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2017-10-13

棄権

某氏が本当は呼び掛けていないということは置いておいて、棄権というのに異常なアレルギー反応があるのが謎だと思い始めた。

(念のために言っておくと、私は選挙に行くつもりである。)

まとめ

投票率向上のために若者白票出した方がいいというのはわからんでもない

しかそもそも票田のことしか気にしません見たいな政治家がまかり通ることを容認するのか、そういう自称リアリストがこの国を腐らせているのでは。

投票権尊重の在り方は人それぞれだし、選挙へ行くかどうかについてもっと柔軟な価値判断を持ってほしい。少なくとも「そんな奴は投票に参加する権利はない」といった発言は、普選運動への冒涜に他ならない。(税金を納めてないやつは選挙に参加するなの構図とたいして変わらない)

よくありそうな反応

普通選挙獲得闘争への冒涜である/貴重な権利無駄にするな

選挙欲しい人がいるのだから、持っていることはありがたいと思えというのはまあ正しい。しかしそこから導けるのは「選挙権大事にせよ」という命令であり、選挙権大事にする方法は人それぞれだろう。判断する時間が取れず、責任ある投票ができそうにないから、棄権するという態度は選挙権尊重しているからこそできる態度ではないのだろうか。一票に宿る歴史の重みを自覚せずに、責任感なんてなくてよいので適当投票せよ、などというのはそれこそ冒涜ではないのか。

投票できるのに投票しなかったら政治コミットする権利はなくなるよ

そもそも、このようにすぐに自分と異なる行動をするもの主権をはく奪しようという発想自体が、民主主義国民主権の発想と異なるように思える。

投票しなければ政治家の関心を得られないよ

若者向けによく言われる言葉だ。統計上の若者投票率向上自体若者向けの政策モチベーションへとなりうるため、白票でもよいので投じろという考えである。まあこの中ではたしかにまともな意見だと思う。ただそもそも票田となる対象を利するみたいな考えが気に入らない

・400万円

雑すぎ。

利益団体を利するだけ

選挙権行使して利益団体を利することもできるわけだし、利益団体はそれなりの根拠をもって行動している。(私は人々の道徳的感性にある程度信じているので、いくら何でも、自分業界を守るために虐殺やります!みたいな業界団体業界団体内で支持されるとは思えない)と考えれば利益団体による調整機能への信任としての棄権という考えもできる。

選択肢がないなら被選挙権行使せよ

これが実質的不可能なことが本質的問題かもしれない。

なぜ棄権絶対悪空気が醸成されたのか

人間マウントをとりたがる生き物だから

自分のやっている"善行"をやっていない人間を排撃するのはたのしい!という素朴な気持ちを持ちがち

小学校のころから刷り込み

選管がやたらとキャンペーンを張っている。成人式でもわけのわからないDVDが配られていた。子供のころから刷り込まれ価値観はなかなか疑いにくいし、それに反する行動には過剰反応を起こしがちだ。

そもそも投票率向上は良いことなのか

これは純粋な疑問だが、全国民が最適と思う投票行動をとった時、果たして現状より良い結果が出るのか?という疑問がある。

また完全に利己的な高齢者投票率が向上しても(若者の)私は特にうれしくない。

また若者投票率向上には一定意味があるかもしれないとも思う一方で構造的に若者投票率は上がりにくいのではという気持ちもある。この状況下で抽象的な「行こう」キャンペーンは単に選択肢のない人への暴力じみている気がするのだ。

結論

若者投票率向上は意味があるのかもしれない。なので普通に行きたい人は行くべきだが、その考えを他人押し付けないべきだと思う。選挙をやるのは本来世の中をよくするため、世の中を悪くしないためといった目的があるはずなのだが、「選挙に行こう」「選挙に行かないやつは非国民運動には、その大前提が感じられない。「選挙に行きさえすればよい」という意識は「お題目を唱えれば成仏できます」(念のため南無妙法蓮華経とは書かなかった)とたいして変わらない気がしてならない。

2017-10-11

マンドリン業界、そろそろ足並みを揃えようよ

※完全に業界人向け

大阪でARTE国際コンクールフェスティバルが開催された。

マンドリンオーケストラに入って10年近くになるが、様々な演奏を、しかもとてつもなく高いレベルで聴ける機会はこのコンクールを除いてほぼ知らない。

高校の全国フェスもこうはいかないから、やっぱりすごいことだと思う。

何となく派閥みたいなものが見えてきた。活動が活発なのはいいことだが、各々が勝手な方向を向いて、互いが互いの悪口を言っているのは見苦しい。それだけでなく、大切な部分で足並みがそろっていないのが情けない。

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ARTE MANDOLINISTICA

活動の幅が広く、若い世代からはそこそこ信頼も得られているのではないだろうか。しかし、2012年頃の丸本大悟作品集ピークに演奏会での方向性が定まっていないのが不安である

私が地方高校生の頃は遠路はるばる聴きに行ったが、今は関西関東学生集客すら苦戦しているようである地方出身の私からすると、目の前にいい演奏があっても行かないなんて信じられないことだが…。

交響曲シリーズ個人的には大好きだが、業界人間の興味を惹くには的外れ(これには思うところがあるけど)で、一般の人には何だかんだハードルが高くなっている気がする。業界に向けるか、一般に向けるか、折衷案をとるか、悩ましい部分だが、ここが上手くいけばマンドリンオケコンサートで新しいスタンダードが出来て、全体の集客にも貢献できると思うので頑張ってほしい。

マンドリン響演

先日、京都で行われた演奏会プロ奏者の演奏公募した奏者(主に学生かな?)によるオケ演奏会。実力者が集った演奏の上に、オケに乗れば指導を受けられるという仕組みは非常に魅力的だ。特に比較学生団体が盛んな関西地区でこのような機会を設けるのは良いことだと思う。モチベーションアップにつなげてほしい。

