はてなキーワード: スケッチとは
ビゴーの身長は160cmと欧米人としては低く、当時の日本人成人男性の平均とほぼ同じであった。清水勲は、このことで威圧感を与えずに日本人の中に入り込むことができたこと、また日本人の目線と変わらない絵の構図を獲得できたことを推定している[48]。
ビゴーの描いた風刺画のうち、鹿鳴館や日清戦争を扱ったものは小学校や中学校、高校などの社会科(歴史)教科書にしばしば教材として掲載されてなじみが深い。これらの絵では日本に対して辛辣な描き方がされている。これについて清水勲は、ビゴーは条約改正を尚早と考える点では居留地の外国人と同じスタンスに立っており、日本人の非近代的な側面を強調することでそれをアピールしようとした際に、貧相な容姿と非近代性をこじつけることが読者の理解を得やすいと考えたからだとしている[49][注釈 7]。
ただし、ビゴーが批判したのは日本国家の皮相的な欧化主義であり、日本の伝統的な文化や庶民の営みには敬意と共感を抱いていた。子守の少女が鉢巻きを巻いた姿で遊ぶのを目にして「鉢巻きは赤ん坊の顔に髪が触れないための工夫で、少女が遊ぶことで赤ん坊も楽しめるという点で日本の子守は悧巧である」と感服したという日本人の証言が残されている[注釈 8]。女性については『トバエ』の中で「日本で一番いいもの、それは女性だ。(中略)日本の女性に生まれたのだから、どうぞ日本の女性のままでいてもらいたい」と記し[52]、絵においても上流階級の人々は別として、風刺の少ない絵を描いた。後には日本人女性と結婚している。この背景として、日本の女性がビゴーの求める日本的なものや江戸情緒を伝える存在だったからだと清水勲は記している[53]。
1898年頃と推定される詩画集『横浜バラード』には、日本への幻滅(糞尿を運ぶ荷車の悪臭や、外国人には高額をふっかける日本の商売人)が歌われ[54]、離日直前に刊行した画集『1899年5月』では条約改正後の日本に対する外国人の不安がストレートに表現されていた。しかし、フランス帰国後も亡くなるまで日本に対して愛着を抱き続けた。また、日本軍をよく知っていたビゴーは、日露戦争当時のフランスで「ロシア圧勝」という世論に同調しない数少ないフランス人でもあった[55]。
欧米における日本人描写のステレオタイプとなった「つり目で出っ歯」という姿はビゴーの風刺画にも登場するが、その点について清水勲は「当時の日本人は現在に比べて国民全体の栄養状態が悪く、小柄で出っ歯の人が多かった。そうした日本人の姿が1867年のパリ万博で直に欧米人の目に触れたことと、ワーグマン、ビゴーなどの来日外国人の絵や当時の写真などの影響とによって広まり、欧米人の日本人観の一要因となったのではないか」といった意見を述べている[56]。
一方、同じくステレオタイプとしてよく登場する眼鏡については、ビゴーは「一般的に言って、日本人の視力はたいへん悪い。日本では様々な形をした、また様々な色をした眼鏡をかけている人に出会う」と記している[57]。清水勲は当時の日本人が「栄養状態が悪かったせいか、また家屋の作りから来る照明状態の悪さからか視力がよくなかった」ことと明治以降印刷物を読む機会が増えたことで、眼鏡を多くの人が使うようになったのではないかと推定している[57]。ただし、ビゴーの絵に眼鏡をかけた人物は必ずしも多くない。清水も、昭和期以降の欧米での日本人像に眼鏡が多く出る理由には昭和天皇や東条英機といった眼鏡をかけた要人がいた影響を指摘している[58]。ビゴーが庶民をスケッチした絵では男女を問わず様々な人相・年齢・職業の人物を描き分けている。
清水勲は「ビゴーは反日家なのか親日家かと聞かれることがあるが、答えはもちろん親日家である」と述べている[59]。
及川茂は、帰国後のビゴーは、当時フランスで見られたインドシナなど他の風俗と混交したようなでたらめな日本描写を快くは思わなかったが、それに立ち上がって抗議するような形での感情は日本に抱いていなかったとしている[39]。及川はビゴーが「日本をエキゾチストではなく、生活の一部として生きてきた人間」であり、「日本と対決したり競い合ったり摩擦を感じたりするのではなく、あればあるがままに、なければなしでもやっていけた」という[39]。滞日当時の日本は「そこで生活していれば批判の対象であり、揶揄の種であった」が、それはビゴーが初めて知った日本とは別物であったとする[39]。帰国後のビゴーにとって日本は「いつも優しくそこにある国」で、素朴で自然で暖かい日本を自分の心の中にしまっておきたいという感情故に、ジャーナリズムの挿絵画家という職を捨てざるを得なかったと指摘している[39]。
見てないのもそこそこ
一覧、あらすじはアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5228)
前期で面白かったのはセーラー服、オンエアできない、着せ替え人形、プリコネ
感想には偏りが強い
今期おすすめ
SPY×FAMILY
まちカドまぞく 2丁目
