はてなキーワード: コンセンサスとは
・表現にはそんな力はない
反ワクチンのせいで病床埋まって死んだ人とかいますからね。表現の影響を受けて行動する人がいる以上は現実に作用する。表現には倫理も常識も変える力がある。有り得ない
それはそう
誰が決めた。
配慮を求める場合はまた別の配慮がある表現を世に広める方法を取るべき
・現状はそんなに悪くない
何と比較して?セクハラロリペドに抵抗なさすぎ、認知歪みすぎ、性的モノ化しすぎ。女性と接点の少ない人間はほぼリテラシーがないので歪んだ人間観を持っています。人間が他人から鑑賞されるモノという感覚が強すぎ。正しく表現されなければ女性や子供が尊重されないことは言うまでもない。エロがSNSで簡単に流れてくるからでしょうか、表に出すことは子供への暴力ということがわかってなさすぎる。楽観すぎ。現状維持バイアスですよ
勝手に人を歪んでいると決めつけるな
その他内容がおおざっぱすぎ。増田自身一番下に「好ましいエロもある」と書いているとおり、子供もアクセスしてプラスになるエロもあるはず
少なくとも俺も子供だった時代があるが、エロから全く遮断されていたら辛かった
・何でも規制される
憲法を勉強してる人間ならなんでもかんでも規制されるなんて有り得ないとわかるはず。侵害されている利益の保護の範囲でしか規制はできない。ただ恐怖を煽ってるだけの妄言。
わかる
ので、害が及ぶ前に声を上げている
・自分は困らない
困っててもずっとそうだったから見えてないだけです。認知の歪みが少なくなり周囲も変わるので性犯罪が減少しエロに対する安心感が生まれれば社会を通してポジティブな影響は受けます
自分が困らないとは思わないけど
認知の歪みによる誤解。単なるアクティビティの一つ。好きな人とのエロや安心感のあるエロなら好きな人、嫌なことをされず自分の意思が尊重されるエロなら好きな人、スポーツのように楽しむ人、エロが苦手で嫌いな人、エロい服が好きな人、エロくない服が好きな人、あらゆる在り方がある。その人の在り方が尊重されるべき。上記エロが暴力になっている文脈がありふれているため楽しむ余裕が現在社会にない
それはそう
あと上にも書いたが子供にも性欲があるんで子供もアクセス可能なエロの範囲はもっと社会のコンセンサスをもって決定してもいいはず
・表現にはそんな力はない
反ワクチンのせいで病床埋まって死んだ人とかいますからね。表現の影響を受けて行動する人がいる以上は現実に作用する。表現には倫理も常識も変える力がある。有り得ない
エロは主体が楽しむ安全と配慮を欠いたら暴力。鑑賞者が楽しむかどうかではない
・現状はそんなに悪くない
何と比較して?セクハラロリペドに抵抗なさすぎ、認知歪みすぎ、性的モノ化しすぎ。女性と接点の少ない人間はほぼリテラシーがないので歪んだ人間観を持っています。人間が他人から鑑賞されるモノという感覚が強すぎ。正しく表現されなければ女性や子供が尊重されないことは言うまでもない。エロがSNSで簡単に流れてくるからでしょうか、表に出すことは子供への暴力ということがわかってなさすぎる。楽観すぎ。現状維持バイアスですよ
・何でも規制される
憲法を勉強してる人間ならなんでもかんでも規制されるなんて有り得ないとわかるはず。侵害されている利益の保護の範囲でしか規制はできない。ただ恐怖を煽ってるだけの妄言。
・自分は困らない
困っててもずっとそうだったから見えてないだけです。認知の歪みが少なくなり周囲も変わるので性犯罪が減少しエロに対する安心感が生まれれば社会を通してポジティブな影響は受けます
認知の歪みによる誤解。単なるアクティビティの一つ。好きな人とのエロや安心感のあるエロなら好きな人、嫌なことをされず自分の意思が尊重されるエロなら好きな人、スポーツのように楽しむ人、エロが苦手で嫌いな人、エロい服が好きな人、エロくない服が好きな人、あらゆる在り方がある。その人の在り方が尊重されるべき。上記エロが暴力になっている文脈がありふれているため楽しむ余裕が現在社会にない
・表現にはそんな力はない
反ワクチンのせいで病床埋まって死んだ人とかいますからね。表現の影響を受けて行動する人がいる以上は現実に作用する。表現には倫理も常識も変える力がある。有り得ない
エロは主体が楽しむ安全と配慮を欠いたら暴力。鑑賞者が楽しむかどうかではない
・現状はそんなに悪くない
何と比較して?セクハラロリペドに抵抗なさすぎ、認知歪みすぎ、性的モノ化しすぎ。女性と接点の少ない人間はほぼリテラシーがないので歪んだ人間観を持っています。人間が他人から鑑賞されるモノという感覚が強すぎ。正しく表現されなければ女性や子供が尊重されないことは言うまでもない。エロがSNSで簡単に流れてくるからでしょうか、表に出すことは子供への暴力ということがわかってなさすぎる。楽観すぎ。現状維持バイアスですよ
・何でも規制される
憲法を勉強してる人間ならなんでもかんでも規制されるなんて有り得ないとわかるはず。侵害されている利益の保護の範囲でしか規制はできない。ただ恐怖を煽ってるだけの妄言。
・自分は困らない
困っててもずっとそうだったから見えてないだけです。認知の歪みが少なくなり周囲も変わるので性犯罪が減少しエロに対する安心感が生まれれば社会を通してポジティブな影響は受けます
認知の歪みによる誤解。単なるアクティビティの一つ。好きな人とのエロや安心感のあるエロなら好きな人、嫌なことをされず自分の意思が尊重されるエロなら好きな人、スポーツのように楽しむ人、エロが苦手で嫌いな人、エロい服が好きな人、エロくない服が好きな人、あらゆる在り方がある。その人の在り方が尊重されるべき。上記エロが暴力になっている文脈がありふれているため楽しむ余裕が現在社会にない
一番悪いのはデマ流したヤツに決まってるけど、それを受けた弁護士らの反応も相当にマズかったよね……(だから「も」)
弁護士A「男性がAEDを女性に使って訴えられることは『ほぼ』無いです」
ぼく「『ほぼ』!? 1000回に1回ぐらいの確率で訴えられるかもってこと? 10000回に1回でも嫌だよ、訴訟起こされた時点で会社クビになっちゃうよ! 女性にAED使わなくて見殺しにしたら訴えられる確率ゼロだから可哀想だけど見殺しにするね……」
弁護士B「万が一AEDを女性に使って訴えられた男性がいたら、私に電話してください! 報酬無料で絶対に助けます! 私の電話番号はXXX-XXXX-XXXX……」
ぼく「だから訴えられた時点で会社クビになって人生終わりなんだっつーの!! どうして『法律のプロとして断言します、AEDを使った男性が訴えられることはありません』ってぼくの欲しい答えを言ってくれないのさ!?」
素人なりに調べたところ、民事訴訟って国民の基本的な権利だからどんなバカげた理由でも訴えだけはできるっぽいのね(たとえ裁判所が即却下するにせよ)。
真面目に法律勉強して司法試験に受かった弁護士さんはそりゃ「AED使っても絶対に訴えられません」と断言できないわな(よってこのタイトルは八つ当たり気味である)。
AED使われた女性が訴えても裁判所が相手しないならリスク無いでしょ? なに怖がってんのよ、キンタマついてるなら女性の命を救うために動きなさいよ!
