はてなキーワード: リビングとは
「もってんブランカ」という消臭剤は、多分国内のものではなく、海外のなんちゃってブランドで、日本語を変に訳してしまった商品だと思います。
もってんブランカが元々どんな名前だったのかば分からないけど、怪しい日本語フォントだったのを覚えています。
実家に帰った時にリビングに置いてあって、どこで買ったのと親に聞いたら、スーパー?の販促でもらったとのこと。
消臭剤とは書いてあるのだけど、どちらかというと芳香剤で、フローラル(ただしどこかトロピカルでエキゾチック)な香りでした。
私はこのもってんブランカという消臭剤の香りが気に入って、買いたいなと思ったけれど、ネットで探しても見つかりませんでした。
ストリートファイターというゲームに出てくる緑色の人をブランカと呼ぶらしく、もしかしてこの人の匂い?なんて思ったけど、違うと思います。
じゃあ、もってんとは何か?「持って」に「ん」がなぜか付いてしまったのかな。
実家のその消臭剤は母が捨ててしまって、パッケージはもうありません。
PC自作したくなければ中古のPC買えばいいし、親御さんもゲーム専用機より、PCの方がプレゼントしやすいだろう。子どもの将来の投資にもなるし
(一般的に自作やパーツ載せ替えであれば同額もしくは以下でPS5 Pro よりも高性能のPCが作れるし、自作したくないけどコストも抑えたいなら中古PCを買えば良いだけ。
コントローラーについてもPS5やXboxのコントローラーを流用すれば新たに買い足す必要もない。
PS fanboy いわく、4060並のAMDベースのGPUの性能が実際には3070以下?!以前に PS5 Pro に搭載されているZen2のCPUよ)
PS fanboyの『リビングでPS5 Pro遊ぶんだもん』主張もよく見かけたが、べつにリビングにPCを置けばよくね?
PC置くのは嫌だけど PS5 Pro なら置きたいって言うほど PS5 Pro のデザイン洗練されてるか?
リビングに置いても違和感ないPCケースあるし、PC自作したり高額なモデルを買いたくなら、PCを見せない設置方法(配線方法)は無限にありますし、
そもそもゲーミング部屋や自室でゲームやらない理由ってなんだろう?
あと、今どきいうほどTVなんて見るか?ネトフリなど(ストリーミングサービスやオンデマンド配信)では?
『ゲーミングPCを買わずに PS5 Pro を買うのは馬鹿げています』のコメントに並んで、
『多くのユーザーはゲーム機に700ドル出すのは単純に厳しいです。また、PCを組み立てたり、PCに触りたくありません』という
正直なコメントがあったけど、SONYには PCリテラシーと収入の相関関係の認識ってあるんだろうか?
700ドル は PC触りたくない人や子どもに寄り添った価格ではないし、日本やEUではそれ以上の価格ってマジで草
とりあえず SONY は、毎年 iPhone を買い替えるユーザー層とPS ユーザー層は、異なると正しい認識があると良いと思います
あと、正しいユーザー層の認識以前に商品の性質についても認識があるとハッピーになれそうです
車やスマホやPC(PCは構成や発売時期による)は、 PS5 Pro よりも高価ですが、生活必需品です
PS5 Pro は無くても生活に困らないものですし、家族で暮らしている場合や、リモートプレイをしない前提の場合には、
各部屋にPS5 Proを設置するため、複数台の購入が必要です
いちおう先に突っ込んでおくと、PS ユーザー層は、PCの代わりになり得ない iPad Pro を買う層とも異なると思います
iPad Pro は高い快適性を提供しますが、PCの代わりにはなり得ないことに iPad Pro ユーザーは通常自覚的ですし、
画面の大きさとリフレッシュレートとiOSで脳死する目的で高額なApple税を支払っていることにも自覚的です
怠惰ではない層は、Androidデバイスか、タブレットPCを使っている事にも iPad Pro ユーザーは通常自覚的です
なによりも、 iPad Pro ユーザー は通常PCを持っています。iPad Pro は、PCやMacなどのデバイスと併用して利用する事が一般的です
