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はてなキーワード: インターフェイスとは

2023-05-07

プログラミング歴5年目にしてやっと抽象性を手に入れた

継承インターフェイスといわれるやつ

今までプログラム丁寧に書いてればバグとか起きるわけねえだろwと思ってたけど、

処理分けする部分の抽象度高めて、インスタンス部分時点で保持するものをかえて、同一の呼び出しで、条件次第で、内部処理を変更するみたいなことやりだしたら、脳内で完全には処理追いきれなくなってバグあるかもなみたいな状態になってる

動物は鳴くからAnimal継承させて、鳴くを呼び出すみたいなのってわかりやすいように見えて人間にはわかりにくいよね

IF文ほど人類になじみがない

2023-04-26

anond:20230426171307

昔はダイヤル型のインターフェイスが多かったんだよ。

からぐるぐる回さないといけなかった。

2023-04-19

anond:20230419043607

ChatGPTはメアドだけで使えるWebインターフェイスなので若干の防壁が張ってある印象、特に3.5

なんかもうアホみたいに厳しいのがBing

2023-04-17

anond:20230416230307

ChatGPT4はありそうだが存在しない

GPT3.5(技術名、正式にはGPT-3.5)

GPT4(技術名、正式にはGPT-4)

・ ChatGPT(3.5も4も使えるWebサイトインターフェイス名)

・ ChatGPT Plus(月額200ドルを払うとChatGPTGPT-4が使えるサービス名。課金しても3時間に25回しか使えない)

2023-03-20

anond:20230320105638

ルー大○「ステューピッドにもユーズできるインターフェイスになってるのに、それ以下のオールドガイを『インクルージョンしろ』ってどうやるんだ?いや権力者オールドガイがソサエティクリエティティインクルージョンしてないのか?」

2023-03-15

anond:20230315102654

そうだね。ただAI自分で目と耳と口がついているわけではないので、インターフェイスとしてリアル情報入力する人間という存在が不可欠。

そのリアル情報入力して個別具体的な場面でAIを動かす環境を構築する人間必要になる。

従来よりもかなり人は不要になるだろうけど、手軽になる事で需要は伸びるから上手くやればいける。

2023-03-13

anond:20230313180246

10GBのLAN とか、RS232Cあたりが定番

RAIDM2、他欲しいインターフェイスがあれば、それで。

自然言語ピコピコやる分にはどんどんやれという話だが、ロボットとかそういう非本質インターフェイスってあんま興味ない

2023-02-16

AI絵生成で遊ぼうと思ったらいくらぐらいの予算パソコン必要なの

AI絵生成で遊ぼうと思ったらいくらぐらいの予算パソコン必要なの?

AI絵生成には、大量の計算資源必要です。一般的に、高性能のグラフィックスカードGPU)が必要になります。また、大量のRAMと高速なストレージ必要です。

必要予算は、使用するAIモデルや絵の生成に必要解像度や複雑度によって異なりますが、一般的には、数千ドルから数万ドルまでの予算必要になる場合があります

AI絵生成に特化したPCを作る場合は、GPUCPUバランス良く選び、RAMストレージも十分な容量を確保する必要があります。また、オペレーティングシステムソフトウェアの設定も最適化することが重要です。

ただし、クラウドベースサービスプラットフォームを利用することもできます。これらのサービスには、類似機能提供するツールアルゴリズムが組み込まれており、必要計算資源提供してくれます。この場合使用料金は生成する画像解像度や量によって異なる場合があります

具体的にいくら掛かるの

AI絵生成に必要コンピュータの具体的な予算は、多様な要因によって大きく異なります。以下にいくつかの例を挙げます

  1. 中級ユーザー向け: NVIDIA GeForce RTX 3070 GPUAMD Ryzen 7 5800X CPU、32GB RAM、1TB SSDを搭載した自作PC予算は約2,000〜2,500ドル程度。
  2. 上級ユーザー向け: NVIDIA GeForce RTX 3090 GPUAMD Ryzen 9 5950X CPU、64GB RAM、2TB SSDを搭載した自作PC予算は約4,000〜5,000ドル程度。

クラウドベースサービス: OpenAIのDALL-E 3DやDeepDreamGeneratorなど、AI絵生成のクラウドベースサービスを利用する場合は、生成する画像サイズ品質に応じて使用料金が変動します。多くの場合無料プランや月額数十ドルからの有料プランが用意されています

これらの予算は、あくまで一例であり、為替レートや地域によっても異なるため、ご参考にしていただくことをお勧めします。また、AI絵生成には様々なアプローチがあり、各アプローチに応じて必要予算も異なるため、具体的な予算については専門家相談することをお勧めします。

日本在住の場合はどこで買うのがオススメですか

日本在住の場合AI絵生成に必要コンピュータを購入する場合には、以下のような方法があります

  1. オンラインショッピングサイトを利用する:Amazon楽天市場などの大手オンラインショッピングサイトで、必要なパーツやPCを購入することができます
  2. パソコンショップで購入する:PCパーツや完成品のPCを扱っている専門店で、購入することができます日本には、ドスパラツクモなど、多数のパソコンショップがあります
  3. 自作パソコン専門店で購入する:自作PCに特化したショップで、必要なパーツを購入して自分で組み立てることができます代表的店舗には、TSUKUMOやパソコン工房があります

これらの方法比較し、価格サポートなどの観点から最適な方法選択することをお勧めします。また、インターネット上には、自作PCの組み立て方法を紹介した情報も多数ありますので、事前にリサーチしてから購入することをお勧めします。

あなた日本在住の自作パソコン専門店員です。

上級ユーザー向け: NVIDIA GeForce RTX 3090 GPUAMD Ryzen 9 5950X CPU、64GB RAM、2TB SSDを搭載した自作PC予算は約4,000〜5,000ドル程度。の発注書を作成してください。

はい了解しました。以下が、NVIDIA GeForce RTX 3090 GPUAMD Ryzen 9 5950X CPU、64GB RAM、2TB SSDを搭載した自作PC発注書になります予算は4,000〜5,000ドル程度とのことでしたので、最大限予算内に収めるように構成しました。ご確認ください。

自作PC発注書】

【1. マザーボード

ASUS ROG Crosshair VIII Dark Hero

価格:599.99ドル

【2. CPU

AMD Ryzen 9 5950X

価格:799.99ドル

【3. GPU

NVIDIA GeForce RTX 3090

価格:1,999.99ドル

【4. メモリ

G.SKILL Trident Z Royal 64GB (4 x 16GB) DDR4 3600

価格:389.99ドル

【5. ストレージ

Samsung 970 EVO Plus 2TB SSD

価格:349.99ドル

【6. 電源ユニット

CORSAIR RM850x 850W 80+ Gold

価格:129.99ドル

【7. ケース】

Lian Li PC-O11 Dynamic XL ROG Certified

価格:199.99ドル

【合計価格

4,069.93ドル

【備考】

上記構成予算内で構成されています

この構成上級ユーザー向けの高性能PCです。

各パーツは相性が良く、安定した動作が期待できます

OSディスプレイキーボードマウスは含まれていません。

以上が、NVIDIA GeForce RTX 3090 GPUAMD Ryzen 9 5950X CPU、64GB RAM、2TB SSDを搭載した自作PC発注書になります。ご確認いただければ幸いです。

各パーツの説明をお願いしま

はい、以下に各パーツの説明を示します。

  1. マザーボード: ASUS ROG Crosshair VIII Dark Hero

マザーボードは、コンピュータの各パーツを接続し、制御するための基盤です。ASUS ROG Crosshair VIII Dark Heroは、AMD Ryzenプロセッサー対応し、高速なデータ伝送を実現するPCI Express 4.0をサポートしています。また、USB 3.2 Gen 2x2、Thunderbolt 3、WiFi 6、10G LANなどの最新の接続規格にも対応しています

  1. CPU: AMD Ryzen 9 5950X

CPUは、コンピュータの中枢部分であり、プログラムの実行や演算処理を行いますAMD Ryzen 9 5950Xは、16コア32スレッド動作し、最大ベースクロック3.4GHz、最大ブーストクロック4.9GHzを誇る高性能なCPUです。