いやいやいや、やっぱり怖いよ、だってさ……
上司「昨日、お前にAEDで痴漢されたと訴えた自称被害者女性がフェミ弁護士と一緒に記者会見したな。弁護士が『司法が男社会に支配されてる!』と決め台詞叫んだり、記者に今のお気持ちを聞かれた女性が号泣したりしてて、めっちゃ取れ高あった」
ぼく「あれ裁判所が『アホぬかせ』って却下しましたよ。新聞にもちゃんと載ってたでしょう?」
上司「もう『事実』なんてどうでもいいんだよ。『#〇〇商事は性犯罪者を解雇しろ』が日本トレンド1位で、海外にも飛び火して#JapaneseRapist"KAISHA"MustDieが世界トレンド上位の今はこれが『真実』なんだから。弊社は性犯罪者のお前を雇い続けることはできない。私物をこのボックスに入れて15分以内に出てけ」
ぼく「ひどすぎる」
上司「気の毒だが狼の群れに襲われたとでも思って諦めて、就職活動頑張れよ。元気でな」
ぼく「あーあ、嫁に何て言おうか……『父さん、会社を辞めて炎上系ユーチューバー一本で食っていこうと思ってるんだ』とか言ったら娘にウケるかな? おーい、この家の主人が帰ったぞー。あれ? 二人で出かけたのかな?」
妻の書き置き『これ以上あなたの増田姓を名乗ってあなたと共に生きる自信が無くなりましたので実家に帰らせていただきます。私と娘を愛しているなら、どうか離婚届に名前を書いて出してください』
(ぼくの人生)お し ま い
絶対にこんなことは起きないって法曹界のコンセンサスが出ない限りぼくは怖くて女性にAED使えない。
https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/blog/bl/pNjPgEOXyv/bp/pbeex6x83b/
ポーランドやバルト3国以外のヨーロッパではおおむね、和平派が多いらしい。
日本では西欧での反ロシアのデモとかがより多く報道されがちではあるけれど、実際のところはそうでもないみたいだ。
もちろん戦争やめろっていうのはコンセンサスではあるにしても。
旧東側の国とか、ソ連に侵攻された経験がある国とか、離れてはいるけどロシアが逆切れして核ミサイル打たれたらたまらんとか、いろいろな要素があるので単純にはわかりにくい。
人類普遍の共通価値をおびやかすようなことにはNoとちゃんと言える家庭をもつべきだと思うよ
でないと利益追求だけを求める人生逃げ切り型の子供を育てることになる
政治「的」な、というのは、政治に近い性質を持つ話題全般を指す。最近はフェミとアンチフェミの対立などがそれだろう。
何故それらを避けるべきかと言うと、そうした話題は基本的に相手によって正解が変わるからだ。
どうすれば理解されるか。どうすれば共存できるか。それはそういう見地のもとに初めて成立する会話であって、相手を明確に想定できないネットではこうした論法はそもそも通用しない。
するとどうなるか。相手の「粗探し」の繰り返しが始まる。
このループに陥ったら人間はおしまいだ。相手はもちろん、自分さえも幸せにはならない。
昔ならこの価値観のコンセンサスはあった。しかし今は無い。だからこそ絶対に避けろ。
政治「的」な、というのは、政治に近い性質を持つ話題全般を指す。最近はフェミとアンチフェミの対立などがそれだろう。
何故それらを避けるべきかと言うと、そうした話題は基本的に相手によって正解が変わるからだ。
どうすれば理解されるか。どうすれば共存できるか。それはそういう見地のもとに初めて成立する会話であって、相手を明確に想定できないネットではこうした論法はそもそも通用しない。
するとどうなるか。相手の「粗探し」の繰り返しが始まる。
このループに陥ったら人間はおしまいだ。相手はもちろん、自分さえも幸せにはならない。
hesopennです。私はある誤解をしていたので、それを説明しておきます。私は指摘されるまでBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かったことに気付いていませんでした。さすがに発表されてからこんな短時間で批判と修正が入っているとはちょっと想像していませんでした。申し訳ありません。この誤解をしていた旨を堂々とここに追記しておくべきでした。またそのような誤解を読者に与えていたのであれば(与えていたと思います)申し訳ないです。
とはいえ、手嶋氏に論文を読み、それを説明する資格はない、という意見に変わりません。無査読の論文を大々的に紹介し、それの結果に反するトップジャーナルに掲載された論文を提示されたにもかかわらず、あたかもそれが重要でないような(その論文が元の論文と食い違うことも述べず)扱いをすることは研究を自分の目的のために恣意的に歪めて紹介する行為だからです。修正したといっても、最後に「実際のところ、社会統計から「ポルノが性犯罪を引き起こす!」と主張する研究者は、もうほぼ絶滅しているわ。」という文章は残っています。これは明らかに間違いであり、Bhuller et. al. (2013)の結果を(経済学の研究の蓄積において明らかに重要であると判断されているにも関わらず)無視する行為です。経済学という学問の正しい理解を妨げ、学問を政治化する人間に論文を扱う資格はないという意見に変わりはありません。