(でも、Playstation Portal を買う気ないんで、iOS用の PS Remote Play の提供はこれからも続けてください。ゴロ寝しながらPS5独占タイトル出来るのは助かります)
妻は毎朝六時になると素振りを始める。
気付いたときにはリビングの端に、見たこともないバットが一本壁に立てかけてあった。
新品のバット。
きっかけはバッティングセンターに行ったことらしい。
初めてのバッティングセンターはとても緊張したらしく、それでも非常に楽しかったのだと言っていた。
上手く打てなかったんだよね、でも一球だけ打てたの!と妻は嬉しそうに話した。
とっても気持ちよかった、と妻。
それ以来、妻は朝になると素振りをする。
ブン、ブン、ブン、とリビングで鋭い音を立てる。
その音を、寝室にいる俺は耳にする。
猫は怯え、俺の傍から離れない。
ブン、ブン、ブン、と鋭いスイングの音が聞こえてくる。
あのバットは、いったい何を打とうとしているのだろうか
でも、吐き出したくて、どこかの誰かに聞いてほしくて、これを書く。
リビングにいる娘にお風呂に入るように伝えて、私は寝室で下の子を寝かしつけていた。
下の子が寝たので寝室からリビングに行くと、娘が慌ててお風呂に向かった。
「まだ入ってなかったの?」と言うと、
「別に、ダラダラしてただけだよ!」と答えるその姿が狼狽しているようで、
何か怪しいとピンと来た私は、そこに置かれたままになったスマホをチェックした。
(スマホを持たせる際、これは親のものをあなたに貸与していること、親がチェックすることがあることを伝えていた。)
数ヶ月前、どうやって赤ちゃんができるの!?と不思議で仕方なかった娘に、
性教育は自分を大切にすることだと考えていたので、ごまかさずきちんと伝えたくて、性教育の本を使いながら、あなた達はパパとママが愛し合って、心から望まれて産まれたんだよと、伝えたところだった。
驚いた娘は、「びっくりしたけど、パパとママはラブラブなんだね!嬉しい!」と喜び、
そんな返事が微笑ましくて、
このまま自分を大切にしていってほしいなと、
きちんと伝えてよかったなと思ったところだった。
そんな想いが、成人漫画に全て踏みにじられた気がして、悲しくてショックでたまらない。
恋愛漫画の延長線上の、愛し合った恋人同士が信頼関係を築きながら、
お互い愛を深めあったその先にベッドシーンがあって...というストーリーがあれば、
まだ全然許せた。
でもこれは全く違う。
ただただ快楽のための、
十分成人してる私が見て思わず目を背けたくなるような、エグい、グロい、カラーの絵。
これを娘が見たのかと思うと、
そしてその記憶はもう消せないのかと思うと、辛すぎる。
性行為は、心から愛する人と、あなたを本当に大切にしてくれる人とするものなんだよと
教えたところだったのに。
うん、うん、とじっくり話を聞いてくれていたのに。
全て、無駄にしてくれた。
ちゃおコミや小学館の漫画サイトで少女漫画を読んでいたことは知っていた。
お友達に教えてもらったんだーと言っていて、
にチェックを入れていたので、油断していた。
コミックシーモア、ピッコマ、めちゃコミ、レンタなどの漫画サイト。
きっと何かの拍子で目にしてしまい、そのまま興味本位で見ていたのだろうと思うけど、
まさか、明らかに18禁の成人向けのエロ漫画に、誰でも簡単にアクセスできるなんて。
なんで。なんで。
年齢認証されていないの。
法規制されていないの。
小学生の告白シーンに「キャー!」とはしゃぐピュアな子なのに。
性的嗜好に少なからずとも悪影響があるのではないかと、そんな不安が拭えない。
取り急ぎ、ファミリーリンクで【承認済みのサイトのみ許可する】に変更し、上記の漫画サイトをブロックした。
あとは、きちんと娘と話さなくては。
決して娘を責めることなく、冷静に、落ち着いて。
話し合いの前に、この今のグチャグチャな気持ちを整理したくて、吐き出したくて、ここに記す。
お願いだから、
18禁の漫画は、身分証明書をアップロードしないとアクセスできないような、
そんな仕組みにしてほしい。
成人漫画をなくせと言ってるわけじゃない。
幼い子どもの目に触れさせないような努力をしてほしいだけなのに。
そんなことがどうして出来ないの?誰が困るの?
友人(バ金持ち)が「どんな豪邸でも時がたてばタダ同然になる」という事実に絶望し、
「ならば、価値が下がらないように歴史に残るような家にすればよいじゃないか!」と思いつき
将来有望な若き建築家に「ここに君の最高傑作になるような家を建ててほしい」
と言って家作りを依頼した。
予算は潤沢で土地も広く建築家は相当張り切ったらしい・・しかし、完成した物件に招待された私は愕然とした。
外観:特定防止のため詳細は伏せるが妙に波打っており階段状でところどころ円形の突起がある。
車庫:ベンツマークの門がありそれが回転する。友人はベンツを常用しておりそれを建築家が汲んだそうだが、
友人は「この家にいる限り一生ベンツにしか乗れない」と嘆いていた。
庭 :見たことのない植物が植わっていた。備え付けのヒーターで加温しないと冬には枯れるらしい。
玄関:3階まで階段が続く。玄関以外の1階や2階に行くには一度3階に行き両サイドにある螺旋階段を
リビング:3階から入り2階までの吹き抜けになっていて無数の円柱が屹立していた。それぞれの頂に椅子や
キッチン:リビングの真ん中に鎮座しており木の細かい格子で囲われており座敷牢のようだった。牢屋の中で奴
風呂:入口が段差になっており風呂場全体が浴槽になる。土地はふんだんにあったはずなのになぜか面積の
寝室:すごい傾斜になっており上から滑り降りるように入室する、強制的に一方通行で外に出るときは下側
の穴を使わなければならない。
数億を使い我が家を変態ハウスにされた友人は激怒し、建築家にどこにも公表しないことを厳命し、珍奇な
物件を取材に来るあらゆるメディアを拒絶した。この物件で歴史に残ろうと張り切っていた建築家には最も重
い罰だろう。こうして「歴史に残るような名建築」は「歴史に残すことを許されない迷物件」となった。
そして、一つだけ謎が残った。
友人曰く、建築家に悪意はなかった。前述のとおり、やる気と熱意があり、期待に応えるため必死の様子だった
らしい。むしろ、「素人が口を出して芸術性が損なわれたら困る。有名建築家ならば居住性は最優先に考える
だろう。」と言って完成まで一度も現場に来なかった友人側に責任があるだろう。それでも、こんなおかしな物件
が出来上がるのはおかしいだろう。
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
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思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
自宅で焼き肉をちびちび焼きながら食べたいなぁって思っている
一度に全部焼いて焼き肉丼にするのも悪くないけど、焼いてすぐ食べるスタイルに憧れる
まず最初に思いつくのが、リビングにホットプレート置いて焼く方法
次に思いつくのがキッチンのコンロで焼きながらその場で食べる方法
油や煙は許容できるが、キッチンで焼いて食ってしてるのはさすがに虚しさ漂うし
せめてまともな椅子とテーブルで食いたいがコンロ近くに置けるようなものがない そのために買うのもちょっと・・・
冷え性(末端冷え性)の俺がマジで買って良かったと思ったもの。
https://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1118418
今までユニクロのヒートテック靴下など厚めの靴下(1000円くらいの物)を色々試してきたけど、これは全く違うレベルで暖かい。
最初は靴下に3000円も出すのは躊躇ったけど、その価値は十分にあったと思う。
難点は分厚すぎて靴が履けなくなること。
毎日履けるよう何足か買い足すつもり。
さらに1ランク上のメリノウール エクスペディション ソックス(3520円)も試してみたい。
https://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1118416
https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E461011-000/00
分厚いヒートテック。
ヒートテックと言えばペラペラなイメージがあるがこれはトレーナーくらいの厚みがある。
しっかりとした暖かさがあり、今くらいの季節ならこれ一枚で部屋着として使える。
肌触りが良いところも気に入っている。
これも毎日着られるよう何着か買い足したい。
