はてなキーワード: 根暗とは
30代女だけど私も似たような経験がある
中学生の時、学校の出し物で当時大流行していた青春アミーゴをクラスのみんなで楽しく踊って撮影して上映会をしよう!っていうことになったんだけど
女子で振り付けをまったく知らないというのは私と生徒会長のたった2人で
頭脳明晰で運動神経抜群の生徒会長はすぐさま振り付けを覚えたけど私だけ何回やっても覚えられなくて当日涙と鼻水を垂らしながらぐねぐねと奇怪な動きをすることになった
私が小中学生の時ってジャニーズに興味がないのは私みたいなアニメばかり見てるブスで根暗なキモヲタかスポーツに打ち込んでる爽やかボーイッシュ女子くらいで
普通の女の子らしい女の子(流行に敏感でおしゃれ、コミュ力高い)はジャニーズが好きなのが当たり前で共通言語であり
その共通言語を持たないのであればスポーツの成績で尊敬されるとかそれ以外に誇れるものがないとクラス内で最下層に所属することになるっていうイメージだったから
最近「弱者女性の趣味と言えばジャニーズ」「ジャニヲタは弱者女性」「鉄ヲタの対義語はジャニヲタ」みたいに言われてるのを見ると
ええっ!!?ジャニーズと言えば強者女性の趣味では!!?と驚いてしまう
どこかでターニングポイントがあったのだろうか?K-POPの影響?
増田と同い年で同じ女のいとこちゃんがいて、他に男のいとこも何人かいたけどオカンは格別にその子に優しくて、みんなで遊びに行く時はいつもその子の隣、ショッピングモールに行こうものなら「いとこちゃんコレ買ったげる!」といとこがちゃんが好きそうなちょっと良いワンピースとかをなんの躊躇いも無く買ってあげていた。他のいとこにはそんなのしてあげてるの見たことない。「いとこちゃんとは気が合うねんな〜!」とよく言っていた。
オカンがそんなことをするもんだから、いとこちゃんのお母さんも別に好きでもなんでもないブサイク根暗の増田に気を遣って「増田ちゃんも可愛いお洋服探そっか」とか言って何か買ってくれようとするのが本当に申し訳なかった。
いとこちゃんは目鼻立ちくっきり系の可愛い顔をしていたので、オカンも可愛がりがいがあったのだろう。ただ行くたびにいとこちゃんとオカンがラブラブして、男きょうだいは男のいとこ達と集まって遊んでて、いとこちゃんのお父さんお母さんは別に増田にオカンみたいな熱量で絡んでくるわけではなかったので、いとこちゃんちに行くたびに強烈な疎外感を感じていた。
そしていとこちゃんはめちゃくちゃ気が強かった。機嫌が悪い時は全力で機嫌が悪く、突然一切口を聞いてくれなくなったりした。あと見た目も中身も女のチー牛みたいな増田のことが嫌いだった。オカンにはそういう素振りを見せていなかったから、まあそこは女って感じだな。
で、こないだいとこちゃんに子が産まれた(増田は普通に嫌われているので当たり前だがそういう連絡は一切無い)と、いとこちゃんのパパ、つまりオカンの兄から連絡があって知ったらしい。オカンといとこちゃんはLINEは繋がっているので(増田といとこちゃんは当然繋がっていない)、慌てて祝福の言葉と立派なお祝いを送ったらしい。
直接報告もないことにしっかりお金使ってお祝いして、そこまでして繋がり保ちたいの意味分からんしそういう立派なことしたらまたいとこちゃんのお母さんお父さんに増田に対して気を遣わせてしまうやん...。
増田も目鼻立ちくっきりで気が強くて明るい可愛い子だったらオカンもそういう可愛い可愛いする気持ちをいとこちゃんじゃなくて増田に向けてくれたんだろうか、と良い歳していまだに考えてしまう。とりあえず自分の子どもといとこの関係と距離感は気を遣おうと思った。
オタク差別なんてなくなったのに、40代以上の世代が依然オタクバッシングをしてくるという話
2010年代以降なくなったのは、アニメやアイドルオタクへの差別でしょう
むしろ、鉄オタ、とりわけ撮り鉄への差別は入れ替わりに激しさを増してる
