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2021-06-17

大豆田とわ子に救われた

ドラマを見た人向け。


大豆田とわ子の最終回を、何とな〜く家族に付き合って見ていた。

全編見た訳ではなく、家族が見ているときに脇で見る程度の関心の低さで。

最終回は丁度食後のコーヒーが欲しくなって、偶然いつもより長めに食卓に残っていたから、スマホ片手に半身でテキト〜に見ていた。

「見えなかった母の横顔が突然振り返った」はい文章だなぁ。

母がモラハラに怒って娘が「私が教育すればいい」って言うのは一昔前と立場が逆転していてこれはこれで令和だなぁ。

謝罪で堂々とされると面白いなぁ。

このとき大豆田とわ子は他人だった。


とわ子が「マー」宛てのラブレターを見つけたときも、ドラマならあるだろうな、と思っていた。

亡き母に父以外に愛してる人がいた、なーんてTSUTAYAで一棚にひとつはありそうだなとか考えてた。

けれど、唄がとわ子のことを「可哀想な人」と言ったのに対して、

画面のこちら側にいた家族が「なんで?」と一人言を言ったとき

大豆田とわ子は私の共感先となった。

「あぁこの人は分からないんだ」

「分からない人がいるんだ」

と考えた瞬間に、私はとわ子に一歩近づいたのだ。

有り体に言えば、親近感を感じた。

自分は両親が愛し合った結果生まれてきたんだ」

「私は望まれて生まれてきた」

という確信が揺らいだとき、大抵は自己肯定感が揺らぐものだと思う。

少なくとも私はそうだった。

自分は親の枷だったんだと感じて、生きるためのハシゴバラバラと崩れたように思えた。

「親は私が生まれたことで仕方なくそ役割強制されてるんだ」はすぐに「自分はいない方がいいのでは?」という考えに変わった。

とは言ってもそれを理由自殺しようとは思わない。自殺しない理由が1つ減ったくらいのもんである。だからこうして生きてスマホ見ながらドラマ見るとかしてる。長い人生の中どうせ出てくる絶望の1つだ。

マーに会いに行く二人の気持ちも分かった。

ハシゴを外されたのなら、代わりが欲しくなる。

けれどハシゴを外した母はもういないから他に聞くしか無い。

「そりゃそうしたいよね」と他人事に思った。




「マー」さんが女性だと分かったとき、ぶん殴られたようだった。

共感しなければ良かった」と思った。

なにしろ

私の父は体は男性だが心は女性なのだ

加えて言えば、母は父の恋愛対象ではなかった。

(私の父は女性であろうと何だろうと「父」であり、私にとって「父」は固有名詞なので父と呼ぶ)




とわ子の「あなたのことが好きだったんですよね」という問いに、

「マー」に「もちろん」と即答されたとき

目の前が真っ暗になった気がした。

「マー」が簒奪者のように感じた。

「どうして産んだのか」という問いに、時代のせいだとマーが答えかけたとき、足元から自分が崩れていくように感じた。

あなたは仕方なく生まれたよ」と言いかけられたように感じた。

「ごめん」とマーに謝られたとき、ホッとした。

言いきられなくてホッとした。

私はあのとき大豆田とわ子だった。

あなたのお母さんは娘を……家族を愛してる人だった」

という言葉に救われたのは私だった。

「それで正解だった」と言われて救われたのは私だった。

選ばれた選択肢が、選ばれた現在が正解だよと言われて、

現実の私が救われたのだ。

「私」を選ばなかった方の「父」に

誕生を祝福された気がした。



投げ捨てたくなったのも本当なんだろう。

でもそれを選ばなかったのも本当なんだろう。

ストンと納得した。

足の裏に地面の感触がした。

2021-06-13

ダイエットが2ヶ月ほど停滞していた感あったが、ここへ来てようやく大台を切れそう。

これまで体重計に乗ってきた感じだと、コンスタントに少しずつ減るのではなく、ある時ストンと1キロ下の値が表示されるという感覚がある。それが2ヶ月ほど来ず、表示される体重もずっと同じような感じで、下げ止まったように思ってた。が、昨日はかったらストンと落ちて、今日継続。一山越えたなと。

ストンと落ちる前には、ダイエット中にもかかわらずガッツリ食べてる日がある、ような気がしている。今回で言うと、少し前にデカ菓子パン…1こ900kcalのものを2日続けて食べてた。それ以前も外食焼肉を苦しいほど食べてたり、イベントケーキを連日食べてたり。けどそのせいで体重が増えるのではなく、むしろ直後に落ちる感じがある。

意図してたわけではないけど、なんか意味があるのだろうか。

追記

チートデーで検索ダイエット停滞期に行うことで効果あるものらしい。まるで意識なく、たくさん食べちゃった少し後になぜか体重が落ちる、というのを経験してたけど。ちゃん理論通りだったんだな。

2021-06-09

anond:20210608130243

ダサいと感じるのはシルエットの問題がある気がする。

1枚目はタイトポロシャツウェストだけタイトワイドパンツ砂時計シルエットから変に見える。

2枚目はルーズカラーが大きいシャツタイトストンとしたパンツからV字シルエット(これはモデルの写り方の問題があるから、本当はIの字かもしれないけど)で変に見える。

3枚目は上も下もバランスが良いシルエットだから、そこまで変じゃないはずなんだけどスカーフ個性的すぎて変に見える。多分シルバーネックレスとかなら大丈夫な気がする。

2021-05-12

anond:20210512184925

弱者男性について理解できないところが色々あったが、増田のおかげでストンと腑に落ちた。

2021-05-03

ダイエットをして数ヶ月は順調に体重が落ちていたが、このところ停滞していた

標準体重まではまだまだあるので、身体が痩せにくくなったとかではなく、単純に摂取カロリーが多く消費カロリーが少なかったんだろう

けど甘い菓子はここのところ欲しいと思わなくなっていたのに、急に食べたくなった

ダイエット息抜きとしてシュークリームを食べた

満足したのか、昨日までの食欲がおさまって1食抜いた

体重測ってみると、ずっと落ちなかった体重ストンと落ちてた 0.5キロくらい

計測のタイミングにもよるのだろうけど、あえて息抜きで食べたいものを食べたことが奏功したように感じる

我慢は続かない

さてウォーキングに行ってくるか

2021-04-12

高い自転車は速い

といっても、ロードでなくママチャリの話。

以前はホームセンターで買った1万円未満のママチャリに乗っていたのだが、古くなったので思い切ってブリストン自転車に買い替えた。

そこそこお値段も張るので、適当に決めたりせずちゃんカタログ検討して、自転車専門店で取り寄せてもらって購入した。

そしていざ乗ってみたら、普通に漕いでいるだけなのに今までよりも速く走れるのでびっくりした。(シフトはついてない)

通勤時も周りの人をどんどん追い越せてとても快適。

見た目はそんなに変わらないのに、やっぱり性能がいいのかな。

2021-03-23

anond:20210323131031

キクカショウイチイ

父:カブラヤオー

母:ミスズホマレ

6戦0勝

ラストエンペラー

父:コウストンクラウン

母:イワミゴールド

25戦0勝

ターフチャンピオン

父:ノーザンテースト

母:ナイトスパーク

63戦16勝(内訳:芝4戦0勝 ダート59戦16勝)

2021-03-22

カイロ団長

あるとき、三十疋ぴきのあまがえるが、一緒いっしょに面白おもしろ仕事をやって居おりました。

 これは主に虫仲間からたのまれて、紫蘇しその実やけしの実をひろって来て花ばたけをこしらえたり、かたちのいい石や苔こけを集めて来て立派なお庭をつくったりする職業しょうばいでした。

 こんなようにして出来たきれいなお庭を、私どもはたびたび、あちこちで見ます。それは畑の豆まめの木の下や、林の楢ならの木の根もとや、又また雨垂あまだれの石のかげなどに、それはそれは上手に可愛かあいらしくつくってあるのです。

 さて三十疋は、毎日大へん面白くやっていました。朝は、黄金色きんいろのお日さまの光が、とうもろこし影法師かげぼうしを二千六百寸も遠くへ投げ出すころからさっぱりした空気すぱすぱ吸って働き出し、夕方は、お日さまの光が木や草の緑を飴色あめいろにうきうきさせるまで歌ったり笑ったり叫さけんだりして仕事しました。殊ことにあらしの次の日などは、あっちからもこっちからもどうか早く来てお庭をかくしてしまった板を起して下さいとか、うちのすぎごけの木が倒たおれましたから大いそぎで五六人来てみて下さいとか、それはそれはいそがしいのでした。いそがしければいそがしいほど、みんなは自分たちが立派な人になったような気がして、もう大よろこびでした。さあ、それ、しっかりひっぱれ、いいか、よいとこしょ、おい、ブチュコ、縄なわがたるむよ、いいとも、そらひっぱれ、おい、おい、ビキコ、そこをはなせ、縄を結んで呉くれ、よういやさ、そらもう一いき、よおいやしゃ、なんてまあこんな工合ぐあいです。

 ところがある日三十疋のあまがえるが、蟻ありの公園地をすっかり仕上げて、みんなよろこんで一まず本部へ引きあげる途中とちゅうで、一本の桃ももの木の下を通りますと、そこへ新らしい店が一軒けん出ていました。そして看板がかかって、

「舶来はくらいウェスキイ 一杯ぱい、二厘りん半。」と書いてありました。

 あまがえるは珍めずらしいものですから、ぞろぞろ店の中へはいって行きました。すると店にはうすぐろいとのさまがえるが、のっそりとすわって退くつそうにひとりでべろべろ舌を出して遊んでいましたが、みんなの来たのを見て途方もないいい声で云いいました。

「へい、いらっしゃい。みなさん。一寸ちょっとおやすみなさい。」

「なんですか。舶来のウェクーというものがあるそうですね。どんなもんですか。ためしに一杯呑のませて下さいませんか。」

「へい、舶来のウェスキイですか。一杯二厘半ですよ。ようござんすか。」

「ええ、よござんす。」

 とのさまがえるは粟あわつぶをくり抜ぬいたコップにその強いお酒を汲くんで出しました。

「ウーイ。これはどうもひどいもんだ。腹がやけるようだ。ウーイ。おい、みんな、これはきたいなもんだよ。咽喉のどへはいると急に熱くなるんだ。ああ、いい気分だ。もう一杯下さいませんか。」

はいはいこちらが一ぺんすんでからさしあげます。」

「こっちへも早く下さい。」

はいはい。お声の順にさしあげます。さあ、これはあなた。」

「いやありがとう、ウーイ。ウフッ、ウウ、どうもうまいもんだ。」

「こっちへも早く下さい。」

はい、これはあなたです。」

「ウウイ。」

おいもう一杯お呉れ。」

「こっちへ早くよ。」

「もう一杯早く。」

「へい、へい。どうぞお急せきにならないで下さい。折角せっかく、はかったのがこぼれますから。へいと、これはあなた。」

「いや、ありがとう、ウーイ、ケホン、ケホン、ウーイうまいね。どうも。」

 さてこんな工合で、あまがえるはお代りお代りで、沢山たくさんお酒を呑みましたが、呑めば呑むほどもっと呑みたくなります

 もっとも、とのさまがえるのウィスキーは、石油缶かんに一ぱいありましたから、粟つぶをくりぬいたコップで一万べんはかっても、一分もへりはしませんでした。

おいもう一杯おくれ。」

「も一杯お呉れったらよう。早くよう。」

「さあ、早くお呉れよう。」

「へいへい。あなたさまはもう三百二杯目でございますがよろしゅうございますか。」

「いいよう。お呉れったらお呉れよう。」

「へいへい。よければさし上げます。さあ、」

「ウーイ、うまい。」

「おい、早くこっちへもお呉れ。」

 そのうちにあまがえるは、だんだん酔よいがまわって来て、あっちでもこっちでも、キーキーイといびきかいて寝ねてしまいました。

 とのさまがえるはそこでにやりと笑って、いそいですっかり店をしめて、お酒石油缶にはきちんと蓋ふたをしてしまいました。それから戸棚とだなからくさりかたびらを出して、頭からから足のさきまでちゃんと着込きこんでしまいました。

 それからテーブル椅子いすをもって来て、きちんとすわり込みました。あまがえるはみんな、キーキーイといびきかいています。とのさまがえるはそこで小さなしかけを一つ持って来て、自分椅子の向う側に置きました。

 それからから鉄の棒をおろして来て椅子へどっかり座すわって一ばんはじのあまがえる緑色のあたまをこつんとたたきました。

「おい。起きな。勘定かんじょうを払はらうんだよ。さあ。」

キーイ、キーイ、クヮア、あ、痛い、誰たれだい。ひとの頭を撲なぐるやつは。」

勘定を払いな。」

「あっ、そうそう。勘定はいくらになっていますか。」

「お前のは三百四十二杯で、八十五銭五厘だ。どうだ。払えるか。」

 あまがえるは財布さいふを出して見ましたが、三銭二厘しかありません。

「何だい。おまえは三銭二厘しかないのか。呆あきれたやつだ。さあどうするんだ。警察へ届けるよ。」

「許して下さい。許して下さい。」

「いいや、いかん。さあ払え。」

「ないんですよ。許して下さい。そのかわりあなたのけらいになりますから。」

「そうか。よかろう。それじゃお前はおれのけらいだぞ。」

「へい。仕方ありません。」

「よし、この中にはいれ。」

 とのさまがえるは次の室へやの戸を開いてその閉口したあまがえるを押おし込んで、戸をぴたんとしめました。そしてにやりと笑って、又どっしり椅子へ座りました。それから例の鉄の棒を持ち直して、二番目のあま蛙がえるの緑青ろくしょういろの頭をこつんとたたいて云いました。

「おいおい。起きるんだよ。勘定勘定だ。」

キーイ、キーイ、クワァ、ううい。もう一杯お呉れ。」

「何をねぼけてんだよ。起きるんだよ。目をさますんだよ。勘定だよ。」

「ううい、あああっ。ううい。何だい。なぜひとの頭をたたくんだい。」

「いつまでねぼけてんだよ。勘定を払え。勘定を。」

「あっ、そうそう。そうでしたね。いくらになりますか。」

「お前のは六百杯で、一円五十銭だよ。どうだい、それ位あるかい。」

 あまがえるはすきとおる位青くなって、財布をひっくりかえして見ましたが、たった一銭二厘しかありませんでした。

「ある位みんな出しまからどうかこれだけに負けて下さい。」

「うん、一円二十銭もあるかい。おや、これはたった一銭二厘じゃないかあんまり人をばかにするんじゃないぞ。勘定の百分の一に負けろとはよくも云えたもんだ。外国のことばで云えば、一パーセントに負けて呉れと云うんだろう。人を馬鹿にするなよ。さあ払え。早く払え。」

だって無いんだもの。」

「なきゃおれのけらいになれ。」

「仕方ない。そいじゃそうして下さい。」

「さあ、こっちへ来い。」とのさまがえるはあまがえるを又次の室へやに追い込みました。それから又どっかりと椅子へかけようとしましたが何か考えついたらしく、いきなりキーキーいびきかいているあまがえるの方へ進んで行って、かたっぱしからみんなの財布を引っぱり出して中を改めました。どの財布もみんな三銭より下でした。ただ一つ、いかにも大きくふくれたのがありましたが、開いて見ると、お金が一つぶも入っていないで、椿つばきの葉が小さく折って入れてあるだけでした。とのさまがえるは、よろこんで、にこにこにこにこ笑って、棒を取り直し、片っぱしかあまがえる緑色の頭をポンポンポンポンたたきつけました。さあ、大へん、みんな、

「あ痛っ、あ痛っ。誰だい。」なんて云いながら目をさまして、しばらくきょろきょろきょろきょろしていましたが、いよいよそれが酒屋のおやじのとのさまがえるの仕業しわざだとわかると、もうみな一ぺんに、

「何だい。おやじ。よくもひとをなぐったな。」と云いながら、四方八方から、飛びかかりましたが、何分とのさまがえるは三十がえる力りきあるのですし、くさりかたびらは着ていますし、それにあまがえるはみんな舶来ウェスキーでひょろひょろしてますから、片っぱしかストンストンと投げつけられました。おしまいにはとのさまがえるは、十一疋のあまがえるを、もじゃもじゃ堅かためて、ぺちゃんと投げつけました。あまがえるはすっかり恐おそれ入って、ふるえて、すきとおる位青くなって、その辺に平伏へいふくいたしました。そこでとのさまがえるがおごそかに云いいました。

「お前たちはわしの酒を呑のんだ。どの勘定も八十銭より下のはない。ところがお前らは五銭より多く持っているやつは一人もない。どうじゃ。誰かあるか。無かろう。うん。」

 あまがえるは一同ふうふうと息をついて顔を見合せるばかりです。とのさまがえるは得意になって又はじめました。

「どうじゃ。無かろう。あるか。無かろう。そこでお前たちの仲間は、前に二人お金を払うかわりに、おれのけらいになるという約束くそくをしたがお前たちはどうじゃ。」この時です、みなさんもご存じの通り向うの室の中の二疋ひきが戸のすきまから目だけ出してキーと低く鳴いたのは。

 みんなは顔を見合せました。

「どうも仕方ない。そうしようか。」

「そうお願いしよう。」

「どうかそうお願いいたします。」

 どうです。あまがえるなんというものは人のいいものですからすぐとのさまがえるのけらいになりました。そこでとのさまがえるは、うしろの戸をあけて、前の二人を引っぱり出しました。そして一同へおごそかに云いました。

「いいか。この団体カイロ団ということにしよう。わしはカイロ団長じゃ。あしたからはみんな、おれの命令にしたがうんだぞ。いいか。」

「仕方ありません。」とみんなは答えました。すると、とのさまがえるは立ちあがって、家をぐるっと一まわしましました。すると酒屋はたちまちカイロ団長の本宅にかわりました。つまり前には四角だったのが今度は六角形の家になったのですな。

 さて、その日は暮くれて、次の日になりました。お日さまの黄金色きんいろの光は、うしろの桃の木の影法師かげぼうしを三千寸も遠くまで投げ出し、空はまっ青にひかりましたが、誰もカイロ団に仕事を頼たのみに来ませんでした。そこでとのさまがえるはみんなを集めて云いました。

「さっぱり誰も仕事を頼みに来んな。どうもこう仕事がなくちゃ、お前たちを養っておいても仕方ない。俺おれもとうとう飛んだことになったよ。それにつけても仕事のない時に、いそがしい時の仕度したくをして置くことが、最必要だ。つまりその仕事材料を、こんな時に集めて置かないといかんな。ついてはまず第一が木だがな。今日はみんな出て行って立派な木を十本だけ、十本じゃすくない、ええと、百本、百本でもすくないな、千本だけ集めて来い。もし千本まらなかったらすぐ警察へ訴うったえるぞ。貴様らはみんな死刑しけいになるぞ。その太い首をスポンと切られるぞ。首が太いからスポンとはいかない、シュッポォンと切られるぞ。」

 あまがえるどもは緑色の手足をぶるぶるぶるっとけいれんさせました。そしてこそこそこそこそ、逃にげるようにおもてに出てひとりが三十三本三分三厘強ずつという見当で、一生けん命いい木をさがしましたが、大体もう前々からさがす位さがしてしまっていたのですからいくらそこらをみんながひょいひょいかけまわっても、夕方までにたった九本しか見つかりませんでした。さあ、あまがえるはみんな泣き顔になって、うろうろうろうろやりましたがますますどうもいけません。そこへ丁度一ぴきの蟻ありが通りかかりました。そしてみんなが飴色あめいろの夕日にまっ青にすきとおって泣いているのを見て驚おどろいてたずねました。

あまがえるさん。昨日はどうもありがとう。一体どうしたのですか。」

今日は木を千本、とのさまがえるに持っていかないといけないのです。まだ九本しか見つかりません。」

 蟻はこれを聞いて「ケッケッケッケ」と大笑いに笑いはじめました。それからしました。

千本持って来いというのなら、千本持って行ったらいいじゃありませんか。そら、そこにあるそのけむりのようなかびの木などは、一つかみ五百本にもなるじゃありませんか。」

 なるほどとみんなはよろこんでそのけむりのようなかびの木を一人が三十三本三分三厘ずつ取って、蟻にお礼を云って、カイロ団長のところへ帰って来ました。すると団長は大機嫌だいきげんです。

「ふんふん。よし、よし。さあ、みんな舶来はくらいウィスキーを一杯いっぱいずつ飲んでやすむんだよ。」

 そこでみんなは粟あわつぶのコップで舶来ウィスキーを一杯ずつ呑んで、くらくら、キーキーイと、ねむってしまいました。

 次の朝またお日さまがおのぼりになりますと、とのさまがえるは云いました。

「おい、みんな。集れ。今日もどこから仕事をたのみに来ない。いいか今日はな、あちこち花畑へ出て行って花の種をひろって来るんだ。一人が百つぶずつ、いや百つぶではすくない。千つぶずつ、いや、千つぶもこんな日の長い時にあんまり少い。万粒つぶずつがいいかな。万粒ずつひろって来い。いいか、もし、来なかったらすぐお前らを巡査じゅんさに渡わたすぞ。巡査は首をシュッポンと切るぞ。」

 あまがえるどもはみんな、お日さまにまっさおにすきとおりながら、花畑の方へ参りました。ところが丁度幸さいわいに花のたねは雨のようにこぼれていましたし蜂はちもぶんぶん鳴いていましたのであまがえるはみんなしゃがんで一生けん命ひろいました。ひろいながらこんなことを云っていました。

「おい、ビチュコ。一万つぶひろえそうかい。」

「いそがないとだめそうだよ、まだ三百つぶにしかならないんだもの。」

「さっき団長が百粒ってはじめに云ったねい。百つぶならよかったねい。」

「うん。その次に千つぶって云ったねい。千つぶでもよかったねい。」

「ほんとうにねい。おいら、お酒をなぜあんにのんだろうなあ。」

「おいらもそいつを考えているんだよ。どうも一ぱい目と二杯目、二杯目と三杯目、みんな順ぐりに糸か何かついていたよ。三百五十杯つながって居たとおいら今考えてるんだ。」

「全くだよ。おっと、急がないと大へんだ。」

「そうそう。」

 さて、みんなはひろってひろってひろって、夕方までにやっと一万つぶずつあつめて、カイロ団長のところへ帰って来ました。

 するととのさまがえるのカイロ団長はよろこんで、

「うん。よし。さあ、みんな舶来ウェスキーを一杯ずつのんで寝ねるんだよ。」と云いました。

 あまがえるもも大よろこびでみんな粟あわのこっぷで舶来ウィスキイを一杯ずつ呑んで、キーキーイと寝てしまいました。

 次の朝あまがえるどもは眼めをさまして見ますと、もう一ぴきのとのさまがえるが来ていて、団長とこんなはなしをしていました。

「とにかく大いに盛さかんにやらないといかんね。そうでないと笑いものになってしまうだけだ。」

「全くだよ。どうだろう、一人前九十円ずつということにしたら。」

「うん。それ位ならまあよかろうかな。」

「よかろうよ。おや、みんな起きたね、今日は何の仕事をさせようかな。どうも毎日仕事がなくて困るんだよ。」

「うん。それは大いに同情するね。」

今日は石を運ばせてやろうか。おい。みんな今日は石を一人で九十匁もんめずつ運んで来い。いや、九十匁じゃあまりいかな。」

「うん。九百貫という方が口調がいいね。」

「そうだ、そうだ。どれだけいいか知れないね。おい、みんな。今日は石を一人につき九百貫ずつ運んで来い。もし来なかったら早速警察貴様らを引き渡すぞ。ここには裁判の方のお方もお出いでになるのだ。首をシュッポオンと切ってしまう位、実にわけないはなしだ。」

