判断による、つまり自分せいだ。

きっかけは他者であったり、周りの環境からだが、当たり前ではあるが選んだのは私自身だった。

たかった、社会に溶け込むワザは多少身についた。人当たりよい振る舞いもできるようになったし、

初対面の人でも奥せず話しかけたり、他愛のない話をすることができるようになった。今でも役に立つところはある。

が、それは本当の私が求めているものなのか。

という疑問を、大学生活の終わりごろから抱くようになった。気づくのが遅かった。

思い返すとたびたび大事な友人からは「もっと自由に生きていい」と言葉をくれていたけれど、

ようやくそ意味がわかってきたというところだ。

周りに流されて...周りの人の価値観を自分価値観として生きていくのは、かなりリスキーだとぽしゃって知った。

自分意見意志を周りの人に否定されないか、それで独りにならないかという恐れから

いままでの人生ずっと他人言葉を正として生きてきた。

この生き方だとその場は安心できるし、考える必要もないから楽だ。

でもそれはあとになってから歪がでて自分を蝕む。

外向型社会であるとは今でも思うしそうだと思うが、それでも自分幸せのために

自分の内向型を受け入れて、内向型らしく生きていこうと思うようになった。

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というので、自分と向きあって自分特性を認めるように少しずつしていっている、現在進行系で。前より自信はついてきているが、それでも不安になり立ち戻ることも多い。

人と関わるのが嫌いなわけではないし、色々他のひとの考えを共有したいという思いがあるが、人と一緒にいるだけでどっと疲れるので、誘いは断ることが多い(次の日が仕事だとなおさら)。人付き合い悪いし嫌な奴と思われるかもしれない。が、あのぽっしゃったときには戻りたくないので、交友範囲であったり、人に会う頻度は自分コントロールするようにしている。

なるべく休日は予定を入れないようにしている。

家でじっくり本を読んだり勉強したりして回復をしている。

こんな引きこもりでこれから私生きていく力身につけられるの?というもう一人の自分言葉がでてくることがしょっちゅうだが、なんとかやっていけると信じていくしかない。

今は今で職場オープンさだったり、やっている仕事カラーとして自分に合っていないのだが、それについては...またの機会に書こうかと思う。

内向型らしく生きていきたい。

2019-05-30

性犯罪の抑止には労働生活環境改善必要ではないか

たまたま耳にしたテレビ番組で、痴漢に対して安全ピンや何らかの武器自衛するというような話を聞いた。その自衛手段の是非は言及しない。

何らかの問題には必ず原因と、その原因が発生するまでの過程存在し、問題解決するためにはこれらについて考える必要がある。「そもそも痴漢が発生しなければよい。痴漢の原因はなんなのか」ということを、加害者ハードウェア(脳・ホルモンの働き)の側から考えてみる必要があると思う。

人間の性欲には間脳の一部である脳下垂体から分泌されるホルモン関係していると言われているが、間脳には自律神経の中枢である視床下部もあり、いわゆる自律神経失調症では心身に様々な影響が発生する。自律神経失調症はストレス生活の乱れによって起こるとされており、現代人が多種多様ストレスに晒され、自律神経の乱れに悩まされているのは言うまでも無い。

人間大脳が司る高次脳機能の理性によって本能的な行動を抑制し、調和的な社会生活を送っている。自律神経の乱れが理性の低下や倫理的に逸脱した行為へ走らせる一因となり、性欲の抑制をできなくしているのだとして、痴漢を含めた性犯罪の抑止を考えるならば、労働生活環境の改善社会全体で取り組む必要があると思う。

2019-05-27

anond:20190527084740

あー、自律神経失調症ですね。寝て疲れ取れますか?楽しめてたこと(食事)が楽しくないとかは?

2019-05-13

anond:20190513150717

鬱は前やったんだよね

今回は自律神経失調症の診断だった(心身症が落ち着いたので今は治った感じなんだろうか?)

休んでるって言ったけどまあ辞めちゃったので無職

なんやかんや祝日はあるので日本人疲れ果ててんの鬱もあるんじゃねーかなと思う

自分休日寝込んで終わってて休んだ気がしなかったけど元気な奴は休みも遊びまわってリフレッシュしてまた元気に仕事こなしてんだよね

体力とかバイタリティーの差はあると思うんだけどなんかああいう人って休み方が上手いのかなと思った

残業したらその分の残業代はほしいけど残業したいわけではない(残業しなかったら当然残業代がないけどそれでいい)っていうの案外理解されない

バイトフルタイムでの募集が多いし、もっと働き方に選択肢がほしい

そもそもフルタイムに疑問があって週40時間っていうのは最低限じゃなくて最大値じゃないのかと思ったりもする

2019-04-28

元気がないおばあちゃん

毎日仕事に精を出し、他所の家の人と立ち話に花を咲かせ、長電話を楽しそうにしていたおばあちゃん

ひざを悪くしてからめっきり出かけなくなった。

おばあちゃんが鬱っぽくなった。

おばあちゃんはよく居間にいる。

頭がふわふわするとか言っている。

たぶん自律神経失調症とかそういうのもあるのかな。

元気だったおばあちゃん

私が帰ると嬉しそうにしてくれる。

誕生日おめでとう!とメールしたら喜んでくれたみたい。

私はおばあちゃんが好きだよ。

おばあちゃんが作る煮物おから千枚漬け梅干しも大好き。

こういうと美味しい食べ物を作ってくれるから好きみたいになるけど、大好きなおばあちゃんが作るから好きなんだよ。

いつまでも元気でいてね。

2019-04-09

anond:20190409135154

ああ、食事に関する問診確かにあるね

自律神経失調症はずっと前からそうだ

いい加減、病院探し再開しよう(この病気は中々治らない)

2019-03-26

国家試験通過

あんなに猛勉強して合格した

研修も終わった

しか職場いじめにたえられなかったりして自律神経失調症になりいま無職セルフネグレクト2年目

いっぱい勉強してた頃のように働きたい

どうしたらいいかわからん 死にそう死ねやほんと

2019-02-25

anond:20190225125159

まず自律神経失調症だけなのか?適応障害や鬱は診断されているのか?

