はてなキーワード: 誤謬とは
白人だけは特別」と「人間だけは特別」に、法律では明確に差があり、多くの国で標準とされていて、日本でも圧倒的に支持されている、と言う事実がある。
「お前が」ではなく「社会が」なので、突然話を個人の問題化のように矮小化しない。
このような前提をすっ飛ばして、関連性もない例示だけで混同させ、連続性の誤謬を利用する。
この辺り、論破王で手慣れた詭弁師だとお見受けするが、貴方がこうやって振るってきた詭弁で世の中が改善したことあるか?
現実には作用しないから、、何の意味も無いんだよ。いいから悔い改めろ。人生では今日が一番若い。今からでもやるべきだ。間に合うかは知らんが。
つうか、負けてて草って、お前誰と戦ってるんだよ
「私はいいけど、他の人が傷つくかも知れないから」論法は好きじゃない。
記事の要旨:
「私はいいけど、他のひとが傷つくかもしれないから」論法は(不当な)説得力のドーピングである。
「○○という表現はリスクがある、こういった属性の人が不快に感じるかもだから」という意見は、(不当な)説得力のドーピングではない(意味がある)。
例として、「私自身はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見える」、
したがって、「私はいいけど、表現自体はリスクがあるように見える」という指摘は、(不当な)説得力のドーピングではない。
そのため、本来適切でない「ハゲの例」を引用してしまっている。
論点:
「ほかの人が傷つくかもしれないから」という論証を行うことで、"説得力の添加"を行っており、それが問題なのだ、という点である。
しかし実は、誰かをハゲと表現することは、「私、あなた、もしくは特定の誰か、もしくは不特定の誰か」を前提するまでもなく、リスクある表現であることがわかっている。
したがって、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見えます」という主張は、
"「私はいいけど」論証による説得力の添加"が行われていないことになる。(どこかの禿げた他人を前提せずとも、ハゲなじりは失礼である。)
なんらかの他人を前提せずとも、ハゲなじりはリスクがあるのだから、
もともとの議論で強調されている「なんらかの他人を規定して"説得力を添加"することの是非」の話を無視した例示となっている。
「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、指摘することには意味がある」
実は、ハゲとなじられることに不快感を覚える人は、「実際に禿げている人」にとどまらない。
「今現実に禿げていない人」であっても、もしくは「禿げているかどうかすらわからない不特定多数の人々」を指す上でも、不快感を覚える可能性はある。(というか、高い。)
すると、「現実に、なんらかの属性(ハゲ)を持っている人が実在するかどうか」すら関係がなく、
したがって、「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、ハゲなじりの不適切性を指摘しますね。」という説明は、
その論証が"「誰かを規定する手法に基づく説得力」の添加が成されていない(ハゲなじりはその属性を持つ対象が実在していなくても成り立つ)"がゆえに、「私はいいけど」論法の擁護になっていない、と言える。
まとめると、
誰かをハゲとなじるのは、特定の誰かであろうが、不特定の誰かであろうが、
また、禿げた何者かが実在するかどうかにすら無関係に、失礼で、リスクある表現である。
これは、「○○論証により、ハゲなじりはリスクがあることが分かる。したがって○○論証は(リスクを論ずる上で)健全な論証である。」と言ってるのと変わらない。
「ディズニーランド論法」、「(私はいいけど)ディズニーランドが好きな人が不快に思うかもしれない表現は慎むべきだろ!」という論法においては、
「不特定の対象」を規定することで、"説得力の添加"を行っており、そのような論証は本来濫用されるべきではない(と元記事は主張する)。
一方、「ハゲなじり論法」、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体にはリスクがあると指摘します」という論法においては、
私はいいけど論法の問題点である"何者かを想定することに基づく説得力の添加"が実質なされておらず、私はいいけど論法の擁護になっていない。
昨今、生産性を上げるにはどうしたら?みたいな話があるが生産性とは何だろうか?
例えば、キャベツをたくさん作ったら相場的には値段が下がる、だからわざと生産量を下げて値段を維持する
これは生産性が上がったと言えるだろうか?
労働者がたくさんいたら待遇は悪くなるが、労働者がいなくなっても待遇は良くならない、なぜだろうか?
世の「生産性を上げなければ」と言ってる人たちの言う生産性とはなんだろうか?
会社の社長が言う生産性とは社員一人当たりの売り上げを増やし、賃金を減らすことである
サラリーマンが言う生産性とは賃金の増加につながる成果をあげることである
何を言ったかではなく、誰目線で言ったかが重要なポイントになってくる
売り上げが上がったら給料が増えるかと言ったら増えないのである
クビを切りやすくしたら給料が増えるかと言ったら増えるはずがないのである
ということはである
偉い人の言説に騙されてはいけない
人よ、サボるのだ