はてなキーワード: フィットとは
画風だけの話を胸でかいの民からすると、比較的リアルな描写なのにシャツや上着が都合よく体にフィットする描き方されてて勝手にイライラする
もう随分前の出来事なので、まあ今更感もあるが尼崎が市民の個人情報46万人分が含まれたUSBを紛失した。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220623/amp/k10013684811000.html
このニュースで狭い世界で話題になったことといえば、実際に紛失した人物の所属先である。
当初は尼崎→BIPROGY(旧日本ユニシス)→再委託先という情報だったのだが、後日、さらなる委託先の職員であったことが判明した。
元請のBIPROGYを一次請とすると人物の所属元は三次請となる。
この多重下請け構造をみて巷では「SESの闇」とか言われていたが、実際そうなのだろうか。
この委託に次ぐ委託を見たときにかんじたのは「大して深くねえな」だった。まあIT業界にいる分には、三階層なんて珍しくもなんともない。
嘘か真か某メガバンのプロジェクトなんて、七次請があったと聞くから、三次請なんて可愛いもんだ。SESの闇というには明るすぎる。
最初にこのニュースを聞いたとき耳を疑ったのが、「USBに本番データを入れる」という運用だ。はっきりいって怖すぎる。こんな運用をしていたら、遅かれ早かれ今回のような事故は発生していただろう。SESの闇でもなんでもない。
想像だがこの委託先の職員は、セキュリティ教育を受ける機会がなかったのではないか?
個人攻撃はしたくないが、はっきりいって本番データを扱うということにたいして注意が足りなさすぎる。
作業が終わったら原則その日までにUSBを返却すべきである。最悪、その日までに返却できなかったら、文字通り家まで直帰すべきであった。
「SESの闇」という意味では、ここはまだ議論の余地があると思った(そもそもこの人エンジニアじゃないじゃん、SESじゃないじゃんという気持ちは抑えつつ)
一番理想なのは、もちろん所属先の会社から教育を施してもらうことだろう。しかし、SESや派遣は所属元から離れていることが多い。また、現場にフィットした教育ができるかというと怪しい。
なので、このようなセキュリティ教育は案件参画時に元請のマネージャーなどが施すことが多い。やってはいけないこと、もし違反してしまった時のペナルティなどを懇切丁寧に教える。派遣社員やSESも客の偉い人から言われると大体は守るものだ。
ここまで書いていて思ったのだが、この運用そもそも尼崎市には内緒でしていたから公に教えることも出来なかったのではないか。となると、やはり責任は元請に大きいと言わざるをえない。
スイッチ本体のままずっとやると目が愕然とするほど悪くなるからね(まあスマホつかってるなら大差ないかな)
ついてくるクレードルをHDMIで25インチ~30インチくらいの安いのでいいからコンピューターモニターにつないで、その向いに座椅子置いて最初は一日2時間くらいプレイするといいよ
そのとき音がでるテレビなら音質もちょっとこだわると、かなりよいゲーム体験できるよ カメヤマじゃなくてイイヤマとかのやすいのでもそこそこいける
ソフトはなんでもいいけど初心者なら入ってる体験版だけで1週間は遊べるよ
リングフィットやるときも遠くからじゃ本体の指示見えないから大画面が必須だけどテレビ高いから持ってない場合はコンピューターモニター、これ常識ね
あとSDカードいれたり、スマホに連携するとプレイ動画保存できるぞ
すまんね。人々のミソジニーの解消は増田でやるのが正義だと思ってるんだ。
記名でやるとポジショントークにしかならないし、同調圧力ではなくロジックで説得しないと真の定着はないからさ。
わびと言ってはなんだが、ライフハックをば。
正社員で平均年収ちょい超えくらいの年収であり、同額くらいの貯金がある。NISAにぶっ込んで漬け込んでる部分もあるから全額すぐ動かせるわけじゃないけど。
BMIが25に達してきたので必死こいてリングフィットとかやってる。
で、
彼氏ができない。
持病と体質の問題で酒が飲めないしタバコも吸わない。バーとか普段は行かない生活。
トラブって辞めたくないので職場恋愛はナシ。そもそも在宅勤務メインでデスクも減らされたので接触がない。
でもじゃあ、この状況でどう作りに行けばいいかよくわからない。
友達はいない。地方から進学で東京出てきたけど大学の交友関係ぜんぶ切っちゃった系。在学当時から合コンとか行ったことない。酒が入る場面キライ。付き合いじゃなきゃ行かない。
マッチングアプリも一時期やってたけど何もピンとこなくて退会してしまった。
次のボーナス結婚相談所費用とかに充てるくらいしかもうできることが思いつかない。
あとなんか、婚活に限らないTwitterアカウントとか作ればいいの?
