はてなキーワード: 分布とは
これさあ、そう言われている人達が本当に「エリート」なら、何もわざわざ直接「縦の旅行」なんてしなくても、データや当事者の声やそれに対する想像力で、
例えば(男女ともに)所得が高いほどに婚姻率が上がるデータや、東京都内の所得分布や子供の虫歯の比率や体力テストの結果が区によって大きく異なるデータ…
そういう統計を見ただけでも当事者の生活やそれを改善するにはどうしたらいいかを想像できると思うんだけど。
また、少なくともネットが一般化した現代社会においては、Xを見るだけでも一般庶民の生活実態はある程度伝わってくる。
自炊は高く付くとか風呂キャンセル界隈とか、よくまとめられているテーマを見ても、貧困が人を不合理な選択へと至らせるメカニズムも分かるでしょう。
ネットに限らず新聞やテレビでだって常日頃から様々な情報発信をしてるよ?
問題は、そういう情報を気に止めようとしない感度の問題なんじゃないの?
それにいくら知識や経験だけを積んだところで、今の「エリート」達は「あいつらは愚かだ」「自分はあいつらとは違う」という選民意識を募らせるだけだと思うんだよね
実際に地方公立校から東大に進んだ学歴エリートの多くは出身地を見下し、東京の文化資本とそこで育った東京育ちを褒め称える方向に向かっているもの。
大人になってから「縦の旅行」なんてした所で、結果として現れた行動だけを見て、愚かな奴等だから貧困に陥るのも当然だと見下すだけなんじゃないのか。
さらに行動遺伝学などのお墨付きを得て、親の知能は子供に遺伝するから貧乏人に公教育を与えても無駄だと言って否定している知識人か多数いるじゃないか
いい店舗で働けてると思ってる。みんなイイ年してフリーターである自分に優しい。
まかないのラーメンが毎回同じ味で飽きることはないし、給料は近隣よりも僅かに高いくらいだし、シフトは融通が利くし、早くこのバイトから抜け出したいなんてこともない。
あれ、どうにかならんかな。お客様だからって、上から目線すぎるだろ。
★1を付けるやつって、どういう趣味してるんだ?これもカスタマーハラスメントということになるんじゃ?
ちょっとだけ例を挙げよう。新しげなやつを3つだけ。
なお、うちは濃い味のラーメンを出してる。地元では有名になりかけてる。
【クチコミ①】
★★★☆☆
家系。今時流行りのラーメン屋はごく稀に入店する。普段は老夫婦がやってるお店のラーメンを食べている。
● 味の濃さ
凄まじい濃さ。某有名ラーメン漫画でいうところの「ヒステリーな味」だ。ラーメン(特にスープ)は体に毒という情報は、若い方でもご存じと思われる。
ニュース番組で、毎日ラーメンを食べていたその道の評論家の人が若くしてお亡くなりになった~という報道が数年前にあった。
もし、週に何度もこういうお店のラーメンを食べると、冗談抜きで糖尿病・高脂血症その他の生活習慣病に罹患する。毎日利用したなら還暦前にお亡くなりになる。
機会があれば、冷えたラーメンを見てみよう。油脂が白く固まっている。まさに結晶。あれは分類上、一般ごみではなく産業廃棄物になる。
● 実際においしいのか
脱水症状とか、仕事でたくさん働いた後で~という留保を付けるなら、はっきりいっておいしい。凄まじい味の濃さで、そのうえ量が多い。若者向けだ。
スープが特濃なので、野菜と合わせると相性抜群である。個人的にはホウレンソウをベジファースト気味に食べるのが◎だった。
ただし、ほかのレビュアーもおっしゃっているが、アルバイト主体であるためか、日によって品質が異なる。これは、こちらの店に限らず、新進気鋭のチェーン店ではどこもそうである。あなただけが不幸なわけじゃない。
どうしてもハズレを引きたくなければ、近所にあるジョリーパスタかココイチに行こう。くら寿司とずんどう屋はダメである笑
● 最後に
繰り返すが、ラーメンと健康について。ラーメンは多くても2週間に1回に留めた方がいい。特に、私の隣でラーメン・肉・ご飯を貪っている若者を見て感じた。
若いうちはいいとか、そういうものではない。若くても生活習慣病になる。なってからでは遅いのだ。お米など炭水化物が食べられなくなってしまう。
スープまで完食すると、サービス券が出るようだが理解に苦しむ。なぜお客を病気へと導くサービスを行うのか?