同じことを、次は関東でも出来ないだろうか。学生団体社会人団体が乱立している関東地区は、指標となる奏者、団体に乏しかったり指導者同士の絡みがあったりして何となく全体のレベルの魅力が低く感じる。奏者人口は多いので、こんな機会があればいいのにな、と思う。

Mandolin Lovers Club

試みとしては非常に面白い。有料会員制をとったこと、奏者が頭をひねってコンテンツを全力で提供することは意義深いと思う。マンドリンオーケストラでの演奏会というのが一つの活動単位となっている感がある。それに対して、演奏会1回分の値段(マンドリンで3000円取るところは少ないけど)でコンテンツ提供しているのは発送としては良い。

しかし、時期尚早かと思う。そのように価値判断を出来るアマチュア奏者は非常に少ないのが現状であるマンドリンオケだと無料演奏会が基本となっているなかで、そのようなコンテンツお金を払う意識がきちんと芽生えるかが大きな課題である本来なら、もうワンクッション置いて、マンドリン業界における価値(お金を払う場所)についての意識が高まってからこのサービスが出来たのなら最高だったと思う。

無駄な対抗意識

アマチュア奏者でも、プロ奏者でも、指導者でも、互いが互いの足を引っ張ることが非常に多い。

とある団体で賛助で出たときアンケートを読ませてもらったら「○○(普段私が所属しているオケ)より上手かった」と書かれていた。純粋無垢高校生が書いてしまうならともかく、わざわざ他所団体を引き合いに出してくる大人がいることに笑ってしまったし、関係者が乗っていることに気付かない(普通気付かないだろうけど)ことにさらに笑ってしまった。

百歩譲って、アマチュアだけでやる演奏会であれば理解は出来る。他所団体に負けたくないから同じ曲をやるとか、初演が良くなかったから再演したいとか、器が小さいとは思うけど、人間なんだからそういうことはあってもいい。

問題は、演奏会以上のことでそれが発生することだ。

高校の全国フェスでは、審査体制が変わって、あげくに大会名前が変わって大騒ぎになった。自分の頃よりは審査はマシになったけど、ちょっとマシになったところで止まってしまっている。その頃に「他のコンクール演奏した曲を全国フェスでは演奏してはならない」という規約がついたことには卒倒しそうになった。誰がどう見ても、アルテの合奏コンクールへの嫌がらせだった。

ARTE国際もそうだ。せっかくの三連休で大きな行事をやるというのに、そこに演奏会を合わせてくる、被せてくる団体結構多い。何も一番規模の大きいコンクールに合わせなくても…と思う。高校の全国フェスに合わせて演奏会をする団体はいない、下手したら独奏コンクールでもいないにも関わらず、アルテがやるときはそういうことを平気でしてしまうのは腑に落ちない。方法はともあれ、頑張ろうとしている人の揚げ足をとっているように感じる。

(同じようなことをトップの人が個人アカウントで言っていたが、言い方がやらしすぎる点には共感できなかった)

コンクールはみんなで支えてあげようよ

支えると言っても、みんながスタッフをやるとか、そういうことじゃない。コンクールに行って、感想Twitterに書く。全国フェスでもARTE国際でも独奏コンクールでも、全部一緒だ。

チケットを買って、聴きに行く。一人じゃなくていい。大学メンバーをみんな引き連れてとか、オケマンドリンパートだけでも一緒に行くとかでもいい。

普段の態度が気に入らないとか色々あるかもしれない。でもそんなのは演奏会でやろう。

(個人的には、演奏会にも行かず、聴きもせず「気に入らない」と言ってしま人間が最も愚かだと思うので、そのままのスタイルマンドリン生活を楽しんでればいいと思う)

あるいは、そんなに気に食わないなら自分達でコンクールを開いてみるとか。

精神論になってしまって恐縮だが、私はコンクールを聴きに行くと、楽器が弾きたくなる。「その程度かよ」と思われるかもしれないが、足を運べば確実にモチベーションが上がる。そこから楽器を上手くしていこうと思うのは別に恥ずかしいことではないと思うがいかがだろうか。上手くするモチベーションがなくても、得られるものはあると思う。

以上、高校フェス出身者の戯言。

2017-10-01

ツイッター技術

ツイッターで生き残りながら、4桁フォロワーをゲットできる方法を考えた。

  

① リプでなくファボ

② 『界隈』をフォローする

③ リプはファボをくれる人とだけする

④ 変な人に絡まれたら、2日くらい鍵垢

⑤ 「意見交換」はしない。共感だけして、話を濁す。

⑥ 価値判断はしない。仮にするときも、「~~って2chで見た」とか、他人意見にしとく。

⑦ ネガティブ話題は裏アカウント

⑧ RT引用RTは、50リプに1回くらい。

⑨ 引用RTよりは、RTしてエアリプ

2017-09-26

私の左翼右翼

右翼左翼というカテゴリは、なぜか人に完全な説明を与えたような錯覚させる言葉だ。

一般的左翼的言説は、左翼進歩的であったり、人間中心的であったり、自他的であったり、自利的あったりする。

一般的右翼的言説は、右翼保守的であったり、自然中心的であったり、集団的であったり、個人的であったり、規律的であったりする。

これだけ雑多な概念ではあるが、左翼右翼対立していたり、対立していないこともある。

わたしは2つの概念に、どちらがより悪いかということを言うつもりはない。

これから書くのは、左翼右翼にある対するよくある誤解をできるだけ解いていこうという試みである

といっても私の力不足により、今は3つしかなく内容も不明瞭に見える。

それと誤解と断定して書いたが、恐らくは誤解であるという所だ。

なぜなら、左翼右翼完璧定義付けを、私はしないつもりだからだ。

それでは、なぜ左翼右翼に対する誤解と言うものを書けるのか。

それは左翼右翼に対してよく言われる一部の定義を仮として当てはめた時、明らかに左翼右翼思想が成り立たなくなり

そうなったときに、彼は左翼だ、右翼だと言うことがほとんど不可能になると思われるからだ。

ここで私のひとつ立場を明らかにしたいと思う。

私は"思想ジレンマ"というような言説、態度を認めていない。

どちらかのジレンマによる、右翼左翼キメラ的態度を認めないということだ。

(哲学的に言えば、ヘーゲル止揚という概念を認めていない。)

