「クレヨン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: クレヨンとは

2021-11-18

ジャンル自称クソザコ絵描き、字書きへ

とある二次創作ジャンルでの吐き捨て

 フォロワーが増えない、いいねRTがされない、と愚痴ったり卑下したりする前に、以下に目を通してみてくれ。

 こっちはお前がヘタレから避けてるんじゃない。

攻撃的なツイートをするな

 おっかなくて関わりたくねーわ!

 ついでに特定政治団体宗教主義攻撃するってことは、その支持者からフォローいいねRTを全て捨てるってことだからな。

ジャンル者だからって自動的にお前の友達になるわけじゃねぇ

 偶然同じ作品を好きになっただけの、赤の他人だってーの。

 なんで赤の他人の機嫌を取ってやらなきゃならないんや、友達でもないのに特別扱いされたいならキャバクラ行って金払え。

フォローいいねRTの少なさをグチるな

 うっかりフォローしたら、その後もいちいちいいねRTの有り無しでグチグチ粘着されそうでおっかねーわ。

 そもそも、すでに応援してくれていた人に失礼すぎるだろ。

ギャルゲーじゃなくても好感度大事

 フォローいいねRTするこっちも人間だっつーの。

 同じレベル作品でも好きな人作品はより好きになりやすいし、逆に嫌いな奴の作品は意地でも認めねぇってなりがち。

好感度を稼ぐなら

 何かを誉めるのが一番手っ取り早い。どうしても他人を誉めたくねえ、悔しいってなるなら、ジャンル原作をこれでもかってくらい誉めとけ。

 好きなものを誉めてくれる人は好きになりやすい。もっと褒め言葉がみたくて、フォローしたろって気分にもなる。

好感度が高ければ、ヘタレでも愛嬌として認識してもらえる

 どんなにぐちゃぐちゃなクレヨン落書きでも、我が子の作品なら額縁入れて飾りたくなっちゃうようなもん。

 それを高評価するのは忖度じゃなくて、本心からその作品が好きになっているから。

それでも、今のありのまま自分をそのまま認めてくれなきゃヤダって場合

 絵神、字神になるしかない。唯一無二で圧倒的な技術力さえあれば、掌ころっころですり寄る奴も出てくると思う。

 他のツイートがアレなままだと、匿名掲示板で専用のヲチスレ立てられる可能性は高くなるけどな。

さいごに

 まあ、すでにミュートして視界に入れないようにしてるんだけどな。楽しくなりたくてオタクやってんのに、赤の他人の不平不満愚痴になんぞ付き合ってらんねーっての!

anond:20211118141812

民主主義の前提ってそんなんだっけ?

ちょっと勉強したいから何を持ってその民主主義観に至ったのか教えてクレヨン

2021-08-30

ゲイ虹色とったのマジ許せねえ

虹色カラフルで大好きなんだがいつのまにかゲイ象徴みたいになってた。

どうにかしろ

子供クレヨンあったらまず虹色に塗るだろ。

なんでお前らがそれを取るんだよ。

決められた色とかで良かったじゃんふざけんな。

2021-08-05

小山田圭吾いじめ問題月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)の記事の一部書き起こし

クイック・ジャパン』『ロッキンオンジャパン』以外で、小山田いじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、

メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、

案の定これを利用して、拡散元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事外山恒一氏のnote記事反論している。

また変な扇動しかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。

なお、カドカワ記事フリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士世界塔」の発売直後に刊行されたもので、

アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。

月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352

きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。

幼稚園ときに、巨人土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初記憶ですかね(笑)土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビ土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。

すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。

普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。

小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校身体障害者の人が多いんだけど、特別クラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校ときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。

小学校ときは成績は良かった。運動会リーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣消しゴム流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲消しゴム流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャカプセルを出すと効率悪いのね。

ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分スーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)

小学校ときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいタイトルで作文書かれてね(笑)別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいついかにして迫害たかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃん印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)

