はてなキーワード: 愛されたいのとは
読んでて悲しくなったので書いた。
完全なる弱者である自分の子どもにハイスペの遺伝子を組み込むことで、その子どもを愛そうとしている。
ただしこの子どもを愛すというのは条件付きの愛になる。本来夫や彼氏に行くはずだった求愛行動がこの子どもに行く。絶対に離したくないという観念が、子の自立を妨げるようになり、絶えず子を束縛するようになる。
多くのシングルマザーの子どもは、どうであれ「かつて愛した人の子ども」であることが大半である(そうでない場合もあるが)。
こうした他のシングルマザーとのズレは、育児の場で大いに影響し、子は他者とのコミュニケーションが苦手になる。マイノリティの中でさらにマイノリティとなるのだ。逆境を跳ね返す能力がなければならない。
子が自分自身の人生を生きる上で最大の障害となるのはこの母親である。
自分の人生でできなかったすべてが、この子に託される。この母は、人生において子以外に依存先がなくなっているからだ。子にとって自立の最大の敵が母親になるのは不幸なことだ。母親の人生を歩まされる。
子どもはたいてい、13歳ごろから自立し始める。増田が41歳ぐらいのころだろう。18歳時点においては経済的にはともかくとして精神的には自立する。
増田が46歳になったころに、また今のような状態が再びやってくる。いや、より大きな孤独の状態がやってくるということに耐えきれるのだろうか。
まだ居もしない子どもへの強烈な依存が垣間見える。適当な男ではダメな理由は、プライドが許さないからであろう。「こんな男では、私に釣り合ってない」と考えている。
そうした今現在「全然選ばれない」ような女性は、46歳ではもう「50歳ぐらいの汚いおじさんですら相手にしない」ような女になりかねないのではないか。そして子は離れていこうとする。
また、文章を読んで気になった点は「そこまで可愛くなく」「そんなに洒落っ気もない」「人並みに頑張ってはいる」と書いている見栄である。
他の点「愛嬌もない」「男に媚を売るのも嫌い」と書いている点に関しては断定している割に、その点に関してプライドがあるのがよりめんどくささを助長している。
つまり、本当はフツメンババアなどではない。ブサイクババアなのである。その自覚が足りない。ブサイクババアのくせに性格も良くないのだ。
「そのへんの女より可愛くて洒落っ気はあるのだが、『つまらない男ごときに媚を売る』ことができないために、婚活市場では、意味わからんけど『無価値』となってしまう」と考えているのだろう。しっくりこないか?
これは他の女性をバカにしていることに気付いていない。つまり自分の相場を度外視して「本当の私は彼女たちよりも価値が高いのだが、バカな男どもはそれに気付かない」と、自分の中で折り合いをつけてしまっている。
自己愛が異常だ。フェミニストはミサンドリストであるという点で不幸だが、増田はミサンドリストな上に、女性も嫌いなのではないか。学校でのカーストはどこに位置していた?
教育関係というその仕事も、『子どもという弱者なら自分が支配できるから』という考えが根底にあるのではないか。わからんけど。なおこれはイネーブリングといわれている。
おそらくこの増田は毒親育ちなのかもしれない。若いときに、可愛くもないのに化粧をしないことを選ばされた女性は大変である。あとで追いつかなければならないからだ。
「女の武器を使うのは悪いこと」という、おそらく増田の母親から強固に植え付けられた観念が罪悪感を抱かせる。未熟なスキルもそれを助長する。
そうした先延ばしのツケが今来ているのだろう。
中身が全く可愛くもないのに美も底辺という、弱者女性である自覚が足りていないのではないか。そしてそれを改善しようとする気もない。
「今現在の、ありのままの自分」を愛してほしい、自分が認めた人間からだけに強烈に愛されたいのかもしれない。
美を鍛えるのが苦行なのは「女の苦しみ」の1つだろう。「なぜこんな目に遭わさなければならないのか」と考えたくなる。多くの女は人生の早い段階でそれを乗り越えている。最近では男もやっているが……
ともあれ、理想の自分と現実の自分がすさまじく乖離している。だから人見知りなのではないか。
婚活疲れによるメンタル崩壊が第3の選択肢を選ばせているのだろうが、それは回避性パーソナリティ障害ではないだろうか。今までそうやって生きてきたのではないか。
そしてまた今回も問題の先送りをしようとしている。
自分が「下」だと思っている女性が、本当は圧倒的に自立しており、圧倒的に「上」であることに気付くべきときなのではないか。
これは俺の勝手な憶測・俺の勝手な印象だから、ふふっと笑って流しても構わない。
だが、子どもができてからではもう戻れない。今、己の存在価値・アイデンティティが問われているのだ。己と真剣に向き合うときが来たのではないか。
子どもを持ちたいと思う気持ちはわかる。ただ、まだ本気で戦ってもいないのに「婚活で惨敗した」あなたに、子を幸せにできるのか。撤退ではなく惨敗なのだ。
ほとんどの人は無関係で別の世界のお話だと思っているかもしれない。しかし風俗に行く男は直接関係している当事者だ。同じ世界の地続きの話だ。そして、風俗嬢からすれば風俗に来る男は金でしかない。しかし俺は風俗に行く男側の気持ちもわかる。「何か人肌恋しいし、寂しいし、ヌキたいな」ぐらいの気持ちだろう。その男たちもまた、愛されたいのだろう。
男側になぜか勘違いしているやつがいるのだが「風俗をやる子なんだからエロいことが好きなんでしょ」と思ってるやつが比較的多い。そういう男はマジでバカだ。そりゃあ稀に本当に好きな女もいる(ただしそういう女も結局病んでいる。セックスが好きなだけなら出会い系でいくらでも選べるからだ)。しかし全体的には「キモいジジイの臭いちんこをしゃぶって自分がただただ惨めな気持ちになる」「金を払わなければセックスもできない男どもに人生を吸い取られている」というものになる。清潔感あふれるイケメンが来ればある程度軽減されるようだ。ただし結局、風俗の客という記号にすぎない。凡俗の男なんて、ヤられながら「しあわせ……」って言って微笑んでりゃ落ちるのだ。雑魚乙チェリー乙である。(ただし中にはそのまま本当にカップルになる・結婚するパターンもある。だから余計に厄介なのかもしれないが)
担当がわかってくれないというときもある。担当がストレスで精神崩壊しているときは対応がおざなりになる。毎日毎日よくわからない男たちのちんこをしゃぶっていれば毎日狂う。なぜ1回を1本と呼ぶか。ちんこの本数だ。ネットでは「いいえ、実はプレイ時間に使う線香の本数のことなんです!」というクソみたいな由来説が出てくるが、これは求人サイトで「風俗はクリーンなお仕事!!」と見せるためのものだ。風俗はクリーンではない。線香の燃焼時間についてググったら「短寸(短い線香)よりも長いタイプは長寸と呼ばれ、燃焼時間は約40分です。 長い時間の供養に使われます」と出てきた。したがって証拠もクソも無いがおそらく違う。大体ペニス1本の方が相当しっくりくる。実際「今日は2本しゃぶったわ」というように使ったりする。1日7本しゃぶって、300日で2100本!そういう計算だ。客は、1/2100のちんこなんだ。これで病まなきゃ何で病むというのか。
風俗嬢は、男というものを汚い存在だと認識していく。そんな中、担当だけが綺麗である。担当だけが愛してくれている。"本物の愛"をくれるのだ。1/2100のちんことはわけが違う。「俺はお前とヤらなくてもいい!」と思っているのだ(疲れるから)。なのに1/2100は言う。「そんなホストなんて行かない方がいいよ。行くのやめたら」と言う。そんなことを言われるのがめんどくさいから「家庭の事情で…」などと言う。ペルソナ作りだ。「親が借金まみれで……」など。それに対する1/2100の回答は「親の借金って返さなくてもいいんだよ。何にも知らないんだなあ……」という言葉だ。風俗嬢には、ジジイは脳がお花畑で安易で安直で馬鹿で無能の無知の汚いモテないジジイでしかない。まあジジイの言葉を聞くのもプレイ料金の一部だ。「君を救ってあげたい」と言葉では言っている。本心は「あわよくば俺の性奴隷になってくれないかな」である。ちんぽ騎士団連隊! そんなことはお見通しである。第一、嫌いな男である。ただの金。ただの金を運んでくるATMの鳴き声は耳に届かない。友人の誠意ある言葉すら届かないのだから。
1/2100に何か言う資格はない。地獄作りに微力ながら貢献しているのだ。立派な悪人なのに、自分は善良な一般市民ぶっているのだ。お金を払っているのだからいいだろう。それぐらい許されるだろう。こっちもストレスたまっているんだ。お金を出さなかったら彼女たちはどうする。ちんこのために自己正当化を始める。なにゆえ悪人というレッテルを貼られる言説よりもこのオレのちんこの方が正しいのか。オレが直接手を下したわけではない。オレはただサービスを使っているだけだ。仕方ないじゃん。そんなに悪いかよ。いいですとも、いいですとも。犯罪ではない。それにこうしたシステムの存在が性犯罪の防止にも一役買っている可能性もある。引き続き風俗ライフを愉しめば良い。
煎じ詰めて考えれば、社会と経済と政治と法と道徳観や価値観の問題であろう。最近、千葉でJKが自殺配信をしたが、根本的にはすべて同じであると思う。物質的にはそこそこ問題ないのに、愛が無くなったために絶望して死ぬ。家庭で救えない。学校でも救えない。警察も救えない。行政も救えない。誰も救えないのだ。努力がなされているのは知っている。人知れず救われている人も多いだろう。俺はフェミニストは全く好きではないしむしろ嫌いだが、フェミニストがなぜキレているかはわかっているつもりだ。見えている視界が全く違う。中には救いようのないやつもいるようだがそれは知らん。
そういえばコメントに「ナンパされてブスと言われた」とあるがそれはナンパではなくキャッチである。「ブス!」というのは最後に苦し紛れに呪いをかけているのだ。現に記憶に焼き付いてしまっているだろう。真実はわからないが、呪いをかけたかったのは、そのホストの売上がまずくてストレスがたまっていて、キャッチを何度もしたけど無視され続けていたところに通りがかったのが言及者で、ストレス発散先にちょうど良かったといったところだろう。ホストだけではないが、「しゃーない。『安牌』行くか」と思って声をかけたときに、その『安牌』にすら無視されると強烈にイライラするようだ。高跳びで140cmが飛べないから110cmまで下げて飛ぼうとしたら引っかかったようなものだ。それからここでいう安牌だとか「お前なんかゴミだぞ」というのはホスト側の価値観による。マジで気にする必要はないと思う。奴らは別に誰にでも言う。通行人のことはNPCだと思っているから。