キモくて周りに迷惑をかけているのだから当然だと思われてるがその認知が差別そのものなのだ
キモくて迷惑をかける存在(と思われてるもの)は差別されるのだ
40代以上にはアニメ/アイドルオタクがキモくて迷惑をかける存在という意識が残ってるので依然バッシングをするのだ
かつて宅八郎というベタっとした長髪で眼鏡をかけて紙袋とマジックハンドをもってアイドルを追い掛け回す、オタクのカリカチュアとしての存在があった
連続幼女誘拐殺害というおよそ許されざる禁忌をおかした宮崎勤から端を発したオタクイメージの象徴……80-90年代にはオタクは今の撮り鉄同様、(実態はどうあれ)気持ち悪くて迷惑をかける存在だったのだ
しかし00年代の中川翔子の登場からオタク趣味を公言するアイドルなどが増え始め、2010年代以降は世代交代が進むにつれオタク趣味がキモくて周りに迷惑をかけるイメージが徐々になくなっていった
2020年に宅八郎が亡くなったことは、キモくて迷惑をかけるオタクが消滅した象徴であるかのような出来事であった
しかし宮崎勤の事件や宅八郎のムーブメントがあまりにも強烈だったゆえ、それを知る40代以上はいまだに「キモくて迷惑をかける」存在としてのオタクの悪いイメージが消えていない それだけの話だ
90-00年代頃までは根暗な趣味のひとつではあったが、今ほど悪いイメージはなかったと思う
宅八郎のようなカリカチュア化された存在はいないが、迷惑行為の動画拡散という10年代以降のネットムーブメントにより急速にイメージが悪化していく
ラッパーの箱見てみなよ、ネットで誹謗中傷してるようなオタクが集まってるだろ。
何処の国でも、何物にもなれなくて疎外感感じてる奴が大麻やったり売ったりしてんのさ。
なぜ規制派オタクは同じオタクを見下すのか。その「異常」な同族嫌悪の理由をわかりやすく説明するよ。
https://somethingorange.jp/entry/otakusabetu
若いオタク達と触れる機会もある人間として、この記事には一部同意する所と、微妙に意見が違う部分が有る。
意見が違う部分はブコメでコメントされてもいる「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という所。
私もこのブコメに同意で、そもそも今の「オタク」とオタクを見下し批判している高齢オタクは全然層が違う。だから本当はこれは「同族嫌悪」ではない、そもそも同族ではないから。
そしてその部分こそ今の高齢オタクの醜い部分が凝縮した側面だと私は思っている。
私も一部のオタクに対する批判には頷く部分もある、確かに一部のオタクの言動はミソジニーやその他問題に溢れる事が有るからだ。
しかし大半のオタク批判は批判する範囲を間違えている。多くの場合(全て、完全に、ではないが)そうした問題を抱えるのは高齢オタクであり、批判を「オタク」全体に向けた瞬間関係のない多くの若いオタクを巻き込んでしまうからだ。
例えば、昔の2chでは女叩きが横行していた、という話がある。それは事実だ。この目で見てきた。しかし当然ながらその頃生きていなかった若いオタクには関係の無い話だ。
これは先程の層の違いでも同じ事が言える。そもそも今のオタクは「根暗」「陰キャ」といった古いオタクの層とは異なる、昔なら「リア充」と呼ばれていたような陽キャの層も含んでいる。
例えば昔のオタクが非モテ故にミソジニーをこじらせていたとしても、そもそもリア充も含む現在のオタクでは同じ現象は起こらない。
要するに、同じ「オタク」という言葉で呼んでも今と昔では全然層が違うのだ、いっそ、非常に強引だが「非リア充(昔のオタク)」と「リア充(今のオタク)」と分けて読んで考えた方が、「オタク」と同じ名前で呼ぶことで生じる錯覚を減らす事が出来るかも知れない。
勿論リア充ならミソジニーを抱えない訳ではないが、少なくとも非リア充の場合とは発生する経緯も種類も割合も全然違う。
