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2019-05-21

anond:20190521131034

下記箇所について、補足。

多少横道に逸れるけど、前近代家族観認識のずれの方が気になった。

今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い

お手数だけどこれの根拠があれば紹介請う。

引用いただいた「今となっては『それ』が極論に過ぎない」という部分の「それ」は、直前の、いわゆる「近代見直し」が盛んだった時代の論、を受けているのね。自分家族論や社会学専門家とかではないけど、たとえば20年ほど前にはF・アリエスの「子供誕生」について、次のような言い方で「近代以前に〈子供はいなかった!」的な紹介がされ、多くの人に影響を与えたわけだけれど、

子供は長い歴史の流れのなかで、独自モラル・固有の感情もつ実在として見られたことはなかった。〈子供〉の発見近代出来事であり、新しい家族感情は、そこから芽生えた。(みすず書房https://www.msz.co.jp/book/detail/01832.html

実際問題としてこれは「(我々が思うような近代的)子供(観)」が誕生したのは近代出来事に過ぎない、というだけの話に過ぎないわけだということは、今となっては説明するまでもないことだよね。親子像、子供像が「今とは(多少)違う」のは事実としても、親子や子供過去の文献に登場しないということはない。自分が言いたかったのはそういうことです。そして、増田が引いてくれた極東ブログ引用している元論文も、原文では次のように書いてるよね。

現代において伝統家族と考えられている直系家族江戸時代に生まれたのである

これを、極東ブログさんは「日本家族なんてものはなかったし、結婚もなかったんですよ」というタイトルで紹介するわけだけれど、この図式は上に挙げたアリエスの事例とそっくりだというのは分かってもらえるのではないかなあ。つまりもともと「(近世誕生した近世的)家族近世以前にはなかった」というだけの話しかしてないのに、それをセンセーショナルに取り上げて過剰に敷衍した意味づけをしている、という構図。いかがでしょうか? 本当は、近世以前にも、たとえば古代的、中世的な形で家族はあったし、古代的、中世的な姿で「子供」も社会的存在した、ということです(たとえば「子供」を人間以前の存在として大人とは別なる名を与え、一定以上の年齢になると新たに人間としての名を与える「元服」という風習とかがそう。)。


さらに、今私たちが思う「子供」観の全てが「近代に作られた子供像」で説明できるのかと言えば、それもまた違うのではないだろうか。単純に同じと言えないことはもちろん前提なのだけれど、1300年前に山上憶良が「銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも」と歌ったその親子観、あるいは800年前ごろに、合戦中に年配の熊谷直実が、組み伏せた若武者が十六、七と我が子のような年の若者であるのを見て思わず刀を止めるシーンを描いた平家物語に見られる「年少者に配慮する心境」のようなものが、現代私たちの「子供」観と全く不連続であると言い切るとそれも相当無理があると思うのですよ。もちろん、1300年前、800年前の人々と私たちは、政治制度世界観死生観、何もかもを共有していないと言っていい。だから、本当のところ彼らが何を感じていたかなんて分からない。(まあそれを言うならそもそも現代を生きている私たち同士だって、何をどれほど共有しているか保証されないけどね。)それより、そうして「ことば」に載せるべきことは何か、すなわち彼らが「想定した公共」が何かという点に着目してみるなら、彼らと我々の間に一定の何かを架橋することは十分可能だと言えるのではないか。それを安易に「親子像、家族像の根本であるとか結論付けるのはそりゃ止めた方がいいと思うけど、そこに「引き継いでいる何かがある」ことは認めた上で話を展開するのは、それは十分建設的なことだと思うんだよ。

コノハナサクヤヒメの話を書くスペースが無くなったんだけど、一言だけ言うとあれは一般的婚姻の姿をイメージしたお話とは言いがたいのではないかなあ。「姉妹を同じ人のもとに嫁がせる」のは、あの話では天孫降臨した人間の祖に対して山の神繁栄を授ける、という文脈だよね。それは、たとえば地域を訪れた新しい権力者に対して地元豪族が取り入る、みたいな図をベースに作り上げた物語なんじゃなかろうか? 

2017-10-22

貧窮問答歌一首 并短歌 山上憶良頓首謹上

風雑 雨布流欲乃 雨雑 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩

乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之叵夫可比 鼻毘之毘之

尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己

呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 

伎曾倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻

子等波 乞弖泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者

比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰

安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等

々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃

其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保

乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方

尓 囲居而 憂吟 可麻度柔播 火気布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能

須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提

短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻弖 来

立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道

世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆

風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへる がごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道

世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

 
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