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2024-03-01

チンパンジードライバー共へ

anond:20240302172943

続編書きました。

よう、おれはチンパンジー

日々コンクリートジャングルチンパンして回る、お前たちより少し先輩のチンパンジーだ。

いかチンパンジーども。

お前らはまだブーブーを運転するには早すぎる。

早すぎるが、森を出てここに来たからにはお前らにも運転してもらうしかない。

車校または教習所では法律ルール)と車両の動かし方(ハウツー)は教えてくれるが、

上手に運転する方法ハウグッド)までをきちんと教えてくれるわけではない。

運転うまい」ということの定義

事故を起こさず・遭わず・丁寧に運転する。ということだ。

ムダに長いこの文章を読み切って実践し身につけた暁には、「運転うまいチンパンジー」の称号を得ることだろう。

そして普段運転をしないチンパンジーも、知識として知っておくことで事故に遭う確率を減らせるはずだ。

免許チンパンジージャングルに引きこもらずに表に出られるようになるだろう。

1.何かにぶつけないこと

これはもう単純な話だ。お前がハンドルを握ったら、ぶつけてはいけない。

他の車は当然だし、カーブの途中にある十年に一度突っ込まれる民家にも

邪魔電柱信号ガードレールオレンジ色のふにゃふにゃした棒にもぶつかってはならない。

2.他のチンパンジーにぶつけられないこと

最近ではジャングルでも痴漢問題になっている。

未だに裸で暮らすチンパンジーも多い。

痴漢と同じで裸だからといって、それ自体が責められるべきではないし、やる方が悪いのは誰だって分かる。

ただし、この世の中にはわざとぶつかってくるやつもいれば、ヘッドホンに目隠しをしてふらつくチンパンジーもいる。

そんなライアーゲームの中で、お前にできる最大限の対策を行え。

自分の身は自分で守る。

さて、この二つが全て、と言ってしまってもいい。

この二つに共通していることは何か。お前が死なないことだ。

死なないまでも、事故を起こしたり、遭う確率を減らすということだ。

華麗で高速でイカレチンポンジー運転をしたいのなら、ジャングルの奥地にあるサーキット披露してこい。

お前と、お前の大切な嫁と子チンパンほか同乗者を守るためにもこの二つを徹底しろ


では具体的にこの二つをどうやって対策するか、ということになる。

ここからはぶつける、ぶつけられない、それぞれに共通する項目もあるから、箇条書きにする。

法定速度を守る。

断っておくが俺は警察ではない、ただのチンパンジーだ。

警察発表の古いデータだが、平成24年に15km未満で取り締まられたのは速度超過違反全体222万件中の40件らしい。全体の約0.002%ということだ。

これを高いと見るか低いと見るかはお前次第だが、高速道路で5km、10km超過するなんてことは

ちょっとした下り坂に差し掛かればいくらでもあるわけで、そういったところでまで速度を厳守しろと言いたいわけじゃない。

そうではなく、特に住宅街や駅の周辺など自転車歩行者が多い場所、子チンパンが多い学校公園周辺なんかでは特に厳守しろと言っている。

いや、厳守どころか徐行さえしたっていい。周りに人がいないような時間帯でさえだ。

お前だって同じ森の仲間たち、例えばタヌキやハクビシンアライグマを轢いてしまって夢に見たくはないだろう。

シカクマイノシシそいつらは俺たちが森を追い出された原因だ。それらは轢いて鍋にしてしまえ。

アルコールドラッグ、常用薬に留意する

詳しくは語らないが、チンパンジー義務である。黙って従え。

そりゃあ、森の中じゃ皆飲みながらフラフラ運転してあちこち木々にぶつけてただろうさ。分かるよ。

けれどここはコンクリートジャングル。精密な運転要求されるし、

ニンゲンの取り締まりもとても厳しい。悪いことは言わない、飲んだら乗るな。

まれと書いてあったらとりあえず止まる。ゆっくりまれよ、ゆっくり

もしお前が高級ブーブに乗っているのなら気をつけろ。

そもそもチンパンジーは車に乗ると気が大きくなるという研究がある。

その上高級外車にでも乗ってみろ。さらに気の大きくなったお前は、信号さえ無視しだす。

そしてお前は横断歩道の前できちんと毎回止まっているのか?