1期を見たorこれから見れるならこれ
畳み掛けるコメディが心地いい
以下順不同
この絵でお色気展開進めるのは見続ける人絞られそう
阿波連さんははかれない
ただ逃し屋ってだけで展開進めるのは厳しいからこの先にかかってる
2話見たけどもう細かいこと気にしないでヘラヘラ見るのがよさそう
1話で目新しさ無し
カッコウの許嫁
取り違え子のスタートから結局ヒロイン3人の王道ラブコメになってしまいそう
可愛いだけじゃない式守さん
自信ない系主人公にめちゃ美人の彼女が居てオチが俺の彼女かっけぇわ!って話
地味にクオリティが低くて原作のヒロインの可愛さ、かっこよさが出てない、絵が負けてる
日常編もあまりパッとせず旧時代のラノベ感があって飽きが早そう
例えば明日ちゃんのように決め場面で原作者にイラスト描いて貰えばまだ違ったのでは
境界戦機
1期が思ったより伸びず子供向けなのが伝わってなかった感
Youtubeで毎週配信してたにも関わらずプラモ爆死だけど止まれない
くノ一ツバキの胸の内
クオリティは高い
原作未読なので展開に期待込めてもう少しみようとは思う出来
群青のファンファーレ
天下のJRAが協力してこの完成度は酷すぎる
とりあえず見ようにも色々と雑なのが気になって集中できない
恋は世界征服のあとで
あとは主人公サイドにどれだけヒロイン力のあるかませ犬が出るかどうかぐらいしかなさげ
このヒーラー、めんどくさい
試し読みした原作がずっとこの方向だったので合う人には楽しめる1クール
このまま3期やりそうな勢い
サマータイムレンダ
Tver配信もあるらしいけどこの先1話でも見逃すのはミステリーにとって致命的
あとあの着地で1話終わるならopはカットしてればよりインパクトあったわね
コミュ障+最強のまま転生
作者的にコミュ障を意識したかどうかは不明だけど行動がもはや不審者
あまり目新しい展開はなさそう
ひたすら無心で癒し系が見たいなら圧倒的にこれ
転生ものと思わせといて捻ったパターン、キャラデザがそこそこ良い
このまま目新しい展開で進めればキャラデザの良さと相まって楽しめそう
3話まで見た、百合って程じゃないけど邪魔な男が出てこないのもいいね
今期1番の怪作
フォークダンスDE成子坂のコントをアニメでやってる
アニメ絵のコント番組として見れば所々面白いが自分で調べないとアニメとしては説明不足すぎる
盾の勇者の成り上がり Season2
1期と間が空きすぎて全くこれまでの内容が思い出せない
基本的に胸糞悪い展開〜やり返し〜また困難に直面〜といった具合だったような
クオリティそこそこだったはずだけどさすがに間空きすぎてストーリー思い出せないのは辛い
2話まで見たけど足の引っ張り合いから素直に協力までが早すぎてもう何が書きたいのかわからん
会話と行動が噛み合ってなくて変な感じ
であいもん
原作既読で楽しみにしてたけどなんか微妙、中盤から作画崩れる気配あるかも
BIRDIE WING -Golf Girls’ Story-
話題になった原作からやっとアニメ化、クオリティ充分でオススメ
全体的なクオリティは並〜下
極端にクオリティ悪いわけじゃないけど目新しさはあんまない展開になりそう
本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません 第3期
これも久しぶり感ある3期、完全にコミカライズ追い抜いた
少し不穏な展開で進んでるのが気になるけど目標は最初から一貫してるのでストーリーが迷子ってほどではない
魔法などに関する設定で目新しさはないので見ればスッと見れる世界観
キャラデザは気合入ってるけどこの無力系主人公は見てて若干ストレス
15分というのがまた良い
八十亀ちゃんかんさつにっき 4さつめ
これも5分程度なのが見やすくていい
救った後に居場所がなくなるまでのストーリーが妙にリアルで納得できるのが良い
2話見てお仕事系と知る、主人公万能だけどそれだけで全部解決しないのが好き
コメディ要素もバンバン入って楽しいかもしれない、当たり作品の予感
この間情報システム部ですって人がいた。
「今、会社でスクラムを導入する大きなプロジェクトを任されてて、、、」みたいなこと言ってた。
なんかこれみよがしに分厚いスクラムの本読んでた。スクラムマスターになるんだって。
まずそもそもスクラムというのはIT界隈でシステム開発を進める際のお仕事のやり方です。私も詳しく知らないのでラーメン屋で例えます。
ラーメン屋で新しいラーメンを開発するときに、スープの開発、チャーシューの開発、麺の開発、メンマの開発があるとします。
スープ担当が開発を始めるとチャーシュー担当はこう言いました。
「僕はスープに最高に合うチャーシューを作りたいので、スープの味がわからないとチャーシューを作れません。スープできるまで待ってます。」
「僕もスープとチャーシューに最高に合う麺を作りたいので、スープとチャーシューの味がわからないと麺を作れません。二つができるまで待ってます。」
「僕も。。。
これでは一つの素材を開発している間に他の担当は遊んでしまうことになります。