ウシジマくんに似ていると思うかもしれない。ホストもウシジマくんを読んでいるからだ。影響は受ける。
話は変わるが、フェイクニュースも統一教会も、根本的に構造は同じであろうと思っている。資本主義スキームとでも言うか。需給一致だ。「私は無限の愛をあげるのでお金がほしいです」「私はお金をあげるので無限の愛がほしいです」の双方の利害が一致している。心のスキマお埋めしますとやっているのである。トランプがホストだと思えばよい。「愛してあげます!愛してあげます!あなたたちのことをわかっているのは私だけなのです!」と言う。一人ひとりの怠惰が結合してモンスターになっている。ジョーカーという映画はそれを綺麗に描いている。キラキラワールド。俺が上、お前が下、そういうことをいつまでもやっている。世界的に江戸時代。穢多・非人と呼んでいた時代と何が違う。カースト制と何が違う。末法の世。精神的支柱や象徴や依存先を永久に欲しがっている。IKIGAIである。理想郷を求めている。そんなものはない。ちんことまんこにどうして社会がこんなに振り回されなければいけないのか。みな、対岸の火事である範囲なら「あれま、可哀想に」と言うが、ひとたび自分が関係していると知ると「いや、自分じゃないですよ」「自分に刃を向けてくるとは……コイツはクズ!」と敵対し始める。同じ穴のムジナである。ホストだけが悪いのではない。悪のシステムを構築した黒幕ゴミクソ野郎だけが悪いのでもない。俺も悪い。お前も悪い。ホストも悪い。ホストに騙される女も悪い。全員悪い。最近立ちんぼやってるんだって?なんじゃそれ。クソワールド。
書いていたらすごくムカついてきた。どうかこの世はクソワールドではないと言ってくれ。
主に、上記四つについて書く。私が同人文字書きオタクでR系小説をたまに書くので、備忘録的な意味合いが強い。最悪の現地取材記録。
【準備しておいてよかったこと】
・潤滑油。
ラブローションともいうらしい。シャレた名前してんな。いろいろ種類あって、食べれる用とかもあったから財布と相談して好きなのを選んで。
で、これマジ。
初めてってどうしても緊張しちゃうから、出そうとして出せるものじゃないと思う。メチャクチャ好きな相手とやるから興奮する! とかなら別だろうけど、私はそういうのじゃなかったから、「全然濡れなくてもドバドバ使えば大丈夫なようにしとくか……」という保険で買った。そのおかげで「まあ濡れなくてもいいしな」って安心感はあった。それはそれとして普通に使った。
濡れてないと痛くなりやすいよ、って佐伯ポインティの動画でメチャクチャ見たから「痛いの絶対イヤだな!」派の私は買っといてよかったと思う。そのおかげか知らないけど、事後も身体能力に支障なかったよ。
事後も身体能力に支障はなかった。なかったよ。なかったけど、処女膜が破れたせいか、生理でもないのに血が出てきて死ぬほど不快だった。
これも佐伯ポインティの動画で見て、お守り代わりに持っといたんだけど、正解だった。処女膜って処女でもないひとはないから、要らないひとは要らないと思う。まあいつも使っているやつを一個持っとけば保険にはなる。そうでなくても女って外で生理になるときもあるし、だいたいみんな一個は持っとけ。
サイズ分かんないから言うだけ言っといた。これで「ゴムしなきゃなの?」ってイヤな顔する奴だったらさせないでおこうと思って。だから準備っていうか性格診断かも。幸い「するよ」って即答してくれたから、そこを信頼して選んだ。実際ちゃんとしてくれてよかった。
当たり前の話をすると、ゴム無しって女側のリスクがヤバい。妊娠もそうだけど、他にもいろいろある。とにかくヤバい。詳しくはググって。
「人生を共にする」「子どもがほしくて仕方ない」とかの相手じゃない限り絶対させないで。ゴムしない男って相手のリスクをミリも考えないクソだから、もしそういう相手とそういうことになりかけたらすぐ逃げて。
【致すまでの簡易的な経緯】
当方同人オタク女、結婚願望ナシ子も欲しくない、来月からアラサーに突っ込む精神障害者手帳三級持ち子ども部屋おばさんです。対戦よろしくお願いします。
このクズカス遺伝子を後に残したくないし、そもそも自分の面倒もみれないのに他人と生きられるかって話。
思い立った経緯は省くけど、人生のアチーブメント取得しとくか~ぐらいのノリでマッチングアプリ始めた。そこで顔と身長が好みの男を探して、いくつか会ってみて、その中でいちばん待つのがうまかったひとに彼氏になってもらった。相手も結婚願望ないとのことだった。実際彼氏になってもらってからも、こっちに全然ラインとか送ってこないし、「おや……これは恋人というかセフr……」だったんだが、まあこっちも似たようなもんだなと割り切った。
一緒にご飯食べたり、映画見たり、キスしてみたり。それなりに恋人らしいことにも付き合ってもらった。あーキスって好きかどうかも分からない相手ともできるんだな、とこのとき知見があった。逆説的にいえば、キスもしたくない相手とはその先も苦痛だろうからやめたほうがいいとも思った。そういう専門の仕事してるお姉さん方マジすげえマジリスペクト。
で、まあ、数回会ったあとにホテルに行った。
キスして数秒で下触ろうとすんな!!!!!!!!!!! そんな秒で濡れるわけねえだろ!!!!!!!!!!!! でもまあ相手も童貞じゃないだけで、しみけんなわけじゃないしな……と思って胸に誘導。
胸の開発なんかしてるわけないので、くすぐったいような、ぼんやり気持ちいいような……? みたいな感じだった。でもこのへん疎かにされるとカス!!! みたいな気持ちになるのも分かるな~と思った。前戯、大事。すごく大事。すぐ下触ろうとする男は上手くないです。そんな薄い本みてえな便利な身体してねえんだわ。デフォルトは砂漠なんだわ。いやごめん分からん才能あるひとは違うのかもしれない。
私はそのあと下触られたから違うけど、実際は足から首元まで全身を撫でまわすように愛撫する方がはだけさせるのも兼ねれてクールじゃない? って感じした。知らんけど。自分が推しカプ小説書くときはそうしようと思った。えっちだし。文字数稼げるし。
指で慣らされてる間はひたすら何? 何? 何? みたいな感じだった。気持ちいい、みたいなのはなかった。異物感すごい。なんか入った!? あ、出た!? また来た!? みたいな。小さいウンコ出てるのかな、みたいな感覚してた。さすがに雰囲気壊すからずっとあんあん言ってたけどね。
栗に電マ当てられたときが一番「感じる」ってやつだったかもしれない。下半身全部にカイロ貼られたんか? ってぐらい熱くなったし、身体を動かしてそれを誤魔化さずにはいられなくなった。声も焦りとか衝動でめっちゃ出た。
あとで知ったんだけど、しみけんですら電マ先生には勝てんと感じたことがあるらしい。電マ先生パねえ。「イク」感覚は結局最後まで分からなかったが、電マ先生を頼れば分かる日も来るのかもしれん。怖いからやろうとは思わないけど。
相手の息子さんも舐めた。舐めてと言われ、興味がなくもなかったので。
第一印象は意外と綺麗だな、だった。いままで海苔やモザイク付きのモノしか見たことがなかったので、無修正は初めて見た。ちゃんと洗ってくれてたのか、チンカスと呼ばれるらしい存在が引っかかることはなかった。サイズはバナナぐらいだった。知ってる限りの性病の傾向もなかったし、ちゃんと清潔にしてもらってると、意外に舐めることに抵抗ないなと思ったが、これは私だけかもしれん。イヤなひとはイヤなんじゃないかな。知らんけど。
正直、この辺はよく分からん。初めてやったし。とりあえず手持ちのエロ知識総動員して頑張ってた記憶しかない。いいのかな……これで……痛くないかな……ちゃんと私に勃つのかな……とか不安のが強かった。幸いまったくのフニャフニャではなかったので、数分で芯を持つというか、いわゆる「硬くなる」感じが手の中に生まれた。
私はいま合体する真っ只中だろうに、なぜかウンコが入ってくるというか、出ていくウンコが入り口でモダモダしているというか、そういう感覚に襲われていた。ウンコ漏れてない!? と言わなかった自分を褒めたい程度にはウンコだった。あの瞬間の私は、小学生男子よりウンコのことを考えていた自信がある。漏らす方の。いや挿れとるんだけど。
後から見た佐伯ポインティの動画に、挿入の感覚を「ウンコの逆流」と例えてるひとがいて、まさしく! と感動した。やっぱりウンコなのだ! 私だけじゃないのだ! とすごい安心した。安心するところなのか知らんけど。こっちは「挿れる穴間違えてませんか? 無知な処女をいいことに違う穴に挿入してませんか?」とめちゃくちゃ不安だったので許されたい。許せサスケ。
ウンコの感覚を耐えて挿れきってしまうと、なんというか、入ってるのかも分からなかった。挿れるとき“は”痛いかもしれない、って本当なんだなあとか考えてた。膣内が鈍感という知識だけはあったのでマジじゃん、と思った。
あとすごい小便したい感覚があった。処女膜が破れたせいで血が溜まってそれを小便と錯覚していたのか、私が頻尿気味だったせいかは分からん。漏らさなかったのでたぶん前者だと思う。思いたい。
相手が動き出すと、内臓が押されているせいなのか、考えずともそれらしい喘ぎ声が出た。中で動かれても気持ちいいとかはなかった。まったくなかった。電マ先生のがよっぽどそれらしかった。とくに気持ち良くはないけど反射で雄を煽る声を出せる雌の身体すげええええ、みたいな感動はあった。ライブのコールアンドレスポンス、餅つきの呼吸、スナックでとくに上手くないひとのカラオケを聞いているときにする手拍子。そんな感じの喘ぎ声だったが、まあ雰囲気を壊さなければ何でもいいやと思った。
こっちは経験がない分、せめて最中に水を差すまい。合体って共同作業だと、このときつくづく感じていた。そういう意味だと、デキ婚って結婚式前に初めての共同作業済ませちゃってるんじゃないですかねとかいま書いてて思ったがすごくどうでもいいな。
最初は「あ~やっぱり腰動かすんだ」「いまどう動いてるの全然分からん」「待って見ないと描写のネタにならんくない!?」「ヤッベ身体硬いせいで全然見えん!」と脳内のオタクオーディエンスが喧しかった。途中ではたと「これいつまで続く?」と賢者になってしまったのは反省事項だ。一瞬でも「はやく出せはやく終われ」と考えてしまったことが顔に出ていなかったことを祈るばかりである。
