はてなキーワード: ホッブズとは
そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たちは私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?
このような問いは、歴史を通じて真剣な思想家や活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:
意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」と。
この本の中心的な主張のひとつは、不平等、ヒエラルキー、暴力は、あらゆる人間社会を組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等は空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。
これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類の祖先や初期の人類が平等であることによって見出した適応、つまり生態学的ニッチについて説明する新しい注目すべき学問を無視している。つまり、かつて人類は平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的な無政府主義者やマルクス主義者の見解も無視しているのだ。
保守派の主張は、農耕や都市生活、経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論に抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。
彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家に支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義、奴隷制、階級差別、人種差別、性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。
グレーバーとウェングローが主張する政治的論点は、太古の昔から、人は常に支配と自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。
彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである。
この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会を運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。
グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会が存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーとホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。
さらに重要なのは、19世紀の社会ダーウィニズムや、より最近のスターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンド、ナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学の現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要な対象であり、私たちはその両方を共有している。
社会ダーウィニズムと歴史の段階説。ハーバート・スペンサーとルイス・ヘンリー・モーガンの19世紀の社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初の人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会の夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的・知的進歩のシグナルであると理解されている。
しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代の人種差別主義や新植民地主義を支え続けている。
左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論の解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。
そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスとエンゲルスの仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論的説明も暗黙のうちに否定しているのだ。
これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族の起源 私有財産と国家』において最も顕著である。エンゲルスはそこで、人間は平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。
しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーとモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。
「アーリア人とセム系民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富に供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコのプエブロ・インディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。
エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。
フランツ・ボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論を破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたかも自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツ・ボアスは、太平洋北西海岸のクワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。
フランツ・ボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年にヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命の指導者の一人であったソフィー・メイヤーの息子である。1851年までに、彼女の読書グループはマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。
ボースは人類学者になった。カナダではバフィン島のイヌイット族やバンクーバー島のクワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークのコロンビア大学の教授となった[2]。
1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造的であると主張した。1913年当時、ボースは母親の政治を否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民の党派として、人種差別を憎んでいた。
ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクト、マーガレット・ミード、ゾラ・ニール・ハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類の文化の進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。
しかし、私たちはもはや1913年の時代ではない。1982年、エリック・ウルフの皮肉なタイトルの『ヨーロッパと歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史を真摯に受け止める人類学の波を起こした。
人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進、先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗と宗教、伝統と現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しかし悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民の大量虐殺、アフリカの奴隷貿易、白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争を正当化するために展開され続けている。
人類学者や考古学者たちは、現在、人類の不平等の起源について、まったく妥当な説明を構築している。ケント・フラナリー、ジョイス・マーカス、ジェームズ・C・スコットがその中心人物である。
残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類の進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究を無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類の比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会は存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろ愚かにしてしまうことである。
グレーバーとウェングローは、かつて人類が狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境や人間存在の物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会が必然的に平等であったことを否定している。
彼らの主張の第一歩は、人類の進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。
過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類や霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代の狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。
化学的微量分析、DNAサンプリング、放射性炭素年代測定、質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちのヒーローの中には、読み応えのあるクリストファー・ボーム、フランズ・デ・ワール、R・ブライアン・ファーガソン、サラ・フルディ、マーティン・ジョーンズ、ローラ・ライヴァルの広範な出版物がある。
このような研究は、人類の進化と人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たちは平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察である。しかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である。
現在、さまざまな類人猿やサルを対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定の環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係、子育て、攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類の進化を理解するための私たちの方法でもある。
時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類の祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
この問題は何度も世に出てきていると思うが、法治国家のことを勘違いしている人がけっこういる。
表現の自由界隈からも「法律を超えたら表現の自由はない」ってのが無邪気に言われまくってるけどさ、じゃあ、「本日から漫画を描いてはいけない」って法律ができた瞬間、漫画を描く表現の自由はなくなるの?逆なんだよ。表現の自由が先にあって、それを侵さない範囲で規制が許されるだけ。
これに対して
自由を侵害する法律が作られたら法の手続きに基づいて侵害されないように法改正をするのが法治国家の自由の行使なのだ。
法治国家原理は、法律の法規創造力の原則(国民の権利を新たに制限し、義務を課す法規範は国民代表議会のみが作ることができ、行政が立法してはならない※)、法律の優位の原則(行政活動は議会制定法に反してはならない)、法律の留保の原則(国民の権利を新たに制限し、義務を課す行政活動は、法律によって授権されていなければならない)から成り立つ。これらのどこにも、自由を侵害する法律が作られたら、法改正を待つべきであり、あえて規制に逆らうべきではない、という議論は含まれない。
※これは行政に関する原理であるというのがミソで、私人同士で新たな義務を課すのは、原則として自由である。たとえば、100万円を借りるという金銭消費貸借契約を結べば、あなたはカネを返す義務を課されることになる。それに先だって国民代表議会の授権規範が必要であるというのは馬鹿げている。しかし、原則が自由だからこそ、社会における事実上の力関係によって一方的に立場が弱い契約を結ばされるということが起きる。そこで、契約の自由を制限する法律が制定されたり(例えば借地借家法を思い浮かべよ)、裁判所の判例法理によって調整が図られることがある。
二番目のツイートは、法治国家を(古代中国の法治国家の伝統もあって)遵法義務の問題と取り違えているだけで、些末な揚げ足取りではないかと思われるかもしれない。しかし、遵法義務の問題として考えてもおかしい。もちろん、国法は自らに従わない者に対して制裁の仕組みを用意することが多い。刑法にせよ、行政上の何らかの義務履行確保の手法にしても。刑罰という結果を避けるために従った方がベターであるというプラクティカルな議論としては意味があるだろう(事実としての強制秩序の問題)。しかし、それと服従義務とを混同するべきではない。たいていの法学者は、不正な法に対して服従する義務はないと考えているのではないか(例:ラートブルフ「法律による不法と法律を超える法」)。ラズなんかは、それを超えて、一般論としては国法への服従義務などない、と言っているようだ。
ただ、これは難しい問題で、誰が不正かどうかを判断するのかという問題がある。万人が自らに都合の悪い法を不正であると判断すれば、アナーキーとなり、宗教戦争の再来である※。しかし、実定法にただただ服従するべしと言えば、ナチスの法にも服従する義務があるのか(事実として強制されるからやむなく従うのではなく)と言われてしまう。結局、個々の法規範に則して個別的に判断する他あるまい。上記のツイートでいえば、一般論として漫画という出版様式の禁止を無視したからといってアナーキーに陥ると考えるのは馬鹿げているであろう。
現代の違憲審査制は、こういった正義と実定法のジレンマをなるべく起こさないようにするためにある。憲法に人権という形で示された一般的正義の原則に照らして裁判官が実定法を審査し、不正な法と認定した法規範の適用を拒否するという仕組みが我々の社会には導入されている。ただ、裁判官の目をすり抜けてどうしようもない実定法が作られることがないとは言えない。立法者と裁判官にさしあたって頼らずに正邪を判断する視点を持つことは、自由な民主的社会の市民であり続けるために必要なことである。・・・自分の頭で考えた結果、おかしな結論に到達する人もいるかもしれないのが頭の痛いところだが、それが自由であるということである。
悪法といえども国法に従う義務があり、悪法をただすには法改正に賭けるべきという態度は、肉屋を支持する豚と言われてもやむを得ない※。
※ひょっとすると熱烈なホッブズ主義者なのかもしれないが、ホッブズ主義者なら、本当に当該禁止によってアナーキーが避けられるのかをもうちょっと真面目に検討するのではないか。
参考文献
長谷部恭男『法とは何か[増補新版]』河出書房新社、2015年
おまけ:
それに反する法律は作れません。
こうした見解に対する批判は本文中にも書いた通りだが、この人の中では、薬事法(古い名前だ)の薬局距離制限規定が作られたことはなかったのだろう。薬事法は、自分に関連する分野ではないのか(薬剤師ではないから、違うかな・・・)。
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
アタワルパ「能うるか?」
非jokin’ 講師
新宿ぴえん
声が低いハスキー犬
八十八夜の二子玉の五十六と、四十九日の九十九里の三四郎のミニ四駆
十+八十八ハ/10+88=
88歳に似合う色→ベージュ
すごい夢中な人→ゴリ夢中
onの字
さだまさしの妻「そんなせっしょうな」
Uber「同乗するなら金をくれ」
nicheもsuchもいかない
鋭意ままよ
麦とホッブズ
金曜労働しよう
マシンガンの真贋
ドッジボールの在野
包丁とかけて露と解く→どちらも刃/葉の淵から零/毀れるでしよう
珈琲とかけて狂言回しと解く→どちらも引き立てが美味い/上手いでしょう
製紙とかけて調髪と解く
→どちらも髪を梳く/紙を漉くでしょう
未完成のセーターとかかけまして、文字の強調と解きます→どちらも編みかけ/網掛けでしょう
凍死神託
紅蓮グールド
今どこ?/イタリアに至りました/おシエナい/ナポリ葉掘り/信用をおトスカーナ/取り柄ステていいの?/サンジミアーノ惨事見あの
レンジ老婆
手をこまねくコマネチ
ジングルベルジングルベル駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
非売品のシナモン
ブルシットバルドー
あんぐり口を開けて怒る(angry)
人を殺めたゲシュタポ→下手タポ
お魚くわえたドラレコ
政調と分配
ざらにあるアパレル
スロバキアのクソガキ嫌
当方見聞録
当たり前ロマ二
He developed cancer because he had eaten too many crabs.