チンパンジーは気まぐれだ。黒い板に夢中になっているかと思えば、突然顔を上げて走り寄ってきたりする。

どんなに急いでいても、全ての横断歩道前で止まるくらいの気持ちの余裕を持て。

焦っている時にクルマに乗るな

例えば親パンが倒れたと聞いたとする。

地方では車しか移動手段がないかもしれないが、焦って車に乗るのはオススメしない。

可能であれば公共交通機関を使え。車しかないのなら、友パン運転してもらうか

お前しかいないのなら、深呼吸10回してから乗り込んでいけ。

親の死に目に会えないかもしれない?普段からもっと会いに行け。

余裕を持て

お前は誰だ?森の王者チンパンジーじゃないのか。王者の風格を見せつけろ。

渋滞だ?ラジオをつけろ。

眠い?同乗者と会話しろ

漏らしそう?おしっこ我慢ゲームしろ

飽きた?大声でカラオケ大会を開催しろ

俺たちはチンパンジー、常に森の王者たれ。

車は短期間で乗り換えろ

俺はチンパンジーからリセールバリューとやらのお金のことは分からない。

ニンゲンたちがよく話しているのを聞くが、チンパンジーの俺たちには関係のない話だ。

だが、最近の車の安全装置の向上具合は目覚ましいものがあるようだ。

俺達チンパンジー能力はといえば、数万年来向上しているわけではない。

俺たちは森の覇者ではあるものの、その反射神経なんかに限界があるし、

最近寿命も伸びており、老チンパンジーが暴れまわっているようだ。

老いチンパンジーに最新鋭の衝突防止機能。豚に真珠猫に小判暖簾に腕押し、糠に釘。

お前の親もそろそろ高齢パンまたは後期高齢パンになってきていないか

実家クルマはどうだ?20年落ちで安全装置が何もついていなかったりしないか

たまには実家に帰ってクルマを見て、多少金があるのなら安全クルマを買ってやれ。

駐車が苦手なやつも、なんと今は自動駐車機能を搭載した車種もあるというぞ。

年齢や素質によって出来ないことは出来ないで仕方がない。

だが俺達はチンパンジー。知恵と工夫とニンゲン技術対処していけ。

車検が切れる3年か、5年か、そのあたりで一度下取り価格を見てみるといい。

最近納期が長期化しているようだからそのつもりで早めに動け。

トラックが空けているその車間は、決してお前のためではない

いか。俺たちチンパンジーには運転が許されていない車種に、トラックトレーラーという車がある。

デカい車だ。こいつらは、デカくて重くて取り回しにくいらしい。

当然俺も運転したことはないが、ニンゲンであっても訓練が必要になり習熟には長期間を要するらしい。

そしてこれらの大型車たちは、急には止まれないらしい。

お前らも交尾を他のチンパンジーに急に止められたら困るだろう。

彼らも同じだ。ちょっと隙間が空いているからといって無理に入らないように。

さらに、トラックの中には土や砂利を運ぶ車もある。

風の強い日などには、その積み荷からさな石がこぼれ落ちることだってあるだろう。

そういった飛来物による同胞たちの死亡事故は後を絶たない。

陰謀論者の中にはチンパンジーを狙った犯行と騒ぐ物もいるもの

真相は定かではないし、たまたま積み荷が落ちてしまうこともあるだろう。

なるべくならばそういった車の後ろは走りたくないものだ。

交差点に入るとき、お前はカミソリのように鋭く侵入していないか

右折するときだ。右折する時にはたいていの場合横断歩道を横切ることになる。

信号機付き横断歩道チンパンジーたちが乱舞闊歩する社交場として有名なのは諸君もご承知の通り。

デカいのや小さいの、たまにゴリラナマケモノ、あらゆる霊長類が数十秒に限って暴れまわる。

ルールマナーを守る行儀が良いのがほとんどだろうが、たまに斜めに横断してきたり

最近は電動キックボードなどというオモチャに乗るナマケモノもいたり、想像以上に騒がしいとされている。

そんな危険場所へ進入する際には、きちんと大回りで進入しろ

カミソリのように鋭く入ってしまった場合、右側から迫るチンパンジーへの注意が向かなくなる可能性がある。

それに対し大回りで横断歩道に対し90度で正対した場合、左右どちらも見えることなり見落としが減る。

さて、ここまでが重要なことで、後は些細なこと

ここまできちんと守れるのなら、一人でコンクリートジャングルに繰り出していっても良いだろう。

そうして運転する中で、この先は右折専用だから左に寄っておこうだの

ここは左車線の路駐が多いから右を走ろうだの

そういう小手先の瑣末事を学んでいってさらなるスマートチンパンジーを目指すのも良い。


そしてここから蛇足というか、もし守れるのならキャースマートね、と思われてチンパンジーにはモテモテになるための心構えになる。

お前の生命財産を守るという観点においてはそれほど効果のないことではあるが、知っておいて損はない。

あるいは、ニンゲンとお付き合いすることだって出来るかも知れない。

3.となりのチンパンジーが寝てしまうほどの丁寧さ

助手席、という名前のその席は、古来からその名の通り運転助手する者の席だった。

しかし、今やそれは形骸化し、運転するチンパンジーの口へバナナを運ぶだけのメスチンパンジー定位置になりつつある。

