はてなキーワード: 最後の手段とは
会社のPCが前回のWindows Updateを行った次の日辺りから、explorer.exeが機能を停止してハングアップする不具合が発生したという事でずっと直してた
結論から言うとWin11(23H2)からWin10(22H2)にダウングレードする事で不具合は解消された
不具合の具体的な内容は新しいアプリケーションが立ち上がる、又は閉じる際に画面下部のタスクバーの描画が更新される場合に、explorer.exeが機能を停止してしまうというもの
Winキー + Rキーの「ファイル名を指定して実行」の窓が立ち上がっただけでexplorer.exeが死ぬ再現性のある奇病だった
不具合の詳細を見ても「explorer.exeが対話を停止した云々」とかいう何の役にも立たない内容で原因が全然わからなかったのでほぼ総当たり状態だった
explorer.exeはなぜだか知らないがPC全体を司る役割を持っているらしく、こいつが機能を停止するとそれ以外のブラウザやソフトウェアなどの動作なども機能を停止するので
最初はexplorer.exeの不具合であることにも気付かなかった
explorer.exeが固まった場合でもタスクバーの部分を何度かクリックしてやると、explorer.exeは一度完全に落ちた後で再起動する
この際に画面が明滅するのでかなりPCに対して具合が悪そうな挙動だった
とにかくこれでは仕事にならんというのでずっとあれこれ試していた
セーフモードでの起動(セーフモードで起動した際にはexplorer.exeが落ちる不具合は発生しなかった)
グラフィックドライバの削除と最新バージョンや古いバージョンのインストール(ドライバを削除していた時にもexplorer.exeが落ちる不具合が発生しなかったからグラフィックドライバの不具合かと思ってたが違った)
そこで仕事用のPCのOSであるWin11はもともとWin10から無料アップデートしたものであることを聞き
ハードウェアの物理的な損傷と結論づける前の最後の手段として外付けUSBにWin10のインストーラーを仕込んで、諸々のファイルのバックアップを外付けHDDに移したあと
Win11からWin10のダウングレード方法を記載しているサイトを参考にWin10にダウングレードした
すると嘘のように症状が改善した
ただ唯一なぜかインターネットの接続が一切できなくなっていたのでここでも少し悩んだが、これも何故だか知らんが通常通りLANポートにLANケーブルを指すのではなく
USBLANアダプターをUSBポートに差し込んでそこにLANケーブルを指すとインターネットとの接続が回復した
その後はグラフィックドライバを再度インストールしたあとにWinキー + Rキーの「ファイル名を指定して実行」の窓を立ち上げてもexplorer.exeが死ぬことはなくなった
なぜか知らんがネットワークアダプターのドライバが馬鹿になってたらしい
あとはその他のドライバも黄色いビックリマークが出てたのでハードウェアID見ながらネットでドライバをダウンロードしてインストールして終わり
その後にもなんかディスクの使用率が100%に貼り付く問題があったのでマザーボードのBIOSを更新したら改善された
長い戦いだった
つーか結局Win11と先日入ったWindows Updateが原因だったんじゃねぇか
ネットの友達を作る手段として、Twitter以上に優れたツールはなかった
これら要素により、個の強さが目立ち過ぎず、クラスタごとの断絶も無い、緩やかなムラのような集団形成が可能となっていた。その結果、近い嗜好、思考様式の人間がなんとなーく緩やかに結びついたストレスレスな関係性がいろんな分野で生まれていた
イーロンに買収される前まではずっと良いツールであり続けていたと思うが、個人的には2011年くらいまでが特に素晴らしかったと思う。比較的テキストベースのコミュニケーションが得意なユーザーたちと、巨大な一つのムラの中でわちゃわちゃやったり、それを眺めたりする楽しさはそれまでのどのネットコミュニティにも存在しなかった
画像や動画ツイートが可能になったり、震災をきっかけに少しユーザーの質が変化してきたのが2010年代前半だったが、それでもまだ自衛すれば全然よかった。2010年代後半からはだんだんつらくなっていった。スマホの普及が本格化した結果、Twitterも一般化、大衆化し、現実社会と同じ面倒臭さを持った人間(異論を認めないマウント大好き界隈)がジャンルを問わず跋扈するようになった。イーロンマスクがとどめを刺した後の現状は語るまでもない。
今はDiscordに引きこもって身内とまあまあ楽しく過ごしているけど、その身内ってほとんどTwitterで出会った人たちなんだよな。今何もない状況から彼らと知り合って友達になる方法は思いつかない。はっきり言って今のTwitterで出会った人とオフ会とかしたいと思えない
[B! 労働] 小泉進次郎氏の「解雇規制の見直し」という自民党総裁選公約について(佐々木亮) - エキスパート - Yahoo!ニュース
どうにも、はてなでは金銭解雇は不人気だけど、どうしても金銭解雇および日本の雇用については言いたいおじさんが主張を書いてみることにしたよ。雇用は難しい問題でいろいろな議論が必要だけど、ちょっと長いけど一つの視点として読んでもらえるとうれしいよ。
おじさんは現在IT系のスタートアップに務めていて、エンジニアの採用活動に関わっているよ。金銭解雇というとクビを切る側の話ばかりになりがちだけど、おじさんはスタートアップの採用サイドからの視点で書くよ。
