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はてなキーワード: 資料集とは

2019-04-11

40の職歴なし無職おじさん、あれからひと月経つけど、もういく大学決めたかな。

学校資料集めるところくらいまではやっててほしい。

 

https://anond.hatelabo.jp/20190309162857

 

 

 

 

2019-04-09

国を相手どった裁判では国側の人は誰が出廷するのですか?

国を相手どった裁判では国側の人は誰が出廷するのですか?

という質問ヤフー知恵袋で見つけて回答が足りなかったので補足。

国が訴えられた場合法令により「法務大臣指定した職員」が国側の指定代理人として訴訟に参加することになります

個人民間企業と違って、弁護士ではなく法曹資格のない事務職員が代理人になることができます

(もちろん実際には法務大臣が直接指定するのではなく法務省内部の決済により役人レベルでの選定になる)

この指定代理人について、知恵袋では「法務省職員」「訟務検事」と回答されてましたが、回答が不足しています

法務省の訟務部門職員訴訟事務については専門家ですが、たとえば国道瑕疵について訴えられたとき道路知識はありません。

なので、訴えられた内容を所管する省庁の職員指定代理人として参加します。

空港国道なら国土交通省

医療行政労働基準生活保護基準なら厚労省

基地騒音なら防衛施設局環境省もかな?)、

指定区間外国道や二級河川といった国の財産だが法定受託事務として地方自治体管理しているものは、地方自治体担当職員が国指定代理人として出廷します。

法務省訟務部門職員は、国側の主張を取捨選択して整理したり、書面の形式を整えたり、相手側(原告代理人弁護士裁判進行についてやりとりする。いろいろ調査して準備書面の中身を作るのは各省庁の職員、というふうに役割分担してます作曲編曲家作詞家みたいな関係です。

その道何十年という専門知識をもった各省庁職員が、給料をもらいながら仕事として原告に対抗するために調査して資料を作って、さら訴訟の専門知識をもった法務職員が仕上げをするのだから手弁当活動する原告国民が勝てるわけないですね。ずるいですね。

(同じことは刑事裁判における警察検察VS被告弁護士にも言えますね)

私は地方自治体職員ですが、かつて里道の時効取得について訴えられたとき、国指定代理人として法務局訟務部門の方と一緒に出廷したり証拠資料集め・現地調査したりしてました。(今は里道水路市町村に譲与されたので国はタッチしない)

個人的には相手に同情したり、その主張するならあそこを探せば証拠があるかもしれないのに弁護士も知らないのかなぁ、と思うことがあっても、仕事なので相手には言えずつらかったです。

法曹である訟務検事は偉いさんなので、個別裁判には出廷しません。

法務省内部で職員に指示したり書面の決済審査をしてるのでしょう。

私は3年間で3件の国相手訴訟担当して法務職員とは裁判含めて30回以上顔を合わせましたが、訟務検事は一度も顔を見たことがありません。

地方自治体が訴えられた場合も、国と同じように自治体職員指定代理人として参加します。

地方自治体には訟務部門はないので、法務省職員がやってた役割顧問弁護士にお願いすることになります

地方自治体職員は3年ローテで全く畑違いの担当に異動するし、顧問弁護士行政訴訟専門家というわけではないので、国相手訴訟にくらべたら勝ちやすいかもしれない。)

2019-03-29

[]ゼノブレイド1 3ds 110時間

ラスダン突入直前

クエストがたくさん出てきたからそれやろうとしてるけど、のきなみ要求レベルが高くてクリアできない・・・

敵と戦わなくていいやつを選んでちょこちょこやってたらアカモートの人間テレシア倒せるくらいになったのでそれで83まで上げた

んでとつにゅー

女を倒して監獄島についたところー

これなんかもーエンディングみたらどーでもよくなるパターンっぽいか・・・

さすがに110時間はなあ。。。ペルソナ5、ディスガイア5並だわ・・・

資料集みたら帝都のあとから例のプロデューサーっぽいセカイ系になったとおもったけどまさにそういう感じでシナリオ担当がわかれてたらしいね

あと資料集みてはじめて知ったけど、キャラモデリングおかしくないんやね

しろキャラデザに忠実に作ってるわ

2019-02-15

anond:20150910222900

こういう話題馬鹿の一つ覚えみたいな趣味なんだから金惜しむなよやらなきゃいいじゃんって意味分かんないわ

ペイする事を含むなら趣味じゃないって単なる一価値観による暴論だしその人がやってる趣味嗜好の範囲他人が決めるって意味わかんないじゃん

自分でやるならそうすればいいけど値段のどうこうやノベルティや無配含めうまいことやりくりするそれ自体趣味の一環て人もそりゃいるでしょ

同人二次創作って枠上不必要利益は出ないようにってそれを一種の遊びだと思ってる人も当然いるだろうし

それを金勘定を含まない趣味をいちいち挙げてホラこの趣味お金なんて気にしてない!って知らんがなって感じ

そりゃそうでしょそういう趣味を例に持って来てんだからっていう

世の中金絡む趣味なんていくつもあるのに恣意的にも過ぎるでしょ

同人イベント参加とネット活動が同じものだって括ってんのも意味わかんないしそれも何勝手に言ってんの?って感じ

同じだって思ってる人もそりゃいるだろうけど人によっては被る部分があるだけの完全な別物でそんな場合WEB掲載なんて代替になんてならないし代わりにこっちでいいだろってどこ目線だよって思うわ

何回も言うけど何で人の趣味勝手定義してんの?何でネットで公開する事が同人活動って趣味においてその人が得られる感慨や充実感の代わりになり得ると思うの?どんだけ解った気になってんの?何を根拠に少なくとも何万人かはい同人趣味にしてる人間同人活動へ求めるそれぞれのものネットでのそれで代替可能だなんて考えに至ってんの?

そもそも同人頒布っていうグレーさの部分に限った問題提起へのひとつ手段としてのネット公開って話を趣味としての代替として足るものって捉えてるの物事区別つかないまま人にどうこう言えると思うその自信はどこから来るの?何なの?ってなるわ

ていうかそれならそんなの買う側だって金出したくないならイベントなんて行かずネットだけ見てればいいじゃんて話だけどそうでもないじゃん

それでいいって人も大勢いるけどそれだけじゃないかもっと刷ってくれればいいのに安くなればいいのに装丁なんていらないのに再販してくれればいいのに通販してくれればいいのにネットで公開されればいいのにDL販売でいいのにって声があがるんでしょ

本の形になる事でネットだけでは必ずしも得られないものを目にする機会もあって単純に代替になるかって言ったらそうじゃないじゃん

そういう現実として買うだけの参加でさえ例え不本意だとしてもイベントネットでの得られる経験差異があるのに作る側のイベント参加の同人趣味ネットでのそれで代わりになるんだからそうすればいいのにってハァ?って感じだわ

から無料でのネット公開はそういう意味でも望むんだろうけどそんなのはただの自分の都合なわけじゃん

本にするのは作り手側の趣味の上の都合だけどそれを自分の中で否とする自由があるように個人の都合で他人は縛れないでしょ受け入れるのも振り回されるのも自由だけど

個人的にだけどジャンルの値段設定って風潮も正直馬鹿馬鹿しいわ

そんなの部数だけじゃなく使う印刷会社入稿時期や装丁で単価なんて変わるしそれこそ費用カンパ頒布て前提として揃える必要なんてどこにもないでしょって思ってしま

別にそうしたくてするのは自由だけど同人定義を大きく逸れるものでもないなら人の値段に口出すのも同調圧力もやっぱり意味分かんないわ

読んで欲しい手に取って欲しいからって気持ち理解できるけど元増田のみたいな部数による値段の推移やそもそもの本作りにかかった分を出して貰う事での頒布って感覚理解できてない人の意見なんて単に知識がない事での疑問や勝手思い込みなんだからそこに寄り添う事なんてしなくても本来問題なんてないでしょって

いやそういうスタンスで行くんだって思うのも自由だよでもしたくもない気兼ねして気疲れして本末転倒になっててほんと理解出来ないわ

趣味からこそ布教交流プレゼン的な部分をメインにして頒布目的に値段を抑えて調節するのも自分の思い描いたものを形にする事自体に重きを置いてその結果単価が上がってその通りに値段付けるのもそれは嗜好によってそれぞれでしょ

シンプルに大量に刷って安価イベント跨いでまた通販頒布するのも高価になる豪華本を予約とって刷って1回のイベント限定にするのもどっちもその人の趣味としての楽しみ方なんだからそこに最低限の同人原則以上の基準を設けるなんて何の意味があるのって思うわ

本出して頒布する事より周りと交流して足並み揃えてその中で楽しめる事が趣味としての同人活動大事に思うからってならまあそれはそうなんだろうし本末転倒でもないんだろうけど

あと装丁なんて自己満足なんだからってのも結構聞くけどいや全部そうでしょって毎回なるわ

何で中身は自己満足じゃないみたいになってんのって

全部自己満足だよ趣味なんだから

その自己満足の結果を同人て大きなジャンルの中の別の趣味として金払って自己満足で手に入れるってそれだけの話でしょ

どっちも全部が自己満足なんだよ

装丁自己満足で~とかそんなのただ自分趣味として求めてるものじゃないからそこに価値感じないってだけの話じゃん

求めてるものが得られたとしてもそれは自己満足として作られた中に合致するものがあったってだけでしょ

自分が欲しいものがあったからそこは自己満足じゃないそれ以外は自己満足って主観客観もねえなって感じで怖ささえあるわ

その本がその装丁でその値段でその場で頒布されてるのがその人の趣味の結果なんだから気持ちはどうあれ行動としては欲しいなら買うかいらないと思ったなら手に取らなきゃいいだけの話でしょ

中だけ読めればいいのにってそれただのワガママだしそれで他人趣味の形に文句つけて要は思うような形にしろよってどんだけ傲慢なんだよって感じだわ

いや言うのは自由だけどそこには言われた側に引き受ける義務は少しもないでしょ

応じてくれたとしてもそれはただの厚意で大いに感謝すべきものだわ

客と店の関係ならハンバーガーオニオン嫌いだから抜いてなんてある程度通るのかもしれないけど趣味だって散々言っといて注文つけるって何勘違いしてんのって思うダブスタじゃん

アンソロの一人分だけしか読みたくないのに~!全部値段払わなきゃいけないのおかしくない?それ主催自己満足でしょ??データ別売りすべきでしょ!!!みたいな馬鹿と一緒だわ

別に義務でもないんだから作る側がパッケージとした値段の価値があると思わなきゃその場去る自由もその選択権も自分にあるのに何でその責任をその本の方に乗っけようとすんのって

それこそ趣味に金惜しむなって言っといてしっかり損得考えての事なわけでしょ

趣味として作られたもの自分が欲しいもの以外は省け安くしろって要求は完全に頭おかしいけどでも自分がその値段払うのに装丁や別作家が損になるって考え方自体は悪い事じゃないし趣味の上の買い物では極普通思考なわけじゃん

こっちでこの値段出したらあっちの買えないか我慢してこのDVD特装版フィギュアいらないか資料集だけ売ってくれ~いや資料集だけ抜いて他売れば相場はなんて気持ちとして普通にあり得るでしょ

それを趣味なんだから読みたいなら買えよ金無いならバイトでも何でもすればいいじゃん損得考えて悩むならそんな趣味やめてしまえってわざわざ言わないし言う奴余計なお世話だしお前その0か100かみたいな思考なんなの?ってなるじゃん

だって生活の中で何を選ぶかどう金を趣味に使うかは当人が決める価値観範囲のものなんだから

逆に趣味なんだからこそその範囲は個々に裁量自由が許されるでしょ

同人だって同じだわ

現状公儀で許容され得る同人原則ルール範囲内での値段設定という前提の下ならそこにどれだけ赤許容するのか何に金を出すのかどこまでを値段に反映させるのか交通費参加費印刷装丁再販再録既にネットで公開していたものを本にするならどうするか数刷って在庫抱えても単価下げるか通販値下げ無料配布ノベルティグッズでの帳尻あわせ本当は全部個人判断に委ねるべきものでしょ

趣味で何を大事にするかなんてそれぞれなんだから

それぞれへの個人的な価値観の表明も意見の殴り合いもやりたいならそれは自由だけどそれは前提として同程度の情報知識の共有とあくまで最終的な決定権は個々にあるってその尊重意識あってじゃん

理解は出来ないけど元増田の友人さんみたいに自分で決めて自分でやめるのもまた戻るのも自由ではあるし他の描き手の値段設定も高めに値段付けてたサークルもそうじゃないとこもそこに皆合わせていった事もそれを同人活動においてのある種問題象徴のように思った元増田もそれは全部そういう意味では何も間違いではないけど趣味としての遊びにそれを趣味としない人間そもそもその趣味趣味とは言えないその趣味ならこうすべきだこれが代わりになるからそれでいいだ何だって趣味としての正当性倫理性を問う事と趣味定義した中での懸念問題提起混同させて区別もつけられずに一方的に何にどう価値を求めてどういう範囲で金を使うかの幅までそこに定義してそこから漏れるならそれは趣味じゃないやめてしまえってマジかよって笑っちゃうわどの立場なんだよって権威か何かなの?

ほんと何なんだろ

2019-01-19

図書館資料集めて整理するのが苦手だ

コピーして持って帰れるものは、家で後から整理すればいいのだが、コピーできる枚数制限がある。

この資料とこの資料関係性があってとか、ポストイットを貼りつつ、いざパソコンに向かって組み上げていくと、図書館の会館時間内に終わらなかったり、

静かな中でカタカタキーを打つ音が響いたり、席を離れるときパソコン閉じて本探してる間手にぶら下げるのが面倒だとか。


今どきの情報整理方法ってどうやって身につければいいのか。

2019-01-10

真面目に通学し始めるまでの話

うっかり進学校的なアレに入学してしまったのがすべての間違いだった。弟が壊滅的に勉強が苦手なのでまだマシと思えていたのもある。

高1の1学期末、数学試験で3点を取った。勉強へのやる気が消えた。

それからというもの全く勉強せず、高校2年に上がってから半年ほどは、オトナに話すとそれはまあ叱られそうな生活を送ってきた。




1学期は、これでもかと言うほど学校をサボった。3日行って1日サボる。そんな生活を3週間続けると、担任に呼び出され進級に響くから体調不良その他の理由がない限りはなるべく来なさいとお達しがあった。

その時1年間で何日休むと進級できないのか、と行った旨の数字を聞き、私は即座に脳内でそれを3で割った。

月に3回は休んでも進級に響かないという結果だったため、5月中旬からはしばらく毎月3回休むことにした。



親には学校を休むことを言っていなかった。

部屋の窓の鍵を開け、わざと遅刻する時間に家を出、親に遅刻連絡を入れてもらう。こうなると私の勝ちだ。

学校遅刻連絡を入れた生徒が欠席しても電話を掛けてこないことは、数年前酷い生理痛遅刻連絡を入れ、結局体調が優れず休んだ経験からすでにわかっていた。

両親が仕事に行って家を出たであろう時間帰宅し、自転車を親戚が住んでいる近所のアパート駐輪場にこっそり置く。

部屋の窓から家に入って靴箱に靴をしまい、哲学書を読み、父親本棚から経営指南書を拝借して読み、日本史教科書を開いては眺め、日本史問題集を解いては資料集を開く。

数学の成績は中学一年のころから壊滅的だったので、時折チャート式問題集を開いて何問か解いて、分からないのでうんざりして本棚泉鏡花全集に手を伸ばしたりしていた。

夕方普通に学校に行って帰っても親が帰るのは私の帰宅後だったこともあり、アパート駐輪場から自転車を回収し何事もなかったかのように帰宅する。

完璧計画であった。

自転車で通っていても、ふと、学校ではないどこかに行きたくなることがあった。

駅の公衆電話から腹痛が酷く自転車を押して向かっている、遅刻するかもしれないという旨の電話を入れる。

事務員さんが頷き、電話を切ると、制服ジャケットの裏ポケットに入れたスマートフォンを取り出してマップアプリを開いてはあれこれ考える。

空港に行って飛び立ってゆく飛行機を見て、展望所のすぐ近くのテーブル数学問題集を開いて空を眺めつつ問題と格闘した日もあった。

海に行って、靴下を鞄にしまい、ひとしきり波と戯れたあと小さなハンカチ必死に足を拭いた日もあった。

小学生の頃親しかった友人と秘密基地を作って遊んだ山に登ると、ため池が作られていて秘密基地があった場所には行けず、立入禁止看板の前で住んでいる市内を一望しながら体操座りで弁当を食べた日もあった。

毎日が最高に楽しかった。学校の友人らとカラオケに行ったり自撮りをしたり、恋の話をしたりアイドルの話をしたりなんて小指の先にも満たないしょうもないものに思えた。

それこそ高1の夏休み、ふと思い立って某中国四国連絡橋を単身歩いて渡り海を挟んだ隣県に行った時と同じくらい楽しかった(ちなみに高1夏、私は自県まで残り3kmを残してポカリスエット4本が底をつき海の上で死にかけた)。

月に3回のこの楽しみが、わたしを生かしてくれているように思えた。それこそ「行きたくなくなったら学校休もう」って決めた日以前の検索履歴には「首 吊り方 苦しくない」だとか「飛び降り 何階以上」とかい言葉散見されていたので。


しかし、この自分的にはなんとも素敵で素晴らしい日々のことを友人に話すと、それはもう極度の批判を浴びた。こんなに楽しいのに。

友人は勉強ばかりして、親の期待に応えることばかり考えてコドモゴコロだとか冒険心だとかを忘れてしまったのではないかと訝しんだ。

じぶんの楽しい思い出が否定されるのは嫌だったので、それ以降だれにもこの日々のことは言わなかった。



夏休みになると、大学受験を見据えて塾に入ることを親に勧められた。

県下ではまあそこそこの、毎年何名か東大合格者も輩出しているような学校に通っているからか、周囲がわたしを置いて受験モードに入るのがやたらと早かった。

大学受験と言われても、それまで進路なんて考えたこともなかった。彼氏いないし。コイビトと同じところに行きたいとかいあるある進路選択方法も、選択肢が存在しないのだから選びようがなかったのだ。

最終的に塾には通うことにした。初回体験授業の講師イケメンで、軽い気持ちで授業後アンケートにまた受けたいと書いてしまったのがいけなかった。布団の中で後悔して、今年の夏は一人でどこまで行こうかと考え気をそらしていた。

しかし、何回か通ううちに気が変わった。友人皆が大手塾に通う中、私はマンツーマン型の小ぢんまりとした場所だったので、周りに私を知る者はほとんどいなかったのが救いだった。

塾で分からないところは基礎の基礎だと薄々感づいていようが分からないとごね、分かったらこれでもかと喜ぶ(時々声がでかくてブースの外に聞こえると窘められた)。


夏も過ぎ二学期中間試験も終えた10月ごろ、仲良くなった塾講師に、件の日々の話をしてみることにした。この人はやたらと毒舌だが顔はいいので、何を言われても許せる自信があった。顔はいいので。

講義講義の間の休み時間の間に雑談のノリで喋った。学校サボって空港とか海とか行ったことあるんよね、マジでしかった。ホンマはアカンけど。

塾講師の反応は予想と違っていた。返ってきた言葉は「絶対勉強ばっかしとったよりええと思うで〜」「アホやなとは思うけどええとも思う なんも考えてなさそうで」という完全に私をアホとみなした上での肯定だった。


よく分からないがムチャクチャに嬉しかった。それはもうムチャクチャに嬉しかった。この人にはアホな所を堂々と、それこそ正弦定理余弦定理から2次方程式の解の公式までこれでもかと意味わからん何これと聞きまくっていたので、アホ呼ばわりされることがなぜか誇らしかった。

小学校中学校の頃は何もせずとも常に成績はトップだった。高校でも文系科目がまあそこそこできたおかげで順位は真ん中より少し下、成績を上げなさいとは言われるが面と向かってお前アホやなと言われる機会はこれまでの人生一度もなかった。いや影では言われてたかもしれないが。


「やろ〜!? いや自分でもやばいなとは思うけどなんか楽しかったんよね…冒険しとるみたいで…」と返すと、授業開始のチャイムが鳴った。


私は学校を休むのをやめた。

受験勉強、がんばります

2019-01-09

anond:20190109120651

私は友人の知ってる話しか分かりません。ごめんなさいね

有名な芸能人さんで、霊感強い方とのコラボ企画のgameだったらしいんです。

もちろん着手前にお祓いもして、取り掛かったら……。という。

友人は才女と言ってよく、いつも理路整然と話をされますし、製作スタッフでは

ありませんでしたが、関係者さんが体調崩しまくる、資料集めに写真撮ったら変なもの映りまくる

ありさまだったらしいです。

悪いこと言わないので、怖いのをやりたいとかは、やめたほうがいいです。

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-10-14

好きな絵描きさんでもあるリア友

はじめまして

インターネットの片隅に私の吐き出すものを留めておきたいけど、支部に書くのもなぁと思ってここに書きにきました。

私は趣味Twitter自分が描いた絵を呟いたり、あるいは友達空リプ(くうりぷ)するだけの垢で時々話したりする人間です。

自己紹介はこれぐらいにしておいて、本題に入ります

私は中学生の時、部活学校の事で精神的に辛すぎてメンタル系の病院入院したことが何度かあります

当時は唐突死にたいとさえも思いました。

絵を描く事が唯一の救いだったのですが、部活美術部で、絵を描くと部活の事を思い出してしまうと主治医に話したことで、初めての入院3ヶ月のうち、はじめは絵を描く道具の持ち込みは禁止されました。

しばらくして、持ち込みの許可が出ると私は自分が考えたキャラクターを沢山描きました。

見回りに来た看護師さんに描いた絵を見せると上手だね、と言われる事がとても嬉しかたことを覚えています

そして、入院生活に完全に慣れた頃。

タイトルの通り、そのリア友出会いました。

私が記憶している中では、作業療法活動に初めて参加したリア友が描いたぬり絵を見て、話しかけたのが最初だと思います

そのぬり絵を見て、私は驚きました。

リア友が描いた鳥の絵はとても質感と量感が表現されていて、まるで動き出しそうな絵でした。

さらに驚いたのは、その子が同い年だということです。

同じ年齢で同じ絵を描くという趣味で、私達は個室のホールで一緒に毎日絵を描きました。

私は毎日驚きました。

ある日は漫画扉絵の模写をし、ある日はイラスト資料集に載っている洋服を使った全身の女の子の絵を描き...。

驚いたのは彼女の模写をする量とスピード分析力、そして正確さです。

私の周りにいる中学生ではそのような子はいませんでした。

私もリア友を真似て、退院してからも模写をしてた時期がありましたが、今も模写も絵も上手くありません。

きっとこの人は将来、大物になる。

そう確信した私はやってもいなかったTwitterを親からバレないようにこっそり始め、リア友IDを交換し、外泊の時にフォローしました。

そして、私は3年ぐらいリア友の成長を見守りながら、自分も絵を描いてきました。

リア友は今、中学生の私がほぼ予想していた未来の途中にいます

よく、Twitterではフォロワーステータスでは無いし、フォロワーファンではないという見方もあるとは思いますが、私はリア友の1ファンとして、多くの人がその子の絵に共感し、拡散されている事がとても嬉しいです。

しかし、私は心に何処か引っ掛かりがあります

それは、県の高校美術展についてです。

私は制作したい作品顧問先生相談した結果、作品上、いきなりB1サイズで描くのは厳しいという事で、最終的にパソコンで合成する形となりました。

その場合、数少ないCG作品として出品することになります

しかし、リア友CG作品として出品する事を知りました。

私はCG作品審査の目が何故か厳しいらしい事を知っていました。

今年こそ、審査の票を入れて貰いたいと気合いを入れて描いていたものでした。

非公開の垢で見たリア友CG作品はとても綺麗でした。

他人所為にしたくはないけれど、私は落ち込みました。

あの綺麗な絵に勝ち目なんかない、

あの作品より私の作品は劣っている、

私の作品は恥ずかしい。

もし、あの子作品が賞を貰えたとして。

私はリア友の絵を沢山拡散してくれた時と同じように、喜べるのか...。

私がずっと溜めていた事を文章に起こせて、少し楽になりました。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

2018-10-10

anond:20181010164531

とりあえず電池切れはだめ。電力じゃない。

リロードに入ったのが判るから反撃に回る、はあるけど、マガジン拳銃ならリロードってのは1秒かからずにするだろうし、普通リロード中は物陰に隠れる。

まあなんだ。

プロでも(プロほど)何かお話を創る時には、取材資料集めをするものだ。

自分が良く知らない者について書くときは猶更だ。

他の人も書いているけど、世界の都合でガンアクションを出す必要があるなら、最低限ガンアクションもの映画漫画でも見ておこう。

個人的には、ヨルムンガンドとか、ガンスリンガーガールとか、男くさいだけじゃなくて良いと思うけどね。ジョンウィックやレベリオン……は求めるものが違うかもしれん……。アメリカンスナイパーとか?

2018-10-03

ゲンロン8のアレ

仕事中に酔っぱらないながら書いてるので読みにくいのはごめん。

ゲンロンDISってるブクマカそもそもこの聳え立つクソを読んだのかという話であって。オレは三度読んだ。

https://docs.google.com/spreadsheets/d/e/2PACX-1vSxI1scGmktUg6hqZoT-qbqdWAJvKMuwtCxm5xW4O2zRQmeCB_PfB120JT_7dg7T4hpBvZiBBcXSg_O/pubhtml

ブクマカ論調から見て、全部読んだ人一割もいないでしょうこれ。

かにゲンロン側の事実誤認もそこそこあって、それについての指摘はするべきなんだけど、それ以上に相当数のお気持ち表明や言葉尻を捉えるような話が含まれていて、電ファミ仕事しろよ感がすごい。
というか、指摘者が偉いので質問妥当性とかライターが指摘できないんだろうなとは思うけど。
(この辺SFオタクに似た「レア(と言われる)な情報アクセスできるオタクを上位とするヒエラルキー」的な話にも繋がると思うけど割愛で)
あと、すでに相当数ツッコミ入ってると思うけど、電ファミ指摘側の事実誤認も多少ある。ストIIの開発経緯とか俺でも知ってるぞ。ストIの続編でファイナルファイト出したらオモシロイケド、コレジャナイ!って言われて慌てて(というか短期間で?)作ったとか。

雑誌引けっていうブコメ散見されるけど、ゲーム雑誌メーカー広報が嘘流すので当てにならんです。
(ついでに言うと、ゲームスタッフロールもよく嘘混ざってる&適当&引き抜き防止のペンネームで書く場合があるので、開発者の同定とかもなかなか難しい。)
同一人物インタビューも時期がズレると矛盾する内容ある。某氏が指摘してるけど、アカデミック研究には使えた代物じゃないです。関係者へのヒヤリングをした上で資料読み込んで比較する必要あるんですけど、まだ日本ではそういう研究してる人殆どいないですよね。まだ資料集めに終始してる段階。

まともなゲーム歴史資料は残ってない(一時期一次資料的な扱いを受けた電子立国のアレさ加減とか)、雑誌ダメゲームライター世代断絶がある、となると、メーカーに近い人間以外は基本、日本ゲーム歴史を正しくたどるのは不可能なんすよ。マジで
こういう背景の中で、ゲンロン側の人(とくにひらがなの人)あたりはよくやってるとは思いますけどね。もう少しマイルドな指摘にして、ゲーム好き側の人が一緒にやっていこう的な流れにならなかったのはとても残念。

海外ゲーム歴史が割とちゃんと整備されているのは、この辺の文化の違いが大きいと思うのだけど、よく知らんので誰か教えてください。

2018-09-04

anond:20180829224019

年取ると時間が進むのが速く感じるのと一緒で、その歳までの体験知識面白かった作品全部との比較になるので、求めるハードルが上がり続けるからだろうな。

世間知らずな頃は深く考えずに受け入れて騙されてた事でも、歳を取って実体験なり知識が増えると拙いものは受け付けなくなる。

から作家でも漫画家さんでも、資料集めや取材等の膨大なインプットを前提とするタイプ作品の方が年寄り面白いと思う。

2018-08-23

10年ほど前に見つけたお気に入り絵描きさんの画集を買った

当時の私は中学生で、親にネットの利用は許されていても書き込み禁止されていた

自分パソコンアドレスも持たせてもらえなかった

まあスマホもなかった当時、田舎パソコン所有率と言ったらひどいもんで

そんな中で小学生のころからパソコンを使わせてもらえるだけ幸せ環境だったか文句言えない

親としては周囲のネットリテラシーも高くない中でむやみやたらと扱わせたくないのもわかる

そういうわけでPixivアカウント登録もできなかったわけ

そんな中、Pixivでとってもとってもお気に入り絵描きさんを見つけた

きっかけはマイナーゲーム擬人化絵だった

ろくなソフトも使ってないんだろうガタガタの線なのに明らかにうまいとわかる

何より全ての絵の構図が最高

一目で惚れた

でもさっき言ったようにアカウント登録できなかった私はあなたの絵は最高です!の一言すらその方に言えなくて

なんならお気に入りでこっそりと応援もできなくて歯がゆかった

高校生になった私はパソコンアドレスを持つことを許可してもらった

ただし書き込みNG

それでも私はうれしくて、すぐにPixiv登録してあの絵描きさんのすべての絵をお気に入り登録した

そういえば前Twitter過去の絵は黒歴史からいいねしないで!って流れてきたけど、私みたいな人間もいるので大目に見てほしい

高校三年生のころだっけ、とんでもないニュースが流れてきた

なんとあの方が某アニメキャラデザ担当することになったのだ

意味が分からなかった、だってその方はそれまで目立ったイラストレーター業はしていない(普通に別の仕事をしていたからだ)

はじめてそのアニメを見た日、私はあの方の絵が動いていることに感動し泣いた

アニメの出来もめちゃくちゃよかった

なけなしの金で資料集dvdを買ったけど今思えばBlu-rayで買いたかった

今その方はイラストレーター転職し、華々しく活躍していらっしゃる

高校生までの間、応援したくても廃れていくのを見過ごすしかなかったものが多くあった

その理由は人気であったり、売り上げであったりしたが、当時の私は両方とも貢献することができない立場であった

こちらがどんなにその作品が好きでも、相手に伝えることができなければそれは「ないもの」に等しい

からその方が今も活躍しているのがうれしい反面、描き始めた初期に目に見える形で応援できなかったことを心苦しく思っている

今のネットには多くの若い人が日々書き込み発信している

それが今の常識なのだけど、正直とても羨ましい

ファンの想いが作り手にダイレクトに伝わることに関しては賛否両論あるだろうけど、+の感情を届けるツールが増えたことは喜んでいいと思うんだよね

応援できる、その環境大事にしてほしいなと思う

しっかしなー応援できるようになったとはいえ10年前からあなたの絵が好きですなんて今更伝えるのも恥ずかしいな

2018-07-05

かもしれないか

上司「こういう資料集めといてくれると嬉しいかも」

ぼく「そうですか」

2018-07-02

anond:20180701204604

1990年代浜松だが、報道で出てるような「全部の教科書を持ち帰れ」なんてのはなかったよ

宿題で使う英語以外の辞書やかさばる資料集ロッカーに置きっぱなし

ピアニカリコーダーみたいな道具類も置きっぱなし(だから妖怪笛舐めが出没)

2018-06-25

anond:20180625151410

絵画問題だと昨日はグスタフクリムト接吻だったな。一般教養レベルかどうかは分からん結構有名だから中学高校美術資料集とか読み込む奴なら知ってそうではある。

それ以上にあの番組音楽問題が無音の映像だけ見て何の曲を演奏してるか当てろとかだから自体が超有名だとしても単純に難しいし、クラシックなんて有名な部分ならともかく前奏ってあんまり知らんやろ。

2018-06-22

anond:20180622173401

wiki以前に歴史で習った気がする

教科書じゃなくて資料集かに書いてあったのかもしれないが)

2018-06-16

anond:20180616081219

資料集はあればあるだけ強くなれるから、100冊くらい与えて欲しい

古本屋で「ここからここまで」って買えばよい

2018-06-14

気が進まなかった情シス社内SE)の仕事ワースト3

辞めてから数年、もう時効だと思うので、情報システム担当社内SE)として勤務していた会社での「不本意だった仕事」について書いてみる。


情シス気が進まなかった仕事 第3位 「社長個人パソコントラブル対応

年賀状印刷したいんだけど、やり方がよくわかんないんで教えて?」とか「新しいパソコンを欲しいんだけど、○○さんのお勧めってある?」とかの質問くらいなら、仕事中の雑談レベルで答えられた。

だが、自宅用のノートパソコンをいきなり仕事中の私の前に持ってきて、「なんか変なのが出るんだけど」とアダルト広告表示マルウェア感染した画面を見せられたときは、仏の○○と言われていた自分もさすがに青筋が立った。

「息子がいじってたみたいでさ、もう高校生からこういうの興味あるのかな」などと言っていたが、それにしては人妻熟女系の広告ばかり表示されていたのは、そういう趣味のご子息だったのだろうか。

情シス気が進まなかった仕事 第2位 「社長と揉めて辞めた社員PC調査

アクが強い社長だったので、揉めて辞める社員も時々いた。

そんな社員の一人が同業他社転職したことが判明すると、その社員が使っていたパソコンを調べて機密情報横流ししていないかどうか調査せよという社長命令が下った。

かに情報漏洩対策として導入した資産管理ソフトだけど、本当にそういう目的で使うことになるとは思わなかったな…と、辞めた社員ともそれなりに親しかった私は複雑で心が重い気分だった。

結果として情報流出はなかったのだが、辞める前のネット検索履歴に「退職 円満」「労働基準監督署 契約 異なる」などとあって、暗い気分になった。

情シス気が進まなかった仕事 第1位 「SIベンダーとの裁判資料集め」

導入した基幹システムトラブル短期間に相次いだため、開発を行ったSIベンダー裁判で訴えることになった。

ちなみに、現場担当者の私としては、トラブルが多かったのは事実だがSIベンダー対応は誠実であり、解決に向かう道筋も見えている状態で、責任費用を云々するよりもまず協同して安定稼働に持っていきたいというのが正直な思いだった。

だが、そうした状況を社長理解してもらうことができず、社長SIベンダーを訴えた。もちろん訴えるまでにいくつかの段階を経てはいるのだが、私としてはいつのまにか裁判が決まってしまったという印象しかなかった。現場の言い分を聞く前にいきなり社長SIベンダーに怒鳴り込んだ、という感じ。

そして私は、裁判に際して、基幹システムがどのようなトラブルでどれくらい停止し、それによって本業にどれだけの損失を与えたか、という資料を作るはめになった。

そうしている間にも基幹システムトラブルは収まらず、その対応に追われながら(しか裁判のおかげでSIベンダーの手を借りることも難しくなり)、1ミリ本業に関わらず1円の儲けにもならない資料を黙々と作成するのは苦行であった。お世話になったSIベンダー担当者の顔が思い浮かび(もちろん彼らとは裁判以降縁が切れてしまった)、心苦しさでいっぱいだった。

後にも先にも、あれほど不毛モチベーションの上がらなかった仕事はない。

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