カルチェ羅漢
What is your New Year’s resolution?
I’d like to buy a 24 megapixel camera.
I had a Japanese breakfast in the morning, which made me had diarrhea, because it’s incontinental.
同時に笑う人々→一斉にやけ
とかや列島
What do you call a Roman emperor
What do you call an ethical country? Humanitalian
みすぼらしい・ダーダネルス海峡
銃では太刀打ちできない
野蛮ギャルド
What do you call a prominent environmental activist ?
Glitter Thumberg
What do you call a cake that is often stolen? Stollen
匍匐/葡萄
Large part of Rajput
酒とメーデーの神
改善ハワー
ぼったくる魚→ボラ
ドイツ語の独学
色々なところにいる魚→ホウボウ
比類ない地鶏
当たるもユッケ
茨城の道
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
アタワルパ「能うるか?」
非jokin’ 講師
新宿ぴえん
声が低いハスキー犬
八十八夜の二子玉の五十六と、四十九日の九十九里の三四郎のミニ四駆
十+八十八ハ/10+88=
88歳に似合う色→ベージュ
すごい夢中な人→ゴリ夢中
onの字
さだまさしの妻「そんなせっしょうな」
Uber「同乗するなら金をくれ」
nicheもsuchもいかない
鋭意ままよ
麦とホッブズ
金曜労働しよう
マシンガンの真贋
ドッジボールの在野
包丁とかけて露と解く→どちらも刃/葉の淵から零/毀れるでしよう
珈琲とかけて狂言回しと解く→どちらも引き立てが美味い/上手いでしょう
製紙とかけて調髪と解く
→どちらも髪を梳く/紙を漉くでしょう
未完成のセーターとかかけまして、文字の強調と解きます→どちらも編みかけ/網掛けでしょう
凍死神託
紅蓮グールド
今どこ?/イタリアに至りました/おシエナい/ナポリ葉掘り/信用をおトスカーナ/取り柄ステていいの?/サンジミアーノ惨事見あの
レンジ老婆
手をこまねくコマネチ
ジングルベルジングルベル駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
非売品のシナモン
ブルシットバルドー
あんぐり口を開けて怒る(angry)
人を殺めたゲシュタポ→下手タポ
お魚くわえたドラレコ
政調と分配
アパレルなんてざらにあるよ
スロバキアのクソガキ嫌
当方見聞録
当たり前ロマ二
He developed cancer because he had eaten too many crabs.
カルチェ羅漢
What is your New Year’s resolution?
I’d like to buy a 24 megapixel camera.
I had a Japanese breakfast in the morning, which made me had diarrhea, because it’s incontinental.
同時に笑う人々→一斉にやけ
とかや列島
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
アタワルパ「能うるか?」
非jokin’ 講師
新宿ぴえん
声が低いハスキー犬
八十八夜の二子玉の五十六と、四十九日の九十九里の三四郎のミニ四駆
十+八十八ハ/10+88=
88歳に似合う色→ベージュ
すごい夢中な人→ゴリ夢中
onの字
さだまさしの妻「そんなせっしょうな」
Uber「同乗するなら金をくれ」
nicheもsuchもいかない
鋭意ままよ
麦とホッブズ
金曜労働しよう
マシンガンの真贋
ドッジボールの在野
包丁とかけて露と解く→どちらも刃/葉の淵から零/毀れるでしよう
珈琲とかけて狂言回しと解く→どちらも引き立てが美味い/上手いでしょう
製紙とかけて調髪と解く
→どちらも髪を梳く/紙を漉くでしょう
それは幻想に過ぎなくて、我々は常に暴力を行使する側であり暴力を甘受しなければならない側でもあるんだな。
我々は常に暴力を振るっているし、そして常に暴力に晒されている側でもあるんだな。
何というか、そういう単純な地平が思いのほか人々には見えていないようなので、僕としてはビックリすること頻りなのである。
暴力を使ったことのない人間などいない。暴力は我々の内部に根差しているし、我々は暴力を行使する。我々はそれによって何かを成そうとする。それが人間という生物の基本的な行動パターンじゃないかと思う。何故世の中の人はそういう理解から遠ざかっているのか、自分は暴力の主体ではなく暴力をただ甘受する哀れな人間であると何故誰もが名乗るのか。僕としてはその辺が不思議でならない。何故あんたたちは暴力の主体であるという意識を持てないのだ? 我々は暴力を普段から行使しているではないか、誰かを貶め誰かを踏みにじり誰かを圧殺することを通してでしか自らの繁栄を築き上げることなんてできなかったじゃないか、何故その意識から逃げるのだ? などなどと思う。
「我々は被害者だ」という文言は勿論限定的な文脈においては成立する。例えば、道を歩いている時に突然誰かにぶん殴られたとして、「俺は加害者だ!」などと宣う人間はいかにも不自然である。勿論、そういう文脈において人は被害者に成りうるし、俺も別にそれを否定しているわけではない。しかし避け難く我々は被害者であると同時に加害者であるのだ――それを誰もが理解していないということに対して原初的な違和感を覚えざるを得ない。何故皆はその共通普遍の認識から遠ざかるのか? 何故我々が加害者であるという意識を誰しもが持たずに生きているのか?
ホッブズの『リヴァイアサン』。その書物をご存知だろうか。多分、殆どの人々がかの書物を最初から最後まで読み通したことはないと思うのだけれど、社会科や世界史の授業で、「人間は万民が万民に対する闘争の状態にある」という著作中の警句を大いに聞かされた人は多いのではないだろうか。勿論これは事実でありまた慧眼である。いや、少し違うな。勿論、我々は皆お互いにお互いのことを殴り合っているわけではない。勿論、我々は皆が皆お互いのことを殺したり犯したり盗んだり騙しているわけではない。常にそれを行い続けているというわけではない。勿論、そのことくらいは俺にだって分かっている。でも、問題はそうじゃないんだ。我々が、この世界において、そういう具体的な行為に及んでいるわけではない。勿論それは分かっているのだけれど、でも、問題はそうじゃないんだ。僕たちはそれと分かるような暴力行為に出るわけじゃない。勿論、誰もが誰かの門前で誰かを殺したり誰かを犯したり誰かから盗んだり誰かを騙しているというわけじゃない。勿論、そうなんだけれど。
でも、結局のところ我々は誰かから盗まなければ生きていけないのである。
誰かを、騙さなければ生きていけないのであるし、誰かを犯さなければ生きていけないのであるし、誰かを殺さなければ生きていけないのである。それはとても自明のことなのだ。
勿論、我々は誰も殺したことがない。そうだと思う。俺もそう思う。俺は誰も殺していないし、誰からも盗んでいない。誰かに関して騙したことはあるかもしれないが、よく覚えていない。
でも誰かを傷つけたことはあるし、誰かを貶めたことはある。勿論それはそうだ。誰をも貶めず誰をも傷つけずに生きている人間などこの世にはいない。有り難いことにそれは明々白々の事実で、俺も例外なく誰かを貶めたり傷つけたりすることを、かつて息をするかのように行っていた。俺は誰かを踏みにじり、誰かを貶め、誰かを傷つけ、誰かの価値を下げていた。何らの見返りがあったわけでもない。そのような行為を冒すことによって自分自身に対して何らかの報酬があったわけではない。でも、俺はそれを毎日のように行っていたのである。
俺はある時にふとそのことに気付いたのだけれど、特にショックと言うべきショックはなかったと思う。一応きっかけと言うべきものはあって、それは当時俺の身近にいたパワハラ上司に対して憎悪の念を燃やしていた時であった。あの上司には価値がない、あいつには生きている価値がない、あいつは自己反省のできない俗物だ――そんなことを考え続けていた時に、何となくそのことが、ストンと腑に落ちたのである。
自分のことを振り返ってみれば、自分だって誰もを貶め傷つけてきたじゃないかと。それをさも当たり前の行為のように行ってきたではないかと。
まあ、仕方ないよな、と。そう思ったのである。
まあ、仕方ないよな、だって、俺は俺だもんな、と。だって、俺は俺なのだから、誰かを貶めたりするくらいのことはするだろうな、と。
そんな風に思ったのである。俺は俺だから、俺は多分当たり前のように誰かを貶めたり傷つけたりするだろうと、自分としてはそれは明々白々の事実だと、ふと思ったのである。ある時に俺はそれに気付いた。まあ今更そんな青臭い自己発見について長々と語ることに些かの恥ずかしさがあるのだけれど、でもそれは個人的には大発見だったし、その発見について自分はこの数年間というもの忘れたことがない。俺は誰かを――
そう、人は誰かを貶めなければ生きていけないのである。そのことは明らかなのだ。
ずーっと昔、多分十五年くらい前なのだけれど、俺は猟奇殺人犯の伝記を読むのが好きだった。とても好きだった。彼らは変わった人物で、我々とは少し違ったものの考え方をした。
中でも印象に残っているのは、かの有名なジョン・ウェイン・ゲイシーで、彼の残したある一言が俺はとても好きだ。俺はその一言をここに書いてみることはしないけれど、でも、俺はその彼の一言がとても気に入ってしまったのである。その一言を聞いて、俺は、素朴にそうかもしれないな、と思ったのである。それはまるで、俺自身が無意識の内に誰かを貶め誰かを傷つけ続けて生きてきたことを、ある時ふいに直観したのとまるで同じくらいに、臓腑に染み込んでくる言葉だったのである。ああ、そうかもしれないな、と俺は思ったのだ。その言葉に。
とにかく我々は日々誰かを貶め誰かを傷つけ、時には犯したり殺したり盗んだり騙したりしながら生きている。それはあまりにも自明のことじゃないか、と俺は思う。
我々の人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、我々の祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。我々は遺伝子のボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。
我々の中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。我々はその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。我々は、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。我々は遺伝子のボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。
当然ながらその歴史は暴力と共にあった。恐らく、そこには絶えざる暴力の連鎖があった。我々は多分誰かを殺し続けてきただろうし、誰かを犯し続けてきただろうし、誰かを騙し続けてきただろうし、誰かから盗み続けてきたことと思う。
我々は誰かから犯され続けてきたし、誰かから騙され続けてきただろうし、誰かから盗まれ続けてきたと思う。
それは幻想に過ぎなくて、我々は常に暴力を行使する側であり暴力を甘受しなければならない側でもあるんだな。
我々は常に暴力を振るっているし、そして常に暴力に晒されている側でもあるんだな。
何というか、そういう単純な地平が思いのほか人々には見えていないようなので、僕としてはビックリすること頻りなのである。
暴力を使ったことのない人間などいない。暴力は我々の内部に根差しているし、我々は暴力を行使する。我々はそれによって何かを成そうとする。それが人間という生物の基本的な行動パターンじゃないかと思う。何故世の中の人はそういう理解から遠ざかっているのか、自分は暴力の主体ではなく暴力をただ甘受する哀れな人間であると何故誰もが名乗るのか。僕としてはその辺が不思議でならない。何故あんたたちは暴力の主体であるという意識を持てないのだ? 我々は暴力を普段から行使しているではないか、誰かを貶め誰かを踏みにじり誰かを圧殺することを通してでしか自らの繁栄を築き上げることなんてできなかったじゃないか、何故その意識から逃げるのだ? などなどと思う。
「我々は被害者だ」という文言は勿論限定的な文脈においては成立する。例えば、道を歩いている時に突然誰かにぶん殴られたとして、「俺は加害者だ!」などと宣う人間はいかにも不自然である。勿論、そういう文脈において人は被害者に成りうるし、俺も別にそれを否定しているわけではない。しかし避け難く我々は被害者であると同時に加害者であるのだ――それを誰もが理解していないということに対して原初的な違和感を覚えざるを得ない。何故皆はその共通普遍の認識から遠ざかるのか? 何故我々が加害者であるという意識を誰しもが持たずに生きているのか?
ホッブズの『リヴァイアサン』。その書物をご存知だろうか。多分、殆どの人々がかの書物を最初から最後まで読み通したことはないと思うのだけれど、社会科や世界史の授業で、「人間は万民が万民に対する闘争の状態にある」という著作中の警句を大いに聞かされた人は多いのではないだろうか。勿論これは事実でありまた慧眼である。いや、少し違うな。勿論、我々は皆お互いにお互いのことを殴り合っているわけではない。勿論、我々は皆が皆お互いのことを殺したり犯したり盗んだり騙しているわけではない。常にそれを行い続けているというわけではない。勿論、そのことくらいは俺にだって分かっている。でも、問題はそうじゃないんだ。我々が、この世界において、そういう具体的な行為に及んでいるわけではない。勿論それは分かっているのだけれど、でも、問題はそうじゃないんだ。僕たちはそれと分かるような暴力行為に出るわけじゃない。勿論、誰もが誰かの門前で誰かを殺したり誰かを犯したり誰かから盗んだり誰かを騙しているというわけじゃない。勿論、そうなんだけれど。
でも、結局のところ我々は誰かから盗まなければ生きていけないのである。
誰かを、騙さなければ生きていけないのであるし、誰かを犯さなければ生きていけないのであるし、誰かを殺さなければ生きていけないのである。それはとても自明のことなのだ。
勿論、我々は誰も殺したことがない。そうだと思う。俺もそう思う。俺は誰も殺していないし、誰からも盗んでいない。誰かに関して騙したことはあるかもしれないが、よく覚えていない。
でも誰かを傷つけたことはあるし、誰かを貶めたことはある。勿論それはそうだ。誰をも貶めず誰をも傷つけずに生きている人間などこの世にはいない。有り難いことにそれは明々白々の事実で、俺も例外なく誰かを貶めたり傷つけたりすることを、かつて息をするかのように行っていた。俺は誰かを踏みにじり、誰かを貶め、誰かを傷つけ、誰かの価値を下げていた。何らの見返りがあったわけでもない。そのような行為を冒すことによって自分自身に対して何らかの報酬があったわけではない。でも、俺はそれを毎日のように行っていたのである。
俺はある時にふとそのことに気付いたのだけれど、特にショックと言うべきショックはなかったと思う。一応きっかけと言うべきものはあって、それは当時俺の身近にいたパワハラ上司に対して憎悪の念を燃やしていた時であった。あの上司には価値がない、あいつには生きている価値がない、あいつは自己反省のできない俗物だ――そんなことを考え続けていた時に、何となくそのことが、ストンと腑に落ちたのである。
自分のことを振り返ってみれば、自分だって誰もを貶め傷つけてきたじゃないかと。それをさも当たり前の行為のように行ってきたではないかと。
まあ、仕方ないよな、と。そう思ったのである。
まあ、仕方ないよな、だって、俺は俺だもんな、と。だって、俺は俺なのだから、誰かを貶めたりするくらいのことはするだろうな、と。
そんな風に思ったのである。俺は俺だから、俺は多分当たり前のように誰かを貶めたり傷つけたりするだろうと、自分としてはそれは明々白々の事実だと、ふと思ったのである。ある時に俺はそれに気付いた。まあ今更そんな青臭い自己発見について長々と語ることに些かの恥ずかしさがあるのだけれど、でもそれは個人的には大発見だったし、その発見について自分はこの数年間というもの忘れたことがない。俺は誰かを――
そう、人は誰かを貶めなければ生きていけないのである。そのことは明らかなのだ。
ずーっと昔、多分十五年くらい前なのだけれど、俺は猟奇殺人犯の伝記を読むのが好きだった。とても好きだった。彼らは変わった人物で、我々とは少し違ったものの考え方をした。
中でも印象に残っているのは、かの有名なジョン・ウェイン・ゲイシーで、彼の残したある一言が俺はとても好きだ。俺はその一言をここに書いてみることはしないけれど、でも、俺はその彼の一言がとても気に入ってしまったのである。その一言を聞いて、俺は、素朴にそうかもしれないな、と思ったのである。それはまるで、俺自身が無意識の内に誰かを貶め誰かを傷つけ続けて生きてきたことを、ある時ふいに直観したのとまるで同じくらいに、臓腑に染み込んでくる言葉だったのである。ああ、そうかもしれないな、と俺は思ったのだ。その言葉に。
とにかく我々は日々誰かを貶め誰かを傷つけ、時には犯したり殺したり盗んだり騙したりしながら生きている。それはあまりにも自明のことじゃないか、と俺は思う。
我々の人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、我々の祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。我々は遺伝子のボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。
我々の中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。我々はその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。我々は、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。我々は遺伝子のボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。
当然ながらその歴史は暴力と共にあった。恐らく、そこには絶えざる暴力の連鎖があった。我々は多分誰かを殺し続けてきただろうし、誰かを犯し続けてきただろうし、誰かを騙し続けてきただろうし、誰かから盗み続けてきたことと思う。
我々は誰かから犯され続けてきたし、誰かから騙され続けてきただろうし、誰かから盗まれ続けてきたと思う。
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詳細はこちらから⇒ https://anond.hatelabo.jp/c/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89
https://www.asahi.com/articles/ASL9V41MQL9VUPQJ004.html
確かに世の中には自然権というアクロバティックな概念を理解してない人たちがいるから、「なんだこいつも自然権を知らないのか教えてやろう」という気持ちで書いているんだと思うが、小林よしのりがその程度なのだとは私は思わない。本当のところは知らんけど。
自然権は、しかしやはりアクロバティックな概念だ。だって人間が生まれたとき既に誰か周りにはいるんだから、権利もそういう人たちから与えられるものだと考えるのが普通じゃないのか。みんな最初はそう思うでしょ?
でも、「自然状態」という誰もが誰をも支配していない仮想的な世界を思い描くこと、本当はないはずのゼロ地点を見つけて、そこからゼロベースで考える手立てを手に入れることで、本来各人が持っているはずの誰にも制限されない権利ってあったはずよね〜と考えることができる。わからんけど、きっとできる。
自然権とは、だからそういう「自然状態」という無重力フィールドで「権利」を発動させたらその考え方のパッケージが裏返ったような概念であって、なんていうか、やはり、足場がないと脆い概念だ。
もちろんこうした考え方をもとにポコポコ近代国家体制を理論的に後ろ盾てきたのだから、これはこれでたいへん尊い考え方だしおれは好きだからブコメの人たちの気持ちもわからないではない。
でも、そもそもその「自然状態」って正しいの?とかみなさんは思わないんだろうか。ゼロと設定したそこは本当にゼロなんですか?自然権は自然状態に依存するんだから、ゼロ地点が間違ってたらその時点で自然権とかそんな確固たる地位を持たなくなるんじゃねーの?
いや別に思わないならそれでもいいんだけど、未だにホッブズとか持ち出してきて(古典は批判的に乗り換えるためには大切だけど)、教理解説するみたいに援用するのダサくないですか?というようなことを思った。
とあるトマス=ホッブズの著書でこのような台詞があったようだ。
イノベーションを起こしたい私も、LGTMな人の前で「はてな匿名ダイアリーでアウトプットする、それも強い正義感からね」とプレゼンしてみて、人生を変えたい。
そんなインスタンスしたらバンクラプシーすることは承知しているのかな、って。それでも、マサチューセッツ工科大学に合格した私は現在のネットワークの歪さと愛おしさを知らしめ、ビジネスを成功させたい。
あの顧客がどこまで経営戦略を『孫子』に学ぶ私のことを気付きを得ていつつパラレルでタスクを消化しているかは分からない。だからこそ、こういうTRIZを駆使して導き出したところで第2のジョブズとして歴史に名を残す私とアグリーなインフルエンサーの関係のお話を『パワポ化』したらもしかしたら責任と自覚をもって行動気付きを得てくれるんじゃないかなあと理想に燃えてしまう。
ソレしか皇族と繋がりのある私のビジネスモデルがないし、見る目がない、まずは些細な挨拶から。
世界を知らないままの状態をユビキタスをくわえてペンディングするなりたい自分になれなくなるフォアラーがある。この案件におけるフォアラーこそ、ここで世紀末の犠牲させてしまえたらなんて良いんだろうか。
…でもさ、逆にこの状況はチャンスだと考えられないかな?、それは今やるときではないのではなく、敢えてやらないと理性が抑えていつつパラレルでタスクを消化している。ジョブズならそう言うよ。
あーあ。こういう日本を変えないといけない。仮眠する。