原因は無いのか?休職原因はこれか?

真面目な話、毎日昼間にジョギング毎日風呂に浸かる、22時には寝る。これで治る。薬とか要らない

あとは考え方とかだからカウンセリングとかワークショップとか

休職するなら金のこと考えずにやりたい事やってみろ。興味持ったらそれに投資

最悪なのはから出ないとか、家から出ない趣味に没頭とか

自律神経失調症ぼんやりした恐怖。

‪症状について調べたら、ストレス因子を取り除くか生活習慣の改善を…って出る、し、医者にも言われる。根治はお前でどうにかしろと言われてるように感じる。‬

ストレスというほどのできごとはないし、完璧じゃないかもしれないけど一般人程度の生活をしてると思う。酒タバコしない、7時間寝るようにしてる。

結局根本的な問題解決方法あいまいなままで、対症療法の薬が処方されて、

毎月5000円払ってぼんやり飲み続けて、会社休職前後の調整で有給もなくなり欠勤しながら通って、

それでも置いててくれる会社にありがたいのと申し訳ないのとリアル収入が減るのとキャリアなんて絶望的なのと、

いつここから抜け出せるのかわからないせいで将来も不安で、余計ストレスがかかって鬱になり、薬が増えて、最近頓服飲む頻度も倍になっちゃったよーー

体の重さ、抗えない落ち込み、不眠、消極的自傷、起床後動けない、めまい、動悸。

日々症状がコロコロ変わるのをまわりにわかってもらうのが難しい。

怠けてると思われるのでは?と思ってしまう。し、自分でも「怠けてるのかな…?」と思ってしまう。

40度の高熱、とかならアッサリ伝わるのに。

手術でなおるのなら治したい。

漢方は試しました。

日々がぼんやりとしたまま過ぎて、出口が見えず、生きるのがしんどい

2019-02-19

もじょもじょする

体がもじょもじょする

寝不足による自律神経失調症

気持ち悪い

2019-01-15

anond:20190114224851

横だけど咳が出る人については探せばたくさんあるよ

 

http://q.hatena.ne.jp/1400998393

http://q.hatena.ne.jp/1393263179

http://q.hatena.ne.jp/1269239663

 

ファブリーズだので「匂いの発生源に揮発性嗅覚麻痺剤を吹きかけ、匂いを嗅ぐと同時に嗅覚麻痺させて匂いを消したことにする」薬剤が流行ってるけど、麻痺させるのが嗅覚だけで、アレルギー反応まではブロックできないんでそのへんじゃないのかね。

嗅覚なんてスペクトル狭いもんだし異常を起こす揮発物質があれば必ず嗅覚が反応するかどうかは進化だより(一酸化炭素だって人間は嗅ぎ分けられない)

ちなみに麻痺じゃなくて「どんな匂いでも消せる」薬剤なんて酸化剤(ハイターだのブリーチファブよりずっと昔からあって100円で買える)くらいだけどたいてい匂いだけじゃなく発生源も壊しちゃうからファブみたいには使えないよ

 

あと個人的にナトロム含めてネットにはびこってる医者化学薬学なんて高校でとまってるバカばっかだと思ってる

生理学さえまともに覚えてないからわからなかったら自律神経失調症なんて病名を適当につけちゃう

2018-12-30

今年の行ってみた旅 2018

旅行をするときは、事前にこなすべきリストを作って、旅行記を書きながらそれをこなしていくのがスタイルになっている。

そうすると、旅行であった事を覚えておけて、初日事件が3日目に意味を持って繋がる様な思わぬ出会いがあったりするし、ちょっとしたトラブルがあっても大して気にしないですむ。

なにより文章を書きながらだと一人旅でも退屈しない。


今年は例年になく旅行に行った年で、社員旅行で行った南の島も含めると4回旅する事になった。

その中で3回の一人旅をまとめました。



2018香港・深圳・広州の旅


3泊4日

旅程:東京香港深圳(→香港)→広州香港東京

タスク英語広東語チェックインする/オクトパスカードを買う/飲茶する/鴛鴦茶と菠蘿包で軽食国境を越え深圳広州へ/QRコード決済をしてみる


ネット界隈で話題になっていたQRコード決済を体験してみたくて香港経由で中国へ。

事前に3ヶ月ほど広東語勉強をしたもののさっぱり通じなかったが、広東語国語の聞き分けは出来るようになり、東京に思いのほか香港人が来ていることに気づいた。

渡航前後ではIT界隈や経済界しか騒いでなく、同僚に説明しても「なにそれこわっ」という反応だったQRコード決済が、帰国して半年経ったら狂想曲のごとき騒ぎになっていた。