(※廃棄スープを減らすため、あるいは心理学のコミットメント狙いと思われる)
地元民として、こういうやり方は歓迎できない。
こちらのチェーン店に限らず、今時風のラーメンの出汁は最後まで飲んではいけません。肉体が塩と油にまみれてしまいます。
イートイン
食事の種類
ディナー
1 人あたりの料金
¥1,000~2,000
食事: 3
サービス: 3
雰囲気: 3
やさいラーメン
【クチコミ②】
★★★☆☆
無料ライスもありがっつりいきたい人にもばっちりです。サイドには薬味類がありました。
私は今回ネギラーメン(醤油)を選びましたが、見た目豚骨?かと思いました。
食べると醤油なのですがw
18時までに注文すると麺の大盛りは無料サービスになるそうです。
麺は意外と長くなく箸で一口分に掬えるようになっていましたね。
ご飯にスープを浸して食べれば美味しそうですがその前にお腹いっぱいになり、辞めときました。
ただ、水を飲むときは氷と同時にでるためお代わりが欲しいときは切り替えがないので、氷のみが増えていきますので要注意です。
食事: 3
サービス: 4
雰囲気: 3
【クチコミ③】
★★☆☆☆
これまでここはラーメンちゃうと敬遠してきたが22日は550円で食べれると並んでみた。13:30に来店し20分で入店。15分待って着丼。見た目は味噌と醤油の区別つかん。まずは一口スープをぐびっと。ヌル!味噌、醤油ともに油呑んでるみたいで区別つかん。麺も食感なく最後まで塩っぱい油漬け麺の印象。スープも麺も一口で大盛り無料に後悔。初めて残しそうになった。若い人にはご飯お代わり自由だしご馳走かもね。
うちに限らずだが、このへんの飲食店のレビューって、★4★5が多数なんだが、あえて★1を付けるカスハラが多い。
なんていうか、Amazonのサクラ商品みたいに、レビュー分布の図が弓形に反りかえっている。
こういうのって、なんとかならないんだろうか。
1. 完備性: ∀x,y ∈ X, x ≿ y ∨ y ≿ x
2. 推移性: ∀x,y,z ∈ X, (x ≿ y ∧ y ≿ z) ⇒ x ≿ z
3. 連続性: ∀x ∈ X, {y ∈ X | y ≿ x} と {y ∈ X | x ≿ y} は閉集合
定理: 上記の公理を満たす選好関係 ≿ に対して、連続効用関数 u: X → ℝ が存在し、∀x,y ∈ X, x ≿ y ⇔ u(x) ≥ u(y)
ワルラス需要対応 x: ℝ_++^n × ℝ_+ ⇒ ℝ_+^n を以下で定義:
x(p,w) = {x ∈ X | p·x ≤ w ∧ ∀y ∈ X, p·y ≤ w ⇒ x ≿ y}
選好関係が連続かつ局所非飽和であれば、ワルラス需要対応は上半連続
1. 閉凸性: Y は閉凸集合
3. 非reversibility: Y ∩ (-Y) ⊆ {0} (無償の生産は不可能)
4. 無限の利潤機会の不在: Y ∩ ℝ_+^n = {0}
多重生産技術を表現する変換関数 T: ℝ_+^m × ℝ_+^n → ℝ を導入:
T(y,x) ≤ 0 ⇔ 投入 x で産出 y が技術的に可能
仮定:
証明の概略:
1. 超過需要関数 z: Δ → ℝ^n を定義 (Δは価格単体)
2. z の連続性を示す
3. Walras' law: p·z(p) = 0 を証明
4. Kakutani の不動点定理を適用: ∃p* ∈ Δ s.t. z(p*) ≤ 0
