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はてなキーワード: 価値判断とは

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606135417

何の責任

官僚に嘘までつかれる妨害にあって基地移転ができなかった責任

それならこうしてそもそもそんな非民主的国家から変えようと草の根でがんばってるのがそれだよ

鳩山が実行出来た政策なら、記者クラブ開放も道路無料かも高福祉化も円高国内生活が楽だった事も

俺は全て良かったからなんの責任もとる必要は感じないが

 

とこれぐらいは俺は宣言出来る

賛否はあれどそれが俺としてはもっとも正しい考えだったと自信があるから

安倍信者でこれができる奴を見た事がない

 

一応言っとくけどそれは謙虚なんじゃなくて無責任なんだよ

有権者には価値判断をする義務があるんだから

この義務を果たす事が民主主義国家愛国。国への責任を果たすという事

2017-05-25

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論:場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

「分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかいう単語も容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフの研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物の名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石作品中における接続詞使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法の分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現フィルタリングのため」という目的で用法を研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞のデータベースで××年分の記事検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組を分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイトも自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者(創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します。

たとえそれが個人的な談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活の愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言を研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワーク経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学の研究なら普通発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞の投書欄を分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄に実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係の史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿を分析し発言者を特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄りの発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想を研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだからレイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性は全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者が特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

何が言いたいかというと、確かにあの論文は研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答でボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生の研究に助教と准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

  • リンク先で言われている「社会調査」の例
  • 今回の調査は「ネット上に公開された小説の分析」
    • なので仮にあてはめるとするなら「図書館に行ってLGBT団体機関誌を調べてどんな人がどんなことを書いているか分析する」に相当する
      • 普通、そういう調査をするに際して、当該団体の許可は要りません(その団体の会員にしか配られなかったので、その団体が所有する図書館でしか読めません、というなら別だけど)。当たり前だよ、侵襲性がないんだもん。今回のは、その文献調査で知り得た情報をどのように扱うべきだったかという話でしょ。何度も言うけど発表された二次創作を無断で分析するのは原理的にはやっていいんですよ
  • なのでこれは、医学や文化人類学社会学フィールドワークとは根本的には違う話です
    • それらの学問では、患者さんや調査対象の人たちに時間を割いてもらって、必要とあらば彼らの社会に住み込むことによって、個人情報も含めたデータを提供してもらいます。侵襲性が高いというのはそういうことです。それらの学問では調査すること自体が彼らに迷惑をかけてしまうことになるんです。だからちゃんと事前に許可を取ったりしないといけない。でも、インターネットで公開された文章検索したり、図書館で雑誌を探したりするだけなら、調査対象迷惑はかかりません。だから調査対象にいちいち許可を取る必要なんてありません。ただ、それによってセンシティヴな情報が得られることもあるし、それは研究発表のときに注意しないといけない、という話

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

私はこの論文にほんとムカついてる。めちゃくちゃすごい論文ならともかく、こんなゴミ発表のために何人もの小説書きさんが作品非公開にしちゃったりしたんでしょ。それでもって研究という営みや研究者への不信感を増大させている。オタクとしても研究をかじった者としてもほんとふざけんなという話だけど、それは無断引用で違法だからじゃないよね、って話。批判者たちが無断引用だ何だと言わず、なんだよこのクソ論文的外れな「分析」してんじゃねーよ上から目線でムカつくんだよ死ねよ、という主張で攻めていたら私は喜々として石を投げる側に加わっていたけどね。万死に値する大罪人でも間違った罪状で処刑されるのはやっぱり駄目だよ。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後リストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リスト必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会の研究倫理おかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的に関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館で雑誌のバックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:nt46

医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑からず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん

カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌に掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

id:ajtpyomkptm

二次創作研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。

前例はあります。

今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象を研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道の聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究はもっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬の分析とかもやってるし、そこまでおかし事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。

まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。

あとこれ言うと揚げ足取りなっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品から引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします。明治文学研究とかルール違反百貨店や~。

増田にも応答

http://anond.hatelabo.jp/20170526110709

今回の分野がどうだったか知らないけど、私が見てきた分野だと使ったものは閲覧日も添えてURL載せるべきだと思う。閲覧日は今回みたいに作者が引っ込めたら困るじゃん。困るっていうか、本だったら第何版みたいな話。あと他の人が"オラもやってみっぺ"ってなったら元データ必要じゃん。

これ、その通りです。どういう場合はその通りかっていうと、その記事それ自体に意味がある場合です。

たとえば、NHKウェブ版の記事を引用するときとか、政治家の人のホームページを引用するときとか、めちゃくちゃ大切な情報が書かれている個人ブログを引用するときとか、くっそ面白いウェブ小説文学作品として研究するときとか、Wikipediaデタラメが書かれているから批判したいときとか、そういう個々のコンテンツそれ自体に価値があって第何版を見たのかが大事ときにはURLは必須だし閲覧日も載せるべきです。

でも、「性表現のある小説を分析して表現技法を統計的に処理する」みたいな話だと、やっぱり事情は違うかなと。個別のテキストが問題になっているわけじゃないので。

その場合のトレーサビリティについては、「pixivの○月○日から×月×日にかけての小説デイリーランキングR-18上位20作」とかで確保できないですかね? 過去ランキングもやろうと思えば見れるんじゃなかったっけ。仮にできないにしても、URLをそのまま載せて相手に非公開にされたらどっちにしろから検証できなくなることには変わりないような……

2017-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20170520232749

これだけをもって友人への利益誘導根拠とするのは、筋悪だと思います

うそう。今はあくまで、疑いの段階なんだよ。

グレーか黒かは知らないけど、少なくとも白ではない。

価値判断問題ってのもわかるよ。

から政府は色々説明しないとダメだよね、ってみんなにわいわい言われてんの。


政府はどういう価値に基いて判断したのか、どういう流れで今治に決定したのか、

その辺の判断私的利益誘導が絡んでないか

そういったことを示さないといけないんじゃないの。

加計学園の偉い人は総理の友人だし、日本会議関係者の前知事も一役買ってるみたいだし。

http://anond.hatelabo.jp/20170520224056

返信ありがとう

読ませていただきました。

1の話の話

意思決定プロセス』の説明が不足している。

充分に時間を使って計画できる組織とそうでない組織があったのなら、公平ではないよね。

おまけ;http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2017-04-01

確かに一理あります

政府説明すべきなのは、空白地域に限るという決定をどのように行ったか

京産大には早めに伝えていたか、というところですね。

2の話の話

京産大京大連携して、iPS細胞関連の研究動物で進める計画も立てていたが、水泡と化した。

一方の加計学園はただのFラン大学巣窟だ。英語講義でbe動詞を教えてたところだ。

そんなところに何ができる?先端ライフサイエンス

根拠が薄弱と言わざるを得ない。

確かに京産大計画は耳目を引くものだと思いますし、

僕も京大への連携とか面白そうとは思いますが、

空白地域へ作ることと、大阪府立大の横に作ることを天秤にかけたとき

僕は、空白地域へ作るべきだと思います

京産大計画だって、よくよく見れば、机上の空論的なところが多いですよ。

本当に学部を新設すれば、獣医師の新たな需要を掘り起こせるのでしょうか?

実績のない大学と、京大連携?うまくいくの?

これは価値判断問題ですし、議論必要な部分ですが、

少なくとも、設置計画比較は、

すぐそのまま友人への利益誘導根拠付けるものではないと思います

岡山理科大Fランとかは失礼では?

それをいうなら、京産大だって学力でいうとたいした学校ではないですよ。

偏差値比較するなら、そこまで大差ないです。

逆にいうと、偏差値だけで大学判断してもいいのでしょうか?

岡山理科大学教員合格実績には目を見張るものがあります

中国地方では結構ブランド力があるのをご存知ですか?

繰り返しますが、これも価値判断問題です。

議論必要な部分ですが、

これだけをもって友人への利益誘導根拠とするのは、筋悪だと思います

2017-04-10

【ノマカス】の正体、真相とは?

以下は、いわゆる【ノマカス】特有性格性癖性向、発想等に関する所見です。

(1) 腐女子に対する、抑えがたい差別意識侮蔑の念の虜になっている。

(2) 人種性格ネトウヨに近く、ヘイトスピーチ恫喝が得意である

(3) 【男女】、【公式】の価値など、【本音】では全く信じていない。

(4) 自分他人との関係を、優劣、強弱、上下という視点で捉えたがる。

(5) 姑息な【ステID】、【ID非公開】による、無責任投稿をしたがる。

(6) 自分オタクであることを棚に上げたまま、平然と他人(主に腐女子)に罵詈雑言を吐きたがる。

(7) 腐女子に対する、異常なまでの猜疑心、不信感に凝り固まっている。

(8) 【本音】では、【男女】の恋愛結婚など考えていない。

(9) セックス結婚、貞操に関する既成概念固定観念に囚われている。

(10) 価値判断を下す際、安易に既成の規範権威追従迎合したがる。

(11)「なぜ?」、「なぜなら」という論理的因果論的思考を苦手とする。

(12) 自己批評諧謔性、ユーモアへの興味・関心が驚くほど欠けている。

(13) 他人建設的な議論をするよりも、問答無用自己主張をしたがる。

(14) 自説・持論の根本的な拠り所も、人生の最終目標も見えていない。

(15)【腐女子】だけでなく、【男女カプ派】からも嫌われているとの自覚がない。

(16) 自分を【ノマカス】ではなく、【男女カプ派・女オタク】だと勘違いしている。

(17) 確たる証拠裏付けのないまま、すぐに【腐叩き】に囚われたがる。

(18) 内部に無数のコンプレックスを抱えているのに、その自覚がない。

(19) 【ノマカス】は同性愛への過干渉DVモラハラ危険性を孕んでいる。

(20) 自分不如意自力解決しようとせず、腐女子のせいにしたがる。

(21)他説を批判する際、原文引用を避け、故意に歪曲して紹介したがる。

(22)【not腐】と【ノマカス】の間の明確な線引きを求めると口を噤んでしまう。

(23)男女カプ好きか【ノマカス】かどうかを客観的に調べる方法には触れたがらない。

(24)【男女】で語るのは自然と言うが、自然が何かの説明はない。

2017-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20170405201243

一応マナやー最低限の分別はあるつもりです。

太鼓持ち本音が言えない → 思ったことをいえない。というのは積極的本音を言いたいというわけではなく、

自分が思ったことや取りたいリアクションを取るより、女性の望むリアクションを取り続けなければ、

女性の望む会話や満足する会話は成立しないのか?? という疑問からスタートしている考え・表現です。

で、”あわせる”という行為がまず思いつくわけですが、

そういう微妙機微女性は見抜いているのか、で、あわせてくれてるけどつまんなーいみたいなのか、

あわせてくれようとしてるけど、全然わたしたちあってなーいみたいなのかどうなのか。

いや、まぁ社会人とか初対面のそれだけの関係なら本音をいっちゃまずいですよ。そりゃそうですよ、

ただ友達なり、恋人なり、関係を縮めていく二人が、互いの考えや趣味志向のすりあわせをしていくなかで、

素や本音女性の言ったことに、嫌、俺はこう思う!がどこまで受け入れられるのかって感じです。

ばればれにあわせられるのは嫌、でも本音をかえされるのも嫌となったら、正直お手上げです。

上述の通りですが、あわせることの認識レベル、あわせるについての価値判断レベル、それを踏まえて

会話形式として、どういうスタイル・ありかたを臨んでいるのか(結論理想)を知りたいってことで、

質問にいたるわけです。すいません2番目と3番目の返答は、返答の前提が幅広くなりすぎて、

ちょっと、消化できなかったです。

2017-03-31

菊池誠どうしてこうなった

菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。

現在では一山いくらネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。

しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。

というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。

菊池誠とは何をしていた人なのか。

2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。

これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。

この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。

また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいか評価すべきかということについて学んでいった。

よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。

当時その運動の中心にいたのが菊池誠である

ニセ科学ニセ科学批判

ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。

ニセ科学とは自然科学に関する嘘である

ニセ科学批判対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。

証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である

科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である

しかしながら個人霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判スタンスだ。

ニセ科学主体も様々である

営利企業大学教授特定肩書のない個人的ブログ政党や国そのものである場合もある。

彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益金銭)・社会的利益名誉)・思想利益党派性)・倫理的利益善意の施し)である

どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。

例えば近藤誠武田邦彦動機は金と売名だし、安倍晋三下村博文共和党言動党派性の発露であり、有象無象ブログ代替医療他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。

ニセ科学批判はこれらの動機や背景を問わずに殴りつける。

ニセ科学批判党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠言葉であるが、定義上これは正しい。

また、個々人のレベルで見ればその批判対象選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動総体として捉えればそれは働かない。

組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能からである

運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身党派性を表明しているに過ぎない。

例えばid:finalventにはニセ科学批判左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタから当局におもねった保守的運動である批判されている。

ニセ科学は大きくデマという概念内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学手続きの有無を利用している場合それをニセ科学呼称すると言い換えても良い。

ここからニセ科学批判方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。

例えば歴史学における歴史修正主義である

ニセ科学人文科学社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判ニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分からというだけである

ニセ科学批判参加者自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。

そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである

「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」

そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。

kikulogとtwitterから見た菊池誠

さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初テーマに関して結論を出さなければならない。

でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。

よく考えたら私は菊池誠親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。

でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。

(4/2追記)

どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。

・7年ぶりくらいに菊池先生名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。

菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災それから1年以上後。

2009年から現在に至るまで菊池誠ネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置id:hazumaちょっと似てる。

2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。

・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。

どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEASTSである

STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。

・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。

ブクマニセ科学批判ってもっとからあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語webだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。

以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。

2017-03-22

世の中面倒になって困っている

昔は「政府自民党が進めている事だから怪しい」「とにかく抵抗している人は素晴らしいし」みたいな素朴な価値判断しても、そんなに問題は無かった。

実際に近隣の国がミサイルで狙っているみたいな事態になって、複雑な個々の事案について、情報を入れて自分判断しないと白黒が付けられなくなってきたんだが、正直それは面倒だし能力的にもきつい。もう「自民党が決めるんだからろくでもないことだろう」みたいな素朴な判断では追いつかなくなってきている。

2017-03-16

中2の頃のカースト最上男子がブスで驚愕した

懐かしくなってふと中学卒アルを見てみたのだけど

中2の頃にクラスで一番影響力を持っていたスクールカースト最上位の男子の顔が平均よりかなりブスで驚愕した

(目頭の皮?が張り出したキツい一重で、鼻が低くて横に広がっていて、おでこが妙にへこんでいる)

私が中2の頃はというか、今になるまで、その男子に対してブスというイメージを全く持っていなかった

とにかくクラス支配している怖い男子というイメージがあるだけで、顔について何の記憶もなかった

 

空気に飲まれているときって冷静な価値判断が出来なくなるんだね

恋愛工学テクニックもこれなら通用してしまうかもしれないって思う

ブス顔であることがわからなくなるくらい支配的な空気をつくれば押し流せてしまう…

マスコミにはサイコパス多いって言うけど最上男子みたいなタイプがたくさん居るのかもしれない

空気をつくって大衆操作するのが上手いっていうか、正常な判断力を失わせるのが上手いっていうか

すごい、長年の呪いが解けたみたいな謎の感覚だ…

 

最上男子女子ワーストブスランキング主催するなどして恐れられていたのだけど

あと日常的に気弱で頭のぼんやりした男子を小突き回して笑いものにしていたのだけど

やりたい放題に振る舞いながら「鏡見ろよ」みたいな下剋上展開もなく、最後まで君臨していたな

みんな最上男子の顔を冷静に判断できてない、ブスだなんて思っても居なかったと思う

中3になってクラス替えで別れたから良かったけど、そいつが君臨してる中2の間は

誰がワーストブスになるか、ワーストキモ男になるか、最上男子の顔色伺って怖がってた

同窓会で会ってないからわからないけど、面接官も空気支配して、良いところに就職して、そつなく生きてそうだな…

 

私は共学の公立高校から共学の国公立大学に進んで、男性率が高いから男女両方と交流してきたんだけど

思い返せば見た目が普通以上の男女は好感度が高い順ランキングをすることはあっても

キモい、嫌いな異性についてランキングにすることは絶対に無かったわ

特定の一人の特定行為について最悪だと悪口を言うことはあったけど

何もしていない人でワーストランキング作るという発想は無かったと思う

この強制エントリーワーストランキングというの、本当に効果的な支配システムだな…

多くの人々は自分ミスターミスに選ばれることまでは期待してなくても、ワーストに選ばれるのは怖いと思ってる

そういう心理を利用して審査員みたいなポジションに収まって最上位…賢いよな早急に死ねばいいのに

http://anond.hatelabo.jp/20170316112345

うーん・・・言いたいことはすごくわかるし

もっと頑張ろうよって応援ニュアンスで言ってくれてるのだろうというのもすごくわかるんだけど

やっぱり利益を得るためにある、それができないやつはバカだという価値判断コミットする気になれない

自分能力で目の前の問題解決して利益を得て周りの人は一時的に満足かもしれないけど別にそこから何かを学んでくれるわけでもない

困ったらまた自分や別の誰かに解決してもらうだけ

どこに行っても大体そんな感じなので飽きて関わるのをやめる

知識を付けても詳しいオタクタスク解決してくれて万々歳っていう退屈なことの繰り返し以外に今は他人に対して何もできない

最近は一人で細々と創作活動してるほうが楽しい

2017-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20170314135543

なんでこんなんバカばっかの世の中になってるんだ?

政治家の悪気の有る無しとか要するに

誰がやったか

価値判断基準にしてますって言ってるのと同じ。

いい加減もう少し熟考しような。

2017-02-04

恋愛工学はアレだけど、正直、森岡氏もビミョーよ

http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602

森岡正博さんのブログコメント欄にて。

このブログ記事は、「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張をしておけば済むでしょう。

それにもかかわらず森岡さんは、非モテ男が理想的恋愛セックスをやる方法をについて語っておられます。そこが唐突だし、押し付けがましいし、私はあなたのそういうところが本当にイヤです。

  

>>女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方を伝えよう

>>長続きする恋愛必要なのは相手尊重できること、相手立場に立てること、相手共感できること、相手幸せを願えることである。そのベースができてはじめて、我々は恋愛技術性愛テクニックを互いの快楽のために肯定的に開花させることができる

  

↑ 私はこの手の語り口をたいへん欺瞞的に感じるのです。

藤沢某の"恋愛工学"なんかより、むしろこの語り口のほうが不愉快で、とうてい聞くに堪えられないものです。

私は上記のコメント投稿したが、あらためて解説しておく。

  

まず第一に、森岡は個人幸福政治的正しさをまるで一致するものであるかのように語っている。この点こそが彼の最大にして最悪の欺瞞である

私はこの二つのあいだに深い断絶、矛盾対立があると思っている。ふつうの人は誰しも政治的に正しくないことをやりたい願望があるはずだ。もちろん他人に優しくしたり、社会を良くしたいと求めるのは人間の本性だが、同時にまた、自己中心でわがままな願望を持ってしまうことも人間の本性なのである

森岡が言っている「相手尊重できること、相手立場に立てること、相手共感できること、相手幸せを願えること」は政治的に正しい。これは文句のつけどころがない。しかし、例えば私自身の性的欲望をかえりみて言わせてもらうと、そんなものは真っ平ごめんだ。つまり自分さえよければいい、1回だけセックスできればいい、女をやり捨てしてやりたい」と考えてしまうのだ。あと他には「レイプしてやりたい」という攻撃欲求だってある。

さすがにいささか露悪的な告白になりすぎたが、人の欲望というのは、多かれ少なかれ、政治的に正しくないもの反社会的ものを含んでいる。私は決してこの欲望肯定しろと言いたいのではない。無視するな、ごまかすなと言っているのである

例えば「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張について分析してみよう。これは私のような男の欲望無視していない。きっちりと敵対して抑えこむという形式を取っているのだ。

それに比べると、森岡の語りはこの敵対性をごまかしている。ごまかすどころか、味方のふりをして内心に踏み込んでくる。自分にとって何が幸せセックスなのか、それは私が決めるべきことであって、他人から上から目線定義されたくはない。この点で森岡の語りはデリカシーがなく不愉快だ。

  

第二には、森岡の主張に対し、私は倫理的意味においても反感を覚えた。

エサ(※この場合恋愛セックス)を目の前にたらして、それがほしかったらミソジニーをやめろ、人権思想を信奉しろというのである

これほど人をバカにした話があるか。利益誘導によって人を説得するのは、そうすること自体がきわめて倫理に反する。例えばもし長続きする恋愛なんかほしくない、共感なんかいらない、女性蔑視しながらセックスするのが好きだという男がいた場合、森岡は恋愛工学をすすめるつもりだろうか。

それにそもそも、ここで森岡が使っている“エサ”は空手形に等しい。キモくて金のないオッサンが森岡のメソッド実践しても、まあたぶんぜったいに幸せ恋愛幸せセックスもできない。オッサンではなく若者だって、うまくいかない者はいる。森岡がリベラルフェミニズム正義をふりかざすのは勝手だが、「これを信じれば幸せになれるぞ」という嘘と欺瞞でそれを糊塗することだけはやめてくれ。

  

第三に、リベラル観点から考えてみるなら、森岡の言っていることが正しいかというと疑問符がつく。

森岡のブログ記事は性暴力ダメ人権侵害からダメという政治的な話をしているのかと思ったら、唐突に“僕の考えた最高のセックス”について語り始めた。そしてこれがいかにもポリコレに沿ったものであるからリベラル思想の信奉者たちに受けがよさそうなものだった。

しかし、私は森岡の持論をむやみに賞賛するのはよくないと思う。本来リベラル立場としては、性暴力などの明らかな人権侵害を<悪>と定義してそれを法律抑制するとか、女性差別についてもやはり<悪>と定義してそれを無くしていく方針をとるべきだ。この方針は、個人がそれぞれ内心に持っている<善>・<幸福>の価値観に介入するということと、いくらか重なりあう部分もある。だが、この二つを混同してはならない。われわれが社会構成員に対して<悪>の定義強制することと、<善>・<幸福>の定義強制することは、根本的に性質が異なる。

森岡があの記事で語っている“僕の考えた最高のセックス”の主張は、あからさまに後者に該当する。リベラル立場からは「性暴力犯罪だ」とだけ言っておけばすむし、仮になにか道徳的言及をするとしても「女性蔑視はよくない」という話に留めるべきだ。そのさきは個人自由にゆだねればよく、むしろ安易に優劣をつけたり価値判断をはさむことは慎まなければならないだろう。だから森岡のように「政治的に正しくて理想的セックスを目指しなさい」などと他人要請するのは不適切なおこないだ。

  

第四に、森岡は不謹慎である

彼が非モテの男にアドバイスをすること、“僕の考えた最高のセックス”を力説することは、まったくの自由だと思う。しかし、それは現実に起こった性犯罪事件からめて言うべきことなのか?

森岡は自著『草食系男子の恋愛学』を引用して、「女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方」をすすめている。たしかにそれ自体は素晴らしいことかもしれない。だが、それは性犯罪とは直接関係がない。

これは性犯罪があったとき、男に代替となるセックスの利用をすすめる論法に似ている。すなわち、「風俗に行けばレイプなんかしなくてすむ」とか「嫁か彼女をつかって性欲を発散しておけ」というゲス意見のことだ。もしそれを真顔で言っているならばドン引きだけれども、森岡が今回やっていることからはそれに通底するものを感じる。

  

  

参考:この増田タイトルは、id:zaikabouさんのブコメから拝借しました。

2017-02-03

データ主義

データは何も言わない

データを見た人間が何かを言うのである

すなわち全ては人間価値判断にかかっている

データが無い時と何ら変わらない

まりデータはいらない

必要なのは教養である

2017-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20170120193853

んなことないでしょ。

覇権覇権って言ってる売り豚思考しか価値判断できないような奴と同列の世界いるから、そういう言葉しか目に入ってこないだけじゃない?

多数派の、男女で仲良く観に行ってる今時のふつーな若者たちはふつーに中身を評価してすごい良かったねーって言い合ってる。

まぁ俺みたいにおっさん同士で行った人も中身を評価し合ってるよ、よくできてる、昨今のオタク文化の諸要素をうまく昇華させてるってね。

新世代を感じさせる新しいタイプ監督だーみたいな概ね好評な考察メディア記事も初期にたくさん出てたけど読んでない?

まあなんにしろリア充だけじゃなく、すべてのオタクも(こそ)見ておくべき作品だよ。

2017-01-19

不細工遺伝で決まるから絶たなければならないのか?

不細工というのは美醜の基準に沿った価値判断だ。

そして、価値基準地域時代によって異なることも知られている。

すると、今の自分不細工であっても、同じ遺伝子を受け継ぐ子孫は美人遺伝子に変わっているということも考えられないだろうか?


あるいは、このような説明がある。不細工というのは、不利な形質をもつ個体を見分けるための指標として発現すると。

すなわち美しい個体健康遺伝子もつことが多く、醜い個体は不健康遺伝子もつことが多いのだと。

より健康個体に惹かれるために、われわれは美しさを基準にする感性生得的に備えているのだと。

一理あるように思われる。


しかし、生物には遺伝多様性説明される現象があるのではなかっただろうか。

すなわち、われわれ生物は雌雄個体のどちらもから遺伝子を引き継ぐので、遺伝的に近い個体同士の遺伝子を引き継ぐよりも、離れた個体同士の遺伝子を引き継いだ方が、多様な遺伝子個体が生まれ、種全体が環境の変化に左右されにくく生存やすくなる、というものだ。

この意味では、ある特定地域時代で通じる「美人」の遺伝子のみが残るコロニーと、それと比べて「不細工」の遺伝子も残っているコロニーでは、後者の方が生存確率が高いということになる。

すると「不細工」の遺伝子を残さないという選択はむしろ回避されるべき事態になるのではないだろうか?


このように、不細工から後世のために遺伝子を残さないという発想は、実際には正しくないのではないだろうか。

一方で、この美醜社会情況を考えると、「不細工であることに劣等を抱くのは至極普通のことであり、そうした感覚を持つこと自体は正しいというのは言えるだろう。

2017-01-13

職業威信スコアはそれ自体ブランド化に使われる

肉屋牛肉分析し、産地別、等級別にわけました。わたし価値判断をしておりません。神戸牛のA5が高いのはお前ら社会構造のせい」

我々は牛肉ではない。人間である

知る人ぞ知る、噂レベルでよかったんじゃないですか。

http://anond.hatelabo.jp/20170112222344

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20170109015341

Twitter&Togetterなんて「馬鹿が何かほざいてる」|「馬鹿が晒されてる」以上のことはないし

良いとか悪いとか価値判断してやる域には既にない

2016-12-24

マリオランはなぜ「高い」か?

かつてゲーム体験価値のものだった。プレイヤーは良いゲーム体験を求めた。ゲームをしている時間のために金を出した。

フリーミアムはそれを変えた。彼らはゲーム内部の価値に目をつけた。ゲームプレイすることは、体系内で与えられた多様な物を認識しそれらに対し価値判断を行うことを必然とする。ゲームが新たな価値観を生み、それに合った価値課金するという(マッチポンプとも言える)戦略が取られた。

新たな戦略ゲームの意義を変えた。ゲーム価値認識を植え付けるための装置となり、ゲームプレイは「労働」に変容せしめられた。「労働」を回避するため人々は動画広告再生し、金を払った。「ゲームをする」ためではなく「ゲームをしない」ことのために金を出すようになった。

ゲームプレイを「労働」と認識する人たちが、そのために金を出すということが有り得ようか。マリオランはフリーミアム認識の拡大を食い止めるための必死のあがきとも考えられる。現実世界で人々の価値観を変えるのは、しかし、ゲーム内での価値観を生み出すよりずっと難しい。

2016-12-07

最近できたトラバリー最近はてな匿名ダイアリーを知った人しかコメントできないなどといったルール

存在しないと思います

だれもそんなルール存在するとはいってない。

全ての増田記事をみて全ての記事トラックバックするというボットみたいな存在じゃない限り、

有る特定記事を見つけてトラックバックを書き込むという行為にはなんらかの価値判断基準存在して行われているのでは?

http://anond.hatelabo.jp/20161207151237

2016-11-29

謝ることに意味なんてなくない?

ずっと思っていたんだけど、みんな、謝るということに過剰に意味価値見出しすぎていないかな? って思うことがある。

「ごめんなさい」

すみません

申し訳ございませんでした」

そのことばを聞くだけで、溜飲を下げられるのすごいと思うし、

そのことばを言うだけで、様々なことを許してもらえるのがすごいと思う。

そんなに価値のある行為だろうか?

めっちゃ簡単だよ?

それを渋る人もよくわからないし、それを有難がる人もよくわからない。

もちろん「口先だけの謝罪になんて意味はない」って言う人もいる。

でも、俺からすれば、口先だけだろうと、心からのものだろうと、そもそも謝罪にそれほど過剰な価値ってなくない?って思う。

傷つけられたものや失われたものなどの、過去の損害について、謝罪で何かが変わるの? と思う。

もちろん、謝ることは「今後は正していきます」という誓約をすることにもなるから

謝られた側にとって、「今後は大丈夫だな」という未来安心を得られるということは分かる。

たとえば「一緒に仕事をしている人がミスをした→ごめんなさい今後は気を付けます→分かった許す」という流れは、まあわからなくはない。

よほどのミスでなく、ペナルティを課すほどのことでもなければ、

すみませんでした」の一言や、始末書一定価値を持つケースがあるのは理解できる。

でもそれはそのミスを許すことが、過去の損害を回復できるくらいのプラスになることと判断された場合だ。

だけど、起こした問題について何ら解決されていないのに、

あるいは、起こした問題について被害者利益回復できていないのに、

「ごめんなさい」の一言で、謝罪たから今後気を付ければOKって判断されちゃってること多くない?

そう思っているから俺はなんかやらかしとき、すんなりとめちゃくちゃ謝る派だし、

それで上手くやれているから、ありがたい部分もあるんだけどさ。

いま話題WELQとかがそうでさ、たぶん今後もあの事業収益を伸ばすわけだよね。

本当に誤ったことをしたことについて清算するなら、

問題になった記事で得た収益を全額医療業界寄付でもするべきだと思うんだけどそれはしないでしょ。

WELQだけじゃないよ。

ニコニコ動画YouTube著作権侵害しまくって成長したけど、反省して著作権とかもなるべく気を付けます~って切り替えたのとか、

PCデポ情報弱者だましまくって成長したけど、反省して今後の契約方法見直します~っていうのとか、

全部一緒。

だって不正なことをしていた間に儲けたお金はふところにいれたままなんでしょ?

それで許されちゃう

もちろん許してない人はいるかもしれないよ。

でも「許す/許さない」自体不思議価値判断

だって、許されなくても、続けていけるんだもの

一部の人からどう思われても、状況を知らない人を含むほとんどの人から悪いとは思われなくなり、

お金が手に入って、ごはんが食べられるのだもの

じゃ、捕まらない範囲で悪いことして、見つけられたら謝るっていう戦略めっちゃ正解じゃん。

あとで大げさに「ほんとごめんなさい!めっちゃごめんなさい!」って謝ろう、と思いながら、

みんなやりたいようにやったほうがいいんじゃない

から謝ることに意味がないって言いたいのはそういう部分。

どんな謝罪も、金を吐き出さなきゃ、ただの言葉じゃない?

誠意を見せろ」とか言いながら金を要求するのとかギャグだとは思うけど、

被害利益回復できるのは、言葉じゃなくてお金だと思うんだよね。

2016-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20161120172319

主張が超ふわっとしてるから論じづらいんだけど、その前提には「プアホワイト層=オシマイ」って考えがあるんだよね?(違ったらすまん)

けどさっきも書いたけど、キリスト教徒にとって経済的に困窮していることは不幸ではないんだろ?じゃあ「オシマイ」ってのは無神論者から価値判断なんじゃないの?噛み合ってんのその議論は。

あと、高潔さ=「求めるな」なの?それも含まれるだろうけど、それだけなの?

さらにいえば、プロテスタントキリスト教一種なんだから高潔さを求めるのはいっしょなんじゃないの?

2016-11-01

声を無くしたら僕じゃなくなる

この土日の間、何にも手が付かず。

何もせずただ天井を見て過ごしました。

それは、自分自分ミスを素直に認めずに、その場しのぎの発言をしていた時に言われた。「お前何がしたいの?」という言葉きっかけでした。

はたまた、別時にあることを聞かれ、触れられたくないがためについた小さな嘘に対して言われた「最初から本当のこと言えよ」という言葉でした。

心臓に刺さるような感覚を覚えました。

いつも自分がしている言動に対する率直な言葉なんだと思いました。

人生で初めて自分自分のことを客観視できた瞬間だと思います

遅すぎるけど。

これまで、よくわからないやつだといわれることは多かったのですが、その都度、同じ心臓で動いていないんだからそんなの当り前だろう、と考えていました。

そういった考え方は否定する気はないのですが、きっと、発言の捉え方が間違っていたんだと思います

それは相手の話を聞いていなかったし、相手のことを見ていなかったからで、そもそもなぜそういわれるのか全然考えていなかったからなんだと思います

話を聞くのが得意じゃないからと言い訳をして、自分正当化していただけなんだと思います。振り返れば、自分の中に軸がないことを誤魔化していただけなんだなあと。

自分に軸がないから、なんとなくその場に合わせてそれっぽいことを言って、それっぽいことをやっていただけなんだと思います

「考えてはいるんですけどね」なんて言い訳をしても、その考えを教えてくれって言われたら、何も答えられなくなる。思い返すとそんな場面が少なくないなあと。

相手からすると、そんなの考えたとは言わないし、だったら考えたなんて言うなよって思うのは当然だと思います

なんでそういう言動をしてしまうんだろうって考えた時に、上に書いた言葉が反芻されて、ああ、"自分の"軸がないからなんだって気が付きました。

自分価値判断基準を持っていないんだと思います

外部にそれを委ねていて、自分の内部にはないんだと思います

から自分言動が、誰かから見て"よくできた自分""すごい自分"、そんな何の役にも立たない判断基準によって構成されていたのではないかなと思います

自分自分をどう思うかということより、他人自分をどう思うかにばっかり目が向いていて、なんでもできるように振舞いたくて、嫌われないように振舞いたくて、だから自分の間違えを許容できないのだと思います

良い悪いの判断基準自分の外にあるために、何が間違いなのか自分判断できなくて、気付いたらどうすればいいかわかんなくなって、自信がなくなって、自分が嫌いになる。

そのくせ、他人に答えをきくのはかっこ悪いから、使えないって思われたくないから、プライドという殻で、自分の身を守ろうとする。

そして、基本的自分理解されないんだって人間孤独なんだって正当化する。

思い返すと、誰かに「お前の根底には不安や自信の無さがある」と言われたことがあります

その言葉を聞いて、その通りだって思ったのを強く覚えています

しかし、なぜそう思われたのかまでは考えなかったし、聞けませんでした。

自分はこのままでも問題ないのだという、根拠の無い自信があったからなのか、

単にこれまでの自分否定するのが、自分の弱さを認めるのが嫌だったからなのか。

まあ両方だと思います

自分の中に判断基準がないから、

間違えることを恐れて、間違っているといわれてもそれがなぜかわからなくて、

なにがわからいかからないままの状態で過ごしていました。

そのくせ、プライドの殻があるから、わからないことをわからないと素直に言えず。

言えなかった自分正当化して、環境のせいにしていました。

自分のことをこうして客観視できていないか他人ことなんて一層わからなくて、

向き合ってるつもりでも、話を聞いているつもりでも、全部勘違いで、

本にそう書いてあったから、誰かがそう言ったから。

きっとそういう考えが根本にあるんじゃないかなって思います

そんなことに気付いてしまって、自分言葉で話せよって思いました。

自分の頭で動けよって思いました。

本音を話してくれない、ともよく言われます

本音を話していないんじゃなくて、本音がなかったんだと思います

自分の声で動いていないから。誰かの声で動いていたから。

誰かに認められたくて行動するなんて、そんなの一番かっこ悪いし認めたくはないんですけど、 結果的にそうなっていたんじゃないかなと思います

もちろん、人に感謝されたり、笑顔になってくれたり、認められたりするのはとても嬉しいことで、それがモチベーションであることは変わりないと思います

でも、常にそれを一番にするんじゃなくて、

これからは、自分はどうしたいのかっていう事を大事にしていきたいです。

そしてそれを忘れないようにしたいです。

自分言葉に、行動に、責任覚悟を持って生きていこうと思います

20歳にして迎えた、大きな壁でした。

乗り越えられるかはこれから自分次第だと思います

今になってやっとその壁に手をつくことができたんじゃないかなと思います

支離滅裂文章になってしまったけど、頭の中を整理できたし、今回の気づき気づきで終わらせたくないので残しておこうと思います

2016-10-29

脳の損傷を防ぐために睡眠運動野菜瞑想がなぜ必要なのか?

某xevra先生布教していることの正しさがイマイチ広まってないようなのでムラムラして書いた。(*´д`*)

本当に脳が破壊されているのか?

精神疾患と脳体積の減少

うつ患者は脳の海馬の萎縮がみられ、統合失調症患者発症前に脳体積の減少がみられる。

脳体積が減少する理由は?

つの要因として、ストレスが挙げられる。

ストレスホルモン(コルチゾール)が過剰の患者において、海馬の萎縮、脳細胞の減少等がみられる。

ストレスホルモンの増加が後述のBDNFの減少、機能低下を招く。

神経栄養因子仮説

うつ病発症メカニズムの有力説。

脳由来神経栄養因子(BDNF)はニューロン新生促進、神経伝達物質放出の増強、神経の保護シナプス形成等に関わるタンパク質。

BDNFによる脳の修復がストレスによる損傷に追いつかなくなり、うつ病発症する。

その他BDNF減少が関連すると思われている疾患

統合失調症認知症不安傷害双極性障害

BDNFの発現を高めるには?

適度な運動食生活改善、良質な睡眠抗うつ薬、通電療法

その他ストレスに関すること

・器質的な異常がみられない非特異的腰痛心理的ストレス関係すると考えられており、抗うつ薬投与や認知行動療法が行われている。

普段発達障害(アスペ等)の症状がない人でも、ストレスにより症状が発現しやすくなる。

瞑想ストレス状態から離れるための有力ツール

瞑想によってストレスフルな思考を停止させたり、マインドフルネス認知療法のように否定的価値判断から離れることによりストレスから離れることができる。

考察及び私見

ストレスによる脳の破壊から逃れるためには、瞑想によるストレス回避や適切な適度な運動、良質な睡眠食事習慣改善による脳の回復必要である

また、毎日の寝酒は睡眠を阻害する毒である

ストレスにより前頭葉が損傷し続けることで、もともとボーダーだった人に認知アスペ統失ADHD学習障害の症状が出てくることが考えられる。

ストレスによる神経系の損傷と関係あるかはわからないが、ストレス腰痛肩こり等の痛みを起こしうる。


私は先生の「大脳回復しない」発言は違うと思っているけれどどうだろうか。

ともあれ、先生言葉を守らずに精神疾患が出てからでは遅いのだ。

恐ろしい、恐ろしい。

http://tvmatome.net/archives/4560

2016-10-08

言の葉の庭自分語り

※ 一部新海監督作品のネタバレを含むので注意してほしい

  • 前 ---

君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている

様々な解釈念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。

新海監督の作品は「ほしのこえからの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである

50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。

ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。

どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。

君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、

最も正確に彼そのものを表しているように思う。

ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。

全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、

40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、

1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。

創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。

  • 序 ---

20年ほど前、自分は地方私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、

地方であること。理系であること。あまりハイブロウ属性でないことなから大きな刺激も無く、

かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、

どこにでもある普通日常だった。

卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、

(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。

ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。

師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。

「今度新しく入ったH先生だ。」

「どうも初めまして。Sといいます。」

学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。

彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら

「新任のHと、も、申します!よ…よろしくおねがいします!」

と、およそその完璧お辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。

新任教師ということだから、歳の頃は24、5だったと思う。

少しだけ長めのボブカット

新任らしいカチッとしたスーツタイトスカート

そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。

(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)

そう、思った。

「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」

これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。

  • 二 ---

その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。

実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の

とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。

見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。

明かりの落とされた職員室。

冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。

買ってくれた缶コーヒーの温もり。

年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、

壊れたFATテーブルエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。

見かけによらず、頑固でもあった。

突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。

H先生らしい、深いグリーンのK11マーチ

エアコンが効かず、少し蒸した車内。

シフトレバーにかける細く白い腕。

まるで童貞妄想のものだった。

一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき

「お前、あの人はお嬢なんだから丁重に扱えよ」

と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。

…その通りだと思った。

あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?

高校時代淡い好意を持っていたクラス女の子を忘れられなかったからだろうか?

卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?

今となっては思い出すことができない。

ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、

自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。

時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが

つの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。

勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、

また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、

しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。

  • 三 ---

それから季節が一巡…二巡くらいしたかもしれない。

大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う

年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。

そんなある日。

高校の「部室」へ顔を出した。

自分は高校時代ややヲタクサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメゲーム好きが集まるような

内輪志向趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場メンバーとつるんでいた。

先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。

部室にはYがいた。

Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリック性格ではあるものの、

当時の世相でそういったサークル志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、

その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、

ヲタサーの姫がベターワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、

方々穴兄弟にはなったものの、サークルクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。

Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、

唐突にYが話題を振った。

「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」

驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。

卒業後に赴任した教師話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。

「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」

事実を答えた。Yが続けた。

「H先生、辞めちゃったんですよ」

公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立主体の都会では事情が異なるかもしれないが、

地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)

滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。

Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。

「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」


「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」

  • 四 ---

それから数年の年月が過ぎた。

大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。

しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、

大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジション

新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。

それを期に、意を決して東京へ出た。

友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、

面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。

入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。

給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活エンジョイし始めることができた。

そんな矢先。

アキバメイド始めたんで、良かったら遊びに来てください』

Yからメールだった。

当時の秋葉原メイドカルチャー黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が

続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校卒業したYは東京大学へ進学したが、

生来の不安定性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。

生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。

メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。

自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の

戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。

  • 五 ---

「おかえりなさいませ、ご主人様~」

Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。

万世橋渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が

ボロボロになったような定型のコールで迎えられた。

やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、

常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする

Yに目配せだけをして、入り口に近いスツールに腰をかけた。

隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。

「君、初めて?」

声をかけられた。

「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」

「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」

女性(T)は銀座ホステスをしていた。非番今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、

と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、

後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。

2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。

「ねぇ、SはYの先輩なんだから、N高校なんだよね?」

「そうですよ。Yは3つ以上下から、直接一緒になったことはないですけどね」

「そっか。そしたら君…」


「H先生って…、知ってる?」

  • 六 ---

ドキリとした。

自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。

しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末メイドバーだ。

これが地元のバーでの出来事であったとしたら不思議ではない。

100歩を譲って、自分達の高校埼玉神奈川にあったとすれば分からなくもない。

だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ

心臓が早鐘を打つのを感じた。自分はTに話をした。

卒業生ではあるものの、偶然新任教師として紹介されたこと

ボブのかわいい初々しい先生だったこと

人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと

たった徒歩10分の道程緑色マーチで送ってくれたこと

大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常出来事だろう。

Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。

彼女とは夜の世界で知り合ったこと

髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと

プレリュードに乗っていたということ

…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ

少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。

日付なんて全く覚えていない。

でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である

  • 結 ---

言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを

きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策

(そしてそれは成功する)した女生徒主人公が抗議をするシーンがある。

客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、

このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。

勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、

孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。

では彼女は、H先生はどうだ?

H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である

実業科教師の「お嬢だから」は冗談ではなく、本当だったのだ。

名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。

時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルート彼女の想定の範囲だった可能性は高い。

もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。

これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。

それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、

想定されたルート幸せだったなど、他人人生価値判断想像でするべきではない。

ただ、人生ターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、

現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、

そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、

いつも必要以上の涙が溢れてしまうのだ。

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自分語りはこれで終了だ。

最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。

あくま想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?

恋愛という通常とは比較にならないエネルギー必要とする行為において

その力を一方的放出還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。

ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。

またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。

監督はどうだ?

監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠作品性の源流であり、

彼の心象世界価値観なのだと自分は思う。

君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。

これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。

だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、

雨の非常階段の2人には、明らかな力の循環があった。君の名は。は、それを実態に反映させたに過ぎない。

からきっと、大丈夫だ。また気負わずに描きたいものを描いて欲しい。

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