そこで、みんなが同時に開発ができるように、最初に大まかな仕様を決めて、そのサンプルを作ったりして進めることにしました。
見た目がわからなければスケッチ描いたり、食品サンプル作ったり
大まかな仕様が分かれば、あとは各担当が作業に取り掛かります。
でも進めていく間に、改善できる点や問題点が出てきて、仕様に変更が出るかもしれない。
よーし、そいじゃあ毎朝、進捗をみんなで確認しあおうや。みんな忙しくてあんまり時間取っても良くないし、立ち話で済ませよっか。そうだな名前はスタンドアップにしよ。
毎朝スタンドアップでお互いの進捗確認して、何か変更とかあれば共有しよっか。
あと、進めてく上でいろんな意見交換した方がいいから、週一でよかった点、悪かった点、あとは共有事項とか話し合おうか。そうだな、一週間の振り返りだから英語でカッコよくレトロスペクティブにしよか。
週の終わりにレトロで振り返りを行う。
店主はみんなを纏めたり円滑なコミュニケーションができるようにする、そう彼がスクラムマスターです。
さて話は戻り、知り合いの情報システムの方がスクラムマスターになるんだと。
システム開発じゃないよ。
Hello Worldも知らないんだよ。
ラーメン屋に例えるならこうです。
ある日ラーメン屋でいつものように新メニューの開発をしていると、一人の客が入ってきて言いました。
客「君たちのラーメンを僕の会社の食堂で出したいんだが、何か僕の会社だけのラーメンを開発してくれよ。名前は情シスラーメンがいいなぁ。」
店主「本当ですか!ありがとうございます。是非作らせて頂きます。」
客「うむうむ。それじゃあ明日から早速スタンドアップをしよう。困ったことがあればなんでも僕に相談して。僕は潤滑油だー!」
店主「は?」
客「は?」
店主「いえ、開発は我々が責任を持って行いますので、お客さまは出来上がりまでお待ちください。もちろん途中経過はご報告させて頂きますが。」
客「バカを言わないでくれ。僕はスクラムマスターなんだよ。みんなの意見をまとめてコミュニケーションを促進させなくちゃ。潤滑油だし。」
店主「えっと、、、あ、ラーメンについてお詳しいんですか?」
客「ラーメン?いや?作ったこともないし。見たことはあるけど。それが?」
店主「は?」
客「は?」
なんかこういうウワベだけを真似すること多いよね。
テック企業はみんなスクラムやってるから儲かってるんだ!スクラムするぞ!
なんかシリコンバレーの企業はみんな儲かってるんだって!よし!シリコンバレー営業所作るぞ!視察して表敬訪問だー!
スクラムについて間違ってたらごめんなさい。
僕の今いるところではそこまでスクラムに沿ってやっておらず、スタンドアップでは軽く進捗共有したらみんなでおしゃべりしたりしてます。
スクラムマスターなんてものは見たことなく、いるのはEMとPMくらいです。
多分こういったものは厳しいルールを作り、資格にして、お金を稼ぐ人がいるんだろうなーって思います。
スクラムはただのツールであって、それだけを手に持ってやってこられても、うーん何しに来たのって思っちゃいます。スクラムの創始者だってDeveloperだったわけでしょ?エンジニアの知識なしにスクラムやってもなんのこっちゃわかりません。ましてや外注してたらもう。。。。
ポンチ絵って聞いたことありますか? お役所系で働く人は必ず1度は聞いたことがあるはず。
2.概略図。構想図。製図の下書きとして作成するものや、イラストや図を使って概要をまとめた企画書などのこと。
なぜ、そんなにわかりにくく描くのか‥
今回は2.概略図。にあたる、お役所的ポンチ絵について。高専で働いて3年、お役所的ポンチ絵を何枚も書きました。例えば、大型補助金に申請するとき、学内の合意形成をするとき。初めて「ポンチ絵かいてね」って言われた時は、簡単な手描きスケッチで良いのかと思うぐらい、なにも知りませんでした。
それくらい【お役所的ポンチ絵のノリ】がわからないので、最初はどんなのが好まれるか結構調べました。
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どれもこれも、なんだかダサい…そしてわかりにくい。
右肩上がりの矢印とか、三角形で積み上がっていくイメージとか、3つの柱が融合してるとかで、価値を表現!
謎のグラデーション!
ただ、このポンチ絵の印象で補助金獲得できるかどうかが問われるわけです。みんな必至に描きます。かくいう私も、大型補助金の時はこのノリに合わせた形式で描きました。いま見てもわかりにくくてイヤだなーと思ってしまう絵です。
ただ、このポンチ絵がうまくならないと大型補助金も獲得できない…競争的資金が大学経営に大きな影響を与える時代に、死活問題なのです。ポンチを書ける事が一種のスキルとして認められているようにも思えます。結果、こんな勉強会まで。
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http://tomita.me/ponchi-design-day1/
