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はてなキーワード: 国語学とは

2022-11-15

anond:20221115184924

数学記号って言語から曖昧さを排除して人工的に作った言語から国語学論理学数学本質はかわらんよな

やることは要するに事象から概念抽出抽象化と名付け

2022-10-17

anond:20221017170538

大学の授業に「国語」なんて元々無かったよ。あるのは国語学や日本語学

2022-10-06

anond:20220922014226

季刊誌「Yaponesian」第4巻なつ号

ことばめぐり

言語学は何ができるのか?

風間伸次郎(東京外国語大学;B02班研究分担者)

最初、この科研に参加した時からこの分野における言語学の貢献の可能性については疑問を感じていた。

文献や記録がない限り、過去言語のことは知りようがなく、日本語については古事記日本書紀万葉集時代8世紀)以前のことは基本的にわかりようがないのだ。

卑弥呼古墳時代言語はもちろん、縄文などとなればもうお手上げである

もちろん周圏論分布や内的再建、というものはある。

基本的に無文字言語で、現在の諸方言データしかないツングース諸語を専門にしている私は、内的再建に頼らざるを得ない面が多々ある。

しか日本語アルタイ諸言語関係、のような巨視的なレベルでこの手法を使うことはまずもって無理だ。

ただ万葉集には東歌・防人の歌というものがあり、方言差の記録もある。しか現代もなおその特徴を維持している方言がある。

そこで何とかならないだろうかと、去年の言語学会のワークショップのためにいろいろ勉強してみた。

そうしているうちに、言語学日本語学側の問題点偏見?)や視野の狭さというものにいろいろと気がつくようになった。

そしてそれに対してごく最近、これまでの殻を破った核心的な研究も現われてきた。このことについて以下に4つの問題点に分けて記す。

1.今ある国や地域県境などに捉われてはいけない。人はずっと動かないわけではない。

学生と話していると、中国には中国語、ロシア語にはロシア語韓国には韓国語だけが話されていて、過去にもずっとそうだったと思っている者がたくさんいる。

方言も同様で、彼らは最初はもう日本全国ほとんど標準語なんだと思っていて、そこで青森鹿児島方言を紹介すると、今度は47都道府県に47の違った方言があると思い込んでしまう。

しか学生たちのことを笑うことはできない。

蝦夷征伐の時代、(アイヌだったのかもしれないが)蝦夷の人々とは通訳必要だったのに、百済とのやりとりは全く通訳不要だった。

白村江以前、朝廷にとって朝鮮半島は取り返すべき本拠地で、他方東国は全くの異国の世界だった。

そういうことを考慮に入れていない日本語研究者の方がほとんどであると思う。

2.水田適地も現在と同じではない。

私も勉強してみるまでは、現在と同じように大河川の河口には広い土地があって、山国の日本にあってはもっぱらそこで大昔から稲が育てられてきたんだと思っていた。

しか大河川の河口の平野はかつては治水がままならず氾濫すればすぐ水浸しになり、大湿地帯も多かったという。

さら富士阿蘇噴火していたし、火山による黒ボク土は稲作に適さなかったんだという。

決して現在水田地帯すべてに弥生人が広がって今と同じように稲作をしていたとは言えないのだ。

3.平安時代なんて、決して大昔ではない

これまでの日本語アクセント研究では、平安時代の類聚妙義抄(11c-12c?)に記されているかなり複雑な体系のアクセントに近いものが祖体系であると考えられてきた。

これには「理由なく分裂することは比較言語学方法論上、慎まなければならない、だから複雑な体系こそ祖体系で、だんだん簡単になり、無アクセントは「なれの果て」である」という金田一春彦先生以来の考えが金科玉条のようにみなされてきた。

一方で文献のない時代日本語起源について、南方言語オーストロネシア)に北方アルタイ系が被さったんだとか、インドタミル語関係あるとか、眉唾な説を怪しげな音対応説明する者がいろいろあって、多くの日本語研究者は文献以前の日本語に心を閉ざしてしまったようだ。

そしてもっとも古いアクセントの記録(の一つ)である類聚妙義抄の体系がより神聖視されたようにも思う。

(中略)

ところがつい最近(今年の春の言語学会のワークショップ3で)、すばらしい発表があった。五十嵐陽介氏の「2音節名詞第4/5類に対応する琉球祖語B類は改新であるとする仮説」である

これは本土琉球で異なるアクセント類に分けられている諸語群について、それぞれの語群への分裂が①狭母音か非狭母音か、②かつて複合語であったか否か、という条件によって説明できることを提案したものである

まり日本語アクセントにおける声調発生論がついに登場したのだ!! したがって祖体系はもっと簡単ものになる可能性が出てきた。

4.「アクセントだけ」を研究していてもダメだ!

他の学問分野も多かれ少なかれ同じかもしれないが、言語学ますます分化していて、扱う言語の違いよりも方法論の違いの方が大きな距離を感じるほどになっている。

そして、ある一言しか扱わない、とか、文法、それも受身しかやらないとか、音声、それもアクセントしかやらないとか、そういう研究者も多い。

いわゆる蛸壺状態だ。しか上記五十嵐さんによるような研究成果はアクセントと共に子音や母音配列や、語構成琉球諸言語本土方言の音対応などを総合的に考察していないと到達することはできない。

日本語学は寺村秀夫の出現で1970年代活用重視の国語学から脱皮し、最近琉球方言の「体系的」研究の進展などによって再び新たなステージを迎えようとしているように見える(、だといいんだけど)。

2022-05-26

anond:20220526180459

個人からスケールを狙えばこそ、「自分立場確立して交渉能力確立してから自営に移るのならともかく」だぞ。

それもそれなりの交渉能力をもって飯を食えるぐらいとなると、それこそもともと趣味でやるぐらい技術についてはまり込んでそれが長じての起業パターンな。

からさー、そういうパターンとそうでないパターンの二通りがあるのよ

知ったかぶる前に国語学べよ お前の文章メチャクチャわかりにくいし言ってることもトンチンカンだぞ

2022-03-05

ウクライナ語固有名詞日本語表記について

2年前に「ロシア語の表記揺れはなぜ起きるのか」っていう増田を書いた増田だけど、みんな覚えてるかな?

今回は最近話題ウクライナ固有名詞日本語表記についての話をするよ!

иは「イ」か「ウィ」か

ロシア語やその他の多くの言語で、иは「イ」の音を表す文字だよ! でもウクライナ語では違うんだ!

手元の教科書を見てみると、「ゥイー 母音字。[イ]より奥に舌を引き,唇を横にして出す」(『ニューエクスプレス ウクライナ語』10頁)って書いてあるよ! そうだね、日本語表記する上ではロシア語のыみたいになるんだね! ローマ字ではyで表記することになってるよ!

問題は、「ウィ」って表記するとややこしいことだね! 人名のМикола (Mykola)を「ムィコラ」と書くか「ミコラ」と書くかってことだね! きちんと数えたわけじゃないけど、ロシア語のыよりもウクライナ語のиの方が使用頻度高そうな気がするよ! 原語に敬意を払って「ウィ」と書くか、日本語の読みやすさを取って「イ」と書くか、究極の選択ってやつだね!

ちなみに「ムィコラ」はロシア語でいう「ニコライ」のことだよ! ロシア語の「ダニイル」はウクライナ語では「ダヌィロ(Данило)」、「ウラジーミル」は「ヴォロディムィル(Володимир)」になるね! 「ダニロ」や「ヴォロディミル」とどっちがいいと思う?

そういえば、ロシア語のыは日本語では「ウイ」って書くことも多いね! 「チェルノブイリ」も、Чернобыль (Chernobyl’)のыを「ウイ」って書いてるね! それに倣うならВолодимирも「ヴォロディムイル」って書くべきかな? うーん、チェルノブイリを「チェルノブィリ」と書くようにした方が早いかな! ちなみにウクライナ語ではЧорнобиль (Chornobyl’)だから「チョルノブィリ」だね!

またもや忘れられるь

ьの説明を覚えてるかな? そうだね、同じ文字ウクライナ語にもあるけど、ロシア語と同じで無視されやすいんだね!

ロシア語苗字でよく見かける語尾に「~スキー(-ский)」っていうのがあるけど(本来形容詞の形だね! 個人識別するために「○○の」っていう形容詞をつけてたのが苗字として定着したのかな?)、ウクライナ語だと-ськийになるよ! そうだね、ьがあるから「ス」じゃなくて「シ」になるんだね!

ということは、ウクライナ語的に表記するなら「~シキー」か「~シクィイ」になるべきだね! иをどう表記するかは上に書いたように色々な考えがあるけど、少なくとも「~スキー」にはならないね! 「~スキー」って書いてる時点でロシア語読みだね! Зеленськийは「ゼレンシキー」か「ゼレンシクィイ」だね!

ウクライナ語はロシア語だとьが入らないところにьが入ることがあるよ! 東部都市名前も、ロシア語だと「ドネツク(Донецк; Donetsk)」や「ルガンスク(Луганск; Lugansk)」だけどウクライナ語だと「ドネツィク(Донецьк; Donets’k)」に「ルハンシク(Луганськ; Luhans’k)だもんね!(ウクライナ語とベラルーシ語ではгはガ行じゃなくてハ行になるよ!)

цьは「ツィ」か「チ」か

ロシア語だとあんまり見ないけどウクライナ語だとよく見かける綴りがцьだね! ツァ行の子音цにьがついてるから「ツィ」って書くべきなんだろうけど、言いづらいよね! 学術論文とかでは「ツィ」と書くべきだと思うけど、新聞とかの一般向け媒体で「チ」って書かれてても仕方ないかな!

語末のв

語末に置かれたв (v)はロシア語でもウクライナ語でも無声化するよ! ロシア語ではこれを「フ」って書くことになってるけど、ウクライナ語だと「ウ」の音になるから「ウ」って書いた方がいいね!

からロシア語で「ハリコフ(Харьков; Khar’kov)」と書かれる地名ウクライナ語だと「ハルキウ(Харкiв; Kharkiv)」になるんだね!

語末とかで無声化したvを「ウ」って書くことになってるスラヴ系言語は、他にスロヴェニア語やスロヴァキア語があるよ! ベラルーシ語そもそも綴りを変えてў (ŭ)って書いちゃうから逆に迷わないね! ベラルーシ語だとハリコフじゃなくて「ハルカウ(Харкаў)」になるね! なんでそうなるのかについては「なぜアザレンカはアザレンカなのか」も読んでね!

їを棒引きで表記するか否か

ウクライナ語にはїっていう文字があるよ! この文字はйのうしろにіを続けた発音を表すんだ! йは半母音/j/で、іは母音「イ」だね! つまりїは/ji/の音を表すわけだよ!

母音/j/ってのは、要するに日本語のヤ行の子音にあたる音だね! ということは、їは日本語でいうとヤ行イ段の音ってことになるね!

……それ「イ」じゃね?

ただ、いちおう「йのうしろにіを続けた発音」なわけだから、「イイ」や「イー」と書くという考え方もありうるんだよね! そう書くと元の綴りがわかりやすくなるよね! іを「イ」で、їを「イー」で書くことにすると元の綴りがわかりやすいかも?

実はウクライナ国名ウクライナ語だとУкраїнаなんだよね! їを「イー」で書くなら「ウクライーナ」にすべきなんだけど、「ウクライナ」が定着しちゃってるから「ウクライーナ」と書くのは違和感があるね!

キエフ? キーウ? クィイーウ?

じゃあ、ここでウクライナ首都名前を見てみようか! ロシア語ではКиевで、これはそのまんま「キエフ」で問題いね

ウクライナ語ではКиївって綴るんだ!

ここまで書いた色んな論点が詰まってることがわかってもらえると思うな! иは「イ」か「ウィ」か? їは「イ」か「イー」か? 語末のвは無声音の「ウ」だけど、発音よりも原綴を重視して「ヴ」と書くべきか?

仮に「иは『ウィ』、їは『イー』、語末のвは『ウ』」で書くなら「クィイーウ」になるね! 「иとїはどっちも『イ』、語末のвは『ウ』」とするなら「キーウ」だね!

仮に「チェルノブイリ」のようにиを「ウイ」と書くなら「クイイウ」とか「クイイーウ」もありかもね! ごめん、やっぱなし! さすがに不自然すぎるね!

個人的には、日本語母語話者発音のしやすさを考えると「キーウ」が一番いいんじゃないかと思うんだけど、表記法には好みってやつがあるからね! どうしても「クィイーウ」じゃないと、という主義の人もいるかもしれないよね! 日本語表記をめぐる議論は最終的には不毛な争いになっちゃうからね!

はてなーの居る場所は既にウィキペディアン2000年代に通過した場所だッッッ

実は、ウィキペディアでは十数年前にウクライナをめぐる喧々諤々の論争があったんだよね! ウクライナ関係記事表記ウクライナ語で表記しよう! という動きが出てきたんだけど、иを「ウィ」で書く派の人が主導してたもんだから日本語母語話者には発音しづらい項目名ばかりになった頃があったんだ!

たとえば、みんなも世界史の授業で「フメリニツキーの乱」について習ったことがあると思うんだけど、乱を起こしたフメリニツキーウクライナ語ではХмельницький (Khmel’nyts’kyi)って綴るんだ! そう、иを「ウィ」で書くと「フメリヌィツィクィイ」になるんだよね! 読みづらいね! 一時期ウィキペディアウクライナ関係記事はこんな感じの表記だらけだったんだ!

さすがにこれは、ということで今は「フメリニツキー表記になってるけど、これもおかしな話だよね! 記事には「ボフダン・フメリニツキー」って書いてあるけど、それ何語なのかな? Богданを「ボフダン」と読むのはウクライナ語だけど、「フメリニツキー」はロシア語だよね! ちゃんぽんになってるね! せめて「ボフダン・フメリニチキー」か「ボフダン・フメリニツィキー」だよね! ちゃんぽんにするくらいならロシア語で「ボグダン・フメリニツキー」って書いた方が幾分かマシなんじゃないかな?

増田中二病をこじらせてた頃は「は~? ウクライナ語の『и』は『ウィ』ですが~?」みたいな感じで「フメリヌィツィクィイ」みたいなややこしい表記推してたんだけど、最近一般人にとっての可読性も大事だよな……」という気持ちになることも増えてきたよ! だから「クィイーウ」に「フメリヌィツィクィイ」じゃなくて「キーウ」や「フメリニツィキー」でもいいと思うよ! でも「クィイーウ」「フメリヌィツィクィイ」派も間違ってるわけじゃないよ! 音楽性の違いってやつだね!