  1. GPU: NVIDIA GeForce RTX 3090

GPUは、グラフィック処理を担当するパーツであり、ゲーム動画再生などに必要です。NVIDIA GeForce RTX 3090は、最新のAmpereアーキテクチャ採用し、リアルタイムレイトレーシングAI機能を実現します。また、24GBのGDDR6Xメモリを搭載し、高解像度や高フレームレートのゲームにも対応しています

  1. メモリ: G.SKILL Trident Z Royal 64GB (4 x 16GB) DDR4 3600

メモリは、コンピュータが処理するデータ一時的に格納するパーツであり、多くの場合、大量のメモリを搭載することで高速な処理が可能となります。G.SKILL Trident Z Royal 64GBは、高速なDDR4メモリであり、容量も64GBと多くのメモリ必要とするアプリケーションタスクにも対応します。

  1. ストレージ: Samsung 970 EVO Plus 2TB SSD

ストレージは、データを保存するためのパーツであり、高速なストレージ使用することで、起動時間アプリケーションの読み込み速度を向上させることができますSamsung 970 EVO Plusは、高速なNVMeインターフェイス採用し、最大読み込み速度が3,500MB/s書き込み速度が3,300MB/sを誇る高性能SSDです。

  1. 電源ユニット: CORSAIR RM1000x

電源ユニットは、コンピュータに電力を供給するためのパーツであり、高性能なパーツを使用する場合は、電力消費量が増加するため、高出力の電源ユニット必要になります。CORSAIR RM1000xは、高効率で安定した電力供給可能な1000Wの電源ユニットであり、高性能なパーツを安定して動作させることができます

  1. ケース: Lian Li PC-O11 Dynamic

ケースは、コンピュータのパーツを収納するためのパーツであり、デザインや冷却性能などが重要ポイントとなります。Lian Li PC-O11 Dynamicは、高品質アルミニウム素材を使用し、美しいデザインと高い冷却性能を両立させた人気のケースです。

  1. CPUクーラー: Noctua NH-D15S

CPUクーラーは、CPUを冷却するためのパーツであり、高性能なCPU使用する場合は、十分な冷却が必要になります。Noctua NH-D15Sは、高い冷却性能を発揮する人気のCPUクーラーであり、静音性も高いため、長時間使用にも適しています

  1. 追加ファン: Noctua NF-F12 PWM

追加ファンは、ケース内の空気の循環を改善し、冷却性能を向上させるためのパーツです。Noctua NF-F12 PWMは、高い静音性と高い風量を実現する人気のファンであり、冷却性能を向上させるのに役立ちます

以上が、お客様リクエストされた自作PCに搭載する各パーツの説明になります

2023-02-09

[]シュレーディンガー意識

シュレーディンガー形而上学物理学の後に来るのではなく、物理学に先行するという信念を表明していた。彼の技術的な思考は、より大きな形而上学的(宗教的)な問題に触発されていたのである

「外界(心に依存しない)世界存在する」「別々の心が存在する」という仮定がある。シュレーディンガーによれば、どちらの主張も経験的な証拠を得ることはできない。第一に、二つのタイプ現実(心-物質)の関係をどのように考えるかという問題。なぜ純粋物理的な世界に住んでいるように見えるのか。第二は、異なる心の関係をどう考えるかという問題。なぜ、どのように互いに違うのか。彼は還元唯物論主観的観念論と呼ばれる伝統的な西洋の考え方を支持せず、非西洋特にインド哲学インスピレーションを見いだしていたらしい。

「第二のシュレーディンガー方程式」とは、インド哲学に古くから伝わる、自己アートマン)が宇宙の究極の実在ブラフマン)と同一であるという教えであり、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの教えの中心を成しているものであるシュレーディンガーは、この「自己」は個人自己混同してはならず、むしろ個人自己は単なる側面に過ぎない宇宙的、普遍的存在であることを付け加えた。

シュレーディンガーは、この考えを説明するために、光を屈折させてさまざまな色(個々の自己)を作り出す水晶宇宙本質に等しい宇宙自己のこと)に喩えることを好んで行った。「あなたや私は、現実本質形成している一つの心の側面に過ぎない。」彼はこれを同一性教義とも呼んだ。したがって、意識の非二元的形態は、その単一の側面と混同されてはならず、単一世界に住む別々の自己への(単に見かけ上の)区別反証根拠づけるものである