結局道具の問題でしょ。
なんで、みんな似たような絵になるのか。気づいたのは道具の問題。多くの場合は、パワーポイントでつくっているようです。図形挿入したり、フリーの絵を持ってきたり。それはそれは大変な作業量です。
私の場合は、全てイラストレーターで作っていました。運良く、文科省の大型補助金を獲得しましたのですが、それ以降の提出書類で「ポンチ絵はパワーポイントで作ってください」という文言が加えられたのです笑 負けじと、素材を全てイラレで作ってパワポで配置したデータを送りました笑 最近イラストレーターを使える人もぼちぼち増えてるし、そろそろお役所でもデザイン部隊が働き出すといいのになーと思います。あと、ポンチ絵を作る作業って、建築学科卒業の人は得意だと思います。ダイアグラムを作ったり、プレゼンテーションをつくる作業ととても似てます。
上手に書き過ぎないこと。がお役所的ポンチ絵のキモかもしれません。https://ryota-saeki-lifelog.hatenablog.com/entry/2016/09/02/105402
「賃貸派!?ええ家住んでこその人生やろ!コスパのパの部分はお金勘定だけとちゃうで!」
これは高1のころに半沢直樹1st.シーズンの大和田常務の自宅に突撃する話を見た後の俺の感想である。
ただデカい家じゃない。自分が美しいと思える価値観が反映された、カッコよくて美しい家だ。
(※別に大和田常務の家そのものを模倣したいと思ったわけではない)
元々建築を見るのが好きだった中学時代。親父が外構関係の職人だったということも拍車をかけ、もともとお家には興味があったのだが、
その興味を具体的な夢にしてくれたのは、他でもない大和田常務だった。
「本気で作ったる!絶対に唸るほどの金を稼いで自分が住みたい家を妥協せずに建てて、そこで暮らしたる!」
嘘じゃない。俺はその夢を叶えるためにマジで頑張った。一生に一度の買い物。絶対に叶えたかったからだ。
実家が金持ちでもないというか貧乏な俺。特別なクリエイティブの才能もない俺。
その俺が夢を叶えるには、めちゃくちゃに稼いでいるサラリーマンになるしかなかった。
それはもう、めちゃくちゃだ。大和田常務は特殊例であって、その辺の銀行に行っても役員にはなれない可能性は高いだろう。
その時になって役員コースから外れればもちろん家は買えず、目も当てられない。中古の建売3,500万円を購入するのが関の山となる。
だから、俺はスタートからマックスでめちゃくちゃに稼げる会社に照準を定めてリストアップした。
そのためにめちゃくちゃにいい大学に行く必要があるということも分かったので、これまためちゃくちゃに勉強した。
キツかったけれど、志望大学の過去問が解けるようになるたびに、自分の理想のお家を建てる夢に一歩ずつ近づいていることが分かったから、実は楽しく頑張れた。
そうして、途中で離婚、過労でぶっ倒れる、再婚、とかいろいろとあったけど、果たして、めちゃくちゃに給料をくれる会社に勤めて目標分のお金を貯めた。
幸い?コロナで完全に仕事がリモート化され、かつ今後もほぼその状態が続くだろうということになったので、土地は都内から離れられたので結果的に広く取れた。ラッキー。
ずっと調べていた、いいなと思っていた設計事務所に、高1から描いていた理想の住まいのスクラップブックとスケッチを持ち込んだ際のことはよく覚えている。
設計士の先生とお話ししながら、抽象系だった自分の高1からの夢が、間取りとして世界にに具体化されていくのだ。これを幸せといわずに何というのか。最高の時間だった。
で、かかった金額が手数料とか全部入れて1.13億円。うん、冷静にみて高いよね。
正直引いたけど、大和田常務のお家を建てようと頑張ってきたその辺の普通の高校生のたどり着いた夢の終着点としては妥当な金額だとも思う。
大和田常務のお家と比べればもちろん小さいけれど、大和田常務のお家よりも俺にとって素敵なお家が建てられたと思う。
僕みたいに一般参加でしかコミケ行ったことない皆さんに質問なんですが、コミケ行ってサークル参加の人たちが机の向こうで何やらわいわいしてるの見ると(いつかは俺もサークル参加でコミケ行ってやるぞ)みたいな気分になりませんか?僕は毎回この発作を起こしてます。
じゃあなんでサークル参加しないのかと言ったら、まぁ普通に創作ができないからです。
絵が描けないとか文章が下手とかの問題も確かにあるんですけど、それ以前に想像力というか発想力というか、そういうものが圧倒的に足りない気がしてるんですよね
例えばなにかアニメの二次創作本を出そうと考えたとして、出すキャラ 舞台 ストーリー 何も浮かばない。虚無。無無無
漫画とか小説とかそういうものを生み出す思考のプロセスが全くわからない。
思えば学生時代の美術の授業なんかでも風景をスケッチするのはできても想像したものを描くみたいなのは白紙とにらめっこして終わってた気がする。
普段どういう思考して生きてたらあんなに面白かったりエロかったりする本書けるんだ?