運動会リーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。

音楽幼稚園からアニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのときイナズマン』のLPサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)

テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメ再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャート信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方チャートだとフリッパーズ・ギター四国全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。

あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆ジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフ志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。

中学になると、人当たりが悪くなって。クラス友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達クラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としかさなくなった。

Kはね、体がでかくて、小学校ときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。

同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子テープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマンブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときクイーンかな。

その頃、初めてエルヴィス・コステロインペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌グラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテックカメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチシングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面音楽にどっぷりいった。

そういうふうにして中学生のとき洋楽を聴いてると、みんな馬鹿自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。

ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテックカメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コード名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。

高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスなっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)クラスにいるときは、Kとしかさなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドル写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外小説を読みながら歩いていたという話をきいた。

ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校友達かいたから。

変な高校でさ。普通レベッカとかBOØWYコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンクニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスコピーやって出てた。授業中はウォークマンヘッドホンコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。

小沢中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水ジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったか一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)

※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソードアルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめ関係する箇所は上記だけなので以降は省略。



読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。

そして問題記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、

自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。

小山田圭吾問題の最終的解決|外山恒一|noteより

まず第一に、これは小山田氏が、自分いかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。

ーーー(省略)

それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりエスカレート過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的ことなのではないかと思うのです。このことはむしろ世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身イジメ加害経験真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそも最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオンジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。



また、件のブログの反論としては、”自分判断で「障害者虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、

フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。

下手したら、「障害者虐待アピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。

2021-07-04

全然関係ない話

子供キャラクターおもちゃ流行ってるゲームなどを欲しがるのを無視ナチュラルでアーシーな主張のあるおもちゃを与える母」の毒もさることながら、私の母は真逆で「キャラクターものおもちゃや分かりやすおもちゃを欲しがらない娘を不審に思う母」だった。

物心ついた頃から、同世代の子供たちの間で流行っているTVゲームキャラなどにまつわるおもちゃやグッズが苦手だった。

4つ上の兄は戦隊ものキャラグッズやゲームやを欲しがる子供だったらしいのだが、私はTVゲーム由来のおもちゃに興味がなく(TV番組自体ゲームをすることは好きだった)、分かりやす女の子らしいおもちゃリカちゃん人形とか魔法少女系のキャラグッズやお姫様系のグッズなど)も、デザインがダサくていやだな…と思っていて、誕生日クリスマスのたびに欲しいものを探すのが難しいと思っていた。

子供だった私が「ダサくてイヤ」と明確に思っていたわけではなく、理由は分からないけどとにかく「そういうのは、何かあんまり欲しくない…」という強い気持ちだけは確かにあった。特に魔法少女系やお姫様系のおもちゃについては「だってそれ持ってても本物になれるわけでもないし、なくてもごっこ遊びは十分楽しめる、というかむしろ”にせもの”がない方がごっこ遊びもっと自由にやり易い」と思っていた。

クリスマスは、親はイベントとして「子供から欲しいものを探り出して事前に用意しておく」イベントをやりたかったようなのだが、分かりやすおもちゃを欲しがらない私は、時節になると入るおもちゃ屋さんのチラシやデパートDMを穴が開くほど眺めてみても、欲しいおもちゃを見つけることもできないし、ましてや欲しいおもちゃ指名することもできず、さらに言えば幼稚園の低学年で「サンタはいないよな」と何故か思っていたので、子供心に憂鬱だった。幼稚園の年長の年の冬に「もう来年小学生からいいよな」と思って、母に「私は欲しいものが欲しいかサンタさんのことはもういいからお母さんと一緒に買い物に行きたい」というようなことを言ったらしいと母から聞いた。「もう小学生になるからいいよな」と思ったことはとてもよく覚えている。それで、ちょうどピアノ教室に通い始めた時だったこともあって、アップライトピアノを買ってもらった。

その後は、誕生日クリスマスもそれなりに楽しみになった。きれいな紙(折り紙とかシールとかきれいなラッピングペーパーとか)やクレヨンや色鉛筆や、あとは触り心地が良くてかわいい動物ぬいぐるみデパートで見つけて買ってもらってピアノの上に並べていた。お友達たちはTV番組のごっこ遊びとかも好きだったので、まぁそういう遊びをするときはもう帰るねと帰ってきちゃって、一人でピアノ練習をしながらぬいぐるみたちとごっこ遊びをしたりしてた。ゲームは好きだったから家で兄や友達とやったりしてたが結局それほどは熱中はせず、いつまでもゲームをやめずに怒られるのは兄の方だった。

母はクーヨン母的なものとは真逆の人で、むしろクーヨン母的なものを嫌っていたような気がする。娘の私も、ああいう極端なものは、それはそれで全然嫌なのでそういうナチュラル教徒みたいな親じゃなくてよかったと深く胸をなでおろす一方で、「分かりやす流行っているものを欲しがらない娘」にしばしば圧をかけてくるのがどうにも嫌だった。母から、分かりやす流行っているものを温和に好み、さらに言えば大勢の中で悪目立ちせず埋没してくれることを願われていたのだと思う。

残念ながら娘の私はそういうタイプに生まれることができなかった。

「みんなが好きなもの」を素直に受け入れて好きになることができず、自分の好きなものについてのこだわりと主張が強い。母の眉をさらに顰めさせたのは、そのように素直に埋没できない私のこだわりと主張は、子供の狭い世界の中でオピニオンリーダーのようになりがちなことだった。子供は「〇〇ちゃんも持ってるから買って!」と言いがちな生き物でもあるが、私はこの引き合いにだされる「〇〇ちゃん」になりやすい、悪目立ちをする子供だった。素直ではなく、大人しくなく、主張が強い。勉強が出来て、目立っていたせいか割とモテてもいた(とはいえ所詮は狭い子供世界の中での話)。そして私のそういうところも母は嫌がっていたように思う。

私は母が望むような、温和で優しくてニコニコしている女の子になりたかった。けど、どうやったら「そう」なれるのか、全然なり方が分からなかった。大人になった今になって、そうかあまり我を出して強く自己主張しちゃだめだったのだろうな、とぼんやり考えたりするが、大人になった今になっても「それ」は上手くなってはいない。

もっと大人になった今になっては開き直ることができている。運がいいことに私の我の強さや悪目立ちする個性は人に好かれやすい面もある(一方でこっぴどく嫌われることも少なくない)し、幸いなことに人より頭が良く生まれたらしいこともあり我が強く悪目立ちしていても今のところ生きていられている。ほとんどの人から嫌われない温和さや優しさはないが、少ない数ではあるが強い好意を持たれてその人たちと良好な関係を築きそこから世界を広げることもできている。でも、開き直る前までは、自分はろくでもない恥ずかしい人間なんだな、と思っていたし、今でも割とその思いはぬぐい切れていない。

今日、みかけたブクマを見て急に子供の頃のことを思い出したので、長文を吐き出し。

2021-07-01

anond:20210701144214

ヒェッ ダセエなんだこのガチャガチャ色のネイル

クレヨンかなんかだと思ってんのか

2021-05-17

幼稚園の保育参観だった

今日幼稚園の保育参観だった。

4月から幼稚園に入ったばかりの息子。幼稚園ではどんな様子なのか、私はとても気になっていた。

コロナ対策で、教室ではなく体育館での参観。始まる前にほかの子どもたちはウロウロと歩いている中、息子は机に頬杖をついてジーッとしていた。

視界に入る席に私が座っても、手を振るでもなく笑うでもなく頬杖着いたままじっとしている。

工作が始まってからも基本頬杖で、先生に促されてクレヨンを握ったりしていた。その間、私の方はほぼ見ず。

もしかして体調でも悪いのでは?」と心配になるほどかったるそうにしていた。

参観が終わったらそのまま親と帰宅だったのだが、帰宅はいつも通り楽しそうに遊んでいた。

いつも朝のバスに乗る時に「ママと一緒がいい」って何度もつぶやくので「がんばって楽しんでらっしゃい」と送り出すのだが。ふだんもあんな風にひとりぼっちで机に座ったりしているのだろうか。年少だからまだお友達と一緒に遊ぶのは難しいかもしれないけれど、お友達とも先生とも馴染めずにいるのだろうか。

そう思うと胸がキューッとする。

まだ通い始めて一か月ちょっと。家ではのんびり一緒に遊ぶようにして、リラックスさせてあげたいと思う。

ちょっとでも幼稚園楽しいとおもえるようになるといいな。

2021-05-11

工程に入った新しい機械

工程(俺のいるところ)の成果物にかなりの精度を要求する代物だった

じゃあこっちも精度を上げられるように新しい機械を入れてクレヨンと思ったらお前らは人力でやれとのお達し

こりゃ前後工程が嚙み合わなくて失敗だな

この会社こんなんばっかりだよ

つーか機械買う前にどういう前提で動くのかよく調べてから買えや

2021-05-02

anond:20210502232926

風呂落書きできるクレヨンで、お腹に絵でもかい

腹踊りでもしてみるとかー

私は夏までに人並みにエアコンをつけるのが目標

お金がなくなりかけたらもう毎日コーンふろすてぃと牛乳で暮らすよ。

とうぶんは

anond:20210502192803

たくさん写真撮って美味しく食べてきてクレヨン120色

2021-03-09

実現可能ダジャレ

布団が吹っ飛んだ

「布団を吹き飛ばした」になる余地がないよう、できるだけ受け身でいる必要はあるが、実現はできそう

アルミ缶の上にあるミカン

実際やったことある

サラダの皿だ

サラダが皿に入ってさえいればOKなので余裕

ニューヨークで入浴

ニューヨークに行きさえすればいける

足湯で疲れを吹っ飛ばす(foot-bath)

疲れた状態で行き、疲れが吹き飛んだと言えるまでの効果を得ないといけないので意外と難しそう

クレヨンをくれよん

洒落としてのレベルが低いのでそもそも実現する価値をあまり感じないが、一応可能

ただ、クレヨンを「くれ」なんて態度で要求する必然性がある状況はかなり少ないだろうから、意外と難しいかもしれない

この夜景、やけ(ー)に綺麗だ

夜景が妙に綺麗」というシチュエーション要求されるため、けっこう難しそう

花を放す

レベルが低いが、花を掴めばいずれは放すことになるので、実現はかなり容易

私にわたし

これ意識しないで言っちゃうことがあるレベルなので相当容易な部類かもしれない

電話に出んわ

居留守かますときにも言えるし、相手が出ないときにも言えるので実現性が高い

薔薇をばらす

微妙か?

お金はおっかねえ

資本主義社会に生きている以上、常に実現していると言えるのかもしれない

バナナ園の蕎麦、7円

死ね

バスを蹴り飛ばす

やめろ!

ジュースをジュージュー吸う

ダジャレのものはかなり苦しいが、喫茶店ストロー付きのジュースを頼んだりするとそこそこ生じうるシチュエーションではある

窓はまあ、どうにかなるか

ならない

イカはまあいいか

回転寿司とか行ってお腹いっぱいになれば実現できそう

ダジャレを言うのは誰じゃ

俺じゃ!

2021-02-27

光のオーロラ身にまとい、って言うけど

なら逆に光ってないオーロラ教えてクレヨン

太郎さんがネットニュースになってて辛いので思い出した。

2021-02-19

遊郭でのプレイ

子供に教えるかどうかなんてどうでもいいやろ

それより遊郭でのプレイ内容が知りたい

フェラ、本番まではいいとして、3Pディル使用コスプレアナルSM飲尿スカトロ

いったいどのあたりまでプレイOKだったのだ?

遊郭ウンチク増田はこういうのを教えてクレヨン

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん