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2019-05-08

ファイナルファンタジーX-2クソゲー呼ばわりしてる奴らに物申したい

 タイトルの通り。

 FFX-2クソゲーとして批判してる奴、ただのキモオタだろ。

 だいぶ極端で偏見に満ちたことを言ってる自覚はあるが、大体上の一行のようなデカ主語偏見で書いていくので、お気を悪くされても知らない。

 あとネタバレ注意。

 「Xのユウナが好きだったのにX-2のユウナキャラが違いすぎて嫌い」という意見が非常に多く散見されるが、そもそもXのユウナを本当に愛していればX-2のユウナも愛せるに決まっているのだ、という主張をしたい。

 あんなに名作であるX-2がやれ「ストーリー寒い」だの「ギャルゲー」だのボロクソに批判されていて悲しくなってしまったので、X-2がいかにXファンにとって無くてはならないゲームであるかを語ろうと思う。

 Xでは「召喚ユウナ様」としておしとやかに言うなれば清楚に、落ち着き払って振舞っていたユウナだが、それは召喚士として周囲から丁重に崇められている状況であるから、そう意図的に振る舞っていたであろう節が見えた。

 召喚士の使命(=いずれ死ぬ運命)が重圧となり、沈痛な面持ちだったユウナだが、そもそも当時17歳だったのである

 自ら選んだ道とはいえ、いつか死ななければならないという状況は17歳の子供にはあまりにも酷だ。そりゃあんな暗くもなるわ。

 そんな中、同世代ティーダと一緒の時間、(割と寒いと言われがちなイベントの)ルカでの「笑顔練習」の時に無邪気に笑うユウナこそ、本来の年頃のお嬢さんとしてのユウナなのではないだろうか。

 そして2年後、問題のX-2。

 シンという脅威は消え、召喚士として死ぬ必要も無くなり、その代わりにティーダアーロンといった大事な仲間がいなくなった世界

 Xのエンディングで、「いなくなってしまった人たちのこと、時々でいいから…… 思い出してください」と残したユウナ

 そのユウナあんなにお転婆になって、同世代女の子と一緒になってはしゃいでいるのである

 いや、泣くだろ。勿論いい意味で。

 前作のラストではあんなことになって、悲壮漂う面持ちだったユウナが、たくさんの物を失ったユウナが、数々の喪失を乗り越えてあんなに明るく仲間と笑っているのである

「ほんと、よかったねえ…」と泣くしかない。

 普通メンタルだったら、一緒に冒険してきた大事な仲間(兼・好きな男の子)が急に目の前で消滅したとなれば、下手したら一生塞ぎ込んでも仕方がない。

 それを、ユウナは(周りの助けもあって)乗り越えて、歌姫として、また快活なスフィアハンターとして空を飛び回る暮らしを送っているのであるユウナは相当強い。いやあ、ほんと、よかったねえ……。立派になって……。

 

 ギャルになったんじゃない。チャらくなったんじゃない。ユウナは強い子なんだ。

 極め付けは語尾の「っス」だ。最早言わずもがなだろう。「いなくなった人たちのことを思い出している」のだ。

 彼女がそれを心掛けるために、意図的に語尾に付けているのだとしたら本当に涙ぐましい(勿論、いい意味で)。

 

 相当の精神力が無ければ、再び旅をすることなんてできないだろう。でも、ユウナは旅をすることを選んだ。

 何故なら、成長したユウナが、喪ったものを取り戻すためのストーリーなのだから

 だから、X-2のストーリー全然寒くなんかないし、薄っぺらくなんかない。

 終盤のヴェグナガン戦の前、犠牲を出すしかないと判断したヌージに「納得しないで、却下です」ときっぱりと言い放ったユウナ

 召喚士の旅で、たくさんの犠牲を背に向けて進むしかなかったユウナ

 その誰かを犠牲にしなければならない運命に立ち向かうことができるようになったユウナ

 彼女は2年の月日を経て成長した。

 

 そもそも、X-2で最も賛否両論分かれている、あのユウナの派手な服装

 あれも「リュックがこれまでの荘厳な大召喚ユウナ様のイメージを変えるために、180度印象の違う衣装を用意してきた」という設定がある。

 だからちゃんと理に適っているのであるユウナあんな服を着ているのには理由があるのであるスタッフユウナおっぱいたかたからとかじゃない。いや分かんないけど。

 確かにXのあの袴の衣装デザインが完成されすぎているというのもあるけれど。

 好きですよ、あのガンナーの衣装。似合ってるし。そもそも人間2年も経てばヘアスタイル服装趣味もガラッと変わるだろ。ましてや17歳から19歳だぞ。お洒落したい真っ盛りだろ。今まで召喚士として慎ましく振る舞っていたのから解放されたんだから、それくらい好きにさせてやれよ。

 髪型を外ハネにしてティーダに似せているのも、「いなくなった人たちのこと(以下略)」なのだと思うと感慨深いものがある。

可愛いじゃん。X-2のユウナ可愛いじゃん。現代的だけど、ちゃんFFらしいデザインだし。

 

 何が「大人しかった清楚な子がギャル化した」だよ。お前らが陰キャすぎてギャルが怖いだけじゃねえか。

 

 余談だけどX-2のリュックデザインも好き。シンがいなくなって明るくなったスピラを端的に表している感じがしてとても可愛い

 ユウナは強い。強いからこそ、己を内側から変えたんだ。勇気がなければ、あの慎ましい和服を脱ぎ捨てて露出のある派手なあの服装に着替えることなんてできなかった。

 2年前の、召喚士としての旅をしている頃のユウナだと決して似合わなかったと思う。

あの派手なパーカーショートパンツ姿、ヘアアレンジは、ユウナが前に進むための決心の証なんだ。

  

 それを「大人しかった女の子ギャルになった」とかいうくだらないニュアンスで片付けないでほしい。

 そして、X-2の冒険の果て。コンプリート100%を達成した先に待ち受けているもの

 つまりティーダの復活である

 あれは紛れもなくユウナや、Xのパーティーメンバーティーダ自身、そしてプレイヤーへもたらされた救済だ。

 あのエンディングがあるだけで、X-2をプレイした価値があると言い切っても過言ではない。

 「はぐれた時は、指笛で」をちゃんと覚えていたユウナティーダ

 ご都合主義とかでもなんでもいい。ティーダユウナが報われるというだけでなんでもいいのだ。

 ティーダユウナが再会した瞬間なんてボロボロに泣きすぎて画面が見えなかった。

 本当に、X-2を作ってくれてありがとうと言いたい。


 総括すると、X-2は「前作の喪失の悲しみを乗り越えて成長したユウナ物語」ひいては「今までシンに怯えていたスピラの人々の平和日常」なのである

 正直、Xでボロクソに泣いてしょげた自分はX-2で救われた。

 立ち直ったユウナを、平和なスピラを描いてくれてありがとう

 それでもなお、「X-2のユウナの変わりぶりが受け入れられない」とか「あの和装でおしとやかで清楚(笑)ユウナ様がよかったのに」とかいキモオタは、所詮ユウナの顔しかきじゃないのだと思う。

 「和服で可愛くておしとやかで清楚なヒロイン」にしか興味が無いのだろう。X-2なんか触れずに一生清楚なユウナ様にブヒブヒ言ってろよ。

 別にXのユウナdisっているわけではない。Xのユウナが好きだからこそ、X-2のユウナも好きなのだ

 というか、XのユウナもX-2のユウナも、どっちも同じユウナだ。同一人物なんだ。

 「あんなビ○チ、ユウナじゃない」って言うな。X-2のユウナは、紛れもなくXのユウナなんだ。

 ようは、ユウナ本質とは清楚で大人しくておしとやかなところなのではなく、その内側に秘めた芯の強さや熱い心なのであると言いたかった。

 あと、戦闘システムもX-2は全然悪くなかった。というか素晴らしかった。スピーディー疾走感のあるバトルシステムだったし、ドレスフィアをチェンジする時に挿入されるムービーも美麗だった。

 新キャラパインも、シンがいたスピラの闇を抱えていた一人でとてもいいキャラだった。ぽっと出とか言われてて悲しい。

 確かに100パー完璧ゲームではなかった。シューインとレンの設定とか、たった2年でユウナ様銃の扱い上達しすぎやろとか(まあFFだし…ガンナーだし…)、途中どうしても粗のある物語進行はあった。アンラ=マンユの理不尽すぎる強さとか。

 けれど、「X-2のユウナユウナじゃない」「X-2は寒いだけのオタクゲー」と批難している奴らは、お前はちゃんとXのユウナと向き合ってからそんなこと言ってるのかと、声を大にして言いたい。

 「X-2のユウナはただのギャル」とか。エアプか?

 これを読んで、少しでもX-2を見る目が変わる人がいれば嬉しい。

 ただ、「Xの仲間を喪ってひっそりと悲しみに暮れるユウナ像を大事にしたい」という人がいたら申し訳ない。

 Xが好きだけどX-2は受け入れられないという人も、X-2の成長したユウナに向き合う気持ちができればそれだけで嬉しい。

 これは決して「X-2をやれ!」と強制しているわけではない。ただ、薄っぺらクソゲーなんかじゃないということを言いたいだけだった。

 

 あと普通音楽が神。「久遠」もそうだし、倖田來未女史の「Real Emotion」「1000の言葉」は名曲聴くべし。

 X-3ももし出るなら楽しみでしかない。

 今度PS4買ったら、XもX-2も両方最初からやり直して大泣きするかー。

 以上、ここまでオタク早口でした。

2019-03-24

ここ最近和装になる機会があって個人向け着付け師というのを手配した

この着付け師の人が40ぐらいの女性なんだけど理論的に格好良く見える見立て着付けをしてくれて

和装への心理的ハードルがだいぶ低くなった

この年で着物店に行くと店員さんも店主もすごい老齢で私からするとおじいちゃんおばあちゃん

まだ若いんだからってとにかく黄色寄りの赤い着物を勧めてくるわけ

鏡で見て黄色寄りの赤い着物自分に合ってるとは思えないんだけどなって何度思ったことか

そんで着付けるのに使う和装下着ってのがほんとこれ…って感じで気分が下がるようなダサさで…

ところがその着付け師さんはどういう場に着物を着ていきたいのかとか一通りインタビューしてくれて

パーソナルカラー診断したうえで肌と目の色に映える色の長着にしましょうって解説してくれるわけ

今まで黄色寄りの赤の地の和風の花が飛び散ってる着物ばっかりゴリ押しされてきてうんざりしてたけど

カッコいいシルバーグレーと黒のストライプ柄の着物アイボリー地にうっすら偏光色のメリーゴーランドの柄の帯とか

ピーコックブルー帯締めとか和装用のスリップドレスとか持ってきてくれてめっちゃ着物着たい欲を高めてくれる

求めてた着物はこれだよこれ!

2019-01-27

和装運転

坊主が僧衣で車の運転をしていたところ警察切符を切られ逆ギレ、「僧衣でできるもん」タグツイッターを沸かし放免されたという記事を見た。

交通安全のお守りは、もう寺で買えないな。

ジャグリングや縄跳びは、狭くて出っ張りの多い空間で行う車の運転とは全く無関係だろう。

論点すり替えられているにも関わらず、なぜ警察はこれを許したのか。癒着

僧衣じゃなくても、和装なんて袖口をドアレバーや椅子の肘掛によくひっかけるし、日常生活に支障が出るレベルから所作に気をつけなければいけないのに。

車の運転に関してもシフトレバーに引っ掛ける可能性は十分にある。咄嗟の行動なら尚更だ。

これを取り締まる法律がないのが一番の元凶だが、許すのであれば、たすき掛け必須としてほしい。

2019-01-14

anond:20190114222050

和装礼服振袖対応するのは紋付だから好きなだけ借りて着ればいいだろ

2019-01-07

anond:20190107185234

大本増田巨乳で損する職業なんかある?」

格闘家」←なるほど不利そう

「スポブラすりゃいいのでは」←ダウト

サラシしてれば格闘家できるかも」←論外。スポブラより悪い

おっぱい裂ける。マワシじゃあるまいし」←論外へ敢えて反論

 

そこからなぜかスポブラ=サラシである派とか和装にはサラシ派とか降臨してる。

格闘用スポブラとして有利に使えるサラシなんてねえよ

もしそれが有効なら人類最強京子が使ってるだろすでに

anond:20190107184512

ああ、そういう経緯だったのか

しかしそこから和装さらし巻くのまで否定してるのが謎だな

anond:20190107182834

エセ和装クラスタが吹き上がってめんどくさい。

貧乳化こそが一時的流行りなんだってば。

引用先はスポーツ用でもなんでもないよね。

 

サラシだろうが絹だろうが

見栄えをよくするのに一時的に胸を巻くだけなら何でもつかえただろ。

安くて大きい手近な布なら何でもよかったのであって

サラシ=胸用途じゃねえよ

実際妊婦は腹に巻いてるよ

anond:20190107181751

ただ、現代着物では胸はあまり大きくない方が全体が美的なようで、そのために胸に晒しを巻いて小さくするということは自分ときにはありました。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12137323512

ぜひ、さらしを使ってみてください。

実は、わたしも以前は和装ブラを使用していたのです。

もっとカッコ良く着物をきたい・・・と追求していき

着付け先生にもお薦めされたので、戸惑いつつ購入。

そしたら、思いのほか胸が押さえれたので、これイイわ!

それからは手離せないアイテムになりました。

https://blog.goo.ne.jp/kyo-kimono/e/380afd2c6c3e087749c9708137544e80

わたしの、両親の世代って、90才代ですけれど、

母は、乳が大きかったので、恥ずかしく、

時代は、晒(さら)しを、ぐるぐる巻きにして、

乳が見えないように、工夫していたそうです。

https://ameblo.jp/ergpo44g/entry-12374887276.html

2018-12-01

嫁の靴が93足あった

玄関と物置だけで。

屋根裏かにもあるかもしれないので、本当の総数は分からない。

「夫の趣味を妻が勝手処分する話」がテレビで取り上げられたりして、そのたびに「趣味を持つ人が可哀想」って流れになる。

でも、そこまで趣味を許容してきた家族のことも考えてやって欲しい。

10年近く前、家を建てるにあたり、とにかく収納が多くなるように設計した。

廊下には本棚を作り付けにして、二人の趣味の本を全部入れても、まだ1/3ぐらいは空きがあった。

それが今では本棚が溢れている。

本に限った話ではなくて、「この部屋は好きにしていいから」と妻用にしたウォークインクローゼットに至っては、文字通り足の踏み場がない。

この地層の下の方にあるモノは、妻本人でさえ出すことはおろか、そもそも何があるかも把握できていないと思う。

(本人は「完全に把握している」と言い張っているが)

ウォークインクローゼットの奥の壁は一面カバンが押し込まれている。

近づくことすら出来ないので正確な数は分からないが、50では済まないだろう。

ちなみに日常使うカバン10個ほど居間や他のスペースに散らばっている。

「なんとかを極めしオタク」とは違うかもしれないが、妻はとにかくものを買うし、整理できないし、なにより捨てられない。

精神疾患持ちだから強くは言わないが、それでも棚から溢れて困るときには「頼むからちょっと減らしてくれ」とお願いする。

そうすると頑張ってほんの少し整理するが、そうすると三日ぐらいは寝込んでしまう。

そういう事情理解しているし、こっちだってオタクなので、趣味はなるべく自由にしてもらいたい。

貰いたいが、例えば本棚で本を寝かせて隙間に突っ込むような状態は好きじゃない。

きじゃないから、なんとか本棚キャパに収まるよう、悩みに悩んで、いくつかの本を処分する。

そうすると、妻が平気で新しい本を突っ込んでくる。

今じゃ廊下本棚は溢れんばかりで、その7割は妻の本になった。

これではさすがに置けないので本棚をもう一つ買ったが、その半分は妻の買ったアニメDVD-BOX画集で占められている。

女性の方が服や靴やカバンが多いのは理解しようとしているつもりだが、こちとら仕事用の革靴を除けば、プライベートの靴は5足だ。

(メインの一足の他はサンダル和装用の下駄草履、妻の実家帰省用の冬靴)

妻にはストレスのない生活をして欲しいが、家をキレイに整理して、モノを減らしたいと思うのは贅沢なのだろうか。

今日も一日家をひっくり返して整理して、タグの付いたままの安っすいサンダルが三足あったので、これはいいだろうと勝手処分した。

以前からこうして頑張って整理する中でちょっとずつ捨てているが、気づかれたことはない。

でもキレイにすればするほど、その隙間に妻がものを置いていく。

そうして少しずつ、こちらのストレスも溜まっていく。

なんとかして欲しいと思うのは、贅沢な悩みなんだろうか。

追記

改行を追加しました。

本人では無理なのは分かっている愚痴だったんだけど、「業者に頼め」という声が複数合ったので、調べてみようと思う。

ただ、ほぼ履いていない靴なり、使っていないカバンだったりするので、

業者判断できず、結局妻が一つ一つ判断するしかないので、正直なところ難しいと思ってる。

結局は「判断するのに多大な力を使う」という病気なんだと思う。

じゃあ買うことは出来るのか、という話になるんだけど、多分買うことに関してもあまり詰めた判断が出来ないのかも知れない。

から同じようなモノを買っているのかもしれないし。

黒のブーツが4本あったけど、ヒールの高さや金具のデザイン違いでそんな何足も買うもんか?と思うが、こればかりは本人しかからないだろうし。

個人的には解決する問題だと思ってません。

でも、自分が倒れたりしたら、娘もろとも、我が家ゴミ屋敷になるんだろうなという不安はある。

2018-11-25

浅草ストリップ全然エロくなかった件

からなんとなく気にはなっていて、先日、浅草ロック座に行ってみたのである

場所浅草演芸ホールからちょっと行ったあたり。「浅草ロードエイ」なる名前がついていて、幅は広いが車は入らないようになっている。向かいリッチモンドホテルの下層に「まるごとにっぽん」とかいう明らかにインバウンド狙いの商業施設はいっていたり、案外こぎれいな場所だ。道路もふくめて近年だいぶ整備されたんだろうという雰囲気

ビルには大きく「ROCKZA」書いてあるがこれまたこれい入り口にはファンから出演者に贈られたらしい花が飾ってあったり、出演者顔写真が飾ってあったりするが、そんなにいかがわしい雰囲気はなく、階段を上ったところで昔ながらの映画館の窓口みたいなところでチケットを買うとすぐモギリのおっさんがいて「もうすぐ最終回はじまりますよ」と言われる。

公演は毎日午後1時から同じ演目を4回やっていて、料金は5000円(シニア女性学生カップル割あり)、入れ替えなし。ただし、2010以降に入場して4公演目だけみれば3500円。とりあえずこの割引時間帯にいったのである

狭いロビー結構な人でごった返している。

客層は推定45歳以上の小市民風なおっさんがメイン。競艇場ほど「怪しそうな人」は見当たらず、妙な酔っ払いとかもいない。普段はそれなりに真面目に仕事してそうな人も多い感じ。

サブカル好きっぽい女子二人組みとか、そこそこ若いあんちゃんとかもいないわけではない。

劇場内は、やや縦長の長方形で、ざっと120~130人くらいが座れる感じか。客席の両脇と最後部には寄りかかって立ち見するのにちょうどよさそうな手すりも完備している。

ほぼ満席だが、幸い空席をみつけて着席した。

舞台は真ん中から客席中央あたりまで花道が延びていて、花道の突端は丸い舞台になっている。

あそこで女性あんポーズやこんなポーズをとるのだな、と思っているうちに開演。

場内に朗々と、映画サウンド・オブ・ミュージック」の主題歌(The hills are alive with sound of music~ ってやつ)が朗々と流れて、一応、ジュリー・アンドリュース演じるマリア意識したんだろうな、という衣装(ただし、安っぽい)を着たお姉さんがバレエのようにくるくる回ったりしながら踊ってる。

曲が終わったので、いよいよ次は脱ぐのかと思ったら、子供役と思しきお姉さんも7人でてきて、「ドレミの歌」が始まった。

古い映画なので知らない人も多いと思うが、「ドレミの歌」というのは、厳格な軍人の家であるトラップ家に家庭教師にきたマリア子供達に音楽をおしえる、というテイの歌なのであるちゃん振り付けも、子供達にドレミを教えるっぽいミュージカルっぽい感じになっている。一応、映画オマージュ的なことなのだろう。

で、ドレミの歌が終わると、子供役のお姉さんの一人がネグリジェみたいなカッコに着替えていて、マリアに手を引かれて、花道突端の円形の舞台までつれてこられた。

BGMは、これも「サウンド・オブ・ミュージック」の曲なのかどうかは良くわからないが、なんか英語で「さあ、今夜もゆっくり休み」みたいなことを子守唄風のメロディーで歌っている。

そうこうするうちに、マリア子供を寝かしつけて舞台から引っ込んでしまった。

そして、この女の子が目覚めるテイで起き上がると、一枚一枚服を脱いでいくのである

正直、ここまでの流れにいささか関心してしまった。いや、なんか、「ちゃんとつくってる」じゃん。

正直、踊りのレベルがどうとか、そういうことは素人なので良くわからん

土屋太鳳ときおり「アタシ大学ダンスやってたんです」ってことでやってみせるモダンダンスよりはレベルが低そうに感じた。



脱ぎ始めたときBGMは、なんか「ええ歌風のJ‐Popのバラード」みたいなのだった。詳しくないので、曲名からないけど。

怪しげなトランペットサックス扇情的メロディで「ちょっとだけよ、アンタも好きねえ」という雰囲気ではない。踊りもなんというか「エロじゃなくてアートです」という感じ。もちろんストリップからあんな格好したりこんな格好したり、足を大きく開いたりもするわけだが。


あと、以前タモリ倶楽部でやっていた、職人芸的なリボンも、本当にやっていた。

これは、ボランティアファンが、絶妙タイミングリボンを投げる職人である

本当に絶妙タイミングで、観客やお姉さん方の邪魔にならない方向にリボンを投げ、するすると手元に巻き込む様は、ベテラン漁師一本釣り漁をみているようですらある。

そんなわけで関心しきりのうちに一演目が終わると、会場内にド演歌が流れ始めて、歌舞伎の「道行」みたいな、和装の二人連れが出てきた。男性役は男装した女性。一応、なんか逃げるように駆け落ちした二人、みたいな設定、らしい。

なんだか、振り付けに「ロボットダンス」みたいな動きがはいって独特な・・・と思って気がついたのだが、そうか、これ、人形浄瑠璃パロディなのか!?

・・・と、そんなこんなで、どの演目結構ちゃんと」つくっていた。

演目とも前半はなにかしらのモチーフを基にしたダンスミュージカル風な踊りをやって、後半は脱ぐ、という展開。

銀河鉄道の夜」のパロディ演目では、インカムつけたお姉さんが「そのよる、ボクはカンパネルラと」とか朗読はじめちゃうし、きゃりーぱみゅぱみゅ音楽にあわせて、おもちゃ兵隊が踊る、みたいなのがあったり。

尾崎の「アイラブユー」に合わせて、何だが不幸な恋愛をしてっぽい二人がじゃれあったり抱き合ったりしてる、という演出もあり。

つの演目10数分である


脱ぐときBGMはなぜかJ‐Popが多い。ゆず版の「見上げてごらん、夜の星を」とかミスチルとか、意外なほどに合ってたりする。これはJASRACと契約してるんだろうなあ。


公演時間は2時間強。間に10分ほど休憩時間が入る。

休憩中に、幕をスクリーンにして「本日演目紹介」が投影されていて、最初演目ちゃんと「サウンドオブミュージック」だった。先ほど「アイラブユー」にあわせてやってたのは「ロミオとジュリエット」だったらしい。なるほど。

本日最後演目は「チャップリンの独裁者」らしい。何をやるんだろうか・・・と思っていたら、これまたなんか真面目だった。

ステージにはミリタリーっぽい服をきたお姉さんが立った・・・と思ったら、どこからともなく演説が聞こえてきた。

これ、あれや、「独裁者」の最後主人公が全世界に向かってやる演説高校とき英語教科書に載ってた。自由の尊さを訴えた名文やで。

やがて、演説かぶさるようにピアノが流れてきて、お姉さんが踊っている。

はじめは何かに束縛されてるような踊り方だったのが、どんどん激しくなっているのは、多分、スピーチテーマにあわせて、支配から自由表現している・・・というのは、こっちの勝手解釈だが、でも有名な振り付け師でも出てきて「そうなんですよ」といわれれば納得してしまいそうな気がする。

最後自由への戦いに立ち上がったかのようにこぶし突き上げポーズで一旦とまり、そこから曲が変わって脱ぎだすわけだが、これもあれか、支配から自由の行き着いた先は、「洋服」という束縛からも完全に自由になるということなのか。(深読みしすぎ)



視点での感想も入れておく。

なんというか、みなさん、「売れない劇団看板女優」みたいな雰囲気。体のラインはさすがに、それなりに美しい。ただメイクばっちりで色とりどりの照明もきついので、正直年齢とかは良くわからん

あと、これはどこまで書いて良いのかよくわからないのだが、服は全部脱ぐ。で、それなりに高々と足を上げたり、のけぞったり、いろんなポーズをとる。

ちょうどかぶりつきに結構若いお兄ちゃんがいたのが、まさにかぶりつくように見ていた。

ま、ああいシチュエーションあんなふうに見るのって、なかなかないからなあ。

そりゃ、かぶりつきますで。

あれが現在日本刑法上、どういう扱いになるのかはよくわからないが、平然とやっているところをみると、「わいせつ」とは扱われてはいないのだろう。

個人的にも「わいせつ」とは思わなかったが。

なんというか、美術館で裸体画をみている感覚に近い。

その昔のストリップ劇場は、観客が舞台にあがって女性あんなこんなことができちゃう「ナマ板ショー」やら、個室で二人きりになってあんサービスを受けられる設備やらがあったり、そりゃもういろいろある風俗だったらしいが、今の浅草にそんな雰囲気はなく、観客もいたって真面目に鑑賞しているのであった。

ま、各演目の前半はとくに興味ない風な客も多そうだが。

にしてもあのネタは誰が考えているのだろう? 作家とか演出家とかいるのかな?

なんか「昔、寺山修二や唐十郎に憧れてたじいさん」とかが裏でいろいろ携わっていたりするのかもしれない。全般的ネタが古いし。

というわけで、3500円が高いとは思わなかったが、まあ、どうしてももう一度みたいというほどでもないかな。

まあ、興味の沸いた人は話の種に一度くらいみておいても損はしないと思う。

にしてもあれだ。演目とか興味深かったので思わず、軽くメモをとってしまって、だからこそこんな増田もかけているわけだが、ハタからみたら「超熱心なストリップファン」に見えてしまたかもしれないと思うと、ちと恥ずかしい。

ま、どうせ知らない人ばかりだし二度とあうこともない(多分)だろうから、いいんだけどさ。

2018-10-23

anond:20181019091903

B)主人公和装太鼓結びをしたのをみてエツコ(仲居)「咲子さまも忙しい時には良く手伝って下さって」

原作でも、休み連休の繁忙期には手伝ってる。関家は今でこそ東京ぐらしだが夫妻共に花の湯温泉出身(小3から同じクラスだった)のため、もともと春の屋出身だったおっこ母はもとより、それをみていたおっこ父もそれなりに忙しい時期の忙しさは把握していた模様。

おっこも小さいときから旅館に連れられて遊びにきているから、エツコさん康さんとは映画の「蜘蛛が落ちてくるところ」が初対面ではない。ただし旅館食事は「新メニューの試作」くらいでしか食べさせてもらえなかった(それでもとても美味しかった)模様。

A)東名高速のぼり車線内会話 咲子(主人公の母)「おかあさまにごあいさつできなかったわね」運転中の父「観光シーズンで忙しいかしかたないよ」

そのうえで「遅くなると帰りが渋滞となる」とのおっこの言葉から神楽を見ていたのは連休最終日のような、休みがひと区切りつく日のことだったことがわかる。おっこ父母はおそらく手伝いはせいぜい最終日朝までだったのだろう。その日チェックアウトする客関連の手伝いまではしないで、最後神楽を見ていた。帰りに挨拶しようと春の屋に寄ったら、レイトチェックアウトのお客さんがいて、特に言葉での挨拶はしないで帰ってきた、といったところか。

原作でも客が少ないとき(1巻につき1回くらいはある)とか、ピークを越えたあたりでおっこも開放されてるので、翌晩の予約が少ないなどで急ぎの用事が発生しない場合は手伝わずとも旅館仕事は回っている模様。

原作ではエツコさんにはリカコさんという大学生の娘がいて、おっこのプライベートと繁忙期が重なったとき(クリスマスとか、秋の連休でのTAIWAN旅行とか)にはバイトしてもらえるので、実はおっこは春の屋旅館の若おかみと言われつつ"おみそ"状態だったりする。風呂掃除などの仕事夏休み終わり段階の時期で皆から"荒い"(あとから来た居候男子小学生の方が仕事が丁寧と褒められている)と言われていて、あまり戦力として期待されていない。ここを踏まえないと「児童労働がー」みたいな話になる。

この話にはあんまり関係ないが、エツコさん康さんはどちらも住み込みではない。深夜仕事が発生したときに泊まれる部屋は用意してあるが、基本的には夜は家に帰っている。家が近所にあるかは不明エツコさんは車で国道沿いのショッピングセンターにひとっ走りして、おもてなし用の食器を買ってくるくらいには車に乗り慣れてる。

さらに余談だが、春の屋旅館でも秋好旅館でもないリアル温泉旅館御曹司が先輩にいて、格安で泊めてもらったことがあったのだが、旅館仕事で一番人手がかかるのは「布団の上げ下ろし」だったそうだ。これを省けると(もちろん他のいろいろも省いているのだと思うが)、1泊ウン万円の宿が数千円でも赤字にならないとのこと。以上の話を踏まえると、おっこはマスコット要員としての要素を除くとおそらく布団の上げ下ろし要員として期待されてる。

2018-10-19

劇場版若おかみは小学生!」  における謎

まず小さい方から

A)東名高速のぼり車線内会話 咲子(主人公の母)「おかあさまにごあいさつできなかったわね」運転中の父「観光シーズンで忙しいかしかたないよ」

B)主人公和装太鼓結びをしたのをみてエツコ(仲居)「咲子さまも忙しい時には良く手伝って下さって」

なぜ冒頭の訪問時には過去と違い手伝わなかったのか

2018-10-03

着物警察」のせいで和装離れが加速か?

http://www.jprime.jp/articles/-/11899

着物警察」のせいで和装離れが加速、街中での警笛はもはやパワハラの域

着物警察」のせいで和装離れが加速か?

2018-08-29

恋愛下手なことを改めて思い知った話

自分って、恋愛上手いな!」と人生のうちで一度でも思った方はいらっしゃるだろうか。

私は29年生きてきて一度も無い。

簡単自己紹介をすると、私は見た目ぼさぼさのデブ腐女子恋愛にあまり興味は無く、ここまで来てしまったよくいるタイプオタクだ。好きなエロ漫画家月野定規縁山だ。

数年前、数少ない(片手の指すらあまる)友達連続して結婚して、そうだ、友達は私の伴侶ではないのだ、彼女たちはいざとなったら友人より優先するべく家族を作ったのだと気付いた。そのときは26歳だった。

会員料を払っていわゆるネット婚活をはじめ、若さのおかげか、1ヶ月ほどでとある男性とお付き合いまで至り、ネット婚活はを当時の彼とせーので退会したが、その数か月後彼とは音信不通になった。何か私に至らない点があったかもしれないし、サクラ(一度退会すると、再度登録には会員料が発生する)だったのかもしれない。

そのときですら、あーこの人と結婚するのかな~なんて浮かれながら結婚式のホームページとか、アパートサイトかめっちゃ検索して妄想した。まあ音信不通になったんですけど。

それが初めての彼氏(といっても恋人っぽいことは手をつなぐくらいしかできてない)だった。

いわゆる毎朝おはようLINEおやすみLINEもした。結論からいうと結構苦痛だった。それとなくやめよう…?と言ったけど、何で?おはようって言ってもらえるの嬉しいよ^^と言われたので、そういうものかと続けた。いやまあ、続かなかったんですけど。

そのとき、もうどんな内容だったか忘れたけど、こういうもの?と思ったことがあって、小町質問した。めちゃくちゃボロクソに言われたことだけ何となく覚えている。

あと、ことあるごとに結婚をめちゃくちゃ意識してしまうことを書いて、結婚意識しすぎてると男に引かれるとか書かれてたことも覚えてる。でも、婚活から結婚は前提にあるものだし、その効率をとってみんな登録しているんだと思っていた(る)し、彼も、結婚式に呼びたい人っている?とか、和装がいいとか洋装がいいとかある?とかめちゃくちゃ言ってきた。それもサクラの手練手管だったんだろうか。

で、音信不通になり、ショックというか、疲れたな……となって3年、取引先の営業さんが、この前、営業からあなたのこと見てちょっと気になるって言ってる後輩がいるんだけど、と食事にいくことになり、私も断る理由も無いのでほいほいとついていき、いまはお付き合いに至っている。

そして私はやはり、あーこの人と結婚するのかな~なんて浮かれながら結婚式のホームページとか、アパートサイトかめっちゃ検索して妄想している。

後輩君は私よりも5つ年下だ。24歳だ。私が30のとき25歳だ。

結婚の見込みがないならフって欲しい、とめちゃくちゃ言いたい。でも、これを言うとドン引きされる可能性が非常に高いことは予想がつく。そもそも今回は婚活からの始まりではないので、あいフリーらしいよ、俺もフリーからツナギ程度にと思われてる可能性も低くは無いと思っている。

でも30歳になってからフられたらキツい。私の市場価値とかの話でなく(それもそれとして)、30歳からがんばる体力と精神力がキツい。

恋愛経験の浅さを下に見る風潮、結婚している方が昇進に有利な風潮などは、いま2018年だぜ~~?!と思うけれど、世の中ってこういう経験を経ている人が大半なのかと思うと、お疲れ様でしたという気持ちにならなくもない。2018年だぜ~~?!とは思うけど。

2018-06-08

夕方ニュース

繁華街芸妓さんがとにかく減ってるから

芸妓育成振興会」っていうのを商工会議所が作ってるって初めて知った

芸妓の育成にお金出して、若い子を育てて、

商工会にいるようなお金のある人がそのまんまお座敷遊びを楽しんでるのか~って思うと

いいんだけどなんだかとても内向きで閉じた世界だよね

不思議なんだけど、ほんとに未だにそれは粋なのか?ってところが結構疑問

現代の発想や感覚ではなかなか趣を理解しづらい部分がたくさんあって、

かつて日本人が全員和装だった時代の芸への感覚乖離がなり手の減少をただ生んでるんだと思ってた

なり手の賃金なんかの問題もあるのだろうし、もっと複雑な部分もあるだろうし

それならそれでこの現代においては廃れるのも仕方のないことだと感じてたけど、

伝統文化、と言われると守らなきゃならないような気もする 中にいる人たちにとっては死活問題なのだろうし

でも伝統文化なのかな~そういう遊び方をしたこともこれからすることもないだろうから実際のところはよく解らない 

この会の目的として一応外国人向けの観光の振興や慶事への出向なんかも記載されているけど、

だいたいは振興会にお金出してる人がそういう場でそういう人を使いたいから作った会、って感じがする

ほんとにおじさんたちが自分自身のために廃れさせたくない内輪の世界だな~と思った

2018-06-05

anond:20180604162819

実に根本的な問題として、服屋で一般に「礼服」として売られているものが古式ゆかしいドレスコードとしては「略礼装」であって「礼装」ですらないことが全ての認識をゆがめているのではないかと感じられる。

実のところ、あの「礼服」はぎりぎりで平服の分類だから普段着ていてもおかしくないはずではないか

何かで「平服」を指定されて困ったら「カラージャケット」にすれば皆がカジュアルに寄せてきてもフォーマルすぎないし、皆がフォーマルに寄せてきても浮かないか大丈夫だ、って書いてあった。

平服指定されたら基本スーツで」というのはそれと同じで、「それが一番無難ですよ」って事なのである

なお、自分センスに自信があるのであれば、何を着ていっても構わない。外すと恥をかくだけである

その点では女性は大変で、これという決まった礼装が規定されていないために礼装が必要な時には常にセンスを試されているのである。(和装だと紋付き留め袖とか規定されていそうだが、洋装ではマナーブックに「ふさわしいもの」としか書かれてなかった。)

2018-05-22

黒ロン和服

今日スーパーで腰まである黒髪ロングで和装女性を見た

おばさんだった

和服は服に髪がつかないようにするのが基本とどっかで聞いたけれど、黒髪ロング+和服ってありなんだね

尻がエロかった

2018-04-05

anond:20180405150922

草鞋は略装だろうけど、和装にも正装はあるんじゃないの?

よく知らんけど、草履とか、下駄とか。雪駄とかも?

いずれも走るのには向いていないだろうけど。

2018-02-24

私とおかんがどんどん似てきてる件

小さい頃から「お母さん似だね」とは言われてたけど、私もおかんも「そうかぁ〜?」って感じだった

ところが私が高3のとき文化祭の集合写真を見たおかんが「私が写ってんのかと思った」とコメント

何言ってんだこいつと思ったが、この頃からおとんも「お前おかんに似てきたなぁ」と言い出した

そして先日、自分結婚式写真見てびっくりした

もはやおかん結婚式写真と言っても過言ではない

(私が和装かつら綿帽子だったからかもしれないが)

このままいったら私とおかんの顔は完全に一致してしまうのではないだろうか

2018-01-11

着物警察をしないくらいで和装文化は戻らない

和装を心から愛する人たちがいくら自重着物警察を煙たがったって、着物警察にうるさく言われたことのある子たちが戻ってくるわけがない。

若い子が和装をする機会は成人式か夏の浴衣が圧倒的だけど、そういう時期は聞こえるような声で他人の格好に文句付けてる人が多い。

私たちのころはああいう着方は絶対しなかったけどねぇ」「今の子はお母さんもできないからねぇ」って本人でなくても気分悪くなるわ。

浴衣の時期なんか知らない若い子を捕まえて「直してあげる!」って道端で始めようとする人たちだって珍しくない。

襟がはだけすぎて胸が見えそうとか帯がほどけかけてるとかならまだしも、おはしょりが短いとか汚いとか襟が抜けてないとか、そりゃかっこよくはないけど問題ないでしょ。

苦労して慣れない和装チャレンジして、彼氏友達と楽しくやってる若い子に恥ずかしい思いさせてまでやることなのか。

普通に洋服着てればこういうリスクゼロからね。着ないよ。

本当に着物が大好きな人個人的自重したって着物警察はまだまだいっぱいいるんだから着ないよ。

着物警察に絡まれてる若い子を見つけては助け舟を出して、陰でヒソヒソと「帯と着物が合ってない」「派手すぎる」などと陰口を聞けば「みっともないからやめなよ」と注意し、和装ゴスロリや肩出して着てる子をプゲラしてる人たちに「いまはこういう着方もあるのね」などとたしなめるくらいしないと着物警察にやられた子たちが戻ってくるとは思えないよ。

それでも着にくさとか動きにくさとかの問題は残るから正直あんまり増えるとも思えないけど、着る必要のない現代においてそういう面倒を乗り越えてでも着ようって子は積極的応援するくらいの雰囲気が無いと気軽に着たいものではなくなると思う。

2018-01-09

浜田顔面黒塗り騒動個人的な整理。

個人的ちょっと整理できたので吐き出してみる。

おかしいところがあればご指摘プリーズ

アメリカにおいて、白人黒人を抑圧した歴史があり、現在でも解消されているとは言い難い。

なので、白人が顔を黒塗りするような行為侮蔑的とみなされた。

なので、両者の間でルールというかマナーができた。「人種的な特徴をネタに、お互いについて表現しない。」


日本人関係者ではないものアメリカ歴史/言語/文化についてある程度教育を受けているし、関係の深い国の国民として、両者の合意尊重配慮する必要があるように思われる。

この点は賛否あると思う。が、例えるなら喧嘩が終わったものわだかまりが残る二者のそばで、喧嘩の原因となった話を蒸し返して「俺関係ないし、喧嘩はおわったよね?てかリスペクトだし!」とか言ってキャッキャしてるバカがいたら殴られても文句は言えないのではないかと。


そんなわけで、白人黒人合意尊重する必要があると思う。

しかし、黄色-黒人 / 黄色-白人についても同様の構図に落とし込むのは止めてほしい。

例えば白人和装することを非難するとか。

日本アメリカは国として戦い、日本敗戦国となったものの、人種的な抑圧というニュアンスではなかったと思うので。


白人以外が金髪にするのは差別か?という問題は、そもそも白人黒人間で白人が抑圧する側だった点を考慮すれば、弱者への侮蔑には当たらないので、差別とは言えない認識

この点も微妙だけど、現実として相変わらず白人サイドが抑圧/差別する側という点が加味されていると考えれば、現時点ではそれほど不自然ではないかと。

ただ、やがて白人黒人両者の関係性がイーブンに近づいていくと、この点は変化していくと考えます

以上です。おかしい部分はご指摘ください。

2018-01-07

それでも、なんだかんだ成人式って行ったほうがよくない?という話

副題:イケてない人間成人式をどう迎えたらよいのか?

大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。

この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。

成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。

あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。

というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。

その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。

単にシンプル物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたかである

結局一度目はもっと高いランク大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂メンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しか受験が終わった後になってどうやら自分本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。

二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまり自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつ自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬副作用からくる体調不良でくたばっていた。

そのような状況を見かねてか、というより、自身家族学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院心理士やら全落ちした中学受験時代予備校先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。

というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分人生高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。

二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。

もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間高校を出てからのことである

↑以上読み飛ばし

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

↓読み飛ばし

そんなわけで当時の自分は、血縁地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)

はい成人式ハガキというものは、本人のそうした事情自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである

ハガキが届いた時点で、すでに自分人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である

これは生まれ20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである

分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである

これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうもの可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。

自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。

成人式ハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。

いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか

仮に生命危機があっても相手少年法適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。

成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれから自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。

俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初大学入学祝い)に着替えて行った。

贈答品は会場に一番近いマクドナルドクーポンなのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。

日本で最も規模のでかい成人式ひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。

まず前座で良かった点、開式の国歌市歌斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌市歌斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。

クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると

携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たち世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」

いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トーク・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。

輪をかけてクソだったのがその次の新成人スピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアかいろいろやってます系の大学生自分人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人人生実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長スピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。

乱入である

これは行く前と行った後で最も価値観が変わったこである。かねてから成人式乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。

むかし怪獣特撮怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。

成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わずしかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。

ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。

そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから

最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。

こういう成人式も、あるのだと思った。

2018-01-03

デレステ和装SSR

どうしても風俗っぽく見えて仕方ない

特によしのんと巴の二人はやばい

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