 あまがえるはみなすきとおってまっ青になってしまいました。それはその筈はずです。一人九百貫の石なんて、人間でさえ出来るもんじゃありません。ところがあまがえるの目方が何匁あるかと云ったら、たかが八匁か九匁でしょう。それが一日に一人で九百貫の石を運ぶなどはもうみんな考えただけでめまいを起してクゥウ、クゥウと鳴ってばたりばたり倒たおれてしまたことは全く無理もありません。

 とのさまがえるは早速例の鉄の棒を持ち出してあまがえるの頭をコツンコツンと叩たたいてまわりました。あまがえるはまわりが青くくるくるするように思いながら仕事に出て行きました。お日さまさえ、ずうっと遠くの天の隅すみのあたりで、三角になってくるりくるりうごいているように見えたのです。

 みんなは石のある所に来ました。そしててんでに百匁ばかりの石につなをつけて、エンヤラヤア、ホイ、エンヤラヤアホイ。とひっぱりはじめました。みんなあんまり一生けん命だったので、汗あせがからだ中チクチクチクチク出て、からだはまるでへたへた風のようになり、世界ほとんどまっくらに見えました。とにかくそれでも三十疋が首尾よくめいめいの石をカイロ団長の家まで運んだときはもうおひるになっていました。それにみんなはつかれてふらふらして、目をあいていることも立っていることもできませんでした。あーあ、ところが、これから晩までにもう八百九十九貫九百匁運ばないと首をシュッポオンと切られるのです。

 カイロ団長は丁度この時うちの中でいびきかいて寝て居おりましたがやっと目をさまして、ゆっくりと外へ出て見ました。あまがえるどもは、はこんで来た石にこしかけてため息をついたり、土の上に大の字になって寝たりしています。その影法師は青く日がすきとおって地面に美しく落ちていました。団長は怒おこって急いで鉄の棒を取りに家の中にはいますと、その間に、目をさましていたあまがえるは、寝ていたものゆり起して、団長が又出て来たときは、もうみんなちゃんと立っていました。カイロ団長が申しました。

「何だ。のろまども。今までかかってたったこれだけしか運ばないのか。何という貴様らは意気地いくじなしだ。おれなどは石の九百貫やそこら、三十分で運んで見せるぞ。」

「とても私らにはできません。私らはもう死にそうなんです。」

「えい、意気地なしめ。早く運べ。晩までに出来なかったら、みんな警察へやってしまうぞ。警察ではシュッポンと首を切るぞ。ばかめ。」

 あまがえるはみんなやけ糞くそになって叫さけびました。

「どうか早く警察へやって下さい。シュッポン、シュッポンと聞いていると何だか面白おもしろいような気がします。」

 カイロ団長は怒って叫びしました。

「えい、馬鹿者め意気地なしめ。

 えい、ガーアアアアアアアアア。」カイロ団長何だか変な顔をして口をパタンと閉じました。ところが「ガーアアアアアアア」と云う音はまだつづいています。それは全くカイロ団長の咽喉のどから出たのではありませんでした。かの青空高くひびきわたるかたつむりメガホーンの声でした。王さまの新らしい命令のさきぶれでした。

「そら、あたらしいご命令だ。」と、あまがえるもとのさまがえるも、急いでしゃんと立ちました。かたつむりの吹くメガホーンの声はいともほがらかにひびきわたりました。

「王さまの新らしいご命令。王さまの新らしいご命令。一個条。ひとに物を云いつける方法。ひとに物を云いつける方法第一、ひとにものを云いつけるときはそのいいつけられるものの目方で自分からだの目方を割って答を見つける。第二、云いつける仕事にその答をかける。第三、その仕事を一ぺん自分で二日間やって見る。以上。その通りやらないものは鳥の国へ引き渡す。」

 さああまがえるどもはよろこんだのなんのって、チェッコという算術うまいかえるなどは、もうすぐ暗算をはじめました。云いつけられるわれわれの目方は拾じゅう匁、云いつける団長のめがたは百匁、百匁割る十匁、答十。仕事は九百貫目、九百貫目掛ける十、答九千貫目。

「九千貫だよ。おい。みんな。」

団長さん。さあこれから晩までに四千五百貫目、石をひっぱって下さい。」

「さあ王様命令です。引っぱって下さい。」

 今度は、とのさまがえるは、だんだん色がさめて、飴色あめいろにすきとおって、そしてブルブルふるえて参りました。

 あまがえるはみんなでとのさまがえるを囲んで、石のある処ところへ連れて行きました。そして一貫目ばかりある石へ、綱つなを結びつけて

「さあ、これを晩までに四千五百運べばいいのです。」と云いながらカイロ団長肩に綱のさきを引っかけてやりました。団長もやっと覚悟かくごがきまったと見えて、持っていた鉄の棒を投げすてて、眼をちゃんときめて、石を運んで行く方角を見定めましたがまだどうも本当に引っぱる気にはなりませんでした。そこであまがえるは声をそろえてはやしてやりました。

「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトショ。」

 カイロ団長は、はやしにつりこまれて、五へんばかり足をテクテクふんばってつなを引っ張りましたが、石はびくとも動きません。

 とのさまがえるはチクチク汗を流して、口をあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。全くあたりがみんなくらくらして、茶色に見えてしまったのです。

「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトショ。」

 とのさまがえるは又四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲ってしまいました。あまがえるは思わずどっと笑い出しました。がどう云うわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時のさびしいことと云ったら私はとても口で云えません。みなさんはおわかりですか。ドッと一緒いっしょに人をあざけり笑ってそれからにわかにしいんとなった時のこのさびしいことです。

 ところが丁度その時、又もや青ぞら高く、かたつむりメガホーンの声がひびきわたりました。

王様の新らしいご命令王様の新らしいご命令。すべてあらゆるいきものはみんな気のいい、かあいそうなものである。けっして憎にくんではならん。以上。」それから声が又向うの方へ行って「王様の新らしいご命令。」とひびきわたって居ります

 そこであまがえるは、みんな走り寄って、とのさまがえるに水をやったり、曲った足をなおしてやったり、とんとんせなかをたたいたりいたしました。

 とのさまがえるはホロホロ悔悟かいごのなみだをこぼして、

「ああ、みなさん、私がわるかったのです。私はもうあなた方の団長でもなんでもありません。私はやっぱりただの蛙かえるです。あしたから仕立屋をやります。」

 あまがえるは、みんなよろこんで、手をパチパチたたきました。

 次の日からあまがえるはもとのように愉快ゆかいにやりはじめました。

 みなさん。あまあがりや、風の次の日、そうでなくてもお天気のいい日に、畑の中や花壇かだんのかげでこんなようなさらさらさらさら云う声を聞きませんか。

「おい。ベッコ。そこん処とこをも少しよくならして呉くれ。いいともさ。おいおい。ここへ植えるの

2021-03-09

リハビリしながらやるAVを拝見しましたの

xvideoで観たかタイトルは分かりませんが、広いリハビリテーションルーム

バランスボールを使ったり歩行台を使ったりして、ワンアクション毎にワンピストン

淡々とまるで医療行為のごとく進行していくのだ。まるでこういう世界線が本当にあるんじゃないか錯覚するね

まぁ本職の人とか観たらブチぎれるんかもしらんが設備と周囲のmobに異常なリアリティがあって興奮した。

deepfakeを初めて観たとき以来かもしれない。表現可能性を感じたね。ゲージュツは良く知らねどだども

リハビリしながらやるAVを拝見しましたの

xvideoで観たかタイトルは分かりませんが、広いリハビリテーションルーム

バランスボールを使ったり歩行台を使ったりして、ワンアクション毎にワンピストン

淡々とまるで医療行為のごとく進行していくのだ。まるでこういう世界線が本当にあるんじゃないか錯覚するね

まぁ本職の人とか観たらブチぎれるんかもしらんが設備と周囲のmobに異常なリアリティがあって興奮した。

deepfakeを初めて観たとき以来かもしれない。表現可能性を感じたね。ゲージュツは良く知らねどだども

2021-03-02

ハリウッド俳優略称で、

ムヒ=トムヒドルストン

トムホ=トムホランド

は割とよく聞くけど、トムハ、トムフ、トムヘとかもあるんかな

トムハ=トムハンクス?トムハーディー?

ムフトムフォードしか思い浮かばなかったけど化粧品だわ

トムヘ=全く思いつかない

2021-02-19

anond:20210219113046

元増田ブコメにある「一枚着ればサマになるワンピース」って、スタイルのいい〜普通の女限定だろ、といつも思う。

背が低くて尻が出てて垂れてて下半身デブで手足が丸短いと、どんなワンピース死ぬほど似合わない。

ストンとした型のワンピースは、上半身に合わせると下半身がパツパツ・下半身に合わせると上半身ブカブカで袖が余る。

フレアスカートだと低いウエストから低い出っ尻で変な広がり方。

スカート丈も合わなくて裾上げするとバランスおかしくなる。

どうやったって「体に合ってない変な格好」にしかならない。

自分場合、一番悪目立ちしないのは、上下サイズでそれぞれサイズの合った、シンプルブラウス+硬めの生地で体型を拾わないパンツストレッチとかは最悪、厚めのデニムチノなら多少マシ、ハリとゆとりのあるワイドパンツも有り)+袖丈をちゃんと合わせたジャケットの組み合わせだ。

2021-02-14

保育園の頃の知人が、AV女優になっていた。

保育園の頃の知人が、AV女優になっていた。

正しくは、ほぼほぼ関係のない大昔の知人、多分相手自分ことなど覚えていないと断言できるほどの知人の近況を興味本位検索したら知ってしまった。


の子は、保育園に通っていた頃はずっと一緒に遊んでいて、仲が良くて、今でも自分本名を覚えているくらいには印象に残っている。

多分自分母親も覚えているはずだ。

しろ自分は、彼女母親の顔まで覚えている。

眼鏡をかけた真面目そうな、笑顔が印象的な女性だった。なにか、疲れてくたびれたような雰囲気もあったような気がする。

保育園から小学校に上がるとき、学区の関係で顔を会わせなくなったが、それでも小3、小4くらいまでは交流があったと思う。

年賀状とか、保育園イベントでとか。

中学校は幸い一緒だったので、再開をちょっと心待ちにしていたのだけど、中学校で会った彼女自分の知っている彼女とは結構、だいぶ変わっていた。


髪の毛は茶髪で、制服は着崩していて、化粧をして、口うるさい教師から面倒くさそうに目を反らして髪先をいじっていた。

確かクラスが一度一緒になったけれど、滅多に教室はいなかった。

クラスでも彼女のことを話題にすること自体そもそも少なかったはずだ。

少なくとも友人という枠で括って会話することはなかったと思う。

「あの荒れてる子」

「どこ高に彼氏がいるらしい」

「もう処女喪失したんだって

そういう、確実に憧れではないトーンで、ひそひそと囁かれていた。

腫れ物に触る、といえばよいのか。

周りは荒れている彼女しか知らないから、そういうトーンで話をするんだなと思っていたけれど、自分はどうしても、保育園の頃の彼女を知っているので、聞くたびに違和感があったのだと思う。


修学旅行の班分けをして、彼女と一緒の班になったとき彼女たまたま教室にいたので、「修学旅行、一緒の班だけど」とかなんとか、話しかけに言った。

すごく印象的で覚えている。話しかけられた彼女ちょっと瞠目して、そのあとに「いや、行かないから、大丈夫」と返した、はずだ。

親しみのある表情ではなかったし、目も合わなかったけれど、特段冷たくもなかった。

あ、そう。なら大丈夫。と会話を終わらせて自分の班に戻ったけれど、ちょっと安堵したのを覚えている。

不良と言われていて、他の子からも腫れ物のように扱われている彼女は、もしかしたら自分の知らない子になっているのかもと思っていた。

けれど、少なくともあの瞬間だけは、普通の、自分の知っている彼女だった。

班に戻ってから「何普通に話しかけに言ってんの!?」と小声で問われて、その安堵もじくじくとしたなにかに変わってしまったが。

かに彼女は特段変わっていなかった。変わっていなかったけれど、自分と一緒ではないのだとも一方で強く思った。班の子の問いかけで、より自覚させられたのかもしれない。

振り返ったら彼女はもう教室にいなかった。

問いただしてきた班の子には、自分彼女保育園の頃の友人だったので、別に怖くもないし、相手自分のことをたぶん知っているはずだと返した。


彼女との会話は、それが最後だ。


AV女優になるまでに色々あったみたいだが、(名前も変わっているし、どうやら整形をしているようで、顔を見ただけでは正直本人かどうかの確信が持てなかった)、Wikiを見たらだいぶ出演作品が多かった。

自分こちらの業界に詳しくないけれど、なにか賞ももらっているらしいので、天職なのかもしれない。

ツイッターフォロワーもわりとついている。そもそもWikiがある時点でちょっとすごい。

動画があったので(そういう動画ではなく、Youtube活動をしていたので)声を聞いたら、あの若干舌っ足らずの話し方に聞き覚えがあった。加工をしていない動画の表情は、整形をしているとしても、自分の知っている彼女面影のあるものだ。

ああ、本人だな、とそこでやっと確信が持てた。

動画のなかの彼女は、楽しそうに話していた。少なくとも自分が会話をしたときより、いきいきして見えた。

なんだかよくわからないが、幸せになってほしいなと思った。

AVという産業偏見を持っているわけではないと思うけれども、そういう仕事をしている彼女に対して、嫌悪感が沸かなかった。不思議ものだ。

しろストンと、そこならあるべき自分でいられるんだろうなと納得した。

どうか元気で。


まあでも、母親には保育園の頃のあの子AV女優になってたよ、って話すと思うけど。

2021-02-12

10年来の友人に失恋した話

小学校からの友人A子に淡い失恋をした。

私は今大学四年で、生まれて21年彼氏ができたことがない。小・中・高・大となんとなく素敵な男性だなと思ったことはあるが、告白したりされたりということが一切なかった危機感はあるものの、友人には恵まれたので楽しく毎日を送っている。

友人A子とは小学校4年で同じクラスになった。当時クラス内の女子たちの間では仲間外れやイジメに近いことが起きていて、そういったグループ付き合いが嫌になった頃にA子と仲良くなった。

A子はほかの女子たちとは違い、男子と混ざって外でドッヂボールをするタイプの活発なタイプだった。最初グループから少し距離を置くためにA子にくっついて苦手なドッヂボールをしたが、次第にA子がとても魅力的な同級生だと気がついた。スポーツ万能で頭も良く、少し口下手だがとても優しくそんなA子がとても好きだった。

A子と同じクラスになったのはこの1年間だけだった。

中学に進学する際A子は地元で1番賢い私立中高一貫へ、私はふつうに校区内の中学へ進学した。

ちょうど中学生になってすぐに携帯電話を買ってもらえたのでメールアドレスを交換し、1年に一回夏休みなどの長期の休みの時に遊ぶ関係が続いた。

高校に進学しても同じように1年に一回遊び、近況を報告しながら楽しく過ごした。本当はもっと頻繁に遊びたかったけど、誘うのは毎回私からだったからあまり嫌がられないように慎重に時期を考えた。なによりA子も私も進路希望大学進学だったので勉強をしなければだめだった。

そしてお互い大学生なってやっといっぱい遊べる!!!!と思ったら、A子は地元から出て別の地で一人暮らしするということだった。私は県外の大学に進学したが、実家からギリ通える範囲から今までみたいに気軽に会えなくなってしまった。

しかし、大学入学前にA子は「一人暮らしする前に遊ぼう」と初めて誘ってくれたのだ!

しかった。初めてA子から遊びに誘ってもらえたから。今までの関係は私の一方通行ではなかったのだ。(これを本人に伝えると、「えー誘ったことなかったっけ?」ととぼけられた。)

大学生になってからも、なんだかんだで1年に一度遊んだり、LINEで数ヶ月おきに連絡を取っていた。

大学3年の時にA子が住んでいる一人暮らしの部屋に遊びに行った。その時に初めてお付き合いしている彼がいることを聞いた。先に彼氏を作られた悔しさと、A子を取られた!という悔しさがあったが、A子の魅力が分かる男が現れ、おめでとうという気持ちになった。

(書き忘れていたがA子はなかなか変わった所があり、わたしはそこが彼女の最大の魅力だと思っているが、A子自身はともだちが少ないと嘆いている。)

最後に連絡を取ったのは半年ほど前の5月ごろで私はちょうど就活真っ最中。A子は資格試験勉強中ということだった。

そして前置きが長くなったが先日A子から久しぶりーと連絡が来た。娘が生まれた。と

衝撃的すぎてスマホを床に落とした。こんなドラマみたいなことあるんだなと思った。

え?娘???旦那さんは???資格試験???結婚???といろいろ聞きたかったがLINEだと少し聞きにくく、まずはおめでとうと送った。

後々聞くと旦那さんは前会った時話していた彼氏で、籍もいれたと。

おめでとうと送ったがなぜかとてもショックだった。どんな状況にしろ無事に娘が生まれて、結婚もするなんておめでたいことなのに、自分の中でぐるぐると消化できないモヤモヤが出てきた。そしてそんな自分自己嫌悪した。なによりその旦那にすごく腹が立った。詳しい事情もまだ知らないくせに。

大好きな友達おめでたいことを純粋気持ちで祝えない。なんて嫌なやつなんだ。

その気持ちを抱えたままバイトに行き、偶然休憩が一緒になった社員男性に「かくかくしかじかちょっとだけショックなんですよね」と抱え込んでいるモヤモヤ10分の1くらいの軽さにして吐き出してみた。

それ聞くと社員さんは「好きだったんやねー」と言った。ストンと。腑に落ちるとはこういことかと納得した。

私はA子が好きだったんだなと。友愛なのか親愛なのか恋愛なのか細かいのは分からないけど、友に向ける以上の愛を、複雑な愛をA子に向けてしまったんだなと思った。小学校の時からの憧れは年月を追うごとに、友だちの好きから変な形の愛に変わってしまった。

題名には失恋と書いたが、失恋なのかどうかもよく分からない。今までの経験値が0だから

ただ、最初から恋愛感情を持っていたらこんなに複雑な気持ちにはならなかっただろうなとおもう。

もう少し落ち着いたら、コロナの状況もみつつお祝いにA子と娘ちゃんに会いに行きたいと思っている。その時にきちんと純粋気持ちでおめでとうを言いたいから、ここに書き綴っておく。

文書を書くのは苦手だから変に長い文になってしまったけど、もし最後まで読んでくれた人がいたらお礼を言いたい。ありがとう。誤字脱字は許して下され。

2021-01-12

ぼっち自粛しなくてもよくない?

こちらを読んでhttps://anond.hatelabo.jp/20210111000145

この1年近くモヤモヤした気持ちがようやく落ち着きました。自分だけじゃなかった安心感と罪悪感がもうストンと定まって憑き物が落ちた心地です。

そう、そうなんですよね。医療に協力しても何も返ってこないし、外食すらままならないのはおかしいのでとりあえず気になっていたモス獺祭シェイク買いました。テイクアウトだけど。

3%の公立病院医療崩壊しそうで、民間病院設備人員利益さまざまな理由なら97%が協力できないのと同様に、なぜかインフラ企業はいつも通りの通常営業を求められているのが不思議だった。

なぜ15時まで開けていなくてはいけないのか、別にお金ATM でおろせばいいし、口座開設や他のネットでできる。融資は郵送でもいいが、実際に見たり対面でしかからないこともあるし、急ぎたいからこの人たちを優先してあげたいのに。キャッシュカードを持たずネットを使えないじじばばのために、同僚は出勤している。

なぜ飲食店観光業けが悪者になるのか。黙って食べればいい、話す時はマスクすればいい、換気された部屋で距離をとる。全部会社でやっていることだ。

そうすれば通常出勤してもいいのだから

たびたび言われているがコロナ夜行性か。

待合室で知り合い同士おしゃべりし、聞こえにくいと思っているのか窓口に来るとマスクをずらして話す人、喫茶店習い事を楽しむ昼間のことは問題じゃないのか。

20代30代は働いているんだ。感染率も高いだろう。なぜか土日の外出は駄目で平日の出勤は許されているのだから

協力しない飲食店晒すなら、テレワークに協力しない企業も晒せよ。まずは保健所以外の役所がやれよ。何軒飲食店が店を畳んだと思っているんだ。

仕事終わりにラーメンが食べたい。コンビニイオン弁当だけでは飽きる。どうせぼっちは喋らない。大人数の飲食イベント以外は何をやったっていい。

「大切な人の為に自粛」というが、大切な人がいない人は無敵の人になってしまうし、頑張って税金年金納めても老い先短い老人たちは会食してるのに若者はディスられ、働きに外に出ると人出が減ってないとニュースになる。

ぼっちめしぼっちショッピングなら全く自粛必要なくない?

陰キャから別に自粛続いてても楽しめるんだけど、お店が19時20時で閉まる世界になってしまって働いてる身では買い物と食事に苦労しかない。

友達のいないぼっちなんだから、何も自粛する必要無かったんだよ、くそ

そんなことに気づくのに1年かかってしまって悲しい。

新成人の皆さん、一生に一度しかないイベント我慢してて凄いです。自分バイトで行かなかったけど選択肢すら奪われて申し訳ないです。

ぐだぐだ言ってる弱い大人でごめんなさい。

もうレイトショーも駄目なの?なんで?日本大人区別がつけられないから一律に禁止するのかな。馬鹿らしいね、本当。

2021-01-07

中肉中背になっちゃった

昔は167cm44kg、モデル体型。

街を歩けば目で追われ、振り向かれ、「今の子めっちゃスタイルいい!」と囁かれ、世界で1番イケてる女の子だと思ってた。

顔はお世辞にもかわいいとは言えないけれど、カラダがかわいいからモテてた。

私は総合得点で優勝していくタイプだと、自分立場を弁え賢く立ち回っていたつもりだった。

そして現在、167cm52kg。

めちゃくちゃ普通だ。

太ったのは本当にそう、今改めて文字に起こしてこの3年間で+8kgの数字目眩がしてる。

緩やかに妊娠でもしたんかよ腹に新しい命でも宿ってないと納得できないよなんなんだよただ駄菓子を貪り食ってただけなのに。

20代前半までは1日3,000円分駄菓子食べても太らなかったのに。2日絶食したら2kgくらいストンと落ちたのに。今は。

こういうこと外で言うと「まだまだ細いよ〜嫌味?」ってブスに反応されるから何も語らないようにしてるけど、私は総合得点でブスじゃないことに自信持ってたわけで、スタイルを失ったらおまえらと同じただのブスじゃん。

ただのブスはやだ絶対痩せたい群衆で埋もれたくない、いつだって「綺麗だから人混みでもすぐ見つけられるね」って言われたい……………………………というわけでひっそりキツめのダイエット中なんだけど、なんか悟りつつある。

中肉中背から抜け出せないだろうことに。

今の若い子ってすげーー背高くてすげーー細いんだよ。マッチ棒みたい。

私も昔マッチ棒みたいって言われてたけど昔ってまあ昔だから、今より平均身長たぶん低かったと思う。

そういうデータ経産省文科省かどっかで見られるはずだ分かんないけど。とにかく167cmが十分高身長扱いされてたのが、昨今「普通」になってきてるのをヒシヒシと感じる。

私はもう中肉中背、努力して「中肉」じゃなくなったところで「中背」は変えられないんじゃね? って思ったとこでもうダメだった小指の先ほどもヤル気出ない。

そういえばデブると指も太る。昔ゆるゆるだったピンキーリングが今キツいことある死にたい

頑張ってももモデル体型にはなれない167cm52kgを誰か救ってくれ。

2020-12-19

日本半導体産業年代記

以前にこんな日記を投下した半導体業界人増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20200813115920

https://anond.hatelabo.jp/20200813164528

久々に日記を書きたくなったので、今回は方向性を変えて年代記風の記事を投下してみます

私自身は業界の全盛期である80年代~90年代前半を経験しておらず、当時の状況を記述するのに十分な知識がないため、その時代については省いています

ということで、私がこの業界に入ることになる少し前の90年代半ばから物語を開始します。

工場呼び名企業の再編によって変わる事が多々あるので、原則立地で表記している。

1990年代半ばごろ 時代の転換点

80年代後半に栄華を極めた日本半導体産業であったが、日米貿易摩擦の影響で一時に比べて勢いを失っていた。

また、韓国企業の台頭により得意分野のDRAMの雲行きが怪しくなり始めたのもこの時期である

(余談だが、日本半導体衰退の原因としてよく話題に上がる韓国での週末技術者バイトさらに昔の話である。このころにはすでに強力な競合に育っていた。)

とはいえ世界的にみると日本の電機メーカー資金力・技術力ともに上位であり、一時的不況を乗り越えさえすれば再び繁栄が訪れると誰もが信じていた。

そんな時代背景の元、日本企業貿易摩擦に対抗しつつ、さらなる勢力拡大を図るため、自動車産業成功例に倣い世界各地で現地生産を進めることで変化に対応しようとしていた。

北米進出歴史
企業進出設立
NECカリフォルニア州ローズビル1981
富士通オレゴン州グラシャム1988
三菱ノースカロライナ州ダーラム1989
日立テキサス州アービング1990
松下ワシントン州ピュアラップ(National Semiconductorより買収)1991
東芝ヴァージニア州マナサス(IBMとの合弁でドミニオンセミコンダクタ設立) 1996
欧州進出歴史
企業進出設立
NECリビングストン1982
日立独 ランツフルト1990
三菱アーヘン1990
富士通ダーラム1991
アジア進出歴史
企業進出設立
NEC中国首鋼集団と合弁工場設立1991
三菱台湾力晶半導体(Power Chip)と提携DRAM技術供与1994
東芝台湾華邦電子(Winbond)と提携DRAM技術供与1995
沖電気台湾南亜科技(NANYA)と提携DRAM技術供与1995
日立新日本製鉄及びシンガポール開発庁と共同出資シンガポール工場建設1996

1998 ~ 2002 終わりの始まり

Windows95ブーム終焉による半導体のだふつき、アジア通貨危機後の韓国メーカーのなりふり構わぬ安値攻勢、ITバブル崩壊による半導体需要の激減と、短期間で何度も悪化する半導体市況。

次第に半導体産業は将来性を危ぶまれるようになり、成長分野から社内の『お荷物』とみなされるようになっていった。

かつて半導体事業の中核だったDRAMは、優位性を失い韓国企業覇権を譲り渡してしまった。

資金面でも徐々に脱落するメーカーが現れ始める。はじめについていけなくなったのは、バブル期事業多角化を進めて半導体新規参入した鉄鋼メーカーだった。

続いて総合電機各社も規模縮小に向かう。世界中に作った半導体工場投資の回収ができないまま次々と閉鎖されていった...

工場の現地化の試みは失敗に終わり、10年程度という短い期間での工場立ち上げ・閉鎖はマンパワー資金の浪費に終わった。

こうして各社は体力を削られ、余力を失っていくのだった。

1998

新日本製鉄館山半導体工場台湾UMCに売却

三菱北米拠点ダーラム工場を閉鎖

日立北米拠点アービング工場を閉鎖

松下北米拠点ピュアラップ工場を閉鎖

富士通欧州拠点ダーラム工場を閉鎖

1999

新日本製鉄シンガポール半導体工場株式日立に全額譲渡

NKK綾瀬半導体工場キヤノンに売却

富士通DRAM撤退

NEC日立DRAM事業統合を決定。エルピーダメモリ設立

2000

神戸製鋼、米TIと合弁の西脇半導体工場を米Micronに売却

日立台湾UMCと合同で初の300mmェハ(従来の主力の直径200mmのウェハから2.25倍の面積になり、ざっくりいえば同じ工程数で2倍程度のChipが取れてコストを削減可能現在に至るまで主流のウェハサイズ。)を使用する工場トレセンティテクノロジを常陸那珂設立

2001

東芝DRAM撤退北米拠点ドミニオンセミコンダクタを米Micronに売却。

ソニー熊本に300mmのイメージセンサー工場建設

2002

NEC欧州拠点リビングストン工場を閉鎖

富士通北米拠点グレシャム工場を閉鎖

NEC、非メモリー半導体事業分社化NECエレクトロニクスを設立

2003 ~ 2007 反転攻勢

繰り返す半導体市況の激しい変動も落ち着きを取り戻し、待ち望んだ好景気がやってきた。

90年代後半から不況で体力を消耗した日本企業だが、いまだ技術力は健在。

からブームとなっていた『選択と集中』を合言葉に、各社の得意分野に集中投資だ!

パソコンではアメリカ企業に後れを取ってシェアを失ったが、液晶プラズマをはじめとするテレビDVDレコーダーデジカメ等、日本お家芸である家電デジタル化が進展する今こそ最大のチャンス!

さらに、世界中で規格が共通化された第三世携帯電話が普及すれば、圧倒的な先進性を誇る日本携帯電話が天下を取れるのだ!半導体復活の時はついに来た!!!

製造業国内回帰の波に乗り、生産性に優れる300mmウェハの工場をどんどん建てて再起をねらうのだ!

2003

日立三菱ロジック半導体事業統合世界三位半導体メーカールネサステクノロジ誕生

富士通、米AMDNORFlashメモリ事業統合Spansion設立

エルピーダ三菱電機からDRAM事業譲渡日本の残存DRAM事業が集約。新社長を外部招聘し、反転攻勢開始

東芝四日市に300mm対応NANDFlash工場四日市第3工場建設開始

東芝大分に300mm対応の先端ロジック工場建設開始

NECエレ、鶴岡に300mm対応の先端ロジック工場建設開始

ソニー長崎に300mm対応の先端ロジック工場建設開始

2004

ルネサス三菱時代から欧州拠点アーヘン工場を閉鎖

エルピーダ東広島に300mm対応DRAM工場建設開始

東芝大分の300mm工場が稼働

NECエレ、鶴岡の300mm工場が稼働

富士通桑名に300mmの先端ロジック工場建設開始

Spansion会津若松に300mm対応NORFlash工場建設を発表

松下魚津に300mmの先端ロジック工場建設開始

ローム浜松に300mm工場建設

2005

エルピーダ東広島の300mm場が稼働

東芝四日市第3工場稼働

ルネサスUMCからトレセンティテクノロジの持ち株を買収。完全子会社

ソニー長崎の300mm工場が稼働

富士通桑名の300mm工場が稼働

松下魚津の300mm工場が稼働

2006

東芝四日市に300mm対応NANDFlash第4工場建設開始

富士通桑名に300mm新棟を建設開始

エルピーダ台湾力晶半導体と共同で台中DRAM工場建設

2007

Spansion会津若松の300mm工場が稼働

東芝四日市の300mm第4工場が稼働

富士通桑名の300m工場新棟が稼働

2008 ~ 2015 暗黒時代

2000年代日本企業の反転攻勢は、リーマンショックで終わってしまった。

日本の電機業界が成功を夢見たデジタル家電韓国勢との競争に敗れ、携帯電話でも海外展開に失敗した。

90年代から繰り返し計上してきた赤字と、2000年代の大規模投資を経た今、半導体工場への投資継続する資金的余力はもはや残っていなかった。

不採算部門とみなされるようになった半導体事業設備投資が止まり建設されてからわずか数年で時代遅れとなってしまった。

これ以降は、東芝NANDFlashメモリや、ソニーイメージセンサーといった競争力を維持している分野、また旧エルピーダDRAM工場といった外資資金を得た分野のみが投資継続されることになる。

2008

ルネサス日立時代から欧州拠点、ランツフルト工場をLファウンドリーに売却

日立シンガポール工場シンガポールチャーターセミコンダクタに売却

ソニー長崎の300mm工場東芝に売却

ローム沖電気半導体事業を買収

2009

Spansion倒産

2010

ルネサスNECエレが合併世界第三位半導体メーカールネサスエレクトロニクス発足。フィンランドノキアからモデム部門を買収。

東芝四日市に300mmのNAND製造第5工場建設開始

米TI、Spansion会津若松の300mm工場買収

2011

ルネサスエレ、NEC時代から北米拠点ローズビル工場を独テレフンケンに売却

ルネサスエレ、1400人リストラ

東芝四日市の300mmの第5工場が稼働

ソニー長崎の300mm工場東芝から買戻し

オン・セミコンダクター三洋電機半導体事業を買収

2012

エルピーダメモリ倒産。米Micronが買収

ルネサスエレ、7500人リストラ

富士通岩手の200mm工場デンソーに売却

2013

東芝四日市の300mm第5工場2期工事開始

ルネサスエレ、ノキアから買収したモデム事業から撤退さらに2300人リストラ。またNEC時代中国の合弁を解消し撤退

富士通マイコンアナログ事業を再建したSpansionに売却

2014

東芝四日市の300mm第5工場2期分稼働。200mmの第2工場を300mmに建て替え

ルネサスエレ、年2回のリストラで約1000人削減

Panasonic半導体工場をまとめてイスラエルTower Jazzに売却

ソニールネサスエレから鶴岡の300mm工場を買収

富士通桑名の300mm工場台湾UMC出資受け入れ

2015

ソニー東芝から大分の300mm工場を買収

ルネサスエレ、1800人リストラ

富士通PanasonicSoC設計部門統合、ソシオネクスト設立

2016 ~ 再編ひと段落?そして現在へと続く道

この時期に至ってようやく主要半導体メーカー工場再編が一通り完了し、現在につながる枠組みがほぼ出来上がった。

リーマンショック後の大規模再編で日本企業世界地位はかつてないまでに低下し、国内工場においても外資系の傘下に入るところが増えた。

現在半導体の先端工場継続投資できる日本企業は、イメージセンサーに強いソニー東芝メモリ事業を引き継いだキオクシアだけである

はたして日本半導体産業は今後どうなるのだろうか?再び世界に飛躍する日はやってくるのだろうか?

2016

東芝四日市の第2工場建て替え完了大分岩手の200mm工場分社化ジャパンセミコンダクターを設立

2017

東芝本体粉飾決算あおりを受けてメモリ事業分社化東芝メモリ設立四日市に300mmの第6工場建設開始。さら北上市に300mm新工場建設

ルネサスエレ、米intersilを買収

2018

東芝メモリ四日市の第6工場が稼働。多国籍連合ファンドパンゲアから出資を受ける。

富士通桑名の300mm工場台湾UMCに売却。また、会津若松の200mm工場も米オン・セミコンダクターに売却。

2019

東芝メモリ、キオクシアに社名変更北上工場稼働

Panasonic、残ったマイコン等の事業台湾Nuvotonに売却して半導体から撤退

ソニー長崎に300mm新工場建設開始

Micronエルピーダから買収した広島工場拡張

ルネサスエレ、米IDTを買収

2020

キオクシア、北上に300mm第2工場建設開始

東芝本体SoC部門撤退で770人リストラ

2021

キオクシア、四日市に300mm第7工場建設開始予定

2020-12-12

anond:20201212085139

お前は 電子の量子的確率論で おとを鳴らす気か?・・・ どれだけそうじゃない

っていいたかたことか

 

だけど

確率のゆらぎで大を出すストンプが

それなりの音するかもしれないしなXeon音出るしな

普段 Xeonエクストリームとか つくってるんです

それ いいおとでる?