シュレーディンガーは、このことから驚くべき結果を導き出した。例えば、彼はどんな人間でも、その人以前に生きていた他のどの人間とも同じであると信じていた。初期のエッセイの中で、彼は目の前の山々を眺めることについて書いている。何千年も前に、他の男たちも同じようにこの景色を楽しんでいたのだ。しかしなぜ、自分はこのような前の人たちと区別されると思い込まなければならないのだろうか。自分経験と他の人の経験区別するような科学事実があるのだろうか。何があなたあなたたらしめて、他の誰かではないのだろうか?かつてジョン・ホイーラーが、宇宙には本当に一つの電子しか存在しないと仮定したように、シュレーディンガーも、本当に一つのしか存在しないと仮定した。シュレーディンガーは、「意識は決して複数形ではなく、単数形しか経験されないという経験事実」がこれを裏付けていると考えた。私たちの誰一人として複数意識経験したことがないばかりか、それが起こったという状況証拠世界のどこにも跡形もない。

現代意識科学研究において、物質がどのように、そしてなぜ意識経験を生み出すのかという問題を、「意識は脳を備えたいくつかの物理システムが自らに語る幻想物語である」という、そもそも難しい問題があるように見える理由(実際には何もないのだが)で回避しようと試みている。シュレーディンガーは、意識実在についての幻想的な立場を受け入れるには程遠かったが、非常に似たような観点から、たった一つの心(「アートマンブラフマン」)があるのに、なぜ複数の心が存在するように見えるのかを問うている:多くの別々の心が存在するというのは、混乱した個人自分に語る幻想物語なのだ。そうでないと、私たちは常に他の存在(最終的には、現在、非生物物質と呼ばれるものとも)とつながっていることに気づかず、ある意味根本的に孤立しているという誤った信念を持つことになる。難しい問題場合とは異なり、私たち最初の信念が本物であることを示す経験証拠はない。

シュレーディンガー形而上学的、哲学的な教えへの取り組み方の重要な特徴は、合理的科学的な方法論を堅持する慎重さであった。同一性教義は、無批判採用することはできない。つまり、新しい形而上学採用しつつも、科学方法は維持しなければならない。科学理論には東洋思想からの輸血が必要だが、輸血は常に凝血を防ぐために大きな予防措置必要とする。科学思考が到達した、どの時代にもどこにもない論理的精度を失いたくはない。

シュレーディンガーが求めていたもの、彼が最も高く評価していたであろうものは、数学的な正確さをもって意識研究するための科学アプローチである。そのような意識理論にとって同一性教義から続く重要な制約は、その非常に基本的構造において、個々の意識のある存在が(切断された個人ではなく)より高次で統一的なエージェントの側面であり、(電子、岩、脳といった多くのものの中の一つに過ぎず)そのような存在の集合全体が現実の究極の性質構成すると認めていることであるだろう。

シュレーディンガーは、意識実在を認める根本的な一元論を望んだのである意識研究における現在理論的状況を考えると、「意識行為者の理論」はこれらの要件に最も適合しているように思われる。それは、意識が何をするのかについて正確で明確な定式化を目指しており、2つ以上の意識エージェントいかなる組み合わせも、それ自体が別のエージェントであることを提案している。また、エージェント集合体全体が現実本質構成しているという考えにも適合するように思われるが、そのためには、この集合体から物理世界がどのように発生しうるか(そして、それとは別に何も存在しないか)というモデル理論が考え出すことが必要である

シュレーディンガーは、哲学の分野で以前から提起されていたいくつかの議論(例えばカント)に依拠したが、彼の立場は次のように集約される:我々が物理世界と呼ぶものは、シュレーディンガーが「客観化」と呼んだプロセスの結果である。すなわち、一つの自己世界アートマンブラフマン)が、容易に概念化でき、客観的に研究できるもの、したがって主観的性質を完全に排除したもの、へと変化することである意識行為者の理論では、これは「インターフェース」の創造に相当する。このようなインターフェースは、効率的な行動を可能にするために、起こっていることを単純化する。優れたインターフェースは、複雑さを隠す。インターフェイスは、現実ありのままに見せるのではなく、自分にとって都合の良いように見せる。「物理世界」と呼んでいるものは、非二元意識を高度に単純化した表現に過ぎない。

この物理世界もまた、そこに向けられた多数の対象を抱いているように見える。自律した物理世界という誤った印象をもたらした客観化のプロセスは、まさに、異なる肉体に住む異なる形態意識を想定する誤りにつながる。非心理的世界に心的特性を加えるという手っ取り早い方法では、先に述べたような問題を本当に解決することはできないだろう。なぜ他の誰かではなく、あなたなのか?ある主題のセットをより上位のものにまとめるにはどうすればいいのか?しかしそれらの問題は、そもそも分離した多数の自己に対抗する一つの物理世界存在という形而上学的前提に屈しないことで回避することができる。意識行為者の理論によれば、根本的に分離した自己という考え方は、インターフェース上に見えるものと非二元的意識という真の現実混同している場合にのみ生じる便利なフィクションである

意識行為者の理論は、シュレーディンガーの問いに対する興味深い答えを提示している。なぜ、私たち特質のない物理的な世界に生きているように見えるのか?なぜ、そしてどのように私たちは互いに異なっているのだろうか?それは、意識的なエージェントダイナミクスが、現実の本当の姿を隠すようなインターフェイスを生み出すからだ。私たちは同じでありながら、異なるように見えることがある。ある視点から見ると、すべてのエージェントは一つの世界に等しい一つのものに結合する。別の視点から見ると、この単一エージェントは、それぞれの世界に住む異なるエージェントネットワークと等しくなる。どちらの視点を選ぶかは、何を説明したいかによる。

2023-02-06

[] AGIって結局どうなったの?

誇大広告現実の違いを理解する必要がある」これはAIしろ量子コンピュータしろ言えることだ。

ロケットに関しても、火星移住するようなレベルに達するのかというと、それよりも地球上で様々な問題顕在化するのが先だろう。

AGIについては、誰もその方法を知らないと言える。ここ10年で起こったことを踏まえたら、それはヒントにはなるだろうが、その多くは非常に単純な技術である

2030年にAGIが誕生する可能性はどのぐらいあるのか。50%でも希望的観測だと考えている。

ディープフェイク、チャットボット音声合成画像生成など色々あるように思うが、本質は「transformerにポン」だ。進歩しているのは莫大な計算資源を扱う人間スキルであり、数学的な進歩はそれほどあったとは思わない。

シンギュラリティ!」と発狂しながら言っている他界系は沢山いるが、「特定能力を持ったAI仕事配備して何でも自動化する」ということが可能になる範囲には確かに興味がある。

例えば「新しい漫画を作りたい、そのために必要リソースを設定してアウトプットを出してくれ。ストーリーは大体こんな感じだ」とAI命令する。「リソース見積もりができました。それを実行するためには500ドル必要です。支払いますか」「はい。支払いますポチ」「しばらくお待ちください...出力がダウンロードできます」みたいなものだ。

現在アレクサやらSiriやらは全然ダメで、特殊化されすぎているし、仕様もなんとなく投げやりである。この方向ではAGIにはなりそうもない。「人の声」なんてインターフェイス部分は本質ではない。

GPTなどの巨大言語モデルは、学習後のパラメータが巨大ではあるものの、ソースコードはとても単純で短い。

まり今後進歩が望めるとすれば、一つはハードウェア的な進歩であり、1)ハードウェア能力, 2)ハードウェア価格, 3)ハードウェアが誰でも使いやすくなる、といった方向だろう。

AI最先端企業で働く連中は「集団思考」に陥っており、それを避けるために独立して研究開発する人々もいる。投資先としての魅力があるかはわからないが、一つは潤沢にハードウェアを使えるかどうかが鍵だろう。

しかダメ投資先とは、「OpenAIAPIを使ってちょっぴりファインチューニングして画像生成とテキスト生成をしました」というタイプの連中だ。これは一時的炎上資金は貰えるかもしれないが、優位性がすぐに失われる。

優位性という意味では、メインストリームではないアイデア模索しているところも投資先としては魅力的かもしれない。

2023-01-31

anond:20230131121539

2009-06-18 - はてなブックマーク開発ブログ

この現状を受けて、はてなブックマーク側でも、ブックマークレットブックマークするときcanonical URL をチェックし、ブックマークしようとしている URL が異なる場合、ナビゲーションによる正規化された URL提示するようなインターフェイス作成を行いました。

最近・・・

2023-01-22

[] anond:20230121123355

元増田コミュニケーションコストを肩代わりするなんて言っていない (anond:20230121130433)

じゃあ下記必要無いんでないの?

わざわざ可視化するまでもなく、整えても・砕けた表現にしても・要約しても、話が通じない人がいることは皆日常で実感しているでしょう

SNS書き込みのような社会的な発信をする際に、また他人の発信したものを読む際に、AIによる自動添削/要約作業インターフェイスを挟むのは当たり前のことになるだろう。そしてそこ>に一枚AIが噛んでいることすら意識されなくなるだろう。

IMEも「欲しい字を呼び出すための道具」から自動で変換してくれるアシスタント」に意味が変わってきている。

 

とりあえず、おバカな人が見えない空間できゃっきゃしたいも何も、

おバカな人が好きそうなコンテンツSNSにいたらおバカな人を目にする機会はどうしたって増えるんじゃないか

例えば、おバカな人が好きな Twitter だと、 NASANature論文紹介アカウントかにでもアレな人が突撃してるのよく見るよ

精神を病んだ人・宗教の人だけでなく、フツーに該当ジャンルバックグラウンドがある人だったりもしてる

科学アカウントでもそんなレベルなんだからマンガアニメゲームなんて説明するまでも無いよね

ましてや自称政治とか自称ジェンダー見てる人はとても正気とは思えないよね。趣味から致し方がないが

 

ーーーーーーーーーー

追記

増田主題としているところはAIって言ってみたかっただけよねって感想になるし、

おバカな人が好きそうなコンテンツ場所にいなきゃ良いだけじゃんってなるし、

所得(知能が影響することが多い)が違うと生活スタイルが異なることが多いは別に近代に限ったことじゃないじゃん

エスタブリッシュメント(上級国民)でもない限りむしろ現代は差は縮まったでしょ

・・・・って感想になるけど、

 

この2つはすごく共感できる

別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。

>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

>もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。

 

共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

ここが YESなっちゃうようなら、ペット共生なんて出来ないし、人間限定しても道徳社会規範刑法も要らないんだなぁ

○○をしたら自分社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物社会化成功したと言える

動物だって理解させることが出来るんだから人間理解できないわけないじゃない

これを理解させることがすべて保護者義務だし(なのでメンヘラ開き直りDQN保護者として不適格なことが多い)、

フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃん認識をしていて

特別支援必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ

CU特性

共感性に乏しく、悪いことをしても罪の意識を感じない。非行ハイリスク

http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~nagasawa/2019SEN.pdf

 

あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場人間尊厳尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない

アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、

福沢諭吉大学出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?

あとアカデミアの人間なのに自身バックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、

それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外学会同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?

こういう人たちは一刀両断バカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います

ただただひたすらにバカなだけで

 

 

社会にとって、下記の二つに該当する人物は脅威になり得ます

 

こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな

 

その中のひとつが娯楽の襟を正すことだと思います

ガチャ環境ガチャが大はずれしたキッズにお外の価値観に触れる機会を与えることができるのが、

スポーツ、娯楽(映画ドラマアニメマンガゲーム音楽小説)

から、売れれば正義現実空想妄想は違うからどんな非倫理的でも売れればセーフとか、

本当、いい加減なんとかした方がいい

2023-01-21

AIチャットボット社会を不可逆的に分断する

バカガキがホームレス女性をなぶりものにして動画にしているとの記事があった。

差し入れを装って異物を食べさせて喜ぶ輩がいるのでホームレスは貰った食べ物を捨てるのだという話も。直接的に寝込みを襲う事例も昔からある。

なんでそんな酷いことをするのだと思う?

って、別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

しろそういうことをしない者はなぜしないのか。

同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

知能の格差は乗り越えることができない。

馬鹿の壁、というより巨大な空隙がそこにはある。大事なことは何も伝えられない。

われわれは心ならずも関わり合っている。本当は通じてないのを知っていて、あたかも会話が成立しているように振る舞っている。教育によってバカが「治る」かのように。

「会話が成り立っているかのように装うスキル」は、社会生活を送る上で長らく必須のものだった。「コミュ力」と呼ばれるものの正体はそれだ。

知的水準が近い者同士の意思疎通に「力」は必要ない。利害の不一致から対立が生じることはあれど、お互い全然何言ってるかわからないということは基本的にない。

バカとの会話にいくらエネルギーを投入しても成果はゼロだ。だからバカがゴネたり暴れたりするのを避けるためだけに、会話が成り立っているかのように粉飾することにエネルギーを使わざるを得ない。

さて、このような「あたか意味が通っているかのように体裁を整える作業」はAIの得意技だ。

SNS書き込みのような社会的な発信をする際に、また他人の発信したものを読む際に、AIによる自動添削/要約作業インターフェイスを挟むのは当たり前のことになるだろう。そしてそこに一枚AIが噛んでいることすら意識されなくなるだろう。

IMEも「欲しい字を呼び出すための道具」から自動で変換してくれるアシスタント」に意味が変わってきている。

星新一だったかな? 人間はみな肩にロボオウムを載せてそれを介して会話する。人間は「こいつ何て言ってんの?」とか「うぜえから帰れ」とかオウムに耳打ちすると「どういったご用向きでしょうか」「相すみませんが今手が離せませんので」とかオウムが代弁し、オウム同士で会話がなされる。その未来が来た。

この文章のいわんとすることは増田に常駐のバカにはわからない。というかそもそも読みもせずに適当に目についた単語に反応して鼻糞つけるような脊髄反射トラバがつくのが関の山だ。しかし少し先の未来には、バカの端末にはバカにとってもっと親しみがもてるかたちに(内容も)作り変えられた文章が映し出され、バカの頓珍漢なレスポンスは穏当な挨拶に作り変えられてこちらの画面に表示させられることになる。

しかしそれも過渡期にすぎない。「AIを介してしか会話できない」を経て「AIしか付き合いたくない階層」が生まれるだろう。

追記

こういうフワフワした話への他人コメントというのはすごくありがたい。

こっちも正味はフワフワで言ってるのだから、本文の字面のものにバチッと噛み合ったコメントじゃなくても、フワフワ思考が枝葉を伸ばしていくよすがになるのでありがたい。

ただ少々勘違いされてる人が多いのは、タイトルの不可逆的分断とは、末尾のもうAIだけでいいや層の出現を指すのであり、万古不変の「バカとの空隙」そのものを言いたいのではない一応為念

AIが便利なんで、努力で埋まる程度の距離自分たちで埋める気が失せる」ことによる細かな分断というのもあるいは生じるのだろう。このあたり言葉足らずだった。

バカとは。逆から言えば意思疎通コスト無限なやつがつまりバカである

デタラメ言う・聞く耳持たないふるまいを政治的武器に、頭の出来の悪さを強みに変える適応が骨がらみになった者をここではいう。(生来の知能の低さをそうやって「悪用」しない生き方現実的可能か?はむずかしい問題

AIオウム人間様の労力を代行し低減させる。しか無限は縮小できない。

代行できないところは、しれっとよくできたまがい物で置換するしかない。そしてAIにとって本物とまがい物は完全に連続しているのだ。そこにおいて代弁者独自権力を持つ。議会ブラックボックス化すると代議士支配者になるのと同じで。

まりAIは道具だと言い張る限りにおいてそれは道具だが、とりあえず自分AIさんのことただの機械だなんて思わないですという者は出てくる。それが一歩先の光景。その先はわからない。

