はてなキーワード: カタルシスとは
からくりサーカスってW主人公制を採用してるんだけど、基本的に主人公の二人は序章と終章以外では交わらない。その終章での交わりも、戦闘中に二人が背中合わせで戦って「この背中、もしかしたら」となるだけで顔を合わせたり声をかけたりもしない。
俺が編集だったら「最終章は序章で別れた二人が再会を喜び合うエンドにしましょうよ」と言ってしまいそうだが、結局、作者の当初の予定通りに「二人は永遠に再会しない」という展開のまま幕を閉じた。編集は作者を信じていたんだろうし、作者は読者を信じていたんだろうなと思う。
安易なカタルシスに話を集約するのは結局のところ「わかりやすいエンディングにしないと読者は理解できないのでは、喜ばないんじゃないか」という不安からくる部分が大きい。実際、あとがきや後日談的に語られる中で「本当はもっと違うエンディングを考えてたけど編集にハッピーエンドにしましょうって言われた」というような話が出て来ることも少なくない。映画とかでも未公開エンディングとしてビターエンドが出て来ることも多い。
またW主人公制を採用しながらもコミックスにして30巻以上分もまったくかかわらないまま話を進めることも勇気がいったはずだ。それぞれの主人公のストーリーが単体でも行けるはず、読者はついてくるはずという信頼があったんだと思う。
俺はからくりサーカスはあの終わり方をしたからこそ最高の作品だと思っているので、これで行けるはずと信じてあの作品を作り出し送り出した作者、編集はやっぱすごいよなぁと昨日、荷造り中に出てきたからくりサーカスを徹夜で読みながら思った。
読んだ後原作みて見たら、マンガは打ち切りをふまえてか、ラストだけ原作と流れを変えたんだなってのがわかった
一応ヒロインも複数いてハーレムチックな要素もあったしブラコン妹みたいなのとかもあったけど、
やっぱりお色気がほぼなかったりハーレム要素も薄かったり、絵柄が萌え系じゃなかったりであんまり受けなかったのが一番大きいんだろうなあと
(むろんそれらをただ入れれば万事解決というものでもないことはわかってはいるけど)
展開もあからさまにわかりやすい俺TUEEじゃなくていまいちカタルシスを得にくいし
(TUEE能力を使うためのしばりがキツすぎて、基本ただ作中内のゲームを見てモノローグでひとりごちるって場面が多すぎ。
ただ見てるだけってのはすでに読者がやってることであって作中でそれやられたらさらに上位次元の読者はもっとつまらない)
絵は決して下手ってわけじゃないんだけど、外連味とか色気が足りないのが否めない
あと重要キャラの幼女がいまいちかわいくない・・・この絵柄で幼女を書きなれてないんだなってのは感じた
あとはやっぱり物語のスケールがすごく小さいままってのも残念なポイントだったと思う
村づくりと村を守ろうってのだけだとやっぱりものすごくこじんまりとしていて、どうしてもカタルシスを得にくかった
うたわれ無印でいうと最初の村関連の戦い・話だけで話が終わる(閉じている)ような感じ
「これが普通のゲームなら場面が切り替わって村に一瞬で戻ってるんだろうけどこのゲームではそうならない」みたいなモノローグあったけど、
まさにそれなんだよな
作者の書き終わったブログみたら、引き延ばし要素排除して必要最小限の要素のみで構成してるってあったけど、
たぶんマンガにするにはさらに排除するか、もっと構成を考えて変えた方がよかったんだと思う
原作を丁寧に追ってるから地味でダイナミックさが足りない感じのコミカライズになってる気がした
あと主人公が無難な真面目男だからつまらないってのもあると思った
主人公が聖人って設定だとおっさんケインがぱっと浮かぶけど、あっちはそれを補うようにぐいぐい引っ張るキャラが別にいたからよかったんだなと
先日とあるホラーミステリーアドベンチャーゲームをクリアした。
友人が「めちゃめちゃ良かった!やって!」と布教して回っていたから、まあやったるか…の気持ちでやった。一通りエンディングは全部見て、このゲームはきっと面白いのだろう、というのが今の感想だ。
面白いの「だろう」の理由は単純で、アドベンチャーゲームの一周目で攻略を解禁してしまったためだ。全て自分で気づけたら、カタルシスもあったかもしれない(今となってはわからない)なあ、と思う。
とはいえじゃあ攻略を解禁しなかったらと言えば、途中で投げ出していたに違いないので、難しいところである。
なぜならば、自分はものすごくホラーが苦手である。一本道であるフリゲならなんとかできないこともないが、途中詰まると友人を召喚するか攻略を見に走らないとできない。零なんてやろうものなら数日は夜眠れない(実話)し、ホラー系コンテンツを見た数日後にあれ?なんか怖くて夜眠れないな?と思うことさえある。時限爆弾か何かか?と言われそうだが大真面目である。だから、冒頭に書いた通り、ホラゲが苦手すぎて罪悪感がある、のだ。
ちなみに、グロ系や本当に怖いのは人間みたいな話、あるいはタネも仕掛けもあるミステリーであれば一切問題ない。アガサクリスティも江戸川乱歩も東野圭吾も大好きである。
さて、件のホラーミステリーアドベンチャーだが、全然怖くないよ大丈夫!と言われたものの、ホラー系統がものすっごく苦手な人間からすると、確かにバッドエンドを踏んだ時の描写は思ったより怖くないかもしれないが、「この選択肢をミスったら怖い描写のバッドエンドがあるんじゃないか?」という疑心暗鬼はかなりのストレスである。特に、自分自身ゲーマーなので、本来は全ての選択肢を試したいのだ。ただ、怖い何かがあるかもしれないと思うと正解しか選べなくなってしまう。寄り道したいのに、怖いトラップがあるかもと思うとできない。そのストレスに耐えかねて、結局途中から攻略を解禁してしまった。アドベンチャーゲームを初見で攻略を見るのは、自分としても流石に初めてである。おかげさまで恐怖は軽減され、寄り道、探索欲は満たせたが、別に暗くておどろおどろしい雰囲気の場所で探索欲を満たせたところでなあ……となってしまったのも事実だ。
ネタバレをしたいわけではないのでぼかして書くが、このゲームを絶賛している人たちは、「ゲームというメディアであることを活かし切った謎解き」と評していた。直裁に言えば最近流行りのメタ的ギミックとでも言おうか……。最終的に、自分では気づけず(気づくために過去の描写を見返して考え抜くという選択肢もホラーというジャンル上取れず)サクッと攻略を見てしまったので、メタ的ギミックに気づくカタルシスが自分にはなかった、わけだが、ではいざ攻略を見てみて「ああ〜確かに!!自分で気づきたかった!!」みたいな悔しさが現状一切無いのである。一応ヒントどこにあったんだろうと思って調べてみたところ、確かに伏線はあって、序盤に未解決事象と思っていたことも綺麗に説明がつくこともわかったので、「あーまあ確かにそれなら全部筋通るか、そっか」というのが現在のステータスである。
一つ目は、ホラゲが苦手なやつがホラゲの過去ログを遡って情報捜査することはむずかしく、自力で謎を解ききれなかったもやもやであり、
二つ目は、明かされた真相に「そうだったのか!」というカタルシスを感じないもやもや、である。
二つ目のもやもやは特に、自力で真相に辿り着けば「そうだったのか!」と感動できたかもしれないが、今となってはもうわからないというのがなかなかに後味の悪い部分である。自力で真相に辿りついて、「え?こんな真相だったの????」と自分がブチギレだしたとしたら、それはそれで救いがあるような気がするのだ。ゲームをきちんとそのまま楽しんで、その上でのっとふぉーみー!!!!!と叫べるので。
つらつら書いたが、つまり筆者はお薦めしてくれた友人になんて言えばいいんだろう……と思ってこれを書いている。
自分の感情の整理になるかと思ったが、返す返すも、自分のホラー耐久の無さによってこのゲームを十全に楽しめなかった罪悪感、が一番にあるのだ。
もちろんメタギミック以外であれば素敵だったと思う要素はあるし、このキャラ好き!っていうのもままあったので、うまいこと面白かった、という文章は作れると思う(ので作る)のだが、王様の耳はロバの耳というか、もやもやを誰かに聞いてもらいたかったというか、そんな感じだ。ここまで読んでいただいたことに感謝する。
ひとつお願いがあるとすれば、ホラー耐久が自分ほど無いやつは他にもいると思う。そして往々にして「なんで怖いの?何が怖いの?」と聞かれてもうまく言語化できないことも多い。ただし、なぜかわからないが怖くて眠れないとかガチに健康被害なので、無理強いとかはしないでほしい、と思うところである。
ホラー耐久の無い同志よ、強く生きていこうな。
今回もその点はちょいちょいある
ただしかし最近の作品の中だと、言うほど…なのでその勧め方はよくない
脚本家はおそらく原作を未だにまだちゃんと読んでないんだと思う。この脚本家はずっとそう
でもまぁいいや。コナン✕灰原もいい。そこへの想いは伝わった
勿論端々で今、青山の手が入ったなと思うところは多いのだが、行動で崩壊していくのだ
そして原作での立場だと「そうはならんやろ」ということも多く「脚本原作読めよ」と言う思いが強くなっていく
もう何年も脚本してるのにね…だからこそ今作の脚本の雑さが分かって辛かった
もっとちゃんと組み立ててくれてたのに今作はどうしてそうなった?という出来
インタビューを見ると最初の事件案から付け足したり消したりして残った設定が散見されたのだが、本当に残った設定がゴミのように散らばっていて目障りで仕方なかった
確かにコナンと灰原のストーリー部分だけ見たら、原作灰原とかなりキャラ性が違うが、二次創作灰原と思えば丁寧に描かれてたと思う
しかしそこ特化しすぎたのではないか。これじゃあ本当に同人誌みたいだ
OPも酷かった。これ過去最低。音楽も入れ方が酷い。作画もここ6作くらいでは一番だめ。なんで?監督にはがっかり
盛り上がるところもない。ノルマのような「いつもの」も地味すぎて「お約束」にはなってない
画面が常に同じ、薄暗い、カタルシスもない。事件規模が小さい。単調
別に自分は灰原との恋愛模様あたりも青山が加えた流れで納得した部分があり、いわゆる炎上部分は否定的ではないのだが、