あと、プーアル茶が飲めるようになった。



2018秋、ベトナム、ホーチミン


3泊5日

旅程:東京ホーチミン東京

タスク:レートの良い両替店で両替バインミーを食べる/ベトナムコーヒーを飲む/チェーを飲む/フレンチコロニアル様式建物を撮る/サイゴン駅で券売機などのデザインを見る


自律神経失調症メンタルバグった直後に挙行。

はてな界隈ではうっすら話題になっていた外国人技能研修生制度だが、帰国した直後に外国人労働者に関する法案が通るとか通らないとかの話になり、俄にニュースになり始めた。

新興国なのでスリなどにあうのかなー、などと思っていたが、ベトナム人には何ら金をせびられず、なぜかエストニアから来た白人に金をせびられた。

ベトナム人にはスクーターマイルドに轢かれた。



2018 晩秋、広島・博多・別府


6泊7日

旅程:東京広島博多別府東京

タスク広島風お好み焼きを食べる/厳島神社を撮る/博多うどんを食べる/太宰府天満宮スタバにいく/別府温泉で湯治


療養中の1ヶ月に滅多にない折角の長期休暇なので、行った事のなかった広島九州へ。

BTS原爆Tシャツ騒動で揉めたおりに原爆ドームをこの目で見る事になった。

しばらくして韓国とは今度は国防上の話で揉め事がおきた。

いい歳をして行きの広島では長距離バスを利用したので、肘が痛くなった。

整形外科先生に聞くと、「治ったときに神経を巻き込んだだけで、骨にも腱にも異常はない。痛いだけだから気にするな」といわれた。

あと、大分で喰ったやせうまが美味かった。



以上です。良いお年を

2018-12-13

馬鹿人間のはなし

飼い猫が亡くなった。

14歳だった。

私はあまりのショックに体調を崩し、自律神経失調症になってしまった。

身体が重く起き上がることすらままならない日々が続き、私は「もう動物絶対に飼わない」と心に決めた。

なのに、育児放棄された子猫出会ってしまった。

最初は飼うつもりもないのに中途半端に関わることは良くない、と思い見なかったことにしこの場を立ち去ろうと考えた。

「ミィー、ミィー」

独特の高い声で子猫が鳴く。

なんて馬鹿なのだろう、と自分に呆れながら子猫を抱き上げ家につれて帰ることにした。

子猫を飼うつもりはない。

けれど、見過ごすことも出来なかった。

病院に連れて行き、身体を綺麗にし、エサを与え、子猫幸せにしてくれる人を探す。

自分に出来ることをしようと思った。

「にゃー」

はいはいご飯ね」

そんなつもりはなかった。

なのに、その子猫は成長し今や私の隣りで当たり前のように鳴いている。

もう動物は飼わないと決めた筈なのに、別れは辛いと知っている筈なのに、私はまた猫と生きることを選んでしまった。

自分をどうしようのない馬鹿だと思う。

けれど、子猫を拾ったことは後悔していなかった。

2018-12-11

医療ガチャに勝たないと治療にさえ辿り着けない問題

はてなでは専門性が重視されるが

具合の悪い中が素人判断で金と時間自分の命をかけて医療ガチャ&医者ガチャに勝たないと

治療にさえ辿り着けないという制度はどうなの?

病気特定する病院は何故無いのか

そこに行けば一式の検査が出来て一発で病気特定できるような所が無いがために

病人右往左往しなければいけないというのはどう考えてもスマートじゃない

公式に専門のそういう所があれば医療まとめサイトみたいな問題も起こらないと思うのだが

あと患者から時間コストが掛かっても構わないかちゃん検査して欲しい、説明して欲しい

薬を出して欲しいなどニーズがあるのだし

病院の側も方針キャパがあるんだから把握して

必要な所に割り振るサービスだってつくれるだろうに

何故そういった総合事前マッチングサービスみたいなものはないのか

命とQOLに関わるし税金も出ているのだから

医療機関や医者に応じた客観的評価をして公表するところもあっていいだろうに

口コミだけ 当然命を握られてる病院関係者ににバレやすいか限定的しか書けないし

はっきりとした怪我病気対応できるのに

こういう曖昧な症状はほんとたらい回しにされるだけで

あー どうでもいいから治せっつうの

・ちなみに自分の症状 病気

長いしまとまってないので読みたい人だけ

簡単に言うと主に夜中に胸が苦しくなって死にそうになる

でも検査ではだいたい何も出ない

9月末頃に発症、一度収まったのだが昨日また再発した

寝不足気味の時に起こることが多い

初めて発症した時は徹夜した時で(関係ないが夜になるとハイになるのに中年になって夜更かしすると死にそうになる体質になってほんとなんていうか)