https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E450529-000/00
こちらも悪くはないが、超極暖を知ってしまったからには1000円ケチらずに超極暖を買えとしか言えない。
https://yamazenbizcom.jp/category/22104/65048.html
こういうの。
在宅勤務の時に椅子に敷いたり、リビングで座る時に敷いたりしている。
何というか必要最小限のエネルギーで効率良く暖められるという感じ。
ストーブはやはり電気代が気になるし、エアコンは乾燥したり調整が難しかったりでなるべく使いたくない。コタツだと椅子に座れないし。
電気マットは場所を問わず電気代も気にせず使えるのが素晴らしい。
一生布団から出られなくなるくらい暖かくて気持ちいい。電気代がかからないのも良い。
ある意味一番のおすすめだけどみんな使ってるだろうから選外で。
モンベルで買った2000円くらいのやつ。百均とかの安物じゃなければ何でもいいと思う。
冬の散歩のお供に。
Amazonで検索したら色々出てくる。2000〜3000円くらい。
期待せずに買ってみたが、思ったよりは温かさを感じられた。
手がかじかんで動きが鈍くなってきた時に緊急回避的な感じで使っている。
冬の散歩のお供に。
夕食の片付けを終え、私はふと口を開いてしまった。
「ねえ、最近、私たちって、ちゃんと話してない気がするんだけど…」
夫は少し驚いた顔をして、すぐにスマホに目を戻した。「話してるじゃないか。毎日、おはようもおやすみも言ってるだろ?」
そうじゃない。そうじゃないんだ。心の中で叫びながらも、言葉にする勇気が出なかった。「ううん、そういうことじゃなくて…。ちゃんと二人で話をしてないっていうか…」
しばらくの沈黙のあと、夫は小さく息を吐き出し、ソファに体を沈めた。「…仕事で疲れてるんだし、今さら何を話すんだ?」
その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた。かつて夜遅くまで他愛のない話で笑い合った日々が思い出され、その記憶が今では遠いものに思えて仕方なかった。こんなにも近くにいるのに、私たちはどこか遠く離れてしまったような気がした。
「…ごめん、変なこと言って」
そう言うと、私はその場を離れ、リビングのドアを静かに閉めた。
数日後、私は慌てた様子の夫から電話を受けた。朝の通勤時間、彼からの連絡は珍しかった。
「頼む、駅まで来てくれないか?」
驚いて理由を尋ねると、彼は言いにくそうに低い声で話し始めた。「…朝、電車でちょっとトイレが間に合わなくて…」
その時の彼の声は、いつもの冷静で余裕のあるものではなく、どこか小さくて弱々しかった。思わず笑いそうになりながらも、彼のプライドを傷つけないよう努めて真剣に話を聞いた。そして私は急いで駅へ向かった。
駅の待合室で、しょんぼりと肩を落として座っている彼を見つけ、私は思わず笑みがこぼれた。心配だったけれど、なんだか愛おしくも感じた。そっと彼の隣に腰掛け、言葉なく手を握ると、彼も少しだけほっとした表情を見せてくれた。
彼は小さくうなずき、弱々しく笑った。その瞬間、なぜか私たちの間に少しだけ、以前のような親密さが戻ったような気がした。
それから、私たちは少しずつまた、夜に話をするようになった。長い会話ではないけれど、互いの存在を確かめ合うような、そんな会話。あの時、彼が失敗を見せてくれたからこそ、私はまた彼に手を差し伸べることができたのかもしれない。
タイトルのとおり、20年ぶりくらいにテレビを買い替えることになって、電気屋を眺めたんだけど、まあ変わってるね。
まず、デカい。そさ
けっこう広いリビングに32インチを使ってたんだけど、32インチなんて6畳用とか書かれちゃってる。
20インチとかでスーパーファミコンしてたジジイにはビックリだ。
アナログ放送ボタンとか、Gコード予約ボタンが減った。他にも色々減った気がするけど、元々使ってないボタンなのでわからない。
録画がHDDをつなぐだけでよくなったそうな。
便利だなあ。
で、テレビを買い替えると観れないとか。
私的利用以外の目的で録画するシーンがわからない。金ローの映画を録画して売り捌いたりする人がいるとでもいうのか?だいたいの作品は数百円払えばプライムビデオやHuluでみれるのに、そんなの買う人いないだろと思うのだが。
車内でぐずる子供を静かにさせるためにDVDに焼いたり出来るのかと聞いたら、それは出来るけど大半の車載DVDプレーヤーは再生できないらしい。
10年ちょっと前、3D元年とかVR元年とか言ってたが、3D機能はすっかりなくなったようだ。
要らないよな。
今までFIREstickでプライムビデオをみてたが、テレビに内臓してるらしい。
便利そうだけど、FIREstickを何年か置きに買い替えてた身からすると、数年でスペック足りなくなったりしないか不安である。
そして安いな。
フルHDなら2万、4Kでも中華メーカーだと5万くらいからある。
テレビ台のほうが高い。
というかテレビ台じゃなく壁寄せが主流なのな。
浦島太郎だよ。
遮光カーテンを使っていると
都心ということもあり
夜でも外の光が多めの環境だったのだが
遮光カーテンで夜に光をよく遮っているおかげか
夜によく眠れるようになった
いやでも単なる気のせいかも
これで行けないなんてことある?ってぐらい100%行けるだろと思ってたのに振られました。
サッカーで例えるならゴールど真ん前、ディフェンダーどころかゴールキーパーもいない絶好のシュートタイミングで外したみたいなもんです。割と納得がいきません。
元々は親友同士でした。留学先で知り合った男の子です。普通に友達になり、共通の友達もいたことからすごく仲良くなりました。
学校内でよくご飯を食べますし、寮のリビングで一緒に2人きりでくつろぐ事もあります。
知り合って一年程ですが意識し始めたのはここ数週間のことでした。
共通の友達と遊んでた時に、増田の理想の彼氏になるのも近いかも?と冗談を飛ばした彼に
帰り途中、友達俺らが付き合うんじゃないかって思ってたよね?って言ってきたので冗談混じりに付き合ってみる?と答えました。
冗談言うなってって流されたものの、こちらもまだ気持ちがハッキリしてなかったので冗談だよと言いました。
冷静に考えてみれば、半年前、彼に彼女ができたとき親友を取られるのが寂しくて嫌な気持ちになっていた事から多分薄らと好きだったんだと思います。これが自分の初恋でした。20うん年間人を好きになったことがなかったので
自分は人を好きになることができないアセクシャルなんじゃないかと思ってた矢先の初恋でした。
過去を振り返った時にもしかしてあの人のこと好きだったのかも?あの感情が好きってことなのかな?とか思ってたものですが全然違いました。
彼がどこにいてもすぐ見つけられますし、そばにいるとドキドキします。一緒にいたくて学校の中を探すようになりました。
自分には釣り合わないと思うほど彼はいい人です。優しいし頭がいいし趣味がたくさんあって一緒にいて楽しいです。子供のようなところもあって笑うと可愛いのに、車を直したり家具を修理したりするところは男らしいです。自分の気持ちに正直で思った事はまっすぐ伝えてくれます。悩んだ時いつも助けになってくれました。人を褒めるのも上手です。嬉しい時には笑い悲しい時には泣くそんな彼のことが本気で好きです。
友達との話の後に、距離が急激に縮まりました。指相撲をするのがお互いのルーティンなので良く手を握り合うのですがその頻度が増えたり、今まではさよならと慰めの時くらいしかしなかったバグの量が増えたり
何もなくとも肩をぐっと引き寄せられたり
ふざけて泣き真似をすると腕の中に閉じ込めてきたり背中を摩ったり、ひたすらくすぐってきたり、そう言う事を頻繁にしてくるようになりました。その頻度と質が毎日毎日エスカレートしていきました。
こっちも肩を組んだり寄っかかったり背中に触れたりと
まぁ言っちゃなんですが割といちゃついてたと思います。
おでこと鼻同士をくっつけてきました。いや友達ともした事ない距離!!!!
これは両片思いなのでは?って思っても仕方ないと思うんですよ。
彼はチャラチャラしたタイプではありません。遊ばれてるって事は絶対にありません。
騙されてるとかそう言うわけではなく、本当に誰とでも寝るとか女の子を落として遊ぶとかそう言うタイプの男ではありません。
ここまでイチャついてくるのは自分だけでしたし、彼は何かあるごとに、彼女が〜彼氏が〜ってに話を持ってきました。
とか
ある日、
と聞いてきたので
好きになって欲しい?と言ったところ
他の彼女のように君を失いたくないからいいかな。と言われました。
元々、恋人とかそう言うのに興味がなかった上にその話はしていたので向こうも関係を壊したくないんだろう。だからこう言う試し行動をするのかなと思ってました。
先日、ひたすら20分ほどくすぐられた後に
話の流れで
なに?俺に彼氏になって欲しいの?
