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2020-08-11

一人一派問題オタクダブスタがひどい件

一人一派」や「ゴールポストを動かす」を理由フェミニスト攻撃するオタクダブスタブーメランがひどい。

オタクだって属性の総意を明文化していないし統一していないよ。

例えばラブライブポスターの際も、以下のように意見が分かれていただろ。

1. エロくないか問題ない

2. エロいが問題ない

3. エロくても問題ない

4. エロい(が問題の有無についてはスルー

5. エロいか問題

何が起きるかというと、4. の発言を受けて「エロいか公共の場では問題ですよね?」って指摘しても、ポスター擁護派として1. と 2. と 3.の意見が出てくるんだ。

これをやられると、「不誠実な言い逃れをするな」「ゴールポストを動かすな」とも言いたくなる。ポスター批判側としては、一人を論破しても次々と新しいオタクが現れてキリがないと感じてしまうわけだ。

加えて、内部への批判は甘い。1. と2. と3. は真剣批判しあわない。4. は1~3を強く批判しない。1~3は矛先を「フェミニスト」に向けて5. への言及積極的に行わない。異なる主張を持ちながら馴れ合っているように見えるぞ。

まあ実際はオタクポスター擁護派は統一組織化されたものではないからな。だからそれぞれが個別に異なるお気持ちを主張するのはごく自然だよ。それに身内での意見の違いも針小棒大にとりたてるほどもなしとスルーもするだろう。だれだってそうする。オタクも。フェミニストも。表現の自由戦士も。そのくらい想像しようぜ。

元増田への批判ブコメで以下のようなものがあったが、どの属性にもあてはまって完全にブーメランからな。

「個々の思想指向性矛盾しても免罪符として機能し、矛盾誤謬詭弁暴走も黙認される」

他人を殴る時は十把一絡げに属性で殴り、自分達が攻撃されたら「一人一派」の印籠で関係ないと切断処理して知らんふりするからおかしい」

2020-08-10

はてぶと増田の違い

アッチは「このネタなら俺に任せろ」ってなキチガイがよくいるよね。

○○について俺に語らせたらうるせぇぞって感じの。

増田にもふらっとそういうのが出てくることもあるけど

多くはこどもがはじめてそのもんだいにふれて、じぶんなりにかいてみました(そしたら超ありがちな初歩的誤謬の詰め合わせになりました)ってかんじ

なんなの?その「はじめて」感。

今やってる戦争だのフェミだのにしても、普通に生きてりゃもうちょっと基本的知識の蓄積があるだろうに

フェミニスト一人一派って何がおかしいの?

そもそもフェミニスト」って言葉自体、「アニメ批判したやつ」あるいは単に「気に食わないことを言う女」くらいの意味で使われて定義無限拡散している中で、「お前らはフェミニストだ。定義は特段決めていないが、なんとなくネット上で”俺たち”がフェミニスト認定したやつはフェミニストだ。フェミニスト認定されたお前たちはネット全域に渡って思想や主張を一致させろ」って無茶苦茶ではないか

例えばフェミニスト自称する団体Aがいて、その団体の明確な構成員として活動しているaがおかしなことを言ったとき団体Aに対してaを批判するよう求めることはできるだろうけれど、多くの場合そうではない。

思想的にも主張的にも関連性がない、そもそもフェミニスト自称してもいないネット上のひとつつぶやきを拾ってきて、「フェミニストがこんな事を言ったぞ!さぁ全世界フェミニストのみなさん、こいつを批判しないとあなた達はダメダメですよ」みたいなことを言われても、まずフェミニスト定義を明らかにしないことには何もリアクションできないでしょう。逮捕されたオタクなり表現の自由戦士を持ってきて「これだから表現の自由戦士犯罪者予備軍」とか宣う輩と程度的に変わらない。

一口フェミニストといってもパワハラセクハラマミトラック育休的なビジネスサイドの面もあれば緊急避妊薬がどうのとか風俗従事する自由とかトップレスとか性に関することまで様々。それを十把一絡げにして全体で統一させないと嘘だって支離滅裂やぞ。

追記

「お前らはオタクだ。定義は特段決めていないが、なんとなくネット上で”俺たち”がオタク認定したやつはオタクだ。オタク認定されたお前たちはネット全域に渡って思想や主張を一致させろ。ついでに死ね

これは誰を想定した発言フェミニストフェミニストオタクに対してネット全域に渡って思想や主張の一致を求めたり、そこから外れたオタクについてオタクの中で総括するよう求めている?そういう事実があった?それともあなたがそう思っているだけ?

