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はてなキーワード: 異性愛とは

2019-02-19

anond:20190219183345

日本だと「A男とB男の関係同性愛しか見えないからA×Bは公式文句は言わせない」

ってのは腐女子界隈に実在するけど(んでB×A派と争ってたりするが「A男とB男の関係公式同性愛である」って認識だってのはどっちみち共通なわけで)

「前作では同性愛者ではないが、続編では同性愛者にしろ」ってのは見ないなあ

まあ「前作では恋人はいないが続編では恋人を用意しろ」ってのなら履いて捨てるほどいるし

別にエルサが異性愛であるとは表現されてないんだからそれが同性でもいいだろ、ってのは別につの意見としてあってもいいと思うけど

ただアメリカはともかく、日本だとアナ雪前作は「異性愛至上主義から解放」ではなく「恋愛至上主義から解放」として受け取られた感があるし

もしエルサに同性の恋人が出来たら「結局相手王子から女に変わっただけで恋愛至上主義である事には変わらないのかよ」

批判する人多そうだし、ディズニーもそういう意見があるのは十分承知だろ

モアナやシュガラ2でヒロインに男の恋人作らなかったのもその辺の配慮だろうし

それに基本的アナ雪は家族愛テーマから(その後発表された短編もそうだし)

そこに他の人間が入ってくる事は考えにくいと思うけどな

エルサにアナ以上に大切な恋人(男だろうが女だろうが)が出来たらぶち壊しだろ

2019-02-18

セックス必要としない同性愛存在するのか


異性愛だと夫婦セックスレスだなんだといいながらもなんだかんだで関係が続いているという話を、テレビや知人からの話、小説などからも知ることができる。おそらくセックス必要としない異性愛存在するのだろう。

そう考えるとき私の中に毎回疑問が湧いてくる。「これって同性愛場合どうなのかな?」と。いわゆるBL漫画小説セックスが必ずと言っていいほど絡んでくるのだ。これでは同性愛セックスありきですよと言われているようで、あんまりじゃないか

相手のことが好きだから結ばれてセックスするのと、性の欲求が同性にしか湧かないから同性の相手を好きになるというのは似て非なるものなわけで。あんまりそういう事例を聞いたこともないし。

あるBL小説恋愛心理も深く書いてあって非常に感慨深く思う一方で、頻繁に表現される性行為にガッカリした部分もある。

私はただ同性愛者にも性欲抜きの愛があるかどうかを知りたい。おススメの小説漫画があったら教えてね。

最後一言

セックス必要としない同性愛存在するのでしょうか?」

欧米では同性カップル養子虐待したらどう対応してるんだろうね

同性婚反対派みたいに自分関係ない他所の家庭に口出しするような人が、

いちいち他人の家庭を見張って通報してるのかな

その神経が理解できないね

とはいえ同性愛は肉欲と打算に塗れた異性愛と異なり、純粋な親密性によって結ばれているから、

そもそも暴力が発生しがちな異性愛で言うところの虐待など起こる心配もないのかもしれない

2019-02-17

フェミニストヤリチンに引っかかりそうな若い女性を指導しないの?

日本は一夫一妻制の国であるにも関わらず、男女で生涯未婚率に明らかな差があり、事実上時間一夫多妻制になっている。

これの裏を返せば、婚姻破綻させてしまった男性に別の初婚の女性が食いついてしまったということだ。

少ない魅力的(に見える)男性に多くの女性が群がる構図は生物界にも見られるが、我々は人間生物本能から理性によって解脱すべきではないのか。

ジェンダー問題の海を理性で渡ってきたフェミニスト辺りの理論指導者が、生物的には魅力的に映るが危険ヤリチンに引っかからないよう、若い女性に警鐘を鳴らすと良い。

時間一夫多妻制の犠牲となった元妻や、ヤリチン犠牲者の声を講演会で紹介すると更に良くなる。

でもキモくて金のないオッさんも巻き添えを食らうんですよね分かります

今日も女は上方婚

いいえ。

別にヤリチンより劣った男性を代わりに選べなどと異性愛国家婚姻至上主義を唱えるつもりはない。

生涯未婚でもアリアリ女性同士のシェアハウス女性だけの街、皆が生きやすくなる制度も大いに推進すべきだ。

あくまで唱えたいことは、ヤリチン毒牙にかかりそうな子女に対する理論指導必要性、ただそれだけだ。

予防できた後は自由人生選択をすれば良い。

ロリコンLGBTの違いが本気で分からなくなってきた

いまの世の中として、基本的ロリコンNGLGBTOKじゃん。

色々読んだり考えたりはしてるんだけど、セクシュアリティ専門家でもなんでもないから分からなくなってきた。別にロリコン権利を認めろ!」って主張してるんじゃなくて、単にどう違うんだろうっていう疑問。疑問というか駄文

あと、増田ロリコンでもLGBTでもない、いわゆる外野人間でもあるからそういう意味でも的外れなことを書いているとは思う。

ロリコン法律禁止されてるからNG

一理ありそうだけど同性愛違法扱いしてる国はあるよね。今でこそLGBTに寛容な国として挙げられるアメリカだって2000年代まで同性セックスを禁じる法律があった。

同性婚を認めろという裁判もそうだけど、権利に関する運動って要は「今は違法だけど、この法制度ごと変えてやる」ってわけじゃん。法を根拠権利否定するのはどうなんだ?と思う。

ロリコン欲求を満たそうとすると子供権利侵害になるからNG

相手拒否できない状況で性的関係を結ぼうとするのって普通異性愛でもLGBTでもあり得る話じゃね?

それに、そういう関係を自ら希望する(強制的にされているわけじゃない)子供が居る場合はどう定義されるのかちょっとわかってない。

この前12男児関係を持った20代女性逮捕されたが、あれは前述の「禁止する法律」がない場合にはどういう問題があるんだろう。

ロリコン存在のもの子供や親の恐怖になるからNG

外国人LGBT障害者も、怖いとかキモいみたいな理由存在してはダメとか言ってたらヘイトスピーチじゃん。

それらのマイノリティ差別している人間にとってもそれなりの根拠があるだろう。でも根拠があれば許されるものではないじゃん。

2019-02-16

anond:20190216090944

なあどうなん?

ホモ人口再生産しないから!」ってさ、異性愛者だろうが子どもつくってなかったら同じことじゃん?

子どもいるのか?

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

関係性を志向するファンダムのこれから 前

 本稿では、現在の「ファンオタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品概念グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブ言葉として用いる。拡散多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。

1【現代オタクデータベース消費から脱却する】

日常系が売れるのは「関係性」を読み取れるから

 「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数女性キャラ日常生活描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメ2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的ドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみらき☆すた」(2004)や、なもりゆるゆり」(2008)などが代表的ものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語想像して消費することができるからなのではないだろうか。

・「行間を読む」相関図消費の“複雑さ”への萌え

 関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティ担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D3D二次元アバター現実の肉体の動きとシンクロトラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそもYouTuber」の動画には前提とされる物語世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナキャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。

そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNS動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物画像投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダー次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。

まり、「実在人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系関係性」が、液晶内のキャラクタバター動画配信という形態の手軽さにより、オタク関係性消費への志向次元を超えてさらに加速していくと予想できる。

2【やおい文化百合文化から読み解くオタクジェンダー格差

関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味

 前章で関係性消費への志向さら高まると予想したが、本章ではオタクジェンダー格差について女性向けジャンル男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態差異があるのだろうか。

もちろんHL(異性愛文化を扱う少女マンガ少年マンガにおいても恋愛友情ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BLGL文化ではそれ以外の登場人物関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉意味合いについて掘り下げ、BLGL同性愛ファン文化それぞれの特徴から考察してみたい。

・「腐女子特有の親密さ

女性オタク人文学社会学研究に関しては、特に腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的女性性的欲望解放」といった視座からの言説であった。特に腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全領域において、性的表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったもの存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在日本混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。

 今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からマイナスイメージ払拭しようとしたり、イベントSNSでの趣味スラングの共有による特殊連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティ特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物特性セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドレズビアン連続体、ホモソーシャル関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。

・「百合男子」はなぜ流行らなかったのか

 では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望コミケでのゆるやかなホモソーシャル交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツ受け手ジェンダーによって大きくそ意味合いが変化してしま場合があるからである。そして男性GL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別限定されていない。これはGLというジャンル男性けが消費することに対することが上記齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称流行ったのはBLというジャンル女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。

 また、百合コミュニティにおける異性愛忌避姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造腐女子ジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。

関係性消費によるジェンダー越境可能

 こうして述べてきたように、同性愛コンテンツファン構造は非常に複雑で特殊ルールの基に成立している。しかし、上記性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファン異性愛忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物消費者セクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊連帯プラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuber関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuber関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性ペルソナシス女性キャラクタがシス女性キャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象アニメ漫画においても進んできており、創作物受け手ジェンダー必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。

【続きと参考文献リスト

https://anond.hatelabo.jp/20190216024058

2019-02-15

「同性同士でも好きあっている人がいるのに婚姻関係になれないのはおかしい!」っていう理論自体は間違ってないと思うんだけど

婚姻関係を結ぶ意味子供を産み育てるのに体裁上両親という関係でいるため、としか正直思えない私には

子供を産むことができない同性カップルの「結婚したい」願望がわからん批判というより単純に疑問)

おそらく、正式家族という形になりたいんだろうけど(子供を望まない夫婦もそうだよね)、

このご時世、異性愛者のカップルでも結婚という道を選ばない人だって存在しているわけで、

2人が幸せで一生寄り添って行くって決めればそれでよくないか。それでもう夫婦のようなものではないか

かに現状、同性カップルを認めたくない人がいても、結婚できるようになれば認める認めないなしに夫婦(この場合どう言うんだ?)である事実ができるから

同性結婚社会的に認められることがLGBT差別撤廃第一歩になるために動いてるんだろうとも思うけど、

本当に差別のない社会なら、婚姻関係が結べずとも、周囲は夫婦のように扱ってくれるし、むしろわざわざ婚姻関係を結ぶ意味はなくなる気がする。

まあ、それが無理だからとりあえず結婚はできるようにしてくれってことなのかな。

法改正自体は支持してもいいけど、この話を考えれば考えるほど「結婚って何でするんだ」って思えて仕方ない、って話でした

同性婚認めてもいいんじゃない

同棲とかしてみるとわかるんだけど、法律上赤の他人同士が一緒に暮らすのって結構不便なこと多いんだよね

異性愛者なら結婚すればいいんだけど、同性愛者だとそういうわけにも行かないし、不便さを解消する何かしらの解決策は用意してもいいと思う

同性婚を認めてもデメリット殆ど無い。だから私は反対だ

同性婚を巡る議論が盛り上がっている。

反対派は、少子化が進むだとか、家族概念が崩れるとか、制度悪用されるとして反対している。

一方の賛成派は同性婚を認めたところで

同性愛者は異性愛者とどうせ結婚しないから少子化は進まない

・異性婚の在り方に悪影響を与えるわけじゃない

制度悪用は異性婚でも起こる可能性があるのは同じ

うんうん、その通りだ。同性婚を認めてもデメリット殆どない。

結婚できないと何が困るかというと、どうもパートナーが死んだり自分意思表示できなくなったとき

遺産問題とか、治療問題とか、いろいろあるのだと。それもその通りだと思う。

で、そう考えてみるとどうも認めてもいいんじゃないか?という感じがしてくる。

ところで結婚することのメリットって何だろう。

家族として踏み込んだ権限を持てるという以外に

税金社会保障メリットがある。


そう、結婚すると、税制上と社会保障優遇される。

じゃあ国は何の為に、独身より家族優遇するんだろう。


……国の本音

「将来を担う子供を産み育てる可能性があるから

優遇してる。

子どもが産まれなくなったら国が亡びるからね。



で、こうなると「不妊夫婦存在価値は無いのか」という反論が出る。

でもよく考えてみよう

不妊夫婦

「産む可能性があるが、産まれなかった」

同性婚

「産む可能性が無い」


当たりくじ0枚の宝くじと、可能性は低くても当たり引くかもしれない宝くじなら

どっちを買う?という話。しか殆ど夫婦不妊じゃないしね。


最初から持とうとする気が無い人たちの為に

家族という保証を受けられる枠組みは用意されてる訳じゃない。


愛し合う2人が子どもという将来の人材を担うつもりが0で優遇されるべきと主張するなら

自分を愛し孤独愛する人税制社会保障優遇される権利があるんじゃないの?

なんて話にもなる。

同性婚を認めた所で、普通の人たちには特にメリットが無い。

「君たちにはメリットが無いけど、私たち税制社会保障優遇を受けられるから助けて」

そんなお願い、聞くのはお人よしだけでしょう。

税制社会保障上の優遇は無くて構わないとしたら、受け入れられるんじゃないかな。




……ここまで性格が悪いことを書いてきたけど

もっと同性婚者が

「我々は可能であれば子供を持ち、社会の一員として家庭を築くつもりなんだ」

「その為に家族として認められる制度必要

アピールしてほしい。

個人的にはこの解決方法に期待してる。海外では実例もあるしね。

2019-02-14

同性婚って違憲だと思う?

同性婚には賛成なんだけど

普通に考えて結婚って風習の経緯を考えたら異性間の契約で間違いないと思う

同性を想定してる婚約に関する法律なんてないしな

少しでも教養があればポリコレ憲法の上位に来ることなんてあり得ないと分かると思うんだけど…

こんな活動するくらいならLGBT連帯して結婚に相当する法律案まとめてその成立を目指すべきなんじゃないか

LGBTパートナーシップ法みたいな形でさ

これならあっさり別に異性愛者との議論必要ない憲法と戦う必要もない

ただ、国会を通すだけ

その方が絶対平等解消される可能性も早さも段違いだと思うんだが

anond:20190214114555

同じ人間が性転換したら愛せないんだから人間に向き合てないじゃん

てか、それ以外でも愛せなくなる理由なんかごまんとあるから異性愛者も同性愛者も人間と向き合えてないってことでOK

anond:20190214112727

現実女性と向き合えないロリコンと同じだ

ロリコン差別辞めろ

小児性愛は「現実女性と向き合えないから」じゃないぞ。

異性愛は「同性と向き合えないから」か?

2019-02-13

anond:20190213115336

その「女性から見て異性愛積極的」ってのがミソで、

実際のところ「異性愛積極的じゃない」ように見えるのだって機会をうかがってるに過ぎないのよ

互いの求めてるもんが違う以上、男女の友情って成立しえない

2019-02-11

anond:20190211093015

話の本質がわかってないみたいだけど、

ゲイの人はこれからも男の人しか好きにならないって確信しているようだったか

なんでそんなことを確信できるのかって話

性別に関わりなく人を好きになるのなら同性愛者とか異性愛者とかってカテゴリ不要なんじゃないのかな

anond:20190210233659

本来言いたいことはみんなバイだよね!とか、みんな体目的だよね!

とかってことではなく、「これまでたまたま好きになった人が同性だっただけで、なんで自分ゲイだと確信できるのか」ってことなんだよね

自分は異性と結婚して実の子ももいるけど、それだけで自分異性愛であると断言できない

これまで異性しか恋することはなかったけどこれからもそうとは言い切れない

相手の事を性別判断して恋したことがない(またはその自覚がない)から、その人が同性だったら同性愛者になるんだろうと思う

ゲイレズビアンAVモザイク撤廃運動主導してくれねーかな

異性愛者の男が「おまんこノーモザイクで見たいんです!オナシャス!」って言っても性犯罪者扱いされて終わりそうだしその方がよくない?

anond:20190209223617

この理屈なら異性愛者は「今まで好きになった性別」で判断しているのではなくて、これからも異性しか好きにならないって確信してるの?

目的って話にならない?

心ではなくて体を見ているっていう意味がよくわからない。脳みそ人間で体が豚を愛せるかどうかって話する?

2019-02-10

anond:20190209223617

同性愛者も異性愛者も今後どうなるかはわからんまではまだ分かるけど、そこから突然体目的という結論になるのがわけわからん

anond:20190209223617

バイの人なのかな?

自分シスヘテロ男性だけど、恋愛対象としても性欲の対象としても、女性しか対象しかならない。女性エロ対象としているポルノしかしまないし、男性被写体ポルノを見させられると不快だ。

もちろん、極小の可能性を突き詰めれば、自分が将来的に男に惚れることは理論上ありえるけど、実際にそうなりそうな可能性はまずなさそうだから自分を「異性愛者」と思っているし、それ以上の根拠はいらないでしょ。

ゲイレズの人も同じでしょ。理論上の可能性としては実はバイだったということはありえるけど、現実的にみてなさそうだから同性愛だと判断しているし、それ以上の根拠不要

もし言い切れるのなら心でなく体をみてるんだね

目的ってやつだ

自分恋愛相手には体の関係も求めるので、体目的もあることは否定しないけど。体をみると心をみないことになるというのはよく分からないな。

ちなみに「プラトニック恋愛」をする自分想像したとしても、その相手女性がいいな、と思うし、そこで改めて自分異性愛であることを確認する。

2019-02-08

コミュ障発達障害ぼっちパートナーが出来ない同性愛者は

同じような理由パートナーが出来ない異性愛者と、どうやれば見分けがつくの?

LGBT運動の高まりを受けて、前者に優しくしなければならないというのは分かる。

でもパートナーが横についていないと門外漢には判定が難しいんだよ。

それともう一つ疑問なんだけど、異性愛者の間ではパートナーがいない者が馬鹿にされているんだけど、同性愛者の間ではパートナーの有無を超えて連携出来ているの?

anond:20190208101049

他人危害を加える事がデフォ志向とそうではないものを一緒にされても

異性愛だって死体愛好者とかは許されんだろ

と言ってもいつものように屁理屈言うだけなんだろうけど

anond:20190208095751

男性同性愛小児性愛は同列に扱っていいものなの?

異性愛同性愛は同列に扱っていいものなの?

何十年か前、いや今でも言われてることだな。差別主義者の間では。

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