誰か助けてくれよ
糸井重里の『MOTHER』を解き終わった。ラストでは泣いてしまったさ。けれども僕の気持ちがほんとにキュンと来ちゃったのは、最後に流れるスタッフロールの、その最後の最後に書き込まれた名前を見たときだった。きみがまだゲームを解き終わってないと、それが誰の名前だか言っちゃつまらないから、ここでは伏せておくよ。
でも、僕は泣けたな。ラストとは違う感じで。そして、あの人のことを思い出したんだ。僕が昔ゲームセンターでよく会ったあの人のことを。
その頃、僕はあるビデオゲームに熱中していた。どうしてもクリアできないエリアがあって、いつもあと少しのところで、僕のシップは大破してしまうのだった。くやしくて、ありったけの百円玉をポケットに、ゲーセンに通う日が続いた。
「レバーを力まかせに動かすだけじゃだめだよ。もっと敵の動きを冷静に見るんだ」
あの人は、僕の後ろから声をかけてきた。
「きりもみ回転する敵の軌跡を見てごらん。ほら、最初に現れた無人の円盤と寸分たがわない動きをしているじゃないか。あのきりもみは、きみを驚かせてあせらせて追いつめるための見せかけの回転にすぎないんだ。怖がらないで」
そのとおりだった。画面に、高速回転する敵機が一挙に来襲すると、僕はただあせってしまって、自分で自分を隅に追いつめていただけたった。
「画面に映ったものよりも、形や動きのおおもとを読むんだよ」
あの人のひと言で、クリアできなかった危険なエリアを通過したときの僕のうれしさときたら、そうだな、あれに似ていたよ、初めて自転車に乗れたとき声をあげたくなる感じに。その日から、あの人と僕はゲーセン友だちになった。
あの人は20歳くらいに見えた。僕はまだ中学生で、2人はいつもゲーセンで出会った。
あの人は、ちょっと気取ったところがあった。僕に名前を明かしてくれないのだ。どうしてもと、しつこくたずねると、
と言って笑った。ゲーセンのニモ艦長。もちろんそのとき、僕はニモ艦長が活躍するお話を知らなかったし、ニモって言葉の意味もわからなかった。
「名無しの」といえば、そうそう、あの人は不思議なことを言っていた。
「僕がこうしてゲーセンにやってくる理由がわかるかい?それは、ここがまだ名前の付けられていない場所だからだよ」
そんな、と僕は言いかけた。あの人は口に指を立てて、「しっ! そんなに大きな声を出しちゃ、オヤジが起きるぜ」
店番のオヤジは両替台に座って居眠りしている。あの人は続けた。
「ここには、『UFOハウス』って名前があって、ほかにも『ゲームセンターヤマト』とか『パンプキン」とか、そしてそれをひっくるめて、ゲーセンって呼ぶ名前がある。でもそれはすごく不確かな呼び方なんだ。大人たちは、どうも名付けたがるくせがあるからね。ほんとうは僕ときみがいま会っているこの場所に、名前は未だ無い」
そして、
「名前が無いってことは、歴史も未だ無い。それはとても素敵なことだ」
とつけくわえた。
「でも、あいつらは名付けられないものに恐れを感じて、必ずやってくるんだ。もうすぐ、ここも追いつかれてしまうよ。夜の12時になると、たとえきみがゲームの途中でも、オヤジが申し訳無さそうに言うんだ。百円玉は返すよ、って。そして台の横にあるスイッチをいきなり切ってしまう。画面の真ん中に小さな輝点が残ってそれで終わりだ。きっと、あいつらが言いたいのはこういうことさ。12時を過ぎたら、魔法の馬車はただのかぼちゃに戻る。どうだい、少年、やっぱりかぼちゃだったろう、って」
僕は、なんだかその話を聞いてむしょうに悲しくなって、レバーから手を離してしまった。僕のシップは敵弾の雨あられのなかで、4パターンの書きかえの小さな爆発を起こした。
それからしばらくして、新風営法でゲーセンが12時に閉まることが決まったと、友達に聞いた。あわてて僕はゲーセンに走った。もしかしたら、まだ間に会うかもしれない。でも、その期待はやっぱり甘くて、僕はあの人と会えなくなってしまった。
あの人が、ゲーセンで僕に教えてくれた事は多すぎて、とてもここには書ききれない。あの人は、なにもかも知っているようだった。でも、教師のようにふるまったことはけっしてなかった。たとえばある日、あの人は、ゲーセンの目立たないところに置かれた古いキャビネットのほうを見て、「あそこに白雪姫のお付きの精が降りてきているよ」
と言った。
パックランドの追っかけモンスターのインキー、ピンキー、プリンキーたちは、白雪論姫に登場する七人の小人に気持ちを託して名付けられたものだ。そのことを僕が知ったのは、ついこのあいだのことだ。ニモ艦長はいつも答えを教えないで、真実やそれに近い何かを伝えてくれたのだ。
『MOTHER』の最後の最後、スタッフコールの最後に書かれた名前。それに関することを、ニモ艦長が話したときがある。
映画『トロン』を観て興奮気味だった僕が、あんな素晴らしい映画はない、とあの人に話したとき、
「ほんとうに、そう思うかい?」
いつになく神妙な顔をされた。やがてそれは気難しい顔に変わって、やりかけのゲームが終わるまで沈黙が支配した。そしてニモ艦長は話しはじめた。
「あの映画のすべてがいけないとは思わない。たしかに、あの映画は機械のなかで起こりつつある事件を見えるようにしようとしている。でも、プログラムとユーザーの関係きみにわかりやすいように言えば、ゲームとゲーマーの関係はあんな撮り方じゃ不十分なんだ。ゲームは、もっと素敵なものだ。そしてそれはプレイするきみが素敵を目指してプレイするからなんだよ。とても大切な事でいちばん目に見えない部分を、あの映画はバッサリ切っている。そしてそれは、どうじ同時にとても危険なことでもあるんだ」
僕はギクッとした。あの人がこんなに説明口調になったことは無かったし、艦長は怒っているようにさえ見えた。僕があの映画でひっかかりながらも放っぽらかしていた暗闇に向かって、あの人は矢を引いたのだ。一気に話しすぎたことを後悔したのか、あの人はちょっと照れくさそうにした。そして
「……だったら」
と誰にも聞こえないような声で、つぶやいた。その……の人の名前を、僕は聞きとることができなかった。(でも、今の僕にはあなたが呼んだ人の名前を言いあてることができます、艦長。「ウォルトだったら」とあなたは言いたかったのですね)
「もうすぐ、3つの夢の時代がはじまる。いいかい、まず最初の夢は生きものならばみんな見る眠りの夢、ふつう夢と呼ばれる夢がいちばんめの夢だ。それから、最後のは、きみの現実、つまりみっつめの夢は現実という夢だ。そのあいだに入るふたつめの夢、それはいままでもあるにはあったんだけれど、ひとによっては大きくなかったりした。この、ふたつめの夢の力が増して、3つの夢を平行して見る世の中がはじまる」
ふたつめの夢いは僕がみているゲームのなかの夢も入るんですね、と僕は心のなかでうなづいた。
「ふたつめの夢がコンピュータやビデオの信号でやりとりされると、時間や場所を超えて急に勢力を伸ばしはじめる。ほんとうは、このふたつの夢は、類人猿が骨を空中に投げ上げた瞬間に生まれた夢、すばらしい力を持っている夢なのだ。同時に、コンピュータやビデオを通じてコピーされたこの夢の力は、ときに他の二つの夢をねじふせてしまうような恐ろしいことを起こしてしまうときがある。大切なのは3つの夢のあいだを自由に飛び回れるきみの勇気だ。画面にうつったものは、画面の外部にあるものの投影に過ぎない。画面は直接光を発しているが、それを救いの光だと勘違いしてはいけない。それでも、勘違いしやすいんだな、人間は。なんていうか、そそっかしいから」
「また、ふたつめの愛は、森にたとえられるだろう。深くて暗い森のなかで、ときに地図やコパスは役に立たないことがある。迷わないためには、パンくずをちぎっていく方法だ。だけど、パンくずにたよりすぎると、鳥が食べてしまうこともあるから気をつけなくちゃいけないよ」
僕は、とても幸せな気持ちになった。ゲーセンには30台くらいのビデオゲームがあって、それぞれがそれぞれの夢を反復していた。サーカスの玉乗りの夢、第二次世界大戦の飛行機乗りの夢、迷路で怪物に追いかけられる夢、未知の惑星の上空を飛ぶ夢。それぞれのキャビネットがゲームミュージックを奏でている。なにも知らない大人たちには、騒々しくて不快な空間だろう。でも、僕にとっては、ディズニーランドのエレクトリカルパレードなのだ。これはやっぱり美しいシンデレラの馬車だ。たとえ、意地悪な大人たちが寄ってたかって、かぼちゃだと言いふくめようと。
『MOTHER』を最後まで解いた人は、『MOTHER』のストーリーとはまた別の、でもどっかで『MOTHER』とつながっている、僕とニモ艦長のストーリーに興味をもっていただけたと思う。
この夏、『インディ・ジョーンズ3』を僕は見た。そして、きみも知っている不幸な事件に心を痛めた。
「Both You and I have FUTURE.」
その男は、中学を卒業するときの色紙に、そう書いた。「君と僕には、未来がある」それは僕とあの人の、ゲーセンでの暗黙の取り決めと同じだった。
艦長、どうしてあなたは、あの男に話しかけなかったのですか。それとも、僕が大きくなるにつれてあなたのことを忘れがちになったように、あの男も昔は艦長とよく話をしたのですか。色紙に書かれたメッセージは、艦長とあの男の合い言葉ではなかったのですか。
僕はそこで筆を置こうと思って、引き出しを開けた。そこにはブルーの便せんに書かれた手紙が。僕は急いで開封した。
インディ3を観た親愛なる君へ 君は成長したことと思う。インディ3は、人類最大の隠された宝物、聖杯をめぐる物語だったね。聖杯は、ときや場所を変えて現れる。今日までたくさんの騎士や冒険者たちが聖杯を求める旅に出た。聖杯を、悪い考えの者が手にすると恐しい災いが身にふりかかる。そして探索の旅に出る者はみな自分が正しいと思っているから、誰にも災厄がふりかかるかはわからない。その人たちの前を、意外なときに聖杯は横切っていくんだ。 そこで質問をしよう。聖杯には及ばずとも聖杯に敬意をささげてプログラミングされた宝物が、初期のコンピュータゲームのなかにある。ウィザードリィの名刀ムラマサですね。「艦長!」と僕は、机の前で声を上げた。サムライにとって聖杯に匹敵する名刀、迷宮の最下層にあって誰も手にしたことがないと噂される名刀ムラマサ。だから、ムラマサの噂は画面を越えて僕たちのあいだを活き活きと駆けめぐったんですね。パックマンの世界に白雪姫の小人たちが棲んでいたのと同じで、気をつけなきゃいけないのは、聖杯はいつも聖杯のかたちで現れるのではないと、あなたはおっしゃりたいのですね。
君はもう立派な若者だ。君は、君の聖杯を探す旅に出なければいけない。君がプレイヤーなのだ。そして、忘れてはいけない。3つの夢の時代に入るとき、あの不幸を繰り返してはいけないんだ。インディの父を思い出してごらん。斎にこもりながら、あの人は古文書と向き合うことで時間と空間を旅していたんだよ。あれが、ふたつめの夢の力の正しい使い方だ。ヴェニスにあるテンペラ画を、あの人はアメリカの片田舎に居ながらにしてスケッチしていたじゃないか。そして、インディアナの実際の冒険も、あの人の正しい力が守ってくれたんだ。 そして、僕も旅に出よう。きみの言うとおり、僕は臆病者だった。ふたつめの力が予想以上に強くなったので、虚無と手とつなごうとさえ考えたこともあった。あやうく過ちを犯すところだった。また。探索の旅のとこかで、僕ときみは出会えるだろう。 Summer,1989 Nemo.