電動化やらセンサーやらのおかげらしいが、チンパンジーの長たる俺にもよく分からない。

やることの無くなった助手席チンパンジーにも運転手を寝かせない、という役割があるという者もいる。

ただ、そんなものガンガンユーロビートでもかけて飛び跳ねていれば問題ない話だ。

から、そこのお前、お前だ。ハンドルを握っているチンパンジー

お前はハイヤーのように運転をするんだ。

お前は一生乗ることもないだろう高級車の後部座席に、ニンゲンを乗せて運転するチンパンジーがいる。

ニンゲンは脆いからな。丁寧に運んでやらなくちゃならない。

からゆっくり加速し、ゆっくり減速し、ゆっくり曲がる。

それを、お前もやることだ。そうすればとなりのメスチンパンジーもあれ、わたし寝ちゃってた。運転上手いから…照

と言ってその後の交尾チャンスも増えるわけだ。

いか。そうなりたければハイヤーのように運転しろ

4.周りは全てチンパンジーだと思え。

この世にはきちんと運転ができるチンパンジーがどれほどいるか知っているか

適当だがだいたい10%~20%くらいだ。彼らは、仮にルール信号がなくたって運転することができるらしい。

けれど、それ以外。それ以外の90%近くは、お前たちの知っての通りチンパンジーなわけだ。

ほとんど出来ていないから、必要ある?って思う信号ガードレールや斜線や停止線があるわけだ。チンパンジーのために。

そして、それすら無視するチンパンジーもいるわけだ。

いか。そんな環境の中で、例えばとろとろ運転するクルマや急ブレーキするクルマ禁止エリアで駐車するクルマ

はたまた横断歩道のない道路を横断しようとする歩行パンジーもいるのは当然なわけだ。

当然なことなのに、それに憤るのは何事だ?

人前に立つ際に、オーディエンスを全てじゃがいもと思え、という緊張感を和らげるためのアドバイスがあるが、あれと似ている。

お前以外の周りのクルマ二足歩行する動物は全てチンパンジーと思え。

そうすれば、ムッキーッ!と怒ったりイライラしたりすることも少なくなるだろう。

そもそも俺もお前もチンパンジーチンパンジー同士、広い心で森の王者たれ。

ここまで書いた俺も俺だが、読んだお前もお前だ

これら意識して訓練し、無意識にできるようになってくれば

運転うまいと言っていい。

別にこれが出来たからといって何も誇れるわけでもなんでもないが、

お前の、コンクリートジャングルから生還率は上がる。


ちなみに勘違いした「おれ運転上手い」というチンパンジーについても紹介しておく。

例えば都会なら、どっち車線の方流れがいいだの何だのと言いながら

車線変更を繰り返すチンパンジーの多いこと。

関係ねえからな、1台抜かしたからって。

お前、お前一匹の15秒が一体何だって言うんだ?

たかチンパンジー1匹のクセに何を急ぐ?

そういうのはニンゲン様に任せておけ。

俺たちチンパンジーチンパンジーらしく適当に生きていくぞ。

最後に、歩くチンパンジーたちへ

森を離れ、車もなしにチンパンジー運転するコンクリートジャングルを歩くお前たち。

いか、お前と同じチンパンジー運転しているんだ。

いつ、どこでアクセルブレーキをふみ間違え、お前を跳ねるか知れない。

ニンゲン自動運転というものを開発しているそうだが、それだっていつ始まるか俺達にはわかったもんじゃない。

だが、これだけセンサーとやらが発達しても、毎年100万匹もの同胞たちが、同胞たちの運転するクルマによって殺されている。

いか、俺たちはチンパンジーなんだ。間違えることはある。眠いときもある。ケシの実を食べてハイになってるときだってある。

から、信用をするな。

最近の若パンジーの中には、変な板に夢中になったり、耳栓をしながら歩いたりするチンパンジーがいるが

あんものははっきり言って自殺行為だ。

いか、周りの車たちはいつお前を轢き殺そうかと狙っていると思え。

まるで悪魔に取り憑かれたかのように疑心暗鬼さで周りを見て歩け。

横断歩道を渡れ。信号を守れ。止まれは止まれスマホを見るな。イヤホンは周りが聞こえるやつか音量にしろメガネをかけろ。

右を見て、左をみて、さらに右を見て、左を見て、前を見て、左をみて、右を見て、後ろも見て、前を見てから進め。挙動不審すぎるだろうが。

ニホンザルには出来ないだろうが、お前たちは腐ってもチンパンジーの端くれじゃないのか。

王者たる所以を世に知らしめろ。広く世界にその名を轟かせろ、森の王者チンパンジー

最近では自転車に乗るチンパンジーたちはヘルメット義務になったのか、なっていないのか曖昧な感じになっている。

だが、特に若いチンパンジーなど元気の有り余っているやつらには付けさせておいたほうが懸命だろう。

チンパンジーのくせにここまで読んだお前は未来運転パン。略して運強だ。何だか縁起が良いな

ニンゲン共の話によれば、あと10年か、20年かすると自動運転するクルマが開発されるかもしれないらしい。

そうなれば、俺たちチンパンジーの役目は終わるかもしれない。

こんなコンクリートジャングルではなく、バナナの沢山生えた緑豊かな真のジャングルに帰ろう。

それまであと少しの辛抱だ、同胞よ。

安全に!

2.0四足歩行がしたい

四足歩行サル二足歩行をすることによって、サルはヒトへと進化した。

歩行に使っていた前足は腕となり、物を作ったり運んだりするのに使われるようになったことが進化の要因なのは言うまでもないだろう。

しかしながら、代償としてヒトは歩行(走行)速度を失うことになってしまった。

最速の霊長類はパタスモンキーで、時速55kmで走ることができるのだ。

巨体で鈍重なイメージのあるマウンテンゴリラでも時速50kmあるのだ。

一方でヒトはそれに比べると遅く、ウサイン・ボルトでも瞬間最高時速は44.17kmでしかないのだ。

ヒトが走行する際に両腕は単にバランスを取るだけに動かしているのと比べて、他の霊長類は前足で地面を蹴って移動しているから当然と言えよう。

ヒトがすでに四足走行を試みていることは知っている。

以下の動画は四足走行世界大会の様子であり、ギネス記録にも認定されたとのことである

「四足最速の人類」が記録更新

https://www.youtube.com/watch?v=epxVWHgtwlo

ヒトの新たな可能性への挑戦に敬意を表するが、私が望む四足走行とは少し違う。

動画方法では、骨・関節・筋肉負担が大きく、速度も二足走行に比べたら遅く、頭を下げているので視認性も悪いと、デメリットが多いからだ。

私が望むのは、二足歩行と同様に背筋を伸ばし、両腕を何らかの手段で延長して地面を蹴って(押して?)移動することである

杖(トレッキングポール)を両手に持って登山経験した人ならわかるが、杖を地面に押し付けると両足の負担を軽減できる。

これは上り下り坂道に限ったことではなく、平坦な道でも杖の恩恵はあるのだ。

杖で両足の負担を軽減させながら歩けることはもちろんだが、両足の負担をそのままにして杖で速く歩くことも可能だ。

一歩地面を蹴り出した直後に杖で地面を押し突けることで、歩幅が大きくなって速く歩けるのだ。

しかしながら、それだけでは四足歩行と表するにはまだ程遠い。

杖を使ったとて、両腕の役割あくまでも両足の補助でしかいからだ。

最近は、パワードスーツという物が普及しているそうだ。

アシストスーツや強化外骨格とも呼ばれていて、人間が着用することで筋力を増強するようにアクチュエーターが作動して、重量物運搬など人間動作を強化することができるのだ。

介護運送現場ではすでに現役で使用されているそうだ。

このパワードスーツと杖を組み合わせることで、四足歩行が実現できるのではないか

既存の杖やトレッキングポールを杖1.0として、四足歩行可能となるような腕が延長されたパワードスーツを杖2.0と呼ぶことにする。

2.0は、両足が無くとも歩行や走行可能である

この杖2.0を利用しながら両足でも通常通り歩けば、歩行速度は2倍の時速8kmとなるのだ。

走行速度ももちろん2倍になり、50mを8秒台で走れる人ならばウサイン・ボルト超えの速度になるのだ。

ウサイン・ボルトが杖2.0を使えば瞬間最高時速は88kmになるだろう。

いや、さらに上も目指せるだろう。

人間走行時に背筋(せすじ)をまっすぐに伸ばすだけで、腹筋も背筋(はいきん)も推進に全く使っていないのだ。

陸上動物で最速なのはチーター(時速120km)であり他にも猫科の動物は速く走れるが、猫科の動物がなぜ速く走れるのかと言うと腹筋や背筋を大きく伸び縮みさせることで推進力としているからだ。