そもそも本当に彼氏が欲しいのか私は。なんかふんわり男性恐怖症みのケがある気すらする。
単に暇と愛情のはけ口が欲しいだけ的な奴ではないのか?
「犬でも飼ってろ」という話になる。
でも犬は惜しみない愛を注いではくれるだろうけど、例えばメイドインアビスの次の巻の感想を共有したりできないじゃん。
何なら美味しいものを分けあって一緒に食べるとかもできないじゃん(イヌにあげていいものと私の美味しいものとがいつも合致することはない)。
しかし一個人を私のあれこれを分かち合う(といえば聞こえはいいがやっぱり個人的な体感は「はけ口」なのだ)ために選ぶとか求めるって、なんかすごくこう、非人道的な感じしないか。
もう何もわからない。
これは大事。
先月、とあるお店ではかってもらってCって言われた。しかし、今回別のところではかってもらったらF相当とのこと。
店員さん…いくらリップサービスでもちょっと盛りすぎでは…って思った。けど、Fで試着したら驚いた。ぴったり過ぎた。
今まで重みで垂れ下がってぺっちゃんこだったおっぺぇが、生気を取り戻したかのようにたゆんたゆんになった。ハリのあるおっぺぇだ。すっげえぞ…!
ブラがこんなにもおっぺぇにフィットするなんて知らなかった…。
試着室の鏡見ながら
「これが…私のおっぱい…?」
って声に出しちゃったもんな。
・運動する時揺れて痛くならない
・肩こり若干楽になった
・姿勢が若干よくなった
・触り心地がいい
よくないこと
・服の裾が浮く
・胸目立つ
良いことの方が多かった。
特に階段上り下りする時におっぺぇが揺れなくなって動きやすくなったわ。
そしてしっかり支えられてる感じがする。
安定感がすごい。
あとは揉み心地が最高。
でも本当は可愛い子の可愛いおっぺぇに触れたいよ…。顔埋めて息吸いてぇよ…。
デメリットは、服の裾浮くこと。
ちょっと丈の短いTシャツ着るだけで浮くね。嫌なんだわ。これが乳カーテン…。
乳カーテンしないでシルエットすっきり着れる服が欲しいわ…。
話長くなったごめん…。
まじでおめぇのおっぺぇのこと大事にしてくれよ!!
古くなったり小さくなったブラは捨てよう。
以上。
ここ数年オナホールを使うようになった。とてもよろしい。ところで、オナホール用エアピローなるものがある。これはとても良いものだ。膨らませて、オナホをセットして、挿入して、腰を振る。これは手での上下とは全く違う快感が得られる。性行為の経験は少ないが、記憶にあるあの感じにかなり近いのではないか。なにが一番近いかというと太ももや背筋に来る疲労感。汗だくになるほど必死に振る。振らないと快感が得られないからだ。これはかなりの運動量になっているはず。腰振りオナニーを始めて2ヶ月、週2回ほど行っているが、体重が4キロ以上減っている。他にも食事に気を使ったりリングフィットアドベンチャーも週一2年ほどしているけれど、ここ最近の体重の減りはやはり腰を降っているからではないかと思っている。これを続けていると、セックスも上手くなるのだろうか。以前は射精感が来るよりも先に疲労でダウンしてしまったこともあるけれど、これを続けていればスタミナがついて腰を振り続けられるようになるだろうか。頑張ろう。そういう相手ができる予定はないけれど。
電源機器などの製造販売を業とするユーザー企業が、商品の販売・生産管理を一元管理するシステムの構築をITベンダーに依頼した。開発はITベンダーが提案したパッケージソフトを利用する形で行われ、システムは納品されたものの、稼働後、多数の不具合が発生した。また、このパッケージではユーザー企業がこれまで行ってきた「新規品」「前同品」「修理品」のうち、「前同品」の管理しかできず、開発中からベンダーにカスタマイズ要望を行っていたにもかかわらず、ベンダーがこれに対応しなかった。そうしたこともあり、このシステムは業務に使えないとユーザー企業は判断し、稼働を停止した。
ユーザー企業は、前述の管理部分をITベンダーが開発しなかったことは債務の不履行にあたると訴訟を提起したが、ITベンダーは、この開発の方針はユーザー企業の業務をパッケージソフトウェアの機能に合わせて改善する「フィッティング方式」で行うことで同意されていたはずであり、「新規品」や「修理品」の管理は別の手法で行うはずだったと反論した。
本件における新規品は、まだ市場に投入されていない新製品、前同品は既に売り出して市場に出回っている製品、そして修理品は文字通り修理対象の製品を指す。確かにITベンダーが提案したパッケージソフトウェアでは製品をこのように区別しておらず、結果として「前同品だけ」しか管理できなかった。
ベンダーは当初、パッケージソフトウェアを業務に合わせるカスタマイズ方式を提案したが、ユーザー企業から「パッケージソフトウェアのカスタマイズは行わない」「機能が足りない場合は、業務の方をパッケージソフトウェアに合わせて改善する」という方針を示され、基本的にフィッティング方式で行うことになった。ITベンダーはそれを前提にパッケージソフトウェアを選択し、提案した。だがユーザー企業は途中からカスタマイズ要望を多発し、プロジェクトは実質カスタマイズ方式に変わってしまった。
フィッティング方式とカスタマイズ方式のどちらを採用するかは、その後の要件定義や開発に大きな影響を与える。
カスタマイズ方式の場合、ベンダーは、ユーザー企業の業務をよく把握して要件を定義し、さらに必要と考えられる機能については、仮にユーザー企業から指示されなくても要件と捉えて、開発しなければ債務不履行に問われる可能性が出てくる(必ずとは限らないが)。
フィッティング方式を採るなら、主として汗をかくのはパッケージの機能に合わせて業務を変えるユーザー企業ということになる。パッケージの機能は変えず、設定をどうすればよいのかを決めていけばいいので、ITベンダーの手間は少ない。
当初しなくてもよいと思っていた機能の追加や変更が、ユーザー企業の翻意によって変わってしまう、つまり開発中にフィッティング方式からカスタマイズ方式に変わると、当然、プロジェクトは混乱する。ITベンダーの作業は増えるし、業務知識も補足しなければならない。しかもこうした変更要望はランダムに言われるため、スケジュールもコストも計画から逸脱することになる。
本件の場合、特に大きかったのは「新規品」と「修理品」への対応だ。これらの機能はユーザー企業の既存システムには具備されていた。しかし、パッケージソフトウェアにはこれらに対応する機能がない。
カスタマイズ方式で開発を行うなら、恐らく必ず実装しなければならない機能だっただろう。しかし本件では、ユーザー企業自身が「業務をパッケージソフトに合わせる」と言ってしまっている。であれば、ITベンダーがこれを作らなかったのも致し方のないところだ。
他方で、作ったシステムは結果として業務には使えない。いくらフィッティング方式だからといって、業務が成り立たないほど乖離(かいり)したシステムを納品するのはITの専門家として許されないのではないか――ユーザー企業はそんな思いで裁判に訴えたと想像できる。
ユーザー企業の提示した(中略)提案依頼書には、本件新システム構築の「基本方針」として「1 システム構築には標準パッケージで構築する、2 カスタマイズは行わない、3 標準パッケージで合わないところは業務をパッケージに合わせる 標準パッケージで対応の取れない部分はパッケージに業務を合わせる」などと記載されて(中略)いる(基本方針はフィッティング方式である)。
(中略)
ユーザー企業は、(中略)新規品、修理品の関連業務について(中略)フィットアンドギャップ分析(中略)概要設計(中略)詳細設計および開発を行う義務を負っていたのに、(これらを)行わなかったのは(中略)債務不履行であると主張する。しかし(両者が合意した開発方式がフィッティング方式である以上)、ユーザー企業側の上記主張は採用することができない。
今NHKでやってるBBCが放送してた海外番組ブリティッシュ・ベイクオフを見てる。
アマチュアがパンやお菓子の出来を競う料理サバイバル?番組だ。
https://www.nhk.jp/p/ts/PN79NV19XL/
事前オーディションで選考されたアマチュア料理家(番組内では「ベイカー」(Baker)と呼ばれる)たちが、毎週与えられるテーマに沿ったパンやパイ、ケーキや焼き菓子などの出来栄えを10週に渡って競い合う番組。
なんでこの番組を見てるかというと、NHKはこの前に「ソーイング・ビー」という番組を放送していたからだ。
https://www.nhk.jp/p/ts/PM58N4MYMN/
当時ぐうぜん見かけてこれは面白い!と結構長い間見ていたが、それも終わってブリティッシュ・ベイクオフになった。
両者の関係はというとソーイング・ビーはブリティッシュ・ベイクオフのスピンオフ的番組で、番組のフォーマット、アマチュアたちが3つの課題をこなしだんだん脱落していく、をそのままに対象を料理から裁縫に変えた番組。
つまり日本放送でいうと新しいほうから放送して元祖のより古い番組を今放送しているということになる。
そのせい(古いせいで洗練されていない?)かはわからないが、ソーイング・ビーと比べてブリティッシュ・ベイクオフは面白くない。
そんな増田がなぜソーイングは面白くてベイクオフが面白くないのか考えたら、単純に二つの理由かなと思った。
食べ物の評価となると当然、味が評価対象になるわけだけど、見てる側には味なんてわからないんだから見てても「そうなんだ」以上の感想がわかない。
硬い・ふんわりとしている・水っぽい・リキュールが効いてるなどなどあるけれど、調理途中でアクシデントが起こってそうなったとわかるものもあればなんか普通に作ったけど最後の焼きが悪かったのかなんか失敗した。みたいなものも多い。
もちろん見た目の評価もあるんだけどまあ料理の範疇なので見ていても「どれかと言えばこれが好き」程度に落ち着いてしまう。
なんというか一緒に審査している感がない。他人の食事を見てるだけ。のような疎外感を覚える。
だから結果発表もえーそれが一位?俺はこれだったわーみたいにならない。あーそうなんだ。よく作れたんだ。で終わる感じ。
対してソーイング・ビーは服なのでもうほぼ見た目が9割。途中の失敗が目に見えて結果に反映されるし、時間が足りなかったらそれで未完成品が出される。他方で上手い人の作品は本当に見た目も作りもきれいでああこれは褒められるなとわかりやすい。目に見えて良し悪しがわかりやすいのだ。