von Neumann-Morgenstern 効用関数の公理:
1. 完備性
2. 推移性
3. 連続性
4. 独立性: ∀L,M,N ∈ L, ∀α ∈ (0,1], L ≿ M ⇔ αL + (1-α)N ≿ αM + (1-α)N
定理: 上記の公理を満たす選好関係に対して、期待効用表現 V(L) = ∑_s π_s u(x_s) が存在
Choquet 期待効用:
V(f) = ∫ u(f(s)) dν(s)
定義 (相関均衡):
確率分布 μ ∈ Δ(A) が相関均衡であるとは、∀i, ∀a_i, a'_i ∈ A_i,
∑_{a_{-i}} μ(a_i, a_{-i})[u_i(a_i, a_{-i}) - u_i(a'_i, a_{-i})] ≥ 0
この問題は量子力学の情報論的解釈とエントロピーの動きもんを扱うんや。
ここでは、量子ベイズっちゅうもんを使うて、「主体(見る奴)」「対象(見られる奴)」「環境」の3つがおる場合に、対象が環境や主体とからんだ時のエントロピーの変化について話すで。
対象が環境とからむと、対象の量子状態が環境とモツレて、キレイな状態からグチャグチャな状態になんねん。これで、対象のエントロピーが増えるんや。
主体が対象を見ると、主体から見た対象の状態がハッキリするんや。これは対象のことをよう知ったってことやから、エントロピーが減るってわけや。
観測で対象の状態に対する主体の考えが変わんねん。この考えの変わり方はベイズ則っちゅうもんに従うて、確率的な情報の変化を表すんや。
ほんじゃ、この2つの過程がエントロピーにどう影響するか、数式で説明したるで。
ρ_obj' = Tr_env [ U (ρ_obj ⊗ ρ_env) U† ]
量子エントロピーはフォン・ノイマンエントロピー S(ρ) = -Tr(ρ log ρ) で表すんや。
デコヒーレンスで対象はキレイな状態からグチャグチャな状態になって、エントロピーが増えんねん:
S(ρ_obj') > S(ρ_obj)
環境とのからみ合いが進むと、対象の状態は環境の情報を失うて、一番グチャグチャな状態に近づくんや。
主体が対象を見ると、波動関数が縮むから対象の状態がハッキリして、エントロピーが減んねん:
S(ρ_obj^posterior) < S(ρ_obj^prior)
主体が観測で対象のことを知る過程は、量子ベイズ則に従うんや。
量子ベイズの考え方に従うと、観測後の考え(後分布)は観測前の考え(事前分布)を観測結果で更新すんねん。観測前後のエントロピーの差はこう説明できんねん。
H_prior = -∑_i P(i) log P(i)
P(i|O) = P(O|i)P(i) / ∑_j P(O|j)P(j)
H_posterior = -∑_i P(i|O) log P(i|O)
H_posterior < H_prior
が成り立つんや。
この不等式はエントロピーが減ることを示して、観測が情報を得て対象の状態をハッキリさせる効果があるってことやで。
量子ベイズの考え方で以下のことがわかったんや:
1. 対象が環境とからむとデコヒーレンスが起こって、対象のエントロピーが増えんねん。
2. 主体が対象を見ると対象の状態の情報が得られて、エントロピーが減んねん。
つまり、デコヒーレンスと観測はそれぞれエントロピーを増やしたり減らしたりするんや。これが量子ベイズの形式で数字でちゃんと説明できるってわけやで!