それを踏まえた上で、左翼右翼に対する誤解について書いていこうと思う。

左翼進歩的であり、右翼保守的である

左翼的言説とは、現状を改革することや、何かを変えようとの意向を持つ言説であろう。

右翼的な言説は、現状を守るときや、何かを大事にしようとするときのものだ。

これらから左翼は常に革命を求めており、暴力的であるとか、右翼は頭が固く時代遅れだなどと言われる。

まず、最初左翼的な言説に、まるで保守性がないというのは成り立たないことだ。

左翼が変革を起こす時、現状をすべて破棄するか、一部を破棄するかというどちらかを選択するだろう。

そして現在には存在しない概念を(規則など)を落ち込むことになる。

もし、その概念批判があれば、左翼はこれを守らなければならない。

その守るための言説に保守的言葉が無いとしたら、明らかにその概念はたちまち崩壊するだろう。

批判者の言説とは、おおよそこのようなものだろう。

君の進歩的概念適用された世界を認めたとして、その世界をどのように(同じような進歩的概念から)守るのだ?

次に右翼的な言説に、現状を進歩させるものではないとするものだ。

これは左翼的な言説に保守的な言説が混ざり込む以上、彼らは、その保守的な言説と戦わなければいけない。

その戦う言説が保守的ものだけであれば、ともに共存することになる。

右翼保守的なだけであれば、不純物と共存するだけである

そうではなく、現状維持のためであれば、不純物は取り除かなくてはいけない。

不純物を取り除いた後に、根本の原因である現状の変革を実施する。

劣化し始めるもの進歩し始めるのも、現状に問題があるためであり、その現状を彼らは変革するのである

しかし、その変革とは公平に見るとすれば進歩のものである

左翼保守的に見えたり、右翼進歩的に見えたりするのは、そもそも左翼進歩的であり、右翼保守的であるということを誤解していることによるのである

  

左翼相対的であり、右翼絶対的である

ここで抽象度が一気に上がって申し訳ない。

相対的であるとは、相対論自由という概念などである

(自由という概念は、相対的でないと成立しない。

もし私がりんごを食べるとして、ある場所では犯罪だが、ある場所では犯罪ではないとすれば

食べる場所によって犯罪の可否がきまるため、私がりんごを食べる自由相対的であると言える。)

絶対論とは、~べき論や、どこであろうと適用されることを望んだ言説である

これらにより、左翼優柔不断、すぐ裏切るなどや、右翼は頭が固い、傲慢だなどと言われる。

では、これも同じように左翼絶対的な言説が入り込む余地が本当に無いのだろうか?

その前に、左翼進歩的言説を行うものであることは、すんなり頭に入った人たちでも、

左翼相対的言説をしているか左翼だと認識することはあまりいであろうと思われる。

ここで相対的言説と絶対的言説について少し書こうと思う。

相対的言説とは、まさに例を取ってあげれば左翼的言説に近いもので有ることは理解してもらえると思う。

例えば自由や愛、幸福などだ。

自由を仮に絶対的定義しようとすればまさしく絶対的自由から抜け出すことこそが自由であると言うことが分かる。

こうすると、自由相対的という定義に転がり当てはまる。

絶対的言説とは、言説による力を発揮する場所定義するということである

例えば、国、集団など。その限定された場所によって、定義された言葉が、それに見合った意味となる。

さて、左翼相対的であるとのは、相対的言説を用いているかである説明した。

しかし、それは誤解である

左翼は確かに相対的言説を用いているが、よく見ればそれは、条件付きの相対的言説なのである

左翼相対的であるために、一定絶対性を必要としたのだ。

自由という概念は、他に絶対性がなければ、自由のもの絶対的ものとなってしまう。

そこから抜け出すために、一定絶対性を用意し、その絶対から自由を得ているのだ。

そのため左翼は完全に絶対的もの使用するため、完全に相対的であることはできないし望んでいない。

では、右翼はどうだろうか、右翼絶対的であろうとし、あらゆる不名誉を得てきた。

右翼絶対的たりうるための場所定義するが、その場所定義するプロセス相対的である

それは場所とは、物理的に言えば、自然によって決まっており、自然がもたらした、ものによって人が決めるのである

ある場所は良くないが、ある場所が良いといのは自然により決定している。

そして、場所定義することが相対的であるがゆえに

定義後の絶対性の担保にも相対性使用する。

こうして、右翼も完全に絶対的であることができず、また望んでいない。

左翼相対的に見える場合は、条件付けを見れば誤解であることに気づき右翼絶対的に見える場合は、場所定義確認すれば誤解であることが分かるのだ。

まり左翼相対的であることも、右翼絶対的であることも誤解である

  

左翼は実利的で、右翼は実利的ではない。

左翼が実利的に見えてしまうのは、ほとんど悪名高き功利主義によるものだ。

右翼功利主義をもたない。なぜなら功利主義幸福に関する思想であり、幸福という概念相対的言説だからである

このせいで、左翼感情のない人間という扱いになり、右翼計算の出来ない人間と言われる。

これは功利主義短期的な実利主義であるという誤解からまれている。

功利主義とはその場の短期的な視点での価値判断使用される思想ではないということだ。

もっと長期的な10年、100年というスパン幸福について考える思想なのだ

これらの左翼右翼の誤解はそもそも問題としては何なのだろう?