他人を殴る時は十把一絡げに属性で殴り、自分達が攻撃されたら「一人一派」の印籠で関係ないと切断処理して知らんふりするからおかしいと言われるわけだけど散々言われてようやく自分達の支離滅裂さに気づいたのか

ここでいう「自分達」とは具体的に誰・どの集団のことですか?

ネット上に他人を十把一絡げに属性で殴る一般人が一人いた

そいつフェミニストだと思う(あるいはフェミニストだと自称していた)

・なので俺たちはネット上すべてのフェミニストを十把一絡げに殴ってよい

と言ってます?それこそ支離滅裂だと思いませんか?

一人一派は個々の思想指向性矛盾しても免罪符として機能し、フェミニズム内で矛盾誤謬詭弁暴走も黙認される。つまり何でもあり。思想運動として問題がある。フェミニズムは一度解体されるべきと思う。

ネット上全域に渡って教条思想完全に一致した思想運動寡聞にして存じ上げないのですが、そうした思想運動があるのですか。通常、ネット上の運動はゆるやかな連帯を以て進行するものと思いますが。

また、「アンチフェミニズム」や「表現の自由派」などがフェミニスト教条思想の一致を求めるのであれば、同じく思想運動であるアンチフェミニズム表現の自由派もネット上で構成員間の思想完全に一致させる必要が生じますが、そんなん無理じゃないですか?

フェミニスト自称する人が一人一派なんて語るのはおかしいよ。本文で言うように他人勝手フェミニストと名付けて矛盾をあげつらうのももちろんおかしいよ。タイトルと本文の間に繋がりが見えないんだが何なの。

オタクの中にもガンダムオタクプリキュアオタクゲームオタクゲームの中でもRPGオタクFPSオタクと、単にオタクといっても中身は多様。しかオタクであるという一点では共通し、ゆるく連帯もしている

フェミニズムも同様で、人類の半分の女性全般権利を取り扱う運動なのだから主義主張が人によって異なり細分化されていくのは至極当たり前。で、イシューごとに必要に応じてKutooとかで連帯して成果を出しているわけでしょう。何も問題がない。

自分観測範囲ではそもそもフェミニスト自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない

・むしろフェミニスト一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方

・またフェミニスト自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?

アカデミアの世界でも〇〇派、✗✗派といった主張の派閥存在するのだから、ゆるく活動しているネット上のフェミニストが「一人一派」になることも自然ではないか?何が問題なのか

・逆に、一人一派批判している思想集団であるアンチフェミ」なり「表現の自由派」はネット全域で思想を一致させているのか?NOならばアンチフェミ表現の自由派も一人一派なのだし、それでよいのでは?

追記2】

フェミニズム運動学問として成立するわけがない」とか評している人もよくわからないな。

あなた評価はどうでもよい。

事実として、MetooとかKutooとかは世界的なムーブメントとして成功してるじゃん。どう評価するとかじゃなくて、もう事実としてうまくいってるじゃんフェミニズム

すでに運動としてバリバリ成功しているものに対して「運動として成立しない」とコメントする意図がわからない。私含め、ネット書き込みしているだけの皆々様と違って、フェミニストネット活動した上で現実社会での成果にも繋げてるじゃん。そこは直視したうえで批判しようや

追記3】

“むしろフェミニスト一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方”→追記でこいつが書いてる。この記事タイトルと見比べろよ。一人一派何が悪いの返しが、アンチ勝手に言ってるだけって。糞バカ以下だ

トラバでも触れたけれど

フェミニストの中で明示的に「一人一派理論採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である

・それはそれとして仮に(社会運動としての)フェミニスト一人一派であっても何が悪いのか

って矛盾なく成立するし、引用いただいた箇所の直後に「フェミニスト一人一派になることも自然ではないか」と明示的に書いてもいるのだからアンチ勝手に言っているだけ」との理解は明らかな誤読ですね。文意を断ち切って部分的引用するのはやめましょう。

攻撃してこないなら何でもいいよ 攻撃してくるやつが同じ看板掲げてるクセに土俵ころころ変えるのがダメなんだよ 考え方に対して対抗も出来んじゃないか 何で学者ですら一定統一ルール持ってないんだ

この認知も本当にわからない。ネット上で「攻撃してくるやつ」はみな統一された主張を持っていないといけないと言っている?

フェミニストの側がフェミニスト自称して同じ看板を掲げているというより、アンチの側が攻撃してくるやつのことを勝手フェミニスト認定しているパターンの方が多くないか?「攻撃してくるやつ」程度の認識で多数の相手を一纏めにフェミニスト認定しているのだから相手方の主張が都度異なるのも同然では?

それとも悪の秘密結社が作り上げた恐怖の洗脳統合思念体フェミニストみたいな存在がいて、フェミニストっぽいことをしているからにはその思想教義は全国で統一されているはずだ、されていなければおかしいと思っている?

追記4】

世界を変えたいと望むならば、思想推し進めた先にある「理想的未来像」がどんなものなのかは示して欲しいんですよね。先に地獄しか見えないケースが多くて困ってます

言っていることはわかるけれど、ふつーのフェミニストって「女性差別をやめて男女平等しましょう」くらいのゆるい連帯であるし、その集まりで全世界単位コンセンサスを取ってゴールはここですって設定するの物理的に無理だと思うんですよね。そもそもイシュー設定が巨大すぎるから。だからそのイシューブレイクダウンして、ハイヒール辞めましょうとか医学部女性多浪受験料だけきっちり取りつつ裏で差別して不合格にするのやめましょうとか、問題の具体化と短中期的なマイルストーンの設定が都度行えていればそれで良いと思っています

おかしいというか、共食いを防ぐための内向きの言葉であって外側に向けて言っても意味がないのでは?同じ看板掲げて暴れまわる人たちが現れたことは気の毒に思ってる。結構そこらじゅうで起きてる問題だし。

PCR検査いるいらないみたいな科学分野でさえ専門家の間で派閥ができて混乱していたわけだから、同じく全世界的に現在進行系で動いている社会舞台にしたフェミニズム活動活動員全員の主義主張統一するのなんて無理じゃね?おかしくね?と思っている次第。一人一派から一切全体を批判するなと言っているのではなく、その性質ゆえ必然的一人一派状態になっているのだから、その事自体批判するのは酷ではないか、と考えます

右翼だって安倍やめろと思ってる人がいくらでもいるだろうし、オタクなんてフェミ兼任の人もいるし、たいていの思想普通一人一派状態では? フェミにだけ教条的な意見の一致を求めるのはおかしいじゃん。

しかに。アカデミアのフェミニズム界隈に一人一派の主張があるが、扱う問題性質上、違和感はない

フェミ一人一派」を問題と思えない奴らが、なぜか「オタク」とか「ネトウヨ」とか「ジャップ」とか「アンチフェミ」等とレッテルを貼って、一人一派は認めずその属性理由問答無用で殴ってくるの笑うしか無い

オタク犯罪者、とかも当然ダメなんじゃない?ただこんな感じで

フェミっぽいヤツがオタク犯罪者と言っていた

・なのでフェミニズムなる思想においてはオタクは全員犯罪者だと言っているに等しい。ああなんてフェミニストは悪い奴らなんだ

みたいな主張が理解できないというだけ。変なこと言ってる個人か、それを明確に支持している集団だけ批判すればよくね?というかそれ以外は論理的批判不可能じゃね?

おかしフェミニスト(あるいはフェミニスト認定されただけのただのおかしな人)の発言ひとつで、アカデミアのフェミニズムまで含めて批判するのは理路が通らない

2020-07-13

ポリコレ外国人勘違いしているたった一つのこと

それは絶対的唯一神を信じているということである

絶対的唯一神を信じているということは、すなわち絶対的な真善美を信じているということだ。

故に彼らは法律以上の正義によって表現価値観断罪できると信じている。

しかし、日本人本来そういった権威主義信仰は持たないので、すべては相対的価値観しか無いことを直覚できる。

から彼らのような誤謬には陥らず、人の理性によって運用される司法を信じることができるのである

2020-07-05

anond:20200705111618

増田は既に十分すぎるほど理解していると思う。増田自身誤謬の原因も含めて。

ただ、増田には成功体験がなさすぎるせいで、自分の「理解」に自信が持てないんだろうな。

2020-07-01

anond:20200701175011

ロクに新刊チェックもしてないアホはSF読みではありえないし、

そいつ誤謬が「強度を持つ」こともないよ。

いま増田で「アニメが衰退してる〜」とか言ってるアホがいるけど構図は同じ。

そういうアホに乗っかって騒げば騒ぐほど、単にその誤謬を強化して広めるだけになる。

アホに理解を示してみせるのは「真摯」な態度ではない。

anond:20200701150031

反論の際に相手誤謬を指摘できず、それでも何か言い返したいから、細かい言い回しをあげつらったり、使えねぇなぁ無能だなぁといった罵倒しか言わない。その根拠も示さない。怒りをコントロールできない。部下に対してもこんな感じなの?

上長として、後で聞くわの一言をいえばいいだけなのにそれもしない。チームマネジメントができない。

これを無能と呼ばずしてなんと言うの

anond:20200701143310

増田に昔から住み着いてるオタク嫌いのプロパガンダから無視でいいぞ。

実情を知らない人間同士で「なぜこうなのか?」「こうだからに違いない」という大喜利をやってるだけ。

多重質問誤謬を利用して外野に「オタク産業の没落」という嘘を刷り込んでいるにすぎない。

2020-06-02

anond:20200602231746

ここが論理的議論が行われているというのは巨大な誤謬ですね

2020-05-30

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

2020-05-27

同性愛小児性愛も同じ」は非対人性愛者の主観では全く非の打ち所もなく正しい

対人性愛優位を自明視する人々は安易に「同性愛小児性愛は違う」と言う。

対人性愛と非対人性愛平等に見るフラット立場では「同性愛小児性愛には、同様に語るべき部分とそうでない部分がある」となる。理想的に正しいのはこの立場である

しかし非対人性愛を優位に置く立場では、「同性愛小児性愛も同じ」は至極真っ当な主張である。少なくとも、対人性愛優位を自明視するセクシャルマジョリティから説教される筋合いはない。まずはご自分誤謬を正してはどうか。

2020-05-13

anond:20200513093352

から誤謬をただすべきだ。

 

たとえばアベガーとか言われないように、アベがいいことしているときは褒めるべきだとか。

コロナ対応で終始文句言ってたようなのはだめだね。お前はきっとそうじゃなかったんだろうが。

anond:20200513093115

「俺たちはとことん民主嫌いで、だから民主系の主張になんでも反対する、

 相手もとことん安倍が嫌いで、安倍の主張になんでも反対するのに違いない」

っていう誤謬だよね。

2020-05-10

間違いに気付いた時サンクコスト誤謬にはまらずすぐに引き返せるか

アベノマスクもそうだけどみんな驚くほどこれができないせいで結果を最悪にするよね

採用時に効率よく見抜きたいんだけどどんなテスト質問すればいいんだろうか

2020-04-09

衆人に訴える論証 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%A8%B4%E3%81%88%E3%82%8B%E8%AB%96%E8%A8%BC

衆人に訴える論証(しゅうじんにうったえるろんしょう、羅: argumentum ad populum)とは、論理学における誤謬一種であり、多くの人々が信じている、支持している、属している等の理由で、ある命題を真であると論証結論付けること。