おじさんはいわゆる氷河期世代だけど、色々な運の良さもあって氷河期世代の境遇とは無縁だったよ。だからといって自分達の世代の受けた仕打ちを忘れないよ。
おじさんは単なる一サリーマンだよ。「経営者視点」と言われかねないから、なぜこの記事を書く気になったかの背景としてのおじさんの思いを最後に書いておくよ。
いきなり結論をいうと、おじさんの経験と推論からは、雇用の流動化と金銭解雇は密接に結びついていると思っているよ。端的に言うと人のクビを切るのが難しい状況では、人を簡単には採用できないし、高待遇の求人を用意できないよ。企業が良い待遇で雇わないので、良い待遇を求めての転職がしづらいという状況が日本の雇用が流動化しない原因だと思っているよ。
このご時世転職なんて簡単だと反論は出るだろうけど、実際まだまだ日本人は転職していないと思っているよ。実際にOECDの報告で日本人の労働市場における転職率は低いよ。
転職をするって人生かかっているのですごく慎重になるんだけど、その後押しをできるほどの良い求人が世にまだ少ないと思っているよ。
人のクビを切るのが難しい→人を簡単に雇えない→雇用が流動化しない
この因果を考えずに雇用の流動化だけを目指してもなかなかうまくいかないと思っているよ。
理由を以下に書いていくよ。
おじさんは日々多くの応募者たちの書類選考と面接をしているけど、正直なところ書類選考と合計たかだか数時間の面接で応募者を適切に選べるとは思っていないよ。実際働いて1年くらいでようやくその人が期待値以上、以下かなんていうのがわかってくることも少なくはないよ。採用活動をしたことない人でも、同僚が仕事できるかできないかってわかるのには意外に時間がかかったことはあると思う。
それに会社っていうのは状況が変わっていくものだよ。数年後には採用時に重視していたスキルセットの重要度が下がることがあるよ。採用時点ですごく機能していた人材が、業務内容や組織が変わっていくことで機能しなくなるなんてこともよくあるよ。
スタートアップの創業期ではコミュニケーションよりもとにかく手を動かして独断専行でも成果を出せるエンジニアが重視されていたのに、創業期が終わる頃にはコミュニケーションを適切にとれて調整も苦でないエンジニアが重宝されるなんて光景はよく見るね。生きるか死ぬかの創業期と人も増えてスタートアップから大企業に移り変わる時期だと求められる要素が変わるのは当然だよね。
おじさんは日々採用活動をしているのだけど、日本労働法と雇用慣習はいかんともしがたいので、採用したらよほどのことがないとクビは切れない。つまり採用の失敗は許されないので、慎重に慎重に人選びをしているよ。経歴に空白があったり、短期離職を繰り返している人は個々の事情があるとしてもどうしてもリスクが高いと考えてしまいお見送りしてしまうよ。ある程度年齢が高い人は一般論として若い人より適応性が低い可能性があるので、どうしても慎重になるよ。本当はその中に優秀な人間がいるかもとは思っているけど、採用の失敗は許されないのでリスクがある人は見送ってしまうよ。
それに、前述したように会社の状況が変わっていくことを考えると採用時点でジャストでほしい要件に加えて、ある程度ユーティリティプレイヤーとして柔軟に動ける人材であってほしいよ。入ってから別の部署に異動になっても機能しそうな人間じゃないと数年後に不要な人材になってしまう可能性があるからね。なので、スキルセットとして特定分野にものすごい専門性があって尖っていても採用にためらってしまい、結果として丸い安牌な採用になりがちだよ。
一方で、業務委託(フリーランス)だったりすると、少々単価が高くても最短1ヶ月だけ実力に見合っているかお試しできるから、とりあえずで契約できるよね。
おじさんは派遣社員を直接利用していないけど派遣社員も期間が決まっている分、派遣会社に支払っている総額は高めでも利用する価値があるよ。直接雇用でも同じような解雇の仕方があるなら本人取り分は高くなるはずなのにと思ってしまうよね。
スタートアップなのだから、新しい事業やシステムを作るために優秀な人材に来てもらいたいよ。そのためには良い待遇を用意してあげたい。でも、良い待遇をオファーしてもその人材が機能しなかったら悲劇でしかないよ。
本当は会社全体の給与体系が高いのが理想だけど、まだまだ成長途中の会社ではそれは難しいよ。それでも勝負をしたい領域で良い人材を高待遇を用意したいんだけど、解雇のハードルが高いとそれを用意するのも難しいよ。金銭解雇という選択肢が用意されたら高待遇の求人も増えると思うよ。会社にとって高待遇というのはそれなりにリスクでだけど、現状では会社が一方的に大きいリスクを抱えている。会社と社員がある程度リスクを分担するのが望ましいと思っているよ。それに一社で失敗してもその次の会社でそれなりの待遇で雇ってくれるなら転職はしやすくなると思うよ。
はてなでは、企業は人にはカネを使わないって不満ばかりだけど、やめていく人がいないなら会社がどんなに儲かっても社員の給料を上げるなんて義理はどこにもないよ。一方で、必要な社員がいなくなっていくなら給料は上げざるを得ないよ。だから、金銭解雇の導入で転職しやすい世の中が来ると普通の社員の給与も上がると思っているよ。
社員がただ給料を上げろといっても会社にとっては上げるインセンティブはないから無視されてしまうけど、他の会社の内定を持ってきて嫌なら辞めるから給料上げてという交渉なら会社は考えざるを得ないよ。選択肢がない人間には交渉力が弱いというのは世の決まりだよ。
会社の規模にもよるけど、現状ではおじさんのいるスタートアップだってそれなりに法令遵守をするし揉めたくはないので雇用に関してはそれなりに現行法と雇用慣習にも従っていて、そうそう人のクビは切れないよ。それに予測可能性というのは大きくて、裁判を起こされた場合判決まで結果が確定しないというのはかなりしんどいよ。金銭解雇制度が導入された場合には、金銭無しでの解雇に対しては労働者側が労働基準監督署などの機関を通しての迅速に仲裁してもらうなどの仕組みの整備は必須だと思うよ。
法令で金銭解雇の基準を明確に示すことで最悪クビにできる額の基準が明確になるというのは大きいと思うよ。それでも、金銭解雇はお金もかかるし、それ以外の社員へのダメージにもなるから最後の手段になると思うよ。そもそも昨今は人手不足で今どきのまともな会社はいかに社員にやめてもらわないかにすごく気を使っているよ。おじさんだって部下が辞めたいと言い出したときは全力で話を聞いて環境を改善したりして引き止めているよ。
定年まで雇い続けるか、最終手段としての金銭解雇があると思うかは採用サイドの心理負担としてもかなり違うよ。
もし会社の業績が悪くなったら、給料が高い人からクビを切られるというのは理にかなっていると思うよ。部門がなくなるなんてこのご時世よくあることだけど、現行法では給与が高い人材を素人同然で別分野に配置転換するしかないよ。
会社にとって自分がいらない人材になったら仕方ないよね。すごくストレスフルな状況であると思うけど、次の仕事があるならどうにかなると思うよ。でも原則として会社にとって給与に見合う価値を提供できないのに雇われ続けるというのもおかしいとは思っているよ。
それに日々自分の経歴・スキルの棚卸しをして、キャリアと転職市場の価値を確認するのは働く人間としては日々行っておくべきだと思うよ。とはいえ、そろそろおじさんもけっこうな歳なので、雇用がもっと流動化してミドルの求人が増えてほしいと思っているよ。
本来セーフティーネットは国が保証すべきで、企業に押し付けている状況はおかしいと思っているよ。雇用調整助成金を出すくらいなら、失業者の生活費とかリスキリングに予算をかけてほしいよね。おじさんもいい歳なので、もし仕事をクビになったら再度大学行くとか学び直して別の分野に挑戦してみたいよ。
正直日本の現行の雇用システムだと大学卒業して待遇の良い大企業で一生過ごすのが低リスクで最適解な気がするよ。
日本では多くの優秀な人間は既得権として大企業で一生過ごしてしまっている。そしてこれが新しい価値を生み出せずに衰退している日本の最大の原因だと思っているよ。優秀な人材が大企業で若いうちは活躍していても、クビにならないことに気づいてしがみつくようになってしまう人もいるよ。
もちろん大企業で立派に頑張っているおじさんも多いけど、高待遇で働かないおじさんなんてのがそこらで観測される程度にはありふれているよね。これって社会全体としてはものすごく無駄じゃないかな?会社を通して社会に価値を出す人材でいつづけないと、仕事がなくなるかもという緊張感は少しは必要だよ。
おじさんが若い頃にリーマンショックという大不況があっておじさんが昔いた会社では派遣切りや新卒内定者切りという事態になったよ。後で聞いた話では、正社員をクビにするためには解雇の妥当性が必要で「派遣社員、内定者を切ってからじゃないと正社員はクビにできない」ということらしいよ。こんなの絶対に間違っていると若いときのおじさんは思ったよ。判例による整理解雇4条件に従えば派遣をクビにしてから正社員という順番で、正社員はやっぱり守られている。
金銭解雇の本質は、低リスクの大企業正社員と高リスクの派遣という経済リスク分担の問題なんだよね。雇用についてはリスクをもう少しみんなで分担する社会のほうが健全だと思うよ。今のように大企業正社員が手厚く守られている社会だと、新卒時の結果を定年まで引きずり続けていて、非正規や若い年代に回り道した人はその中に入れてもらいにくいよね。金銭解雇を認めることで、一時的に社会の不安定化は起きると思うけど、切り捨てられたままの氷河期世代のような悲劇はもう起こしてほしくないと思うよ。本当は90年代にやるべきだったんだけど、正社員の雇用を守るために金銭解雇を認めないで派遣社員の拡充のみ行ったのが間違っていたと思うよ。
おじさんは日本という国を考えたときには新しい企業が新しい価値を作り出していかないと先がないという考えを持っていたので、スタートアップで日々戦っているよ。金銭解雇が可能になってもっと一緒に戦ってくる仲間を増やしたいよ。
この文章は主にスタートアップの採用視点で書いたけど、大企業でも本当は新しい事業を作っていくためには外から人材は必要だと思っている。雇用の流動化こそ日本には必要でそのためにも金銭解雇は必要だと考えているよ。
社会や組織って人でできているのだからある程度そこが循環しないと、なかなか新しい事業も起きないし経済的な成長もしていかないよね。現状の低成長のゼロサムゲームで雇用の椅子の奪い合いをしている状況が、最終的にはプラスサムゲームになってほしいと切に願うよ。
はてぶを見ているとこの30年間のゼロサムゲーム(もはやマイナスサムゲーム)で企業に対して疑心暗鬼になっているのがよく分かるよね。
昭和から平成初期ならこういう有給もまともに払わず「お前なんかクビだ」「明日から来なくていい」
なんて会社はいくらでもあって今も酷いところだとあるのかもしれない。
労基もやれることは限定的で、区や市から補助金が出てるような企業ならダメージもあるだろうけど
何もしてもらってない独立企業ならせいぜい煩く言われるくらいでほぼNOダメージだと思う。
労組に相談するのがいいと思うけど会社にないなら、業界分野ごとの「ユニオン」っていうのがあるはずだから
