「相対主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 相対主義とは

2019-10-09

anond:20191009222432

少なくとも俺は「恥の意識」があるので

自分が属する陣営(俺の場合キモくて金がないおっさん)"だけ"を擁護するのは

みっともないという考え方をしている

同様に、もし自分が女だったら「女だけが不幸・かわいそう」と言い立てるのは

はしたないと思ってるだろうと思うし

そういう意味での公平感というか

自分が属する陣営"も"含めて相対主義的に見るかという問題

(注:逆に自分が成人男性から成人男性のみを過度に貶めるつもりもない)

2019-07-02

anond:20190702231631

同じ21世紀にでも横にずらして考えれば、いまだに焼畑農業やっとるような最貧国ごろごろある

インドなんか最新のIT技術者がおる一方、女児が生まれたら即殺すとか、幼児人身売買婚とかいまだに多数ある

もちろん、現代標準的日本人勤労者には関係のない話

ただ、何が言いたいかというと、現代標準的日本人勤労者イコール永遠普遍宇宙の大常識みたいに言われてもなあ、という次第

単に俺個人が、そういう世界史視野相対主義視点を持てば、40過ぎて未婚で最底辺(ただし先進国日本の中で)の自分がずば抜けてダメで不幸とも思えない、もっとダメで不幸な人はいっぱいいる(いた)よね、と気分が楽になるから、そういう考え方をしてるだけ

(俺個人自分を納得させるための理屈から、当然、貴殿同意しなくて良い)

ただ、丸一年後、たとえば巨大な災害やら北朝鮮の暴発やらで、日本がもはや平和先進国ではなくなり、北斗の拳世界になっているという可能性も(可能性だけは)有史以来、常にある

何が言いたいかというと、たまたま今目の前にある社会絶対不変とは限らない、と

そんだけっす

2019-05-25

らくがき

なるべく多くの人間に影響力を持ち、実際には存在しないインターネット世論誘導した上でどこまで現実に影響を及ぼせるのか?

まえがき

 増田やSyamuなどインターネット汚物国会にまで持ち込まれるようになり、アラブの春の後始末すらまだ終わっていない現代社会において、SNS上での衆愚扇動安全保障上のリスクになることは自明であり、かつてアカサボタージュまり働かない労働者によって生産性を下げる攻撃という概念を持っていたように、インターネット上にフェイクないしある方向に誘導する情報を撒き散らすことによってインターネット利便性を下げる攻撃世論誘導する攻撃という概念が生まれている。

 白人至上主義を煽るアメリカ大統領戦や嫌韓感情を煽る自民党への囲い込みなどに実際に実用されているがここではご家庭で簡単に始める衆愚扇動のやり方と大規模な攻撃への発展アイデアを紹介したりしなかったりする

ネット扇動の現状と課題

 従来の方法としては専門の業者に依頼することやインターネット有象無象に依頼することなどが挙げられる(例 クラウドワークス文字流れる動画を作るように依頼する、自民党ネットサポーターズクラブ、火消し業者ネットに強い弁護士)これらはいずれも金銭がかかり、また効果に疑問点がある。これらを発展させたものが前述の大統領選や囲い込みであり、方法としてはカルトの手口を併用したものである(この手口は非常に洗練されており、インターネットサロンプログラミング塾など様々な場面で活用されている)。これらには社会的弱者を狙い、参加への誘因として憎悪を使い集団への帰属感を与えた上で孤立させるという倫理的に悪影響がある手法を用いるうえ参加者一人ひとりの質に問題があるため二次拡散に期待できず(せいぜい彼らの狭い交友範囲内で、それもこの手法過程で消える)頭数のみが重要場合しか価値がない→集金、選挙など 金を絞れればいい=生存していればいい ひらがな候補者名がかければいい=初等教育を受けていればいい ために汎用性に欠けてしまう。

有効解決策と方針

 これらの従来の扇動方法の弱点を解決するためには、ターゲットとして

 ・一般ユーザー 友人とのやり取りや好きな話題を話すアカウントを持つ(複数場合もある) /実際の世論形成を担う

 ・パワーユーザー ツイ廃など依存症的な人々 POSTの大半を占める /扇動内容の二次拡散を担う

 ・文盲 三語文が読めない感情的な人らまたはお気持ちの人 (神が絶対でそれとの距離は個々人で差はないという論理が起点となっている平等主義相対主義しか働かない近代的理性は相性が悪くて、平等の完全な実現に伴って相対評価の理性から絶対評価のお気持ち時代になるためお気持ち勢は増える) /社会多数派 頭数や実弾はここから湧く

 ・インフルエンサー ダークウェブで買った人は含まない /ネットおもちゃ

 ・扇動者 /同業者 単純に人手が増える

を含める必要がある。

 またゴール地点として「予め設定した枠の中でしか議論をしなくなる」ということを設定する。

  成功例:中国政府言論統制自国への批判は許すが自国への行動は許さない。体制の揺るがない範囲での体制批判許可している。また人民海外メディアアクセスする必要があるという発想をそもそも持っていない。

 では何をするべきか?前提としてダークウェブウェブよりウェブウェブのほうが断絶していることに注意する必要がある。通常のおおよそ全ユーザーに到達するウェブコンテンツとしてはネットニュースがある(これは各サイトサービス配信またはキュレーション//死ね//という形で再配布するため)この分野ではオールドメディアが依然強く、また権威つけあるいは盲従するためのハードルを下げる手段として有力である。 これに載るためには犯罪者自然風物になるという方法もあるが扇動コントロールが難しく、再現性が低い。また扇動者が現実露出する必要があり、リスキーである。それでは有名人になった上で何かをする芸能人枠かネット意見なるもの枠を取ることが現実的であろう。虚像芸能人成功例としてゆるキャラやVirtualBeing、初音ミク等などがあるがこれらは地域PR手段とかロール、インターネット集合知のためのキャンバスといった色合いが強く(VBはよくわかんない、ごめんね)自分からアクの強い意見を発信したり誘導を仕込むことには向いていない。これは各政党ゆるキャラ名前を私が知らないことからもわかる。

 SNSインターネット世論などという汚泥のレンガみたいな概念焼成してオールドメディアに取り上げてもらいそれがネットニュースで配信されることで(インターネット蝗が多ければi.e.よく燃えていればPVPRが上がる、この点でももともとの火力は大事)各層に浸透、一定割合が仕込みの終わったSNSでよくわからんことをよくわからんままに自分意見として話し合ってくれれば成功というのが筋が良さそうだ。

 これのモデルケースが「幼稚園落ちた日本死ね」ではないか扇動者がいたかどうか知らないがこれは可燃性の高い話題が溜まった憎悪を焼き固めてこれを拾ったオールドメディア国会まで打ち出したという構図に見える。 (三次元物体視点の違いで違う形に見えるのでここに対する批判は致命的なもの以外許して)

実践SNS

 一般的なアカウントの肥大化のさせ方どうりにやればいい

 ポイントとしては

   弱小、個人アカウントにはDMを多用し優しくする,マシュマロ等利用する

   可燃性は最終的に的にする場合以外下げる

   話題にはのる

   TLがサーカスであることを理解する

 ここで文章自動生成とかを使うと戦略兵器になる 普段ネット定形構文のおもしろネタトレンドへの言及をしつつ誘導イベント祭りの発生時に扇動 数で勝負できる

実践フェイサイト

 しらない 詳しい人かい

思考囲い

 周りのすべてが一定の枠組みの中の視点しか持っていなければ一般人は前提を疑わないために容易に思考を囲い込むことができる。現実での多数派を囲えれば十分世論は枠にはめられるので一般ユーザアクセスしうる範囲だけ誘導できればいい。実践としては検索結果一ページ目とSNSトレンドSNS上の各知的社会階層からそれぞれ賢そうに見える人らで十分だ。あとは勝手拡散していく。

 検索結果一ページ目はフェイサイトやらまとめサイトやらで埋めればいいのではないですかね ある健康食品だったたかサプリメントだったかWikipediaから解説サイト体験談などなど全部フェイクのサイトたくさん用意しててすごいと思ったみんなも真似しよう わかりやすいのはヨーグルト関係、腸内細菌とかまともに調べられなくて困っちゃうわー

 SNSトレンドにはわかりやす正義とわかりやす攻撃手段を作って喧嘩させれば良い まずツッコミどころのわかりやすい的を作ってそいつに暴れさせて、その後適度にわかやす武器を配れば勝手に燃やしてくれる 異常者が全面に出るように小さなコミュニティを的にするのが合理的(異常者を演じる、あるいは操作する際に少ない人数で大きな割合を占めることができる また支援者絶対数が少ないため横槍が入りにくい)この過程視野を狭め議論の枠組みを狭めることができる

 SNSの賢そうな人らには「売出し中でフォロワーを増やしたいと思っているアカウント」に見えるアカウントを用意する(このアカウントは誘導したい方向と逆かあるいはジャンル違いのアカウントにする。一般的なフォロワーを増やす過程で前者なら過激な方向へ誘導しつつ意図的意見に穴を開けておき、後者なら誘導したい方向へ偏らせるか誘導方向と逆の方へ過激発言をそれぞれ不利益の無い程度に行っておく)

 過激アカウントかつ誘導方向と逆向きであれば失礼な発言から無理筋議論へと持って行き自分フォロワーないしファンネルを焼いてもらい、その後改心宣言か狂犬として噛み付いて回る 

 温和なアカウントかつ誘導方向であれば話しかけてフォロバしてもらうそれ以降は穏健な交流を行い人の流動性を高める 最終的にはこのジャンルならこの人というポジション確立する(彼らの思考の外部委託先となる)

 以上3つが達成できればあとは何もしなくても世論形成される。

 これらの行為普段からインターネット上で盛んに行なわれているためそれぞれが少しずつ意図する方向に向かうよう仕込むのが一番楽だろう。具体的にはその誘導に囚われることで何かしらの利益他人に与える仕組みを考える。例えばある特定意見偏向したサイトを作ると儲かると特定意見SNS上で発信すると気持ちいいといった誘因を作ればいい。うまくいっているのが婚活とか恒心とか

まとめ

 飽きた 

みんなやってることだな! 文章にするとおもしろいな!

2019-05-04

anond:20190504075341

としても現存する表現結構な部分にダメージ行く規制は受け入れられないか

そういう相対主義的な議論はなあ

2019-02-28

会田誠批判絶対さない人たちがたくさんいるのが不思議

芸術作品から批判的に見られるのは当然だ。

なんでも絶賛するのは鑑賞態度としておかしい。みんな違ってみんないいみたいな思想なのかな。芸術なんて言ってもほとんどはゴミだよ。

自分に軸があればその観点自分価値観哲学、美意識から良い悪いの評価を下すのはごく普通のことだ。

何か言っているようで何も言っていない相対主義者たちが俺は一番賢いみたいな態度でいるのはとても滑稽だ。

まず君らがどの立場から物事をどう見ているのかを明示しなければならない。君は完全に客観的存在ではないということ。君は君の場所から物事を見ている。だから君は完全な俯瞰などできない。君がどう感じどう考えたのかを語るべきだ。

「みんな違ってみんないい」それはわかった。で、君はどう思うんだ?

2019-02-01

日本人相対主義

明石市市長の件も野田教育委員会の件も

どんな事情があろうともダメものダメ

こんなもん許しちゃいけない

特に人権意識の高いはてな民が同情してるのには違和感

2018-12-28

怪談と隣人―波勢邦生「トナリビトの怪」を読む

【読んだもの】本を購入しようと思ったら、リアル書店ネット書店最近では出版社による直販(弊社もやってます)などさまざまなあるかと思いますが、今回ご紹介したい『アーギュメンツ#3』という評論誌は「手売り」、つまり関係者による直接販売というきわめて珍しい流通チャンネル選択した書籍です。売り方の時点でかなりチャレンジングな企画なのは明らかで、魅力的な論稿も多数収録されているのですが(レイ・ブラシエ(佐藤正尚訳)「脱水平化―フラット存在論に抗して」や、大前粟生さんの小説断崖」もすごかった)、その中の波勢邦生さんの論考「トナリビトの怪」が本当に本当にすばらしかった。ので、今回はそれについて書きます

当該論考のテーマをおおきくまとめると、理性的自己判断できる存在としての近代主体(いわゆる「強い主体」)の淵源にあるものとしてのキリスト教という一般的イメージに対して、ハワイ日本沖縄におけるキリスト教受容史をふりかえることで別の可能性(本書でいう「隣人」)がたちあがる場としてダニエル書・イザヤ書を読みかえすという試みといえます

いろいろ論じたい点はあるのですが、とくに筆が冴えるのは、小原猛『琉球奇譚 キリキザワイの怪』に紹介されている怪談ジーマー」の話です。曰く、ある男性が「ジーマー」という老婆に「神様用事の手伝い」を頼まれる。それは波上宮という砂浜で、彼女三味線に合わせて民謡を歌うというもの。そこで事は起きる。

知ってる歌は歌い、知らない歌は手拍子うつ適当にこなすうちに背後の砂浜に人が集まりはじめるが、おしゃべりの中に英語やうめき声が聞こえるなど、奇妙な何かがそこにあった。徐々に不審なおもいにかられたその男性は後ろを振りかえる。「すると、そこには誰もいなかった」やがて夜も明けて、ジーマーの三味線も鳴り終わったあとに砂浜をみてみると、声が聞こえた場所には子どもをふくめた無数の足あとが残されていたという。こうした情景に、その男性は戦争太平洋戦争のことか?)の傷跡を読みとり、波上宮鳥居を抱きしめて泣く。「みんな死んでしまった。父親も、幼馴染の友達も、学校の恩師も、みんなみんな死んでしまった。自分は生き残ったが、果たしてこれは良いことだったのだろうか。自分のようなくだらない人間が生き残って、優しく勇気のあった友達や、才能のあった人々が死んでしまう。この差は何なのだろうか?」(30ページ)

この「ジーマー」は沖縄固有の物語ですが、波勢さんはここに「死者との交換可能性」という「怪談本質」を見ます。生者と死者の想像力が同時に起動する場所、そこに怪談という物語は立ち上がる。そして同論考にとって重要なのは、この「怪談想像力」はキリスト教テクストにも見出されるという点です。

(「怪談として聖書を読む」というこの箇所は本稿でもっとも屈折し、そして読みでのある所なのですが、そこはあえて飛ばします。気になる方は「アーギュメンツ#3」をお買い求めください)

この怪談という想像力からみて、「西洋近代的自我による主体区分による解釈は、恣意的グロテスクな切断」(34ページ)となりますしかバベルの塔神話が示すように、神は常に「言語文化を奪われたものの側に立ち上がる」。つまり強き主体の側にではない、という点が重要です。

「神は奪われ排除されたものの側に立ち上がる。歴史と非歴史境界で『主体』と『弱い主体』を隔てる壁は消失し、ありうべからざるものが現れた。」「ぼくはそれを『隣人』という言葉に求めたい。なぜなら聖書において隣人とは、まさしく自他の交換可能性を示す言葉からだ。」「隣人が現れるとき、『神を愛せ、己を愛するように隣人を愛せ』というイエスの声が、聞こえ始める。隣人は、神の赦しを伝達するぼくらの似姿であり、またぼくらの赦しを待つ異形のものでもあったのだ」(35ページ)

ここで提示された「隣人」は、大仰で圧倒するような<他者>、私たち理解を拒む絶対的な<他者>ではないでしょう。どこにでもいるあなたであり、わたしであり、そして誰かです。これはブルーハーツの歌に出てくるような、といっていい。そう思います。(すこし恥ずかしいけれど、いや、しかしそう言ってしまっていい)

「隣人の思想」、波勢さんの論考が到達した地点をそう呼んでいいと思うのですが、ここで示された思想の内実とともに、この思想に至る論述あくまでもキリスト者としての波勢さんの信仰に貫徹されている。ここに本稿のもうひとつの傑出した点があります

たとえば「昨年11月、九三歳で祖父が死んだ」ではじまる本稿は、「キリスト教信仰告白せずに死んだ祖父天国でないどこかへ行ったのではないか不安になった」という文章地の文で、鍵括弧抜きで出てきます。たぶん信仰をもたない人にとってこの一文は、理解の遠い、「向こう側の人」の言葉に聞こえるのではないでしょうか。(本稿の最後、註のラスト文章も「神に栄光、地に平和、隣人に愛と怪。感謝して記す」です)

聖書怪談として読む」という本稿の試みをもし信仰をもたない人がするならば、さじ加減をまちがえたとき即座に「他者信仰否定」になるでしょう。でも、波勢さんはあくまでも信じることで聖典を読み替える(またはこれまで読まれなかったものを読み解く)という姿勢を貫く。そこにこのテクスト独特の緊張感と救いがあります

イスラーム法学中田考先生や、このたび『トマス・アクィナス』でサントリー学芸賞を受賞された山本芳久先生などもそうですが、これまで護教論や宗学として避けられがちだった信仰自身による学問考察のいくつかには、相対主義決断主義あいだでさまよう私たち課題を乗り越える何かがあるように思います。私にとって本稿はまちがいなくその一つです。そう断言していいものがこの論稿にはあると考えます

以上、編集Aは自社本を紹介していないどころか本すら紹介していないのではないか疑惑もあるのですが(広報誌とか、雑誌特集号の論稿とか)、これにて「トナリビトの怪」の長文の感想を終わります。ご清聴ありがとうございました。

2018-12-10

anond:20181210121348

そのような相対主義立場をとるのであれば安楽死需要に応えて安楽死を導入しても人類等価なので

反対する理由もないでしょう

2018-12-04

anond:20181204140919

あなたとは理解し合うことはできませんね

バンドマン()なんかに本物の音楽は作れませんよ

相対主義者は貧困な中に玉を見つける自分に酔ってるだけ

アカデミズムを敵視している連中が本物を見せたことはありません

2018-11-01

anond:20181101121533

単に相対主義について言ってるのかと思ったけど、その相対的な考えに対して「じゃあその考えはどこから自分意見?」と問うような内容に思えた。

カズオイシグロが言ってたポピュリズム批判にも似ている気が。

2018-10-03

id:otsuneid:hagexの遺族に何を吹き込んだのか?

http://otsune.hatenablog.com/entry/2018/07/03/030608

遺族は残念ながらネット上の人格についての事情を細かく把握していなかった。

「細かく把握してなかった」って、"ゲス野郎キチガイを煽ったら返り討ちにされて殺されちゃいました(笑)"でもう大体の認識は把握できるんじゃないの?

まさかとは思うけどおっつねさんもしかして岡本hagexの事を遺族に「インターネッツを使って愛と正義のために悪を裁いた偉大なる聖人であるかのように吹き込んだりしてないよな?

正しくは「他人ゴシップのためならおよそ関係のない人間を巻き込んでまで中傷を行い続けた真性のゲスでありいつ殺害されてもおかしくなかったチキンレーサー(自爆)」だろうが


https://anond.hatelabo.jp/20180625202047

https://anond.hatelabo.jp/20180626014530

おっつねさん、顕一郎の遺族に上の記事読ませてちゃん「真実」を伝えてあげてくださいね

はいけませんよ、嘘は。



あ、顕一郎はドラッグ銃器を買えるサイトの使い方に関しても事詳しく紹介からそういう面も忘れないで伝えてあげてね♪

相対主義言い訳にして「注意を喚起たかっただけでしゅううう~~~~~」って周りの連中はアクロバティック擁護すると思うけど

http://www.pinkhacker.com/entry/2016/11/01/080000

http://www.pinkhacker.com/entry/2016/11/07/100000

anond:20181003162102

そういう相対主義を持ち出すなら、俺のオタク下品だって考えも尊重しろよ。

オタク別にお前の考えを踏みにじってるわけじゃない。お前ら性嫌悪ファシストと違ってな。

日本国民として当たり前の自由享受してるだけ。

先に線を踏み越えて攻撃してきた分際で尊重しろとは片腹痛い

2018-07-31

anond:20180731223945

そういう相対主義的な上辺だけの言葉を書き込むことこそ慎むべきなんじゃないか

増田本心から面白いと思ったのか?

世界の何処かに面白いと思った人がいる可能性がゼロではない、みたいな言説になにか意味があると思うのか?

2018-07-13

anond:20180713173510

 いや待て、そもそも俺はトラバトラバ元のトラバ元のトラバを書いていないし書いた覚えがない。俺はトラバ元の文章を読んで不意に、きまぐれに「もし自分の頭がおかしいのだとしたら、おれは自分の頭がおかしいことをどのように認知すればいいのか」と思って、あのトラバあてにトラバを書いただけだ。つまり、俺が書いたトラバトラバ元のトラバ元を見返し、「このトラバ元のトラバ元を書いたやつは頭がおかしい」と考えたとしても、それはトラバ元のトラバ元になりすましトラバを書いた俺が頭がおかしいことの証明には成りえんのだ。

しかし、俺がトラバトラバ元のトラバ元のトラバを書いていない、すなわちトラバトラバ元のトラバ元のトラバ書き手が別人であるということは、はてな匿名ダイアリーにおけるビッグブラザーたるはてな以外には知りえないし証明し得ないから、俺のトラバトラバ元のトラバ元のトラバトラバトラバを書いた俺がトラバトラバ元のトラバ元のトラバを書いた人間と同一人物であるしか見なしようがない状態にあるわけだ。

するとだ。もし俺の頭がおかしくないのだとすれば、俺が説明材料としようとしていたこと……俺の頭がおかし可能性についてみずから言及し、少なくとも俺は俺の頭がおかし可能性について考察出来る程度の一定論理性をその身に有していることになるし、俺は「俺は頭がおかし可能性を有しているが、頭がおかし可能性を有しているという事実を自ら導き出し、俺自身意思によってそれを承認出来る程度には、頭がおかしくなっていない」と言えるかもしれない、という状況が、根本的に変質してきてしまうんだ。