2027年にトランプ税制を延長しなければ低所得者から中間層は苦しくなるらしい。なお、高所得者と法人は継続的に恩恵を受けるらしい。
個人の所得層別の影響分布は関係する仮定および測定された時点に基づいて大きく変化する。一般的に企業と高所得者層は主に恩恵を受けるが、低所得者層は初期の恩恵は時間と共に薄れていくか悪影響を受けることになると見込まれている。例えば、CBOとJCTは以下の様に推定している:
2019年には所得が2万ドル以下のグループ(納税者の約23%)は主にACAの個人加入義務が廃止されることで受け取る補助金が減少することで赤字削減に寄与する(すなわち費用が発生する)。他のグループは主に減税により赤字増加に寄与する(すなわち恩恵を受ける)
2021年、2023年及び2025年には所得が4万ドル以下のグループ(納税者の約43%)は赤字削減に寄与する一方で、所得が4万ドルを超えるグループは赤字増加に寄与する。
2027年には所得が7万5000ドル以下のグループ(納税者の約76%)は赤字削減に寄与する一方で、所得が7万5000ドルを超えるグループは赤字増加に寄与する[6][8]
世界は着実に良くなっているという話を聞いたことがあるかもしれない。
あるいは、世界の子どもの死亡率は19世紀初頭から10倍も減少している。
一人当たりの所得と平均寿命、そして、色と大きさが大陸を反映した泡で表現されたさまざまな国々がある。
ファクトフルネスという本で、そんなビジュアライゼーションもどきを見たことがあるかもしれない。
過去2世紀の間、どの国も寿命が延び、物を買うための収入が増えた。
しかし今日、ファクトフルネスはプロパガンダに利用されている、
既存の状況を正当化し、西洋資本主義を理想的な社会として称賛するためにである。
政治家も科学者もそうだ、ある事実を極端に強調する一方で、他の事実を完全に無視する。
例えば、グラフ中のアメリカを見てみよう。この小さな小さなバブルの中に、すべての住民が整然と詰め込まれている。
なぜこんなに小さいのか?
つまり、アメリカ国民の下半分の平均所得は年間16,200ドルであり、全米平均よりはるかに低い。
アメリカのこの半分の人々の所得は、40年間ほとんど変わっていない。
では、なぜ全米平均の所得が増えるのか?
それを理解するには、上位1%までの分布全体を見る必要がある。
そこで何が起ころうと、国民平均に大きな影響を与える。
この35年間で、上位1%の所得は3倍以上に増加した、
一方、人口の下位半分の貧しさは変わらない。
一方、下位1%に属するアメリカ人男性の平均寿命は73歳である。
このようなことが全国平均の下で起こっているのだ。
産業資本主義がより良い生活環境を無限に生み出すとは到底思えない。
例えば、イギリスとアメリカを見てみると、近年、平均寿命は実際に短くなっている。
いわゆる絶望死が増加しているのだ。
絶望とは、経済成長による健康への恩恵が宣伝されるたびに、ほとんど言及されないことだ。
資本主義の擁護者たちが、精神衛生について語るのを聞いたことがあるだろうか?
結局のところ、世界全体を見渡してみると、今日の不健康の主な原因は身体的な病気ではなく、うつ病なのだ。
そして全体として、いわゆる精神疾患は、世界中で障害の約3分の1を占めている。
では、なぜグローバル・ヘルスに関心のある人は、このような特殊な苦しみを無視したがるのだろうか?
その理由は、うつ病人口が最も多いのはヨーロッパ、オーストラリア、アメリカだからである。
アメリカ大陸、ヨーロッパ、オーストラリアでは不安障害が多い。
精神疾患の世界的分布について語る人が少ないのは、経済成長はすべての人間の問題を解決する万能薬であるという考え方には当てはまらないからだ。
また、世界はますます良くなっているという考え方にも当てはまらない。
この25年間、貧しい人も豊かな人も、実際にはますます苦しんでいる。
これを測る方法はいくつかあるが、医療記録を見るか、国民調査で症状について尋ねるかは問題ではない。
抗うつ薬の消費量を考えてみても、OECD加盟のいわゆる先進国では、わずか15年で倍増している。
だからといって、経済成長が必ずしも私たちを不幸にするとは限らない。
いや、生活に必要な物質が満たされれば、間違いなく幸福になる。
しかし、経済成長が一定のレベルに達すると、私たちの幸福に対するその効果は弱まる傾向にある。
例えば、1972年以降のアメリカの経済成長率を見ると、2倍以上になっている。
しかし、最も信頼性の高い調査によれば、アメリカ人の幸福度はほぼ横ばいである。
そしていくらか弱まってさえいる。
このことは、なぜ経済成長を際限なく追求しなければならないのかという疑問を投げかける。
さらに根本的なことを言えば、社会の良し悪しを評価する際に、健康がいかなる種類のものであれ関係するのだろうかという疑問も湧いてくる。
平均して貧しく、早死にするアメリカより、カタールに住む方がいいのだろうか?
中国を拡大してみると、1949年から1976年の間に平均寿命が目覚ましく伸びていることがわかる。
この間、中国は毛沢東という歴史上最悪の独裁者によって統治されていた。
これは何を物語っているのだろうか?
支配者であるエリートを批判する者が命の危険にさらされる権威主義的共産主義に生きるのは良いことだと言うのだろうか?
もしそうでないなら、資本主義の利点を示すときに、なぜこのような統計的なチェリーピッキングが受け入れられるのだろうか?
平均寿命やその他の健康指標は、私たちがどのような社会に住んでいるかを示す指標としては不十分なのかもしれない。
もしかしたら、私たちは社会の現状を見るだけでなく、その潜在的な可能性やありうる姿を考えるべきなのかもしれない。
どのように見るかは別として、世界はより良い場所になりつつあるだけではない。
多くの点で、私たちはその逆を見ている。
メンタルヘルスの問題を挙げたが、格差の拡大、住宅不足、労働市場のプレカリゼーションも注目に値する。
これらの問題があたかも存在しないかのように装うのは不誠実であり、社会科学のクソな点の顕著な例である。
世界が永久に改善されると宣言するだけでは、何の役にも立たない。
地球温暖化についても何か言うべきではないだろうか?
log10で、10と100を比較すれば1と2になり、1しか差がないが、実際の収入は文字通り10倍なので、対数変換の見た目が線形だから格差が存在しないというのは大きな誤解。
まず人口の問題は、現存の人口以上を維持することが困難であるという問題があり、増加率のことではない。(つまり増加率が0になっても問題である。マイナスにならなければ人口問題は解決できない。)
そして文明発展は、CO2、ごみ問題、森林伐採、水産資源乱獲、などの問題を加速させるので、仮に人口の増加率がマイナスになったとしても、文明発展そのものが環境にダメージを与えるので問題。
酒を飲んで騒ぐバカ男は、だいたい酒を飲んで騒ぐような男が行くような店でしか騒がないので、そういう場所を避ければ大体何とかなる。
酔っ払ってうるさい男共がいっぱいいるみたいな治安の終わってる店だけじゃなくて、ちょっと美味しかったりするちょっと「いい店」にもうるせえ女は出没する。
かなり高い店とかじゃないと、騒いでうるさい女を避けるのはめちゃくちゃ困難。
うるさい女共さえいなければ美味しくて手頃な価格で小綺麗でいい店でも、ある日うるさい女はやってくる。
でかい声で赤子のようにキンキン喚いたり、狂った猿のおもちゃのようにパァンパァンと手を叩く女は店にやってくる。
何で酔っ払って騒ぐバカ女って両手がカスタネット化しちゃうんだろうね。酔っ払って騒ぐ男の多い店はそもそもそこまで行かないから男でも叩く奴いるのか知らんけど。
あかちゃんカスタネット女たちの分布は広範囲で、客単価6000円くらいまでの店にはランダムに出没する。
ガヤガヤうるさい店だけでなく、それなりに落ち着いた店にもいきなり出没してくるので予測がつきにくい。
夕飯食べに入った店で、ギャーギャー騒ぐ女のいる集団が後から入ってきたのにキレながらこの文章を書いていた。
なお、自分は飲食店でギャーギャー騒ぐ動物みたいな女を憎んでいるだけの女で、女全体を叩いているわけではない。自分含め周りのまともな女性の友人・知人はみんなちゃんと「人間」である。
※ちなみにうるせえ女に遭遇するのの次に嫌なのは、ちょっといい店に行った時にパパ活買春ジジイと若い女の二人組に遭遇するときです。
酒を飲んで騒ぐバカ男は、だいたい酒を飲んで騒ぐような男が行くような店でしか騒がないので、そういう場所を避ければ大体何とかなる。
酔っ払ってうるさい男共がいっぱいいるみたいな治安の終わってる店だけじゃなくて、ちょっと美味しかったりするちょっと「いい店」にもうるせえ女は出没する。
かなり高い店とかじゃないと、騒いでうるさい女を避けるのはめちゃくちゃ困難。
うるさい女共さえいなければ美味しくて手頃な価格で小綺麗でいい店でも、ある日うるさい女はやってくる。
