はてなキーワード: 的を得とは
お前は俺じゃなくて向こうを叩きたいのか。まあいいよ。
お前もどうせ言いたいだけだししばらくしたらこれも消すんだろうから適当言ってもいいよな
オレは女が嫌い、そこはそいつと違うのがわかるか 女は生まれながらに容姿や声が武器だし、容姿って点に限れば生物的にも男性より優れてる、それが気に食わない。ここまでいいか、別にオレはサブキャラがなんだとかそういう拗らせ方してるんじゃないんだよ
どうせこれに帰ってくる返信、「でも私は女です論破」とかそんなんだろうから長文書くだけかっこわるいのは理解してる それがわからないほど馬鹿ではない だけどオレは狂っているからお前のこんな的を得てない発言にも本気で返さざるを得ない
男女関係は対等で平等であっても、交換可能ではないので、男と女を入れ替えると取るべき戦略は違ってくる、ということをまず元増田に伝えたい。
↑この指摘がわりと的を得ていて、おそらく元増田は女性だと思うのだけど、仮に「元増田が本当に男性だったら」どうするべきか書いてみる。
元増田が男性だった場合、アセクシャルなのか、性欲はあるけど好みのタイプとはマッチングしなかったのか、というのは重要な分岐点。
というのも、男性はセッ◯スで受け身ではいられないので、アセクシャルで性欲がなかったらセッ◯スレス確定なわけで、これは結婚生活を送る上で重要なポイント。間違って、普通に性欲のある女性と成婚してしまったら、結婚生活は早々に破綻してしまうだろう。
という観点。
この中に1つでもYESがあるのであれば、それを手がかりにして性欲の対象となりうる女性をイメージして、そのイメージに近い人とマッチングするように申し込んでいく方法がある。下品かもしれないけど、相手に欲情するかどうか?っていうのは結婚生活を送る上でもすごく重要な観点だから無視してはいけない。自分の欲望と向き合う必要がある。
(もちろんグラデーションはあるのでYESであってもアセクシャル傾向の人はいる)
そして、全てにNOであるのなら、アセクシャルか限りなくアセクシャルに近い属性だと思う。
その場合、普通に性欲のある相手だとうまくいかないので、アセクシャル(かそれに近い属性の)相手を探す必要が出てくる。
仲人Tさんによると、男性のアセクシャルはかなりモテるらしい。
https://x.com/NakoudoT/status/1748115929605824642
おそらく、アセクシャル傾向の女性に比べて、アセクシャル傾向の男性の絶対数が少ないからだと思う。
がいたよ。
どう活動すべきかは、上の仲人Tさんのポストを見てほしいのだけど、自分のセクシャリティや欲望が明確になれば、具体的な方向性は見えてくると思う。
あとはアセクシャルの女性でも家族(子供)を欲しがる人はいると思うので、これもどう対応するか考えておく必要もあるかな。解決策はあると思う。
悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい。
とにかく悔しくて堪らない。とっとと踏ん切りを付けて巡ってきたチャンスに直ぐ乗れなかった自分に後悔している。
勘違いの片想いだったって?あぁそうならそうでもいい。でもアクションをかけかけて途中で終わっちゃたんだよ。悔しくてたまんないよ。デート誘ってOKもらったのにその場で日程を詰めなかった自分を責めちゃう。過ぎ去ったことだからどうしようもない。けど責める。
しかも仲のいい同級生がその片想いしてる子とデートにいったのだから余計に悔しくてたまらないよ。思い込みは良くないが付き合う一歩手前じゃないか。ほんの数週間で一気に去っていってしまった。
掴めなかった自分が悔しい。自身がなくて一歩踏み出せなかった自分が悔しい。前振られた子に未練を抱いて巡ってきたチャンスを掴めなかった自分が悔しい。悔しい。悔しい。悔しくてたまらない。
その友達にはよく悩みを相談してたけど、このことは相談できないよ。三角関係じゃん。しかも不意に目に入ってしまったLINEのやり取りでそれを知ってしまったから尚更だ。動揺し過ぎて本当は謝らないといけないのに謝れていないよ。知る少し前にメンタル弱いから彼女ができないんじゃない?カウンセリングに通ってることはあまり言わん方がいいよってアドバイスもらって、そのあとにこれだから余計にバツが悪いよ。驚きと悔しさで食欲が失せている。食べれても戻してしまう。やっぱり恋してたんだなってこの時思ったよ。
もらったアドバイスは確かに的を得ていると思う。でも片想いの相手を取られちゃったから今めっちゃ悔しい。当人に聴いていないから分からないけど付き合う方向性なら、そりゃもちろん応援するよ。仲睦まじいカップルを見るのは好きだからね。
こうやって書き殴ることで幾分か気が楽になってるけれど、それでも受けたダメージは大きくてしなければならない作業に手がつかない。現実逃避をしまくっている。
若い人たちへ。
これを書いている俺にもわかっちゃいない。
ただただ、世の中の分断というか、世相の居心地の悪さに、いたたまれなくなっただけのこと。
いわゆるデジタルネイティブとか。
コロナ禍を高校~大学生または社会人成りたての頃に経験したとか。
二十歳±5くらいが基本の対象で、
何か共感できる部分があるのなら、対象だと思ってくれていいと思う。
さて。
謝罪、というからには、何かについて後悔や悪いことをしたという思いがあって
それをするということが一般的だろう。
けれど、例えば知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったような場合。
例えばそれが、20年、40年前のことだったとしたら。
これはもう、ただただ、とにかく、謝っておくしかない。
回りまわって今になって何か悪い結果を残した、ようなときも同様だろう。
今回、書いていくのはそういった類のことだ。
けれども、これに関して何が悪かったとか、どうすれば防げたとか、
そういうことを書いていけたらと思う。
前置きはこれくらいにして、本題に入っていきたいと思うが
俺はアラサーのおじさん。
太さに関して言えばそれほどでもない。
別荘があって、クルーザーがあって、継いでもいいと思える家業があるレベル。
毎週のように一人数万数十万の外食に行って、毎月ヴィトンを買って、連休毎海外旅行に行く、そういうレベルではない。
やろうと思えば、いずこかのブラック企業のように従業員を絞り上げて
廃業して、どこか海外の治安の良いリゾート地に移り住むこともできるが、
10年ほど馬車馬のように働いて丁稚奉公を済ませ、家業に舞い戻った。
以上で最低限の自己紹介とさせてもらう。
そして、本題。
ということだ。
いわゆるJTCにおいて、若手を大切にし過ぎる風潮ができている。
この際、今の管理職に指導力がないとか、そういった話はもうどうでもいい。
元気なうちにたくさん働いて、様々な経験と知識を吸収することが許されない。
経験もさせてもらえなかったとしたら、どうなるだろうか想像して欲しい。
自分がそれに就いた時のことを考えてほしい。
まあ、そう言われてみればそうだ。
けれど、結局誰かがやらなくちゃならないのなら、嫌々ではあっても、出来るようになっておいても損はないんじゃないのか。
そういうことを発信しているのを見かけることもあるだろう。
そんなことは賞味どうでもいい。
貴重な経験の機会を奪わせてどうする。
メンタル崩壊するような経験を積めばいいと言っているわけではない。
真っ当な商売で、まともな感覚を持ち、何かあったときにケツを拭いてくれる管理者がいる組織で
自分の体力と精神力を健全に保てる範囲で、最前線で頑張ってほしい、ということ。
老若男女問わず働かせられる。
脳みそと腕と足がついていれば、何が何でも働かせられる。
学の無い人間にやらせていた単純作業はロボットが代わりに行う。
赤紙が無いだけで、マクロ経済の蛇口を開けたり閉めたりするだけで
そんな中で、気力体力が十分で、
インターネットの妄言に騙されずにスタートアップや外資系や海外で
はたまた、インターネットの妄言に騙され、働きたくないでござると
成長期たる30歳まで時間を浪費し続け、
60代のジジイと同じような仕事でのんべんだらりと過ごした人間と。
もちろん、現実すべてがこうまで両極端ではない。
JTCでほどほどにパワハラを受けながらしょうもない仕事をやらされているか、
ほどほどに守られながら蝶よ花よとぬくぬくと育てられた結果何もできない人間に育つか。
FIREだって?お前たち、本当にFIREした人間が羨ましいか?
お願いだから、一度でいいから、まともな人間にFIREしたいか聞いてみてくれ。
稼ぎ切った人間こそ、どうやって社会にお金や経験を還元するか、考えているはずだから。
自分が定年になるくらいまで、自分の子どもたちを大学まで育て上げ、社会に出せるくらいまで何事もなく、両親と子供たちが無病息災、とまではいかないが
五体満足に生きていられればそれでいいと考えている。
それを間違っても口に出したりはしないが、ほとんどがそうだ。
そうでなかったら、今のようになってはいない。
俺がオギャーと生まれた30年ほど前。
バブルがパーンと弾けたり、Windowsが日本に上陸するかしないかと言った頃。
それから10年経ったころ、「失われた10年」、そういわれていた。
おれはインターネットでHTMLを書いたりUOに勤しんでたりした。
それから10年経ったころ、「失われた20年」、そういわれていた。
おれはアメリカに留学したり、ネットゲームで外国人と煽り合いをしていた。
それから10年経ったいま、「失われた30年」、そういわれている。
おれは体力の衰えを感じ、家業へ逃げた。ゲームは積むか観るかだ。
おれがオギャーと生まれて三十年間、何ごともなかったらしい。
確かに、何が変わったかと言われれば何も変わっていないようにも思える。
100円だったお水やジュースは、買おうと思えばコンビニに売っている。
3,000円持たされて買いに行っていた赤マルはそろそろ倍か。
物価以外はどうだ。
ゲームでお金を稼げるなんてな。日本でも最近はFPSと格ゲーも勢いがあるな。
MMOは全部3Dになった。スマホで出来るのは正直にすごいと思う。
けれど、やっていることは当時からそれほど変わってないよな。
遅延は少なくなったとは思うけれど。
こうして振り返ってみると、対して変わってないようにも思える。
そう、本質はほとんど変わっていない。文字通り変わっていなかったのだ。
そうして昨今、ようやく変わりつつある。変わらなければならない、と言った方が正確だろうか。
何となく肌で感じているのではないだろうか。
これはもう日本人の、というより人類のお家芸だ。外圧でしか変われないという。
超高齢化&少子化社会。AIの台頭。ロボット化。宇宙開発競争。
そして30年間、失われていた社会の中でのうのうと暮らしてきた自分たち。
正直、これから先の変化に着いていける気がしない。
と考えるのは無責任だろうか。
後進のために、ラッダイト運動よろしく半導体製造装置を壊して回るべきだろうか。
そりゃあ俺たちだって、これからは読み書きそろばんの時代から、
英語、クリティカルシンキング、コンピュータの時代だ、とかなんとか世間で騒がれていて、
けれど、これから待ち受けているのはそういうレベルのちゃちな変化じゃない。
一部の超天才たちがAIやIOTで繋がれた機械やコンピュータを操る時代。
彼らがこれからの数十年か百年ほどを牛耳っていくのだろう。
いや、もう牛耳られているのだろうけれど。
それは止めようがない。
その一部の超天才たちを日本国内で育てるような体制を作ってこなかったこと。
日本が嫌なら海外で勉強したら?と言わんばかりに対立を煽ってしまって。
そこについていけない、残された人間たちも、
いーよいーよ、そんなに無理してはたらかなくて。
と言われて経験値を全く積まずに育ったのちに、
ごめーん、あとはまかせた!とばかりに後進に残された負の遺産と対峙させる。
ごめん。確かにその期間、何もせずのうのうと暮らしてきていた。
先人たちに下駄を履かされていたことにも気づかず。自分たちの権利だけを主張し、
ただただ、社会の歯車であることだけで、義務を果たしたかのように。
もっと声を上げるべきだった。
世界第二位の経済大国だった30年前の日本で生まれておきながら。
30年間何もしてこなかったせいで失わせてしまった。
おれは、おれに下駄を履かせてくれていた従業員に報いるくらいしか思いつかない低能だ。
人にもよるが30を過ぎると、色々なところにガタがくる。
厄年、という風習があるが、これは至極的を得ているように思える。
だから、それまではどうか馬車馬のように働ける環境に身を置いてほしい。
さてこれから先、日本は世界で20番目か30番目くらいの規模の経済力で
飯と油を何とか買って食いつないでいくのだろう。
日本人の気質的に、皆で一緒に貧乏になろう、という形で収まることだろう。
細々と生きていけるくらいの形で没落していくのではないかと思う。
これはただのこれから起こるであろう仮説であり、単なる現象だ。
そんな中でも、何かに楽しみや嬉しさを見出して生きていくことは可能だ。
あなた自身と身近にいる人、これから出会う人を大切に、対面コミュニケーションを密にして。
失われた30年が無かったことになるくらいの、次の10年を目指していこう。
最後にもう一度。
失われた期間が30年に膨れ上がるまで何もできなくて申し訳ない。
けれど、「そうだよふざけんな、お前らのせいで○○」
ということを前の世代、親世代、人生の先輩たちに投げかけるようなのは
日本人ではないし、今回の文章で謝りたい対象ではないことは強調したい。
ここに伝えて筆をおきたいと思う。
実は最初に「的を得る」を「誤用」と定義した辞書は、日本有数の権威ある辞書の一つである「三省堂国語辞典」だそうです。それまで辞書に採録されていなかった「的を得る」を掲載するにあたり、「的を射るの誤用」と記載したのだとか。
しかしながら、近年になってこれが謝罪の上撤回されました。以下は「三省堂国語辞典」編集委員の飯間浩明氏のツイート。
”
『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。詳細は「得る」の項を。
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/412139873101807616
”
とのこと
俺の勝ち
自民党の茂木敏充幹事長が、インターネット番組で「国民が求めているのはパンじゃない、サーカスだ」と発言した。「パンとサーカス」は、古代ローマで民衆の支持を得るために取られた政策を指すが、現代では愚民政策の意味合いが強い。
これは失言ではあると思うけど、けっこう的を得ているとも思う。パン=給付金や減税、サーカス=公共事業や国を上げたイベントと読み替えると、政治家視点で見れば「パンを与えても次のパンをよこせと調子にのる」。
一方サーカスを与えれば、賛成派と反対派が分断して勝手に争い、建設・開催されればそこそこ盛り上がり、汚職や環境問題が起こったとしてもそのうち忘れられる。もちろんステークホルダーに公金をばら撒くことができる。
日本のITがクソである原因の仮説として、覇気がない、というのは一理ある
他の人の説明、たとえば https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2311550 などは論点そらしでモヤモヤしたが、増田の説は的を得ているように感じる
そんな増田に考えてほしいことがある
海外の企業はすごいスピードで新しい機能を追加していくが、日本の企業は遅々として進まない印象を受ける
たとえば、日本の証券会社の取引ツールがとんでもなく古臭いのに対して、海外の取引ツールはモダンなだけでなく、実装が面倒くさそうな機能が半年ぐらいの頻度で追加されていく
この差の原因を考えてほしいのだ
ではよろしく頼む
帰ってきましたので答えますが、それじゃ俺の言ってる「表現の微妙な差を殺してる」例にはならないねえ。
何故かと言うと、「的を射る」と「的を得る」は使い分けるものじゃなくて、どっちか自分の感覚に合う方を使うようなものだから。
俺が言ってるのは、「永遠」と「延々」のように、本来意味が違って使う場面も違う言葉を「響きが似ているから」って雑に同じように使うことを問題にしてるという話。
もっと有り体にいうと、辞書項目が別になる言葉を混同するのが誤用による語彙の死。
同じ辞書項目の別の表記に過ぎないものの内に正解があるかどうかは、それ自体意味のない議論ではないけど別の話。
前者の例を挙げられるなら挙げなおして良いよ、俺も別に辞書項目全部わかってて喋ってるわけじゃないから、新しく問題意識を持てるならそれは歓迎。
飯間だろ。これか?
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/1386827829623410689
これは単純に「取り急ぎととりあえずは同じ意味」という話ではないよな。
他にあるんだったら示してくれ。
たとえば「的を射る/的を得る」のように、誤用を指摘する側は「普通に考えると的は射るものであって得るのはおかしい」と考えて「的を得るは誤用だ」と言っているにすぎないわけだが、それは「不失正鵠」からの言葉の由来や、「得る」という言葉が持つ意味あい、人々がどのようにそれらの言葉を使ってきたか、というグラデーションを塗り潰しているわけだ。
了解/承知https://liginc.co.jp/246919
ご苦労様/お疲れ様https://togetter.com/li/2167712
的を得る、の解説https://togetter.com/li/2295786
全然大丈夫構文はOK、「だって学校で間違いだと習った!」人が多いがなぜそうなったのかは不明
(2005年 ことばおじさんの気になることば 120ページ)(私もそう習った40代)