その夜にいきなり具合が悪くなった

だいたい夜に症状が起こることが多いのだが

何もしていないのに緊張したような感じになる

上手く表現できないのだが心臓調子おかしくなって

血圧が上がるような感じでこのままだと死にそうな感じになる

この感じが上手く説明できないので治療に辿り着くのが難しいんだと思う

初めて症状が起きた時は夜間診療をやってる所に行ったのだが心臓検査をして何も出なかったので

それでおしまいだった

身体も少し主に足先に少ししびれのような感じが出る ひどい時は全身だがそれも少しで動けなくなるようなものではない

緊張した感じのせいなのかたいていおなかもゆるくなる

同時にある程度眠気もあるのだが

なぜか眠ろうとすると症状が悪化するので

おとなしく眠っていることもままならない

経験的にはこの症状がひどい時には起きていた方が良いみたいだが当然眠れなくなる

症状に波がある

1~2時間くらいすると少し症状が改善するが

また悪化すると言った状態を繰り返す

だいたい朝になる頃に少しずつ症状が弱くなっていき

最終的には朝ぐらいには寝れるようにはなるのだが

起きた後もやはり心臓調子おかし

ほとんどちゃんと寝れていないので当然体調も全般的に良くない

一度起こるとしばらくはこの症状が続く

そしてときどき再発する 9月に起きた後は暫く続いた 10月は時々 最近は起こらなくなりつつあったのだがまた再発した

今回のは一番初めに発症した時程ひどくは無いし夜のうちに症状も治まったので

少しずつ改善はしていっているのかもしれないが

しかしたらいつかいきなり死ぬのかもしれないと思うとすごく不安

最近の病歴-----------

中年男性 別に病弱なわけではないが身体が強い方でもない

というか中年になってから身体の具合が何もしてないのに諸々悪い


ここのところこの症状やら風邪やらで運動不足が深刻

夏は自転車に乗ってるのでそこそこ運動できているのだがこの辺は雪が降るし

すぐに暗くなるし寒くなるしで運動するのが大変

大学時代からだが一日一時間ぐらいずつ生活リズムがずれる

7月頃 前立腺炎発症して40度くらい熱を出して入院した ちなみに連帯保証人を求められたが

体調が悪いので探すのも容易でない状況だったしこの制度なんとかしてくれ

 この事があったため今回も念の為行ってみたが特に検査で何も出ず

・先月末くらいに風邪引いた これはだいたい治ったのだが

 その時から主にお腹の周りの皮膚になにか乾癬ぽいものが出てる 今は薄まってるが

 いそがしいので皮膚科には行ってない 以前腕に出た時は勝手に治ったのだが皮膚科に行くべきなのだろうか

めまい

 今回の症状には関係ないと思うが

 先週耳鼻科に行った 自分はちょこちょこ突発性難聴のようなものになる

 今回も耳の神経の調子が悪くなっていたらしく朝起きたらめまいがして耳の聞こえが悪くなっていた

 こちらは耳鼻科に行って薬を貰っている しばらく変な味の薬を飲んでいると治る(今回は何故か出されなかったが)

 またしばらくすると再発するのだが前回この症状が起きていた時耳の調子が悪い訳ではなかった、はず

 だから多分関係ないはず

・循環器内科

 一度目は検査したのだが特に何も出ず

 今回は再発なので今度は24時間測るやつをやってみようと思っていたのだが

 何も検査説明もろくにしてくれず前回と同じ薬を出されただけで終わり

 

精神科にも行ってみたのだが

 やたら待たされた上にとりあえず睡眠薬を貰っただけで終わった

 もう一度行くべきだろうか

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しかちゃんと話すとこれくらいの分量になるんだな

病院じゃこれだけ話すのは絶対無理だし

病名だけでも分かれば毎回こんな説明をしなくても済むようになるのに

今も胸が痛いし心臓病気自律神経失調症を疑っているのだが

ガチャに負けたら死ぬのかなぁ

2018-12-06

耳が聞こえにくくなって気づいた

社会人3年目です

以前会社ストレスで体を壊して、自律神経失調症になり、異動させてもらって復帰したのですが、また病気が再発したようです。

急に耳鳴りがすごくなり、左耳が聞こえにくくなりました。

あわてて病院に行ったら、ストレスによる難聴症状とのことでした。

ものすごく落ち込みました。

どうしてこうなったのかと、

一旦冷静になって考え、今の置かれた状況を書き出してみると、

パワハラは相変わらず

部署間の責任押し付け合いで社員がギスギスしてる

ミスる会社自体コンプラ違反で訴えられるレベル仕事なのに業務を教えてもらえず自習してこなしてる

*なぜか上司教育を頼まれるかつ尻拭い

上司がひどすぎるということで派遣さんマネジメントを任される

*無理矢理帰ってるけど業務量は増える一方、前任者レベルにやると前の部署並みの労働時間

*何のスキルにもならない

あれ、これ、超勤ほとんどないけど、冷静に考えると結構ひどくね?私自身が弱いのではなく、会社の状況がストレスフルだから体壊しても変ではないのでは?と気づけました。

思考文字化するの大切ですね。

よその方がキツイよ、と言われますけど、みんなそう信じて今の会社我慢してるだけと思えてきました。

そして、何も動いてくれない会社のために体を壊すのがバカバカしくなりました。

年収がそこそこあったのと社会的な名声?から辞めるに辞められなかったけど、これは辞めないと健康問題はいつまでも良くならないと確信しました。

こんな端金のために健康を売ろうとしてたのか…と感じました。

(地元が好きでないので、戻るくらいなら仕事してた方が精神的にもマシ、という判断もありましたが…)

会社を辞めても食えるだけの貯金はあるので、とりあえず辞めて、なかなか決められなかった、転職をする決心が付きました。

耳が回復するかどうかは不安ですが…

anond:20181205235234

自律神経失調症とか?