でかい声で赤子のようにキンキン喚いたり、狂った猿のおもちゃのようにパァンパァンと手を叩く女は店にやってくる。
何で酔っ払って騒ぐバカ女って両手がカスタネット化しちゃうんだろうね。酔っ払って騒ぐ男の多い店はそもそもそこまで行かないから男でも叩く奴いるのか知らんけど。
あかちゃんカスタネット女たちの分布は広範囲で、客単価6000円くらいまでの店にはランダムに出没する。
ガヤガヤうるさい店だけでなく、それなりに落ち着いた店にもいきなり出没してくるので予測がつきにくい。
夕飯食べに入った店で、ギャーギャー騒ぐ女のいる集団が後から入ってきたのにキレながらこの文章を書いている。
ちなみに筆者は飲食店でギャーギャー騒ぐ動物みたいな女を憎んでいるだけの女で、女全体を叩いているわけではない。自分含め周りのまともな女性の友人・知人はみんなちゃんと「人間」である。
※ちなみにうるせえ女に遭遇するのの次に嫌なのは、ちょっといい店に行った時にパパ活買春ジジイと若い女の二人組に遭遇するときです。
この意見にはいくつかの論点が含まれており、その中に問題点や矛盾が見られる点もあります。以下に具体的に指摘します。
• 問題点: 意見の中で、「日本人が東南アジアに旅行するのは未発展性を求めるため」と述べていますが、旅行の目的がその国の経済水準を評価する基準とはならない点が問題です。観光客は観光地や現地の文化、コストパフォーマンスなどの理由で訪れることが多く、それがその国の経済全体の発展度を表すものではありません。
• 矛盾点: 旅行者が「未発展性」を求めていると述べつつも、同時に東南アジア諸国の発展を認めています。これにより、評価基準が一貫していない印象を与えます。
• 適切な指摘: 意見の中で、日本はインフラや公衆衛生、教育レベルにおいて優れているとしていますが、これは一般的に正しい指摘です。日本は長い時間をかけてインフラ整備や社会保障制度を発展させてきたため、多くの市民がその恩恵を受けていると言えます。
• 問題点: しかし、東南アジア諸国でも都市部ではインフラが急速に整備されているため、日本と比べて「汚さ」や「雑さ」といったイメージで一括りにするのは適切ではないかもしれません。特に国や地域によって発展度合いが大きく異なることを考慮すべきです。
• 適切な指摘: 日本の所得分布が比較的なだらかであることを評価している点は、事実に基づいた意見です。アメリカなどに比べると、日本の所得格差は小さいとされています。
• 問題点: しかし、日本でも近年、非正規雇用の増加や地域間の経済格差が問題となっており、所得格差が拡大している現実があります。したがって、「極端なレベルではなく、なだらかだ」という認識が現在の日本の実態と完全に一致しているかどうかには疑問があります。
4. 「お金で手に入るもの」と「お金で手に入らないもの」についての議論
• 適切な指摘: 日本の社会システムやインフラの整備度が高いことを指摘している点は、一般的に評価されている通りです。教育や医療など、多くのサービスが比較的安価に利用できることは、日本の豊かさの一因といえるでしょう。
• 問題点: ただし、東南アジア諸国も経済成長に伴い、これらのサービスの質やアクセス可能性が急速に向上しています。この点を過小評価していると、日本の優位性を過大に評価することにつながるかもしれません。
• 矛盾点: 意見の中で、日本がなお豊かである理由として「お金で手に入らないもの」と「お金で手に入るもの」の両面から評価していますが、その基準が一貫していない点が問題です。どちらの基準を重視するのかが明確でないため、議論の焦点が散漫になる恐れがあります。
この意見は、日本の豊かさを評価する際にインフラや社会制度の整備度を重視している点や、日本と東南アジアの経済状況の違いについて一定の理解を示している点では有効な部分もあります。しかし、東南アジア諸国の発展を過小評価している可能性や、日本国内の所得格差を軽視している点など、いくつかの問題点や矛盾が含まれています。また、日本の豊かさの評価基準が明確でないため、議論において一貫性を欠いている点も改善の余地があります。