勿論単純な年代の問題もある、今の高齢者は今の若い人たちと比べて、差別的な価値観を抱えている割合が単純に多い、これはオタク内でも同様だ。
現在の若い人達は価値観は概ねリベラルで、差別に関しても昔より差別を忌避する感覚が強い、勿論個人差は大きくあるが、全体的な傾向はそうなっていて、若いオタクも同様になっている、というのが彼らと触れる機会のある私の肌感覚。
従って、少なくとも割合で考えれば、ミソジニーや問題を抱え、女叩き等の現実の実績も有るのは、若いオタクよりも圧倒的に高齢オタクだ。
つまり前述の通り、高齢オタクによるオタク叩き・オタク差別は、同族嫌悪や自己批判といった「高邁」なものですらない。
高齢オタクが自分達の罪を若いオタクという関係の無い層を巻き込む形で擦り付け、最後に「自分は違う」と逃げる、極めて醜悪な責任転嫁でしかない。
かつての「オタク」が抱えたミソジニーや、それによって生じた様々な問題は、飽くまでそれを実際に行っていた高齢オタクの中の問題だ、若いオタクは関係ない、高齢オタクの中で解決するべきだ、関係無い層を巻き込むな。
しかも、そうした理不尽な巻き込みは、ミソジニーを抱えていない若いオタクにフェミニズムへの嫌悪感や反感を抱かせる契機にも成り得る、百害あって一利無い。
更にまた、今の若いオタクはライトなオタクが多く、現行の萌え(も既に死語になりつつあるが・・・・)が標準化した文化に慣れ親しんだ人が多い。
一方で古いオタク、特にオタク批判(の名を借りた醜悪な責任転嫁)を進んでするようなオタクの中には所謂「硬派なオタク」が多い、中には萌えにも拒否感を示す人もいる層だ。
ここで興味深いのは、一般的にオタク批判はオタク文化のなかでも萌え文化を指して糾弾する物が多いが、その実、上記の通り「硬派なオタク」の方が高齢オタクの率が高く、従って、ミソジニーや差別的な価値観を抱えた層も、割合としては多い可能性がある事だ。
当然ながら、「硬派」である事と「ミソジニーでない」ことはイコールではないし、阻害要因となる訳でも無い。従って、硬派から萌えへなされるオタク批判は、むしろミソジニー等を多く抱える層から別の層へ向けられている、という実態がある可能性がある。
実際の所はデータでも無い限りなんとも言えないが、年齢層だけ考えればそうなる蓋然性が高いとは言えそうだ。
ただの醜悪な責任転嫁でしかない事を明らかにしたので、既に明らかだが、どれだけオタク批判した所であなたのミソジニーや差別意識が洗い流される訳ではない。
オタク批判をし、体面上はフェミニズムの見方であるようなポーズをとっておきながら、なおも内面にミソジニーを抱えた人は幾らでも居る、何人も見てきた。
そうした人達は、主にオタク批判の中で尻尾を出す、例えば女性のオタクや創作者や、リベラルフェミニストと対立した際に、その言葉遣いや態度、スタンスに隠していた筈のミソジニーが溢れ出す、何度も見てきた。
また、オタク批判そのものが旧態依然とした、昭和的なマッチョイズムまみれという場合も有る、むしろ多い。結局の所、彼らのオタク批判は皮肉にも昭和的マッチョイズムと有害な男性性に支えられ、構成されている。
オタク批判をするからミソジニーが無いのではない、差別者でないのではない、あなたがオタク批判をするとしても、依然あなたにはミソジニーがあり、マッチョイズムがあり、有害な男性性があり、差別者である。
現在の若いオタクはリア充も非リア充も含み、陰キャも陽キャも含む、かつての様な偏りを含まない為、ミソジニーへと直接繋がるような契機を持たない。
唯一有り得るのは、古い高齢オタクの責任転嫁をまに受け、そこに有った問題や対立を継承してしまう事だ。
それが好ましい人間も、そうなって欲しい人間も居るだろう、あなたはどうか?この醜悪な伝統がこれからのオタクにも引き継がれて欲しいと思うか?