素人判断から当たっちゃいないだろうけど

悪化する前に病院行ってみては

面接頑張って

2018-11-19

会社をやめるべきかそうでないのか分からない

スペック

新卒2年目・今話題ADHD(手帳もらえないくらいの程度だけど)

自分の状況が追い詰められてるのかそうでないのかがわからない

会社制度自体はおそらくホワイト寄り

残業も月20行くか行かないか

・主に悩んでいるのはチーム内の人間関係(主にベテランの40〜60間際のおじさん達)

この辺りの方の当たりが強い・或いは機嫌によって非常に左右され、チーム内の正社員で1番の若手が自分な為よく当たられる対象になる

1人の男性特にクセが強く、それがきっかけで派遣が一週間で辞めてしまったり、前の部署でも女性を辞めさせる寸前までいったりしている(明確なパワハラまで行かない態度な為行っても厳重注意で済んでしまっている)

業務自体は1つ1つは難しくないのだが至急の業務マルチタスクを求められるものが多い また最近1人自律神経失調症とかで休職した為人手不足になり更に忙しい

その結果最近ベテランの方に怒られないようにということばかり考えて仕事をするようになった。

元々ADHDの薬をもらっていたところで、ベテランの1人の男性が苦手で涙が出そうになって仕事にならないかなんとかしてくれと言って以来デパスも貰うようになった。

更にはここ数ヶ月、1ヶ月に数回は辛くて(何が辛いのかよく分からない)電車で泣いてしまったりする。

でもこれはまだ社会人ペーぺーだから良くあることで、我慢するべきことなのかもしれないとも思ってしまう。

ネットを見ると労基に触れる程の残業時間とかしてる方もいるが、その方に比べたらまだ会社自体はマシな方である人間関係雰囲気は悪いけど。

自分は追い詰められてるのだろうか、それともまだ甘えの範疇なのだろうか よく分からない

社会人仕事が辛くて泣くことってよくあることなのだろうか

[] 2018 晩秋広島博多別府





0日目



出発前


「じゃあ11月末ごろにもう一度診断して、それで12頭に復帰めどのシナリオしましょう。」

心療内科ってもっと厳粛な雰囲気なのかと思ったが、この先生徹頭徹尾テイストが軽い。


10月頭に自律神経失調症で倒れて診察してもらい、直後すぎて取りやめを検討していたベトナム旅行の決行を勧められて唖然とした時にも思ったが、この先生と話していると、治療をしているのだか、一緒に悪巧みをしているのだか分からなくなってくる。

身体調子については、ベトナム旅行から帰ってきた後、1週間ほど出社したものの、実務にはいれば歯の震えが止まらなくなったり、顔が痙攣したりして、やはり休養は必要だった。

薬の常用を強いられるレベルではないので、思ったよりは状況がいいとはいえ、こういったものは基本の休養期間が3ヶ月。

年末までの休養を要する」とした診断書は出してもらった上で、結局は一先ず11月末までを目安に様子を見ようと言うことになった。


こんな長期休暇は15年振りだ。

始めのうちこそ掃除勉強などをこなしていたが、こんなに滅多にない長期休暇では、さらにやってはみたいが出来なかったことをしておくべきではないかと思う様になった。


せっかくだからまたどっかに行ってくれば?」

ニヤニヤしながら先生は言う。

この態度についてよくよく考えてみれば、医師患者と一緒に深刻になったところで事態改善するわけでもなく、患者の気分が軽くなればそれが正解なのでこれでいいのかも知れない。


「そうですね、実は行って見たかったところがあるんで、ちょっと行ってこようかなと。」

最近海外旅行づいていたが、日本国内で足を踏み入れていなかった地域がある。

中国九州だ。

この機会に一目見ておきたい。

晩秋11月、1週間の国内旅行

先生おすすめに従って、広島福岡の旅程に別府温泉のある大分も加えることにした。


いつもの事だが、分割して順に旅行顛末を書く事にする。

旅している気分を味わってくれたら、そして「自分もいっていみようかな」と思ってくれたら幸いだ。


【1】2018 晩秋、広島・博多・別府 1日目|1日目 新宿:コンパクトな異世界の扉 へ >>

2018-10-30

自律神経失調症で休んでいるのだが

自律神経失調症医者から休養を言い渡されて、10年以上勤めた会社を休んでいる。

普通は3ヶ月目安だけど、程度も軽いので、大負けに負けて年末まで」と言われて、「え?それでも長過ぎるんじゃ?」と思ったし、生活のペースを失って昼夜逆転になりはしないか心配したけど、いざ休んでみるとやるべき事ややりたい事が沢山あって全然ボーっとしない。

玄関掃除、こびりついたコンロと五徳の焦げ落とし、自転車ブレーキシューの交換、行けなかったジムちょっとは覚えたい基礎英会話、前半を読んでいなかったDr.STONE、あと最終巻だけ読んでいなかった町田君の世界、使ってない部屋の掃除もまだだし、そういや九州にも行ったこと無かったな。

仕事がそんなに残業漬けでもなかったので、日常生活大丈夫だと思ってたけど、俺、こんなに生活で出来ていなかったんだなー、と。

しばらくは無理しない程度に片っ端から手を付けようと思う。

2018-10-14

ピンクリボンなんか糞くらえだ

二十代後半で乳がんが見つかった。

乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。

からしこりがあるのも普通だった。

二十代半ばをすぎたこから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、

よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。

巨乳にあこがれて、理想Eカップだったけれど、長い間Cカップだった。

がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。

Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、

しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。

私は医療系の国家資格を持っている。

きちんとした専門の大学に行き、大学院にも通った。

大学院の同期と後輩で海外旅行へ行った。

自然乳がんの話になり、乳がん肉まんの中に梅干しタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。

肉まんの中に梅干しタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。

実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。

のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しタネに触り心地がそっくりだった。

彼女たちは触らず、微笑みながら言った。

帰国したら検査してみなよー、安心するよ。」

帰国して約一か月、土曜日トイレぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。

スマホ検索して、土曜日受診できる病院電話を掛けた。

何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。

電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。

しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」

まりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。

予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。

仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。

マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。

それにしても痛すぎるのではないか

それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。

しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。

検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときパニックになりそうだった。

こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、

痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。

しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。

自分名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。

大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。

若い女性にはマンモグラフィーよりも、エコーが良い。

そういう知識は持っていた。普通会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。

エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。

医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。

良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍デコボコしている。

そういうことも学校で習った。

その後二か所の細胞診をした。帰りに次回受診の予約をした。

これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。

いつも私は自分のことを病人にしたがってしまう。

から大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。

それでも不安がぬぐえない。どう考えても悪性の要素しかない。

医師の友人に連絡をとった。

友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、

安心させようと、大丈夫大丈夫と返してくれた。

エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。

最終的には検査結果を待とう、としか言ってくれなくなった。

当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種コンバートされていた。

それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく

新しい職場単身赴任おっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。

残業中、ふと個人携帯に着信がある。

登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。

電話細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。

結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。

人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社非常階段で受け取った。

診察室で細胞診の結果を見た。

まり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。

検査施設からつけられたコメントにも『陽性』と記載がある。

確定診断のための検査は、もはや簡単な手術だ。

バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもの組織を吸い上げる。

局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。

検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。

色々な説明を受けた。

詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ予後タイプによる治療方法の違いや色々。

がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。

先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。

「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。

大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。

簡単にいうと、乳がん治療薬に対して感受性が良いか治療やすタイプだ。予後も非常に良い。

その時は、結果に対して良いことだと感じた。

しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。

術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療ホルモン療法をする。

卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち

抗がん剤を入れるタイミング分子標的薬の点滴もする。

手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので

自分脂肪筋肉移植する方法選択した。

術中にすべてが終わる、同時再建となる。

私の乳がん治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。

予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。

若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。

抗がん剤は元気な細胞ダメージを与える薬だ。

元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやす新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。

2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。

それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。

薬を検索して出てくる副作用は大抵踏み抜いた。

感染症にだけは気を付けていたので治療は滞りなく続いた。

味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。

がん=痩せる、は乳がんには当てはまらない。

病気ストレスでどんどん食べる。抗がん剤副作用吐き気がおさまれば、

副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。

ハゲデブ、年頃の女性にとって最悪の状態になる。

乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。

実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。

普通に接してやっている、と面と向かって言われたこともある。

咳が止まらない風邪おっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。

今考えれば職場環境は最低だった。

病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて

懇願しないと手伝ってもらえない。

離れて暮らす家族も、会社を休むな金を貯めろとしか言わない。

確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。

そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど

最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。

突然健康容姿を奪われてしまって、なおかつ職場家族理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。

抗うつ剤睡眠導入剤が追加された。

手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。

少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。

今計測してもCカップいかもしれない。

それでも医療機関で新しいスタッフ出会うたびにきれいだと褒められる。

執刀医がその分野での大権威だったことは幸いだった。

分子標的剤とホルモン療法は副作用のため途中で終了。

術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。

時期的にはそろそろ寛解といっていい。

しかし体に残るダメージは癒えない。

手術痕はきれいなものの、剥がれた背中筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。

ホルモン療法のせいで腱鞘炎がひどく、手術もした。

この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても

薬指や小指のあたりに力が入らない。

抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。

足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。

ついでに、おそらく不妊症になってしまっている。

私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。

しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。

倦怠感、睡眠障害PMS自律神経失調症気象病

ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。

こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないか彼氏はいない。

そもそもいたこともないので作り方もわからない。

太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。

だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。

人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。

がんそのものでは死なないかもしれない。

がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。

かに抗がん剤はつらかった。

幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。

粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。

ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。

それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。

でも、終わりもないし先が見えない。

次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。

私は次にがんができても積極的治療はしない。

できれば死にたい

お酒たばこもしないので、非難される要素はあまりない。

病気で死んだとなれば、外聞も悪くない。

ピンクリボン活動が声高に叫ばれている。

何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。

でもそうでもない人もたくさんいることだろう。

死ぬよりつらい地獄に引き込まれることもあるだろう。

こういう地獄があるんだよ、と説明することも大事だと思う。

地獄入り口になるかもしれない責任を持つべきだ。

ピンクリボンなんて、かわいらしいイメージではよくない。

そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分病院にかかったか

まり恩恵を受けてはいない。

がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない

でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。

現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。

元気がある人しか声を上げないのだもの

元気がない人にも声を上げさせてほしい。

下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。

からそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。

やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ち毎日を送る羽目になるぞ。

末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。

病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。

長い長い、そろそろ自分乳がん患者と呼ぶのにためらってしま三十路女の独り言

追記(10.15)

たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません

Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます

お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具

物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯おやつをごちそうしてあげて下さい。

回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。

◆母のこと◆

クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。

恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います

今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています

私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。

からと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。

母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。

内弁慶で臆病なおばさんなんです。

ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。

遺伝性のものではなさそうなので、単純に運が悪かったのです。

職場について◆

国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。

ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。

とは言え、どう考えても非情対応をされたことは間違いありません。

もっと貶してください。

叩いて下さい。

あの頃耐えて笑っていた私が報われます

今は優しい人達の多い職場に転勤しています仕事にも人にも恵まれています

泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。

分子標的薬で心不全症状がガンガン乳がんだけに)出ていた最中引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライ職場環境は確実に改善されています