さらにリメイクの課題ではそんな素材で!?(パラソルやウエットスーツ)そんなものを!?(SFな服や犬用の服)みたいな物が多くてもう千差万別のものができあがる。
そのなかで上手に出来たものの中から一位予想が楽しいし、予想が外れても「俺はこのデザインのほうが好き」でなんかオッケーな気分になれる。
また、両番組とも「レシピ通りに作る課題」があるのだけれど、ベイクオフは上手くいけば当然どれも似たり寄ったりになるわけで。完成してもめっちゃ地味。
大してソーイングなら生地の選び方からセンスがでるし、生地の種類ごとに合う合わないがあって難易度が勝手にあがる参加者もいたりして、「型通りに作る」んだけれど完成品はみんなバラバラな印象になる。
審査員は男女二人。どちらかと言えば両方の番組で海外男性がセクシーで注目している。まあそれはどうでもいいや。
でもま、ベイクオフの男性審査員、ポール・ハリウッドがもう辛らつ。料理の出来が悪いと本当に悪い点をたくさん上げてくる。
まだシーズン初期なので下手な人が落ちきってないという面もあるんだけど、それでも悪い料理には悪い点の指摘しかしない。
女性審査員のメアリーはまだ比較的ましかな?程度。ポールのほうがしゃべるのでやや発言が少ないが、やっぱりダメなものはダメという。
焼きが足りないとかこねすぎとかこのフルーツは合ってないとかプロとしてご意見はごもっともなんだけど、聞いていて結構つらい。厳しい先生。
対してソーイング。男性のパトリックと女性のエズメなんだけど、二人ともまあやっぱり怖いは怖い。威厳がある。
変な生地を選ぶと作ってる途中にパトリックがこれでやるのかい?だとか生地が伸びて難しいだろうが…頑張って。とか言ってくる。
でもユーモアもあって、進行役のタレントからよく弄られたりする程度にはフランクだしそれに冗談で返したりもする。
そしてなにより褒める!
二人ともどの作品もひとつは褒めるんだよ。(たまーに本当にヤバい作品が出るときはこれは完成していない…とかで終わるけど)
まあ大抵生地(色使い)がいいとかステッチが丁寧とかフィットしているとか私は好きよ。とか。
どんなにひどいミスがある作品でも時間切れで未完成品でも「ここは良い」がある。ミスが必ず見つけられて怖いけど優しい先生。
ミスから挽回したりできなかったりした作品には(心配したけど)よく頑張ったねとか声かけしてくれる。
だからちゃんと見られてる感があって厳しい指摘も見ていて受け入れられるんだよね。
つまり
評価がわかりやすく会話にジョークが混じり指摘中に必ず褒めるソーイング・ビー。
めっちゃ単純に心理的安全性がある組織とない組織みたいな対比になってる。
んで社会人としてどちらがエンタメとして優れているかと感じるかというと…まあ後者だよね。(ガチンコとかマネーの虎とか厳しい系が流行るときもあるけどね)
つらい番組は見たくないし。比較対象が優良だったらなおさらだよね。
ブリティッシュ・ベイクオフを見ていて面白くないと感じる原因はソーイング・ビーを見ていたせいでなんか転職に失敗しました感を感じてるからかもしれない。
工具類(BBツールやスプロケットリムーバー)買った。他にもチェーンカッターも。
決めよう。前傾姿勢のために長めのステムにしようか?あとペダルはお安いものにしとこう。
ひとつ前の増田の「不買運動の正邪は状況が決める論」は、元増田の疑問に沿ってないと思う。
もうひとつ前の「不買運動は戦争説」のアナロジーが問題意識によくフィットしている。
戦争と同様に、巻き込まれてしまう市民がいるのに、悪の根源に対抗するのに戦争という手段をとっていいのか、って話だよね。
考えてみると明らかに邪悪な首脳に支配された国が悪さをして、それを倒すために戦争を仕掛けるのはどうなんだって気もする。連帯責任っぽさがある。
それよりも言論による抗議活動で株主総会を刺激して経営者を下ろす方がよっぽど文明的だ。
不買運動が不可避に起こるか起こらないかに関わらず、個人の目の前に選択肢があるとき、どちらを取るかの判断は正義が基準になりうる。いまはツイッターがあるから、不買運動は不正義だ。