あぁまぁ そこそこ音も出ます

どうかなー ストンプとしては むずかしいなぁ

はい・・・

 

まぁ トランジスタが使えるなら ソリッドってことで なんかかってやるから まぁ 12個ぐらいもってこいよ

初回だし かってやるよ

 

12個・・・がんばってみます その数は難しいですね

 

気張れよ 12個ぐらい 努力だよ

 

はい がんばります

 

Inte○ 研究所女性はいった 

 

やっぱり 電子回路って 難しい

2020-12-11

ASDグレーゾーンの人になった話

グレー状態ASD可能性が高い、と診断された。

COVITー19のパンデミックによって世界の大部分は一変したし、当然ただの一市民オタクの私の生活も一変した。二月に推しコンサートに行った帰りに、いつものライブ友達と美味しいイワシ刺身を食べながら「新型コロナって春には落ち着いてるといいね」と話していた。春から推しカバーツアーが始まることになっていたのだ。当然春のコンサートツアーは飛んだし、私は他の大勢と同じく早春のころからほぼ生活から出ていない。会社も元々自転車通勤圏にあるから繁華街にもいってない。

高齢家族がいて、気管支炎喘息をずっと治療しているか感染リスクは出来るだけ減らしたい、となると出かけないが最適解となる。夏に昔懐かしい映画リバイバル上映があり、秋になると鬼滅やTENETや羅小黒戦記がオタク話題を席巻しても、上野六本木特設展が開催されても、繁華街に出てウィルスを家に持ち帰るリスク自分ストレスを少しでも解消したいという欲望を比べると常に「リスク考慮して出かけない」となる。なにより息抜きをしたいと思う自分が浅ましいし情けないと思っいた、正確に言えばいまも思っている。寄付もしているが私の収入では雀の涙で、するとコロナ感染拡大を極力抑える行動をすることが、医療関係者含む最前線の人たちに向けて出来る精一杯のアクションから

これで会社電車に乗っていく距離にあれば「通勤出来るのだから映画館にぐらいいける」と推し量ることも出来たのだろうけど、実際はずっと家から会社まで自転車を漕いで往復するだけだからなにもつかめない。ツイッターを見ると映画に行く人、たまに外食をする人、ハンドメイドグッズや鉱石イベントに行く人たちがいて、適度に好きなものに触れて息抜きをして、あるいは興奮気味に映画感想を述べたり久しぶりの舞台空気満喫したりしてるが、私はそれを見ながら皆息抜きが上手いし、罹患しないという判断が出来るだけのなにかがあったんだな…と思っていた。そんな感じで半年以上TLの文字だけでたまに人とやりとりし、たまの散歩以外で外には行かず、そのころ推しは秋から改めてツアーを開始して、ありがたいことに配信があったから、仕事家事をすべて終えた真夜中に見ては「これがあるだけで十分に贅沢だ」と拝んでいた。

そうしたら、ある日突然、ガス欠とエンストパンクが一変に来たように、エネルギーが尽きて、壊れた。

初めて生々しく希死概念というものを抱いた。推しライブだろうがまだ発刊されていなかった鬼滅の最終刊だろうがすべて価値がなくなり、ただ、明日がないということがどれほど魅惑的て楽になる唯一の解決法に見えるか、ということを身をもって知って、私は幸い数日で落ち着いたときすぐ心療内科電話をして、あとは診察日まで泣きながら耐えることでどうにかなったが、波のようにあの感情に襲われて、それと戦っている方は本当に頭が下がる。とにかく、日常認知が壊れ、TL越しの人が何を考えているかが全くわからなくなり、人とのコミュニケーションはすべて恐怖と不安を増幅させるものとなり、「これがコロナ鬱か…」と推測しながら初診のその日を待っていた。

そうしたら、コロナでの環境変化が大きな要因だけど、おそらくそストレスASDの傾向によって生まれものときたもんだ。高めのIQアスペルガー障害、っていうのはオタクキャラクターを作るときに一回ぐらい適当な夢を込めるか、5ch文化どっぷりなら侮蔑する存在だが、自分がその存在になるとは先月までは思っても無かったよ。

グレーゾーンとはいえASDと言われて思い至ることは山ほどある。なにより上で書いたようステイホーム時代思考があまり柔軟じゃないように見えるし、オフ会で直に顔を合わせても人の情感を読み取るのは苦労していたのだからましてやツイッターなどでのみ、となったときコミュニケーションの難しさといったら。しかしなにより驚いたのは、これまで世間の人も同じように苦労しながら人とコミュニケーションを取っているのだから、それが出来ない私が劣っている、というわけではなく、世間の大抵の人は言語、非言語空気というのもを普通に読み取り、普通に処理し、普通に適度なコミュニケーションを取れる、ということだった。なんならいまも信じられない、うそでしょ。

でも嘘じゃなさそうなのだ世間の人は突然歌い出したくもならないし踊りたくもならないし買い物で数が3つか5つ以上になるように数を調整しないし気になったことをどこまでも調べたりしないしトラウマフラッシュバックも起こりにくいし出来事はそんなに覚えてないようなのだ。本当にびっくりだよ。

医者さんいわく、私は、「言語論理的理解する」ことに特化している脳らしく、確かにASDグレーゾーンと言われて、自分厚生労働省NHK心療内科医による解説などと読んだら、自分のいまの状態がどういうことが納得出来て心がストンと落ち着いたので、なるほど私にとっての言語論理的理解出来ることの重要さはこれか。余談だけどNHKによる発達障害トリセツは便利なので、ASDADHDじゃないかと疑っている人は検索して読む価値はあるし、自分で思い込んでるだけなら早めに心療内科に予約を取って調べてもらうほうがいい。当事者になってまだ一ヶ月経ってないけど、発達障害、私の場合アスペルガー自分と切り離せないものだし、唯の特性で素敵なものじゃないぞ。あとASD当事者や周辺の人の苦労を他人事として処理して、楽しい罵倒として「アスペか?」とか書き込むやつらは全員スマホPC壊れろ。

そしていま困っていることは「ASDの傾向があることをカミングアウトしたほうがいいのか、黙っているほうがいいのかわからないので誰かに相談をしたいが、もともと空気を読みにくいな…と思っていたら本当に空気を読む能力があまりなかったため。誰が相談に乗ってくれるか、そもそも誰が自分に対して好意的かがわからない、ということを人に相談して、話を聞いてくれると嬉しいがそもそも誰が相談に乗ってくれるのかがわからない、ということを」という円環に完全にはまっていることで、友達に話してみてもいいのかどうかすらわからないので、今日はとりあえずはてぶに書き散らして気持ちを落ち着かせた。

本当にどうしたらいいんだろうね

2020-11-05

元増田です。

トラバで返しましたが、別記事に移そうと思いましたのでこちらに。



まさかこんなに反応が返ってくるとは思っておらず、びっくりしています

最初に書いた通り、「結婚したいと思う気持ちが分からない」と言ったら話が通じない奴認定されたことに腹を立てて勢いのままに書いてしまったので、言葉が雑であったりしたと思います。お恥ずかしい限りです。

ブコメトラバを読ませていただきました。同意言葉や反対意見提案など様々な言葉をいただけて嬉しいです。ありがとうございます

その中のいくつかに返事をさせてください。私の自己満足なので読まなくても結構です。




本当にアセクシュアルなの?

異性を愛する気持ちも同性を愛する気持ちも抱かないけど、かといって人が嫌いなわけではないんだよなあ、というぼんやりとした気持ちのまま色々調べたりするなかで、「アセクシュアル」という観念があることを知りました。

アセクシュアル観念はだいぶ曖昧だそうで、他のトラバにも書かれていましたが、「性欲を持ち、また、自慰を行うからアセクシュアルではない、と断言することは出来ない」らしいです。たぶん本当にあいまい観念なんだろうなと思います。人を好きな気持ち主観的もの依存するので。

AV同人誌を見る感覚は、ストーリーとして消費したいという気持ちが強いです。恋愛ものを読むけど恋愛したいとは思わない…みたいな。

性欲自体も持ち合わせていますが(エロティシズムを感じたり自分の中の欲求不満を感じたりするので)ただそれを実在人間に対し自分自身がぶつけたい訳ではないです。AVも、あくまで画面越しだから自分と切り離して鑑賞できるという感じ。映画とかドラマで際どいモノとかありますよね。あんな感じです。

なのでアセクシュアル寄りの何か…と言った方が正しかたかもしれません。

雑に言葉使用してしまい、申し訳ありませんでした。





結婚したくないって思うのは見た目が悪いか

はい出た~~~」と思ってしまいました。

自分自身がこうしたいなあ、と思う感情に外見は関係ないです。確かに自分の外見は需要がある、無い、で言えば無いだろと自分でも思います

でもこのコメントをされた方は、結婚したくない=結婚できないブスの僻み という価値観で生きてこられたんだなと感じました。それ以上でもそれ以下でもないです。





結婚したくない」と思っているのになんで他の人に質問したの?

「分からないなら分からないままでいいでしょ」という意見もありました。正論だと思います

私が質問したのは、「自ら結婚したいと思うということは、結婚に対し何か魅力があるのかな」と考えたからです。

結婚している人や結婚したいと思う人を馬鹿にしたり、見下したりしている意図はまったくありません。「結婚の魅力ってなんだろう」という疑問でした。

母親に「なんで結婚しようと思ったの?」と聞いたことがありますが、なんとなく、と返ってきただけだったので、余計に疑問が強まってしまったのかもしれないです。

こうして意見を見ていて、私の質問の仕方に問題があったな…と反省しております結婚について理解をしたい、と思って聞いてみたのですが、あの聞き方では不躾で理解しようともしないように聞こえますよね。

また、「結婚したくない」という私の意見に対し「結婚したい、と考えられない奴はおかしい」というような態度を取られてしまい、腹が立ってカッとなって書き込んだのもダメでしたね…

諸々反省点です。すみませんでした。

シーライオニングという言葉ははじめて知りました。学びです。




疑問が出るのは、不安を持っているか

まさしくその通りです。

結婚しなくてもいいなあ、結婚したいと思わないし、と考えていても、やはり不安はあります。まだ20と少ししか生きていませんし、結婚をしないでひとりで生きていけるのかな、なんて考えたりします。経済的なことや、老後のことについての不安です。

結婚するなら色々出会いを求めて動いた方がいいのかな、と考えては、でもそこまでして結婚をしたとして、メリットは何なんだ?という疑問が湧く。その繰り返しです。




恋愛したい気持ち結婚したい気持ちは違うよ

目からウロコでした。自分ではその違いをわかっていたつもりでも、わかっていなかったんだと思います

なんとなく、恋愛+性愛=結婚というイメージがあって、結婚をする人はみんなパートナー恋愛感情を抱いているんだなあと考えていました。

ですが、恋愛性愛を伴わない結婚もあるし、恋愛感情があるからといって結婚したいとは限らないんでしょうね。

ストン自分の中に納まった気がします。 

恋愛とか分からないし性愛も抱いたこと無いしむしろ気持ち悪いな~とまで思っていましたが、だからといって結婚したくない、には結びつかないんですね。

色々な結婚の仕方もあるのか、と納得しました。これが答えのような気がします。





結婚すると決めた理由

様々な意見ありがとうございます

子どもが欲しい、寂しさを埋めるため、他にもいろいろな理由結婚された方々を拝見しました。

かに、まだまだ人間関係に寂しさを覚えることはありませんが、この先どうなるかはわかりませんよね。

そういった人間関係の構築のための結婚というのもあるんだなと感じました。 

自分なりに考えていきたいと思います





他、同意アドバイス

本当にありがとうございます。こう思っているのは自分だけではない、と分かることでものすごく安心しました。

様々なコメントを読んでいて、自分世界はだいぶ狭かったんだなあと実感しました。

周囲にいる人たちが、異性と恋愛して結婚したい、と思っている人たちが多く、雑談のなかで恋愛の話になると肩身の狭い思いをしたり、嫌だなあ、と感じる機会が多々あったので、自分の中で恋愛結婚に対し、マイナスイメージが強かった気がします。

これからどうなるかは自分自身分かりませんが、もう少し視野を広げて、自分なりの「恋愛」や「結婚」を探ってみようかなと思います





『単純に愛を育んでゴールインの形が結婚というのは私の中ではなくて、何かの利益のために結婚するのは理解できる』

ブコメの中にあって、これが一番わかりやす言語化してくださっているなあと思い、詳しく調べさせていただきました。

乃木坂46齋藤飛鳥さんのコメントだそうです。こちから引用させていただきました。

https://www.excite.co.jp/news/article/Asagei_147203/

exciteニュース 「乃木坂46齋藤飛鳥ネガティブな「理想の結婚生活発言ファンはホッコリ!」

私も似た気持ちです。

結婚することの利益メリットは何か?という疑問もここからきていると思います


他にも多くの反応をありがとうございます可能な限り目を通させていただいています

自分のなかでなんとなくの答えはでたものの、やっぱり社会はまだ異性との結婚幸福で、それがすべてなんでしょうね。(齋藤さんの発言ネガティブと捉えられてしまますし…)

ですが自分自分なりに考えていこうと思いました。書き込んで反応をいただかなければ、しっかりと気付くことは無かったと思います

重ね重ね、お礼を申し上げます

とはいえやはり、もう少し寛容な社会であればなあ、と思わずはいられません。

長々と失礼いたしました。それでは。

2020-10-20

港北ニュータウン自動車有事情のリアル

anond:20201019104451

東京都心に住まうハイソサエティな人々や地方民は、東京にこれだけ近いところに、これほどモータリゼーションが発達した都市があることをほとんど知らない。
東京でも横浜でもない、車を中心にした世界がここにある。

嘘だと思うなら、カーシェアでも借りて一度センター北センター南界隈を走り回ってみるといい。

港北ニュータウンって何処?

東京横浜中間でなおかつ東海道線東名中間ぐらいの位置関係と言えばぼんやりイメージがわくだろうか?
詳しい歴史とかはwikipediaを見ろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3

どんな街?

元は森と原っぱしかなかったところを開拓したニュータウン開発としては最後発に近い再開発事業だ。開発が始まったのが実質80年代以降なので、近代的なモータリゼーションをがっちり取り入れた都市計画に基づいた街が作られている。

ざっくり言えば、港北ニュータウンショッピングモール集合体だ、少し小さめの濃縮されたイオンモールクラスショッピングモールがぼっこぼこと乱立している、センター北・南両駅に中規模のショッピングモールが3棟(港北東急、港北阪急ノースポートモール)、立体模駐車場を持つ小規模ショッピングモール(どでかい商業ビル)が4棟、さら商業ビル多数。近隣にはホームセンターも幾つもある。

そんな中途半端ショッピングモールじゃあね、という向きには、車で3~40分圏内に大規模ショッピングモールが3か所(ららぽーと横浜ラゾーナ川崎トレッサ横浜)、もう少し小さい規模でグランリー武蔵小杉たまプラーザテラスとか、横浜圏までいれると本当に数えきれなくなる。

とにかく車があれば買い物を行く先に全く困らない、毎週末・毎日ショッピングモール巡りだ、車で複数ショッピングモール梯子することなんかもザラ。
それから、この二駅だけでスーパーが大小とりまぜて10前後ある、あほか。

港北ニュータウンの車事情

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kohoku_New_Town_-02.jpg (写真)

まず道幅が広い、一般道で3車線があたりまえにある。狭い細路地がほぼ存在しない。一方通行ほとんどない。車の取り回しで困ることが無い。
駐車場も安くどこにでもある。商業施設駐車場ほとんどがスロープ式立駐で、だいたい割引で足りるか、最初から無料
ある意味センター北・南が猛烈に充実しているため、車無しで滅茶苦茶快適に生活できてしまうのだが、当然車の所有率も高い。

そして、いい車が走っている。外車率が異様に高く、軽が少ない。都心みたいにポルシェベンツ、アストンベントレーにあれはマクラーレンか、みたいなバブリーさは無いが、ドイツ勢、ラテン勢など欧州車がかなり多い。レクサスも多い。港北ニュータウンにいると、日本不景気とは? という気分になるぐらい、日本で失われつつある豊かさがまだここには生きている。

そして、ニュータウンらしく、車歩道分離や、公園が充実しているのもすばらしい。センター北・南から徒歩圏にもちょっとした森のような大きな公園が幾つもあるし、車で移動すれば自然スポーツ施設遊戯施設も多数あり子供の遊び先の選択肢に事欠かない。大きな公園に行くと、テント族っていうの? ミニバンカートテント載せてやってくる親子連れ広場テント広げてゆったり遊んでる。ああいうの、都内育ちからみると全く未知の世界で軽いカルチャーショックがある。わざわざ、ひーこら奥多摩まで行ってバーベキューする必要ないんだ、みたいな。

それから第三京浜東名高速が至近というのも大きい、レジャーとなったとき選択肢都心とはけた違いに多く、海と山にすぐ行ける。箱根鎌倉三浦伊豆富士東海方面東京よりすべて一回り近い。渋滞ボトルネック一つ分少ないことで、車での日帰り旅行もめちゃくちゃ快適。

港北ニュータウン住宅生活事情

都内マンションや戸建てをサラリーマンが買うのが現実的でなくなって久しいが、港北ニュータウンとその周辺の横浜市営地下鉄沿線はまだ選択余地がある、さすがに新築マンション造成は減ってきているが、中古なら3~4000万円代から選択肢がある。しかニュータウン故、ほぼすべてが築浅なので都心に比べれば程度が全然いいし広い。駐車場も当然ついているし、駐車場代も都心みたいにん万円なんてことはない。

歴史が浅いということは、世代・年齢層も若いということだ、周辺の戸建て地域もおんぼろの昭和住宅空き家廃屋なんてほとんどない。街がぴかぴか、古い家はだいたい地主さんの邸宅
港北ニュータウンのある都筑区首都圏でも数少ない出生率が高く人口が増え続けている自治体だ。まぁ、40年50年先のことはしらん。

人種的には、ややマイルドヤンキー寄りだがヤンキーではない、リア充だけどうぇーいじゃない、ぐらいの層が厚い。所得がそれなりにあると思われるおされな人も多い。スポーツ観戦が好きで子供サッカーやらせます、目指せJリーグみたいな感じ? なにしろ、手軽にスポーツをできる環境がある。

そして、BOOKOFFに行くと、売られている本の質が違うんだ、ひたすらベストセラージャンプ掲載作品で埋まってなくて、それなりに面白かったり、マニアック作品ごろごろしてる、実用書の質も高い。つまり、本好きが沢山いて、本を買い、BOOKOFFへ放流するというフローが成立しているわけだ。

総じて、平均してそれなりの所得があり、家と車を持ち、自分生活等身大で生きている、そんな世界港北ニュータウンだ。

港北ニュータウンへのアクセスって?

東京都心へは電車で40~50分、車で1時間前後、というところ。

港北ニュータウン中央駅はセンター北センター南の二駅、センター中央駅は無い。この二駅を貫くように横浜市営地下鉄ブルーラインと同グリーンラインが通っている。
残念ながら東京都心直通の路線は無く(計画はあったんだ...)、都心に出るにはブルーラインあざみ野に出て田園都市線もしくはグリーンライン日吉に出て東横線へ乗り換える必要がある。横浜新横浜みなとみらいへはブルーラインで直通だ。

車でのアクセスは、東名 横浜青葉ICもしくは第三京浜 都築ICから15分弱。

成田羽田ディズニーランドへは直通高速バスが出ている。

港北ニュータウンの周辺都市

都心に直通の電車がないなんて田舎だよね、という向きには田園都市線沿線たまプラーザあざみ野青葉台を勧める。半蔵門線直通で都心まで30分前後だ。通勤時間的には都内多摩地区と変わらない。
全体に若干割高にはなるが、車があれば、港北ニュータウン利便性享受できる。

ご存知のように殺人的な通勤ラッシュでおなじみ田園都市線だが、大井町線乗り入れ改善してきているし、オフピークして、渋谷以前の半蔵門線から乗ればそれほど大したことはない。

ただし、歴史が一回り深い分高齢化が進んでいるのも確か。モータリゼーション第一世代高齢化免許返上して駅から遠い戸建てを手放すみたいな話が出てきている。
都心と比べて東急グループや大手資本がなんとかしようとしている点がちょっと違うところで、たまプラーザ再開発なんかがその例、興味があるなら行ってみるといい。

東横線沿線は良くも悪くも東京都心に近い属性がついてくる、居住費や駐車場も高くつくし、狭い道も多い。武蔵小杉元住吉日吉あたりは車でも住みやすいが水害が心配なのは去年の台風でわかっただろう。

まとめ

そんな感じで、首都圏にでもモータリゼーションが発達して発展している都市がある、ということをわかってもらえると嬉しい。東京都心と地方ロードサイド二元論なんてナンセンスだ。
都内勤務だけど、リモートワークも進んだし、ちょっと都心から離れてみるのもいいよね、車の運転好きだし、という層にはぜひ一度訪れてみてほしい。

港北ニュータウンに無い物? うーん、歴史とか、超高級ブランドショップとか、それから下北吉祥寺みたいな個性かな。あーあと、あれあれ、イオンが無いよ。

2020-10-09

暴力に囚われていないという幻想

 それは幻想に過ぎなくて、我々は常に暴力行使する側であり暴力を甘受しなければならない側でもあるんだな。

 我々は常に暴力を振るっているし、そして常に暴力に晒されている側でもあるんだな。

 何というか、そういう単純な地平が思いのほか人々には見えていないようなので、僕としてはビックリすること頻りなのである

 暴力を使ったことのない人間などいない。暴力は我々の内部に根差しているし、我々は暴力行使する。我々はそれによって何かを成そうとする。それが人間という生物基本的な行動パターンじゃないかと思う。何故世の中の人はそういう理解から遠ざかっているのか、自分暴力主体ではなく暴力をただ甘受する哀れな人間であると何故誰もが名乗るのか。僕としてはその辺が不思議でならない。何故あんたたちは暴力主体であるという意識を持てないのだ? 我々は暴力普段から行使しているではないか、誰かを貶め誰かを踏みにじり誰かを圧殺することを通してでしか自らの繁栄を築き上げることなんてできなかったじゃないか、何故その意識から逃げるのだ? などなどと思う。

 「我々は被害者だ」という文言は勿論限定的文脈においては成立する。例えば、道を歩いている時に突然誰かにぶん殴られたとして、「俺は加害者だ!」などと宣う人間はいかにも不自然である。勿論、そういう文脈において人は被害者に成りうるし、俺も別にそれを否定しているわけではない。しかし避け難く我々は被害者であると同時に加害者であるのだ――それを誰もが理解していないということに対して原初的違和感を覚えざるを得ない。何故皆はその共通普遍認識から遠ざかるのか? 何故我々が加害者であるという意識を誰しもが持たずに生きているのか?


 ホッブズの『リヴァイアサン』。その書物をご存知だろうか。多分、殆どの人々がかの書物最初から最後まで読み通したことはないと思うのだけれど、社会科世界史の授業で、「人間万民万民に対する闘争状態にある」という著作中の警句を大いに聞かされた人は多いのではないだろうか。勿論これは事実でありまた慧眼である。いや、少し違うな。勿論、我々は皆お互いにお互いのことを殴り合っているわけではない。勿論、我々は皆が皆お互いのことを殺したり犯したり盗んだり騙しているわけではない。常にそれを行い続けているというわけではない。勿論、そのことくらいは俺にだって分かっている。でも、問題はそうじゃないんだ。我々が、この世界において、そういう具体的な行為に及んでいるわけではない。勿論それは分かっているのだけれど、でも、問題はそうじゃないんだ。僕たちはそれと分かるような暴力行為に出るわけじゃない。勿論、誰もが誰かの門前で誰かを殺したり誰かを犯したり誰かから盗んだり誰かを騙しているというわけじゃない。勿論、そうなんだけれど。

 でも、結局のところ我々は誰かから盗まなければ生きていけないのである

 誰かを、騙さなければ生きていけないのであるし、誰かを犯さなければ生きていけないのであるし、誰かを殺さなければ生きていけないのである。それはとても自明ことなのだ。

 勿論、我々は誰も殺したことがない。そうだと思う。俺もそう思う。俺は誰も殺していないし、誰からも盗んでいない。誰かに関して騙したことはあるかもしれないが、よく覚えていない。

 でも誰かを傷つけたことはあるし、誰かを貶めたことはある。勿論それはそうだ。誰をも貶めず誰をも傷つけずに生きている人間などこの世にはいない。有り難いことにそれは明々白々の事実で、俺も例外なく誰かを貶めたり傷つけたりすることを、かつて息をするかのように行っていた。俺は誰かを踏みにじり、誰かを貶め、誰かを傷つけ、誰かの価値を下げていた。何らの見返りがあったわけでもない。そのような行為を冒すことによって自分自身に対して何らかの報酬があったわけではない。でも、俺はそれを毎日のように行っていたのである

 俺はある時にふとそのことに気付いたのだけれど、特にショックと言うべきショックはなかったと思う。一応きっかけと言うべきものはあって、それは当時俺の身近にいたパワハラ上司に対して憎悪の念を燃やしていた時であった。あの上司には価値がない、あいつには生きている価値がない、あいつは自己反省のできない俗物だ――そんなことを考え続けていた時に、何となくそのことが、ストンと腑に落ちたのである

 そう、つまり、俺もあの上司根本的には一緒じゃないか、と。

 自分のことを振り返ってみれば、自分だって誰もを貶め傷つけてきたじゃないかと。それをさも当たり前の行為のように行ってきたではないかと。

 まあ、仕方ないよな、と。そう思ったのである

 まあ、仕方ないよな、だって、俺は俺だもんな、と。だって、俺は俺なのだから、誰かを貶めたりするくらいのことはするだろうな、と。

 そんな風に思ったのである。俺は俺だから、俺は多分当たり前のように誰かを貶めたり傷つけたりするだろうと、自分としてはそれは明々白々の事実だと、ふと思ったのである。ある時に俺はそれに気付いた。まあ今更そんな青臭い自己発見について長々と語ることに些かの恥ずかしさがあるのだけれど、でもそれは個人的には大発見だったし、その発見について自分はこの数年間というもの忘れたことがない。俺は誰かを――


 そう、人は誰かを貶めなければ生きていけないのである。そのことは明らかなのだ

 ずーっと昔、多分十五年くらい前なのだけれど、俺は猟奇殺人犯の伝記を読むのが好きだった。とても好きだった。彼らは変わった人物で、我々とは少し違ったものの考え方をした。

 中でも印象に残っているのは、かの有名なジョン・ウェイン・ゲイシーで、彼の残したある一言が俺はとても好きだ。俺はその一言をここに書いてみることはしないけれど、でも、俺はその彼の一言がとても気に入ってしまったのである。その一言を聞いて、俺は、素朴にそうかもしれないな、と思ったのである。それはまるで、俺自身無意識の内に誰かを貶め誰かを傷つけ続けて生きてきたことを、ある時ふいに直観したのとまるで同じくらいに、臓腑に染み込んでくる言葉だったのである。ああ、そうかもしれないな、と俺は思ったのだ。その言葉に。


 話が脱線している、閑話休題

 とにかく我々は日々誰かを貶め誰かを傷つけ、時には犯したり殺したり盗んだり騙したりしながら生きている。それはあまりにも自明のことじゃないか、と俺は思う。

 我々が今日まで辿ってきた歴史を振り返ればいい。

 我々の人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、我々の祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。我々は遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 我々の中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。我々はその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。我々は、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。我々は遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 当然ながらその歴史暴力と共にあった。恐らく、そこには絶えざる暴力連鎖があった。我々は多分誰かを殺し続けてきただろうし、誰かを犯し続けてきただろうし、誰かを騙し続けてきただろうし、誰かから盗み続けてきたことと思う。

 我々は誰かから犯され続けてきたし、誰かから騙され続けてきただろうし、誰かからまれ続けてきたと思う。


 だってそうじゃないか

2020-10-08

暴力に囚われていないという幻想(改稿)

 それは幻想に過ぎなくて、我々は常に暴力行使する側であり暴力を甘受しなければならない側でもあるんだな。

 我々は常に暴力を振るっているし、そして常に暴力に晒されている側でもあるんだな。

 何というか、そういう単純な地平が思いのほか人々には見えていないようなので、僕としてはビックリすること頻りなのである

 暴力を使ったことのない人間などいない。暴力は我々の内部に根差しているし、我々は暴力行使する。我々はそれによって何かを成そうとする。それが人間という生物基本的な行動パターンじゃないかと思う。何故世の中の人はそういう理解から遠ざかっているのか、自分暴力主体ではなく暴力をただ甘受する哀れな人間であると何故誰もが名乗るのか。僕としてはその辺が不思議でならない。何故あんたたちは暴力主体であるという意識を持てないのだ? 我々は暴力普段から行使しているではないか、誰かを貶め誰かを踏みにじり誰かを圧殺することを通してでしか自らの繁栄を築き上げることなんてできなかったじゃないか、何故その意識から逃げるのだ? などなどと思う。

 「我々は被害者だ」という文言は勿論限定的文脈においては成立する。例えば、道を歩いている時に突然誰かにぶん殴られたとして、「俺は加害者だ!」などと宣う人間はいかにも不自然である。勿論、そういう文脈において人は被害者に成りうるし、俺も別にそれを否定しているわけではない。しかし避け難く我々は被害者であると同時に加害者であるのだ――それを誰もが理解していないということに対して原初的違和感を覚えざるを得ない。何故皆はその共通普遍認識から遠ざかるのか? 何故我々が加害者であるという意識を誰しもが持たずに生きているのか?


 ホッブズの『リヴァイアサン』。その書物をご存知だろうか。多分、殆どの人々がかの書物最初から最後まで読み通したことはないと思うのだけれど、社会科世界史の授業で、「人間万民万民に対する闘争状態にある」という著作中の警句を大いに聞かされた人は多いのではないだろうか。勿論これは事実でありまた慧眼である。いや、少し違うな。勿論、我々は皆お互いにお互いのことを殴り合っているわけではない。勿論、我々は皆が皆お互いのことを殺したり犯したり盗んだり騙しているわけではない。常にそれを行い続けているというわけではない。勿論、そのことくらいは俺にだって分かっている。でも、問題はそうじゃないんだ。我々が、この世界において、そういう具体的な行為に及んでいるわけではない。勿論それは分かっているのだけれど、でも、問題はそうじゃないんだ。僕たちはそれと分かるような暴力行為に出るわけじゃない。勿論、誰もが誰かの門前で誰かを殺したり誰かを犯したり誰かから盗んだり誰かを騙しているというわけじゃない。勿論、そうなんだけれど。

 でも、結局のところ我々は誰かから盗まなければ生きていけないのである

 誰かを、騙さなければ生きていけないのであるし、誰かを犯さなければ生きていけないのであるし、誰かを殺さなければ生きていけないのである。それはとても自明ことなのだ。

 勿論、我々は誰も殺したことがない。そうだと思う。俺もそう思う。俺は誰も殺していないし、誰からも盗んでいない。誰かに関して騙したことはあるかもしれないが、よく覚えていない。

 でも誰かを傷つけたことはあるし、誰かを貶めたことはある。勿論それはそうだ。誰をも貶めず誰をも傷つけずに生きている人間などこの世にはいない。有り難いことにそれは明々白々の事実で、俺も例外なく誰かを貶めたり傷つけたりすることを、かつて息をするかのように行っていた。俺は誰かを踏みにじり、誰かを貶め、誰かを傷つけ、誰かの価値を下げていた。何らの見返りがあったわけでもない。そのような行為を冒すことによって自分自身に対して何らかの報酬があったわけではない。でも、俺はそれを毎日のように行っていたのである

 俺はある時にふとそのことに気付いたのだけれど、特にショックと言うべきショックはなかったと思う。一応きっかけと言うべきものはあって、それは当時俺の身近にいたパワハラ上司に対して憎悪の念を燃やしていた時であった。あの上司には価値がない、あいつには生きている価値がない、あいつは自己反省のできない俗物だ――そんなことを考え続けていた時に、何となくそのことが、ストンと腑に落ちたのである

 そう、つまり、俺もあの上司根本的には一緒じゃないか、と。

 自分のことを振り返ってみれば、自分だって誰もを貶め傷つけてきたじゃないかと。それをさも当たり前の行為のように行ってきたではないかと。

 まあ、仕方ないよな、と。そう思ったのである

 まあ、仕方ないよな、だって、俺は俺だもんな、と。だって、俺は俺なのだから、誰かを貶めたりするくらいのことはするだろうな、と。

 そんな風に思ったのである。俺は俺だから、俺は多分当たり前のように誰かを貶めたり傷つけたりするだろうと、自分としてはそれは明々白々の事実だと、ふと思ったのである。ある時に俺はそれに気付いた。まあ今更そんな青臭い自己発見について長々と語ることに些かの恥ずかしさがあるのだけれど、でもそれは個人的には大発見だったし、その発見について自分はこの数年間というもの忘れたことがない。俺は誰かを――


 そう、人は誰かを貶めなければ生きていけないのである。そのことは明らかなのだ

 ずーっと昔、多分十五年くらい前なのだけれど、俺は猟奇殺人犯の伝記を読むのが好きだった。とても好きだった。彼らは変わった人物で、我々とは少し違ったものの考え方をした。

 中でも印象に残っているのは、かの有名なジョン・ウェイン・ゲイシーで、彼の残したある一言が俺はとても好きだ。俺はその一言をここに書いてみることはしないけれど、でも、俺はその彼の一言がとても気に入ってしまったのである。その一言を聞いて、俺は、素朴にそうかもしれないな、と思ったのである。それはまるで、俺自身無意識の内に誰かを貶め誰かを傷つけ続けて生きてきたことを、ある時ふいに直観したのとまるで同じくらいに、臓腑に染み込んでくる言葉だったのである。ああ、そうかもしれないな、と俺は思ったのだ。その言葉に。


 話が脱線している、閑話休題

 とにかく我々は日々誰かを貶め誰かを傷つけ、時には犯したり殺したり盗んだり騙したりしながら生きている。それはあまりにも自明のことじゃないか、と俺は思う。

 我々が今日まで辿ってきた歴史を振り返ればいい。

 我々の人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、我々の祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。我々は遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 我々の中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。我々はその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。我々は、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。我々は遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 当然ながらその歴史暴力と共にあった。恐らく、そこには絶えざる暴力連鎖があった。我々は多分誰かを殺し続けてきただろうし、誰かを犯し続けてきただろうし、誰かを騙し続けてきただろうし、誰かから盗み続けてきたことと思う。

 我々は誰かから犯され続けてきたし、誰かから騙され続けてきただろうし、誰かからまれ続けてきたと思う。


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