って言ってきたので
なって欲しいよ。好きだよと伝えました。
そしたら、わからない。君を失いたくないから躊躇ってしまうと言われました。
最初はそのうち考えを出して恋人になってくれるんだろうと思ってポジティブに受け取ってたのですが
冷静に考えてみるとこれって体のいい断り文句ですよね。
じゃあ彼が別の女と付き合ったとして、
その女は失っていい存在なのかって言うと絶対違うじゃないですか。
え?これマジでフラれたんじゃね?って思って今更ながら大ショックを受けてます。
彼の初めての彼女もその次の彼女のことも知っていますし別れた時は彼のことを慰めたり相談に乗ったりしていました。そう言う彼なのでセフレにしようだとかそう言う事は絶対にありえないです。
2人で会って
いつも通りふざけて殴りかかるフリしたら
なにー。俺が君の好きな人だからパンチするの?昨日は告白してきたのにー
的な感じでチャカされたんです。いや、行けると思いません?ちょうどお互い忙しい時期でとある発表会が近かったのでそれ終わったら好きって言ってくれるかなとか思って楽天的だったんですけど
これ完全にフラれてますよね。
え?こんな状況でフラれることあります?いやフラれてるんですけど。多分
私が避けなければ。好きなので今までと同じ距離感でいたいとは思います。男として好きな以前に親友として大好きなので。
でも、これで彼に彼女ができたら受け入れられる気がしません。友達ではいたいんです。でも、好きにもなって欲しいんです。
でもそれが無理ならこの気持ちを忘れたいと思うんです。
好きだって言ったけど、この関係が壊れるのは嫌だ。気持ちに答えてくれなくてもいいから友達ではいたい。明日から避けないで欲しいと言ったのは自分ですし、その責任は取りたいと思っています。親友を失いたくないですし。
ここ10年で特に戸建てをめぐる法律がいろいろ変わってきて、高気密高断熱や耐震性能が高いものを必須となってきた
単純な話、高気密高断熱の基準がぐっとあがってきて、2030年以降に建つものは冬でも室内が快適になるかもしれない
一昔前に流行ったZEH住宅は10年以内にあまり意味のない単語になる
なぜならその程度の住宅性能は最低ラインでしかないとされるから
今までは延べ床面積500平米以下なら特に義務がなかったが、今後は2階建てで200平米を超えると構造計算しないといけなくなる
これをかいくぐるために、高さのない狭めの平屋住宅メーカーがどんどんでてきている
平屋はお勧めといわれるのは、単にこの法律の抜け穴があるためだ
ちなみに延べ床面積200平米って地方都市の普通の建売の基準で、狭くもなく広くもない
https://www.mlit.go.jp/common/001500388.pdf
さらに昨今はリビング階段などが高気密高断熱住宅にはメリットになりうるとされていて、一年中エアコン1台で快適に過ごすってのがトレンドだったりする
あと、住宅ローン減税も10年以内に0.5を割るだろうし、家がどんどん高機能で高級路線になりつつ、金利的な優遇はさがっていくことだろう
じゃあ昔のほうが良いかっていうと、昔は高断熱・耐震性というものをあまり重視していないメーカーが多数だったので、建売とかはひどい性能だったりする
家を買うのは楽じゃない
引っ越し先を探して、町を歩いている。こんな風にして町を歩くのは久しぶりのことだ。空を見上げ、風を感じ、誰のことも考えずに歩く。気ままに右に曲がったり、左に曲がったりしながら、ここが自分の町になるかもしれないと考えると、見慣れない建物や道にも一種の親近感が湧いてくる。
ふと目を引く建物がある。鉄柵のポーチがついた古びたアパートや、整然と並んだ低層の集合住宅、どれもが美しく見える。好きな町にある建物はどうしてこんなにも魅力的なのだろう。小さな窓が規則正しく並ぶのを見ているだけで、そこに暮らす人々の生活がほのかに透けて見える気がする。洗濯物を干す手、犬と散歩に出る後ろ姿、夕方に窓辺で本を読むシルエット。どこかの階段を登り、無作為に選んだ一部屋のドアを開けてしまえば、そこに新しい人生が待っているんじゃないかと思えてくる。
でも、そんな風にして家を探す一方で、今住んでいるマンションを手放すことを考えると、どうにも勇気がいる。しっかりとした木の床、いつも心地よい明かりが差し込むリビング。愛着というのは気づかないうちに体に染み込むものだ。ローンという重い鎖を解くことができるはずなのに、それで得る開放感が、必ずしも心地よいものとは限らない。ローンが消えても、その代わりに家という物理的な存在が失われるという事実が、妙に僕の心をざわつかせる。家がないということは、いわば自分の居場所がどこにもない、そういう気分にさせるからだ。
僕たちは財産という形で所有するものに縛られているのかもしれない。家という存在が持つ重さ。それがローンの重さと一緒に消えるとしても、そこで何か大切なものまで手放してしまうような気がして、なかなか決断がつかない。
うちは良好で毎週末。夫側ね。涙ぐましい努力の賜物だけど。
週末、妻はリビングで好きなドラマとか見ててもらって、おれは寝かしつけ。一緒に落ちたり、寝たか?と思ったら起きたり、そういう戦場をくぐり抜け、リビングにたどり着くと妻が寝てたり…。でもそこで怒らない。金曜ならまだ土曜がある。
で、寝かしつけに成功したら二人で飲みながらロマンチックな映画見て、マッサージ。そこからなら持ち込める。
という苦労を何年かしたけど、最近は子どもは勝手に寝てくれるし、妻もなんかよくなってきたらしくて、かなり積極的。でも逆に今度は妻の声が大きくなってしまって子どもが起きないかヒヤヒヤ。こないだは、子どもが学校行ったあとのほうがいいかってことで、朝しちゃったよ。
敗戦国日本における帰還兵の苦しみを伝える貴重な武田さんのお話を読みながら、私は一方の戦争の勝者であったエノラ・ゲイの機長・ポール・ティベッツ氏にインタビューしたことを思い出していた。
1945年8月6日、広島市に原子爆弾を投下したB-29爆撃機が「エノラ・ゲイ」である。
2004年に自宅を訪れると、美しく装飾された立派なリビングの壁にあったのが、キノコ雲の写真だった。
私がこんなものを飾るのかと絶句していると、ティベッツ氏は「私の人生の最大の功績だからね」と言った。
彼の話には一縷の悔恨も出ない。
アメリカでよく聞く肯定派の論理を繰り返すだけだ。「あの時私が落とさなければ戦争は終わらず、何倍もの日本人が死ぬことになった」「最悪の状況を止めるにはそれしかなかった」「むしろ日本を救う選択だったと信じている」と。
当事者の話を冷静に聞くという目的で行なったインタビューだったが、正直私の心には嫌悪しかなかったし、今思い返しても後味が悪かった。
その3年後、彼は亡くなった。
聞けば原爆投下に批判的な人々の抗議運動を常に懸念して、死後は葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう頼んでいたという。
今思えば、ティベッツ氏も人間性を捨て、異常なまでに自己を正当化することでしか人生も家族も守ることができなかったのか。
ソース: naganotomoko.com
仕事から帰ってきたら、リビングに見慣れない物体が鎮座してた。
何だこれって近づいてみると、どうやらそれは息子が図工の時間に作ったパノプティコンらしい。
パノプティコンって知ってる?真ん中に塔みたいなものが立ってて、そこから360度、全部監視できる構造になってるやつ。昔の監獄とかで囚人を監視するために考えられたっていう、アレね。
で、うちの猫がパノプティコンの監視塔にちょこんと収まってるんだよ。
この塔がまた息子らしく、やたらと細かく作り込んである。監視用の穴が四方八方、東西南北にびっしりと開いてるんだよ。
さっそく猫に向かって「おーい」って手を振ってみたらシュッて手が飛んできて、こっちがちょっかいを出す方向にきっちり反応してくれる。
それでさらに試してみたくなって南の穴から指をひょいひょい動かしてみたら、「…来る!」と思った瞬間、ピシッとそっちの窓から肉球パンチ。
今度は北側の穴の方で指を動かすと、見事にシュバッとパンチが即座に飛んでくるわけ。
どの方向にいても、猫は全方位ちゃんと把握してるっぽい。
こっちがどんなにトリッキーにちょっかいをかけても、瞬時にどの方向にも対応してくるんだからもはや監視のプロ。
それで、しばらく息子と一緒に「今度はこっちからやってみよう」なんて言いながら遊んでたんだけど、なんか気がついたら猫のほうが楽しんでるみたいでさ。いつもなら飽きるはずなのに、全然離れないんだよね。
監視役にすっかりハマってるんだよ。
で、最終的には俺たちが先に根負けしちゃって、もういいやってソファに座ってたんだけど、それでも猫は塔の中に収まったまま。
穴からじーっとこっちを見つめてるわけ。完全に「監視してますよ」って顔してるのが面白すぎてさ。「おまえ、ホントにやる気だな」って思わず笑っちゃった。
長女は生まれながらにして不幸だと思う。
下の兄弟が生まれた瞬間に不幸になることが決定づけられたようなものだ。
「お姉ちゃんなんだから我慢して」と親にも妹にも言われた。妹はいつも傲慢で怠惰で短気である。
妹を簡単に説明すると小学生の時から不登校気味で中学生の今では部活以外で登校はしない。部活は演劇部で脚本を書いているようだがそもそも活動してるのかすらよくわからない。
両親はとにかくこの妹に甘い。