 俺は俺が書いたトラバトラバ元のトラバ元および俺が書いたトラバトラバ元の会話上に、言うなれば「“トラバ元のトラバ元”と“トラバ元”という2つの人格しか通常認め得ない領域」に入ってしまったがために、意図せず俺は俺の人格としての固有性の一切が認識されない空間の内部へと、割り込んでしまった――俺が俺としての人格承認されない空間に割り込んでしまったのだ。さらに言えば、それがために、俺は自ら“俺固有の理性”というもの放棄してしまったのだ。そして、俺が“俺固有の理性”を放棄してしまったがために、俺が考える「俺の頭がおかしくないことの説明」は一切の意味を持たなくなってしまった。それは仮に「俺は頭がおかしくなっていない」という絶対的事実を俺が有していたとしても、“俺固有の理性”が承認されない空間では、「自分のことを自分ではないと言っている頭のおかしいやつ」にしかならないし、“トラバ元のトラバ元”と“トラバ元のトラバ元のトラバトラバを書いた俺”とがそれぞれ別個の人格を持った人間であるという認識他者に強いたところでそれは証明し得ない事象に対する「自分はこのように感じられるからそういうことにする」という相対主義理屈……「私はあれがシカクに見えるが、お前があれはマルであるというのならマルであるということにしてもいいし、そういう解釈をすることもできる」という話にしかならない、ということだ。だから、“俺固有の理性”のゆらぎが収束することはなく、どちらにしても「俺が頭がおかしくないことの説明」は何の意味もなさないわけだ。

しかしながら、ここまで考えたところでなんだか俺はよくわからなくなってきた。俺がトラバ元のトラバ元とトラバ元の二人格しか承認し得ない空間に割り込んで俺固有の理性を放棄してしまったところまではいい。しかし、俺が俺が書いたと認識している今俺がトラバを書いているトラバトラバ元にお前がトラバを返したということは、つまり俺は“俺固有の理性”をお前に知覚されたこと、承認されたことにほかならないのではないか

だとするならば、今俺がトラバを書いているトラバを書いたお前に「お前は頭がおかしい」という返信を俺が送られたのならばだ。お前が俺のトラバに対して送ったその文言が持つ意味に反して、「“俺固有の理性”の復活」を意味するのではないのか? ――だって、“俺固有の理性”を喪失させた今俺が書いているトラバ元のトラバ元のトラバ元のトラバ元の人間は、このトラバを受け取っていないわけなんだからトラバ元のトラバ元のトラバ元のトラバ元の人物と、このトラバとこのトラバトラバ元のトラバ元を書いた俺という人格は、俺の現状の認知上でははっきりと区別できる状態になっている。俺が有している「俺自身認知への疑義とその疑義承認」が意味を持つことになるのではないか

まったく、頭がこんがらがってきた。そもそも今俺が書いているトラバトラバ元のお前は誰だ? そもそもお前こそ、お前が確かな認知の上に事物を適格に知覚し遠隔的に今俺が書いているトラバトラバ元のトラバ元のトラバ元のトラバ元のやつとトラバ元のトラバ元のトラバ元のやつそしてトラバ元のトラバ元たる俺という複数人格が並びたつトラバに参画し発覚している事実をもとに正確に論駁しているのだといった顔をした不明確な人間――あるいは新たな“自分固有の理性”の喪失者ではないのか? お前は自らの手で喪失していた俺固有の理性を復活させたしまたそのことでこれまで前提となっていた諸条件をほとんどまったく打ち壊してしまったのだ。お前がトラバを送ったことでお前が踏まえていた諸トラバの均衡がまったく崩れてしまったのだ。そしてそうなった現在の時点におけるお前のトラバは全く意味を成さないし承認に値しない。俺はお前が俺に付けたトラバを退けるぞ。俺がお前の意見承認するのは、お前がお前が崩した諸トラバの諸条件をお前の理でもって再び正してからだ。さあ、お前の番だ


こ の ま す だ は ね た で す ほ ん き に し な い で く だ さ い

2018-06-02

anond:20180601225244

詭弁の特徴のガイドラインのようなものですね。

私が嫌に思っているのは、下記です。

パターン12「間違った相対主義2(勝手取引)」

A「は? 1+1が2なら別に1+1が4だったり5だったりしてもいいってことになるんだが? おまえはそれでいいの?」

私はこのようなものを「的外れ比較」とか「的外れな例え」と呼んでいます

「1+1=2」と「1+1=4」を比較しているとか例えていると解釈してです。

・「1+1=2という論理でいけば1+1=4と言ってもいいことになる」

・「1+1=2と主張するのは1+1=4と言っているようなものである

このような詭弁を主張する人が見られます

ついでに言うと、自分にとって都合のいい結論根拠にする人もいると思います

・「1+0=2だぞ。だから1+1=3だ。」

さらにおまけの話ですが、「もう来ません」と予め言っておく人も見ました。

2018-06-01

事実関係の間違いを指摘されたときネット人間の反応


A::「1+1は3である

B:「いや、1+1は2ですよね」



パターン1「いきなり定義範囲が広くなる」

A「2も3も誤差のうちでしょう。±1の違いくらいよくあるし、私の言いたいことの本質ではない」


パターン2「いきなり定義範囲めっちゃ広くなる」

A「2だろうが3だろうが50だろうが数字であることには変わりありませんよね? わたしが言いたいのは、1+1の答えは数字である、ということなのにどうしてそうやって悪意ある解釈をなさるんですか?」


パターン3「相手属性否定する」

A「Bさんはウンコシナモンをつけて食べる主義の人です。ウンコシナモンをつけて食べる人の主義の人に算数ができるわけはない」


パターン4「なかまをよぶ」

A「RT:C『またAさんに算数で絡んでいるバカがいるwおつかれさまですw」 RT:D『普通に考えて1+1は3なんだけど、あたまの悪い人にはわかんないんだなあ』」


パターン5「とにかく間違いを認めない」

A「いや、1+1は3ですよね? 世間一般的にも3なんですが」


パターン6「無視する」

A「これは今朝食べたアボカドウンコライス画像です」


パターン7「自分togetter にまとめる」

A「『1+1=3? それとも2? 算数を巡る大論争』をまとめました! - togetter


パターン8「論理根本から覆しておいて自覚がない」

A「1+1の話なんていつしました? 私が言いたかったのは、1×1=3だということです。ちゃん文章を読んでいればわかるはずですが」


パターン9「たとえ話だと言い張る」

A「1+1というのはあくまでたとえ話なのであって、議論本質ではないです」


パターン10「間違いを認めないまま、いつのまにか考えを修正してなかったことにしている」

A「別の考え方をしてみてください。2+2は4ですよね」

B「そりゃまあ」

A「4は1+1+1+1の和ですよね。ところで1+1は2なんですけど、このたび新発売になったうんこ豆腐カレー味ってどう思います?」


パターン11「間違った相対主義

A「算数の答えはひとそれぞれっていいますか、1+1が2の人もいてもいいと思いますよ」


パターン12「間違った相対主義2(勝手取引)」

A「は? 1+1が2なら別に1+1が4だったり5だったりしてもいいってことになるんだが? おまえはそれでいいの?」


パターン13「間違った政治主義

A「1+1が2だと主張する人によって、これまで社会は歪められてきたんです。1+1=3は間違いかもしれませんが、世の中をずっとよくしてくれる」


パターン14「後づけでパラメータをいじる」

A「よく見て下さい。これは1+1=ではなくて田んぼの「田」の字を解体したものです。私が言いたかったのは田=3ということだったんです」



飽きたので後は各自勝手に足したり減らしたりしてください。

2018-03-11

anond:20180310235133

こういうのは「他人迷惑かけずに、抵抗せずに工夫もせずに、孤独死ね」としか言えてないし、何の発展もないからね。

人間以下の主張だよ。よくある相対主義者のどん詰まりパターン当人は何も手放さずに言ってるから、まぁ質が悪い。

2018-03-07

anond:20180307004928

相対主義を気取る奴って、なぜか「中国共産党がくだらないのと同じように自民党もくだらない」みたいに、自分の属する陣営には相対主義が働かないのはホント不思議だよね。

anond:20180307002816

相対主義冷笑主義ってのは実質的権力構造の温存を意味するんで、右翼親和性高いんだよね

正確には権威主義者や日和見主義者かもしれんが、社会的には「反左翼」として機能する

anond:20180307001228

それはウヨサヨ以前の単なる相対主義(あるいは冷笑主義)かなあ。

実際に、世界残酷バンバン死ぬ系の話だと政府権力も無力に描かれるからファシズムロマンも成立しがたい。

そういう世界観だけどハッピーエンドを目指す作品だと、世界残酷からこそ助け合いヒューマニズム必要って話になるし。

--

その手の作品だと、たとえば『がっこうぐらし』はウヨ的ともサヨ的とも言えん、ただのサバイバル話。敵は人間ではなく疫病(自然災害)だから

元祖映画ゾンビ』のアナーキーで無法な廃墟風景は、ベトナム戦争敗北後のアメリカの、一種の「平和で豊かな強国アメリカへの幻滅」が背景にあるとか言われるけど。

2018-02-04

俺TUEEEとか全然本質的じゃない。

そもそも強さとか相対的ものなので、自分対象Aより強いってのは、対象Bと自分関係に影響を与えないのだ。俺TUEEEEとかその意味全然重要でも本質的でもない。

俺TUEEEEに期待されているのは「対象にはアクセスできない権能や理由によって俺の強さが保護される」という非対称性だ。たとえば、原始の荒れ野においてそれは一本の棍棒だ。その取るに足りない棍棒が、「俺専用」であり他者からアクセスできないとする、その非対称性こそが俺TUEEEEの魅力であり、爽快感の源泉なのだ

著名人への匿名批判でも幼稚園に俺だけ通わせろでもそれは全く同じ構造で、「俺にだけアクセスさせろ」なのだ双方向とか相対的なのは気持ちよくない。公平でゲームバランスがよいなんてくそくらえ。

現実世界はおおむね相対主義だしダブスタ忌避される。しかしその忌避されるものこそ手に入りさえすれば蜜の味なのだ

他人差別糾弾しつつ自分差別放題がエンタメなのだ弱者である自分は救済を共用するが、自分自分より弱者を救済しないのだ。戦闘にもならない片殺しが人々の願いなのだ

強いことなんて面倒だ。なぜなら強いということから利益を引き出すためには戦闘を経なければならないからだ。そんなの手間がかかりすぎる。求められてるのは戦闘ではなく優遇だ。俺は自由謳歌したいが俺の自由を支えるための不自由は俺以外の誰かが義務として背負うべきなのだ

2017-12-27

ポモで埋まった異世界生活

https://twitter.com/shinkai35/status/945771033696509952 へのリプライです。書くところが無いので、ここに書きます。この話は全てフィクションで、実在人物組織には一切関係ありません。

1.ブラウン管に広がる世界

その日、文筆家しんかいはPCから出るピピピ・・・と言う異音で目を覚ました。翌日が休日である事に安心しきって、ついついツイッターリツイートされてきたポストモダニスト著作いかおかしい話であるかを語っていたはずなのだが、顔にキーボードの模様をつける結果となっている。実感は沸かないが寄る年瀬には勝てない。相対主義が何を主張しようが、ヒトにはその限界がある。そんな事を思いながら、テレビスイッチを入れようとしたとき、しんかい異変に気づいた。

部屋に置いてあるそれは、平面的で画面が大きな液晶テレビではなく、画面は小さいが奥行きのある立方体、昔懐かしいブラウン管のもので、ダイアル式のスイッチチャンネル選択するそれだ。電源のオン/オフ金属トグルスイッチがついており、もしかしたら産まれから実際に目にしたテレビの中でもっとも古いものかも知れない。背面から出て壁につながっているテレビ線のコード同軸ケーブルではなく、平たいプラスチックの両端に二本の細い線があるものだ。もう平成も終わろうとしているのに昭和過ぎる。が、昭和であってもテレビの裏の埃は変わらない。くしゃみが出てきた。

パチンと電源を入れる。ヴォンと音を立てた後、数秒の間を置いて粗い絵が映し出された。4Kや8Kのテレビ宣伝をみるたびに、もう走査線の本数を向上させてもと思うが、いやおう無しにでもその重要性を認識せざるを得ない絵だ。北朝鮮テレビよりひどい。2017年12月27日、朝7時のニュースが始まった。アナウンサーの「おはようございます」は、普段通りの番組だが、他は普段通りとは言い難いものであった。見慣れたコンピュータグラフィックス今日見出しが、アナウンサーの横の黒板に置き換えられている。ボードですらない。何より、国家放送第一と言っている。

しんかいチャンネルを回してみた。チャンネルはかくんと90度づつ回転し、四つしかチャンネルが無いことがわかる。ぐるっと一回転させる。四つあるチャンネルのうち、一つは白黒の画素が激しく入れ替わるノイズが流れていたが、三つは使われていた。国家放送第二、国家放送第三、ノイズ最初国家放送第一。どうやら、国家放送しかないようだ。第二はこの時間帯なのに正しい文学について解説し、第三は老人が正しい体操実践している。しんかいは、この時点でテレビ登場人物全員が、カーキ色の上着を着ており、一列に並んだ大きめのボタンをきっちり留めていることに気づいた。

チャンネル国家放送第一に戻す。国民服のようなものを着たアナウンサーが読み上げるのは交通事故気象情報と言うところは、公共放送ニュース番組と同じだ。しかし、一つ一つについて解説を丁寧に与えていく。しばらく唖然としながら番組を見つめ、思わず「何だ?」とツイートした。ニュース解説があるだけであったら、驚かなかったかも知れない。しかし、先々月の災害被災者感情を、微分可能多様体と言う単語を持ち出して説明しようとしている。そう、ポストモダンだ。ポストモダンについては日本有数の知識を有すると自認しているが、寒気についてのポストモダン解釈は初めて聞く。

はっきり認識はできているが、全く理解ができない状況。自らの視覚聴覚を信じることができない。思わず、「テレビポストモダンになっている」となっているとツイッターに書き込む。「え、愛知だけでは?」「柄谷行人が死んだりでもした?」「ポストモダンに“なる”はおかしいだろう」とリプライが返って来る。誰もこのポモな国家放送を観てはいないようだ。ブラウザーポータルサイトニュースを見ても、特段、テレビ放送に関するものはない。ツイッターフェイスブック検索でも、しんかいと同じものを見ている人はいないようだ。

このブラウン管テレビけが、ポモな国家放送を流しているのであろうか。アンテナ線は壁につながっているが、これはモックなのであろうか。手の込んだ悪戯しか考えられない状況ではあるのだが、手の込みすぎたところが気になった。目の疲れを感じる。気づくと一時間国家放送を観ているのだが、同じ内容が繰り返し放送されているわけではない。チャンネルは三つ。ブラウン管テレビ昭和風ではあるが、チャンネルスイッチは特製だ。粗雑な出来とは言え、かなりの労力だ。現実とも夢とも断言できない。

しんかいは電器店にいって、他のテレビを観ることに決めた。冷静に考えればテレビを摩り替えられたとしか思えないわけで、窃盗警察に届出を行なうべきだが、この国家放送が持つリアリティがそれを躊躇わせた。無理な体勢で寝てしまったので二度寝の誘惑もあるが、“ブラウン”管からの一つの連想が心をざわめかしていた。ブラウン管発明者はフェルディナントだが、ポストモダン思想批判者にも有名なブラウンジェームズロバートブラウンがいる。

著作「なぜ科学を語ってすれ違うのか」でブラウンは、国家などの社会的構築物が必然ではなく、人々の考えの偶発的な結果によるものと考えると、社会が人々の考えを統制しだしてファシスト国家に陥る危険性を指摘していた。また、ポストモダン科学方法への懐疑は、科学の進展を阻害し、技術進歩を阻害する事になる。つまりブラウン管に映し出される世界徹頭徹尾ポストモダン支配された世界と言える。

ポモの危険性を指摘してきたしんかいにとっては悪夢しか言いようが無いのだが、しんかいは心踊っている自分自覚していた。日常からにじみ出る不穏な世界兆候アニメでは親しんだ別世界がそこにある。「けものフレンズ」は好物だ。このときしんかいは、柄谷行人の『日本近代文学の起源』の結核の話をすっかり忘却していた。ポストモダン思想支配された世界であれば、繁華街の電器店がいか危険場所であるかは、最もしんかい理解しているはずであるのにである

2.服装以外は昭和40年

テレビに見入っていたので気づかなかったが、家を出る前に、アパートの部屋が狭くなっている事に気づいた。振り返れば玄関が見える狭さなので迷子にはならないが、間取りも見覚えが無い。六畳一間と台所、バストイレ付きではあるが、便器和式である。昨夜、帰宅する家を間違えたのであろうか。しんかい映画パトレイバー the Movie」の帆場のアパートしか、似たような物件を見たことが無い。

机の上のPCの下には、書きかけの原稿用紙が散らばっていた。題は「科学のためのポストモダン思想からの脱却」とある。見覚えのある字ではあるが、自分のものを含めて久しく手書き文字を読んでいないので、誰のものかは思い出せない。大判封筒も置いてある。宛名は、自分であった。送り主は「鈴木幸子」とある。中はゲラ刷りで、赤が入っていた。出先で原稿を読もうと封筒を手に取る。