それでも体が辛いものは辛い。

ピンクリボンへの八つ当たり

そうなんです、八つ当たりなんです。

わかっているんです。

気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。

ファッション感覚ピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。

ウェーイしている女子いるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来目的なんでしょう。

ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。

元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。

妬ましく思っても許して下さい。

ネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴しんどいんです。

残っている後遺症のようなもの障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。

不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です

ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。

優しい言葉ありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう

嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。

初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。 

大好きなアーティスト懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。

欲しいものリスト我慢するので、私と彼が結ばれる結末を祈って下さい。

[] 【3】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181013224340





Day 2



2日目 アリゾナ州立大


自律神経をやっていようと、そうでなかろうと、旅行で眠れないのはいもの事だが、処方された睡眠導入剤を飲んでも5時間足らずしか眠れないとなると、この体質は筋金入りだ。

自然に目が覚めたのは6:45。

予定ではあと2時間まり寝る筈だった。

二度寝を決め込もうとしても、ちょっとウトウトするだけで、眠気は「こんにちは」してくれそうもないので、あきらめて起きることにした。

眠気はどうあっても俺に「おはよう」と言いたいらしい。


睡眠不足ホテルパーソンへのコミニュケーションハードルを前に少し逡巡したが、おそらく一番ストレスが少ない形で美味いものが食える可能性が高い、ホテルの朝食をとることにした。

朝食会場に向かう途中、外を見ると、強い日差しの向こうで噴水が上がっていて、これぞ南国の午前という感じだ。

ホテルの朝食はビュッフェスタイル

シャンデリアの下がる大広間コーヒーサーブされて、料理を物色するというのは朝から優雅ものだ。

ホーチミンフランス植民地時代からアメリカ傀儡政権時代まで首都を置かれた地で、パン食の文化がある。

果たしてビュッフェにもバゲットチーズレバーパテがあり、これは行くしかない。

他にも当然アジアスタイル炊き込みご飯カレーライスヌードル、揚げ春巻きもあって、洋越折中といった雰囲気だ。

気になるものを片っ端から盛り付けて、テーブルに運ぶ。

どれも美味いが、カレー(多分)が出色だ。

さっぱりして、辛すぎないマイルドな味わいだが、スパイス香りが口の中に拡がって抜ける。

席の背後をチラッと見ると、「Sweet TOFU」の文字と壺。

TOFU?」とホテルパーソンに声をかけられて、首を横に振ったが、やはり気になる。

結局サーブしてもらうことにした。

甘い豆腐。予想通り豆花だった。

しかし、台湾のそれと違って暖かく、ココナッツフレーバー生姜蜜がかかっている。

美味い。

洋越のオードブル中華式の豆花、コーヒー2杯。

これだけ食って自律神経失調症も無いもんだと言われそう。

大変満足した。

あの日差しを浴びたい。ポーチに気休めの安定剤を詰め込んで、食後の散歩に出ることにした。


ホテルを出ると、ホーチミンの熱気は午前から強烈だ。

行く当てのない散歩だけど、とりあえずベンタイン市場を経由してサイゴン川を目指そう。


相変わらず交通事情は凄まじい。

よく見ると現地の人だけでなく、観光客と思しき欧米人対応力も凄い。

スクーターの波を見切ってスイスイ渡って行く。

バイクを見切って躱す」のはこの街で必須スキルなので、嫌でも身につくらしい。

昨日と違う事と言えば、バイクライダーのオッチャンに頻りに声をかけられる事。

迂闊に乗ったら多分ヤバイやつ。

「Ser , Go work.」笑顔で固辞して先を急ぐ。というフリでプラプラ歩く。


ホテルの目の前の公園で談笑していた少年たちに許可を貰って一枚。

リーダーか、英語ができるかする少年に何か話しかけられたが、意味はわからない。

でも敵意はないのは伝わったようだ。

ひょっとしてベトナム人じゃないのかな。まあいいか

「3、2、1、shoot!」少年少女は笑顔をくれた。


しばらく歩くとベンタイン市場に到着した。

体育館の様な大型のアーケードの下に、色取り取りの生地雑貨飲食店

夕食はここにしようかな?

自律神経が働いた悪さなのか、旅行の緊張なのか、食べ物匂いがまだ辛い。

ここでも頻りに声を掛けられるが「ハハハ」と笑いながら素通り。

少し市場を見物してアーケードを出た。


10:00。

しばらく歩き、気になる建物に近づくと、どうやら学校らしい。

門に近づくと、移動屋台が門から出る学生達を吸い寄せている。

日本以外のアジアは大体が外食文化で、例えば台湾などでは学生は校門前に陣取る屋台で朝食や昼食を買って教室で食うらしい。

多分ベトナムも同じなんだろう。

周りを見れば、学校の向かいに軒を並べる露店で固まって食を取っている学生も多い。

興味深い光景写真に収めようとしていると

○×○×!」

ドン

学生の徐行したスクーターに軽く追突された。

気をつけていたが、思わぬ形でプチ交通事故にあってしまった。

これで俺もベトナム旅行者として一人前だ。


飲料水を買おうとしてファミマに入ると、そこでも学生食事を摂っている。

ファミマにイートインスペースがあるのはアジア共通らしい。

それにしても男子ばっかりだ。

青い揃いの制服のせいか男子学生達は一様に小綺麗で、教育程度も高そうな印象を受ける。

一旦学校前を離れて、日本で言うところの伊勢丹、いやもっと格上の三越のような存在百貨店サイゴンセンターを物色した後、1時間程で戻ると、男子達はまだ周囲の露店で食ってる。

こいつら引っ切り無しに食ってるな、なんだったら今が本番かも知れない。

モリモリ食う姿は、アジアの元気を象徴してるように見えた。

暑さもキツくなってきた、先を急ごう。取り敢えず川が見たい。

学校前を離れる時に、校舎の壁に学校名のエンブレムを見つけた。

ARIZONA STATE UNIVERSITY

直訳すると「アリゾナ州立大学」

なぜアリゾナ州立大学がホーチミンにあるのかは分からなかった。


相変わらずの躱しゲーを繰り返しながら辿り着いたサイゴン川は、隅田川よりもっと広く、澱んでいた。

茹だるような暑さ・湿気と澱んだ川はある意味ベストマッチだ。

薄々勘付いていたのだが、自分はまあまあな晴れ男であり、観光やここぞと言うときに雨に当たられる事は少ない。

10月初頭のホーチミンはまだ雨期のはずだが、それでさえもこの有様だ。

自律神経の不調も憂鬱な気分も、事、天気に関しては影響しないらしい。

願わくばその運をもうちょっと別の事にも回して欲しいくらいだ。

雨のホーチミンで、お茶でも飲みながら茫然とするというビジョンはひとまず実現せず、現実には炎天下の橋の上でこの旅行記を書いている。

何はともあれ、この時間でやりたい事はやった。

ホテルに戻ろう。シャワーが浴びたい。


ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、気になって例の学校について調べると、やはりというか、アリゾナ州立大学ではなく、カオタン テクニカルカレッジというらしく、機械電子に関する工業高校しかった。

そりゃ道理で男ばっかりな訳だ。

学校の程度はわからないものの、自作で車を作るイベントがあったり、インテル提携して人材開発を行なっているらしかったり、そこそこ優秀な雰囲気を感じる。

ここは工業化近代化真っ最中ベトナムだ、生徒といえば荒っぽい男の子達ばかりと相場が決まっている日本工業高校と同じ感覚では考えられないのかも知れない。

多分、アリゾナ州立大学ともなんらかの提携を結んでいるのだろう。


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2018-10-13

[] 【2】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181013201124





ベトナム名誉


両替に関しては、市内の両替商の方がレートがいいということで、空港では7000円だけ両替した。

小ぶりの札束を大量に手渡されたが、これがどれだけの価値があるのかさっぱり分からない。

札束に描かれているのは全部ホー・チミンで桁数も多く、なんかパッとみ どれも同じに見える。

要は慣れなんだろうけど、ベトナム人はよくこれで混乱しないものだ。


ネット情報でボッタクられないという噂のタクシー会社車両を捕まえてホテルに向かう。

いきなり問いかけられた言葉がわからないが、「I want to go hotel new world saigon.」というと出発した。

これ位のディスコミニュケーションを気にしては一人で海外旅行などできない。

もちろん日常会話の英語くらいは軽くこなせなければいけないというのは確かなのだが。


ホテルチェックイン時のディスコミニュケーションぶりもなかなかのものだったが、前回やらかしたチェックアウト時刻の確認も済ませ、無事チェックイン

New World Saigon Hotel歴史ある名ホテル日本で言えばホテルオークラのような格式で、通された部屋は「俺、一人でこんな部屋泊まったことないよ」というものだった。

タクシーに払った残りを落ち着いて数えたら1,016,000ベトナムドン。

もう一度言う。

どれだけの価値があるのかさっぱり分からない。

貨幣価値感覚が変になりそうだ。


タンソンニャット国際空港光景ちょっと元気になったものの、やはりメンヘラ直前の身でいきなり外食ハードルが高く、近くのコンビニ適当に買って夜食にすることにした。

まだ食欲自体はある。

ホテルのほど近くにサークルKがあるらしい。日本のそれと関係あるか謎だが。

サークルKまでは距離にすると100mも無いのだが、ベトナム交通事情というのが、これがいつまで経っても途切れないスクーターの波をタイミングを計りつつ渡る避けゲー状態で、僅かな距離をなかなか踏破できない。

これは油断すると死ねるヤツだ。

自律神経失調症で長期休暇を視野にも入れているというのに、蓋を開けてみれば交通事故で死にましたでは、なんだか話がよく分からなくなってしまう。

最新の注意を払い、ついでにコンビニサンドイッチカップ麺飲み物の代金も払って、なんとかホテルに戻り夜食にありついた。

日本人も含めてアジア人は大体カップ麺が大好きで、そうそう間違いなかろう、でもちょっと異国風味もあるかななんて期待していたら、出来上がったものはどうも味がない。

ベトナム料理はタイ料理と比べて優しい味わいであり、またやはり日本と比べれば完成度の差があるのかも、こんなものかな。

いやまてよ、自律神経失調症も重度になると味がしないっていうから、俺の味覚が妙なことになっているやもしれぬ、などと思って食い終わったら、調味袋を丸々1袋入れ忘れていたことに気がついた。

そりゃ味がしない筈だよ。

ベトナムカップ麺名誉回復する為に、俺は正しい調理法でまたこれに挑まなくてはならない。


【3】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 2|2日目 アリゾナ州立大学 へ >>

anond:20181013222229

そういって俺を統合失調症認定したり、自律神経失調症扱いするんだろう!読めているぞ!

次のお前のトラバは「お前コミュ障だろ」なんだ!読めてるぞ!!

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