ガキ向けYouTubeチャンネルをガキでもないのに好き好んで視聴してるんだけど結構闇深いのよ。
いやそのこと自体も多少闇だけど今回話す闇はガキ向けYouTubeチャンネルさんサイドの闇の話ね。
ガキ向けYouTubeチャンネルってのはRobloxとかマイクラの寸劇とかやってるやつ。
ガキ向けかどうかの基準はコメント欄に「〇〇のみんなだいすき」とか「さいごたすかってよかった」とかいかにもガキのコメントが溢れてることとする。
なにが闇ってまずけっこうエグめの表現を多用する。
とくにサムネで流血とか四肢切断みたいな画像をかなりポップな色遣いで使ったりする。
大人が見てもなんてことないが親からしたらたぶん見せたくないだろうなってレベルでグロい。
ただまあガキ大歓喜の鬼滅の刃もそれなりのグロさではあったので子供って本能的にそういうの好きなんだろうな。
クレヨンしんちゃんとかドラえもん、プリキュアでは過剰に配慮されすぎていてそれらからでは得られない「快」を得てるんだろうな。
あと二つ目の闇は話のオチが薄すぎたり全然落ちてなかったりってことね。
話の腰をブッツリぶった切りでいきなり終わったりすんのがしょっちゅう。
悪役がいても最後10秒くらいで唐突に落とし穴に落ちて死んだりする。
なんかもうちょっとドラマチックな展開考えろよって気もするけどガキには話の流れよりも悪い奴が死ぬ瞬間とかの刹那的なカタルシスが効くんだろうな。
あと次の闇なんだけど複数人でやっててる奴らはメンバーがいきなりいなくなったりってのがある。
そんでメンバーいなくなったことに軽くも触れられなかったりする。
【大切なお知らせ】とかいってスーツ着たサムネみたいのあるじゃん?ああいうの無い。
そんでいなくなったメンバーは別のチャンネルに登場してたりする。
「〇〇いなくなったの?」「〇〇かえってきて!」みたいなガキのコメントがたまにあってちょっとしんみりする。
(追記)
そういやエルサゲートってあったな。まああそこまで露悪的な感じは最近みないけど。
でもしっかりスパイス的にそういう要素入れてるのはやっぱ大脳皮質的な需要があるんだろうか。
YouTubeだとかなり統計的なことに基づいて動画作ってるだろうし、極端なやつが駆逐されていった後で最後まで消せなかったものがあのレベルのアレなんだろうな。
漫画ぢからを高めるために読切を無選別に読んでみる試み。苦手なジャンルはそれだけで低評価になる当たり屋みたいで申し訳ないが、読み続ければ何か新しい嗜好が開拓されるかもしれない。
・ ゲスの恩返し
・ ウソキヅキ
・ ある王の日記
・ おもてなシミュレーションゲーム滝川
・ キュウビ
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549851
結構面白かった。ワンピース好きそうな画風?「なんでも甘く食べられる」道具が「なんでも食べられる」方面にシフトするのは面白かった。けどそこから恋愛に行くのは曲げに曲げたなあって。序盤の彼氏描写や(あれで付き合ってたの?)浮気と断じる描写が弱くてオチはよかったけど気持ちをちょっとだけ合わせられなかった。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549863
可愛い女の子によくまとまっていてるシナリオ、カタルシス。読切としてよくできてると思いました。
飛び降りるシーンやよじ登るシーン、ナイフで襲い銃を抜き突きつけるシーンとか動きのある絵がキマっていて良くてかっこよかったです。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549869
でもそれ以外はとてもよかった。エロがちゃんとエロコメとしてのエロでお出ししてる。好印象。
幼馴染の距離感にギャグと年上の間がいい。幼少期の記憶の差いいよね…。クソダサ私服好き。
とても刀っぽい七星剣が気になるところ。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549878
台湾漫画家が日本の漫画市場に台湾を舞台にした日本人のでてくる台湾人が主人公の漫画を日本語で書く。とものすごく混乱した漫画。韓国の翻訳漫画は人名とかを日本ナイズして持ってくると見たことがあったのでこれもそれなのか?でも舞台、台北だし、しかし人名はギリ日本人でもありえそう…といらぬノイズが生じて集中できなかった。
絵と家族の空気感、ラストなどはとても良かった。が、しかしメインの"不思議"部分がちょっとなにをしたかったのかわからなかった。オチもうーん、全体的に読者の琴線に触れようとはしてるんだけど、はじき方が全然足りなくて感情が動かない。古本屋との出会いのプロローグならOKだけど読みきりだとちょっとねーっと言ったラインだった。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549881
大甘に大甘でこっちに…?
フィクションの創作ってウソだよねってところは一応加点要素なので。あそこの物語で笑ってる二人は好き。
主人公はデスノの月タイプじゃなくてバカがバカな感情で嘘の発明を得たんだから説明台詞やオチみたいな知的なものよりバカっぽい面白い発想で広げていけばよかったのでは。
逆にテストの点の改ざんを削るだけでまだ「地頭はいい」キャラの線は残せるし、最低限やりたいストーリーとキャラの知的レベルは合わせてほすぃ。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549845
星新一みたいな短篇異星間交流話。とくに…言うことはないかな。温和な人物を信用したこと、農業に従事すること、地表が多いこととかがノイズに感じた。さりげなくレアアースを匂わすとかでもっと誘引するか、即ネタバレでなくもうちょっと弱者を演じてオチに逆転的な要素を入れるとか…でもまあそれでも予定調和内か。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549848
ピン芸人の一発芸を一人ひとつずつただただ流してくエンタの神様みたいな構成。キャラ紹介だけで終わって物語や相互作用がなかった。
https://www.shonenjump.com/p/sp/gatarou/w3tKVEbNHbi2TBzt/
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549860
うん
ttps://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549872
一流は怒られないための行動など造作もないがあえてクリティカルでない部分で手を抜いて「弱み」を演出し作為的に「怒られ」を誘発する。
指摘した「弱み」に留意した部下が行動を改善するという過程を体験させることで上司に「育て」のカタルシスを与え、自身へ教育し成長させたのだ、悪役になることを惜しまず若い才能に投資したのだという実感(サンクコスト感)を植え付ける。
(追記)
おもいのほか一流はてなーたちのトラバブクマあつまったな。プロ怒られ師のワイとしてはみんなサンキューやでを禁じ得ない。
もちろんこれはワイの実体験に基づいた経験則であるわけはなくてワイが元増田を見て単発で適当に思いついただけの妄想や。当然元増田の本文は一行目しか読んでない。あんま本気にするなよ?実践して失敗しても知らんぞ?
ちなみにワイは先輩に怒られた時「後輩を指導するのも先輩の仕事ですよね。いい仕事出来て良かったですやん」って言ってさらに怒られたことがあるやで。
近年のドラマとマンガに物凄く多い相手方に明らかに間違った主張を言わせて主人公に論破させて主人公を美化したり持ち上げるマウント系創作物がとにかく嫌い。
相手の主張が一理ある物だったり主人公に考えさせる余地があったりするとストーリーとして面白いし主人公がその主張を打ち破るカタルシスがあるがそれがないからつまらない。
逃げるは恥だが役に立つのテレビスペシャルのヒラマサが女が劣化がどうたらこうたら~を論破するシーンとか作者がヒラマサを操ってるピアノ線が丸見えで恥ずかしくて堪らなくてチャンネル変えた。
女性は劣化する云々の思想が間違った物であるのは自明だがいくら正論でもそれをわざわざ全国ネットで論破してドヤアを見せつけるのがキツい。
スカッとジャパンとかツイッターのスルメロックのマンガとか見せられてる感覚。
誤読されそうなので言っておくが別に女性作家が悪いと言いたいのでは無い。
鋼の錬金術師とかそこら辺を物凄く書けていて感動した。
他にもKAKERU作品とか美味しんぼとか深夜のダメ恋図鑑とかクロエの流儀とかテロール教授とかスルメロックとか男性向け・女性向け・一般向け・オタク向け問わずこういう異常な作品が出回っていて本当に見る度に不快になる。
子供向けアニメのザンボット3やGガンダムですら対立する二つの正論とその乗り越えを描いてるんだぞ。
嫌なら見るなって言われそうだけどダメ恋やテロールみたいな見えてる地雷はともかくKAKERU作品や逃げ恥みたく途中でいきなりぶちこまれたら対処のしようがないから。
毎年この時期になると「ドラえもんの映画が酷い」というブログなり増田なりが流行るんだが
それにしても今回のは酷かった
個人的には南極が9点とすると、宝島が2点、月面探査機は8点、新恐竜は7点、宇宙小戦争は9点ぐらい
そして今回の理想郷は3点ぐらいだろうか
史実の織り交ぜや散りばめられた伏線などなかなか良作の期待感が抜群にあった
「これは良い感じで本編に絡んでくるのでは?」
という感じにも見えたし凄く良かった
ただ一切関係無かったわけだが
割と早々に理想郷に辿り着いてしまったので「あれ、これヤバイかも」とは思ったが
と思って期待してしまった
ただ中盤がダラダラしていたせいでめちゃくちゃ眠かった
周りの未就学児童とかもこのあたりでザワついていた
結局、宗教的批判だとかはなく、伏線は回収されたけれど史実介入的なのは無し
22世紀の科学者が小学生に説教されてぶち切れて全部ぶっ壊すとかいうどうしようもない展開
というかボスの野望はなんだったの?