2.0でも腹筋や背筋を走行時の推進力とするようにして、さらにその筋力をアクチュエーターで強化すれば時速100km越えも可能になるだろう。

高速道路を車やバイクと一緒に、杖2.0を装着した人間が走っているのだ。

烈海王(バキシリーズ)のように水上を走ることだって可能になるはずだ。

それにしても、アクチュエーターによる筋力増強もなくさらに人を一人背負って水上を走る烈海王は、漫画とはいえすごいものだ。

閑話休題

走行速度の速さを追求することはさておいて、この杖2.0が登場したら自転車以上に便利な移動手段になることは想像に難くないだろう。

あくまでも杖だから電車バスの中にも持ち込むことができるし、店の中でもオフィスの中でも利用できるのだ。

老人や身体障害者にとっても良いものだ。

現在歩行機能が衰えた人は杖1.0か電動カートを使うかの二択だが、そこに新たに杖2.0という選択肢も出てくるのだ。

技術力が向上し大量生産をするようになったら、杖2.0電動カートより廉価に提供されることだろう。

そうなれば自転車時代遅れ産物だ。

セグウェイキックボードローラースケートオワコンだ。

2.0時代最先端を担うナウいアイテムとなるのだ。

現在、杖1.0は老人や身体障害者やケガ人が使用する物というイメージが強い。

登山をする人で杖やトレッキングポールを持っている人でも、日常の歩行では使うことはないからだ。

しかし杖2.0が登場することで、杖はカッコいいアイテムへと変化するのだ。

2.0が登場するにあたって社会軋轢が生じることも想像に難くない。

「杖2.0を装着している人は歩くのが速くてぶつかると危ない。よって規制すべきだ」

「杖2.0公道使用免許を要すべきだ」

といった具合にだ。

しかしながら杖2.0若い人だけでなく、老人たちにとっても役に立つ道具なのだ

2.0使用免許を課そうとしても、老人たちが政治団体を通じて反発するだろう。

老人たちに免許を取れと言うのも酷な話だからだ。

未来世界でも老人は多数派を占めているので老人票は強いのだ。

2.0に対する世論を受けた国会審議の結果どうなるのだろうか。

おそらくだが、杖2.0に関しては何の規制もなく、代わりに自転車運転免許制になることだろう。

「杖2.0あくまでも歩行や走行を補助する物であり、歩行や走行の結果他者危害を加えたとしてもそれはその人の責任であり、免許規制をするのに適していない」

アクチュエーターによる増力は制限があり、速さにもある程度の上限があるので、速度上限の無い自転車よりは安全だ」

「それよりも自転車免許制にすべきではないかヘルメットの装着が義務化されてから何十年も経つのにいまだに着用しない人は大勢いるし、危険運転散見されるからだ」

といった具合にだ。

電動キックボード国会審議の結果、電動キックボードヘルメット着用は義務とならずに代わりになぜか自転車やり玉に上げられて、自転車運転時のヘルメット着用が義務化されたことを思い出してほしい。

2.0の登場にあたっても、同様に自転車やり玉に上げられることは想像に難くないはずだ。

こうした杖2.0が登場する未来を近づけるためにはどうすればいいのだろうか。

2.0現在のところ存在しない以上、杖1.0を使って街を歩き杖の優位性を世に知らしめることだろう。

しかし、約30歳かつ健常者の私が両手にトレッキングポールを持って大股で歩くというのも変質者じみている。

歩行速度のわずかな向上と引き換えに、行き交う人の信頼を大きく損なうことになってしまう。

変質者となるだけならいいが、人込みの多い駅やショッピングモールだと杖1.0は邪魔になりそうで、周囲の人にも迷惑をかけることになるからダメだ。。

それに両手で杖を持つと荷物が持てなくなるのもよくない。

2.0なら必要に応じて腕を縮めたり折りたたんだりするから邪魔にならないし、荷物を引っかけるフックがあって便利となるはずなのだが。(願望)

杖1.0が使えるのは公園くらいだろうか。

しかしながら、公園で杖1.0を使っても歩行のリハビリしか見えない。

セグウェイキックボードと違って全然カッコ良くない。

杖1.0を利用することはさておいて、ひとまずはこの文章を公開して杖2.0理念を広げることとしよう。

ああ、杖2.0よ。

そもそも2.0という呼称がダサイなぁ。

こんなダサイ名前なら流行るわけないよな。

四足歩行の夢はまだ遠いなあ。

いっそのこと杖を持たずに、上記動画の様に手袋を付けて街を四足歩行してみようか。

いや、それこそ変質者だ。

2024-02-14

anond:20240213232855

植物氷河期は減るから草食が滅びたのはソレ

肉食恐竜は多様な肉食獣の共通の敵

恐竜はたぶん氷河期霊長類の食欲に負けた(鯨と同じでマズくても食べる

anond:20240214121902

アジア貧困国では太ってる=金持ちモテる国もあったらしいか

プリミティブなデカい強いモテる本能的にしょうがないのかもしれない

結局霊長類なんておごったこと言ってても猿山の猿と動物的にはそれほど変わらない

2024-02-13

ヒを使った霊長類も、多くの種族は滅んでるんだよな

文化だけ残って伝わったのかな

子孫の数が増えなきゃ滅ぶ

anond:20240213182925

人生のゴールは子孫を残すこと。

霊長類ヒト科としての使命を忘れるな。

孫の顔を見届けたらゴールだ。

2024-01-07

anond:20240107175952

霊長類だけでもオスが群れに残ってメスが群れを移動する種類はたくさんいるよ

多様な自然生物の中から自説に都合のいい種だけを切り取って人間に援用してはいけないよ

2023-12-28

anond:20231227235401

霊長類節足動物はだいぶ異なると思います

比喩にしてもメスのワモンゴキブリとか単為生殖可能でだけで増えたりするので

どうしてもゴキブリに例えたいなら女性の方が良さそうです

 

なお、投資をしていない人は弱者男性という新基準が生まれたようです

(企業DCとRSUは許された模様)

 

ワイは投資してないから弱男!!!!!!