関連:バンドワゴン効果

2020-03-30

志村けんバイアス

志村けん感染することで、本当はもっと爆発的に広まっているのではないかという誤謬が広まった

https://takeda25.hatenablog.jp/entry/2020/03/28/083257

そして志村けん逝去することで、日本にとってコロナ対岸の火事ではなくなった。

論理的に考えれば、持病のない70歳ぐらいの人が亡くなった例なんていくつもありそうだけれど

ただ有名人というだけで認知を強く歪めてしまっている。

これが幸か不幸かは誰にも分からない。

2020-03-26

志村けん問題誤謬

これって手品予言トリックと同じでしょ

いろんなポケットネタを仕込んでおいて相手が引いたカードを見たあとで

それにあわせたネタを出してきて「はい予言してましたよ」っていうだけのやつ

感染者に志村けんが居たから「200名に志村けんが含まれ可能性は低い⇒実際の感染者はたくさんいる」って後付けでいってるだけ

もし感染者の中にプロ棋士が居たら「200人くらいしかいない棋士感染したわけだから実際にはもっといる」って言う

もし感染者の中にボクシングの日ランカーがいたら「(以下同様)」

もし感染者の中にムニャ語の研究家がいたら「(以下同様)」

もし感染者の中に左投げのアンダースローがいたら「(以下同様)」

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-03-12

オリンピック開催の是非が「コンコルド誤謬」そのもので笑える

関東から離れた自分としては開催の是非を取り巻く環境も含めて娯楽として消化できるけど、

仕事にかかわる人たちにとっては大変だよなぁ。

どうせこのまま開催しても人が多すぎる関東圏にもっと人呼び込んでグチャグチャになるんだし

開催しようがしまいが端から見てて楽しめることは確定なのでじっくり頑張ってほしい。

正直、開催準備なんかほとんど終わってて準備にかかる金もほとんど受注企業側にわたってるだろうから

招致目的結構達成されてると思うし、中止したほうが関東圏の平穏の為にもいいんじゃない

2020-03-08

動物倫理相対主義

https://t.co/pxPyAmUEtN?amp=1

『講座 あにまるえしっくす』 第2回「道徳なんて人それぞれ?」へのリプライ

漫画のページを5pのように表します。また、漫画中のセリフを二重カギカッコ『』内に引用して、続く地の文で私の意見を書きます

5p『唯一 確実な正解を導きだせなくても、「これは絶対ちがうよね」っていう間違った答えを排除することはできるんだよ』

絶対○○だよねとは日常的にも口にされる言葉ですが、例えば絶対ためになるからと勧められた漫画がまるで期待はずれなんてよくあることです。そしてそれは絶対主義者しか言わないようなことでもありません。ここでもその日常的な意味で使われているのでしょうか。今回のテーマ相対主義である以上、絶対主義にコミットした発言なのかそうでないのかは曖昧にすべきではないです。

仮に、絶対主義的な意味で「これは絶対ちがうよね」と言っているのだとして、このときヴィーガン自分たちの主張を論破されて「これは絶対ちがうよね」と敗北する可能性を認めることになります。それとも、論破されたら(そこまでいかなくても強い批判に答えきれていなかったら)道徳に唯一確実な正解はないと逃げるのでしょうか。私にはそのような態度は、まさにここで漫画の筆者(原作者)が批判しようとしている相対主義的な逃げ口上に見えます。言い方を変えると、ヴィーガンの主張には道徳的に唯一の正解がないからと相対的正当性を確保しつつ、アンチヴィーガン反論には絶対誤謬があると前提しているように見えます絶対主義にコミットしようとしまいと、これは一貫性に欠けるのではないでしょうか。

12p『極端な相対主義者はこのように主張するのよ 「善悪や正しさの基準は人によってそれぞれ異なる相対的もの絶対的な基準などない したがって自分基準他人意見や行動を批判したり干渉したりするべきではない」』

相対主義規定は(X)何が(Y)何によって相対的か、という点でいくつかのヴァリエーションがあります。「人によってそれぞれ異なる」という規定が極端な相対主義であることにはある程度まで同意します。(Xが「善悪や正しさ」なら極端に違いないのですが、もしXが趣味や嗜好なら人それぞれでも極端ではないです。)

異議があるのは、「したがって」以降の規定です。この「したがって」はヒューム法則違反していますヒューム法則とは、「○○だ」から「△△すべきだ」を導けない、というものです。原作者はもちろんヒューム法則を知っているはずですが、なぜその点は批判していないのでしょうか。たんに気づかなかっただけなのか、疑問があっても教科書的な紹介に徹したのかはっきりしません。少なくとも賢明相対主義者はヒューム法則違反に気づいており、「したがって」以降の規定相対主義とは無関係の内容と考えて受け入れません。

14p『「他人意見や行動を批判したり干渉したりしてはいけない」という正しさの基準も 「他人意見や行動を批判したり干渉したりしてもいい」という正しさの基準も どちらも対等なものであって結局どちらを選んでもよい』

相対主義に反対する立場も 相対主義と同様に妥当立場だと認めなきゃいけないことになるわけ』

先の私の説明からすると、相対主義者は他人批判干渉してもよいことになります。(もちろんしなくたっていいです。)批判干渉の是非を問うのは寛容の問題であり、相対主義道徳的・現実的問題と密接に関わってくるものの、相対主義とは切り離すべきです。原作者の紹介のように癒着させるのは、相変わらずヒューム法則違反しています