私が中学時代演劇部に入りたくても運動部以外は認められなかった。入ったバレー部で飛び降り未遂をするくらいひどいいじめにあっても部活も学校も休ませて貰えなかった。下着姿で家から追い出されたこともあったのに。
妹はとにかく物に当たる。何かを投げたり蹴ったりしてその対象が私のこともあった。私が耐えられなくて言い返したりやり返そうとすると両親は決まって「この子はもう病気だから何も言い返さないで、やり返さないで、相手にしないで」と何故か私が怒られる。
私がスマホを持ったのは高校1年生のときなのに妹は小学5年生から持ち始めた。
毎日リビングで顔を合わせる度に「死ね」「消えろ」「出ていけ」と言われる。お望み通りと思い夏休みに1週間ほど大学の友人の家や彼氏の家に泊まり、家に帰ると「なぜ帰ってこなかった」「お前が家にいないせいで家事は私がやることになった」と八つ当たり。
私が中学生の時服を買ってもらうのは決まってしまむらかパシオスだったのに妹は常に両親にLIZLISAや夢展望など高価な服を買い与えられている。今でも両親にそんな高い服買ってもらったことは無い。
両親も両親だ。病気かなにかだと思っているならさっさと病院に連れて行って適当に入院させてしまえばいい。そうしたら私が救われるのに。
私が受験勉強で精神を病んで心療内科でうつの診断を受けた時それを甘えと言ったのに妹が中学に行きたくないといえば「辛かったね🥹よしよし」ですぐに休ませる。
どうして妹ばかり優遇される?すぐに家を出たいけれど大学在学中は実家で暮らさなきゃいけない。
バイトもしてるけど稼ぎは安定しないし稼げて月5万円いかないくらいで大学の教材費や画材費に消えていく。その上妹に「バイトしてるんだから金よこせよ」と言われて微々たる額だが渡さないとまた暴言や暴力に襲われると思うと渡さずにはいられない。
私はもうこれ以上苦しみたくない。たすけて。
ギャルっていっても、まぁ今どきの清楚系とか地雷系とかじゃなくて、完全に昔ながらのガングロ系。
真っ黒に日焼けしてて、目の下には涙袋をこれでもかと強調するメイクをしてる。
だからうちに帰ってきてから、怒りと悲しみのあまり、リビングで大泣きしだした。
その泣き方が凄まじくて、涙でアイラインが滲んで顔がぐちゃぐちゃになりながらも、なおかつ涙袋だけは頑張って強調されているという、なんとも言えないカオスな状態。
その時、私の頭にふと浮かんだのがベヘリットだった。
あの不気味な形をした、泣いているか笑っているか分からないような顔のアイテム。
姉が泣いている顔が完全にそれだった。
なんだか神秘的ですらあって、思わず見入ってしまった。ギャルが感情をむき出しにして泣き叫ぶ姿っていうのも、ある種の儀式に見えてしまうぐらいだった。
「もう絶対男なんて信じない!もう恋愛しない!」なんて叫びながら、部屋中にクッションを投げつけ、ティッシュの箱が吹っ飛んで、リビングがちょっとした戦場になっていた。
見ているこっちとしては、どうしてもその光景がベヘリットに見えて仕方がなかった。
いや、たぶん姉が真剣に泣いているのは分かってるんだけど、涙袋が強調されすぎていて、涙がそこから滲んでくる度にどんどんベヘリット感が増していく。
こういったことも初めての事じゃない。
毎回、全力で恋愛して、そして派手に振られる。これまで付き合った男たちはみんな何らかの問題を抱えていて、姉はその度に今度こそ本物の愛!と信じて突っ込んでいくんだけど、結局裏切られて大泣きするのがいつものパターン。
そんな姉を見ていると、「またベヘリット発動か…」って、私の中でいつの間にかそんなセリフが浮かぶようになってしまった。
姉にとっての恋愛は、常に危険な賭けであり、心のどこかでそれを楽しんでいるようにも見える。
彼女が次の男に夢中になっている姿を見るたびに、「またあのベヘリット顔を見る日が来るのかな」と思ってしまうのが、なんとも複雑な気持ちだ。
翌朝、姉はケロッとした顔で起きてきた。そして鏡の前でまた涙袋をしっかりと描き直して、派手なギャルメイクを完成させた。その姿を見て、私はなんだか笑ってしまった。まるで何事もなかったかのように、また「恋愛の戦場」に出ていく準備をしているようだった。
「もう大丈夫?」と私が聞くと、姉は振り返ってニヤリと笑った。
「当たり前じゃん!泣いたのは昨日だけ。今日からは新しい人生のスタートだし!」と、自信満々に言い放った。
この強さこそが姉の魅力なんだろう。私には真似できないけれど、何度振られても立ち上がる姉の姿には敬意を感じずにはいられない。
そんな姉を見て、私はまた思った。
姉の強さ、そのものなのかもしれない。
涙袋が再び強調された顔が、今度は勇敢に見えた。
そして、その姿を見ていると、私はなんだか勇気をもらえるんだ。