2023-12-15

霊長類をまともな性格順に並べるとどうなる?

やっぱ頂点はゴリラだよな。

ボノボも捨てがたい。

一番下はチンパンジーだと思う。人間はその真上。

2023-12-12

弱しゃあっ!男性の特徴

2023-12-09

anond:20231209133151

😾「ニャにが霊長類だニャ!」

⛰️🦍「山に住んでるだけでマウンティングしてそうな名前ですんまソン(笑)

2023-11-09

アカン奴を擁護するのはアカン奴だけ説

関西圏ではまずいこと・ダメなことを指して「アカン」と表現される事がある

そうした文化がある為か、社会的にまずい奴・ダメな奴の事を「あいつホンマにアカンわ・アカン奴やなぁ」と表現する事もある

先日、自衛隊報道陣に対して中指を立てた珍事があり問題になったが

この件を見て過去にも似たような事件があったなとふと思い出した

それは沖縄派遣された大阪府警機動隊員が地元民に対して「シナ人土人」などと発言して戒告処分を受けた事件で、関西圏代表する大阪という事もあり典型的な「アカン奴」のやらかし案件だったわけだが

当時それを猛然と擁護する新聞媒体があった

その名は産経新聞

ネトウヨ同人誌、などと時に揶揄されるこの新聞だが

そこに記載された「新聞に喝!」と題するコラムの中で、京大霊長類研究所教授の正高信男なる人物

「あの差別発言は争いを回避する為の物、戒告処分は厳しすぎて不当、鬼の首を取ったように喜ぶな」

といった様な内容で記事を出していた

土人発言機動隊懲戒 処分妥当か 京大霊長類研究所教授・正高信男

https://www.sankei.com/article/20161120-Z2G7EXFUR5KMFCFL5D4W4NDZJM/

産経新聞らしい内容だが、この正高信男という方の事を少し調べるとこの様な記事が出てきた

京大霊長類研究所教授論文4本を捏造判断 記載実験がなし

https://www.asahi.com/articles/ASPBH65TTPBHPLBJ002.html

京都大は15日、霊長類研究所の正高信男・元教授(66)が、2014年から19年に発表した論文4本で、実際に実験をしていなかった捏造(ねつぞう)の研究不正があったと発表した。

新聞に喝!というコラム記事を書いてきた方が論文捏造して喝を入れられた、という事実になんとも言えない気持ちになると同時に

アカン奴を擁護するのはアカン奴だけ

という関西圏で語られるステレオタイプを補強する事実である様に思った

今回の自衛隊中指事件でも自衛隊擁護する人々が多数観測されたが

こういう増田を見るに、彼らの中身も殆どが「アカン奴」である可能性は非常に高そうだ

はたしてはてウヨたちはごめんなさいできるのか?

https://anond.hatelabo.jp/20231107134736

2023-10-17

大人の「プリキュアになりたいも「ライダーになりたい」も不健全格闘技で頂点を目指せよ

暴力ヒーローになりたい」をいい大人が口にするなよ。

しかもそこで「都合のいい悪役をボコボコに殴り倒して」を枕詞につけるなよ。

暴力ヒーローになりたい人間同士で殴り合って、生き残ったお山の大将ヒーローを決めてくれ。

その場所ちゃんとあるから

霊長類最強】吉田沙保里はまさしくこの時代ヒーローとして君臨してるだろ?

なれるんだよ。

暴力ヒーローになりたい人間同士のマウント合戦ヒーローになれる場所が、日の当たるファイトクラブ存在するんだよ。

変身グッズの話なんてしてないで、筋トレしたり選手登録したりしなよ。

2023-09-28

anond:20230928183735

現代AIでは、ゴリラなる生物存在しないことになっています

よって、黒人ゴリラと誤認識することはありません。

厳密には、ゴリラを含む霊長類全般認識されないようです。

anond:20230928175733

そりゃあ霊長類のオスはメスにマウントして射精することを求めてるだろ

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続き

いくつかの詳細

もう少し詳しく説明すると、このような図式になる。地下に埋まった塊茎を手に入れるために、人類となるべき一族は掘削棒を発明した。大型動物待ち伏せして狩るようになり、スピード、持久力、武器が殺しのカギを握るようになった。このことは、歯、腕、脚の変化だけでなく、化石の傷のパターン洞窟発見された食事や骨、そして生き残った現代ハンターがどのように大型動物を狩っていたかからもわかる。