手嶋海嶺氏の 「性的表現と性犯罪/性的攻撃性」の関係~最先端の科学的知見に迫る~ (https://note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298) を読みました。この文章では私は手嶋氏は完全に知的誠実を欠いていることを説明します。手嶋氏は自分の結論に合う論文のみを子細に説明し、それに反する論文を軽視しています。
手嶋氏の論考では二つの論文を軸に性的表現と性犯罪/性的攻撃性の関係について考察をしており、前半はKendall (2007)の解説に紙幅を割く構成になっています。Kendall (2007)は学術的にそこまで重要な論文なのでしょうか?手嶋氏も述べていますが、この論文はUnpublished Manuscriptです。いわゆる査読されていない論文で、2007年に発表されたものが最新のものです。経済学においてはまだ査読されていない論文をWorking Paperという体裁で発表することはよくありますが、2007年の論文が2022年まで査読されず残っているということは、一般的には著者の個人的な事情(アカデミアを辞めるなど)か、その論文に問題があるということを表しています。
このKendall (2007)を詳細に紹介した後、手嶋氏は手短に、その手法に問題点が指摘されていることをBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を引用して述べています。この四人の著者からなる論文はReview of Economics Studiesという、経済学のいわゆるTop 5の雑誌に掲載された論文です。Unpublishedのまま2007年から更新されていないKendallの論文と、RESに掲載された2011年の彼らの論文、どちらがより信用に足るかと言われれば、事前情報なしでは経済学者の100人中100人が後者と述べるでしょう。では、なぜ手嶋氏はKendall (2007)の中身だけを扱って、Bhullerらの論文の内容を紹介しなかったのでしょうか?
それはBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)がポルノの消費の増加によって性犯罪が増加したことを示唆する論文だからです。この論文ではノルウェーにおいて、インターネットが普及した地域においてレイプ、およびその他の性犯罪が増加したことが述べられています。そしてAbstractの最後では、”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.”、つまりインターネットによって性犯罪は増加したことが示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう、とまで述べられているわけです。
追記:ここではPossiblyという表現をおそらく、と訳すのは不正確でした。もしかすると、という表現の方が適切だったと思います。ただこのこと自体は私の主張を崩すものだとは思っていません。詳しくは(https://anond.hatelabo.jp/20220607234113)を見て頂ければ幸いです。
このように、手嶋氏はなぜかKendall (2007)という査読されずに15年も経っている論文を子細に扱いつつ、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)という経済学のトップジャーナルに掲載された論文を無視しています。百歩譲ってKendall (2007)が重要な論文で、説明する価値があるにしても、それと相反する結果が出たBhullerらの論文の結論を述べず、手法に問題点が…と曖昧に引用するのは全く理解できないことです。これこそ手嶋氏が誘導したい結論に合致する論文のみをとりあげる、知的誠実さを欠いた行いです。
追記:一番上の追記で述べたように、私は手嶋氏が初稿で両者の論文を把握していると誤解していました。実際には指摘を受けて追加した、ということのようです。しかし本稿の趣旨、意見に変わりはありません。その点については一番上の追記を見て頂ければ幸いです。