ポストが大きい金属製の重い扉をあけると、アパートの外側の廊下に出た。二階だ。表札は確かに自分名前が書かれている。鍵がないので施錠できないがやむを得ない。ところでここは一体どこなのか。スマートホンを出して地図アプリ位置検索をかける。すぐに「こんな所でスマホが使えるわけが・・・」と思うが、現在位置はあっさり示された。GPSの電波は届いている。インターネットも使えた。自分場所が異世界なのか、そうでないのか、明らかになってきた状況を元にしても判断が出来ない。

かなりの資力が必要になるが、古いアパートの部屋に自分を押し込む事は可能だ。しかし、衛星測位システム電波までは防ぐ事ができなかったのであろう。聖戦士ダンバイン以来、主人公が異世界に飛ばされる娯楽作品に親しんできたしんかいは、密かに期待した状況が否定されて落胆する。まだ十分な確信が持てないが、これは壮大な仕掛けの悪戯だ。街の中心部に向かえばはっきりするであろう。しんかいは、金属の音を響かせながら階段を降りていった。

5分後、しんかい自分が異世界にいる事を確信した。悪戯とすれば、神の仕業であろう。スマホ地図アプリ位置情報は機能していたが、道路の舗装が汚く、空気が汚れていて、高いビルが無いので空が見上げやすい。そして、旅行先でしかたことが無い路面電車が走っていた。しんかいの知る名古屋市には市電が無い。しかし、ベージュと赤と緑のカラーリング路面電車が走っている。地図アプリ位置情報は、間違いなく名古屋だ。

道を歩く人々の服装は、男性国家放送局アナウンサーが着ていた国民服女性もんぺ姿である。しんかいは人々が自分凝視するのが気になって仕方が無かった。しんかいの格好はPコートチノパンである。この世界では明らかに浮いている。この恥ずかしさをツイートして紛らわせたい衝動に駆られたが、文章だけでは何を書いても気がおかしくなったと思われるであろう。国民服もんぺ女性市電が映った写真を撮って、「ここはどこ?」とつけてアップロードをした。「戦時中名古屋市」とリプライがつく。

戦時中なのであろうか。朝のニュースではそのような事は一切言っていなかったし、テレビ戦後で、カラー化は高度成長期最中だ。昭和40年代ぐらいが相場に思える。状況を把握するために、一日中テレビを観ていた方が良かったかも知れない。古くて小さな家電店が目に付く。中に入ると、期待通りテレビが置いてあり、放送を見ることが出来た。店主は商売っ気の無い老人で、都合が良いことに客に関心がないようであった。テレビ出演者は全員、国民服もんぺであり、ドラマですらそうであった。アパートの部屋のテレビけがおかしいと言うのは否定された。

しばらくテレビに見入っていたが、空腹を感じてきた。何かを食べたいと思うが、この世界食事をとる方法が思いつかない。飲食店はあるようだが、市電で使われている硬貨は見かけないものだった。この世界で使える金を持ち合わせていない。このままでは行き倒れ、帰宅をしても孤独死になってしまう。途方に暮れたところで、家電店に若い痩せた男が入ってきた。肌が白い。「単一電池・・・」と言ったところで、ゴホゴホと口を押さえて倒れこむ。指の隙間から見える、鮮血。小説の中でしか知らないが、即座に結核と言う単語が思いつく。店主は男の様子を気にせず、「ろうがいかい。向かいの店のホメオパシーが効くよ」と電池を出してくる。これは、不味い。

しんかいは、危機を感じて慌てて電器店の外に出た。ドンと人とぶつかる。「ごらぁ、前を見て歩け!」と旭日章のついた帽子かぶってサーベルをつけたおっさん、明らかに警官に怒鳴られる。反射的に「すいません」と謝るが、警官はしんかいを上から下まで舐めるように見ると、「おまいさん、なんちゅー格好をしている。ちょっと署まで来い。三日はぶち込んでやる」と言い出した。その瞬間、中で物が落ちて割れる音がした。「お客さん、ちょっと、しっかり」と言う店主の声がする。警官はそちらが気になったのか、店の中に入った。

しんかいは、その隙を見逃さず走り出した。一瞬「逮捕されれば食事は出るかも知れない」とも思ったが、この体制国家的な異世界では逮捕されれば拷問を受ける可能性もある。どこにも行く宛てが無いと言うわけでもない。持って来た封筒の裏側には、住所が書いてあった。何者かは分からないが、「鈴木幸子」を頼る事にしよう。少なくとも、この世界のしかいを知っている人物である事は確かだ。

2017-12-19

乗り越えがたいが乗り越えたい「どっちもどっち

さて年末にまた大きな燃料がくべられたわけですが

今年もいろいろな炎上揉め事がありました。


今年の炎上揉め事に多くみられたのは「告発されたほうがクズだが、告発したほうも別件でクズ」というパターンです。

すねに傷があったり、言動問題がある人間がが告発者となったり、一方では被害者でありながらもう片方では加害者となる、

ある時はもてはやされた人間があるときは石を投げられる。


さてこのようなとき我々がつい思ってしまうのが「どっちもどっち」、心情としては非常にわかます、疲れますしつい楽をしてしまうのは人間らしい行動です。

ただ「どっちもどっち」で片づけたらその先が厳しいです。


なので「これはこれ、それはそれ」となります、ただこれをつらぬくときどうしても考えに強さが必要だったり悪しき相対主義だと文句をいう人がいるかもしれません。

しかしこれは向かいあいたいことです。


でも人間疲れてしまます、もうおなかいっぱいになるものです。

そこでそんなときは「どっちもどっちではないが、どっちも違うところで問題だ」、「AはクソだがBは違うところでクソ」だと素直にいう他ありません。


どっちもどっち」は妖怪ではないのです、だた人が「もう疲れたにゃー、どうでもいいにゃー」と思ったときに甘い誘惑をするものなのです。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん