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はてなキーワード: 今日だけはとは

2024-03-17

今日だけは無理させてください 漢みせたいんで あしたのてっぺんであるいたるわ うっそぴょーん 

努力努力 昨日の自分を超えろ 笑いどころなんてないよ ただ愚直に自分を信じて努力してるの

りりぷみたいにちょっと転んだら消毒液かけられたかたかわ おまえらコメントうるさいねん マジで置いてくぞ

一日一日をただ積み重ねることやりなさい 努力努力努力この先に希望があるから

俺の成長につながる 

2024-03-12

anond:20240311172852

2024年3月12日、ワイの日記やで。

今日はなんと、フェミちゃんちょっとした会話があったんや。なんで彼女がワイのような存在と話すことになったのかは謎やけど、なんとか言葉を交わすことができた。

場所公園やった。ワイがベンチに座って、今日もまたお金がないがゆえに昼食を抜いているところに、フェミちゃんがやってきたんや。

「なんでそこに座ってるの?お昼ご飯食べないの?」フェミちゃんが訊いてきた。

ワイは少し恥ずかしくなって、「いや、実は…お金がなくてな。」と答えた。

フェミちゃんは少し考えるような顔をして、そして、「それは大変ね。でも、食べ物くらい私があげるわ。」と言って、自分サンドイッチの半分をくれたんや。

その瞬間、ワイはちょっとだけ世界が変わったような気がした。普段は男を憎んでるフェミちゃんが、ワイのような者に優しさを見せてくれるなんて。

ありがとうフェミちゃん。本当に助かるわ。」とワイは言った。

彼女は「まあ、たまにはね。でも、これで男女平等になったわけじゃないから。」と冗談めかして言った。それにワイも苦笑いで応えた。

この一件で、ワイは少し考えさせられた。いくら社会や世の中を憎んでも、人と人との繋がりってのは意外とシンプルものなんかもしれん。お金がないがゆえに得られたこの小さな交流が、ワイの心に小さな変化をもたらしたんや。

でも、この一件がワイとフェミちゃんの間に何か大きな変化をもたらすわけじゃない。明日もまた、ワイはワイで、フェミちゃんフェミちゃんや。でも、今日だけは、ちょっとだけ世界が優しい場所に見えたんやで。

2024-02-22

猫の日なので今日だけはてなは「はてにゃ」になります

はてにゃ匿名ダイアリー

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はてにゃブログ

話す時も語尾に「にゃ」をつけてくださいにゃ

2023-12-29

子ども必要ないわけじゃない

私たち夫婦子どもがいない

理由は夫の無精子症のためだ

micro-TESEという手術を行い、精巣から精原細胞を取り出し病理解剖までしてもらったが、今後自分たち夫婦の子どもを作れる可能性はゼロだと分かった

元々わたしも夫も子どもが好きで

結婚してある程度経ったら子どもができて

2人ぐらいはいたらいいね

名前はこんな感じがいいななんて想定して

でも子どもがいない人生を受け入れることは案外すんなりだった

だって2人がお互い好きだったんだから、一緒にいたいんだから結婚したんでしょ

わたしは夫にそう声をかけて

自分のことも納得させた

そこからもう数年経った

この間、あえて子どもを持たなかった方のブログ記事を見た

悔やんでいる内容だった

将来、そんなに日常がつまらなくなってしまうのか

今でさえ、大した趣味もない

仕事に行って帰るだけ

この繰り返し

友人と会うとなると、もう今や家族ぐるみ

友人も、友人の子どもたちも大好き

一緒に遊んでくれると素直に嬉しい

わたしのほうが遊んでもらってる気分になる

でも家に帰る途中、帰ってから、そこから数日

とんでもなく虚しい気分になる

誰が悪いわけでもない

この現実がただ辛い

親やきょうだいには子どもができないことは告げているが

どうしようもないことだし、心配はかけたくないからそれ以上特に話題にはしていない

夫にもこんな気持ちは言えない

きっと夫のほうがもっと辛い気持ちを抱えてきて

乗り越えて

今に至っているのだと思う

なんとなく、お互いこの話題には触れられない

話せる人がいなくて辛い

以前、人と子ども話題になった時に夫は

子ども必要ないと思ってて

妻も同じで

言えない、言いたくないのはわかる

でも、わたし

ぐっと言葉を飲み込んだ

子どもが ほしかった

その気持ちは内に秘めて

今日だけは吐き出す

これからも平気な顔して笑って過ごしま

2023-11-03

後先を考えられない

思考整理のために書く。

自宅がそろそろゴミ屋敷になりつつある。

何事も溜め込む気質なのが災いしてとっ散らかった家ではあったが、病んで休職した時に床が見えなくなり、けっきょく退職して金が尽きたからと半ばヤケになって地元企業転職し、しかしま根本は何も変わっていないから片づくことなく更に溜め込み、今や低い身の丈でも天井に頭をぶつけるほどに膨れ上がった。