本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべきです。手嶋氏はあたかも科学的、中立的であるような風を装いながら、自分の意に沿う、決して評価が高いとは言えない論文のみを詳細に取り上げ、学術的に評価が高い論文を軽視(無視)しています。またそれにより、あたかもこのテーマについて学問的なコンセンサスがあるような、間違った印象を読者に与えています。このような行為は学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです。
手嶋氏には論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません。
Kendall (2007) : http://pirate.shu.edu/~rotthoku/Liberty/internet%20crime.pdf
Bhuller et. al. (2013) : https://doi.org/10.1093/restud/rdt013
追記:
「手嶋氏は指摘を受けて修正した。だから誠実ではないか」という意見があります。これは大きな間違いです。Kendall (2007)は未査読のまま15年経った論文であり、Bhuller et. al. (2013)は査読を受け、一流の雑誌に載った論文です。この二つの論文の信頼性には雲泥の差があります。この二つの論文を対等に扱うことすらおかしいのです。ましてや手嶋氏のようにKendall (2007)のみを子細に取り上げることなど、常識的な研究倫理を持つ人間ならまずありえないことです。
そして修正された文章を見ても、そもそもBhuller et. al. (2013)がKendall (2007)と異なる結論を導き出していることは読み取れません。私は最初、おそらく多くの読者と同じように、Bhuller et. al. (2013)はより洗練された手法でKendall (2007)と同じ結論を導いたものだと理解していました。手嶋氏は明らかにBhuller et. al. (2013)の結果を隠し、間違った印象を読者に与えることに固執しています。この追記はあくまでお茶を濁し、読者の誤解を誘うように書かれています。
繰り返しますが、手嶋氏が真に知的に誠実な行いをしたいのであれば、Bhullerらの論文を吟味したうえで、それでも自分の主張が正しい、もしくはKendal (2007)のほうが説得的な論文であることを議論すべきです。そうでないなら、経済学という学問の価値規範に沿って、未査読のKendall (2007)ではなく、Bhuller et. al. (2013)のほうを重点的に解説すべきでしょう。失礼ながら、手嶋氏は経済学の専門的な教育を受けていないようなので、これらの論文を理解し、その信ぴょう性を比較する能力があるとは思えませんが…。
ちょっと細かい論点(および追加的な説明)について追記しました。ごちゃごちゃしてすいません。
https://anond.hatelabo.jp/20220607234113
追伸:
はてなブックマークを見たところ、この問題点を指摘しているのは私だけのようです。研究者としての訓練を(修士にしろ、博士にしろ)受けたものであれば、Unpublished Manuscriptを子細に取り上げ、トップジャーナルに掲載された論文を軽視するやり方に一目で違和感を抱くはずだと思います。このような初歩的な問題点を無視することもまた、知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう。
京都府警は27日、京都アニメーション放火殺人事件で犠牲になった35人のうち、公表されていなかった25人の身元を公表しました。事件発生から犠牲者全員の身元公表に時間がかかった理由について、京都府警は「遺族と会社の意向の聞き取りを丁寧に行ったことと、葬儀の実施状況を考慮し、公表の方法とタイミングを慎重に検討を進めたため」と説明。
また、今回公表された25人の遺族のうち5人からは実名公表への承諾を得られたものの、20人は拒否の意向だったそうです。そうした状況下で実名公表した理由については、「事件の重大性、公益性から実名を提供すべきだと判断した。身元を匿名にするといろいろな憶測も広がり、間違ったプロフィールも流れ、亡くなった方の名誉が著しく傷つけられる可能性がある」と遺族に配慮した判断だったと話しています。
南さんは、犯罪における実名報道について「もっとセンシティブに、慎重になるべきだと思う。今回、報道として実名は出すべきではなかったのでは」と異論を唱えます。その理由は、「事件の真相を知りたいという私たちの欲望はあるが、だからといって犠牲者がどこの誰なのかという個人の特定まで、私たちが知らなければいけないのか。知ることが何にとって社会に有益なのだろうかと考えても、あまりないと思う」と主張。
今回、遺族のなかには公表に反対の意向だった人もいたことから、「マスコミが、わざわざ(犠牲者を)名簿のような形で流している。それのどこに報道の意味があるのか大きな疑問でならない」と憤りをあらわにしました。
◆「腫れ物に触るような形ではいけない」
MCの堀潤は、「実名公表を受けて、真摯に次の事件を防ぐために何ができるのかと議論になるかと言うと、消費されて終わってしまったり、むしろ好奇の目で見られる対象になったりすることも、リスクとしてある」と指摘します。
一方、作家の田中康夫さんは「(京アニ事件は)とんでもない事件。だからといって、その問題を腫れ物に触るような形ではいけない」と言います。続けて、マスコミについては「警察が公表したからという隠れ蓑」と非難。さらに「とても卑劣な事件だし、どう再発をしないようにするかという問題もあるけど、それとこれ(身元公表)は全く別の問題だと思う」と主張します。
キャスターの宮瀬茉祐子は、「検証は必要だと思うが、速報性の必要はないと思う。今回は(犠牲者の)葬儀が終わってからというのを1つの基準としていましたけど、ご遺族の感情がきちんと落ち着いてから1年後とかに、どんな事件だったのかと検証することは意味があると思う」との見解を示します。
すると、田中さんは「おっしゃる通りだけど、今後どんな殺人事件、交通事故や航空事故があっても、犠牲になった人(の実名)を載せないというコンセンサスが社会でできるのか」と疑問を呈します。さらには、政府が京都アニメーションへの寄付金の税控除を検討していることについても、「京アニだけを腫れ物に触るようにしているのは、犠牲者にとってもアニメファンにとっても、決して成熟した社会になっていかないと思う」とも。
堀は、京アニ事件の容疑者のことを取材しているマスコミ記者と話をする機会があったそうで「加害者側の取材がマスコミ側で全然深められていない。そのことのほうが問題」と苦言を呈していました。https://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/201908300650/detail/
全く違うな
アメリカでセクシーが褒め言葉として成立するのは、セクシャルハラスメントや性犯罪を徹底的に糾弾する土壌が民間にあるからだ
月曜日のたわわに問題を感じない人が大量にいて、痴漢について触れれば痴漢冤罪の話題が出て、性的自己決定権を尊重するのが当然であるという合意がなく、積極的性的同意を理解できない人がいて
セクシャルハラスメントや性犯罪が社会に糾弾されるコンセンサスが浸透し切ってない社会で「セクシー」という言葉を聞いたら?
アメリカ人でも日本に住めば、セクシーと言われれば警戒するようになるだろう。プライベートだからではなくて、プライベートなことに口出しをしないのが当たり前であることやハラスメントを理解しない人があまりにも多いから。
秀岳館のケースを見ていてふと思ったのだが、そもそも体罰に教育効果はあるのだろうか?
スポーツでも勉学でも楽器でもなんでもいいんだが、体罰を用いた指導を受けた人と、体罰のない指導を受けた人とを比較した場合、体罰指導の方が教育効果が大きいのなら体罰根絶は至難の業だ。なんせ、効果のある方法を人間はなかなか手放せないから。
こういう観点からの研究はなされているのかな?その研究結果次第で体罰根絶に向けたアプローチも変わってくるだろう。あ、体罰は根絶すべき指導方法だという点はコンセンサスがあると考えていいよね?
効果的な指導方法である体罰をしたくなるのをグッと堪えて別の方法で指導するのか、それとも体罰なんていう効果の薄くて古臭くて人を傷つけるダサい指導方法をさっと捨て去るのか。
たわわの内容は、おおむね、
性被害に悩む女性に寄り添う主人公がちょっとイイ思いをするという男の妄想垂れ流し漫画であることはほぼ間違いなくて、
「性被害に悩む女性に寄り添う主人公」までしか見えなかった女性は内容をそれほど悪くないと考え、
「イイ思いをするという男の妄想垂れ流し」まで読み取れれば、未成年を性的に扱うのは問題だと考えている様子。
性被害に感受性の高い、あるいは、過去に性被害の経験ある女性からみたら、未成年を性的に扱う広告は言語道断であるし、
表現の自由というか、創作の自由を支持する人から見たら、この程度のほとんど問題の無さそうな作品の広告を規制するのは、
コンビニに行けば、今でも水着アイドルが微笑み、ネットをみれば、明らかにR18な広告が溢れている中で、
さほど露出もないたわわ広告を糾弾するのは、それこそ、検閲利権のための活動にしか見えなくなる。
そんなこんなで、賛成派反対派が分かり合えるはずもなく、規制とは集団のコンセンサスで決めてゆくべきものだ。
なんてよく分からない結論に落ち着きつつあって、そのコンセンサスを得るためには、自分の意見を主張し続けなくてはいけない。