日本誕生のギガゾンビは分かりやすく人類支配しようとしてたけど、のび太の街を支配してどうするつもりだったの?
そんなこんなで理想郷が崩れていくけれど、バトルシーンも脱出シーンも特に見所は無しで、もうひたすら眠い
宇宙小戦争にあったようなカタルシスも無いし、伏線回収も「まぁそうだろうね」というぐらいでしかない
おまけに最後はアルマゲドンオチでのお涙頂戴で、もうどうしようもなくダメダメだった
映画はアレだったけれど子供達はそこそこ満足してた(過去2番目ぐらいらしい。いつもは1番と言うのに。)
まぁ推しのグッズは買えるときに買っとけということでグッズ売り場行ったらメインキャラのソーニャのグッズが全く無い
どうやらソーニャ役はジャニーズのキンプリの誰かが演じていたらしく
ファンどもがグッズをイナゴのごとく買い漁って売り切れてしまってるとか
どことなくイケメン風のキャラ設定、序盤の中途半端な役回り、中盤での空気的扱いを経てからのやっつけ的なアルマゲドンはそういうことか、と
完全に想像だけど最初はソーニャはドラえもん映画にありがちな普通の役回りだったのに
それだと見せ場が全然無いってことでジャニーズの横槍が入って最後のアルマゲドンを適当にくっつけたんじゃなかろうか
いやぁ、そんなことないと思うけどね
最後に意味不明に自己犠牲で話を終わらせるのは罰金刑にすべきだと思うんだよね
まぁやるとしても、生死不明ぐらいの演出にしてほしいわけですよ
ああいうのが許されるのは
のどっちかの場合だけなのよ
分かったか、ペル?お前もな?
簡単に命が捨てられていく
違う僕らが
見ていたいのは
希望に満ちた光だ
カラマーゾフの兄弟を読破した:https://anond.hatelabo.jp/20221130204714
すごく評判になっていて面白そうだったから。SFは今まで読んだことはなかったので『三体』が初めてだった(映画では『インターステラー』を見たことがある)。
『三体』『三体II 黒闇森林(上)(下)』『三体III 死神永世(上)(下)』の5冊。『三体0』『三体X』は未読。
昨年11月頃から読み始めて、今年3月頭に読み終えた。一日30分〜1時間くらい読み進めて、実質約4ヶ月くらいだった。カラマーゾフの兄弟を読んだ時と比べると、中断することはなかった。これは、本作がやはりカラマーゾフの兄弟と比べると格段に読みやすいということもある(仕事が比較的暇だった、というのもある)。
・読み終えた後の面白さとしては、『三体』『三体II』『三体III』の中では一番下であった。あくまで相対的な話である。
・SFっぽい超技術も出てくるのだが、超技術すぎて魔法と変わらん、と思った。
・前半はやや退屈な手な展開に思えた。特に作中に出てきたオンラインゲーム内の描写にかなりのページ数を費やしているのだが「これはまごうことなきクソゲー、しかもこんなに金かけてなぜこのようなものが...」と思った。
・しかし、終盤に、このオンラインゲームはクソゲーでなければならないことがわかったので、地味なカタルシスがあった。
・本作は、異星人とのコンタクトを描いているという前情報を知っていたが、直接的なコンタクトは作中を通じて最後まで起こらなかった。
・三作の中ではこれが一番面白かった。特に年代ワープ(ロマサガ2)した後の感情の揺さぶられ方は半端なかった。
・年代ワープする前「もうだめだぁ・・・おしまいだぁ・・・勝てるわけがない」
・年代ワープ後「これで勝つる!むしろ何があったら負けるのかわからん!」
・「水滴」後「もうだめだぁ・・・おしまいだぁ・・・勝てるわけがない」
・「水滴」は作中最大のハイライトであるが、人類側が死亡フラグを着々と積み重ねていってそれを見事に回収するという流れに、派手な破滅のカタルシスがあった。
・最後は、まあよく収拾つけたな、という感じだった。ちゃんと伏線が張られていたので感動した。
・三作の中ではちょうど中くらいだった。
・前2作品と比べて、「人類の判断ミスと愚かさ、それを克服するための対策」「宇宙の広さと孤独さ」にフォーカスが当てられていた。
・年代ジャンプを重ねるたびに想像不可能な超技術・謎理論が展開し、最終盤ではもうなんでもありのような感じになっていた。一方で、映像化すると面白そうである、と思った。
・容赦ない重要人物の切り捨て描写が多かった。特に影の主人公は浮かばれなさすぎた。
・最後は、まあよかったね、という感じ。最終的に「なんかもう人類とかどうでも良くね?」といった境地に達した。
ぼっちざろっくのアニメを見ている頃、俺はいつからかぼっちちゃんになりたくてたまならかった。
ぼっちざろっくの原作は前に3話ぐらい無料で読んだけど、その時は「ふっ……憐れな音楽女め……」と見下していたのに。
ぼっちちゃんみたいに努力したかったし、ぼっちちゃんみたいに可愛くなりたかったし、ふたりちゃんみたいな妹が欲しかったし、ふたりちゃんの残り湯に浸かりたかった。
そんなものは一時の迷いで、ぼざろが終われば「ちょwwwww大正野球娘キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!これは期待wwwwww」してると高を括っていた。
だが実際には、俺のぼっちちゃんになりたさは一月が過ぎても冷めず頭の片隅ではいつも結束バンドの歌が聞こえていた。
無数のブログを読み漁ったし、自分の性格や人生も徹底的に洗い出した。
答は得た(エンディングスチル)。
俺とぼっちちゃんには大きな違いがあって、だから俺はぼっちちゃんになれず、そしてそれはぼっちちゃんになる必要のなさを意味していたことを。
その答とは、俺は「寂しがり屋」ではなく、ぼっちちゃんは「寂しがり屋」だということだ。
友達ランキングの一位はいつも孤独で、二位を争うのは孤独をあいする誰か、大抵の場合は自分自身だが、時折孤独の愛し方が好ましい友人に出会ったりもするがお互いが孤独を愛するため気づけば離れていく。
人と触れ合いたいという願いを持ちながらその精神構造から繰り出す無数の奇行により気づけば1人になっていく。
そしてそれに苦しんでいる。
俺は孤独でも全く苦しくない。
お互いに人といる状態に苦痛を感じるというのは同じだろうが、それでも人を求めるぼっちちゃんに対して、俺は人を求めることをもう辞めている。
絶対的に違うのだ。
1人で食っていく方法さえ確立できれば、あとは金を稼ぐ以外の時間は孤独に楽しく暮せば良いのが俺だ。
だが、ぼっちちゃんは孤独なまま金を稼ぐことが出来るようになったとしても人の温もりを求めて彷徨うのだろう。
飢え方が全く違う。
というか俺は全く飢えてなんか居ない。
満たされてしまっている。
幸福という天敵を前にして、俺の中の創作意欲はもはや完全に消え去っているのだ。
気まぐれな承認欲求の元に、時折ふとそれがあればと求める時はあるが、実際にはそんなものを燃やしてまでチヤホヤされる気なんて無かったんだ。
覚醒したぼっちちゃんは語る「チヤホヤされたい。今度は皆で」と。
俺は違う。
その差だ。
なる必要がない。
もう俺の幸せをつかんでいる。
前回のあらすじアルバムで音楽を聴くというのがやはり理解できない
とにかくお前らの言い分を把握するために一通り聞いてみることにした。
どうせ家では一日中パソコンの前にいるからゲームしたりSNS見ながら聞いてりゃいつの間にか大体消費しきれたぞ。
最初に言っておくが12勝8敗であったとこっちは思ってる。
こっちの勝利条件は「これは単なる詰合せであり単品で買えば良いものがお得に集まってるだけだ」とこっちが思ったかどうか。
逆を言えば「このアルバムの曲はこの曲順と組み合わせじゃないと駄目っぽいな」と感じたらそっちの勝ちだ。
そもそもなんで勝ち負けなんか決めなきゃあかんのかは知らんが、お前があんまり反論してくるせいでこんな感じになっちまった。
これがコンセプトアルバムだ!みたいに言う割には似たような曲を揃えて最初と最後にそういう設定を入れただけじゃんっていう。
これこそまさに「詰め合わせセット」だ。
なんだろうな……まさしくアルバム単位で売る以外のやり方が存在しなかった時代の遺物って感じ。
「交響曲というシステムをパクってみせることで抱き合わせセットを売りつける」というアイディアを持ち込んだのは凄いと思う。
だが今の時代にこれを聞かされても「その市場に他所のアイディアを持ち込んだ事が凄いだけ」としか思えんね。
むしろ「コンセプトアルバムのスタート地点はこの程度だった」という意味で、音楽業界が歩んできた距離の長さを感じた。
まあ「参考」にはなったよ。
「100年前、100m走の世界記録は10秒6だった。この100年で人類はそれを1秒丸ごと縮めたのだ」みたいな「感動」もね。
これも普通に詰め合わせパック。
ある程度時代が固まっているけどその中でも方向性がいくつかあるんだなーって感じで終わってる。
まあ「一時期を切り取っている」というコンセプトの公式プレイリストとしては成立してるんでファンがCDラックに並べてニンマリして時折聞くためのファングッズとしてありなんかもだが、それシングルでもよくねっていう。
izumiya1948 例えばベートーヴェンの第九を第4楽章から聴く(第4楽章しか聴かない)、なんなら「歓喜の歌」だけでいい、ようなやつなんだな。
単品で聞いちゃ駄目なのか?
それなら駄目な奴ばっかだぜ日本人は。
音楽オタク様にゃそういう粗雑なイエロモンキーと同じ血が流れていることがずいぶんと恥ずかしいらしいねえ?
進歩はしているがサージェント・ペパーズの域を出てない印象だ。
ある種の時代を切り取っている感はいいが、その背景にある時代の物語を描ききれているかという微妙。
未来趣向をテーマにした結果として発売当時の時代感の再現が弱まっている気がする。
うーん……シングルで聞いた場合との違いがあんまりわからない。
異世界冒険譚とか人生の底でファイティングポーズみたいなコンセプトの曲だけで固めていれば……と言う気もしなくはないがそれでも単なる詰合せになりそう。
まあお得ではあるとは思う。
mamemaki こういう人がいるからプリンスのlovesexyは曲送り出来ない形でリリースされたんだよね。「黒人の命のようにアルバムも大事」とはプリンスの言葉。
この曲は売れてるんだろうなあってのがあるのはいいんだけど、そこまでの流れにきちんと相乗効果があるかって言われると微妙な気がする。
当たりと微妙が入り混じった福袋をそれっぽく並べ直しただけというか。
ランダム再生よりはちょっと上なんだろうけど、アナリーゼ100%の作者本人が並べ直した割にはって感じ。
これなら当たりの曲だけで聞く側が自分でプレイリスト作ればよくねって気がする。
ただ詰めているだけじゃない気はするけど、この順番で聞かせることを推奨するだけの何かがあるのかという疑問が。
anepan 椎名林檎のアルバムの曲構成が線対象になってる話とか曲名の頭文字を拾うとアルバム名になってるプロトタイプナナクジャクの話する?
だから何?って感じが凄い。
単にパッキングされた曲を聞いてるだけなのにLIVEにおける曲感のMCやちょっとした特殊な入り、繋ぎに似た感覚が得られる。
ライブ・ビューイングの缶詰を開けたような体験だ。
なるほどこれはアルバムじゃなきゃ無理だな。
だが逆を言えば、この感覚がない大部分のアルバムはシングルをユーザーがプレイリストにしたものと大差はない「詰め合わせパック」でしかないということなのでは?
映画のようなある種の段取りに合わせて何か長い物語のイメージが共有されていくような錯覚がある。
音楽によって表現したい世界観をいくつもの曲を組み合わせることで多角的に伝える感じか。
相互に作用し合うことで一つ一つの曲の解像度が単品よりも上がっているな。
単品で聞くと「あの映画の曲だ」にしかならなかったモノが、その奥にあるTMの世界観に意識を向けられるようになる。
なるほど、ドラクエ1~3を詰め合わせて一気に遊べば世界観の解像度が上がるに決まってるだろという話か。
単品で聞いても意味わかんねになるような曲をいくつも聞くことでいつの間にかノリが見えてくるこの感じはアルバムじゃねーと無理だわ。
強烈なクセや世界観があるアーティストにとっては束ねることによって理解度を深める機会を得られるアルバムは追い風になるか。
レイン・ドッグと比べると単品でも成立しやすい曲は多いがシナジーの効かせ方はそれ以上にさえ感じる。
この辺は公式推奨プレイリストとしてしっかり仕事してるのでアリだと思う
narukami ユニコーンの風を聞いた後忘れた頃に風IIがかかるからいいのであって風IIが先に来たり連続してたりするとあまり笑えないので
はい。
実物聞いたらまさにその通りでした。
初めて聞いたがいいバンドだな。
表題曲を聞かせるための下準備に1/3を使って、その後もマイルストーンになる曲によってアルバム内でサビの曲みたいなのを作っていってる。
捨て曲があるという程ではないけど盛り上がる曲とそれ以外にやはり別れるんだが、その中でいい感じにカタルシスを得られる。
単に好きなものを詰めただけの個人制作プレイリストではやりにくい、「公式から押し付けられたプレイリストだから貯めを委ねられる」みたいなノリだなあ。
「三部作のセットは、ただの詰め合わせではない」とでも言いただけだな?
どうやらそうらしいな。
なんだったんだこの戦いは……
ここまでやられると「コンセプト」を認めるしか無い。
「コンセプトアルバムっていうけど似たような曲詰めてるだけだよね~~~」ぐらいの奴多すぎるから油断してたわ。
本当にコンセプト突き詰めるとここまで尖るのね。
味が定期的に変わるすげー長い千歳飴食ってるような気分だ。
いやいやこれは映画のストーリー通りに音楽が流れてくるだけでしょ。
……いや……それでいいのか……。
物語にそって流れるサントラはそれ自体が巨大な物語を表現した一幕のオペラか。
いやいや……それは反則だろ。
あーでもアルバムの定義次第だからサントラが無しとは言えないんだよな。
じゃあとりあえず負けでいいや。
あちこちで言われているだけはあるな。
噂の「猫背の虎」とやらを一番最初にやることで「どういうコンセプトのバンドであるのか」を紹介してくるのか。
最初の数曲は全体的に基礎コンセプト紹介しつつ万人受けしそうな感じの曲が並んでいて、「まずは名刺配りますんでよろしくお願いします」みたいな礼儀正しさがある。
そういう態度を取られるとこっちもまあ残りも聞いてやろうかなってなるな。
いきなり「忘れてやんない」とか言われたら「は?お前がそもそも誰?」にしかならんかったと思うし。
アルバムという形に込めた一つのライブという感じだが、押し付けがましいようなコンセプトもなくただ満足した気持ちで聞き終わった。
単純に出来がいいアルバムは単純に出来がいいので単純に評価が高くなる。
オタク君に人気のスパロボ歌手だと思ってたけど、オタクくんもライブ行ったら最後の曲で肩組んで「ララ~~ラ~~ララ~~~ラ~~~」って脂ぎった体でやるの?
というイメージが浮かんできた時点で今回のルール的には完全にこっちの負け。
曲順によってこういう曲単品で聞いただけでは存在してなかったであろうビジョン見せられるアルバムの例として良かったぞオタク君。
この話題でそれ出されても「そりゃそうだろ」にしかならんと思う。
ああいうのは一つのミュージカルを章ごとに分けてるだけだからアルバムって名前だけど実際には「長大なシングルに近い」と思うぜ?
こっちは別に「スターウォーズなんて三部作最後の3と6だけ見ればいいじゃん。どうせ途中の話は前回までのあらすじって感じで分かるだろ」みたいなことは言ってないぜ?
同上。
音と向き合える素晴らしい名盤だとは思うが、「この組み合わせ、この曲順でなければいけない」と言えるかというと微妙に思う。
まさに「お中元用の定番セット」のような……最高が揃っているが、最大公約数的な組み合わせには凡庸さがあるという印象だ。
まあ期せずしてベストアルバムみたいになってしまった物の一種として考えれば最高にお得だし、これを買った当時の人達は盛り上がったんだろうなと思う。
今の時代になってから戻ってきて「こんなの自分でプレイリスト作れば~~」と言っているこっちがおかしいのは分かるが、「アルバムってのはよ~~単なる詰め合わせじゃなくてよ~~~」で上げてくるのもなんか違うと思う。
さてまあ今回色々と紹介してもらったわけですが、アルバムごとに個性ってやっぱあるもんですね。
そもそも個性のあるアルバムみたいな題で聞いてるんだからそうなんですけど、どういう形を目指すかっていうのが色々あったと思います。
アルバムってシングルと違って「始まり」と「終わり」があるわけで、そうすると勝手に他のも「始まりからいくつ」とか「ちょうど真ん中ぐらい」とかになるわけで、するとそこに何らかの意図が絶対産まれるんですよ。
シングルだと結局はメインとサブっていう真っ二つの役割だけになりがちで、何故この流れでこの曲を流すのかの意味が単品で感じさせにくくなる。
もちろんアーティストの歴史の中で曲を出した順番やタイアップ、近況とかも把握して追っているファンであればそれぞれの中に意味を見いだせるんでしょうけど、そういった意味をキャッチアップするのは音楽を日常的に聞くほどではない人間には厳しいです。
アルバムはその点において構成によって意味を補ってくれるというか、「曲を単品ではなく何らかの奥行きを持って味わいたいけど、そのために調べるほどの気力はない」って人間にマッチする部分があると感じます。改めて感じました。
「お得な詰め合わせ」というのも単に悪い意味だけでなく「シングルにあの値段を出すほどの熱意は音楽に持てない」という人間でも新しい体験にドンドン踏み込んでいける緩さがあると感じます。
ただ、そうして手に取ったアルバムがただ「とにかく最近のを入れました」だと、ずっと追ってきた人なら「最近はこういうのが増えたんだね」と感じ取れたとしても、そうじゃない人間は順番に曲を聞くだけ、それもシングルほどには気合の入ってない、時には捨て曲のようなものが混じった体験をすることになるわけで。
この辺がちょっと悔しいと素人は思ってしまうんですが、音楽が好きな人はそういった「シングルなら世に出られなかったような曲」も味わせることにも価値を感じたり出来るのかなと羨ましくもあります。
今回漠然と「勝ち」「負け」なんて決めたわけですけど、実際にはそれぞれの価値観において音楽との向き合い方があり、そこに他人をいちいち踏み込ませたくないようなパーソナルスペースのようなものもあると思うと、ちょっと言い過ぎたのかなと思いますので最後に一言誤ります。ごめんね。m(_ _)m