より客観的な評価を行うためには、日本と他国の経済状況や生活水準に関するデータを基にした分析が必要です。また、複数の観点からの比較を行うことで、よりバランスの取れた評価が可能になるでしょう。
平均の手取りでは日本は東南アジアに追い付かれつつあるという話を見かけた。まぁこれだけ「衰退」が叫ばれている日本だからそりゃ追い付かれるよなとは思う。
ただ一方で、それでもなお例えば日本から東南アジアに旅行するのって別に「日本と同等の先進性」を求めているわけではなく、言い方は悪いが大抵は「未発展性」を求めるのが一般的だと思う。
じゃあ1人当たりの収入は殆ど変わらないのに日本と東南アジアじゃ何が違うのかというのを考えてみた。
まず一つの側面として「お金で手に入らないもの」の差があると思う。
例えばインフラだったり、公衆衛生だったり、もしくは国民全体の教育レベルだったりという、日本にいればあまりお金のない人でも普通に享受できるけど海外ではいくらお金があってもそもそもアクセスできないというものがある。
つい先日東南アジアの国に旅行に行ってきたが、確かに発展している地域では高層の建物が多いし日本と変わらないレベルで洗練されたお店や若者の先進的な文化が見られる。でも一方で街を歩けばそこかしこに「汚さ」や「雑さ」が見えるし、行きかう車の運転は滅茶苦茶荒いし、日本に生まれ育った身としてはよくこんな環境で生きていけるなと思ってしまう所は正直ある。
もちろん昔の日本もそうだったのだろうと思う。私は平成初期の生まれだが小さい頃はまだ昭和の雰囲気が残っていたし。でも一応は戦争でボロボロになってからも早々に復興して先進国の仲間入りをしてから現在までそれなりに時間が経っていて、その年月の積み重ねによる財産が貧乏になった日本にもまだ残っているという事だろう。その点は急激に発展して追い付いてきた国にはまだ無いのはある意味当然だとも思う。
もう一つの側面として「お金で手に入るもの」の差もあると思う。
日本は平均的には貧乏とは言うが、それでもある程度の年収まではなだらかに分布しているようにも思う。年収300万の人も多いけれど、でも500万、700万、1000万ぐらいもそれなりに多くいて、ほとんどの人が平均年収付近に固まっているという訳ではない。
格差社会とも言うけれど、それでもまだ極端なレベルではなくて、繰り返しになるけど分布はあくまでなだらかだ。アメリカなんかはもっともっと格差が凄いと言うしね。
で、そういう経済構造なのもあって「貧乏~中流~上流」までどの段階にいたとしてもそれぞれの収入に応じたモノやサービスにアクセス可能だ。普通のサラリーマンの収入の範囲なら「これ以上稼いでも使い道が無いよ」ということはほぼ無くて、収入が増えたらそれに合わせてお金を出せば段階的に質の良いものが手に入るようになっている。
これが急激に発展している国では、一部のお金持ち向けのお店を除けばどれも質がイマイチみたいなことが多いように思う。仮に今より稼いだとしても今よりも質の良いものにはアクセスできなくて単に量や頻度が増えるだけだったりとか。
こういう部分もまた日本が豊かだと感じる所だったりする。
荒川、自分のやり方のどこに問題があると指摘されているか分かってないから、あんなピントのずれた追加分析をやってるんだよな。
多くが未婚の若年層を含んでいるから問題だってだけの話ではなく、そもそも死亡時の年齢の分布だけでは死にやすさの話は導けない、年ごとの出生数の違いや未婚から有配偶への移動により各年齢の人口が単なる死亡で減っていくものとは大きく異なるからこの増田のように各年齢の死亡率を一度求めてから考えないといけない、ということを全然理解していない。
はっきりいって統計を見る素養がなさ過ぎるし、エキスパート枠でYahooみたいな閲覧数の多い媒体で物を書かせちゃいけない人。