どこまでウクライナ表記を貫徹させるか

法的には、ウクライナ国家語はウクライナ語だよ! そこには疑問の余地はないね! だからウクライナに属するものはすべてウクライナ語で書くべきだというのはひとつの見識だよね!

一方で、ウクライナ住民の何割かはロシア語母語にしているんだ! 彼らも代々のウクライナ住民だよ! っていうか、ゼレンシキー大統領母語ロシア語だよ! ある意味ロシア語は「少数言語」という立ち位置なんだよね! 島国じゃなくてだだっ広い平原から、どういうふうに国境を引いても内側に少数派が残っちゃうんだよね!

ロシア語侵略者言語であると同時に、ウクライナの少数派の言語でもあるんだ! 「ウクライナに属するものはすべてウクライナ語で書くべき」というのは、ちょっと意地悪な言い方をすればウクライナナショナリズムの主張なんだよね! たとえば、在日コリアンの李さんや金さんが、自分は「い」や「きむ」だと言っているときに、「ここは日本なのだから日本語読みで『り』『きん』と表記すべきだ」と主張する人がいたとしたら、みんなはどう思うかな?

もちろん、何度も言うけどウクライナ語で貫徹するという方針も間違ってないよ! ロシア語での表記ロシアナショナリズムロシア中心主義じゃないの? と言われたら反論できないしね! ただ、「ロシア語読みを使うべきじゃない」みたいな強い言い方を目にしちゃうと、ん? それってどうなの? とは言いたくなるよね! まあ、増田は色々考えた上でだいぶ前からキーウ」って書くことにしてるけど、今頃になってロシア語読みはけしからんとか言い出した人たちについては眉毛によだれビチョビチョにして見ちゃうよね!

あ、「キーウ」は現代の話ね! たとえば歴史上のキエフルーシかについては、「キエフ」でいいと思うんだよね! その頃はまだ東スラヴ系民族は「ルーシ」という比較的同質性が高い集団で、それがロシアウクライナベラルーシ・ルシンに分かれていったのは近世近代以降の話だからね! 本当は教会スラヴ語のКꙑѥвъに準拠した表記にすべきなのかもしれないけど、教会スラヴ語には詳しくないから読み方がわからないや!

ちなみに「ロシア」も「ベラルーシ」も「ルーシ」が語源だよ! 「ルーシ」はこれら諸民族にとって共通過去なんだよね! 雑な喩えになっちゃうけど、ロシア人にとってのキエフ東日本出身者にとっての奈良みたいなものだと考えるとわかりやすいと思うよ!

ところで、昔はウクライナのことが「小ロシア」と呼ばれてたわけだけど、これはもともとは蔑称じゃないよ! 古典時代ヨーロッパには、近い方を「小」、遠い方を「大」と呼ぶ用法があったんだ! 東アジアの「大小」の感覚で考えてはいけないんだね! アナトリア半島が「小アジア」と呼ばれるのはヨーロッパから見て「近い方のアジア」ってことで、グレートブリテン島の「グレート」はフランスブルターニュ半島より遠くにあるから、つまり「遠い方のブリタニア」ってことだよ! 現在ポーランドには「マウォポルスカ県」と「ヴェルコポルスカ県」があるけど、それぞれ「小ポーランド」に「大ポーランド」って意味だよ! なのでかつてルーシの中心だったキエフの辺りは「小ロシア」って呼ばれてたんだね! まあ、近代以降は侮蔑的ニュアンスなっちゃってるみたいだから、使わない方がいいけどね!

最後に、戦争について

正直めちゃめちゃ憤ってるよ! 今回のプーチンの行いには欠片の理もないよ! 侵略どころか、ウクライナ人という民族存在否定しようとするなんて、ウクライナ人を民族として認めたソ連よりも退行してるよ! 70近くになって怪しい歴史認識に目覚めるとか、実家の親なら笑い話になるかもしれないけど核保有国独裁者だとちっとも笑えないよ!

ロシアから見てNATO東方拡大は脅威なんだ、だからロシアウクライナ侵攻は仕方ない、と言ってる人たちもいるけど、どう考えてもおかしいよね! 仮にそれを是とするなら、日本にとって中国軍拡は脅威なんだから韓国親中政権ができたら日本韓国に攻め込んでもいい、みたいな話になっちゃうよね! 狂ってるよね!

でも、その憤りをロシア人やロシア文化に向けるのは絶対に間違ってるよ! 拉致問題への憤りをコリアンコリア文化に向けてる人たちと一緒だよ! 普通に人種差別だよ! そういう人たちはプーチンの行いを非難するのもいいけどまず自分差別意識と闘うべきじゃないかな?

ロシア文化ウクライナ文化も、どっちも尊重されるべき文化だよ。ウクライナ文化擁護ロシア文化否定じゃないよ。ウクライナ人やウクライナ文化存在否定しようとする侵略者否定されるべきだけど、それがロシア人やロシア文化への否定に繋がってはいけないよ。

増田はどちらの文化も好きだよ。だから本当にこんな事態になってしまって悲しいし、ロシア若者非道侵略戦争に送り込んだ連中には相応の報いがあることを祈っているよ。

追記

ブックマークコメントに応答するね!

yiみたいな発音ロシア語についてもЕは正確にはyeなんだけど、日本語的に普通なエとなるЭよりも頻度高いのをいちいち日本語で言いづらいイェと表記するのクッソしんどいみたいな話に帰するよね…

国際的な転写法でも、Еは普通にeで、Эに特別記号を当ててることが多いもんね! иは頻出するから扱いが難しく、一律で「イ」にしちゃうというのも可読性の面から合理的なんだよね!

BBC,CNNとか見てるとキエフキーウって言うようになったのはいいけどウクライナをユークラインって言ってて、これだから英語話者は…、ってなる。

英語話者ウクライナユークレインって呼ぶのは日本ジャパンと呼ぶようなもんだから、そこは気にならないかな! そんなこと言ったら、日本人も「スペイン」「ポーランド」「クロアチア」「ギリシャ」「オランダ」「アルメニア」「メキシコ」って言えなくなっちゃうしね!

日本人があーだこーだ言ってても始まらん。駐日大使かに、決めてもらったら良いんじゃないか? 国名とかは基本的に、相手からの申し出があって初めて変更って手続きだし。

これは「日本語母語話者ウクライナ語の音を表記する上で、どういう仮名遣いが適切か」って話だからウクライナ人じゃなくて日本人の問題だよ! もちろんウクライナ人には口を出す権利があるけど、基本的には日本人が主体になって決めるべきことだよ!

ちなみに駐日ウクライナ大使館ウクライナ表記の指針を出してるけど、これまで日本ウクライナ研究者たちが使ってきた慣用とは明らかに異質で、可読性も微妙からぶっちゃけ専門家あいだでは黙殺されてるよ! 慣用表記トップダウンで決まるものではなくて色々な議論を経て徐々に決まっていくもので、「明らかな間違い」は排除されるべきだけど「間違いではない表記」は何種類も存在するんだよね!

っていうか、国名の変更は、あくまでも「政府在外公館名称として定める国名」を法文上どう書くかという話であって、民間の慣用表記とは無関係だよ! たとえば、日本外務省は長らく「ヴィエトナム」って表記を使ってきたんだけど、日本の慣用表記は一貫して「ベトナム」だったよね! つまり外務省呼称とその社会における慣用表記はまったく別なんだね!

国名表記の移り変わりについてはいくつもの研究があるけど、たとえば、「ロシア」などの主要な国名表記がどんなふうに成立してきたかを論じた『外国地名受容史の国語学研究』っていう本が面白かったよ!)

キエフ大門」は「キーウの大門」になるんだろうか

ベニスの商人』が『ヴェネツィア商人』になったという話は聞かないから、芸術分野での慣用表記はまた別なんじゃないかな!

あっ詳しい人が居たから教えてエロい人!お菓子屋のMorozoffはどうしてMorozovじゃないの?あとgoncharoffも。

昔は綴り無視して発音に忠実なfって書いてたってことだと思うよ! 「転写」と「翻字」の違いだね! 詳しくはググってね!

言語に忠実に表記しようとする努力議論があるだけで偉いよ。英語はめちゃ乱暴やし。ウクライナユークレインハルキウカルキヴ、クリミアクライミア英語アルファベットで読むだけ。

クリミアクライミアでもいいんじゃないかな! ロシア語だとクルィム(Крым)、ウクライナ語だとクルィムかクリム(Крим)、クリミア・タタール語だとクルム(Qırım)だから、「クリミア」って時点でもう西欧呼び方なんだよね!

2022-02-02

anond:20220201222023

「ナ形容詞」(敢えて形容動詞と言わない)の問題は、日本語学においてもけっこう厄介な問題なのでは? 「名詞 + な」などもあるからね。(「病気だ」「病気の」はどっち?とか)

大学日本語学専攻だと、このへんの事をしぼられるよ。(高校までの国語文法とは違う話ね。もちろん橋本文法とか時枝文法とかの国語学的伝統の流れの文法とは別)

2021-12-06

anond:20211206123144

言語学的に言うと日本語重要なのは文法的主語(subject)ではなくて主題(topic)なので、「僕はウナギ」だの「タバコは吸いません」だの「象は鼻が長い」だのが当たり前の文なのだが、日本語主題主語だと思い込んでしまって英語でも同じことをやろうとして混乱して英語挫折する人が絶えないのを見ると、やっぱり伝統的な国語学的な日本語文法だけではなくて、こういうこと(日本語学とか言語学見方)も学校で教える方が、英語を学ぶとき挫折しにくくなるなど良い事が多いんじゃないかなぁ、などと思ったけど、あれ? 話がそれちゃってごめんなさい!

2021-11-25

日本語の原郷」について、補足説明

「『日本語の原郷』についての論文を読んでみた」(anond:20211121124146)を書いた増田です。思ったより多くの反応があって嬉しいので、調子に乗ってはてブの反応に対して補足説明みたいなのをしてみます

言語学でわからないところを他の学問補正するのはアリ?

そもそも言語学では分かりようがないところを考古学遺伝学の視点から補正したっていうのがあの論文の眼目だと思うので、言語学の面だけ否定しても…

こういう意見がみられましたが、少なくとも考古学遺伝学の成果から言語については何もわからない、ということを強調しておきます

極端な例を挙げると、100年前にアメリカ移住した日本人の子孫で、ご家庭でも英語しか使っていない日系アメリカ人のことを考えましょう。彼もしくは彼女遺伝的には日本列島に遡ることができます(おうちを探すと日本列島由来の品が出てくるかもしれません)。では言語的には? 彼もしくは彼女が話しているのは英語であり、英語というのは印欧語族ゲルマン語派西ゲルマン語群アングロ・フリジア諸語に分類されるイングランド発祥言語であるわけです。どれだけ遡っても日本列島には行き着かない。「この人は遺伝的には日本列島出身なのだから英語起源日本列島にあるんだ!」なんて話はおかしいでしょ?

古代にどのような人口の変動があったのかはわかっていません。移民同化が起きたのかもしれない。婚姻によって遺伝子が混ざりあった可能性もある。その場合遺伝子の伝播と言語の伝播が異なるルートである可能性もあります遺伝子はヒトの移動について詳しく教えてくれるけど言語の移動についてはなんも教えてくれないんですよ。せいぜい傍証になるだけ(「言語学観点からは○○語は××地域あたりが原郷だと思われるが、遺伝学で調べてみたら××地域からの大規模な人の移住があったっぽいので、このとき言語も広まったんだと思われる」みたいな)。

ニュースになるのは仕方ない

と言うことで、こんな与太話、なんで毎日新聞記事にしたの?と周りの研究者が頭をかけている、と言う話なのかしら。

様々な仮説があるのはいいけど、定説化とか定説エビデンスによって覆されたとか以外はニュースバリュー無いと思うんだが、なぜ報道されたのか。

いやー、Natureマックスプランク研究所研究者が載せた日本に関する斬新な論説をニュースにするな、という方が無茶じゃないでしょうか……

正直、これメディアを責められないと思うんですよね。実は著者のロベーツさん、去年オックスフォード大学出版からオックスフォードトランスユーラシア語族ガイドブック』なんて本を出してるんですよ(Robbeets and Savelyev 2020)。天下のオックスフォードUPから『~語族ガイドブック』なんて出てたらその語族実在は学界の定説になってるって勘違いちゃうのも当然っていうか……これ、今回は日琉語だから気づけたけど、パプアニューギニア言語とかでやられたら引っかからない自信ないです。

なおその『ガイドブック』には辛辣書評が出てます(Vovin 2021)。掻い摘んで批判の内容を紹介すると、「分析されてるのが現代語ばっかりやんけ」「系統関係があるって言うなら明確な対照表を示してみろや」「中期朝鮮語の再建がおかしいけどちゃん韓国語の先行研究読んどるんか?」「“leading international scholars”が書いたガイドブックって謳ってるけど著者のうち6人は院生じゃねーか」みたいな感じです。さらには、

We move now from the bad quality of research to the realm of science fiction in Table 39.1 that is supposed to present core Koro-Japonic etymologies. But there is at least one mistake and/or data fabrication on every line. (Vovin 2021: 126)

なんて書かれてます。怖ぁ~……おしっこちびっちゃう……

大野晋トンデモです

大野晋先生が生き返ってあと数十年研究してくれんかな

これは元増田でも書きましたが、大野晋は、少なくとも日本語起源という点については完全にトンデモです

タミル語はドラヴィダ語族というインド南部語族に属する言語ですが、大野は「日琉語族とドラヴィダ語族はより大きな語族内包される」というありえそうな穏健な主張ではなく「日本語起源タミル語である」という主張をしていますしかし「なぜドラヴィダ語族全体ではなくタミル語比較するのか」「ドラヴィダ語史がまったく考慮されていない」「語義の解釈おかしい」「サンスクリット語から借用語に気づいていない」などのツッコミに対して有効反論ができていない上、ツッコミを受けた箇所をしれっと書き換えたりツッコミを入れた人たちに人格攻撃を加えたりしています長田 1998;児玉 1996;山下 1996; 1998)。やり口がもうきちんとした学者のそれではありません。

大野語源論が誤っている一例として、amarar「不死なる者」という単語について挙げておきます大野はこれを日本語「あま」と関連付けて「天上界の人」の意だと解釈するのですが、これはサンスクリット語amara「不死の」から借用語です。これはさらにa-maraと分解でき、a-は否定接頭辞、そしてmaraの語根mr英語murderやmortalとも関連しています(つまり印欧祖語に遡る語ということであり、どう考えてもタミル語起源単語ではない)(山下 1996: 204–205)。

八丈語系統位置について

日本祖語から琉球語、もう片方の枝が本土語と八丈島語に分かれた系統図を覚えてたんだが、あれからずいぶん研究が進んでるんだなあ。/20年前に既にずいぶん版を重ねた本で得た知識から当然か…。

五十嵐2021)の説は発表されたばかりなので「定説」といえるほどではないですが、きちんとした分岐学手法に基づいて系統解析してるんで個人的には信用してます

で、従来説における八丈語位置づけですが、正確には、上代東国語の唯一の生き残りが八丈語というものです。つまり、「本土日本語派」がまず上代日本語(OJ、奈良など当時の首都で使われていた言語)と上代東国語(『万葉集』の東歌と防人歌に痕跡が残る)に分かれ、後者八丈島(&青ヶ島)以外では滅んだ(=上代日本語同化された)ため、現代では八丈語日本語対立するひとつの語派を形作っているということです。

系統樹にするとこんな感じ(樹形図をどう書けばいいのかわからないんでとりあえず「うんこするの?」の樹形図からコピってきたんですが、見づらかったらすみません)。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語現代日本語

        │

        ├─ 上代東国語→絶滅

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

この樹形図から絶滅した言語を取っ払って現代にのみ注目するとこうなります

日本語派 ─┬─ 本土日本語

      │

       ├─八丈語

それに対して、五十嵐2021)は、上代東国語は滅びたわけではなく、表面上は関西からの影響を受け続けたものの、現代関東東北地方方言として生き延びていると主張しています。つまりこういうことです。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語関西の諸方言

        │

        ├─ 上代東国語→関東東北の諸方言

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

八丈語が際立って特殊に見えるのは、この言語が失われた東国語の唯一の生き残りだからではなく、他の東国語の末裔茨城弁とか)と比べて中央からの影響が少なかったため東国語の特徴が保たれたおかげだ、とするのが五十嵐説です。

要するに、「東国語は滅んだ(=東国話者が完全に同化された)」のか(従来説)、それとも「東国語は生き残っている(=東国話者中央からの影響を受けたけど完全に同化されはしなかった)」のか(五十嵐説)、という違いです。個人的には後者妥当じゃないかなーと思うんですが、どうでしょうか(だってそんな大々的な言語置き換えはどうやって起きたの? ってなりません?)。

なお、五十嵐2021)だけでなく、元増田でも言及したローレンス(2013)も、八丈語には他の東日本の諸方言と共有される要素が見つかり、それは西日本の諸方言には見られず、したがって八丈語東日本の諸方言の内に位置づけられる(=八丈語本土日本語対立する系統であるとする旧来説は誤り)と主張しています

味噌」の語源朝鮮語

日本語に興味のある&研究手法を学んだ”素人には、この論文言語部分はとても怪しい。増田の指摘以外に日本語の粟を他言語大麦の借用としたり、味噌(未醤)を漢語ではなく朝鮮祖語からの借用にしたりしてる。

実は増田もそれを見たとき「えっ……?」って思ったんですが、否定できるほどの根拠を持ってないので書きませんでした。確かに先行研究では意外な言葉朝鮮語から借用語だとされてることがありしょっちゅう驚いているので(たとえば「つち」とか)、「味噌」が朝鮮祖語からの借用というのをありえないと即断することはできないんですが……。

いちおうここで論文の内容を紹介しておくと、『鶏林類事』に[mitsu]という語があって、そこから朝鮮祖語*micuを導き、平城京木簡みえる「末醤」から上代日本語の*misoあるいは*misəを再建し、それは朝鮮祖語*micoもしくはその交替形*micʌからの借用である、という議論になってます。これだけじゃ門外漢増田には当否がわからんのですが国語学的にはどうなんです?

なお、該当箇所に、

...This fragment preserves the following inscription: 御末醤一石二斗, i.e. HON-“bean paste” reads as miso. The Wamyoshō, a Chinese to Middle Japanese dictionary compiled in the mid Heian period has the same kanji (末醤) glossed as miso (美蘇)...

とあるのですが、「一石二斗」の部分いらなくね? とか、転写するならWamyōshōじゃね? とかはケアレスミス範疇だろうから突っ込まない方がいいのかな……

やはり女王は強かった

マイルCSグランアレグリアが有終の美を飾ってくれて最高でしたね……あとはコントレイルジャパンCで有終の美を飾ってくれれば……実はまだ「三冠馬が勝つ」ところを見たことがないので、一度は見ときたいなぁと(にわかですいません)。

「この分野は素人なのですが」

本当に素人なんだけど何でみんな信じてくれないんです……?

参考文献

2021-09-07

作家になるより、作家でありつづける方が難しい

どんなに薄っぺら人生を送っていても一度ぐらいなバズる増田が書けると思うが

それを現実経験ネタ切れなのを発想力で補って嘘松炎上記事を書き続けられる人はすごい

こういう才能養うのに文法書や国語学の本読んでも明後日努力しかないことが最近わかった

文法的に正しく分かりやすいことと文才は別物、相乗作用があるともないとも言えない

2021-08-04

大学数学って名称が気になる

心理学とか建築学とかが大学という接頭辞を冠することはないでしょ。

そして心理学建築学学部で習うことが全てではない。

から逆に「大学」とついてる学問は、大学で学ぶことが尽きちゃうって印象がある。

もちろん「高校数学との対比としての意味以上のものはないのかもしれない。この場合大学数学とは高校までに扱わない数学全般を指していて、大学とはそれを教授する施設代表に過ぎない。

でもそれならたとえば国語には大学国語はあるか?ということになる。国語学というものはあるけどそれは大学国語とは呼ばれない。

経済高校では政経倫理とひとまとめに呼ばれることがあるだけで、高校経済大学経済存在しない。

こういうことから心理学かに比べても数学は底の浅い学問ではないかという印象さえ持ってしまう。

むろん新規性を前提とした論文という点から考えれば、数学という学問の蓄積は決して底が浅いものであるとはいえないはずだ。

私が言いたいのは、研究するための道具立てとしての知識は、大学で教わることで一通り揃ってしまうのではないかということだ。

今この瞬間も数学事実は新発見されているだろうし数学が厚みのある学問であることは自明だ。

しかしその発見のための研究必要知識自体大学あるいは院で習うことで出そろってしまうのではないか

それに比べ経済学は最近MMTなんてものが発表されたように体系としての分野が新しくでてくるわけで、大学を出たあとも研究テーマによっては独自にそういった体系を学んでいかなければならないということがある。心理学とか医学だってそうだろう。

数学大学などで習ったことがきちんと習得されていれば研究自体はできるのではないか

そういう意味で「大学で学ぶことが尽きちゃう」ことからの「大学数学という名称なんじゃないかと思うのだがどうなのだろう。

2021-06-04

anond:20210604171749

いや、普通に日本語学世界での共通認識からね(国語学なんて自称してる界隈は怪しいけど)

言葉の乱れ、誤用といったものではなく言語変化なんだとする見方大勢です

文法的にも十分説明のつく現象だしね

2021-03-08

anond:20210308175921

日本史国語学化学の三つすべての研究者なの?違うなら増田がザルな基準だと示してしまってる。

2021-02-12

anond:20210211002659

どおりで....

語学関連だと、ソシュール時枝誠記は専門的すぎると思う。言語学専攻や国語学専攻なら必読だけど。

あと、ハイデッガーヴィトゲンシュタインは大変だよ。それより前に読むものがたくさんあるでしょ。

それと、『資本論』をさらっとあげてるけど、日本語版で何巻(というか何分冊)あるか知ってる?

2021-02-10

本好きなら高校生までに読破しておきたい古典100

哲学思想

プラトン饗宴

アリストテレス詩学

アウグスティヌス告白

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』

マキァベッリ『君主論

モア『ユートピア

デカルト方法序説

ホッブズリヴァイアサン

パスカルパンセ

スピノザエチカ

ルソー社会契約論』

カント純粋理性批判

ヘーゲル精神現象学

キルケゴール死に至る病

マルクス資本論

ニーチェ道徳の系譜

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

ソシュール一般言語学講義

ヴァレリー精神危機

フロイト快感原則彼岸

シュミット政治神学

ブルトンシュルレアリスム宣言

ハイデッガー存在と時間

ガンジーガンジー自伝

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品

ポランニー『大転換 市場社会形成崩壊

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法

アレント全体主義の起源

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

レヴィ=ストロース野生の思考

マクルーハングーテンベルグ銀河系

フーコー言葉と物』

デリダ『グラマトロジーについて』

ドゥルーズガタリアンチオイディプス

ラカン精神分析の四つの基本概念

ウォーラーステイン近代世界システム

ケージジョン・ケージ

サイードオリエンタリズム

ベイトソン精神自然

アンダーソン『想像の共同体

本居宣長『玉勝間

上田秋成『胆大小心録』

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』

岡倉天心東洋理想

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』

九鬼周造『「いき」の構造

和辻哲郎風土

柳田國男『木綿以前の事』

時枝誠記国語学原論

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア

旧約聖書創世記

ソポクレスオイディプス王』

唐詩選』

ハイヤーム『ルバイヤート

ダンテ神曲

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

シェイクスピアハムレット

セルバンテスドン・キホーテ

スウィフトガリヴァー旅行記

スターントリストラム・シャンディ』

サド悪徳の栄え

ゲーテファウスト

スタンダールパルムの僧院

ゴーゴリ外套

ポー盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ嵐が丘

メルヴィル白鯨

フローベールボヴァリー夫人

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー悪霊

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ審判

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン魔の山

ザミャーミン『われら』

ムージル特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナーアブサロム、アブサロム!

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』平

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ嫉妬

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット荒地

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキー詩学

ブランショ文学空間

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉にごりえ

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋蒲団

徳田秋声あらくれ

有島武郎或る女

志賀直哉小僧の神様

内田百閒『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩押絵と旅する男

横光利一機械

谷崎潤一郎春琴抄

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如エロ事師たち

島尾敏雄死の棘

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉円陣を組む女たち』

後藤明生挟み撃ち

円地文子食卓のない家』

中上健次枯木灘

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥小説神髄

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉福翁自伝

正岡子規歌よみに与ふる書

石川啄木時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝復興期の精神

吉本隆明転向論』

江藤淳成熟喪失

2020-07-19

anond:20200719105422

国語学は正しい言葉遣いを決めるためのもんでもないけどな

2019-04-15

anond:20190415104041

「ヰ」や「ヱ」については、仮名ができた当初の発音は w だったけれども、その後、日本語の音の歴史的変遷があったので、iseki や yebisu のような事例が出来てきたのだとか。

ヰ wi の音は早くに無くなって実際の音は i になった後も旧仮名遣いとして文字だけ残ったようだけれども、 ヱ の方は当初は we だったのが後で je に変化したので面倒らしい。

詳しくは国語学の本などをどうぞ。(Wikipediaにも概要が載ってます

2018-12-17

糸偏がヘタクソだった(追記

社会人になってからめっきり字を書く機会が減ってしまたから忘れていたんだけど、子供の頃私は糸偏が綺麗に書けなかった。

仕事上なにかを書くときアルファベットなことが多くて、丁寧に字を書くことなんて滅多にないから忘れていた。さっき珍しく部署内の人への書き置きを書いていて思い出した。

小学生の頃、フランス日本人学校に通っていた時期があった。駐在年数の長い子が多い学年で、みんな少し日本語おかしかった。いろんな地域方言や、英語仏語独語単語が滅茶苦茶に混ざったニホンゴで会話していた。珍しく出入り(転入帰国)の少ない学年だったこともあって、とにかく言語への頓着が薄かったんだと思う。

「書き」に関しても同じで、綺麗に文字を書こうという意識が、少なくとも私にはあまりなかった。高学年になれば「日本にいた頃習字教室に通っていました」というような子がひとりふたりいたんだろうけど、残念ながら低学年のクラスには母国スキルを蓄積している子はいなかった。両親がこどもちゃれんじと青い鳥文庫を根気強く与えてくれなかったらどうなっていたんだろうと思うとゾッとする…高かっただろうにありがとう。まだ英語和訳みたいな文章書いちゃうけど、なんとかなってるよ。

小2の春だったかな、そんな学年に日本から転校生がやってきた。訛りのない標準語を話す、おっとりした女の子だった。口数の少ないおとなしい子だったけど、私たちにとって彼女台風みたいな革命児だった。

彼女私たちに「日本」をたくさん持ち込んでくれた。まず、たまごっち。誰かの誕生日パーティーの席で耳慣れない電子音にざわつく私たちの前で、彼女は恥ずかしそうに「ごめん、私のたまごっち…」とポシェットからさなおもちゃを取り出した。衝撃だった。彼女がそれを操作するのを、みんなで息を潜めて凝視した。平城京スマホをいじったらあんな感じの視線を浴びると思う。彼女まさか同い年の子供がたまごっちを知らないとは思いもしなかったみたいで、徐々に衝撃から解放された同級生たちから質問攻めにされて目を丸くしていた。その日から彼女たまごっちは学年中(2クラス35人くらいだったかな)の関心の的で、毎朝進化たかおやじっちは来たか、何か変わったことはなかったかと聞かれていた。私は彼女と同じ通学バスだったので、朝家まで迎えに行くついでに、玄関で見せてもらっていた。いま思うとまじでうざいな。

次に衝撃的だったのが、あたしンち海外生活する子供にとって、日本漫画はとてつもなく貴重だった。小説日本語の発達を懸念した親に買ってもらえるけど、漫画はなかなか入手できなかった。誕生日や、一時帰国中に買ってもらった子はヒーローだった。数少ない母国の娯楽なので、家にある漫画は片っ端から共有した。ガッシュコロッケNANAGALS!犬夜叉コナンボーボボ神風怪盗ジャンヌ、ケシカスくん、フルバナルト、もうとにかくなんでも読んだ。

でも所詮小学生不条理ギャグ漫画とマセた少女漫画ファンタジーバトル漫画しかなかった私たちラインナップに、彼女のお母様が好きだという「あたしンち」が加わった。

ただの日常漫画だけど、それが私たちには衝撃だった。なんせ、知らないのだ、日常を。スーパータイムセールも、放課後の買い食いも、制服給食も、私たちにとっては未知の世界常識だった。おしゃれな少女漫画じゃ描写されない日常ネタは最高のエンターテイメントだった。ディスカバリーチャンネルでも見てるみたいだった。

レモン石鹸ミックスベジタブル、二枚組のトイレットペーパーなんて概念は完全にあたしンちから学んだ。お子さんを連れて海外赴任されるご予定のある親御さんは、日常漫画アニメにすぐアクセスできる環境を整えておくといいと思う。本当にどんな教科書よりためになった。

最後、本筋からだいぶ逸れちゃったけどこれが一番書きたかたことで、彼女は硬筆の書写がとても上手だった。小学校入学から教室に通っていたらしい。

先述の通り「綺麗な文字」という概念がすっぽ抜けてた子供だったので、彼女漢字練習帳はあまりにも衝撃だった。で、「組」だったか「紙」だったか忘れたけど、びっしり並んだ完璧な糸偏を見たとき彼女への憧れがMAXになった。大人みたいな字を、同い年の子が書けるんだ!すごい!かっこいい!私も書きたい!それと同時に、もしかして日本を離れている私は母国の子供に比べて知識技能に遅れを取っているんじゃないか不安にもなった。その日家に帰って最初に両親にその目標を伝えて、大喜びの2人に日本スーパーで小さな漢字ドリルを買ってもらった。糸偏だけじゃなく、苦手だった「女」も「海」も「方」も「子」もたくさん練習した。

日本語を書くことに抵抗がなくなったのはあれがきっかけだったと思う。周りの同級生彼女の綺麗な書き文字オーソドックス標準語に感化されて、国語学習に意欲的になった。本当に、彼女私たちに大きな革命を起こしてくれたんだ。

他にもナルミヤの子供服とかプロフィールシートとか、転校生ちゃん私たちに教えてくれたものはたくさんあったんだけど、どれもあの日本人学校っていう特殊コミュニティにいた私たちには衝撃だった。これが生まれたのが全部自分母国なんだって思うとゾクゾクした。いつか帰るのが堪らなく楽しみになった。そんな8歳の思い出である

………なんてことを、久しぶりにペンで丁寧に文字を書きながら走馬灯のように思い出していた。細田さん、締切日変更の連絡がありました。お席にお戻り次第メールボックスをご確認ください。



12/19 追記

たくさんの反応をいただいて驚きました。訥々と昔語りをしてしまって今更ながら恥ずかしいです。目を留めてくださってありがとうございました。

以下、だらだらと長い蛇足になります。まとめるのが下手でごめんなさい。

日本人学校について

紛らわしい書き方をしてしまってすみません。ひと学年ふたクラス、合計して35人弱でした。正確な人数は覚えていません…というか、何ヶ月かに一度は転校生の出入りがあるので常に変動的でした。日本人学校の規模としては大きい方なのではないかと思います

これは余談なのですが、フランス日本人学校はかなり郊外にありまして、在籍する小学1年生から中学3年生までのほぼ全員がスクールバスで通学していました。大型バスで、人数の多い地域複数台。あんなに大きな国なのに日本人学校は一校しかなくて、かなり遠くから通っている子もいました。渋滞で遅れて3限目にやっと到着、なんてのはしょっちゅうだったように記憶しています

これは後に両親から聞かされた話なのですが、「自分の国の学校があるんだからうちに来なくてもいいでしょう」と日本人の編入拒否する現地校が多かったようです。生徒数が多かった理由ひとつかもしれません。

漫画について

漫画は片道1時間以上の通学バスの中で読みました。先述の通り乗車している児童生徒の年齢幅が広いので、有象無象ジャンルが飛び交います。…飛び交うというのは言葉通りで、読了後は座席に膝立ちをして、「愛してるぜベイベ2巻読みたい人!」と叫ぶとどこかの座席から返事とともに頭がひょっこり出てきて、その子目掛けて投げる、という方法漫画の貸し借りをしていたんです。自分のものですらない漫画を。今思うと血の気が引きます子供とはいえ酷い扱い方…猛省です。何十人規模での読み回しに耐えた漫画は手元に戻ってくるときにはボロボロでした。高学年の男の子たちはアドバンスパワプロやってたなあ。

私が渡仏していたのは2001年から2005年頃までなので、その間もしくは以前の漫画は幅広く読みました。素敵な体験でした。

・現地での生活について

日本人学校に通っていると、現地の子供と接する機会はほぼありません。現地の習い事等に通っていれば別かもしれませんが…。地元サッカーチーム水泳クラブに入っている子もいたような気がします。フランス語の授業もありましたが、あくま第二外国語的扱いで、あまり熱心な内容ではありませんでした。

転校生ちゃんについて

まさしく、私のヒーローヒロイン)です。近所だったこともあってとても仲良くしてもらいました。私が先にフランスを離れてしまい、年賀状のやり取り程度はしていましたが、いつの間にか疎遠になってしまいました。当時の友人たちとはSNSで繋がって十数年ぶりに再会して飲みに行ったりすることもありますが、残念ながら彼女の話は聞いたことがありません。元気にしているといいな。

・不肖、私自身のことについて

渡仏前後に別の国で生活しましたが、それぞれ現地校へ通う機会に恵まれたので日本人学校で過ごしたのはフランスだけでした。あの日々がなければミックスベジタブルどころか起立、気をつけ、礼すら慣れない状態帰国していたことになります。本当にありがたいことです。親からもこどもちゃれんじから漫画からも学ぶことのできない日本独自学校文化、たくさんありますよ…前へならえとか体操隊形に開けとか…。逆上がりや二重跳び、跳び箱なんかは日本人学校の体育でできるようになっておいて心底よかったと思います

それなりの年齢で帰国して普通に大学まで卒業させてもらい、今はメーカー海外営業をしています。いろんな国に住んだし、仕事海外へ渡る機会も多いですが、私には日本が一番合っていると感じています

細田さんの締め切りについて

部署での案件が絡み、1週間後ろ倒しになったとのことでした。優しい先輩ですよ。

2018-02-03

オタクなのに最近オタクと分かり合えない話

私はオタクだ。いわゆる漫画とかアニメとかゲームが好きなやつ。

私は特に漫画が好きで、とにかく漫画時代ジャンルわず読み漁って、漫画でいろんなことを学び、人生観を養われたと言っても過言ではないくらい影響を受けた。

この素晴らしい作品を描く人たちは、こんな大変なことをしてまで何を残したかったんだろう。それを読み取り、その作品が在った意味があったと、私がよりよい人間になって証明しようと心に決めるくらい漫画が好きだ。

そのせいでキャラ萌えシチュ萌えで終わる短絡的なオタクが無理になった。

そういう2次元を崇拝する信者暴言です。私の個人的意見です。異論は認めます




たくさん良い漫画がある。よい名言がある。ここから学べる社会的なことがある。

なのになんか公式厨名乗りながら付き合ってない2人をくっつけてどうたらとか、逆カプがどうとか、公式解釈違い起こしたとか……

なに?!なんなの?!

品性なさすぎじゃない?!

原作が全てだよ!?

そりゃあ私もファンアートは好きですし、二次創作も読みますし、その内容に関して解釈がどうとか言いませんよ。好きだし。

人それぞれ好みによりけりがあるし、そこは固定だの雑食だのは追求しません。

ただね、

公式厨名乗りながらも付き合ってない2名を、公式公式言いながら付き合わせ、いかにも自分が正しいように振る舞うカプ厨

二次創作承認欲求を満たさないと生きてけない絵師(一次創作にもいるけど)

公式解釈違い起こしたとか言って公式を叩き始める自称ファン


これ迷惑だろ!!!これ!!