追記

それにしても書いてあること読まない・書いてないこと読み取るブコメ割合がいつもよりだいぶ多い印象。ふわふわが呼ぶのか。

2023-01-16

anond:20230115024756

補足。

過去、(宇宙世紀における)ニュータイプ存在が、水星魔女では出てきません。

これを補う存在が、マンマシンインターフェイス……というか、ガンドアームと人間の組み合わせだと思うのです。

富野監督ニュータイプ定義放棄してしまったため、福井晴敏氏が提唱しているのが、

ニュータイプとは時間空間自在に操れる存在である」ということです。

ブリスエリクトは、おそらくこの水星魔女世界におけるニュータイプのようなものになって、パーメットスコアが上昇した結果フォールクヴァンから水星へのジャンプを行い、その果てにエリクトの意識というか魂がルブリスAIに吸い込まれしまったのではないかと考えています。これが、13年の時間をサマヤ親子が飛び越えた、と主張する元ネタとなっています。死者の魂は四次元に行くと言うのが福井氏の提唱する理論ですが、水星魔女ではパーメットリンクの向こう側、今回はエリクトと繋がったルブリスAIに吸い込まれたんだと考えています

データストーム廃人になった人たちの意識も、おそらくパーメット同士の接続の先にいるんだと思います

水星では、死んだはずと処理されていたサマヤ親子がやって来たことにより、受け入れるか否かで揉めたんだと思います。13年前の世界から来たって言ったら誰だって信じないでしょうからヴァナディース事変直後だったら、二人をすぐに突き出しおしまいだったでしょうに、なまじ13年後にひょっこり現れたか水星人達の間で意見割れたんじゃないかと。

あと、サマヤ親子は逃亡先として水星を選んだんじゃなく、アルクビエレ・ドライブが偶然発動した結果、逃げた先が水星だったんだと思います

じゃあマーキュリー戸籍を与えたのは誰か? これはデリングでしょう。

死んだはずの人間がいきなり時間を飛び越えて現れた。だからまずサマヤ親子の痕跡を消すためにマーキュリー戸籍を与えたんだと思います。サマヤ親子が偶然手に入れた新技術を我が物にするために。

クワイエット・ゼロ計画クワイエット・ストーム……データストームゼロにして、エリクトの魂をスレッタの肉体に取り戻す計画(これはプロペラのもの)で、

デリングの方は二人が偶然とはいえ手にしたアルクビエレ・ドライブを安定して実現させるために、ルブリスマザーコンピューターにして計画進行中なんじゃないでしょうか。

プロペラエアリアルネットワーク構築云々のデータデリングに渡してますので、これを使えばルブリスの方もエアリアルと同等程度にアップデートできるのでしょう。

2023-01-04

anond:20230103223622

イジメとか虐待とかDVとかの加害行為身体だけじゃなくその人の尊厳を傷つけるから、目に見える行為で完結するのでなく後々まで影響する。

それらをひっくるめた総体がつまりイジメでありDVである

っていう、まあ当たり前っちゃ当たり前のこよな。

不当な扱いを受けた後遺症として心が折れてしま加害者への怒りすら持てなくなる。

あるいは全方位的に他人に敵意を向けることしかできないハリネズミ状態になる。

それらは実は同じコインの裏表なんよね。

他人にひどい目に合わされたせいで、対人関係インターフェイスバグってしまう。罪深い

2022-09-09

anond:20220909153249

お客さんが通販サイト入力するのとほぼ同じインターフェイスで、

店員店頭端末から入力すると、一カ所の組み立て工場でがっつり組み立てテストして、

お客さんちに直送するので、

サイトで買っても店頭で買っても、誰が入力して支払い方法をどうするか?だけの違いしか生じないわけさ。

2022-09-08

どうして OS統一されないの

Windows やら macOS やら Linux やら。

インターフェイスひとつOS統一すれば、学習も楽になって

個別最適化のためにコストを使わなくて済む。

二酸化炭素排出量も大きく下がるはずだ!」

・・・知るかよw アンタらが合わせろ

anond:20220908100606

2022-09-05

AIプログラマー仕事を奪うか?

ぶっちゃけどういうインターフェイスになるのか想像つかない。

ちょちょっと文章入れたらアプリが出来上がるイメージなの?

2022-07-26

anond:20220726094821

昔は本当に専用のインターフェイスしか繋げないメディアがあったんだけど、

あんまり売れなくて、汎用型のメディアけが残った。

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

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