競合する肉食動物すべてからヒトの系統を分けた画期的な点は、複合食と火を使って調理する食べ物だった。つまり、消化に使うカロリーはるかに少なくて済んだのだ。リチャード・ランガムが論じているように、余分なカロリーは成長期の脳のために使われたのである

待ち伏せ狩りは当てにならず、ハンターは1ヶ月に1度しか大きな獲物を仕留めないかもしれない。人類はそれに対処するために社会組織を変えた。食料は本拠地グループ全体で共有するようになった。この変化は、全員が通常の肉を食べることを意味するが、肉のない日には、ハンターは塊茎や他の果物野菜に頼ることができる。

霊長類祖先や初期の人類は、この変化に2つの方法対処していたようだ。第一に、おいしい食料をみんなで分け合うために、ハンター同士の競争制限し、いじめっ子を懲らしめる方法を見つけた。

第二に、新しい育児スタイルを考案した。フェミニスト霊長類学者サラ・ハーディは、霊長類幼児殺しのパターンについて、また男女関係における重要な変化として、母親が幼い子どもの世話を他の女性男性に任せるようになった経緯について、幅広く書いている。もうひとつの変化は、霊長類の中で唯一、ヒトが男女ともに女性の閉経年齢を過ぎても生きるようになったこである進化的な利点は、年寄りの専門知識が貴重であるということもあるが、年寄り育児をするということもあるようだ。

これらの違いやその他のさまざまな違いによって、人類は他の類人猿よりも早く増殖することができた。そしてある時期には、世界中に急速に広まることができた。

この初期の歴史は、人類学者世界中のほぼ同時代狩猟採集民のグループから報告された社会の種類と一致している。その鍵は、富や余剰がないことである

人々は定期的に移動する。もう片方の腰に子供を抱えたまま、持てる以上のものを所有する者はいない。バンドには縛りがない。人々は常にグループを変え、誰もが他のいくつかのバンド現実または架空親族を持っている。食べ物セックス、その他何かをめぐって緊張が高まると、誰かが移動する。つまり女性男性も囚われることはなく、こうした社会では、性別による不平等規則的なパターン存在しない。そして、いじめっ子抑制する能力は、最近狩猟採集民のもうひとつ重要パターンである

これは人類学者証言からもわかる。しかし、類人猿祖先から解剖学的変化から証拠もある。他のオスと戦うために使われていたオスの大きな犬歯は姿を消し、体格差も大きくなくなった。ヒトのオスはメスより約15%大きい。他の霊長類との比較によれば、これはオスの支配意味するが、それほど大きなものではない。

男性性器は多くの点で変化した。霊長類や他の多くの種では、睾丸の大きさは性的パートナーシップの独占度を示している。ヒトの睾丸の大きさはその中間位置し、一夫一婦制の慣習が浮気によって変化したこと示唆している。

ヒトのペニスの変化は多岐にわたる。コーミエとジョーンズは、『家畜化されたペニス』という適切なタイトルの本の中で、これらの変化はすべて女性選択による交尾相手選択の結果であると主張している。

女性の性欲の変化はさらに著しい。他の霊長類では、メスは排卵ときだけセックスをする。ヒトのメスは一年セックスをする。これは、より多くのセックス可能であることを意味するが、性的に活発なオスとメスの比率が1対1であることを意味する。他の類人猿霊長類では、2対1から40対1まで様々である。このことは、ペアの絆や男女平等が生まれやすかったことを示唆している。

霊長類学者人類学者クリストファーボームは、重要論文と影響力のある2冊の本の中で、パズル最後ピース提示した。ボームは、狩猟採集集団平等と共有は、文化的かつ意識的に達成されたものだと主張している。

彼によれば、私たちは、服従し、競争し、支配することを奨励する類人猿遺産を保持している。しかし、人間が生き残るためには、自分の中に湧き上がる嫉妬攻撃性、利己主義を抑え、他人利己主義を抑えるために、意識的に協力し合わなければならなかった。

ボームの考えは、今では広く受け入れられている。これらはすべて、人が生まれつき平等主義的であったり、非暴力的であったりするからではない。私たちの中にその可能性があるからであり、その反対でもある。しか私たちは、生き残るためには分かち合い、平等主義でなければならないことを理解していた。

ボーム理論は、私たちの大きな脳にも合致する。科学者たちは長い間、大きな脳は手や狩猟武器や道具に関係していると考えていた。しかし、他の霊長類では、脳の大きさを最もよく予測できるのは集団の大きさである

ほとんどの霊長類では、支配階層に立つかどうかは、複雑で絶えず移り変わる政治的世界同盟を築く能力にかかっている。そしてオスが繁殖するチャンスは、そのヒエラルキーにおける地位によって決まる。社会的知性は非常に重要である10人のグループでは、45の異なる人間関係を把握しなければならない。20人の集団では190通りの人間関係がある。200人の村では......計算してみてほしい。

