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2023-03-14

ビットライスさんの『責任という虚構』のブログへの反論

ビットライス氏のブログバランスの取れた議論と時折混ざる素直な感想が好きで、時々読んでいました。

『How to Not Die Alone』の書評とかは、あまり英語文章を読めないものですから、とても有益で思わずメモを取ったほどです。

先日、私が好きな『責任という虚構』のブログを挙げてるなと思って読んでみて結構びっくりしました。

https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/10/04/155546

(↑ブログURL

まず、全体的に内容に基づいた批判というよりも、文体や語り方の批判になっていますしかもかなり口汚くののしるような文体で、かなりショックを受けました。

普段結構素直に感想を語っていらっしゃるなと思っていましたし、今回も個人意見範疇かなと思ったのですが、今回のは批判結構ズレているし、主張の部分と著者の感想を取り違えているような気がしました。

一部(アンダーソンの手紙の部分)有益情報はあったのですが、数度読み直してみても、全体的にズレているなと感じました。

普段ほとんど人の書評ケチをつけないですし、内容理解にひどい部分があったとしても特に反応もしませんし、私はあまりネット名前を出して文章を書きたくないので、どうしようかとも思いましたが、はてな匿名ダイアリーネットの片隅に残るようなので、少々ずるいかと思いますが、書いてみたいと思います

気になったのは4つの点です。

一つ目。

書評の中では、ロールズについて書かれた箇所に出てくる「理想郷」という言葉から理想現実の対比を引き出して『責任という虚構』は理想論を模索する哲学者非難しているとして、それに対する再批判を展開しています

私が本書を読む限り、理想現実の対比は大して重要な対比ではないです。

ライス氏は「理想的な基準規範存在することで、ようやく、「現状の財の配分のされかたは間違っている」と批判したり問題を提起したりすることができる。」と続け、それを理解しない小坂井氏を非難する文章を連ねてますが、この論点は本書の主張に対する批判になっていません。

著者の小坂井氏が言いたいのは、人の行動や社会の動きというのは、人の手を離れて自律運動して生み出されるもので、したがって人の意識や理性でコントロールできるものではないので、そもそもべき論とは雨乞いの踊りのように無意味ものだ、という主張だと思います

規範について言い換えれば、現実世界における規範は、論理的だったり理性的に構築されたものではなく、権威などによって根拠づけられていることで初めて人の心理的抵抗を起こすことなく円滑に機能するので、理性によって規範を人工的に構築しようとしても、規範の生成のメカニズムが異なるのでどこかで無理が生じる、という主張です。

ロボットを作っても出来上がるメカニズムが違うので人間にはならない、というのと同種の主張です。

この主張に反論するならわかりますが、規範否定しているのに規範論を行う著者は倫理的相対主義ジレンマに陥っているというのは、少なくとも本筋に対する批判ではありません。

実際、哲学者山口尚氏ライス氏と同じく、小坂井氏の哲学者批判反論されていますしかし、批判の直接の理由価値相対主義ジレンマではありません。

https://note.com/free_will/n/n24feea05db99

(↑山口尚氏反論URL

山口氏のほうが的確に批判されていると思います

二つ目

ライス氏は、小坂井氏がほかのネット論客と同じく、

哲学者リベラルフェミニストなどが「ただしさ」を語ることは否定しながらも、「ただしさがもたらしている悪さ」や「ただしさを語っている連中の悪さ」をあれこれあげつらって非難することで「ただしさ」を語るという自分行為だけは特権的に許容する」

ということをしていると書いています。ほかのネット論客の方の本を拝読したことがありませんので、それに対するコメントは控えますが、『責任という虚構』を読む限りこの批判はズレていると思います

一つ目の内容で書きました通り、小坂井氏は、規範論で物事理解しようとすると、どうしても現実規範機能しているメカニズム無視することになりがちであると主張しています

これは、政治に利用しようと思って進化研究すると、進化本来の仕組みを無視することになるのと同種の主張だと思います規範対象なので感情的な反発が起きやす文章で(正直言えば小坂井氏もちょっとケンカを売っているような気もしますが)、ライス氏の言うようなものではないと思います

三つ目。

ライス氏は、規範を論じる哲学者たちに小坂井氏が、「傲慢」「偽善」「おぞましい」などの価値判断を含む言葉を使いながら非難を浴びせかけていることについて批判的です。

これに関しては、私も同意します。

実際、小坂井氏のほかの著作を読んでも、哲学者傲慢偽善、おぞましいと言える根拠はありません。あくま小坂井氏の主張する範囲では言えば、哲学者は「苦しい言い訳」を捻りだしているだけであり、別にからと言って哲学者傲慢だとか偽善だとかおぞましいとかいう主張はできません。

ではこれは何かといえば、小坂井氏のただの感想なのだと思います

ライス氏のブログで言えば、「好ましく思った」とか「イラっとした」みたいな文章に相当します。

私は小坂井氏にかなり共感していまして、こうした言葉に少し心を揺り動かされたりしますが、でもこれは小坂井氏の感想以上のものではないと思います

こういう言葉が出てくるのは、小坂井氏にとって学問が、ある種の実存をかけた戦いだからなのでしょう。私はそういう学問観、正直すごい好きです。強く共感します。

でもこれは本筋ではないので、ここに関して批判するのは、好み以上のものではなく、論理的な主張になりえないと思います

もしここに論理的批判を加えるのであれば、上述した山口さんの批判文のように、主体虚構と言っておきながら主体を前提とする「責め」を行っているではないか、というものになるのではないでしょうか。

とはいえ、このような「責め」が著者によって行われること自体が、主体の"虚構"性を表しているとすら私は思いますので、別にこの本の価値は減じないと思っています。この本の中において、虚構は単なる嘘ではないのですから

ちなみに、小坂井氏の言う相対主義認識論的な相対主義のことで、善悪単独では決まらず、枠組みに依存するという立場のことです。この立場に立てば、「小坂井氏という枠組み内では哲学者偽善者だ」といっているにすぎないので、特に問題はないと私は感じました。ライス氏の言う「イラっとした」と同じです。枠組みを超えた正しさは主張できないだけで、言う分には問題ないと思います

四つ目。

正直、上記3つだけであれば、この文章も書かなかったかもしれません。ライス氏の言うことも理解できなくはないですから

しかし、これがあったので書こうと思いました。

端的に申し上げて、他人著作題名を加工するというのは、少々失礼ではないですか。

責任という虚構』であって、『<責任>という虚構』ではありませんよね。

類似名称書籍『〈責任〉の生成』と混同したのかもしれませんが、ブログが書かれてから随分と経たれたのに直っていませんし、別のブログ批判的な言及をされた際にも同じ書き方をしていたので、もしかしたら、意図的ものかなとも思いました。

もし、ただの間違いなのであれば、訂正した方がいいと思います。どんな著作であれ、一生懸命書いたものだと思いますし、関わったのも著者だけではないのですから

しかし、意図的ものだとしたら、随分と陰湿だなと思います

※4つ目について。ライスから反応がありました。意図的ものではなかったそうで、すでに修正されたそうです。

2022-11-27

anond:20221125215047

ロシア排除は間違ってるって事か。はてなブックマークも概ねそういう結論多数らしい。こういう芸人爆笑なんとか言うアレみたいな価値相対主義流行ってんのかな。

2022-06-18

尊敬する先生方がロシアウクライナ侵攻で残念な感じになって哀しい

学生時代に著書をよく読んだ先生方で「ウクライナ領土妥協して早くロシアと和平を結ぶべき」みたいな意見の人がわりといてガッカリしてる。

「正しい戦争なんて無いんだ」みたいな価値相対主義の枠組みから一歩も出られないというか。

もう還暦も過ぎてて世代的な限界なのかもしれないけど。

「今のロシアってあなた方が口を極めて批判していた大日本帝国みたいなムーブしてるのですが。人命が何よりも大事なら日中戦争中国人はさっさと降参して帝国陸軍に好きなように領土を切り取らせれば良かったのですか?」

と嫌味が出てしまう。

2022-04-14

東大入学式祝辞がまた燃えてるけど何で燃えてるのか理解できない

はじめに

※Jcastニュース祝辞の全文が記載されています

以下本文

例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義ウクライナ正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」存在させることで、私は安心していないだろうか?