最後の手段は弁護士に相談だと思うけど個人で戦うにはお金も時間もかかるし大変だろう。
追記:
正しくは復職して復職後に有給を使い切りたい、その分の給料(=有給)は支払ってもらうって形になるかと。
増田さんは、頑張りすぎなんですよ。
前に進むための一歩が全部打ち砕かれたと感じるのは本当に辛いことだと思います。無理をしすぎて、自分を追い詰める必要はありません。どんなに頑張っても、思うように結果が出ないことってありますよね。でも、その頑張り自体が無駄だとは限らない。たとえその結果がすぐには見えなくても、それが増田さんの成長や経験の一部になっているんですよ。
それに、少し立ち止まることも大事です。諦めたり、休んだりすることは決して悪いことではありません。人生って、時にはちょっと休憩が必要なんです。無理をせずに自分のペースで進んでいいんですよ。
人生の価値は、自分自身がどう感じるかに依存しています。お金も、地位も、何かの成功も、結局は一時的なものでしかありません。結局のところ、何が本当に価値あるものかは自分で決めるしかないんです。それが大したことじゃなくても、自分が納得できるものであれば、それで十分です。
過去に出会った「あの人の体臭が我慢できない」と人前で言っちゃう3人が全員痛い人だったので、臭い人よりも痛い人の方がイヤだなと思っている。
一人目は高校のクラスメート、二人目は昔の職場の派遣社員、三人目も昔の職場の別の派遣社員。
3人に共通してるのは以下
彼女たち3人にはそれぞれ面倒をかけられた。本当に嫌な思い出。
ちなみに増田自身はスクールカースト的にいうとボッチかつ優等生ポジションになりがちで、集団のもめごとの仲裁をさせられやすい。なので「臭い臭いとうるさい系女子」が本当に嫌いである。鼻に丸めたティッシュペーパーをぎゅーぎゅーに詰め込んでマスクを3重ぐらいにしてやりたい。
実は女の場合、嫌いとかムカつくなど何らかのマイナスな感情を抱いて誰かをいじめてる人とは実はある程度は調整をする余地がある。調整の余地がない場合でも、極論だが悪意があるので周囲を巻き込んで断罪することもできる(これはまぁ最後の手段だが)。
しかし「臭い臭いとうるせえ女」は自分たちはか弱き子羊で被害者であるというポジションから絶対に出てこず、そのくせ臭いと涙目で言い続けるので調整のしようがない。自分が何か積極的に対策する気はない、何かの工夫や努力で改善する気がゼロ。自分は悪くない→他人任せが当然と思っているのか、そもそも人生全般が他人任せなのか(何となく後者な気がする)。
深刻に泣きそうな顔で「あの人が…臭くて辛いの…」などと群れの中でこそこそと言い出して、それが群れ全体に集団ヒステリーとして広がる。そして対象の人をあからさまに避けたりする。外形的にはいじめと変わらんけど自分たちはかわいそうな「臭くてつらい被害者」であることを崩さない。
マスクしてみたら?とか、席替えまで我慢してくれたら席が離れるようにするからとか言っても「でも…」である。
派遣社員の人なんて、臭くて体調が悪くなったと言うなら体調を優先して仕事を替わることを考えても罰は当たらないんじゃとも思う(事務アシスタントなので申し訳ないが誰でもできる仕事だった)のだが「臭い人を異動させてほしい」と言ってきてビックリした。その人が臭いと言っていた対象の人は正社員、それもかなり有能で当時の部署では欠くわけにはいかない技術職の人だったし、彼女が言うほど臭くはなかったと思うのだが(フロアの結構な人数にヒアリングしたが、あーたまにそんな時もあるよね…程度の反応だった)、あの人が臭くて仕事にならないと派遣会社経由で言われてしまうと、派遣先としては従業員が健康に働く環境を確保する義務があるため対応をせざるを得ない。臭いを感じる感度は人によって違うから100人が平気でも彼女は臭かったのだろう。だが、執務中は「臭くて気持ちが悪くなった」といってしょっちゅういなくなるし、気持ち悪くなった日に部の飲み会があったらちゃっかり飲み会には(彼女が臭いと言ってる人もいる会なのに)参加して楽しそうにしてるしで、さすがに当初の2年契約を延長するのは丁重にお断りした。
もう一人の派遣社員の女性は、対策として急な配置替えをしてかなり遠い席に配置したのに、近くを通られると気分が悪くなると言ったりで困った。取りあえずマスクで自衛をしてほしいとお願いして様子を見ていたのだが、いつの間にやら、対象の男性の席の周りに脱臭剤がひとつ、ふたつと増えていって脱臭剤の臭いで逆にフロアのその辺りが「なんかこの辺臭いね、何の臭い?」と言われるようになっていた。
大量の脱臭剤は、その派遣社員の人がたらしこんだ別の社員(男性)にお願いして備品で購入して置いていたらしく、たらしこまれた社員への対応も面倒だった。彼は人事から少しだけ怒られ、そしてその後彼女と結婚して2年後に離婚していた。なんなんだ。馬鹿だから馬鹿に引っかかったのかしらんけどご祝儀返せ馬鹿。
高校のクラスメートはまぁ高校生だし同級生だし、「あんまり大っぴらに言わない方が良いよ」とたまに言うぐらいだったのだが、席替えで対象の人が窓側の席になった時に「風上に居ないで欲しい…」と言ったのがうっかりクラスの割と多くの人に聞こえて不興を買い、その後は逆に彼女が遠巻きにされていた。その後すぐクラス替えになったからそれほど大ごとにはならずに済んだが、マジ勘弁してよという感じだった。
私が経験した「あの人が臭くて辛い」という3人はみんな、他責かつ怠惰で自分から何かを積極的に対策しない。そういえば3人とも、昼をどこに食べに行くか、飲み会をいつにするかなどの日常的な軽い決を採る行為にいつまでもぐだぐだと返事をしないタイプでもあった。グループLINEで返事しないから面倒になって「今返事ない人は数に入れずに店予約するね」とか切り捨ててた。割とかわいい方だから男性からはちやほやされてて、他力で他責で居続けられたのか。でもまぁ私がちやほやする理由は一つもない。
キャンセルカルチャーを奪い返す 「表現の自由戦士」は正しいか
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230605/pol/00m/010/007000c
――もともとの意味はなんでしょうか。
五野井氏 力なき人々にとっての最後の手段としてボイコット運動があります。インド独立運動の英国商品不買や、米国公民権運動ではローザ・パークスの「バス・ボイコット」(※)がありました。
情報発信の主体がユーチューバーのようなインターネット上のサービスに移るなかで、抗議の対象も国家や企業だけではなく、情報を発信する個人や現象、価値観へと変化しつつあります。
キャンセルカルチャーそれ自体は伝統的なボイコット運動の延長線上にあります。
――ネットの発達で大きな影響力を持つようになりました。
◆#MeTooに象徴される、ハッシュタグ・アクティビズムが盛んになりました。社会のマジョリティー側がもつ特権に異議を申し立てます。
フェミニズムでいえば、男性中心主義の秩序に抗議します。キャンセルカルチャーは、メジャーな価値観のなかでは取り上げられづらい人々の声を、SNSを通じて効果的に発信するものです。
ラッダイト運動の教訓は、技術革新と社会変革のバランスを取る重要性に尽きると思う。
この運動は、19世紀初頭のイギリスの織工たちが機械化に反対し、労働条件の悪化や失業問題に抗議して機械を破壊したことから始まった。
教訓の一つは、技術進歩が労働者に与える影響を無視してはいけないということ。
技術革新がもたらす効率化や生産性向上は企業にとっては利益だが、それが労働者の失業や賃金低下につながる場合がある。
このような影響をしっかりとモニターし、適切な対策を取る必要がある。
また、労働者の声を無視せず、彼らとの対話を重視することも重要。
ラッダイト運動は、労働者が自分たちの生活を守るために最後の手段として過激な行動に出た結果だ。
現代では、労使間の対話や労働条件の改善が早期に行われることで、同様の衝突を防ぐことができる。
さらに、経済の変化に対応できるスキルを労働者に提供する教育や研修も重要。
技術革新が避けられない現代において、スキルアップや再教育の機会を広げることで、労働者が新しい環境に適応できるよう支援することが求められる。
(追記)
数文字読んで真っ当な共感かと思ったら、このおばさん子供いるじゃん。
何がわかるんだよお前に。
その瞬間だけをみても、性欲の発散先として素晴らしい価値提供をしている。
それ以降の文も読んだけど、読まなかったことにする。
決して共感者ではない
(追記ここまで)
25歳
彼女いた事ない歴=年齢−1
低身長
後輩の苗字が変わった。
幼馴染は三人で暮らすための家を買った。
妹は婚約者を連れてきた。
俺だけが、何も無い。
背伸びして車を買ったくらい。
年相応にステップアップしていくはずが、
うち数人は声をかけたらその日のうちにどこかへ遊びに行けるくらいの関係だった。
でも、それは、つまるところ、俺を異性として、オスとして見ていないからこその振る舞いであり、関係性なんだって気づいたのが最近。
それすら、今はもうない。
婚活をしようと思った、結婚を中間目標として、その間に「①人に好かれる」「②パートナーを作る」の2つ小目標とした。
自宅と職場の近くで開催される街コンなりパーティーを探してみた。
自宅近くでは趣味を共通点とした街コンがいくつかあったが、俺に大した趣味はないのでどれも参加できなかった。
職場近所では、学歴、職歴、年収、資格で厳密なボーダーを引かれた婚活パーティーがたくさんあった。参加費も一万円〜数万円くらい。
勤め先はマイナー業種(同業は日本にもう1社しかない)すぎて職歴もアウト。
年収はボーダーの倍か3倍以上あったけど、他をクリアしている人は3倍4倍5倍あるだろうからこれに意味はない。
と、参加資格すら持ち合わせていなかった。
企業団体が主催するハードルの高い交流は諦めて、自分なりに相手を見つけようとしてみた。
数少ない女友達、妹、姉に声をかけたが、にべも無く振られる。とりつく島もない。
俺が嫌われているなら状況は単純なんだけど、そうでなく、時々飯や近況報告くらいはする仲なので、「俺を知り合いに紹介したくない」ということなのだと思う。そんなに気持ち悪いんだな。
最後の手段(正確には最後から2つ目)で、セルフで見た目を整えてみることにした。要するにナンパを目指した。今考えてみると悪手も悪手だね。
これ書くのは辛いから一言で、「体型も顔も悪くて、どんな髪型、服装にしても全体としてブサイク」になった。
もちろん主観のみでなく、服飾のコンサルタントと美容師の判断も仰いだ。
誰が見ても微妙な反応で、はっきり何か言ってもらうのは申し訳なくて聞いていない。もうその反応が答えだから。
で、諦めた。
他人に何一つ価値を提供できない人間だとぼんやり気づき始めたので、これ以上もがくのは誰のためにも、もちろん自分のためにも良くないと思って。
もう少し早ければ振るまいなり見た目なりを治療して、勉強して資格や収入も嵩上げできたかもしれないけど、そんなもしもの話は今なんの意味もなくて後悔にしかならない。
結局、婚活すらしないまま、ただ自分が不出来だってことだけが明確になった。
色々思うことがあったので補足をする
前提知識編
本編
ホーリーランドってリアル寄りの喧嘩マンガあったんだけど覚えてる?
イザワと対立していたヤンキー高校、世田谷商業のアタマのキャラ
それがヨシイ
イザワは作中時間ではクールなキャラだけど、作品の前の時間では悪そうな奴とともかく喧嘩しまくるヤバいやつだった
そこでぶいぶい言わせてるだけなら良いとして、ヨシイ率いる世田谷商業(セタショー)は触らないようにしていた
しかし主人公とセタショーが揉めた時に割って入り、ヨシイとセタショーのメンツを潰したのでヨシイはつけ狙い始める
ヨシイやイザワ、主人公が過ごす下北沢のヤンキーたちは、タイマンで強いと偉い
群れてボコるのは最後の手段であって、タイマンで勝てないと格好つけられない
イザワが街で好き勝手できてるのは、タイマン至上主義が蔓延る街だからであり、イザワをタイマンで倒してメンツを潰したい
ヨシイがセタショーのアタマになったころから一応の付き合いがあるやつ
関係ないけど、喧嘩でならした剣道って試合じゃ弱そうだなって思った
・タカが勝ったあと、ボコボコにして報復されないように心と体を折る
・勝ったタカがセタショー内でイキらないように釘を刺す(無理なら多少恥をかいても集団で潰す)
の4つが大事になってくる
セタショーの頭でも世論は気になるようで、ヨシイはまず世論の理解を得ようとする
イザワは強いけど、セタショー全員を相手どって勝てるほど強いわけではない
でもやっぱめちゃくちゃ強いので、囲んでボコるのもかなりリスクがある
セタショーの下っ端ヤンキーたちもそのリスクを理解してて、下っ端がそのリスクに怯えてるのをヨシイはよく知ってる
ヨシイはビビらないように叱責はするが、下っ端がビビらなくてもイキれるように心を砕いてる
そこでヨシイはまずタカをぶつけてイザワを潰す事を周囲に伝えて、その反応を見る
タカに負けたイザワを殴るなら、報復の心配はあっても、その場は安全にイザワをリンチにかけられる
ヨシイは反タカ勢力に決定事項であることを伝え、反タカ勢力がタカとぶつかるまで待つ
反タカ勢力もヨシイが怖いので、タカを直接襲撃し、タカはこれを返り討ちにする
タカはこれにより実力とヨシイの人選の正しさを証明し、イザワとのタイマンでもタカが勝てる期待感を持たせる
タカを襲撃したヤンキーたちもメンツを潰された形になるので、大人しくヨシイの方針に従うしかなくなる
素直にタカにタイマン張らせて負けたら困るので、イザワに不利な条件をなるべく揃える
セタショー全体でイザワと彼の仲間に圧力かけてイザワを孤立させ、セタショーに呼び出し、直前で怪我をさせる
イザワのバイト先にいる時間を把握し、イザワの友達を脅してタイマン場所を指定して呼び出す
バイト先からタイマン場所までの経路でヨシイは待ち伏せを画策する
散々圧力をかけられて冷静さを欠いたイザワは、まっすぐ指定された場所に向かい、途中の待ち伏せを受けて負傷する
負傷したままタイマンの舞台へ立ち、万全のタカとタイマンを張ることになる
セタショーが手を焼いていたイザワを、タカがたおしたとなるとタカの地位が上がりすぎて扱いにくくなる
ある程度狙ったとは言え、タカ嫌いによる暴発も起きた
しかしイザワを倒すほどの実力者なので「タカをボコるから集まれ」ではセタショー下っ端は怖がってしまう可能性がある
これで他校のヤンキーも含めて呼び出す
他校がどれだけ集まっても構わない
イザワに手下は殆どいないので、体を張ってイザワを守るヤンキーはほぼいない
イベントとしてヤンキーをかき集めれば、セタショーの出席率はより上がる
ヨシイが直接命令すればあとが怖くて従うから、ともかく会場にセタショーヤンキーを呼び寄せるのが大事
タイマンが済むと気の乗らないセタショーヤンキーたちにハッパをかけて、集団でイザワとその一派をボコるようにけしかける
ここまでお膳立てしたタイマンも、空気が変われば前座扱いしてリンチに持ち込み、セタショーと自分の地位を最大限まもる選択をする
切り替えが早い
ヨシイは校内での地位を守るために、校内の空気や力関係を非常に正確に把握し、その上でヤンキーたちを脅して宥めて動員をかける
ヨシイは敵対しているイザワの友達にも分断工作を仕掛けたりと、搦手も手を抜かずに行う
校内にも他校にも自分が絶対的地位にいるかのように見せ掛けるが、それは全くの虚構で、常日頃から行う地道な努力によって守っていた
偉っそうなリーダーがいてね。
普通はこの手法は最後の手段として使用するもんでしょう。他の方法を試して、それでもダメだった時に最後の手段として上司経由で指導するもんでしょ。
リーダーとしていろいろ試行錯誤してから、最後の手段として上司に報告とかすべきでしょ。
この問題、相手も正しい。ミスはダメなことなのだから。自分は強くは相手に言えない。ミスしたのは自分なのだから。しかし腑に落ちない。
いろいろ考えてみたが、騒音トラブルなどの近隣トラブルで例えると次のようになる。
横の家が21時頃なのに煩い。
どちらも正しいだろう。
人間関係を築く必要のない赤の他人になら、①がベストだ。相手も不快にはならない。
しかし、相手が子ども会などで接点を持つ可能性がある相手だと、いきなり警察に通報するのはカドが立つ。②がベストになる。
この事例はとても近いと思う。人間関係を築く必要があるかないか、の違いだ。つまりこれは、リーダーには人間関係を築く気がない、ということだ。リーダーを仲間と思ってるのがダメなのだ。リーダーは第三者の人。客先の嫌な人、と思えば良いのだ。
ひとまず、作業をするとミスをする可能性が増えるので、なるべく作業することを控え、何度も確認を行うことでミスを発生させないようにした。これまでは自主的に目についた問題は積極的に対応してきたが、依頼があったものだけ直すようにした。
そしてこんな働き方は性に合わないので仕事を辞めることにした。
ミスについて:
ミスをする人=能力の低い人、ではない。人間誰しも作業をすれば必ずミスは発生する。確認すればミスは減るが、それでも限界がある。バグのないシステムはない。
私はそこそこ仕事が早くミスもない人、と職場に思われていたはずだ。仕事を辞めると伝えた時は引き留めが入ったし、○○さんがいなくなった後が怖いです、なども言われた。
Windows10 以降のWindowsに標準搭載されるようになった「UDデジタル教科書体」というフォントがある。游ゴシックに並んで書体が美しいフォントで、そこらへんのチラシや張り紙などで濫用されているのをよく目にするだろう。
だがUDデジタル教科書体はバリアントが6種類もあって、それぞれがどんなフォントなのかわかりにくい。Word でバリエーションを選ぼうとすると、一覧にはこんな風に並ぶ。
フォント名を単純に昇順で並べただけで、バリアント順になっていない。これでは何がなんだかわからないので整理してみよう。
書体名 | 和文 | 欧文 | ウエイト |
---|---|---|---|
UD デジタル 教科書体 N-R | 等幅 | 等幅 | 標準 |
UD デジタル 教科書体 N-B | 等幅 | 等幅 | 太字 |
UD デジタル 教科書体 NP-R | 等幅 | プロポーショナル | 標準 |
UD デジタル 教科書体 NP-B | 等幅 | プロポーショナル | 太字 |
UD デジタル 教科書体 NK-R | プロポーショナル | プロポーショナル | 標準 |
UD デジタル 教科書体 NK-B | プロポーショナル | プロポーショナル | 太字 |
各バリアントは
という順列組み合わせになっていることがわかる。
日本語の文面は等幅フォントが読みやすく、英文・英単語はプロポーショナルフォントが読みやすいからだ(メイリオや游ゴシックなどもこの組み合わせである)。その組み合わせの NP ひとつでオールマイティにいける。
なお、和文に強いてプロポーショナルフォントを使う場面はなく、せいぜい見出しやタイトルなどの短いセンテンスや、UI部品のメニューなどスペースが限られる用途などに限定して使うべきだろう。
また、英語の等幅フォントも同様で、桁が揃っていないと見にくい表の数値や、プログラムのコードくらいしか一般的には使い道がない。
つまり「N」や「NK」の出番はほとんどないのである。(誤字訂正しました。指摘サンクス)
繰り返します。UDデジタル教科書体は NP-R/B 一択です。
ちなみに、はてな匿名ダイアリーをWindows環境で閲覧すると、本文の表示には「Meiryo UI」が使われています。この書体はOSのUI用に作られた省スペースフォントで、文字幅を強く圧縮した独特の形状をしています。ファイル名やメニュー項目を表示するには省スペースで重宝ですが、ブログの本文などの長文を表示するような用途にはまったく適していません。ごちゃごちゃと詰まっていてとても読みにくいです。こんなもの、普通は読みものコンテンツの最優先フォントに使ったりはしません。
なぜこんなことになっているのか、スタイルシートを読み解いてみましょう。
font-family: system-ui, -apple-system, BlinkMacSystemFont, "Helvetica Neue", "Hiragino Sans", "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "Noto Sans JP", sans-serif;
まず先頭に "system-ui" という総称フォントが書かれているのが噴飯ものです。
総称フォントとは「指定された固有フォントがひとつも見つからなかった時に最後の手段として代替できるような一般名」のことで、本来はフェイルセーフとして font-family 値の末尾に書き添えます。ブラウザは総称フォントに対しては必ず何らかのフォントを割り当てていますから、どう転んでも何かのフォントは見つかり、最低限の表示が保証されるわけです。
ところがそれを先頭に書いたりしたら一発でフォントが見つかって、それ以降のフォント指定は読み飛ばされてしまいます。system-ui の後ろのカンマ以降の情報は実質的にただのゴミです。書く意味がありません。
なぜこんなスカタンなフォント指定になっているか、だいたいの想像はつきます。
このフォント指定は、MacOS付属の「San Francisco」という粋なフォントを呼び出す裏技として一部で流行していた方法なのです。すごく使いたかったんでしょうね、San Francisco を……。
しかしMacOS以外のOSでも、system-ui にはそのOS固有のフォントが割り当てられています。Windows の場合は長文の表示にまったく適さない Meiryo UI だった、というわけです。
どっちみち San Francisco は記事内の半角英数記号くらいにしか使われませんが、Windows の和文表示をすべて台無しにしてでもそうしたい何か強い理由があったんでしょうか。私には合理的な理由は思い当たりませんが。
2月から3DS版を始めて裏ボス倒してようやくクリア。プレイ時間は110時間くらい。
前半あまりにサクサクと話が展開していき世界のスケールも小さく、これがドラクエ?感
終盤のタイトル回収でエンディングを迎えて「これは歴代ドラクエの集大成でラストドラクエっぽい(でも普通に12を開発中なのか)」って感想
キャラは魅力的だが「仲間と話す」の内容が少なすぎて残念(エリア1つに付き1会話。過去シリーズのように街の人1人につき1会話でない)
昔のドラクエのようにレベル上げ頑張る必要なくストーリー進めるといつの間にかレベルアップしとる
シンボルエンカウントで戦闘回避しまくれる
2Dバージョンのほうが移動や探索がらくちんだがランダムエンカウントで戦闘が面倒くさい
今のドラクエは特技がありすぎて考えるの面倒くさいから戦闘はボス以外は完全AI任せ
ザコ敵でも戦闘で逃げられず絶対に1回は回り込まれてイライラする
装備も拾ったり作ったりしまくれて店での買い物もほぼすることがないので金の使い道がなかった(Sでは鍛冶素材買うためにG使えるらしい)
攻略サイトに頼ったのは終盤のメタル狩りの場所と海ボスの出現場所くらい
メタル狩りすると1時間以内に全員レベル99になれてワラタ(ドラクエやっててレベル99にしたの始めて)
レベル99でも敵の攻撃の一撃ダメージが大きく状態異常もやられるので油断すると全滅する
人魚ロミアの分岐イベントはセーブリセットでやり直したけど、どっちにしろ先の世界でロミア生きてるらしい
ヨッチ村の冒険の書の世界が良かった。各ナンバリングのドット絵が再現されてたのがすごい
ラダトームの復活の呪文は入力するとドラクエ1が始まるのかと思ってたから残念(FC版DQ1のデータ量わずかしかないんだから入れられるよね)
時をテーマにして歴代シリーズ全てをつなげるってライダーや戦隊シリーズではすでにやってるけどドラクエでナンバリングでやるって最後の手段だから次の本当のラストドラクエになりそうな12はどうすんだろね
ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて、タイやヒラメたちの、それは見事な踊りが続きます。
ここはまるで天国のようです。
そして「もう一日、いてください。もう一日いてください」と、乙姫さまに言われるままに朝昼晩とストロングゼロを飲みながら過ごしてる内に、三年の月日が経ってしまいました
不思議に思っていると、乙姫さまが「お目覚めですか?ほら、今日もこれを飲んで楽しく過ごしましょう」とストロングゼロを持ってきました
「ああ、今まで見てきた物は全てストロングゼロを飲んだ時の幻覚じゃあないか」と
すぐさま、浦島太郎はストロングゼロをひとつ飲み干すと、竜宮城の乙姫さまに「家族が待っています。帰らせてください」とお願いしました
「そうですか…ではお土産にこれを」と
それはそれは綺麗な箱でした。乙姫さまは
「この箱は最後の手段です。どうかよく考えておあけください」と言います
浦島太郎にはさっぱりその意味が分かりませんでした。亀に送られて、地上に帰った浦島太郎でしたが、地上はまるで変わっていました
「三年でこんなに変わるものだろうか…それともまだ幻覚の中なのだろうか」
確かにそこは浦島太郎が釣りをしていた海辺でしたが、何だか様子が違います
浦島の家はどこにも見当たらないし、出会う人も知らない人ばかりです。
「私の家はどうなったんだろうか。みんなは…どうなったんだろう?あの、すみません浦島太郎の家って知りませんか?」
浦島太郎が一人の老人に話しかけると、老人はストロングゼロを飲みながら言いました
「浦島…?ああ、そいつなら七百年ほど前にストロングゼロを飲みすぎて死んだとかなんとか」
え?!久しぶりに見たとても美味しそうなストロングゼロにびっくり
「そうか…みんなは死んじまったのか」
途端、頭の中に自分を責める声が響きました
それは次第に周りの音が聞こえなくなるぐらい大きくなっていきました
耐えられず、ついに浦島太郎は箱を開けました
その中にはストロングゼロが一缶だけ入ってました。浦島太郎はそれを一気に飲み干すと、目の前にかつての故郷が現れました
「ああ、帰ってきたんだ。やったぞ」と浦島太郎は自分の自宅へ駆け出しました。しかし、そこに故郷などは無く、浦島太郎は崖から真っ逆さまに転落してしまいました。
俺は漫画が好きで、毎月発売される新刊を楽天コミックカレンダーでチェックし、アフタヌーンのものはなぜか反映が遅い?ので直接公式サイトまで行って確認し、月末本屋へ行きまとめて買う、ということを生活の楽しみにしている。
発売日に買いに行かないので時折ものによっては売り切れていることがある。幸いいつも行く本屋の他にも近くに数軒本屋があるのでそこを巡って探す。そこを巡ってもない、というときは最後の手段としてアニメイトに行く。これまた幸い、アニメイトも近くにある。
俺はアニメイトがあまり得意ではない。キャピキャピした感じがどうも落ち着かない。漫画やアニメは好きだがグッズの類を買うほうではなく、それに漫画以外の書籍も好きなので自然と本屋に足が向く。しかし本屋にない漫画がアニメイトにはある、ということが結構あるのでそれなりに利用する。ただ逆にアニメイトにない漫画が本屋にはある、ということもままある。
先月末、数カ月ぶりにアニメイトへ行った。目当ての漫画を見つけて安堵し、レジへ並ぶ。前に二、三人客が並んでいる。
ぼうっと前にいる男性客の黒髪の中に入った赤とオレンジの中間のような色のメッシュ?を見る。大学生くらいだろうか。バンドでもやっているのだろうか。派手な髪をしているとすぐバンドと結びつけるのは浅はかだな。ではなんだろう。…………ネイルアーティスト……いやわからん。
などと考えながらふと隣の棚を見るとストッカーから上5段目あたりにカードキャプターさくらの主人公さくらの絵の描かれた、ハガキ大の大きさのプラスチックの板が5種類ほど並んでいる。
良い。
これはなんだ。大きな白いベレー帽をかぶったさくら、いやさくらちゃんや、不思議の国のアリスをイメージさせる水色を基調としたトランプの柄の入った衣装を着たさくらちゃんなど、CLAMP筆なのだろう、水彩?で塗られて描かれている。描き下ろしなのだろうか。雑誌のカラーページか何かで使われたものなのだろうか。
良い。
目を奪われる。手にとって見る。裏返す。アクリルスタンドと書いてある。アクリルスタンド、というものの名前は聞いたことがあったが実物を初めて見た。なるほど台座のようなものが付属されている。ここに立てるのだろう。
良い……
ただ俺はカードキャプターさくらの情報だけは昔、暇なときにウィキペディアで見てなんとなしに知ってはいるが、ちゃんと視聴ないし拝読したことはない。しかしそんな俺でも目が離せなくなるほどここに並んだアクリルスタンドに描かれたさくらちゃんは素晴らしい。なるほど2ちゃんねるに専用の板ができるのは伊達ではない。知世ちゃんに毎話毎話着せ替えさせられるのも伊達ではない。
客の列が前に進んでも後方にあるアクリルスタンドを眺めてしまう。
良い…………
買おうかどうか迷っているうちに列がまた進み、会計が進み、店を出る。
今月末は約一年ぶりにブルージャイアントの新刊が新章と2冊同時に出る。今月は他にもアリスと蔵六や放課後ひみつクラブ、エノモトのザ・キンクスも楽しみだ。
それとあのアクリルスタンド。日が経つごとに恋しくなる。あれを手に入れるために今月はアニメイトに行く。
ブコメ諸氏情報ありがとうたまたま今日休みだからすぐ行ってくる
追追記
無事手に入れることができた。ブコメトラバ諸氏情報ありがとう。重ねて御礼申し上げる。まさかそんなに足のはやいものとは知らなかった。
全6種あったものから気に入ったもの4つ選んで買ってきた。全部いってしまっても良かったんだが、そこまで気に入ってないものを買ってもな、というのでそうした。
これをどこにどう飾ろうか、という楽しみが今生じている。