私が思うに左翼右翼という概念が、その人自身属性となってしまうことによるものだろう。

有る考えが進歩的であったとしても、その人自身はまるで関係ないはずである

しかし、左翼右翼とするとその場合は、人間と結合し、その人間自身左翼右翼的存在となってしまう。

本当に気をつけなければいけないことは、左翼的右翼的であることが、その本人の属性として、その本人の全人格を表すようにみていないかということだろう。

2017-09-10

https://anond.hatelabo.jp/20170910143036

学校に通ってた時から今までよく分からないんだけど、なんで嫌なことを仕事にするんだろう。好きなことで食っていくと公私が切り分けづらくなってしんどいというのは聞くけれど、仕事はつまらないもの、仕方なくやるもの、更に言えば誰の得にもならないけれども生きるために仕方なくやるものという観念は一体なんなんだろうと思う。

生きるために仕方なく作られた車を選んで買うか? 生きるために仕方なく作られた料理を選んで食うか? 収容所じゃあるまいし。この嫌儲思想人生への拡張は負の効果しか生んでいないと思う。別に社員が嫌な思いをすることが仕事を達成する必須要件じゃない。社員の内部がどうなっていようと、仮に会社を心底軽蔑して片手間でやっていようと、元締のアガリが悪くなければ関係ない。居酒屋バイトのように何も意味のないことを楽しい思い込み続けることで苦しみを軽減するのもどうかと思うけど、何らかの苦しみを個人が得ることを価値判断基準に置く日本型労働観は薄気味悪いし、悪い文明だと思う。

苦しみから逃れることを動機として作られた成果物はなべて質が低い。投資効果が低い。運転免許試験場食堂の飯はその辺の安い食堂より高くてまずく、しかしかかっているコストは同じだ。競争がなく楽しみがないことが改善を抑止し、右から左価値をただ流せばよいところで、一旦破壊してから渡すように仕向けてしまっているんだ。元増田が苦しんでいるような労働本質個人への拷問であるという観念では、労働者の受けている苦痛は同程度だから過程正当性があり、したがってここには何の問題もないと判断してしまう。

賃金ビジネスによって作られた価値の分配であり、労働は行動と相互承認によって価値を作り出す行為だ。構造の維持作業ではないし、拷問でもない。そろそろこういう現代仕事観を広めてもいいんじゃないか?

2017-08-29

日向市PR動画賞賛するフェミニストに思ったこと

話題日向市PR動画見たけど、個人的にはすごく好感の持てるPR動画だと思った。あの動画いかなる程度であれルッキズムが潜んでいることは否定しようがないけれど、僕個人としては社会的抑圧の一切を否定した社会はハクスリー的なディストピアしかないと思ってるので「海、似合ってないね」程度の抑圧は彼と同じく「ほっといてください」と言って許容出来る範疇 にある。‬しかし、それでもやはり肥満体型と似合う似合わないという価値判断を結びつけている以上そこにルッキズムという抑圧が存在していること自体は疑い得ない事実である。ところがその事実すら否定したがる一部のフェミニストたちがいるらしい。

サーフィン練習を重ねた結果として体が引き締まることを自然の結果だと言うなら、なるほど一般的に言うルッキズムもある程度自然根拠を持つものだと言えるだろう。しかし、海に似合う男が体の引き締まった男性なのだとしたら、つまり自然身体の一致を以ってして似合っていると呼ぶのであれば、男女で所与の身体的条件に差異存在しているのも自然になるわけで、したがって生理妊娠などによっても社会活動制限のかかる女性社会進出を目指すことは女性に「似合っている」とは言い難いように思う。それは当然女性社会進出を訴えてきたフェミニストには受け入れ難い主張かもしれない。

思うにフェミニズムという思想が上述したようにいくらかは自然根拠を持っている社会的分業に反対するものとして登場した思想であることを考慮すれば、その根底においてフェミニズムは反自然的性格を備えていることがわかる。それはつまり自らの生物としての女性性に対する根源的な自己嫌悪とも言える。このように考えた場合フェミニストがこのPR動画におけるサーファーの「海、似合ってないね」というセリフを見てそこに普段から自分たち解放されることを望んでいるのと同種の自然の軛を見ずに、あまつさえ他方にあってはその軛を肯定して自らの軛から解放手段にしてしまうのであれば欺瞞も甚だしいと言わざるを得ないだろう。

2017-07-23

AIの件定義的にAIかどうかとかいうことよりAI位置づけることで価値判断人間から切り離されてるかのような印象の付け方になるのが悪質過ぎる

2017-07-10

古代種族クーラーについての覚書

一般には知られていない闇の歴史となるのだが、この地球支配種族クーラーなのだ

この猛暑の中外回りをしている勤勉な増田には理解してもらえると思うが、地球と呼ばれるこの惑星において最も偉大な種族クーラーであり、俺たち人類は、彼らの吐き出す冷気に寄生していっときの安らぎを得る未開の番おくにすぎない。

日本以外でもそれは完全な事実なのだクーラーなんて使わないよ? とうそぶく北欧国家はもう完全にやばい

あれは山脈の頂上近辺とかに、巨大クーラー様が鎮座してて国家どころか地域ごと冷房しているか一年中快適気温なのだ。夏の間だけクーラー面従腹背しているような、半端な文明国とは違う。国家ぐるみクーラー様を信奉しているのだ。万年ツアーとか聖地巡礼みたいなものだ。

古代種族クーラー本拠地南極だ。狂気クーラー地球を凍結させようと、白熊あいてにシロクマアイスを量産している。地球温暖化がいまのようなペースでとどまっているのも、この古代種族の偉大なる英雄南極かき氷を作ってるからなのだ

人類最後の牙城だと思われていたアフリカ諸国最近きな臭い茶色くて乾いたぺんぺん草しか生えていなかった荒野が灌漑されて、近代的な大学オフィスビルが立ち並び始めた。言うまでもなくそれは古代種族クーラーテリトリーだ。

世界経済の発展やグローバリズムというのは、クーラー族がその勢力範囲を拡大するために人類に授けた叡智なのだ。いいや、それを叡智と呼ぶのは矮小なる人類価値判断しかなく、本当は空調機械がこの地球の表皮を覆うための生存戦略めいたただの自然帰結なのかもしれない。人類のちっぽけな知能では、古代種族の深い考えなどわかるはずもないかである

賢い増田は、偉大なるクーラー様の支配を拒むことはないと思うが、世間では(特に市役所とか?)が設定温度を28度とかにして、結局室温は30度超えてるじゃんなどという、文明人にあるまじき反抗作戦を繰り広げていると聞き及ぶ。

愚かなことだ。

古代種族人類ことなど気にもかけていないのだ。クーラーは何も奪わず、与えない。熱交換はただの交換でありエントロピーは増大するのみである支配種族に逆らうことに意味はない。彼らは人類に悪意は(あえて言うならば、もちろん好意も)ないのだから

この秘められた事実が露見した場合、僕は反クーラー主義者たちの凶弾に倒れるかもしれない(彼らは長い間義務教育教室にはクーラーを設置させないという差別を行ってきたことに注意すべきだ)。

そこで匿名であるこの場所秘密を残す。

増田諸氏には懸命なる判断を願うものだ。

偉大なるクーラー支配なき君臨に希望をつなぐ。

2017-07-07

https://anond.hatelabo.jp/20170707214614

まさにそういう子孫を残さない働き蟻は生物として下等みたいな価値判断のものを疑わないのがバカだと思うんですよね

2017-06-15

https://anond.hatelabo.jp/20170615232027

意味がないというのはあなた勝手価値判断ですよね

救われた100人にとっては意味があるでしょう

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606135417

何の責任

官僚に嘘までつかれる妨害にあって基地移転ができなかった責任

それならこうしてそもそもそんな非民主的国家から変えようと草の根でがんばってるのがそれだよ

鳩山が実行出来た政策なら、記者クラブ開放も道路無料かも高福祉化も円高国内生活が楽だった事も

俺は全て良かったからなんの責任もとる必要は感じないが

 

とこれぐらいは俺は宣言出来る

賛否はあれどそれが俺としてはもっとも正しい考えだったと自信があるから

安倍信者でこれができる奴を見た事がない

 

一応言っとくけどそれは謙虚なんじゃなくて無責任なんだよ

有権者には価値判断をする義務があるんだから

この義務を果たす事が民主主義国家愛国。国への責任を果たすという事

2017-05-25

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論:場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかい単語容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフ研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞データベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイト自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します

たとえそれが個人的談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学研究なら普通は発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞投書欄分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿分析発言者特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄り発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

=何が言いたいかというと、確かにあの論文研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答ボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生研究助教准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

  • リンク先で言われている「社会調査」の例
  • 今回の調査は「ネット上に公開された小説分析
    • なので仮にあてはめるとするなら「図書館に行ってLGBT団体の機関誌を調べてどんな人がどんなことを書いているか分析する」に相当する
      • 普通、そういう調査をするに際して、当該団体の許可は要りません(その団体の会員にしか配られなかったので、その団体が所有する図書館でしか読めません、というなら別だけど)。当たり前だよ、侵襲性がないんだもん。今回のは、その文献調査で知り得た情報をどのように扱うべきだったかという話でしょ。何度も言うけど発表された二次創作を無断で分析するのは原理的にはやっていいんですよ
  • なのでこれは、医学や文化人類学社会学フィールドワークとは根本的には違う話です
    • それらの学問では、患者さんや調査対象の人たちに時間を割いてもらって、必要とあらば彼らの社会に住み込むことによって、個人情報も含めたデータ提供してもらいます。侵襲性が高いというのはそういうことです。それらの学問では調査すること自体が彼らに迷惑をかけてしまうことになるんです。だからちゃんと事前に許可を取ったりしないといけない。でも、インターネットで公開された文章を検索したり、図書館雑誌を探したりするだけなら、調査対象に迷惑はかかりません。だから調査対象にいちいち許可を取る必要なんてありません。ただ、それによってセンシティヴな情報が得られることもあるし、それは研究発表のときに注意しないといけない、という話

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館雑誌バックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:nt46

医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん

カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

id:ajtpyomkptm

二次創作研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。

前例はあります

今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究もっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。

まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。

あとこれ言うと揚げ足取りなっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします明治文学研究とかルール違反百貨店や~。

追記

これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。

2017-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20170520232749

これだけをもって友人への利益誘導根拠とするのは、筋悪だと思います

うそう。今はあくまで、疑いの段階なんだよ。

グレーか黒かは知らないけど、少なくとも白ではない。

価値判断問題ってのもわかるよ。

から政府は色々説明しないとダメだよね、ってみんなにわいわい言われてんの。


政府はどういう価値に基いて判断したのか、どういう流れで今治に決定したのか、

その辺の判断私的利益誘導が絡んでないか

そういったことを示さないといけないんじゃないの。

加計学園の偉い人は総理の友人だし、日本会議関係者の前知事も一役買ってるみたいだし。

2017-04-10

【ノマカス】の正体、真相とは?

以下は、いわゆる【ノマカス】特有性格性癖性向、発想等に関する所見です。

(1) 腐女子に対する、抑えがたい差別意識侮蔑の念の虜になっている。

(2) 人種性格ネトウヨに近く、ヘイトスピーチ恫喝が得意である

(3) 【男女】、【公式】の価値など、【本音】では全く信じていない。

(4) 自分他人との関係を、優劣、強弱、上下という視点で捉えたがる。

(5) 姑息な【ステID】、【ID非公開】による、無責任投稿をしたがる。

(6) 自分オタクであることを棚に上げたまま、平然と他人(主に腐女子)に罵詈雑言を吐きたがる。

(7) 腐女子に対する、異常なまでの猜疑心、不信感に凝り固まっている。

(8) 【本音】では、【男女】の恋愛結婚など考えていない。

(9) セックス結婚、貞操に関する既成概念固定観念に囚われている。

(10) 価値判断を下す際、安易に既成の規範権威追従迎合したがる。

(11)「なぜ?」、「なぜなら」という論理的因果論的思考を苦手とする。

(12) 自己批評諧謔性、ユーモアへの興味・関心が驚くほど欠けている。

(13) 他人建設的な議論をするよりも、問答無用自己主張をしたがる。

(14) 自説・持論の根本的な拠り所も、人生の最終目標も見えていない。

(15)【腐女子】だけでなく、【男女カプ派】からも嫌われているとの自覚がない。

(16) 自分を【ノマカス】ではなく、【男女カプ派・女オタク】だと勘違いしている。

(17) 確たる証拠裏付けのないまま、すぐに【腐叩き】に囚われたがる。

(18) 内部に無数のコンプレックスを抱えているのに、その自覚がない。

(19) 【ノマカス】は同性愛への過干渉DVモラハラ危険性を孕んでいる。

(20) 自分不如意自力解決しようとせず、腐女子のせいにしたがる。

(21)他説を批判する際、原文引用を避け、故意に歪曲して紹介したがる。

(22)【not腐】と【ノマカス】の間の明確な線引きを求めると口を噤んでしまう。

(23)男女カプ好きか【ノマカス】かどうかを客観的に調べる方法には触れたがらない。

(24)【男女】で語るのは自然と言うが、自然が何かの説明はない。

2017-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20170405201243

一応マナやー最低限の分別はあるつもりです。

太鼓持ち本音が言えない → 思ったことをいえない。というのは積極的本音を言いたいというわけではなく、

自分が思ったことや取りたいリアクションを取るより、女性の望むリアクションを取り続けなければ、

女性の望む会話や満足する会話は成立しないのか?? という疑問からスタートしている考え・表現です。

で、”あわせる”という行為がまず思いつくわけですが、

そういう微妙機微女性は見抜いているのか、で、あわせてくれてるけどつまんなーいみたいなのか、

あわせてくれようとしてるけど、全然わたしたちあってなーいみたいなのかどうなのか。

いや、まぁ社会人とか初対面のそれだけの関係なら本音をいっちゃまずいですよ。そりゃそうですよ、

ただ友達なり、恋人なり、関係を縮めていく二人が、互いの考えや趣味志向のすりあわせをしていくなかで、

素や本音女性の言ったことに、嫌、俺はこう思う!がどこまで受け入れられるのかって感じです。

ばればれにあわせられるのは嫌、でも本音をかえされるのも嫌となったら、正直お手上げです。

上述の通りですが、あわせることの認識レベル、あわせるについての価値判断レベル、それを踏まえて

会話形式として、どういうスタイル・ありかたを臨んでいるのか(結論理想)を知りたいってことで、

質問にいたるわけです。すいません2番目と3番目の返答は、返答の前提が幅広くなりすぎて、

ちょっと、消化できなかったです。

2017-03-31

菊池誠どうしてこうなった

菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。

現在では一山いくらネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。

しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。

というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。

菊池誠とは何をしていた人なのか。

2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。

これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。

この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。

また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいか評価すべきかということについて学んでいった。

よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。

当時その運動の中心にいたのが菊池誠である

ニセ科学ニセ科学批判

ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。

ニセ科学とは自然科学に関する嘘である

ニセ科学批判対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。

証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である

科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である

しかしながら個人霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判スタンスだ。

ニセ科学主体も様々である

営利企業大学教授特定肩書のない個人的ブログ政党や国そのものである場合もある。

彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益金銭)・社会的利益名誉)・思想利益党派性)・倫理的利益善意の施し)である

どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。

例えば近藤誠武田邦彦動機は金と売名だし、安倍晋三下村博文共和党言動党派性の発露であり、有象無象ブログ代替医療他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。

ニセ科学批判はこれらの動機や背景を問わずに殴りつける。

ニセ科学批判党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠言葉であるが、定義上これは正しい。

また、個々人のレベルで見ればその批判対象選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動総体として捉えればそれは働かない。

組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能からである

運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身党派性を表明しているに過ぎない。

例えばid:finalventにはニセ科学批判左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタから当局におもねった保守的運動である批判されている。

ニセ科学は大きくデマという概念内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学手続きの有無を利用している場合それをニセ科学呼称すると言い換えても良い。

ここからニセ科学批判方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。

例えば歴史学における歴史修正主義である

ニセ科学人文科学社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判ニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分からというだけである

ニセ科学批判参加者自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。

そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである

「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」

そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。

kikulogとtwitterから見た菊池誠

さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初テーマに関して結論を出さなければならない。

でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。

よく考えたら私は菊池誠親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。

でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。

(4/2追記)

どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。

・7年ぶりくらいに菊池先生名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。

菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災それから1年以上後。

2009年から現在に至るまで菊池誠ネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置id:hazumaちょっと似てる。

2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。

・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。

どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEASTSである

STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。

・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。

ブクマニセ科学批判ってもっとからあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語webだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。

以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。

2017-03-22

世の中面倒になって困っている

昔は「政府自民党が進めている事だから怪しい」「とにかく抵抗している人は素晴らしいし」みたいな素朴な価値判断しても、そんなに問題は無かった。

実際に近隣の国がミサイルで狙っているみたいな事態になって、複雑な個々の事案について、情報を入れて自分判断しないと白黒が付けられなくなってきたんだが、正直それは面倒だし能力的にもきつい。もう「自民党が決めるんだからろくでもないことだろう」みたいな素朴な判断では追いつかなくなってきている。

2017-03-16

中2の頃のカースト最上男子がブスで驚愕した

懐かしくなってふと中学卒アルを見てみたのだけど

中2の頃にクラスで一番影響力を持っていたスクールカースト最上位の男子の顔が平均よりかなりブスで驚愕した

(目頭の皮?が張り出したキツい一重で、鼻が低くて横に広がっていて、おでこが妙にへこんでいる)

私が中2の頃はというか、今になるまで、その男子に対してブスというイメージを全く持っていなかった

とにかくクラス支配している怖い男子というイメージがあるだけで、顔について何の記憶もなかった

 

空気に飲まれているときって冷静な価値判断が出来なくなるんだね

恋愛工学テクニックもこれなら通用してしまうかもしれないって思う

ブス顔であることがわからなくなるくらい支配的な空気をつくれば押し流せてしまう…

マスコミにはサイコパス多いって言うけど最上男子みたいなタイプがたくさん居るのかもしれない

空気をつくって大衆操作するのが上手いっていうか、正常な判断力を失わせるのが上手いっていうか

すごい、長年の呪いが解けたみたいな謎の感覚だ…

 

最上男子女子ワーストブスランキング主催するなどして恐れられていたのだけど

あと日常的に気弱で頭のぼんやりした男子を小突き回して笑いものにしていたのだけど

やりたい放題に振る舞いながら「鏡見ろよ」みたいな下剋上展開もなく、最後まで君臨していたな

みんな最上男子の顔を冷静に判断できてない、ブスだなんて思っても居なかったと思う

中3になってクラス替えで別れたから良かったけど、そいつが君臨してる中2の間は

誰がワーストブスになるか、ワーストキモ男になるか、最上男子の顔色伺って怖がってた

同窓会で会ってないからわからないけど、面接官も空気支配して、良いところに就職して、そつなく生きてそうだな…

 

私は共学の公立高校から共学の国公立大学に進んで、男性率が高いから男女両方と交流してきたんだけど

思い返せば見た目が普通以上の男女は好感度が高い順ランキングをすることはあっても

キモい、嫌いな異性についてランキングにすることは絶対に無かったわ

特定の一人の特定行為について最悪だと悪口を言うことはあったけど

何もしていない人でワーストランキング作るという発想は無かったと思う

この強制エントリーワーストランキングというの、本当に効果的な支配システムだな…

多くの人々は自分ミスターミスに選ばれることまでは期待してなくても、ワーストに選ばれるのは怖いと思ってる

そういう心理を利用して審査員みたいなポジションに収まって最上位…賢いよな早急に死ねばいいのに

http://anond.hatelabo.jp/20170316112345

うーん・・・言いたいことはすごくわかるし

もっと頑張ろうよって応援ニュアンスで言ってくれてるのだろうというのもすごくわかるんだけど

やっぱり利益を得るためにある、それができないやつはバカだという価値判断コミットする気になれない

自分能力で目の前の問題解決して利益を得て周りの人は一時的に満足かもしれないけど別にそこから何かを学んでくれるわけでもない

困ったらまた自分や別の誰かに解決してもらうだけ

どこに行っても大体そんな感じなので飽きて関わるのをやめる

知識を付けても詳しいオタクタスク解決してくれて万々歳っていう退屈なことの繰り返し以外に今は他人に対して何もできない

最近は一人で細々と創作活動してるほうが楽しい

2017-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20170314135543

なんでこんなんバカばっかの世の中になってるんだ?

政治家の悪気の有る無しとか要するに

誰がやったか

価値判断基準にしてますって言ってるのと同じ。

いい加減もう少し熟考しような。

2017-02-04

恋愛工学はアレだけど、正直、森岡氏もビミョーよ

http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602

森岡正博さんのブログコメント欄にて。

このブログ記事は、「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張をしておけば済むでしょう。

それにもかかわらず森岡さんは、非モテ男が理想的恋愛セックスをやる方法をについて語っておられます。そこが唐突だし、押し付けがましいし、私はあなたのそういうところが本当にイヤです。

  

>>女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方を伝えよう

>>長続きする恋愛必要なのは相手尊重できること、相手立場に立てること、相手共感できること、相手幸せを願えることである。そのベースができてはじめて、我々は恋愛技術性愛テクニックを互いの快楽のために肯定的に開花させることができる

  

↑ 私はこの手の語り口をたいへん欺瞞的に感じるのです。

藤沢某の"恋愛工学"なんかより、むしろこの語り口のほうが不愉快で、とうてい聞くに堪えられないものです。

私は上記のコメント投稿したが、あらためて解説しておく。

  

まず第一に、森岡は個人幸福政治的正しさをまるで一致するものであるかのように語っている。この点こそが彼の最大にして最悪の欺瞞である

私はこの二つのあいだに深い断絶、矛盾対立があると思っている。ふつうの人は誰しも政治的に正しくないことをやりたい願望があるはずだ。もちろん他人に優しくしたり、社会を良くしたいと求めるのは人間の本性だが、同時にまた、自己中心でわがままな願望を持ってしまうことも人間の本性なのである

森岡が言っている「相手尊重できること、相手立場に立てること、相手共感できること、相手幸せを願えること」は政治的に正しい。これは文句のつけどころがない。しかし、例えば私自身の性的欲望をかえりみて言わせてもらうと、そんなものは真っ平ごめんだ。つまり自分さえよければいい、1回だけセックスできればいい、女をやり捨てしてやりたい」と考えてしまうのだ。あと他には「レイプしてやりたい」という攻撃欲求だってある。

さすがにいささか露悪的な告白になりすぎたが、人の欲望というのは、多かれ少なかれ、政治的に正しくないもの反社会的ものを含んでいる。私は決してこの欲望肯定しろと言いたいのではない。無視するな、ごまかすなと言っているのである

例えば「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張について分析してみよう。これは私のような男の欲望無視していない。きっちりと敵対して抑えこむという形式を取っているのだ。

それに比べると、森岡の語りはこの敵対性をごまかしている。ごまかすどころか、味方のふりをして内心に踏み込んでくる。自分にとって何が幸せセックスなのか、それは私が決めるべきことであって、他人から上から目線定義されたくはない。この点で森岡の語りはデリカシーがなく不愉快だ。

  

第二には、森岡の主張に対し、私は倫理的意味においても反感を覚えた。

エサ(※この場合恋愛セックス)を目の前にたらして、それがほしかったらミソジニーをやめろ、人権思想を信奉しろというのである

これほど人をバカにした話があるか。利益誘導によって人を説得するのは、そうすること自体がきわめて倫理に反する。例えばもし長続きする恋愛なんかほしくない、共感なんかいらない、女性蔑視しながらセックスするのが好きだという男がいた場合、森岡は恋愛工学をすすめるつもりだろうか。

それにそもそも、ここで森岡が使っている“エサ”は空手形に等しい。キモくて金のないオッサンが森岡のメソッド実践しても、まあたぶんぜったいに幸せ恋愛幸せセックスもできない。オッサンではなく若者だって、うまくいかない者はいる。森岡がリベラルフェミニズム正義をふりかざすのは勝手だが、「これを信じれば幸せになれるぞ」という嘘と欺瞞でそれを糊塗することだけはやめてくれ。

  

第三に、リベラル観点から考えてみるなら、森岡の言っていることが正しいかというと疑問符がつく。

森岡のブログ記事は性暴力ダメ人権侵害からダメという政治的な話をしているのかと思ったら、唐突に“僕の考えた最高のセックス”について語り始めた。そしてこれがいかにもポリコレに沿ったものであるからリベラル思想の信奉者たちに受けがよさそうなものだった。

しかし、私は森岡の持論をむやみに賞賛するのはよくないと思う。本来リベラル立場としては、性暴力などの明らかな人権侵害を<悪>と定義してそれを法律抑制するとか、女性差別についてもやはり<悪>と定義してそれを無くしていく方針をとるべきだ。この方針は、個人がそれぞれ内心に持っている<善>・<幸福>の価値観に介入するということと、いくらか重なりあう部分もある。だが、この二つを混同してはならない。われわれが社会構成員に対して<悪>の定義強制することと、<善>・<幸福>の定義強制することは、根本的に性質が異なる。

森岡があの記事で語っている“僕の考えた最高のセックス”の主張は、あからさまに後者に該当する。リベラル立場からは「性暴力犯罪だ」とだけ言っておけばすむし、仮になにか道徳的言及をするとしても「女性蔑視はよくない」という話に留めるべきだ。そのさきは個人自由にゆだねればよく、むしろ安易に優劣をつけたり価値判断をはさむことは慎まなければならないだろう。だから森岡のように「政治的に正しくて理想的セックスを目指しなさい」などと他人要請するのは不適切なおこないだ。

  

第四に、森岡は不謹慎である

彼が非モテの男にアドバイスをすること、“僕の考えた最高のセックス”を力説することは、まったくの自由だと思う。しかし、それは現実に起こった性犯罪事件からめて言うべきことなのか?

森岡は自著『草食系男子の恋愛学』を引用して、「女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方」をすすめている。たしかにそれ自体は素晴らしいことかもしれない。だが、それは性犯罪とは直接関係がない。

これは性犯罪があったとき、男に代替となるセックスの利用をすすめる論法に似ている。すなわち、「風俗に行けばレイプなんかしなくてすむ」とか「嫁か彼女をつかって性欲を発散しておけ」というゲス意見のことだ。もしそれを真顔で言っているならばドン引きだけれども、森岡が今回やっていることからはそれに通底するものを感じる。

  

  

参考:この増田タイトルは、id:zaikabouさんのブコメから拝借しました。

2017-02-03

データ主義

データは何も言わない

データを見た人間が何かを言うのである

すなわち全ては人間価値判断にかかっている

データが無い時と何ら変わらない

まりデータはいらない

必要なのは教養である

2017-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20170120193853

んなことないでしょ。

覇権覇権って言ってる売り豚思考しか価値判断できないような奴と同列の世界いるから、そういう言葉しか目に入ってこないだけじゃない?

多数派の、男女で仲良く観に行ってる今時のふつーな若者たちはふつーに中身を評価してすごい良かったねーって言い合ってる。

まぁ俺みたいにおっさん同士で行った人も中身を評価し合ってるよ、よくできてる、昨今のオタク文化の諸要素をうまく昇華させてるってね。

新世代を感じさせる新しいタイプ監督だーみたいな概ね好評な考察メディア記事も初期にたくさん出てたけど読んでない?

まあなんにしろリア充だけじゃなく、すべてのオタクも(こそ)見ておくべき作品だよ。

2017-01-19

不細工遺伝で決まるから絶たなければならないのか?

不細工というのは美醜の基準に沿った価値判断だ。

そして、価値基準地域時代によって異なることも知られている。

すると、今の自分不細工であっても、同じ遺伝子を受け継ぐ子孫は美人遺伝子に変わっているということも考えられないだろうか?


あるいは、このような説明がある。不細工というのは、不利な形質をもつ個体を見分けるための指標として発現すると。

すなわち美しい個体健康遺伝子もつことが多く、醜い個体は不健康遺伝子もつことが多いのだと。

より健康個体に惹かれるために、われわれは美しさを基準にする感性生得的に備えているのだと。

一理あるように思われる。


しかし、生物には遺伝多様性説明される現象があるのではなかっただろうか。

すなわち、われわれ生物は雌雄個体のどちらもから遺伝子を引き継ぐので、遺伝的に近い個体同士の遺伝子を引き継ぐよりも、離れた個体同士の遺伝子を引き継いだ方が、多様な遺伝子個体が生まれ、種全体が環境の変化に左右されにくく生存やすくなる、というものだ。

この意味では、ある特定地域時代で通じる「美人」の遺伝子のみが残るコロニーと、それと比べて「不細工」の遺伝子も残っているコロニーでは、後者の方が生存確率が高いということになる。

すると「不細工」の遺伝子を残さないという選択はむしろ回避されるべき事態になるのではないだろうか?


このように、不細工から後世のために遺伝子を残さないという発想は、実際には正しくないのではないだろうか。

一方で、この美醜社会情況を考えると、「不細工であることに劣等を抱くのは至極普通のことであり、そうした感覚を持つこと自体は正しいというのは言えるだろう。

2017-01-13

職業威信スコアはそれ自体ブランド化に使われる

肉屋牛肉分析し、産地別、等級別にわけました。わたし価値判断をしておりません。神戸牛のA5が高いのはお前ら社会構造のせい」

我々は牛肉ではない。人間である

知る人ぞ知る、噂レベルでよかったんじゃないですか。

http://anond.hatelabo.jp/20170112222344

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