!?私がおかしい?!迷惑じゃん!!!???


まず「自称公式厨のカプ厨」!

公式じゃねえ!!!!!!!目を覚ませ!!!いかにもお似合いだろうが付き合ってはいねえ!!!

二次創作で付き合わせるのは良いと思うし、そういうファンアートは私も見たいけど、公式じゃねえ!!!

お前は公式の直属の部下でもなんでもねえ!!!!!ただの!!ファン!!!

もう一度言う、ただのファン!!!!!





次!「承認欲求絵師」!

お前のためのキャラじゃねえよ目を覚ませ!!!

いか私たちは恐れ多くも好きな作品キャラを""""お借りして""""絵を描いたり小説を書いたりしてるわけ!!

反応がなかったからどうとかで沼変えするなぶっ飛ばすぞ?!?!お前の承認欲求を満たすための作品じゃないんですよ。

ていうか、あなたの好きなキャラは恐らく少なからずとも努力してるキャラが多いと思うんですけど、あのね、見習えよ。全てにおいて好きというなら見習えよ。学習して。メンタル面も。





次!「公式解釈違い」!

ファンやめろ!!!!!!!!!

普通に迷惑!!!!!!!!!

ファンがワーギャー騒げば騒ぐほど、作品の印象が悪くなるんだよ黙れ!!!!!!

公式とソリが合わないなら黙ってファンやめろ!!本当に迷惑だ!!お前のせいで新規ファンを獲得し損ねてるようなもんだよ!!!

良いところを話そう?本当にファンなら良いところを見つけ出して布教しよ?それで新規ファン増えたら商品展開も広がるんだよ?文句言うだけ不毛じゃない?問題は好きなコンテンツに人が集まるかどうかだよ?

原作がどうなろうが原作自由だし、まずお前は原作者じゃないし、本当なんなんだこの人種

原作を神と崇め讃える私にとって理解し難いわ。

作品面白くなくなったら投資する価値はねえ!見切りをつけろ!



そしてさぁ、最近語彙力ないことをステータスにするっていうか、語彙力ないことを面白がって

「語彙力ないか説明できない」

っていうのやめない?

お前推しのために語彙力学び直すことすらできねえの?国語学び直せよ。好きな作品のために。そのくらいやれよ。

作者が命がけで作品作ってるんだからファンも命がけなんだよ。

いい加減にしてほしい。

自分の好みと近しい作品を貪り漁って、その場の快楽を満たそうとするオタク死ぬほど嫌い。

そもそもオタクってその分野で専門性があるからオタクなんじゃなかった?

オタクですらねえよ。そんなん。

ファン作品の印象を背負ってるんだよ。ほんと、これだけは分かって。

あいう人があのジャンルはいるんだなぁって思われたくないでしょ?

全てにおいて公式が、原作が、作者が、最優先事項だからファンのための作品じゃなくて、作品のためのファンから

身分をわきまえて欲しい。


まじで。なんなんだ。

こう思うと意識高い系とか言われんのか?まじかよ、逆に意識低くて良いこと一つもねえよ。

2016-06-18

悲しみ本線日本海

元増田

この手の話は好きなのでちょいと(だけ)考えてみた。国語学/国文卒論ネタにでも。

仮説

  • 「さ」は性質が全体に行きわたったときの感じ方を提供する
    • 強さ、弱さ、赤さ、うまさ、まずさ、重さ、軽さ、ばかばかしさ、恥ずかしさ、賢さ、痒さ、苦さ、ありがたさ、楽しさ(を取っておく▲)、「夕べはお楽しさでしたね」(×)
  • 「み」は「さ」とは反対に個々の成分に立ち戻った視角提供する
    • 強み、弱み、赤み(がかった)、うまみ、まずみ(△)、重み、軽み(△ 但し芭蕉)、ばかばかしみ(△)、恥ずかしみ(△)、賢み(△)、痒み、苦み(走った)、ありがたみ、楽しみ(を取っておく○)、「夕べはお楽しみでしたね」(○)
    • このときの△に、従来用法に対する揺れ/カウンターが感じられておかしみがある
  • 形容詞の語感が短いと座りの悪さを感じる。特に活用場合
    • 良み(よみ△、よさ○)、悪み(わるみ△、わるさ○)。
  • 形容動詞は「み」と仲が悪い(?)
    • 青し→青み(B)、赤し→赤み(R)、緑なり→緑み(G、△)、黒し→黒み(BK、○)

コメント1

で、元増田に1点だけ答えるとすると「良み(がある)」は、語幹と「み」の付き方は文法上は間違っていないのであり得ると思います。でも気持ち悪みがある。

コメント2

元増田の「そもそも、『さ』(『良さ』、『行きたさ』)からして俺はちょっと嫌だった」はわかる気がする。形容詞自分の、いまここ、このときの感じ方を場に放り投げるもの。それが「さ」によって、せっかくの、いまここ、このときの俺の新鮮な感じ方が第三者化、対象化、抽象化される。それを自らいうかね云々という。きもみ。

2012-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20121103120842

そういう疑問は俺も持ったことがあるんだけどさ、国語学習を通じて論理学を学ぶというのはそもそもの設計上の問題があるかのように思う。

国語というのは、つまり日本語

語学

論理学は語学内包されるような学問ではなく、哲学内包されるべき分野なのでさ。

国語って名前だけど、学制がしかれた当初の設計だと、要するにリベラルアーツのトリウィウム(文法・修辞学・弁証法)にしたかったんじゃない?

国語という科目の枠に納める都合上、教材は日本語文学を使わないといけないということで、古文漢文から文法と修辞学を学ばせて、現代文から弁証法を(弁証法は無理なのでとりあえず論理学を)学ばせる、という風にしてるんじゃないかなって思うんだけど、その悪魔合体に無理があるんじゃね?

そもそも、そういうのって国産学問じゃないもん。

ハリウッド映画を通じて歴史を学んでも、それは歴史学と言っていいのか、そんな感じ。

論理的に書かれた文章を読めば、論理が身に付く」ってのは、

物理学やれば数学は身につく」

みたいなもので。

いや、もっと豪快で雑だな、

家計簿をつければ数学は身につくから無問題!」

くらいの感じじゃないかと。

もし、どうしても文学を通じて論理学や弁証法を学ぶというのならば、論理学の基礎になったような文学古代ギリシャの書物とその注釈書あたりから教材をセレクトしていくのが王道なのではないだろうか。

訳本を「国語学習として教えるのはうん、まあ難しいような気がするけど。

はいえ、原著ギリシャ語はい日本語訳されてしまえば日本文学と言えるのか?

英語圏だって古典英語の教材としてジェームズ王欽定聖書を使うくらいなので、それもありなのか?

日本語特殊性翻訳者の地位が比較的に高い日本ならなおのこと。

2011-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20110707165810

まず「結果としてそうなっている」という意味の自発の用法が最初にあった

んで昔の敬語の基本は「相手の行動をできるだけ遠回しに表現すること」だから

「話す」→「話される(=実際にそうしたのかどうかは恐れ多くて確認できないが、ともかく我々にはあの御方が「話す」という状況を発生させたように見える)」

というロジックで自発の「~れる」が尊敬にも流用されるようになった

可能と受身も自発から枝分かれしたものと言われている

ソースは知らん

学部生時代に受けた国語学講義で習った気がするけど、確認できないか図書館行って自力で調べてよ

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