引用した文章は、河瀬氏の東大入学式祝辞の一部。燃えてるのは、『「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。』の部分。

Togetterのまとめをざっと見る限り、「ロシア悪者に決まってんだろ。」「どっちもどっち論に持ち込むな」などといった批判(と中傷)が多い印象。Togetterコメント欄には、『平和主義者だと思っていた人たちは、いざ戦争が始まったら侵略者を賛美する好戦主義者でした』っていうコメントも。

Togetterのまとめ

→『東大入学式河瀬直美氏「ロシア悪者にするのは簡単」→「いや完全なる悪者です」「歪んだ価値相対主義」「中立の名を借りた判断停止」と批判殺到』-(https://togetter.com/li/1872195






河瀬氏が「ロシア悪者ではない」と主張していると勘違いしてない?

そうじゃなと『いざ戦争が始まったら侵略者を賛美する好戦主義者でした』って感想出てこないでしょ。

祝辞で今回の戦争肯定するような表現何一つ無かったよ?

河瀬氏が新入生に伝えたいのは、「多角的視野を持って欲しい」という事じゃないの?思考停止して「ロシアは悪!」って決めつけるんじゃなくて、両国バックボーンや主張を理解した上で判断してほしいと伝えたいんじゃないの?

これから大学で学び、探究心を持って未知の世界や真理を追究していく上で、物事をいろんな角度から観察して見定めてほしい、っていう至極まっとうな話だよこれ。

一体この祝辞のどこをどう読んだらこんな酷い勘違いするのやら...。っていうかそもそも読んですらいないのか。反射的にバッシングしてるからこんなチンプンカンプンなこと言えるんだろうな。

一昔前に「AI vs.教科書が読めない子どもたち」なんて本が話題になってたけど、世の中「教科書が読めない大人たち」ばっかりやな...。

2022-04-13

正義暴走」論は死んだの?

 河瀬さんが訳の分からんことを言って左右を超えて四面楚歌になってる件、当然はてブでも叩かれていた。

[B! ロシア] 東大で入学式 来賓の河瀬直美氏 「ロシアを悪者にすることは簡単」:朝日新聞デジタル

 問題になったのはこの部分なわけだが…。

 管長様にこの言葉真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義ウクライナ正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います

令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学

 このうちの「悪者にすることは簡単」の部分がタイトルになって特に叩かれた部分なのでそこを中心にこの増田を書くとしよう。

 これ、ネットで一時期流行ってた類の陳腐正義暴走論じゃないの?実際にこの祝辞抽象化してみようか。

(1) 一方を悪と決めつけることは簡単(で思考停止だ)。

(2) 正義正義がぶつかり合っていると考え両者の意見をよく聞いてみることが必要ではないだろうか。

(3) 悪と断じて切り離すよりも自分事として自省することが大事だ。

 この(1)(2)は正義暴走論における典型パターンだ。まあ正義暴走論でなくても一方的に悪のレッテルを貼り糾弾することはよくないことだという論法はよくある。

 悪と認定することについて例を出せば、ナチスについて「絶対悪」だと論じた記事にも「世の中に『絶対悪』などと言うもの存在するという考え方も十分危険」「絶対悪とか言い出す人って、時代が違えばホロコーストやってた方なんじゃないかと思う」というコメントがついた。あのナチスですら、だ。

[B! 歴史] 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔)

 それとも「世の中に『絶対悪』などと言うもの存在するという考え方も十分危険」と「誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?」には大きな差があるだろうか。「絶対悪」と「悪」は違うということなの?

 「一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?」という文章があると意味が変わるとか?それならこの部分を叩くべきなのでは?

 まあ、そもそもきっと恐らく同じ人が書いているわけではないだろう(両はてブで誰がどんなコメントをしているか比べるつもりはない)から、一方が優勢なら他方は黙って他方が優勢なら一方を黙って様子を窺っているだけで意見が変動したように見えるだけだとも言えるかもしれない。

 ただ、正義暴走論って例えば「何かを悪だと決めつけるのは危険だ。ファシズムだって正義暴走から始まった」って議論が数年前ツイッターとかで起こったらしいけど、こんな感じである意味将来惨禍を起こさないようにする謙抑的な目的を持った思想でもあったはずなんだよね。個人的にはこういった論は期せずして矮小化擁護に繋がってしまいがちではと危惧するし悪しき価値相対主義に陥りそうで不安になるんだが、一方で自省的な側面に意義があるとも思ってたわけです。

 つまりこういう時どう考えても悪(いや侵略行為はどう考えても「悪」でしょ?何か時代によって価値観は変わるからって言う人もいるけどそういう話ではなく)だと考えられる行為を行っているものが悪認定されてボコボコに言われていれば言われているほどこういう論が出てこないとその意義は達せられないよなと思うとこもあって…。いや言い出しにくいよ。現にナチスユダヤ虐殺している最中に「絶対悪存在するのと考えるのは危険」なんて言ってみ?最悪だよね。人格を疑われて当然だと思う。でも誰もが悪だと考えている時に異議申し立てしてこそという話になるのでは感はある。

 でもそれができずに過去出来事適用して話をするだけなら意味もなく矮小化しかねないリスクを伴うだけでどうしようもない論法じゃね?まあくだらないことで炎上した人を過剰な叩きから庇うことには使えてるからいいのかな?中途半端理解で口を出して火に油になるパターンもあるけどそれは使い方が悪いということで。

2021-03-26

はてな村の頭のいい人達相対的な考え方が嫌い

最近ブーム饅頭あんこ抜き作業で思い出したけど

悪しき相対主義とか言ってよく論敵を批判しているけど

相対的に考えたりメタ的に考えたりしてからある考え方を選ぶ流れなのであって選んだ結果がおかしいとかまだ選んでないんだとかなんとかいうならよくわかるのだけど

そこまで詳しくないけど価値相対主義批判価値を相対化してそこで終わってるから批判していて価値を相対化することの批判じゃないよね?

2019-03-28

anond:20190327000856

ジャンプは「正義」よりも現状を維持したいだ

本当の正義よりも、サブカルニヒリズム資本主義競争主義

エログロ価値相対主義、そして自分たち正義側だと宣う傲慢

これが醜いジャンプ本音

「本当の正義」?「醜い」?何様のつもりかネ?

君らの言う「多様性」が本物なら、そういう週刊誌があることも認められるんじゃないのかネ?

それを「悪」だと断罪するんなら、君らの言う「多様性」は一体なんの多様性なのかネ?

反差別」についても以下同文

2016-11-28

ポリコレの果てに必ず行き着く過度な価値相対主義

その世界では結局のところ持つもののみが生き残り

異議申し立て封殺される

人間社会否定に等しい社会悪

2016-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20160118085904

価値相対主義ってわけじゃないけど、増田の言う通り「普通」が指す具体的レベルは一様ではない。

から俺は「普通は~」という言説を聞いたら、「多くの人は~」「多数意見としては~」くらいの意味に変換して聞くことにしている。

2014-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20141026154437

私は漫画ラノベ勧善懲悪だと言ってるわけじゃないよ。

確かにそれほど量読むわけじゃないが、最近は「悪役なりの信念」みたいな、安易価値相対主義もどき流行ってるくらいのことは把握してる。

でも今でもたとえば「イジメを行う女子グループ」みたいなのを改心なしに受け容れることとかないでしょ。

もちろん逸脱の程度がひどければ受け容れることはできないけど、ある程度はそういう連中も受け容れることが連帯するうえでは必要だと、そういう話。

2013-10-05

いつまでそんなこと言ってるの?

ネット上で価値相対主義だかポストモダンだかの真似事をやって悦に入ってる人っておしなべて底が浅いよね。

正義ほどタチの悪いものはない」とか「絶対的に正しいことなど何もない」とかさ……中学生じゃあるまいし。

いや、中学生いるか。ならそういう人たちは別にいいんだけど。

ポモだの価値相対主義だの、そういうのは一番最初に言った人が偉いってだけ。

後続の人がその地点にとどまって同じことを言い続けても、それは単に斜に構えて問題と向き合わないイタい人でしかない。

いい年した大人のやることではないよ。

ねえ、いつまでそんなこと言ってるの?いいかげん現実と向き合おうよ。

 
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