この景色に慣れて久しいが、そろそろ長いとは言い難い今後を見据えて、もし突然の病気事故で死んだとて親族負担いかないよう身辺整理を進めなければならない。

もちろんつべこべ言わずに速やかに処理できるよう手筈するのが最適解なのは把握している。

平日は無理だった、そもそも疲れきっているし壁の薄い部屋で夜中に派手な音を立てるのはまずい。

では休日ならと思ったが、不眠がちで起きるのが昼過ぎになり、このまま取り組んでは次の平日に響くという焦りの方が大きくなり、結局は平日と同じパターンに陥った。

いままさに今までのツケを払わないといけないのに、そんな中でも「今日だけはなんとか平穏にやり過ごせ、そうすれば明日だけはくる」と心の声が邪魔をする。

8月31日に泣きながら宿題をやっていた頃と何も変わっていない。

どうも自分はやらないといけないことを筋道立ててなんとか近づくよう組み立てるのが苦手なようだ。

多少は改善したとはいえ、せいぜい次の平日までにいかに最低限をこなして安らぐかに腐心するのが関の山だ。

こんな自己攻撃をしながら眠りを待っていても仕方がないので、せめて休日に起きたら1袋はこさえるとかか。

何年かはかかるのだろうし、やっぱり平穏にやり過ごしていたいが、1袋は0袋より進んでいると考えるしかないだろう。

いまここで倒れなければ、明日だけは来る。

2023-07-24

彼氏とうまくいってねえーーー

そして彼氏今日出張ーーー

ホテル着いたら電話してって言ってんのに

この時間まで連絡なし…既読もなし…ムカつく…

ラインには昔のセフレからの連絡が…

今日だけはいいっすかねーーー

2023-04-24

マグロごっこがすっごく楽しい

結構ガチめに結婚焦ってる感じのアプリ出会った婚活女何人かと付き合ってる。

大体は自宅デート多めで、割りとみんな毎回早く結婚したいってグイグイくるんだけど

会話の中で結婚とか子供みたいなのを意識させた後にこういう風に提案してみるの。

今日は俺はマグロです。マグロなんだから今日の俺には何も意思がない。○○ちゃんのしたいことにただ従うだけ。

何もせずにまったりするだけなのか、ハグとかだけでイチャイチャするのか、えっちするのかしないのか、えっちするとしてゴムをつけるのか生でするのか、中で出すのか外で出すのか、

ぜーんぶ○○ちゃん選択次第。 俺はマグロなんだから今日だけは○○ちゃんが何するにしても拒否はしないよ。

でも、もしえっちするってなってもいつもみたいに俺からは腰振ったりリードしたりはしないから○○ちゃんリードしてね。」

みたいに言うの。

そうしたら、人によって反応は当然違うんだけど、最短経路で自分股間クチュクチュしながらバキュームフェラで俺のを勃たせてガチ自分から生で入れてきて必死に腰降り出す。

の子供欲しさと結婚したさで、一人の若い女の子が息切らせながら必死で腰振ってんのよ。

勿論あ、やべ、ってなったら抜いて外出しするんだけど、「いや話が違うじゃん!マグロなんだから中出ししてよ!意思持つなよ!」って俺は怒られる。

その罵声も凄く気持ち良い。中出ししなかったから怒られるんだぜ俺。

外出しするにしてもそれ相応にリスキー行為なんだけど、なんか頭がぐわーんってなる気持ちよさがあるわ。

女の子自分意志で生で入れようとしてくる、その時点で断ればノーリスクだけど、そこ見れるだけでも凄い満足感。

みんなもやってみな。

2023-04-12

バッグデート処理や居ない人の印鑑使用ってどこも普通にやってるんか?

新社会人……ども……

漏れみたいな23年卒で2chコピペ使ってる腐れ野郎他にいますかっていねーかはは

今日職場での一幕

この書類契約終了日より前に処理してたことにしといて とか 前担当者退職済み)の印鑑を押しといて とか

狂ってる?ま、それが普通みたいですわな

隣のやつの口癖 マジネム(1日30回ぐらい言ってる。狂ってる?)