ところで、私はそれなりに男性向けエロ作品も読む。そういった作品の中にある、高嶺の花だけどあなたの息子さんを挿れたら言うことなんでも聞きま~す♡ 系ってやっぱりファンタジーなんだなって思った。これからああいうジャンルはそういうプレイなんだと思って拝読させていただきます。私個人は双方一途両想いのイチャラブ系が好きです。よろしくお願いします。
閑話休題。
合体中、足の置き場に困った。なにせ私の身体は硬かった。いろいろ模索した結果、最終的にだいしゅきホールドが一番楽だった。相手に足絡めるだけで雰囲気出るし。ありがとう、インターネット。インターネットがなかったら私はずっと足を持て余してどうしようもなかったと思う。本当にありがとう。相手がイっているときは、中で何かがビクッと二、三回動いた感覚がした。それでなんとなく終わったと分かった。
【いまの所感】
最中に噓でも「好き」も「可愛い」も言えず、こっちの名前を呼ぶこともなく、「痛くない?」と一応の確認すらしてこない男はクソです。テクとか経験以前の問題です。雰囲気って知ってる? とりあえずいまだけはお互いを好きな空気出しとこ? 女ってやっぱり好きなひととするのが一番興奮するらしいんだわ。よく濡れるらしいんだわ。濡れてる方がそっちも滑りよくて合理的やろがい。
これからするひとたち、未経験の童貞処女に知っといてほしいなと思ったのは、月並みだけど「好きなひととしなさい」だった。
一つ目の理由は、好きなひととは積極的にコミュニケーションが取りたいものだろう。性行為にコミュニケーションは必須だ。相手が何を気持ち良く感じて、何を痛がるか。ここをきちんと確認しながらやった方がいい体験になると思う。まあ中には「相手が好きなことを好きなだけして私を気持ち良くして! 私からは特に何もしないです」というマグロ系もいるかもしれないが、そういうのも含めてコミュニケーションとする。「でも身体のここ触ったら反応するじゃん!」とか思うひとはいるだろうけど、そりゃ反応する場所はだいたい急所で、そういう機能があるからじゃ。身体が反応しても心が「何何何!?」になったら興奮よりも恐怖が勝るのよ。イヤだろ、恐怖体験。
二つ目の理由は、さっきも書いたけど女の子は心から好きなひととするとよく濡れるらしいから。よく濡れてた方が痛くないし、男の子側も滑りが良い方が動きやすい。双方お得だね。
とりあえず誰でもいいから卒業したい! になったら、簡単にできると思う。これはたぶん男女問わずそう。男の子だったら風俗に行けばいい。女の子だったら私みたいにマッチングアプリ開いたりすればいい。マッチングアプリなんてブスでもデブでもマッチするから。でもコミュニケーションが最低限取れて性病がなくてゴム使う相手にしようね。犯罪に巻き込まれる可能性だってあるからね。より安全性を高めるなら、いまは女性向け風俗とかあるらしいので、本番ナシらしいけど、そっちでもいいかも。そっちは使ったことないから何も言えんけど、お金を介したサービスは一定の安心を買ったうえで責任を押し付けられるからね。
性行為って、本当に簡単にできる。人間の身体にちゃんと備わってる機能を使うだけはある。でも、「好きなひととする」になると途端に難易度が上がる。ひとを好きになるって、なんかだんだん難しくなっていくじゃん。
ただ性欲を解消したいのか。それともひとに愛されたいのか。
自分はどちらを目的に性行為をしたいのか、一回ちゃんと考えてみるのは大いに有意義だと思う。
ちなみに私は前述したように人生のアチーブメント取得だった。ちゃんと成功したはずだけど入手判定の表示も特別な音楽も軽快なSEも美麗なCGもなかったし、次の日は普通に仕事行った。人生ってつくづくクソゲー。
主に、上記四つについて書く。私が同人文字書きオタクでR系小説をたまに書くので、備忘録的な意味合いが強い。最悪の現地取材記録。
【準備しておいてよかったこと】
・潤滑油。
ラブローションともいうらしい。シャレた名前してんな。いろいろ種類あって、食べれる用とかもあったから財布と相談して好きなのを選んで。
で、これマジ。
初めてってどうしても緊張しちゃうから、出そうとして出せるものじゃないと思う。メチャクチャ好きな相手とやるから興奮する! とかなら別だろうけど、私はそういうのじゃなかったから、「全然濡れなくてもドバドバ使えば大丈夫なようにしとくか……」という保険で買った。そのおかげで「まあ濡れなくてもいいしな」って安心感はあった。それはそれとして普通に使った。
濡れてないと痛くなりやすいよ、って佐伯ポインティの動画でメチャクチャ見たから「痛いの絶対イヤだな!」派の私は買っといてよかったと思う。そのおかげか知らないけど、事後も身体能力に支障なかったよ。
事後も身体能力に支障はなかった。なかったよ。なかったけど、処女膜が破れたせいか、生理でもないのに血が出てきて死ぬほど不快だった。
これも佐伯ポインティの動画で見て、お守り代わりに持っといたんだけど、正解だった。処女膜って処女でもないひとはないから、要らないひとは要らないと思う。まあいつも使っているやつを一個持っとけば保険にはなる。そうでなくても女って外で生理になるときもあるし、だいたいみんな一個は持っとけ。
サイズ分かんないから言うだけ言っといた。これで「ゴムしなきゃなの?」ってイヤな顔する奴だったらさせないでおこうと思って。だから準備っていうか性格診断かも。幸い「するよ」って即答してくれたから、そこを信頼して選んだ。実際ちゃんとしてくれてよかった。
当たり前の話をすると、ゴム無しって女側のリスクがヤバい。妊娠もそうだけど、他にもいろいろある。とにかくヤバい。詳しくはググって。
「人生を共にする」「子どもがほしくて仕方ない」とかの相手じゃない限り絶対させないで。ゴムしない男って相手のリスクをミリも考えないクソだから、もしそういう相手とそういうことになりかけたらすぐ逃げて。
【致すまでの簡易的な経緯】
当方同人オタク女、結婚願望ナシ子も欲しくない、来月からアラサーに突っ込む精神障害者手帳三級持ち子ども部屋おばさんです。対戦よろしくお願いします。
このクズカス遺伝子を後に残したくないし、そもそも自分の面倒もみれないのに他人と生きられるかって話。
思い立った経緯は省くけど、人生のアチーブメント取得しとくか~ぐらいのノリでマッチングアプリ始めた。そこで顔と身長が好みの男を探して、いくつか会ってみて、その中でいちばん待つのがうまかったひとに彼氏になってもらった。相手も結婚願望ないとのことだった。実際彼氏になってもらってからも、こっちに全然ラインとか送ってこないし、「おや……これは恋人というかセフr……」だったんだが、まあこっちも似たようなもんだなと割り切った。
一緒にご飯食べたり、映画見たり、キスしてみたり。それなりに恋人らしいことにも付き合ってもらった。あーキスって好きかどうかも分からない相手ともできるんだな、とこのとき知見があった。逆説的にいえば、キスもしたくない相手とはその先も苦痛だろうからやめたほうがいいとも思った。そういう専門の仕事してるお姉さん方マジすげえマジリスペクト。
で、まあ、数回会ったあとにホテルに行った。
キスして数秒で下触ろうとすんな!!!!!!!!!!! そんな秒で濡れるわけねえだろ!!!!!!!!!!!! でもまあ相手も童貞じゃないだけで、しみけんなわけじゃないしな……と思って胸に誘導。
胸の開発なんかしてるわけないので、くすぐったいような、ぼんやり気持ちいいような……? みたいな感じだった。でもこのへん疎かにされるとカス!!! みたいな気持ちになるのも分かるな~と思った。前戯、大事。すごく大事。すぐ下触ろうとする男は上手くないです。そんな薄い本みてえな便利な身体してねえんだわ。デフォルトは砂漠なんだわ。いやごめん分からん才能あるひとは違うのかもしれない。
私はそのあと下触られたから違うけど、実際は足から首元まで全身を撫でまわすように愛撫する方がはだけさせるのも兼ねれてクールじゃない? って感じした。知らんけど。自分が推しカプ小説書くときはそうしようと思った。えっちだし。文字数稼げるし。
指で慣らされてる間はひたすら何? 何? 何? みたいな感じだった。気持ちいい、みたいなのはなかった。異物感すごい。なんか入った!? あ、出た!? また来た!? みたいな。小さいウンコ出てるのかな、みたいな感覚してた。さすがに雰囲気壊すからずっとあんあん言ってたけどね。
栗に電マ当てられたときが一番「感じる」ってやつだったかもしれない。下半身全部にカイロ貼られたんか? ってぐらい熱くなったし、身体を動かしてそれを誤魔化さずにはいられなくなった。声も焦りとか衝動でめっちゃ出た。
あとで知ったんだけど、しみけんですら電マ先生には勝てんと感じたことがあるらしい。電マ先生パねえ。「イク」感覚は結局最後まで分からなかったが、電マ先生を頼れば分かる日も来るのかもしれん。怖いからやろうとは思わないけど。
相手の息子さんも舐めた。舐めてと言われ、興味がなくもなかったので。
第一印象は意外と綺麗だな、だった。いままで海苔やモザイク付きのモノしか見たことがなかったので、無修正は初めて見た。ちゃんと洗ってくれてたのか、チンカスと呼ばれるらしい存在が引っかかることはなかった。サイズはバナナぐらいだった。知ってる限りの性病の傾向もなかったし、ちゃんと清潔にしてもらってると、意外に舐めることに抵抗ないなと思ったが、これは私だけかもしれん。イヤなひとはイヤなんじゃないかな。知らんけど。
正直、この辺はよく分からん。初めてやったし。とりあえず手持ちのエロ知識総動員して頑張ってた記憶しかない。いいのかな……これで……痛くないかな……ちゃんと私に勃つのかな……とか不安のが強かった。幸いまったくのフニャフニャではなかったので、数分で芯を持つというか、いわゆる「硬くなる」感じが手の中に生まれた。
私はいま合体する真っ只中だろうに、なぜかウンコが入ってくるというか、出ていくウンコが入り口でモダモダしているというか、そういう感覚に襲われていた。ウンコ漏れてない!? と言わなかった自分を褒めたい程度にはウンコだった。あの瞬間の私は、小学生男子よりウンコのことを考えていた自信がある。漏らす方の。いや挿れとるんだけど。
後から見た佐伯ポインティの動画に、挿入の感覚を「ウンコの逆流」と例えてるひとがいて、まさしく! と感動した。やっぱりウンコなのだ! 私だけじゃないのだ! とすごい安心した。安心するところなのか知らんけど。こっちは「挿れる穴間違えてませんか? 無知な処女をいいことに違う穴に挿入してませんか?」とめちゃくちゃ不安だったので許されたい。許せサスケ。
ウンコの感覚を耐えて挿れきってしまうと、なんというか、入ってるのかも分からなかった。挿れるとき“は”痛いかもしれない、って本当なんだなあとか考えてた。膣内が鈍感という知識だけはあったのでマジじゃん、と思った。
あとすごい小便したい感覚があった。処女膜が破れたせいで血が溜まってそれを小便と錯覚していたのか、私が頻尿気味だったせいかは分からん。漏らさなかったのでたぶん前者だと思う。思いたい。
相手が動き出すと、内臓が押されているせいなのか、考えずともそれらしい喘ぎ声が出た。中で動かれても気持ちいいとかはなかった。まったくなかった。電マ先生のがよっぽどそれらしかった。とくに気持ち良くはないけど反射で雄を煽る声を出せる雌の身体すげええええ、みたいな感動はあった。ライブのコールアンドレスポンス、餅つきの呼吸、スナックでとくに上手くないひとのカラオケを聞いているときにする手拍子。そんな感じの喘ぎ声だったが、まあ雰囲気を壊さなければ何でもいいやと思った。
こっちは経験がない分、せめて最中に水を差すまい。合体って共同作業だと、このときつくづく感じていた。そういう意味だと、デキ婚って結婚式前に初めての共同作業済ませちゃってるんじゃないですかねとかいま書いてて思ったがすごくどうでもいいな。
最初は「あ~やっぱり腰動かすんだ」「いまどう動いてるの全然分からん」「待って見ないと描写のネタにならんくない!?」「ヤッベ身体硬いせいで全然見えん!」と脳内のオタクオーディエンスが喧しかった。途中ではたと「これいつまで続く?」と賢者になってしまったのは反省事項だ。一瞬でも「はやく出せはやく終われ」と考えてしまったことが顔に出ていなかったことを祈るばかりである。
ところで、私はそれなりに男性向けエロ作品も読む。そういった作品の中にある、高嶺の花だけどあなたの息子さんを挿れたら言うことなんでも聞きま~す♡ 系ってやっぱりファンタジーなんだなって思った。これからああいうジャンルはそういうプレイなんだと思って拝読させていただきます。私個人は双方一途両想いのイチャラブ系が好きです。よろしくお願いします。
閑話休題。
合体中、足の置き場に困った。なにせ私の身体は硬かった。いろいろ模索した結果、最終的にだいしゅきホールドが一番楽だった。相手に足絡めるだけで雰囲気出るし。ありがとう、インターネット。インターネットがなかったら私はずっと足を持て余してどうしようもなかったと思う。本当にありがとう。相手がイっているときは、中で何かがビクッと二、三回動いた感覚がした。それでなんとなく終わったと分かった。
【いまの所感】
最中に噓でも「好き」も「可愛い」も言えず、こっちの名前を呼ぶこともなく、「痛くない?」と一応の確認すらしてこない男はクソです。テクとか経験以前の問題です。雰囲気って知ってる? とりあえずいまだけはお互いを好きな空気出しとこ? 女ってやっぱり好きなひととするのが一番興奮するらしいんだわ。よく濡れるらしいんだわ。濡れてる方がそっちも滑りよくて合理的やろがい。
これからするひとたち、未経験の童貞処女に知っといてほしいなと思ったのは、月並みだけど「好きなひととしなさい」だった。
一つ目の理由は、好きなひととは積極的にコミュニケーションが取りたいものだろう。性行為にコミュニケーションは必須だ。相手が何を気持ち良く感じて、何を痛がるか。ここをきちんと確認しながらやった方がいい体験になると思う。まあ中には「相手が好きなことを好きなだけして私を気持ち良くして! 私からは特に何もしないです」というマグロ系もいるかもしれないが、そういうのも含めてコミュニケーションとする。「でも身体のここ触ったら反応するじゃん!」とか思うひとはいるだろうけど、そりゃ反応する場所はだいたい急所で、そういう機能があるからじゃ。身体が反応しても心が「何何何!?」になったら興奮よりも恐怖が勝るのよ。イヤだろ、恐怖体験。
二つ目の理由は、さっきも書いたけど女の子は心から好きなひととするとよく濡れるらしいから。よく濡れてた方が痛くないし、男の子側も滑りが良い方が動きやすい。双方お得だね。
とりあえず誰でもいいから卒業したい! になったら、簡単にできると思う。これはたぶん男女問わずそう。男の子だったら風俗に行けばいい。女の子だったら私みたいにマッチングアプリ開いたりすればいい。マッチングアプリなんてブスでもデブでもマッチするから。でもコミュニケーションが最低限取れて性病がなくてゴム使う相手にしようね。犯罪に巻き込まれる可能性だってあるからね。より安全性を高めるなら、いまは女性向け風俗とかあるらしいので、本番ナシらしいけど、そっちでもいいかも。そっちは使ったことないから何も言えんけど、お金を介したサービスは一定の安心を買ったうえで責任を押し付けられるからね。
性行為って、本当に簡単にできる。人間の身体にちゃんと備わってる機能を使うだけはある。でも、「好きなひととする」になると途端に難易度が上がる。ひとを好きになるって、なんかだんだん難しくなっていくじゃん。
ただ性欲を解消したいのか。それともひとに愛されたいのか。
自分はどちらを目的に性行為をしたいのか、一回ちゃんと考えてみるのは大いに有意義だと思う。
ちなみに私は前述したように人生のアチーブメント取得だった。ちゃんと成功したはずだけど入手判定の表示も特別な音楽も軽快なSEも美麗なCGもなかったし、次の日は普通に仕事行った。人生ってつくづくクソゲー。
どうしても許せなかった。彼氏はヒモ気質でデート代のほとんどを私に出させてデートプランは全部私任せという虚無キャだったけどそこまでは許せた。でもお前は障害者だから仕事や将来の夢から逃げていい、俺は頑張れって言わない、その方が嬉しいでしょ?そう言われたのがどうしても許せなかった。別れてくださいと言った。わかったと返された。あっけなかった。多分、彼は私のことをなんとも思っていなかったんだと思う。私はあえて嫌いになった理由を言わなかった。次の彼女にも振られろ。
でも大人になって夢を追いかけるのは恥ずかしいって自覚してる。自覚してるから辛かった。だって才能ないの知ってる。それでも諦めきれない。やれることはやってる。それは彼も知ってたはずなのになんであんなこと言ってきたんだろう。
愛されたいのに愛されたことがないから、ときめく恋愛が書けない。誰にも愛されずに人生が終わっていくことが怖い。誰かに愛されたら夢を諦められるかと思ったけど、愛されないから夢を取る。でも、そしたら夢が叶わなかった時私はどうなるんだろう。それがとても怖い。
年の功というか何というか、件の増田の言語化は自分の中の心の核心を突かれたように思える。流石だ。
あの増田は物凄く奥さんを愛していることが非常に伝わってきて、あそこまで愛される奥さんが羨ましく、そして愛される奥さんを羨むことこそが自分の中の「愛されたい」欲求を如実に証明していた。
よせられていたブコメを見ていても絶賛している人たちのほとんどが愛している側の人たちで、私が愛されたい側であることを更に自覚する。
マッチングアプリでパートナーを探していたと今まで思っていたけれど実際のところは私を心から愛してくれる人を探していたんだなと知った。愛せる人を探さなきゃならなかったんだと気付いた。
本当に流石だ。この歳になりここまで目を見開くような諭しを得るなんてなかなかない。
元タイトル【マッチングアプリの話とか不毛だから俺のノロケでも聞いていけよ】
https://anond.hatelabo.jp/20221110185331
↓
変更後【マッチングアプリの話とか不毛だから私のノロケでも聞いてほしい】
(若干語尾等を変更しています)
(本文)
マジで何買おうかなぁ!悩むー!!!!!クリスマスもあるよね?だから毎年悩むんだよなぁ!どっちを本命のプレゼントにしようかと!
どうでも良いとかって思った人、そんなんだから増田とかはてブとかの男女論に流されるんだよ?
クソみたいな男女論なんかより私が旦那をどれだけ愛してるか?のほうが圧倒的に重要で、愛があるからこそ男女論は重要な意味を持つんだよ。
どんだけその人たちが愛されたいのか、頭良さそうな言葉を使ってるけど最終的に言いたいことは1つだけ「自分を愛してくれ」だ。
私はもしかしたら旦那から愛されていないかも知れないが、まぁそんなことは些細な問題だよ。
私がもしも世界一ダサくて誰からも愛されない女であっても、その程度のことで私が持つ旦那さんへの愛の深さは決して計れない。旦那を愛することへ全く支障はない。
結婚する前もカッコよかったし、結婚した後もカッコいい、子供が生まれ家族が増えてもカッコいい。
最近体型を気にしてるが、そういうこと言ってるところが可愛いし、私が子供と旦那が食べるだろうなと思って冷凍庫へ入れていたアイスを夜な夜なたべちゃうのも可愛い。
子供も大きくなったのに体調悪いときはくっついてくる癖が抜けないのも可愛いし、人前では大人の男を演技しているところも可愛い!
旦那を残して死ぬことが怖くて、旦那が生きがいなので居なくなると何をして生きたら良いのか全くわからない。
子供に甘い旦那のことだからオレオレ詐欺とかに引っかかるんじゃないか、変なところで意固地だから身体壊しても老人ホームへ素直に入らないんじゃないかな。
私は死ななくても私のお婆さんみたいに私自身がボケてしまうのも嫌だし、旦那をわからなくなるなんて物凄く恐ろしい。
タバコをやめた、お酒も行事ごとのときだけと減らした、息子と一緒にジムへ通うようになった。
結婚とか人生って本当に意味があるのかよくわからない。五十路になってもわからないよ。
マッチングアプリでパートナー探してる若い人たちに教えられることは、あなたたちの婚活の先にあるのは私が今感じてる言いようも無い不安だ。
あなたたちが今やってることは最終的にみんなから忘れられ意味のないことになる。
それを最近実感してきた私がハッキリと断言して言ってやる。
結婚は、良いもんだよ。
(感想)
・嫁がヤンデレに見える
・嫁が旦那に騙されているように見える
(結論)
・「男が女を無条件で愛することはカッコいい」が、「女が男を無条件で愛するのは違和感がある」ということ。
嫁さんの誕生日がもうそろそろなんだよなー!
マジで何買おうかなぁ!悩むー!!!!!クリスマスもあるだろぉ?だからさ毎年悩むんだよな!どっちを本命のプレゼントにしようかと!
どうでも良いとかって思ったやつ、そんなんだから増田とかはてブとかの男女論に流されるんだぞ?
クソみたいな男女論なんかより俺が嫁さんをどれだけ愛してるか?のほうが圧倒的に重要で、愛があるからこそ男女論は重要な意味を持つんだよ。
匿名のはてなーが語る男女論をよく読み解いてみろよ。
どんだけコイツら愛されたいのか、頭良さそうな言葉を使ってるけど最終的に言いたいことは1つだけ「自分を愛してくれ」だ。
俺の嫁さんは世界一俺に愛されている。
俺はもしかしたら嫁さんから愛されていないかも知れないが、まぁそんなことは些細な問題だな。
俺がもしも世界一ダサくて誰からも愛されない男であっても、その程度のことで俺が持つ嫁さんへの愛の深さは決して計れない。嫁さんを愛することへ全く支障はない。
結婚する前も可愛かったし、結婚した後も可愛い、子供が生まれ家族が増えても可愛い。
最近体型を気にしてるが、そういうこと言ってるのも可愛いし、俺が子供と嫁さんが食うだろうなと思って冷凍庫へ入れていたアイスを夜な夜な食っちまうのも可愛い。
子供も大きくなったのに体調悪いときはくっついてくる癖が抜けないのも可愛いし、人前では大人の女を演技しているところも可愛いな!
俺も嫁さんももう五十路で人生の半分を過ぎちまった。
今最も怖いのは俺か嫁さんかのどちらかが先に逝ってしまうこと。
嫁さんを残して死ぬことが怖く、嫁さんが生きがいなので居なくなると何をして生きたら良いのか全くわからん。
子供に甘いアイツのことだオレオレ詐欺とかに引っかかるんじゃないか、変なところで意固地だから身体壊しても老人ホームへ素直に入らないんじゃないか。
俺は死ななくても俺の爺さんみたいに俺自身がボケてしまうのも嫌だ、嫁さんをわからなくなるなんて物凄く恐ろしい。
タバコをやめた、酒も行事ごとのときだけと減らした、息子と一緒にジムへ通うようになった。
それでもやっぱり寿命は来るしボケるんだろう。
結婚とか人生って本当に意味があるのかよくわからんな。五十路になってもわかんねぇよ。
マッチングアプリでパートナー探してる若い連中に教えられることは、お前らの婚活の先にあるのは俺が今感じてる言いようも無い不安だ。
お前らが今やってることは最終的にみんなから忘れられ意味のないことになる。
それを最近実感してきた俺がハッキリと断言して言ってやる。
結婚はなぁ、良いもんだぞ。
と言っても1つのグループしか推したことはなく、それも片手で数えられる程の年数だ。
その約半分はコロナでイベントはあまり開催されず、配信やSNSで繋がりを持つくらいだった。
地域の発展や情報発信をメインに活動してはいるが、メジャーデビューもしていて全国各地にライブをしに行くこともあった。
グループの活動拠点と私の住んでいる地域は少し距離があったが、それなりに赴いてくれていたしこちらが遠征することももちろんあった。
グループとの出会いは元々そのグループのオタクだった友人に影響されてのものだ。
大きめのライブハウスでライブがあり、チケットが余っているから来ないかと誘われた。
その随分前から友人には散々グループの話を聞かされていて、一度だけなら行ってみてもいいかとこちらが折れた形だ。
あの時の衝撃は忘れられない。あんなにキラキラ輝く空間がこの世界に存在するのだと、しかしそんな空間は何故これほど小さな場所にしか広がっていないのだと、大きなギャップを感じたことを鮮明に覚えている。
コロナが流行し始めてすぐ、2020年中頃。メンバーが1人脱退した。
オタクたちは納得していた。そのメンバーはコンセプトのはっきりとしたグループでははみ出るほどの個性を持っていた。
その年の瀬、また1人メンバーが脱退した。“体調不良”になる前のメンバーは歌唱中も暗い表情で、明らかに今までの精神状態ではなかった。オタクはあの時も納得していたと思う。
人生で様々な変化が起こるはずの年頃であるメンバーたちと、コロナで空いたスケジュール。ニュースでも頻繁に人々の慢性的なストレスが取り上げられていた頃。
辞めた理由とされる“不祥事”は、正直一般人ならば何も問題にならないものだった。
私がアイドルオタクになったきっかけの友人の推しと、私の推しは未だ精力的に活動していた。
新曲も出た。イベントも制限がある中ではあるが出来るようになった。個人の大きな仕事も決まった。
私は納得していた。むしろ1人抜けた瞬間からそれを願っていたように思う。
解散が発表されてから、推しを好きだった気持ちをひたすら振り返る。
そもそも発表される3ヶ月ほど前に、推しのある発言が受け入れられず完全に距離を置いていた。
降りる理由としては小さいがどうしても譲れないものがあり、然して以前から心は離れかけていて、その発言がトドメとなった。
ただ1つの発言は受け入れられなかったが、それまで好きだった気持ちだけは今でも大切にしている。
私は推しの痛ましいほど真面目なところが好きだった。グループでは年が上なこともあり、リーダーではないが責任感は強い方だったように見えた。
そんな真面目で頑固なところが時に仇になることもある。そんなところも好きだった。まるで自分を見ているみたいだと思っていた。
他人を律するということは、自分自身の首を絞めることになる。真面目で何事にも手が抜けない、息苦しさと共に生きているところに共感のようなものをしていた。
このグループにはメンバーと接触できる機会があり、ツーショットが撮れたり会話したりすることが出来た。
私はその瞬間の推しだけは苦手だった。こんな人間に嘘でも好きなんて言うのはやめてほしかった。
私は人に好意を向けられるのが苦手だ。
人と会話するのも苦手で緊張する。ほとんどあがり症に近い人間だ。それで人自体を嫌いになれればよかったのだが、どうしても人を嫌いになれない。
誰かに好意を向けられていると知ったとき、背筋が凍って、消えてしまいたくなる。やめてくれと思う。好意に応えろと脅されている気がして怖くなる。
アイドルとは商売で、金銭のやり取りがなければ関係は成り立たない。
それが、私には大層心地よかった。アイドルとオタクという距離に安心感を覚えていた。
推しを好きだという気持ちは私だけのものだという強い意思もあり、好きなときに好きなようにイベントへ行った。
1人また1人と辞めていったとき、推しを愛する人が消えてしまったと感じた。
私は人を愛し愛される推しが好きだった。グループ自体が大好きだった。
ライブの高揚感が忘れられない。
屋外で悪天候の中でも、ハードなスケジュールの中でも、どれだけステージが簡素な作りでも、どんな時でも楽しいライブだった。
雨も雪も風も何もかもライブを盛り上げる1つの要素に過ぎなかった。輝いていた。奇跡だった。
楽しかった。ただただそれがいけなかった。
楽しすぎることは危険だった。それを失って空いた穴を、私はどう塞げばいいのかわからない。
私は自己肯定感が低い自覚がある。飽き性でもあるし、すぐ何かを嫌いになるまで好きになってしまう。
だから好きになりすぎないよう自制しているところもあった。
けれど、失われると確定した途端、自制なんてもの出来ていなかったんだと気付いた。自分の意識の外で依存心は音もなく膨れ上がっていた。
たくさん考えた。自分がグループ、推しのどんなところが好きで、どうして好きでいられなくなってしまったか。
先に退いたのは自分で、私の心が離れてから解散は発表されたのに、どうしてこんなにも喪失感に苛まれるのか。
自分を好きでいられない時、推しの姿を見ることでまだ自分自身も好きでいられるのだと錯覚出来た。
結局は自分も愛されたかったのかもしれない。少なくとも、人の温もりを感じていたかったのかもしれない。
何かに依存するのは恐ろしい。その対象が人間であればなお恐ろしい。
グループが解散し推しが表舞台から消え、私の視界にアイドルとしての推しがいなくなったら、上辺の私もいなくなってしまうんだろうか。
また何かに愛されたいのか愛したいのかわからない日常を、たぶん平気で生きていくんだろう。
もう少し距離の近い形式で、ネット上で、はたまた“救い”を伝導するか。そういう世界だ。
推しは「これ以上グループが変わっていくなら今のままで終わらせたい」と言った。私もそう思っていた。
推しを鏡として見ていた私は、もう二度と推しは表舞台に帰ってこないんじゃないかと感じてしまった。
私は推しを鏡として見るのを辞める。
そもそも今も昔も推しは鏡なんかではなく人間だった、きっと。もしくはこれから人間になるのだろう。
感情を強く揺さぶられた瞬間たちと、それさえ無下にしてしまう自分の愚かさが、あの日々を青春だったと証明している。
オタクとして生活している中で、口にすることが出来ない言葉があった。
終わるとわかっている今だから言える。
グループが解散しても、私の中で彼らは永遠に、ずっと、私が死ぬまで1番であり続ける。
思わず推しのメンバーカラーの物を手に取ってしまうだろうし、数年前の今日は楽しかったと懐古してしまう。
眠れない布団の中に入ったら、またあの高揚感を思い出す。
もう二度と彼らが全員揃い歌って踊る姿が見られないことが悔やまれる。
彼らにしか出来ないパフォーマンスがあった。彼らと私たちにしか生み出せない空間があった。
参戦したライブすべてが楽しかったこと、推しを好きだと思ったときに好きだと伝えてきたこと、それらが心底憎くてそれだけが救いだ。
整理番号を取るために始発で現場に向かい何時間も列をなしたことも、両手にいっぱいのCDを提げ電車で帰ったことも、緊張して推しと上手く話せなかったことも、すべてつらかったけれどそれ以上に楽しかった。幸せだった。生きててよかったとすら思えた。
先ず大前提としてこの文章は誰にも何の需要もない自分語りであり、孤独感と自己顕示欲に苛まれた私の精神の汚れの吐き溜めのようなものである。
つまり誰かが得するように書いているものでもないし、読んで面白いものでもないだろう。自分に酔っているところも多い。まあ匿名投稿なんて大体がそんなものだし、言うだけ無駄なような気もする。要はこういう大仰な前置きから文章を書き始めてみたかったというだけだ。お付き合いいただけて光栄である。
私は恋愛対象として女性を好きになる女性だ。最近よく話題に挙がるLGBTというやつだ。
男性に悪い思い出があるわけではないし、物心ついた頃には女性を意識していたような気がするのでおそらく生まれつきだろう。
幸いなことにこれまでの人生で差別やら偏見やらを受けたことはない。私自身オタクで腐女子なので周囲にも理解ある人が多かったのだ。
その類の人種は――少なくとも私の周囲では――自分自身の恋愛に興味関心が薄い人が多い。
「結婚しないの?と周りに急かされるが、うるせー!!!推しを追うのに忙しくて結婚なんてどうでもいいわ!!!」なんて話はよく聞くし、実際そういうエッセイが読まれたりしているのだからこの認識はある程度正しいと思っている。
その気持ちは正直わかる。非オタにリア充的な幸せを強制されるのは不快だ。……リア充という単語も最近聞かないがもう死語なのだろうか。
まあそれは置いておいて、私はそういう友人たちに囲まれている。囲まれているのだが、私自身は恋愛にめちゃくちゃ興味がある。
所謂恋バナなんてのにも興味があるし、恋人も欲しい。日本の制度からして結婚はできないが気持ち的には結婚もしたい。
気の合う友人たちと過ごすのは居心地がいいのだが、やはりこういった話題は望まれていないように思う。それが窮屈だ。
かと言って恋愛に興味のありそうなコミュニティに属しようとすればそれはそれで話が合わない。根がオタクなのである。
だからこういった話題はぐっと飲み込んできたのだが、どうやら限界のようだ。限界なのでここに書いている。
私は恋愛に興味のない女性が好きだ。さらに言うなら、一人でも生きていけるタイプの女性が好きだ。
長々と書いたように私の周りには恋愛に興味のない人ばかりが集まっている。そういう人に囲まれているのが楽だし、楽しい。
私はどちらかと言うと友情から恋愛感情に発展するタイプなので、惹かれる相手は必然的に友人のうちから出てくることが多い。
だから恋愛に興味のない相手ばかり好きになってしまうのだ、と思っていた。
けれどそれだけではないな、と気づいてしまったというわけだ。
自分をしっかりと持っている人。
周囲を気にせず趣味に打ち込める人。
そういう人が好みだし、今まで好きになった相手もそういう人ばかりだった。
気づいてしまったらしんどくなってしまった。報われないなあ、と思った。
だって恋愛に興味のない人が恋人を作るわけがないじゃないか。自分と恋人になるわけがないじゃないか。
それでも好きでいられれば、幸せでいられれば十分だよなんて言えればよかったが、生憎と私はそこまでできた人間ではない。
恋人がほしい。けれど出会いがない、なんてのはよく聞く話だが、出会いの場に行っても私が一緒になりたい相手は見つからない。
なんていうのも、つい最近そんな理由で好きだった相手のことを諦めようと思ったからである。
当初の予定ではもう少しつらつらと身の上話をする予定だったのだが、満足してきたのでこのあたりで締める。
いつか報われねーかな
煽りみたいなタイトルになってしまったがそうじゃない。純粋に気になっている。
夢女・夢女子と呼ばれている方々、自称している方々はどういう願望の元その思考に至っているのか?
いや自分もある程度はわかる。
例えばテニスの王子様「跡部景吾」の夢女は、顔が良くてテニスも強くて正確に少し癖があるけどかわいいところもある、そんな跡部に愛してもらいたいとか思うのだろう。多分。跡部さまはカッコイイから気持ちはわかる。
他にも、アイドル(二次元・三次元問わず)の夢女や普通のイケメンキャラの夢女もまあわかる。男は所詮顔だ。
あんな奈落の底のような目をした男に愛されたいのか??そうだとして、どう愛されたいのか??
リヴァイ兵長が魅力的なキャラクターだということはわかる。別に嫌いなわけじゃない。単に、「彼に愛されたいってどんな気持ちだ??」という純粋な疑問が頭から消えないのだ。
加えて、彼が普通に誰かを愛するという姿が想像できないというのもある。
あとは、ゴールデンカムイの尾形の夢女とか。
尾形にも夢女がいると聞いたとき、正直「死にたいのか???」としか思えなかった。どんな愛され方を望んでいるんだ??
近年はポケモンの夢女もいると聞いた。ポケモンに愛されたいってことなのか??自分もイーブイに懐かれたいという気持ちはあるが、それは夢女という括りでいいのか??
誰か教えて欲しい。
毎日仕事でしょうもないミスして、さらに事前に人に上手く聞けなかったり、それを隠したりしてしまう。
つらい。
このままじゃいけないと思ったので、原因をつらつらと書き連ねていく。
私はきっと素の自分、ダメな自分が愛されないのが怖いんだ。ダメな部分もまるごと愛して欲しいんだ。虫のいい話だよな。
でもな、きっと愛されないんだと基本的には思っている。だから必要以上に寂しがるし、ネガティブになる。
どう考えれば改善されるのか?
理性の私は、「誰だって生きていていい」と思ってる。
でも、うーん、生きていていいのと、愛されたいのとはまた別だよな。
なぜ愛されたいのか?
ということは、自分でも自分を愛していない。大事にしていない。
自分を愛するためにはどうすればいいのか?
→人に愛される
→とにかく愛する。大事にする。
他人にばかり愛を求めていたけれど、まず自分が愛してあげないとな。
ダメでもいいよ。良いところも沢山あるじゃん。ていうか良いところだらけじゃん私。
辛いのに頑張ってるじゃん。寂しいのに、あんなことがあったのに、頼らないで、泣きつかないで、メールだけで頑張れてるじゃん。えらいよ。昨日も生理なのに頑張って会社いったし、深夜に家に元カレが襲撃した次の日だって普通に会社いって、普通の顔してたじゃん。不機嫌にならないじゃん。いつも他人といる時は明るいじゃん。
なんで自分のいいところを自分が認めてあげないの?なんか頭ではわかってるけど心から認めてないよね。演技だって感覚なのかな?本当の自分じゃないと。いいところは嘘の自分だと。
あのね。人にはつける嘘とつけない嘘があるし、嘘も吐き続けられるならその人だよ。
あれだね、ダメな自分しか本当の自分じゃないと思ってるんだね。
常に嘘をついている感覚だ。
だから罪悪感があるのかな。
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久しぶり。4年後の私だよ。お陰様でだいぶ強くなりました。
あのね、ダメな自分はかなり認められるようになったよ。少しずつ周りに見せられるようになった。強がりな私には、それが一番の治療法だったみたい。弱いところ見せちゃえば、意外と周りはそんなに反応しないもんだよ。
私ももし他人から弱みを見せられたら、何でも無いことのように振る舞いたいな。
あとは仕事でそこそこ結果出せたからかな、自信ついたのは。クズなフリーターだった私が初めてちゃんと続いた仕事だもんね。結局もう4年くらいいるのかな。
今はやっと本当の自分で生きられてる気がするよ。結婚なんてしなくてもいいかなと思い始めてるし。
次は4年後に、また来るね。その時は良い人と穏やかに過ごせていますように。まあ一人でバリバリ楽しんでてもいいけどね。
じゃあ、元気でね。
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愛されたいという呪いにかかっていた。
かけたのは自分だ。
自分でかけた呪いに苦しめられてきたなんて本末転倒なのだけれど、一応、きっかけはある。
中学時代に、クラスの男子が「○○(私)のこと好きになるやつなんているの?」とバカにしたような笑い声を上げながら話していたのを聞いた。
どういうきっかけでその話をしていたのかは分からない。ただ彼らは賑やかな休み時間の教室でその話をしていて、同じ教室内にいた私の耳に届いた。
聞いたときはショックで、なんでお前たちにそんなこと言われなきゃいけないんだという悔しさと、容姿のコンプレックスがあったのでやっぱりそうなんだという納得で死にたくなった。
本人たちには何も言えなかった。ただ聞こえない振りをするのが精一杯だった。
絶対にアイツらを見返してやる。
そう呪った。
アイツらに二度と笑われないように、と誓った割に、整形するでもなく、自分に合う化粧の仕方の研究をしたわけでもない。
ただ漠然と、素の私をとても素敵な人に恋愛対象として愛してもらえれば、バカにしてきた奴らを見返せれると思った。
客観的にバカにされたので、もっと上位の人間に認めてもらえれば私が価値があることが証明されるし、満たされるのだと思ったのだ。
書いてて恥ずかしくなるのだが、コンプレックスと自意識を盛大に拗らせている。しかも怠惰だから努力はしない。最悪だ。
まぁ、当たり前なのだが、そんな性格がネジネジに拗れて、見た目もイマイチな人間を好きになってくれる人などいなかった。
一応、好きだと告白されて、交際したこともあるのだが、私が相手のことを好きになれなかった。私のことを好きだなんて、美意識がどうかしてると思って、どうしても引いてしまうのだ。
愛されたいのに好きだと言われると引くという。
自分でもよくわからないが、恋愛的な意味で好意を持たれると相手を気持ち悪く感じてしまうことがその時わかった。
せっかくこんな私を好きだと思ってくれたのに、相手には本当に申し訳ないことをしたと思ってます。すみませんでした。
愛されたい。
それはだいたい落ち込んだときに強く感じて、「誰にも愛されないし、このまま死んでしまいたい」とよく思った。
無意識にかけていた呪いは強烈で、あまりにも思考に深く根付いていた。
なので、けっこう最近までそう考えること自体に疑問を感じなかった。無意識って怖い。
呪いに気づいたのは、ある出来事でどん底まで落ち込んだからだ。
と言っても、行きたかったある公演のチケットが取れなかったというだけなのだが……。
他人から見たらそんなことかよと思うだろうが、私は喉から手が出るほどチケットがほしかったし、そのために結構な額の課金をした。それでも取れなかった。
こんなに好きなのに、チケットも取れないぐらい運も悪いし、誰にも愛されない。死にたい。
いつもの思考パターンだが、チケットの先行が複数回あるので、当落発表の度に上記の思考回路に落ちる。
あまりにも短時間に頻繁に考えるし、コロナのせいで軒並み出かける予定が消えて暇だった。気を紛らわせる手段にも限界があるので、すぐにその思考に戻ってしまう。
そのうち、チケットが取れないという現実から目をそらしたくて、そもそも、なんでこんなに愛されたいのかについて考え始めた。
愛されたいという欲求は、おそらく人間に潜在的に備わってるものだけど、私はあまりにもそれが強くないか?なんでだろう。
愛されて認められたい。
けど、認められるってなんだ?どうして愛されることが認められることなんだ?
順を追って考えて、やっと「もしかしなくても中学時代のあの胸糞悪い出来事がきっかけで、思考が捻れてないか?」と思い当たった。
胸糞悪い上に自分で呪いまでかけてる!しかも相手は絶対言ったことすら忘れてるのに!
同窓会も行かないから、もう彼らに会うことないだろうし、あまりにも嫌い過ぎて顔を忘れたので、どこかで会っても気づかない。
そんな相手を見返したいと思っていた。
これで努力して自分が良い風に変わったなら良かったが、特になんの努力もしてないので、ただムダに長い時間、自分で自分にかけた呪いに苦しんでいただけだ。
アホすぎる。
呪いに気づいた今、とりあえず愛されたい欲求は落ち着いている。
愛されなくても生きていけるし、誰からも恋愛対象として愛されず、結婚できなくても、趣味や同性の友達と楽しく過ごせればいい。そうして一生を終えたい。
ただ、あまりにも長く呪いにかかっていたので、いつの間にかまた呪いの思考が戻ってくるのではないかと怯えている。
そうならないよう、愛されなくてもいいんだよ。誰かの悪意に立ち向かわなくていいんだよと、忘れないようここに記しておく。
俺は犬と猫が好きだ。嫁も猫と犬が好きだ。だからずっと犬を飼いたかったのだが住宅事情と仕事の関係でずっと飼えなくて、去年の暮に満を持してペット可能の借家を借りることにした。
家は多少ボロいのだがペットOKの条件で探したのでそこは文句なく、中村珠緒似の大家さんに犬を飼っていいか尋ねると「もちろんいいですよぉどぼぼぼぼ」と中村珠緒みたいに笑って許可してくれた。
果たして犬を(願わくば猫も)飼うべく俺たちがまず認識を共有したのは「保護犬(猫)にしよう」ということだった。ここでは生体販売がどうのとか言うつもりはない。ただ、可哀想な子を可愛がろうと思ったのだ。
いくつかの里親募集イベントをネットで調べて二人で出かけてみたが、なんか色々と条件を付けられ「それ必要なのか?」って思うようなものまであって、いくつかのイベントを見送ってはめげずに別の里親イベントの予定を作っていた。
その犬に俺たちが出会ったのは、やや騒々しくある比較的都市部で行われたイベントであった。その日は猫がやや多めだったが、それでも何頭かいた子犬たちがせわしなく動き回り訪れた里親希望者や冷やかしに愛想を振りまいていた。成犬であるその犬、おそらくポインターとかゴールデンレトリバーとかの雑種とおぼしきその犬は子犬たちのケージから少し離れた位置で、子犬目当てで来た人たちに社交辞令的に撫でられては子犬ケージに向かう彼らを見送りながら静かに寝そべっていた。
俺たちも子犬が目当てであったが、とりあえずこいつを一応ひと撫でしようとしたら、俺たちを見るなりその犬は何故か突然ゴロンと仰向けになり腹を撫でるよう促してきた。俺も嫁もそうかそうかと撫でまわしてから子犬ケージに行ったのだが、どうにもその犬が気になる。吠えもしないし立ち上がりもしないでこちらをずっと見つめている雑種の成犬が。
子犬はどの子も可愛かったが、一つだけひっかかった(気に入らないとまでは言わないが)点は、どの子もポメラニアンとかダックスとかいわゆる座敷犬系の犬で、どうも俺の中での犬好きメーターがレッドまでは行くが振り切りはしなかったのだ。嫁に意見を求めると「どの子も可愛いけど、あなたはどう思う?」と返してきた。こいつがそう言う言い方をするときは「私はピンと来ないんだけどあなたがいいならいいよ私はピンと来ないけどね」と言うときなので、何となくだけどあの成犬が気になると伝えたらありがたいことに「あれね!あれも可愛いよね。それに成犬だからもしかして子犬より手かからないかな?」と好感触だった。
俺たちが再度あの成犬の所へ近寄ると、さっきの腹見せゴロンのときとは違い「え?え?また俺の所へ来た?もしかして俺のこと好き?!」と興奮気味に立ち上がり激しく尻尾を振りながら前脚を足踏みし、俺たちの歩みがもう待ちきれないとばかりに何度も上半身を上げ下げし始めた。(この上半身の上げ下げと言う表現で伝わるだろうか)
俺はもちろんだが、予想外に嫁が気に入ったので、この推定年齢3歳という犬を引き取ることにした。
引き取ると言ってもその場で決定ではなく、トライアルと言って数日預かって様子を見てから(予防注射などの経費を負担した上で)正式に引き取るというプロセスがあり、後日その犬が俺の家にトライアルに来た。とりあえずどこでトイレをしてもいいようにとペットシートと雑巾を手に持って家の中に犬を入れると、多少遠慮がちではあるがそれでも「お?お?ここはどこだ?これはなんだ?」と2DKの小さな家の中を好奇心旺盛に歩き回る。3周くらいしただろうか、手に持っていたそれとは別にバスルームの前に「ここにしてくれるといいな」と嫁が敷いておいたペットシートの上に犬がおしっこをした。トイレのトレーニングは済んでいるとは聞いていたが俺と嫁が「えらい!えらい!」と誉めると「だろ?だろ?」と嬉しそうに寄ってきた。ちなみにこの犬がトイレで失敗したことは今日に至るまでない。
一緒に暮らし始めて気づいたが、この犬は常に俺か嫁を見ている。必ず目が合う。窓辺に寝そべっていてもこっちと目が合うとずっと見ている。そして次第にカーテンに隠れた尻尾がぱんぱんぱんぱんと床を叩き始めてやがて「そうかボールか!ボールを投げたいんだな?」とボールを咥えてこっちに来る。俺がいないときも犬は洗濯機の前に座って、洗濯をしている嫁を笑顔で見上げて「手伝おうか?」と言いたげに尻尾を振る。散歩に出ると(嫁のときもだそうだ)、俺の一歩か二歩前を歩きながら俺を見上げる。あまり激しく引っ張ろうとはしない。やや大きめの犬だから運動量が必要だろうと自転車で散歩すると今度は別人のように走る走る!「もっとだ!もっと早くこげ!何なら俺引っ張るぞ!」と言わんばかりに飛ぶように走る。そして飛ぶように走りながらもやはりチラッチラッとこちらを見上げる。
俺と嫁が食事していると(食卓の構造上俺たちは並んで食事をしている)テーブルの向こう側から鼻だけが出てきて鼻の孔がひくひくしている。ソファに座っていると俺たちの間に飛び乗って来て俺に頭、嫁に腹を向ける。言っておくがこの時点ではトライアルである。とにかく「賢くていい子」なのだ。職員の人は「トイレはちゃんと訓練済みです」とだけ言っていたが、ここまでいい子なのは訓練によるものじゃなかったのか?持って生まれた性質なのだろうか?
そして俺たちはもうとっくに気づいていた。この犬は愛されたいのだ。愛されても愛されても愛され足りないのだ。事前に遠まわしに事情を聞いたがこの犬は山奥につながれて捨てられていたそうだ。つながれた理由はおそらくはついて来ようとするからだろうと。保護されたあとも、子犬たちと比べれば確実に成犬の自分を里親が敬遠する経験も沢山したのだろう。だから最初に接触したときにお腹ゴロンをしたのがこの犬にとっては毎回最初で最後のチャンスで、一番可愛い所を見せなくてはいけない勝負のときだったろう。そして何度もその勝負に敗れた末に、遂に俺たちが現れたのだ。
俺は嫁にこの犬を引き取りたいと言ったら「というか私はじめからそのつもりだから」と返ってきた。嫁がこの犬を俺と同じように気に入ってくれて良かった。はじめから決定権が俺になかったのはこの際どうでもいい。
そんな日々の様子を適当に写真に撮って(この作業は約束だった)送るトライアルの期間が終わり、引き取りの意思最終確認のとき、俺たちが当然のように正式譲渡を希望すると、職員の人は「まあそうだと思ってました!」と笑った。俺たちの送り続けた写真がやたら多かったのと、写真にうつる犬が一枚残らずカメラ目線だったのでこの犬は(もちろん飼い主としての俺たちも)大丈夫と早い段階で判断してもらっていたようだ。
一通りの手続き(書類や経費の支払い)を済ませて正式にうちの子になったこの犬に名前をつけよう(トライアル期間中は施設で呼ばれてる名前で呼んでた)としたら、嫁がすでに決めていた。いい名前だ。俺の意見など無用だったみたいだがいい名前だ。
始りが高尚なんだ。恋愛に悩んでる同士が、相手を身代わりに勝手に憂さ晴らしするまでかな。
「こんなことしい」「こんなことされたい」。でもその相手を見てるわけでないから、相手を意識しないし。
エロが幼稚か。エロいことだから受け入れて欲しいんだ、恥ずかしいことだから。
女の子と裸で抱き合いたいなんてごめんね。みんなそうだし、私も抱き合いたいから。
おちんちんおっきくしながらキスばかりして変かな。おちんちん握ってる私をエッチだと思う?ううん。
なんとかさんも、こんなに、可愛いくて、気持ちがいいくて、エッチなのに、もったいない。
彼女とはまだだっけ。あなたのも、おちんちんもこんなに気持ちがいいのにね。この指も、唇も、
実はコンドーム付けてなかったと思うんだけど、付けずに挿入するのもうだけど、
いく気配が感じられてから「中で出したら困りますよね」「それは困るなー」「ですよね」って、
外に出したのかな(膣外射精は避妊では有りません)。でも僕は中で出さないだろうし、
妊娠してもお互い困ったことにはしないだろうって、相手を分かってたからかな。
相手がすることなら何でも受け入れるし、相手は自分が受け入れられない非常識なことはしない、
なぜならそんなことしてもつまらないし、相手に嫌われるし、結局自分の欲しいものも失うし、
そうゆうことを全部含めて自分を全部知ってくれてしたいことをさせてくれて、
自分はおかしくないまともな人間なんだっていう知る安心と、許されてる感が麻薬みたいに欲しいのかな。
女子の想像して書けば、私も好きって大事にされて、少しわがまま言っても許されるくらいには可愛いよね。とか。
いつもは服着て恥ずかしいことしないでいるんだから、エロは幼稚さ何だからと思う。
愛されたいの!(おちんちんいれたいの!)で、いいのよってわがまま聞いてくれる。
だって僕の恥ずかしいおちんちん握られて舐められて、射精するところも見られて、
お茶してるときも(おっぱいさわりたいなー)とか思っても(そうそうもう見たし揉んだし、
手でいかされもしたんだっけ!)って気付くと、色々問題が簡単になる。
仮定として、せっくすしたくてその女の子との関係性に色々考えるのなら、
せっくすした女の子ならそんなこと考えなくていいから、他のことを考えられる。
ここまで書いたことは全部僕の頭の中だけの話で、せっくすしたから相手を知ったふりとか、
欲求達成とか、我が物顔とかでは全然違くて、ちゃんと否定しておかないと。
相手の気持ちは全く関係なくて、僕が僕の中で自分のことは知られてしまった。
僕に「私のこと好きでしょ」って聞くなら、そりゃ嫌いなら目の前にいないからね。
なんだっけ?そうそう、僕のエロ幼稚だけど、僕には要なことなんだよ!
問題は他人を愛するつもりが全くない事、他人からみれば自分は他人なのにその自己視点からの他人に対して愛されたいのではと想像することがないため他人から愛されることがなく、また他人の愛のかたちが多用であったとしても自分には都合がわるいことを受け入れるつもりがない事なんじゃないの?
自分は愛してくれたら愛し返すんだけどといっていれば愛をもってしてなにか得られるものが現実的に予定されていなければ、だれでもよい、誰であってもハッピーな結末に至る可能性はゼロではないってことになるでしょ。
またそれを同じこと思ってる他人がいるとすれば愛さないと愛し返してもらえないということなんじゃないの?
してほしいことを具体的に情報共有するのではなく、相手に行動を規制するよう指示することがコミュニケーションや権利だと思っているなら排除することこそが最も望んでいる人間関係じゃないの?
能動的に自分に関わってほしいと思っているなら関わってもよい範囲や関わってほしい方法を褒めたり、黙ってろするなではなくどうしてほしいどうしたら好感がもてるというべきだと思うけどなんでしないの?
結局他人に対して自己中心的な愛し方という意見の仕方や嫌われる関わり方を親からしっかり受け継いだのでもしだれかいい人いたら僕の歪んだ成長の仕方をさせる子供を一緒に育てませんかパートナー募集中なんだろうなとおもうとそれがもしわかったならふつうにご遠慮願うと思うわ。
渇望って自分の欲求だけは丸出しにすることは厭わないそんなご一家と一生付き合うことになるのに相当なメリットが金銭的なりにもなければ好んで我慢をするために愛するようなまねができる人はそう多くはいないと思うし現にお金さえもらえたらそれに見合う数量では愛すよという人以外、身近にいないんじゃないの?
この記事は29歳独身男性が正月に帰省して、家族とのやりとりから自分の生き方の癖の原点と、自分の慢性的な渇望を自覚した話を淡々と描くものです。過度な期待はしないでください。あと、部屋は明るくして、ディスプレイから3メートルは離れて読みやがってください。
もちろんフィクションですので実際の人物団体とは関係ありませんし一部フェイクいれてます。
今回帰省で1日目は母方の祖母の、2日目は父方の祖父を訪ねる日程だった。実家と祖母、祖父が住んでいる家はすべて関東圏内で、車で1時間程度の距離である。
今回祖父母の家を訪ねるにあたり、大学生の妹が練習のために運転して父が助手席で監督するというかたちだったのだが、運転席の後ろに座っている母が運転中に車間距離や運転速度、歩行者について大声で責めるような口調で口出しをするのがとてもいたたまれなく、つらかった。5分に1回以上のペースで「あぶない!!(どこに歩行者がいるのかなど具体性なし)」「(車間距離が)近すぎ!」「もっとスピード落とすようにしっかり指示しないと!(父に向かって)」と叫ぶのを聞くのが耐え切れなくなり、母に対しかなり強い口調で運転中に別々の人間から指示を出されるのは運転手にとってフラストレーションだし危険である、ということを伝えた。そうすると母はやや不満げにわかった、といいしばらくは黙っているのだが10分も我慢できなかったようで、またすぐに口を出すようになった。私が運転に慣れてなかった頃も同じように父に監督してもらったが、そのときも後ろに母が乗ると必ず口を出してくるためやめてほしい、と何度も伝えたのだったのが思い出された。
そこで私は、あぁ、母は本当に私や妹がどう思ってるか興味はなくて、自分の子が自分の思い描いた通りに動くかどうかに1番の関心があるんだな、と諦めがついた。この車のエピソード自体はまあ大したことではないのだけれども、私にとってコップから水があふれる最後の一滴だった。私は自分の感情や欲望というものに蓋をするのが非常に上手で、他人の顔色を伺い、自分の気持ちを表明せずに飲み込めば場がうまくいく予感がする場合、ほぼ必ず飲み込んでしまう。その原点のひとつがこの情緒不安定で話を聞き入れない母で、その対策として私の性格が形成されたんだろうな、と納得した。とても寂しいけど、とても腑に落ちる納得だった。
母は非常に心配性であるとともに、自分が正しいと思ったことは絶対に曲げない性格である。そして気分の波が激しく子供のころはそのことで随分苦しんだ。父は御三家中高→東大→大手銀行、母も御三家中高→名門私立大学首席と大変立派な学歴であり私が中学受験するのは生まれる前から決まっていた。(私が生まれる前の時点でマンションを購入するときの判断材料のひとつが御三家に私が合格した場合に通学しやすい駅であることだった、というエピソードから色々察してほしい)。3、4歳から公文を習っていて、宿題の計算プリントが終わらなくて家で泣きながらやっていたら強い腹痛を感じたため母にそのことを伝えたら嘘をつきなさい!と睨まれたのは今でも忘れない。自分のつらさを伝えても無視される無力感はいまだに生々しい。カリキュラムテストや公開模試の結果が返ってくることがとても憂鬱であったこともよく覚えている。専業主婦だった母にとって、私の中学受験、そして大学受験は一大プロジェクトだったのだろう、母のエネルギーと執着は私に注がれ続けた。
母の狂気、そして父の経済力のおかけで私は予定通り御三家に進み、国立医学部に進学、卒業し現在某県で四六時中働いている。普段はそこまで意識しないのだが、毎年年末年始はとくに情緒が不安定になる。愛し、愛されていますか?と周りから問いかけられているような被害妄想にかられてしまう。別に目の前で夕飯の具材を和気藹々と選んでいるカップルは私を追い詰めて孤独感をつのらせようとしているわけではないし、スーパーに鳴り響くクリスマスソングは今年も恋人と過ごせない私に意地悪して惨めな気持ちにするためにかかっている訳ではない。勿論そんなことはわかっている、わかっているが胸が締め付けられるし深呼吸できなくなるし、少しでも油断すると愛されない自分と、愛し合ってる幸福な関係を呪いたくなってしまう。こんなにも愛されたいのになんでこんな愛されにくい性格なのか、どうして愛されるのは私じゃなくてお前なんだ、と。
私は他者に従順で、他者の顔色を伺うのがうまく、自己主張は激しくない。他の人が面倒がってやらない仕事もするため上の先生受けは悪くない(はず)し、患者や病棟スタッフからは優しい先生だとどこの病院に勤めても言われる。病院を移るときに泣いて感謝されて別れを惜しまれたことも数回ある。それは大変、大変ありがたいし私の数少ない生きる支えになっている。本当に感謝している。単に便利な駒と思われてるだけかもしれないけど、それでも身が粉になるまで働くね。が、一方で私の利他的な言動の根幹に自己嫌悪と人間不信が深く深く根付いていることに最近気づいた。
人を信じていないため、相手の利益になることをしないと自分に価値はないからすぐに捨てられるだろうという確信、強迫観念がある。素の自分に価値はないから勉強すべきだし、素の自分に価値はないから他の人がやりたがらないことをやるべきだし、素の自分に価値はないから他人のために生きるべきしそのために自分の感情や欲望に蓋をするのは当然だ、と。見せかけの自分を偽装することが年々上手くなり、幸か不幸かその評判が職場では悪くなく、ただ自分の気持ちに厳重に蓋をして他人軸で生きているため満たされなさ、慢性的な空虚感、欠乏感がある。正直今なにかの拍子に即死したらお、ラッキーじゃん?と思う気がする。この欠乏感はどういうときになくなるか自分の気持ちを必死で感じてみると、心を許せる人と時間を過ごしているときだけはこの胸の裏をカリカリ引っ掻かれるような気持ちがなくなることに気づいた。ただ一人に誰よりも愛されたい、受け入れてほしい、という普遍的な、しかし切実な気持ちである。
私はとにかく異性に縁がなく、人生唯一の交際していた期間は24歳のときの1年間で、それ以外は凪である。そのときの相手には今でも深く深く心から感謝していて、あの未熟でどうしようもなかった当時の私をいっときでも受け入れてくれたことは生涯忘れない。幸せにしてあげられなくてごめんね、幸せになってほしいといつだって祈ってるよ。その後職場や婚活で何人かに好意を示したが、私の空虚がバレるのか交際まで至ったことはない。みなさん大変見る目がある。おそらく私にとっては2人の時間のおかげで心が安定するが、相手にとってはそうではなかったのだろう。包容力、余裕のなさよ。私は貯金もあるし料理もするし水回りの掃除は好きで家事機能付きATMとしてはそれなりに機能するのだがそれを差し引いてもお断りされるのだから笑ってしまう。私がなぜ愛への羨望、渇望があるのかと考えると、無条件に愛されているという実感を感じたことがなかったからではないかと思い至った。父も母も私を愛し育ててくれたが、それは条件付きの愛ではなかったか。従順で手のかからない優等生"だから"愛していたのではないか。だからこそ勉強をやめようとするとじゃあ中卒でいいんだな、今すぐ家を出ていけと言われたのではないか。患者やスタッフから好意的に受け入れてもらえてるだけで本来は幸せであるべきなのにそれでは全く足りず穴が空いたバケツに水を入れるような状態になっているのではないか。
私の魂の深いところに自己嫌悪と人間不信があり、他人軸な生き方をしてきている。そのため満たされなさ、空虚さがあるがいままで自分の気持ちに蓋をしすぎて、自分の気持ちの詳細がわからなくなっている。様々なひとが私にうっすら好意的だが、私を誰よりも深く愛してくれる人はこの世界に1人もいない。親は私を愛してくれてはいるが、それは条件付きである。愛への強い渇望感があるが、渇望感があるため愛されない。
このデッドロックを言葉にできただけでもこの正月に意味はあったはずである。いくつかの本(※)を読むと愛されるのを目指すのではなく愛せ、自分を愛せない人は他人を愛せない、と書いてあった。さすがに交際している人全員が交際前から自愛できているとは思えないのでそうであったほうがより幸せだよね、と解釈しているが… …突破点として自愛が鍵になりそうな予感はある。自分を愛せるようになるにはまず自分の気持ちや欲望を言語化すること、自分の身体感覚を取り戻し快不快を自覚することだろうと信じてこの記事を書いた。書いている最中はやや気が滅入っていたが、書き終わった今、かなりすっきりした気持ちでいる。
あと以前親からは酷く嫌がられたので諦めていたが、内緒ではてブで有名な某結婚相談所に申し込んだ。万が一出会ってしまったら何卒よろしくお願いします。
いつかこの記事を笑って読み返せる日がくることを願って、そして自分だけじゃなく他の誰かの心の整理の一助になれたら。
※「愛する意味」上田紀行、「生きる技法」安冨歩、「アダルトチャイルドが人生を変えていく本」アスク・ヒューマンケア相談室 など。どれもよい本でした。