相対主義に反対する立場とは絶対主義ですが、相対主義絶対主義あるいは絶対的なものを認めるかどうかは、こみいった議論必要になります。それは相対主義の専門書や論文に譲ることにして、「相対主義に反対する立場」として「批判したり干渉したりしてもよい(すべきだ)」という倫理的判断を持ってくるのは誤りです。繰り返しになりますが、この倫理的判断相対主義問題ではなく寛容の問題からです。

24p『確かに地域時代による慣習やルールの違いはある でも慣習やルールの違いを課題評価すると 根底にある共通価値観を見落としてしまうんだ』

相対主義あくまでXがYによって相対的だ、と主張しているにすぎません。つまりある種の絶対的なもの否定しているだけであって、普遍的ものは受け入れてもいいのです。(そしてもちろん、受け入れなくてもいいです。)絶対的なものはすべて普遍的である、という議論があるなら話は違ってきますが、そうでないなら、相対主義者は普遍的もの共通価値観を見落としているじゃないかと言われても、見当違いな批判しかありません。見識の狭い相対主義者は確かに共通価値観を見落としているでしょうけれども、相対主義への批判であるなら、せいぜいでも藁人形論法です。

33p『「文化」は魔法言葉じゃない 「これは文化なのだから」という言葉で どんな悪習でも正当化することはできないんじゃないかな』

その通りです。悪習を文化から正当化すべきではないです。文化相対主義はXが文化によって異なる、と主張します。またそれか、と言われそうですが、ヒューム法則違反するので「したがってどんな文化でも尊重すべきだ」なんて主張は含意しないわけです。もし文化相対主義が「どんな文化でも尊重すべきだ。ということは文明からすれば悪習と言える文化であっても、文化から尊重すべきだ」と主張していたら、それはもはや文化相対主義規定を超えていますとはいえここは慎重に議論すべきところで、まさにこれが道徳的・現実的な寛容の問題からです。例えばの話、欧米人から見て野蛮な文化なら寛容にならなくてよい、という倫理的判断をどう考えるか、深刻な問題であるのは間違いないです。突っ込んだ議論は専門書に譲らざるをえません。

34p『あの時代倫理観よりこの時代倫理観の方が「より善い」と判断する基準は 文化相対主義によれば存在しない』

これまたその通りです。絶対的な善に向かって進歩する、なんて文化相対主義は認めません。ただし、AよりBの方がいいだろう、という議論を重ねることはできます民主的議論のすえに実際にAからBになったとしましょう。絶対主義者ならそれをAからBへの進歩と呼び、相対主義者はAからBへの変化と呼びます進歩否定したとしても、相対主義者は変化を望むことができ、理性的議論することができ、ときに実現することができます

44p『肉食という慣習や狩猟文化 動物を利用した伝統なんかについては結局どう考えればいいんだ もしそれらが善くも悪くもないただの慣習に過ぎないのならば 「肉を食べるべきではない」という倫理的判断はやっぱり偏見なんじゃないのか』

人間尊厳と同じように 動物尊厳普遍的妥当する考え方なんです』

相対主義者であり、かつヴィーガンであることには、なんらの論理的矛盾もありません。つまり相対主義擁護賛同しながら、種差別に反対することはできます。それはこれまでの説明から明らかであると思います

人権絶対的なものと考えなくても、普遍的に実現されるべきものと考えることができます異文化にむりやり介入して非寛容な手段によって実現するか、あくまで寛容に実現するか、その重要な違いはあるにしても。動物尊厳もまた同様です。(もちろん、種差別にある程度まで賛成したっていいわけですが)

2020-02-19

anond:20200219214411

性別を誤認している可能性を無視してしまたことは謝罪します。

しかし、今の社会を見てください。

男性批判し、女性軽視の看板ポスター表現を根絶する女性を見苦しく思う女性はいますか?いませんよね?

全員賛同していらっしゃります

もしその様な女性がいるならば苦言を呈するなどアクションを行い、「女性からアプローチで」批判は潰れていると思いますが。

そうでないということは、貴方誤謬は明白ではないでしょうか。


そして男性である以上はおしなべて根絶されるべきです。

迷惑千万貴方感想ですよね?

警察ももっとほかに逮捕すべき人がいると思います

意見を述べただけで逮捕されるとは、中国勘違いしていらっしゃいませんか?

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