上司尊敬する人間 安倍さんさん付けしない部下はNO。狂ってる?)

it's a true world.

なんつった東京砂漠ってどこにでも広がってるんすかね?

大学陽キャ代返まれ過去問貰うために必死に声変えてた俺でもドン引きですわ。

いや本当に狂ってるだろ。

なんで取引先も「書類提出が遅れてしまったのですが、会計処理は前年度中に済ませたいので、前年度中に全ての処理が終わっていたことにしてくれないでしょうか?」みたいな断りさえ入れずに「じゃあ。いつもの感じで」って平気で遅れて出してくるのか理解不能なんだが。

つーかそこに辞めた人間印鑑平気でポンポン押してるのも頭イカれてるだろ。

でも皆余りにも普通にやるんだよね。

「え?こんな事にもいちいち疑問があるの?ちょっと考えれば分かるけど、こうするのが皆のためなんだから当たり前じゃん」って態度なのよね本当に。

えっ嘘でしょ?

どこもそうなの?

ちょっとマジで集合知みたいのを借りたい。

藻前今日だけはマジレス汁!

もしもこれがマジでおかし会社なら、俺は告発のための情報集めをしながら自分はうまく逃げ出す準備を進めたい。

つうかさ、この会社に入ってしまった時点でもういつ犯罪者になってもおかしくないんだよね。

つーか取引先に官公庁もおって、ソイツらも「じゃバックデートで」と言ってるんだが、マジで日本全国津々浦々官民老若男女の全てを問わずがこんな感じなの?

狂ってる?

2023-03-14

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-01-07

新聞赤旗コラボ虚偽報道確定

2023年1月7日(土)

olabo「バスカフェルポ

女性追う男性たち
嫌がらせ支援への攻撃

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-07/2023010701_04_0.html

 虐待性搾取に遭う若年女性に寄り添い活動する一般社団法人olabo。昨年、インターネット上の事実に基づかない投稿名誉毀損(きそん)されたとして、投稿者を相手取り東京地裁への提訴に踏み切りました。歓楽街路上活動を続けますが、続く嫌がらせ攻撃危機感が募ります現場を見ました。(取材班

 昨年12月下旬の夜、東京新宿駅近く。居酒屋風俗店が集まる歌舞伎町一角ピンク色のバスが止まりました。十数人のスタッフが約20席の机と椅子を運び出し、パック米飯カップ麺、温かい茶などを並べます暖房ネット接続も用意。テント道路側はピンクのシートで外から視線を遮ります

女性の列が

 午後10時の開始時間前には10人ほどの女性の列。始まると、思い思いにカップ麺を食べたり、両手の紙袋に食料を詰めたり。スタッフに「これは何?ユズですか?」と声をかける姿もありました。

 バス内には防寒着や日用品生理用品、避妊具なども用意。無償で利用できます

 「バスに来れない女性もいる」。女性スタッフが2~3人ずつ、バスを離れて街を歩き、若年女性に直接声掛けをします。

 取材班代表の仁藤夢乃さんと街を歩きました。中心部映画館前の広場に数十人の男性が間隔を空けて立ちます。「風俗業者関係者です。毎晩100人くらいいる」と仁藤さん。若年女性を追いかけ、声を掛ける姿があちこちに。10代とみられる女性2人、3人のグループ座り込み男性と話し込む様子もみられます

 少し離れた公園が、買春者が若年女性を探すポイントだといいますスマホを片手に手持ち無沙汰そうに立つ若い女性や、公園の周囲を歩き回る成人男性の姿がありました。仁藤さんは「警察は若年女性をよく補導するが、女性を買い、性搾取する男性こそ問題にするべきだ」と語ります

 Colaboが2018年から展開する「バスカフェ」です。虐待家出するなどし、寝場所がない若年女性買春者や風俗業者被害に遭う街で、「居場所」「気兼ねなく過ごせる場所」を準備し、支援必要とする女性とつながる場です。

 ホテルの手配もするほか、女性滞在するシェルター運営就労支援なども担います

でたらめな配り方をしているんですが、どうやってカウントしているんですかこれ。あと就労支援って日本共産党党員になることですか?そしてここで外に出てますよね?

ネット攻撃

 こうしたColaboの活動に、ネット上などで攻撃が強まりました。訴状によると、都内男性は今年、ツイッターなどに「10代女性タコ部屋に住まわせて生活保護受給させ、毎月現金徴収している」などの虚偽の投稿を少なくとも数百回しました。

 「現場での活動にも悪影響が出た」とスタッフが語ります誹謗(ひぼう)中傷が増えるにつれ、相談が減りました。この日、午前0時前ごろまでのバス訪問者は20人弱。「従来の半分以下」といいます

 嫌がらせとも思える行為も。開設準備中から、数人の男性が無言でバスの前に立っていました。活動中もバス脇に立ち様子をうかがう別の男性が。女性スタッフが「怖い。声掛けに出られない」とつぶやきます

 訴状によると、運営を支える寄付なども減ったといいます

 日本共産党ジェンダー平等委員会坂井事務局長は「Colaboへの嫌がらせは、女性支援のものへの攻撃。決して見過ごせない」と語ります

まず坂井希、この前もコラボの提灯を持っていたけど、何者なのかな。いずれにしろ嘘つき。

そもそも前半は外に出ているのに、なぜ後半は怖くて外に出られないんだ。ボランティアビビッてどうする。勝手に怖がっているけど、根拠がない。だったら最初からバスカフェやるなよ。怖がってでなければ差別かよ。差別って理解していないんじゃないか坂井池内さおりは。お前ら本当に嘘しか言わないんだな。反吐が出るわ。

ついでに写真がないでしょ。写真も撮れないよね。今だったら動画も撮ってあるよね。本当にルポルタージュならね。

どこがルポだ。こういうのはルポじゃない。ちゃん写真は撮るし、買春男性に話くらい聞くわ。

昔の赤旗って爆弾だったからそれこそ動かぬ証拠を載せてましたよ。そういう意味でもビビってました。

ところがいあでは朝鮮人井戸に毒を入れたレベル勝手買春者をでっちあげる。オタクらがいた時間にはそんな連中はいない。これは虚偽だ。SNSは虚偽だとかいうのはバカ。お前らが嘘ばかり書くからSNSが本当に満ち溢れているんじゃないか。いい加減にしろ

こういう明らかに日本人男性ヘイトスピーチをやって、どうして投票しろかいうのだろうか。無理だろ。立憲民主党もそう。

https://twitter.com/ShinjukuSokai/status/1611641470779523074

Z李 🇺🇦 NO WAR 🕊

@ShinjukuSokai

2時間

返信先: @ShinjukuSokaiさん

その日はコロアキがバスカフェに近づいて写真撮ってたから注意した日だからよく覚えてる。

「少し離れた公園スマホを片手に手持ち無沙汰そうに立つ若い女性や公園の周囲を歩き回る成人男性の姿がありました」ってあるけど仁藤さん公園来てないよね?

コロボが全開パトロールしてた日だぞ。

Z李 🇺🇦 NO WAR 🕊

@ShinjukuSokai

仁藤さん、そういえば1月8日のしんぶん赤旗でまた壊滅的な盛りをやっちゃったんだよな。

先月の歌舞伎町バスカフェの時に広場風俗キャッチ100人公園買春者多数って、その日年末警戒で警視総監が視察に来た直後よ。トー横一斉補導からの封鎖もあったし。正直が一番いいよ。

【みっちゃん】夜の街大好きです!

@3693000World

2時間

返信先: @ShinjukuSokaiさん

毎年視察の日は私服警官が数時間からつゆ払いで不審車輌排除キャッチ含め不審者への声掛けで胡散臭いの皆んな追い払うので歌舞伎町は瞬間綺麗になります

よこよこまんなかちゅうくらい

結論

よって、この赤旗ルポは全くの嘘。

書いたのは坂井希だろう。さら池内さおりが関与している。あとはにひそうへいか

この連中は東京をしらない。だから嘘を平気で書いている。

これはコラボの記録をもとにでっちあげただけ。事実関係を確認していない。

ここでいう12月下旬とはコラボバスが出ている時期が限定されるのでずれることがない。

デューク東郷

@miu_widearea43

2022.12/16(FRI)

年末年始特別警戒】

警視庁一斉警戒発令に伴い、警視総監新宿区歌舞伎町地区を視察

今年も、年に一度の歌舞伎町治安回復する日に立ち会えました。

トー横もホテル街も今日だけは平和です。

https://twitter.com/miu_widearea43/status/1603742832589619201

https://twitter.com/rengoku56771/status/1611654346286198787

煉獄コロアキ

@rengoku56771

しんぶん赤旗を読んだけど嘘はよくない!

12月21日は映画館前に数十人の男性は立っていなかったし風俗業者関係者100人もいなかった!公園にもコラボの人来なかったと思う。俺がバスカフェ行った間に来てた可能性はあるけど!

コロボと一緒に活動しましょう!

カウントは俺たちに任せてください!

このように複数の指摘、目撃証言もある。

よって新聞赤旗コラボは嘘をついている。坂井希は首にした方がいいよ。日本共産党

それにしてもジェンダーかいう連中は無能な嘘つきであることがまた証明されてしまった。どいつもこいつもみんな平気でうそをつく。誰か本当のことを書く女性はいないのだろうか。完全に党員をだましており、そういう意味でも恥というものはないのか?

国民から税金搾取するコラボ日本共産党

これでどうやって選挙に勝つつもりなのだろうか?

2023-01-01

一年のうち今日だけは大っぴらにおめこって言える日なんだな。

2022-11-08

anond:20221108212831

Twitterみんな月の写真上げててすごいよ。

世界中の人が今日だけは月をみてるんだ

2022-09-26

男性諸君、男の本音を教えてくれ。

現在付き合って9ヶ月

同棲して6ヶ月目。

 

彼氏自分アラサー

 

その日は私だけお昼に用事があって、

前日お互いムラムラしていたので

夜にセックスしようと約束した。

 

彼氏、私がいないときオナニーをしがちなので

今日だけはしないでね、と伝えると絶対にしない!

したら10万円払う!と言ってきた。

 

帰ってきたらゴミ箱ティッシュゴミの山。

オナニーした?って聞いたら誓ってしてないとのこと。

しかセックス明日にしよう?と言う。

 

そこまでしてオナニーがしたいものなのか?

彼女とのセックスがそんなに嫌なのか。

こういうことが何度も続いていてさすがに呆れ始めている。

オナニーを頻繁にするせいでセックスの際に中折れしてしまったり、立たなかったりする。

 

これってもう別れた方がいいんだろうか。

そんなにオナニーがしたいなら私ってもう必要ないんじゃないかな、と悩んでる。

 

男の本音を教えてくれ。

2022-06-18

http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1850.html?sp

屋根犬」事故死。これは美談ではない!(追記あり

311 2016/03/1122:49 2 -

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覚えてますか?

2011年3月11日大津波の中

屋根犬20110402午後5時

漂流22日目に保護された「屋根犬」のこと。

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2011年4月1日付の拙ブログでも書いたことがあります

311 pet rescue Part2(追記あり) 」

⇒ http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1145.html

保護されてすぐ、4月4日に飼い主さんと喜びの再会を果たし、

「バン」という2歳の女の子だということもわかり、

5年経った今でも幸せ暮らしていると思ってました。

・・・

宮城

ありがとう心の支え 津波漂流犬」天国

河北新報 2015年11月02日 月曜日

http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151102_13013.html

1昨年の2014年1月、亡くなってました。

それも事故で…

津波から生還の時2歳だったから、

亡くなった時は5歳にもなっていない頃。

死ぬには若すぎる!

これから書くことで

もし気分を悪くしたらごめんなさい。

でも私はこの記事を読んでしまたことを悔いました。

読むんじゃなかった。

だって

嫌なんだもん、この記事

美談にしちゃいかんだろ!

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屋根犬」として当時、全国波で毎日報道され続けた、この子

※【動画海上ガレキ漂流奇跡生還犬:「飼い主と再会できたバンちゃん

https://youtu.be/ZZaMbI1WVSY @YouTubeさんから

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神様から守られて飼い主の元へ帰ってきたのに

※【動画】3週間漂流犬飼い主と再会。 https://youtu.be/YxZQBU_-Mi4 @YouTubeさんから

再会の時、最上級愛情を示していたバン

なのに、そのバンが無残な最期を迎えたというのにまるで他人事のような言い草

お前のせいでバンは死んだんだよ!

お前が適切な飼い方してないから!!

この犬は飼い主から殺されたようなものですよ。

外で放し飼いしてたんでしょ?

たとえ復興事業車両が昼夜構わずひっきりなしに通る道沿いにお宅があるとしても

リードなしの放し飼いでなきゃこんな事故には遭わないものね。

この飼い主には二度と動物は飼ってほしくない(もう次の子飼い始めたようですが)。

せめて今度こそ、行政主導で講習か何か強制的に受けてもらって、適切な飼養方法をしっかり学んでいただいた上で、次の犬を飼っていただきたかったですね。

でなきゃまた同じ間違いを繰り返すだけじゃないですか。

こんな飼い主じゃ、バンあんな不幸な亡くなり方したのに

その後たった1年で飼われることになった柴犬だってバンと同じ目に遭わせてしま危険性大ですよ。

たとえ寂しかろうと(該当記事はすでに消えてたけど、新しい犬を飼った理由は寂しかたから!)

バンあんなひどい目に遭わせておいてよくもまぁたった1年で別の犬を飼おうと思えるね。

それもその柴犬ペットショップで買った1歳弱のまだ子犬らしい!

東日本大震災で助かった奇跡の「漂流犬」亡くなっていた 

「民家の屋上」で救助された3年後に事故ネット上で哀悼の声

http://www.j-cast.com/2015/11/02249623.html @jcast_newsさんから

やっぱり放し飼い!!

たとえ震災時に奇跡的に助かったのは鎖に繋いでなかったからだとしても、今度は震災前のような穏やかな自然たっぷり平穏な頃と違って、復興のためお宅の前を大型車両がひっきりなしに通る環境に変化してるんだからさ、ちょっと考えたら以前と同じ飼い方したら、バンにとってどんな危険なことが起きるかわかりそうなもんでしょ?

折角神様から助けてもらった命なのに

奇跡的に助かった命なのに

あんなに再会を喜んでたのに

せめて生体販売から買った柴犬の子犬が、

バンの分までしっかり長生きして、ご長寿で、天寿を全うできますようにと祈ります

検索かけて関連記事を読み漁り、詳細が明らかになるにつれ、この飼い主に益々怒りがこみあげてくる!

全く懲りてないよ、この飼い主!

なのになんで美談に仕立て上げられちゃうの?

どうすればこれが美談になるの?

この国がこんなだから殺処分はなくならないし、

この国に成熟した動物愛護精神は育たないと思います

今日は、今日だけは静かに穏やかな心で祈り気持ちでいたかったのに…

あぁ…気分悪い!

※別の参照記事

訃報】未曾有の大災害 東日本大震災を生き抜いた『漂流犬・バンちゃん復興事業関連の車両にはねられ・・・・(涙)【事故】 - 『徒然と』・・・道楽 http://blog.livedoor.jp/dourakukousuke/archives/1094278.html

種は違えどうちにも同じ名前の猫がいるんでね

他人事とは思えなくって。

からね、あまりに悲しい最期だったから私、バンのためにお話を書きました。

だってこのままじゃ、あまりバンが可愛そう過ぎる!!

バンに捧ぐ」

バンはね、本当はね津波に呑まれてあの時もう死んでたの。

だけど、死ぬ間際、朦朧とした意識の中で必死神様にお願いをしたの。

神様、お願いです。このまま死にたくない。もう一度だけ飼い主に会わせてください。」

神様バンを可哀そうだと思し召し、願いを聞き届けてくれました。

一つ条件付きで。

バン、お前はすでに死んでおる。だから長くこの地上にはおられぬぞ。

そして、この世を去ったものが再度死ぬのだから、それなりの別れ方をせねばならぬ。

今より辛く苦しい思いをせねばならぬがそれでも良いか?」

バン神様からの条件を飲みました。

そして再び期限付きの命をもらってあのがれきの上に立ち、助けを待ったのです。

からこそ私たち首をかしげ奇跡と呼ぶほど傷一つなく、あんなに元気だったのですよ。

そのあとのことは報道で伝えられた通り。

バンは飼い主夫婦とともに幸せ暮らしを取り戻しました。

が、その幸せは長くは続かなかった。

もちろんそれは神様との約束通り。

飼い主は無意識のうちにバン震災前と同じ放し飼いしました。

バンを取り巻く環境が以前と全く違い、

どんなに家の前を昼夜問わず大型車の往来が激しくても。

それは神様が彼らにさせたこと。

バン、時は満ちた。別れの時だ。」

バンは夜中、飼い主夫婦が眠りについたのを確認し、

柵を超え道路に出て、

近づいてくる車の前に身を投げ出しました。

これもまた神様との約束通り。

津波に呑まれて息絶えたときよりも苦痛を伴う最期

でもバン幸せでした。

だって願いが叶ってもう一度、愛する飼い主と再会し、共に暮らせたんですもの

それがどんなに短い間であっても。

再び巡り会って3年も暮せなかったけど。

この歳月は「おまけ」でしかなかったけど。

でもバン幸せでした。

こんなつらい最期でも、バン幸せでした。

今もバン虹の橋のたもとで幸せそう。

飼い主とまた再会するまで

バンはいい子で待ってます

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バン、安らかに

2022-02-24

なんとかして生きていくしかない

あるいは覚悟を決めて諦めて死ぬしかない。

今日死ぬ覚悟はないので、今日だけはなんとかして生きていくことにする。

毎朝そう考えて生きてきて、もう1年以上。マジで私は頑張ってる。えらい。

2021-12-31

anond:20211231131115

半分ずつ食べなさい。残った半分を捨ててもよい。今日だけは許す。

2021-12-25

今日だけは絶対上がるだろ」っていう日にレバナス投資するのってどう思う?

例えばFRB量的緩和するって発表した直後の日とか

2021-12-24

【速報】今日女性社員が朝から本気H下着つけて出勤するという事実

あ、わたしエッチとかしないですよ

みたいな子も今日だけは本気エッチ下着

クリスマスイブなんだし

今日くらいはみんな仲良くしようや

反論のための自論展開とか揚げ足取りとか論点ずらしの叩き合いとかさ、そういうのは今日だけはやめようぜ

2021-11-18

この前流産した。妊娠初期でおなかもぜんぜん出てない時期の流産

自然排出を待ちます先生に言われてから2週間ほど経った後、一晩中腹痛に苦しみながら人の形すらしてない赤ちゃんをひっそり産んで大泣きした。

初めての妊娠で初めての流産だったから、今日だけはこの世で一番可哀そうなの私だろうなってぐらい虚無感と喪失感に襲われた。

本当につらかった。

日ごろから無神経極まりない夫はその日の夜に日本酒を買ってきた。

なんかわかんないけど絶望的な気持ちだった。

幸いなことに自然排出後の体の回復はめちゃくちゃ順調で、ご飯がなんでもおいしくて食べられないものもなくなって、体も心もすぐ元気になった。

お酒を飲んだときはさすがにちょっと切なくなったけど。

夫は反省したみたいでとても気遣ってくれて仲直りもできた。

食べづわりのせいで少し増えた体重により、お気に入りの服が少しきつくなって悲しかたからまたダイエットがんばらなきゃな~なんて前向きな気持ち毎日過ごしてた。

家族流産を報告したときだけまた泣いたけど、それ以外はだいたいいつも通りに戻ったなって思ってた。

ここまでで自然排出からだいたい1ヶ月ぐらい。体の回復が早かったのがよかったんだと思う。

自然排出したあの日自分世界一可哀そうだって思ってたこ自体自分の中で笑える出来事になりつつあるぐらい、流産はもう過去のことって気持ちで切り替えて最近は過ごしてた。

でも、いつもみたいにSNS友達の日々の様子を見てたときに、「あ、無理だ」って感じて思わずそのSNSアカウントを消した。

妊娠したんだろうなって匂わせる投稿だった。

そのとき、心も元気になったなんて勘違いだったんだって気づいた。

考えないように無理してただけなんだって

その投稿をした友達は悪くない。流産した私も、人の妊娠を素直に喜べない今の私も、誰も悪くない。

ただタイミングが悪かっただけ。

でも、心からおめでとうって思いたかった。それができないのがとても悲しい。

早く心が元気に、元に戻れますように。

2021-08-31

誕生日 祝う 理由

誕生日 祝う 理由

Yahoo検索履歴。わざわざ調べるような事ではないとは思うけど、つい調べてしまった。

人に聞くよりはマシだと思った。もちろん記念すべき第一回目の誕生日では、そんな事は気にも止めなかった。自分が欠陥人間になってしまったのは、多分記念すべき第14回目の誕生日ぐらいからだろうか。それまでは、一年に一度訪れる、いつもとは違う特別な日という印象。食卓のド真ん中に陣取るホールケーキと、それを取り囲む家族の嬉しそうな顔。それを見るだけで、その日が訪れるのを何日も前から心待ちにしたし、歳の数だけロウソクを吹き消すという行為にも、何の疑問も持たずに全力でやる事が出来た。元凶SNSだ。僕が中学生になると、Twitterやらmixiやらと、あれよあれよという間にSNSが発展した。それに伴い、自動的他人誕生日を知るようになった。今までは仲の良い友達4、5人程度の誕生日しか知らなかったのが、この突如現れた黒船によって、まだあだ名で呼ぶかどうかの瀬戸際にいる人達誕生日まで分かるようになったのだ。そしてその度に祝う。自分が祝われたいから、祝う。これは戦闘力だ。誕生日にどれだけ多くの人から反応してもらえるかで、その人の戦闘力が表示されるようになったのだ。健全なる少年少女の内側に秘めていた『有名人になりたい症候群』を目覚めさせてしまった。そこから地獄だった。(そんなゆるい地獄はないが)そして僕はその承認欲求レースから早々と脱落した。ある時、ふと思ってしまった。『疲れた』そこからは早かった。『誕生日 祝う 理由』簡潔な疑問。『そもそも人の誕生日って、そんなにめでたい事か?』欠陥人間の産まれた日。

誕生日を迎えた朝、鏡で自分の顔を見る。昨日と全く一緒だった。全身を眺める。何も変わってない。人間ゆっくりと変化する。『背伸びだね』『声低くなったね』久しぶりに会う友達にそう言われて、初めて自分が変わった事に気付く。異性だと、7割増しで誇らしい。5歳になると額からツノが生えて、10歳になると背中から羽が生えるのなら、俺は今誕生日を迎えたんだなと実感する事が出来た。自分が何か明確にレベルアップした要素がないのに、年を一つ重ねてもワクワクしない。例えば、初めてハイハイ出来るようになったとか、初めて言葉が喋れるようになったとか、昨日の自分とは何か違う要素が一つでもあれば、腑に落ちるし、それを祝う理由も分かるのだ。誕生日は、自分からその事を言わなければ、誰からも気付かれることはない。自己申告なのだ。『もしかして今日誕生日でしょ?』と聞かれても、それは完全なる勘だ。一か八かで言ってみただけだ。

更に誕生日一年に一度、生きてさえいれば確実に訪れる。それはこの世に生きる全ての人のスケジュールに刻み込まれているものだ。全員に訪れるものならば、それはもう当たり前の出来事だ。もちろん当たり前じゃない人もいる。産まれながらにして、余命宣告を受ける人も中にはいる。でもそれは少数だ。大多数の人は、何事も無く歳をとる。例えば今が戦時中で、若者の死亡率が50%を上回ってるなら、誕生日特別ものだと感じる。現代日本平和で、不運な事故にでも遭わない限り、生き続ける事は出来る。勿論それはとても幸せな事だ。幸せな事ではあるが、一般的に考えると普通のことだ。100歳からだ。僕の中では、特別感が産まれるのは100歳の誕生日からなのだ。その時だけは『おお、凄えな』となる。長々と説明してきたが、もちろんこれは僕が勝手にそう思ってるだけで、今まさに誕生日を迎えて盛り上がってる家庭にお邪魔して『そんな事する必要あります?』なんて場を白けさせるつもりはない。でも100歳からなのだ。俺は100歳まで生き続ける。そしてその時が来たら、近所中に自慢する。自己申告する。俺の生命力を声高々に。祝え、祝え。100年間我慢したんだ。今日だけは祝え。

2021-08-12

[] 25歳で年収900万を超えた

今日は自慢させてくれ。

東京まれ東京育ち。都内のそこそこ有名な大学修士卒業して、いわゆる日系大手企業に1年勤めた。この会社待遇が日系新卒にしてはよくて、完全に在宅勤務&ゆるゆる労働環境で額面600万ちかくもらえた。

1年働いたので転職活動をしてみたら、きょう、ある会社から900万を超えるオファーをもらえた。自分職場いちばんポンコツだったし、正直にいうとまったく期待していなかったのでビックリした。

12月からは月額50万以上も手取りが入ってくる生活になる。

家賃20万の南麻布の1Rか、はたまたちょっと田舎成城とか横浜)の50平米近い1LDKか。。。と悩む楽しみ。これを機に積立NISAをはじめてみたり、給料が増えることが純粋楽しい

実家暮らし貯金が300万近くあり有給が2ヶ月あるので、この費用韓国に整形しにいきたいとも考えたがこのご時世で断念。

自分事業立ち上げてるような人間外資とかでバリバリやってる人間官僚かいう謎世界人間にはなんもイキれないけど、今日だけはイキらせてくれ。

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