そしておそらく、人間においては、いじめ抑制し、平等に生き、分かち合う能力が、社会的知性の決定的な成果だったのだろう。競争に使える頭脳は、協力にも使えるのだ。

要約すると

まとめると、多くの分野の学者たちの研究によって、200万年かけて進化した特定生態学ニッチへの人間適応が、約20万年前の人類の出現につながったという首尾一貫した図式を提示することが可能になったのであるしかし、サラ・ハーディクリストファーボームとの簡単意見の相違を除けば、グレイバーとウェングローは、この印象的な新材料の数々を無視することによって対処している。

実際、もしそれを受け入れていたら、彼らはこの適応平等主義的性格と、それが特定環境物質的条件と密接に結びついている度合いの両方を受け入れなければならなくなるだろう。

自由選択へのコミットメントにしがみつき自分たちの政治的プロジェクトを無傷で維持するために、彼らの議論はひるんだり潜ったりする。

文章は緻密でありながら、華やかさと権威に満ちている。この本はすごいスピードで唸りを上げる。適当な図解は疲れるし、非連続的な言い回しや心のゆらぎを解きほぐすのは難しい。読者は、彼らの証拠使用はしばしば信頼できないことを警告されるべきである。ハザ族、モンタナイス・ナスカピ族、シルック族、ヌエル族に会ったことのない無知な人は、細部に狂気を感じるだろう。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143807

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続き

彼らの政治プロジェクト理論

私たち時代における2つの重要問題は、次のとおりである

現在世界社会正義革命を起こすにはどうすればいいのか?

そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たち私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?

このような問いは、歴史を通じて真剣思想家活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:

なぜ人間社会はこれほどまでに不平等になったのか?

意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等起源についての本ではないのか」と。

この本の中心的な主張のひとつは、不平等ヒエラルキー暴力は、あらゆる人間社会組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。

奇妙なスピン

これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類祖先や初期の人類平等であることによって見出し適応、つまり生態学ニッチについて説明する新しい注目すべき学問無視している。つまり、かつて人類平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的無政府主義者マルクス主義者の見解無視しているのだ。

保守派の主張は、農耕や都市生活経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。

彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義奴隷制階級差別人種差別性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。

グレーバーとウェングローが主張する政治論点は、太古の昔から、人は常に支配自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。

彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである

この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。

彼らの主張 - Step By Step

グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。

さら重要なのは19世紀社会ダーウィニズムや、より最近スターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要対象であり、私たちはその両方を共有している。

社会ダーウィニズム歴史の段階説。ハーバート・スペンサールイスヘンリーモーガン19世紀社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的知的進歩シグナである理解されている。

しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代人種差別主義新植民地主義を支え続けている。

左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。

そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスエンゲルス仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論説明も暗黙のうちに否定しているのだ。

これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族起源 私有財産国家』において最も顕著であるエンゲルスはそこで、人間平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。

しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。

アーリア人セム民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコプエブロインディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。

エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。

フランツボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたか自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツボアスは、太平洋西海岸クワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。

フランツボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年ヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命指導者の一人であったソフィーメイヤーの息子である1851年までに、彼女読書グループマルクスエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。

ボース人類学者になった。カナダではバフィン島イヌイット族やバンクーバー島クワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークコロンビア大学教授となった[2]。

1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造であると主張した。1913年当時、ボース母親政治否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民党派として、人種差別を憎んでいた。

ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクトマーガレットミードゾラニールハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類文化進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。

しかし、私たちはもはや1913年時代ではない。1982年エリックウルフ皮肉タイトルの『ヨーロッパ歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史真摯に受け止める人類学の波を起こした。

人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗宗教伝統現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しか悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民大量虐殺アフリカ奴隷貿易白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争正当化するために展開され続けている。

新しい進化論人間適応

人類学者や考古学者たちは、現在人類の不平等起源について、まったく妥当説明を構築している。ケント・フラナリージョイス・マーカスジェームズ・C・スコットがその中心人物である

残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろかにしてしまうことである

グレーバーとウェングローは、かつて人類狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境人間存在物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会必然的平等であったことを否定している。

彼らの主張の第一歩は、人類進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。

過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。

化学的微量分析DNAサンプリング、放射性炭素年代測定質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちヒーローの中には、読み応えのあるクリストファーボームフランズ・デ・ワール、R・ブライアンファーガソン、サラ・フルディ、マーティンジョーンズ、ローラライヴァルの広範な出版物がある。

このような研究は、人類進化人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たち平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察であるしかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である

人間適応についての簡単なまとめ

現在、さまざまな類人猿サル対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係子育て攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類進化理解するための私たち方法でもある。

時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143645

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