高齢オタクに必要なのは、「オタク」というもう既に層が変わって別物になってしまった層に、昔のオタクの罪を擦り付けることではない、高齢オタク内の問題を高齢オタク内で完結させ、自分達の中だけで解決する事だ。
無関係な他者を巻き込むな。批判するならまず自己を批判しろ、自己に見せかけた(名前が同じだけで他人である)「オタク」ではなく、自分自身がちゃんと射程に入り、関係ない人を巻き込まない批判をしろ。(差し当たって、「高齢オタク」がとりあえずオススメだが、勿論そこでも巻き込まれる人が出る事は注意)
いい加減、この醜い対立から無関係な若いオタク達を解放しよう。
高齢オタクや氷河期オタクの全員が女叩きやミソジニーに染まっている訳ではないのなら、若者オタクだってそうだしオタク全体だってそう、何なら「表自戦士」だってそうだよ。
高齢オタクや氷河期オタクは同世代のオタクが女叩きやってた時に何してたの?止められなかった感想はどう?そんな奴知らない、他人だ、連帯責任なんかないと言うなら、若いオタクもオタク全体も表自戦士もそうでしょ。
これらは全てある程度無辜の人を巻き込む藁人形であり、「藁人形論法が迷惑だと主張するために、新たな藁人形を人身御供にしている」という指摘は正論だし正しいと思うけど、
私はこの人達が藁人形を手放す事は絶対にあり得ないと思ってる。だからせめてなるべく巻き込みの少ない藁人形を渡すべきだろうと。
本当は藁人形を一切使わせないのが理想なのは正しい、でも出来る?不可能でしょ、オナニーにハマった猿にオナニーを止めさせるのと同じ位無理だよ。
あなたたち自身出来ると思わないでしょ?藁人形を手放せる?無理でしょ。
私の主張はシンプル。
・従って次善の策として、藁人形はできるだけ小さく、巻き込みが少ない方がいい
・そのため、新たな藁人形は「高齢オタク」が推奨(「オタク」よりはかなりマシ)
・別に「表自戦士」でも構わない(確かにそっちの方が更に巻き込みが少ないかも)ただし、それも藁人形であることには変わりない(例えば、エロや萌え表現だけじゃなく、表現の不自由展や教科書等の表現の自由にも関心を持つ表示戦士は居るし、ミソジニーを抱えない人も居るだろうしね)
具体的に言えば基本内勤、数ヶ月前にホームワークが始まったにも関わらず
2、3週間に一度はまあ聞かれる。知り合いは年単位で聞かれないので多分多い方なんだろ。多分
前置きはここまで
1:一蘭はどこですか?
地方の人だと知らないかも知れんが、一蘭というゲームにもなったアミューズメント施設があるのだが
ここの場所がわかりにくいのか、ほんとによく聞かれる。具体的には池袋の一蘭が多い。次いで新宿の旧ビックロの裏手の方面の
ただ中国の方がだいぶ減ったのにも関わらず家族旅行の白人の方とか、フィリピンの方とかに大好評である
2:中本はどこですか?
これは書きながら思ったが、日本人と半々だなぁ…
具体的に言えば、今はもう無き西池袋と新宿の西口の新大久保向かうところのやつ
看板知っていればわかるんだが、なにせあの看板中卒としか読めないし…
3:オゥタァメェイティㇳゥ テェラァメシン
これを一発で分かる人はきっとTOEICで600以上で取れる人なんだろ
初めは警察に連れて行って、二回目の人のジャスチャーと言い換え文でようやくわかった。
英語は仕事であまりにも使わないから、ここ最近は勉強してないけど
こういうところあると勉強しないとなぁってなる。なった。まる
そりゃそうだろ?ちょっと考えればすぐ分かる。
「ソープへ行け!」(北方謙三)という搾取側の論理を真に受けた境界知能の末路は悲惨だ。なぜか?
妥協によって安易な選択をする習慣が身についてしまうと、怠惰な性格が強化されて、努力が必要な選択ができなくなっていく。これが人生を狂わせるきっかけになってしまう。
金で女を買ったのは自己責任として、そのとき一生嘘をつき続ける覚悟もあったのか?
いつも正々堂々と生きたければ嘘をつくべきではない。
無理かどうかは自分次第。
他人から非難されても全く動揺しないなら、いつでも本当のことを言えるし、本音で生きることができる。自分に嘘をつく必要もない。
嘘をつくのは非難されるのが嫌で、自己保身のためであり、心の弱さが原因で出ている。
嘘まみれの悲惨で根暗な生き方を選ぶか否かは、今後の生き方にかかっている。
嘘か真実か、どっちを選ぶか自由だけど、いずれにせよその結果を受け取ることになるのは本人でしかない。
アホの定番セリフ「こんなはずじゃなかった…」。いや、こんなはずになったのはおまえが選んできたコースの結果だから。
嘘つきの末路は、本人が一番よく分かっているだろう。くれぐれも自殺だけはしないように。
次からは、反社の資金源(風俗利用)を応援しているクソ雑魚作家の戯言に騙されないよう気を付けよう!😇