noteの記事を読む限り、「模写も禁止と掲示されていたか」「子供のスケッチくらい見逃してもいいではないか」「前回来た時は見逃してもらえた。いつから明確に禁止される様になったのか?」という趣旨の事を職員の人に言っているが、「そもそも何故スケッチしてはいけないのか?」とは質問していない。
noteに晒していた江戸東京博物館とのDMでのやり取りでも、「何故スケッチしては駄目なのか?」という趣旨の質問は見当たらなかった。
少なくとも高広さんがnoteで公開した範囲の情報では、特別展でスケッチが禁止されている理由については問いただしていない。
その様な疑問も抱いていたかもしれないが、話が噛み合わない、整合性がないとして自分から早々にやり取りを打ち切っている。
子供の学習機会を奪うな! という自分の考えも書いているが、それを江戸東京博物館に直接言った訳でもない。
対応した職員の人は高広さんが質問した事柄についてはちゃんと答えているにも関わらずだ。
彼のnoteの記事には賛否両論色々な意見が出ているが、擁護派(博物館批判派)の中には「スケッチが禁止されている理由を説明していない」というものがある。
「特別展の展示物は借り物だから」「展示物が汚れる可能性があるから」「コロナ対策に必要だから」などの理由があるなら、それを説明すべきだという訳だ。
だが高広さんはそれについて質問していないのだ。
質問された内容に対しては職員の人は高広さんの「模写も禁止と掲示されていたか」「子供のスケッチくらい見逃してもいいではないか」「前回来た時は見逃してもらえたのは何故か」という質問に対して、「入り口に掲示されている」「(子供のスケッチであっても)他の客の迷惑になる」「11月から明確に禁止になった」とちゃんと説明している。
おそらくスケッチ禁止のところに突っ込んで質問すれば、納得のいく回答が得られたのではないかと思う。
だが彼は早々に会話を打ち切ってしまい、スケッチ禁止の理由について質問し回答を得ようとしていないのだ。
つまり説明が足りないと言っている人達は質問していない事柄に対して、職員はそれを察して先回りして回答せよと要求している。
聞かれたのに答えなかった、答えられなかったというのであれば職員の落ち度になるだろう。
しかし江戸東京博物館の職員はエスパーではないだろうから、質問されていない事については答えようがない。
察して回答できる人も中には居るかもしれないが、形としては尋ねられてもいない事に答える格好になるので職員の対応としてはこちらの方が駄目だと思う。
個人的な意見を言わせて貰えば、高広さんはもうちょっと粘れば子供が存分にスケッチできる機会を得たり、スケッチの許可が貰えないまでも納得のいく回答を得られたのではないかと思う。
話が噛み合わないとして対話を打ち切っているが、彼の方から話を噛み合わせようとした様には見えないのだ。
彼は「本質的なところが分かっていない」「ズレている」と言うが、彼に本質的なところ(おそらく学習機会としての自由な模写、スケッチ)について質問している様には見えないし、何がズレているのか? という事を博物館側に対して指摘していない。
「問題提起だ!」って恰好つけるけれど、学芸員に対していちゃもんにしかなっていない。
「理由を説明せよ」っていう擁護コメがあるけれども、それはモンスタークレーマーの典型振る舞いなので、
・混雑していると他のお客様にぶつかって危ないからです→「㎡あたり何人いると混雑なのか?、今は混雑していないからいいよな?」
・過去に鉛筆で展示品や建物に落書きをされたお客様がおり申し訳ございませんが遠慮いただいています
→「非接触3Dスキャンならいいだろ?落書きできないんだから」→「写真に類するものは所有者の版権があり遠慮いただいております」
「なぜだ!子供の学ぶ機会を奪うのかお前ら、だいたい人類の財産に版権とは何事だ、これは税金で運用されている施設ではないのか
・長時間立ち止まりいただきますと他のお客様が見られないことがあり→「何分ならいいんだ?10分?30分?それ明示してもらわないと」
あと一番ダメなのでは、自分がサービスを購入した客だという視点しかなく、マイルールしかないこと。博物館みたいなイベントでは、
小3の息子が博物館でスケッチしてたら咎められた・・・・・これでは博物館で子どもの好奇心を満たせないし教育ツールになりませんわ、って思った話|高広伯彦のmediologic: note支店|note
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/mediologic/n/n68f07cc0085c
はてブでそこそこ盛り上がったこの話題、議論の対象になっている問題は完全に置いといて、高広伯彦さんというのは何か嫌な感じの奴だなと思うのだけど、具体的に何が嫌な感じなのかうまく説明できない。もちろんツイートや発言を抜き出して「上から目線なところがムカつく」とか「自己顕示欲強すぎて鼻につく」とか個々の要素は挙げられるのだけど、それらをまとめようとしてもうまくまとまらない。本質的に「なんかこいつ嫌い」なんだけど言葉に表せないんだ。誰か俺の感じる嫌悪感を俺の代わりに説明してくれ。
モンペだな。美術館・博物館は子どもだけの場所じゃないし。気になって"Ban Sketching Museum"でググったら普通に海外でもスケッチ禁止のとこあるみたいだし。(現在進行形かどうかは知らないけど)
https://note.com/mediologic/n/n68f07cc0085c
不満があるのは分かるけど、なら直接言えばいいじゃん
ツイッターでDMつかってやり取りしておいて、なんでその時にその事を言わなかったんだ
なんでその時のやり取りをnoteに晒して、一方的に自分の主張を書き殴る必要があるんだよ
炎上させようと思って書いただろ
問題提起がメインならこんな書き方しねぇよ
自分が注意書きをろくに確認しなかったせいで子供が咎められる羽目になったのに、博物館の職員を悪者にして自分のプライドを守ろうとしてるだろ
子供の教育機会がもっと欲しいというなら、例えばスケッチを一定時間自由にできるイベントの開催を求めたりって事だってできる訳じゃん
なんでそういう要望を出すよりも先にnoteで一方的に自分の主張を叩きつける必要があるんだよ
だいたい記事の中ですら応対した職員をバカにしてるのを隠せてないんだよ
小学生が博物館でスケッチしようとしたら模写禁止で止められた話(https://note.com/mediologic/n/n68f07cc0085c)が話題になっているようだ。
読んでみて色々考えるところはあるが、「子供の探究心を削ぐようなことをするな」という一見もっともらしく、反論しづらい書き方に反感を覚えた。
子供のために怒ってるんだ、というポーズで、実際は自分が否定されて怒ってるだけじゃないのか。
私はおっさんだが、おっさんの探究心や好奇心は削いでもいいのか。
なるほどね。
「ギョーカイ」を振りかざして「問題提起だ!」とかやるのってスマートじゃないと思う。
たとえば近所の博物館美術館の年間パス当然もってて、しょっちゅう一緒に行ってたりしたら
たぶん空いている時にスケッチしているのとか(権利的に問題がなければ)咎めだてされないと思う。
子供の教育に意見があるのなら、自分で参加型の美術館博物館イベントを学芸員や管理者と一緒に
企画してやればみんな拍手喝采するのに。藤森先生とかたぶんおもしろがるんじゃないか。
コミットの薄い会場に一見さんでいって「スケッチ位させろや!教育上当然だろうが!本来美術館や博物館てものはなぁ・・・」ってクレーマーでしかない。
予想以上に凄惨だった
いまのウイグル人みたいなことされてんな
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Erromango, Dillon's Bay. July 8th 1858. John Williams, Missionary, killed 1840 by Thomas Bent.jpg
座標 南緯18度48分50秒 東経169度7分22秒
州 Flag of Tafea Province.svg タフェア州
テンプレートを表示
エロマンガ島(エロマンガとう; 英: Erromango)は、南太平洋、バヌアツのタフェア州最大の島。ニューヘブリディーズ諸島の一つ。「エロマンゴ島」、あるいは「イロマンゴ島」とも表記される。そのエロ漫画を連想させる名称から、日本では特に珍地名の一つとして紹介されることがある。
目次
1 地理
2 歴史
3 行政
4 交通
5 言語
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
島の中心部に標高 837 mの火山がある小島で、周囲は珊瑚礁に覆われている。面積 887 km2、人口は2016年の国勢調査では2,109人[1]。主要な産業は牧畜業・農業で、肉牛を飼う大きな牧場が広がっている。西側のディロン湾に好錨地を持つ[2]。かつては全体が密林に覆われ上質な白檀が取れたが、乱伐によって現在はほとんど森がなくなり、白檀も取れなくなった。
18世紀にはイギリスとフランスの旧共同統治領になっていたが、実質上は無政府状態に近かった。ポリネシア系の住民が大昔から住み着いており最盛期には10,000人に達していた。
1830年代から各国が宣教師を送り込み教化を試みたが、送られてから数年以内に原住民の人間狩りに遭って虐殺されて食べられるという事件が頻発していた。犠牲者の中にはロンドン宣教師協会のジョン・ウィリアムズも含まれていた[3]。
1840年代から、宣教師や白檀目当ての商人たちが持ち込んだ赤痢やはしかなどの伝染病が、島中に蔓延するようになり、人口の減少が始まる。商人たちによる住民の虐殺なども頻発するようになった。1860年代には白檀の大半が伐採され森林は荒れ果ててしまった。これ以降は奴隷狩りによる人身売買が島を訪れる商人たちの主目的になっていく。1884年にフランス人宣教師が人間狩りに遭い、殺されて食べられるという事件が起きると、フランス軍が上陸し報復を行った。しかし、イギリスとの領有権問題から、イギリス側の抗議を受けたため、フランス軍は村をひとつ焼き払っただけで撤退した。
1887年に共同海軍委員会を設立して島の治安維持に当たることになった。しかし、住民を保護する法律もなければ行政機関もなく、住民が白人に危害を加えたときに報復するためだけの組織としてしか機能せず、実質的には無政府状態のままだった。
1906年にイギリスとフランスの間で共同統治領とする条約が調印され、各種の法律整備も進められ、行政機関が設置されて無政府状態が解消した。原住民に対してもキリスト教の布教を行い食人文化を禁止し、文明化をすすめたため、20世紀初頭には食人は完全になくなったといわれている。
最盛期には人口1万人に達した繁栄した島であったが19世紀から激減する。住民は現在でもキリスト教の宣教師を殺した神罰により衰退したと信じているが、実際の人口激減の理由はヨーロッパ人がもたらした伝染病による大量死、略奪、オーストラリア開拓のための奴隷狩り(ブラックバーディング)である。このため、島の社会は崩壊し、キリスト教化された住民の間にポリネシアの伝統文化などはほとんど残っていない。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松: